2019年1月31日木曜日

暗雲 2 1 - 10

 「去年の初め頃だ。」

とジェリー・パーカーがぼそぼそと語り始めた。

「トーラス野生動物保護団体の理事の1人で医師協会の会長であるマイケル・ハーヴェイに博士が講義をしたことがあった。移植の話だったが、俺は理解出来ても興味がなかったから、部屋の中で資料の整理をしていただけだ。他人の体に入ってまでして長生きしたいなんて、思わないからな。でもハーヴェイは熱心に聞いていた。記録も採っただろう。
 博士の理論は、脳移植を希望する人間自身の細胞でクローンを創り、そこに入れると言うものだ。これなら遺伝情報は同じだし、拒否反応も極力抑えられる。ただ、移植可能な大きさに成長する迄クローンは人間として暮らす訳だから、結局のところ殺人になる。
それにそれ迄に希望者が生きていられるかって問題もあるだろう? 希望しているのは、爺に婆ばかりだからな。」
「ラムジー自身は、その理論を支持していた訳ではないのか?」
「博士は俺に、『馬鹿どもの夢だ』と言っていたよ。」

するとレインが口をはさんだ。

「爺様は、俺の体に入る想像をしていたぞ。」

 パーカーは彼の能力をまだ知らない。横目で彼を見て、

「想像だけだろ? 想像だけなら、誰でもいくらでもするさ。」

と言った。レインは反論しなかった。ここで議論することではないと思ったし、あの時に感じた恐怖をパーカーは理解しないだろう。
 ハイネが尋ねた。

「FOKのリーダー、ニコライ・グリソムとハーヴェイに接点はあったのだろうか?」
「さあね・・・」

 パーカーは肩をすくめた。

「俺はニューシカゴ郊外の農場で暮らしていたから、セント・アイブスのことなんか知らないってことを覚えておいてくれないか? トーラス野生動物保護団体のことなんか、俺の知ったこっちゃないんだ。」

 レインが自身の知識を出して来た。

「グリソムは16歳で医学博士になっています。実際に仕事をした記録はありませんが、大学でハーヴェイと出遭った可能性が0とは言い切れないでしょう。」

 その時、ハイネが立体画像を消したので、セイヤーズがやっと正面を向いた。

「局長、クローンの収容施設は警備上の都合で一般には所在を明かしていないはずです。
FOKは何処から情報を得ているのか、調べてみても良いですか?」
「いいとも。」

 ハイネは彼をジロリと見た。

「ドームのマザーコンピュータに侵入出来る人間が君だけとは限らんからな。」

2019年1月30日水曜日

暗雲 2 1 - 9

 もう一人、ハイネは電話をかけた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。レインの秘書になってどうやら仕事を覚えて新生活に慣れてきているらしい。この男はラムゼイが殺害された理由にこだわっている。彼のこだわりは、ハイネの悩み事にも繋がる。クローンの子供を殺害した連中の正体を掴むことと、ラムゼイ殺害の犯人を見つけることが繋がるような気がするのだった。
 セイヤーズは一日の仕事を終えて運動施設に行こうとしていたのだろう。局長に呼び出しを食らってがっかりしていた。ハイネは気にしなかった。セイヤーズの心のモヤモヤを払ってやる機会になるのだ。
 ハイネは秘書達に帰っても良いと言ったが、第2秘書のキンスキーは残りますと答えた。それでハイネは第1秘書のネピアを帰らせた。
 レイン、セイヤーズ、そしてパーカーはほぼ同時にやって来た。誘い合わせたのではなく、偶然部屋の前で出会したのだ。パーカーを連れて来たゴメス保安課長は遺伝子管理局本部の中だし局員が2名いるし、局長も秘書も武道の達人なので、自身は用無しと判断した。それでハイネに目で挨拶すると、パーカーを置いて立ち去った。セイヤーズは好奇心で室内を見回し、レインはと言うと、疲れた表情で立っていた。ハイネが着席を促すと、彼等はパーカーを挟む形で会議テーブルの前に座った。
 ハイネは時間を無駄にするのは嫌いだったので、いきなり本題に入った。

「夕食前で申し訳ないが、見て欲しい画像がある。」

 3人の前にあるテーブルの上に3次元画像が浮かび上がった。立体的に見えるので、本物みたいだ。それは人間の腐乱死体だった。
 セイヤーズが思わず顔を背け、レインは無言で画像を眺め、パーカーも顔をしかめたがしっかりと画像を見た。ハイネは説明した。

「昨日、プリンスエドワード島の南部の海岸で発見された遺体だ。腐敗が進み身元を特定出来る物を身につけていなかったので、警察が地元の遺伝子管理局の協力を求めてきた。
支局がサンプル採取して検査したところ、この遺体の遺伝子記録は出産管理区にはなかった。」
「では、メーカーのクローンですね。」

とレイン。ハイネは頷いた。
 メーカーは自分達が創ったクローンの記録を残さないことが多い。遺伝子管理局は親の遺伝子を追跡出来るが、クローン自身の特定は困難になる。親が自分の細胞をメーカーに提供して創らせる場合はまだましだ。他人の細胞から創ったクローンを購入したケースでは、子供の身元は全くわからない。
 ハイネは続けた。

「数件のクローン保護施設に当たったところ、トロントの施設で該当する記録が見つかった。2ヶ月前に親と共に逮捕され、施設に保護された少年で、FOKの襲撃の際に拉致され、行方不明になっていた子だ。解剖したが死因は不明だ。しかし、殺害されたと推測される状態だった。」

 画像の死体の頭部が拡大された。セイヤーズは正視出来なかった。流石にレインもパーカーも顔を背けたり、目のやり場に困った。

「死体には脳がなかった。摘出されていたのだ。」

 パーカーが微かに唸った。ラムゼイ博士がクローンの肉体に脳を移植する構想を持っていたことを思い出したのだ。

「FOKは、クローンの解放ではなく、人体実験をやっているのか?」
「彼等は過去に合計14人のクローンの子供を攫った。攫われたのは、ハイティーンの少年ばかりだ。体の大きさは大人と同じだ。これはどう言う意味を持つと思う?」
「まがい物のテロリスト。」

とレインが呟いた。

「大義を唱えながら、実際は子供を何かに利用しているだけなのでは?」
「テロリストが子供を攫うのは、大概は兵士にする為でしょう。」

とセイヤーズ。

「でも言うことを聞かない罰として殺害したにしては、余りにも酷いです。」
「脳を取り出す罰があるものか。」
「子供は実験の材料だ。」

 パーカーがレインの意見に同意した。

「動物実験で成功したので人間で試したくなったんだろうよ。」

 ハイネはパーカーを見た。

「ラムジーはどの段階まで脳移植の研究をしていたのだ、パーカー?」
「博士は空想の段階で留まっていたんだ。動物実験すらしていなかった。本当だ。本業が忙しくて、医学実験なんてする暇はなかった。それに、あの人は生命を創るのが商売だ。子供を殺してしまうような研究なんてやらなかった。」
「だが、レインが押収したチップの中には、脳移植について語る博士の映像もあったぞ。 脳移植は宇宙では不可能ではない手術だ。コロニー人のラムジーには難しくなかったのではないのか?」
「博士は遺伝子学者だったが、外科医じゃなかった。」

 パーカーは渋々ながら告白した。

「金持ちの中には脳移植で若い肉体を手に入れたいと言う連中がいるのは事実だ。エクササイズや薬剤でアンチエイジングするのに飽きた連中だ。そいつ等が、博士に、脳移植用のクローンを創れって言ったんだ。」


2019年1月29日火曜日

暗雲 2 1 - 8

 送迎フロアから遺伝子管理局本部へ戻りながらハイネは先刻外の世界からもたらされた気分の悪いニュースについて考えていた。外の世界の出来事に一切口を挟むな、考えるな、と教えられて生きてきたが、若いクローンがクローンだと言うだけで酷い扱いを受けたとすれば、許し難い生命への冒涜だ。ドームの観察棟に収容して遺伝から来る病気の治療を施して外の世界に戻してやったクローンの子供達が同じ目に遭わされるかも知れないと思うだけで、恐ろしくなった。
 
 例えクローンと云えど、外から来たと云えど、一度はこのドームで暮らした子供は全て私の子供だ。

 守らねばならない。ハイネは歩調を早めた。途中で彼とすれ違った人々は、ローガン・ハイネの全身から怒りの炎が立ち昇っているかの印象を受け、遺伝子管理局長を怒らせたのは、何処の阿呆だろう、と思った。
 遺伝子管理局本部に戻ったハイネは自身の執務室に入ると、すぐにコンピュータを操作して、連邦捜査官から見せられたニュース映像を検索した。そして無残な遺体の画像を眺め、やがて端末を出して、ロアルド・ゴメス保安課長に電話をかけた。

「ゴメス・・・」
「ハイネです。ゴメス課長、お手数をおかけしますが、ジェリー・パーカーを私の執務室迄連れて来ていただけますか?」

 ハイネの馬鹿丁寧な要請に、ゴメスが一瞬面食らった。

「パーカーを遺伝子管理局に連行しろと言われたか?」
「連れてきて下さい。彼に業務上の協力を頼みたいのです。」
「今すぐ?」
「今すぐ。」

 ハイネが業務で誰かに何かを要請する時は、まず断られることを考えていない。自身の仕事が全てに最優先だと信じている。ゴメスはドーム勤務を始めた当初に、知り合った執政官にそう教えられた。ローガン・ハイネに逆らうことは地球人を敵に回すことと見なされる、とその執政官は彼を脅かしたのだ。もっともゴメスには断る理由がなかった。ジェリー・パーカーはケンウッド長官が月の地球人類復活委員会本部に出張している為研究助手の役目がお休みで、その日は朝から観察棟でダラダラしていた。

「了解した。では着替えさせて連れて行く。寝巻き姿では外を歩けないからな。」

 電話を終えると、ハイネはちょっと考え、ポール・レイン・ドーマーの端末に電話をかけた。普段はすぐに出るレインが、その時に限ってかなり時間が経って、ハイネが電話をキャンセルしようと思った途端にやっと出た。

「レインです・・・申し訳ありません、遅くなりました。」

 画像は出さないで声だけの通話だ。 そう云えば、レインはこの日「お勤め」が当たっていた。何時からやっているのだ? とハイネは疑問を感じながら、彼にすぐに執務室に来るようにと声がけした。


2019年1月27日日曜日

暗雲 2 1 - 7

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーは女性誕生の鍵が発見されたことも、ドームがやがて用済みになるだろうことも、その日は全く考えなかった。全く別件で気分の悪いニュースを聞かされたからだ。
 彼は久しぶりに送迎フロア横の面談スペースで外の世界から来た客人と会っていた。相手はアメリカ連邦捜査局の副局長マイケル・ケントだった。ケントはハイネにプリンスエドワーズ島の海岸で発見された人間の腐乱死体の画像を見せた。もし執政官が立ち会っていたら、遺伝子管理局長にそんな汚れた物を見せるなど以ての外と止めたであろう。しかしハイネはその不愉快極まる物をじっと正視した。

「これが、先日トロントのクローン保護収容施設からテロリストFOKに連れ去られたクローンの少年だと仰るのですね?」
「そうです。トロントの遺伝子管理局支局がDNA確認をしました。」

 ケントは初めてハイネと面会して緊張していた。神秘的なドームの奥深くに本部を置く遺伝子管理局は連邦政府の施設で働く人間にとって、正体がよくわからない「同胞」だ。局員達は皆謎めいており、ドームの外で2日しか活動しない。仲間同士の結束が固くまるで兄弟のようだ。しかし仲間以外の人間に対しては警戒心が強く、あまり親しい関係を作りたがらない。その局員のリーダーである遺伝子管理局長は、地球人の誕生・死亡を公認する仕事をしている。実際のところハイネは南北大陸から送られてくる報告に承認署名を入れて記録するだけの仕事をしているのだが、外の人間達はハイネの署名で人間の生死が決まるような印象を抱いている。だから、純白の髪と美しい容姿の彼を見たマイケル・ケントは神様に出会った様な気分になっていたのだ。
 ハイネはケントが出した検視報告に目を通した。そして眉を顰めた。

「死体には脳がなかったと書いてありますが?」
「ええ、腐乱していますが、頭蓋を開いて脳を取り出した形跡があると検屍官が確認しました。」
「FOKは、クローン解放を謳っていると聞きましたが?」
「紛い物のテロリストです。」

とケントが言い切った。

「テロリストは奴らなりの大義があります。しかし、この死体を見る限り、犠牲者が連中の保護を受けたのでないことは明白です。逆らって拷問されたかと思いましたが、その様な形跡はなかったと検屍官は言いました。頭蓋の切開跡が綺麗なので、外科医の仕事だと思われます。」

 ハイネが視線を上げてケントを見たので、連邦捜査局の副局長はドキドキした。

「外科手術の跡ですと? するとこれは、何かの医療実験の犠牲者だと言うことですか?」
「そうです。FOKはクローンの為に活動しているのではありません。何らかの目的で人体実験を行なっている非道組織だと思われます。」

 ケントは体を前に乗り出した。

「ハイネ局長、遺伝子管理局の方で何かそう言う目的でクローンを売買しているメーカーや組織の情報をお持ちでないですか? もし局員でそんな噂や手がかりを得た人がいれば、どうか捜査局にご協力ください。」

 ハイネはちょっと考えてから、ケントに頷いて見せた。

「わかりました。部下に聞いてみましょう。何か情報があればすぐにお知らせします。」



暗雲 2 1 - 6

「どっちを選ぶか、そんなことはまだ今のハイネには問題じゃないかも知れない。」

 ケンウッドは言った。

「女の子の誕生が成功しそうな時に、彼はドームが永久に続くとは考えていないだろう。」
「それに地球人の遺伝子の原型を持つ男も現れたしね。」

 パーシバルは妻を振り返った。

「君は知っていた? ラムジーが盗んだものが、細胞ではなく、赤ん坊そのものだったってこと?」
「ええ・・・」

 キーラ・セドウィックはちょっぴり申し訳なさそうな顔をした。

「上司は直接私に言わなかったけれど、局長・・・当時は捜査官ね、ローガン・ハイネと話をしていたわ。私に聞こえても気にしなかった。信用されていたと思うの。だから私はずっと黙っていた。」
「しかし、赤ん坊の宇宙旅行は禁止だろ?」
「それが法律に抜け穴があるのよ。ラムジーは書類を偽造して、女性コロニー人研究者が地球人との間に子供を産んだことにしたの。一人、退職して宇宙に帰った女性がいて、彼女は妊娠なんかしていなかったのだけど、ラムジーは彼女が出産したことにしてしまったのね。父親が地球人だから、子供は地球に返還されると言う法律を利用して、赤ん坊を地球に連れて行ってしまった。きっとドーム空港で雇った子守に手渡したのよ。執政官は入国の時、ドームに持ち込まない荷物を外の人間にこっそり手渡すことが多かったから・・・」
「まさか、密輸?」

 パーシバルもケンウッドもその話は聞いたことがあった。違法薬物などの密輸を試みる人間はいつの時代もいる。

「父親の偽造身分証を持った子守が、入国管理事務所を誤魔化したのね。」
「それでは、シェイも・・・」

とケンウッドは呟いた。キーラとパーシバルが怪訝な顔で見たので、説明した。

「ラムジーはジェネシスとして使っていたコロニー人女性を連れていたのだが、パーカーやクロエル、セイヤーズが言うには、彼女は赤ん坊の時からラムジーに育てられていたそうだ。ラムジーは彼女を金で買ったと言ったそうだ。」
「人身売買の被害者か・・・」

