2017年1月29日日曜日

訪問者 22

 見送りグループが解散した。JJはポールのそばに行ったが、ポールはこれから外に出かけるのだと彼女に断った。そっと端末にメッセを入れて見せた。

ーーライサンダーと思しき人物が現れたので確認に行ってくる。

 ポールは申請書の人物がライサンダー・セイヤーズだと確信していたが、敢えて断言を避けた。万が一間違っていたら、大勢を失望させてしまう。JJが微笑んだ。そっと彼の腕に手を添えた。

 ライサンダーだと良いわね。元気にしているかしら・・・

 彼女が遠い目をした。ラムゼイの農場に居た頃のことを思い出したのだろう。当時は彼女もライサンダーもまだ子供だった。精一杯大人になろうと反抗して背伸びしていた。半年たって、JJはすっかり落ち着いた女性学者になり、ライサンダーは結婚を希望している。父親になるかも知れない。
 ポールはそっとJJにキスをした。
 少し離れた所では、ダリルとラナ・ゴーンが並んで歩いていた。 ダリルは彼女の方から手を握ってきたことに驚いた。彼女は何も言わなかった。しかし、彼女は全て承知しているのだ、とダリルは理解した。彼は彼女の手を握り返した。

 スパイラル工業の女が金の力で法を曲げて地球人を抱いたのなら、副長官が憎からず思う地球人に触れてはいけない理がどこにある?

 ジョアン・ターナー・ドーマーがハイネ局長の腕を突いて、ダリルとラナ・ゴーンに彼の注意を向けさせた。コロニー人と地球人が個人的な関係になっても良いのか? と無言で問うた。ローガン・ハイネが囁いた。

「見なかったことにしたまえ。」

 ダリルとラナ・ゴーンは直ぐに離れた。そしてそれぞれの職場に向かった。
ターナーは立ち止まってハイネを先に行かせると、後からとぼとぼとやって来たジェリー・パーカーに声を掛けた。

「昼ご飯に、シェイのアップルパイでも食わないか?」

 ジェリーが顔を上げ、笑顔を作った。

訪問者 21

 お昼前にコロニーの富豪達からなる視察団は宇宙へ帰還した。ポール・レイン・ドーマーは見世物になりたくなくてずっと面会を拒んでいたのだが、最後の見送りだけでも出てくれと執政官達に要請され、渋々ダリルと共に中央研究所に向かった。ハイネ局長も一緒だったが、クロエル・ドーマーはさっさと朝一番コスタリカ行きのジェット機に乗ってとんずらしていた。
 ドーム側の見送り人は、維持班総代表ジョアン・ターナー・ドーマー、遺伝子管理局の3名とJJ、そして厨房に隠れているところを引っ張り出されたジェリー・パーカーだった。ジェリーが登場したことで、ポールは注目を浴びる率を減らすことが出来て助かった。勿論、髪を伸ばした彼の美貌にコロニー人達は目を見張ったのだが、古代人のクローン、ジェリー・パーカーの存在は大きかった。コロニー人達はジェリーを取り囲み、いろいろ質問したり腕に触れてみたりした。ジェリーは仏頂面していたが暴れたりはしなかった。

「アメリカ・ドームのスター達のそろい踏みだね。」

と視察団の団長が上機嫌でケンウッド長官に挨拶した。女性の間から「黒い子がいないわ」と不満の声が上がったが、長官は「仕事に出かけました」と軽く受け流した。
 ダリルはアリス・ローズマリー・セイヤーズと目を合わさない様に心がけた。彼女の方も知らん顔している。仮に宇宙で妊娠が確認されても地球で種を仕込んだと思われたくないのだろう。
 ラナ・ゴーン副長官が顔を腫らしているアンリ・クロワゼット大尉を気遣うふりをした。彼女は大尉にお尻を触られたり、部下を嫌がらせから守ったりで3日間気苦労が絶えなかったのだが、ドームの副長官と言う立場上、寛大な態度でこの不良を見守る役目を演じた。彼女は大尉をぶちのめしたのがダリルだと聞かされた時、内心とても嬉しかった。
 地球人類復活委員会は、スパイラル工業のCEOが大金を積んで法律を曲げたことを副長官には教えるなとケンウッド長官に言い含めていた。万が一ことが発覚した時、トップ2人が更迭となればアメリカ・ドームは大混乱になる。ラナ・ゴーンは何も知らない、それが安全策だと。
 しかし、ラナ・ゴーンは女の勘で、何か表沙汰に出来ないことがあったと薄々勘付いていた。夜中にダリルが中央研究所に呼ばれたこと、アリス・ローズマリー・セイヤーズが深夜パーティーの席から消えていたこと、長官が一晩でげっそりやつれていたこと等から、ゴーンなりに推理を働かせていた。
 だから、ダリル・セイヤーズ・ドーマーが早朝にクロワゼット大尉を相手に大暴れしたと聞いて、副長官は独り言を呟いた。

「そう言うことね・・・」

 最後にハイネ局長が、視察団にドーマー達と握手してやって下さいと提案して、受け入れられた。ポールは面倒だったので接触テレパスの働きを止めたが、スパイラル工業の女とクロワゼット大尉の時だけ情報を取り込んだ。
 女の思考は予想外に単純だった。美しいポールと最後に出会えて喜んでいた。ダリルのことはこれっぽちも未練がないのだ。

 こんなつまらない女が俺のダリルを買ったのか・・・

 腹立たしいが、彼女は2度と来ない。2度と来ないのは、クロワゼット大尉も同じだった。軍人は心の中で呟き続けていた。

 2度と来るものか・・・地球なんか2度と来るか!・・・軍を辞めて辺境へ仕事を探しに行こう・・・

 視察団はある者は笑顔で、ある者は名残惜しそうに、またある者はホッとした顔でドームを去り、空港からシャトルで月へ向かった。



2017年1月28日土曜日

訪問者 20

 ポール・レイン・ドーマーは情報管理室の係官達に4通の許可申請書のことを口外せぬよう固く約束させた。彼等はドームのアイドルである彼と握手するだけで約束してくれた。

 お気楽な連中だ。ライサンダーの書類を只の悪戯だと思っている。

 ポールは急いでアパートに帰った。シャワーを浴びて運動着をスーツに着替え、朝食会に出なければならない。部屋に入ると、一足先に戻っていたダリルがバスルームから出て来たところだった。誰もいないと油断して下着1枚だけの姿だった。一瞬、ポールは彼の肉体の美しさに見とれて立ち止まった。ダリルは気づかなかった。

「先に使わせてもらったよ。私も午前中はオフィスで仕事をするから、先に朝食会に行っている。」

 ポールは「ああ」と応えた。書類は背中に隠して、そのままバスルームに滑り込んだ。
遺伝子管理局にとって朝食会は打ち合わせ会だ。以前はポールはファンクラブに捕まって欠席することが多かったが、ダリルと同居を始めてからは、ドーム内に居る日は必ず出席する。だから副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは妻とゆっくり朝食が取れるようになった。
 ノータイでテーブルに着くと、ダリルが直ぐにその日の局員全員の予定を諳んじた。ポールは4通の書類を入れた書類入れの中からネクタイを出して首に引っかけた。結ばずに食事を先にする。
 ダリルの読み上げが終了すると、部下達から質問や提案がある。ポールは秘書のダリルに大方を任せておく。最後に彼が頷けば質疑応答は完了だ。
 最後に彼自身が提案した。

「今日の午後、俺はニューポートランドへ行く。ちょいとした野暮用だが、『飽和』の後の初出動だ。近場で体を慣らして来るつもりだ。」
「1人で行くなよ。誰かを同伴しろ。」

とダリルが忠告した。勿論、ポールはそのつもりだったので、一番遠くの席に座ってパンケーキにシロップを掛けていたロイ・ヒギンズ囮捜査官に声を掛けた。

「ヒギンズ、一緒に行ってくれないか? たまには北部へ出かけるのも気分転換になるぞ。」

 ヒギンズを誘ったのは、ドーマーではないからだ。ライサンダーの件はまだダリルの耳に入れたくない。だから、ドーマー達にも知られたくなかった。ライサンダーがどんな暮らしをしているのか確かめてからでなければ、ダリルに教えたくなかったのだ。
 ヒギンズは少し躊躇ってから、言った。

「そのことですが、昨夜連邦捜査局から連絡があって、そろそろ囮捜査を打ち切る準備に入れと命じられました。セイヤーズがニコライ・グリソムを捕まえたので、FOKの実態解明にめどが付いたからです。ニューポートランド行きをきっかけにローズタウンやセント・アイブスから姿を消す機会にしても良いでしょうか?」

 ポールは数秒黙って考えてから、頷いた。

「そうだな・・・担当地区異動と言う形で消えてもらうか。遺伝子管理局の担当者がいきなり異動するのは珍しいことじゃない。挨拶無しでかまわないから、今日から異動と言うことにしておこう。ジョン・ケリー、君も今日は一緒に来てくれ。運転手をさせてやる。」

 ケリーは喜んだ。

「ポートランドって、ロブスターが有名でしたよね?」
「昼飯を済ませてから出かけて、晩飯前に帰って来るんだ。」
「えーーっ!」

 仲間に笑われて、ケリーがしょぼんとしたので、ポールは慰めた。

「時間が空けば、どこかの店に入ろう。但し、自腹で頼むぞ。君に奢れば、他の局員にも順番に奢るはめになるからな。」



2017年1月27日金曜日

訪問者 19

 ジムで行われた対戦は、情報管理室のモニターで見ることが出来た。実のところ、ポールが部屋に端末を置き去りにしたので、緊急通信が入った時、ダリルは彼が何処にいるのか知らなかった。仕方なく自身で電話に出て、モニターで捜してもらったのだ。

「良いのかなぁ、視察官をこてんぱんにやっつけちゃって・・・」

保安課のモニター係が呟いた。彼の相棒が「良いんじゃない」と言った。

「ハイネが黙認しただろ? それにギャラリーには視察団の人間もいる。連中、楽しんでいるぞ。」

 ポール・レイン・ドーマーはゴメス少佐の介入で対戦が終了して内心ホッとしていた。ダリルが負けるとは思っていなかった。ダリルがクロワゼットを傷つけるのではないかと心配だったのだ。ダリルは普段は優しく美しく気儘で猫みたいな男だが、怒ると凶暴な虎に変身する。一撃で相手を倒してしまうのだ。
 クロワゼット大尉がギャラリーに向かって何か言った。ギャラリーのドーマー達が笑って何か言っている。大尉も顔が羞恥心で真っ赤になっている。あんな恥をかかされたら、次の視察はここへ来たくないだろう。地球の視察そのものに加わりたくないかも知れない。

「セイヤーズを怒らせるとやばいなぁ。」

 ポールは恋人の噂を聞かされに来たのではない。彼はモニター係を急かした。

「緊急の用件とは何だ?」
「ああ・・・忘れてた!」

 係官はキーを叩いた。そばのプリンターから4通の文書が吐き出された。

「君の捜し物だと思うけど・・・1度に4通も許可申請を出す人間も珍しいだろ?」

 ポールは直ぐには応えなかった。黙って4通の文書を睨み付けていた。それは、成人登録申請書、妻帯許可申請書、婚姻許可申請書、胎児認知届けだった。全部同じ人物から出されていた。
 ポールは、ライサンダー・セイヤーズの誕生日も生誕地も知らない。しかし、ダリルが消えた日から約10ヶ月後、ダリルが住んでいた山から近い砂漠のラムゼイ博士の研究施設があった辺りが、成人登録申請書に書き込まれていた。傑作なのは、父親の欄に、ダリル・セイヤーズとポール・レインの名前を無理矢理記入してあったことだ。

 ダリルだけで良いのに、律儀に俺の名前まで・・・

 母親の欄には誰の名も書かれていない。これはクローンの子供が出す申請書だ。
 妻帯許可申請はおいておくとして、婚姻許可申請書は、既に相手との間に関係が出来ていると言う意味だ。女性の名前を見て、彼はどこかで見た名だ、と考えた。

 ポーレット・ゴダート?

 彼はそばの空いているコンピュータのキーを叩いた。地球上の女性は1人残らずドームに登録されている。果たして、若いアフリカ系の美しい女性の顔写真が画面に現れた。
彼女を知っていた。ここ、ドームの中で会ったのだ。ダリルを連れ戻して、ダリルが記憶を削除されて、ダリルがリハビリでプールに行ってアメリア・ドッティを救助して・・・

 アメリアを助けたもう1人の人物だ!

 ポールはポーレット・ゴダートのデータを呼び出した。大学教授の娘として産まれ、白人男性と結婚して、出産したものの、夫が急死したために子供は彼女の経済力の無さを理由に養子に出された。その後は1人で暮らしていた様だ。
 どこかでいつの間にか、ライサンダーと出遭っていた。

 しかも、妊娠している・・・

 ポールは事の重大さに気が付いた。男性同士の間に産まれた息子が、女性との間に子供をつくった。自然な交わりで・・・。

 胎児は正常なのか? 進化型1級遺伝子を持っているのか? 男か女か?

 モニター係が不安げにポールを見上げた。ポールの顔が強ばっていたからだ。

「君の名前が書いてあるけど、無断使用だよね? 問題だよね?」
「そんな次元じゃない。」




訪問者 18

 ダリルはハイネ局長の言葉に耳を傾け、その隙を突かれた。顎に一発食らったが、直前に躱そうとしたので軽い衝撃で済んだ。ギャラリーが冷やかした。

「セイヤーズ、気を散らすな!」
「さっさと片付けて朝飯に行けよ!」

 声援の全てがダリルへの応援なので、クロワゼット大尉は面白くない。視察団のメンバーも数名来ているのだが・・・。焦りが彼の判断を鈍らせた。彼は闇雲に攻撃を開始し、ダリルは余裕で躱し、相手の顎にアッパーを食らわせた。
 クロワゼット大尉は汗の雫を飛び散らせながら仰向けに倒れた。なんとか後頭部は守ったが暫く動けなかった。
 ダリルは相手が立ち上がるのを待っていた。大尉が首を振りながら起き上がった。

「よくも・・・」

しかし、脚に来ているのか、反撃態勢に移れない。ふらつきながら構えを取ろうとした時、声を掛けた者がいた。

「そこまでにしておき給え、大尉。」
「少佐・・・」

 保安課のゴメス少佐が来ていた。クロワゼット大尉の元上官だ。

「君はその男には勝てない。彼は君の筋肉の動きを見ている。次の手も全部前もってわかるのだ。」
「しかし・・・」
「宇宙軍の広報がここで地球人と悶着を起こしてどうする?」

 クロワゼット大尉はやっと周囲の反応を見る余裕が出来た。彼を取り巻くどの目も冷ややかで非難めいていた。
 ダリルが尋ねた。

「勝負がついたと思って良いですか?」

 ゴメスがクロワゼットに目で命じた。負けを認めろと。
 クロワゼット大尉は渋々受け入れた。

2017年1月26日木曜日

訪問者 17

 ハイネ局長が闘技場から出た。入れ替わりにクロワゼット大尉とダリル・セイヤーズ・ドーマーが中に入った。大尉がダリルに言った。

「運動着に着替えてこい。胴着の方が良ければ、僕も着替えるが?」
「いいえ、これで充分です。」

 ダリルは身につけている部屋着を見回した。素足にスニーカーだったので、靴は脱いだ。

「実戦では敵が着替えを待ってくれることはないでしょう? 今のままの服装で充分ですよ。」

 闘技場の周囲にジム内にいたドーマーや執政官が集まり始めていた。皆大尉が何者か知っている。どんな人間かも大体知っている。そのコロニー人に1人のドーマーが闘いを挑んでいるのだ。もしかすると本日最大のイベントかも知れない。
 ダリルの言葉に、実戦経験があるクロワゼット大尉が赤くなった。

「ドームの囲いの中でぬくぬくと大事に育てられた地球人が、宇宙軍の精鋭だった僕を軽んじると言うのか?」

 彼は鼻先で笑った。

「僕が勝ったら、おまえのその服をひん剥いてここで素っ裸にしてやる。」

 ダリルも微笑した。

「では、私が勝ったら、ここで貴方はこのドーム内で迷惑をかけた人々に謝罪して下さいね。」

 クロワゼット大尉は「いいとも」と言うなり、いきなり拳を突き出した。しかしダリルは僅かな動きでそれを躱した。大尉は勢いをそがれたが、そのまま態勢を持ち直して次の攻撃に出た。ダリルはそれもひょいと躱した。そして大尉の背中を平手でパンッと叩いた。からかったのだ。大尉の顔が怒りで歪んだ。
 ダリルとクロワゼットの闘いを眺めていたハイネ局長は時計を見た。

「これはいかん、朝ご飯の時間だ。」

 規則正しい生活が長生きの秘訣だと思っている彼は、忙しく闘っている部下に声を掛けた。

「セイヤーズ、先に戻って朝飯にするからな! 君は今日は休みだが、朝ご飯はしっかり食えよ。」


2017年1月25日水曜日

訪問者 16

 よりにもよって、こんな時にこんな場所に、何故ダリルが・・・寝ていたんじゃなかったのか?

 ポールは振り返った。部屋着姿のダリルがジムの入り口に立っていた。髪はぼさぼさで、いかにも寝起きの様子だが、目はしっかり開いていた。

「情報管理室から緊急呼び出しだと?」

とハイネ局長が尋ねた。ダリルは彼に気が付いて、「おはようございます」と挨拶した。

「何だか知りませんが、レイン本人にしか告げられない用件だと言うので、呼びに来ました。彼は電話を忘れて行ったので・・・。」
「忘れたんじゃない、置いて来たんだ!」

 ポールはクロワゼットがダリルをジロリと眺めるのを視野の隅で捉えた。拙い・・・。
果たして、クロワゼット大尉はダリルがゲストハウスでの面会に参加したドーマーだと思い出した。視察団の女性達が後で噂していた男じゃないか。
 
「緊急ならば、さっさと行った方が良いな、レイン。保安課を怒らせるなよ。」

 ハイネ局長がのんびりと言った。ポールをジムから去らせたいのだ。ポールは躊躇った。局長も恋人もクロワゼット大尉の嫌がらせから守りたい。しかし、呼び出しを無視出来ない。ダリルがじれったそうに言った。

「早く行けよ、ポール。情報管理室は気が短いぞ。」

 仕方なく、ポールはジムの出口に向かって歩き出した。ダリルがついて来るかと期待したが、来なかった。ダリルはポールとクロワゼット大尉の間に割り込む形で立った。

「クロワゼット大尉?」
「そうだが?」
「視察団は今日の昼にはお帰りになるのでしょう。さっさと部屋に戻って荷造りされてはいかがです?」
「その前に朝の運動をしたくてね・・・」
「成る程ね。」

 ダリルは局長を見た。目で「勝負しても良いですか」と尋ねると、ハイネ局長が微かに微笑して頷いた。 ダリルが現れなくても、局長は自身でクロワゼット大尉と勝負するつもりだったのだ。大尉をここで叩きのめして部下達の仇を取る計画だった。だから、昨夜執政官の1人に頼んで、自身の早朝訓練のスケジュールをさりげなく大尉に囁いてもらったのだ。しかし、ダリルが立候補したのであれば、あっさり譲ってやろう。

 この男は昨夜の鬱憤を晴らしたいのだ。

 ダリルが大尉に声をかけた。

「お強いそうですね。一つ、お手合わせ願えませんか?」

訪問者 15

 ポール・レイン・ドーマーはダリルが帰宅した気配で目が覚めた。恋人がシャワーを浴びて寝室に入ってきた時に、かなり疲労していることもわかった。だから、冷たいベッドより自身の体温で暖まったベッドに誘うと、ダリルは素直に入って来た。そして直ぐに眠ってしまった。
 睡眠中は接触テレパスは使えない。相手の夢しか感じないので、こちらの頭が混乱するだけだ。ポールはダリルを優しく抱いて髪を撫でていた。
 恋人の身に起きた出来事は、既にローガン・ハイネ局長から聞かされていた。本来ならば当事者以外口外無用とケンウッド長官は委員会から言われていたのだが、彼は敢えてハイネ局長に伝え、ポールにも言い聞かせておくよう頼んだ。どんなに沈黙しても接触テレパスのポールはダリルの肌を通して知ってしまう。感情的にならないよう、先んじて理詰めで納得させておいたのだ。局長に伝えたのは他でもない、ローガン・ハイネが遺伝子管理局のドーマー達の「父親」だからだ。ドームが局員の誰かに何かをすれば、必ず局長に知らせておく。それが信頼関係を守る為の暗黙の了解だった。

「セイヤーズはやっと一人前の男になる。それに、彼は遺伝子を元の人間に戻してやっただけだ。そう割り切って考えたまえ。」

と局長は電話でポールに言った。

「本人には不本意な状況だろうが、こちらは金以外にも良い結果を得られる。」
「何でしょう?」

 ポールは恋人が男娼扱いされている様な気がして不満だったので、ちょっと反抗的な口調で質問した。

「セイヤーズがコロニー人を喜ばせることが、我々の利益になるのですか?」
「利益ではないが・・・」

 局長はニヤリとしたと思われる雰囲気を声に滲ませた。

「厄介払いが出来る。」
「厄介払い?」
「夜が明ければわかる。」

 ポールはいつもの時刻に起床した。ダリルはそのまま寝かせておいて、着替えてジョギングに出た。早朝でもドームは既に活動している。主要施設の出産区は明け方の出産が多くて大忙しの時刻だ。難産があれば、大騒ぎになる。母親と子供の両方を救う為に、スタッフが駆け回る。
 ポールは運動施設の周囲を2周走り、3周目の終わりに前方を歩く男を認めて速度を落とした。追いつきたくなかったのだ。クロワゼット大尉だ。運動着姿でジムへ入っていった。ポールは嫌な予感がして、そっと後ろをついて行った。
 ジムの中では保安課の隊員達が準備運動を終えてロッカールームへ引き揚げて行くところだった。クロワゼットは彼等を無視して格闘技場へ向かっていた。ポールはそちらへ視線を向けて、1人の男性が拳法の技を練習しているのを見た。白い髪を波打たせ艶のある筋肉質の体を輝かせながら力強く四肢を動かしている。

 俺の上司は本当に美しい!

