2017年11月22日水曜日

退出者 7 - 6

 入って来た患者は、なんとニコラス・ケンウッドだった。

「蕁麻疹でも出たのかい?」
「そんなんじゃないんだ。」

 ケンウッドは右腕を出した。パーシバルは眉をひそめた。

「何だ? この傷は?」
「初めて見るだろう? 射創だ。」
「射創? 実弾で撃たれたのか?」

 パーシバルの表情が強ばった。コロニー人が撃たれるなんて余程のことだ。ケンウッドは苦笑して、負傷したいきさつを語った。
 パーシバルはジェルを取り除いて皮下神経の状態を探査機で測定した。聞き終わると、彼は異常なし、と宣言してから、親友の災難に話を向けた。

「遺伝子管理局が襲われるのは久し振りじゃないか? 近頃は減っていたからなぁ。時々クローン収容時に抗議デモやら投石があるみたいだが・・・」
「犯人は心理的に追い詰められていたそうだ。全財産を失ったんだな。」
「局員達の身の安全を今迄以上に考えないといけないね。」
「しかし、局員に護衛を付ける訳にはいかない。ハイネは局員を必ず2人1組で行動させるようチーフ達に通達したが、自主性重視だからね。 なにはともあれ、レインとニュカネンが無事で良かったのさ。もし2人が怪我でもしたら、私の責任になるからね。」
「だがあの2人は君が怪我をしたので上司から叱られたんじゃないのか?」
「班チーフからは厳重に注意されたそうだよ。だがハイネは彼等が無事だったことを喜んだそうだ。レインもニュカネンもそれに感激していたと言う話だ。」
「部下の扱いが上手いなぁ、ハイネは。ところで・・・」

 パーシバルは先刻コートニー医療区長から聞いた話を確認しようとした。

「さっきサム・コートニーが、最近ハイネに父性が目覚めてキーラに近づく男達を威嚇すると言っていたが?」
「はぁ?」

 ケンウッドはきょとんとした。

「確かにハイネはキーラが退官することを寂しがっているが、男を威嚇するなんて・・・それに彼はまだ父親であることを公表していないよ。ヘンリー、君はコートニーにかつがれたな?」
「僕がかつがれたって?」
「君達が結婚するので、コートニーがからかったのさ。それに鎌を掛けたんだろう? あの2人が親子かも知れないと言う憶測は以前からあったから。」

 パーシバルは新しいジェルをケンウッドの傷に塗った。もう包帯は必要なくて、保護シールを貼るだけだった。ケンウッドがさらに語った。

「ハイネはちゃんと父性を持っているよ。ドーマーだって人間だ。彼等は自身で子育てをしないだけで、幼い者の面倒はよく見ている。ハイネがレインとニュカネンの無事を喜んだのも、上司としてと言うより、部下を息子の様に思っているからだよ。」

 彼はニヤリと笑った。

「実は近頃出産管理区のアイダ博士がハイネに急接近しているんだ。キーラの送別会の打ち合わせと言う口実で、彼を頻繁に呼び出している。ケンが言うには、彼女はハイネに触りたいからだと・・・」
「触りたい?」
「うん・・・」

 危うく送別会のサプライズを漏らしそうになって、ケンウッドは詳細を避けた。

「ハイネは嫌がらずに彼女の相手をしている。キーラが彼に甘えた時の対応と大差ないんだ。だから彼が近頃キーラと過ごす時間を増やしたからと言って怪しむ人間は殆どいない。寧ろ彼は女帝が好きなので退官する前に一緒に過ごしたがっていると考える人の方が多い。」

 パーシバルはホッとした。ハイネに娘を奪う憎い男と思われたくなかった。ケンウッドは話題をまとめた。

「ハイネは君達の結婚を祝福している。ただ、月へ行ってしまうと彼女と会えなくなるので、それだけが彼の不満なのだよ。ドーマーの側から宇宙へ連絡を取れないからね。」
「それなら僕が回診の時に彼女に画像電話で彼と話してもらうよ。」

2017年11月21日火曜日

退出者 7 - 5

「お帰りなさい、パーシバル博士!」

 ゲート消毒班のドーマーが明るい声で挨拶した。「いらっしゃい」ではなく「お帰り」だ。ヘンリー・パーシバルはいつもこの挨拶を聞くと嬉しくなる。自分はまだこのアメリカ・ドームの一員として覚えてもらっているのだな、と思う。
 消毒を終えると彼は荷物を受け取り、医療区へ向かった。すれ違うドーマー達が皆笑顔で挨拶してくれる。途中で出産管理区へ通じるゲートの前を通った。向こうは女性の世界だ。そしてキーラ・セドウィックがいる。彼女は退官ぎりぎり迄仕事をしているのだ。1度彼女が働いている姿を見てみたいが、規則が許さない。
 パーシバルは医療区長の部屋へ挨拶に行った。いつもの回診の習慣だが、今回は少し違った。サム・コートニー医療区長が笑顔で彼をハグした。

「この幸せ者! 遂に我らの女帝をかっさらいに来たか!」
「申し訳ありません、重力さえなければ、ここで愛の巣を設けるのですがね。」

 コートニーが彼の背を手のひらでバンバンと叩いた。

「ローガン・ハイネには気をつけろ。近頃父性が芽生えたみたいで、男がセドウィックに近づくと牙を剥いて威嚇するんだ。」

はははと笑ってから、パーシバルは医師の言葉が持つ意味に気が付いた。彼はコートニーから身を離した。

「父性? ドーマーに父性ですか?」
「そうだ。もう隠しようがないと言うか、みんな気が付いてしまっている。誰の目から見ても、ハイネの振る舞いは娘を守ろうとする父親の行動だ。」
「キーラは?」
「娘だな。地球から追放されても恐くないから、堂々としたものだ。」
「博士、貴方はどう思われるのです? あの2人は親子ですか?」

 コートニーが彼をじっと見つめた。

「君は真実を知っているのだろう? 私は敢えて聞かないが、ハイネは彼女を遺伝子を共有するコロニー人ではなく、我が子として見ているようだ。」
「先月来た時はそうは見えなかった・・・」
「突然目覚めたのかも知れない。」
「しかし、それは拙いですよ。キーラの母親が法律を破ったことを世間に公表する様なものだ。」
「とっくの昔に時効になっているがね。」

 医療区長は時計を見た。

「そろそろ患者が来る頃じゃないか、パーシバル博士。さっさと仕事を終わらせてゆっくり独身最後の夜を楽しみ給え。」

 パーシバルは医療区長の執務室から追い出された。仕方なく神経科の診察室に行った。
ドアを開き、部屋の準備をしている看護師に挨拶して椅子に座った。独身最後の日と言う実感はなかった。結婚してもべったりくっついて生活する訳ではない。彼女は月で産科医の仕事に就く。地球で30年も働いたので、各コロニーの大病院や研究施設から引く手あまただったのだ。彼女はパーシバルが働く地球人類復活委員会本部に近い病院で働くことに決めた。実家がある火星コロニーに帰るつもりはなかった。地球に一番近い天体から地球を見ていたかったのだ。

 

退出者 7 - 4

 月に出張していたリプリー長官が朗報を持って帰って来た。遺伝子管理局の出張所設置が認められたのだ。

「監視と言う役目のみに限定して行う施設と言う承認だ。」
「副業は?」
「遺伝子管理局のイメージを損なわぬ程度に認めるとのことだ。」
「では、ハーブの販売や育児書の出版、養子縁組申請の手引きなどの配布は出来ると言うことですね?」
「うむ。」

 長官と副長官の会話を局長は黙って聞いていた。表情が穏やかなので、喜んでいる、とコロニー人達は判断した。
 ケンウッドはハイネを振り返った。

「出張所の候補地は決まったかね?」
「はい。南米に3箇所、北米に2箇所、現在はこれだけです。必要に応じて増やしたり減らしたりしますが、当分はこの5箇所でお願いします。」
「では、後は管理者の選任か?」
「班チーフに任せています。南米は元ドーマーに通知を出して公募するようです。」
「南米の元ドーマーは何名いるのかね?」
「現在60歳以下が16名です。家族持ちも考えますが、南米では警護の必要性が北米より強くなるので、班チーフは独身者を考えているようです。」
「既に事業を行っている元ドーマーもいると思うが、その場合はどっちが副業になるのかな?」
「監視の仕事がついでの副業で務まるとは、彼等は思っていないはずです。」

 ケンウッドは以前研究用サンプルを採取する為に元ドーマー達と会ったことがある。あの時に集まってくれた元ドーマー達は、ドームから声が掛かったことを喜んでいた。例え皮膚サンプルを採取するだけの検体としての役目だとしても、生まれ故郷のドームが必要としてくれていると思うと感激すると言っていた。ドームは一旦出てしまうと中に戻るのが難しい故郷だ。中に入る理由と保証人が必要だ。南米の元ドーマー達は遠い故郷から重要な役目をもらうことを喜んでくれるだろうか?

「北米の方はどうするのだ?」

とリプリーが尋ねた。
 北米の元ドーマーの多くはドームに近い街に集中している。仕事で外に出て活動するのがドーム周辺の土地だったので、そこで恋愛をしたり別の人生に憧れてドームを卒業して行ったのだ。しかし殆どはドームが世話した職業に就いているので、新たな仕事をする時間的余裕があるだろうか?
 ハイネはちょっと考えた。

「北米北部班は現地採用で元ドーマーを募集するつもりです。西海岸の街ですから、元ドーマーの人数は少ないのですが、班チーフは応募があると自信を持っています。
 北米南部班はまだ方法を考えついた様子はありません。先に出張所にする物件を探しているようです。」
「物件探しかね? 私が月から戻る前から物件を探しているのか?」
「長官が必ず月を説得して下さると班チーフは信じたのです。」

 ハイネは口が巧い。北米南部班のフライングを上手く誤魔化した。
 ケンウッドは砂漠の風を防風林で防いでいた緑豊かな学究都市を思い出した。大きな街ではないのに、その中は奥深く、有象無象の似非科学者から人類の幸福を探求して生命の神秘を解き明かそうとしている学者まで様々な研究に従事する人々がいた。そんな街を相手に1人で監視をする元ドーマーがいてくれるだろうか。

「誰が物件を探しているんだ? 局員が交替で行っているのか?」
「まだ開始して2日ですよ。『通過』経験者に試験的に探させているのです。『通過』したばかりの者は、注射なしで外に出るのに不安を感じるようです。慣れさせる目的も兼ねています。」
「『通過』したばかりの者? ああ・・・」

 ケンウッドは合点した。

「ニュカネンとワグナーか・・・」
「ワグナーはヘリの操縦免許取得の為に訓練を受けています。当分巡回の仕事はお預けです。」
「すると、物件探しはニュカネンか!」

 堅物ニュカネンに出張所に適した物件を見つけられるだろうか? リプリーがニュカネンとは?と尋ねたので、ケンウッドは返答に窮した。何と説明しよう? しかし、ハイネが先に答えてくれた。

「若い局員です。」



2017年11月20日月曜日

退出者 7 - 3

 酒宴の翌朝、ペルラ・ドーマーが目覚めるとコロニー人達は既に居なかった。彼は静かに服を着てバスルームを使った。ボスを起こさないように心がけたつもりだったが、リビングに出ると既にハイネがソファに座っていて順番を待っていた。

「おはようございます。これからジョギングですか?」
「うん。君は向こうに帰るのか?」
「はい、朝食で介護が必要な人が1名いますので。」
「介護役が居るだろう?」
「それが偏屈な人で、他の食事は介護人でも構わないのに、朝食は私でないと駄目なのだそうです。」
「それは苦労だな。」

 ハイネが笑った。ペルラ・ドーマーはボスの笑顔が大好きだった。

「また5日後に来ますよ。パーシバル博士が回診に来られるでしょう?」
「うん。」

 ペルラ・ドーマーはハイネの表情が微妙に翳ったことに気が付いた。彼は思い切って言った。

「姫様はきっとお幸せになりますよ。」
「姫様?」

 ハイネが怪訝な顔で見た。ペルラ・ドーマーは苦笑した。

「申し訳ありません、『黄昏の家』ではセドウィック博士をそうお呼びするのです。こちらでは女帝ですけど、『黄昏の家』の住人は高齢者ばかりですから、女帝も年下です。ですから、姫様、と・・・」
「彼女が聞いたら喜ぶだろう・・・しかし、年下の女性を姫と呼ぶなら、ドームは姫様だらけになるぞ。」
「セドウィック博士の様に徒名にふさわしい人柄の方はなかなか・・・もし私がもう10ばかり若くて彼女がコロニー人ではなく地球人でしたら、私も求婚したでしょう。」
「なんだって?」
「彼女のファンは多ございますよ。ポール・レインの様にファンクラブが出来ても不思議ではありません。ただあの方は・・・」
「クロエルの様にファンを蹴散らすタイプだな。」

 ハイネとペルラは声をたてて笑った。ボスの笑顔が消えぬ間に、ペルラ・ドーマーは挨拶した。

「では、これでお暇します。良い1日を、局長。」
「君にも良い1日を、グレゴリー。」

 ハイネのアパートを出たペルラ・ドーマーはホッと息を吐いた。もう少しで口に出してしまうところだった。セドウィック博士は局長のお嬢様でしょう? と。


2017年11月19日日曜日

退出者 7 - 2

 ウェディングアイルを歩く練習はハイネにとって「無駄」に思える行為だったが、アイダ・サヤカ博士はどうしても彼にそれをさせたがった。彼女はキーラ・セドウィックの代役を自ら買って出て、彼の腕にしがみつき、歩いて見せた。

「絶対にサヤカはハイネに触りたいだけなんだ。」

とヤマザキ・ケンタロウがブツブツ言った。久し振りのハイネのアパートでの酒宴でのことだ。その夜、初めてその酒宴に新メンバーが参加した。ハイネが殆ど強引に連れて来たので、ソファの上で小さくなって座っている彼に、ケンウッドがブランデーを勧めた。

「地球産のまともな酒だから、君の口にも合うさ。」
「有り難うございます。頂きます。」

 グレゴリー・ペルラ・ドーマーは恐る恐るグラスに口を付けた。琥珀色の液体を口の中に流し込み、暫く目を閉じて味わってから呑み込んだ。彼がむせるのではないかと半ば期待していたコロニー人2人は、彼が平気な顔をしているのでがっかりした。
 ハイネはキッチンでチーズやクラッカーやハムなどを皿に並べ、彩りがつまらないと独り言を呟いていた。それで彼は冷蔵庫に入っていた植物をひとつまみ皿の中央に盛りつけて客に出した。
 
「何だ、これ?」
「綺麗だが・・・食べ物なのか、ハイネ?」

 元薬剤師ハイネはヤマザキの言葉に傷ついた様な顔をした。

「食べられないものを冷蔵庫に入れたりしません。」

 ペルラ・ドーマーが苦笑してコロニー人達に教えてやった。

「ホウセンカです。園芸課で栽培していますよ。」
「見たことがないぞ。」
「それは、みなさんに行き渡る程の量を栽培している訳ではありませんので・・・」

 コロニー人達に見つめられて、彼は説明を追加した。

「出産管理区で女性達をリラックスさせる為に食用花を作っているのです。」
「じゃぁ、ハイネが持っているのは、局長の特権か?」
「・・・そんなところです。」

 ペルラ・ドーマーはボスの表情を伺った、ハイネは気が付かないふりをして、自身のグラスに酒を注ぎ入れた。ペルラ・ドーマーが尋ねた。

「私の他に何方がこちらへ招かれるのですか?」
「ドーマーでは君が初めてだ。」
「え?」
「エイブに声を掛けたが、3回誘って3回断られた。酔うと手元が狂うのが嫌なのだそうだ。」
「あの人は大工仕事命ですから・・・」

 ヤマザキが質問した。

「グレゴリー、あちらの家では酒は飲めるのかい?」

 ペルラ・ドーマーは「黄昏の家」の話をこちらの世界でして良いものか、ちょっと迷ってから、打ち明けても良い内容だと判断した。

「終末の家ですから、好きなだけ飲めます。」
「それで君は強いんだ・・・」
「別に私は飲んだくれている訳ではありません。」
「わかってるさ、君の性格なら、規則正しく暮らしているのだろうよ。」
「グレゴリー、ここにも外に漏らしてはいけない秘密があるんだ。」

 ケンウッドの言葉に、ペルラ・ドーマーは室内を見廻した。見たこともない酒瓶がずらりと並んだ棚に取り囲まれている。

「局長がこんなコレクションをお持ちだとは存じませんでした。」
「口外しないでくれよ。ドーマーに飲酒を許したと知られたら、私は副長官を罷免される。」
「勿論です。こんな素晴らしい場所を他人に明かしたりしません。」

 ヤマザキが彼を抱き締めて頬にキスをした。

「良いヤツだなぁ、君は!」

 彼等は仕事の話はせずに、最近の若者の流行やら、火星コロニーで流行っているダンスの話や、テレビで見た地球の企業のCMやら、とりとめのない話をうだうだとして夜を過ごした。ペルラ・ドーマーは泊まるつもりはなかったのだが、結局帰る機会を失い、ハイネに寝室へ引きずり込まれた。1年前迄ヘンリー・パーシバルの定位置だったハイネのベッドではなく、ツインのもう片方の小さいベッドに彼は寝た。


退出者 7 - 1

 どうしてもキーラ・セドウィック博士の退官を見送りたいと言うクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーの「通過」が始まった。2人は別々の隣り合った個室に入り、そこで病原菌を軽いものから順番に与えられた。通路からガラス越しに観察出来るので、面会時間になると親しいドーマー仲間が見舞いに来た。ポール・レイン・ドーマーは可愛い弟分を見舞いに毎日時間が許す限り通ってきた。部屋の位置の関係でどうしても犬猿の仲のニュカネンの部屋の前を通らなければならないので、必然的にニュカネンも見舞うことになった。互いにガラス越しにアッカンベーをしたり、挑発的なボディランゲージを見せ合うので、看護師達が面白がって休憩室で話題にした。
 ワグナーの恋人、キャリー・ジンバリスト・ドーマーは医師免許がもうすぐ取れると言うところまでいっていた。本当は勉強に専念したいはずだが、彼氏が心配で通って来るので、ヤマザキは彼女の方を心配して、入院病棟に出入り禁止と言い渡した。

「勉強に専念出来ないのなら、君を観察棟に入れてしまうぞ。」

 2人の直属の上司であるトバイアス・ジョンソン・ドーマーは多忙なので見舞いに来たのは1回だけだった。彼は最初にワグナーを見舞った。体調を尋ねてから、見舞いに来た本題に触れた。

「ベイル・ドーマーから聞いたぞ、パイロット免許を取るつもりらしいな?」
「許可頂ければ・・・」
「君の様なでかい男が飛べるだろうか?」

 ジョンソンの言葉に、頭痛で悩んでいるワグナーは涙目で上司を見た。その生気のない顔を見て、ジョンソンは吹き出した。

「情けない顔をするなよ。君なら直ぐに免許をもらえるさ。山岳地帯での巡回に君が操縦するヘリがあれば大助かりだ。必ず合格しろよ!」
「はい、頑張ります。 ゴホゴホ・・・」

 ガラス越しなのに風邪をうつされそうな気がして、ジョンソン・ドーマーは「お大事に」と言って、隣に移動した。
 リュック・ニュカネンはベッドの上で体を丸めて寝ていた。腹痛が酷いのだ。下痢で水分が体から抜けてしまい、熱が下がらない。ベッド脇には水のボトルが3本置かれていたが2本は既に空っぽだった。
 ジョンソンが「話せるか?」と尋ねると、彼は重い頭を持ち上げて、窓の方を向き、マイクを引き寄せた。

「体調の件でしたら、ヤマザキ先生にお聞き下さい。」
「そんな用事ではない。」

 ニュカネンは衰弱してもリュック・ニュカネンだ、とジョンソンは思った。手続きはきちんとやらないと落ち着かないのだ。こちらもイラッとするので、用件をさっさと済ませることにした。

「『通過』が終わったら、君に特別任務を命じる。これは局長のお考えから始まったもので、班チーフも大乗り気だ。『通過』中の代行をそのまま働かせる間に、特別任務をこなしてもらうから、早く元気になれ。病気を長引かせるなよ。」

 ニュカネンは特別任務の内容を尋ねなかった。質問する気力がないのだ。ただ「了解しました」と答えただけで、ぐったりと枕に頭を戻してしまった。
 ジョンソンは溜息をついた。ニュカネンの特別任務とは、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンで売りに出ている空き家か空きビルを探すことだ。

 しかし、この男の固い頭で不動産屋と渡り合えるのだろうか?

 ジョンソン・ドーマーは不安を覚えた。

退出者 6 - 8

 翌朝、執政官達は普段通り食堂で朝食を摂った。しかし中央研究所に入るとロッカーで各自の祖先の文化に習って喪の服装に着替え、地下通路を通って「黄昏の家」へ移動して行った。
 その様子を目にしたドーマーの職員や助手達が情報を仲間に拡散した。

 「黄昏の家」から旅立った人がいる

 ドーマー達はそれぞれの職場で「黄昏の家」がある方角に向かって黙祷し、祈った。誰が旅立ったのか、それは問題ではなかった。地球の為に一生を捧げたドーマーが1人、役目を終えて地球の土に還って行ったのだ。それ以上、何があると言うのだろう?

 昼前に、ドームは通常の業務に戻った。リプリー長官もケンウッド副長官も書類仕事に追われ、特にリプリー長官は月の地球人類復活委員会執行部本部にランディ・マーカス・ドーマーの訃報を通知して葬儀が無事に終了した報告を行った。
 ハレンバーグ委員長は、ドーマー達に不幸を教えていないことを何度も確かめた。リプリー長官はドーマーが仲間の死を知ることが何故いけないのか疑問に思いながらも、教えていません、と断言した。
 ロッシーニ・ドーマーは耳が聞こえないふりをした。中央研究所のドーマー達は何も気が付かなかったふりをした。ドームの他の部署のドーマー達も平然と日常業務をこなした。
 ケンウッドは一睡もしていなかったが、アパートに帰って出来るだけ身綺麗にしてから昼食に出た。疲れたので中央研究所の食堂にしたのだが、そこにハイネ局長がやって来た。

「腕の具合はいかがです?」

とハイネが何事もなかったふりをして尋ねた。ケンウッドは彼が15代目逝去を知らないことにホッとして、笑顔を作って見せた。

「今日はもう痛みも和らいで、1人でトレイを持てるんだ。心配してくれて有り難う。」

 ハイネは彼の目元の隈に気が付いたが、言及を避けた。向かい合ってテーブルに着くと、昨夜の会議の話を始めた。
 出張所を開設する案を、ケンウッドは疲れた頭でなんとか理解した。そして治安を守る以外の意味をさらに理解した。

「出張所設置の費用を出せと言うのだね?」
「ドーマーの所持金では絶対に無理ですから。」
「しかし、財務部が何と言うか・・・」
「ですから、中古住宅やビルなどの物件を探せと班チーフに言ってあります。」

 浮き世離れした容姿のローガン・ハイネが中古物件や不動産の話をするのは、なんとも滑稽に思えた。

「出張所の人員は何名置くのかね?」
「1人です。」
「1人?! しかし・・・」
「ドーマー、又は元ドーマーを1人、彼が手足として使う現地の人間を何人雇うかは、予算次第です。安全の為にも被雇用者は10名欲しいですね。」
「その人件費もドームが出すのだな?」
「出張所が副業をしてもよろしいのであれば、少しは節約出来るかと。」
「副業? ドーマーに商売をさせるのか?」
「いけませんか? ドーム内の薬草育成施設で収穫したハーブから薬品や香料を製造しているでしょう? 宇宙に販売しないで地球で販売して下さい。」

 ハイネの口から金儲けの話が出るとは思わなかった。ケンウッドの頭から今朝の葬儀の思い出が吹っ飛んだ。

「ドーム製の薬品や香料はコロニーで高く売れるんだよ。貴重な収入源だ。」
「あれっぽっちの量でドームを養っているとは思えません。」

 ケンウッドはドキリとした。地球人類復活委員会には、もっと高価で売れる収入源があるのだが、それは口が裂けてもドーマーに教えられなかった。

「ドームを養えなくても、出張所経営の足しにはなるはずです。」

 ケンウッドは溜息をついた。

「ハイネ・・・それは執政官会議で執政官達を納得させなければ、私の一存では何も言えないよ。」
「では、そうします。明日執政官会議を開いて下さい。これは必要な案件ですから。」

 決してコロニー人に逆らわないドーマーは、決してコロニー人に「否」とは言わせないのだ。ケンウッドは日付が変わって数分後にランディ・マーカス元第15代遺伝子管理局長に手を握られて告げられたことを思い出した。

「地球をよろしくお願いします。我々を救って下さい。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは決して無駄な案件を出して来ない。必要だから、地球の将来の為に役に立つから、アイデアを出してきたのだ。
 ケンウッドは頷いた。