 パーシバルが痛ましそうな顔をした。同胞を物品扱いする人間の存在が許せないのだ。

「クローン製造と販売も人身売買よ。」

 キーラが腹立たしそうに呟いた。

「地球が正常に戻れば、少しはましになると信じるわ。」

2019年1月26日土曜日

暗雲 2 1 - 5

 会議が終わり、事務手続きも終了して自由になったのは日付が変わった頃だった。ケンウッドはホテルに向かおうとして、講演を聞きに来ていたヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィック夫妻に捕まり、彼等の自宅に案内された。
 3人の子供達は大好きなニコ小父さんの来訪に大喜びしたが、ケンウッドの疲労を心配したキーラに寝室へと追い払われた。
 
「ローガンは君に似ていたと思ったが・・・」

とケンウッドは遅い夜食の席でパーシバルに囁いた。

「ちょっとハイネの面影が出てきたね。」
「そう思うかい?!」

 パーシバルは嬉しそうだ。息子が父親より祖父に似ていることが嬉しいのだ。

「キーラは彼女に似ているだけだと取り合ってくれないんだよ。」
「キーラは父親似じゃないか。」

 ケンウッドとパーシバルは笑いあった。

「ショシャナとシュラミスはそれぞれ個性が出てきたね。面白いな、同じ遺伝子を持っていても性格は違うんだ・・・JJが見れば、違うって言うだろうか?」
「その娘に一度会ってみたいね。どんな神経を持っているのかなぁ。」

 キーラが戻ってくると3人でドームの人々の思い出話が始まった。キーラはドーマー達の近況を聞きたがった。彼女が取り上げた子供達だ。どの子も元気に働いているとケンウッドが言うと、恋愛はどうだ、と尋ねた。私生活までは干渉出来ないし、プライバシーを尊重しているので詳細は知らないと言い訳しつつも、耳に入った話はケンウッドも語った。それから、と彼はポール・レイン・ドーマーの近況を明かした。
 レインがメーカーのラムゼイに捕まったこと、セイヤーズとクロエルが救出したこと、ラムゼイがサタジット・ラムジーだったこと、彼が非業の死を遂げたこと、レインが実の両親に面会したこと・・・
 
「まるで映画みたいな展開だな。」

とパーシバル。

「だけど、セイヤーズは大したヤツだよ。一人で生き抜いて、子供こしらえて、ちゃんとドーマーとしての躾も守っている。ハイネはどっちを選ぶのかな?」
「選ぶとは?」

 ケンウッドはキョトンとしてパーシバルを見た。パーシバルがニヤッと笑った。

「後継者さ。」
「え?」

 ケンウッドはドキッとした。ハイネの後継者など、今迄彼の意識になかったことだ。

「君は、ハイネが後継者にレインとセイヤーズのどちらかを選ぶと言うのかね?」
「違うよ。」

 ケンウッドよりドーマーを理解している自負があるパーシバルは笑った。

「僕はポールを愛しているけど、彼が遺伝子管理局長になれる器とは思っていないんだ。あの子は生真面目だからね、ドーマー全員のリーダーと言う立場は重過ぎるよ。」
「それでは、君が考える候補は・・・」

 キーラがパーシバルより先に打ち明けた。

「ダリル坊やとクロエルちゃんよ。局長はクロエルちゃんが南米から連れてこられた時から目をかけていたわ。」
「ああ・・・」

 ケンウッドにも思い当たる節があった。ハイネは他の部下と話す時とクロエルと言葉を交わす時とで微妙に口調を変える。天真爛漫に育ったクロエル・ドーマーに彼も本音をぶつけている感じだ。だが・・・

「遺伝子管理局長は幹部経験者はなれないんじゃなかったかな・・・」

 するとパーシバルが、レイン同様真面目な親友に言った。

「そんな慣習を守る男かい、ハイネは?」


2019年1月25日金曜日

暗雲 2 1 - 4

 羊水研究の第一人者だったハン・ジュアン博士がテロの標的にされて亡くなったのはいつのことだったろう、と会場にいる人々は思いを馳せた。
 ニコラス・ケンウッドは遺伝子組み替えで誕生した地球人の少女JJ・ベーリングが指摘した「クローンの傷」が、人工羊水によって付けられるものであることを発見した。ボランティから貸し出された卵子からクローンを作る際、最初に使用される人工羊水を形成する原子が一つだけ、間違っていたのだ。間違った数式がマザーコンピュータに入力され、マザーはそれ以降、誤ったレシピをドームや地球向けの羊水製造工場に送り続けた。不完全な人工羊水の中で細胞分裂を繰り替えて成長した女の子の遺伝子は間違った情報を持ってしまった。
 
 男性からもたらされるX染色体を排除せよ

 だから、地球では女の子が生まれなかった。どんなに多くの遺伝子学者が地球人の遺伝子を調べても原因がわからなかったのは、大元が人間になかったからだ。
 ケンウッドはマイクの存在を忘れて呟いた。

「ハン博士の損失が地球の復活を数年遅らせてしまったことは事実です。私は本当にあの事件を悔やみます。」

 会場内の多くの聴講者同様に激しく動揺しているロバータ・ベルトリッチ委員長は暫くはぼんやりと場内の興奮の声を聞いていた。そしてふと我に返った。

「静粛に!」

 美しい顔に似合わないどら声を張り上げて、彼女は出席者達を黙らせた。

「アメリカ・ドームの発見は人類の歴史を変えることになるでしょう。我々は大至急人工羊水の製造数式の補修に取り掛からねばなりません。ケンウッド博士、貴方方はまだ修正には至っていないのですね?」
「まだです。修正はおろか、我々の発見が正しいのか、検証する時間もありませんでした。ですから、さっき私の口から申し上げたことが間違っている可能性もあり・・・」
「そんなことは言わないでください。我々は足元を見るのを忘れていた愚か者です。それを思い知らされたところで、誤っているかも、などと言われたら、もう次は何を調べて良いやら見当がつかなくなります。」

 ベルトリッチは場内を見渡した。

「お聞きの通り、アメリカ・ドームはこの発見の検証を行なっていません。これから各ドームで人工羊水の補修を行い、新しい羊水でクローンを作ってみてください。そのクローンが真に正常な女性に成長し得るのか、それが判明するのはまだ先の話です。
 女性誕生の鍵が見つかって、失業を心配する研究者もいるかと思いますが・・・」

 場内に微かに笑い声が起きた。人々は落ち着きを取り戻しつつあった。

「ドームの事業はまだ数十年、今のまま続きます。正常な女性の誕生の確認、そして正常な女性の人口が増えて、自然出産で女性が誕生する迄、私たちの仕事は続くのです。
 ですが・・・」

 場内がまた微かに緊張した。ベルトリッチは微笑んだ。

「私達の大事なドーマー達には、普通の地球人としての暮らしを学ばせてあげなくてはいけません。彼等がドームが不要になる時に、安心して外の世界に飛び立って行けるように、教育体制を変えていく必要があります。」

2019年1月23日水曜日

暗雲 2 1 - 3

  200年前、人類が宇宙空間に移住を開始して間もない頃、ヨーロッパアルプスで3人の古代ローマ時代の人間と思われる氷浸けの死体が発見された。成人男女と男の赤ん坊の遺体で、夫婦とその息子と思われた。山越えをしようとして、事故か遭難で氷河の中で眠ることになってしまったのだ。氷の圧力で成人2人はかなりダメージを受けていたが、赤ん坊は母親に抱きしめられていた為に、まるで生きている様に見えた。アイスベビーと呼ばれることになった赤ん坊は両親と共に火星にある人類博物館に永久保存されることになった。当時、地球では天災が頻発して、貴重な文化財や資料は火星に持ち出されていたのだ。アイスベビーは透明度の高い氷に包まれ、展示室で静かに余生を送っていた。
 しかし、50年前、宇宙船の事故で息子を失い、常軌を逸した遺伝子学者サタジット・ラムジーがこのアイスベビーを盗もうとした。幸い彼が逃げ込んだアメリカ・ドーム内でアイスベビーは確保されたのだが、体細胞の一部が損傷していたのだ。逃亡したラムジーが細胞を盗んだに違いないと、当時は大きな騒動となった。

 勿論、地球人には知らされなかった。ドーマー達を除いて・・・

  ローガン・ハイネは、ラムジーが火星からアイスベビーそのものを盗んだと言った。宇宙連邦警察もそう認識していた。アメリカ・ドームで回収された一部損傷した赤ん坊の遺体は、実はレプリカだったのだ。本物の赤ん坊はどこを探しても見つからなかった。だから宇宙連邦警察と火星人類博物館は世間に大嘘をついた。赤ん坊は回収された、と。そしてレプリカの赤ん坊を氷漬けにして、さも本物のように今日迄展示を続けているのだ。だが本物は火星で盗まれた直後に、ラムジーの手で蘇生させられ、地球へ運ばれた。生きた赤ん坊として。ラムジーによって大切に養育され、今は壮年の男になっている。
 現在のジェリー・パーカーを見て、誰が博物館の赤ん坊だと思うだろうか?

「ジェリー・パーカーがアイスベビーから生まれたのであれば、彼は、人類のオリジナルの遺伝子を持っていることになるのではないか?」
「そう思います。ラムジーは記録の中で、彼を『オリジン』と呼んでいます。」
「『オリジン』には・・・」
「すみません、彼にはジェリー・パーカーと言う名前があります。」
「失礼。パーカーには、子供がいるのですか?」
「ラムジーは彼の子供を数人創っています。クローン5体と、コロニー人女性の卵子との体外受精児3人です。ただ、かなりの高額で複数の富豪に売却されているので、その子供達との接触は不可能です。親達のガードが堅いのです。わかっているのは、性別で、クローンは全員男、体外受精児は男1人、女2人です。」

おおお! と会場内にどよめきが上がった。
誰かが新たな質問をした。

「クローンの女性との子供はいないのですね?」
「記録にありませんでした。」

そして、ケンウッド長官は話題の方向を再びゲノムの方へ戻した。

「JJにクローンとコロニー人の判別をする基準を尋ねました。すると、彼女はクローンには印が付いていると言いました。」
「印? そんなものをドームでは付けているのですか?」
「決してそんなことはしていません。」
「では・・・」

 ケンウッド長官は会場を見回した。

「皆さん、どうも我々は200年前、一番最初にとんでもないミスをしてしまったようです。クローン製造の手順に誤りがあった。それを誰も気が付かなかったのです。気が付いたのは、サタジット・ラムジー1人だけでした。
 初期の女性が生まれなかった原因は環境汚染だった。しかし、その後の原因は、我々のミスだったのです。」

暗雲 2 1 - 2

  月におけるケンウッドのバイオインフォマティクスの講義はスクリーン上に映し出された多くのヒトゲノムの配列アラインメントを眺めるところから始まった。

「これは、JJ・ベーリングが分類した配列アラインメントです。左のグループから、コロニー人、ドーム内クローン、ドーム外クローン、全て女性のものです。
ミスは一つもありません。彼女は見事に分類しました。」

 場内がかすかにざわめいた。誰が見ても、その差がわからない。
次の画像が映し出された。これも配列アラインメントだ。

「これは、男性のものです。左からコロニー人、ドーマー、ドーム外の男性、それから、一番右側のグループはかなり特殊です。上がジェリー・パーカー、下がダリル・セイヤーズ・ドーマーです。」
「個人を特定したのですか?」

 会場から上がった質問の声に、ケンウッドは頷いた。

「彼女は、ここに映っている配列アラインメントの主全員を特定出来ます。」
「どうやって?」
「目で見ています。それだけです。」
「信じられない!」

 ケンウッドは、月にある「地球人類復活委員会」の会合で研究成果の発表を依頼された。彼は「成果とは言えないが」と断って、この「大発見」を公表したのだ。
会場内のざわめきを気にも留めずに、彼は続けた。

「彼女が言うには、ジェリー・パーカーとダリル・セイヤーズ・ドーマーは、コロニー人と同じだそうです。しかし、セイヤーズは第3グループのクローン女性から生まれた子供で、父親は第3グループに属する地球人男性です。本来ならば、父親と同じグループに入っていなければならないのです。」
「何故、コロニー人と同じゲノムを持つことになったのです?」
「彼は進化型1級遺伝子を母親から受け継ぎました。恐らく、その遺伝子が彼の生殖細胞を『原型』へ戻したのだと思われます。」
「『進化』ではなく、『先祖返り』?」
「私は、『修復』だと考えています。」
「セイヤーズが『修復』されているとすれば、パーカーはどうなるのです?」
「それが・・・」

 ケンウッドは少し言い淀んだ。ここでハイネが語った「真実」を明かす訳には行かない。パーカーを守らねばならないのだ。パーカーが宇宙へ連れて行かれないように。

「よくわからんのです。」
「わからない?」
「彼は、サタジット・ラムジーが製造したクローンです。遺伝子管理局が押収したラムジーの情報チップを解析したところ、パーカーの人工子宮内での成長過程が記録されている項がありました。それによると、ラムジーは胚が細胞分裂を開始してから一度も遺伝子に手を加えていない。だが、彼は進化型遺伝子を持っていません。つまり、最初から彼の遺伝子提供者はコロニー人と同じ遺伝子を持っていたと考えられます。」
「では、コロニー人のクローンで、地球人のクローンではないと言うだけのことでは?」
「しかし、JJは、パーカーは地球人の子供だと主張しています。成人から採取した細胞のクローンではなく、地球人の赤ん坊の細胞から生まれたクローンだと言うのです。」
「では、セイヤーズの子供なのでは?」
「パーカーの方がセイヤーズより10歳年長です。」

 ケンウッドは己はなんと上手い嘘つきなのだろうと思った。良心が痛んだが、この際は仕方がない。ドーム長官は政治家だ。政治家は嘘やハッタリで自分の領域を守る。
 会場の中程で声が上がった。

「まさか、『死体クローン事件』の、盗まれた細胞のクローンとおっしゃりたいのですか?」

 ケンウッドは重々しく頷いた。

「そうとしか、考えられません。」

 場内がシーンと静まりかえった。ケンウッドは静かに言った。

「200年前に地球上で発見された、4000年前の氷浸けの細胞です。」

2019年1月22日火曜日

暗雲 2 1 - 1

 ケンウッドはいつにも増して多忙だった。月の地球人類復活委員会の研究発表会に提出する南北アメリカ大陸・ドームの研究資料を整理していた。執政官達は興奮していた。ケンウッドがJJ・ベーリングと共に比較したコロニー人、コロニーで製造されたクローン、地球人、地球で製造されたクローンのDNAから女子誕生の重大な手がかりが見つかったのだ。ケンウッドはその手がかりが何を起因としているのか、それを突き止めた。他の誰でもない、ニコラス・ケンウッド博士が発見したのだ。
 ケンウッドはそれをアメリカ・ドームの共同研究の成果として発表すると言った。執政官達はニコラス・ケンウッドの名前を歴史に残せば良いではないですか、と言ってくれたが、ケンウッドは彼一人の力で見つけたのではないことを十分承知していた。

「この発見は、JJの協力がなければ成し得なかった。そして何よりも、貴方方執政官とドーマー達の200年に渡る努力の結果なのです。」

 女性が生まれなかった原因を突き止めたからと言って、すぐ女性が生まれる訳ではない。解決策を見つけなければならなかった。だから、発表するのだ。アメリカ・ドームよりも大勢の科学者達の協力を仰ぐために。

 ニコラス・ケンウッドと言う男は本当に無欲で研究一筋の人間だな。

 執政官達は彼を改めて尊敬した。
 ドーム内の治安維持の為に、この「発見」はドーマー達には知らされなかった。ただ2名、遺伝子管理局長ローガン・ハイネとドーム維持班総代表ジョアン・ターナーだけがこの研究の成果を教えられた。
 ターナーはピンとこなかったようだ。

「女の子が生まれない原因がわかった訳ですよね? 女の子が生まれる解決策が見つかったんじゃなくて?」
「そうなんだ。だから、みんなに秘密にしておくのだ。期待を抱かせて頓挫しては元も子もないからね。」

