2021年4月29日木曜日

狂おしき一日 La Folle journée 20

  その日の夕方、ドームの2箇所ある食堂と出産管理区の食堂に美しいピアノの調べが流れた。図書館の音楽室で演奏された曲が放送で流されたのだ。

「ショシャナ・パーシバルの演奏だ。」

とヤマザキ・ケンタロウがチキンの香草焼きを一口大に切り分けながら言った。ケンウッドは耳を澄ませてみたが、演奏者の判別までは出来なかったので、尋ねた。

「音源を知っているのかね?」
「知っているとは?」
「ラベルを見たとか?」
「まさか。」

 ショシャナ・パーシバルの後援会会長でもあるヤマザキがニヤリと笑った。

「あの子の演奏だけは聞き分け出来るんだ。オモチャのピアノを弾き始めた頃から、彼女の演奏を聞いてきたんだからね。」
「ファンの鑑だな。」

 そこへダリル・セイヤーズが息子ライサンダーと孫のルシア・ポーレット、そして恋人ポール・レインの取り替え子の妹フランシス・フラネリーを連れて現れた。ケンウッドとヤマザキは立ち上がって女性達を迎えた。

「お招き、有り難うございます。クララ・ボーマンに代わってお礼申し上げます。」

 フランシスがケンウッドに挨拶した。ケンウッドも来てくれた礼を述べた。ヤマザキも挨拶してから、無遠慮に言った。

「貴女がこちらの一般食堂に来られるとは予想しませんでしたよ。」

 フランシスがニッコリした。

「あちらの食堂の壁の仕組みを教えられたので、見られる側として考えたら愉快ではないと思いました。それでこちらに来ました。ダリルもこちらの方が面白いと言うので。」
「確かに、こちらは仕事抜きで食事が出来ますからね。」

 ケンウッドは幼いルシア・ポーレットにヤァと声をかけた。ルシアは恥ずかしがって父親の後ろに半分隠れて彼を見た。しかし顔は笑っていた。
 セイヤーズ一家とフランシスが空いているテーブルに向かって歩き去ると、ケンウッドとヤマザキは再び着席した。ヤマザキが好奇心で質問した。

「独身最後の夜はどうするつもりだい?」
「静かに眠るつもりさ。飲み会はなしだ。」
「確かに、今日は君も僕も明日の休みに備えて忙しかったからな。ところで、ハイネはどこに行ったんだ?」
「私にも行き先を教えてくれていないんだ。ドームの外には出ていない。彼は外出時に私の許可を必要とするドーマーグループの一人だからね。」

 そこへ司厨長のピート・オブライアンが通りかかった。彼が食事時の繁忙期に食堂から出かけるのは珍しかったので、ヤマザキが声をかけた。

「ピート、持ち場を離れるなんて珍しいな。どこか体調が悪かったのか?」

 医者らしい質問に、オブライアンが振り返った。

「いいえ、僕は元気ですよ。ちょっとデリバリーで出かけていたんです。」
「デリバリー?」
「ローガン・ハイネに呼ばれたんですよ。夕食2人前を図書館のロビーに届けろとね。あそこは飲食が許可されているから。」

 ケンウッドが不審そうな表情で声をかけた。

「ハイネは何をしているんだ?」
「さぁ・・・」

 オブライアンが首を傾げた。

「だけど、美女と一緒でしたよ。ほら、火星のピアニストの・・・」
「ショシャナ・パーシバルか?」

 ヤマザキがびっくりして尋ねた。

「もしや、あれは本人が弾いていたのか?」

 まだピアノの曲は放送中だった。生演奏ではなく、音楽室で「弾きたて」の曲を時間差をつけて流しているのだ。そのカラクリに気がついたヤマザキは、ハイネの企みを悟った。
オブライアンはちょっとうっとりとした表情でピアノ曲を聞く素ぶりを見せた。

「ドームの中の人々の為に有名ピアニストが演奏してくれているんですよ、ドクター。僕等役得です。ローガン・ハイネも粋な図らいをしてくださったもんだ。」

 オブライアンは厨房へ戻って行った。ケンウッドはヤマザキを見た。

「ドーマー達にピアノを聞かせる為に、ハイネは昼前からショシャナを音楽室に連れ込んだのか?」
「違うだろう。」

 ヤマザキは笑った。

「それだけなら、時間はかけないさ。シャナはこの程度の演奏ならリハなしでも弾ける。練習が必要なのは、ギターリストの方だよ。」



狂おしき一日 La Folle journée 19

  入国審査の前後に必ず宇宙から来た人々から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。重力を感じて、自分の体が重たくなったと言葉に出してしまうのだ。初めて地球に降り立ったパーシバル一族もクリストファーもロナルドの家族も、みんな自分たちがいきなり太ったのではないかと体を見てしまった。中には自分が平らになっていないか見てくれ、と言う人がいて、みんなの笑いを誘った。この賑やかさは他の旅行者も同じだったので、彼等が特別目立つことはなかったが、1箇所に固まっていたので、団体旅行のグループだなと言う目で見られた。
 シュリー・セッパーは両親を見つけると駆け寄った。挨拶のハグをしてそれから親戚一同に向かって言った。

「来てくださって有り難う。一人一人へのご挨拶は明日のお楽しみに取っておいてね。ここで始めたら、いつ終わるかわからないから。」

 温かな笑い声が返事だった。月の宇宙港で合流していた弟のローガンが一行に声をかけた。

「まずホテルにチュックインして、荷解きだよ。」

 彼等はホテルの入り口に向かって歩き始めた。荷物は既にホテルへ運ばれている。シュリーは母親の隣に並んで歩いた。

「やっぱりドレスを着なきゃ駄目?」
「着て欲しいわ。」
「着せ替え人形じゃないのよ。」
「伝統的な結婚式を、局長に見せたいの。」

 母の言葉に、シュリーは口を閉じた。多分、ローガン・ハイネはテレビや映画で十分に伝統的な結婚式や葬式やその他の地球上の伝統的儀式を見ている筈だ。ドーマー達は決して物知らずではない。それはケンウッドがサンダーハウスに同行させて来るドーマー達と話をすればわかる。彼等は自身が体験したことがないだけだ。ただ、ハイネとマーサ・セドウィックは結婚した訳ではなかった。ハイネとアイダ・サヤカも式を挙げられなかった。キーラとヘンリー・パーシバルの結婚式は月で挙げられたので、ドーマー達は後日映像で見ただけだ。キーラはハイネと参列する若いドーマーに本物の結婚式を見せて参加させたいのだ。

「わかったわ。でも堅苦しいのはなしよ。」

 パーシバルが質問した。

「お前の学生時代の友達は呼んでいないのかい?」
「地球旅行はまだ一般の人には高い旅行なのよ、パパ。友達には重力休暇で帰る時に集まって報告するの。」

 パーシバルは自身の一族が富裕層だとは思わなかったが、今回の地球旅行が滅多にないチャンスだとみんながはりこんだ事実を娘に告げるつもりはなかった。親戚達は明日のパーティーが終わったら、それぞれ希望した土地へ観光に出かけるのだ。それはロナルドの一家も同じだ。こちらの家族は思い切ってヨーロッパへ足を延ばすのだ。

「新婚旅行はアパートに籠るんだってさ。」

とローガンがからかい口調で言った。シュリーがムッとして彼を横目で睨んだ。

「家の中を整理するのよ。これから週末に2人で過ごす家をきちんと準備しておかないとね。」

 平日はそれぞれの職場で暮らす。キーラはそれぞれの仕事を手放せない新婚夫婦を気遣った。

「ニコは仕事を忘れて週末を過ごせるかしら。」

 ケンウッドが過去に2度婚約破棄に至った経緯を以前聞いたことがある。彼と恋人達がそれぞれの仕事に対する情熱についていけなくなって別れたのだ。パーシバルが妻の心配を笑った。

「大丈夫さ、シュリーは地球を愛している。ニコと気が合うんだ。」
「パパとママもだろ? でなきゃ、パパはママを扱いきれないよ。」

とローガンがまたからかった。それ、どう言う意味?とキーラが息子を突いた。
 ホテルのフロントはごった返していた。宇宙からだけでなく地球各所から航空機が到着すると宿泊客が集まるからだ。予てからの打ち合わせ通り、パーシバル達は家族単位で受付を済ませ、銘々部屋へ向かった。ホストとしてパーシバルとキーラは一族が全員無事に部屋へ入る迄ロビーに残り、娘に他の招待客の到着状況を確認した。ドームから来る人々以外は全員無事にホテルに到着したようだ。

「ポール・レインは明日の朝到着なんだね?」

 パーシバルの確認に、シュリーが嬉しそうに頷いた。

「ええ、パパのアイドルにやっと面会出来るのよ! 今からとっても楽しみ。」
「画像で見たけど・・・」

とローガンがチャチャを入れた。

「僕はセイヤーズの方が好みだな。それに局長の方がずっと綺麗だよ。」
「それは身贔屓だ。」

とパーシバルが息子に反論した。

「ハイネとポールの美しさは別物だよ。それにセイヤーズはどっちかと言えば色気の方が・・・イテテ!」

 キーラに足を踏まれてパーシバルは顔をしかめた。

「こんな場所でドーマーの品評なんかしないの!」

 キーラは夫を叱ってから、末っ子がまだ顔を見せていないことにやっと気がついた。

「シャナはまだ来ていないの?」
「彼女はドームの中よ。」

 シュリーの返事に、パーシバルもキーラもローガンも驚いた。

「ドームの中?」
「入れたの?」
「なんでドームに?」

 シュリーは肩をすくめた。

「理由は知らないわ。でも局長の招待許可証を持っていたから、ゲイトの中に入れたみたい。」
「狡いなぁ。」

 祖父の名前をもらったローガンが不満顔になった。彼は高校生の時に春分祭でドームを訪問してハイネと会ったが、それ以降は電話でしか顔を見ていない。電話では祖父と呼ぶことが出来ないので、他人行儀な会話しか出来ない。互いに元気なことを確認し合うだけだ。

「どうしてシャナが局長の招待状を持っている訳?」
「知らないわ。でも彼女はお昼前にドームに入って、まだ出て来ないのよ。」

 キーラとパーシバルは顔を見合わせた。2人はどちらからともなく、彼等自身がドームの中でささやかな結婚祝いのパーティーを開いてもらった時のことを思い出した。

「また ザ・クレスツ が何か企んでいるんじゃないか?」
「あのバンドはもう解散よ、年齢的に無理。ギターリストだけが現役で弾けるでしょうけど。」

 キーラは末っ子の企みに見当がついてクスッと笑った。


2021年4月27日火曜日

狂おしき一日 La Folle journée 18

 「やっぱり地球の飯は美味いよ。」

 ガブリエル・ブラコフは口元をナプキンで拭いながら賞賛した。地球に住んでいるヴァンサン・ヴェルティエンもその意見には大賛成だ。たまに妻と共にコロニーへ帰省するが、あちらの食事はお世辞にも美味しいと言えない。大袈裟だが地球の食材の味を知ってしまった人間の運命だ。
 彼等は昼食に3時間もかけてしまった。一般食堂で食べていたら、彼等を覚えているドーマー達が次々に挨拶にやって来て、相手をしていたら食べる暇がなかったのだ。お陰で料理が冷たくなってしまったが、それでもなおドームの厨房班が作る料理は絶品だった。

「これじゃ夕食の時間を遅らせないと腹に入らなくなる。」
「時間は気をつけないと駄目だぞ、ガブ。明日のパーティーの開始時間を考慮しておかないと。」

 2人の元副長官が午後は何をして時間を過ごそうかと相談を始めたところに近づいて来た男がいた。赤みがかったブロンドの40代で、スーツを着ている。遺伝子管理局だと2人は気がついたが、顔に見覚えがなかった。挨拶はドーマーの方からなされた。

「ブラコフ元副長官とヴェルティエン元副長官ですね。」

 ヴェルティエンが苦笑した。

「僕はガブの代理だったし、短期間の元副長官だから、秘書と呼ばれた方が気が楽だな。」

 ドーマーが微笑んだ。

「私も秘書です。遺伝子管理局長付き第2秘書のダリル・セイヤーズと申します。今日は遠くから遥々お越し頂き、有り難うございます。」

 ブラコフもヴェルティエンもその自己紹介に驚いた。なんと、目の前にいるのはあの有名な「脱走ドーマー」じゃないか!
 ブラコフが立ち上がったので、ヴェルティエンも倣った。ブラコフが自己紹介した。

「ガブリエル・ブラコフです。今は火星で医師として働いています。」

 もう執政官ではない。だからブラコフは地球人のセイヤーズに対等の立場で話しかけた。相手は進化型1級遺伝子危険値S1保持者だ。遺伝子学者としてドームで勤務したブラコフは少々興奮を感じた。どんなDNAを持っているのか見てみたい。
 ヴェルティエンは文化人類学者なので、セイヤーズの遺伝子には興味がなかった。ただ脱走して以来18年間隠れ通した男を珍しげに見つめた。

「ヴァンサン・ヴェルティエン、文化人類学者です。現在はアフリカと火星を行き来する生活をしています。副長官ではなく、ただ『さん』付けで結構です。」
「でも、どちらも博士でしょう?」

 セイヤーズはにこやかな表情を保ったまま返した。

「博士と呼ぶのに慣れていますから、そう呼ばせて下さい。」
「ああ、それじゃこうしよう。」

 ヴェルティエンが提案した。

「僕のことはヴィニー博士、ブラコフはガブ博士と呼べば良いですよ。」
「良いですね!」

 ブラコフが何か言う前にセイヤーズがヴェルティエンの案に賛同した。

「ケンウッド長官が貴方方の思い出話をされる時、いつもガブ、ヴァンサンと名前で呼ばれますから、私達も姓でお呼びするよりそちらの方が馴染みがあります。 ところで、午後は何かご予定がありますか?」
「いや、何をしようかと今相談を始めたところだったんだ。」

 セイヤーズがニッコリしたので、ブラコフは魅力的な笑顔だ、と感じた。あのポール・レイン・ドーマーが必死になってこの男を探したのも無理はない。温かな人柄を感じさせる笑みだ。

「ケンウッド長官がお茶をご一緒したいと仰っています。明日は大勢のお相手をされるのでゆっくり話が出来ないだろうからと。」

 ブラコフは期待を込めて憧れの白いドーマーの名前を出してみた。

「局長も一緒なのかな?」
「それが・・・」

 セイヤーズが申し訳なさそうな表情になった。

「局長は昼前から図書館で何やらお籠りで・・・でも明日のパーティーでお会い出来る筈ですよ。」

 ヴェルティエンががっかりしているブラコフの肩を叩いた。

「そんな顔をするなよ、ガブ。局長はどこにも逃げやしないさ。それより僕は早く長官にお会いしたいよ。セイヤーズ君、場所はどこです?」
「長官執務室です。あそこが一番邪魔が入らないと・・・」


2021年4月26日月曜日

狂おしき一日 La Folle journée 17

  薬剤室の室長ショーン・ドブリン・ドーマーは慎重に最後の薬剤を調合機に注入した。ボタンを押すと機械は小さな唸り声の様な音をたて、やがて金色に光る半透明の錠剤をポコポコと吐露口から吐き出した。全部で8個。彼はそれを小さな容器に入れた。
 カウンター越しにそれを眺めていたヤマザキ・ケンタロウがカウンター上のパッド画面に署名を入力した。受け取りのサインだ。

「酸欠の頓服なんて滅多に調合しません。」

とドブリンが言った。そうかい、とヤマザキが気の無い返事をした。

「宇宙じゃ船外活動する作業員やコロニーの壁のメンテ作業員の必需品だよ。」
「そんな仕事はロボットがするでしょう?」
「作業の内容によるさ。人間でなけりゃ難しい時もある。だから業者は必ず酸素補給剤を常備しているんだ。」

 ヤマザキは容器を照明にかざして錠剤を眺めた。

「地球上だって海洋での作業をする人は使うだろう。河川の工事や地下作業員だって事故に備えて携行しているよ。」
「そうなんですか。」

 ドブリンは外に出た経験がない。ローガン・ハイネと同様生まれてからずっとドームの中だけで生きてきた。職業は薬剤師だが、これもハイネ同様遺伝子管理局内務捜査班の隠れ蓑だ。彼は薬剤の受注状況から執政官の契約外研究の有無を監視してきたのだ。女性誕生の鍵が発見され、ドームの研究目標が女性を誕生させることから地球人の寿命を大異変前の年数に戻すことに変更となってからも、内務捜査班は執政官が違法な研究をしないように監視しているのだった。

「酸欠がどんな場所で起きるのか、想像したことがありませんから。」

 ドブリンはまだ保養所へ出かけた経験がない。外気で呼吸した経験がないのだ。彼は抗原注射を打てる年齢を過ぎてしまった。外気に慣れるには「通過」を経験するか、自然に彼の肺が外気に慣れる迄時間をかけて何度も外出を繰り返すしかない。彼は今迄多忙を理由に保養所行きを延ばしてきた。しかし、薬剤室の面々は彼を除いた全員が外の世界を体験し終わった。だから、維持班のターナー総代が彼に「出向指令」を出した時、彼は困ってヤマザキに相談したのだ。ヤマザキ医療区長は、酸素補給剤の処方箋を出してくれた。