「わかった。リプリーにも伝えておく。」



退出者 6 - 7

 会議が終了して、班チーフ達が部屋から出て行った。ハイネが手早く議事録をコンピュータに入力していると、ロッシーニ・ドーマーの咳払いが聞こえた。彼は顔を上げた。

「まだ居たのか?」
「ええ・・・遅刻の言い訳を申し上げたくて・・・」

 ハイネは肩をすくめた。ロッシーニは長官秘書だ。忙しさは局長秘書と肩を並べるだろう。もし遅刻でなく欠席でもハイネは文句を言わないつもりだった。
 彼は最後の文章を締めくくり、署名を入れてファイルを閉じた。コンピュータの電源を落とし、もう1度ロッシーニを見た。

「重要案件か?」
「そう言う訳ではありません・・・」

 ロッシーニは彼にしては珍しく歯切れの悪い言い方をした。少し躊躇ってから、思い切って言った。

「夕刻、グレゴリー・ペルラがリプリー長官を訪ねて来ました。」

 ハイネはロッシーニを見つめ、やがて片手で口元を押さえた。ゆっくりと立ち上がり、たった今迄自身が座っていた椅子を見下ろした。手を下ろして顔を天井へ向けた。

「何時だ?」
「局長・・・」
「15代目は何時逝かれたのだ?」
「私にはわかりません。まだご存命かも知れませんし・・・」
「長官をお呼びになったと言うことか?」
「長官と副長官を呼ばれた様です。他の執政官達はまだ何も知らないと思います。」

 ハイネは小さく首を振り、ロッシーニを振り返った。

「もう遅い時刻だ。君も早く帰って休みなさい。明日長官は業務を休まれるかも知れない。秘書が執務室にいなければ長官はお困りだろう。」

 ロッシーニは素直に席を立ち、出口まで歩いて行った。「お休みなさい」と言う為に振り返ると、局長は再び椅子に座っていた。もしかすると一晩中そこに座っているのではないかと彼は心配になったが、挨拶をしてドアから出て行った。
 彼は本部ロビーまで降りると受付のデスクに着いているドーマーに声を掛けた。

「今から1時間経っても局長がお帰りにならなければ、私に連絡をくれないか?」

 ローガン・ハイネは部下が部屋から出て行って1人になると、コンピュータの電源を入れた。何かをするでもなく、立ち上がった画面をぼんやりと眺めていた。何をしたかったのか、忘れてしまった。何も思い出せなかった。くたびれた時にもたれかかって休める大樹が消えてしまった、そんな感じだった。
 コンピュータがメッセージを受信した信号音が響いた。小さな音量のはずだが、静まりかえった局長室に響き渡った。ハイネはゆっくりと手を動かしてメッセージを開いた。画面に表示された短い文章に、彼はハッと目を見開いた。
 
 泣くなよ、ローガン・ハイネ

 それは、遠い昔、ダニエル・オライオンを追いかけて脱走を試み、失敗した時のことだった。執政官の手で連れ戻され、涙を流した彼に、ランディ・マーカス・ドーマーが掛けた言葉だ。
 ハイネはメッセージが送信された時刻を脳裏に刻み込み、画面に向かって言った。

「承知しました。」

 そしてメッセージを削除すると、コンピュータの電源を落とし、席を立った。出口まで行くと、ドアを開き、室内の照明を落とし、暗い奥にある執務机に向かって一礼してドアを閉じた。


退出者 6 - 6

 遺伝子管理局本部局長室に4名の班チーフが集まった。普段は忙しくて、任地も異なるので滅多に顔を合わせないのだ。だから局長が会議の開始を告げる迄彼等は少しリラックスして互いの近況を伝え合った。遅れて内務捜査班チーフのロッシーニ・ドーマーが入って来たので、彼等はちょっと驚いた。ロッシーニはドーム長官秘書でもあり、本部に顔を出す機会が滅多にない。リプリー長官は彼の「本業」を知らないからだ。それに内務捜査班が班チーフ会議に参加すること自体珍しかった。
 ハイネが執務机の向こうに着席した。班チーフ達は居住まいを正した。

「疲れているところを呼び出して申し訳ない。」

とハイネが切り出した。

「一つ新しいことを始めようと思い、君達の意見を聞かせて欲しいと思っている。」

 彼はコンピュータのキーを叩き、中央の会議用テーブルの上に街の三次元画像を立ち上げた。フレデリック・ベイル・ドーマーは何処の街かすぐわかった。

「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンですね?」
「うん。」

 ハイネは他の班チーフ達を見た。彼等は任地は遠く離れているが、その街がどんな場所かは承知していた。地球人の遺伝子学者や部分人体製造業者が多く集まっている得体の知れぬ街だ。
 そして彼等は一昨日の事件も知っていた。遺伝子管理局に逆恨みした男が、局員を襲撃して副長官に怪我を負わせたのだ。

「大きな街を見張るのは大仕事だが、この街の様に複雑怪奇な所も厄介だ。メーカーの巣とは言わないが、温床にはなる。月に1度の巡回では足りないと思うが、どうだろう?
ここだけではなく、南米にも3箇所、北米北部にも西海岸に1箇所、怪しげな街があるな? ノヴォ・サント・アンドレ、ヌエヴォ・サン・フアン、カリ、ニュー・カチカン・・・」
「巡回の回数を増やせと仰せですか?」
「否・・・監視専門の出張所を置こうかと思う。」

 班チーフ達が顔を見合わせた。

「監視専門と言うことは、ドーマーを常駐させると言う意味ですか?」
「常駐でも良いが、退出者をそこに住まわせて任に当たらせる方法もある。」

 班チーフ達はそれぞれ考え込んだ。ロッシーニ・ドーマーが尋ねた。

「出張所はどこが管轄になりますか? 支局ですか、各班ですか?」
「君達はどこが良いと思う?」

 逆に話を振られて、チーフ達はまた互いに見合った。
 南米班チーフが手を挙げて、発言した。

「監視と言うことは、何か不審な動きを見つけたら本部に出動要請すると言うことですね? それでしたら、支局に通報して支局が本部に報告する迄時間のロスが生じます。南米の場合、分室を拠点に動いていますから、分室、即ち私の管轄で出張所に働いてもらえれば都合が良いです。本部に居る時も私に直通で連絡するシステムを作って頂くことをお願いします。」
「南米班はもう出張所を置くことを前提に喋っている。」

と北米北部班チーフが呟いた。南米班がそれを聞き逃さず、

「君は反対か?」

と尋ねた。

「北米北部では出張所は必要ないと言うのだったら、置かずに済むだろう? 私の守備範囲は広大だ。出張所は支局とは違って私の目の役割をしてくれるのだから、必要だ。」
「しかし、出張所を置くとして、物資や緊急の援護が必要な場合はどうします?」

と中米班が尋ねた。 中米では島毎に事情が異なるので既に現地の人間に出張所の様な施設を任せているのだが、それは12代目かそれ以前の局長の時から行われているのだった。ハイネが彼に尋ねた。

「君の所では緊急時はどうしているのだ?」
「メキシコかコスタリカの支局からヘリか軽飛行機で応援が飛びます。まぁ、私の所ではメーカーや違反者より妊産婦の救護が殆どですが。」

 それに中米は人口が極端に減少してしまって無人の島が増えている。女性が生まれないから、クローンの女児の配分も減っているのだ。キューバやドミニカ、ジャマイカなどの大きな島に監視所を設けている。

「出張所の管理者は最寄りの支局とも密に連絡を取り合って情報を交換させるのが良いだろう。緊急時はヘリや車の輸送手段の確保を手伝ってもらう援護態勢を整えておくことが先決だ。但し、管轄は班に任せようと思う。出張所の定時報告は班チーフに任せる。」

 ハイネが部下達の意見をまとめてみた。異論はないか、と室内を見廻すと、ロッシーニが何か言いたそうな顔をしていたので、目で発言を促した。
 ロッシーニが言った。

「出張所の管理者は地元の研究施設や企業と顔馴染みになる訳ですな? 癒着の恐れはありませんか?」

 いかにも内務捜査班らしい意見に、班チーフ達が苦笑した。ベイル・ドーマーが言った。

「局員が巡回で月に1回訪問しますよ。抜き打ち訪問もありです。」

 ハイネは時計をチラリと見た。

「では、出張所を置く方向で進めよう。各班、本当に出張所が必要と思える場所をピックアップしてくれないか? 私が先刻挙げた街にこだわることはない。君等が本当に怪しいと思える街を監視するのだ。場所を決めたら、物件を探してくれ。」
「え? 物件・・・ですか?」
「支局と違って、新しい建物は造らない。遺伝子管理局でございますと街に言いふらす必要がないからだ。空き家でも空きビルでもかまわないから、使える物件を見つけておくように。但し、賃貸は駄目だぞ。必ず売り地だ。仕事中に大家が家賃の取り立てにくると困るからな。」

 ハイネの最後の言葉に、班チーフ達がドッと笑った。ロッシーニが別の心配をした。

「ドームが土地購入の予算を認めますかね?」

 ハイネが彼を見つめて言った。

「認めさせるのが、私の仕事だ。」



退出者 6 - 5

 その日の夕刻、ケンウッドが業務を終えて秘書を帰らせた直後に、副長官室に訪問者があった。彼が電話連絡を受けてからものの5分もしないうちにその客はやって来た。

「廊下のそこの角から掛けたのか?」

とケンウッドが笑って言うと、客も苦笑して頷いた。

「お仕事が終わる頃にお伺いして申し訳ありません。」
「構わないさ、君の元気な顔を見られて嬉しいよ、グレゴリー。」

 元遺伝子管理局長付き第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーの頭はボスのハイネに負けないくらい真っ白になっていた。しかし肌はまだ艶があり、皺もそんなに目立たない。引退したドーマーの終の棲家である「黄昏の家」の管理者となって活き活きとして見えた。若いドーマー達は「黄昏の家」に行くことを許されないが、「黄昏の家」の住人は好きな時にドームに出かけて来られる。ペルラ・ドーマーは備品や薬品の調達にやって来るのだが、地下通路の出口が中央研究所の建物内にあるので、どうしてもコロニー人の世界を通ることになるのだ。
 ケンウッドはペルラ・ドーマーは買い物に来たのだろうと見当を付けたので、端末を持って立ち上がった。

「今日は終わるつもりだったので、一緒に店か食堂へ行かないか?」

 店とは、ドーマーやコロニー人が日用品を購入するドームで唯一のコンビニのことだ。するとペルラ・ドーマーはちょっと躊躇った。

「今日は買い物で来たのではありません。副長官にお願いしたいことがありまして・・・」
「お願い?」

 ケンウッドは来客用の椅子をペルラ・ドーマーに勧めて再び席に着いた。
 ペルラ・ドーマーはまた少し躊躇ってから言った。

「15代目がいけません。」
「マーカス・ドーマーが?」

 ケンウッドはドキリとした。第15代遺伝子管理局長だったランディ・マーカス・ドーマーは一月前から寝たきりになっていた。老齢で衰弱してきたのだ。
 マーカス・ドーマーはケンウッドがアメリカ・ドームに着任した時には既に現役を退き、「黄昏の家」に移住していた。ケンウッドが彼に初めて会ったのは副長官に就任した時だ。16代目のハイネより10歳上で、ケンウッドにハイネの生い立ちとも言える若い頃の話を聞かせて、コロニー人が地球人に優越感を抱き創造主の様に振る舞うことがないよう戒めた。ケンウッドの目には、彼の前ではハイネがほんの若造に見えた。それだけ威厳があり迫力のある老人だった。

「危ないのか?」

 胸に重いものが振ってきた様な感覚だ。マーカスの存在はハイネの心の支えでもあるはずだ。コロニーの技術で延命処置を施せば、まだあの老ドーマーは10年は生きられるだろう。しかしドーマー達はそれを望まない。地球人として地球の大地に戻って行くことを願って一生を終える。

「今夜のうちに、と医師が言っていました。」

 ケンウッドは端末を出した。

「すぐハイネに・・・」
「いけません!」

 ペルラ・ドーマーの鋭い声に、彼は驚いて動きを止めた。

「駄目?」
「駄目です。現役のドーマーには『黄昏の家』の住人の生死など教えないものです。ドームは地球人が生まれて来る場所。死ぬ者の情報など元気なドーマーに教えてはなりません。」
「しかし・・・最期を看取る者を呼べる決まりになったじゃないか・・・」
「ですから・・・」

 ペルラ・ドーマーは懇願の目でケンウッドを見つめた。

「15代目は貴方にお願いしたいと仰せです。」

 ケンウッドは脱力した。端末を執務机の上に投げ出した。

「それは光栄だが・・・ハイネは最後に彼に会いたいのではないかな・・・」
「局長は決まりをご存じです。ですから、15代目がこちらに来られた面会の時は、必ず別れ際に『最後』の握手をされました。何度でも、『最後』の握手を。」

 ペルラ・ドーマーは涙を抑えたのか、目尻を指で押さえ、もう一度ケンウッドを見た。

「15代目は昔ながらの習慣通り、執政官に看取られて逝きたいと仰せです。先刻、長官にもお願いしてきました。正副両長官にお見送りをお願い致します。」

退出者 6 - 4

 フレデリック・ベイル・ドーマーはまだ「通過」を経験していなかった。そして局長も経験していないことを知っていた。外に出たことがない人に「通過を甘く見るな」と言われて、彼はちょっとムッとした。ハイネはそれを敏感に感じ取ったが気づかないふりをした。部下達のこの手の反応は嫌と言う程見てきたので慣れていた。彼はそれとなく説明した。

「私は内務捜査班の頃に薬剤師をしていたので、執政官がドーマーに『通過』の処置を施すのを何度も見て来た。どんな薬剤を用いて苦痛を緩和すべきか、体重や症状に合わせて量をいかほどに決めるべきか教わった。その為に観察室の前に座って何時間も観察する役目を与えられた。
 だから苦痛を体験したことはないが、体験している人間の症状は幾通りも見て来た。『通過』は拷問ではないし、外の人間ならば子供時代から少しずつ経験する病気を一度に体験してしまうだけだ。外の人間でも丈夫な人は病気に罹らない。ドーマーも体質によっては軽く済んでしまう者と重篤に陥る者がいる。初入局者の外界初体験とは勝手が違うものなのだよ、ベイル。」

 ベイル・ドーマーは頬を赤らめた。己の心の中を局長に見透かされていたと悟ったのだ。

「失礼致しました。代行者は誰でも良いと考えておりましたが、間違っていました。局員経験のある者で『通過』を済ませた人を選びます。一月は見ておくべきでしょうね?」

 それでハイネは周囲にさっと目を走らせて彼等の会話に聞き耳を立てている人間がいないことを確かめてから、本当のことを班チーフに打ち明けた。

「昨日ジムでワグナーから『通過』の相談を受けた。受けたい理由は君やジョンソン・ドーマーが聞いた通りだが、実は彼の要望にはまだ先がある。」
「先?」

 ベイルは驚いた。ワグナーの様なペーペーが畏れ多くも局長に直談判したと言うのか?

「彼はまだ何か要求したのですか?」

 ハイネが小さく笑った。

「あの男は仕事熱心な上に兄貴分を助けたいと思っているのだろう。ヘリコプターの操縦免許を取得したいと希望したので、それは『通過』を終えてから君に相談しろと言っておいた。」
「ヘリの操縦免許ですか・・・」

 ベイルは予想外の部下の希望に驚いた。暫く黙り込んで、ヘリの操縦席に座るクラウス・フォン・ワグナーの姿を想像してみた。

「あの男なら、飛ばせるでしょうね。」

と彼は言った。

「物覚えが早いですし、何をするにしても丁寧です。複雑な計器を読み取れるでしょうし、咄嗟の判断力も抜群です。それに班に1人ぐらい自前のパイロットを持つのは誇れることですよ。」

 彼は局長に微笑んで見せた。

「わかりました。ワグナーの代行は彼の訓練期間も考慮して考えます。しかし、羨ましいですね、若者は。私は今更飛ぼうなんて思いませんよ、恐ろしくて・・・」
「私より遙かに若い君が何を言うか!」

 局長に拗ねて見せられて、ベイルは思わず声をたてて笑ってしまった。

「すみません、いつも局長が年長でいらっしゃるのを忘れてしまって。」
「世辞が上手くなったな。君もそろそろ歳だ。」

 2人はまた笑った。それから、ハイネは彼に自然に聞こえるように言った。

「今夜は班チーフが全員ドーム内に居るはずだな。会議を開くから午後8時に局長室へ集まるよう、君から伝言を頼む。」



2017年11月18日土曜日

退出者 6 - 3

 一昨日と昨日は新生児も死者も数が少なくて日課が午前の早い時間に終わってしまったのだが、その反動の様にその日は死者の数が多かった。中米で海難事故が発生して78名もの貴重な人命が失われたからだ。病死や老衰と違って事故死は遺伝子管理局長がじっくりと報告書に目を通す。だから終了してファイルを閉じたのはランチタイム終了10分前だった。既に昼食と昼休みを終えた第2秘書ネピア・ドーマーが局長室に戻って来て昼の業務を始めていた。
 ハイネが椅子から離れた途端、ネピア・ドーマーの端末に電話が入った。掛けて来たのは北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーだった。

「局長室、ネピアだ。」
「北米南部班のベイルです。局長はまだお昼休み中でしょうか?」

 ネピアは執務机の向こうからこちらを見ている局長をチラリと見て答えた。

「局長は今からお昼休みだ。」

 やっと昼休みを取れる局長の邪魔をするなと言うニュアンスを声に込めた。果たしてベイルが「今から?」と驚いた様な声を上げた。時計で時刻を確認したらしく、彼は早口で言った。

「食堂に伝えておきます。いつものお席でよろしいですね?」

 つまり一般食堂のテーブルを確保しておくと言う意味だ。恐らく局長の為にランチを残しておけと厨房班に言うつもりなのだ。ネピアが「頼む」と言うと、ベイルは用件も言わずに「了解」と電話を切った。
 問いかけたそうな局長に、ネピアは第2秘書になってまだ1年経たない人間とは思えぬ口調で言った。

「ベイル・ドーマーがランチを確保するそうです。一般食堂ですから、お間違えのないように。」

 ハイネは一瞬ムッとして彼を睨み付けたが、それでも「有り難う」と言うのは忘れなかった。
 本部を出て、一般食堂に入ると、彼のお気に入りのテーブルでベイル・ドーマーが手を挙げて存在を示した。ハイネは配膳コーナーへ行った。「今月の司厨長」が彼を見て、既に取り分けておいたランチのトレイを差し出した。

「辛うじて1人分かき集めておきました。」

 残り物かい! と思いながらもハイネは「有り難う」と言ってトレイを受け取り、ベイルが待つテーブルに向かった。
 席に着くと、彼は部下を真っ直ぐに見た。

「お気遣い有り難う。さて、何か話があるのかな?」

 ベイルは苦笑した。電話では肝心なことを言い忘れたのだが、却ってゆっくり話が出来そうだ。

「重要案件ではありませんが、少々戸惑いを感じています。うちの第3チームから2名が一度に『通過』の要請を出して来ました。代行を探さなければなりませんので、ジョンソンが困っています。代行を選ぶのは私の役目ですが、1名で足りるのか2名必要なのか迷っているのです。」

 ハイネは料理を口に運びながら、「2名とは?」と尋ねた。1人はワグナーだ。もう1人は誰だ?

「クラウス・フォン・ワグナーとリュック・ニュカネンです。初めにワグナーがジョンソンを通して要請して来ました。ジョンソンが私の部屋でそれを告げている最中にニュカネンは電話で要請して来たのです。」

 ハイネは前日ジムでニュカネンが何か言いたそうだったのを思い出した。あれはこのことだったのか。 ワグナーは「通過」が終わればヘリコプターの操縦免許取得を申請してくるはずだ。ニュカネンはどんな目的があるのか? ケンウッド副長官が言っていた恋愛に関連するのだろうか?
 ハイネは口の中の食べ物を呑み込んでから言った。

「代行は2名。長期を想定して選びなさい。『通過』を甘くみてはいけない。」



退出者 6 - 2

 遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーは第3チームのリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーからクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの「通過」の要請を受けて、少し考え込んだ。

「ワグナーから要求が出ているのだな?」
「そうですが?」
「レインからではない?」
「レインは一言もそんな要求を出しません。」

 ジョンソンのチームには同じ「トニー小父さんの部屋」出身の局員が3人もいる。部屋兄弟と言うのは普通絆が強く仲良しのはずだが、ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーが犬猿の仲なので、ジョンソンはよく喧嘩の仲裁で閉口していた。レインとニュカネンがなんとか同じチームで我慢出来ているのは、穏やかな性格の弟分ワグナーがいるからだ。
 ベイルは彼自身は「通過」をまだ経験していない。多忙なせいだ。恐らく「通過」を経験する前に「飽和」が来てしまうのではないかと内心危惧していた。「飽和」は体内の抗原注射の薬剤が限界量に達っすることで、薬が体内から抜けてしまう迄1週間か10日ほど正気を失ってしまう現象だ。「通過」又は「飽和」を体験してしまえば、普通の地球人同様外気に平気な肉体が手に入るのだが、どちらも苦しみの経験だ。

「俺はレインが最初に『通過』を受けるものと思っていたがな・・・」

 ポール・レインは今でも脱走した恋人ダリル・セイヤーズ・ドーマーを探し続けている。任務の合間に捜査活動しているのをベイルは承知していた。時間を気にせずに探せる肉体を欲しているのはレインだろうと思ったのだ。だからジョンソンからワグナーの要望を聞かされて意外な気がした。
 ワグナーには女性ドーマーの恋人がいる。一生女性に縁がないドーマーが殆どなのだから、ワグナーは「めっちゃラッキー」な男なのに、外に出る時間を増やしたいとは、どう言う了見だ? とベイルは考えた。

「理由を聞いたか?」
「ただ時間に縛られずに捜査活動したいと言うだけで・・・」

 単純な理由だ。もっとも遺伝子管理局では殆どの「通過」経験者がこの理由で許可をもらうのだ。維持班の様に「通過」を受けなければまともな仕事が出来ない職場ではない。
 ベイルはワグナーが誠実な男であると評価している。発信器を埋め込んであるし、ドームには恋人が待っている。脱走の心配はないはずだ。
 彼は頷いた。

「わかった。医療区で手続きをしておこう。ワグナーが休んでいる期間、シフトはどうする? 代行は必要か?」
「2週間でしたね? 私と残りの4名でなんとかやりくりします。」

 ジョンソンがそう応えた時、彼の端末に電話が着信した。失礼、と上司に断って彼は画面を見た。掛けて来たのはリュック・ニュカネン・ドーマーだった。彼は画面をチラリとチーフに見せてから、電話に出た。

「ジョンソンだ。」
「ニュカネンです。ジョンソン・ドーマー、ちょっとご相談したいことがあります。」
「電話で言えることか?」
「あの・・・」

 ニュカネンが躊躇った。ジョンソンは嫌な予感がした。何だ? と促すと、ニュカネンは固い声で言った。

「『通過』の許可をお願いします。」

退出者 6 - 1

 ケンウッドは夕方迄研究室で彼自身の皮膚を分析した。放射能や細菌などの微生物が彼の皮膚を汚染した形跡はなかった。

「地球はもう安全な星に戻ったと思う。」

 ケンウッドが呟くと、助手達の目が輝いた。

「しかし、私はたったの2日しか外にいなかった。これだけでは、安全宣言は出せない。」
「でもドーマー達は大丈夫じゃないですか?」
「地球人の皮膚とコロニー人の皮膚は耐性が異なるからね。コロニー人のひ弱な皮膚が耐えられると証明しなければ。誰か1年ばかり外で暮らしてみてくれないか?」

 助手達は互いに顔を見合わせるだけだった。

「でも、昨年パーシバル博士とセドウィック博士は1週間旅行されましたよね?」
「彼等はスクリーンクリームを塗りたくっていたんだよ。」

 それにキーラは半分地球人だ。公式にはコロニー人のシングルマザーの子供と言うだけで・・・。
 アイダ博士から指定された時刻が近づいたので、ケンウッドは研究室を出た。助手達の半分はまだ残るようだ。彼等は論文を書くので熱心に研究を続ける。近頃研究室から遠ざかっているケンウッドはちょっと恥ずかしいが、時間が足りない。
 中央研究所の食堂に行くと、マジックミラーの壁の脇で既に彼女とハイネ局長とヤマザキ・ケンタロウがテーブルに着いていた。ケンウッドが適当に料理を取ろうとすると、ハイネが素早く席を立って手伝いに来た。

「君は召使いじゃないんだから、座っていれば良いんだよ。」

 気恥ずかしいので心にもないことを言ってしまったが、ハイネは気にしなかった。

「地球人が貴方を傷つけたのですから、地球人の私が介助しますよ。」

 テーブルに着くと、アイダ博士が「では」と言った。

「打ち合わせを兼ねて夕食会を始めましょう。」

 彼女はハイネを見た。ハイネ局長はこの夜はチーズ料理がなかったので大人しくしていた。彼に彼女が囁いた。

「ケンウッド博士は司祭役が良いと思う? それとも新郎の介添え人?」
「新郎? 司祭?」

 ケンウッドはもう少しで大きな声を出してしまうところだった。ヤマザキも目を丸くした。

「結婚式をするのか? 送別会ではなく?」
「サプライズよ。送別会と見せかけて結婚式をするの。勿論略式だし、正式でないから・・・でも・・・」

 アイダ博士はもう一度ハイネを見た。

「キーラの花嫁姿を見たいでしょう、局長?」

 ハイネがきょとんとした。ドームの歴史が始まって以来この中で結婚式など行われたことがない。当然ドーマー達は結婚式と言う儀式を映画やドラマの中の遠い世界の行事だと言う認識しか持っていない。アイダ博士が言っていることを理解出来ないのだ。