 ハイネは静かに聞いていた。普段の彼同様にぼーっとした目で宙を眺めていた。ケンウッドは彼の名前を呼んでみた。同じ説明をする手間が惜しかった。ハイネが視線を彼に向けた。そして微笑んで見せた。まだ祝福するのは早いが、目でお祝いを言ったのだった。

2019年1月21日月曜日

対面 2 2 - 6

 遊びに行っても良いですか、とメッセが入ったので、アイダ・サヤカはどうぞと返信した。丁度バターとミルクたっぷりのフィナンシェが焼けたところだった。お皿の上に菓子を並べ、お茶の用意が出来たところへローガン・ハイネ・ドーマーが静かに入ってきた。出迎えたアイダを抱き締め、キスをした。外の世界の男性だったら花束とかアクセサリーとか、手土産を持ってくるのだろうが、私物を殆ど持たないドーマーにはプレゼントする物がなかった。それでも彼女には彼が部屋に来てくれるだけで十分だった。
 
「丁度フィナンシェが焼けたことろなのよ。」

と彼女が言うと、彼はもう一度キスをして、リビングのソファへ彼女を誘導した。

「好い香りですね。」
「ちょっとだけブランデーを入れてみたの。」

 菓子に入れる香料としてのアルコール類は規制外なので自由に使える。ソファに並んで座ると、彼女は菓子を一つ手に取って彼の口元へ持っていった。ハイネは素直に食べさせてもらい。満足そうに微笑みを浮かべた。

「オブライアンに匹敵する腕前ですね。」
「よして下さい、彼の足元にも及びませんよ。」

 照れ笑いするアイダをハイネは愛情の篭った目で見つめた。

「もしもの話ですが・・・」
「なぁに?」
「もし、明日ドームの事業が全て終わると言うことになったら、貴女はどうします?」
「え?」

 アイダは彼の目を見た。ハイネが言葉を変えた。

「明日はもうドームがありません、と言われたら、どうします?」
「ドームがなくなる?」

 一瞬何のことかと言おうとして、彼女は気が付いた。女の子誕生の鍵が発見されようとしているのだ。
 研究の為に肉親から引き離され、ドームの閉鎖された世界で養育され、成人してからは地球を救う研究の為に働き続けるドーマー達は、ドームがその目的を果たしてしまったら、どうやって生きていくのだろう。若い者は良い、新しい仕事を探して学んで第二の人生を歩んで行ける筈だ。しかし人生の盛りを過ぎたドーマー達は、生きる術を失って見知らぬ外の世界に放り出されるのか?
 アイダはハイネの髪を撫でた。100歳になってもまだ俗世の汚れを知らぬ純白の髪だ。

「私はずっと貴方のそばにいますよ、ローガン・ハイネ。」
「私は貴女を養う術を知りません。」
「私が働きます。」

 彼女はハイネの上体を自身の体に引き寄せた。

「この世には、貴方がご存知ない職業がいっぱいあるのよ。ゆっくりと探せば、きっと貴方の才能を活かせるお仕事が見つかるわ。それまでは私に甘えて頂戴。」

 ハイネは彼女を抱き締め返した。そしてアイダが予想しなかった言葉を彼は口に出した。

「ドームがなくなったら、子供を作ろう。」

 彼女は彼の肩に顔を載せたまま微笑した。ドームがなくなる頃にはもう自分は生きていないだろうと思ったが、流石にそれは言葉にしなかった。


2019年1月20日日曜日

対面 2 2 - 5

 ケンウッドは久しぶりに研究に没頭した。長官の仕事もこなしているが、重要案件以外は秘書任せだ。副長官も多忙だが、ケンウッドの比ではなく、彼女は長官代理も務めて彼を助けた。
 ハイネ局長は昼前の打ち合わせ会が短くて喜んでいたが、ケンウッドと話をする時間が減って少し寂しそうだった。
 昼食を短く切り上げてケンウッドが研究室に去った後、一人でテーブル前に座っているハイネの前にヤマザキ医療区長が座った。

「最近は一人でいることが多いね、局長。」
「長官が忙しいからですよ。」

 ヤマザキは自身も忙しい身でもいつものんびりしている風に見えた。食事はボリュームがあって簡単に済ませられる丼物やワンプレートランチが多い。だから時々ハイネの食べ物を横取りする。ハイネは文句を言うが、阻止する気配はない。寧ろ取られることを喜んでいるみたいだ。この時もヤマザキは彼の皿からソーセージを一切れ取った。

「ケンさんが取り組んでいる研究が功を成せば、このドームは無用の施設になるなぁ。」
「何年先の話です?」
「さぁ・・・1世代分かな。」

 ヤマザキは目の前の老ドーマーを見た。

「君をドームの外に放り出したりしないよ、地球人類復活委員会はそこ迄非道じゃない。」

 ハイネは笑っただけだった。

「ケンさんは本当にここに残るだろうなぁ。後始末が厄介だからね。長官職から引退するとしても、きっと委員会に頼み込んででも地球に残ってドーマーの社会復帰やドームとの取引で成長してきた企業の新しい生きる道を考えたり、案外今より忙しく生きる男だろうよ。」
「ドーマーの社会教育や企業の新しい進路ですか。」

 ハイネが呟いた。

「私はどちらも力になれませんね。この中しか知りませんから。」
「否、君がいなければ、あの男は落ち着かないよ。君の存在が彼がここで働く理由にもなっている。」
「何ですか、それ?」

 ハイネがキョトンとしたので、ヤマザキは笑った。

対面 2 2 - 4

 ケンウッドはグエン・バン・チュー副委員長とはあまり馴染みがなかった。チュー副委員長は地球勤務経験はあるものの、ずっと東アジア・ドームで研究していたので、接触がなかったのだ。それに宇宙に戻ってからも実務者と触れ合う仕事より宇宙での対外折衝に携わることが多い人だ。しかしケンウッドは何故かこの時、幸運だと感じた。

「チュー副委員長、一つお願いしたいことがあります。」
「アメリカ・ドームからの公式な要請ですか?」
「そうお考え下さって結構です。」

 ケンウッドは形式的な挨拶は好きでなかった。すぐにズバリと要点を述べた。

「宇宙で作るコロニー人のクローンの細胞をすぐに手に入れられますか? 」
「なんだって?」

 チューが眉を顰めた。ケンウッドはすぐ横で彼等の通話を聞いているJJの存在を意識しながら言った。

「コロニー人、ドームで作るクローン、宇宙で作るクローンの染色体を比較したいのです。」
「比較? 貴方が?」

 チューが不審がるのも無理はない。ケンウッドはもう10年以上も研究室から遠ざかっていたのだ。だから研究着を身につけているケンウッドの姿も副委員長には珍しく思えるのだ。
 そうです、と言って、ケンウッドはJJを手招きしてコンピュータの前に立たせた。

「この少女はJJ・ベーリングです。この娘はあるメーカーの夫婦が、遺伝子組み替えで生み出した地球人の女の子です。」
「えっ!」

 チューが絶句した。地球人の女の子、と聞いて一瞬思考が停滞した様だ。ケンウッドは御構い無しに話を続けた。

「この娘は特殊能力を持っています。信じ難いことですが、染色体で人を識別するのです。そして、コロニー人とクローンの識別をやってのけました。私が識別の理由を訊くと・・・」
「待ちたまえ!」

 チューが遮った。彼は額の汗を拭った。

「君は、その少女が染色体を識別すると言ったが、それはどう言う・・・」

するとJJが機械を通して自ら説明した。

「私には見えるの。キラキラ光るもの。一人一人違って見える。」

 チューがケンウッドを見た。ふざけんなよ、とその目が言っていた。しかしケンウッドは引き下がらなかった。

「信じる信じないはこの際、脇に置いて、コロニー製のクローンの細胞が手に入るか入らないか、それをお聞きしています。比較が必要なのです。何故、クローンの女性からは男の子しか生まれないのか、その原因を突き止められるかも知れません。」

 チューは憮然とした表情だったが、考えて言った。

「君も知っての通り、太陽系ではクローンで子供を持つことを許されるのは不妊治療が功を為さない夫婦に限られている。」
「卵細胞でなくても構いません。」

と言ってから、ケンウッドはJJを見た。

「構わないよね、JJ?」

JJは首を振った。ケンウッドは画面を振り返った。

「数人・・・4、5人、どこかの病院で採取出来ませんか? 健康診断の時の血液でも良いですから・・・」

 チューはまだしかめっ面をしていた。しかし、彼はニコラス・ケンウッドと言う学者の人柄を知っていた。誰もが高評価を与える人物だ。決して巫山戯てはいないのだろう。例え研究が失敗に終わるかも知れなくても、彼は真面目にそれを行う。
 チューは頷いた。

「わかった。一両日中にそちらへ送られるよう、努力する。」


2019年1月19日土曜日

対面 2 2 - 3

 ケンウッドは成人の染色体ではなく、コロニー人ボランティアから貸し出されたばかりの女性になる受精卵と出来立てホヤホヤのクローン受精卵をJJに見せた。少女はコロニー人とクローンを識別した。まだ細胞分裂も8細胞期の段階なのに、彼女には違いがわかった。
 大きな衝撃を受けたケンウッドは尋ねた。

「何が違うのだね? どこで見分けているんだ?」

 JJは困ったと肩をすくめた。

「色が違う。クローンは傷がある。」
「傷? どこに? どんな?」

 思わず声が大きくなった。JJが表情を強張らせたので、彼は自身が興奮しかけていることに気が付いた。出来るだけ柔らかい声を出して謝った。

「すまない、予想しなかった君の答えに驚いてしまった。」

 JJは頬の緊張を緩めた。

「私はどう表現して良いのかわからない。」

と機械を通して彼女は言った。

「でもあなたがコロニー人だと言う卵子は綺麗なの。クローンはほんの少しくすんで見えるの。」

 ケンウッドは腕組みして立体画像の卵子のリストを眺めた。くすんでいるのは複製だからなのか? それとも、何か複製を作る際にミスが起きているのか?
 彼はコンピュータで月の地球人類復活委員会を呼び出した。ロバータ・ベルトリッチ委員長は外出しており、グエン・バン・チュー副委員長が出た。

「何用です? ケンウッド博士」

対面 2 2 - 2

「覚悟?」

 ハイネがドーソンの言葉を繰り返したが、質問の響があった。どんな覚悟だ、と訊いたのだ。ドーソンは硬い表情で答えた。

「ドーマーの子供が犯罪に手を染めるのは許し難いことです。それもクローンに関係することなら尚更です。我々はクローンを人間として扱い、幸せな一生を送らせてやりたいと思っています。FOKは我々が逮捕したクローンを物扱いしていると世間に吹聴しているのです。誤解どころか悪意を感じます。特に罪のない施設職員を銃撃して負傷させ、子供達を無理矢理連れ去る暴力的な行為から、彼等が他人の幸福を願う団体だとは信じられません。警察が彼等を摘発するとなると、平和的な解決策を用いるとは必ずしも言い切れません。もし、そんな団体にセイヤーズの息子が入っていたら、逮捕の際に負傷するかも知れませんし、命を落とすことも考えられます。また無傷で捕まっても、セイヤーズは2度と息子に会えないでしょう・・・」

 するとハイネが言った。

「セイヤーズはここへ連れ戻された段階で、既に息子との再会を諦めていた。」

 そして、こうも言った。

「私はセイヤーズの人柄を見ていると、彼の息子がそんな暴力団体に入る人間に育ったとは思えないがね。 私は甘いのかな?」

 ドーソン・ドーマーは彼の言葉にドッと冷や汗をかいた。彼自身もハイネもセイヤーズの息子と会ったことがない。人柄も全く知らない。だが、あの無愛想なポール・レイン・ドーマーがあっさりと我が子と認め、陽気な面とは裏腹に他人の性格を鋭く見抜くクロエル・ドーマーがすっかり気に入ってしまっているのだ。それに堅物のリュック・ニュカネン元ドーマーもセイヤーズに苦情を言う割に息子に対しては何も文句をつけなかった。

「何も確認を取れていないことに、くよくよ悩んだ私が間違っていました。」

とクリスチャン・ドーソン・ドーマーは反省した。

「セイヤーズの身にあまりに多くの出来事が集中して、彼をあれ以上苦しめたくないと思うばかりに、私の方が神経質になった様です。」

 ハイネが優しく微笑んだ。

「君が後輩を気遣う気持ちは尊重する。確かに、セイヤーズの身辺は破茶滅茶だからな。ドームの中が彼に振り回されている感は否めない。
 FOKのニュースを教えてくれて有難う。私ももっと真剣に連邦捜査局と話し合わねばなるまい。それにしても・・・」

 彼は遠くを見る目をした。それは決して明るい目ではなかった。

「攫われた子供達はどんな環境にいるのだろうな・・・」





対面 2 2 - 1

 遺伝子管理局北米北部班チーフ、クリスチャン・ドーソン・ドーマーにとって、局長ローガン・ハイネ・ドーマーは心から尊敬する父であり師でもあった。同時に何をおいても崇拝する神様みたいな対象だった。神様には世俗の汚れから遠ざかっていてもらいたい。それはハイネを育てた1世紀近く昔の執政官達と同じ思いだった。しかし、重要な事件の報告はしなければならない。しなければ、当のハイネ局長から叱られてしまう。
 ドーソンは局長の日課が終わる頃合いを見計らって、ネピア・ドーマーに電話を掛け、局長に面会したい旨を伝えた。局長執務室での物事の進行の順番をきちんと守ったので、ネピア・ドーマーは快く局長の日課が終わる時刻を教えてくれた。

「10時過ぎに来なさい。11時の長官執務室での打ち合わせ会迄の時間なら面会して下さる。それ以降は午後3時だ。」
 「では、直ぐに伺います。」

 ドーソンは正確に10時に局長執務室のドアをノックして入室した。ネピア・ドーマーが真面目くさった顔で頷いて、局長に声を掛けた。局長は既に日課を終え、セイヤーズとの面談も終えていたので、実は時間が余っていた。だからドーソン・ドーマーが用事があるとやって来たので、暇潰しを考えずに済んだ。
 ドーソン・ドーマーはチーフ会議の時の彼自身の席に着いた。

「朝から押しかけてすみません。」
「構わない。仕事だろう?」
「はい。あまり愉快な話ではないので、気が引けます。」

と言いつつも、ドーソンは素早く自身の端末で会議テーブルの上にニュース映像を出した。建物が映し出された。警察の規制線が張られ、救急車や警察車両が見える。

「今朝早い時間です。」

とドーソンが画面右下の時刻表示を見ながら言った。

「トロントのクローン収容施設がFOKに襲撃されました。職員3名が重軽傷を負わされ、子供が9人、攫われました。」
「これで3度目だな。」

 ハイネの表情が曇った。執政官達にはまだ報告していない。これは地球人サイドの問題なのだ。「クローンの友」と名乗る組織が武装してクローン収容施設を襲い、収容されている子供達を誘拐する事件が北米北部で連続して起きたのだ。

「警察が捜査していますが、子供達の行方はまだわかっていません。」
「クローンの解放を謳っているが、子供達が何処へ連れて行かれたのか、何も手がかりがなかったのだな?」

 ハイネもニュースは知っていた。収容施設は地球の政府機関だが、クローンを逮捕して預けるのは遺伝子管理局だ。事件は連邦捜査局から報告を受けていた。警備を強化すると連邦政府は言っているが、収容施設は子供を閉じ込める施設ではなく、親が刑期を終えるまで養育する場所だ。刑務所ではなかった。

「少し気になる情報があります。FOKのリーダーと目されるニコライ・グリソムと言う男が先日ナイアガラフォールズ近郊で目撃されていますが、その時、黒い葉緑体毛髪の少年を同伴していたそうです。」