「ハイネが初めてマスクを付けて外に出た時に、これを持たせたんだ。結局使わずに済んだけどね。あの爺さん、酸欠になるのが怖くて、散歩を10分で切り上げたんだよ。」

 思い出し笑いをしたヤマザキに、ドブリンは言った。

「その後も局長はこの薬を持って出られたのですか?」
「うん。お守りみたいなもんだな。ポケットに入れておくと安心するらしいよ。君もお守り気分で持って行くと良い。地球人が地球の空気を吸って酸欠になる筈がない。恐ろしいのはインフルエンザなどの病原菌だが、罹患者と接触しなければまず心配ない。君の肺はハイネと違って丈夫だから、心配することはない。」

 ヤマザキにそう言ってもらえると、本当に大丈夫な気になった。ドブリンはヤマザキから容器を返してもらうと、自分のポケットに入れた。

「ところで医療区長は明日のパーティーにお出かけになるのですね?」
「うん。夕方迄には帰るよ。ランチがメインのパーティーだから、酒も飲まないし、二次会もしない。もし、何か急用があれば・・・」
「連絡しません。」

とドブリンは遮った。

「折角のお祝いごとですよ。仕事で呼び出しをかけるなんて野暮なことはしません。局長から叱られます。」

 ヤマザキは苦笑した。彼もハイネもケンウッドも、ドームから呼び出しがあれば直ぐにパーティーを切り上げて帰るつもりでいるのだ。彼等にとってドームが人生の中の最優先事項だった。
 ドブリンが言った。

「薬剤室一同から、ケンウッド長官にご結婚おめでとうございますと伝えて下さい。」


狂おしき一日 La Folle journée 16

  午後の運動施設でダリル・セイヤーズはクロエル・ドーマーとホアン・ドルスコ・ドーマーに出会った。クロエルは中米班チーフ、ドルスコは南米班チーフだ。両名揃って休日になるのは滅多にないので、セイヤーズは「ヤァ! お揃いだね。」と声を掛けた。するとドルスコが彼に駆け寄って来て、訴えた。

「聞いてくれよ、セイヤーズ。クロエルったら、酷いんだ。」

 当惑してセイヤーズがクロエルに視線を向けると、クロエルは肩をすくめた。

「僕ちゃん、何も悪いことしてまっせーん!」
「嘘つけ、抜け駆けしたくせに・・・」
「抜け駆けするつもりなんてないっす。君が思いつかなかったことを、僕ちゃんがやっただけっす。」

 セイヤーズは周囲の人々がこちらに視線を向けているのに気がついた。遺伝子管理局の幹部が喧嘩していると思われてはマズイ。遺伝子管理局はドーマーの中でエリートとして認識されている。彼等は常にドーマー達の模範であるべきなのだ。

「君達、ちょっとこっちで話さないか?」

 セイヤーズは2人のチーフを格技場の見学席へ誘導した。円形闘技場のようにリングが下に見える形状の場所だ。リングの上で若い維持班の男達が空手のトレーニングに励んでいた。
 3人の遺伝子管理局の男達は最上段に腰を下ろした。セイヤーズは2人のチーフの間に入って、仲裁役をすることにした。

「まず、何があったのか教えてくれないか?」

 クロエルとドルスコが目で牽制し合った。普段は仲良しの2人だ。会議で意見の相違があっても喧嘩に発展したことはない。私生活でも仲良くやっていた。だが、今ドルスコは怒っていた。クロエルを睨みつけ、クロエルの言葉が少しでも気に障れば掴みかからんばかりの雰囲気だ。

「クロエルが僕にチリのバザールで布を買って来てくれと言ったんです。」

とドルスコが先に言った。クロエルが急いで説明した。

「綺麗な布が並んでいる店の画像を彼が見せてくれたんすよ。」
「それで買い物を頼んだのだね? ホアンはそれを買ってやった訳だ。」
「買いました。」
「クロエルが代金を支払わなかった?」
「払いました!」
 
 クロエルとドルスコが同時に答えたので、セイヤーズは2人を見比べた。

「じゃ、何が問題なんだ?」

 クロエルが答える前に、ドルスコが言った。

「クロエルはその布をべサニー・ロッシーニに贈ったんです。」

 セイヤーズは数秒間その言葉を頭の中で分析し、やがて「はぁ?」と言った。ドルスコが忌々しげに説明した。

「クロエルは、彼女の気を惹こうとして布を贈ったんです。目的を伏せて僕に買わせたんですよ。」
「だから、どうして僕ちゃんがべサニーに贈り物をするのに、君に言わなきゃなんない訳? いちいち買い物を頼むのに目的を言わないといけない訳?」
「狡いじゃないか!」
「なんでよ!」
「僕だってべサニーを喜ばせたいのに・・・」

 セイヤーズはその場を去りたくなった。これは、恋のライバル同士の喧嘩じゃないか。クロエルはドルスコに布の画像を見せられて、べサニー・ロッシーニが喜ぶだろうと想像した。ドルスコはその案を思いつかなかった。クロエルはドルスコも同じ女性に関心を抱いていると想像せずに、目的を言わずに、つまり言う必要を感じずに、買い物を依頼した。べサニーはきっと布の贈り物に喜んだのだ。それをドルスコは何らかの理由で知ってしまい、クロエルに抜け駆けされたと憤っているのだ。

「2人共、落ち着け。」

とセイヤーズは両手を左右に伸ばしてチーフ達を制した。そしてドルスコに顔を向けた。

「ホアン、考えてもみろ、男が好きな女の気を惹こうって時に、ライバルに手のうちを明かすか? クロエルは当たり前に頭を使っただけだ。これは君の負けだよ。君は綺麗な布をいつも目にしていながら、贈り物のアイデアを思いつかなかったんだから。」

 うっとドルスコが反論出来ずに唸った。セイヤーズは次にクロエルに向き直った。

「べサニーは喜んでくれたんだね?」
「当然っす。」
「それで交際に持って行けた?」

 クロエルは答えずに肩をすくめただけだった。

「布で喜んだだけか?」
「僕ちゃんが迷惑かと尋ねたら、迷惑じゃないって・・・僕ちゃんををハグしてくれて、嬉しいって言ってくれました。」

 なに! とドルスコ。腰を浮かせかけたので、セイヤーズは手で抑制した。そしてクロエルに確認した。

「彼女が君をハグした?」
「はい。」
「それだけ?」
「僕ちゃんとご飯食べたり、お喋りしたり、一緒に並んで歩いてくれるって言ってくれました。」

 つまり、交際を承知したのだ。セイヤーズは、ドルスコを振り返った。

「ホアン、女の子はべサニーだけじゃないさ。」
「だけど・・・」
「君が布を贈ったとして、彼女が君をハグするとは限らない。べサニーが若い連中に人気があるのは私も知っている。いろんなヤツが彼女に贈り物をした話を聞いているが、彼女が誰かをハグしたと言う噂は聞いたことがない。彼女は大勢のドーマーの中からクロエルを選んだのだ。それを君は承知しないといけない。」

 ホアン・ドルスコは大きな溜め息をついた。そして立ち上がった。クロエルも立ち上がった。ドルスコがセイヤーズの頭越しに手を彼に差し伸べた。

「おめでとう、クロエル。負けを認めるよ。べサニーを泣かしたりするなよ。」

 クロエルが彼の手を握った。

「グラシャス、アミーゴ! 君が好きな女性に贈り物をしたいと思ったら、いつでも相談に乗るっすよ。カリブ海の真珠とか、珊瑚とか、僕ちゃんの手に入れられる物なら何でも言ってよ。」

 セイヤーズは、座ったまま、やれやれと呟いた。 そしてケンウッド長官はどんな指輪をシュリーに贈ったのだろうと考えていた。

 

2021年4月25日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 15

  クリストファー・ウォーケン医師は105歳になって、既に現役を引退していたが医療アドバイザーとして火星にある大手の病院で働いていた。彼には最初の妻との間に息子が1人、二番目の妻との間にも息子が2人いたが、娘には恵まれなかった。だから最初の妻であったマーサ・セドウィックの連れ子のキーラが彼にとって唯一人の娘であり、マーサと離婚した後も息子のロナルドと一緒に面会日に彼女を連れて来てもらっていた。キーラも彼を「父さん」と呼び慕ってくれる。それは法律上の親子関係が失われても変わらない。互いの誕生日に贈り物を交わしたり、パーティーに招待し合った。マーサは彼の後妻に評判が良くなかったが、キーラは歓迎された。後妻も女の子が欲しかったのだろう。だからキーラが三つ子を産んで、赤ん坊を連れて会いに来てくれた時は大歓迎したものだった。
 後妻は実の息子達の子供も男ばかりなのを悔やんでいた。だからシュラミスとショシャナを猫可愛がりした。今彼女が生きていたら、きっと自身の孫の結婚のように大喜びしただろう、とクリストファーは思い出に浸っていた。

「父さん、シートベルトをしっかり締めた?」

とロナルドが尋ねて、彼は我に返った。地球へ向かうシャトルの中だ。3連の座席の一番窓側の席に座ったクリストファーは手でベルトを掴んで見せた。

「締めたさ。私は乗り物に乗ったら必ず真っ先にベルトを締める習慣だ。」

 隣の席に座ったロナルドの長男夫婦が微笑んだ。今回の地球旅行に参加するロナルドの息子は2人だ。末っ子はどうしても仕事の都合がつかず、従妹シュラミスの結婚式に出られないことを悔やんでいた。長男と次男はそれぞれの妻と婚約者を同伴している。長男の長男も一緒だ。宇宙空間に出られる年齢の親戚はこれだけ。
 少し離れた列にパーシバル家の人々が座っていて、あちらも10歳以上の子供がいるが大人しい。女の子もティーンになると静かになるのか、とクリストファーは思った。
 キーラとロナルドの妻タマラが端末を見ながらヒソヒソ話をしている。パーティーの進行の打ち合わせなのだろう。今回のパーティーは花婿ニコラス・ケンウッドの主催だが、企画はキーラとタマラだとヘンリーが言っていた。ヘンリーも良いヤツだ。血が繋がらない娘の夫だから、全くの赤の他人なのだが、クリストファーのことを義父と呼んでくれて大事にしてくれる。今回の地球旅行に招待してくれたのもヘンリーだ。

「クリスはシュラミスにとって本当の祖父同然ですからね。」

と言ってくれた。

 本当の祖父・・・

 クリストファーはローガン・ハイネにまだ会ったことがない。テレビで春分祭の中継で見たことがあるだけだ。真っ白な髪、すらりとした長身、整った顔立ち、よく通る澄んだ声・・・まるで作り物の様に美しい地球人の男。マーサ・セドウィックに呪いをかけ、彼女の恋愛を妨げて来た「囚われの身の王子様」。マーサは火星に戻ってから数人の男性と結婚や恋愛を繰り返したが、彼の呪縛から逃れられず、常に彼と男達を比較し、男達を怒らせて逃げられた。クリストファーも彼女から逃げた一人だ。彼は密かに心の底で会ったこともない地球人を憎悪した。マーサを哀れに思った。キーラが地球で働くと告げた時は、反対したかった。しかし、彼女は既にハイネに遭ってしまっていた。警察官として地球へ犯罪者を追って降りた時に。そして実の父の近くで働きたいと思っていた。クリストファーは彼女を笑顔で送り出した。キーラがマーサを呪縛から救ってくれることを期待して。
 キーラはやり遂げた。30年もの月日がかかったが、彼女は実父の心を開放することに成功し、マーサにかけられた呪いを解いた。ヘンリーがクリストファーに言った。

「貴方がニコとシュリーの結婚式に出席されると聞いて、ハイネは歓迎しますと喜んでいましたよ。」

 ローガン・ハイネが悪いんじゃなかった、とクリストファーは今では理解していた。ドーマーと呼ばれる研究用地球人の子供を自分達の都合の良い様に管理しようとしたコロニー人学者達の驕りが、恋をした若い女性遺伝子学者と地球人の若者の仲を引き裂いたのだ。ハイネは傷つき、コロニー人不審に陥ったままドームと言う狭い世界の中で生き続け、マーサは彼を傷つけたことを深く後悔し、謝罪する機会すら与えられぬまま火星でもがいていたのだ。

 ハイネと出会ったら、どんな話をすれば良いのかな。

 クリストファーは不思議な緊張感と高揚を覚えながら、シャトルが離陸する振動を感じた。


狂おしき一日 La Folle journée 14

  空港保安部の寮食堂でジェリー・パーカーが賄い料理の昼食を取っていると、アキ・サルバトーレが入ってきた。どちらが先ということもなく互いの存在に気がつくと、「ヨォ!」と手で合図を送りあった。サルバトーレは、パーカーが違法クローン製造業者、メーカーとして逮捕されドームに連れて来られた当時、監視役として彼に昼夜問わず張り付いていた。パーカーに自死する恐れがあり、彼を失うことをドーム幹部達が心配したからだ。パーカーは物事を斜めに見る癖があったが、鬱状態から脱して自身が置かれた状況を渋々ながらも受け入れ、やがてドームのクローン製造部では重要な研究を任される科学者として認知されると、落ち着きを取り戻した。監視が用済みになってから、サルバトーレは保安課に戻ったが、なんとなくパーカーがいない生活が味気なく思えた。パーカーも監視の目がなくなったことを喜びながらも、「相棒」を失った気分になった。彼は同僚のメイ・カーティスと愛を育み結婚したが、やはり同性の友人は必要だった。
 互いの仕事が忙しくて顔を合わせる機会が減ったが、パーカーとサルバトーレは時間が出来るとどちらからともなく連絡を取り合うようになった。ドームはドーマーの飲酒を禁じているのだが、金曜日の夜は例外だ。パーカーはドームで唯一飲酒が許されるバーでサルバトーレと静かに語り合うのを毎週の楽しみにした。サルバトーレもシフトをやりくりして可能な限り金曜の夜は体を空けておいた。特に共通の趣味がある訳でなく、同じ志を持っているのでもない。ただ暢んびりと世間話をするだけで彼等は楽しかった。
 寮食堂のテーブルで彼等は向かい合った。サルバトーレはパーカーがドームの外にいる理由を尋ねなかった。空港ビル内しか出歩けない男がそこにいる理由は一つだ。

「シェイは今夜から大車輪で働くんだろ?」

と鎌をかけると、果たしてパーカーは頷いた。

「うん。折角俺が出てきてやったのに、ほとんど上の空で会話するんだ。俺より牛肉やチキンに語りかける方が楽しいらしいぜ。」

 サルバトーレが愉快そうに笑った。寮食堂のシェフ、シェイはどんなイケメンが話しかけようと料理にしか関心がない。一度あるVIPが彼女の料理に感激してテーブルに呼び出し、いろいろ話しかけたが、彼女は食材の仕入れの話しかしなかった。

「君は明日のパーティーには出ないんだろ?」
「ああ、俺はドームで留守番。ゴーン博士がパーティーに出るから、俺がクローン製造部の監督をしなきゃならねぇのさ。」

 違法クローン製造業者だったパーカーに、ドームの最も重要な部門の監督を任せる。サルバトーレは、ケンウッドとゴーンと言う2人の最高幹部の肝の太さに内心感心していた。

「もっとも、俺はダンスやら社交辞令やらで疲れたくないからな・・・カウボーイのお祭りの方が性に合ってるのさ。」

とパーカーが笑った。そして彼はサルバトーレの表情が曇ったことに気がついた。

「どうした、アキ?」
「ダンスって言ったよな・・・」

 サルバトーレが天井を仰ぎ見た。

「そんなこと、ちっとも頭になかった。僕は明日、花嫁の招待で友人として、勿論警護も兼ねるんだが、パーティーに出ることになっている。ゴメス少佐も一緒だ。2人共、飯を食ってりゃ良いとばかり思い込んでいたよ。若い客はダンスとかゲームとかやるんだろうな。」

 パーカーが吹き出した。

「そんなもん、強制じゃないだろう? 見物してりゃ良いのさ。」
「もし誘われたら・・・」
「誘うのは男の方だ。普通は、な!」

 パーカーは外の世界で育ったし、サルバトーレより年長だ。少年期はラムゼイ牧場から出してもらえなかったが、成人してからは時々街で大人の社交を経験した。ドーマー達よりはずっと世間のことを知っていた。

「で? ドームからは誰々がパーティーに出席するんだ?」

 サルバトーレは周囲をさっと見渡してから、声を低くして答えた。

「長官、副長官、保安課長、医療区長、出産管理区長に同副区長、遺伝子管理局長、ポール・レインとJJ・ベーリング、ヴェルティエン元副長官、ブラコフ元副長官、そして僕・・・」
「少ないな・・・」
「花嫁側の人数は多いんだ。パーシバル博士、セドウィック博士、ローガン・セドウィック博士、ショシャナ・パーシバル、セドウィック博士の弟一家8名、パーシバル博士の兄弟の家族21名、それからサンダーハウスの科学者16名。」
「長官の親族はいないのか?」
「うん。長官は兄弟が遠方のコロニーに住んでいると言う理由で招待されなかった。報告はなさったそうだが。」