「貴女は私にキーラに腕を貸して歩けと仰いましたが、それと関係があるのですか?」

 あーっと理解したのはケンウッドとヤマザキだった。アイダ博士はハイネに父親として娘を新郎に引き渡す役目を果たさせたいのだ。司祭とか介添え人とか、そんなのは本当はどうでも良くて、長年上司として親友として共に働いて来たキーラに、父親に祝福されて結婚すると言う体験をさせたいのだ。ケンウッドは周囲に聞こえないよう声量に注意しながら、ドーマーの長老に言った。

「アイダ博士は君にキーラの父親として仕事をして欲しいと頼んでいるのだ。」

 ヤマザキも言った。

「きっとギターをもらった時よりも彼女は喜ぶさ、ハイネ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは暫くコロニー人達の顔を順番に見て、ちょっと考えた。それから尋ねた。

「貴方方はどうやってキーラにドレスを着せるおつもりですか?」




退出者 5 - 11

「あれって、思いっきり『地球人保護法違反』ですよね?」

とワグナーが笑いを抑えきれずに声を搾り出した。ケンウッドも笑い出した。

「確かに強引に素手で手を掴まれて引っ張られて行ったな。だがハイネがレイプされたと届け出を出さない限りは、違反にならない。」
「局長は女性に弱いんですね・・・」

 レインがぽつんと呟いた。ケンウッドは彼を振り返った。

「男は大概そう言うものさ。筋力はこっちが強いとわかっているから、女性に腕力を使えない。腕力を行使すれば、それは立派な暴力行為になる。男に暴力を振るっても罪になるが、相手が女性ならばなおさら罪は重い。だからハイネは女性執政官には決して逆らわない。」
「俺達も肝に銘じておきます。」
「局長も普通の男性なんですね!」

 レインとワグナーが笑った。ニュカネンは作り笑いをして、運動を再開した。彼が局長に何を言いたかったのか、ケンウッドは気になったが、仲間がいる場所では打ち明けてくれないだろうと言う予感がしたので、ドーマー達に「じゃぁまたな」と言って、別れた。
 更衣室で着替えをして運動施設から出たところで端末にヤマザキから電話がかかってきた。

「アイダ博士から夕食を一緒にどうかと連絡が来たが、君の都合はどうだ?」

 ケンウッドは少し驚いた。アイダ博士とは数10分前に出会ったばかりだ。

「彼女は私も招待してくれるのか?」
「君にも来て欲しいと言っている。君の返答次第で僕の返事を決めると言ってあるんだ。」
「合コンじゃないよな?」
「セドウィックの送別会の打ち合わせだと言っていた。」

 ああ・・・とケンウッドは呟いた。もうそんな時期なのか。

「わかった。それじゃ行くよ。時間と場所が決まったら教えてくれ。私は研究室の方へ行っているから。」

 キーラ・セドウィック博士は、送別会は必要ないと言っていた。殆どの執政官はひっそりと退官してドームを去るのだ。仲良くなったドーマー達と別れるのが辛くて、仲の良い者だけで別れを惜しんで去って行く。あるいは嫌われたとわかっているので、こっそりと去って行く。キーラは昨年のヘンリー・パーシバルの送別会に来なかった。あの時は出産管理区で難産の女性がいて、離れられなかったのだ。後に送別会がお祭り騒ぎだったと聞いて、「そんな送別会ってある?!」と驚いたのだ。

「私はひっそりと引退しますわ。だって、私は数え切れないほどの地球人の母親から息子を盗み取った悪女ですからね。」

 彼女の言葉に、執政官会議の出席者達は苦笑したのだ。

「でも貴女は同時に数え切れないほどの娘を母親に与えてきたじゃないですか。地球人社会が存続しているのは、貴女がここの仕事に人生の半分を捧げてこられた結果ですよ。」

 リプリー長官を始め、執政官達は彼女の貢献を讃えた。それでもキーラは派手な送別会は必要ないと言ったのだ。

「出産管理区の仲間とささやかに食事会をして、それで勘弁して頂きたいわ。私、人前で泣きたくないので・・・この歳で化粧崩れを見られたら、もう人生お終いだわ。」

 議場内を爆笑の渦で包み、彼女は長官に送別会を諦めさせたのだ。
 アイダ博士が出産管理区スタッフでの送別会に医療区のスタッフを含めて考えるのは当然としても、副長官と遺伝子管理局長も参加させると言い出したのは、つい数日前のことだ。彼女はずっと以前から気が付いていた。きっと初対面の時から気が付いていたのだ。彼女はケンウッドに確認してきた。

「ローガン・ハイネ・ドーマーはキーラ・セドウィックのお父さんですよね?」

 ケンウッドは驚いて尋ねたのだ。

「何故そう思うのだね?」
「思うのではありません。確信です。ローガン・ハイネの振る舞いは明らかに、父親の娘に対する行動です。彼はいつも彼女の我が儘を許し、彼女が彼に対して何をしても怒りません。何か問題があっても彼女を庇っています。彼女を守ろうとしています。あれは単に遺伝子を共有するコロニー人とドーマーの関係と言うものではありません。」

 アイダ・サヤカはマーサ・セドウィックがドームにいた時代を知らない世代だ。だがマーサが当ドームに勤務していたことを、キーラから聞いたことはあるのだろう。だから推理した。そして結論を導き出した。

「ご存じですか、副長官? ハイネ局長は最近やたらとキーラと一緒に居たがりますのよ。彼女の勤務明けに回廊で待っていたり、食堂で同席したり・・・娘を嫁がせると決めた父親そのものですわ。」

 ドーマーが父性に目覚めた・・・ケンウッドは他の執政官に知られないよう、アイダ博士に固く口止めしたのだった。勿論、アイダ博士は秘密を厳守した。出産管理区の人間の口の固さは宇宙一だ。


2017年11月17日金曜日

退出者 5 - 10

 支局のヘリコプターは僻地の妊産婦の他に病人の搬送などにも使用される。遺伝子管理局所属ではあるが、局員がメーカー捜査や手入れに使う機会は少ない。パイロットも戦闘訓練を受けていないので、危険なフライトに使えない。ワグナーは彼が操縦することでいざと言う時にヘリで出動出来ると考えたのだ。
 ハイネはケンウッドの心配をあっさり無視した。

「了解した。航空班に私から話をつけておくから、君は先に『通過』を済ませなさい。航空班の訓練は厳しいから、局員業務は休むことになるぞ。代行してくれる者を内勤業務者から選んでもらえるよう、班チーフに頼むと良い。」
「チームリーダーには?」
「耳に入れておいた方が良いだろうが、それは『通過』を終えてからで良い。パイロットを養成する案を出したら局長が乗り気になったと言えば良いだろう。事実なのだから。」

 2つも要望が通ったので、ワグナーは満面の笑みで喜びを表現した。ケンウッドは微笑ましく思いながら、視野の隅でニュカネンがもじもじしているのを見た。局長に要望を出すなら今のうちだぞ、と心の中で声援を送った。するとニュカネンとレインがほぼ同時に、「局長」と声を掛けた。そして2人は互いの顔を見た。どっちが先かと目と目で対決しようとした瞬間・・・

「あらぁ、ここにいらしたのね!」

 女性の明るい声が響き、出産管理区副区長のアイダ・サヤカ博士がいきなり男達の前に姿を現した。彼女はハイネ局長に声を掛けたのだが、ケンウッド副長官に気が付くと頭を軽く下げた。

「副長官、お加減はよろしいの?」

 ケンウッドの負傷のニュースは出産管理区に既に拡散されているらしい。ゲートに近いので外からの情報が真っ先に伝わるのだ。ケンウッドは苦笑して右腕を持ち上げて見せた。

「この通り、ちゃんと腕は付いていますし、動きます。お気遣い有り難うございます。」
「大きな怪我でなくて良かったですね。」

 彼女はドーマー達に視線を向けた。

「貴方達が副長官をお守りしてくれたのね?」
「守ったのはリュック・ニュカネンです。」

 レインが素早く反応した。この男はこう言う気配りが出来る。手柄への賞賛は正しい者へ送られるべきだと考えるのだ。ニュカネンも負けていない。

「犯人を捕まえたのはポール・レインです。」

 アイダ博士は優しく微笑んだ。キーラ・セドウィック博士と余り年齢は違わないのだが、彼女の方が少し年上に見える。やはりキーラにはハイネの遺伝子が少し影響しているのではないか、とケンウッドはぼんやりと考えた。
 アイダ博士はその間にジムに現れた目的を果たそうとした。彼女はハイネの手を取った。

「約束の時間を半時間も過ぎていますわ。早くお出でになって。」

 ハイネが困惑の表情を浮かべた。

「約束? それは明日でなかったですか?」
「いいえ、今日です。」

 ハイネは端末を出そうとして、運動着なので手元にないことを思い出した。端末は更衣室のロッカーの中だ。

「申し訳ありません、年寄りなもので、忘れていました。」

 失敗した時のハイネの奥の手だ。ドームのどの執政官よりも明晰な頭脳を持っていながら、都合が悪くなると耄碌爺さんのふりをするのだ。
 アイダ博士は彼の手を掴んで歩き出した。ハイネは仕方なく引っ張られて行く・・・。
彼女がケンウッドを振り返った。

「副長官、申し訳ありませんが、こちらが先約ですので、遺伝子管理局長拉致させて頂きます。お夕食の時間にはお返ししますので。」

 呆気にとられているケンウッドと若いドーマー達を残してハイネは攫われていった。


2017年11月16日木曜日

退出者 5 - 9

 ケンウッドは筋力トレーニングをしているレインに声を掛けた。

「やぁ、レイン・ドーマー。今日は効力切れ休暇だろう? もうそんなに体を動かせるのかね?」

 レインが器具を止めて振り返った。副長官と局長がそばにいるのを見て、立ち上がった。

「ご心配なく、俺達は慣れていますから。それより副長官のお怪我の経過はいかがですか?」
「私も平気だ。力が入らないだけで、それ以外は普通に生活出来る。気遣い有り難う。」

 ワグナーとニュカネンも運動を休止してしまっているのを見て、ケンウッドは彼等の邪魔をしてしまったなぁと後悔した。
 気の良いクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが局長の顔を見て、少し緊張の面持ちで声を掛けた。

「あの、局長・・・僕、ちょっとご相談したいことがあるのですが・・・」

 ハイネが彼に顔を向けた。何だ? と訊かれて、ワグナーは少し躊躇してから言った。

「僕・・・『通過』を受けたいのですが・・・」

 「通過」は無菌状態で育ったドーマーを故意に感冒や麻疹や下痢などの病気に罹らせて外の世界の空気に慣れさせる荒療治だ。これを経験すれば抗原注射を打たなくてもドーマーは外で活動出来るようになる。勿論、「通過」を行わず、注射を打たずに外に出て自然の成り行きに任せる方法もあるが、その場合は感染する病原菌の種類は罹ってしまわなければわからないので、危険を伴うのだ。
 「通過」を受ける時は発熱、悪寒、下痢、鼻水、腹痛などが順番に体を襲ってくるので、ドーマーは大変不愉快な期間を過ごすことになる。何しろ殆どの普通の地球人が生まれてから成人する迄に罹る病気をたった2週間で全部経験させるのだ。体力を要する治療だ。だから「通過」を受けるのは若いうちが良いとされている。
 レインとニュカネンが同時に弟分のワグナーを左右から見た。ワグナーの決意を知らなかった様子だ。2人共驚いていた。
 ワグナーは「通過」を受けたい理由を一所懸命局長に伝えようとした。

「時間を気にしないで働きたいです。いつも制限時間を気にしながら活動していては、要領の悪い僕には成果を上げられません。『通過』さえ済ませておけば、仲間と同じ48時間の勤務でも時間を気にせずに働けます。心に余裕を持てると思うのです。」

 ハイネが優しく微笑んだ。

「ワグナー、その希望をチーム・リーダーに伝えたか?」
「いいえ・・・まだです。」
「今すぐに私から医療区に伝えることは出来るが、間を飛ばしてはトバイアス・ジョンソン・ドーマーが不愉快に思うだろう。急ぐ必要はない。明日にでもジョンソンに君の希望を伝えなさい。班チーフに伝えてくれるはずだ。医療区の手続きは班チーフの役目だからな。もしジョンソンが渋るようなことがあれば、ハイネに既に伝えてあると言えば良い。ジョンソンは反対するまい。」

 わかりました、と言ってから、ワグナーはまだもじもじしながら、「もう一つ・・・」と言った。ニュカネンが顔をしかめて見せた。

「おい、厚かましいぞ。」

 しかしレインは

「かまわないから、今のうちに話を聞いてもらえ。」

とけしかけた。
 ハイネとケンウッドが待っているので、ワグナーは「通過」の時より固い表情になって要求を出した。

「局長、僕にヘリコプターの操縦士の資格を取らせて下さい、お願いします!」
「ヘリの?」

 ハイネはケンウッドを見た。ケンウッドは重力のある惑星上でヘリコプターや飛行機が飛ぶのを内心恐ろしいと思っている。小さく首を横に振った。反対したのだ。
 ワグナーは副長官を無視して局長に訴えた。

「中部や西部の山岳地帯は地上の移動よりもヘリを使った方が便利です。ですが支局のパイロットは民間人です。ドーム内の話題を聞かせる訳にいきません。ドームの航空班のヘリは、中部まで飛ぶスピードを考えれば飛行機に負けます。支局のヘリを使った方がエネルギー代を考えればお徳です。僕が操縦して仲間を運びます。
 どうか、僕にヘリコプターの航空免許を取らせて下さい、お願いします!」

退出者 5 - 8

 腕の怪我なので走ることは出来る。しかし前夜熱を出したので、無理はしないようにとヤマザキに注意されていた。ケンウッドは走るのではなく散歩を選択した。運動になるようにだらだらではなく、早足で歩いたが、同行するハイネにはゆっくりになるのだろう、ちょっと脚の長さの差を気にしながらケンウッドは歩いた。
 運動施設のトラックを3周すると流石に汗が出た。午後の体力維持も仕事の内なので、周囲ではドーマー達が熱心に体を動かしていた。彼等は運動着姿の副長官と遺伝子管理局長が走らずに歩いているので、不思議そうに振り返ったが、特に話しかけてくる者はいなかった。

 偉いさんが2人並んで歩いている時は、重要な話合いをしているんだ。

 それがドームの中での暗黙の了解だった。
 ケンウッドとハイネが歩きながら話し合っていたのは、遺伝子管理局の外勤局員の安全確保の問題だった。外の人々にとって遺伝子管理局は地球人の結婚も出産も全て管理するお役所だ。申請が却下されると逆恨みするし、出産が無事に終われば感謝される。違法製造されたクローンを逮捕して処分していると誤解もされる。彼等が危険に晒されるのは今に始まったことではないし、外の世界の警察機構の人間の方が余程危険な目に遭う確率が高い。局員は基本的に2人1組で行動するが、幹部クラスになると単独行も増える。

「支局の数を増やせませんか?」

とハイネが尋ねた。

「局員がトラブルに巻き込まれた場合にすぐ手を打てる施設があれば、少しは安心出来るはずです。」

 遺伝子管理局は以前から新規支局設置を提案してきたが、ドームは予算の都合上却下し続けている。ケンウッドの立場から言えば、またその話か、となるのだが、当人がトラブルに巻き込まれて負傷しているので、今回は支局が現場の街にあればなぁ、と思った。

「予算を動かすのは、月の財務部だからなぁ・・・まずはリプリー長官を説得するしかないだろう。」
「長官を説得出来たとして、長官は月を説得出来ますか? 予算の問題はアメリカ以外のドームからも常に出されているはずです。競争相手は多いですよ。」
「支局はいろいろと金がかかる施設だからな。窓口業務で妻帯許可申請を受け付けることから空港から戦闘ヘリを飛ばすところ迄、全て支局が行っている。ドーム本体の維持費も年々増大しているところに、支局開設となると・・・」

 局長を安心させられる返答が出来ないのが歯がゆい。ケンウッドは副長官ではなく長官でなければ月に話を持って行けないのが悔しかった。この際、「チクリ屋リプリー」のお株を取って月へ直訴しようか?
 2人はジムに入った。筋力トレーニングのコーナーに、効力切れ休暇のレイン、ワグナー、それにニュカネンがその順で並んで運動をしているのが見えた。2人は自然にそちらへ足を向けた。

2017年11月15日水曜日

退出者 5 - 7

「私の話ではなく貴方のお話を聞きに来たのですが?」

とハイネが強引に話題を変えた。助手と何の話をしたのか言うつもりはないらしい。
それでケンウッドはファイルを閉じた。

「実は先日ワグナー・ドーマーから相談を受けてね・・・リュック・ニュカネンが恋をしていると言うのだ。」

 ハイネが黙っているので、ケンウッドはニュカネンがどこまで真剣なのか、確認する目的で局員の支局巡りについて行ったのだと言った。

「レインはセイヤーズ捜索でいっぱいいっぱいで、部屋兄弟の恋に気が付いていないようだった。ニュカネンも用心深く感情を抑えていたからね。あの事件が起きる迄、女性の話題は全く出なかった。」
「事件が起きる迄?」
「うん。事件は市役所の入り口で起きただろう? ニュカネンの相手の女性は市役所で働いているのだよ。文化教育課のアンナスティン・カーネルと言う人で、ニュカネンは怪我をした私を彼女に託した。彼女を心から信頼していると考えられる。」

 ハイネが端末を操作して、1人の女性のプロフィールを画面に出した。失礼しますよ、と言って副長官室の会議用テーブルの上にその画像を立ち上げた。

「この女性ですか?」
「うん、正にその女性だ。」

 2人は女性の遺伝子情報、経歴を読み取った。何の問題もない普通の女性だ。

「どんな女性でした?」
「親切で優しい人だ。多分彼女も真剣にニュカネンのことを考えている。銃撃の後、彼女は直ぐにニュカネンの所に走って来た。彼の身を案じての行動だ。」

 ハイネが考え込んだ。若い部下が何を考え、これからどうしようと思っているのか、それを彼は考えているのだ。
 もしニュカネンが中途半端な未来像で交際をしているのであれば、別れさせなければならない。それはハイネでなくともドームの執政官なら当然考える。ドーマーは貴重な人材だ。1人でも失う訳にいかない。ドームの外の女にあっさりくれてやる訳にいかないのだ。

「帰りにレインに打ち明けた。彼は驚いていたが、否定はしなかった。ニュカネンが恋愛していることを認めたのだ。しかしチームリーダーのトバイアス・ジョンソンは気が付いていない。ジョンソンが知らないので班チーフにも報告は行っていない。」

 ハイネが腕組みした。まだ考えている。何を考えているのだろう? 外に出たドーマーは過去にも何人かいた。ポール・レイン・ドーマーの父親もその1人だ。彼等の多くは外の女性と恋愛をして女性を選択したのだ。堅物で名高いリュック・ニュカネンが恋愛するのは意外だったが、堅物だからこそ真剣さも固いのだろう。
 ハイネが尋ねた。

「ミズ・カーネルはニュカネンを真剣に想っているのですね?」
「私にはそう思える。彼女は我々が出発する時も見送りに来て、食べ物や水を買ってもたせてくれた。そしてレインと私の目の前で彼等はハグし合ってキスを交わした。あれには私達は面食らったがね。彼女は本当に素敵な女性だったよ。」

 ハイネがまた考え込んだ。何故彼が考え込むのか、ケンウッドは分かる気がした。ハイネは若い頃恋愛で失敗をしている。愛してはいけない人を愛してしまい、事実上捨てられた。彼は可愛い部下に哀しい思いをさせたくないのだ。
 やがて彼は顔を上げた。結論が出たのかとケンウッドは思ったのだが、そうではなかった。ハイネはのんびりした口調で、夕食迄どうしますか、と尋ねたのだった。



 

2017年11月14日火曜日

退出者 5 - 6

 昼食の後、ケンウッドは医療区に出頭した。ヤマザキ・ケンタロウが「逃げずに来たね」と笑った。
 傷口のジェルを新しい物と交換した。弾丸で削られた部分の肉が盛り上がって見えた。

「再生が始まっている。ケンさん、案外治りは早いかも知れないね。」

 励まされてケンウッドは心強く感じた。
処置室を出ると、医療区のロビーでハイネ局長が端末で仕事をしながら待っていた。ハイネの仕事には終わりがない。常に人間は生まれ死んでいく。ハイネはひたすらその記録を検分して、人々の法律上の存在を新たに付け加えたり削除したりする。
 ケンウッドが彼の隣に座るとハイネは端末の画面を閉じた。

「どこでお話をお聞きしましょう?」
「私の副長官室で良いかな? ちょっと仕事が溜まっているのでね。」
「結構です。私はゆっくり出来そうですから。」

 ハイネはちょっと楽しそうだ。他人の職場を覗くのが面白いらしい。そう言えば今回の旅の道中、ニュカネンとレインが珍しく意見が一致した話題があった。内勤の日に局員オフィスで仕事をしていると、局長が音もたてずに背後に立って仕事ぶりを見ている時があって、

「あれはびびるよなぁ!」

と2人が苦笑していたのだ。内務捜査官だったので、ハイネは他人の仕事をこっそり覗くのが上手い。しかし部下を監視しているのではないことをケンウッドは知っていた。局長は部下が何をしているのか知りたいだけだ。局員が支局から集めてくる書類の多くは局員自身で審査して許可を出したり証明書を出す。局長の元に送られて来るのは重要度が高いと班チーフが判断したものだけだ。だから局長は局員オフィスに足を運んで「その他」の書類を眺めているのだ。
 副長官室に入るとケンウッドはデスクに着いた。すぐにコンピュータを起動させファイルを開いた。溜まっている書類を順番に片付けた。その間ハイネは面会者用の席に着いて端末を触っていた。
 秘書が助手の来訪を告げた。ケンウッドの研究室の助手だ。副長官の仕事と研究者としての仕事が重なってケンウッドは忙しい。助手に研究の一部を一任していたので、その結果報告だった。女性の助手で、彼女は副長官室内に遺伝子管理局長が居るのを見て、一瞬びっくりして立ち止まった。ハイネは年齢に関係なく女性に人気が高い。
 報告が終わって帰りかけた助手にハイネが声を掛けて呼び止めた。ケンウッドが何気なくそちらを見ると、驚いたことにハイネが自身の端末の画面を助手に見せているところだった。助手が覗き込み、何か言うとハイネが頷いた。

 何だろう?

 ケンウッドは気になった。ハイネが彼の仕事関係の書類を他人に、それもコロニー人に見せるとは思えない。ましてや若い助手に意見を求めたりしないだろう。

 ハイネは仕事をしているのではないのか?