 ローガン・ハイネ・ドーマーが100歳を越える年齢とは信じられぬ若い肉体を鍛えているところだった。ハイネ局長は若い者達が萎縮したり遠慮しないよう、日中を避けて早朝に運動するのだ。
 クロワゼット大尉が局長に近づいて行くのが見えた。

 これはいかん!

 ポールは不良軍人がコロニーでも人気が高いハイネにちょっかいを出そうとしていることを察した。局長は気が付いていない。ポールは声を掛けた。

「おはようございます、局長。お早いですね!」

 クロワゼットが立ち止まり、振り返った。局長も動きを止めて部下を見た。

「おはよう、レイン。もう君が走る時刻なのか。」
「レイン?」

 クロワゼットが目を見張った。

「あのスキンヘッドの『美人』なのか?!」

 髪の毛があるポールを見て、驚いていた。ポールはクロワゼットが自分に注意を向けた隙に局長に消えてもらいたかった。クロワゼットごときくだらぬ男に、ドームのスターが相手をする必要はない。しかし、局長は複雑な表情を一瞬浮かべ、ポールに言った。

「そろそろ打ち合わせの時間だろう、レイン。」
「局長も・・・」

 ドーマー達に無視されていることも気にせずに、クロワゼット大尉はポールに近づこうとした。2年前にキスを奪ったドーマーが髪を伸ばして美しさを増している。
 その時だった。

「ポール、情報管理室から緊急の呼び出しだ!」




2017年1月24日火曜日

訪問者 14

 ダリルは中央研究所を出た。外気はひやりと冷たかった。ドーム内の気候は年中安定しているのだが、夜は日光がないのでやはり気温は低下する。その冷たさでダリルは頭を冷やした。長官は今日は休むようにと言ってくれたが、上司はこの件を承知しているのだろうか? そして冷静さを取り戻してくると逆に腹が立ってきた。
 アリス・ローズマリー・セイヤーズは彼の子種に莫大な金を払った。ケンウッド長官によると、アメリカ・ドームが現在有している全ドーマーを10年間養える金額だと言う。だから地球人類復活委員会は法を曲げて彼女にダリルを抱かせた。ダリルがどう思おうと関係ない。遺伝子レベルから見て明らかに近親相姦になるのに、それも無視した。

 軽ジェット機1機分以上の価値の息子を創った私は、子種以外は値打ちがないんだな・・・

 酷く空しくなってきた。本当に仕事を休みたくなった。体の疲れより鬱になりそうだ。
アパートには既に灯りが点っている部屋がいくつかあった。勤務シフトで早起きしている者や夜勤明けで帰宅した者の部屋だろう。妻帯者用のアパートも何軒か起きている。「妻帯者」と言っても、女性ドーマーは非常に数が少ないので、実は多くのカップルはダリルとポールの様に同性カップルだ。ドームはある一定の年齢に達して職務に励んでいる者にカップルになる許可を与える。若いうちに与えないのは、若さから来る性急さで争いが起きるのを避けるためだ。
 殆どのドーマー達は異性を知らないまま一生を終える。ダリルは幸運と言えるかも知れない。しかし・・・

 初めての相手は好きな女ではなかった・・・

 こんなことなら、多少強引でもラナ・ゴーンと経験しておけば良かった、と彼は唇を噛んだ。昨夜のことを副長官は知っているのだろうか。彼女も金額を聞かされて沈黙させられたのだろうか。
 アパートの通路では幸い誰とも出くわさなかった。自宅のドアを静かに開き、部屋に入ると、まっすぐバスルームに向かった。午前4時半を過ぎていた。シャワーを浴びてセレブの女の匂いを洗い流した。着ていた服は全部洗濯用シュートに放り込んだ。
 寝室に入った。ポールはまだ眠っていた。5時には起床して日課のジョギングに出かけるはずだ。ダリルは足音を忍ばせてクローゼットに行き、下着だけ身につけるとベッドに潜り込もうとした。背後から声を掛けられた。

「こっちの方が温かいぞ。」

 振り返ると先刻ベッドの真ん中に居たポールが壁際へ体を寄せていた。ダリルは躊躇わずに誘いに応じた。蒲団の中に入ると、急激に睡魔が襲ってきた。彼は赤ん坊の頃から親しんだ親友で恋人でもある人の香りに包まれて眠りに落ちた。



2017年1月23日月曜日

訪問者 13

「起きなさい、セイヤーズ・・・」

 誰かが優しい声を掛けながら肩を揺すった。ダリルは反射的に体を仰向けにして声がした方へ拳骨を突き出した。「おっと!」と声がして、彼の拳骨は大きな温かい手に包み止められた。

「レインが君を起こすのを嫌がる訳だな・・・」

 ダリルは覚醒した。目を開くと、目の前にケンウッド長官が立っており、彼の手を掴んでいた。ダリルは目を動かして周囲を見た。検体採取室だ。彼が上体を起こしたので、長官が彼の手を離して少し後ろに退いた。既にセレブの女は消えていた。

「気分は悪くないか?」
「いいえ・・・今何時です?」
「午前4時だ。起こす様な時間ではないが、アパートで休ませたかったのでな。」

 ダリルはまだ産まれたままの姿なのに気が付いた。検査着を捜しかけると、長官が彼が着てきた服を渡してくれた。服を身につけている間、ケンウッドは壁を見ていた。着衣が終わる頃に、彼は言った。

「コロニー人の身勝手を許してくれ。」
「許す? 何をです?」

 ダリルは頭の中がまだすっきりしない気分だった。只の疲労なのか、それとも思考がまとまらないだけなのか。

「君の意思を確認してから決めなければならないことを、評議会が勝手に決めてしまった。」
「ドームがいつもやっていることを、あの女性が1人でしただけでしょう。」

言ってしまってから、ダリルは後悔した。ドームがしていることは、地球人の未来の為の研究だ。しかし、昨夜の出来事は、1人のセレブの女が自前の子孫が不出来なので自身のクローンが産んだ子供を父親にして新しい子孫を創ろうとしただけだ。ドームの事業と金持ちの我が儘を同じ次元で考えてはならない。
 謝ろうと振り返って、ダリルは愕然とした。ケンウッド長官はげっそりとやつれていた。頬には無精髭を生やし、目は寝不足で赤かった。長官はダリルを金で売ってしまった委員会の一員として、後悔し悩んでいるのだ。

 この人は、私を売るまいとして抵抗してくれたのだ。

 ダリルは長官に近づき、肩に手を掛けた。

「ドーマーの役目は子孫を残すことでしょう。あの女性が個人的に私を利用しただけです。どうか気に病まないで下さい。それに、私はそれなりに楽しみましたから。」

 快楽に浸ったのは事実だった。アリス・ローズマリーは上手にリードしてくれたのだ。男は快感がなければ役に立たないから。ダリルは3回絶頂に達して最後は意識を失ってしまった。

「君は優しいなぁ」

とケンウッド長官が呟いた。

「セイヤーズ女史が息子に欲しがるのも無理はないだろう。」
「私は彼女の役に立ったのでしょうか?」
「さて・・・受精はまだだろうし、受精に成功したとして着床まで12,3日はかかる。結果が出るのは彼女がコロニーに帰ってからだな。」
「もし失敗したら?」
「2度目はない。そう言う約束だ。」

 長官がきっぱりと言い、ダリルは安心した。


2017年1月22日日曜日

訪問者 12

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはシャワーを浴びてから私服にしようかスーツにしようかと迷った。中央研究所に行くことはドーマーにとっては仕事を意味している。彼はスーツを手に取ったが、結局私服にした。ポールは何も言わない。夜分の呼び出しの意味がわかっているからだ。

「この前は何時だった?」
「一月前・・・最近回数が減ってきていたから、そろそろ用済みだと思っていたんだけどなぁ。」

 先に寝ていいよ、とポールにキスをしてダリルは出かけた。
 視察団は観光から戻って来ており、食堂で夕食を取った後、自由時間を楽しんでいる。執政官が集まる娯楽施設からいつもより賑やかな音楽や声が聞こえてきた。ドーマーも遊ぶが、コロニー人が大勢いる時は寄りつかない。ダリルは酔っ払ったコロニー人に出遭わないよう用心しながら中央研究所に入った。
 ロビーで呼び出しを受けたことを告げる前に、行くべき部屋番を教えられた。予想的中だ。彼は溜息をついて、言われた部屋へ入った。
 部屋には誰もいなくて、検査着だけが置かれていた。採血はなしか? とちょっと肩透かしを食った気分で着替えた。ドアがノックもなしに開いた。いつもと違う状況にダリルが警戒して振り返ると、思いがけない人物が入って来ていた。

「こんな所で何をされているのです?」

思わず彼は尋ねた。目の前に検査着を着たアリス・ローズマリー・セイヤーズが居たからだ。彼女は例の酷薄そうな笑みを浮かべて近づいて来た。ダリルは逃げ出したい気分に襲われたが、背後はベッドだった。仕方なく突っ立って、彼女に抱きしめられた。

「好い体をしているわ。」

 彼女の手が彼の筋肉の感触を楽しんでいた。ダリルはくすぐったいのと不審とで不快だった。

「どう言うおつもりですか?」
「黙って!」

 富豪が命令した。

「今宵一晩、貴方を買いました。」
「はぁ?」

 ダリルは自分でも間抜けた声だと思いながら、口に出した。

「コロニー人が地球人を抱くのは違反ですよ。」
「寄付金の額を聞いて、『地球人類復活委員会』が法を曲げました。」
「法を曲げたって・・・」
「私は貴方の遺伝子が欲しいのです。」
「それなら、採取したものを持ち帰られたら良いではありませんか。」
「それは出来ません。月での通関検査で没収されます。」
「だったら、やはり法律違反でしょう?」
「ここで私の体の中に入れてしまえば、誰も持ち出しを阻止することは出来ません。」
「しかし・・・」
「コロニーに居る時から貴方の存在は知っていました。聞けば、私の息子達より優秀な人だと言う・・・ですから、私は今日に合わせて体調を整えてきました。」

 ダリルは目眩を覚えた。この女は何歳だ? まだ妊娠出来るのか? 生みの母そっくりの女を自分は抱けるのか?

「私は、貴女のクローンが産んだ子供です。貴女の息子と同じですよ。貴女がしようとしていることは倫理的に許されることではないでしょう?」
「双子の姉妹の子供、甥っ子と同じでしょうね。」

 アリス・ローズマリーは動じなかった。ダリルの肩を押さえて、「座りなさい」と命令した。ダリルは抵抗した。

「私が本気で拒否したら、貴女は死にますよ。」
「貴方には出来ませんよ、そんなこと。言いましたでしょ? 委員会は貴方を私に売ったのです。誰も助けに来ませんよ。」

 ダリルは渋々ベッドに腰を下ろした。アリス・ローズマリーが隣に座り、彼の唇にキスをした。ダリルが気のない態度で応じると、彼女が囁いた。

「本気にさせてあげるから。後悔はさせません。貴方にもドームにも良い結果になります。」




訪問者 11

  視察団の日程2日目は、観光に当てられていたので、コロニー人達はドームの外に出かけて行った。宇宙では見ることが出来ない植物が多い森林地帯や海を見るために南の地域に出かけた。臨時便の飛行機を運航するので、遺伝子管理局の南方向へ出かける任務は休業だ。つまり、北米南部班、中米班、南米班は1日だけ休んだ。
 たったそれだけなのに、ドームの中の人口が急に増えた感じがして、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは朝から本部内が賑やかだなぁと思った。ジョン・ケリー・ドーマーと囮捜査官ロイ・ヒギンズも帰って来て、ヒギンズなどは事務仕事がないので朝からジムやプールでくつろいでいた。たまには羽根を伸ばすのも良いだろう。
 ケリー・ドーマーは医療区にまだ入院中のパトリック・タン・ドーマーを見舞った。タンは体の傷は癒えたものの、精神的にまだ不安定でドアの開閉や突然人の声が聞こえたりするとビクッと怯える。それに大勢の人から見られていると恐いと言って、食堂などの広い場所にも出たがらない。精神科医のキャリー・ワグナー・ドーマーが彼の担当をしている。彼女は徐々に面会人の人数を増やして彼を元の生活に戻れるようにリハビリさせていた。ケリーはだから歓迎された。夕食時にチーフのポール・レイン・ドーマーからタンの様子を聞かれた時、ケリーは楽観的な返事をした。
 
「当人は早く仕事に戻りたがっているんです。神経質になり過ぎているので、僕は彼を訓練所に連れて行って、2人で射撃訓練をして時間を過ごしました。パットは初めのうちは的を外していましたが、徐々に真ん中に当てる様になり、最後は僕より点数が高かった。
本人も結果を見て、少し自信を取り戻したみたいで、次は格闘技の練習をしようと彼の方から言い出しました。
 キャリー先生は彼が他人の手を怖がると言っていましたが、柔道をしている間は少しもそんな気配はありませんでした。
 彼はもう少ししたら、退院出来ますよ。」

  キャリーの夫のクラウスも同意見だったので、ポールは安心した。タンは自信喪失して対人恐怖症になっているのだろう。クロワゼット大尉につきまとわれた時に完璧に無視して追い払った、誇りに満ちたタンが早く戻って来て欲しい、と彼は思った。

「コロニー人の視察団が帰る迄、パットは連中に見つからない方が良いだろう。明日は医療区から出さないよう、医療長に言っておく。」

 クロワゼット大尉が治療の成果を台無しにしかねない。するとクラウスが、自分が妻に連絡しておきます、とメールを送った。彼の愛妻はすぐに承知したと返事を送ってきた。
 ダリルの端末にメールが入った。見ると、ケンウッド長官からで、21時に中央研究所に来るようにとあった。呼び出しには遅い時間だが、コロニー人は余り時刻を気にしない。長官が何の用だろうと思いつつ、ダリルはポールにメールを見せた。ポールが眉を寄せた。

「夜の呼び出しは不吉だな。」

と彼が呟いた。

「君がそんな単語を言うなんて珍しい。」
「そう感じたのだから言ったまでだ。」

 ポールは、視察団が観光から帰るのは何時だったろうと考えた。


2017年1月21日土曜日

訪問者 10

 ダリルはセイヤーズ女史を食堂まで案内するよう長官に依頼された。長官が案内すれば良いのに、とダリルは内心不満を覚えたが、長官は演壇の上を片付け始めたので、仕方なく女史を連れてゲストハウスを出た。
 夕暮れで、ドームの特殊素材の壁を透して夕焼けが見えた。セイヤーズ女史が足を止めたので、ダリルも立ち止まった。

「綺麗ねぇ・・・」

 女史が声を上げた。

「地球の夕焼けは赤いと言うのは本当ですね。貴方達は毎日こんな空を見ているのね。」
「火星では赤くないのですか?」
「火星の夕焼けは青いのですよ。」
「今日の夕焼けは鮮やかですから、明日は晴れますよ。」
「そうなのですか?」

 2人は再び歩き始めた。すれ違うドーマー達がダリルに「やぁ」と声を掛け、ダリルもそれに応える。女史は面白そうにそれを眺めた。

「全員の顔と名前を覚えているのですか?」
「そんなことはありません。大勢いますから。でも1度見たら忘れません。だから外から来た人とドーマーの区別は大体つきます。」
「それも進化型遺伝子の力?」
「どうでしょうか・・・ドーマーはドーマー同士仲間の雰囲気がわかりますから。」
「地球人から隔離された地球人ですのね。」
「出産管理区を外気の汚染から守る為にドーム壁で遮断しているので、その中で働くとなると、どうしても隔離されることになりますね。」
「取り替え子の秘密を守るよりそちらの理由の方が大きい?」
「そのはずです。そう教わりました。」
「貴方達は純粋ですわね。」

 セイヤーズ女史は笑った。ダリルは哀れみで見られている気がして、不快に感じたが、相手に悟られまいと努力した。どうもこの「ご先祖」は苦手だ。生みの母もこんな人なのだろうか。もしそうなら、会わずにいて良かったと思った。
 食堂の入り口には直ぐに到着した。ダリルが「では私はここで」と別れの挨拶をすると、彼女は不満そうな顔をした。

「貴方は入らないのですか?」
「私はディナーに招待されていませんから。」
「でも、こちらの食堂は誰でも入ることが出来るのでしょう? ビュッフェ方式だと聞きましたが?」
「ここは研究施設で働く人の食堂で、私は只のドーマーですから、別の食堂を利用します。ここを利用するのは主にコロニー人ですから、どうかお気軽にお食事を楽しんで下さい。それでは・・・」

 体の向きを変えようとすると、女史が手を伸ばして来た。ダリルは無碍に拒否するのも失礼かと思い、彼女に捕まってやった。女史が頬にキスをした。

「貴方のお母さんに代わって・・・」

ではまた明日、と言って、彼女は優雅な足取りで食堂の中に消えて行った。
 ダリルは頬を手で拭って口紅を取った。ラナ・ゴーンの様にキスしても食事をしても唇から取れない口紅を使う人が多いのに、何故わざわざ相手の肌に残る様な品を、あの富豪が使うのだろう、と疑問に思ったが、深く考えないことにした。
 歩いているとポールからメールが入った。一般食堂でJJとクロエルと食事をするから、空いたら来い、と言う内容だった。ダリルは「すぐに行く」と返信した。
 食堂で仲間と合流すると、最初から面会を拒否して雲隠れしていたジェリー・パーカーも同席していた。

「クロエルには迷惑を掛けたから、今日は俺の奢りだ。」

 とポールが言うと、JJが彼にすり寄った。誰にも彼女の声は聞こえなかったが、ポールはテレパスで彼女の主張を解した。

「わかったよ、プレゼンの成功を祝って、JJにも奢る。」

 ジェリーがダリルに尋ねた。

「遺伝子のことをあれやこれや聞かれたか?」
「否、それは既にケンウッド長官が講義した後だったから、話題にはならなかった。むしろ、クロエルのファッションセンスの話が中心だった。」
「そっちの話が中心だって知っていたら、もっとお洒落して行ったんすけどね。」