 ハイネが何も反応しないので、ドーソンは言い添えた。

「行方をくらませているセイヤーズの息子も黒い葉緑体毛髪を持っていますね?」
「珍しくない髪の色だ。」
「ええ・・・一応レインにセイヤーズが心配するといけないので前もって伝えておきましたが、レインもただの偶然だろうと言っています。ただ、その少年が誘拐された子供なのかどうか、それは不明です。」

 ドーソンは面会の目的を伝えた。

「もしもの場合ですが、セイヤーズの息子が過激派に取り込まれた場合、セイヤーズにはそれなりの覚悟をしてもらいます。」





2019年1月17日木曜日

対面 2 1 - 12

 翌朝、ローガン・ハイネは朝食を終えて局長執務室に入ると直ぐにダリル・セイヤーズ・ドーマーの端末にメッセージを送った。朝食後に局長執務室に顔を出すようにと要請したのだ。2名の秘書は彼が少し嬉しそうなのを眺め、何があったのだろう、と思った。
 ハイネは日課のファイルを開くと、猛スピードで仕事を始めた。出来るだけセイヤーズと落ち着いて話をしたかったので、通常業務を早く終わらせたかった。
 1時間後にセイヤーズがやって来た。ハイネはまだ少し片付ける書類が残っていたので彼を待たせて、最後のリスト移動に取り掛かった。
 セイヤーズは神妙な顔で座って待っていた。第1秘書のネピア・ドーマーが時々鋭い視線を投げかけるので、ドキドキしているのだ。ネピアは能天気な脱走者が彼と同じ秘書になったのが気に入らない。これから秘書会議で度々顔を合わせるだろう。その時に能天気な意見を聞かされたり、お気軽に反対されたりすると想像しただけで腹が立った。
 ネピアの顔が怖いので、セイヤーズは何か叱られるのだろうか、と不安になっていた。
第2秘書のアルジャーノン・キンスキーは先輩と部下の間に奇妙な緊張感が生じていることに気が付いて、内心溜め息をついた。またネピアの後輩苛めだ。威圧的な視線を投げかけるだけで後輩を萎縮させてしまう。可哀想に・・・
 ハイネが最後の書類を支局に送信してから、セイヤーズに顔を向けた。

「待たせてすまなかった。しかし、朗報だから、辛抱してくれるな?」
「朗報ですって?」
「そうだ。」

 ハイネがにこりとした。

「西ユーラシア・ドームから君の帰属問題に関する返事が来た。」

 セイヤーズの心臓がドキンっと鳴った。そうだ、この問題が残っていた。彼は西ユーラシアに籍を置いたまま脱走していたのだ。

「アメリカに残りたいのであれば帰還を無理強いしないから、アメリカに残れと言うことだ。」
「!」
「条件は、これからアメリカ・ドームで採取する君の遺伝子を年に1度、西ユーラシアに譲って欲しいと言う、それだけだ。勿論子種は冷凍で送る。」
「・・・わかりました・・・」
「不満か?」
「いいえ!」

 セイヤーズは大きく首を振って見せた。

「ただ、帰属問題をすっかり失念していたので、驚いています。」
「君は相変わらず能天気だなぁ。」

 その時、プリンターがピーッと鳴って書類を数枚吐きだした。ハイネはそれらを手に取って目を通してから、セイヤーズに差し出した。

「西ユーラシアへの転出届け、アメリカへの転入届け、それぞれの遺伝子管理局への離任、転任願いと、遺伝子管理に関する各長官への委任状、全てに君自身の手で署名して提出すること。今ここで書いても良いぞ。」

 19年前、リン長官によって転属させられた時も同じ書類に署名させられた。あの時は強制だった。今は大喜びで書ける。セイヤーズは場所を借りて書類に目を通し、所定の場所に署名した。それを受け取ったハイネ局長は、もう1度署名を確認して、書類を机に置いた。そして手を差し出した。

「改めて言おう、お帰り、ダリル・セイヤーズ・ドーマー。」
「有り難うございます。またお世話になります。」

対面 2 1 - 11

 議会が閉会した。ケンウッドはハイネとヤマザキにロビーで待つよう言って、自身の執務室に入った。書記を務めた長官第二秘書のジャクリーン・スメアから記録チップを受け取り、自身のコンピュータで議事録を作成し登録しておいた。スメアを帰して自分も部屋を出ようとしたところで、西ユーラシア・ドームから通信が入った。
 出ると西ユーラシア・ドーム長官カール・シュミットだった。あちらは深夜の筈だが、コロニー人なので時間を気にせずに働いている。何処のドームも同じだな、とケンウッドは心の中で苦笑した。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーの帰属問題に関して、西ユーラシア・ドームの執政官会議で結論が出た。」

とシュミットは言った。ケンウッドは彼が部下達を説得出来ると信じていたが、それでも不安は残っていた。セイヤーズの女の子を生める能力を欲しがるのは当然だ。セイヤーズを返せと言うのではないだろうか?
 敢えて陽気にケンウッドは声を掛けた。

「セイヤーズを送り返せって?」
「まさか。」

 シュミットが苦い笑いを浮かべた。

「マリノフスキー局長はセイヤーズは穏やかな性格だから心配無用と言ったが、執政官達は心穏やかでないらしい。そちらの友人にセイヤーズの素行を問い合わせた者がいて、彼が聞いた話によると、セイヤーズは執政官を殴って大怪我を負わせたそうじゃないか。なんでも、不意に体に触れただけで、殴ったとか・・・」
「うん・・・」

 ケンウッドは自分は狡い男だと思いつつ説明を加えた。

「あのドーマーは能天気で普段はぼーっとしているので、不意打ちを食らうとびっくり仰天して、弾みで相手を殴る癖があるんだ。」
「癖?」
「そうだよ。子供時代から一緒に育った部屋兄弟のドーマー達は彼に殴られないタイミングを学習して、彼と付き合っているんだ。」
「コンピュータを自在に使用出来て、その上暴力的なのか・・・」

 ケンウッドは肯定も否定もしなかった。

「元気が有り余っているんだ。」
「やはり、当方は彼の研究を遠慮する。」
「そうなのか?」
「その代わりと言ってはなんだが、白いドーマーを譲ってくれないか?」
「えっ!」

 ケンウッドの驚愕する顔を見て、シュミットがプッと吹き出した。

「冗談だよ、ケンウッド。うちにはマリノフスキーがいる。100歳のドーマーが2人もいては、煩くて堪らんだろうよ。」
「驚かさないでくれ・・・ハイネは冗談でも外に出せないよ。」
「わかっている。では、真面目に条件を伝えよう。」

 シュミット長官は簡単な交換条件を提示した。そしてケンウッドはそれを快く受け入れた。

2019年1月15日火曜日

対面 2 1 - 10

 アナトリー・ギル博士とジュリアン・ナカイ博士が会議場に呼ばれた。夕方も遅く、食事の時間が迫っていたが、ハイネ局長は辛抱強く執政官達に付き合っていた。
 内務捜査班ビル・フォーリー・ドーマーが議場にいるのを見て、2人は蒼白になった。お咎めなしで済ませられるとでも思っていたのか、とケンウッドは内心呆れた。いかにダリル・セイヤーズ・ドーマーが能天気でも、彼は麻酔剤混入の注射を打たれて眠り込む直前にナースコールを押している。当然、執政官達はドーマーが倒れているのを見て何が起きたのか調査する。そんなことも予想できないのか、と。
 フォーリーが医療区からの報告内容を読み上げて、事実確認をした。ギルは、ナカイを助っ人に呼んだ事実を認めた。「お勤め」の規定違反であることも認めた。その理由は、
「自分の鼻を殴ったセイヤーズが恐かったから」だった。セイヤーズが「お勤め」を果たす迄共に監視するだけの助っ人のつもりだった、と言った。フォーリーが催淫剤に混ぜられた麻酔剤のことを尋ねると、身に覚えがないと断言した。検体採取は規定通りドーマー自身が行うので、監視するだけだったのに、ナカイがセイヤーズを押し倒したので驚いた、と言った。ナカイの「レイプ未遂行為」に自身は無関係だと主張したのだ。
  ジュリアン・ナカイはギルの助っ人に呼ばれたことは認めた。しかし、セイヤーズが催淫剤注射を拒んだので、言うことを聞かせようとしたら、暴れ出したので、仕方なく麻酔注射を打った、と主張した。
 執政官で結成されるドーム倫理委員会はセイヤーズから証言を取っていた。それによると、セイヤーズは暴れたりせず、注射も拒まなかった。普通の催淫剤だと信じて注射を打ってもらった。そして2人の執政官は部屋から出て行こうともせず、ナカイがセイヤーズをベッドに押し倒し、自分がドーマーを抑えているから検体を採取しろとギルを急かした。しかしギルが動かなかったので、ナカイは自分の手でセイヤーズの体を撫で回した。
 倫理委員会がそこまで証言を再生した時、ギルが突然発言した。

「ナカイ博士は素手でドーマーに触れました。下腹部にです。」

 ナカイが真っ青になってギルを睨みつけたが、反論はしなかった。倫理委員が頷いた。

「そのようですね。セイヤーズ・ドーマーも同じことを証言しています。手が彼の下腹部に至ったので、思わずナカイ博士をベッドから蹴り落としたと・・・」

 フォーリー・ドーマーがナカイに声を掛けた。

「何か申し開きをされますか?」

 ナカイはまだギルを睨んでいた。ギルは彼から目を逸らし、セイヤーズの証言が自身の証言と同じ内容であることを頭の中で繰り返し確認していた。

「麻酔剤が催淫剤に混ぜられていたことは間違いありません。」

 フォーリーが断言すると、ナカイがやっと囁く様な声で言った。

「セイヤーズは凶暴だから大人しくさせる為に薬を加えました。レイプする意図はありませんでした。」
「しかし、貴方は彼に素手で触った。」
「・・・はい。」

 フォーリーが倫理委員会のメンバー達を見たので、委員が断定した。

「ナカイ博士は明らかにドーマーに性的悪戯をする意図を持っていたと判断します。」
「地球人保護法違反と認めますか?」
「認めます。」

 ナカイが顔を手で覆った。

「地球人類復活委員会倫理部に告発するのだけは勘弁して下さい。私は破滅してしまいます。お願いします、2度と同じ過ちはいたしませんから。」

 ケンウッドはハイネを見た。ハイネが肩をすくめた。ジュリアン・ナカイが同様の悪戯を過去に犯していた記録はないし、報告も聞かない。初犯かも知れないが、無罪放免とは行かないだろう。
 ケンウッドは議場内を見渡した。執政官の一人が挙手したので、指すと、立ち上がった。彼は名乗り、それからこう言った。

「ドーマーに手を出した者を許すと言うことは、我々執政官全員の信頼を失わせることに他なりません。ナカイ博士には辞職して頂きたい。」

 すると、ハイネが挙手した。ケンウッドはちょっと驚いて、彼を指した。ハイネは座ったままでフォーリー・ドーマーに尋ねた。

「セイヤーズ本人は加害者にどんな処罰を望んでいるか、言いましたか?」

 フォーリーが微かに微笑んだ様にケンウッドには見えた。

「セイヤーズ・ドーマーは、触られただけで傷つけられた訳ではない、自分も相手を蹴飛ばしてしまったので、お相子と言うことで平和に終わらせたいと言いました。」

 ハイネは頷き、立ち上がると議場内のコロニー人達に言った。

「地球人側はジュリアン・ナカイ博士とアナトリー・ギル博士を告発しません。」

 彼が着席すると、ケンウッドは溜め息をついた。ナカイは救われたのだ。しかし、これ以上この南北アメリカ大陸・ドームに彼を置いてはおけない。

「ジュリアン・ナカイ博士、貴方には地球人類復活委員会の規定により、ドーム内の秩序を乱した罪で辞職勧告を与えます。一両日中に地球を去って下さい。また、貴方の過失による辞職となるので、規定により、罰金刑を言い渡します。金額は後で倫理委員会から通知があります。この2項目に従えない場合は、宇宙連邦警察機構に告発します。」
「従います。」

 ナカイはしょんぼりとして答えた。ケンウッドは次にアナトリー・ギルを見た。ギルも神妙な表情で身を硬くして立っていた。

「ギル博士、貴方は『お勤め』に部外者を入れると言う規則違反を行いました。しかし貴方のセイヤーズ・ドーマーに対する心理状態を考慮して、レイプ未遂事件とは無関係と判事ます。貴方には10日間の謹慎を命じます。アパートの自室と研究室以外の場所に立ち入らないように。食事はロボットに運ばせます。10日間はどのドーマーとも接触しないように。」
「従います。」

 ギルがホッと息をついた。



2019年1月14日月曜日

対面 2 1 - 9

 ケンウッドが西ユーラシア・ドームの長官との会談を語ると、一部を除いた執政官達は大笑いした。彼等はダリル・セイヤーズ・ドーマーがマザーコンピュータをハッキングしたことを知らないし、セイヤーズは大人しくて素直な良い男だと信じている。危険値S1の本当の恐ろしさは、当人が無意識に能力を使ってしまうことだと理解していないのだ。だから女子を生める染色体を持つ男がアメリカ・ドームの所属になったことを単純に喜んでいた。
 ケンウッドは会議室の末席に座っているローガン・ハイネ遺伝子管理局長の顔を見た。ハイネは無言で肩を竦めただけだった。セイヤーズを手放さずに済んだことを彼は喜んでいる筈だが、あからさまに浮かれて見せたりしないところが、いつもの彼だった。
 臨時会議は短時間で終了する予定だったが、そこで内務捜査班と保安課からアナトリー・ギルとジュリアン・ナカイの両博士が「お勤め」でセイヤーズに不正を働いたことに関する報告が上がった。滅多に会議に呼ばれないビル・フォーリー内務捜査班チーフがゴメス少佐と共に報告して、2名の処分を求めた。
 若い執政官の中にはギルやナカイと親しい者もいる。彼等は何故2人が会議を欠席しているのかと疑問に思っていたが、告発を聞いて理由を知ると諦めた表情をした。アナトリー・ギルは傲慢だった。ポール・レイン・ドーマーに夢中になるあまり、彼の1番の理解者、最高の支持者として振る舞い、ファンクラブの先輩達すら差し置いてレインに馴れ馴れしく接した。いつかドーマー達から吊し上げを喰らうのではないかと仲間は危惧していたのだ。ギルがセイヤーズに殴られて鼻を折った時は、内心「それ見たことか」と嗤った。
 ナカイは金髪好きで知られていた。セイヤーズは金髪だ。そして綺麗だ。ナカイはギルの助っ人を頼まれたことに乗じてセイヤーズを触ろうとしたのだ。そして実際にドーマーの秘部に触れた。手袋なしで。当然セイヤーズは激怒して彼を蹴飛ばした。
 報告を聞いたハイネ局長が不快な表情を見せたので、会議室の執政官達は不安になった。局長が月の地球人類復活委員会に裁定を求める要求を出せば、本部から調査員がやって来る。話題になっている2名以外の人々の行動も調査されるだろう。
 ケンウッドが提案した。

「ギル博士とナカイ博士の言い分を聞いてみよう。行為は実際に行われたのだ。その理由をみんなの前で語ってもらおうと思う。如何かな、ハイネ局長?」

 話を振られてローガン・ハイネ・ドーマーは長官の提案を承諾した。

「どうぞ、私も是非2名の口からお聞きしたい、何故麻酔剤を使用したのかと。」



2019年1月13日日曜日

対面 2 1 - 8

 ケンウッドは3次元画面に現れた西ユーラシア・ドーム長官カール・シュミットに挨拶をした後、ちょっと躊躇った。

「シュミット長官、非常に言いにくいことなんだが、我々は西ユーラシア・ドームに報告しなければならないことがあるんだ。」
「なんだね、君らしくもない固い表情なんかして・・・」