 ハイネが礼を言うと、助手は微笑みながら「何時でもどうぞ」と囁いて部屋から出て行った。ドアが閉まるとケンウッドは我慢出来なくなって尋ねた。

「彼女に何を訊いていたんだね? 私や秘書では間に合わないことか?」

 ハイネはケンウッドを振り返り、それから副長官秘書を見た。

「どちらも男性ですからね。」

と彼は言った。

「女性のことは女性に訊かないと・・・」

2017年11月12日日曜日

退出者 5 - 5

 午後、ケンウッドは少し遅めの昼食を取りに食堂へ行った。一般食堂に行きたかったが、怪我をしていることをドーマー達に見られたくなかった。それに昼食後にまた診察を受けることになっていたので医療区に近い所で食事を摂ることにしたのだ。
 中央研究所の食堂は昼休みが終わろうとしていたので空いていた。一般食堂の様に何時昼休みが終わるのかわからない程絶えず人が来ると言うことがないのだ。ケンウッドがトレイを左手で持って、軽い物を取ろうとしていると、誰かが横からトレイを支えた。振り向くとハイネが居た。

「私がトレイを持っていますから、料理を取って下さい。」
「有り難う。」

 ケンウッドは素直に礼を言って、食べたい物を取り、支払いを済ませてハイネが先に席を取っていたテーブルに行った。そこにはキーラ・セドウィックが居た。彼女がケンウッドを見て優しく微笑んだ。立ち上がり、椅子を引いてくれたので、ケンウッドは恐縮した。

「力が入らないだけで、普通に腕は動かせるのですよ。」
「では今日1日だけでも甘えて下さいな。」

 彼女はハイネをちらりと見て言った。

「貴方が怪我をなさったと私に教えてくれた時の局長は、かなりうろたえていましたのよ。」
「そんなに私は取り乱していたか?」

とハイネが驚いて見せたので、ケンウッドとキーラは笑った。
 キーラがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンはどんな所でしたかと尋ねたので、食事をしながらケンウッドは事件が起きる迄の楽しかった旅の話を聞かせた。リプリーに話したこととそんなに違いがなかったが、ここでは同行した2人のドーマーの様子も語った。ハイネは部下の行動を知りたかっただろうし、キーラはリュック・ニュカネンが誕生した時に取り上げたのだ。ポール・レインは担当ではなかったが、それでも生まれた時からずっと成長を見守って来た子供達の1人だ。

「喧嘩すると言っても、あの子達は憎み合っているのではありませんから、放って置いてよろしいのよ。」

と彼女は笑った。

「性格の違いだけですから。業務に支障が出る喧嘩ではありませんでしたでしょ?」
「ええ、仕事に差し支えると思ったら、どちらかが先に引きますね。互いに手加減は心得ている様子です。」

 するとハイネがケンウッドに尋ねた。

「博士は彼等の何を観察されたかったのですか?」
「私が彼等を観察?」
「数日前から博士はリュック・ニュカネンを観察されておられた様ですが?」

 むむ・・・鋭い・・・

 ケンウッドは時々ハイネに1本取られたと感じる。相手は84年生きている人生のベテランだ。「執政官は全てのドーマーの親として振る舞え」と言う地球人類復活委員会の原則が空しく感じられる一瞬だ。
 気が付くとキーラ・セドウィックも彼を見つめていた。ハイネ父娘が彼に真実を語れと目で告げていた。
 ケンウッドはテーブルの周囲を見廻した。近くには誰もいない。空いている食堂に、数人が離れたテーブルで食事をしているだけだった。静かなので声が響きそうだ。
 ケンウッドは2人に言った。

「出来れば他の人間の耳には入れたくないのだが・・・」

 ハイネがキーラを見た。彼女は肩をすくめた。

「私は午後から仕事があります。博士のお話を私が聞いておくべきなのかどうか、それは局長の判断にお任せしますわ。悪いお話でないことを願っています。」

退出者 5 - 4

 ポール・レイン・ドーマーは力のない声で説明した。

「俺はローガン・ハイネ・ドーマーが遺伝子管理局の局長であることにずっと疑問を抱いていました。あの人は執政官に可愛がられ大事にされて、一度もドームの外に出たことがありません。外の世界の危険を何も知らない人が、俺達のトップに居て良いのだろうか、と思っていたのです。」

 ドーソンは黙って聞いていた。レインは続けた。

「あの人は俺達に何をどうしろとも言いません。メーカーの捜査も摘発も全部事後報告で・・・」
「それは違う。」

 初めてドーソンが口をはさんだ。

「局員が具体的な活動を開始するのは、必ず班チーフが局長の了承を得てからだ。局長は毎日僕等局員全員の報告書に、全てその日のうちに目を通しておられる。活動に意味がなかったり、危険性が高いと判断されたら、直ぐに却下される。」

 レインは動揺を覚えた。

「そうなのですか? 知りませんでした・・・」
「局長は一々僕等に説明などされないからな。通常は班チーフとしか面会されないから、君が知らないのは無理もない。だが、直接声をおかけすれば、きちんと説明して下さる。例えば、食堂やジムで・・・」

 ドーソンはレインが食堂やジムで何時もファンクラブに取り囲まれていることを思い出した。この後輩は人気が高すぎて自由に動けないのだ。
 ドーソンはニヤリと笑って付け加えた。

「レイン、局長に声をおかけすれば、ファンクラブから逃げられるぞ。」

 レインは微かに頬を赤らめた。

「俺は本当にローガン・ハイネと言う人を誤解していた様です。」
「しかし、何故今そんなことを言い出したのだ?」
「昨日、ドームに帰投した時、局長が送迎フロアで俺達を待っておられたのです。」
「送迎フロアで?!」

 これはドーソンも初耳だったらしく驚いた。カディナ黴の事故以来、ドーマーも執政官もハイネを送迎フロアに近づけまいと注意して見張っていたのだ。ドームの「生き神様」は外界の汚れから出来るだけ遠ざかって居て欲しかった。
 レインは続けた。

「局長はニュカネンと俺をハグして、俺達の無事を喜んで下さいました。その時、俺はあの人の肌に触れて感じたのです。」

 接触テレパスは嘘を感じない、真実の感情しか感じない。ドーソンは興味津々でレインの次の言葉を待った。

「あの人は、俺達を無償で愛してくれています。ひたすら俺達の無事を祈って帰りを待ってくれていたのです。」

 ドーソンが微笑んだ。そんな単純な真実を、この男は今頃気が付いたのか・・・。

「あの方は、僕等の父親なんだよ、レイン。君の言う通り、あの方は外の世界を何もご存じない。何もご存じないからこそ、僕等があの方の全てなんだ。だから、僕等はあの方の愛情に応える為に、常に安全に心がけて任務を遂行しなければならない。君等が無事に帰還したことをあの方が喜ばれるのは当然だ。」
「俺があの人を悪く思っていたことをお詫びするには、どうしたら良いのでしょう?」

 ドーソンは思わず声をたてて笑ってしまった。

「そんなことを詫びる必要はないさ。あの方は君がどう思っていようと気になさらない。君が詫びたいと思うなら、これからも安全に気をつけて真面目に任務に励めば良い。そしてあの方が君になさる様に、君も後輩達に愛情を掛けてやれば良いのだ。」

 レインは静かに立ち上がった。

「お疲れのところを、俺のつまらない気持ちを聞いていただいて感謝します。先輩の忠告を心に留めてこれからも任務に励みます。」

 ドーソンも立ち上がった。

「忠告と言うより、ちょっとした入れ智慧をしてやろう。局長がチーズ好きなのは有名だろう? チーズ料理が出る日に一般食堂で張っていれば、絶対に局長を捕まえられる。」


退出者 5 - 3

 翌朝、ケンウッドは秘書と研究室の助手に付き添われて退院した。3人で軽く朝食を取ってから長官室に出頭した。
 リプリー長官はハイネ局長から報告をもらっていたので、既に事件の概要と犯人の動機を知っていた。彼は逆恨みのとばっちりで負傷した副長官を労い、慰めた。

「少なくとも、コロニー人憎しでなかったのは幸いだったね。」
「しかし、犯人が同じ地球人の遺伝子管理局を憎むのも困りものです。」
「所謂官憲はどう奉仕しても庶民から恨まれるものだよ。我々が早く女子誕生の鍵を見つけなければならないと言う忠告だな。」

 ケンウッドが心配するほども弱っていなかったので、リプリー長官は早くも好奇心の方を募らせていた。

「ケンウッド博士、君の第1日目の報告書は電送されて来たのを読んだ。大学の研究者達の紹介は面白かった。2日目は事件が起きる前にどこへ行っていたのかね?」

 それでケンウッドもトーラス野生動物保護団体とマルビナス・クローニング・サービスの話をして、楽しかった半日のことを思い出せた。リプリーは大富豪の趣味団体であるトーラス野生動物保護団体よりも、民間企業のマルビナス・クローニング・サービスの方に興味を抱いて、いろいろ質問した。やはりミツバチがコロニーでも重要な生物だったからだ。

「ケンウッド博士、皮肉だと思わないか? ミツバチはその殆どが雌なんだ。人間の女性が産まれない地球が、雌ばかりの昆虫を宇宙に輸出しているんだよ!」

 その頃、反省会を兼ねた朝食会が終わって、今後はメーカーだけでなく顧客も注意を払って事後観察が必要だと言う結論を出した遺伝子管理局北米南部班は、それぞれのチームの日程に従って解散した。
 ポール・レイン・ドーマーは外勤務から戻ると何時もファンクラブに取り囲まれるのだが、その日はそんな気分ではなく、副長官の負傷を知らない暢気な執政官達を見ていると腹が立ったので、足早に食堂から出た。抗原注射の効力切れで体が重く、動きも鈍かったが、コロニー人達を振り切って先輩のクリスチャン・ドーソン・ドーマーに追いついた。ドーソンはアパートに帰って効力切れ休暇で寝ようと思っていたところだった。だからレインが聞いて欲しいことがありますと言った時、面倒な話でなければ良いが、と内心思った。
 彼等はアパートのドーソンの部屋に入った。
 ドーマーは基本的に料理をしないし、飲酒もしないことになっている。ドーソンのアパートの小さなキッチンにも水以外何もなかった。ドーソンはグラスに水を注いでレインに出した。そして自身は後輩の正面に座った。

「さぁ、君の話とやらを聞かせてくれ。但し手短に頼む。休日は貴重だからな。」
「お疲れのところを済みません。」

 レインはどう語ろうかと少し躊躇った。自身の気持ちを上手く先輩に伝えられるだろうか。ドーソンが促すつもりで尋ねた。

「今回の襲撃事件のことか?」
「いいえ・・・」

 レインは勇気を出して顔を上げた。

「俺は、ハイネ局長を誤解していました。ですが、どう謝罪して良いのかわからないのです。」
「誤解?」

 ドーソンは怪訝な顔をした。レインが局長と問題を起こしたとは聞いていないが?
 


2017年11月11日土曜日

退出者 5 - 2

 ローガン・ハイネ・ドーマーは部下達と医療区を抜けるルートでドーム内に向かったが途中で部下達と別れ、ヤマザキ・ケンタロウ医師の診療室へ足を向けた。ヤマザキは内科だが、外科も担当することがある。特に親友の怪我は当然ながら彼が診るのだ。果たして診療室ではケンウッドが椅子に座ってヤマザキの治療を受けていた。外の世界の地球人の医師を信用しない訳ではないが、ヤマザキは他人の処置に満足出来ない医師だった。
 情けない声を上げるケンウッドを叱咤しながら彼は傷口から地球製のジェルを取り除き、コロニーから取り寄せた最新の薬品ジェルを埋め込んだ。保護シールを貼って包帯を軽く巻いたところへ、ハイネがドアをノックして入って来た。

「来る頃だと思ったよ。」

とヤマザキが苦笑しながら言った。

「もう少し早く来れば、この何時もすまし顔の男が幼子みたいに泣きわめく姿が見られたのになぁ。」
「私は泣きわめいた覚えはないよ。」

 ケンウッドがムッとして言った。ドームに帰った安心感で気分が良くなった。熱も下がった様な気がした。ヤマザキが地球の医師が作成した処方箋を眺めた。

「ここにない薬品が書かれているが、代用品はあるはずだ。」

 元薬剤師のハイネが覗き込んだ。彼は直ぐに何が必要か判断した。ヤマザキは彼が言った薬品名を処方箋に訂正として書き加えて、薬品部へ送信した。
 ハイネが検めてケンウッドを正面から見た。

「ご気分はいかがです? 部下達が貴方に怪我をさせたと悔やんでいました。」
「彼等の責任じゃない。不意打ちだったから・・・しかし事件の真相はまだ聞かされていないんだ。」

 ハイネが視線をヤマザキに向けたので、ヤマザキが隣の観察室を顎で指した。

「今夜はケンさんをそこに泊めるから、時間があるなら、そこで聞かせてもらっても良いかな? 僕も聞きたい。一体何があったんだ?」

 看護師の手伝いを受けながらケンウッドは寝間着に着替え、観察室のベッドに横になった。深夜に近かったが、夕食を逃した彼の為に軽い食事が運ばれてきた。彼がお粥を食べている間にハイネがレインとニュカネンの報告書をまとめて事件の概要を語った。それは大して長い話ではなかった。

「先月、遺伝子管理局北米南部班の第1チームと第3チームが中部地方で活動していたメーカーを摘発しました。その時に合同で捜査活動をしたローズタウン市警本部が、メーカーに客を紹介していた裏組織も一緒に摘発、逮捕したのです。
 遺伝子管理局と警察はそれで仕事を終えたと思ったのですが、裏組織に金を払ってクローンを造ってもらうことになっていた客は、それで終わりではありませんでした。」
「金を払ってしまっていた客と言うことだね?」
「そうです。彼等は大金を払ったのです。しかし、法律違反の行為ですから、逮捕された裏組織の連中に返金を要求することは困難です。」
「取られ損じゃないか?」
「ですから、数人の客は勇気を奮って拘留中の容疑者を相手に訴訟を起こしています。」
「恨む相手は裏組織だな?」
「それが筋ですが、訴訟する勇気のない者、訴訟する財政的余裕のない者は、怒りをどこにぶつけて良いのかわかりません。」

 ケンウッドは、撃たれる直前に耳にした声を思い出した。犯人は遺伝子管理局に怒りをぶつけてきた。

「犯人は遺伝子管理局がメーカーを捕まえたので、財産を失い、子供を得る機会を潰されたと思い込んだのだね?」
「そうです。全財産を裏組織の紹介者に支払った直後に、摘発があったそうです。当然、金は戻って来ません。警察はそこまで世話をしてくれないのです。勿論、遺伝子管理局の関知する範囲でもありません。
 犯人は護身用に持っていた拳銃を持ち出し、遺伝子管理局の黒塗りの車を見かけて市役所に報告に来るのを待ち伏せていたのです。ダークスーツを着たニュカネンを狙ったらしいのですが、下手な腕前なので、横におられた副長官の腕を弾丸がかすったのです。」

 ヤマザキがケンウッドを振り返った。

「とんだとばっちりだったな、ケンさん。でも、この程度の怪我で良かった!」

彼はケンウッドの右腕をぽんと叩き、副長官に悲鳴を上げさせた。

2017年11月10日金曜日

退出者 5 - 1

 ヘリコプターで移動中、ケンウッドは再び熱が上がってうとうとし始めた。シートベルトをしているので横になれない。レインが彼の隣に座って副長官の体がベルトで痛めつけられないよう、支えた。その姿勢で彼は端末にその日の出来事を報告書としてまとめた。ニュカネンと世間話をする仲ではなかったし、ニュカネンも報告書を書いていたので、他にすることがなかったのだ。いつもは簡潔に書くレインだったが、今回は時間があったので詳細に書いて、書き終わると本部の局長宛に送信した。
 局長はもうアパートに帰っているかジムで体力創りの最中だろうと思ったのだが、ドーム空港に到着して、ゲートで消毒してもらっていると、消毒班のドーマーが囁きかけてきた。

「おい、送迎フロアにローガン・ハイネ・ドーマーが来ているぞ。あの方があそこに来られるなんて、カディナ黴の事故以来だ。しかもかなり苛ついておられると言う話だぜ。おまえ達、何かやらかしたのか?」

 レインとニュカネンは思わず顔を見合わせた。副長官に怪我をさせてしまったので、きっと叱られるのだ、と2人共思った。ケンウッドはゲートの消毒室から直接医療区へ運ばれて行ったので、彼等は新しい服を受け取って身につけると覚悟してゲートからドームの中に入った。
 送迎フロアの奥まった所に班チーフが立っていて、その前でローガン・ハイネ・ドーマーが行ったり来たりしていた。顔は無表情だったが、行動は彼がかなり苛ついていることを表していた。ゲートの扉が開く音で彼は振り返り、若い部下2人が入って来ると、彼はそちらへ歩いて行った。
 ハイネは背が高くて歩幅も広い。歩くのが速いのだが、レイン達にはスローモーションの様に感じられた。彼等は一気に緊張した。脚を止めて局長が前に立つ迄気をつけの姿勢で待った。 ハイネが両腕を広げ、いきなり彼等を同時に抱き締めた。

「よくぞ無事に戻ってくれた!」

 ハイネがよく透る声を微かに震わせて囁いた。

「おまえ達に何かあったら、私はあの町を許さない。全ての遺伝子事業を停止させてやる。」

 レインはハッとした。

 ローガン・ハイネの遺伝子は遠い宇宙へ旅立つ宇宙飛行士の無事を祈りながらただひたすら帰りを待つ人の為に開発されたもの・・・。

 胸の奥からグッと上がってくるものがあった。レインはそれを誤魔化す為に慌てて言った。

「しかし、ケンウッド副長官に怪我をさせてしまいました。」
「申し訳ありません、我々が不注意でした。」

 ニュカネンも急いで口添えした。ハイネが彼等から体を離した。

「君達の報告書に目を通した。事件の発生は不可抗力だったのだ。誰かが我々に逆恨みして遺伝子管理局の人間なら誰でも傷つけて良いと思っても、知りようがない。副長官は犯人が射撃の下手な人間だった為に巻き添えをくったのだ。君達の責任ではない。」

 彼はレインの手を取った。

「君は犯人が撃つ銃弾を物ともせずに、彼が警察に射殺されてしまう前に麻痺光線で捕獲に成功した。お陰で事件の真相解明に大いに役立った。よくやった!」
 
 レインはハイネの心の呟きを感じ取った。

 もう無謀なことはするな、大事な命だぞ!

 彼はまた胸にこみ上げてくるものを感じてうろたえた。幸いにもハイネが彼の手を放し、ニュカネンの前に移動してくれたので、ハンカチで汗を拭うふりをして涙を拭いた。
ハイネはニュカネンにもケンウッドを自身の体で庇ったことを感謝して、後の市長や支局への交渉も上手くやってのけたことを褒めた。ニュカネンはレインの様な器用さがなかったので、不覚にも局長の前で涙をぽろりと落としてしまった。
 ハイネが微笑んだ。

「今夜はもう遅いし、明日は抗原注射の効力切れで体が辛いだろう。早く帰って休め。」

 彼は後ろで控えていた班チーフを振り返った。

「この2人を引き留めたりするなよ、反省会は彼等が十分な休息を取ってからにしろ。」
「承知しました。」

 班チーフは部下をチラリと見た。レインもニュカネンも知っていた。チーフは心の中で彼等にこう言ったのだ。

 局長は優しい言葉を下さったが、明日の朝食会で反省会をやるからな、必ず出て来い。


 


退出者 4 - 7

 リュック・ニュカネン・ドーマーは局長第1秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーにケンウッドの負傷を報告した後、直属の上司であるトバイアス・ジョンソン・ドーマーにも同じ報告をしておいた。チームリーダーのジョンソンは当然ながら彼自身の直属の上司である班チーフに連絡を入れ、班チーフの指示の下で支局にも連絡をしておいた。その際、彼はケンウッドの傷の治療に時間がかかることを想定して、支局長カイル・マルホランド元ドーマーに要請したことがあった。
 ローズタウン空港からドームへ飛ぶ最終便のジェット機に間に合いそうにないので、ドームから静音ヘリの派遣をお願いしたい、と。遺伝子管理局が使用出来る専用ジェット機はその日南米班が使用していた。僻地で緊急処置が必要な妊婦がいて、彼女を病院があるネオ・サンパウロへ移送したのだ。
 ケンウッドが次に目覚めた時は既にローズタウンの中部支局に到着していた。支局長のマルホランドがニュカネンと車外で話しをしているのが見えた。レインが外からドアを開けたので、ケンウッドは振り返り、そこが空港だと気が付いた。レインは静音ヘリコプターを指差した。

「飛行機の最終便に間に合わなかったのですが、ニュカネンがヘリを手配していましたので、あれで帰ります。ジェット機より時間がかかりますが、よろしいですか?」
「ああ・・・かまわない。明日までは待てない。早く帰ろう。君達も時間が迫っているだろう?」
 
 ケンウッドはまだ目眩がしたが自力で車外へ出た。レインが肩を貸してくれたので、ヘリコプターまで歩いた。

「君達の仕事の邪魔をした挙げ句、こんな怪我で手間を取らせて申し訳ない。」

とケンウッドが囁くと、レインがびっくりして振り返った。

「貴方のお世話も仕事のうちですよ、博士。貴方もお仕事をされたじゃありませんか。」

 うちの子供達はなんて素直なんだろう、とケンウッドは小さな感動を覚えた。ポール・レイン・ドーマーはコロニー人から身も心も傷つけられる酷い体験をしたにも関わらず、ケンウッドやパーシバルの愛情を信じてくれるのだ。

「君達に怪我がなくて本当に良かった。」

 ケンウッドはそう言うのが精一杯だった。
 ヘリコプターの中は想像したより広くて、座席が3列になっていた。ケンウッドは後部席で、出発まで横になっていて下さいとレインに指図された。飛行中は安全の為に座らなければならないので、それ迄体を休めて欲しいと言うのだった。毛布を掛けてもらい、ケンウッドは少し熱が下がったことに気が付いた。楽になったと言うと、レインはまだ安心出来ませんと真面目な表情で注意した。射創による発熱はこれから一晩続くだろうと言うのだ。ドーマー達が撃たれた話は最近なかったので、これはレインの耳知識から来る忠告なのだろう。
 ニュカネンがヘリに乗ってくる気配はまだなかった。支局長に昨日と本日訪問した研究施設や企業、団体の報告をしているのだとレインが教えてくれた。ドーム副長官がセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを非公式に訪問したことを口外しないよう、手を打つのだ。 コロニー人のドーム副長官が地球の街角で暴漢に襲われたと公に知られれば、外交問題に発展しかねない。マルホランドがこれから駆けずり回ってケンウッドの足跡を消して廻るのだ。ケンウッドは溜息をついた。

「私が余計なお節介をしようと試みたばかりに、大勢に迷惑をかけているなぁ・・・」
「お節介? 何です?」

 レインが耳聡く尋ねた。接触テレパスの能力を持つ若者に、ケンウッドは思い切って今回の旅の真の目的を明かした。

「実は、ニュカネンに恋人がいると言う噂を聞かされてね・・・どんな女性なのか見ようと思ったんだ。外の人間との恋愛は、ドーマーの将来に重要な意味合いを持ってくるからね。」

 その噂を教えてくれたクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは、レインはニュカネンの恋を知らないと言ったのだが、レインはケンウッドの口から聞かされても驚かなかった。

「先刻市役所で博士のお世話をした女性ですね。ニュカネンとかなり親しい様子でしたから、俺もピンと来ました。」

 親しい様子、どころではなかった。抱き合っていたし、キスもしていた。リュック・ニュカネンは本気で彼女を好きになっている。

「君は知っていたのかね?」
「あの唐変木は嘘をつくのが下手なのです。市役所に相手がいると勘付いていましたが、相手を実際に見たのは、今日が初めてです。」
「どのくらいニュカネンは真剣なのかな?」
「俺にはわかりません。」

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーに真剣に恋をしていたレインは、同じ部屋兄弟のニュカネンには殆ど無関心だった様だ。しかし今日はしっかり相手の女性を見ていた。

「あの女性もニュカネンのことを思っている様ですね。親切で気が利く人だと思います。車に乗り込む時に紙袋をくれたでしょう? 博士の為に水と熱取りジェルのパックを買ってきてくれたのです。俺達の為の軽食も入っていました。」

 どこまで真剣なのかなぁとレインが呟いた。その彼は、ドーマーだった父親が外の女性に恋をして、ドームから去って結婚した結果、産まれたのだ。ケンウッドはふと思った。
リュック・ニュカネンを手放すことになるのだろうか?