 クロエルが悔しがった。面会の参加が急に廻って来たので、仕事着のスーツ姿だったのだ。自慢のドレッドヘアもポニーテイルにしていた。

「そう言えば、視察団にセイヤーズによく似た女性がいましたね? どっかの企業のCEOだったと思うけど?」
「スパイラル工業のCEOだって言ってた・・・私の母親のオリジナルだそうだ。」
「へえ・・・・」

 一同が驚いた。母親のオリジナルに出遭うなんて、滅多にあることではない。

「それで?」
「それでとは?」
「彼女と後で2人になったでしょ? 何か話したんですか?」
「特に報告するような内容じゃなかった。進化型遺伝子で得をしたかとか、彼女の息子がぼんくらだとか・・・」

 ポールが笑った。彼はコロニー人より地球人の方が優秀だと信じているので、恋人の遺伝子的兄弟がダリルより劣っていると聞いて嬉しかった。
 ダリルが彼に尋ねた。

「君は、私が脱走した時、私の両親を調べたのだろう? CEOの女と私の母親はそっくりなのだろうか?」

 クロエルが端末でアリス・ローズマリー・セイヤーズの画像を出してポールに見せた。ポールはちらりと見て、首をかしげた。

「似ているが、印象が同じとは言い難い・・・恐らく生きてきた環境が異なるせいだろう。それに俺が見たのは遠目だったし、18年前だから、彼女も若かった。」

 彼はダリルを見た。

「母親に会いたいのか?」
「否。今日、CEOに会って充分だと思った。」

 ダリルはJJが目を潤ませているのに気が付いた。今テーブルを囲んでいるメンバーで母親の愛情を受けて育ったのは彼女だけなのだ。非業の死を遂げた母親を思い出させてしまったかも知れない。もう話題を変えよう。

「明日は視察団は外へ観光に出かけるのだったね?」
「ああ・・・航空班が忙しくなるとぼやいていた。明日は妊産婦の送迎が15便もあるのに、そこに視察団の飛行機も飛ばさなきゃならないとさ。」




訪問者 9

 面会は無事に終わったが、長官がダリルに少し時間を割いて残るようにと言った。ターナー・ドーマーとクロエル・ドーマーはホールの外に出て行った。ラナ・ゴーン副長官が視察団に夕食が準備されている研究所の食堂へ案内しますと言って、彼等を誘導して去った。
 1人だけ、客がホールに残った。先刻のブロンドの女性だ。訪問者用のお仕着せを着て、首からヴィジターズパスを提げている。ケンウッド長官がダリルに彼女を紹介した。

「火星第2コロニーの行政長官で、航宙艦造船で有名なスパイラル工業のCEOでもある、アリス・ローズマリー・セイヤーズ女史だよ。」

 ダリルは長官を見た。客の名前の意味するところを何となく察した。セイヤーズ女史がまたあの薄情そうな笑みを浮かべた。

「そう・・・貴方が私のクローンが産んだ子供なのですね。」

 ああ、やっぱり・・・とダリルは心の中で呟いた。どこかで見たことがある顔だと思ったのだ。今朝、バスルームで見たじゃないか、自分の顔を・・・。
 ダリルが表面上何の反応も示さないので、長官は溜息をついて、女史に言い訳した。

「ドーマーは肉親を懐かしがらないよう教育されていますので。」
「お気遣いなく。」

とセイヤーズ女史。彼女はダリルの目を覗き込んで尋ねた。

「お母さんに会ったことはないのでしょう?」
「名前も知りませんよ。」

 ダリルと言う名前は父親からもらった名だ。しかし、姓のセイヤーズは母親のオリジナルの家系のものだから、実際の生みの母の姓はセイヤーズではない。ダリルはきっと目の前の女性は生みの母とそっくりの顔なのだろうと思ったが、懐かしさは湧かなかった。

「では、何処でどうしているのかも知らないの?」
「ええ。」
「会いたくない?」
「いいえ。」

 ケンウッド長官はデジャヴューを覚えた。そうだ、ポール・レイン・ドーマーともこれに似た会話をしたはずだ。あの時、彼はダリルなら肉親の情を理解出来ると思った。ダリルには息子がいるから。しかし、あれは思い違いだったらしい。ダリル・セイヤーズ・ドーマーも他のドーマー達と同じだ。「親」と言う存在を遠いものとしか認識していない。
 セイヤーズ女史が質問の方向を変えた。

「進化型1級遺伝子を持って、良かったと思う? 」
「即答しかねます。仕事に役立つことはありますが、私個人にとっては役に立たないどころか、自由を制限される要因ですから。」

 ダリルは反対に自身の方から質問してみた。

「お子さんはいらっしゃるのですか?」
「3人いますよ。息子ばかり。」

 彼女はニヤリとした。

「3人共、進化型の遺伝子は受け継がなかったようです。所謂、ぼんくらで家業に向かない長男は大学で研究者の道を進んでいます。惑星開発用の農産物の研究です。次男は私の下で経営者になる修行中ですが、まだまだです。人をすぐに信用してしまう甘さが抜けません。三男は反対に思いやりに欠ける男で、やはり我が社で働いていますが、部下の受けが良くなくて頭痛の種です。」
「最初から役員に就けたのではないでしょうね。使いっ走りからさせるべきですよ。」
「ご進言有り難う。」

 セイヤーズ女史はケンウッド長官を振り返った。

「この子が息子だったら良かったわ。」
「お持ち帰りは厳禁です。」

 珍しく冗談を言って、長官はこの個人面談を終わらせた。


訪問者 8

 ゲストハウスはドーマーや執政官の居住区域と中央研究所の間にあって、建物としてはこじゃれた20世紀初期のヨーロッパ風の外観をしていた。中がどうなっているのか、ダリルは知らない。18年前、西ユーラシアから出張で来た時、ドームは彼にゲストハウスの部屋を用意してくれたのだが、彼は用事が終わると直ぐポールと会い、ポールのアパートで彼と寝た。そして直後に脱走したので、ゲストハウスには泊まったことがないのだ。
 ロビーに入ると保安課が居て、充分顔見知りにも関わらず形式通りの所持品検査が行われた。勿論ダリルもクロエルも端末以外の物は持っていない。クロエルは普段ならここで保安課相手におちゃらけて見せるのだが、この時は大人しくしていた。「おっかさん」の顔を潰したくないのだ。
 チェックが終わって直ぐに、ホールのドアが開いて、拍手の音に送られながらJJが出て来た。塩基配列を見るプレゼンが終わったのだ。彼女はおすまし顔で出て来たが、ドアが閉じると、急に表情を崩し、ダリルの胸に跳び込んで来た。ダリルは彼女が視察団に意地悪でもされたのかと驚いたが、彼女は笑っていた。うんとボリュームを落とした翻訳機の声が呟いた。

「やっと終わったわ! これでPちゃんに会える。」

 ダリルは優しく彼女の背中を撫でた。

「ポールも君と会える時を待ちかねているよ。もしこれで自由になるのだったら、本部に行っておやり。」

 JJは彼を見上げ、頬にキスをして身を離した。クロエルにも挨拶のキスをして、ゲストハウスから駆け出して行った。それを見送って、クロエルが安堵した声で言った。

「プレゼンは上手く行った様ですね。」
「うん、その様だね。こっちも早く終わって欲しいな。」

 少し遅れてドーム維持班の総代表ジョアン・ターナー・ドーマーがチェックを終えて合流して直ぐ、ドアが開いて、ラナ・ゴーンが顔を出した。手招きされて、ダリルとクロエル、ターナーは腹を決めてホールに入った。
 拍手で迎えられるのは面映ゆい。ケンウッド長官が3人を彼の横に並ぶよう促した。
白人のダリル、サンボ(又はムラート)のクロエル、アジア系と白人のミックスのターナーの3種類の肌の色の人間が並んだ訳だ。ダリルは視察団を見回した。あちらもいろいろな人種が混ざっている。ミックスを繰り返して何の人種か不明の人もいる。ダリルはふと思った。

 この人達は遺伝子管理がなってないなぁ・・・

 視察団の半数が女性だったのが意外だった。社会的地位の高い人々なのでそれなりに年齢もいっている。平均年齢は70代前半だろうか。ダリル達から見れば「親の世代」ばかりだ。
 1人の女性と目が合った。赤みがかったブロンドで背が高い白人女性だ。ダリルは彼女の顔をどこかで見た様な気がしたが、思い出せなかった。彼女は視線が合うと微かに口元に笑みを浮かべたが、酷薄そうな印象を与える笑みだった。

「後ほど自由時間にいくらでもドーマー達と接する機会があろうかと思いますが、基本的に仕事以外でドーマー側からコロニー人に話しかけることはしません。ドーマーは地球人であると自覚させる為に、幼少期からコロニー人を無視するように教育しているからです。」

 3人の紹介の後、ケンウッドの説明を聞いて、ダリルは「おや?」と思った。そんな教育を受けただろうか。長官は故意に視察団をドーマーに近づけまいと牽制しているのではないだろうか。
 今回、視察団に例の軍人が参加していると言う情報はドーム中に拡散しており、ドーマー達が視察団に近づきたくないと思っているのは事実だ。長官はちゃんとそのことを承知しているのだ。
「ですから」と長官は続けた。

「ドーマーに質問がありましたら、この場で、ドーマーを代表して来てくれた3人にお願いします。」

 視察団のうちの数名は既にこの企画を過去に経験済みだった。そして維持班のターナー・ドーマーは仕事柄宇宙で製造された機械や部品の購入でコロニー人と接する機会が多かったので、視察団の中に顔馴染みが出来ていた。彼は設備の維持や新規設置に関するドームの方向性など、建設関係の質問を受けた。
 プライバシーに関する質問は御法度となっていたが、クロエルは女性達からドーム内のファッションについて質問を受けた。彼の服装やヘアスタイルのセンスが抜群に素晴らしいと宇宙でも評判になっていたのだ。クロエルは「おっかさん」の表情を伺って、「喋っても良い?」と目で了解を求めた。ラナ・ゴーンは真面目な顔で頷いた。それで、彼は語り始めたのだが、好きな話題と言うこともあって、どんどん熱が籠もり、早口になって女性達とのファッション論議に時間を取った。
 お陰でダリルは持ち時間が少なくなった。彼への質問は、遺伝子がもたらす生まれ持った才能を活かす為に、どんな未来設計を描いているか、と言う随分抽象的なものだった。勿論質問者は彼の進化型1級遺伝子の存在を知っているのだ。ダリルは返答に窮した。

「私は脳天気ですから・・・」

と彼はぼそぼそと喋った。

「私の脳が周囲の地球人とどう違うのか、考えたことがありません。たまに私の行動が他人を驚かせて、それが遺伝子から来る能力の発現だと言われるのですが、私は意識して使っている訳ではないので、他人と違うと言われても困るのです。」
「つまり・・・」

と口をはさんだ者がいた。入場した時に目が合ったブロンドの女性だ。

「先刻にプレゼンをしてくれたJJ同様、貴方には当たり前のことなので、活かすも何も特別に発展させたいとか才能を伸ばしたいとか考えていない、と言うことですのね?」
「ええ、その通りです。」

 才能を使うなと常日頃仲間から言われているとは、ここでは言えない、とダリルは思った。
 女性は質問した男性に向かって、

「地球人はスーパーマンを愛しますけど、スーパーマンが増殖することは望まないのですわ、グールド氏。セイヤーズ・ドーマーはそれを本能的に悟っているのでしょう。」

と言った。ダリルは心の中を見透かされたようで、ドキリとした。グールドと呼ばれた男が薄笑いを浮かべた。

「しかし、彼の子供達はかなりの数でしたな。全部進化型の遺伝子を受け継いでいるのですかな?」

 ダリルの子種で生まれた胎児達のことを言っているのだ。ドーマーの子供達はクローンではなくコロニー人女性から提供された卵子との体外受精児だ。ダリルの子供が女の子だったら、必ず進化型遺伝子を持っている。
 ケンウッド長官がこの質問に答えた。

「ドーマーの子供達は実験体ですから、遺伝子組み換えを行うこともあります。セイヤーズのX染色体は必ずチェックしています。先ほどのJJが進化型遺伝子の位置を特定しましたので、その部分だけ手を加えました。ただし、JJは遺伝子がもたらす結果を見るのではありませんから、実際に子供達がどんな能力を持って生まれるかは、彼等が人工子宮から出る迄わかりません。」

 「ほう」とグールド氏は呟き、ダリルに向き直って言った。

「試験管ではなく生で子供をつくりたいだろうね。」

 この露骨な表現に、女性陣から抗議の声が上がり、男性達も彼を睨んだので、グールド氏は己が下品な事を口にしたのだと気づいて、「失礼」と詫びた。
 ダリルは、視察団の最後列に座っている50歳近い男が笑うのを見た。その顔は知っていた。予習で見た、クロワゼット大尉だった。


2017年1月20日金曜日

訪問者 7

 宇宙から客が来るからと言って、ドーマー達が特別何か準備をする訳ではない。いつもより掃除を丁寧にとか、花を飾って、とかそんなこともしない。
 忙しいのは執政官達で、ケンウッド長官以下、客がドームの事業の進展を理解出来る様資料の整理や作成に忙殺されていた。JJはとりわけ忙しく、塩基配列が見えることの証明をパフォーマンスで披露しなければならず、サンプル作成に没頭していた。お陰でデートする時間が取れず、ポール・レイン・ドーマーはつまらなかった。ふてくされて市民から送られて来た婚姻許可申請に目を通さずに却下のスタンプを押そうとして、ダリル・セイヤーズ・ドーマーに怒鳴られた。

「他人の一生を台無しにするようなミスをするな! 君の個人的な鬱憤を仕事で晴らすんじゃないっ!」

 流石にポールも我に返って反省した。その後は逆に仕事に没頭して雑事を忘れた。
 視察団は20名だった。各コロニーを代表する大企業の経営者や著名な大学教授達だ。彼等は、手順通り月で地球滞在中の注意事項を与えられ、宇宙船内で消毒を受けた。そして来訪者が着用を義務づけられているスーツに着替え、静かに地球に降り立った。
 特に歓迎式典はなかった。これは視察団側からの希望で、彼等の世話で地球人の手を煩わせたくないと言うのだった。初日はドーム内の見学で、特にドームの主要施設である出産管理区と地下のクローン育成施設に重点が置かれた。
  夕方近くになって、仕事に没頭しているポールとダリルの端末にそれぞれ連絡が入った。ダリルへの連絡はラナ・ゴーン副長官からで、半時間後にゲストハウスのロビーに来るようにと言うものだった。視察団との面会はゲストハウスのホールだから、これは集合がかかったと考えて良いだろう。
 ダリルがポールに断りを入れようと振り返ると、ポールは誰かと電話中だった。しかも、彼はごねていた。

「嫌です。俺は行きません。・・・いいえ、意味がないことはしませんから・・・。ずぇったいに、嫌です!!」

 彼はダリルが見ていることに気が付いた。ちょっと顔をしかめて電話の相手に言った。

「セイヤーズはちゃんと行きます。それは安心して下さい。」

 彼は、さようなら、と言って電話を切った。
 ダリルが誰?と尋ねると、彼はぼそっと答えた。

「ケンウッド長官だ。俺にも面会に参加しろと言うので、断った。」
「ああ・・・」

 ポールは噂の軍人と顔を合わせたくないのだ。ダリルははなっから1人で行くつもりだったので、「それじゃ行ってくる」と言って席を立った。
 ポールは手を振ってくれたが見送りはなかった。
 廊下に出ると、クロエル・ドーマーがオフィスから出てくるのと出遭った。君も面会に行くの?と尋ねると頷いた。

「レインが断るから、僕ちゃんにお鉢が回ってきたんすよ。」

 クロエルは特に腹を立てているでもなく、諦めた様な表情だった。南米班と北米北部班のチーフは外廻りに出ている。遺伝子管理局の代表として面会に参加する地位にいる人間は彼だけのようだ。

「ほんとは、コロニー人に一番人気があるのは局長なんですけどねぇ・・・」
「局長は参加されないのか?」
「局長は視察団が来る度に腹痛やら頭痛やら痺れやらで病欠されるんですよ。」
「それって・・・仮病じゃないのか?」
「局長自身がそう言うのなら仮病でしょうけど、長官が視察団にそう言っているんだから、仮病じゃないでしょ。」
「長官が?」

 クロエルがダリルにウィンクして見せた。

「長官を含めたドームの執政官達全員が局長を守ってるんですよ。ハイネ・ドーマーはここのドームで純粋培養された人ですからね、コロニーの俗な連中と交わらせたくないんですって。」
「確かに・・・局長がお金の話に加わるなんて、イメージが湧かないなぁ。」


2017年1月18日水曜日

訪問者 6

「大袈裟だわ・・・」

 ラナ・ゴーン副長官は、ポール・レイン・ドーマーとファンクラブが懸念する視察団の男の話を聞いて笑った。
 ダリルは彼女と定番の緑地帯デートをしていた。今や2人の定位置である植え込みの陰にあるベンチに並んで座って、お行儀良くお喋りするだけのデートだ。

「話題の人は、クロワゼット大尉ね。宇宙軍広報部に所属する将校です。保安課のゴメス少佐の元部下ですよ。」
「貴女は彼をご存じなのですか?」
「仕事柄、時々出遭います。宇宙軍もドーム事業に寄付してくれていますからね。」
「迷惑な人だと聞きましたが?」
「手癖が悪いことは確かです。通りすがりに女性のお尻や胸に手を触れたり、故意にぶつかったりするわ。」
「貴女も被害者?」
「私は年寄りですからね。1度お尻に手を触れられそうになって、躱しました。失敗した相手には、大尉は手を出しません。でも彼を知らない若い執政官達には注意を与えておかなければいけませんね。」
「地球の法律では、女性に嫌がる行為を行うと5年以上の実刑ですよ。」
「あら、そうなの?」

 ラナ・ゴーンは驚いて見せたが、実際はそんな程度のことは知っているはずだ。

「その法律は、男性の場合も適用されるのかしら?」
「男性でも、迷惑だと訴えれば適用されるでしょう?」
「では、ドーマー達は地球の法に則ってクロワゼット大尉を訴えれば良いわ。地球で行われた犯罪はコロニー人と雖も地球の法律で裁かれるはずです。大尉が宇宙に帰っても、地球から引き渡し要求が出されれば、宇宙軍は大尉を拘束して事情を聞くでしょう。悪質と判断すれば地球の要求に応じる可能性もありますよ。先例がいくつかあるはずです。ドーマーが知らないだけで・・・。」
「ドーマーは世間知らずですから。」

 ダリルは気になっていたことを尋ねた。

「レインは酷くクロワゼットを嫌がっている様子でしたが、前回の視察で何かあったのですか?」

 ラナ・ゴーンは溜息をついた。

「彼は貴方には言いたくなかったのね。彼の場合はそれこそ悪質な嫌がらせを受けたのよ。」
「前回と言うと、2年前ですか?」
「ええ・・・クロワゼットが視察団に参加する様になって3度目ね。あの不良軍人は、視察の合間の自由時間に、ジムに現れたの。ドーマーも執政官も、体のラインがよくわかる服装をしている場所にね。彼は最初にパトリック・タン・ドーマーに目を付けて、ジムの中でつきまとい始めたのです。タンは冷静な人ですから、相手にしませんでした。それで、大尉は次に南米班のカルロス・ドミンゴ・ドーマーを追いかけました。ドミンゴはちょっと神経質な人なの。つかず離れず付いてくるコロニー人が気になって運動に集中出来なくなったので、彼は上司に報告しました。その時、ジムに居た幹部はレインだけでした。ドミンゴの直属の上司ホセ・ドルスコ・ドーマーは南米にいたし、クロエルもコスタリカに、クリスチャン・ドーソン・ドーマーはオフィスで、コロニー人に苦情を言える人間はレイン1人だけだったのです。」
「ドミンゴは自分で苦情を言わなかったのですね?」
「ドーマーはコロニー人に反抗してはいけないと教育されていますからね。」
「そうでしたね・・・」

 ダリルはちょっと悔しかった。理不尽なことをされても、ドーマー達は逃げないし逆らわない。誰か上の人が助けてくれるのを待つだけだ。

「レインはクロワゼットに立ち向かったのですか?」
「そうね・・・ドミンゴにつきまとうなと言ったのだと思うわ。でも、その瞬間、クロワゼットの興味はドミンゴからレインに移ってしまったのよ。」