 シュミット長官はケンウッドより2つ年上だが、長官歴はまだ5年目だった。大学時代はよくスポーツクラブで顔を合わせた古い知り合いだ。仲良しと言うほどではなかったが、互いに性格は知っていた。
 ケンウッドは深呼吸してから告白した。

「実は、2ヶ月ほど前、18年前に逃亡したダリル・セイヤーズ・ドーマーを発見してドームに連れ戻したんだ。」
「なんだって! 元気だったのか?」
「うん。少し大気汚染の影響を受けているが、一般の地球人よりはまだ若々しい。本当は連れ戻した時にそちらへ報告するべきだったが・・・」
「ああ、構わないよ、急ぐ用事なんかないから。」

 シュミットは生真面目そうな表情の男だが、根はかなり呑気者だ。だがそれに甘えてはならない。ケンウッドはもっと重要なことを伝えねばならなかった。

「驚かないで欲しいのだが・・・セイヤーズはメーカーと接触があった。自分と他人の遺伝子を使ってクローンの子供を作らせていた。」

 流石にシュミットが眉を顰めた。

「ドーマーがメーカーに子供を作らせたのかね?」
「うん。彼自身と恋人の子供が欲しかったそうだ。」
「恋人?」
「男性だ。こちらのドーマーの一人で、セイヤーズとは彼がそちらへ転属になる以前からの関係だ。同じ部屋兄弟で・・・」
「待ってくれ、ニコラス。」

とシュミットが名前でケンウッドを呼んだ。

「男と男の遺伝子で子供を作ったのか?」
「メーカーがね・・・サタジット・ラムジーだ。」
「なんと! あの『死体クローン事件』の中心人物がメーカーになっていたのか?」
「ラムゼイと名前を変えて中西部に潜伏していた。しかし、金持ち相手の高級クローン製造者として闇の世界では有名だったのだ。」
「ラムジーなら同性間の子供も作れただろうよ。」

 シュミットが汚らわしいものを言葉にしたと言う顔をした。治療以外の目的の遺伝子組み替えや違法な遺伝子操作は地球人類復活委員会では厳禁なのだ。
 ケンウッドは続けた。

「ラムジーはクローン製造の代金の代わりにセイヤーズに遺伝子の提供を求めた。そしてセイヤーズの子供を作って金持ち連中に販売した。女の子もいるんだ。」

 シュミットが画面の中で睨みつけた。

「冗談は止せよ、ニコラス。」
「本当の話なんだ、カール。 ラムジーはセイヤーズの進化型1級遺伝子S1が女性を生める遺伝子であることを発見していた。」
「進化型1級遺伝子S1・・・」

 シュミットの目が一瞬泳いだ。

「S1とは・・・危険値S1だな?」
「そうだよ、他にあるかね?」
「うちのミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーは危険値S15だ。そちらのローガン・ハイネ・ドーマーはS5だな?」

 S15は無害と言う意味だ。S5はドーム内留め置き、つまり決して外に出してはならない、と言うランクだ。暴走すると社会を混乱させる能力を持っている。しかし、S1は最高ランクの危険値で、軍隊管理が必要となる。生きる兵器になりうるからだ。

「ニコラス」

とシュミットが呼びかけてきた。

「本来なら西ユーラシア所属のセイヤーズを返せと言うべきだが、当方はS1を管理する自信がない。宇宙軍の介入は回避したい。我々は地球人とこれまで平和に上手くやってきた。ここでドーマー一人に引っ掻き回されたくない。」
「カール・・・」
「私はセイヤーズをよく知らない。はっきり言えば、全く面識がない。彼を知っている執政官は、穏やかな性格の陽気な可愛いドーマーだったと言うがね。」
「今でもそうだよ。セイヤーズは大人しいし、我々に協力的だ。」
「彼はアメリカ生まれだからな。そちらで一生面倒を見てやってくれないか?」

 ケンウッドは、内心「しめた!」と思ったが、顔に出さなかった。

「良いのかね? 女の子を生めるドーマーだぞ? 女性誕生の鍵を君達が解けるかも知れないのだ。」
「その栄誉は譲るよ。S1はコンピューターの侵入などお手の物だ。こちらで混乱を起こされては困る。」

 ケンウッドは相手が危険値S1の恐ろしさを理解していて良かった、と思った。

対面 2 1 - 7

 JJの前に、10人分の血液サンプルが並んでいた。ケンウッドが声を掛けた。

「JJ、君は塩基配列を見ていると、セイヤーズが報告したが、このサンプルの主達を識別出来ると言うことかな?」

 コロニー人達は誰もセイヤーズの報告を信じていなかった。DNAが見える人間なんているはずがない。
 JJはサンプル3を指さした。

「これはPちゃん! とっても綺麗。」

 ケンウッドは手元の端末でリストを確認した。確かにサンプル3はポール・レイン・ドーマーの血液だ。
 JJはサンプル4を指した。

「クラウスさんよね?」

 彼女は更にサンプルを順番に指していった。

「次は、ジェリーだわ! それから、ラナが居る。 次は・・・知らない人だけど、ドーマーね。8もドーマーだわ。9はクローン、女の人、10はドーマー・・・」
「1と2は?」
「コロニー人の男の人。」

 室内がざわついた。なんでわかるんだ? と声が上がった。ケンウッドはサンプルをさらに10人分と入れ替えた。
 JJはその10人の名前は知らなかったが、正確に性別、ドーマー、クローン、コロニー人を言い当てた。しかも、ドーマーの中でもセント・アイブスから同じ飛行機でドームに戻った者とそうでない者を判別した。クローンは、つまり女性なのだが、ドーマーとして育ったクローンと、取り替え子で出産でドームに収容されている女性を言い当てた。

「何が違うんだ?」

とケンウッドがJJに尋ねた。

「遺伝子に差異があると言う意味だ、そうだね? コロニー人の女性と、クローンの女性では違うのだね?」
「全然違うわ。」
「君が見ている物を、我々も見られるのだろうか?」
「どうして、貴方達は見えないの?」

 ラナ・ゴーンが提案した。

「もっとサンプルを沢山集めて見せましょう。比較して個別ではなく、グループの明確な差をJJに発見してもらうのです。」

対面 2 1 - 6

 ケンウッドは、2件の報告を保安課と遺伝子管理局内務捜査班から受けた。
 1件は、ジェリー・パーカーが無事に「お勤め」を果たし、着替えの後でドーマー達と一緒に食事に出かけたことだ。その後も彼を逮捕した北米南部班第1チームと行動を共にしているらしい。レインはパーカーに虐待されたことはなく、寧ろ庇ってもらったと証言していたし、セイヤーズはラムゼイに死なれて孤独になったパーカーに同情して友達を作らせようとしている。一生ドームの中で暮らしていく者同士、仲良くしたいのだ。この件はケンウッドを安心させた。
 しかし2件目は頂けなかった。セイヤーズの「お勤め」を担当した執政官に問題が生じたのだ。コンピュータが選んだ担当執政官は、よりにもよってレインのファンクラブのメンバー、アナトリー・ギル博士だった。ギルはレインを盲愛しているし、セイヤーズに嫉妬している。そしてセイヤーズにちょっかいを出して殴られ鼻を折られた。この体験が彼を怯えさせ、あろうことか「お勤め」に助っ人を呼んだのだ。届けのない執政官が「お勤め」のドーマーに触れるのは、地球人保護法に抵触する。助っ人として部屋に行ったのは、ジュリアン・ナカイ博士で、彼は金髪の男が好きだった。セイヤーズに触って、蹴飛ばされたのだ。
 セイヤーズは大人の対応をした。彼の力に驚いた執政官達に、部屋を出て行くよう命じ、ナースコールのボタンを押した。彼に注射された催淫剤に麻酔剤が混ぜられていることが判明し、薬剤管理室の調べで、すぐにナカイとギルの名が特定された。当然、中央研究所に詰めている内務捜査班の知れることとなった。
 ケンウッドはビル・フォーリー・ドーマー内務捜査班チーフにその夜に話し合おうと言って、取り敢えず急ぎの研究に取り掛かった。採取した生細胞が新鮮なうちにしておきたいことがあったのだ。地球人の為の研究だ。フォーリーも長官の「待ってくれ」に異議を唱えなかった。
 ケンウッドはレインの細胞と他の執政官が集めた細胞を分析した。いつもと変わらない結果だ。それを取り違えないよう細心の注意を払ってサンプル化し、小会議室にギルを除く「お勤め」に参加した執政官達を集めた。程なくラナ・ゴーン副長官が、JJ・ベーリングを連れて現れた。


2019年1月10日木曜日

対面 2 1 - 5

 ケンウッドは検査準備室の様子をモニターで眺めていた。音声は聞こえない。だからパーカーとドーマー達がどんな会話を交わしているのか、彼にはわからなかった。ただ、ドーマー達は彼等が逮捕したジェリー・パーカーを虐めようと言う意図はないらしく、パーカーに現在の状況を説明している雰囲気だった。パーカーの方は局員の中に放り込まれたので、緊張していた。ゴメス少佐が彼を置き去りにして部屋から出て行くと、やや喧嘩腰で局員達と喋っていた。しかし喧嘩は相手になってくれる者がいなければ成立しない。パーカーが何かまくし立てた様子だったが、ドーマー達が売られた喧嘩を買わないので、肩透かしを食ったのか、ラムゼイの秘書はそのうち大人しくなった。
 ケンウッドの端末がスケジュールを知らせるアラームを鳴らした。彼は溜め息をつき、希望のドーマーの番号を入力した。氏名が表示された。

 ポール・レイン

 ケンウッドは白衣を掴み、検体採取室に向かった。
 スッタフ用のドアから中に入ると、椅子の上にポール・レイン・ドーマーが所在無げに座って待っていた。入ってきた執政官がケンウッド長官だったので、ちょっと驚き、ちょっと安心したのか、肩の力を抜いた。ケンウッドは白衣を着ながら、彼に声をかけた。

「ジェリー・パーカーは素直に君達の輪に入りそうかね?」

 レインが胡散臭そうに彼を見た。

「パーカーを遺伝子管理局で働かせるおつもりですか?」
「とんでもない。」

 ケンウッドは苦笑した。

「だが彼はこれからこのドームの中で暮らして行かねばならん。孤立したまま残りの生涯を過ごすのは誰だって嫌だろう? せめて普通の仕事仲間の様な扱いをしてやって欲しいのだ。」

 レインは微笑した。このコロニー人は本当にいつも他人の身を気遣ってばかりだ。私欲を抱いたことはないのだろうか。
 ケンウッドは検体採取の前に行う決められた検査を行った。体重、身長、血圧、体温、視力、聴力、内臓透視検査・・・最後に血液を採取しながら尋ねた。

「母御と話をしたか? 家族と一緒に過ごして愉しかったか?」

 レインは「べつに」と答えた。

「セイヤーズはアメリア・ドッティと一緒にお茶をしたのに、俺は婆さんの相手ですよ、不公平です。」

 ケンウッドは、ドーマー以外の何者でもない男を眺めた。そろそろ妻帯させて子孫をどんどん創らせようと思っているドーマーに家庭の味を教えたかったのだが、無駄だったようだ。彼は催淫剤の注射をレインに打って、「終わったらいつもの手順で帰りなさい」と言い残して部屋を出て行った。レインはベッド周辺のエロ本やらアダルトヴィデオのセットを眺めて溜息をついた。せめてゴーン副長官に引き当てて欲しかったな、と思った。
 ジェリー・パーカーを担当したのはクローン製造部のティム・マーランド研究員だった。まだ執政官ではなかったが、クローン製造部のコロニー人男性は彼一人だけで、残りは全員女性だ。パーカーの初めての検体採取なので、抵抗される場合の用心に、男性であるマーランドが任されたのだ。マーランドは数回経験があったので手順は間違えずに行えた。パーカーとは目を合わせないよう努力した。そしてパーカーが従順で素直に彼の指図に従ってくれたので安心した。

「君の子種をこれからも度々採取することになると思う。僕が担当と決まった訳じゃないが、君がこのドームで働くことが正式に決まれば、恐らく僕がいるクローン製造部だ。だから、今日は君が素直に従ってくれて嬉しいよ。」

 パーカーは黙っていた。目を合わせられない男が本心で歓迎しているとは信じられなかった。しかしここで逆らっても何も良いことはないと知っていたので、黙っていた。
 マーランドは催淫剤の注射をパーカーの腕に打つと、その後の手順を説明して、部屋から出て行った。この先はドーマーもパーカーも個々の部屋で一人で作業をする。
 パーカーは深い溜め息をついた。



2019年1月8日火曜日

対面 2 1 - 4

  ドーマーがドームで育てられる第1の目的は、地球人の遺伝子を調べるサンプルを提供させられることだ。だからドーマー達は研究室に呼び出されることには慣れている。呼び出された場所で行われることが好きではないだけだ。普通は年に1回程度の呼び出しだが、遺伝子管理局の局員は「繁殖用」と呼ばれるだけあって、回数が多い。コロニー人の女性から提供される卵子に掛け合わせて女の子を創る実験に遺伝子を用いる為だ。
 午前10時に指定された部屋にドーマー達は集まった。普通は時間差で1人ずつ呼ばれるのに、今日は1度に7人だ。部屋には検査着が用意されていて、言われなくても彼等はそこで銘々着替えをした。監視カメラで見られていることもわかっている。不要な物を検査室に持ち込まない様に見張られるのだが、執政官達は自分が担当したいドーマーを品定めすることも出来るのだ。
 ケンウッドは担当になる予定の執政官達が浮き足立っているのを感じた。研究の手が空いている者からコンピュータが無作為に選出するのだが、「お勤め」の主催者となる執政官は必ず選出される。この日は当然ケンウッドが主催者だから、一番最初に一番を振り当てられるドーマーを検査する「名誉」が与えられる。選考候補の執政官達が興奮しているのは、今回のドーマー達が遺伝子管理局員ばかりでハンサム揃いだからだ。美貌のポール・レイン、同じく少女の様に可愛らしいパトリック・タン、顔も性格も良いクラウス・フォン・ワグナー、そして逮捕されて以来女性執政官しか触れられなかったダリル・セイヤーズ・・・。そして執政官達は知らなかったが、ジェリー・パーカーもいるのだ。
 パーカーを検査準備室へ連れて行く様にと指図された保安課長ゴメス少佐は不安そうに眉を顰めた。パーカーが抵抗して暴れるのではないかと心配したのだ。しかし遺伝子管理局から物言いが付かなかったので指図に従うことにした。
 観察棟から外出と聞かされてもパーカーは嬉しそうに見えなかった。検査で中央研究所に毎日呼ばれていたので、慣れていたが、保安課長自らが護衛となると少し緊張した様だ。いつもと違うとわかったのだ。

「もしかして、外の警察に引き渡されるのか?」
「そんなことはしない筈だ。いつもと同じ研究だろうよ。」
「でも、あんたが俺の護衛に着くのは初めてだ。」
「君を守るのか、他人を守るのか、俺もわからんのだ。」

 パーカーは後ろを振り返った。いつもの若い護衛がいないのが、更に彼を不安にさせていた。歩きながら、ゴメス少佐の逞しい筋肉質の体を意識した。こんな奴に押さえ込まれた絶対に抵抗不可能だろうと思った。

「あんた、コロニー人だってな?」
「そうだ。」
「重力は平気なのか?」
「毎日トレーニングしている。ここのコロニー人はそれを義務付けられているしな。」

 ふーん、と言いながら、パーカーは育て親のラムゼイ博士の重力サスペンダーを思い出していた。博士の足代わりの大切な機械だったのに、それが暴走して博士は死んだと聞かされていた。誰かが機械に細工した、と可愛い顔にゴメス並みの逞しい体のアフリカ系のドーマーが言っていた。