2017年11月9日木曜日

退出者 4 - 6

 遺伝子管理局の車は防弾処理が為されているので、ボディの表面に弾丸がかすった痕が残っていただけだった。往路の運転はレインがしたので、復路はニュカネンがハンドルを握ることになった。ケンウッドが後部席に座ると、レインも助手席ではなくケンウッドの隣に乗り込んだ。右腕が剥き出しになっているケンウッドを気遣い、自身の上着を脱いで体にかけてくれた。
 アンナスティン・カーネルが車に駆け寄って来たので、ニュカネンが車外に出た。彼女が大きな紙袋を彼に手渡し、何か言っていたが、車内の人間には聞こえなかった。
 ケンウッドは背筋に悪寒が走るのを感じた。体の奥から寒気がする。右腕の傷は鈍痛で、そこだけ熱い。微かながら身震いすると、隣のレインがすぐに気が付いた。

「ご気分が悪いのですか?」
「いや・・・大丈夫だよ・・・」

 しかし実際は酷い眠気がしていた。目眩かも知れない。呼吸も浅くなってきた。
 ケンウッドの容態の変化にレインは当然気が付いた。副長官の額に手を触れ、まるで熱い鉄でも触ったかの様に素早く引っ込めた。彼は車外のニュカネンを振り返った。ニュカネンとカーネルが抱き合って別れを惜しんでいるところだった。背景の夕陽は真っ赤で、下町も赤く染まっていた。
 レインは舌打ちして、窓を開けて声を掛けた。

「博士がお疲れだ、ニュカネン、早く出発しろ。」

 ニュカネンはカーネルに素早くキスをして、運転席に滑り込んで来た。

「申し訳ない、すぐに出発する。」

 ニュカネンの運転は慎重だ。発車も静かだった。ケンウッドはカーネルが手を振っているのを見た。

「素敵な娘さんじゃないか。」

気力で元気なところ見せようと、彼はニュカネンの背中に話しかけた。ニュカネンは照れくさいのか、

「ええ、聡明で親切な人です。」

と真面目な答え方をした。レインは口元に謎の微笑を讃えたまま、無言で窓の外を眺めた。
 ニュカネンは話題を変えたいのだろう、レインに犯人から情報を引き出したかと尋ねた。ケンウッドもその答えを聞きたかったが、強い眠気に襲われた。発熱で頭がぼんやりして来たのだ。彼は気力を振り絞って提案した。

「君達は局長に報告をするのだろう? ここで喋っては二度手間になるだけだ。ドームに帰って君達が局長に報告したことを私はハイネから聞くことにする。」

そして

「疲れたので、ローズタウンに着くまで寝ておくよ。」

と言って目を閉じた。


退出者 4 - 5

 セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの市役所の医務室には簡単な設備ながら手術室があって、虫垂炎程度の手術なら行えた。ケンウッドの怪我は、弾丸がかすった擦過射創で、切り傷などではなく、肉が削られてしまっていたので縫合は出来ない。医師は患者が痛がるのもものともせずに服の袖を切り取り、繊維を皮膚から剥がした。摩擦熱で繊維が微量ながら皮膚に焼き付いていたのを除去し、傷口を消毒して包帯代わりにジェルで肉を削られた箇所を埋めた。その上からシールを貼って、包帯を巻いた。
 ケンウッドは端末のIDを示し、カルテを作ってもらったが、医師は彼の身元に関して口に出すことはなかった。ただ一つだけ、「弾丸を跳ね返すような衣服は宇宙でも作れないのですか?」と尋ねたのだった。「地球では地球の衣服で」とケンウッドは答え、麻酔で痺れた腕を気にしながら立ち上がった。片腕の袖がなくなったので締まりがないが、ドームに帰る迄の辛抱だ、と自身に言い聞かせた。

「射創ですから、この後で発熱するはずです。化膿止めと解熱剤を処方しておきます。」

と医師が言った。ケンウッドはドームに帰ればヤマザキ・ケンタロウ医師に診てもらうつもりだったので、薬は要らないと思ったのだが、素直にもらっておくことにした。
 処置室を出ると、アンナスティン・カーネルが待っていた。ニュカネンは市長室にいると彼女は言った。市役所前で人が撃たれたのだ。何が起きたのか市長に説明しているのだと言う。ケンウッドはお忍びのつもりで市役所に来たので、ちょっと気まずく感じた。
 ニュカネンより先にレインがやって来た。警察の人間を同伴していた。刑事がケンウッドに見舞いの言葉を掛け、事情を聞いても良いかと尋ねた。ケンウッドは後ろから撃たれたので何も見ていないとしか答えられなかった。

「私の他に怪我をした人はいなかったのですか?」

 ケンウッドが市民にも被害が出ていないか心配すると、刑事が教えてくれた。通行人が1人流れ弾で怪我をしたが命に別状はないこと、別の通行人が逃げようとして転倒し、2名が脚に怪我をしたこと、駐車車両3台が銃弾で傷物になったこと等。

「テロですか?」
「それはこれから取り調べます。」

 刑事はレインをチラリと見て言い訳した。

「遺伝子管理局の麻痺光線銃で犯人が麻痺状態になっていて、話が出来ないのです。」

 レインはすまし顔だ。ケンウッドは彼が接触テレパスで既に犯人から情報を得たのだな、と推測したので、それ以上刑事に質問するのを止めた。
 遅れてニュカネンが市長を連れて来た。市長はケンウッドに事件を詫びて、市長室へどうぞ、と言ったが、ケンウッドは早く帰りたかった。時刻は夕方の5時で、ドーマー達は抗原注射の効力が切れると動けなくなる。

「申し訳ありませんが、我々はドームに事件の報告をしなければなりません。ここでお暇致します。」

 レインもニュカネンも異論なさそうだ。ケンウッドはカーネルを振り返った。ブルネットの美女はニュカネンと見つめ合っていた。ケンウッドはさりげなく彼女に声を掛けた。

「今日はびっくりさせてすまなかった。親切にして頂いて有り難う。」

 カーネルが振り返って微笑んだ。

「いいえ、市民が貴方に暴力を振るったことをお詫び致します。どうぞお大事に・・・」



退出者 4 - 4

 遺伝子管理局長付第1秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーはドームの森の中を歩き回っていた。時刻は午後4時で、遺伝子管理局本部では殆どの職員がその日の業務を終えて運動施設へ体力創りと格闘技などの武術の練習に出かけていた。局長室では通常秘書が先に仕事を終えて部屋を出るのだが、その日は局長が早々と日課を片付けてしまい、「お先に失礼」と部屋を出てしまった。局長室独自のルールでは、3人の部屋の住人のうち最後まで残った者が戸締まりをして本部を出ることになっている。多くの場合、局長が最後まで残って、大概は午後6時頃まで仕事をしているのだが、たまには秘書が遅くまで残ることもあるのだ。
 そして、こんな時に限って、外廻りの局員から緊急連絡が入った。ことの重大さに驚いたセルシウスは局長の端末に電話を掛けたのだが、局長は運動中は電源を切っていたので出なかった。それで仕方がなくセルシウスは部屋を施錠して自らボスを探しに出て来たのだ。彼のボスは運動施設にはいなかったので、彼は森へ足を向けた。早く帰る時、局長は森で昼寝をする習慣だったことを思い出したのだ。
 歩いていると音楽が聞こえて来た。セルシウスはそれが昔懐かしいドーマーのロックバンド「ザ・クレスツ」のオリジナル楽曲だと気が付いた。「ザ・クレスツ」は昨年1回だけ、ヘンリー・パーシバル博士の送別会で復活したが、それを最後に解散したはずだ。
それに今聞こえてくる演奏は、お世辞にも上手とは言えなかった。誰かが「ザ・クレスツ」の曲を練習しているのだ。
 東屋のそばで、若いドーマー達が楽器を演奏していた。教えているのは「ザ・クレスツ」のドラマーで前ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツだった。ワッツは引退後教育棟で情操教育を担当していた。日頃は子供を教えているのだが、この時は大人の若いドーマー達に指導していた。趣味のバンド活動のはずだが、ワッツは真剣だ。教わる方も真面目にやっていた。
 セルシウスは足を止めて彼等の演奏を暫く眺めていたが、東屋の向こうの芝生の上で寝そべっている人物に気が付くと、そちらへ足早に向かった。
 「ザ・クレスツ」のリードギター担当だったローガン・ハイネ遺伝子管理局長は芝生の上に肘枕で横になって、ワッツ達を見物していた。昼寝したかったのかも知れないが、そばで演奏をやられたので、眠れなかったのだろう。若いギター奏者が下手くそなので、ちょっとご機嫌斜めだ。その証拠に彼は秘書が近づいて来るのを知っていながら無視した。
 セルシウスは少し距離を置いて立ち止まり、ボスに声を掛けた。

「局長、リュック・ニュカネンから緊急連絡が入っています。」

 ニュカネンと聞いた途端に、ハイネはパッと身を起こした。その名の部下が誰と同伴しているのか、知っていたからだ。彼は秘書に向き直った。

「副長官に何かあったのか?」

 とても84歳とは思えぬ姿の彼は、やはり84歳とは思えぬ身軽さで立ち上がった。セルシウスは情報の重要性を考え、身振りで歩きながら報告しますと合図した。ハイネは直ぐに本部に向かって歩き出した部下に並んだ。
 秘書が小声で報告した。

「副長官が怪我をされた模様です。」
「何があった?」
「暴漢による銃撃です。」

 ハイネは眉を寄せた。

「ケンウッドの怪我は酷いのか?」
「詳細の報告はまだです。ただ、お命に別状はないとのことで・・・」

 ハイネは黙って頷いた。彼は本部に入る迄部下に連絡を取ることはしなかった。一つだけ秘書に尋ねた。

「リプリーにはその知らせは行っているのか?」
「いいえ・・・詳細がわかってからと思いまして・・・」
「それで良い。」

2017年11月8日水曜日

退出者 4 - 3

 市役所の建物内に入ると、人々が物陰から出てくるのが見えた。銃声を聞いて咄嗟に身を隠したのだろう。ケンウッドが出血しているのに気が付いた近くの人が「大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。ニュカネンが医務室の場所を尋ねていると、「リュック!」と叫ぶ女性の声が聞こえた。
 1人の若い女性が駆け寄って来た。ブルネットの中背の女性で、長い髪を後ろで束ねて黒いリボンで括っていた。スーツは地味な濃いグレーでいかにも事務員と言った姿だ。彼女はニュカネンに飛びついた。

「無事だったのね?」
「私は平気だ。それよりケンウッド博士が撃たれた。」

 ニュカネンが早口で告げた。

「医務室へ案内してくれ、アンナスティン。」

 撃たれたと聞いて、彼女はケンウッドを見た。すぐに視線が腕に行った。

「歩けますね?」
「ええ、怪我は腕だけです。」
「こちらへどうぞ!」

 彼女はニュカネンに代わって、ケンウッドの左側に寄り添った。ニュカネンは数メートルついて歩いたが、すぐに後ろから追いかけてくるレインに気が付くと、女性に声を掛けた。

「博士を頼む。私は後始末をする。」

 ケンウッドはドーマー達が銃撃犯の取り調べをするのだろうと思った。それで女性に導かれるまま歩いて行った。
 彼女がニュカネンの思い人に違いない。何故なら、彼は彼女を信頼して副長官を託したのだから。
 ケンウッドは彼女に話しかけた。

「ご親切に有り難う。私はニコラス・ケンウッドと申します。」
「アンナスティン・カーネルです。ここの文化教育課で勤務しています。」

 アンナスティン・カーネルはケンウッドを見上げた。

「遺伝子管理局の方ですか?」
「いいえ・・・ドームの者です。」

 アンナスティンは一瞬足を止めたが、すぐに歩き出した。小さな声で囁いた。

「昨日大学に行かれたコロニー人の学者先生と言うのは、貴方ですね?」

 文化教育課に既に情報が来ているのだ。ケンウッドは正直に名乗って良かったと思った。下手に誤魔化していたら、後でややこしくなるだけだったろう。

「セント・アイブスの大学でどんな研究をしているのか、見学に来ました。個人的な訪問です。」
「リュックから伺っています。偉い学者先生をご案内すると聞いていました。」

 そんなに偉くないが・・・とケンウッドは心の中で苦笑した。

退出者 4 - 2

 ケンウッドは無意識に小さな悲鳴を上げて階段の上に膝を突いた。また乾いたパンパンと言う音が2回続き、男性の怒号が聞こえたが意味は聞き取れなかった。

「博士!」

 叫んだのはレインだったろうか、ニュカネンだったろうか? ニュカネンがケンウッドの体の上に覆い被さる様にして、叫んだ。

「伏せて!」

 別方向からもパンパンと音が響き、誰かが怒鳴った。

「殺すな!」

 ケンウッドは右の二の腕に左手を当てて、その手に付いた血を見た。

 まさか、銃撃?

 弾丸を用いる武器は地球だけのものではないが、宇宙では滅多に使用されない。宇宙空間で弾丸を使えば、その場所の人間が一瞬に全滅する恐れがあるからだ。しかし地球ではまだ昔の武器、兵器が残っている。寧ろ光線銃など見たこともない人ばかりだ。光線銃を持っているのは、政府軍の特殊部隊か、遺伝子管理局だけだが、遺伝子管理局の光線銃には殺傷能力はない。
 ニュカネンの鼓動が聞こえるぐらい体を密着させて、若いドーマーはケンウッドを庇ってくれていた。彼は装備している光線銃を抜き、首を捻って状況を見ようとした。ケンウッドは男達が怒鳴る声を聞き、数人で争っている様子だと判断した。
 腕が猛烈に痛かったが、彼はニュカネンに声を掛けた。

「君は怪我はないか?」
「大丈夫です。」

 と答えてから、ニュカネンがケンウッドの体から離れた。彼は立ち上がり、ケンウッドに手を貸して立たせてくれた。

「暴漢は取り押さえました。」

 ケンウッドは階段の上がり口で3,4人の制服警察官が1人の男を取り押さえているのを見た。そばに立っているのはポール・レイン・ドーマーで、警察官に何か言っていた。
 ケンウッドはレインが無事なのでホッと胸をなで下ろした。ドーマー達にもしものことがあれば、心から悔やまれる。レインもニュカネンもドームの大切な息子達なのだ。

「博士、血が出ています!」

 ニュカネンが初めてケンウッドの異変に気が付いた。服の袖が裂けて血が滲み始めていた。ニュカネンはケンウッドの無事な方の左腕を掴んだ。

「市役所の医務室に行きましょう!」
「これはかすり傷だ・・・」

と強がってみたものの、経験したことがない痛みだった。どうしても顔が強ばってしまう。
 ドーマー達は無菌状態のドームで育っているので、外の世界で負傷するとどうなるか、散々教えられてきた。耐性のない病原菌を体内に入れてしまうと大変なことになる、と彼等は教わるのだ。
 ニュカネンはレインに声を掛けた。

「レイン、博士が怪我をされたっ! 医務室にお連れする。」

 レインが振り返った。ニュカネンに腕を取られて階段を上り始めているケンウッドを見て、彼は警察官に何か言い、急いで仲間の後を追いかけた。

2017年11月7日火曜日

退出者 4 - 1

 僅か2件で時間をかなり取ってしまった。ドーマー達は抗原注射の効力が48時間しかないので、2日目は夕方には飛行機に乗らなければならない。
 ケンウッドは時計を見た。既に午後2時を少し過ぎていた。もう1件立ち寄る時間はあるかも知れないが、彼は市役所で働いていると言うリュック・ニュカネンの思い人を見ておきたかった。それで、さも何気ない風を装ってレインに提案した。

「巡回の結果を市役所に報告しておくのだったね? どんな手続きをするのか、見せてもらっても良いかな?」

 レインは黒いサングラスの下で微笑したが、目元が見えないので、それが作り笑いなのか、ささやかな副長官の我が儘を微笑ましく感じたのかはわからなかった。

「ただ『異常なし』と言うだけですよ。副長官がわざわざ見学なさるようなものではありません。我々のどちらか1人が市役所に行きますから、博士は何処かご希望の場所を訪問されてはいかがですか?」

 ケンウッドは頑張った。

「市役所を見てみたいね。地球の役所なんて、滅多に見られるものじゃない。君等にはどーってことない場所だろうけどね。」

 ニュカネンが苦笑し、レインは「はっはっ!」と声をたてて笑った。

「そう言うもんですかね? じゃ、ご希望通り、市役所に行きましょう。」

 セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの市役所は灰色の砂岩で造られた20世紀前半に建てられた重厚な建造物だった。入り口には扇形の広い階段が付けられ、両側にスロープが設けられていた。建物の前に広い駐車スペースがあり、レインは出来るだけ建物に近い位置に駐車した。時刻は午後2時半だった。日差しが強く、ケンウッドは紫外線がドーマー達の健康を損なわないかと心配になった。外に出て仕事をするドーマーの皮膚の検査は欠かさずしているつもりだが、時々さぼっている者がいるのは確かだ。紫外線スクリーンクリームの支給を徹底させなければ・・・。
 車外に出たケンウッドはニュカネンに誘導されて階段を上り始めた。レインは車の周囲をチェックしてから2人の後を追いかけた。
 ケンウッドは階段の面を見下ろした。石がすり減って所々窪んでいる箇所も見受けられた。この建物が出来てから300年以上経っている。どれだけの人々がこの階段を上り下りしたのだろう・・・。
 その時、後方で男の怒鳴り声が聞こえた。

「遺伝子管理局、子供を寄越せ! 金を返せ!」

 ケンウッドは意味を把握出来ず、振り返った。その瞬間、パーンっと乾いた音が響き、彼は右の二の腕に焼け付くような痛みを感じた。


2017年11月4日土曜日

退出者 3 - 7

 マルビナス・クローニング・サービスはドームの維持関係で深い繋がりがあるので、ケンウッドとしても無視出来なかった。この会社が品種改良した野菜の種や苗を購入して維持班の園芸班が食糧生産に励んでいるのだ。そしてドーム内で唯一飼育を許可されている昆虫、マルビナス・ハニービーと呼ばれるミツバチもこの会社から仕入れていた。植物の受粉とドーム内で料理に使われる蜂蜜を作るのに使われるミツバチだ。勿論蜂はドーム内に逃げ出さないようにしっかり管理されている。恐らくポール・レイン・ドーマーもリュック・ニュカネン・ドーマーも野菜育成室に入ったことがないから、ミツバチも見たことがないはずだ。しかも、マルビナス・クローニング・サービスの商品は宇宙のコロニーにも輸出されている。コロニーの人類が生きていくのにも重要な商品を扱う企業だ。
 アメリカ・ドームの副長官が訪問するのは勿論初めてだが、実は長官クラスは何度か来ているので、先方の歓迎態勢は整っていた。リプリー長官とその前のリン長官は来ていなかったので、久々のドーム幹部の訪問に、会社の方でも盛り上がっているのだった。
 ケンウッドはこれだけ歓迎されるとわかっていたらトーラスを後回しにした方が良かったかな、と思ったが、ランチまで出されると、こちらが後で良かったと思い直した。
マルビナス・クローニング・サービスの社長以下幹部役員達10名と若いドーマー2人では話題の釣り合いが取れないが、会食は和やかに済ますことが出来た。
 レインは珍しく隣席のニュカネンからメールを受け取った。

ーー副長官は外交官の素質があると思わないか?

 ニュカネンは声に出して言うのを憚られると思ったのだ。レインは素早く返信した。

ーー今更気が付いたのか?

 ニュカネンがムッとした表情になったが、それきり返信は来なかったので、レインは喧嘩をせずに済んだ。
 流石にお土産は辞退して彼等は大企業を後にした。
 
「地球があるお陰でコロニーの食糧生産が助けられているのだよ。」

と車内でケンウッドが言った。

「早く女性を普通に誕生させられる惑星に戻して、自由に貿易出来るようになって欲しいものだ。マルビナスの様な大企業だけが儲かっているのが、現状だからね。」
「コロニーにも畑があるのですか?」

とレインが運転しながら尋ねた。ケンウッドは頷いた。

「うん、ドームと同じ工場形式の野菜畑や穀類畑がある。だが、地球の大地で風に吹かれてザワザワ揺れる麦の穂や、蝶々が遊ぶキャベツ畑の様な絵になる風景の畑はないよ。私は子供の頃からコロニーの畑を見てつまらないと感じていた。子供用のヴィデオや絵本に出てくる風景は、地球のものなんだ。だからコロニー人の子供達はコロニーの何処かに同じ風景の場所があると信じて成長し、やがて真実を知って失望するんだ。」
「それで博士は地球へ?」

 ケンウッドはちょっと苦笑いした。

「実は、子供時代にアフリカ・ドームとアジア・ドームの春分祭をテレビで見てね、面白そうだと思ったんだよ。アフリカにもアジアにも象がいるだろ? 象を見たくて地球へ行こうと思ったんだ。」
「では、何故、アメリカに?」

 ケンウッドが沈黙したので、レインが振り返った。博士?と呼ばれて、ケンウッドは仕方なくアメリカ・ドームに来た理由を白状した。

「がっかりさせたくなかったのだが・・・私の同期学者は大勢いてね、籤引きでアメリカを引いたのさ。つまらない理由ですまないね。」
「パーシバル博士も?」
「彼も籤でここを当てた。しかし、彼は第一希望だったから、喜んでいたよ。」

 するとニュカネンが口をはさんだ。

「やはりパーシバル博士はローガン・ハイネ目当てですか?」

 ケンウッドは笑った。

「勿論・・・だが、当初彼はハイネに声を掛けられなかった。ハイネが内務捜査班出身だと聞いて、ちょっとびびったんだ。美男子の追っかけを咎められるんじゃないかと心配してね。私が食堂でハイネに初めて声をかけた時、彼は止めようとしたんだよ。ハイネが我々のテーブルに来て、『ご用件は?』と訊いた時には、彼は完全に逃げ腰だったな。」
「へぇ・・・信じられない、今はあんなに局長と仲良しなのに・・・」

 だから、君達も仲良くしたまえ、とケンウッドは心の中で呟いた。



退出者 3 - 6

 トーラス野生動物保護団体は大きなビルで、地上1,2階は一般用の博物館を兼ねていた。生きた小動物や大型動物の剥製などを展示しているのだ。動物たちの生態の解説や、彼等をどんな方法で復活させたかなど、クローニングの技術を素人向けに簡単に説明するコーナーもある。上階は研究室や会員のサロンとなっていて、ケンウッドと2人の若い局員は来賓室に案内された。

「我々の研究対象は大異変発生当時の野生動物です。マンモスを復活させようなんて魂胆はありませんから、ご安心を。」

と理事長が冗談を言うと、ケンウッドも

「マンモスぐらいなら目を瞑りますが、Tレックスなどは御免被りますよ。」

と言って理事達を笑わせた。彼等は初対面の人間ばかりだったが、地球の社会事情に疎いコロニー人でも知っている名の通った企業の経営者や幹部役員達だった。個人名でも知ってる人物が数名いて、ケンウッドは初めて会った様な気がしなかった。相手の方もドーム幹部の名はそれなりに知っているのだ。何しろ全地球人が誕生する場所を管理しているコロニー人だ。地球の指導者達はその名と顔を知っている。

「ケンウッド博士は皮膚の老化の研究をなさっていらっしゃるとお聞きしましたわ。」

と中年の女性が声をかけてきた。ケンウッドの知らない人物だったので、名前を尋ねると、セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部で研究をしているミナ・アン・ダウン教授だと答えた。

「夫がここの理事をしておりますの。今日は用事で来られないのですけど、私に代理で挨拶をしてこいと申しますもので、こうして参りました。」

 昨日の大学訪問では出会わなかった学者だな、とケンウッドはぼんやりと思った。
 トーラス野生動物保護団体には挨拶だけの目的で来たので、その後は理事長の案内で博物館を見学して1時間ほどで辞した。
 車に戻ってから、レインにダウン教授は昨日大学に居なかったね、と言うと、レインはちょっと考えた。

「あの教授は遺伝子学者でしたかね? 俺の記憶にはないのですが・・・」

 ニュカネンが端末で検索した。

「化粧品の研究をしているみたいですよ・・・老化現象阻止のクリーム開発に情熱を注いでいると、学生のサイトに紹介されています。」
「ああ・・・それで私の研究に興味を持ってこちらへ来たのか・・・」
「名前を博士に売り込むのが目的でしょう。」

 3人はそれきりミナ・アン・ダウン教授のことを忘れた。


 

2017年11月3日金曜日

退出者 3 - 5

 ケンウッドは肉料理を食べ終え、あまり食が進まなそうなニュカネンを見た。ニュカネンは体調が悪いのではなく、物思いに沈んでいるように見えた。恋人のことを考えているのだろうか。レインはケンウッドの肉の2倍はありそうな大きなステーキをぺろりと平らげ、デザートを待つだけになっていた。
 ケンウッドはさりげなく口を開いた。

「今日は私の好奇心を優先させてもらったお陰で大学内しか視察出来なかった。君達の職務の進行を遅らせて申し訳なかった。明日はどうするかね? 私の希望は無視してもらってかまわないから、重要性の高い所を廻ってくれ。」

 するとレインが苦笑した。

「チームリーダーから博士のご希望通りに行動せよと申し使っています。巡回は毎度のことですから、リスト上の研究施設全部を1度に廻る必要はありません。」

 ニュカネンが顔を上げた。

「しかし、トーラス野生動物保護団体とマルビナス・クローニング・サービスは必ず行っておかないと・・・」
「そこは俺が先月行ったばかりだ。君は別の組だったから行かなかっただけだ。」
「だが、あの2件の施設は寄付金も多いし・・・」
「君は物乞いに行くのか?」
「なにっ!」
「おいおい・・・」

 危うくテーブル越しにつかみ合いをしそうになったドーマー達をケンウッドは急いで止めた。

「その2件は私も名前ぐらい知っている。ニュカネンが言う通り、ドーム事業に多額の寄付をしてくれるのも確かだ。遺伝子管理局は野生生物の遺伝子も管理しているから、行くのは当然だな。挨拶程度で良いのだろう?」

 実際、遺伝子管理局には「内勤」と呼ばれる外に出かけないドーマー達が大勢いるが、彼等の職務の大半が人間以外の生物の遺伝子管理だ。個体の遺伝子ではなく、「種」としての遺伝子を登録したり、絶滅種の遺伝子記録を録ったりするのだ。生物の遺伝子を扱う理由は、人間が新種の生物を創造しないように見張る為だ。この「新種の生物」とは、即ち生物兵器となる細菌等の微生物であり、或いは新たな病原菌の発生を防ぐ目的もあった。或いは平和目的で家畜や食糧増産の為の植物の遺伝子組み換えを行う研究を監視もしていた。こちらは特許などの絡みもあり、遺伝子管理局に登録されていない遺伝子を持つ家畜の飼育は禁止されているのだった。
 トーラス野生動物保護団体は野生動物をクローニングで絶滅から救った実績がある団体で、その会員は富裕層で占められていた。この団体は脊椎動物を扱っており、会員は富豪クラスが多いので寄付金の額も無視出来ない数字だった。ケンウッドもドーム副長官として1度は顔を出しておくべきだと感じた。
 マルビナス・クローニング・サービスは穀物や野菜の新種を開発したり植物の成長に欠かせない昆虫の研究をしている。ドーム内で栽培されている野菜はここの商品であることが多く、やはり無視出来ない。

「怪しい研究をしている様子はありませんから、挨拶だけでよろしいかと思います。」

とレインが言った。

「恐らく、今日の昼に行った大学の研究室のいずれかが、関係のある民間施設に博士が来られていることを伝えてしまっているでしょう。」
「抜き打ちにならなくて、済まないね。」
「気になさらないで下さい。どうせ黒塗りの車が街に入った瞬間から、遺伝子管理局が巡回してきたと情報が拡散しているのですから。」


