2017年5月31日水曜日

家路 9

 昼食を取っていると、ネピア・ドーマーからポールの端末に連絡が入った。

「午後2時にセイヤーズを伴って局長室に来い、とさ。」

 ネピア・ドーマーはダリルの上司であるポールの顔を立てただけなのだろうが、ポールには堅物の局長第1秘書がダリルにいけずをしている様に思えるのだ。ダリルは気にしなかった。秘書会議の時はいつも無視されているので、ちゃんと相手にしてくれたことの方が嬉しかった。

 やっぱり私は脳天気かなぁ・・・

 ライサンダーのことは言及していないので、連れて行かない方が良いだろう、と二親は判断した。ライサンダーはジムで運動して、空いた時間はJJと図書館デートをすると言った。JJの彼氏であるはずのポールは、彼女が息子とデートしても気にしないようだ。
ドームの中では誰も女性に「悪さ」出来ないと信じている。
 局長に面会することになったので仕事の調整を相談し始めた二親からライサンダーは視線を配膳コーナーに向けた。すると、そこには件の局長がいて、カウンターの向こうにいるスタッフに何やら声を掛けていた。ライサンダーは親達が局長に気が付いていないことを確かめると、席を立ってカウンターに近づいて行った。

「何故、私が来るといつも半熟とろとろチーズスフレがないのだ?」

とハイネ局長が尋ねていた。

「人気が高いからすぐ売り切れるんだ!」

 カウンターに背を向けたまま、ピート・オブライアン・ドーマーが言った。彼は相手が誰だかわかっていない様子だ。

「今焼いているところだ。5分ばかり辛抱しろよ。」

 ハイネ局長が子供みたいにふくれっ面をしたので、隣に立ったライサンダーはおかしくてクスッと笑った。局長が彼を見たので、彼はスカッシュの師匠に宥めるように言った。

「5分くらい待ちましょうよ、師匠。あちらの俺達の席へどうぞ。」

 しかし、100歳を越えるドーマー界の長老は子供みたいにまだ文句を言った。

「焼き上がるなり売り切れたら、どうするんだ?」
「五月蠅い野郎だな。僕が半熟とろとろチーズスフレを焼くのは、ローガン・ハイネ・ドーマーの為なんだ。あの御仁は、僕が焼く半熟とろとろチーズスフレをいつも大絶賛して下さる。幼い子供みたいに可愛い笑顔で褒めて下さるんだよ。だけど、あの方はお忙しいので、僕の半熟とろとろチーズスフレをなかなか食べられない、お気の毒なのだ。あんたが食べたければ、ハイネ局長の後から来な・・・」

 オブライアンがブツブツ言いながら体を廻転させてカウンターの方を向いた。

「あっ! 局長!!!!」

 やっと相手が誰だかわかったオブライアンはうろたえた。ハイネ局長はニコリともせずに言った。

「私は、君が焼く半熟とろとろチーズスフレが食べたいのだ。焼ける迄、ここを動かんぞ。」
「あ、あの、焼き上がったら直ぐ僕がお席までお持ちしますから、どうぞ座ってお待ち下さい。」

 オブライアンは厨房班だから、遺伝子管理局の局長は彼の上司ではないのだが、何と言ってもハイネ局長はドームの最長老で、ドーマー達のリーダーだ。全てのドーマー達の尊敬を集めている。その人に失言してしまったオブライアンは冷や汗をどっとかいた。
 ライサンダーは彼にこれ以上恥をかかせては気の毒だと思ったので、こと大好物の半熟とろとろチーズスフレに関しては子供みたいに我が儘になってしまうハイネ局長を促した。

「仕事の話はしませんから、俺達と一緒にお昼をどうぞ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは厨房の竈を見て、それからライサンダーが指したテーブルを見た。午後2時に面会するはずの男が2人、こちらの騒動に気が付いて心配そうに見ていた。
 局長はオブライアンに言った。

「向こうに居るから、ホールで頼む。」
「かしこまりました。」

 ライサンダーは彼が先に支払いを済ませるのを待って、無料のカフェイン抜きの珈琲をカップに注いで彼に手渡した。




2017年5月28日日曜日

家路 8

 翌朝、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは珍しく早起きしてポール・レイン・ドーマーとライサンダー・セイヤーズの早朝ジョギングに参加した。参加理由を言わずにただ一緒について走るので、ポールは訝しがったが、敢えて訳を尋ねなかった。ライサンダーの方はX染色体の父親の気まぐれには充分慣れっこなので、父親がばてないか、それだけを心配した。