 誰が博士を殺したのか、必ず突き止めてやる。何年かかってもいい、復讐してやるんだ。

 ちょっと気分が昂ぶって、彼は早足になった。中央研究所の検査準備室は知っていた。だからゴメスの誘導がなくても彼は真っ直ぐにそこへ行き、ドアノブに手をかけようとした。ゴメスが一言「待て」と言った。パーカーは仕方なく手を引っ込め、ゴメスに場所を譲った。
 ゴメス少佐は静かにドアを開いた。室内にはドーマー達がいて、検査着に着替えてワイワイガヤガヤと喋っている最中だった。パーカーはびっくりした。そこにいたドーマー達は彼を逮捕したグループだったからだ。
 ゴメスがパーカーに入室を促した。ドーマー達に紹介はしない。パーカーは渋々室内に足を踏み入れた。いきなり開いたドアにドーマー達が一斉に振り返った。
 数秒間室内を沈黙が支配した。それを破ったのは、セイヤーズだった。陽気な彼はパーカーに声をかけた。

「やぁ、ジェリー! おはよう。」


2019年1月6日日曜日

対面 2 1 - 3

 お茶の時間が終わると、ハイネは業務に戻る為に遺伝子管理局本部に戻り、パーシバルは次のドームへ向かう為に宇宙港へ、ヤマザキは彼を見送りに送迎フロアに行ってから医療区へと向かった。ケンウッドも仕事に戻る為に中央研究所に歩いて行った。途中、ふと中央研究所の食堂に立ち寄った。食べるのではなく、ガラス壁の向こうを見たかった。午後も遅く夕食前なので出産管理区の食堂は閑散としていたが、端っこの方で女性の集団がいた。人数は30人ほど、全員お腹が大きい。到着したばかりの妊婦の集団だ。出産管理区長のアイダ・サヤカ博士が説明会を行っているところだった。
 アイダはローガン・ハイネを刺したセシリア元ドーマーの出産を担当した、とハイネ自身が言った。あの事件当時、ハイネとアイダはまだ結婚どころか交際もしていなかった。アイダは一生叶う筈はないドーマーへの恋をずっと抑圧していたし、ハイネも同じだった。ハイネが刺されたことは彼女も知っていた。事件発生時はセシリアも被害者として出産管理区で手術を受け入院したのだ。真相を知った時のアイダはどんな気持ちだったろう、とケンウッドは思った。そして出産の為に戻って来たセシリアをどんな表情で迎えたのだろう。ケンウッドは事件当時彼女の恋を知らなかった。だからセシリアを追放すると決めた時、セシリアが出産で戻って来る時は宜しく頼むと、アイダに言ってしまった。
 アイダは感情を抑えてセシリアを担当したのだ。それともハイネがセシリアを許した様に、彼女も許したのか。
 ケンウッドはガラスの向こうの強い女性達を眺め、それから執務室へ向かった。
 夕食迄の時間を書類仕事で過ごしていると、ハイネからメールが転送されて来た。生みの親と対面したレインが報告書を送って来たのだ。ケンウッドが気にしているだろうと、ハイネが珍しく気を利かせてくれた。早速開いて読んでみた。
 ポール・レイン・ドーマーはフラネリー家との対面の後、トーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツにも会っていた。モスコヴィッツに関する捜査を詳細に報告書に書いたが、フラネリー家に関しては簡潔に「メーカーとは無関係」と書いたに過ぎなかった。
 ケンウッドは肩透かしを喰らった気分だった。ハイネがセイヤーズの報告書も追加で送って来たので、それも開いて読んだ。大統領がドームでの女子誕生の研究の進行具合を尋ねたとだけ書いていただけだった。
 ドーマーは親との心理的関係が希薄だ。ケンウッドはそれを実感した。ハイネがあっさりと面会を許可したのも同様だ。レインが親との面会に感情を動かされるとは露にも思っていない。
 溜め息をついた時、今度はハイネから電話が掛かってきた。

「ケンウッド・・・」
「ハイネです。レインと北米南部班第1チームが明日の予定を指示してくれと言ってきました。2日の予定の外出が今日1日で終わったので時間が余ったのです。」
「私にどうしろと・・・」

 ケンウッドは遺伝子管理局の業務に指示を出す立場にいない。執政官がドーマーに指示を出すのは・・・

「君は、彼等に『お勤め』をさせろと言っているのかね?」

 するとハイネは意外なことを言った。

「ジェリー・パーカーをここに馴染ませる良い機会ではないかと思いまして。」
「パーカーを?」

 随分奇抜なアイデアだが、ハイネは複数のドーマーとパーカーを混ぜて検体採取をさせよと提案しているのだ。これからパーカーは遺伝子のサンプルを何度も採取されるだろう。環境に馴染ませるには、同じ体験をしている仲間がいると教えてやることが重要だ。
それにパーカーとドーマーの比較も出来る。それなら・・・

「セイヤーズも加えて良いかな?」
「どうぞ。」
「では、彼等に指図メールを送ってくれないか。明日の午前10時に集合だ。」
「承知しました。」

 ハイネとの通話を終えて、ケンウッドはジェリー・パーカーが素直に新しい環境に馴染んでくれるだろうかと不安を感じた。


対面 2 1 - 2

「レインは大統領の母親に会いに行ったのか?」
「正確には、ラムゼイの事件にどの程度フラネリー家が関与しているのか、尋問に行ったのです。」

 ケンウッドは正直呆れた。ポール・レイン・ドーマーは自身とフラネリー家の関係を知らない。ラムゼイと関係があったトーラス野生動物保護団体の理事の一人としてアーシュラ・R・L・フラネリーを見ている。彼女の思考を接触テレパスで読み取って、息子の大統領ハロルド・フラネリーが犯罪に関わっているかどうか、確認に行ったのだ。ハイネは彼等の関係を知っていて、黙って行かせたのだ。勿論ハイネだって大統領一家がどこまでトーラス野生動物保護団体の裏側を知っているのか、わからないのだろうけど。
 ケンウッドはハイネに確認した。

「セイヤーズも同行したのだろうね?」
「はい。一緒に行きました。彼が繋ぎをつけたのですから。」

 パーシバルは心配そうに呟いた。

「ポールは接触テレパスがある。母親にもあるんだよな?」

 レインとフラネリー家の関係は、20年も前にケンウッドから聞いていた。ケンウッドは、ポール・フラネリー元ドーマー、つまりハロルドとポールの兄弟の父親その人から直接聞いたのだ。
 ケンウッドはパーシバルを安心させようと、セイヤーズから聞いた話をした。アーシュラもハロルドも接触テレパスの能力を持っており、地球人の現状とドームで行われている事業、即ち取り替え子の事実を知っているのだと。
 ヤマザキが別の心配をした。

「フラネリー家の取り替え子の娘は、事実を知っているのだろうか?」
「それはない。」

とケンウッド。

「娘は能力を持っていないし、両親もハロルドも彼女がクローンだなんて教えないだろう。それにアーシュラは娘も愛している。メディアに登場する彼等は仲の良い母娘だ。演技には見えないよ。もっとも娘は結婚してヨーロッパに住んでいる筈だがね。」
「そうなのか・・・ポールが真実を知った時の反応が心配だよ。」

 ハイネが二杯目のお茶をカップに注ぎながらやんわりとパーシバルを窘めた。

「レインは大人です。感情に左右されたりしません。それにセイヤーズも彼を上手く制御出来ます。」
「母親は大丈夫か?」
「彼女は政治家の妻で母親です。無茶な言動は慎むでしょう。何より、長男のハロルドを守る為に自身の感情を剝きだす醜態は曝しません。」

 ケンウッドは、時々ハイネが政治家に見えた。事実、遺伝子管理局長と言う職は政治家の様なものだ。ドーム長官と同じだ。長官は政治家にならねばならない。駆け引き出来る人間でなければならない。

 駆け引き・・・

 ケンウッドは、セイヤーズがどのドームに帰属するのか、解決策を考えねば、と思った。


対面 2 1 - 1

 ポール・レイン・ドーマーが母親と対面するとハイネ局長が告げたのは、珍しく誰もが忙しくない、のんびりと午後の休憩時間を楽しんでいる時だった。その日、久しぶりにヘンリー・パーシバルが地球へ回診に来て、アメリカ・ドームにも来訪した。
 痛めた腰を気遣いながら仕事をした後、彼は図書館のサロンで友人達とお茶を飲んでいた。ヤマザキがレインの周辺で起きたストーカー事件の顛末をパーシバルに語った後だ。
パーシバルがセイヤーズの機転を聞いて満足そうに微笑んだ。

「あの子は本当に頭が良いんだ。多分、ポールと同じ位に・・・」
「レインは型通りの発想しか出来ない。だがセイヤーズは奇抜だ。そうだろ、ハイネ?」

 ヤマザキに話を振られて、チーズタルトを切り分けていたハイネが、お菓子から目を離さずに応えた。

「面白味があるのはセイヤーズの方です。」
「そりゃわかってるけど・・・」

 パーシバルは1番のお気に入りが他のドーマーの次と言うのが少々気に入らないらしい。ケンウッドは苦笑した。

「ヘンリー、もう一度ファンクラブを創設するかね?」
「否、それは・・・こっちでお断りだ。」

 パーシバルは頭を掻いた。彼が創設したドーマーのファンクラブが現在どんな状況か知っているのだ。お気に入りのドーマーを取り囲んでバカ騒ぎして遊ぶだけの軟弱組織ばかりだ。ドーマー達の仕事の便宜を図ってやったり、他の執政官の無礼な振る舞いから守ってやったり、そんな目的の為に作ったファンクラブが形骸化している。
 ハイネが切り分けたケーキを皿に取り分けて友人達に配った。ヤマザキがお茶をカップに注ぎながらパーシバルに言った。

「フラネリー大統領がストーカー君の療養を引き受けてくれた。何が起きたのか知らないままにね。」
「弟のストーカーだと知ったら、どうしただろうね?」
「どうもしやしませんよ。」

 ハイネがミルクをお茶に入れながら言った。

「キエフはもう無害な只の病人です。」
「これだから、ドーマーは・・・」

 パーシバルが苦笑した。

「肉親に危害を加えようとした人間を敬遠するのが普通ってもんだよ、ハイネ。以前君を刺した女性がいただろ? もし彼女がお産に来たら、そしてキーラがまだここで働いていたら、キーラは絶対に彼女の担当にはならない。」
「そうでしょうか?」

 ハイネは砂糖なしでミルク入りのお茶を一口飲んだ。

「セシリア・コナーズは既に出産でここに来ました。サヤカが担当して無事に男の子を出産しましたよ。結婚してテーラー姓からコナーズ姓になったのです。」

 えっ? と驚いたのはパーシバルだけではなかった。ケンウッドもヤマザキも初耳だった。ケンウッドはフォークからケーキをポロリと落としたが気がつかなかった。

「セシリアは結婚して母親になったのか!」
「ええ、昨年の6月に。」
「幸せそうだったかね?」
「サヤカの感想では、穏やかな顔つきになっていたそうです。ドームに戻ったばかりの時は緊張していたそうですが、誰も彼女の過去に触れなかったので、落ち着いて出産に臨み、赤ん坊を抱いて笑顔で帰って行ったそうです。」
「それは良かった・・・」

 ケンウッドはホッとしたが、パーシバルは黙っていた。執政官3名を死亡させたテロの実行犯だった女性ドーマーだ。騙されて、爆薬を製造させられたが、遺族にしてみれば、良い心象ではないだろう。ハイネは自身も殺害されかけたのに、彼女を許したのだ。
 ハイネはパーシバルに言った。

「母親になろうとしている彼女を見れば、キーラも余計なことを考えずに担当した筈ですよ。」
「それは・・・」

 パーシバルは肩をすくめた。

「本人に訊いてみないとわからないよ。」
「では、実の親と対面してどんな気分だったか、今夜レインが戻ったら訊いてみますよ。」

 ケンウッド、ヤマザキ、そしてパーシバルはハイネを見た。ケンウッドが思わず声を出した。

「はぁ?」


新生活 2 3 - 5

 宇宙から降りて来た脳神経外科医はキエフの記憶削除をちゃっちゃとやってしまった。終了の連絡を受けて、ケンウッドとゴーン、ヤマザキはキエフに面会に行った。アレクサンドル・キエフ・ドーマーは寝巻き姿でベッドの上に横たわり、ぼんやり天井を眺めていた。

「この前のS1のドーマーの時より簡単だったから。」

と医師は言った。

「部分削除より全部消す方が簡単ですからね。」
「会話は出来ますか?」
「言語は覚えているでしょう。食事したり、服を着たり、そう言うことは覚えています。3歳児から5歳児と同じ程度に扱って下さい。優しく扱ってあげれば、またゆっくり成長していきます。」

 彼はケンウッドを振り返った。

「新しい名前を付けてやると良いでしょう。新しい人生を始めるのですから。」

 彼が病室を出て行くと、ケンウッドはゴーンを見た。新しい名前など思い浮かばなかった。彼女がなんとかしてくれるのでは、と期待したのだ。しかしゴーンは肩を竦めて見せただけだった。2人はヤマザキを見た。ヤマザキは長官と副長官の期待を込めた目を見て、溜め息をついた。そして呟いた。

「ジャックで良いんじゃないか? ジャック・スミス。」
「そんな安直な・・・」
「おい、世界中のジャックとスミスに失礼だぞ。」

 ヤマザキはベッド際に歩み寄り、キエフに声をかけた。

「ヤァ、ジャック!」

 ケンウッドとゴーンは後を彼に任せて病室を出た。脳神経外科医が待っていた。事務方を相手に手続きを終えて、任務完了を認めるドーム長官の承認を待っていたのだ。
 ケンウッドは書類に署名をした。

「患者は明日の朝には普通に歩き回れますよ。」
「そうですか。良かった。外の病院の迎えが明後日来る予定なんです。」
「遺伝子に関係ない後天的な性格による犯罪の場合、この種の強制治療で上手く行った事例は多いです。どうか安心していただきたい。患者の余生が幸せなものになるよう、祈っていますよ。」

 ところで、と医師はケンウッドに微笑みかけた。

「私はパーシバル博士と時々一緒に仕事をしたことがあります。博士にお聞きしたのですが、あの有名な白いドーマーはこちらのドームにいるのですってね?」

 ケンウッドは戸惑った。

「彼は患者の上司です。」
「そうなんですか!」

 医師がまた微笑んだ。どうやらハイネのサインが欲しいのだろう。ゴーンも同じことを察したようで、素早く頭を働かせてくれた。

「手術の報告をハイネ局長にする必要がありますね。ドクター、ご一緒いたしましょう。」


2019年1月5日土曜日

新生活 2 3 - 4

 どうにも後味の悪い事件だったが、アレクサンドル・キエフ・ドーマーは記憶を消されてドーム外の国立精神病院に引き取られることになった。ケンウッドが直接ハロルド・フラネリー大統領に相談を持ちかけると二つ返事で引き受けてもらえたのだ。
 勿論、それがタダだと思う程ケンウッドもお人好しではない。ハロルド・フラネリー大統領は母親がドーマーとして生きている次男に会いたがっていることを知っている。アーシュラ・R・L・フラネリーがダリル・セイヤーズ・ドーマーと交わした約束を知ってか知らずか、兎に角ハロルドはドームに恩を売った。よもや引き受けた病人が弟のストーカーをしていた厄介者だとは夢にも思わぬだろうが。
 ケンウッドは記憶削除の手続きの為に月の地球人類復活委員会に今回の事件の報告と、専門医の派遣を要請した。