 ジェリー・パーカーはニコラス・ケンウッドが何故ドーマー達を愛すのか理由がわかった気がした。身近にいて愛情を注げる人々だからだ。

「ああ、そうだ。」

 サルバトーレは忘れていた招待客を思い出した。

「ロバータ・ベルトリッチ委員長も来られる。」

 パーカーはびっくりした。

「超大物じゃんか!」
「そうなんだ。だから、極秘で地球へ降りて来る。これは僕と君と少佐と長官だけの秘密だ。」

 何故俺に話すんだ、とパーカーは疑問に感じたが、それ以上は言及しなかった。話題にする時間が長いとそれだけ外部に漏れる可能性が高まる。


2021年4月24日土曜日

狂おしき一日 La Folle journée 13

  お昼前の長官執務室での打ち合わせ会に、珍しく遺伝子管理局長が欠席した。欠席の連絡を受けたのはゴーン副長官で、この日同じく珍しく会に参加したゴメス保安課長は局長が来ないと聞いて、体調が悪いのですか、と尋ねた。ゴーンは端末を見て首を振った。

「用事が出来ただけです。会議の内容は後でメッセでお願いしますと言ってます。」

 ケンウッド長官とゴメス少佐はホッとした。明日のパーティーに出席予定のメンバーが体調不良だと言い出しはしないかと不安になったからだ。宇宙から来るセドウィックとパーシバルの親戚やサンダーハウスから来る科学者のグループの人数を考えると、ドームからの参加者は少ない。最も親しい仲間は一人でも多い方が良い。

「副長官も来てくれるのだね?」

 ケンウッドが念を押して尋ねた。彼女は留守番をすると言い張っていたが、パーティーは半日もかからない、来て欲しいとケンウッドはずっと頼んでいたのだ。ゴーンは苦笑した。

「秘書が私が出席を前提にした明日のスケジュールを組んでしまっていました。」
「私が昨日最終確認の電話をかけたら、アンバーが貴女も出席だと答えたので嬉しかったよ。」

 ゴーンは笑顔で誤魔化した。クローン製造部のトラブルのお陰で上の空で返答してしまったとは言えなかった。するとゴメス少佐が彼女に向き直って言った。

「私はまだ明日の衣装を決めかねているのですが、もし宜しければ後で相談に乗っていただけますか?」

 ケンウッドがびっくりしたような顔で彼を見た。少佐が着る物で悩むとは予想外だったのだ。

「平服でいいよ、ロアルド。それもうんとカジュアルに近くて構わない。改まった服装で大勢が集まるとマスコミに何かあると勘ぐられるからね。」
「しかし、長官はタキシードでしょう?」
「私も平服のつもりだったのだが、諸事情でタキシードを着せられるそうだ。しかしホテルの中で着替えるから。」
「諸事情ですって?」

 ゴーンが可笑しそうに呟いた。誰もが「諸事情」を抱えているようだ。

「明日は午前の早い時間に最小限の業務を片付けて、各自ホテルへ出かけることにしよう。ランチパーティーだから朝食は食べ過ぎないように。パーティーの所用時間は5時間の予定だが、解散は自由だ。せめて私達の挨拶まではいておくれよ。」

 ケンウッドの言葉にゴーンとゴメスが頷いた。
 その時、ゴメスの端末に電話の着信があった。ゴメスが長官に断って画面を見ると、空港保安部チーフ、ジョナサン・ダッカーだった。ゴメスは微かに不安を覚えながら電話に出た。

「ゴメスだ。」
「少佐、サンダーハウスの科学者達が到着しました。」
「報告通り16人全員か?」
「そうです。しかし、ちょっと問題が・・・」
「問題?」

 ゴメスが復唱したので、ケンウッドとゴーンが彼の顔を見た。ゴメスは彼等に不安を与えたくなかったので、復唱したことを後悔した。しかし話を聞かなければならない。

「どんな?」
「それが、科学者達が何やらポールの様な物を持ち込んで大ホール内に設置始めまして・・・」
「ポール?」
「そうです。サンダーハウスの携帯版だとかで、ホール内の埃や細菌を分解除去するそうです。」

 ケンウッドがゴメスに電話を代わってくれと手で合図した。ゴメスは端末を長官に手渡した。ケンウッドが電話に出て挨拶すると、ダッカーがちょっと安心した表情になった。

「サンダーハウスの実験の延長だよ。」

とケンウッドが説明した。

「パーティー開始前にホール内に放電するそうだ。数秒で終わるからパーティーの進行には支障ない。ただ電圧などの調整に手間がかかるから今日中に設置するんだよ。」
「そうですか。」

 ダッカーはホール内にいる。彼は背後をちょっと振り返った。

「仕事ですから、装置の安全性とか確認させていただいても宜しいでしょうね?」
「機械の内部探査をかけるのかい?」
「爆破物などを仕掛けられていないか調べるのが我々の役目ですから。」

 ケンウッドは6秒ほど考えてから、サンダーハウスグループの責任者を出してもらえないかと頼んだ。ダッカーは電話を繋いだまま歩いて行き、ケンウッドにとっても旧知の男性の前に行った。 頭髪が薄くなりかけているがまだ50代の男だ。

「ジェンキンス教授、こんにちは。遠路遥々お越しくださって有難うございます。」

 ケンウッドが挨拶すると、サンダーハウス実験場の最高責任者で地球人科学者のロバート・ジェンキンス教授が真面目な顔で挨拶を返した。

「お招き有難うございます、ケンウッド長官。久々に都会に出て来られて嬉しいですよ。ドーム長官の結婚式に招待して頂けるとは光栄です。 それに滅多にない実証実験の場を与えて下さって感謝しています。明日が楽しみです。」

 ゴーン副長官が口の中で「実証実験?」と呟いた。訝しげな表情だ。
 ケンウッドは気がつかずに本題に入った。

「今日お持ちいただいたサンダー放電装置ですが、空港保安部が安全確認の為に内部の透視検査をしますが、よろしいでしょうか? 爆発物がないか確認します。それ以外の目的はありませんので、装置の機能に障害を与えることはないし、そちらの作業を止めることもありませんので、どうか了承願います。」

 ジェンキンス教授が真面目な顔になんとか微笑みと思われる表情を表した。

「安全確認は当然ですね。ドームのセキュリティーの厳しさはホワイトハウス以上だと聞いています。ホールに入る時にも身体検査を受けましたから、機械の検査も大丈夫です。どうぞなさって下さい。」
「有難うございます。ダッカーに代わっていただけますか?」
「わかりました。では、明日のパーティーでお会いしましょう。」

 ダッカーが画面に現れたので、ケンウッドは彼の任務遂行を許可した。ゴメスに何か連絡はないかと確かめてから、通話を終えた。 ゴメスに端末を返したところで、ゴーンが質問してきた。

「実証実験とは何ですか?」

 ケンウッドはちょっとバツが悪そうに説明した。

「シュリーから要請があってね、以前ローガン・ハイネをサンダー・ハウスに連れて行って放電による空気洗浄効果を確認しようと言う話があったんだ。」
「局長の肺で実験を?」

 ゴーンが咎める口調になったので、彼は慌てた。

「ハイネも承知の上だったんだよ。だが、あちらの地方でインフルエンザが流行しただろう? それにハイネも脚を怪我したから、中止になったんだ。」
「それで今回のパーティーで局長が出席なさるのを利用して?」
「うん・・・実験もあるが、パーティーの間、ハイネにマスクなしで過ごさせてやりたくてね・・・」

 ゴメスが確認の質問をした。

「ヤマザキ博士が局長のそばにおられますよね?」
「その筈だ。ケンタロウはハイネにくっついているつもりでいる。サヤカも付いているだろうしね。」

 ゴメスとゴーンが顔を見合わせた。2人共、ローガン・ハイネがマスクなしでドームの外の空気を呼吸する危険度がどの程度のものなのか予測がつかない。ゴメスはハイネと格闘技の試合をした時に局長が呼吸困難に陥って激しく咳き込んだことを思い出した。もう8年も前のことだが、ヤマザキはあれ以来2人が格闘技の対戦をする時は事前に医療区に連絡しろと煩いのだ。今回はパーティーで、局長も少佐もご飯を食べるだけだ。

「ホテルには空気清浄機がありますし、食事だけなら放電装置がなくても局長は大丈夫だと思いますよ。」

とゴメスは言った。ケンウッドが苦笑した。

「まぁ、そう言うな。ハイネはサンダーハウスの実験にちょっとでも貢献したいと思っているんだよ。」


2021年4月23日金曜日

狂おしき一日 La Folle journée 12

「そのパンツドレス、すっごく君に似合ってるよ。」

 クロエル・ドーマーは少し先を歩く保安課員べサニー・ロッシーニに声を掛けた。中米勤務を終えてドームに帰還して、送迎フロアから居住区へ向かう回廊を歩いていたら、前方を同じ方向に歩いている彼女を発見したのだ。彼女は早足で歩いていたが、クロエルの方が遥かに身長が高い。歩幅も大きいのですぐに追いつけそうだ。「おはよう」と声をかけたら、彼女は一度だけ立ち止まって振り返り、「おはようございます」と挨拶を返してくれたが、すぐ前を向き直って歩き出した。クロエルは急いで次の台詞を必死で捻り出そうとして、彼女が制服ではなく華やかな印象の衣装を身につけていることに気がついた。機能的だがフォーマルな服を着用する場合に警護に当たる女性保安課員が着用する服だ。

「有り難うございます。」

 べサニーはつれない。まるでクロエルから逃げたいのかと思わせる足取りで歩き続けた。クロエルはちょっと歩調を早めて彼女の横に並んだ。

「明日の長官の式を警護するんだね?」
「任務の内容は口外出来ません。」

 固い口調に、クロエルは思わず笑った。まるでリュック・ニュカネンだ。遺伝子工学の研究都市セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンで遺伝子管理局の出張所所長をしている、伝説の「お固いニュカネン」だ。

「僕ちゃん、テロリストじゃありません。」

 彼は横目で彼女を見下ろした。

「明日から1週間、ドームから出る予定もございません。安心して僕ちゃんに打ち明けてくれてよござんすよ。」
「クロエル・ドーマー・・・」

 べサニーが立ち止まったので、クロエルは数歩前に出た形で立ち止まって振り返った。

「何?」
「前回のご帰還の時、綺麗なチリの織物を有り難うございました。」
「ああ・・・あれ、気に入ってくれた?」
「とても綺麗で手触りが良くて・・・でも・・・困るんです。」

 べサニーが目を伏せた。クロエルは困惑した。

「困るって何が?」

 彼女はモジモジと手を体の前で組み合わせて躊躇った。

「私は・・・貴方に何もお返し出来なくて・・・」

 クロエルはニッコリ笑って見せた。

「なんだ、そんなこと・・・何も返してくれなくていいっすよ。僕ちゃん、あの布を見た時、君に似合うなぁって思ったから、買っちゃっただけっす。」
「そんな・・・ことを・・・していただく・・・理由が・・・ありませんから・・・」 
「僕ちゃんにはあるっす。男が女に贈り物をするには理由があるっす。」

 クロエルはそこで口を閉じた。 俯いたべサニーの頬は真っ赤だった。
 クロエルは心の中で自身に叱咤激励した。ここではっきり言わないと彼女を苦しめるぞ、クロエル。
 彼は彼女の正面に立って言った。

「君がモテるのは知ってるっす。多分、いろんな連中からいろんな誘いを受けてるだろうし、贈り物ももらってるとわかってるっす。だから・・・もし僕ちゃんの贈り物が迷惑だったら、はっきり言って欲しいっす。そしたら、僕ちゃんもすっぱり諦めて君に迷惑かけない・・・」

 彼は最後まで言えなかった。べサニーが彼に飛びついて来たからだ。彼の大きな体にべサニー・ロッシーニが両腕を回した。

「迷惑なんかじゃありません。」

 彼女が蚊の鳴くような声で言った。

「嬉しかったんです。他の誰でもない、貴方からの贈り物だったから・・・でも・・・」

  彼女は顔を上げてクロエルを見上げた。

「どう応えて良いのか、私、わからないんです。」
 
 涙を浮かべているので、クロエルはハンカチを出して彼女の目頭を軽く押さえてやった。

「特別なことをしなくて良いっすよ。僕ちゃんと並んで歩いて、食堂で同じテーブルでご飯食べて、お喋りしてくれたら、いいっす。それで僕ちゃん、十分幸せっす。」

 彼は彼女をそっと体から離した。そして、歩こうと身振りで伝えると、彼女は頷いて足を動かし出した。クロエルが彼の不在の間のドームでの出来事を質問すると、彼女は元気よく応えてくれた。
 クロエルは思った。

 焦るな、クロエル。少しずつ彼女をこっちへ惹きつけていくんだ。だけど、今日のところはまだキスに到達しないなぁ・・・


2021年4月22日木曜日

狂おしき一日 La Folle journée 11

  南北アメリカ大陸ドーム遺伝子管理局長ローガン・ハイネは朝の書類仕事を大車輪で片付けた。以前行っていた「日課」は既に部下達が分業で行うようになって久しい。しかしその代わりに増えた仕事もある。ドーマーの社会復帰に伴う予算や法律に関する書類の確認、作成だ。外の行政組織に提出する書類には期限というものがあって、ドームの人間だからと言ってそれが免除される訳ではない。期日までに提出しなければならない書類のなんと多いことか。それらを秘書に任せることも出来ない。書類が求めているのは組織の長、遺伝子管理局長の署名だからだ。秘書のキンスキーもセイヤーズもボスの筆跡を真似るのは上手い。しかし、嘘は良くない。万が一不祥事が起きた場合の責任の所在があやふやになってしまう。
 最後の書類を閉じたハイネは立ち上がった。キンスキーは明日の局長不在に備えて自身のスケジュール調整を最終確認していた。副局長と打ち合わせは終えているが、内務捜査班とはまだだ。エストラーベン内務捜査班チーフが昨日から捉まらない。ドームから出ている訳ではないから、どこかにいる筈なのだが。セイヤーズは普段通り細々とした雑事務に追われていた。仕事が早い男だが、今日はポール・レインから電話がかかってきて業務が中断したり、ゴーン副長官からも何かメッセが送られてきて、それがセイヤーズの予想外だったらしく、ちょっと精神的に落ち着かないらしい。ハイネは彼等に「送迎フロアに行ってくる」と声をかけた。2人の秘書が了承のサインを体の動きで示した。
 遺伝子管理局本部を出たハイネは足早に歩き、珍しく中央研究所の前を通り過ぎ、クローン観察棟の前も過ぎて医療区に入った。受付を無視して出産管理区の入り口に向かったので、彼を見かけた医療従事者達は遺伝子管理局長が取り替え子の新生児の様子でも見に行くのだろうと思った。
 しかしハイネは出産管理区の中を通る通路を足早に歩いただけで、中には入らなかった。出会う人々と挨拶を交わしたが、無駄話はしないでまっすぐ送迎フロアに向かった。送迎フロアは2箇所あり、一般の地球人用のゲイトと繋がっている大きなフロアではなく、ドーム関係者が使用する小さいフロアの方へ彼は出て行った。小さいと言っても200人は余裕で入れる広さだ。そこにいたゲイトの係官が遺伝子管理局長に気がついて挨拶した。

「こんにちは、局長、お客様は2番の面会フロアでお待ちですよ。」
「もう着いていたか。有難う。」

 ハイネはドーム関係者でない人々がドーム関係者と面会する時に使用される部屋へ入った。ここは5つの部屋があり、リラックスして談話できるサロンのような3部屋と、業務の話をする為の会議室のような2部屋がある。ハイネの客はサロン風の部屋で座っていた。手前の小さなテーブルの上に紙の楽譜を広げてペンで書き込みを入れる作業をしていたが、ハイネが入室すると顔を上げた。彼女の顔がパッと輝き、椅子から立ち上がると彼に飛びついて行った。

「会って下さって有難う、局長!」

 そして彼女は彼の耳元で小声で囁いた。

「会いたかったわ、お祖父ちゃま!」

 ハイネは壊れ物を扱うように優しく孫娘を抱き締めた。

「立派になったな、シャナ。それに以前にも増して美しくなった。」

 ハイネを知る人が見たら誰でも驚く程、彼はとろける様な表情で孫に微笑みかけた。
 ショシャナ・パーシバルは今太陽系連邦でも話題の新進ピアニストだ。昨年のコンテストで優勝してから各コロニーで演奏して廻っている。どこに行っても引っ張りだこの人気者だった。彼女の名声は地球にも届いており、彼女はドーム空港で素顔を隠して歩いたが、ドームのゲイトでは消毒の為に全てを曝さなければならず、係のドーマー達に正体がバレてしまった。彼女が来ていることをドーム内に広めないと言う条件で彼女はサインに応じてやったのだ。
 仕事で使い易いし、ファンにも覚えてもらい易いと言う理由で、彼女は父の姓を選択した。彼女が音楽の道に進むことを渋っていた母キーラはそれも不服だったようだが、彼女がコンテストで優勝するとこだわりを捨ててくれた。
 テーブルを挟んで対面に座ったショシャナは、ハイネに楽譜を見せた。