退出者 3 - 4

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長とキーラ・セドウィック出産管理区長がドームの一般食堂で仲良く夕食を摂る頃、ニコラス・ケンウッド・アメリカ・ドーム副長官は遺伝子管理局員ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーと共にその夜の宿泊場所であるホテルから徒歩5分の位置にあるレストランで夕食を摂っていたが、こちらは仲良くとは言い難い雰囲気だった。
 3人はセント・アイブス・メディカル・カレッジで遺伝子工学の権威達の研究内容について抜き打ち視察を行った。遺伝子学者達はドームからの突然の客に大慌てで迎え入れる態勢すら取れなかったが、ケンウッドは彼等の研究室に可能な限り入り込み、何をしているのかじっくり眺めた。レインもニュカネンも抜き打ち視察は何度も経験済みだが、やはり専門家同伴は初めてで、何を見るべきなのかをケンウッドの行動から学ぶことが多かった。学者先生達は冷や汗ものだった。違法研究をしていなくても、何か不備を指摘されると研究がそこで足踏みしてしまうからだ。
 レインはケンウッドが見たがる物を覚え、彼も学者達に質問をしたり端末に研究の様子を記録した。ニュカネンがそれに関して正式な手順を踏むべきだと言いだし、2人は大学構内から出るなり口論を始めた。ケンウッドは困惑して彼等を車に乗せ、近所の公園まで走ってから、駐車場で彼等の気が済むまで議論させた。2人が疲れた頃に、彼は口をはさんだ。

「私がここに来たから君達は喧嘩しているのかな?」

 レインがびっくりして副長官を見た。

「何故博士が俺達の喧嘩の原因になるのです? 俺はリュックの規則、規則と規則にがんじがらめになっている性格にうんざりしているだけですよ!」

 ニュカネンも言った。

「私はレインのなんでも適当にやってしまうところが嫌いなんです。」

 ケンウッドは2人を見比べた。どちらも同じ年齢、同じ部屋で同じ養育係に育てられた部屋兄弟だ。ドーマーにとって部屋兄弟は一番親しい間柄の人間のはずだ。しかし、この2人は水と油だ。適度に混ざり合うことが出来ない。

「私は君達どちらも好きだけどなぁ。」

とケンウッドは呟いた。

「お互いの長所を見て付き合っていけないものかな?」

 レインはそっぽを向いて口の中で言った。無理です、と。ニュカネンも副長官から目を逸らした。彼は何も言わなかった。
 そして3人はホテルにチェックインした後で、夕食に出たのだ。

2017年11月2日木曜日

退出者 3 - 3

 回廊の半ばまで来た時、前方から輸送班のエアスレーの音が聞こえてきた。物資を出産区に搬入するのだ。出産区はドームの面積の8割を占め、南北両大陸からやって来た女性達がお産をする為に滞在する施設だ。外から仕入れる食料品や物資は出産区に隣接する庶務班本部で消毒したり検査されるが、宇宙から輸入される薬剤や機材は一端中央研究所に運ばれ、そこで安全性を確認されてから出産区へ納入される。また出産区で働いているドーマー達の日用品も居住区から運ばれる。
 出産区で働くドーマーは実は一番人数が多くて女性達の世話をして一生を過ごす。彼等は当然男なので、女性に興味を持たないよう、ホルモンコントロールが為されている。つまり、女性化させられているのだ。見た目は男だが男の闘争心は薄く、性欲も抑制されている。しかし男としての自覚はあるので、執政官達は彼等の管理に神経を使う。世話をする女性達とは決して私語を交わしてはならない、身体に触れてはならない、人目につかない場所で2人きりにならない、等だ。
 エアスレーの操縦士は出産区のドーマー達から見ると「男らしい」人に見えるらしく、かなりファンがいる。操縦士達もそれを意識しているので、出来るだけ格好良く見せようと努力する。
 ハイネとキーラが歩いている所に近づいて来たエアスレーの操縦士は青い制服の上に袖無しの黒いレザーヴェストを着用して、同じ素材の帽子を斜に被っていた。彼はスピードを出して滑空していたが、向かいから来る人物に気が付くと速度を弛めた。拙い相手に出会した、と思ったのだ。遺伝子管理局長と出産管理区長だ。特に出産管理区長は「女帝」と徒名されるほど力を持っていて、怒ると恐い。そして何よりも彼女はドーマー達の誕生の時に取り上げた人なのだ。30歳以下のドーマーの7割にとって彼女は「母」の様な存在だった。
 ハイネはエアスレーが制限速度を超えていたことを知っていたが、速度を落としたので大目に見てやることにした。しかしキーラは見逃せないと思った。すれ違いざま、「こらっ!」と怒って見せた。

「こんな狭い場所でスピードを出さないの! 壁にぶつかったら怪我で済まないのよ!」
「ごめんなさい!」

 若者は大声で謝りながら走り去って行った。その後ろ姿を見送って、キーラはハイネに向き直った。ハイネがクスクス笑っているのに気が付いた。

「何ですの?」
「別に・・・」

 ハイネはキーラが母親になって子供を叱っている姿を想像してしまったのだが、口に出さなかった。キーラは訝しげに彼を見上げ、再び歩き出した。
 手は繋いだままだった。彼女は父親の大きな手の温かさを感じていた。

2017年11月1日水曜日

退出者 3 - 2

 出産管理区のゲートが閉じられると、ローガン・ハイネ・ドーマーとキーラ・セドウィックは回廊に2人きりになった。キーラが片手を彼の方に伸ばした。

「手を繋いで下さる?」

 ハイネは躊躇いもせずに彼女の手を握った。彼女の歩幅に歩調を合わせてゆっくり歩いて行った。

「母の話はしましたっけ?」
「聞いたかも知れないが覚えていない。」
「ではお聞きになっていないのよ。」

 ハイネが何も言わないので、彼女は簡単にマーサ・セドウィックの「その後」を語った。
 ドーム勤務から解任されたマーサは故郷の火星コロニーに戻り、実家の父親のクリニックでキーラを出産した。暫く父親の外科クリニックを手伝っていたが、キーラが2歳の時にコロニーの大学に職を得て遺伝子工学の教室で教鞭を執った。そして同じ学部の男性と結婚した。キーラはこの義理の父親をよく覚えていない。ジャックと呼んでいたことは記憶にあるが、遊んでもらったり何かを教わった覚えはなかった。ジャックは理性的な人だったらしく、子供の前で夫婦喧嘩をしなかった。しかし結婚して2年も経たないうちに彼等は離婚した。

「母は何か夫に不満があると必ず地球にいる王子様の話を持ち出したのですわ。夫と彼を比較した訳です。当然、夫は怒りますよ。ジャックにどんな落ち度があったのか、私は知りませんが、今なら彼に同情を覚えるでしょうね。」

 キーラはうっすらと苦笑して見せた。
 マーサ・セドウィックは離婚して1年後には別の男性と恋に落ちていた。恐らく彼女は寂しかったのだろう。次の夫はクリストファーと言ってやはり医師だった。キーラは彼をクリスと呼んでいた。

「母はクリスの息子を産みました。私の異父弟ですわ。義弟の名前はロナルド。現在は外科医として祖父のクリニックを継いでいます。
 クリスは良い人でした。私を娘として可愛がってくれました。ロナルドと私を連れてよく遊園地に遊びに行ったのを覚えています。私は彼に懐いたのですけど、母には不満があったようです。母にとって、地球の王子様が一番で、他の男性は王子様の足許にも及ばない僕でしかなかったのでしょうね。何が悪いと言う訳でもないのに、気に入らないのです。
 私はジャックが居た時より成長していましたから、母とクリスの喧嘩を察していました。夫婦として5年保ったかしら? マーサ・セドウィックとしては一番長続きした男女関係でしょうね。
 クリスは1月に1回息子に会うことを条件に家を出て行きました。恐らく私はロナルドより激しく泣いたと思います。義弟はまだ幼かったので、父親がいなくなったことを理解出来ていませんでしたの。
 私は義父がいなくなったのは母のせいだと理解していました。地球の王子様を忘れられない彼女のせいで周囲の人が傷つくのです。
 母はその後も数人の恋人をつくりましたけど、結婚はしませんでした。どうしても比較してしまうのです。
 母は86歳の今でも元気で、何人目か知りませんが、ボーイフレンドがいますの。流石にお相手が白髪ですし、年の功で紳士的に振る舞われるので、王子様と比べるのを諦めたみたいです。」

 キーラは無言で聞いているハイネをそっと伺い見た。

「母はこの10年ほど春分祭のテレビ中継を冷静に見られるようになったと申しております。2度と地球に戻れないと悟ったのですわ。40年かけて・・・
 それでも貴方が病気でテレビに映らなかった3年間は心配していました。私に何度もメールやメッセージを送って来ました。王子様はどうなさったのかと。」
「何と答えたのだ?」

 キーラはクスッと笑った。

「カメラから逃げるのが上達しただけよ、と言っておきましたの。余計な心配をかけて新しいボーイフレンドとの仲がこじれたら、私としても嫌ですもの。折角落ち着きのあるお婆さんになったと言うのに・・・」

 ハイネが可笑しそうに笑った。


退出者 3 - 1

 出産管理区長キーラ・セドウィック博士はその日予定されていた3人目の新生児を無事に取り上げることが出来た。途中で母親の体力が尽きかけ、急遽帝王切開になってしまったが、母子共に危険を脱した。赤ん坊は産湯を浸かり・・・女の赤ん坊とすり替えられ、母親が存在を知らない第2の新生児室へと送られた。この子は何処かの街へ養子に出される。一生実の親の顔も名前も知らぬまま、あかの他人の男性に引き取られ育てられるのだ。
 キーラはそれ以上のことを考えないようにしている。彼女の同僚も部下も皆同じだ。母親と赤ん坊に同情などしてしまったら、地球は大混乱になる。

 遺伝子学者達は一体何をもたもたしているのだろう。

 ちょっと腹立たしく思いつつ、シャワーを浴びて着替えてから執務室に戻ると、客が待っていた。凡そ84年程前に母親から盗まれた子供だ。スリムだが筋肉はしっかりついた体をダークスーツで包み、真っ白な髪を少し伸ばして頭の後ろで束ねて小さな尻尾みたいに括っていた。肌は84歳とは絶対に信じられない、艶々で張りがある。体調が良いのだろう、その日は40歳前に見えた。

「あら、珍しい・・・貴方がここに来るのは初めてではありませんこと?」

 彼女の驚きの声に、先刻誕生した子供の遺伝子情報ファイルを眺めていたローガン・ハイネ遺伝子管理局長が顔を上げた。

「1度ぐらい君の仕事ぶりを見ておこうと思った。」
「では、ガイド付きで見学なさったのね?」
「うん・・・アイダ博士に丁寧な解説付きで案内してもらった。」
「分娩もご覧になった?」
「うん・・・」

 ハイネは帝王切開のシーンを思い出して、ちょっと身震いして見せた。

「女は凄いな・・・産む方も産ませる方も・・・」
「あの母親は自然出産を望みましたの。でも難産になりかけたので、帝王切開しました。直に回復しますわ。」

 キーラは執務机に着いて、ファイルを開き、先刻の分娩状況を記録した。ハイネは来客用の席から彼女を眺め、彼女が記録を終えてファイルを閉じると気配で察した。

「君はヘンリーの子供を産むつもりなのか?」

 単刀直入に質問され、キーラはびっくりして彼を振り返った。

「なんですの? 藪から棒に・・・」

 ハイネが真面目な顔で言った。

「君に先刻の母親の様な目に遭って欲しくない。」

 キーラは彼を見返し、彼の言葉の真意を探る目つきをした。

「私に子供を産むなと仰るの?」
「君は50歳を過ぎている。出産は無理だ。」
「体力があれば大丈夫です。」

 ハイネは父親として娘を案じてくれている、と彼女は悟った。それで彼女は重大な秘密を打ち明けることを決意した。

「地球勤務を希望した時、私は執行部の保健部に私の卵子を預けました。女の子が欲しかったし、地球で女の子を産めない体になるかも知れないと危惧したからです。その卵子を戻してもらって、ヘンリーと子供を創ろうと思っています。」
「卵子は1つか?」
「2つ。失敗した時の保険に。遺伝子管理局の許可は必要ありませんから・・・」
「知っている。」

 ハイネは少しイラッとした。産まれて来る子供を彼は見ることが出来ない。宇宙の住人とドーマーの交信は禁じられているからだ。外にいる地球人だったら商売上通信が自由なのに・・・。

 交信が許されていたら、この子が生まれたことも知っていたはずなのに。

「ヘンリーは君の希望を知っているのか?」
「彼は子供が欲しければ養子をもらうと言っていました。でも私の決意を告げたら、2人で頑張ろうと・・・今度地球回診の時に貴方に彼の口から告げることになっていましたの。お願い、反対しないで。」

 ハイネは小さな溜息をついた。

「私に反対する権利はない。」

 キーラの端末に電話がかかってきた。彼女が出ると副区長のアイダ博士からで、交替の準備が完了したと言う連絡だった。「では後はよろしくお願いね」とキーラは言って電話を終えた。そしてハイネを振り返った。

「私は今日はこれで終わり。帰ってご飯を食べて寝るだけです。」
「私もこの後の予定はない。」

 ハイネが立ち上がると、彼女もバッグを手に取った。

「ご一緒しません? 出来れば回廊を歩きたいわ。」





2017年10月31日火曜日

退出者 2 - 7

 セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンは特に入り口らしい入り口はなく、防風林を抜けるとなんとなく街中に入ってしまった。民家が緑の畑の中に点在し、その密度がどんどん濃くなって、やがてすっかり都会らしくなるのに10分とかからなかった。小さな街ですよ、とポール・レイン・ドーマーが呟いた。

「ドームよりは広いかも知れませんが、建造物の秩序がなってないです。」

と言ったのはニュカネンだ。
 レインが、先ずお昼にしましょうと、車を20世紀の映画に出てくる様な古風なドライブイン様式のレストランの駐車場に乗り入れた。
 ケンウッドはドーマー達の行動に合わせて店内に入り、4人掛けのボックス席に着いた。ウェイターが来て注文を取るのはコロニーでも同じだったので、戸惑うことはなかった。メニューを見ても食材がわからず、ドーマー達に選んでもらった。出て来たのは、チリコンカンとフレンチフライと目玉焼き、それにライスが少々盛りつけられたプレートランチだった。
 レストランでは遺伝子管理局の局員は顔馴染みらしく、ウェイターが美しいレインと世間話をしたがった。ドームでは無愛想で有名なレインだが、外では愛想良くした方が仕事がスムーズにはかどると知っているのだろう、ウェイターのおふざけに乗ってやった。ニュカネンの方は冷めた表情で2人を無視して、ケンウッドに紙の束を見せた。

「今日と明日の訪問予定地です。興味のある場所があれば仰って下さい。優先的に廻ります。」

 ケンウッドの本当の目的はニュカネン本人の恋の確認だ。彼は書類をパラパラとめくって中を流し見た。

「やはり大学が一番大きな施設なのだろうね?」
「そうです。」
「大学内で一番最先端の遺伝子工学の研究をしている所へ行ってみたいな。」

 地球人の遺伝子工学を見ておくのも悪くない、と彼は思った。レインがサングラスの下で微笑した。

「勿論、そこへ行きますよ。今日は教授連中が全員そろっていると確認済みで来ましたから。」
「私はただのオブザーバーだからな、紹介は無用だぞ。」
「承知しています。」

 ウェイターは既に別の客のテーブルに去っていたので、ケンウッドは若者達に尋ねてみた。

「訪問先で友達とか出来たかね?」

 レインが即答で「いいえ」と言った。

「そんな暇はありませんよ。こう言う飯を食う場所でスタッフと言葉を交わす程度です。」
「どんな話が多い?」
「街の話題です。ちょっとした事件や事故、イベント、彼等の家族の噂話、そんな程度です。」
「仕事の助けになるかね?」
「事故などはね・・・たまに遺伝子鑑定を依頼されますから。」

 身元不明者などの鑑定をするのも遺伝子管理局の仕事だ。
 ケンウッドはニュカネンを見た。

「君は友達はいないのか?」

 レインがいるわけないと首を振った。ニュカネンはちょっと間を置いた。

「い・・・いえ、友達はいません。」

  微妙な間だった。ケンウッドは暫く彼を眺め、それから食事に取りかかろうとした。するとレインが「ちょっとお待ちを」と言って、端末で料理の上をさっと走査した。

「危険な雑菌はいないようです。どうぞお召し上がり下さい。」

 店の人間が耳にしたら気を悪くするだろうとケンウッドは思った。


2017年10月28日土曜日

退出者 2 - 6

「ハイネが住人がいる場所を東海岸から潰していき、航空班がその該当区域の無人とされている場所を空から見て行くのさ。不審な建物などがあれば、パイロットが現地警察に通報している。勿論、セイヤーズのことは伏せてあるがね。」
「見つけても、あの男は捕まえられません。」

とレインが諦めた様に呟いた。

「俺だって捕まえられないのに・・・」

 するとニュカネンが余計なことを言った。

「君が何か余計なことをセイヤーズに言ったんだろう? あの男が絶望するようなことを・・・」
「何を!」

 レインが振り返って怒鳴った。

「おまえに何がわかるって言うんだ?!」

 自動運転なので運転手が余所見をしても大丈夫だが、助手席のケンウッドは心穏やかではない。

「レイン、運転に専念してくれないか?」
「すみません・・・」

 副長官のちょっと間延びした物言いがレインの気分を鎮める効果を発揮した。レインは前を向き直り、数分間沈黙した後、ケンウッドに提案した。

「副長官、局長に俺がお手伝いしたがっていると伝えて頂けませんか? 内勤の日に照合を手伝えると思います。」

 すると、堅物ニュカネンが異を唱えた。

「遺伝子情報リストを無差別に照会出来るのは幹部だけだぞ、レイン。」

 幹部候補生から降格されたレインがグッと唇を噛み締めた。ケンウッドは助け船を出して遣った。

「ハイネが許可すれば、君にも見られるさ。局長に話しておくよ。ニュカネン・・・」
「はい?」
「あまり固く考えるな。ハイネは年寄りだが君より柔軟だぞ。」

 車が大きくバウンドして、3人は口を閉じた。車は路面の凹凸を読み取ってスムーズに走れるはずだが、深い轍があったのだ。レインがケンウッドに右前方の岩の固まりを指さした。

「あれが遺跡です。昔のショッピングモールらしいです。今でも時々壁の崩落があって土煙が立ち上っています。」

 それは確かに人間が建設した大きな建物だった。ケンウッドは興味をそそられたが、見学する時間はなかった。恐らくこれからも時間はないだろう。
 やがて前方に緑の固まりが見えてきた。レインが教えてくれた。

「あれがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを砂漠から守る防風林です。」



2017年10月27日金曜日

退出者 2 - 5

 ケンウッドの質問にレインは簡潔に答えた。

「原始的な方法です。バスやトラックの運転手にセイヤーズの画像を見せて見覚えがないか訊いて廻るだけですよ。」

 ケンウッドは懸念していたことを尋ねた。

「まさか接触テレパスを使っていないだろうね?」

 レインは応えない。使っているんだな、とケンウッドは胸の内で呟いた。

「その能力は君にとって自然なものだろうと思いはするが、決して消耗する様な真似はしないでくれないか。セイヤーズが見つかっても君が体を壊しては元も子もないからな。」

 ニュカネンは無言だった。セイヤーズは彼にとっては馬が合わない部屋兄弟だ。だが戻って来て欲しくないとは思っていないだろう。ケンウッドは話しの方向を変えた。

「ハイネもセイヤーズを探しているんだよ。」
「局長が?」

と驚いたのはニュカネンだった。

「でも、あの方は外に出られない・・・」
「出られない人間は出られないなりに方法を考えつくものなんだ。」

 ケンウッドはレインがあまりハイネを高く買っていないことを承知していた。外の世界での実務経験がない人間が局長職に就いていることが、この若者には納得出来ていないのだ。それに彼の入局以来3年間ハイネは病気と幽閉で世間から離れていた。レインが一番辛かった時期だ。助けて欲しい時に不在だった上司をレインは尊敬出来ないでいる。

「どんな方法ですか?」

 ニュカネンが尋ねた。ケンウッドは少し考えてまとめた。

「最初は全米のダリルと言う名の男性を全てリストアップした。そして全員の遺伝子管理リストに目を通した。」
「該当者はいなかったんですね?」
「うん。それで次にセイヤーズをリストアップして、同じことをした。これも空振りだったので、次に連邦捜査局を通じて地方の警察に10代後期から20代の男性の住人登録リストを提出させているところだ。町や村の住人の遺伝子管理リストと照合して、住人登録はあるのに遺伝子管理リストがない人間をピックアップしている。」
「それは、違法出生者ですね?」
「そう言うことだな。」
「ああ・・・それで最近違法出生者の摘発率が急上昇したんだ・・・」

 違法出生者とは、違法クローン製造者、所謂メーカーによって製造されたクローン達のことだ。本来なら18歳になれば違法クローンでも遺伝子管理局に成人登録申請を出せば承認されて晴れて地球人として市民権が与えられる。住人登録リストと遺伝子管理リストの両方に名前が記載されるのだ。しかし、面倒だと考えたり、違法な職業に就いていて成人申請を出さない違法出生児もいる。そう言う人々を遺伝子管理局は遺伝子管理法違反で収監するのだ。

「クローンは大勢見つかるのにセイヤーズは見つからないのですね・・・」
「まあ、そう言うことだ。しかし、ハイネがそれに着手してまだ半年だし、全米の3分の1がやっと終わったところだ。住人登録は地上で生きていく上で絶対に必要だ。車の運転免許を取るのに必要だし、病院も大きな買い物も土地の購入も部屋を借りるのも、住人登録とIDがなければ何も出来ない。ハイネはセイヤーズがそのうち何処かで落ち着くだろうと予想しているのだよ。」
「半年で3分の1ですか・・・」

 するとレインが前を向いたままで言った。

「リュック、簡単に言うな。全米の20代男性が何人いると思っているんだ? 半年で3分の1の遺伝子情報を照合してしまうなんて、並の人間じゃ不可能だぞ。それも、日課の業務をこなした後でしょう? 副長官・・・」
「ああ、その通りだ。ハイネは絶対に日課を疎かにしない。セイヤーズ捜索は空き時間だけを使っている。」

 レインが溜息をついた。

「なんとなくセイヤーズが隠れていそうな場所はいくつかあるんです。でも住人がいないことになっているし・・・」
「そんな場所に電力や水の供給はないだろう? 生きていけないぞ。」

とニュカネン。レインがキッとなったのだろう、少し強い調子で言った。

「ダリルは自給自足でも生きていける男だ。君の心配は杞憂だ。」

 また喧嘩になりそうなので、ケンウッドは急いで割り込んだ。

「ライフラインがない土地は、航空班が空から見ているよ。登録されていない家がないか調べているんだ。」



退出者 2 - 4

 自動車は遺伝子管理局の公用車、黒塗りのセダンだった。ロゴなどは入っていないが、地球人はこの車を一目見れば中に乗っている人物がドーム関係者だとわかる。それが世界の常識だった。 ケンウッドはお忍びのつもりだったので、車を見てがっかりした。もう少しスポーティでスマートなスタイルの車に乗りたかった。地球の自動車事情はかなりバラエティに富んで面白いのに、どうして黒塗りのありふれたださい車種なのだ?
 車の前でレインが立ち止まり、チームリーダーを振り返った。

「ジョンソン・ドーマー、俺達はこの車で良かったですか? 副長官も乗られるので目立たない車の方が良くありませんか?」

 ポール・レイン・ドーマーはこう言う気配りが出来る男だ。無愛想だが他人のことはちゃんと見ている。ケンウッドが黒塗りの車を見てげんなりしたのを見逃さなかった。
 ジョンソンは駐車場をさっと見廻して答えた。

「他に車の用意がないから、これで我慢するしかないだろう。レンタカーでは防弾ガラスは期待出来ないからな。」

 局員達は支局の建物と空港の搭乗棟を見た。支局の人間に我が儘を言うのは平気だが、わざわざその場にいない人間を呼びつけることはしなかった。

「マルホランドは安全第一で考えてくれたのだろう。これでかまわないよ。」

とケンウッドが言ったので、局員達は素直に折れてくれた。ジョンソンが部下達に翌日の午後6時に支局に集合と伝え、彼等は散開した。
 レインが素早く黒塗りの車の運転席に乗り込んだ。ニュカネンに運転させたくないのだ。堅物のニュカネンは制限速度遵守で、レインの性格では苛々するのだろう。ケンウッドはニュカネンに声を掛けた。

「私が前に乗っても良いかな?」
「そちらがお好きなのでしたら・・・」

 ニュカネンは喧嘩仲間のレインの後ろで満足するだろう。助手席に乗ったりしたら、ケンウッドはずっと口喧嘩を聞かされるはめになるだけだ。
 3人がシートベルトを締めるとすぐに車のエンジンがかかり、滑るように走り出した。レインが既に行き先を入力しているので、車は迷うことなく交差点を曲がり、幹線道路に入った。