「ああ」とダリルは納得した。目の覚める様な美しいドーマーが現れて苦情を言い立てたのだ。クロワゼット大尉がこれを見逃す訳がない。テレビの「女装大会」で見かけたであろう美男子が目の前に居るのだ。
 
「クロワゼットはレインに言ったそうです。『柔道で勝負しよう、君が勝てば謝る』と。」
「もしレインが負けたら?」
「キスを要求したの。」

 ダリルはその先を容易に想像出来た。ポールは負けたのだ。そしてキスされた。接触テレパスの彼が無理矢理キスされたら、相手の思考が勝手に頭の中に流れ込んで来たはずだ。きっと最低の気分になっただろう。

「クロワゼットは重力強化施設で訓練を受けた元特殊部隊の精鋭だったのです。ゴメス少佐の部下だったと言ったでしょう? 少佐が軍を退役するきっかけとなった宇宙船の事故で、クロワゼットも負傷して、彼は一線を退いて内勤になったのですが、強いことには代わり有りません。レインはそれを知らなかったので油断したのです。コロニー人が重力のある地球で地球人に勝てるはずがないと。」
「執政官がクロワゼットはレインに執心していると言っていましたが?」
「大尉はネット上で地球での体験を書いているのです。軍の機密は書きませんが、個人的に接した人間のことは書いています。レインは女装大会のテレビ放映で多くのコロニーにファンを得ていますからね、レインとキスをしたと書けば読者は増えるでしょう。」
「なんだか聞いていると気分が悪くなります。」

 ダリルは出遭う前からクロワゼットと言う男が嫌いになった。

「彼は私に会いに来るそうですが?」
「彼ではなく、視察団が貴方に会いたがっているのです。2人きりにならない限り、大丈夫です。視察団はJJとパーカーにも会いたいそうです。パーカーは拒否していますけどね。」



2017年1月17日火曜日

訪問者 5

 女装大会の結果は、優勝者が医療区に新しく配属された若い執政官の「シンデレラ姫」、準優勝が「旅客航宙船のフロントレディ」に扮したシステムエンジニアの執政官、特別賞が「不思議の国のアリス」で大好評だった保安課のゴメス少佐となった。
 ドームのパパラッチサイトでは、優勝者の画像特集で、素顔やコンテストの「恥ずかしい場面」が満載だった。これは、ドームに着任したばかりのコロニー人なら誰もが受ける洗礼でもある。パパラッチは新人が来るとこっそり追いかけて撮影しているのだ。面白い画像が撮れても、その時はアップしない。当人がまだドーム全体に知られていないので、公開してもドーマー達に受けないからだ。新人が何らかの形で知られるようになると、小出しとなる。そして、女装大会での優勝ともなれば、一挙大放出だ。

「ああ、お気の毒に・・・」

 ダリルは同情した。彼自身もパパラッチに狙われた経験が多数あるので、新人執政官の気持ちがわかる。
 サイトにはおまけとして他の執政官達の女装画像や動画、それに注目を集めたドーマー達もアップされていた。ダリルとポールは、表彰式を見る目的でドーマー達が一般食堂付近に大集合してひしめき合った時間に、彼等に紛れ込んで夕食にありついた。だからテレビクルーにもパパラッチにも見つからずに済んだ。もっとも、来年も同じ手が通用するかどうかはわからない。
 ポールはゴメス少佐がアリスに化けた方法を考えていた。ガタイがでかいことを除けば、少佐は実に上手に少女に変身したのだ。どうすれば、あの筋骨隆々の体を女の子に仕上げることが出来るのか、いくら考えても想像がつかなかった。
 2人は食堂で昼食を取っていた。ポール・レイン・ドーマーは「飽和」を脱して以来、まだ一度もドームの外に出ていない。支局巡りをしている部下達から様々な許可申請の書類が送られて来るので、処理に追われているのだが、もう一つの理由をダリルは勘付いていた。ポールは抗原注射なしで外に出るのが恐いのだ。「通過」で体験した頭痛や吐き気や腹痛をまた経験するのかと思うと、外出に尻込みしてしまう。もっとも、これはポールが意気地無しなのではなく、「通過」を済ませたドーマーなら殆どの者が同じ経験をする。何時勇気を振り絞って外に出るか、それが問題だ。
 ダリルは自分達のテーブルに近寄ってくる執政官に気が付いた。ポールのファンクラブの人間だ。彼はダリルに気づかれたと察しても、臆することなく、ドーマー達のそばへ来た。ダリルの目を見て、「やぁ」と声を掛け、それからポールにも「元気かい」と話しかけた。
 ポールは大概ファンクラブに声を掛けられても無視するのだが、その執政官は嫌いではないらしく、挨拶を返した。「ちょっとお邪魔するよ」と言って、執政官は近くのテーブルの椅子を引き寄せて座った。

「来週、コロニーから客が来るぞ。」
「客? また観光客か?」
「否、視察団だ。『地球人類復活委員会』のスポンサー様。」
「ああ・・・」

 ポールが渋い顔をした。

「金を搾り取る為に、連中の機嫌を取れ、と言うことか。」
「そうじゃない、連中がここに滞在する3日間、何処かに出かけてくれ。『通過』をやったから、君はもう3日ぐらい外に居ても大丈夫なはずだ。」

 ダリルには、執政官が言っている意味がイマイチ理解出来なかったので、質問した。

「ポールがここに居ては都合が悪いのか?」

 執政官はダリルに向き直った。

「否、ポールにとって都合が悪いのさ。」

 ダリルは説明を求めてポールを見たが、ポールは言いたくないのか黙っていた。それで執政官が代わりに理由を教えてくれた。

「視察団の中に、宇宙軍の人間が参加している。彼等は地球人が本来の姿以外に進化しないよう、監視に来るんだ。つまり、セイヤーズ、君の様な進化型遺伝子を持つ地球人が増えない様に見張るんだよ。」
「私を監視するのはわかる。どうしてポールが・・・」
「ポールの能力の問題じゃないんだ。」

 執政官はちょっと躊躇ってから、打ち明けた。

「その査察に来る軍人が、ポールにご執心なんだ。」

 ダリルはリン長官を思い出した。いやぁな気分になる・・・。執政官が取り繕うように言い足した。

「否、ストーカーとか、そう言うのじゃない。なんと言うか、ちょっかいを出したがるんだ。兎に角、1回の訪問に1度は彼を怒らせてみたいと言う、そう言う類のちょっかいだ。」

 ポールがやっと口を開いた。

「俺だけじゃないぞ、維持班のドーマー達は外へ逃げられないからな、アイツが来る度に誰かが悪戯されたり嫌がらせを受けている。委員会はどうしてあんなヤツの地球来訪を許すんだ? 他のドームでもやっているんだろ?」
「彼はアメリカ・ドームの担当なんだよ。他所へは別の軍人が派遣される。聞いたところでは、うちよりはましな人達ばかりだそうだ。」

 執政官はまたダリルを見た。

「セイヤーズも危ないなぁ・・・しかし君を外に出す訳にはいかないし・・・」
「何故だ? 俺の監視付きでセイヤーズも外に避難させたらどうなんだ?」
「それが出来ないんだ。アイツは、先頃のケンウッド長官の月での発表でセイヤーズのX染色体の特殊性を聞いた。それで、セイヤーズを見たがっている。」
「セイヤーズは鑑賞用動物ではない。」

 ポールは憮然として言った。

「ダリルが外に出られないのであれば、俺も残る。」





2017年1月15日日曜日

訪問者 4

 ドームの中で暮らしていると、四季がないので季節の移ろいが余り感じられない。日照時間が長いか短いかでドーマー達は夏だなぁとか冬が来たなぁと思う程度だ。宗教的行事もないので、コロニー人達はせめてものメリハリに、新年の始まりと、春分秋分、冬至と夏至にちょっとした行事を行う。宇宙にはないので、コロニー人達にも楽しみなのだ。
 春分祭は、ドーマー達が一番楽しみにしている年中行事だ。これは別名、「女装祭」と呼ばれている。女装するのは、コロニー人の男性達だ。普段コロニー人達に「見られている」ドーマー達が、彼等を品評して、誰が一番美人なのか、投票する。このドームのお祭りは宇宙でも案外評判になっていて、これに参加する為にわざわざドーム見学申請を出してやって来るコロニー人もいる程だ。その為に、地球上にあるドーム、アメリカ、西ユーラシア、中央ユーラシア、東ユーラシア、東南アジア、オセアニア、アフリカ、それにシベリア分室と南米分室はいつにも増して大忙しになる。ドームを運営する「地球人類復活委員会」としては、資金集めの絶好の機会なので、宇宙へテレビ中継を許している。(地球では放送出来ない。取り替え子の秘密を守らねばならないからだ。)女装大会をテレビで見て、宇宙で暮らす人々は、ドーマーと呼ばれる地球人も見ることになる。
 だから、宇宙にもポール・レイン・ドーマーを始めとする美しいドーマー達のファンが大勢いるのだ・・・。
 ドームで働くコロニー人、執政官達は、自分達がドーマーの身近にいることを誇りに思い、自慢するのだ。
 しかし、今年の春分祭にポールはカメラの前に出てこなかった。前年度迄は、ファンクラブの執政官達に無理矢理引っ張り出されていたのだが、今年は言いなりにならない。もう2度と言いなりにならない。最愛の人を取り戻したので、彼は彼自身の誇りも取り戻していた。
 祭りの日、ポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーとオフィスに籠もっていた。仕事のシフトを考えると、外の支局巡りに出ても良い頃合いだったが、彼はダリルがテレビクルーに捕まるのを恐れて、ドームに居残った。恋人を宇宙に曝したくなかったのだ。「伝説のポールの恋人」は、宇宙のポールのファン達の関心を集めている。
それに、髪を伸ばしたポール自身がカメラの前に出たくなかった。

 ハロルドと俺の関係がばれるじゃないか・・・

 オフィスで飲食をしない主義だが、この日ばかりは2人共弁当持参だった。
 ダリルは18年ぶりの春分祭が楽しみだったので、ちょっと不満が残った。仕事をするのは良いが、午後は手が空く。ネットで女装大会を見るだけと言うのは、なんともつまらない。投票もネットだ。日頃保護者目線でドーマー達を見ている執政官達を直接からかえないのだから、つまらない。もっとも、ポールが一番恐れているのが、それだった。ダリルは悪戯が好きな子供だったから、祭りとなれば、絶対に何かやらかす。ポールは彼に目立って欲しくないのだ。
 
「大人しくしているから、ちょっと出かけても良いだろう?」
「駄目だ。」
「ドーマーの群れの中に埋没しているから・・・」
「駄目!」

 ネットの画面では、女装したケンウッド長官がインタビューを受けていた。あの真面目な長官が、付け睫にアイシャドウ、頬紅、口紅、それにウィッグで「ハイジ」になっている。ダリルは生で見たいなぁと思いつつ、別の画面の書類に目を通した。
 第3の画面は別のカメラがローガン・ハイネ・ドーマーを追いかけていた。局長は当然女装などしていない。ただ食堂へ昼食に出かけただけなのだが、目敏く発見されてしまった。歳を取ってもなお美しいドーマーを、コロニー人達が熱烈に愛しているのが、カメラマンの熱心さで伝わってくる。
 長官のインタビューを終えたカメラが、何かを見つけた。カメラマンが走って行った先に、アナトリー・ギルとその仲間達が居た。白い制服姿で、どうやら20世紀の女子高生姿らしい。何故時代がかった衣装を? と問われて、古典文学の主人公が好きだから、と答えていた。
 ハイネ局長を追いかけていたカメラは、また次のドーマーを見つけた。どうやらこちらのカメラはドーマー専門に追いかけをしている様だ。突然、画面いっぱいに黒い顔が現れ、ダリルはびっくりした。カメラマンも一瞬腰が引けた様だ。クロエル・ドーマーが宇宙に向けてアッカンベーをして見せた。

「これは、コロニー人の女装を見るお祭りなの! 地球人を撮るんじゃないわよ!」

とクロエルは女性風に発音してカメラマンを威嚇した。

「クロエル・ドーマー・・・」

とカメラマンは恐る恐る声を掛けた。

「貴方は、今回、誰が優勝すると思いますか?」
「優勝? そうねぇ・・・僕ちゃんはゴメス少佐に1票!」
「あの・・・保安課は女装していませんが・・・?」
「馬鹿ねぇ、保安課は地球人よ。ゴメス少佐だけが、コロニー人なの!」

 ダリルはポールを振り返った。

「テレビクルーはクロエルの名を知っているのか?」
「当然だろう、毎年彼はああやってカメラマンをからかっているんだ。女装したコロニー人より目立つから、すっかり有名人だ。」

 クロエルは部下の抗原注射効力切れ休暇に合わせているのか、この日は私服だった。言うまでも無く、ど派手な服装で、ドレッドヘアにはこれまた色鮮やかな布を編み込んである。まるでファッションモデルみたいな出で立ちだ。早速カメラは彼の服装を上から下迄じっくり撮影してしまう。

「確かに、彼は綺麗だし、カッコいい。」

 ダリルは「有名人」と言う言葉に納得した。ラナ・ゴーンが昔幼かったクロエルを見つけて養子にしたがったのだが、もし許可が下りていたら、今頃宇宙で芸能界入りしていたかも知れない。
 するとポールがこんなことを言った。

「彼が目立つ行動を取るのは、副長官が裏で焚きつけているせいもある。」
「ラナ・ゴーンが?」
「ああやって、宇宙に散らばっている彼の母方の部族の子孫が反応するのを待っているんだ、彼女は。つまり、クロエルに嫁さん募集って宣伝させているのさ。」
「地球で貴女の部族のハンサムな王子様が待っているぞ、と言う訳か。しかし、関係ない部族や人種の候補の方が多いだろうな。」
「ギルが言っていたが、宇宙各所からドーマー宛に来るファンレターは全部『地球人類復活委員会』が一括で受け取って、内容を見て、処分するそうだ。」
「ドーマーには見せないのか?」
「見せてどうなる? 宇宙で賞賛されるより、地球で女の子を追いかける方が、ドーマーは楽しいんだ。」
「そう言えばそうだ。」
「君は投票を済ませたのか?」
「うう・・・まだ決まらないんだ。君は?」
「俺は毎年トニー小父さんに入れる。」
「トニー小父さんはもういないだろ?」
「他に入れたいヤツはいないから。」

 トニー小父さんはダリル達を育てた養育係のコロニー人だ。ドーマー達が少年期を終える頃に、宇宙に帰ってしまい、それっきりだ。消息すら教えてもらえない。養育係の多くが、育てた子供達と別れるのが辛くて、そっと去って行く。そして2度と地球へ来ない。連絡先をドーマー達に教えたりもしない。

 ドーマーは地球人だから、地球に返す。コロニー人の親が居てはいけないのだ。

 それが養育係達のモットーだ。しかし、ドーマー達は不満だった。ネット通信で電話ぐらいさせてくれたら良いのに、とみんなが思っている。コロニー人側の方針がどうあれ、ドーマー達の親は養育係しかいないのだから。
 ダリルはポールが部屋のメンバーの中では一番トニー小父さんに懐いていたことを思い出した。ポールはダリルと一緒にいない時は、殆どトニー小父さんにつきまとっていた。甘えん坊なのだ。
 ダリルは、画面を見た。

「私は、ケンウッドに入れるよ。すごーくひねくれたハイジが気に入ったから。」








訪問者 3

 春分祭の前にポール・レイン・ドーマーは退院した。ダリルの脚も抜糸が済んで、軽いランニング程度なら許可が出た。格闘技などはまだお預けだ。

「銃創だから、あまり軽く考えない方が良い。来週、もう1度診察に来なさい。それから完治宣言を出すか治療続行か決める。」

 医療区からそう告げられて、ダリル自身はもう治った気分だった。杖なしで歩けるし、リハビリで水中歩行が出来る。

「ライサンダーは3,4日で骨折が治ったそうだが、君はそんな能力はないのだな。」
「うん。息子の復活力はどこから来ているのだろう?」

 ダリルとポールは顔を見合わせ、少し考え、同じ結論に至った。

「シェイが持っているんだ!」
「彼女はコロニー人だからな。卵子の核を取り除いたと言っても、100パーセントではないはずだ。精子と精子だけをくっつけても人間にはならない。シェイの卵子の一部が残っていたんだ。」

 そのシェイは、結局ドームからつかず離れずの場所に落ち着く予定だ。ドームのすぐ外にある空港の食堂で働く手筈をコロニー人達が整えてくれた。ドームの生活に今更馴染めないだろうし、だからと言って在野に放置する訳にもいかない。彼女を保護したパイロットのマイケル・ゴールドスミス・ドーマーが、彼女がコックだと言ったので、航空班が彼女を引き受けると申し出たのだ。航空班は配属が決まった時点で「通過」を行うので、普通の地球人と同じ生活を外の尞でしている。ドーム内に戻るのは休暇の時だけだ。尞の食堂の「おばさん」として、シェイを迎えてくれるのだ。 シェイはジェリーと月一の割合で会うことでこの新しい生活を承諾した。
 脳移植ではなく脳内麻薬製造の為に少年達を攫っていたことが判明したFOKは、警察から撲滅対象の犯罪組織と認定された。ニコライ・グリソム、ジョンとガブリエルのモア兄弟は近々裁判に掛けられる。他の仲間の氏名を明かすよう、警察と連邦捜査局が追求したのだが、彼等の口は固く、司法取引にも応じない。ロイ・ヒギンズとそのチームは残りのメンバーの捜査を続けるつもりで、ジョン・ケリー・ドーマーは当分ヒギンズと組む。
 トーラス野生動物保護団体は、本来の仕事を続けているが、理事達の中で病気や事故で立て続けに3名が急死した。だが、理事長モスコヴィッツやビューフォードが健在なので、ポール・レイン・ドーマーは不愉快に思った。兄貴は何をぐずぐずしているのだ?と彼は心の中で呟いた。
 フラネリー政権とドームの間で交わされた暗黙の了解を知らないダリルは、理事達の不幸をテレビのニュースで見て、

「そんな歳でもないのに、急に死ぬものかなぁ?」

と呟いた。心臓や血圧など、健康に関する問題はしっかり管理出来る地位の人々なので、ドーマーから見ると「突然の病死」は不可解に思えたのだ。
 当然ながら、ポールはしらばっくれた。

「所謂、運命ってヤツだろう。」
「君がそんな単語を使うなんて、意外だなぁ。」
「そうか? だが、こう言う運命は意外でも何でもないだろう?」

 ポールはいきなりダリルをソファの上に押し倒した。ダリルは素直に彼を受け入れた。キスで互いに興奮を高め合って、それから寝室へ移動した。


訪問者 2

 局長室で待っていたのは、ハイネ局長に優るとも劣らぬ美しい白髪の高齢ドーマーだった。ただハイネが均整の取れたスマートな体格なのに対して、客人はころっと太っていた。太る体質なのだとダリルは知っていた。そう言う進化型1級遺伝子なのだ、この客人は。

「お久しぶりです、マリノフスキー局長。」

 ダリルが挨拶すると、マリノフスキー西ユーラシア・ドーム遺伝子管理局局長がニッコリと笑顔を見せた。

「セイヤーズ、元気そうだな。忙しい毎日を過ごしているそうじゃないか。」
「おかげさまで・・・その節は大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

 18年前ダリルは脱走した時、西ユーラシア・ドームの所属だった。マリノフスキー局長の部下だったのだ。当時のアメリカ・ドームの長官リンがポール・レイン・ドーマーを我が物とする為に、ダリルを西ユーラシアへ飛ばしたのだが、マリノフスキー局長はその辺りの事情をハイネ局長からそれとなく聞かされていたので、気の毒な若いドーマーをいろいろと気遣ってくれた。気晴らしの里帰りのつもりでダリルにアメリカ出張を命じたのもマリノフスキーだ。それなのに、ダリルは脱走して、恩を仇で返した状態になってしまった。リン長官はダリルを逃がした責めを負って更迭された。マリノフスキー局長も無事ではなかったはずだが、ダリルは西ユーラシア・ドームで何があったのか一切聞かされていない。