「明日、演奏する曲目なの。パーティー用にちょっとアレンジしてみるつもり。いかがかしら?」

 若かりし頃、ドームのロックバンドでリードギターを弾いていたハイネは、楽譜をじっくりと眺めた。それは古い曲だった。宇宙でもこの曲が演奏されてるのかとハイネは心の中で感激した。ロックバンドでは演奏しないが、ハイネはクラシックギターも習ったことがある。この作曲家は好きだった。

「フェルディナンド・カルッリだね?」

 ショシャナが嬉しそうに頷いた。そして何かを期待する様な目で祖父を見た。ハイネは苦笑した。

「初見で弾けるとは思うが、上手く君と合わせられるかな。」
「お祖父ちゃまなら大丈夫よ!」

Duo Op. 37 in D Major for guitar and piano

 ハイネは端末で何かを確認して、ショシャナに言った。

「では、これから図書館の音楽室へ行こう。ぶっつけリハだ。」


狂おしき一日 La Folle journée 10

 「ヘンリー、 早くして! シャトルに乗り遅れちゃうわよ!」

 キーラ・セドウィックは玄関で大声を張り上げた。横に置かれたスーツケースには2泊3日分の夫婦の衣類がぎっしり詰め込まれている。別便で先に地球へ送っておけば良かったのだが、入れ忘れの物や防犯問題やらでグズグズしている間に運送業者に預けるタイミングを逃してしまったのだ。夫のヘンリー・パーシバルは友人達への土産物を入れる機密性の高いカバンを探してまだ寝室脇のクローゼットでゴソゴソしていた。

「あと5分・・・おかしいな、確かにここに置いたのに・・・」
「もう・・・」

 キーラは寝室にズカズカと歩いて行き、入り口からすぐ横に置かれている低いサイドボードの上にあった小型のカバンを手に取った。

「これじゃないの?」

 パーシバルがクローゼットから顔を出した。顔が綻んだ。

「それだよ! どこにあったんだい?」
「どこでしょうね。」

 キーラは既に玄関に戻ろうとしていた。パーシバルは慌ててカバンを持ってキッチンへ行き、冷蔵庫の中の容器をカバンに押し込み、妻の後を追った。
 キーラがスーツケースを屋外に出すと、彼も走り出して来た。彼女がドアを閉めて自動ロックが掛かった。

「そんなに怒るなよ。」

 車に乗りながらパーシバルが妻を宥めようとした。

「シャトルは1本しかない訳じゃないんだ。」
「夕方迄に着きたいの。シュリーの衣装合わせがあるのですもの。」

 荷物を積み込んで2人は自宅を出発した。場所を告げると自動車は自動運転で宇宙港へ向かった。数年ぶりの地球行きだ。キーラが高揚しているのがパーシバルにもわかった。彼自身は仕事で月に2回の割合で地球各地のドームを巡回して神経科の医師として働いている。時間があれば古巣の南北アメリカ大陸ドームに立ち寄って親友達と旧交を温め合うのだ。しかしキーラは月の地球人類復活委員会の本部で事務仕事をする医者なので、あまり地球へ降りる機会がない。前回降りた時は、母マーサの訃報を父ローガン・ハイネに告げに行ったのだった。地球で働いている娘シュラミスや研究で地球と火星を行き来している息子ローガンとは長い期間会っていない。

「ローガンは宇宙港で待ち合わせだったわね?」

 彼女が確認するのは今日これで3回目だ。パーシバルは苦笑した。

「そうだよ、ローガンは月の宇宙港で僕等と合流、シュリーはあちらの宇宙港で僕等をお出迎えしてくれるんだ。」
「シャナは?」

 三つ子の最後のメンバーを忘れてはならない。パーシバルは溜め息をついた。

「あの子はなかなか捉まらない。だが、マネージャーのエッケ・ライコネンが言うには既に今朝地球に降りたそうだ。シュリーと合流したのか、別行動なのか、それはライコネンもわからないそうだ。」
「わからないって・・・マネージャーでしょ?」
「シャナは公私をはっきり分ける子だからね、姉の結婚は私事だ。ライコネンは立ち入りを許されないとこぼしていた。彼はシュリーに祝いのお花をくれているのになぁ。」
「月の家にね。地球へは送れないもの。画像で送るしかないわ。でもシャナは地球には行き慣れていないのよ。迷子にならないかしら。」

 医師としてクールに行動出来るキーラも母親の顔になると子供が心配でならない。子供達は全員24歳なのだ。立派に成人して社会人として銘々地位もそれなりに築いている。
 ふとパーシバルは彼等の車の後ろをついてくるもう一台の車に気がついた。

「ロンの一家だ。同じシャトルを予約していたようだな。まさか僕等の一族でシャトルを貸し切ったんじゃないだろうな?」
「貴方の兄さん達は家族全員だったかしら?」
「いや、甥が2人欠席だ。子供がまだ10歳に達していないので宇宙空間に出られない。」
「それじゃ、兄さん夫婦2組と姉さんと、甥が3人姪が2人、それぞれの子供を入れて・・・」
「総勢21名。簡素にするから来なくていいって言ったんだが、滅多にない地球旅行のチャンスだからって、みんなして来るんだ。ニコに申し訳ないよ。」
「食事代は会費だからいいじゃない。」
「護衛が大勢いるだろう。」

 パーシバルはニヤニヤしながら言った。

「何しろ、僕等の娘は国家元首と対等の地位にいる男と結婚するのだからね!」



2021年4月19日月曜日

狂おしき一日 La Folle journée 9

  フランシス・フラネリーは静音ヘリの機内で同乗している甥のライサンダー・セイヤーズとその娘ルシア・ポーレット・セイヤーズが乗り物酔いをしていないかと気になって後部席を振り返った。 幸いなことにライサンダーはヘッドフォンを頭に装着して音楽を聴きながらうたた寝していたし、ルシアは窓の外を熱心に眺めていた。 フランシスは安心して前に向き直った。
 彼女とライサンダー親子はケンウッド長官の結婚式に出席するつもりではなかった。少なくとも2日前迄は遠くから祝福するだけのつもりだったのだ。だが、ちょっと政治的な思惑が思いがけない方向からやってきた。
 ケンウッド長官と親しくなった現職大統領クララ・ボーマンは友人の結婚を祝福したかった。ドーム長官は一国の元首と同等の立場で発言出来る人であり、大統領が彼の結婚式に出席しても何ら問題はない筈だった。しかし、肝心のケンウッド長官が彼女の出席を丁重に断ってきたのだ。大統領が来るとなると、それなりに警護が厳しくなる。世間の注目を浴びる。例えお忍びでも警護は必要だ。ケンウッドは身近な人々だけの集まりにしたいパーティーに、大仰な護衛官の集団が来ることを望まなかった。ボーマンが大統領でなければ喜んで招待させていただくのですが、と彼は言った。ボーマンも彼の心情を理解した。彼が式とパーティーをドーム空港ホテルで開くのも、護衛する人々の人数と負担を軽減するためだ。ドームの付属施設とも言える空港は本来ドームの守備範囲に入っている。そこへケンウッドは彼以外の政治と関係ない人々を招待するのだ。
 何かしらお祝いの気持ちを示したいボーマン大統領は代理人を立てることを思いついた。最初に思い浮かんだのは、前々大統領のハロルド・フラネリーだった。フラネリーは今もドーム事業に援助する形で色々な事業を展開している。彼もケンウッドと親しい。だが、フラネリに相談を持ちかけると、彼も渋った。民間人になったと雖も、やはり元大統領だ。護衛は必ず付いてくるし、彼の行動を常に見張っているマスコミの目もある。フラネリーはボーマンの代理を彼自身は務められないが、妹ならどうだろうと提案した。フランシスはポール・レインとダリル・セイヤーズの2人のドーマーの息子ライサンダーと同居しているし、幼いルシアはドームに要観察の子供として位置づけられている。ルシアは地球に女性が誕生しなくなって200年後に初めて自然の交わりで生まれた女の子だ。彼女の養育者としてフランシスと実父のライサンダーがドームを訪問しても良いのではないか。
 ボーマンがフランシス・フラネリーを代理として祝福に伺わせても良いかと尋ねると、ケンウッドは承知してくれた。元大統領の妹としてではなく、現大統領の代理としてご招待します、とケンウッドは応えたのだ。ライサンダーとルシアはパーティーに出られないが、彼等は外国から帰ってくるポール・レインに会える。ライサンダーは無愛想な父と陽気な父の妻が大好きなのだ。JJ・ベーリングは彼にとって妹同然だったから。それでフランシスはライサンダーとルシアを連れて出発した。ヘリでタンブルウィード空港まで行き、そこから飛行機に乗り換える。ライサンダーは民間機で良いよ、と言ったが、フライトスケジュールを見るとドーム空港への直行便がその日はなかった。途中で乗り換えていると到着が夕方になってしまう。ルシアが疲れるだろうと懸念したフランシスは自家用機を用意させていた。
 ライサンダーがヘッドフォンを外して体を前に傾けた。

「フラン・・・」

 叔母さんとは呼ばない。ライサンダーはフラネリー家とは無関係の男と言う世間体だ。遠縁の家族と世間では通している。女の子のフランシスがポール・レインの取り替え子で、フラネリー家の本当の子供は男の子のポールなのだが、取り替え子の事実が公表された今も秘密だ。地球人類復活委員会は、地球上の混乱を大きくしたくないがため、誰が誰の本当の子供なのか非公開にしている。地球人にとって「知ってはいけない重大な秘密」として認識されているのだ。だからライサンダーとルシアは親しみを込めてフランシスをフランと呼ぶ。

「何? 気分でも悪い?」

 フランシスの実の子供達はずっと以前に航空機事故で亡くなってしまった。子供達の父親、彼女が愛した夫も一緒に死んでしまった。仕事以外に心の穴を埋めるものがなかった彼女に、取り替え子の兄の息子ライサンダーとその娘は天からの贈り物だった。つい子供に甘い「母親」になってしまう。

「いや、大丈夫だけど・・・それより今夜、僕達、ドームのゲストハウスに泊まるって本当なの?」
「本当よ。ケンウッド長官が用意してくれたの。多分、ルシアの健康診断があると思うけど、すぐに終わるそうよ。後は許可範囲でドームの中を自由に歩き回って良いって。」

 フランシスはちょっと興奮を感じていた。ドームの中の面会スペースより中に入る許可をもらえる民間人は滅多にいない。ライサンダーは妻を犯罪で失って1年間、ドームに保護された胎児のルシアを見守るためにドームと外を行き来したので慣れていた。

「それじゃ、俺が案内してあげるよ。立ち入り禁止場所とか、まだ覚えているから、ガイドは任せて。」

 フランシスはニッコリ笑った。

「有り難う。でも貴方はダリルに会いたいでしょう?」

 ダリルはライサンダーのもう一人の父親だ。ポールと自身の細胞を使ってクローンのライサンダーを作って一人で育てた、ライサンダーの大事な「父さん」だ。ダリルが進化型1級遺伝子危険値S1を保有しているためにドームの外に出してもらえないので、ライサンダーは滅多に会えない。せいぜい面会スペースだけだ。だが今夜はたっぷり話し合える。

「親父は彼女と一緒にいたいんじゃないかなぁ。」

とライサンダーは照れを誤魔化した。ダリルの恋人はゴーン副長官だ。
 フランシスは首を振った。

「久しぶりに息子と孫が会いに来るのよ、ダリルは体を空けて待っているわ。」

 ちょっと実の子供達の在りし日を思い出して、フランシスは前に向き直った。ライサンダーが陽気に言った。

「ボーマン大統領のお陰だね。それにハロルドにも感謝しなきゃ。フラン、貴女と一緒に暮らして良かったよ。みんな素敵な俺の家族だ。」

 フランシスはそっと目頭を指で抑えた。


2021年4月18日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 8

  南北アメリカ大陸ドームの医療区長ヤマザキ・ケンタロウは、2名いる副区長に明日のシフトの確認をさせていた。医療区では区長は1名だが、「区長」の椅子に座るのは正副3名が交替で8時間ずつ1日を過ごす。誰か1名が休暇や出張で不在になると、残りの2名が8時間と4時間に分けて業務に就くのだ。「区長」としての業務は主に事務なので、医師として医療行為を行う時間は短い。部下の医師達に患者の面倒を任せて、指揮官として働けば良いのだ。しかしヤマザキは自分で直接患者を診ないと落ち着かない性格で、部下が担当する入院患者は必ず一回は回診してみる。ボスがそんなだから、副区長達も見習ってよく働く。

「現在のところ、入院しているのは『通過』の後半に入った維持班のドーマー2名だけだ。容態の急変はないだろうから、神経質に見張る必要はない。モニター室に任せておくと良い。」

 ロバート・オーエン副区長はドーマー達の遺伝子情報を眺めた。

「取り立てて注意が必要なアレルギーもないですね。」
「うん、2名共に手のかからない良い子達だ。」

 もう一人の副区長メレディス・ダウニーは通院組の患者リストをチェックしていた。遺伝子管理されているドーマー達は問題なさそうだが、コロニー人の執政官に一人長期治療中の持病がある。だが区長が外出を控えるほどの心配はない、と彼女は判断した。

「ヤマザキ先生、何か常備薬を持ってパーティーに出られるのですか?」
「野暮ったい医療カバンを持って行くつもりはないがね。」

 ヤマザキはドームからパーティーに出席する人々それぞれの体質を記録したシートを彼等に見せた。

「アレルギー体質で要注意と言う人間はドーム側にいないので、こちらの心配はしていないんだ。ハイネ局長は食事の時以外はマスクを着用させる。携帯酸素吸入器も持たせるから、大丈夫だろう。ホテルにも救護室があるし、医師も常駐しているからね。
 問題はサンダーハウスから来る連中だな。何人来るのか知らないが、コロニー人も地球人もいる。あっちの情報がないので、急病人が出た場合は出たとこ勝負だ。」

 オーエン医師が笑った。

「ヤマザキ先生、貴方は遊びに行かれるんですよ、仕事を忘れて楽しんできて下さいよ。」
「そう言われてもなぁ・・・」

 ヤマザキは苦笑した。

「地球人だって医者は何かしら商売道具を持ち歩いているって言うぜ。僕は職業病に罹っているんだ。落ち着かせるには、何か医療道具を持っていないといけないんだよ。」
「それは私もわかります。」

 ダウニーも笑った。

「でも立食パーティーでしょ? カバン持って歩けませんよ。ロボットを連れて行く訳にも行かないでしょうから、ホテルの医師と連携できるように打ち合わせなさっては如何ですか。」

 悪くない、とヤマザキは頷いた。

「懸念されるのは怪我ではなく急病人だからな。ホテル側に出席者の健康状態の情報を匿名リストで提出しておこう。しかし、108歳の出席者がよもや50代の姿をしているとは思わないだろうが。」
「カムフラージュにワッツ・ドーマーも連れて行けば如何です?」

 勿論、これはオーエンの冗談だった。ヤマザキは冗談とわかった上で却下した。

「駄目駄目、エイブを連れて行ったら、ハイネよりエイブの方が心配で僕は飯が喉を通らなくなる。折角のシェイのご馳走だぞ。」

 この返しはオーエンとダウニーに大受けした。ダウニーが笑いながら時計を見た。

「そろそろブラコフとヴェルティエンが到着する頃ですね、先生。」
「おお、そうだ。元副長官コンビが揃ってドームに里帰りするのは初めてだな。」
「揃って、じゃないです、全く初めてですよ。2名共、退官して以来、ここへ戻って来るのは初めてですよ。」
「そうだったか? 火星へ帰省したら必ずガブと会っているし、ヴァンサンも空港でよく出会うから、ドームの中でも会っていた気がしたが・・・」
「私もガブには火星でよく出会います。医師会の勉強会とかで会えば一緒に飲みに行ったりしますからね。ヴァンサンには出会わないなぁ。機会がなかっただけですが。」

 するとオーエンが、自分はヴァンサンと出会ったことがあると言った。

「ナイロビに出張した時に、会いましたよ。可愛らしい奥さんと一緒に買い物してました。ほら、僕が買ったキリンのぬいぐるみにノミが付いていて空港で没収された事件があった時ですよ。」
「ああ・・・キリン事件の日か。」
「没収のショックで、ヴァンサン達と会ったことをみんなに報告するのを忘れてましたけど。」
「え? 今思い出したの?」