「要するに、ドーマー同士のイザコザなのね?」

とベルトリッチ委員長が通信画面の中で尋ねた。コロニー人と地球人の間での問題でなかったことを確認したのだ。ケンウッドは認めた。

「その通りです。当該ドーマーは精神病の因子を持っていませんが、特定の物や人間に固執する性格です。それが嵩じてストーカーになり、偏愛する相手の周囲の人に危害を加えようとしました。このままドームの内に置いても、他のドーマー達が承知しません。」
「維持班の班長会議で追放を決めたのですね?」
「そうです。そして患者本人の為にも、記憶を消して楽にしてやりたいと考えています。」
「更生の余地なし?」
「ありません。ターナー総代もハイネ局長も彼をドームに残すことを考えていません。」
「わかったわ。」

 ベルトリッチは残念そうな顔をした。彼女は西ユーラシア・ドームで勤務した経歴を持っている。しかしキエフはシベリア分室で生まれ育ったので、彼女と面識がなかった。

「脳神経の専門家を派遣します。人員が決まれば連絡します。早い方が良いわよね?」
「はい。現状のままで幽閉しておくのは、キエフ・ドーマーにとっても苦痛でしょうから。」

 ベルトリッチは画面の中で彼女の端末を操作して、何かの指図を出したようだ。ケンウッドは画面を眺めたまま2分待たされた。やがて委員長が顔を上げた。

「ところで、セイヤーズの女の子を作る能力の分析は進んでいる?」
「8割方は分析が済みました。」
「セイヤーズは西ユーラシア所属のままだったかしら? それともアメリカに帰属した?」

 ケンウッドが触れて欲しくないことをベルトリッチがズバリと突いてきた。

2019年1月4日金曜日

新生活 2 3 - 3

 アレクサンドル・キエフ・ドーマーは鎮静剤を打たれて眠りに落ちた。今回の事件が計画性のあるものなのか、突発的に彼が思いついたものなのか、そこのところがどうしても不明なのだった。前夜に流されたパパラッチサイトの動画や写真が彼の精神を打ちのめしたのであろうことは推測されたが、銃をいつ準備したのかわからない。分解して西ユーラシアから持ち込んだ銃を早い時期に組み立てて保管していたのか、それとも昨晩ネットを見た後で怒りに駆られて組み立てたのか。
 ゴメス少佐が西ユーラシア・ドームの武器管理に疑問を呈した。

「保有する光線銃の数をドームの保安課は把握している、それが常識だと思います。しかし、西ユーラシア・ドームはキエフが銃を持ち出したことに気がつかなかった、と言うことでしょう。キエフがどんな性質の男かは別として、ドーマーが銃を私物化して外へ無断で持ち出したことに気がつかない、これは西ユーラシア・ドーム保安課の手落ちです。」

 遺伝子管理局の証人達を帰し、入れ替わりにドーム維持班総代表ジョアン・ターナー・ドーマーと図書館長のドーマーが呼ばれた。こちらはキエフが起こした騒動で気分が悪くなったドーマー達の様子や、図書館の備品の損害に対する報告だった。ここでも維持班の人々がキエフの異常行動についてかなり以前から知っていたことが判明した。

「チーフ・レインに付きまとって、レインに話しかける人に意地悪したり、突っかかったり、おかしな奴ですよ。」
「遺伝子管理局は維持班より偉いと思っているみたいなことを言ってました。他の局員達はそんな素ぶりも見せないのに。」
「あの髭面は、他人を威嚇する為に生やしているんですよ。確かに体毛の濃い男ですけどね。」

 ターナー・ドーマーは普段は自身より遥かに年上の遺伝子管理局長に敬意を払っているが、この時ばかりは、維持班総代として対等に声をかけた。

「局長、あの男を貴方のところに置いておいても碌なことはありませんよ。局員に不協和音を与えるどころか、仲間を仲間とも思っていない、他人を傷つけるだけの男です。」

 ハイネが尋ねた。

「あの男をドームから追い出せと?」
「それ以外に策はありません。」

 ターナー・ドーマーは執政官達をちらりと見て、付け加えた。

「もっとも、ドームの外も迷惑するでしょうね。」

 ケンウッドが声をかけた。

「総代は、キエフ・ドーマーをドームから出す方が良いと考えるのだね?」
「そうです。」
「西ユーラシアに送り返す案はない?」
「西ユーラシアは厄介払いで彼を送って来たのではないですか?」
「ドーマー交換を厄介払いの手段に使ってはならない、と局長会議で決めたが?」

とハイネが言ったが、珍しく彼は自信なさそうだった。キエフは西ユーラシア・ドームのシベリア分室からやって来た。西ユーラシアには衛星データ分析官が数名いたので、選ばれたのだと、あちらのマリノフスキー局長は言ったが、わざわざシベリアから選んだのは何故だろう。

「外に出すにしても・・・」

と精神科医チームのリーダーが発言した。

「今の状態では、彼は外で暮らす術を学ぶ心理状態ではないでしょう。」
「外では生きていけないと?」
「一人では無理です。」
「だが、ドームに不要のドーマーを養う余裕はない。騒動を起こしたドーマーは『黄昏の家』の引退したドーマー達とは違うのだ。」
「それじゃ、こうしよう!」

とヤマザキが提案した。

「可哀想だが、キエフ・ドーマーから記憶を消してしまう。彼の脳を真っ白な状態に初期化して、外の精神病院に入れる。療養費はかかるが、ドーム内で幽閉状態で生活させるよりは安く済む。安全管理が省けるからね。」

2019年1月3日木曜日

新生活 2 3 - 2

 ケンウッドが発砲事件を知った時、既に事件は解決収束していた。発砲したアレクサンドル・キエフ・ドーマーは拘束され、観察棟で厳重な監視の下に幽閉された。同じ観察棟に収容されているクローンの子供達とジェリー・パーカーはキエフが収容された部屋がある一番奥の区画には決して立ち入らないように言い聞かされた。
 パーカーはキエフを知らなかった。説明をした保安課員から、「お前達が誘拐し損なった男だ」と言われても、全く心当たりがなかった。彼が手下に命令して誘拐したのはポール・レイン・ドーマーだけだったからだ。

「そいつがなんで閉じ込められたんだ?」

と質問したが、保安課員は発砲事件を収容者達に教えるなと命じられていたので、「錯乱したからだ」としか答えなかった。
 実際、キエフは錯乱していた。チーフを取り返すんだ、と繰り返すばかりで埒があかなかった。

「レインのストーカーだったともっぱらの噂です。レインがセイヤーズと同棲を始めた上に、ベーリング嬢と仲良くしている様子がネットで流されたのを見て、逆上したと思われます。」

 ヤマザキは精神科医のチームからそう報告を受けた。それをヤマザキはケンウッドに報告した。
 ケンウッドはハイネを執務室に呼んだ。保安課長ゴメス、ヤマザキと精神科医チームが並んで座っているところへ、遺伝子管理局長が現れたのは午後のお茶の時間が近く頃だった。
 ヤマザキがハイネに、キエフに最近異常行動はなかったかと質問した。ハイネは、自身はあまりキエフと接触がないので、部下を呼んでもよろしいかと尋ねて、ケンウッドの許可をもらった。やって来たのは、レイン、ワグナー、ルーカス、ハイデッカーの4名だった。第2チームと第3チームは外へ出かけているので、残っているチームリーダーとチーフが来た訳だ。
 ヤマザキはレインを外した3名にキエフの最近の様子を尋ねた。そしてキエフがレインと親しく口を利く同僚に対して異常な嫉妬心を抱き、すぐに喧嘩をふっかけていたこと、セイヤーズに脅迫とも取れる言動を取ったこと、レインにくっついて行動したがることなどの証言を得た。しかし、JJ・ベーリングとは事件当日が初めて顔を合わせたのだ。

「JJは観察棟か中央研究所から出たことがなかった。今朝、初めて図書館に出かけたのだ。彼女が出かけることは公表されていなかった。何故キエフは彼女を襲撃したのだ?」
「偶然見かけたのでしょう。」
「しかし銃を用意していた。」

 キエフの銃はセント・アイブスからワグナーと共に帰投した時点で保管庫に返された筈だった。すると、保安課が気まずそうに言った。

「あの銃は西ユーラシアで登録されていました。キエフがこちらへ異動した時に分解して持ち込んだ物と判明しました。入国の際に見落とした保安課の落ち度です。申し訳ありません。」
「何年前の話です?」

 ハイネがゴメスに言った。

「今まで彼は使わずに保管していたのですか。我々は知らぬうちに爆弾を抱えていたのですな。」

2019年1月2日水曜日

新生活 2 3 - 1

 想定外の事件が起きることは珍しくない。事件とは想定外の出来事なのだから。
 その日は死亡者の数が多くて、ハイネは日課に時間を普段より長くかけてしまった。打ち合わせに間に合いそうにないなぁと思いながら最後の支局から送られてきたデータをファイル移動させている最中に、秘書のコンピュータに緊急通信が入った。ネピア・ドーマーが素早く出た。局長が多忙な時に、緊急信号を耳に入れさせたくなかったのだ。

「局長執務室、ネピア・・・」
「保安課のゴメスだ。」

 コロニー人の元軍人の声が聞こえて、画面に逞しい男の顔が現れた。

「ハイネ局長は在室か?」
「ご在室ですが?」

 ネピアは嫌な予感がした。保安課が局長を指名で電話をかけて来たと言うことは、遺伝子管理局職員が問題を起こしたと言うことだ。ゴメスはネピアに質問する暇を与えずに言った。

「図書館で発砲があった。遺伝子管理局の者が関与しているとの情報がある。」
「情報? 確認は取れていないのですか?」
「俺の部下が、銃撃された。銃撃したのは局員だったと証言している。」

 馬鹿な、とネピアは呟いた。遺伝子管理局の職員はドーム内では銃の携行は許されていない。訓練施設で使用するだけだ。

「銃撃された保安課員は無事なのですか?」
「怪我はない。だが護衛していた少女と銃撃犯が書架の奥にいて、犯人を取り押さえられない。」
「少女・・・」

 ネピア・ドーマーはJJ・ベーリングと会ったことはないが、報告は読んでいたので、護衛されて図書館に行った少女が彼女だとわかった。

「犯人の名前はわかりますか?」
「まだだ。監視カメラの顔認証が手間取っている。犯人が髭面なので・・・」

 髭面のドーマーはほとんどいない。男世界なので、無用な争いが起きないよう、地球人類復活委員会はドーマーのホルモン調整を行っており、男性ホルモンより女性ホルモンを多く分泌させる薬剤を若年の頃より与えて育てる。男の闘争本能を抑えるのだ。だからドーマー達は髭が薄く頭髪がフサフサだ。しかし偶に例外がいる。
 ネピア・ドーマーは発砲事件を起こした犯人と思われるドーマーに見当がついた。

「恐らく、北米南部班の衛星データ分析官アレクサンドル・キエフ・ドーマーと思われます。」

 ネピアはこの様な職員が起こした問題を一々局長に報告しない。少なくとも途中経過の段階で報告して局長の貴重な時間を使わせたりしない。局長第一秘書は独断で指図出来るのだ。彼は保安課長に言った。

「騒動が大きくなる前に、被害が出ないうちに、キエフを捕獲して下さい。手段は問いません。」

 その時、画面の中のゴメスが顔を横へ向けた。そしてすぐにネピアに向き直った。

「犯人の上司が駆けつけた様だ。では一旦切るぞ。」

 通信が途絶えた。ネピアが溜め息をつくと、第二秘書のアナトリー・キンスキーが小声で囁いた。

「局長が睨んでおられます。」

 ネピアは慌てて顔をボスの机の方へ向けた。ハイネが仕事の手を止めて彼を見つめていた。ネピアは渋々保安課からの情報を報告した。ハイネは無表情でその報告を受けてから、確認した。

「レインが現場に到着したのだな?」
「その様です。」
「では・・・」

 ハイネは再び仕事に戻った。

「決着が着いたら教えてくれないか。俺が騒いでどうかなると言う問題でもあるまい。」

新生活 2 2 - 9

 ジェリー・パーカーと面会した様子をポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーが報告書にしてハイネ局長に提出したのは夕食後だった。ハイネはあまり関心がないのか、一読すると直ぐにケンウッドに転送した。ケンウッドはパーカーが一時的に取り乱したものの直ぐに平静を取り戻したことを知り、ひとまず胸をなでおろした。恐らく元は気力がしっかりした男なのだろう。レインがパーカーの証言と彼自身がラムゼイに触れられた時に感じた恐怖について書いていたが、それはケンウッドも関心を持てなかった。

 自身のクローンを作って、脳を移植し、永遠の命を保ちたいと願う富豪がいる。

 クローンも生まれた以上は人間だ。それは宇宙でも地球でも法律上認められた権利だった。だから、この異常な思想の実行は地球でも犯罪に値する。ドームが介入することは出来ないが、ドームの外の警察は捜査出来る。ケンウッドはこの報告書をセント・アイブスの様な地方警察ではなく、アメリカ連邦捜査局の方へ送った。

 どの富豪がラムゼイの殺害に関与しているか不明なのに、騒ぐことは出来ない。

 それに女性誕生の研究とは関わり合いがない。だからケンウッドはこの件に関しては意識の外へ蹴り出してしまった。彼にとって大事なのは、ジェリー・パーカーが精神的に打撃を受けたこと、そのダメージの深さだった。平静を保っているが、本当の心の傷の深さは目に見えない。ケンウッドは監視員のアキ・サルバトーレ・ドーマーに細心の注意を払ってパーカーを見守るよう念を押した。
 サルバトーレはパーカーの部屋の向かいに設けられた控え室で寝泊まりする。控え室にはモニターがあり、パーカーの部屋の内部が24時間映し出されている。補助要員がサルバトーレの休憩時間を補うが、一日の大半を彼は一人で見張るのだ。
 中央研究所はパーカーに数十人分の遺伝子マップを渡して、コロニー人と地球人に分ける宿題を与えた。実はJJが既に選り分けたものなのだが、パーカーの暇つぶしとクローン製造者としての自覚を蘇らせる目的があった。
 パーカーがあまり熱心でない様子で遺伝子マップを眺め、やがて分析装置の使用許可を求めてきた時、執政官達はこの男が天才的クローン学者サタジット・ラムジー博士の一番弟子なのだと悟ることとなった。パーカーは、遺伝子マップを見て、元の人間がクローンを作るのに適しているか否かを分類した。

「こいつのクローンはひ弱だ。生まれる子供は長生き出来ない。だから、依頼は断る。生まれる子供が可哀想だ。何故かって? こいつの遺伝子に病気に罹りやすい因子があるからだよ。」

「こいつは、双子が出来やすい家系だな。クローンには関係ないが、人工授精したら、この男の子供はきっと半分は双子になるぜ。」

 パーカーは地球人とコロニー人の区別は出来なかったが、遺伝子マップごとの情報は読み解いて行った。それでケンウッドは最初からコロニー人と地球人に分けたグループを見せて、違いがわかるかと訊いてみた。パーカーはじっと分析器の結果を眺め、それから呟いた。

「重力の耐性に関する遺伝情報の部分が違うのかな・・・俺はコロニー人のクローンを作ったことがないので、わからん。」
「君が言う通り、重力耐性の部分が微妙に異なる。しかし、これは地球に女性が生まれない理由とは関係ないのだ。」
「そいつは残念だったな。あんたらが200年かかってまだ見つけられない物を、俺がここで見つけられる筈がないじゃないか。」

 ケンウッドは、パーカーが遺伝子に関する作業をしている間は機嫌が良いことに気が付いた。きっと余計なことを考えずに済むからだろう。

 ハイネが提案した通り、研究に加えてやった方が、この男は落ち着くのだな。



新生活 2 2 - 8

 翌日の午後、ケンウッドがハイネと共にジムで筋肉トレーニングで汗をかいて休憩スペースに入ったところで、ハイネの端末に電話が入っているとロッカールームの整備係が教えてくれた。ハイネはケンウッドに断ってロッカールームに行ったが、10分も経たぬうちに戻ってきた。ケンウッドに訊かれもしないうちに説明した。