 マリノフスキーはニコニコと丸い顔を更に柔和にして見せた。

「過去のことはもう言いっこ無しだ、セイヤーズ。地球人がしたことに執政官が責めを負う場合、地球人には咎はないのだよ。」
「しかし・・・」
「今日は新規プログラムの構築の件でお邪魔している。それに、ラムゼイ博士のクローンの多くは中央ユーラシアとアフリカに住んでいるからね。先日君はラムゼイのジェネシスを保護したそうじゃないか。彼女の遺伝子情報が手に入って、大いに助かっているよ。」

 ダリルは優しい上司達に恵まれて幸せだと感じた。

「君の恋人は大変な美男子だそうだね。」

 マリノフスキーの言葉に、ハイネ局長が反応した。

「今、『飽和』を終えて『通過』の真っ最中だよ。」
「それは残念だな。執政官の精神状態を不安定にさせ、ドーマーを暴走させる程の美貌を見てみたかったが、諦めるとするか。やつれた姿は見られたくないだろうからな。」

 マリノフスキーはカラカラと笑った。
 このドーマーの進化型1級遺伝子は、事故などで食糧補給が断たれた場合の宇宙船乗りの生命維持能力を高めたものだ。つまり、皮下脂肪をしっかり蓄えて1週間は食べなくても生きていける、と言うものだが、地球では無駄な遺伝子情報だった。人口が減った分、食糧は足りている。だから、マリノフスキーは無駄に太っているのだ。まずやつれたことはないだろう・・・。

「兎に角、セイヤーズの元気な姿を見て安心した。」
「相変わらず、やんちゃな男でね、年中何か騒ぎを起こしているよ。西ユーラシアはアメリカに彼を返却して正解だったと思うはずだ。」

 ハイネ局長の言葉にダリルは赤面した。確かに、執政官達からトラブルメーカーとして見なされていることは確かだ。
 マリノフスキーはニヤリとした。

「しかし、当方のシベリア分室が厄介払いしたアレクサンドル・キエフをドームそのものから追い払ったのも、セイヤーズだろう?」
「ああ、他のドーマーや執政官にも危害が及ぶ恐れがあったからね。キエフは精神疾患の遺伝子は持っていなかったが、後天的に壊れてしまったな。」
「あの男は異常に嫉妬深かった。養育係のコロニー人も手に余していたのだ。外へ出しても問題を起こしていただろう。何時か何処かで片を付けねばならなかった。死なせずに処理出来て良かったよ。」

 ハイネ局長はダリルに向かって、客人に何か尋ねたいことはあるか、と聞いた。
それでダリルは西ユーラシア時代に世話になったあちらの遺伝子管理局の仲間の近況を尋ねて、彼等によろしくと伝えて下さい、とマリノフスキー局長に頼んだ。
 そして改めて客人に挨拶をすると、オフィスに戻った。
 ダリルが局長室を出て行くと、マリノフスキーがハイネに尋ねた。

「地球人が復活したら、コロニー人は地球から出ていくと思うかね、ハイネ?」
「ドーム事業はコロニーの金を食うからなぁ・・・きっと彼等は喜んで引き揚げて行くさ。」
「だが、地球には彼等が欲しい資源がまだあるからな・・・これからも連中の不要な遺伝子を地上に残して行くだろうよ。ドームがなくなった時、進化型は野放しになる・・・」




2017年1月14日土曜日

訪問者 1

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは2日後には車椅子を医療区に返却して杖を使って自力で歩ける様になった。まだ走ったり負傷した脚にばかり体重を掛けないように、と言われたが、座り仕事なので、問題はなかった。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと2人で手分けして事務仕事をこなした。その間にポール・レイン・ドーマーは狂気の時間を脱し、細菌感染のオンパレードに入った。外気と遮断された部屋に閉じ込められ、発熱やら悪寒やら腹痛で苦しめられるのだが、どれが一番酷いのかは個人差があるので、軽く済む人間もいる。

「僕は下痢と腹痛が酷かったんです。頭痛なんかは大したことなかったです。」

 クラウスが経験談を語った。ガラス越しの面会時間の会話だった。ダリルはポールが不機嫌な顔でベッドの上から睨むのが可笑しくて、笑いを我慢するのに苦労した。ポールは頭痛と目眩が酷いと文句を言ったところだ。やつれているのが妙に婀娜っぽく見える。ファンクラブの連中が見たら発情しそうだ。
 クラウスが「ダリル兄さんの時は?」と話を振ってきた。

「私は『通過』をやらなかったから・・・特に何も・・・ああ、食あたりが1回と鼻風邪を数回やったかな。」
「18年間で、それだけ?」
「うん。」
「丈夫なんですね。」
「人間は基本的に丈夫なんだよ。ドーマーは過保護にされているんだ。」

するとマイク越しにポールがまた文句を言った。

「楽しそうに会話をするな。用がなければ帰れ。」

 ダリルとクラウスは顔を見合わせ、笑った。JJは昨晩やって来てポールと楽しくお話をしたそうだ。

「野郎には用がないとさ。」
「それじゃ、お暇しましょうか。ポール兄さん、退院後の書類の山、楽しみにしてて下さい。」

 2人がガラスに背を向けると、「待て!」とポールが叫んだ。ダリルが振り返ると、ポールが彼を指さした。

「その脚はどうした、ダリル? 怪我をしたのか?」

 鋭い観察力だ。ダリルは杖を使わずに自然に歩いて面会スペースに入ったつもりだったのだが。

「いろいろあってね・・・退院したら話すよ。」
「否、今ここで話せ。退屈しのぎだ。」

 ダリルが断ろうとしたのに、クラウスが折りたたみ椅子をガラス際に持って来た。

「僕も詳細に聞きたいですよ、兄さん。」

 仕方が無くダリルはスカボロ刑事の通報からシェイを発見して保護する迄の経緯を語った。ポールは口を挟まずに聞いてくれた。天井を眺めたまま、じっと耳を傾けていた。そしてダリルの語りが終わると、彼を振り返った。

「偶然の災難だったんだな。」
「私はそう思っているが、ケンウッドは不機嫌になった。ハイネ局長が全部責任を負ってくれたんだ。」
「君を行かせたのは局長だったのだろう。上司の仕事は部下のしくじりを謝ることだ。」
「肝に銘じます。」

とクラウスが言って、初めてポールが笑った。

「君は俺と部下にはさまれて一番気苦労な地位だな。」
「補佐役の私は脳天気だし・・・」
「だから精神科医と結婚しているんです。」

3人の「兄弟」は笑い合った。ポールの気分も良くなった様子だったので、やっとダリルとクラウスは医療区を出ることが出来た。
 遺伝子管理局本部に戻ると、局長秘書から連絡があった。来客があるので、ダリルに局長室に来るようにと言うものだった。

誘拐 37

 ダリルはアパートに帰ると書斎で報告書を作成した。休めと言われていたが、まだ寝るには早かったし、テレビは面白い番組がなかった。明日はオフィスに出てクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーを助けなければならない。
 報告書が出来上がって局長のコンピュータに送信すると、急に空腹を覚えた。考えたら朝食べたきりで、昼食もお八つも取っていなかった。キッチンに行って冷蔵庫を覗くと、水以外入っていなかった。思わず愚痴が出た。

「馬鹿ポール、卵ぐらい入れておけ!」

 居ない相手に愚痴っても仕方が無い。時計を見ると、食事時で食堂が混雑する時刻だった。後2時間は待たねばならない。ダリルは車椅子で目立ちたくなかった。ドーマーで杖や車椅子を使用する者は高齢者だけだ。若い彼が車椅子を使っているのを見れば、誰でも彼が負傷したとわかる。すぐに噂になって明日の朝にはドーム中が彼の災難を知ってしまうだろう。空腹では眠れない。
 何か気を紛らわせるものはないかと考えていると、ドアチャイムが鳴った。壁にスクリーンが現れて、訪問者を映し出した。ドレッドヘアの男がカメラ目線で変顔をしていた。
ダリルは吹き出し、ドアを開けた。

「食堂が混んでるんで、ここで晩飯食っても良いですか?」

 クロエル・ドーマーが食堂で購入したテイクアウトの料理が入った袋を見せた。ダリルは笑った。クロエルが知っていると言うことは、既に噂が広まっていると思って良かろう。

「完品? それとも未完品?」
「未完。キッチン借りますよ。」

 食堂では2種類のテイクアウトを売ってくれる。アパートで温めたり冷やしたりしてすぐ食べられる完品と、下ごしらえした材料と調味料のセットで料理する気分が味わえる未完品だ。ダリル同様クロエルも自分で作りたい派だった。
 20分の我慢の後で、茹でた野菜に融けたチーズをかけて食べる簡単な食べ物が食卓に上った。疲れたダリルには丁度良い料理だ。

「今朝は大活躍だったんですね。」
「そうじゃないよ、大手柄を立てたのは、航空班のゴールドスミス・ドーマーだ。私は予想外にグリソムと出遭って、光線銃の発射角度を間違えてグリソムをパニックに陥らせ、想定外の跳ね弾に当たって怪我をしただけさ。」
「航空班はゴールドスミス・ドーマーの手柄を宣伝するつもりはない様です。彼等は常に外にいますからね、悪い連中が沢山いる世間に名前を売りたくないんですよ。」
「でも、ゴールドスミス・ドーマーには何か褒美があるだろう?」
「そりゃ、何かあるでしょう。もっとも、航空班の班長はケンウッド長官に叱られたみたいです。」

 ダリルは驚いた。

「何故?」

 するとクロエル・ドーマーは長官の物真似をした。

「重力がある空中を飛ぶのも危険なのに、ドーマーを悪党の逮捕みたいなもっと危険な行為に関わりを持たせるとは、何事だ!」

 ダリルは大笑いした。

「でも・・・ゴールドスミス・ドーマーは私を助けようとしただけなのに・・・」
「あの長官はねぇ、地球上の犯罪なんてどーでも良いんです。可愛いドーマー達が平穏無事に毎日過ごしてくれたら文句はないって言う人なんですよ。」
「ああ・・・しかし、これでまた私の航空免許取得は遠のくなぁ・・・」
「そうですか? 僕ちゃんは、航空班が自分とこのパイロットを守る為に貴方に免許を与えると思いますけどぉ?」

 食事が終わると、流石に疲れがドッと押し寄せてきた。クロエルがキッチンを片付けて彼を寝室に連れて行った。

「歩けない訳じゃないんだよ。脚に負担を掛けるなと言われているだけで・・・」
「わかってます。お手洗いは自分で行って下さいね。僕ちゃん、今夜はここにお泊まりするつもりで来てますから。」
「え? 泊まるの?」
「小部屋があるっしょ?」
「うん。でも、寝具の準備をしていないから・・・」
「毛布さえあれば大丈夫。僕ちゃん、勤務中はジャングルの木の上や地べたで寝てるんですよ。」

 クロエルは慣れた手つきでダリルの体を車椅子からベッドへ移した。 ダリルは彼に甘えることにした。これは浮気ではない。介護されるだけなのだ。

「グリソムの逮捕で、モア兄弟が落ちかけているそうです。」

 クロエルが、中部支局からの情報をそっと告げた。



2017年1月12日木曜日

誘拐 36

「レインの様子はどうですか?」

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーがハイネ局長に最初に言った言葉がそれだった。局長は、「普通に発狂しているよ」と言った。

「飽和した薬剤が体から出ていく迄、彼は正気を保てないからな。今日の昼飯時には、君を捜して緩衝材の床を掘り返そうとしていた。今夜辺り、JJを求めて壁を剥がそうとするんじゃないか?」

 そしてハイネはダリルの脚を眺めた。

「痛むか?」
「少し・・・痛みがある方が治りが早いとかで、あまり強い薬をもらえなかったんです。」
「人間の治癒力に任せると言うことだな。しかし、その程度で済んで良かった。ニュカネンが連絡して来た時は、君が今にも死ぬ様なことを言っていたからな。」
「彼はいつも最悪の事態を考える質で・・・私が撃ち合いをしている時に電話を掛けてきたのですが、その後でローズタウンの中部支局に救護班とヘリの応援要請を出したんです。その時、私はまだ怪我をする前だったのですが・・・」
「彼は用意周到なだけだ。ドーム内では彼のことを堅物とか融通が利かないとか批判する者も多いが、あの堅実さがあるから、出張所を1人で経営出来ているのだ。実際、彼が連れて行った救護班のお陰で君は現場で手術してもらえたのだ。何もせずにドーム迄弾丸を脚に入れたまま帰っていたら、今頃はもっと酷い状態になっていた可能性もある。」
「ええ・・・ニュカネンと中部支局救護班には感謝しています。」
「現場で何があったかは、後日報告書にまとめて提出すれば良い。今日はもうアパートに帰って休め。大人しくしていれば、レインが退院する前に普通に歩けるようになるはずだ。」

 ダリルが「わかりました」と答えて車椅子の方向を変えようとした時、ハイネ局長の端末に電話が着信した。局長は画面を見て、発信者の名前を読むと渋い顔をした。

「誰かがケンウッド長官に君の外出を告げ口したらしい。」

 そして電話に出た。ダリルは車椅子を止めて、局長が電話で長官のお小言をもらうのを聞いていた。自分が関係した事なので、部屋から出るのは気が引けた。ハイネ局長は「ええ」とか「はい」とか短い返答で長官の責めをいなしていた。声はしおらしいが、表情は平静だ。ローガン・ハイネ・ドーマー程の経験豊かなドーマーは、コロニー人がどんなに怒っても恐くないのだ。
 そのうちにハイネは長官の叱責を受けるのに飽きたらしい。

「そんなに心配なさるのでしたら、当人に仰って下さい。ここにいますから。」

 そして、いきなりダリルに端末を投げて寄越した。車椅子のダリルに充分受け止められる様、勢いも距離も高さも計算して投げて来たので、ダリルは余裕で受け止めた。

「セイヤーズです。」
「脚を撃たれたそうだな。」
「撃たれたと言うより、闇雲に乱射された弾丸が1発、部屋の中で跳ね回って私の脚に当たっただけですよ。」
「お気軽に言うな! 出血が多くて危なかったそうじゃないか。救護班の到着が半時間遅ければ、君は死んでいたと言う話だ。」
「いや・・・痛みが酷くて気絶しかかっただけで・・・」
「君は地球の運命を背負っているのだぞ。それを自覚してもらわないと困る。2度とそんな危険な任務を受けるな!」
「あ、否、それは誤解です、長官。私は只ラムゼイ博士のジェネシスを迎えに行っただけで、FOKも偶然彼女を誘拐しようと来ていて鉢合わせしただけですよ。」
「君が出向く必要はなかっただろう?」
「いえ・・・シェイは私だから話を聞いてくれる、と思ったので、出かけたのです。」
「何故君だったら彼女が話を聞いてくれるのだ?」
「彼女はライサンダー・・・私の息子を知っています。息子は私に似ています。実際、彼女は一目で私が何者か悟りました。他の局員だったら、彼女は逃げてしまったはずです。」

 電話の向こうでケンウッド長官の深い溜息が聞こえた。

「君は鎖で繋いでもいつの間にか首輪を抜けて逃げる犬みたいなヤツだ。止めても無駄なのだろう・・・しかし、これだけは守ってくれ。外出する時は、必ず誰かを同伴すること。決して1人になるな。」
「今回も1人ではありませんでした。航空班のマイケル・ゴールドスミス・ドーマーがいました。彼がFOKのグリソムを捕まえ、シェイを見つけて保護して、私の負傷をニュカネンに通報してから応急処置をしてくれました。今朝の事件は、ゴールドスミス・ドーマーの手柄です。」

 ダリルの手からハイネ局長は端末を取り上げた。

「長官、お聞きの通り、セイヤーズは重傷を負っても一向にへこたれていませんから。これからも外出するでしょうな。」

 そして片手を振ってダリルに「帰れ」と合図を送った。



2017年1月11日水曜日

誘拐 35

 その日の夕刻にアップされたパパラッチサイトには、感動のシーンが撮されていた。ジェリー・パーカーとシェイがゲートからドームに入った所で抱き合っている画像だ。シェイは消毒された直後で検査着を着せられていた。
 題して、「ラムゼイ博士の大切なジェネシスと秘蔵古代人クローンの感動の再会」
勿論、当人達には見せられない。
 ジェリーがシェイに対面出来たのは、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長の配慮だった。この「待つだけの為に開発された進化型1級遺伝子保有者」は、シェイを落ち着かせる為に、ジェリー・パーカーを呼んだのだ。
 ジェリーはシェイが保護されたことを知らなかった。中央研究所でいつもの様に仕事をしていると、ラナ・ゴーン副長官の端末にハイネ局長からメールが入った。ラナ・ゴーンはその内容を見て、ジェリーにちょっとゲートまで付き合って欲しいと声を掛けた。どんな用事なのか教えられなかったので、ゲートからシェイが現れた時、ジェリーは夢を見ているのかと我が目を疑った。彼は、ラムゼイ博士がトーラス野生動物保護団体ビルで殺害されたと聞かされた時、博士と共に旅立ったシェイと運転手のネルソンも口封じに殺害されたのだろうと勝手に思い込んでしまっていた。だから諦めていた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーがシェイの行方を諦めずに捜していると言った時は、彼の方から「無駄なことをするな」と言ってしまったのだ。
 シェイは、リトル・セーラムでヘリコプターに乗せられた際に、ダリルから「ジェリーに会えるよ」と言われた。ネルソンが警察に引き渡され、離ればなれになってしまったので、落ち込んでいた彼女を励ます為に、ダリルは局長に電話を掛けて彼等の対面を依頼した。ハイネ局長は二つ返事で承知してくれたのだ。
 ゲートにはジェリーを連れて来たラナ・ゴーン副長官が居て、シェイを先ずクローン観察棟に案内すると言った。シェイはそこで当面寝泊まりして、検査を受ける。その間にドームの執政官達は彼女の将来を話し合うのだ。
 シェイはコロニー人だが、生まれて間もなくラムゼイに買われ、地球で育った。だから、地球人と見なして良いだろうと言うのが執政官達の意見だ。だがドーマーではない。ドーマーでない地球人をドーム内に置くことは、地球人類復活プログラムにはない。彼女は卵細胞の遺伝子情報をドームに与えた後は、言葉は悪いが「用済み」になってしまうのだ。
 しかし、ジェリーに抱きついて泣きだした中年の女性を見ていたラナ・ゴーンは、彼女を1人外へ放り出すのは酷だと感じた。ジェリーがシェイの過去を語ったことはなかったが、彼女が子供の様にピュアで素直な心根の、そして世間に疎い人だと言うことが、ゲートでの再会劇でラナ・ゴーンにはわかった。ラムゼイは故意に彼女を外部と遮断した環境で育てたのだ。大事なジェネシスが逃げて行かないように・・・。

 この女性を外に出すのは、死なせるのと同じだわ。

 シェイはか弱くはないが、生きる術を持っていない。仕事は出来るが、それでお金を稼いで食べて行くことを知らない。恐らく善悪の判断も難しいだろう。そんな女性が、女性に飢えている地球上で1人で生きていけるはずがない。
 ジェリー・パーカーが落ち着いてきたので、ラナ・ゴーンは彼に声を掛けた。