 ダウニーが驚いて声を上げたので、オーエンが御免と呟いた。

「ノミのせいだよ、ノミが悪いんだ。」




2021年4月17日土曜日

狂おしき一日 La Folle journée 7

  ガブリエル・ブラコフは月の宇宙港でシャトルに乗り、アフリカのカイロ宇宙港でヴァンサン・ヴェルティエンと落ち合い、同じ航空機に乗って南北アメリカ大陸・ドーム空港に降り立った。機内では他の乗客に聞き耳を立てられないように、互いに現在の仕事の話ばかりした。
 ブラコフは火星第1コロニーの公立中央病院で火傷治療専門の医師をしている。公立中央病院はテロや戦闘、大事故で身体に重大な損傷を受けた患者を受け入れる病院だ。所謂ウィルスなどの病原菌が原因の疾患や生活習慣病などの患者は診ない。外傷専門の病院だ。彼はそこで火傷や熱傷を負った患者を診ている。皮膚の再生や移植を行っているのだ。そして機能回復のプログラムを作り、リハビリのメニューを患者と共に考える。彼自身がテロの被害者であり、死の一歩手前まで行く重傷を負った経験がある。だから彼は患者に寄り添って、彼等を絶望の淵から呼び戻し、前に向かって歩き出す手伝いをしているのだ。
 ヴェルティエンは現在アフリカのケニアで妻と共に原住の民族の文化を記録する仕事に従事している。アフリカは宇宙へ移住した人が少なく、その為に女性が生まれなくなった地球規模の大異変で人口が激減した。取り替え子用のクローンを製造するのに用いる卵子の供給が困難だったのだ。少数民族の中には大異変から2世紀の間に消滅してしまった民族もいる。文化人類学者であるヴェルティエンは消えた民族の遺産を集めていたのだが、ケンウッドが率いる南北アメリカ大陸ドームが女性誕生の鍵を発見したことで、希望を見出した。彼は悲観的に人口が減った民族が生き残れるように、大急ぎで文化の記録を採り始めた。毎日妻と平原へ出かけて行って、宗教や生活習慣の記録、言語をデータ収集しているのだ。
 ブラコフはケンウッドの弟子の一人で、一番のお気に入りだった。だからケンウッドが長官に就任した時、副長官に任命された。ドームの勤務歴が長い執政官達から若輩者と妬まれたり、軽んじられたりしたが、ケンウッドは彼を励まし、彼が地球勤務を選んだ理由である、憧れの白いドーマー、ローガン・ハイネも彼を支えてくれた。遺伝子管理局長を味方につければドーム生活は楽しくなる。ドーマー達が助けてくれるからだ。ブラコフはドーマー達からは一度も軽んじられたことがなかった。彼等はいつも協力的だった。彼がテロで負った大怪我から復活して再び副長官職に戻った時は大喜びしてくれたのだ。そして彼が新しい仕事を求めてドームを去る時は涙を流し、惜しんでくれた。
 ヴェルティエンはケンウッドがユリアン・リプリー長官の副長官に任命された時、ケンウッドの秘書として採用された。目立たない役職だったし、遺伝子学者ではなく文化人類学者なので、秘書仲間からも重視されなかった。しかしケンウッドは彼を大事にしてくれた。機密事項も彼に遠慮なく任せてくれたし、彼が本業の研究の為にちょっとまとまった長さの休暇を申請しても怒らなかった。寧ろ彼が旅行から戻ると、何か発見したのかと好奇心満々で質問してくれた。そして彼の口頭での旅行記を嬉しそうに熱心に聞いてくれたのだ。ケンウッドが長官に昇進したら、ユリアン・リプリーの秘書だったジャン=カルロス・ロッシーニがもう一人の長官秘書としてケンウッドのチームに加わった。ロッシーニはドーマーで年齢も行っていたのでドーム内での経験はとても豊かで、ヴェルティエンは彼から教わることも多かった。時々ケンウッドとロッシーニが目で秘密の会話をしていた・・・とヴェルティエンには印象付けられた・・・こともあったが、2人の人生の先輩はヴェルティエンを可愛がってくれたのだ。
 ブラコフがテロで大怪我を負って治療のために火星へ行っていた期間、ヴェルティエンは第2の副長官に任命され、ブラコフと通信しながら業務を行った。初対面当初から仲は良かったが、これがきっかけで2人は無二の親友となったのだ。ブラコフはヴェルティエンの援助に心から感謝して安心して治療に専念できたし、ヴェルティエンは彼に職務を任せてくれたブラコフの信頼に感謝し、絶望的な負傷から辛い治療とリハビリをやってのけたブラコフを尊敬さえした。
 今回の再会は2年ぶりだった。2人共に尊敬し愛する師匠、ニコラス・L・ケンウッドの結婚を心から祝福していた。喜んでいた。
 航空機から降りて入国手続きを済ませ、ロビーで荷物を受け取って、初めて2人はリラックスした気分になり、互いの手でグータッチした。

「信じられるか、あのケンウッド先生が遂に結婚だ!」

 ブラコフが興奮を抑えつつ叫ぶと、ヴェルティエンも大きく頷いた。

「やっとあの人も家庭を持つ気になってくれたんだな!」

 師匠の花嫁が54歳も年下など、彼等にはどうでも良いことだった。
 彼等はドーム・ゲイトに向かって歩き始めた。他の招待客と違って彼等は元副長官なので、ドーム内のゲストハウスに宿泊するよう指示が来ていたのだ。指示を出したのはゴメス保安課長だ。勿論、セキュリティ上の判断だ。

「退職してからドームに来たのは何度目だい?」
「初めてだ。」
「へぇ、そうなんだ?」
「君はどうなの?」
「僕も初めてだよ。ケンウッド博士とは何度かお会いしているが・・・」
「僕もさ。外では出会う機会があるんだが、ドームに入る理由がなかなか見つからなくてね。」
「それじゃ、ドーマー達とは辞めて以来の再会か。」
「そうなる。懐かしいなぁ。」
「子供達は大きくなっているだろうね。」
「うん。おい、覚えているか、ロッシーニ・ドーマーが育てていた女の子。」
「ああ、ロッシーニが亡くなる時、あのユリアン・リプリーを宇宙から呼び寄せることに成功した女性だな。」
「彼女、保安課に入ったんだって。」
「へぇ! 科学者じゃないんだ。」
「ロッシーニは初め反対していたそうだ。医者か科学者か、そっち方面へ進んで欲しかったようだよ。」
「親心だな。保安課よりずっと安全だもの。怪我だってしないだろうし。」
「でも彼女は保安課員になった。ロッシーニが仕えたケンウッド先生の護衛官を目指しているそうだよ。」

 2人は消毒ゲイトの前に立った。退職してから消毒されるのは初めてだ。どちらからともなく、互いの顔を見やった。

「ここを通らなきゃならないことを忘れていたな。」
「仕方がない・・・覚悟を決めて入ろう!」


狂おしき一日 La Folle journée 6

  ラナ・ゴーン副長官は昼前の打ち合わせ会に長官に見せる書類の最終確認をしていた。緊急を要する類の重要な問題はない。ただ、明日は長官も遺伝子管理局長も保安課長もドームの外に出る。南北アメリカ大陸ドームの最高幹部4名のうち3名、男性全員が外に出て行くので、彼女が一人で一日留守を守らなければならない。
 長官は頻繁に外出するので、それは慣れている。仕事人間のケンウッド長官は旅先でもよく電話をかけて来て、何か問題はないかと訊いてくる。心配性なのだ。
 保安課長ゴメス少佐は頻繁ではないが、月の地球人類復活委員会本部で開かれる保安部門研修会に出席するし、重力休暇も取る。地球上のドーム保安責任者の会合にも出かける。ゴーンは保安の問題について完全に少佐の部下に任せている。保安課のドーマー達は優秀だし、ドームの保安維持について言えば、少佐よりベテランだ。だから、これもゴーンにとって問題ではない。
 遺伝子管理局長ローガン・ハイネが1時間以上外出するのは、今回が初めてだ。しかし彼には補佐出来る部下が大勢いる。彼等は局長が体調を崩して入院したり、休暇を取って職場に顔を出さない日に局長業務を問題なくこなしている。ゴーンは遺伝子管理局の業務にも不安を抱いていない。
 だが、彼等3名が一度にドームを留守にするのは今回が初めてだ。ゴーンはちょっと寂しい思いをしていた。長官の一番近くにいるのに、彼の結婚式に出られない。招待されなかったのではない。ケンウッドは彼女も招待したかった。しかし、副長官までがドームから出てしまうのは如何なものか、と彼女は考えてしまったのだ。
 花嫁の母親キーラ・セドウィックはゴーンにとって親しい友人だ。花嫁のシュリーも赤ちゃんの頃から知っている。美人だから、きっと美しい花嫁姿を見せてくれるだろう。映像ではなく生で見たいものだ。それにシュリーと一卵双生児の妹ショシャナがプロのピアニストとして披露宴会場で演奏するのだ。太陽系クラシック音楽祭ピアノ部門で金賞を取ったショシャナの演奏を是非とも生で聞きたいものだ。
 ケンウッドが出席を打診してくれた時に、イエスと答えるべきだった、と彼女は今更に後悔していた。パーティーは長くても半日だ。ドームの最高責任者4名全員が半日留守にしても、ドームは順調に機能する筈だ。執政官もドーマーもみんな素晴らしい才能の人々なのだから。
 はぁ・・・と溜息をつく彼女を、秘書が訝しげに眺めた。

「何か気がかりなことでもおありですか、副長官?」

 ゴーンは彼女を振り返り、微笑みを作った。

「何もないわ、アンバー。」

 素早く言い訳を思いついた。

「友人の娘が結婚すると考えたら、歳月が過ぎるのは早いなぁって思ったの。私が歳を取るのも無理ないわね。」
「貴女はちっとも歳を取ってませんよ。いつもお若くていらっしゃいます。羨ましいです。」
「あら、お上手。」

 秘書のアンバー・ヒーリーが肩をすくめて、それから質問した。

「明日のパーティーは何をお召しになられますの?」

 え? とゴーンは彼女の目を見た。からかってるの? 
 しかしヒーリーはちっとも悪びれずに続けた。

「被服班から、明日の副長官のお召し物の指図を早く頂けないかと催促が来ています。あちらも準備に大忙しの様子ですよ。お昼までにお返事してあげて下さいね。」
「明日って・・・私はお留守番よ、アンバー。」

 今度はヒーリーが、え? と言う顔をした。

「そうでしたか? 私、長官に貴女は出席です、とお返事してしまいました。」
「何ですって?!」

 ゴーンは仰天した。

「私はケンウッドに欠席と答えたのよ。」
「でも、昨日もう一度長官は確認のお電話をかけて来られたでしょう? その時、私が出て、副長官にどうなさいますと尋ねたら、イエスですって仰ったじゃないですか。」
「まさか・・・」

 そんな電話は記憶にない。ゴーンは思い出そうと努力した。昨日? 
 昨日はクローン製造部でちょっとしたトラブルがあった。卵割が終了したクローン用胚の育成室の温度設定がコンマ1度ずれていることが判明し、機械の修正とコンピューターの修正、胚の治療などでクローン製造部全体が緊張と焦燥でパニックになりかけていたのだ。ゴーンは製造部と副長官室を何度も往復しながら指揮を執った。秘書が何か話しかけて来たが、上の空だったかも知れない。

「私は明日パーティーに出席することになったの?」

 思わず秘書に確認してしまった。アンバー・ヒーリーが頷いた。

「ですから、早くお召し物の指図を被服班にお願いします。」

 わかった、と答えて、ゴーンは打ち合わせ会に出るために副長官執務室から廊下に出た。そして誰もいないことを確かめてから、ガッツポーズを決めた。


2021年4月16日金曜日

狂おしき一日 La Folle journée 5

 「ゲストハウスしか空いていないのかい?」

 ダリル・セイヤーズはちょっとがっかりした声を出した。電話の相手は住居班だ。ドーム内の居住区域のメンテと宿泊する来客の為のゲストハウスの準備を仕事としている。
 明日の朝、セイヤーズの恋人ポール・レインが東アジア・ドームから一時帰国して来る。妻のJJ・ベーリングも一緒だ。夫妻は世界各地域のドームが作る女性クローンの遺伝子が正常な情報を持っているかどうか、検査して廻っているのだが、レインが実の父以上に慕っているヘンリー・パーシバルの娘の結婚式と聞いて、東アジア・ドームの長官に願い出てアメリカへ一時帰国を許されたのだ。レインはパーシバルとは既に何度か再会しているが、パーシバルの家族とはまだ会っていない。妻のキーラ・セドウィックはレインにとっては誕生の時に取り上げてもらった「母」だし、憧れの人でもあったのだが、彼女が退官して宇宙に帰ってからは出会う機会がなかった。一度彼女は春分祭に子供達を連れてドームを訪問したのだが、その時レインはドームに帰還したばかりのセイヤーズを観光客の好奇心から守る為にアパートに籠っており、一家と出会えなかったのだ。だから、今度こそパーシバル博士の自慢の娘達と息子にも会ってみたかった。
 JJは世界旅行の仕事に出かけている間に行われた友人のジェリー・パーカーと親友のメイ・カーティスの結婚式に出損ねた。一度で良いから、「結婚式」と言うものを見たかった彼女は、悔しかったのだ。彼女自身も旅立ち直前の慌ただしさで簡略化された式しか挙げていない。ダリル・セイヤーズやパーカー達に祝福されて送り出されただけだ。それに進化型1級遺伝子を持つローガン・ハイネの血統を受け継いでいると噂されるキーラの娘の遺伝子をしっかり確認したかった。
 だから、ダリル・セイヤーズは遠路遥々帰国して来る親友かつ恋人夫妻の寝泊まりする部屋を確保しようと住居班に妻帯者用アパートの部屋を申し込んだのだが、生憎満室だと言われてしまった。住居班は地球人保護法改正後、カップリングする住民が増えたので、空き部屋はない、今は順番待ちが発生している状態だと答えた。

「レインとJJは長官の結婚式が終わったらすぐに旅に出るんだろう? ゲストハウスでいいじゃないか。」

 セイヤーズはレインがコロニー人が寝泊まりするゲストハウスの部屋に我慢出来るだろうかと疑問に思った。

「それじゃ、ポールに直接聞いてみる。また連絡する。」

 電話を切って、彼は上司のアルジャーノン・キンスキーがこっちを見ているのに気がついた。いけない、仕事中だった。気まずい思いでコンピューターに向き直ると、キンスキーが囁いた。

「気になることはさっさと片付けておけ。但し、部屋の外でやってくれ。」
「すみません。」

 セイヤーズは執務机の向こうで何やら書類と格闘しているハイネ局長をチラリと見てから、席を発ち、室外に出た。廊下は静かで、向こうにある内務捜査班のチーフ執務室も大部屋もドアを閉ざしたままだ。
 セイヤーズはレインの端末に電話を掛けた。東アジアでは夕方の筈だ。3回目のコールの後で、レインの声が応えた。

「レイン・・・」
「セイヤーズだ。」

 2日前に帰国の知らせを連絡して来たばかりだから、挨拶は抜きだ。セイヤーズは直ぐに本題に入った。

「君とJJがこちらで滞在する間の部屋を確保しようと思ったのだが、妻帯者用アパートはもう満室なんだ。ゲストハウスで良ければ・・・」

 レインが遮った。

「空港ホテルは空いているか? もしそこが満室なら、シティで宿を探してくれ。」

 セイヤーズは一瞬耳を疑った。レインはドームの外の宿を好まない筈だ。不潔で騒がしいと嫌っていたのに。

「ホテルで良いのか?」
「君はホテルでも平気だったろう?」
「ああ・・・確かに私は平気だが、君は・・・」
「俺も贅沢は言わないことにした。アフリカや中央アジアの庶民の家を見たら、俺の好みがいかに我儘なものかわかったから。」

 ポール・レインがしっかり大人になっている。セイヤーズは嬉しくなった。ドームで手厚い庇護を受けて育ったドーマーは外の生活になかなか馴染めないが、一番大きな理由は「家」だった。清潔で設備が整った便利な空間で育ったドーマー達は、外の世界の家が不潔で不便な原始的な住まいとしか見られない。レインは特にその傾向が強かった。しかし、仕事で世界旅行に出かけて、認識に変化が起きたのだ。地球上には未だに上下水道が整備されていない環境で暮らしている人々がいる。そんな場所は衛生状態も良くない。それでも人間は暮らして行くのだ。レインとJJは現地の遺伝子管理局と共にそう言う土地を視察し、現地のドームでクローン養育施設を巡って受精卵の遺伝子が正常であることを確認してまわっている。

「わかった。ホテルで良いんだね? ダブル? ツイン?」
「ツイン。疲れている時は彼女も俺も一人で寝たいんだ。」
「OK。それじゃ部屋をとっておく。私は式に出ないけど、ドーマーからはハイネ局長とアキ・サルバトーレが出るから、どちらかにどこのホテルか伝言を頼んでおくよ。」
「すまん。式が終わったら、少し時間があるだろうから、ドームに行く。中に入ったら、俺の方から連絡する。」
「北米南部班に連絡を入れておこうか?」
「うん、クラウスには絶対に会いたい。それからジョン・ケリー、パット・タン、若い連中にも・・・」

