2018年1月20日土曜日

脱落者 1 - 4

 アメリカ・ドーム副長官ガブリエル・ブラコフは中央研究所のある実験室の中に居た。テーブルの前には羊水研究の第一人者ハン・ジュアン博士と2名の助手が居て、薬品の調合に着手していた。ブラコフは新規実験立会いの役目をしていた。新しい実験には必ず長官か副長官が立ち会うのだ。実験が成功すればめでたし、なのだが、未だ最終目的である女子誕生の特効薬はない。ハン博士は羊水に問題があると言う自説の証明の為に分析を行なっているのだ。地球人の羊水とコロニー人の羊水を比較して、比重の異なる分子を抽出し、それが性決定染色体に及ぼす影響を調べている。
 ブラコフの隣にいるのは遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーだった。普通局長は遺伝子学者達の研究にいちいち立ち会ったりしない。今回は新薬を使った薬品調合と言うので、元薬剤師の彼は興味を抱いて見学に来ていた。局長は薬剤管理室の2名の女性薬剤師も同伴していた。彼女達はコロニー人とドーマーで、執政官とドーマーと言う関係は大概の場合師弟関係があるのだが、彼女達は対等の同僚だった。
 女性のドーマーは大変人数が少なく、希少だ。どんなに美人でもコロニー人の男性は彼女達に求愛する権利を許されない。地球人の女は地球人の男のものだ。もっとも彼女達は地球人の母親から生まれたのではなく、コロニー人の女性から提供される受精卵から作られるクローン受精卵から成長した子供だ。現在地球上に居る全ての女性がそうなのだ。女性が誕生しない惑星だから。女性ドーマーは本来なら「取り替え子」として男の子と交換されて母親に渡されるはずだった。しかし、肝心の男の子が誕生前に母胎内で死亡してしまうことが偶にある。女の子のクローンは、取り替え子の母親のオリジナルであるコロニー人の近親者から提供される卵子のクローンだから、遺伝子的には「血縁者」だ。だから、取り替える予定の男の子が死んだから、別の子と取り替える、と言う訳にいかない。
遺伝子管理局が遺伝子履歴を調べて同じ血統の家族を発見出来なければ、女の子はドームに残され、ドーマーとして育てられる。男のドーマーが地球で母親から生まれてくるのと違って、女性はクローンなのだ。
 遺伝子履歴は厳格に管理されている。これは、卵子提供者が決して多くない為に、近親の者同士が出会って結婚してしまわないようにと言う措置だ。出来るだけ多くの可能性を作り、女性誕生の機会を作るのだ。その為に遺伝子管理局と言う役所が設けられている。遺伝子管理局が地球人男性の婚姻の許可や、養子縁組の認可を裁定するのも、遺伝子の偏りを防ぐのが目的だ。地球人には、女性保護の目的で経済状態の良い男性に許可を与えると見せかけているが・・・。
 ブラコフは薬剤師のドーマーが先刻から気になっていた。火星で彼女とよく似た女性を見かけたことがあるのだ。確か同じ高校に通っていた女の子だ。多分、ドーマーのオリジナルだ。 高校の同級生には興味がなかったが、ドーマーの方は魅力的に見えた。きっとドーム内の女性人口が少ないせいだ。
 ブラコフはまだ30代前半だ。副長官などと言う大役に若過ぎると執行部から異論が出たほどだが、師匠であるケンウッド博士が才能と人柄を見込んで重用してくれたのだ。
だから、彼はケンウッド長官が留守の間、しっかりドームを守ることを心がけていた。
新薬の研究には細心の注意が必要だ。だから元薬剤師のハイネ局長にも立会いを求めると、局長は快く応じてくれた。そして嬉しいことに女性薬剤師を2名も連れてきてくれたのだ。彼女達は副長官より局長に興味があるように見えたが、研究室内ではちゃんと実験の手順を観察していた。とりわけ女性ドーマーは真剣な眼差しでハン博士の手元を見つめていた。
 ハン博士が、新しい薬品をスポイトで薬瓶から採取してフラスコに1滴落とした。透明の液体の中に落ちた薬の雫が緑から黄色に変化した。突然、ハイネが叫んだ。

「伏せろ!」