「パーカー、今日はもう仕事はお終いにしましょう。夜迄シェイについていてあげなさい。彼女の部屋を用意しますから、それ迄は研究所のロビーや食堂で過ごすと良いわ。」

 ジェリーがシェイの顔の涙を拭いてやりながら尋ねた。

「JJにも会わせて良いか?」
「勿論です。JJも喜ぶわ。」

 その時、ジェリーの後ろを、車椅子に乗せられたダリル・セイヤーズ・ドーマーが通るのをラナ・ゴーンは見てしまった。

2017年1月10日火曜日

誘拐 34

 パイロットのマイケル・ゴールドスミス・ドーマーは働き者だった。彼はモップで床を掃除して、ガラスの破片が付いていないクッションを探して綺麗にした床に置き、そこでダリルを休ませた。
 次にダリルの首から無断でネクタイを抜き取り、外で伸びているニコライ・グリソムの手足を背中で縛り上げた。グリソムは狩りで仕留められたウサギみたいに惨めな姿で食堂の入り口に転がされたが、麻痺光線をたっぷり浴びせられたので、文句一つ言えなかった。
 ちょび髭の男は、ネルソンだとシェイが教えてくれた。彼は、FOKでもトーラス野生動物保護団体の会員でもなく、驚いたことにラムゼイ博士の牧場で働いていた台所の下働き兼運転手だった。シェイの「部下」だったのだ。彼はダリルの麻痺光線で痺れていただけだったので、マイケルに縛られて間もなく口が利けるようになった。
 ダリルはシェイにニューシカゴ近郊の牧場から出た時からのことを尋ねてみた。シェイの説明はところどころ言葉足らずの部分があったが、それは幼い時から殆ど牧場の外に出たことがなかった彼女の語彙が少ないからだった。それでも大体のことは判明した。また、説明が足りない箇所はネルソンが補足してくれた。

 シェイは、ラムゼイに連れられ、ネルソンが運転する車でジェリー・パーカー率いる仲間達のトラック部隊より先んじてセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに到着した。そこで博士は迎えに来た男の車で何処かへ行ってしまった。シェイとネルソンは、博士が密かに用意した廃村リトル・セーラムの家に隠れた。
 シェイは2,3日もすれば博士かジェリーが迎えに来てくれると思っていた。しかし、5日待っても1週間待っても、誰も来なかった。
 10日目に食糧が尽きたので、ネルソンが買い物に出かけ、町で博士の死とジェリーの一行が警察と遺伝子管理局に逮捕されたことを知った。
 シェイもネルソンも行く宛がなかった。それで、ネルソンは隠れ家としている古い食堂で、通りすがりの車相手に軽食を出すことを思いついた。シェイは料理が得意だし、牧場ではコックだったのだ。それで2人は小銭を稼ぎ、なんとか食いつないできた。
(これは主にネルソンが語ったことだが)シェイの料理が美味しいので、トラックドライバー達の間で、リトル・セーラムの食堂の噂がじんわりと広がって行った。それがスカボロ刑事の耳に入った訳だ。噂は刑事だけでなく、FOKの耳にも入った。
 ニコライ・グリソムが現れたのは、ダリルがリトル・セーラムに来た1時間前だった。
グリソムはドーマーを標的に罠を張ったのではなかった。ダリルにはいかにも罠を仕掛けた様なことを言ったが、只のはったりだったのだ。真の目的は、シェイだった。クローンではない、コロニー人の女。ラムゼイの高品質クローン製造に不可欠な卵細胞を持つ女。
彼女を抑えておけば、トーラス野生動物保護団体に高額な身代金を要求出来る。
 グリソムは銃でネルソンを脅し、シェイを縛り上げた。ネルソンはその後で殺害してしまうつもりだったのだろう。しかし、計算外の事が起きた。滅多に通らないトラックが通ったのだ。トラックドライバーは、道路にヘリを降ろして歩いていたスーツ姿の男にクラクションを鳴らしたのだが、それを聞いたグリソムは慌てた。彼はシェイを食品庫に押し込め、ネルソンに接客をするよう命じた。そこへダリルが入店した訳だ。

「あのFOKの若造が銃を乱射した時は、俺もこれで終わりかと思ったぜ。」

とネルソンがしんみりと言った。

「若造め、麻痺光線を浴びて手の指が言うことを聞かなくなって、銃の引き金を引いたまんまだったんだ。」

 その時、シェイがダリルの異変に気が付いた。

「ねぇ、父さん、大丈夫? 顔が真っ青よ・・・」
「これはいかん。」

 マイケルはダリルの止血帯が真っ赤になっているのを見た。出血が止まらない。端末でバイタルをチェックすると血圧が極端に下がっていた。救護班はまだか? と思った時、シェイがキッチンナイフを手に取った。

「私が弾を取り出すわ。ウサギを捌いたことがあるから、なんとかなるわ。」
「止せ、セイヤーズに触れるな。」

 その時、窓ガラスが振動し始めた。
 マイケルは窓に駆け寄り、遺伝子管理局ローズタウン支局のヘリが降下してくるのを見た。




2017年1月9日月曜日

誘拐 33

 マイケル・ゴールドスミス・ドーマーは建物の中に入った。中はメチャクチャに破壊されていた。ガラスや陶器と言った割れ物類が悉く割れていた。天井の照明も破壊され、壁や天井に無数の弾痕があった。マイケルがセイヤーズの名を呼ぶと、奥の部屋で返事があった。マイケルはガラス等の破片を踏みつけぬよう用心深く歩いてカウンターの向こう側へ入った。
 カウンター奥に男が1人倒れていた。服装からしてドーマーではない。マイケルは端末を向けて、男が生存していることを確認した。近寄って、見たところ怪我はない、と判断した。瞬きをしたので、麻痺光線で撃たれたのだな、とわかった。麻痺して倒れていたので、銃の乱射から逃れたのだ。撃ったのはセイヤーズだ。だから、こいつは「敵」だ。
マイケルはその男に「そこで寝てろ」と言い置いて、厨房に入った。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはテーブルの向こうで蹲っていた。

「無事か?」
「無事とは言い難い。」

 ダリルの右ふくらはぎから出血していた。ダリルは自身のシャツを裂いて止血帯を作っている最中だった。

「撃たれたのか?」
「弾が跳ね回って、当たったのだ。想定外だ。」

 マイケルはニュカネンに電話を掛けた。

「ニュカネン、ヘリは来たか?」
「今到着した。これから乗るところだ。」
「あんたは来なくても良いから、救護班を寄越せ。セイヤーズが撃たれた。」
「ぬぁにぃいいい!」

 ニュカネンは電話を切った。マイケルは「礼儀を知らん男だ」とぶつくさ言いながら端末を仕舞った。

「一体何があったんだ?」
「FOKのニコライ・グリソムと撃ち合いになった。向こうが自動小銃を出して来たので、鏡の反射を使って光線銃を撃ったら、光線がカウンターの上にあったガラス容器に当たって乱反射した。それでグリソムの野郎がパニックに陥って銃を乱射しながら逃げたんだ。まだ外にいる可能性がある。」
「そいつなら、トラックに閉じ込めた。」

 マイケルは時計を見た。

「そろそろトラックに当てた光子弾の電力が消える頃だ。一発麻痺光線をお見舞いしてくるから、君は動くな。」

 5分後にマイケルが厨房に戻って来ると、ダリルは床を這って奥の小さなドアに向かって移動しようとしていた。

「動くなと言ったろうが!言うことを聞かんドーマーだ。」
「あのドアの向こうで音がしたんだよ。」

 それで、マイケルはヘリの生体センサーで見た画像を思い出した。

「しまった、4人目を忘れていた!」
「4人目?」

 ダリルが驚いた。

「この家の中に、4人いたのか?」
「生体センサーでは4人映っていた。」

 マイケルは麻痺光線銃を構えて、小さなドアのそばへ行った。誰かいるのか、と声を掛けたが返事はなかった。しかし、ドンドンと音が聞こえた。彼はダリルを振り返った。ダリルが頷いた。人が中に居る。
 マイケルがドアを開いた。彼は中を覗き、「おお!」と声を上げた。

「女だ! 女が縛られている!」

 彼はドアの中に入っていった。ダリルは彼が中に居た人物に優しく声を掛けるのを聞いていた。脚が猛烈に痛むが、4人目の人物が気になる。
 やがて女性の声が礼を言うのが聞こえ、マイケルが1人の女性を抱く様にしてドアの外へ誘導して出て来た。
 ダリルは彼女の顔を見て、息を呑んだ。モンタージュの顔にそっくりだ。

「シェイ?」

 名を呼ぶと、彼女はダリルに気が付いた。誰かしら?と言いたげに彼を見下ろして、そしてハッとした表情になった。彼女は、ダリルに呼びかけた。

「父さん? 貴方、ライサンダーの父さんね?」


誘拐 32

 静音ヘリの操縦士は、マイケル・ゴールドスミス・ドーマーと言った。彼はダリル・セイヤーズ・ドーマーをリトル・セーラムの道路に降ろした後、出張所にも支局にもドームにも戻らなかった。リトル・セーラムから少し離れた林の外れに着陸して、ダリルが呼ぶのを待っていた。出張所に戻って呼び出しを待つより合理的だと思ったのだ。ヘリの姿は藪や立ち木で道路からは見えなくなっていたが、ヘリからは木々の間から道路が見えた。
道路は寂れていて、ダリルが降りた直後に通過したトラック以外は1台も車は通らなかった。だから、マイケルは思ったのだ。

 遺伝子管理局が出かける様な案件がある場所とは思えない。

 彼がヘリのエンジンを始動しようとした時、出張所のリュック・ニュカネン元ドーマーから電話が掛かってきた。

「ヘリコプター、今どこに居る?」

 マイケルはムッとした。自分の名前はヘリコプターではない。

「リトル・セーラムの近くの林の外れだ。」
「遺伝子管理局の男はまだ町に居るのか?」
「その様だな。」
「直ぐに迎えに行ってくれないか? 私も支局からヘリが到着次第、そちらに向かう。敵の罠の可能性があるので、気をつけてくれ。」
「了解。」
「セイヤーズは撃ち合いをしている様子だ。」
「それを先に言え!」

 マイケルは電話を切ると、エンジンを始動させた。ヘリは静かに上昇し、1分もたたないうちにリトル・セーラムの上空に到達した。上空から見渡す限り、町に接近してくる車はいない。
 マイケルは生体センサーで道路の両側の家並みを探査した。一軒の建物の中に、人間と思える生体反応が4体検知された。

 1対3か・・・厄介だな。

 すると、件の建物の道路に面した窓が青白く光った。

 爆発か?

 マイケルはヘリを建物の上から向かいの並びの上空へ移動させた。建物内の光はすぐ収まった。ドアが内側から押し開けられ、1人の男が転がり出て来た。セイヤーズではない。片手に自動小銃を持っていた。マイケルは高度を上げた。男がヘリに気が付いて銃を向けたからだ。

 そこからじゃ、届かないぜ。

 男は走り出した。動きがぎこちないのは、怪我でもしているのだろうか。エネルギースタンドに駐まっているトラックに走り、乗り込もうとした。
 マイケルは、その男を逃がしてはいけないと感じた。トラックが動く前に足止めしなければ。静音ヘリには、地球人が使うヘリには搭載されていない武器が装備されていた。
マイケルは、照準を定め、スイッチを押した。
 ヘリから光の球体が発射され、トラックに撃ち込まれた。トラックの車体が青白い光の網に包まれた。火花と白煙がトラックのエンジンルームから上がった。
 走行不能となったトラックから、男が出ようとしてドアを開けた。マイケルはヘリの操縦席で呟いた。

「馬鹿、出るな、痺れるぞ。」

 男は手に強烈な痛みを覚え、車内に戻った。
 マイケルは少し旋回して、道路に着陸した。エンジンを止め、機外に出ると、トラックを眺め、それから男が出て来た建物を見た。ドライブインの様だ。彼は遺伝子管理局の男を呼んでみた。

「セイヤーズ、生きているのか?」

 返事があった。

「生きている。ちょっと問題があって、歩けないんだ。」



2017年1月8日日曜日

誘拐 31

「私が女を生めるかどうかなんて、君に何の関係があるんだ?」
「ダウン教授と手を結んだ時は、おまえを捕まえるのが条件だった。あの婆さん教授は、女のクローンが欲しいからな。イケメンのおまえだったら、クローンの父親に最適だと思ったんだろう。」
「今、ここで罠を張って私を待っていたのは、どう言う了見からだ? 私が来るとは限らないだろうが?」
「出張所のオッサンが来ると思ったんだ。あいつも元ドーマーだろ? アイツを人質に、警察に捕まったモア兄弟と交換してもらおうと思ったんだがな・・・おまえの方が価値がありそうだ。」
「警察は私の価値なんて知らないさ。それに人間の価値なんて、誰が上とか下とか、そんなんじゃない。」
「説教は要らねぇよ!」

 野球帽の男は戸口に体を晒し、銃を連射した。拳銃から自動小銃に変わっている。ダリルは配膳台の陰で身を縮めた。

「君はまだ子供だなぁ・・・」

 彼は相手の正体に思い当たった。

「16歳で医学博士になっても、人間としての器は未完成なんだ。髭を生やしても、大人になりきれていない。」

 相手の返答は再びの連射だった。ダリルは、何故自分は余計な口を利くのかなと後悔した。
 床の上には割れた食器が飛び散っていた。ダリルは後ろを見た。ドアが2つあった。大きい方は勝手口だが、そこ迄行くには、銃弾をかわして走らねばならない。それに、あの勝手口は開くのか?
 小さい方のドアは、隣室と言うより、倉庫の入り口の様だ。食品庫かワインセラーか?
中に避難しても、果たして身を守れるだろうか?

「ニコライ・グリソム!」

 ダリルは相手に呼びかけた。連射が止んだ。

「蜂の巣にされる前に、一つだけ教えてくれ。モア兄弟はトーラス野生動物保護団体ビルに捕まっていたドーマーに何の用があったのだ?」
「あいつら、喋らないのか?」
「口が無くなったみたいに黙秘している。」
「ふん! 頑張って黙る様な理由じゃない。クローンの死体を献体置き場に置いて部屋から出る時に、あのドーマーに顔を見られたそうだ。ただの口封じだ。トーラスの連中に罪をなすり付ける目的だったからな。FOKが置いたとトーラスに知られたくなかったのさ。」

 ダリルは、戸口の向こうのカウンターの上にガラス製の円筒容器が置かれていたことを思い出していた。何の容器かわからないが、空だったと思う。戸口横のこちら側の壁に鏡があった。

 この小説の作者は物理は赤点だったが、取り敢えず、やってみよう・・・

「出張所所長を人質にしてモア兄弟を取り返さなきゃならんとは、FOKも人材不足なんだな。」
「何を!」

 グリソムがまた撃ってきた。ダリルは斜め下から鏡を撃った。


2017年1月7日土曜日

誘拐 30

 ダリルは珈琲を淹れるちょび髭の手元を見ていた。珈琲は作り置きだから、ポットからカップに注ぐだけだ。奥の厨房は人の気配がない。

「1人でやってるのか?」

とダリルは尋ねた。ちょび髭が顔を上げて彼を見た。

「ここは初めてかい?」

と質問に質問で返してきた。

「この店も町も初めてだ。」

 ダリルは奥の席の男を横目で見た。野球帽を目深に被り、無精髭で顔を包んでいるが、若い男だ。

「機能していない充電スタンドで充電するふりをするトラックを見たのも初めてだ。」

 野球帽の男が端末の新聞を繰る手を止めた。と思ったら、片手を上着の下へ入れた。
 ダリルが銃を抜く方が早かった。彼は光線を発射し、野球帽の男は辛うじて身を躱し、スツールから転げ落ちながら拳銃を出した。
 ダリルはカウンターに手を突いて飛び越えた。ちょび髭が腰を抜かして転倒したのを、麻痺光線を浴びせて動けなくした。
 カウンターに拳銃の弾が撃ち込まれた。至近距離なので、腰板を貫通して弾丸が跳び込んで来た。ダリルは厨房へ退避した。
 大きな配膳台の裏に身を隠すと、野球帽の男がカウンターの内側に入って来るのが音でわかった。ダリルは戸口に威嚇射撃をした。地球人は麻痺光線と殺傷光線の区別がつかない。野球帽の男は厨房の外で足止めを食った。
 端末に電話が着信した。

 こんな時に誰だよ・・・

 画面を見ると、リュック・ニュカネンだ。ダリルは渋々出た。

「セイヤーズ・・・」
「ニュカネンだ。スカボロから伝言があるのに電話をしたら、ドームの内線に掛かったぞ。外の人間に教える番号は、外線だろうが!」
「リュック、今忙しいんだが・・・」
「君はいつでも忙しいだろうが! スカボロの伝言だ。リトル・セーラムは廃村で、誰も住んでいないとさ。食堂も営業していないと言っていた。君が行く必要はないそうだ。」

 野球帽の男が戸口から配膳台に向けて撃ってきた。銃声と配膳台の金属板に弾丸が当たる音が響いた。

「何の音だ?」

 とニュカネン。ダリルは正直に答えた。

「拳銃の発射音とテーブルへの着弾音。」

 堅物ニュカネンは、一言「成る程」と言って、電話を切った。
 ダリルが端末をポケットに仕舞うと、野球帽の男が声を掛けてきた。

「セイヤーズ、おまえがセイヤーズなんだな?」
「それがどうした?」
「いつも2人で行動しているんじゃないのか? 1人で来るとは思ってもみなかった。」

 ヒギンズのことを言っているのだろう。ダリルはスカボロからの伝言の内容を考えた。スカボロはガセネタを掴まされた。ダリルに告げた後、自身で調べてガセだと気が付いて、ニュカネンに電話してきた。ガセネタを流したヤツは、ヒギンズが来るのを待っていたのだ。セイヤーズ・ドーマーだと信じて。
 目的は誘拐か? それとも暗殺か?

「FOKか? 私の頭蓋骨の中に自分の脳を入れたいのか?」
「俺たちがそんな馬鹿なことを本気でやってると信じているのか?」
「ダウン教授は本気の様だが?」
「あの婆さんは可笑しいのさ。若い他人の体に脳を移植することが、若返りだと思っていやがる。金と施設を持っているから、ちょっと利用させてもらったがね。」
「では、君らの目的は何だ? 何の為にクローンを攫って殺している?」

 野球帽の男がふふふと笑った。

「ドーマー、β-エンドルフィンって知っているか?」
「脳内麻薬だな?」
「幸福感を得られる有り難い物質だ。」
「それを抽出する為に、子供を攫って殺したのか?」
「子供と言っても、たかがクローンじゃないか!」

 ダリルはカッとなって立ち上がった。殺傷能力のない麻痺光線を男に向かって連射した。
野球帽の男は壁の裏側に身を隠した。

「怒るなよ、ドーマー。おまえは殺しゃしないよ。女を生めるんだって? おまえ自身も女みたいに可愛い顔してるじゃないか。」

 殺さないと言いつつ、彼はダリルに向かって銃撃をした。
 ダリルはまた配膳台の裏に隠れた。
 敵は弾丸の予備を装備しているらしい。こっちは光線のエネルギーが後10時間・・・麻痺光線だけだと知られたら、拙い・・・。


誘拐 29

 セント・アイブス出張所所長リュック・ニュカネンは卓上テレビでミナ・アン・ダウン教授の保釈が認められたニュースを見ていた。教授とは彼がドームを出て出張所を構えて以来の長い付き合いだ。彼女はニュカネンがドーマーだと知ると急速に接近してきた。ニュカネンは堅物だ。女性に親切にされても嬉しくない。彼は妻を深く愛していたし、己が妻以外の女性に関心を持たれる容姿だとも思っていなかった。だから教授の接近は初めから胡散臭く感じていた。しかし遺伝子実験の許可申請に便宜を図って欲しいと言う類の接近だと思っていた。

 ドーマーを誘拐するなんて・・・クローンを創って自分の脳を若い肉体に移植するなんて・・・人間の考えることじゃない!