 どうやらクールに振る舞うポール・レインもちょっと里心が出たようだ。セイヤーズは画面の中の恋人にキスをしたい気分を抑えて言った。

「それじゃ私は仕事に戻る。気をつけて帰って来いよ。」


狂おしき一日 La Folle journée 4

 「どうして私が招待されるのか、意味がわかりませんわ。」

 シンディ・ランバート出産管理区副区長がぼやいた。出産管理区の執政官とドーマー医師が一堂に会した会議の終盤だった。彼女と彼女の上司出産管理区区長のアイダ・サヤカは明日のケンウッド長官の結婚披露パーティーに招待されていたが、招待状を送ったのは長官ではなく、花嫁の方だった。

「そりゃ、私もアイダ博士同様月や火星に帰省する度にパーシバル&セドウィック家を訪問してますし、子供達とも旧知の仲ですけど、披露宴に呼ばれる程ではありませんよ。セドウィック博士のお式に呼ばれるのでしたら、納得出来ますけどね。」
「多分、招待状を出したのは、花嫁ではなく、セドウィック博士なのでは?」

と部下の医師が言った。

「きっと彼女はサヤカとシンディに会いたいのですよ。」

 アイダが心配そうにランバートに尋ねた。

「行きたくないの?」
「そう言う訳では・・・」

 ランバートは躊躇った。出かけると言っても、ドームから出てすぐの空港ホテルだ。ゲイトを出れば目の前にある。空港ビルの一部なのだから。もし区長・副区長両名共に出かけても、出産管理区で何かあればすぐに戻れる。それに部下達は全員優秀だ。妊産婦も目下のところ特に医療的に考慮すべき問題を抱えた人はいない。
 シンディ・ランバートは大勢の人が集まる場所があまり得意ではない。地球人類復活委員会の総会に出席したのも入会して最初の会合に出たっきりだ。ドームでも執政官会議は多忙を理由に出来るだけサボっている。
 パーティーは大好きなアイダが副区長を励ました。

「特に何かパフォーマンスをしろと言われている訳ではないでしょ? 私達は長官の友人でもあるし、でも長官は私達に何も特別なことを希望していらっしゃらないわ。シュリーも学生時代の友人達に何か頼むとしても、私達には何も要求しないわよ。だから私達はキーラと一緒にご飯を食べて、彼女とお喋りして、適当な頃合いを図って帰れば良いの。」
「シェイのお料理なんでしょう?」

と別の部下が口を挟んだ。

「羨ましいわ。彼女の味付け、優しいのよね。私、厨房班のお料理に不満がある訳じゃないけど、シェイのシチューの味が本当に好きなのよ。」

 ランバートも頷いた。

「私も彼女のお料理が大好きよ。チェリーパイなんか、夢に出てくることもあります。でも若い人が大勢来るであろう宴に、こんなオバさんが居て良いのかしら。」
「あら、そんなことを言ったら、私も行けなくなるでしょ! 貴女の方が若いのよ。」

 アイダが怒った顔をして見せたので、会議室内に笑い声が起きた。

「新郎側は私達と同年代の人たちよ。ヤマザキ博士もゴメス少佐も出席なさるのだから、遠慮することはないわ。」
「お行きなさいよ、ランバート博士。」

 キャリー・ワグナー医師が声を掛けた。

「アイダ博士は局長のお守りでお忙しいでしょうから、貴女がその分パーティーを楽しまなくっちゃ。」
「それなら、アイダ博士とセドウィック博士と私の3人で局長のお守りをしますわ。」

 すると、ドーマー医師の中から囁き声が聞こえた。

「案外、ケンウッド長官が局長の世話に明け暮れたりして・・・」

 アイダ・サヤカがプッと吹き出し、出産管理区の会議室は大爆笑となった。



狂おしき一日 La Folle journée 3

 「メニューの変更?」

 シェイはジェリー・パーカーから手渡されたメモを見て眉をひそめた。パーカーが慌てて手を振った。

「メニューじゃない、人数の変更だ。明日の出席者が4、5人増えるとセイヤーズが連絡して来た。」
「どうして貴方のところに連絡するの? ここへ直接電話してくれりゃ良いのに。」

 2人は巨大な冷蔵室の中にいた。空港ホテルのレストランの冷蔵室だ。空港ビル内の全ての飲食店、各航空会社の航空機の乗務員や職員の食堂、空港保安員やドーム航空班の寮食堂など、ドーム空港で消費される全ての食糧が集積、貯蔵されている。シェイは寮食堂の中休みで明日のパーティーで使用される食材が漏れ無く購入されているかチェックしている最中だった。新鮮さが売り物で明日の朝にならなければ届かない数種類を除いて、全ての食品が納入されていなければならない。今夜から仕込みに入るのだから。

「明日のパーティーは公にしちゃならねぇからさ。」

 パーカーはドーム空港ビル内に限ってドームからの外出を許可してもらえる。勿論、許可を出すのは彼の直属の上司であるラナ・ゴーン副長官だ。そしてゴーンの彼氏はダリル・セイヤーズ、遺伝子管理局局長付き第2秘書だ。セイヤーズはパーカーの数少ない友人でもあった。

「長官の結婚式だって言わなければ良いんじゃない?」
「ドームは情報保護に煩いんだ、知ってるだろう?」
「ラムゼイ牧場並みにね。」

 パーカーとシェイはラムゼイ博士ことサタジット・ラムジー博士の手で育てられた。ラムジーは連邦法を違反した異端の遺伝子学者で、クローンの製造販売を行う闇業者だった。パーカーもシェイもクローンではない、本物の人間の子供だったが、パーカーは古代に氷漬けになった赤ん坊が蘇生させられ成長した男で、シェイは良質なクローンを製造するのに必要な卵子の殻を得る為に赤ん坊の時に人身売買で地球に売られたコロニー人の子供だった。2人が育ったのは、ラムジーの隠れ蓑でありクローンの隠し工場でもあった牛の牧場だった。普通の子供の様な楽しい過去でなかったかも知れないが、パーカーとシェイにとってラムゼイ牧場は懐かしい故郷だ。正直なところ、パーカーはあまり思い出したくなかった。ラムジー博士が悲惨な最期を遂げたことを思い出したくなかったから。だから強引に牧場からシェイの関心を明日のパーティーに引き戻した。
 
「兎に角、セイヤーズは俺にドームの外の空気を吸って来いと出してくれたんだよ。」

 パーカーは近くの棚にもたれかかろうとしたが、棚が冷気でキンキンに冷えていたので止めた。本当は寮食堂が中休みなので、従業員の休憩室でお茶でも飲みながら話したかったのだ。しかし料理のこととなると夢中になってしまうシェイは、「弟」との面会を冷蔵室で行うことになんら不満を持たなかった。それでパーカーは冷蔵室の管理人から借りた防寒着を着て中にいるのだ。

「俺がここに来るのが嫌なのかい?」
「貴方がここに来てくれるのは嬉しいわ。」

 シェイの目はリストと棚を何度も往復していた。

「でも、私は今明日の準備で忙しいのよ。」

 彼女はやっと視線をパーカーに向けた。

「貴方は明日も来るの?」
「なんでだ?」

 パーカーはムッとした。

「俺は長官の友達じゃねぇし、花嫁には会ったこともねぇ。招待される筈がねぇじゃねぇか。」
「そのカウボーイ口調を改めたら、招待してもらえたかもよ。」

 シェイはパーカーが牧童達の言葉を覚えてから度々「姉」として注意してきた。ラムジー博士からもよく「ジェリーの言葉遣いを直してやれ」と言われていたのだ。博士は彼等を牧場の外に出したがらなかったが、外に出ても苦労しない様に躾はしっかり行なっていた。きっといつか自分がいなくなった時に彼等が自力で生きていける様に準備してやるつもりだったのだろう。

「言葉は関係ない。俺はただのドームの労働者だ。長官は良い人だが、彼の友人じゃねぇし、科学者の招待客ばかりのパーティーは御免だ。」

 シェイがリストを画面から消して、端末をポケットに入れた。

「わかったわ。それじゃ、休憩しましょう。明日出す予定のデザートの味見して頂戴。チョコレートムースよ。」

 おっ! やったね! と喜ぶパーカーを引き連れて彼女は冷蔵室を後にした。


狂おしき一日 La Folle journée 2

  ドーム空港ホテルの大ホールを、南北アメリカ大陸ドームの保安責任者、ロアルド・ゴメス少佐と空港保安部のチーフ、ジョナサン・ダッカー、ゴメスの直属の部下で今はケンウッド長官専属同然の護衛官となっているアキ・サルバトーレは歩き回っていた。少佐は壁を、ダッカーとサルバトーレは広い会場に並べられているテーブルに爆発物探知機を向けていた。明日の大ホール使用目的は公開されていないが、ドームの最高責任者が主役となる大切な行事だ。万が一のことがあってはならない。
 ダッカーが尋ねた。

「少佐はパーティーに出席されるのですか?」

 ゴメスは肩を竦めた。

「俺のガラじゃないんだが、ケンウッドが友人として来て欲しいと言うんだ。最初の挨拶だけ聞いて、後は好きな時に帰って良いと言うから、1時間ほどでお暇するつもりだがな。」
「最後までゆっくりなさると良いですよ。」

 ダッカーが苦笑した。

「我々がしっかり警護しますから。」
「別に君達を信頼していないと言う訳じゃない。信頼しているから、ドームに帰るんだよ。」

 ゴメスは手にした機器の数値を確認して次の壁に移りながら首をちょっと回した。

「どうもタキシードとか、タイとか、窮屈な服は好かん。そうかと言って、軍服など着れないだろう。俺はとっくの昔に退役したのだし、平和な食事会にキナ臭い姿で出たくない。ドームの制服は仕事をしている気分になってしまうし・・・」

 サルバトーレが笑った。

「少佐、長官は平服で、と仰ってるじゃないですか。」
「平服って、どんな服を着れば良いんだい? アキ。 コロニーの平服は機能性重視でパーティー向きじゃないんだ。コロニー人はパーティーの時はそれこそ時代がかった正装をしたがるんだよ。」
「地球の平服ですよ。清潔なシャツに型が整ったジャケット。」

 ダッカーが提案した。

「ここの検査が終わったら、今別の部屋で行われているパーティーを見に行きませんか? 保安部のモニター室で見られますよ。」

 ゴメス少佐は不満そうな顔を見せまいと壁に向かった。どんな服装でもパーティーには行きたくなかった。これがお気楽な飲み会だったら喜んで行くのだが、新郎新婦の親戚や友人達が集まる。ケンウッドの友人達は問題ない。ケンウッドは宇宙にいる学生時代の友人は呼ばないと言っていた。新妻を紹介したければ、宇宙へ重力休暇で戻る時に集まれば良いから、と言っているのだ。長官が呼ぶ友人はドームで一緒に暮らしている人々、そして花嫁の実家の人々だけだ。
 問題は、花嫁の友人だ。シュリー・セッパーは若い。まだ20代だ。学生時代はほんの数年前のことだから、火星や月に友人が大勢いるだろう。それに地球に降りて来てから、サンダーハウス実験場関係で地球にもたくさんの友人を作った。一体何人呼ぶのだ?
 ゴメスは頭の中でテーブルの数を数えた。立食パーティーだが、テーブル一台につき5、6人が使用するとして、全部で100人? もっと? そんな数の若者の前でどんな服装をしていれば良いのだ? 
 ゴメスはサルバトーレを振り返った。

「君は呼ばれていたか、サルバトーレ?」
「僕ですか?」

 サルバトーレは苦笑した。

「長官ではなくシュリーから招待状を頂いたのですが、仕事がありますと断ったんですよ。ところが彼女が、『どうせ仕事ってニコの護衛でしょ? パーティーに出て頂戴。』って辞退を許してくれなくて・・・」
「つまり、出席するんだな?」
「すみません、一応チーフには休暇届けを出しています。 でも長官の護衛はしますから・・・」
「構わん、パーティーを楽しめ。それより、君は何を着てくるつもりだ?」

 サルバトーレは、ダッカーも興味津々で彼を見つめていることに気がついた。えー・・・と彼は頭を掻きながら答えた。

「先月長官の護衛でサンダーハウスに行った時に、シュリーが見繕ってくれたジャケットとシャツ、それにパンツの組み合わせで・・・」

 役得をうっかり打ち明けてしまったサルバトーレは、ゴメスの眼に睨みつけられてドギマギした。


2021年4月15日木曜日

狂おしき一日 La Folle journée 1

  ケンウッドは立体スクリーンに映し出された2着のタキシードを忌々しげに眺めていた。彼の隣に立っている秘書のジャクリーン・スメアは嬉しくて堪らないと言いたげに微笑みながら、ボスに尋ねた。

「どちらを着られます?」
「どうしても着なきゃいけないのかい?」

 ケンウッドが恨めしそうに質問で返した。スメアは両腕を左右に広げて見せた。

「花婿さんですもの、タキシードを着るものでしょ?」
「派手な式はしないと私は言ったんだよ。シュリーもそのつもりでドレスの注文をしていない。」

 勢いよく言ったつもりのケンウッドだったが、その語尾は少しずつ弱まっていった。スメアが意味深にニコリと笑ったからだ。彼は恐る恐る尋ねた。

「まさか・・・彼女はドレスを注文したのかね?」

 スメアは微笑み続けたが、返事はしなかった。だがその無言の返答がケンウッドの懸念を裏付けていた。そんな馬鹿な、と彼は呟いた。

「式を挙げないと言ったのは、彼女なんだぞ!」
「セッパー博士はドレスを注文なさっていませんわ。」

 秘書はやっと口を利いてくれた。

「ドレスを注文なさったのは、セドウィック博士です。」
「キーラが?」
 
 意外な伏兵だ。ケンウッドは婚約者の母親の存在を何故思い出さなかったのだろうと後悔した。キーラ・セドウィックはヘンリー・パーシバルと結婚した時、派手な式を挙げなかったが、彼女自身は古風にドレスを着た。パーシバルも地味ではあるがタキシードを着用した。そうすることで、長い間娘と息子の晴れ姿を待ち続けた互いの親達に安心と満足を与えたのだ。しかしケンウッドには既に親がいない。両親亡き後、親の様に頼る親戚もいなかった。叔父も伯母も遠いコロニーに居住していたし、ケンウッドの弟妹はそれぞれ家庭を持ち、互いの誕生日に祝いのメッセージを送信し合う程度の付き合いしかしてこなかった。ケンウッドは自身の甥や姪が現在何歳で何処に住んで何をしているのかも知らないのだ。だから、花嫁の両親が彼自身の大事な親友であるにも関わらず、彼等が娘の晴れ姿を見たがっていると言う親心を持っているとは、彼の考えの至るところでなかったのだ。
 あちゃーと彼は思わず自身の額を手で打った。花嫁がドレスを着るとなると、花婿である彼もそれ相応の姿でなければ彼女に失礼だ。第一、南北アメリカ大陸ドーム長官が、正装した花嫁を平服で迎えるなど、誰が歓迎するだろうか。

「結婚披露パーティーだけだと言ってあったのに・・・」
「親御さんとしては、娘さんの花嫁衣装姿を見たいのですわ。」

 スメアはボスを宥めようと努力した。

「多分、記念映像を残されたいのですよ。正式なお式を挙げるのではないのかも知れません。」

 ケンウッドは端末を出した。

「ヘンリーに確認する。公認立会人を立てる式なのか、映像に残すだけの衣装で、実際はパーティーだけなのか・・・」
「その前に、タキシードを決めて下さい。お店に連絡を入れないと間に合わなくなります。」

 スメアがちょっと怖い顔で迫ってきた。ケンウッドは映像に視線を向けた。投げ槍な気分で言った。

「左でいいよ。左で・・・」


2021年4月9日金曜日

Break 29

 とうとうニコラス・ケンウッドも年貢の納め時(笑)

彼のミドルネームがライオネルだと明かされたところで、いつもの登場人物紹介(登場順)


ゲイリー・ピッツバーグ

コロニー人執政官。
地球人類復活委員会が採用した最後の遺伝子学者グループの一人。専門は細菌学。
まだ若いが、一応「親」としての振る舞いは心がけている。しかしドーマー達からタメ口を聞かれているようだ。


ライリー・コードウェル・ドーマー

ネピア副局長の秘書。
副局長は新設の役職なので、その秘書も新設となる。
新しく局長第2秘書になったダリル・セイヤーズとは同列になるが、若いので幹部会議では下っ端扱いだ。
喘息の遺伝子を持っているので外勤務の経験はないが、内勤職員として優秀だったので秘書に採用された。


ハマー・ブライト・ドーマー

遺伝子管理局内務捜査班チーフ、コリン・エストラーベンの秘書。
歴代のチーフの秘書はほとんど内勤職員に紛れて目立たなかったが、エストラーベンは自分の執務室に秘書を置いている。セイヤーズとは対等に口をきく。


べサニー・ロッシーニ・ドーマー

保安課員。
元遺伝子管理局内務捜査班チーフでリプリーとケンウッドの2代のドーム長官の秘書を務めたジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが最後に育てた若いドーマー。
自ら希望して保安課に入った。養育係だったロッシーニを「父」と呼び慕っている。
セイヤーズ達から見れば、まだまだ子供。