「セント・アイブスまでは1時間の行程です。」

とレインが説明した。

「砂漠に草が生えている平原を走るので、変化のない風景が続きます。途中で大異変前に存在した街の遺跡が見えます。もし興味がおありでしたら、立ち寄ります。」

 すると早速ニュカネンが反対した。

「副長官に昼食を召し上がっていただかなければいけないだろう? 寄り道せずに走れよ。」
「俺は副長官と話してるんだよ。」
「副長官はセント・アイブスにご用があるのだ。遺跡なんて論外だ。」

 ケンウッドはドーマー達の喧嘩が面白かったのだが、仲裁に入らなければならなくなった。自分の名前が出ているのだから、何か意見しなければならない。

「2人共心遣い有り難う。 レイン、私は遺跡に大いに興味がある。しかし、今回は仕事だから私自身の好奇心は抑えておくよ。君が私の趣味を覚えていてくれたので驚いた。次の機会に案内してもらえると嬉しいな。
 ニュカネン、本当は君もお腹が空いているのだろう? 早く目的地に着いてお昼にしような。」

 ほらな、とニュカネンが勝った気分で呟いた。レインは黙り込んだ。ニュカネンに負けたのが悔しいのではなかった。ケンウッドの穏やかな口調が、彼が懐いていたヘンリー・パーシバル博士を思い出させたのだ。ケンウッドとパーシバルは親友同士なので頻繁に連絡を取り合っているが、地球人から宇宙に居るコロニー人に連絡を入れることは出来ない。レインは悩み事を聞いてくれる人がいなくなって寂しいのだ。ケンウッドは副長官なので多忙でなかなかドーマー達の相手をしてやれなかった。上司に相談すればと言いたいところだが、トバイアス・ジョンソン・ドーマーはレインの目から見て頼り甲斐があるとは思えないのだろう。
 ケンウッドは話題を変えることにした。

「レイン、セイヤーズの捜索はどんな方法でやっているのだね?」


 


2017年10月26日木曜日

退出者 2 - 3

 ローズタウンの空港に到着したのはお昼前だった。飛行機は静かに垂直着陸して、それから滑走路を移動し、搭乗棟に横付けした。
 最初に降りるのは人数が少ない遺伝子管理局の北米南部班第3チームだ。ケンウッドも1泊用の手荷物を持って遅れないように局員達に付いて行った。ローズタウンは晴れていた。乾いた空気が、乾燥地帯の入り口にある街であることを教えてくれた。空港の周囲に植えられているバラは、街の名にちなんだもので、バラがあるからローズタウンになったのではない。
 地上では、遺伝子管理局ローズタウン支局の支局長カイル・マルホランド元ドーマーが立っていて、ケンウッドを出迎えた。普通は局員を出迎えたりしないのだが、副長官が来たので空港の隣にある支局の建物からやって来たのだ。
 カイル・マルホランドは現役時代は平の局員で幹部経験がなかった。遺伝子管理局だけでなく、ドーム全体で、特別職に就けるドーマーは幹部経験がない人間を選ぶことになっている。これは、(驚くべくことに)ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局長も例外ではなかった。だからマルホランドは現役時代はチームリーダーより下位に居たのだが、支局長になった現在は班チーフより上位に居る。
 トバイアス・ジョンソン・ドーマーは支局の建物に入って支局長に挨拶する手間が省けたので内心喜んでいた。マルホランドが嫌いと言う訳ではなく、彼は早く任務に取りかかりたいだけだった。支局内のドーマーの為の休憩室でお茶を飲んで時間を無駄にしたくなかった。ドーマーは抗原注射の効力がある48時間内に仕事をしなければならない。時間切れになれば、肺炎やインフルエンザなどの感染症の恐怖が待っているのだ。ドームの外で暮らす普通の地球人にとってそれほど重い病気でない感冒も、清潔な空気の中で育ったドーマーにとって恐怖の対象だった。
 ケンウッドとマルホランドは初対面だった。ケンウッドが地球に赴任してきた年の初めに彼はドームを卒業したのだ。

「ローズタウンへようこそ! ローズタウン支局長カイル・マルホランドです。」

 握手を交わして、ケンウッドは余り大きな声を出さないよう心がけながら名乗った。

「アメリカ・ドーム副長官のニコラス・ケンウッドだ。 今回は個人的な興味でセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを視察する。支局の業務の邪魔にならないよう心がけるので、どうか気を遣わないで頂きたい。」

 マルホランドは支局巡りをする現役局員達から情報を仕入れているのだろう。ケンウッドの挨拶が真心の篭もったものであると解釈してくれた。

「わかりました。支局の駐車場に車を用意しております。同行の局員共々気をつけて行ってらっしゃい。」

 元局員らしく、現役には無駄にする時間がないと承知している。支局長は駐車場の方角を手で示しただけで、後は副長官と現役局員の自主性に任せた。彼は局員の後ろから赤ん坊を連れて降りてくる女性達とその家族を出迎える仕事もあった。
 ケンウッドがレインとニュカネンのそばに行くと、レインが支局長をやんわりと批判した。

「あの男はいつも手抜かりなく準備して待っていてくれますが、要するに俺達現役に文句を言われたくないだけなんです。」

 ケンウッドは苦笑した。レインは接触テレパス能力を持っているせいで、人の心の裏面を見てしまう。
 ニュカネンは真新しい紙の束をぼんやりと見ていた。

退出者 2 - 2

 ドーム空港から飛行機に搭乗して旅に出るのは2度目だ。1度目は元ドーマー達からサンプル用の細胞をもらうために出かけた。あれから既に5年以上経つか・・・。
 ローズタウンに向かう機内には大勢の女性達が赤ん坊と共に乗っていた。出産を終えて家族が待つ自宅へ帰る人々だ。ドーム周辺で待機していた経済的に余裕のある夫を持つ女性達はそれぞれ自動車や自家用機で一足先に帰ってしまっている。
 機内では赤ん坊は新生児用の部屋に入れられる。保育器が並んでいて、母親達は座席と同じ番号の保育器の中にいる我が子と空の上では離れていなければならない。偶に赤ん坊がむずかると部屋の係が呼びに来てくれる。ローズタウンへは約2時間のフライトだ。赤ん坊が静かに寝ていてくれることを母親達は願う。自宅に帰れば、もう世話をしてくれるドーマーはいないのだから・・・。
 不幸にも出産に至らなかった女性達も搭乗している。彼女達は母親達と離れた座席を指定されるが、仲良くなった人同士で座席を移動することがある。機内スタッフは万が一の事故の場合を考えてあまり良い顔をしないが、母親になれなかった女性達の気持ちを考えて黙認することが多い。
 遺伝子管理局の局員や他のドームのスタッフが移動する場合、彼等には専用の区画が充てられている。男ばかりだから、女性に不安を与えないよう配慮されているのだ。ケンウッドは女性区画の様子を移し出すモニター画面を眺めていた。今まで出産の為に遠路を旅する人々の道中を想像したこともなかったが、実際に観察して改善すべき点などを探した。ふと気が付くと、男性が数名女性の中に混ざっていた。自動車や自家用機で移動する手段を持たない遠方の夫達が妻と共に家路についているのだ。

 幸せな父親だ。もっとも、これからが子育てで大変だろうが・・・

 ドーム人専用区画に乗っているのは、遺伝子管理局北米南部班第3チームと中米班第2チームだった。第3チームはローズタウンからカリブ海沿岸を、中米第2チームはカリブ海を巡る予定だった。ドームの中では騒がしい中米班も機内では静かで、島巡りの準備資料に目を通したり、目を閉じて休んでいた。北米班の方はローズタウンで飛行機から降りるので、専ら休憩だ。ケンウッドの隣に座っているポール・レイン・ドーマーはサングラスをかけたまま寝ていたし、通路をはさんで座っているリュック・ニュカネン・ドーマーは目を開けたままボーッとしていた。弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは別の仲間と端末でゲームをしていた。
 今回の支局巡りは班チーフとは別行動で、最高幹部はチームリーダーのトバイアス・ジョンソン・ドーマーだが、彼は幹部用の仕切られた小部屋に入ってしまい、話しにならない。和気藹々の遠足を想定していた訳ではないが、ケンウッドはこの雰囲気は苦痛に感じられた。ドーマー達はこれが普通なのだろうか? 男ばかりだからこんな重い空気なのだろうか? 女性達が乗っている区画は明るく華やかな様子に見える。乗客の世話をする航空班の客室係ドーマー達も女性の世話をする方が楽しそうだ。

 当たり前か・・・

 飲み物を運んで来た若いドーマーにケンウッドは女性と話しが出来るだろうか、と囁きかけてみた。

「かまわないと思いますよ。」

と客室係は言った。

「僕等も世間話とかさせてもらっていますから。」

 それでケンウッドは寝ているレインを邪魔しない様に立ち上がり、ニュカネンに断って移動した。
 女性達はコロニー人の博士を快く迎えてくれ、ドームでの待遇に感謝してくれた。
お陰でケンウッドはローズタウンまで楽しく旅が出来た。

2017年10月25日水曜日

退出者 2 - 1

 ケンウッドの副長官執務室に遺伝子管理局北米南部班第3チームのチームリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーが面会に訪れたのは2日後だった。支局巡りの日程表を提出して、ケンウッドの都合を確認しに来たのだ。

「ニュカネンに同行を希望されていますが、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ニュカネンに最初に声を掛けたから・・・と言うだけでは駄目かな?」

 ケンウッドはジョンソン・ドーマーのよく日焼けした顔を見ながら微笑んだ。ドーマー達は紫外線遮断のクリームを塗って出かけるのが習慣になっているが、ジョンソンは気にしないようだ。面倒臭いのかも知れない。

「ニュカネンが堅物で通っていることは承知しているよ、ジョンソン・ドーマー。そして私も堅物なんだ。堅物同士、互いの邪魔にならない様に大人しくついて行くつもりだ。職務に専念してもらって結構。観光案内など無用だ。」
「上司の僕が言うのも何ですが、ニュカネンは話し相手になりませんよ。退屈なさると思いますが・・・」
「私もお喋りは苦手だ。黙っていてくれた方が気が楽だから。」

 日程表にはニュカネン以外の局員の名も書かれていた。ドーマー達はドーム空港から飛行機でローズタウンに行く。そこから散開して周辺都市へ2人1組で出かけるのだ。遺伝子関係の研究施設の抜き打ち検査に入ったり、支局に出された申請書に不備があったり不審な点があれば提出者を直接訪問して面談したり、ダリル・セイヤーズ・ドーマーを探したり・・・。
 ケンウッドはニュカネンと今回組むことになっているドーマーの名前を見て不安に襲われた。思わずジョンソン・ドーマーの顔を見た。

「この組み合わせは君が考えたのか?」
「そうですが?」
「私が聞いた情報では、ニュカネンとレインは犬猿の仲だそうだが・・・?」
「確かにそうですが、勤務中は彼等はきちんとやりますから・・・それに2人を外してばかりいては、他の局員に示しが付きませんし。」
「・・・それもそうだな。」

 ケンウッドはジョンソン・ドーマーが笑いを堪えているのをうっすらと感じた。恐らくこのチームリーダーはケンウッドを間に入れてニュカネンとレインの仲違いを緩和させようと言うつもりだろう。

「局長にはこの組み合わせを報告しているかい?」
「いいえ。」

 ジョンソンは何を訊くのか、と言う顔をした。

「局員のシフトなど一々局長に報告しません。局員自身が後で報告書を書いて提出しますし、班チーフが把握していればそれで充分です。」

 ケンウッドは遺伝子管理局の業務体制を何も知らないことを知った。これはレインかニュカネンから道中教わっておこう、と思った。

2017年10月23日月曜日

退出者 1 - 5

 ケンウッドがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに見学に行くと聞いて、リプリー長官は、「遺伝子工学の街だったね」と言った。

「確かクローンで人体の一部を製造して医療に使う治療法が盛んな所だったと思うが?」
「そうです。主に四肢が多いですが、美容整形用の人体パーツを作る業者や、内臓などの高度な物を製造する研究所もあります。」
「それで遺伝子管理局は神経を尖らせて監視しているのだな。」
「ええ。」
「私はかねがね不思議に思うのだが、そんな高度な技術を持つ地球人が、メーカーと言う違法業者になると粗悪なクローンしか作れないのは何故だろう?」
「それは財政的な問題ではないでしょうか?」
「設備投資が乏しいのか?」
「恐らく。」
「粗悪なクローンは短命だ。人工の生命だと言っても、生まれた以上は人間だ。財政的な問題で短い命しかもらえないなんて、あまりにも可哀想だ。」

 リプリーはメーカーを憎んでいる。それはケンウッドも、ドームの執政官もドーマー達も同じだ。だから遺伝子管理局に保護されて観察棟に収容されたクローンの子供達に、彼等は優しい。可能な限り子供達が長く生きられる様に力を注ぐのだ。

「護衛を連れて行くのだろうね?」
「護衛は要りません。遺伝子管理局の若い連中に付いていきます。」

 それなら安心だとリプリーは呟いた。遺伝子管理局の職員は外勤も内勤も武道の鍛錬を欠かさない。戦闘能力では保安課と肩を並べるのだ。
 少し黙って考え事をしてから、リプリーが振り返って言った。

「脱走した若いドーマーはあの街に居ると思うかね?」
「セント・アイブスにですか?」

 ケンウッドはちょっと驚いた。リプリーがダリル・セイヤーズ・ドーマーを気に掛けていたのが意外だった。セイヤーズの脱走を利用して前任者のサンテシマ・ルイス・リンを追放したのだが、それ以降リプリーはドーマーのことはケンウッドに任せっきりだった。リン派の粛正に忙しかったせいもあったが、ドーマーの恋愛問題には無関心だと思えたのだ。

「セント・アイブスに脱走者は隠れないでしょう。遺伝子管理局が絶えず巡回しますからね。」
「そうか・・・」

 リプリーは溜息をついた。

「あのドーマーは直ぐに捕まると思っていたのだがなぁ・・・」
「ハイネ局長は反対に捕まえるのは困難だと思っている様です。セイヤーズは脳天気ですが、利口なのです。」
「セイヤーズの問題はリンの置き土産だな。」

 彼はケンウッドに向き直った。

「何はともあれ気をつけて行って来てくれ。見学だけだぞ、余計なことはするな。遺伝子管理局の注意は守って・・・」
「承知しております。長官は心配性ですね。」

 すると、リプリーはちょっとむくれて見せた。

「私もあの街に1度は行ってみたいのだよ。」

2017年10月20日金曜日

退出者 1 - 4

 ケンウッドはスカッシュコートを出て更衣室に向かった。ハイネが付いて来る。そろそろ夕食を取る時間なのだろう。ハイネがニュカネンの噂を知っているのかどうか、確かめてみたかったが、もし知らなければやぶ蛇になる。だからケンウッドは代わりに言った。

「セント・アイブス・カレッジ・タウンに行こうと思うんだ。」
「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンですか?」

 ハイネがやんわりと街の正式名称を教えてくれた。ケンウッドは苦笑した。若いドーマー達が略して「セント・アイブス」や「セント・アイブス・カレッジ・タウン」と呼ぶので、それが本当の名前だと思い込んでしまっていた。

「うん、遺伝子工学の研究が盛んな学術研究都市だ。どんな所か1度見ておきたくてね。」

 ドームの外に出たことがないハイネはそれにはコメントしない。ケンウッドはニュカネンに声を掛けた理由を作った。

「ニュカネンのチームの担当地区だと聞いていたので、彼に同行させてもらえないか、訊いてみたんだ。彼はチームリーダーに問い合わせてみると答えた。」

 彼はハイネの反応を伺う様に尋ねた。

「かまわないよな?」

 ハイネが横目で彼を見た。

「私の許可が必要な次元の話ではありませんね。」
「そうかね?」
「貴方のお仕事ですから、貴方が決定なさればよろしい。遺伝子管理局がどうこう言う必要はありません。執政官の要請に局員が断る理由はありません。ただの見学でしょう?」
「うん・・・」
「地球人の生活に干渉なさるのでなければ、誰も文句言いませんよ。ですが、気をつけて下さい。コロニー人に良い印象を持っていない地球人もいますから。」
「わかった。」

 更衣室には既にニュカネンの姿はなく、ケンウッドとハイネはシャワーを浴びて着替えた。ハイネがケンウッドの筋肉を褒めたので、ケンウッドはちょっと照れた。重力に耐える体を創っているだけなので、スポーツ体型ではないと言い訳した。ドーム生活が長いコロニー人は皆一様に筋肉を鍛えている。女性でも筋トレは欠かさない。
 2人は一般食堂へ行き、そこでヤマザキ医師と合流して夕食を共にした。ヤマザキと同席する時は、ハイネはなるべくチーズを我慢している。うっかり大量に摂ると叱られるからだ。だからと言ってヤマザキを避けたりはしない。友人は大好物より優先するのだ。

「あと一ヶ月だね、ハイネ。」

とヤマザキが思い出したように言った。ケンウッドはすぐ何のことかわかったが、ハイネはぽかんとして医師を見た。

「何がです?」
「これだもの・・・」

 ヤマザキは肩をすくめてケンウッドと顔を見交わした。

「キーラ・セドウィック博士が退官する日だよ。」

 出産管理区の責任者、キーラ・セドウィック博士は30年余りのドーム勤務に終止符を打ち、月へ行くのだ。そこで地球人類復活委員会執行部勤務の神経科医師ヘンリー・パーシバルと結婚する予定だった。双方共に50歳を越えたが、初婚だ。
 ああ、と気のない返答をしたハイネにヤマザキは溜息をついた。ハイネはキーラの実の父親だ。しかし、ドーマーとして育ったので、家族と言うものを知らない。キーラが娘だと言うことは頭で理解しているが、感情的には友人の1人と言う認識しかない。
 キーラは1年前、重力障害で退官を余儀なくされたパーシバルから求婚された。彼女も彼に興味を抱いていたので、承諾したかったのだが、仕事があった。彼女は既に1年分のクローンの赤ん坊の取り替え子のスケジュールを立ててしまっており、責任者としてリストの最後の子供を無事に世間に送り出す迄は、現場を離れたくなかった。パーシバルも彼女の性格を承知しており、2人は婚約して月と地球の長距離恋愛を1年間続けてきた。
 キーラがローガン・ハイネ・ドーマーの娘であることを知っているのは、ケンウッド、ヤマザキ、パーシバル、そして引退したドーマーの終の棲家である「黄昏の家」に住む先代の遺伝子管理局長ランディー・マーカス・ドーマーだけだ。他の人々は、ハイネによく似たこの女性を、ハイネの母親のオリジナルであるコロニー人の血縁者だと思っている。もし真実が世間に暴露されれば、大スキャンダルだ。ドーマーがコロニー人に子供を産ませた、と言う事実よりも、キーラの母親が地球人を誘惑したと考えられてしまう。事実そうなのだが、地球人保護法に違反した研究者として、マーサ・セドウィックの評判は落ちてしまうし、キーラも社会的に無事では済まなくなる。ローガン・ハイネは宇宙でも有名なのだから。
 キーラ・セドウィックは、白い髪のドーマーとはあかの他人として、宇宙へ戻って行く予定だ。ドームを退官すれば、まず戻って来ることはない。パーシバルの様に巡回診察の仕事がある人間は希なのだ。
 2度と娘に会えなくなる、と言う認識がハイネには欠如している様だ。
 
「寂しくなるだろうね。」

とケンウッドが振ってみたが、ハイネは「次の出産管理区長が来ますよ」としか言わなかった。


2017年10月18日水曜日

退出者 1 - 3

 ケンウッドは夕方、運動施設へ行った。リュック・ニュカネン・ドーマーがスカッシュをすると聞いたからだ。取り敢えず運動着に着替えてスカッシュ競技場へ行くと、先客が数人いた。見ると、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長と数名の年齢がばらばらのドーマー達で、ハイネが若い連中にスカッシュを教えているところだった。運動施設に居る時のハイネは大概独りで何かをしていることが多い。今日の様に数人に取り囲まれて何かを教授している姿を見るのは珍しかった。

 そう言えば、スカッシュの教官って見たことがなかったなぁ・・・

 ケンウッドは気が付いた。スカッシュの教官はハイネなのではないか? ドーマー達は真剣に彼の説明を聞いていた。ハイネがラケットの持ち方や構え方を話している。ケンウッドは微笑ましく思いながら競技場を見廻し、休憩スペースで座っている若者を見つけた。ハイネと取り巻きを見ているが、仲間に入っていかないのだろうか? 入りたくないのか、入る必要がないのか?
 ケンウッドは若者に近づいて行った。

「やぁ、ニュカネン・ドーマー、君はスカッシュをするのか?」

 声を掛けると、ニュカネンはビクッとして振り返った。そして執政官だと気づくと急いで姿勢を正した。ケンウッドは苦笑した。

「ここではドーマーも執政官もないだろう? 楽にしたまえ。」

 ニュカネンはバツが悪そうに立ち上がって、こんばんは、と挨拶した。

「副長官もスカッシュをされるのですか?」
「否、私はやらない。君が1人で居るのが目に入って、来てみたんだ。他の人はみんなでハイネ局長に教えてもらっている様だが、君はいいのかい?」
「僕は、ルールを知っていますし、訓練所の頃からスカッシュの経験がありますから。」
「では、あそこで教えてもらっているのは、初心者なのか。」
「そうです。」
「ハイネが教官をしていたとは、知らなかった。」
「局長は教官ではありません。」

とニュカネンが真面目に答えた。

「偶々練習をしていた初心者に局長がアドバイスをなさったら、他の人達が集まって来て、局長に教授を請うたのです。」
「そうか・・・局長も苦労だな。」

と言いはしたものの、ケンウッドの目に映るハイネは楽しそうだった。若い連中の相手をすることが面白いのだろう。
 しかし、目の前の若いニュカネンは面白くなさそうだった。

「君は競技場が空くのを待っているのかね?」
「そのつもりでしたが・・・」

 ニュカネンは立ち上がった。

「そろそろ夕食の時間ですので、これで失礼します。」

 ハイネの取り巻きに混ざって一緒に楽しむ気はさらさらなさそうだ。ケンウッドは折角の会話のチャンスを逃したくなかったので、咄嗟に思いついたアイデアを出してみた。

「セント・アイブス・カレッジ・タウンを1度見学してみたいのだが、君のチームの担当地区だったよな?」
「そうですが?」
「君の次の支局巡りの時に同行しても良いかな?」

 ニュカネンの顔に困惑が浮かんだ。副長官の要請を拒むのは失礼だと思われたし、彼の地位で断る権限はあるだろうか、と考えたのだろう。さらに彼の一存で承諾することが出来るのだろうか。

「チームリーダーに訊いてみます。」

 優等生らしい返答だった。自力でなんとか都合をつけようと言う気はないのだ。
ケンウッドは、急がなくて良いからね、と言って若いドーマーを解放してやった。恐らくニュカネンの性格なら急ぐ必要がなくても急いで答えを出そうとするだろう。
 競技場から出て行くニュカネンを見送って、それからコートに視線を戻すと、いつの間にかハイネ局長がそばへ来ていた。初心者達に実技練習をさせて、自身は副長官の相手をするつもりだ。

「こんばんは、副長官。何かご用でしょうか?」

 ケンウッドは苦笑した。局長は自意識過剰じゃないか?

