2017年4月14日金曜日

奮闘 13

 セント・アイブスの遺伝子管理局出張所所長リュック・ニュカネンはダリル・セイヤーズ・ドーマーが現れた時、すぐに本部に通報した。「来る」と言う連絡が事前になかった局員が現れた時は必ずそうするのだ。任務内容の確認なのだが、同時に「脱走」を懸念していた。
 本部からの返事は「セイヤーズの好きにさせろ」だった。ニュカネンにとっては、全く不本意な返答だ。ダリルのマイペースに堅物の彼はとてもついていけない。しかし、ダリルは彼を必要としていた。大体、返答を送って来た本部の人間の署名がないので、ニュカネンはどこまでそれを信用して良いのかわからない。名前がないのは局長のメールだけのはずだが、レインの可能性があるし、もしかするとセイヤーズ自身がコンピュータを騙して送って来たとも疑われた。セイヤーズはその程度のことは簡単に出来る能力を持っているのだ。
 ニュカネンが2階の休憩室に行くと、ダリルは丁度クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに「出来るだけ早く帰るよ」と言って電話を切るところだった。口調から相手はレインかと思えたが、「キャリーに宜しく」とダリルが言ったので、クラウスと話していたのだとわかった。
 テーブルの上には昼食に食べたサンドイッチの包み紙が丁寧に折りたたまれて置かれていた。ゴミ箱に入れるのに必ずきちんと整理するのはドーマーの習慣だ。ドームは空間が限られているので、幼少期から片付けることをみっちり躾けられるのだ。躾けがなっていない一般人の中で暮らしているニュカネンは、何故かその包み紙を見てホッとした。18年間逃げていたにも関わらず、ダリルはドーマーの習慣を忘れて居ない。
 ニュカネンは戸口に立って声を掛けた。

「今日はこれからどうするつもりだ? まさか明日まで休憩なんてことはないだろうな?」
「まさか、そんな時間の無駄はしない。」

 ダリルは彼をまっすぐに見た。

「ミナ・アン・ダウン教授は大学に居るだろうか?」
「恐らく・・・警察の監視が付いているが。彼女が何か?」
「彼女に尋ねたいことがあるんだ。時間が空いているなら、つきあってくれないか?」
「私が暇だと思っているのか?」

 ニュカネンはムカッときたが、ダリルに単独行動させるのは拙いと思ったので、結局ついて行くことにした。相手のペースにはまりつつあることを薄々勘付いていたが、抵抗のしようがない。自家用車を出して、ダリルを助手席に乗せると、ダリルが呟いた。

「長い間運転していないので、たまにはハンドルを握らないと忘れるんじゃないかな。」
「どんな機械でも見ただけで使い方がわかる人間がそんなことを言うな!」

 ダリルを絶対に運転席に座らせない決意で、ニュカネンは大学へと走って行った。
セント・アイブス・メディカル・カレッジは夏休みに入っていた。多くの学生達は故郷へ帰省したり旅行に出かけたりしていたが、学内に残って研究を続けている者も少なくないので、若者達や研究者達がキャンパス内を歩き回っていた。
 ニュカネンは来訪者用駐車場に車を乗り入れ、端末でダウン教授のスケジュールを確認した。出張所はセント・アイブスの街に住む遺伝子関連の研究者の行動をほぼ全員把握しなければならない。監視が仕事だから、必要条件だった。
 ミナ・アン・ダウン教授は彼女が管理している3つの研究室の一つにいることになっていた。

「第3研究室か・・・面倒だな。」
「どうして?」
「第3研究室は彼女のもっとも重要な研究を行う場所だ。お気に入りの学生しか立ち入りを許されない。私も臨検で1回入っただけだ。」
「それじゃ、2度目の訪問をすれば良い。」
「彼女は部屋から出てくるだろうが、中には入れてくれないだろう。」
「そう聞くと、入りたくなるなぁ。」
「セイヤーズ、大人しくしてくれ。君は今本部から無断でここに来ているのだぞ!」
「事後承諾の形で許可をもらっておいたよ。君こそ、私が来ていると連絡を入れただろう?」

 どうも研究室に押し入るつもりらしい、とニュカネンは覚悟を決めた。好きにさせろ、と本部から言われたではないか。あれが偽メールでなければ良いが・・・