クララ・ボーマン

第2世代アメリカ合衆国大統領
ハロルド・フラネリー大統領の下で副大統領を務め、息子のスキャンダルでフラネリーの後任候補から外された苦い経験を持つ。
ケンウッド長官とは良好な関係を築いている。政治学者でもある。




2021年4月8日木曜日

星空の下で     31

  シュリー・セッパーは2つのカクテルグラスを持ってウッドデッキに出た。木製のベンチに座ったケンウッドが星空を眺めている、その隣に座り、グラスの片方を彼に差し出した。ケンウッドはグラスを見て、彼女を見て微笑んだ。グラスを受け取り、一口甘酸っぱいカクテルを口に含んだ。彼が満足そうに頷くのを確認して、彼女は安心して自分のグラスに口をつけた。

「ハイネを同伴出来なかったのは残念だ。」

とケンウッドが呟いた。シュリーは彼の肩にそっともたれかかった。

「いいの、焦る必要はないわ。それに局長がここへ来たら、彼の世話にかかりっきりになってしまうでしょ。」
「ハイネはそんなに手はかからないよ。」

 ケンウッドは苦笑した。ローガン・ハイネは大人だ。好奇心は強いが、見知らぬ土地で無闇に動き回って周囲に心配をかけたりしない。ケンウッドやシュリーが気にかけなければならないのは、彼の肺だけだ。

「局長の脚はもう治ったの?」
「まだ完治していないが、ギプスは薄い物に交換してもらったらしいよ。普通に歩けるので、若いドーマーや執政官達は彼が骨折したことを知らずにいる。ただ、彼がジョギングや格闘技の練習をしなくなったので、不審に感じる者はいるがね。」
「まさか運動量を減らした為に太ったってことはないでしょうね?」

 シュリーの懸念にケンウッドは思わず笑った。

「大丈夫だ。ケンタロウとサヤカが抜かりなくハイネの栄養管理をしている。妻と親友が医者だと不健康な生活はしたくても出来ないんだよ。」

 そうなんだ、とシュリーが笑いながら納得した。

「もし局長が太ったら、ママが絶対に許さないでしょうから。ママにとって局長はこの世で最高の男性なのよ。欠点があっては駄目なの。」
「キーラにとってハイネが最高の男性だって? それじゃヘンリーは2番目かい?」
「パパは特別、別格なの。比較になる人はいないのよ。」

 シュリーはケンウッドの横顔を見つめた。

「私には貴方が別格の人よ、ニコ。」
 
 ケンウッドが振り返ると、彼女が素早く唇にチュッとキスをした。ケンウッドは暗がりに座っていて良かった、と思った。年甲斐もなく頬が熱く、恐らく赤くなっている筈だ。

「君にそんな風に言ってもらえて光栄だよ、シュリー。」
「私こそ偉大なるニコラス・ライオネル・ケンウッド博士に認めてもらえて光栄だわ。」

 シュリーは珍しく少し躊躇ってから続けた。

「成人すると両親の姓のどちらかを選ぶことになっているけど、私はセドウィックもパーシバルも選べないわ。つまり、どちらも捨てられないってこと。私はママもパパも大好きだし、どっちの親戚も大好きなの。」
「だからセッパーを名乗っているんだろ?」
「そうだけど・・・」

 彼女は彼の目を真っ直ぐに見た。

「シュラミス・ケンウッドになっては駄目?」

 ケンウッドは目をパチクリさせた。

「君は両親の姓を両方とも捨てるのかい?」
「そっちの方が公平でしょ? ママとパパにはシャナとローガンがいるわ。あの2人にセドウィックとパーシバルを継がせれば良いわ。それにどっちも親戚が同じ姓を名乗っているし。」
「そりゃ、君がどんな姓を使おうが法律が許可しているから構わないが・・・」

 ケンウッドは試しに尋ねた。

「シュラミス・ハイネを名乗る気はないのかな?」
「ないわ。」

 実にあっさりとシュリーは否定した。

「シュラミス・ヤマザキが有り得ないのと同じくらい、シュラミス・ハイネは有りません。」

 彼女は自分のグラスをベンチに置いて、ケンウッドのグラスを持っていない方の手を取った。

「子供の時からずっとシュラミス・ケンウッドになりたかったのよ。」

 ケンウッドは微笑んだ。彼もグラスを置いて、空いた手で彼女の手を抑えた。

「こんな年寄りでも構わないんだね?」
「こんな小娘で構わないのでしょ?」

  ケンウッドは頷いて、彼女の手をそっとほどき、自分の端末を出した。

「見せたい物があるんだ。」

 シュリーが端末の画面を覗くと、そこにアパートの見取り図が表示されていた。

「ドームシティにある物件なのだが、ドームを挟んで空港と反対側にある。野原に面しているんだ。ドーム・ゲイトと空港からはちょっと遠いが、車で20分だ。バスもある。買い物も不自由しない。コロニー人でも借りられるんだよ。」

 シュリーが顔を上げてケンウッドを見た。ケンウッドは説明を追加した。

「君さえ良ければ、今週末にでも契約しようと思うのだが・・・」

 シュリーが首に抱きついてきた。

「明日、一緒に現物を見に行きましょう!」
「明日?」
「そう、明日。他の人が契約してしまう前に、お部屋を見て決めましょう。」

 ケンウッドは彼女の体に腕を回した。

「私は無骨なので指輪を選べなくてね・・・この部屋が指輪代わりなんだ。」
「わかってる。」

 シュリーは涙をこぼすまいと努力しながら言った。

「子供の時からずっと貴方を見てきたのよ。わかってるわ、ニコラス。」

 



2021年4月5日月曜日

星空の下で     30

  アパートに帰るハイネ・アイダ夫妻と別れてから、ケンウッドとヤマザキは運動施設へ足を向けた。歩きながらヤマザキが昼間の話を持ち出した。

「インフルエンザのことなんだが・・・」
「うん?」
「発生源はどうやら家畜市場らしい。」
「家畜市場か・・・ありそうな話だな。」
「うん。豚の風邪からウィルスが変異して人間に拡がったと国立疾病対策センターは分析している。」
「その変異に人間の手が加えられている疑いはないのだね?」
「現在の所はね。患者は牧場関係者、家畜商、彼等から家族や友人など市中に拡がった。だが症状が軽く、従来のワクチンで事足りたので全米に知られるようなニュースにならなかった。州の3分の1の範囲で感染を食い止められたので、州政府も国立疾病対策センターに終息宣言を出したそうだよ。」
「それなら良かった。」

 ケンウッドはホッと胸を撫で下ろした。ポール・レインが中央アジアで聞き込んだ製薬会社の陰謀ではないかと内心危惧していたのだ。宇宙の製薬会社が自社製の薬の効果を試すために地球人に病原菌を与えて実験しているのではないかと心配だった。
 彼の心の中を見透かしたかのようにヤマザキが言った。

「僕等は地球を防衛する為にここにいるんじゃないよ、ケンさん。地球人を絶滅から救う為にいるけど、外部からの干渉に僕等がとやかく言う権限はないんだ。」
「だが、もし地球人や地球の生物を使ってコロニーの人間が実験を行うとしたら、それに気が付いた者が何とかしなきゃいけないだろう?」
「通報は出来るさ。だが捜査は駄目だ。それは君がドーマー達にいつも言っていることじゃないか。」
「通報するにしても、証拠がないと・・・私達は曲がりなりにも科学者だ。科学的根拠のない疑いを通報する訳に行かないよ。」

 喋りながら、ケンウッドはふと背後に人の気配を感じた。実は食堂を出て暫くしてからずっと後ろをついて歩いている人物がいたのだ。歩きながら振り返ると、ダリル・セイヤーズがいた。遺伝子管理局の局長第2秘書のセイヤーズが、ケンウッドと目が合うとニッコリして、こんばんは、と挨拶した。ケンウッドは彼がケンウッドとヤマザキの会話を聞いていたに違いないと確信した。

「セイヤーズ、立ち聞きはよくないぞ。」

と言ったが、特に怒った訳でなかった。セイヤーズも長官の眼差しや口調でその辺の所は承知していて、すみません、と素直に謝った。

「ジムに行くつもりで後ろを歩いていたら、自然に耳に入ってしまいまして。」

 ヤマザキが横へ来いと手で合図したので、セイヤーズは2人の最高幹部執政官と並んで歩くことになった。ヤマザキが尋ねた。

「あれからレインは何か言ってきたか?」
「情報漏洩の件ですか?」
「うん。公式な発表を中央アジア・ドームはしないと言っていたが、情報を買った企業の何か噂のようなモノを彼は聞いていないのか?」
「何も聞いていないようですね。それに彼とJJはそろそろ次の巡回地である東アジア・ドームへ出かける準備に追われているようです。」
「南アジア・ドームには行かないのかね?」

 ケンウッドは自分でもどーでも良いことを訊いてしまった。セイヤーズが苦笑した。

「レインはスパイシーな食べ物が苦手なので、南は後回しにしたようです。いずれは行かなきゃならないのですがね。」
「巡回の順番はレインが決めるのか?」
「JJは地理が苦手なんです。DNAマップは読めるのに、地理マップはちんぷんかんぷんで・・・」

 誰にでも苦手なものがあるのだ。ケンウッドは微笑ましく思えた。ハイネは虫、レインは香辛料、JJは地理・・・

「セイヤーズ、君の苦手は何だね?」

え? とセイヤーズがケンウッドの顔を見た。

「私の弱点を知ってどうなさるおつもりですか?」

 ケンウッドは吹き出した。

「ただの好奇心だよ。レインは香辛料とか刺激の強い味の食べ物が苦手なのだろう、それは知っているよ。彼との付き合いは長いからね。JJは地理か・・・狭い家で育ったから空間の読み取りが苦手なんだな。まぁ、世界旅行をしているうちに慣れてくるさ。それで、君は何が苦手なのかな?」

 セイヤーズは周囲を見回した。ちょっと声を低めて、

「内緒にしてくれます? 特にクロエルには言わないと約束して下さい。」

 ヤマザキが笑った。

「言わない。約束する。」
「私も約束する。」

 セイヤーズは覚悟を決めて告白した。

「虫です。地面の上を這いずったり、葉っぱの上にいたりするヤツ等。」

 ケンウッドとヤマザキは顔を見合わせ、プッと吹き出した。セイヤーズが不安そうに尋ねた。

「可笑しいですか? 息子にもよく馬鹿にされますが・・・」
「いや、ごめん、ごめん、君を笑ったんじゃないんだ。」

 ケンウッドも周囲を見回して安全確認をしてからセイヤーズに囁いた。

「これは秘密だ。ローガン・ハイネも虫が怖いんだ。」
「えっ! そうなんですか!」

 セイヤーズは心なしか安堵した様子だ。ヤマザキが解説した。

「虫が存在しないドームの中で育ったからなぁ、ドーマーの多くは虫が怖い物に見えるんだろう。僕等もあの奇妙な生物について君達に何も教えなかった。」
「コロニーにも虫はいないでしょう?」
「いないことになっているが、農業をしているスペースには作物の生育の為に必要な昆虫を放っているし、法律の目をかい潜ってペットとして飼育したり売買する連中がいる。そこから逃げ出した虫が繁殖して困ったことになっているコロニーもあるんだよ。それに子供の学習教材に地球生物の生態や標本を使うから、コロニー人は意外に虫や昆虫を知っている。もちろん、多くのコロニー人は地球へ来て初めて実物を見るんだけど。」
「息子は私が農業に執着する割に自然の生き物に無知だと笑うんです。事実なので、反論出来ませんが・・・」

 彼等はジムの入り口に着いた。ケンウッドが提案した。

「たまにはスカッシュでもやってみないか、諸君?」

 スカッシュはセイヤーズの息子ライサンダーがローガン・ハイネに教わって得意種目にしているスポーツだ。セイヤーズが頷いた。

「いいですね! 球技はあまり得意じゃないんですが、人並みには出来ますよ。」

 進化型1級遺伝子危険値S1保有者のセイヤーズは格闘技では誰にも負けない。相手の筋肉を見て瞬時に次の動作を予測出来るからだ。しかし球技はボールの動きを読めない。速度や角度を計算出来るのだが、彼自身の「投」の技がイマイチなのだ。それは彼の射撃がド下手であることも同じだ。投げる、撃つ、はセイヤーズの苦手分野だった。だから、ラケットでボールを打つスカッシュは、彼は普通の人以下の腕前で、ケンウッドやヤマザキと対等に競い合えるのだ。
 3人は球技場へと足を運んだ。






2021年4月4日日曜日

星空の下で     29

  その日の夕食は、アイダ・サヤカ博士が加わり、ケンウッドとヤマザキ、ハイネの4人で一般食堂で取った。アイダは殆どの食事に中央研究所の食堂を使うが、本当は一般食堂の方が好きで、勤務明けはこちらへ来たがるのだ。ガラス越しに妊産婦を見ながら食事するのは、仕事の延長の様に感じて嫌なのだろう、とケンウッドは思う。それにドーマー達の「母親」として、幹部クラスの者しか使えない食堂より大勢の一般のドーマー達と同じ場所で食べる方が楽しいのだ。
 ケンウッドが保養所に出かけるドーマー達に紫外線対策の講義を行いたいと言うと、彼女は賛成した。出産管理区で働いているドーマー達は肌が綺麗で外からやって来る女性達に羨ましがられる。しかし最近保養所へ出かけて戻って来た職員が日焼けしていることが多く、それは特に問題ではないのだが、彼等を生まれた時から見てきた執政官としては気になるのだった。

「女性達に出産後の美容指導を行なっていますが、ドーマーにもそれをしなければならないのはご免ですよ。」

と彼女は笑った。

「男でも美容に気を遣う連中は本当に熱心だけどね。」

 ケンウッドは大学を卒業した後の数年間化粧品会社のお抱え科学者をしていたので、コロニーで化粧をしたがる男性が多い事情を承知していた。男でも皮膚の手入れが疎かだと女性にモテないと信じている連中が少なくないのだ。
 ヤマザキはケンウッドが講義の時間を割けるのかと心配したが、反対はしなかった。ハイネが彼に保養所へ出かけるドーマーに感冒予防の指導をしていましたね、と尋ねた。うん、とヤマザキは横目で彼の皿の上を見ながら答えた。

「昔ながらの手洗いと消毒の推奨だけだよ。これも講義をしなければいけないのかな?」
「注意書きを端末に送るだけでしたか?」
「そうだよ。風邪を引いたらどれだけ身体的に辛いか、『通過』を受けている者の動画を見せるんだ。咳に鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、悪寒、そう言う症状を紹介してやると、みんな真面目に予防に努めてくれる。」
「抗原注射はまだ続けているの?」

 アイダの質問にハイネとヤマザキが「イエス」と答えた。ハイネが先に説明を補足した。

「但し、現在は希望者だけにしています。『通過』は以前から希望者のみでしたが、現在は外に出かける回数を増やすことによって自然に抵抗力をつけることを優先にしています。」
「そのうち、養育棟の子供達を外に出すことも考えているんだ。」

とヤマザキが言って、一同を驚かせた。取り替え子は廃止の方向になっており、ドーマーの新規採用は中止になっている。だが現在養育棟で育てている子供達の出身を外部の人間に明かすことは出来ない。

「どう言う名目で子供達を外に出すのです?」

とハイネが尋ねた。ヤマザキは笑った。

「遠足だよ。遊びに連れ出すだけさ。ちゃんと養育係も一緒に出かける。だから、養育係を先に外の世界に慣れさないといけないな。彼等は歳を取っているから、外の世界に抵抗がある人もいるだろうし、抗原注射が無理な年齢の人もいる。ハイネ、君が外に出かける時に着用するマスクが活躍すると思うよ。遠出はさせないから安心してくれ。ドーム周辺の原っぱで走り回らせておくだけさ。」

 彼はケンウッドの顔を見た。

「いいだろう? ケンさん、次の執政官会議で了承を求める手続きをしておく。養育棟の執政官達とは既に話を詰めてあるんだ。子供達を外部の人間と接触させることはまだしないよ。」

 ケンウッドは頷いた。

「わかった。確かに外気に慣れさせるには幼少期からが最適だ。虫や小動物にも慣れさせないとね。」

 アイダがハイネを見てクスッと笑ったので、ハイネが「なんです?」と訊いた。彼女が彼と一緒にドームの外へ散歩に出かけた時のことを思い出したのだ。

「ローガン・ハイネはお花を摘もうとしてお花に小さな昆虫が付いているのを見てから、植物に触れなくなったんです。」
「サヤカ! 今そんなことを思い出さなくても・・・」

 ハイネが狼狽えたので、ケンウッドとヤマザキは思わず笑った。

「確かに・・・コロニー人も同じ体験をするんだよ、ハイネ。でも小さな生物が害をなさないとわかれば平気さ。たまには刺すのもいるがね。」
「地球人でも虫を怖がる人は大勢いるよ、サヤカ。女性は特にね。君は平気なのかい?」
「私は平気なんです。多分、妊産婦達から外のことを色々教えてもらってきたからでしょうね。シンディなどは外にアパートを借りて毛虫を育てていますよ。蝶に羽化する場面を見るのが堪らないそうです。」