「セイヤーズがジェリー・パーカーへの面会を求めてきました。ラムゼイが死んだことを教えてやっても良いかとも訊いてきました。」
「なんて答えたんだね?」
「パーカーは中央研究所の管理下に入ったので、長官か副長官に許可をもらえと言っておきました。」
「ああ・・・こっちに丸投げしてくれたのか。」

 ケンウッドは苦笑した。そこへ再び整備係が呼び出しをかけてきた。

「ケンウッド長官、ロッカールームで電話が鳴っています。」

 ケンウッドは肩をすくめた。

「ゴーンにかけてくれれば良いものを・・・」

 急いでロッカールームに行き、既に黙り込んでいる端末をロッカーから出して、かけてきた相手に電話を入れた。案の定、ダリル・セイヤーズからだった。

「長官、トレーニングの最中に申し訳ありません。」
「知っていてかけたのだろう? パーカーと面会したいそうだね。」
「はい。許可を頂けますか?」
「面会希望の理由は何だね?」
「それは・・・」

 セイヤーズは少し躊躇ってから言った。

「ラムゼイを暗殺して得する人物に心当たりはないか、尋ねたいのです。」
「それで、ラムゼイの死を彼に教えると言うのだね?」
「はい。」
「ラムゼイを死なせた人物を知って、君はどうするのだ?」
「それは・・・」

 気になることがあればとことん追求するのが好きな少年だったセイヤーズを、ケンウッドは思い出した。そっと釘を刺した。

「警察の仕事に遺伝子管理局は介入してはならん。」
「わかっています。しかし・・・」
「君はドームから出られない身だぞ。」
「・・・」

 電話の向こうでセイヤーズの溜め息が聞こえた。さぁ、どうする? とケンウッドが心の中で問うと、まるでそれが聞こえたかの様にセイヤーズが言った。

「ドームから警察に電話して情報提供は出来ますよね?」
「どこの警察だね?」
「セント・アイブスです。あちらの殺人課の刑事と知り合いになりました。」

 誰とでも友達になれる人間は何処にでもいるものだ。ケンウッドは折れてやることにした。

「わかった。今夜パーカーの調子が良ければ面会を許可する。但し、君一人で会ってはいけない。君は身分的に局員ではないし、幹部でもない。必ずレインかワグナー、或いは他のチームリーダーを同伴すること。監視員が面会を中止せよと言えば、必ず従いなさい。」
「承知しました。有り難うございます。」

 通話を終えたケンウッドは、ジェリー・パーカーが育て親の死を知らされて錯乱しないかと心配になったので、ヤマザキに電話をかけておくことにした。

新生活 2 2 - 7

「そう言えば、今夜JJは初めて居住区側の食堂でドーマー達と食事をしたんだってね。」

とヤマザキが言ったので、ハイネが医師を振り返った。

「そうなのですか? 単独で観察棟から出て?」
「否、ゴーン副長官が同伴したらしいよ。」

 ケンウッドが説明した。

「JJはレインとセイヤーズに会いたがっていた。セイヤーズは彼女を砂漠の廃墟で発見して数日間彼の家で保護していた。だから、彼女は彼を『父さん』と呼ぶんだ。多分、セイヤーズの息子を真似ているのだろう。セイヤーズも娘みたいに扱っている。ゴーンの報告では、彼等は親子として振舞っていたそうだよ。」
「レインとは、同じ人質同士の感情の共有だな。」
「彼女は口を使った会話が出来ない。翻訳機を通さずに話が出来るのは、レインの様なテレパシーを感じる能力者だけだ。だから彼女はレインに親密な時間を共有した者同士としての愛着を感じている。」
「ドームの中に友人がいるって言うのは良いことだ。」

 ヤマザキはハイネが新しいウィンスキーをグラスに注ぐのをしかめっ面をしながら眺めた。

「セイヤーズは陽気だし、レインは無愛想だが面倒見は良い。ワグナーもキャリーも仲良くしてやっている様だ。キャリーは精神科医だが、女性の友人として少女にとっては大事だな。ゴーンはどうしても母親になってしまう。」

 するとハイネが一口でウィンスキーを飲んでしまってから、意外な提案をした。

「あの少女には、メイ・カーティス博士との共同研究をさせればいかがでしょう?」
「カーティス博士と?」

 ケンウッドは恋愛騒動で一旦離職した後、もう一度奇跡的に再雇用された女性研究者を思い出した。彼女は周囲にスキャンダル以外で認めてもらおうと仕事熱心なあまり、先日過労で倒れてしまったのだ。 年齢的にはJJよりずっと上だが、コロニー人なので見た目はそんなに年上に見えない。専門はクローンの養成だ。

「ウマが合うかどうか、わからんが、試してみる価値はあるな。2人が友達になってくれれば、JJのドーム生活は楽しくなるだろうし、カーティス君も精神的に安定してくれるだろう。」
「そこに彼も加えるのですよ。」

 ハイネはまたウィスキーを注ごうとして、ヤマザキに壜を取り上げられた。抗議しようとした彼に、ケンウッドが尋ねた。

「彼とは?」
「ジェリー・パーカーです。ドクター、ここの酒は全部私のモノですよ!」
「君の健康管理は僕の仕事だよ、ローガン・ハイネ。」
「パーカーをJJとカーティスの組に加えるのかね?」
「パーカーはJJを知っているし、JJはパーカーを気にかけていると聞きました。つまり、少女にとってパーカーは悪い印象の人間ではないのです。」
「だが、親を殺したラムゼイの秘書だぞ。」
「だから?」

 ハイネには、「親の仇は憎い」と言う考えがないらしい。ヤマザキが考え込んだ。

「そう言えば、あの娘はパーカーの容体を気にかけていた。憎い相手を心配したりしないだろう? ラムゼイの家で働いていた間に、きっと親近感を覚える様になったのだろう。」
「成る程、JJとパーカーの関係は良好だと期待出来るとして、カーティス博士はどうだろうね?」
「パーカーは優秀なクローン製造者に仕込まれたのでしょう。彼女の研究の良い助手になりますよ。」

 うーむ、とケンウッドはグラスを片手に考え込んだ。その間にハイネはヤマザキから半ば強引にウィスキーの壜を取り返した。

「パーカーの精神状態がもう少し安定したら、考えてみよう。」

 

新生活 2 2 - 6

「それで、貴方はパーカーに何と答えたのです?」

 ハイネがウィスキーのグラスを唇から離して尋ねた。久しぶりにアパートの最上階にある彼の部屋にケンウッドとヤマザキが集まっていた。ペルラ・ドーマーは来ない。彼が来る日は決まっていて、月に一回だけだ。ヘンリー・パーシバルはこの1月地球に来ていない。彼はコロニーで職場のスポーツ大会に出て腰を痛めたのだ。年齢を考えろよとヤマザキに通信で叱られていた。
 ケンウッドはワインを一口飲み下してから答えた。

「何も。実際にここで暮らして理解してもらうしかないと思ったんだ。」
「頭の良い男だから、下手なことを言うとあれこれ裏を考えるだろうしね。」

とヤマザキがケンウッドの方針に賛同した。
 ハイネはまだパーカーと面会していなかった。遺伝子管理局としてパーカーを逮捕したが、その後の処分については管轄外だから、彼は興味を持たないのだ。何故そうはっきり割り切れるのか、ケンウッドは時々不思議に思う。50年前の事件の捜査をした当人でもあるのに、ラムジー博士が死亡したと知ったら、もう過去のことにしてしまっている。
 恐らく、毎日膨大な数の人間の誕生と死亡を扱っているので、一々一人の人間の人生に構っていられないのだろう。そう言えば、ヘンリー・パーシバルが病気で退官を余儀なくされた時、ハイネは悲しんだが、彼が地球から去るとその時点から彼が存在しなかったかのように振舞っていた。キーラ・セドウィックが引退した時も同じだ。娘が去ることに感情を昂らせないよう努力しているのが見え見えだったが、彼女がドームの出口へ通じる回廊に入った途端に、もう平然と日常業務に就いていた。
 あまりにも多くの人間が彼の側から去って行ったので、彼は自己防衛の為に気にしないことにしたのであろう。ケンウッドはそう思うことにした。

「パーカーを研究対象とされるのでしたら、『お勤め』もさせるのですか?」

 ズバリと訊かれてケンウッドは戸惑った。ラムゼイはパーカーの精子を使ってクローンや違法な体外受精児を作って大儲けしていた。パーカーはセイヤーズと違って危険因子を持っていないから自然なままの女の子供を作れる唯一の地球人男性だ。

「当然、させるだろうな。」

 ヤマザキがケンウッドの代わりに答えた。

「だが、ただ女の子を作るんじゃない。彼とドーマー達の違いを見つけなければならないんだよ。ドーマー達、つまり現代の地球人男性が何故女の子を作れないのか、原因究明をしなければならない。その為に、彼がオリジンであることが重要な意味を持つんだ。」
「JJがきっと手伝ってくれる。」

 ケンウッドは呟いた。

「あの子はきっと違いが見えるんだ。」




2019年1月1日火曜日

新生活 2 2 - 5

 夕刻、ケンウッドは観察棟へ出かけた。保安課のロアルド・ゴメス少佐と若いアメリカ先住民の血を引くドーマーと一緒だった。ドーマーは保安課員だ。長身ですらりとした美しい若者だ。名前を尋ねると、アキ・サルバトーレ・ドーマーと名乗った。ゴメスは彼をジェリー・パーカー専属の監視員に任命したのだ。
 ジェリー・パーカーは医療区の病室から観察棟へ移されてから、鎮静剤を減らされ、少しずつ正気を取り戻しつつあった。ケンウッド達が部屋に入ると、彼はベッドの上に座ってぼんやりテレビを眺めていた。ドアが開いたので、彼はゆっくりと振り向いた。

「ヤァ、ジェリー。」

 ケンウッドはファーストネームで彼を呼んだ。パーカーは古代人だ。ヨーロッパアルプスの氷河で発見されたが、エジプト人の雰囲気を持った顔だ。恐らく交易か奴隷として親が旅をしている最中に遭難したのだろう。4000年の時を超えて、蘇り、成長して目の前にいる。50歳の壮年男性となって。
 汚染された外気の中で半世紀暮らして来たにしては肌が綺麗だ、とケンウッドは感想を持った。意識を失っているパーカーを検査した時に既に細胞検査をしているのだが、目覚めて動いている彼の方が活き活きしている。ラムゼイことラムジー博士は彼を大切に育ててきた。出来るだけ外に出さないように、ドーマー並みに大事にしていたのだろう。だから同年代の地球人男性と比べて肌が若いのだ。

 だが、本当に大事な人なら普通の幸福を与えるべきじゃなかったのかね、ラムジー

 ケンウッドは心の中でラムジーを批判した。ドーマーには人生の選択権がある。恋も許される。だが、この男は・・・
 パーカーがまだぼんやりとした感覚が残る頭で考えた。

「誰だ、あんたら・・・?」

 ケンウッドは名乗った。

「アメリカ・ドーム長官ニコラス・ケンウッドだ。こちらはドームの保安課長ロアルド・ゴメス、それからこちらは、君専属の監視員となるアキ・サルバトーレだ。」
「ヤァ、ジェリー。」

 ゴメスが声を掛け、サルバトーレも挨拶した。

「よろしく、ジェリー。」

 パーカーは3人を何度も交互に眺め、それからまたテレビの方へ顔を向けた。

「警察じゃないのか・・・」
「警察ではない。君を警察に引き渡す計画はない。」
「それじゃ、何で俺はここにいるんだ?」

 ラムゼイが死んだことはまだパーカーに伏せるべきだ。ジェリー・パーカーが鬱から抜け出して普通に感情をコントロール出来るように回復する迄。
 ケンウッドは言った。

「君にはラムゼイ博士の研究の分析を手伝ってもらう。」
「俺に博士を裏切れと?」
「地球を救う手伝いをしてくれと言っているのだ。今の地球がどう言う状態か、博士から聞かされていたのだろう?」

 パーカーは返事をしなかった。俯いて、微かに微笑しただけだった。
 ゴメスが声を掛けた。

「君は暫くこの建物の中で暮らす。医療チェックを受けたり、中央研究所の研究対象とされるだろうが、彼等は君の体を傷つけたり苦痛を与えることはない筈だ。君が研究に協力的な態度を示してくれれば、建物の外に出られる。ドーマー達と同じ生活が出来る。それまでは、窮屈だろうが、このサルバトーレを監視につける。君が自虐行為に出たり、ドームの秩序を乱す行いをしないよう見張る。」

 パーカーが黙り込んでいるので、ケンウッドは呼びかけた。

「ジェリー、我々は君と敵対したくない。君を虐待などしない。信じて欲しい。」

 パーカーが何かもごもごと呟いた。ケンウッドは彼に近づいた。

「何て言ったのかね?」

 パーカーが顔を向けた。ドーマーと比べると健康的に日焼けしている、とケンウッドは思った。パーカーが尋ねた。

「さっき、ドーマーと同じ生活と言ったか?」
「ああ、そうだよ。」
「つまり・・・」

 パーカーはまた微かに微笑した。

「一生ここで飼い殺すつもりなんだな?」

新生活 2 2 - 4

 ケンウッドが昼食後長官執務室に戻ると、月の地球人類復活委員会執行部から通信が入った。委員長のロバータ・ベルトリッチだ。彼女の用件はサタジット・ラムジー死亡のニュースを聞いたことだった。アメリカ・ドームからの連絡と宇宙連邦警察からの連絡が数分の差で届いたと言った。警察からの連絡は、地球の警察組織からの情報だ。死者がコロニー人だと判明したので、北米大陸連邦検察局が外交ルートを通じて連絡したのだ。

「とっくの昔に地球のどこかで死んでいると思っていたのだけど。」

とベルトリッチが感動のない顔で言った。

「親族の照会を頼まれたの。でも検索しても見つからないし、第一彼を委員会に採用した当時の職員は一人も残っていないのよ。採用記録を見ても、コロニーに息子が一人いるだけで、その息子が事故死したから彼はおかしくなったのよね?」
「そう聞いています。」
「では、遺体の引き取り手はコロニーにいないので地球で埋葬をお願いすると言うことで、この件は終了するわ。異存はないわね、長官?」
「ありません。すでにこちらの遺伝子管理局が埋葬許可を出す為の死亡認知に必要なデータ閲覧の許可を出しておきました。」

 すると委員長が初めて笑った。笑うと男性時代の豪快な性格がちょっと顔を出す。声をあげてワッハッハと笑うのだ。

「あのハイネが許可を必要とするの?」
「形式上必要らしいですよ。」

 ケンウッドも笑ってしまった。

「公文書になりますものね。わかったわ、許可してあげて頂戴。既に閲覧しているでしょうけど。だって、身元照合をしたのは局員でしょう?」
「元局員です。」
「それだって、照合に使ったのはコロニー人のリストの筈よ。どこからデータを引っ張ったのかしら?」

 全く、とケンウッドは苦笑するしかない。古いデータを残しておいたのだろうが、その大元は内務捜査官時代のハイネが執政官に無断でダウンロードしたものに違いない。

「それで・・・」

 ベルトリッチが真面目な顔に戻った。

「ラムジーが火星の博物館から盗んだモノが実は赤ん坊そのものだったと言うのは、本当だったわ。」
「確認が取れましたか?」
「連邦警察に揺さぶりをかけたら、簡単に認めました。但し、事実は公表出来ません。あくまでもジェリー・パーカーはクローンと言うことで世間に押し通します。」
「わかりました。」
「本人に教えるか否かは、そちらの判断に任せます。彼が地球を救えると良いのですけど。」
「私も期待しています。」