 もしかすると自分も狙われていたかも知れない、と想像すると気分が悪い。妻子に危害が及ぶ危険性も考えねばならない。ダウン教授夫妻には、監視を付けることにした。既に部下が拘置所へ出かけている。保釈されれば警護を理由についていくのだ。
 電話が掛かってきた。何気なく出ると、スカボロ刑事だった。

「所長、セイヤーズはあんたの所に来ているのかい?」

 この男はいつも無礼だ。ニュカネンは元ドーマーのプライドで一般警察を見下しているので、不快に思ったが、地元警察と仲良くしておくに越したことはない。
 彼はチラリと2階へ上がる階段を見た。

「ああ、来ているが?」

 2階には、セイヤーズに化けたロイ・ヒギンズ捜査官と、彼と組むことになったジョン・ケリー・ドーマーが居て、これからケン・ビューフォード判事に会いに行く打ち合わせをしていた。
 スカボロが尋ねた。

「まだそこに居るんだな?」
「ああ、居る。」
「良かった・・・」

 スカボロが安堵の声を出した。

「夕べの情報なんだが、ガセの可能性が高くなった。リトル・セーラムは2年前に廃村になっているんだ。食堂なんか誰も経営しちゃいねぇ。つまり、尋ね人の女もいないって訳だ。セイヤーズが行く必要はなくなったのさ。」

 ニュカネンはスカボロが言っている意味がわからなかったが、「わかった、伝えておく」と答えた。
 スカボロ刑事が話を終えて電話を切ると、ニュカネンは直ぐにドームに電話を掛けた。セイヤーズに掛けたのだが、先方が不在の場合、ドームのコンピュータは「登録代理人」に電話を廻す。そして第1登録代理人のレインも不在だったので、コンピュータは第2登録代理人に廻した。

「ワグナー・・・」

 気の好いクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが電話口に出た。ニュカネンは自身の端末を見てセイヤーズに掛けたことを確認して、相手が不在だと知った。

「セント・アイブス出張所のニュカネンだ。」
「先輩、おはようございます。」
「おはよう・・・セイヤーズは留守なのか?」
「ええ、早朝から出かけています。彼は直通番号に出ないのですか?」
「掛けたが、君に廻されたのだ。レインも留守だな?」
「彼は医療区に入院中です。10日は出て来ません。」
「10日・・・?」

 ニュカネンはハッとした。

「飽和を起こしたのか?」
「ええ・・・ドームの中で幸いでした。」
「全くだ・・・それで、セイヤーズは付き添っている訳ではないだろう? 何処へ行った? 直通番号に掛けられると都合が悪い場所か?」
「そんなはずはありませんが・・・先輩、ダリル兄は個人用と仕事用、どっちの番号を先輩に教えたんです?」
「仕事用だと思うが・・・」

 ニュカネンは今掛けている番号を読み上げた。「ああ」とクラウスが声を出した。

「それ、仕事用内線です。ドームの中にしか掛かりません。外線を教えましょうか? それとも僕から伝言しますか?」
「外線を教えてくれ。急ぐんだ。」

 ニュカネンはイライラした。ダリル・セイヤーズ・ドーマーには本当にいつもイラッとさせられる・・・。もっとも、ドーマーが持つ電話番号が1人4種類あることを失念していた自身にもイラッときていたのだが。



2017年1月6日金曜日

誘拐 28

 リトル・セーラムは戸数10ばかりの小さな集落だった。幹線道路が集落の真ん中を通っているので、エネルギーステーションと食堂が1軒ずつあるだけで、残りは空き家か農家だ。道路の両側は平坦な麦畑が広がっており、隣の村まで永遠に麦の海が続いている様だ。
 ヘリのパイロットは何処に着陸すべきか迷っていた。麦畑に着陸するのはたやすいが、それでは農家に迷惑を掛ける。第1、乗客のダリル・セイヤーズ・ドーマーが「元農夫」なので、麦を押し潰すと言う暴挙を許さなかった。

「だけど、空いてる場所がないんだよね。せめてグラウンドでもあれば良いのに・・・」
「道路に降りてくれ。私が降りたらすぐ出張所に帰れば良い。用事が済んだら、連絡するから。」
「あんたを1人にするなと言われているんですけどぉ?」
「それじゃ、ずっと上空を旋回していれば? 燃料が無くなっても知らないから。」

 つい意地悪を言ってしまってから、ダリルは航空免許取得が遠のくのを感じた。
パイロットは「遺伝子管理局の馬鹿野郎」と呟いて、ヘリを路上に降下させた。そしてダリルが降りると、さっさと飛び去って行った。
 服の埃を払ってから、ダリルは集落に向かって歩き始めた。身につけている装備は、麻痺光線銃と端末だけだ。しかしリトル・セーラムにそれ以上の武器が必要な危険が存在するとも思えなかった。
 遠くの麦畑でトラクターが作業しているのが見えた。刈り取りをしているのだな、とダリルは思った。昨年の今頃は彼も山の家の畑で仕事をしていたのだ。後ろにはライサンダーがいて、しっかり働いてくれていた。幸せだった。今の境遇が不幸だとは思わないが、山の家の生活ほどの楽しさがあるかと言えば、答えに窮する。

 維持班の園芸課に転属しようかな・・・

 しかし、園芸課に入ってもライサンダーはいない。ダリルは頭を振って、弱気を振り払った。
 集落の入り口に到着した。トラックが一台、クラクションを鳴らして彼を追い越したが、集落には停まらずに走り抜けて行った。
 集落は静かだった。ダリルは家々の玄関口のステップに砂埃が積もっているのに気が付いた。誰も住んでいないのか?
 エネルギーステーションには1台のトラックが居て、充電中だった。店の人は姿が見えない。セルフスタンドなので、機械任せなのだろう・・・一旦前を通り過ぎてから、彼は足を止めた。充電器は動いているのか?
 振り返ると、機械は全てのライトが消えており、デジタル表示の料金表は真っ暗だ。トラックは何をしているのだ?
 ダリルは銃のグリップに手を掛けながらトラックに近づいた。外から運転席の中は見えない。彼はドアをノックしてみた。応答がなかったので、ドアを開けてみると、あっさり開いた。中は空だった。空だが、生活の痕はある。数時間前迄誰かが乗っていたのだ。
 ダリルは道路を見て、スタンドの隣の家を見た。その家がどうやら食堂らしく、中で灯りが点っていた。窓越しに人が座っているのが見えた。入り口の上に看板が掲げられており、「ダニーのダイニング」と書かれていた。
 集落の中で、唯一人の気配がある建物だ。
 トラックの運転手は食堂にいるのだろうか? しかし、死んだ機械に充電ケーブルを繋いで何をしてるのだ?
 ダリルは上着で銃を隠し、「ダニーのダイニング」の入り口に近づいた。木製のスイングドアを開いて中に入ると、10席ばかりのカウンターとテーブルが3セットの細長い店舗だった。レトロな内装で、黒光するカウンターの向こうにグラスや酒のボトルの棚があり、ちょび髭の丸顔の中年男が1人、皿を拭いていた。奥のカウンター席に男が1人、珈琲カップを前に置いて端末で新聞を読んでいた。

 女性は奥の厨房か?

ちょび髭がダリルの入店に気が付いて顔を向けた。

「いらっしゃい、食事ですか?」
「珈琲を一つ・・・」

 ダリルは入り口に近いカウンター席に座った。




2017年1月4日水曜日

誘拐 27

 ダリルがポール・レイン・ドーマーの体調異変を報告すると、ローガン・ハイネ・ドーマー局長は大して驚かなかった。来るべき時が来たと言う顔で、頷いただけだ。

「普通は50代後半に飽和を起こす局員が大半だ。レインはこの18年間、無理に注射を打ち続けたから、40そこそこで飽和を起こした。」
「私のせいです・・・」

 ダリルがうなだれると、局長はちょっと笑った。

「誰も君を責めたりしない、セイヤーズ。飽和は遺伝子管理局の人間なら必ず経験する。早いか遅いかの違いだし、若いうちにやっておく方が体の負担が小さくて済む。ワグナーの様に『通過』を20代のうちに進んで済ませてしまう者もいる程だ。
 レインは退院したら、今まで以上に仕事に精を出すかも知れない。行き過ぎがない様に、君がしっかり見張ってセイブしてやってくれ。」
「わかりました。」
「レインが入院中は、副官のワグナーにチーフ代行を命じる。2週間程度だから、ワグナー個人の仕事に大した影響は出ないはずだし、君も助けてやれるだろう?」
「それなんですが・・・」

 ダリルは躊躇ってから、思い切ってシェイの捜索に出たいと申し出た。スカボロ刑事とのやりとりとジェリー・パーカー達の話をすると、局長は反対するだろうと言う予想を裏切り、意外なことに考え込んだ。

「そのシェイと言う女性は、コロニー人だったな?」
「はい、赤ん坊の時に誰かに売り飛ばされたと思われると、聞きました。」
「彼女の卵子を使ってラムゼイはクローンを製造していたのだな?」
「そうです。だから、ラムゼイのクローンは高品質で高値で売れたのです。」
「君の息子も?」
「ええ・・・」
「君とパーカーのクローンも複数?」
「そうです。」
「その子供達の何人かは、既に成人する頃だな?」
「そのはずです。」
「地球人として表舞台で生活する為には、成人登録は欠かせない。違法クローンでも、必ず成人登録申請をしてくる。彼等が表社会で堂々と活躍したいならば・・・」

 局長は何を言いたいのか、ダリルは黙って彼の次の言葉を待った。

「ラムゼイのクローンを購入したのは、富豪ばかりだ。彼等の子供達は親の財産を相続し、事業を引き継ぐ為に必ず成人登録をする。」
「私がわからないのは、富豪達は女性を得られる権利を持つのに、何故クローンを発注するのか、と言うことです。」
「話の腰を折るな。」
「すみません・・・」
「金持ちがクローンを欲しがるのは、純粋な己の血統を残したいが為だ。」
「成る程・・・」
「話を戻して良いか?」
「はい・・・」
「君が言う通り、富豪には妻との間の子供もいるし、他のメーカーに手によるクローンもいるはずだ。だから、ラムゼイのクローンの特定をする為には、ジェネシスの卵子情報が必要だ。父親の特定はほぼ可能だが、母親の特定もしておきたい。何故なら、そのシェイと言う女性の卵子を使ったクローンは、女性を生める可能性が高いからだ。
 もしシェイの『子供』が登録を申請してくれば、その生殖細胞を少々戴いて女性を生む研究に役立てられる。」

 局長はダリルを見据えた。

「シェイを保護しなければならない。しかし、君が確認に行く、と言うのは、どう言う根拠からだ?」
「連邦捜査局が捕まえている証人達の協力が得られそうにないからです。それに、もし件の女性がシェイなら、当局が接触すれば逃亡するかも知れません。私は、息子と似ています。シェイが私の息子を覚えていたら、会ってくれるかも知れません。」
「あかの他人だったら?」
「私は手ぶらで即刻帰って来ます。」

 局長は1分ほど考えてから、時計を見た。

「そのセント・アイブスの刑事に今、連絡を取れるか?」
「出来ます。」
「女性が働いていると言う食堂の具体的な場所を聞け。」



2017年1月3日火曜日

誘拐 26

 「やぁ、元気にしてるか?」と挨拶して、スカボロ刑事はすぐに用件に入った。世間話をして時間を取ると、ドームの交換機に一方的に切られた経験があるからだ。

「ラムゼイが雇っていたコックの行方を捜していただろう?」
「シェイと言う女性だ。彼女の消息がわかったのか?」

 シェイの名を聞いて、ジェリー・パーカーとJJが聞き耳を立てた。

「写真がないのではっきりとは言えないが、モンタージュの顔に似た女性を見つけた。リトル・セーラムと言う小さな町の食堂で働いている女なんだが・・・」
「食堂で働いている?」

 ダリルは地図を頭に思い浮かべてみたが、リトル・セーラムと言う町は彼の記憶の中には存在しなかった。

「リトル・セーラムはうちの署の管轄じゃないんだ。うちの管内で配っていたポスターを見たトラック運転手からの情報なので、ガセの可能性もある。」
「誰も確認に行っていないのか?」
「コックの女本人に会ったことがある人間がいないんだよ。誰が確認するよ?」
「捕まえたラムゼイの手下に確認させられないのか?」
「連中はみんな公判待ちでローズタウンにいる。連れ出すには、連邦捜査局の許可を取らなきゃならん。不確かな情報だし、コックの女は指名手配されている訳じゃない。只の行方不明者扱いだ。連邦捜査局には無視されるに決まってるさ。」
「わかった。遺伝子管理局にその情報を伝えておくよ。連絡を有り難う。」

 ダリルが電話を切ると、JJが尋ねた。

「シェイは無事なの?」
「まだシェイなのか、別の人なのか、わからないんだ。」

 ダリルはジェリーに向き直った。

「シェイがリトル・セーラムと言う町の食堂で働いている可能性はあるか? 私はラムゼイが彼女をトーラスの誰かに預けたままになっていると思っているのだが・・・?」

 ジェリーは考え込んだ。

「台所仕事はシェイの命だからな・・・食堂で働いていても俺は驚かない。だが、誰が来るかわからない町中の食堂に彼女がいるとは信じがたい・・・博士はジェネシスの彼女を大切にしていたから。」
 
 こんな時、ポールだったらどうするだろう? ダリルはこんな時にぶっ倒れた親友を恨めしく思った。シェイは、ラムゼイのクローン製造に重要な役割を果たした女性であり、卵子提供者としてライサンダーの母親でもあるのだ。ドームは彼女をどう評価しているのだろうか。

「もし、私がその食堂で働いている女性に会って、端末の映像電話で君達と彼女を面会させたら、彼女がシェイなのかどうか、わかるだろうか?」
「その女がシェイなら、俺のことはすぐわかるはずだ。」

 ジェリーが自信たっぷりに言った。JJは

「私は彼女の顔を知っている。でも塩基配列は実際に見ないと見えない。」

と言った。それからジェリーとJJは同じ心配をした。

「外に出られるのか、セイヤーズ?」
「ダリル父さん、外出は駄目なんじゃない?」




誘拐 25

  ポールの治療に関して素人が口をはさむ余地はなく、ダリルはJJを宥め、慰めるしかすることがなかった。JJはやっと落ち着きを取り戻し、ポールが倒れた時の状況を話してくれた。彼女は彼が珍しく研究室まで来てくれたので、嬉しくて彼の様子がおかしいことに気が付かなかったと悔やんでいた。部屋の入り口で今夜の予定はなどと他愛ない会話を始めてすぐに彼の呂律が回らなくなり、いきなり足許から崩れるように倒れたと言う。
 当時室内に居たのは、JJとメイとジェリー・パーカーの3人だった。ジェリーがすぐに緊急コールのスイッチを押し、ポールを抱えてテーブルの上に寝かせ、メイがバイタルチェックを行った。その間にJJはダリルに電話をしたのだ。
 医療区が隣で、場所が中央研究所と言うのが幸いして、ポールはすぐに医療区に運ばれた。医師は彼の症状を見て、すぐに原因がわかった。メイに一言「飽和だ」と告げ、彼女達を病室から追い出した。そこへダリルが駆けつけた訳だ。
 JJを慰め、運動着のままで夕食迄付き合った。ジェリー・パーカーも一緒だ。ドーマーってのは厄介な生き物だなぁと彼の冗談めいた言葉で、ダリルもやっと笑う余裕が出来た。

「レインは髪を伸ばし始めたら、ライサンダーによく似てきたなぁ。」

とジェリーが感想を言った。ダリルは頷いた。

「私も、あそこまで似て見えるなんて思わなかった。息子は私の方に似ていると思っていたんだが・・・」
「ぱっと見はおまえ、じっくり見ればレインさ。」

そして、ジェリーは顔をダリルに近づけて、声を低くして尋ねた。

「レインは大統領にも似ているよな?」

 ああ、やはり気が付いたか、とダリルは心の中で呟いた。ここで嘘をついても仕方が無い。それにジェリーは、ハロルド・フラネリーが政権の座にいる間は決してドームから外に出られないだろう。
 ダリルは意を決して言った。

「君は口が固いから、打ち明けるが、ポールの父親はポールと言う名前だ。ラムゼイからドーマーの名前のルールを聞いたことがあるだろう?」
「ある・・・ああ、それで博士がアイツを捕まえた本当の理由がわかった。」
 
 ジェリーが納得がいったと、大きく首を振った。

「大統領に対する人質にしたかったのか・・・身の安全を図る取引材料になるものなぁ・・・」
「私は時々ポールが可哀想に思える。彼はドームからもメーカーからも取引のネタにされるのだから。」

 ジェリーがダリルを眺めた。

「おまえはどこかのお坊ちゃんじゃないのか?」
「私? さて・・・私はどこの生まれなのか、全く知らないんだ。知る必要がないし、知りたいとも思わない。ポールと違って、親も私の存在を知らない。多分、女の子と取り替えられたはずだし、その娘はもう良い小母さんになっている年齢だ。今更肉親の消息を聞いても懐かしさも何も感じないよ。」
「そうかなぁ・・・人間って、案外産みの親の存在を知ったら、爺さん婆さんになっても会いたいと思う動物だぜ。」

 ジェリーは自分で自分の言葉に納得して頷いた。

「映画やドラマじゃ、そうなっている。」

 そう言うジェリーには親はいないのだ。彼は古代人の遺体から生まれたクローンだから。 だから、ダリルはこう言った。

「ドーマーはそんな考えを持たない様に、赤ん坊の時から教育されるんだよ。」

 その時、彼の端末に電話が着信した。画面を見ると、驚いたことに、セント・アイブス警察のスカボロ刑事からだった。




誘拐 24

 その日の午後、事務仕事を終えたダリルとポールはいつもの様にジムへ行った。それぞれ好きなトレーニングをしていたが、ダリルがふと見ると、ポールは運動を中断してベンチで休んでいた。

「なんだ、もう息が上がったのか?」
「なに、気分が乗らないだけだ。」

 と彼は言ったが、ダリルは敏感に彼の表情が冴えないことを見て取った。体調がすぐれないんだ、とわかったが、意地っ張りのポールにそれを認めさせるのは難しい。

「夕べ遅くまで外に居たから、疲れが残っているんだろう。アパートで夕食迄休めよ。君さえ良ければ、私が料理を作ってもかまわない。」

 しかし、ポールは端末を見るふりをして、JJの所へちょっと行ってくる、と言って立ち上がった。JJがデートの誘いをメールして来るのは大抵夕方だ。彼女は新しいプログラムの構築で忙しい。昼間は真面目に仕事をしているのだ。ダリルはポールが嘘をついたことを知っていたが、黙って行かせた。行き先が中央研究所ならば、隣は医療区だ。それに、夜間業務に就くファンクラブのメンバーが2,3人、ポールを見つけてついて行くのが見えた。ドームの中のポール・レイン・ドーマーは常に監視され警護されているも同然だった。
 それから1時間ばかりダリルが運動をした後、ジムの休憩所で水分補給していると、端末の緊急信号が点滅した。上司からの呼び出しかと思って画面を見ると、JJからだった。

「どうした、JJ?」

 すると電話の向こうでJJの翻訳機の声が叫んだ。

「ダリル父さん、早く来て! Pちゃんが大変なの!!!」

 機械の声が割れて聞き取りにくかったが、少女は確かにそう言った。
 ダリルは水のボトルをカウンターに置くと、運動着のままジムから飛びだした。

 ドームの中を全力疾走する人間など滅多にいない。たまに事故が起きて救護班か保安課が走る程度だし、彼等は本当の緊急時にはコロニーの低空飛行艇を使う。ダリルが駆け抜けると、人々は驚いて立ち止まり、彼を見送った。
 中央研究所の前でダリルは立ち止まった。息を弾ませながら、JJに電話を掛けた。

「JJ、今何処だ? 君の研究室か?」
「医療区よ!」

 また走った。医療区の入り口に駆け込むと、すぐ保安課に捕まった。ダリルは大声を出すまいと努力しながらも抵抗しながら尋ねた。

「ポール・レイン・ドーマーは何処だ?」
「落ち着いて・・・」

 保安課は彼が来るのを見越していた様だ。

「すぐ執政官が来る。ロビーで待っていろ!」

 ダリルは周囲を見回した。外の世界の病院と違って患者が歩き回っていると言う訳ではないが、スタッフ達がこちらを見ているのが目に入った。慌ただしい様子はなさそうだ。
ダリルは体の力を抜き、保安課の手から解放された。
 奥からJJと彼女が仲良くしているメイと言う女性執政官が現れた。JJはダリルを見つけると駆け寄って来た。彼に抱きつき、泣きだしたので、ダリルはメイを見た。メイがそばに来た。