 あの大人しいシンディ・ランバート博士が? とハイネがびっくりして見せた。ヤマザキが彼に言った。

「負けるなよ、ハイネ。君ならカブトムシがお似合いだ。」
「カブトムシ?」
「後で写真を見せてあげるよ。成虫がかっこいいんだ。」
「あれは臭いのよ。幼虫は毛がない毛虫みたいな形で、腐った木屑の中で育つの。」
「け・・・結構です。」

 ハイネが身震いして見せ、テーブルの一同はまた笑った。

 



星空の下で     28

 2人目の職員は殆ど外で作業していたと答えた。顔も腕もよく日焼けしていたので、ケンウッドが日焼け止めクリームで保護しなかったのかと尋ねると、紫外線遮断クリームは塗ったが、肌の色を小麦色にしたかった、と言う答えが返ってきた。

「まさか全身を焼いたんじゃないだろうね?」
「休憩時間に裸になりましたよ。」

 若者は危険なことをしたと言う意識がなかった。 ケンウッドは色素の増加や細胞の変化を観察する必要があると彼のリストにコメントを入れた。
 結局7人の若い職員達は日光や外気にあまり恐怖感を持っていないことが判明した。外で暮らしている一般の地球人が平気なのだから、自分達も大丈夫だと言う意識だ。ドームが外の人間とドーマーの寿命や老化速度の違いを説明しても、保護クリームや紫外線遮断素材の衣料品を着用していれば大丈夫だと考えていた。

「クリームも衣料品も、ドームが支給しているから使用出来るのだと言う認識が不足しているね。」

とケンウッドは射撃訓練所の主任にこぼした。主任が頭を掻きながら言い訳した。

「連中はここへ帰ってくるのですから、自分達が守られていると言う意識が欠如しているのですよ。外の店で同じ物を探しても見つからないと、理解していないのです。」

 主任はちょっと悪戯っぽい目で長官を見た。

「一度、何も持たせずに行かせてみますか?」

 ケンウッドはびっくりした。そんな危険なことを、と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。ドーマーを社会復帰させるのは、その「危険」を承知の上で行うことだ。元ドーマーと同じく、彼等はドームの保護がない場所へ出て行こうとしているのだ。同胞と同じ地球人として。

「医療区やターナー総代の意見も聞いてみるよ。」

と彼は答えた。

「短期間の生活で彼等の寿命が変化することはないが、我々の方では対処する準備が必要だから。保養所運営はまだ実験段階と言っても良い始めたばかりの試みだ。ドーマー達に混乱や我々に対する不信を生じさせたくない。今の世代の君達には、私達地球人類復活委員会がしっかりサポートしていると信じていて欲しいんだ。」
「みんな、執政官が私達を守って下さっていることを信じていますよ。だから、今回の出張グループがちょっと羽目を外したんです。何かあればすぐ救援の手が差し伸べられる。その証拠に、今日は長官が検査に来て下さったでしょう? もし保護クリームなしで皮膚に炎症とか起きても長官がお薬を塗って下さると甘えているんです。」

 ケンウッドは思わず苦笑した。

「軽い炎症なら良いがね・・・ビーチで肌を焼いて水膨れが出来た人もいるのだよ。あれはコロニー人だったが、外で育つ地球人でも同様の経験をする人がいる。個人差があるのだ。無茶をするなら、自分の皮膚の特徴を先に医療区で調べてもらってからにして欲しいな。」

 ケンウッドは主任に検査に協力してもらった礼を述べて、部屋を後にした。
 再び射撃訓練室に行くと、ガラス壁の前にちょっとした人だかりが出来ていた。彼が室内を覗くと、2人の若者が成績を競って動体標的の射撃を行なっていた。彼等の後ろに立っているのは教官とハイネ局長だ。若者達がしていることは見ればわかるが、ハイネは何をしているのだろう。ケンウッドは見物人に声をかけた。

「成績の競争かね?」

ええ、と答えて振り返った若者は、相手が長官だったので黙礼した。ケンウッドも目で返礼して、返事を待った。若者が説明した。

「ハイネ局長が昔仮想戦闘エリアの訓練で満点を叩き出されたことがあったので、教官が今撃っている2人のフォーム修正をお願いしたんです。あの2人はちょっと呑み込みが悪くて、なかなか上達しなくて教官が手を焼いていたんですよ。と言いますのも、彼等は空港ビルの保安員希望なんです。ドームの外での勤務ですから、ちゃんと銃の扱いが出来ないといけません。次の試験で落ちたら、一生ドーム内勤務です。」
「ハイネも実戦経験はないがね・・・」
「でも、局長の指導を受けてから、あの2人の弾はよく当たるようになりましたよ。」

 恐らくハイネは若者達各自の体格や腕の使い方を見て、銃の扱い方をそれに合わせるよう指導したのだろう。戦闘訓練の指導であれば、ゴメス少佐の方が得意な筈だ。しかしゴメス少佐は射撃訓練場には来ない。少佐は格闘技や仮想戦闘エリアでの行動の指導をしている。
 ケンウッドはベンチに腰を下ろして、先刻の検査結果の再検証を始めた。半月の外暮らしで大きな変化はないが、一人だけ皮膚に微細なアレルギー反応が出ている者がいた。空中の何かの粒子に反応したようだ。保養所近辺の空気の採取が実用だな、とケンウッドはそれもコメントに入れた。
 ガラス壁前の人垣がいつの間にかいなくなり、ハイネ局長が戻って来た。

「すみません、余計なことをしてお待たせしてしまったようですな。」
「いや、構わないよ。待ち時間に出来ることはあるからね。」

 ケンウッドは立ち上がり、2人は地上へ向かうエレベーターに乗った。

「君は若者に何か教える時は楽しそうだね。」
「貴方も養育棟で教鞭を取られていた頃はそうでしたよ。」
「そうだったかな。」

 ふとケンウッドの頭に閃いたことがあった。

「今日の検査を受けた若者達は紫外線や放射線の怖さをイマイチ理解していないんだ。確かに外の地球人は普通に暮らしているが、ドーマー達の健康を今の世代で損ないたくない。私は保養所へ派遣される彼等に講義を行うべきだろうね。」

 ハイネが微笑んだ。

「是非そうなさって下さい。外での業務を日焼けサロンと勘違いしている連中がいることも確かですからな。」


2021年4月2日金曜日

星空の下で     27

  お昼寝タイムが終わると、ケンウッドはハイネ局長を連れて地下2階の射撃訓練場へ行った。射撃訓練を受けるのではなく、先週末に保養所から帰って来た職員のグループの検診を行うためだ。中央研究所に呼び出すより、こちらの方から出かけて行って、仕事ぶりを見学しながら手が空いた者から皮膚の状態を検査する。この部署のグループは警備システムの保守作業で半月ほど外に滞在したので、ケンウッドは外気の影響がどの程度人間の健康に及ぶのか調べたかったのだ。
 ケンウッドについて歩くハイネの脚は何事もなかったかの様に動いている。骨の状態は良好の様だ、とケンウッドは思った。

「ギプスに慣れたかね?」
「初日よりはかなり・・・しかし鬱陶しいのは変わりません。」

 ハイネは怪我をした翌日に比べると歩調が早くなっていた。元々適応能力が高い男だ。ギプス装着のまま歩くことは既に苦になっていないのだ。ただ皮膚感覚が不快なのだろう。ケンウッドは優しく、もう少しの我慢だよ、と励ました。
 射撃訓練場では、保安課の若者が5名程、並んで銃を構えていた。ドームでは麻痺光線銃を使用するが、外の世界で使用されている古式の火薬を用いた銃火器の扱いも教える。相手の武器を学んでおくことが、防御に役立つとの考えからだ。ヘッドフォンとアイシェードを装着した若者達が銃を撃つのを、ケンウッドとハイネは背後の防弾ガラスで守られた通路から眺めた。

「火薬の時代はとっくの昔に終わったと宇宙では考えられているが・・・」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「どうしても残るんだね、武器と言うものは・・・」

 ハイネが苦笑した。

「地球には火薬の材料がありますし、光線銃を製造するより安価で簡単だからでしょう。それにあの発射音が好きな連中もいるそうです。」
「引き金を引いた時に感じる反動や火薬の匂い、色々マニアがいることは知っている。昔の映画などで見るガンマンはかっこいいからね。」

 ケンウッドは銃が大嫌いだ。自身が銃で撃たれた経験があるので尚更だった。正直なことを言えば、ドーマーに銃の扱いを教えたくなかった。保安課員が外へ出ても実際に使用するのは光線銃だけなのだ。
 2人が訓練風景を眺めていると、訓練所主任が呼ぶ声が聞こえた。検査対象の職員が部屋に来たのだ。ケンウッドはハイネに一緒に来るかと尋ね、ハイネはその場に残ると答えた。細胞検査を見ていても、遺伝子管理局長には楽しくないのだ。
 ケンウッドは彼を置いて準備された小部屋に入った。主任と30代前半の男が一人そこで待っていた。

「対象者は全部で7名です。一人ずつ順番でよろしかったですね?」
「うん。検査だけなら全員一緒でも構わないが、私はちょっと保養所の様子も聞きたいのでね。時間を取らせて申し訳ないが・・・」
「構いませんよ、こいつら、外の仕事がよほど楽しかったらしくて、保養所の話をそこら中でしたがるんですよ。」
「主任・・・」

 職員が頬を赤くして上司を睨んだ。ケンウッドと主任は笑い、主任は部下に「終わったら次に声をかけてやれ」と言いおいて部屋から出て行った。
 ケンウッドは職員を正面に座らせ、彼の氏名と所属の確認をして、腕の表皮を携帯検査機で分析にかかった。職員は腕に小さなパッドを載せられているだけなのだが、ケンウッドが机に置いた小型コンピューターの画面には細胞や遺伝子の様々な情報が次々と読み込まれて行った。ケンウッドがそれらのデータを見つめていると、職員が話しかけて来た。

「今朝の執政官会議に中央研究所の連中も出席したそうですね。」
「うん。気になるかい?」

 射撃訓練所は保安課の所属で学位には縁がない。勿論、保安課でも厨房班でも独自で何か勉強して学位を取りたいのであれば、一向に構わないのだが、彼等の日常は忙しくて専門的な研究に取られる時間がないのだ。

「僕は理科学系は苦手なんですけど、ドーマーがコロニー人と同じ学位を取れるのは素晴らしいと思います。」
「今までそれが許されなかったことがおかしいのだよ。コロニー人とドーマーは平等だと言っておきながら、何かと差をつけているのだからね。食堂だってそうだろう? 中央研究所の食堂を使えるドーマーは幹部級だけだ。中央研究所の助手達は立派な科学者なのに幹部でないと言う理由であそこを使えないんだよ。彼等にもガラスの向こうの女性達の健康状態を観察する技能があるにも関わらず。」
「でも、あそこは・・・」

 職員は肩をすくめた。

「人数制限は必要ですよ。女性を眺めたい男は大勢いますからね。」
「コロニー人にも制限をかけるべきさ。」

 ケンウッドは検査機が作業を終えたことを確認して、職員の腕からパットを取り除いた。職員が尋ねた。

「血液検査はなさらないのですか?」
「今日は必要ない。」

 ケンウッドは微笑んで見せた。

「大凡で良いから、教えてくれ。向こうに滞在中、屋外で何時間作業したのかな?」
「あちらには15日間滞在して、労働時間は1日8時間、そのうちで僕が外で作業したのは・・・全部で10日でした。80時間ですね。でも、途中で2日間、天気が良くなくて曇り空の時間と雨の中で作業したこともありました。」

 ケンウッドはその言葉を素早く端末に記録した。

「雨が降ったのか。いや、日付は気象情報を検索すればわかるよ。体を濡らして体調を崩したりしなかっただろうね?」

 ドームの中で暮らしていると降雨を経験しない。宇宙で育っても同じだ。ケンウッドもドーマーも雨降りは滅多に体験出来ない事象で、どちらも好きでなかった。雨は浴室のシャワーとは全然異なる自然現象で、時に不快で、時に恐怖を運んでくるものだった。雨上がりの空気の感触を楽しむほどには、彼等は雨に慣れていなかった。
 職員は首を振った。

「着ている物が体にくっついて気持ちが悪かったですが、体調に影響はありませんでした。保養所の管理人が温かい風呂を準備してくれましたから。」

 保養所の管理人は、元ドーマーが務めている。民間人ではドーマーの生活が一般の地球人と異なることに慣れないだろうし、ドーマーではまだ外の生活習慣が呑み込めないからだ。雨で体が濡れたらすぐに乾かすか温めるか、そう言う細やかな気遣いは、外界に出たばかりのドーマーにはまだ無理だった。ケンウッドは元ドーマーの存在を有り難く思った。


2021年4月1日木曜日

星空の下で     26

 「インフルエンザの流行だって?」

 ヤマザキ・ケンタロウが疑わしそうに眉を顰めて言った。

「僕の所には、そんな報告は入っていないぞ。」
「ドームシティーではないからさ。」

 ケンウッドは端末に地図を出して彼に見せた。

「主に中西部の北側だ。行政府が既に対策を講じているから、大陸全土に拡大する恐れはないがね、スポットでもそこにドーマーを行かせるのは当分控えないと。」
「遺伝子管理局の局員はそっちへも廻るんだろう?」

 話を降られてハイネ局長が慌てて口の中の食べ物を飲み込んだ。彼等は遅い昼食の席にいた。

「ハイデッカー支局長からもワグナー班チーフからも報告がありません。セイヤーズに問い合わせさせましたら、重症化の傾向がなく、そろそろ下火になってきているので報告しなかったと言う返答でした。」
「でも君の肺には良くない訳だ。」

 ヤマザキはハイネの皿からハムを一切れ取った。ハイネはちょっとムッとして見せたが、それだけだった。ヤマザキが彼の皿から食べ物を取るのは習慣になっている。いつも一種類、一切れだけだ。だからハイネは取られても構わない物はあらかじめナイフで食べ易い大きさに切って置いてある。ただ、ヤマザキがそれを取るとは限らないのが玉に瑕だ。

「なぜ、私の肺が関係してくるのです?」

 ハイネが解せないと言う表情でケンウッドとヤマザキを見比べた。ケンウッドの計画を知っている筈がないヤマザキが彼なりの考えを述べた。

「つまり、君と同じ様な疾患を持つ人や呼吸器が弱い人には、軽いインフルエンザでも命取りだってことさ。インフルエンザによる死者の報告がないようだが、呼吸器が弱い人々は用心してマスク着用を心掛けたり人混みを避けているのだろう。」
「ワクチン接種が進んでいるのかも知れないね。」

 ケンウッドは自身のサンダーハウス訪問迄にインフルエンザが収束していることを願っていた。実験場から外へ遊びに行くのが楽しみなのだ。無計画に行動する長官を護衛するアキ・サルバトーレは苦労だろうが、無計画故に安心出来る場所もある。ケンウッドは人が少ない場所を好むのだ。尾行者がいればすぐにわかる。
 ヤマザキが彼に尋ねた。

「サンダーハウスの連中は外出しているのかね?」
「多分、しているだろう。特別な警戒はしていないと思うよ。寧ろ、インフルエンザウィルスが放電区画に入り込んでいないか、調査に燃えているだろうね。」
「インフルエンザウィルスは空中を飛んで行くのですか?」

 ハイネが質問した。ヤマザキが答えた。

「飛沫感染だよ。或いは、鳥類が運ぶ。だから空中放電で防げるとは思えないんだがね。」
「では、流行が収束したら、実験場にウィルスはいないと考えても良いのでしょうか?」
「流行するほどの数はいなくなるだろう。」

 ヤマザキは曖昧な言い方をした。

「根絶が難しいんだ、ああ言う小さいヤツは。」

 ハイネは頷いた。彼の肺にかつて巣喰ったγカディナ黴の胞子は肺洗浄で洗い流されるまでしぶとく生き続けたのだ。

「しかし、今回の流行は本当にスポット的だなぁ。」

 ヤマザキが呟いた。

「そこに流行する特定の要因があったのだろうか。」
「誰かが意図的にウィルスをばら撒いた?」

 ハイネが突飛な考えを口に出して、ケンウッドとヤマザキをギョッとさせた。

「それ、ヤバイぞ、ハイネ。」
「生物兵器の実験でもあったと言うのか?」
「生物兵器でなくても・・・」

 ハイネはデザートのジェリーがプルンプルンするのでスプーンで捕まえるのに苦労しながら言った。

「ワクチン開発の実験の可能性もありますよ。作ったワクチンの効力を試す為にウィルスを放出して、住民にワクチン接種を行い、インフルエンザの収束を早めた。」

 ケンウッドは先日の遺伝子情報漏洩騒ぎを思い出した。ちょっと嫌な感じだ。

「どんなワクチンが使用されているのか、調べられるかな? ドームにその調査の権限があるとは思えないが、疾病対策センターに問い合わせは出来る筈だ。」
「僕にやれってか?」

 ヤマザキが苦笑した。

「ワクチンが新製品なのか、新製品だったらその製造元が何処か、調べれば良いんだな?」