「君に用があって来た訳じゃないさ。」

 ほうっとハイネは呟き、先刻部下が出て行ったドアを見た。

「するとニュカネンに用でしたか。」
「誰かに用がなければ、ここに来てはいけないのか?」

 ケンウッドはわざと意地悪な言い方をしたが、局長は気を悪くした様子はなかった。
ハイネは副長官を眺めて言った。

「ニュカネンはスカッシュをやらないのです。貴方もなさらないでしょう? それなのに、ここに居る・・・ご用があったのではないですか?」
「ニュカネンはスカッシュをやらない? 彼は以前からしていると言ったぞ。」
「以前はね・・・彼は入局以来していません。このコートに入ったことがないのです。」
「そうか・・・では彼は君に何か話したかったのかも知れないな。」




2017年10月15日日曜日

退出者 1 - 2

 ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーは同じ部屋で育った同年齢の子供達で、レインがニュカネンより半年早く生まれていた。同じ部屋には他にも8名の子供が居て、レイン、ニュカネン、そしてレインに遅れること1日の差で生まれたダリル・セイヤーズ・ドーマーの3名が最年長、1歳年下のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの4名が遺伝子管理局に入局した。彼等は「部屋兄弟」と呼ばれる間柄なので、仲良しであるべきなのだが、本当の兄弟でも仲が悪い人々が居る様に、ドーマー達にも馬が合う合わないがあって、真面目なニュカネンは脳天気なセイヤーズといつも仲違いした。そしてセイヤーズにぞっこんのレインは、当然ながらニュカネンを敵視したので、誰にでも懐くワグナーはそんな兄貴達の関係に頭を悩ませていた。
 ワグナーは接触テレパスのレインにニュカネンの様子がおかしいと相談したかったのだが、レインはニュカネンの顔を見るだけでもイライラするので、言い出せなかった。それにレインは他人の恋愛より自身の恋人の捜索で頭がいっぱいなのだ。セイヤーズが脱走して2年以上経つが、まだ彼の行方はつかめないでいた。
 ケンウッドは堅物ニュカネンが恋愛をしていると聞いて、信じられない思いだったが、真面目な青年だからこそ真剣に恋をしているのかも知れないと思い直した。

「君は相手の女性を知っているのか?」
「はい・・・恐らく、セント・アイブス・カレッジ・タウンの市役所で働いている女性です。」

 セント・アイブス・カレッジ・タウンは中南部にある学術研究都市だ。主に遺伝子工学を中心とする大学で、野生生物のクローン製造と繁殖に実績がある。遺伝子管理局はセント・アイブス・カレッジ・タウンから北へ車で1時間ほどの所にあるローズタウンに支局を置いている。そこからセント・アイブスの大学や遺伝子関連の民間研究施設などの監視を行っているのだ。支局巡りをする局員も時々大学街を視察する。遺伝子管理法に違反する研究が行われていないか、抜き打ちで検査するのだ。そして検査結果を市役所に通知する。違反項目があれば、市役所は警察に通知して捜査が入る。
 ニュカネンの恋は、その業務の中で始まったに違いない。

 ドーマー達は日常生活でコロニー人の女性としか接触しないので、地球人の女性が新鮮に見えるのだろう。

 堅物故に、なおさら・・・とケンウッドは若者の恋を想像した。彼はワグナーにさらに尋ねた。

「チームリーダーは知っているのかね?」
「いいえ。」
「すると局長も知らないのだな?」
「はい・・・局長にこんなレベルの低い相談は出来ませんから・・・」
「そうかな・・・」

 ケンウッドはクスッと笑った。ワグナーはハイネ局長にも恋愛で悩んだ若き日があったことを想像すらしていないのだ。

「ニュカネンがどこまで真剣なのか、知っておかねばならないだろうな。」
「僕が心配なのは、そこです。リュック兄が遊びで女性と付き合うとは到底思えません。」

 確かに、これは大問題だ。

退出者 1 - 1

 アメリカ・ドーム副長官ニコラス・ケンウッドは遅い昼食を一般食堂で摂っていた。彼は昼の混雑時を避けていつも遅めに行くのだが、その日はなんとなく食堂内がざわついていた。見ると、ドームのアイドル、遺伝子管理局のポール・レイン・ドーマーが同僚と食事をしており、その周囲にコロニー人達による彼のファンクラブが陣取っているのだった。レインはあまり嬉しくないだろうが、ファンクラブは彼が目の前に居るだけで幸せなのだ。美しい地球人達・・・ドーム内で醜男を見つけたら、それはコロニー人だ、と言う冗談が通るほど、ドーマー達は容姿が整っている。勿論、そう言う遺伝子を持つ親から生まれてくる子供を選んでドーマーにしているのだから当然だが、たまには外れも居たりする。だがケンウッドは容姿よりも人間性を見て、綺麗だと思う。ドーマー達は世俗の欲得から遠ざけられて育つので、心根が良い。だが、レインは・・・
 ポール・レイン・ドーマーには厄介な能力がある。母親から遺伝した接触テレパスだ。肌同士を触れあうだけで相手の思考を読み取ってしまう。だからレインは他のドーマーと違って人間の心の奥底まで見てしまう。あの若者が年齢の割に妙に老成して見えるのはそのせいだ。ハッとするほど美しいが、その薄い水色の目はとても冷たい。正直なところ、ケンウッドは彼があまり好きではない。レインのせいではないが、レインが持つ計算高さがケンウッドに警戒心を抱かせるのだ。
 ケンウッドがテーブルを確保して食事を始めて間もなく1人の若者が近づいて来た。レインのテーブルに居た男で、遺伝子管理局の若手局員クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーだった。大柄な男で、頑健な体をしているが、性格は優しくて素直なので執政官の間では好評だ。先輩局員達からも可愛がられている。特にレインは同じ部屋の「兄弟」と言うこともあるだろうが、いつも一緒に居た。そのワグナーが1人トレイを持ってケンウッドのテーブルにやって来た。

「こんにちは、副長官。ご一緒してよろしいでしょうか?」

 少しはにかみながらも真っ直ぐに顔を向けて聞いて来た。ケンウッドは笑顔で答えた。

「かまわないよ。何か相談事かな?」

 1年前は、このドームにケンウッドの親友ヘンリー・パーシバルと言う遺伝子学者が居た。彼は美男子好きで有名で、レインを始めとする何人かのドーマー達のファンクラブを作って若者達の仕事を応援したり、人生相談に乗ってやっていた。パーシバルが残念なことに重力障害と言う、地球の重力に負けて心筋を弱らせてしまう病気に罹ってしまって宇宙に帰ってしまったので、それまで彼の保護を受けていたドーマー達はケンウッドを頼る様になったのだ。ケンウッドは人生相談が出来るほど人生経験が豊かだと自身では思っていなかったので、仕事の便宜を図ることで彼等を応援してやった。それで、ドーマー達の間では、ケンウッド副長官は頼りがいがあるコロニー人だと言う評判になっていた。
 ケンウッドはワグナーの相談事は恋愛問題ではないかと思った。ワグナーには希少な女性ドーマーの恋人が居るのだ。キャリー・ジンバリスト・ドーマーと言う、彼と同年齢の精神科のインターンをしている女性だ。彼女は正式な医師免許を取る勉強に励んでいて、最近はデートの時間が取れない、と指導医師が言っていった。
 しかし、彼の正面に座ったワグナーは意外な名前を出した。

「僕のことじゃないんですけど・・・リュック兄なんです。」

 一瞬誰のことを言っているのか、ケンウッドはわからなかった。ドーマー達は多いし、遺伝子管理局の局員全員を知っている訳でもない。名前は記憶にあっても顔とつながらないこともある。ケンウッドがきょとんとした表情をしてしまったので、ワグナーは聡い若者らしく、言い直した。

「局員のリュック・ニュカネン・ドーマーです。」

 姓を聞いて、やっと名前と顔が一致して思い出せた。訓練所で教鞭を執っていた頃、ひどく堅物の若者が居た。規則は必ず守り、教官の言葉には絶対に従う、授業中の私語は慎み、仲間を叱ることもあった。同じ部屋兄弟のダリル・セイヤーズ・ドーマーの脳天気さが気に食わずに喧嘩もした。教官達の間で「堅物ニュカネン」で知られていた。遺伝子管理局に入ってからは、真面目に任務をこなしているが、ハイネ局長によると「全く面白くない報告書を書くヤツ」らしいのだ。
 堅物だが問題児ではない・・・。

「ニュカネンがどうしたのだね?」
「最近様子が変なんです。」

 ワグナーはテーブルの上に上体をかがめる様にケンウッドに顔を寄せて囁いた。

「ドームの外に気に入った女性ができたみたいで・・・」
「!」

 ケンウッドはぎくりとした。ドーマー達がドームの外の人間と恋に落ちることは過去に何度か事例があった。ドーマー達にはドーム内で行われている業務について黙秘する義務がある。恋愛はその守秘義務を崩す可能性を秘めた事案だった。

「堅物ニュカネンが恋をしているのか?」

 ケンウッドが小声で確認すると、ワグナーもさらに声を顰めた。

「まだ確認は取っていませんが・・・」

 ケンウッドはポール・レイン・ドーマーをちらりと見た。

「レインは知っているのか?」
「まだです。」

 ワグナーは困惑の表情になった。

「ポール兄とリュック兄は犬猿の仲ですから・・・」


2017年10月9日月曜日

Break 13

登場人物紹介

グレゴリー・ペルラ・ドーマー

遺伝子管理局長第1秘書。
局員時代、「死体クローン事件」捜査中にサタジット・ラムジーの罠にはまって重傷を負い、内勤業務に転属を余儀なくされた経歴を持つ。
その時に事情聴取したローガン・ハイネ・ドーマーに気に入られ、ハイネの局長就任と共に第1秘書に迎えられた。
誠実な人柄で、ハイネに献身的に尽くすが、恋人が病気で余命が長くないと知ると引退して介護することを選択する。
第1秘書は遺伝子管理局の秘書達の中で唯一部下に命令を下せる役職。
ハイネはカディナ病を発症し、意識を失う直前にペルラに業務引継を行った。この時ペルラに全権を委任したのだが、ペルラは決してそれを口外せず、局長裁断が必要な重要事案は全て第2秘書との相談で処理した。


ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマー

遺伝子管理局内部捜査班チーフ 兼 リプリー長官の第1秘書
所謂、執政官に付いているドーマー側のスパイである。
リプリーが副長官時代は暇だったのでハイネの幽閉部屋に来たりしていたが、主が長官になると多忙になった。リプリーが本部に出した内部告発の資料はロッシーニが部下に集めさせたもの。さらに言えば、ロッシーニに指図を出したのはペルラ・ドーマーである。
ペルラとロッシーニはハイネが昏睡状態から覚めた時にこの処置を報告し、続行を命じられた。(これは物語の中では言及されていない。)


エイブラハム・ワッツ・ドーマー

ドーム維持班総代表。
本業はドームの施設メンテナンスの職人、つまり「大工の頭領」である。
年齢はハイネより10歳下だが、間の年齢のドーマーがいないので、「すぐ下」となる。
従って、ハイネとは仲が良い。
頭領らしく落ち着きがあって、容姿もハイネより年上に見える。
ワッツがドラマーを担当するバンド「ザ・クレスツ」はロックバンドだが、パーシバルの送別会ではジャズを演奏した。


ジョージ・マイルズ・ドーマー

一般食堂の司厨長。
彼の本名が呼ばれたのは物語の中で1回だけである。普段はみんなから「司厨長」と呼ばれている。
料理の腕前には自信があるが、ローガン・ハイネ・ドーマーとチーズを巡って喧嘩をするのが生き甲斐になっている。
ハイネが幽閉を解かれ、3年振りに彼が作ったラザニアを根こそぎ取ろうとしたので怒鳴りつけたが、後で相手がハイネだとわかって感激の余り泣いた。


ダニエル・オライオン 元ドーマー

ローガン・ハイネ・ドーマーが3歳の誕生日に何が欲しいかと執政官に訊かれ、無邪気に「弟が欲しい」と答えたためにドーマーとして採用された赤ん坊。
ハイネはこの弟の人生に責任を感じ、心から慈しんで可愛がった。しかし、成人して局員として外の世界に出たオライオンは、広大な外の世界に夢中になり、その魅力をハイネに語ってしまった。それはハイネを篭の鳥として大切に育ててきた執政官達には許せぬ行為であったため、オライオンは外に出されてしまった。そのことがハイネの以後の人生に暗い陰を落とすことになってしまった。
2人が再会出来たのは、オライオンを追放した執政官の最後の1人が宇宙へ還った後であり、ハイネもオライオンも60歳を過ぎていた。
外に出た後のオライオンは警察の鑑識課で働き、やがて出世して連邦捜査局科学捜査班の主任となり、ドームへの業務上の出入りが許されたのだ。
79歳で老衰で亡くなった。ケンウッドが生前のオライオンと面会して話しをしている。


ランディ・マーカス・ドーマー

第15代遺伝子管理局長。
特殊遺伝子は持っていない。ハイネより10歳年上だが、生存している高齢者ドーマーでは一番若い。
普段は「黄昏の家」で隠居生活を楽しんでいるが、時々ドームに出て来て16代目を精神面でサポートする。ケンウッドにハイネの過去を語って、「執政官がドーマーにしてはいけないこと」をそれとなく伝える。
ハイネはマーカスに頭が上がらないが、それは14代目が後継者を決める時に「まだ早い」と駄々をこねてマーカスに局長の座を任せてしまったからである。


ジェレミー・セルシウス・ドーマー

遺伝子管理局長第2秘書。
ペルラ・ドーマーの補佐であり、また彼独自の業務である中央研究所の情報収集もこなす。
目立たないが、頭は切れる。
ペルラの引退により、第1秘書に昇格する。



Break 12

登場人物紹介

多少異なる点もあるが、本編で紹介した人は省く。

ヘンリー・パーシバル

本編には登場しないが、ニコラス・ケンウッドの親友のコロニー人科学者。
神経細胞の異常と遺伝子との関連を研究する執政官。
美男子好きだが、ゲイではない。(しかし、多くの人から誤解されている。)
一番のお気に入りはポール・レイン・ドーマーで、レインがリン長官の愛人にされたことに悲しみ、ダリル・セイヤーズ・ドーマーを気遣う。ダリルが脱走すると心を痛める。
ローガン・ハイネ・ドーマーのことは当初は苦手としていたが、同じ感染事故に遭ったことで親近感を抱くようになり、やがて親友となる。
ヤマザキ医師曰く、「チーズでハイネを手懐けている」。


ヤマザキ・ケンタロウ

医療区の医師。専門は内科だが、必要とあれば外科もこなす。
カディナ病を発症したハイネの主治医となり、その治療に全力を尽くす。
ハイネが回復した後も何かと気遣って世話を焼く。
ハイネと一緒にジョギングをして置いてきぼりをくい、パーシバルに馬鹿にされたこともある。
医師らしく誰にでも親切で親身に診るが、リン長官とそのシンパは警戒する。
酒には強くないがハイネのアパートでの酒宴には必ず参加する。
言うまでも無く、本編の医療区長となる人物。


ユリアン・リプリー

アメリカ・ドーム第24代長官。
「侵略者」のかなり後の部分から登場するが、リン長官時代の副長官。
事なかれ主義で全く目立たず、リンの横暴にも目を瞑っているかに見えたが、実は頻繁に月の地球人類復活委員会本部にリン長官の横暴ぶりを文書で訴え続けていた。
執行部から長官に任命されると、リンのシンパや贔屓にされていたドーマー達の粛正に取りかかる。悪役に徹してもドームの中の風通しを良くしようと言う1本筋の通った男。
5年後に執行部との約束を守って離任する。


サミュエル(サム)・コートニー

医療区長。ヤマザキの上司。
23代目の長官の時代に就任した。リン長官には逆らわないが、ハイネやドーマー達を守ることに努力する。


ダニエル・クーリッジ

保安課長。
コートニー同様、リン長官には反抗しないが、ケンウッドやハイネの側に立っている。
遺伝子管理局長が幽閉されてもドーム内の全てのロック解除権を持っていることを敢えてリン長官に教えなかった。


キーラ・セドウィック

出産管理区長。ニックネームは「女帝」、産科医師。
実年齢よりずっと若く見える赤毛の美女で、かなり気が強い。
容貌がハイネに似ているので、遺伝子的血縁者ではないかとケンウッドは疑った。
実際は執政官マーサ・セドウィックが若き日のローガン・ハイネとの間に産んだ娘。
ドーマーの父親が親子関係を頭で理解しても感情的に受け容れてくれないので、友人として接している。ケンウッドにはヘンリー・パーシバルがハイネに興味を持っていると懸念して見せたが、実際は彼女自身がパーシバルに関心があった。


ヴァシリー・ノバック

リン長官の個人秘書だが、長官の独断で遺伝子管理局長代行を勤めた。


ブルース・デニングズ

ベータ星基地で働いていた遺伝子学者。γカディナ黴に感染したことを知らずに地球に研究協力依頼に来て発症し、ハイネに病気を移して死亡。


ハレンバーグ

地球人類復活委員会委員長。
若い頃、アメリカ・ドームで執政官として勤務。
ローガン・ハイネ・ドーマーを育てたコロニー人の1人。ハイネが弟恋しさの余り脱走を試みた時に捕らえて連れ戻した。故にハイネは彼に対してわだかまりを持っているが、当人は過去のことと自己清算して気にしていない。


シュウ

地球人類復活委員会副委員長。
脱走を阻止されて鬱になっていたハイネを慰める為に自ら志願して彼を誘惑した女性執政官達の1人。
同僚のマーサ・セドウィックがハイネに気に入られて深い仲になったのを妬み、彼女を月の本部に密告した。故に娘のキーラは彼女にわだかまりを持っている。
ハイネはシュウを愛していないが、彼女の方が彼に未練があることを承知しており、利用出来る時は利用している。




Break 11

 「ドーマーズ」のスピンオフ作品を2連続で書いた。
どちらも主人公はローガン・ハイネ・ドーマーであるが、ニコラス・ケンウッド執政官の視点で書いてある。本編より22年ほど遡った時代から始まり、それから5年ばかりの歳月を書いてあるが、作者が時間計算をきちんとしない人間なので、かなりいい加減なことになっている。
 つまり・・・

1年目 
ハイネ、ケンウッド、パーシバルが親しくなる。
ケンウッドがポール・レイン・ドーマーの父親と出会う。
ドームの送迎フロアでγカディナ黴感染事故が発生し、ハイネが感染・発症してしまう。
ダリル、ポール、ニュカネンが遺伝子管理局に入局する。

2年目

ハイネは意識不明のまま。リン長官の横暴が目に余るようになり、ドーマー達を守る意味でパーシバルがポール達若いドーマーのファンクラブを立ち上げる。

3年目

ハイネは意識不明のまま。ケンウッドは彼が目覚めたくないのではないかと言うヤマザキ医師の言葉を聞いて、ハイネが事故に遭う直前に会っていた人物を捜し当てる。
ハイネの部屋兄弟ダニエル・オライオンの名前を聞かせるとハイネが反応したので、ケンウッドは第1秘書のペルラ・ドーマーに協力を要請し、ハイネの覚醒に成功する。

4年目

ハイネはリン長官の策略で観察棟に幽閉されている。病気の後遺症が完治する迄彼を長官から守る目的もあるので、当人は元気。ケンウッドとパーシバルは幽閉室に通って友情を温める。
ダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走を機にハイネは月の執行部の介入を利用して解放される。この時、しっかりケンウッドを執行部に売り込む策略を忘れないハイネ。
リンが更迭され、リプリーが新長官に、ケンウッドは副長官に任命される。

5年目

ケンウッドの親友パーシバルが重力障害で倒れる。命に別状はないが健康状態を考慮して退官を余儀なくされる。
ペルラ・ドーマーやワッツ・ドーマー、司厨長などハイネに最も近い場所にいたドーマー達も年齢的な問題に直面し、引退を考え始める。
彼等は皆一様に残されるハイネを気遣い、ケンウッドも親友との今後の繋がりに心を砕く。


こんな時系列になるかな?
物語はハイネが若さを保つ遺伝子を持って生まれてしまった為に起きる人々の思惑や悩みが中心。


2017年10月7日土曜日

後継者 6 - 9

 翌朝・・・と言っても眠りについてほんの3,4時間後だったが、男達は起きて、よれよれのまま食堂へ朝ご飯に出かけた。
 まだ空は真っ暗で、食堂内は閑散としていた。厨房だけは賑やかだった。24時間稼働の世界だから、何時誰が食べに来るかわからない。温かい朝食が準備されていた。
 パーシバルが配膳コーナーの棚の隙間から中を覗き込んで声を掛けた。

「おはよう! 夕べは有り難う、最後の晩餐は素晴らしかったよ!」

 老いた司厨長が姿を現した。まだ司厨長の帽子を被っている。彼はパーシバルとちょっと言葉を交わしてから、新司厨長の選挙結果を報告した。

「困ったことに、3人ともほぼ同数の得票数でしてね、仕方が無いので、3人制にしました。」
「3人制?」

とハイネ局長が割り込んだ。彼だけはきちんとスーツ姿だ。今朝は執政官会議に出なければならないので、局長業務を先に済ませてしまう魂胆だった。

「君は3人がかりで私の相手をさせるつもりなのか?」
「ほう、若い連中にも喧嘩を売ろうって考えてるんですか?」

 恒例の喧嘩が始まりそうなので、ケンウッドが素早く中に入った。

「シェフが3人と言うことは、交替制にしたんだね?」

 司厨長は救われた思いで彼に頷いて見せた。

「ええ、一月ごとに3ヶ月のサイクルで司厨長が替わります。」
「それはまた楽しみだ。」
「僕はその恩恵にあずかれないなぁ。」

 パーシバルが残念がると、司厨長は彼に微笑みかけた。

「でも回診に来られるのでしょう?」
「その予定だけど、まだ具体的な計画が出来ていないから、月へ行ってから前任者と相談だ。アメリカ・ドームだけと言う訳にはいかないのでね、地球全体を回診するんだよ。」
「かならずここをコースに入れて下さいよ。みんな博士に会えるのを楽しみにしているんですから。」
「有り難う!」

 喧嘩しそびれたハイネはヤマザキに引っ張られて料理を取り、先にテーブルに着いていた。ケンウッドとパーシバルがやって来ると、彼は送迎フロアへは見送りに行けないと断った。

「昨日の昼頃から迷惑メールが多くて困っていましてね・・・」

 彼は端末の画面を博士達に見せた。それを見て、3人のコロニー人は思わず吹き出した。そこにはハイネ局長は送迎フロアには行くべきでないと言うドーマー達からの忠告メッセージが延々と連なって表示されていた。博士達は唸った。

「彼等は君がまた新たな病原菌で病気になることを恐れているんだな。」
「しかし、消毒班はしっかりやっているじゃないか。」
「消毒してもカディナ黴は体内に浸透して侵入したからなぁ・・・ハイネを守りたい一心でドーマー達はヘンリーの見送りをするなと警告しているんだ。」
「ありがた迷惑ですけどね・・・」
「気にするなよ、ハイネ。」

 パーシバルは正面に座っている局長に笑いかけた。

「どうせ執政官会議で最後の別れの挨拶をするのだし、君はドーマー代表で話すだろう? それで充分さ、僕等はまた会えるんだし。」

 ハイネは無言で頷いた。ケンウッドは思った。ドーマー達は過去にも大勢の仲良くなった執政官達が宇宙へ還るのを見送ってきた。コロニー人達の多くはそれっきり地球へは戻ってこなかった。地球は被保護惑星なので、簡単には来られない。貿易や観光に来たい場合は地球の該当政府に申請を出してややこしい手続きの後、やっと許可をもらえる。しかしドームは外の世界から厳重に切り離されて保護されている施設なので、遊びに来る目的では絶対に入れてもらえない。外に出る仕事を持っていないドーマー達は懐かしいコロニー人に2度と会えないのだ。だから、ドーマー達はパーシバルの退官を悲しみ惜しんでくれる。「また来る」と言われても、心から信じているのではないのだろう。ハイネも大勢のコロニー人を見送ってそれっきりだったに違いない。

「ヘンリーは来るなと言っても来るから。」

とケンウッドはハイネにさりげない調子で言った。

「この男は自分でどんどんコネを作るのが得意なんだ。執行部にも上手く手を伸ばすはずだ。」

 ヤマザキはもうお別れの話にはうんざりしたようだ。時計を見て、そろそろ行かなきゃ、と言った。そして猛烈な勢いで食べ始めた。

「回診と言うことは、医療区に来られると言うことですね?」

とハイネが確認した。パーシバルが頷いた。

「神経系の患者を診に来るんだ。だからグレゴリーの背中のチクチクがまだ続いていることを願うよ。」

 ハイネがやっと笑ってくれた。

 その後の執政官会議でヘンリー・パーシバルはユリアン・リプリー長官から正式に解任の辞令を受け、離任式が行われた。ローガン・ハイネ遺伝子管理局長と新しい維持班総代表ロビン・コスビーがドーマーを代表して挨拶をして、パーシバル自身の挨拶の後、彼は拍手で中央研究所を去った。
 送迎フロアは手が空いているドーマー達が押し合いへし合いで彼を見送ったので、執政官達が恐怖を感じるほどだった。ケンウッドはなんとか外まで出て、空港で親友がシャトルに乗り込む迄付き合った。

「過去、退官でこんなに騒がれた人はいなかったでしょうね。」

とコロニー側の空港職員達が感想を述べたほどだった。

「そりゃさ、あのローガン・ハイネに愛された人だからさ。ドーマー達のお気に入りのコロニー人なんだ。」
「それじゃ、また戻って来ますね。ドーマーの管理に執行部も利用出来る人材ですから。」

 ヘンリー・パーシバルがアメリカ・ドームを去って3ヶ月後、ゴードン・ヘイワード・ドーマーが68歳4ヶ月の生涯を終えた。恋人のペルラ・ドーマーがドーマーとして初めて愛する人の最期に立ち会いを許され、その手を取って見送った。
 ペルラ・ドーマーはその後、「黄昏の家」のドーマー側の管理者に任命され、大小2つのドームを往復して働いた。
 一般食堂の司厨長は3人制の新司厨長に仕事を任せると安心したのか、半年後に「黄昏の家」に隠居した。そこで2年ほど厨房で働き、体が言うことを利かなくなったと言う理由で完全に引退する迄、チーズケーキの味を極める修行を続け、半熟とろとろチーズスフレを完成させた。
 エイブラハム・ワッツ・ドーマーは養育棟で子供達に木工細工を教える教官となり、情操教育や職業訓練に貢献した。ハイネが彼のアパートのメンバーに3度勧誘したが、飲酒は手元を狂わせると言う理由で頑固に断り続け、一度も部屋に行くことはなかった。

 ユリアン・リプリーは約束通り、5年で長官職を辞した。退官する際、彼は執行部に後任をニコラス・ケンウッドに託すと上奏した。もし受け容れられなければ、ドーマー達が暴動を起こすかも知れないと脅しまでかけたが、その必要はなかった。ケンウッドの人柄を知る人々が既に執行部に宣伝をしており、勿論、ヘンリー・パーシバルの働き掛けも大きかったのだ。
 そして、アメリカ・ドーム第25代長官ニコラス・ケンウッドが誕生したのは言うまでも無い。