「驚かせたみたいね。」

とメイがダリルに言った。

「JJが取り乱したので、私が貴方に連絡するのを忘れてしまったの。謝るわ。」
「レインが倒れたのですか?」
「ええ・・・抗原注射の飽和を起こしたのよ。」

 ああ、とダリルは納得した。もうそろそろだ、と長官も局長も言っていたのだ。

「本人はまだ大丈夫と自分に言い聞かせていたのね。JJに会って気分転換しようと思ったらしいわ。だけど、限界に来ていた・・・中央研究所の私達の研究室で意識が混濁してしまったの。」
「私は飽和の経験がありませんが・・・この後、どうなるのですか?」
「半日ほど寝ているでしょう。それから目覚めるとちょっと理性を失って暴れ始めます。」
「禁断症状ですか?」
「そうですね・・・苦しいでしょうけど、3日ばかり耐えてもらわないと、これ以上薬は与えられませんから。ですから、彼を特別室に軟禁しました。薬剤が抜ける迄、面会謝絶です。抜けたら・・・」
「抜けたら?」
「『通過』をさせます。最低10日は、彼を仲間から隔離しますから・・・」

 メイはハイネ局長にも同じ説明をしなければならないと気が付いた。

「セイヤーズ・ドーマー、貴方からハイネ局長に連絡して戴けると助かるんですけど?」
「わかりました。」

 ダリルは、彼女に確認をしてみた。

「ケンウッド長官には連絡済みなのですね?」

 メイは「アッ」と口に手を当てた。

「忘れてた! 副長官にも言わなきゃ・・・」



2017年1月2日月曜日

誘拐 23

 翌日、朝からオフィスの通常業務に就いていたら、ハイネ局長からポールに呼び出しがかかった。ダリルにはお呼びがないので、「注射無しで外出したのでお小言じゃないか」とダリルがからかった。
 局長の用件は、当然ながら、大統領からもらった不穏分子リストの件だった。局員のパトリック・タン・ドーマー誘拐事件に関与が考えられるトーラス野生動物保護団体の会員を特定出来るが、そのリストに書かれている人物の中に名前があると言うのだった。

「この、ケイン・ビューフォードと言う判事だが・・・」
「トーラスの理事ですね。ラムゼイ殺害事件にも関係していると思われますが・・・」
「こいつはパトリックを暴行している。」
「・・・」

 ポールは局長を見つめた。ハイネ局長は、タンの体から採取された誘拐犯達の痕跡のDNA分析結果をテーブルの画像に出して、彼に見るように促した。

「パトリックは目隠しされていたので、相手の顔を見ていない。見ていたら、今頃は生きていなかっただろう。彼の体に残っていた犯人の体液が、ドームに登録されているDNAデータと一致した。ケイン・ビューフォードに間違いない。」
「しかし、当事者であるドームは警察に報告は出来ないのでしょう?」
「報告は出来る。裁判には使えないのだ。」

 局長は溜息をついた。

「君達はビューフォードがラムゼイから盗んだデータを押収した。ビューフォードはその報復の意味も込めて、誘拐したパトリックを陵辱したのだろう。この判事は厄介者だな。」
「大統領が、政府で対処すると言っていましたが?」
「裏で処分するのだな。」

 恐ろしいことをさらりとハイネ局長は言ってのけた。ドームの秘密を守ろうとすれば、公平な裁判で悪人を裁くのは困難だ。ドームはドーマーを証人に出したがらない。取り替え子の事実を公表する危険を冒せないし、女性誕生がなくなってしまった地球の真実を公表することは絶対に避けたい。だから、真実を知らされている歴代大統領は、ドームに裁判沙汰の事件が発生する気配があれば、早急に裏で手を打つ。ドームの公式記録には載せられないが、過去にも何度か同様の出来事があったのだ。
 100歳を越えるローガン・ハイネ・ドーマーにとって、これは「日常茶飯事」の出来事に過ぎなかった。
 ポール・レイン・ドーマーは局長を眺めた。白髪の美しい男性だ。顔には流石に皺が目立ってきたが、まだ充分魅力的な中年に見える。きちんと着こなしたスーツの下の肉体も鍛え上げられた筋肉と張りのある肌で若者達をも魅了する。

 ポール・フラネリーはこの人に憧れていたんだ・・・

 フラネリーはドーム維持班の庶務課だった。年齢もハイネより20歳は下だった。仕事の上では殆ど接点はなかっただろう。 きっと、食堂やジムで顔を合わせる程度の付き合いだったはずだ。しかし、白い髪のハイネは、緑の髪のフラネリーを魅了したのだ。
 そう言えば、とハイネ局長が思い出したように言った。

「君の父上が亡くなったそうだな。お悔やみ申し上げる。」
「有り難うございます。」

 ポールは試しに尋ねてみた。

「彼と何か接点はありましたか?」
「フラネリーと私が?」

 局長は考えた。考えなきゃいけないほど、稀薄な関係なんだ、とポールは思った。

「彼は私から見れば、親子ほどの差がある若いドーマーだったからなぁ・・・」

 ハイネは遠くを見る目になった。

「だが、よく覚えているさ。君は好きではないようだが、葉緑体毛髪の緑色に輝く綺麗な黒髪の若者だった。容姿も美しかった。君と同じで、当時のドームの中ではかなり人気が高かった。人当たりも良かったし、陽気な男で食堂ではいつも取り巻きを連れていたよ。
維持班であれだけ目立った男も珍しかった。だから、彼が外の世界の女性に心を奪われたとわかった時は、ドームの中に激震が走った。」

 彼は面白そうに笑った。

「私は、失恋して泣く若者達を大勢慰めるはめになったんだよ。フラネリーは全然気にしていなかったのに。」
「貴方とは個人的に接点はなかったのですね?」
「なかった。只、一つだけ・・・」

 ハイネは意味深な笑みを浮かべた。

「食堂などで私が彼がいる方向を見ると、どう言う訳か、必ず彼と目が合った。いつも彼の方が慌てて目を逸らしたがね。不思議だなと思っていたら、彼がある日、私の所へやって来た。」

 ポールはどきりとした。父親が告白でもしたのだろうか?

「彼は私に、結婚するので外に出されることになった、と告げた。自由との交換条件に子供を1人ドームに取り替え子で渡すことになったので、もしその子供が遺伝子管理局に入ることになったら、しっかり教育して欲しい、と言ったのだ。
 取り替え子の予約なんて、そう滅多にあることではない。だから私は彼に、子供は特殊な遺伝子を持って生まれてくるのかと尋ねた。彼は、子供は妻の遺伝子を受け継ぐはずだから、確実に特殊な能力を持って生まれてくる、と断言した。」

 ハイネ局長は、ポールに片眼を瞑って見せた。

「ドーマーは親子の情が稀薄だから、君にはピンとこないだろうが、フラネリーは彼なりに子供のことを気に掛けていた。最期に君に会えて、彼も喜んでいただろう。」
「ええ・・・」

 いいえ、違うんです、局長、親父は貴方の近況を知りたがっていたんですよ

 ポールは心の中でそっと言った。父親の片恋は、片恋のままで終わったのだ。



誘拐 22

 ドームに帰投すると日付が変わっていた。ケンウッド長官はまだ起きていて、ダリルとポールが帰還したら消毒が済むと直ぐに長官執務室へ来るようにとゲートに伝言が入っていた。それで2人は言いつけ通りに寄り道もせず、真っ直ぐ中央研究所に行った。
 入室すると、長官はまだコンピュータで仕事をしていた。この人は何時眠るのだろうとダリルはちょっと不思議に思った。

「お帰り」

と長官が顔を上げて言った。そしてポールには

「注射がなくても平気だったろう?」

と声を掛けた。ポールは「ええ」と曖昧に答えた。短時間なので雑菌に触れる時間が短かったのだ、と彼は思った。彼の表情が何時もと変わらないので、長官はダリルを見て、目で問いかけた。フラネリー家では何も変わったことはなかったのか、と。
 ダリルはヘリの中で受けたアメリア・ドッティからの連絡内容を告げた。

「23時07分にポール・フラネリー氏は逝去されました。」

 ケンウッド長官は頷き、ポールに向き直ると、「お悔やみ申し上げる」と挨拶した。ポールは何と答えれば良いのかわからず、取り敢えず「有り難うございます」と言った。長官が何も言わないので、それが正しかったのかどうかわからなかった。
 ケンウッド長官も、悲しみを見せないポールに何を言えば良いのか、わからないのだろう。それで、ダリルはドームに注意を払って欲しいと言う意味で、アーシュラにライサンダー・セイヤーズの存在がばれたことを告げた。

「アーシュラが、私達の息子の存在を知ってしまいました。恐らく、私がドッティ夫妻と子供の話をして間なしに、彼女が私に触れ、伝わってしまったのだと思います。アーシュラは動揺したと思いますが、その気配は微塵も見せませんでした。ですが、息子が違法製造のクローンだと知ってしまったはずです。」

 ポールがちょっと驚いた。彼は母にキスをされた時、父は彼を愛していたと伝えられ、少し困惑して、彼女がダリルに何を言ったのか気が付かなかったのだ。
 ケンウッド長官は、ダリルの報告をさほど深刻に受け止めなかった。彼は尋ねた。

「アーシュラは君達に何か、息子の件で言ったのかね?」
「一言、『孫をよろしく』と・・・」
「ああ、それなら、安心だ。」

と長官は言った。

「彼女は身内を困った立場に追い込んだりはしない。次男を盗られたと騒ぎはしたが、それも夫とドームに対して言い立てたに過ぎない。もっとも・・・」

 彼はダリルとポールを見比べて、ニヤリと笑った。

「次は孫に会わせろと騒ぐかも知れないがね。」

 ポールが少し赤くなった。彼の実家は、ドームを困らせる一族らしい。彼は真面目な話題を思い出した。ポケットから大統領から渡された紙を出した。

「長官、大統領が、ドームと現政府に反感を抱くグループのリストをくれました。ドームをコロニーからの侵略だと考える人々です。」
「ふむ・・・」

 ケンウッド長官はその紙を受け取った。不穏分子の存在は既に情報を得ていたのだろう、驚いた様子はなかったが、不愉快極まりない話題には違いない。

「政財界の実力者ばかりだな・・・」
「大統領は、我々の手出し無用と言っています。」

 長官が紙面から目を上げて、ポールを見た。

「地球人の問題は地球政府で解決すると言うのだな?」
「そうです。」
「我々はこれらの人々に繋がる人間に用心せよと言う忠告か。ゴメス少佐とハイネ局長に伝えておこう。」

 彼は溜息をついた。

「フラネリーがドームを出たのは46年前、当然のことながら、私も他の執政官も当時は誰もここにいなかった。だが当時のドーム長官は、フラネリーの政治に対する野心を知って、ドーマーから政治家を出せば何時かドームの為に役立つだろうと期待して、彼を外に出した。それが、彼の息子の代になって、ドームの内と外で連携して働いてくれていると解釈しても良いのかな。」

 ポールが苦笑した。

「しかし、上院議員や大統領に迄昇り詰めるとは予想していなかったでしょうね。」
「確かに・・・恐らく、アーシュラが大いに働いてくれたのだろうよ。」
「彼女は恐いです。」

とダリルが口をはさんだので、ケンウッド長官とポールは顔を見合わせ、笑った。

2017年1月1日日曜日

誘拐 21

 帰りのヘリコプターの中で大統領から渡された紙を開くと、そこには20数名の氏名がリストアップされていた。モスコヴィッツ以下トーラス野生動物保護団体のメンバー5名と、上院議員3名、下院議員4名、その他の政府高官3名、財界人6名・・・。
 ダリルが尋ねた。

「FOK関係の人間か?」
「否、もっと質が悪い。」

 ポールが苦々しげに言った。

「現政府とドームに反感を抱いている連中だ。つまり・・・」

 彼はダリルを見た。

「ラムゼイを殺した連中だ。」
「大統領が調査したのか?」
「大統領と母親の2人で調べたそうだ。」

 他人の手に触れれば相手の感情や思考が読める便利な能力を持った母子だ。

「ラムゼイは遺伝子法や宇宙での法律に違反して、古代人の遺体からクローンを創り、ドームを放逐された。連中は彼がドームを憎んでいると考えた。だから彼を援助していたんだが、遺伝子管理局に彼が追い詰められると、あっさり切り捨てたんだ。
 このリストに書かれている連中は、コロニー人がドームを使って地球を支配していると思い込んでいる。何故子供を産むのにドームに行かなければならないのか、何故結婚や出産にドームの許可が必要なのか、彼等が疑問を持つのは当然だ。反感を抱いても無理はないと、俺は思う。ドームは完璧に秘密主義を貫いているからな。
 パトリック・タンの誘拐は、連中がドーマーからドームのマザーコンピュータへアクセスするパスワードを得ようと企んだものだ。ドームの宇宙技術を盗んで、対抗出来る兵器でも造ろうと思ったのだろう。マザーにはそんな情報は入っていないのにな・・・。」
「FOKはこのリストに載っている連中とは関係ないのか?」
「ダウン博士がトーラスの理事にいるだろう? ミナ・アン・ダウン教授の配偶者だ。夫妻を通して繋がっているのかも知れないし、妻が夫を利用しているのかも知れない。」
「そのリスト、どうする?」
「連邦捜査局に渡すべきか、と訊いているのか?」
「渡さないのか?」

 ポールは大きく息を吐いた。

「君には言いたくなかったのだが・・・大統領は俺の手を握って、『任せておけ』と言ったんだ。」

 ダリルは考えた。政府の最高責任者が、政府に反感を持つ人間の処遇について、「任せておけ」と言った? 

「政府が、掃除をすると言う意味か?」

 ポールは「さあね」と言った。物騒な案件について、明言を避けたのだ。ダリルにも関わるなと言いたいらしい。ポールがはっきり物を言わない時は、用心しなければならない。

 

誘拐 20

 ポールが居間に戻ると、フラネリー家の家族が集まっていた。アーシュラとハロルド、フランシスの他に、ハロルドの妻と子供達、アメリアの兄弟と子供達だ。アーシュラの兄弟と思われる人々もいた。彼等は、ポール・フラネリーが今際の際に呼んだ遺伝子管理局の人間が何者なのか知らない。ポールは他人として挨拶した。

「貴重なお時間を任務の為に割いて戴き、有り難うございました。」
「父はお役に立てたでしょうか?」

とフランシスが上手くフォローしてくれた。

「ええ、大いに・・・」

 そこへ、ダリルがアメリアとアルバートのドッティ夫妻と戻って来た。ポールは一同に言った。

「どうぞ、フラネリー氏と最後の時をお過ごし下さい。我々はお暇します。お邪魔しました。」

 アーシュラがハロルドの背をそっと突いた。大統領は我に返った様に、「レイン君」と呼びかけた。

「ちょっと待っていてくれないか。」

そして家族には、父親の寝室へ行くよう促した。アーシュラが孫達を促し、義理の息子、娘を急かし、姪夫婦と彼女自身の兄弟を寝室へ向かわせた。
 フランシスがポールに駆け寄り、頬にキスをした。そしてダリルにもキスをすると、寝室へ向かった。アーシュラも同じく、ポールを軽く抱きしめて頬にキスをして、それからダリルにも挨拶程度に軽くキスをした。彼女はダリルに囁いた。

「孫をよろしく」

 ダリルはハッとして彼女を見たが、彼女は素早く身を翻して夫が待つ部屋へ足早に向かった。
 ハロルドが残ったので、ポールは「時間がありませんよ」と声を掛けた。ハロルドは頷くと、ポケットから折りたたんだ紙を出して、彼に差し出した。そしてポールの手にそれを押し込めると、両手でしっかりと包み込んだ。ポールが兄の目を見つめた。ハロルドが頷いた。

「有り難うございます。」

とポールが囁き、大統領は彼の手を離すと、ダリルの肩を軽く叩いて、寝室へ去って行った。
 居間には、ダリルとポールの2人だけが残った。

「困ったことになったぞ。」

とポールがダリルに言った。

「君もフラネリー家に入れられちまった・・・」
「びっくりしたよ。」

 ダリルは本心からそう言った。ライサンダーのことは隠し通せたと思っていたのに。ポールがニヤリと笑った。

「相手はお袋だからな。」

誘拐 19

 ダリルが書斎に行ってしまうと、ポールは少し心細くなった。実家は苦手だ。肉親と呼ばれる人々にどう対応して良いのかわからない。
 アーシュラもハロルドも彼の戸惑いを理解してるかの様に、彼に触れようとしなかった。

「良く来てくれた。」

とハロルドは微笑みで彼を迎え、妹に彼を父親の寝室へ案内するよう頼んだ。ポールはフランシスに導かれ、別荘の奥にあるポール・フラネリーの寝室へ行った。
 ドームでは、死に行く人の部屋に決してドーマーを入れない。葬儀も執政官達だけで死せるドーマーを見送るのが慣例になっている。研究の為に一生を捧げてくれた地球人に感謝を込めて送るのだ。
 ポールは入り口でちょっと躊躇った。生まれてくる人を迎えるのは慣れている。しかし、死が迫っている人は初めてだ。フランシスが先に入って、ベッドの際に行った。枕の上にある父親の顔に顔を近づけて囁いた。

「お父様、ポールが来ましたよ。」

 父には次男の名前がポールであることが、当たり前なのだ。元ドーマーだから・・・。
フランシスはポールを手招きして、彼がベッドに近づくと、入れ替わりに静かに退室して行った。ドアが閉まった。
 ポールはベッドの上の老人を見た。ポール・フラネリーは以前出会った時よりも小さく縮んで見えた。肌の艶はなく、皺は深くなり、色も褪せて見えた。しかし、息子を見上げて、微かに微笑んだ。
 ポールは何と声を掛けようかと途方に暮れた。どうしても、父と呼べない・・・
すると、ポール・フラネリーの方から囁きかけてきた。

「許して欲しい。」

 やはり、詫びだ・・・ポールは苦々しい思いだった。詫びられる様な不幸な目に遭った覚えはないと言おうと思った時、老人は更に続けた。

「ドームはアーシュラの能力が欲しかった・・・私が彼女を得る条件として、子供を1人寄越せと言われた。要求を呑めば、私に自由を与えると・・・」

  彼は1分ほど休憩した。ポールには長い1分だった。もしかして、もうこれ以上喋らないのでは? と疑った時、またポール・フラネリーは語り出した。

「私は最初の息子が出来た時、彼等に与えることを拒否した。もし、これっきり子供が出来なかったらと恐かった。」
「だから2番目の俺を与えたのですね?」

 ポールは相手のリズムに合わせるのが苦痛で、つい口をはさんだ。ポール・フラネリーが小さく、しかし、明らかに苦笑した。

「性急なところは私に似たなぁ・・・おまえはハロルドより力が強い・・・身籠もったアーシュラの様子を見て、ドームは私にはおまえを御するのは無理だと判断した。3人目は待てないとも、言った・・・。」

 ポールは早くこの場から去りたかった。だから、言った。

「俺はドーマーになれて幸せです。選ばれて感謝しています。」

 嘘は言っていない。ポールはじっと相手の目を見つめて、そう言い放った。

「お疲れでしょう。ご家族をお呼びしましょう。」

彼が背を向けた時、ポール・フラネリーが体を動かす気配がした。振り返ると、死にかけた老人が上体を起こそうともがいていた。何故こんな時に無理をするんだ? ポールは仕方が無くベッド際に戻り、父親に寝ていなさいと手を添えて押さえた。すると、ポール・フラネリーが彼の手を掴んだ。そして息子をびっくりさせた。

「教えてくれ・・・ローガン・ハイネ・ドーマーはまだ美しいかね?」

 父親の心の奥の声が聞こえてきた。

 憧れのハイネ、貴方だからこそ息子を託した・・・よくぞここまで立派に育ててくれた、有り難う!

 ポール・レイン・ドーマーは、ポール・フラネリー・元ドーマーに断言した。

「美しく、力強く、心から尊敬出来る人です。」

 やられたな、とポールは感じた。ポール・フラネリーは、息子に詫びるつもりなどなかったのだ。元ドーマーだから、ドーマーがドーマーとして選ばれたことを寧ろ誇りに思っていると信じている。詫びる必要などないのだ。ポール・フラネリーは、昔憧れて手が届かなかった先輩ドーマーの「今」を知りたかった、それだけだ。

 政治屋め・・・この期に及んで、てめぇのアイドルを気にするのか!

 何故かそんなちゃっかり屋の父親が愛おしくなって、ポールは額にそっとキスをしてやった。ポール・フラネリーが微笑んだ。

「ドームにお帰り・・・ドーマーよ・・・」