「案外早朝に走るのも気持ちが良いもんだな。」

 ダリルが息を弾ませながら感想を述べた。ポールがチラッと横目で彼を見た。

「もう息が上がったのか?」
「歳なんでね・・・」
「俺より1日若いくせに何を言う。」

 走り終わる頃に、ダリルは早起きの目的の人物をやっと見つけた。

「先に帰っていてくれ。すぐに戻るから。」

 ポール達の返事も聞かずに彼はルートを逸れてジムから出て来たネピア・ドーマーのそばへ走った。
 朝の挨拶をすると、局長の第1秘書は素っ気ない返事をしただけで、シャワーで湿った髪を朝日で輝かせながらアパートへ足早に戻ろうとした。ダリルは彼の不機嫌な顔に慣れていたので、気にせずに用件を述べた。

「局長に個人的なお話があります。休み時間で結構ですから、局長の手が空いた時を教えて下さい。急ぎではありません。」

 ネピア・ドーマーはダリルがいつも厄介事を持ち込む男だと認識していたので、局長を煩わせる用件ではないかと怪しんだ。

「用件の内容を簡単にでも教えてくれませんか? 局長はお忙しいのです。」

 仕方が無い、ダリルは正直に言った。

「脱走中に住んでいた場所を売り払いたいので、購入希望者と面会する必要があるのです。場所はドーム空港のビルで充分だと思うので、ゲートの外に出る許可を頂きたい。」
「電話やメールで済ませられないのですか?」
「購入希望者はライサンダーと娘を同居相手に希望しています。」

 ネピア・ドーマーが立ち止まって、まともにダリルを見た。驚いていた。

「どう言うことです?」
「ですから、それを説明する為に、局長にお会いしたいのです。」

 ちゃんと簡単に教えたじゃないか。詳細をここで求めるつもりか?

 ダリルはお堅い先輩に心の中で毒づいた。
 ネピア・ドーマーは渋面をしたが、頷いた。

「朝食の後で局長に伝えておきます。」
「よろしくお願いいたします。」

 ダリルは精一杯愛想良く微笑んで、第1秘書から離れた。
 コースに戻ると、まだポールが1人で待っていた。クローン育成施設に行くライサンダーを先にアパートに帰したのだ。

「まだ居たのか?」

とダリルが言うと、彼がニヤッと笑った。

「君がネピアに喧嘩を売りに行ったのかと、気を揉んだのさ。」
「危うく売りたくなったけどね。フランシスに私も会いたいので、局長に外出をお願い出来ないか、頼みに行っただけだよ。」

 するとポールは言った。

「それじゃ、俺も一緒に行くと伝えてくれよ。名目上は君の監視だ。」
「名目上? 本心は?」
「俺だって妹に会いたい時があるさ。」



家路 7

 ポールが横目でライサンダーを見た。

「その溜息は、おまえには彼女の許へ行く気がないと言う意味か?」
「そうじゃない・・・まだ結論が出せないだけさ。父さんにも相談しないと・・・」
「ダリルも結論は出さないさ。」

 その時、玄関のドアがそーっと開いて、ダリルが遠慮がちに静かに入って来た。夜遊びした時は、いつもポールの顔色を伺うかのようにこっそり帰って来る。ポールがデートが原因で彼の帰りが遅くなることを咎めたことは一度もないのだが。
 ポールとライサンダーが向かい合って座って話し込んでいるのを見て、彼は立ち止まった。「やぁ」と息子に声を掛けてから、

「深刻な話し合いかい?」

と尋ねた。
ポールが振り返らずに答えた。

「フランシスがライサンダーに同居を提案したのだ。」
「ああ・・・」

ダリルはさほど意外でもなさそうな声を出した。

「彼女は農業をやるって決心したんだな。」
「何のことだ?」

 ポールが振り返った。ダリルは直ぐには答えずにキッチンに行くと、冷蔵庫から水のボトルを出した。パートナーと息子を振り返り、「要るか?」と尋ねた。ポールが頷き、ライサンダーも「要る」と答えたので、彼はグラスを3箇出して水を配った。
 喉を潤してから、彼はポールに言った。

「ポーレットの葬儀の後で、アメリアが君に私が住んでいた山の場所を尋ねただろう?」
「ああ・・・」

 ポールも何かを思い出した。

「ライサンダーが山に帰るつもりがないのなら、君の家を買い取りたいと、彼女が言っていたな。」
「数日後に彼女は私に電話を掛けてきて、家を売って欲しいと言ったんだ。実のところ、私は住んでいた山の土地の正式な所有者ではない。無断で隠れ家を造って住んでいたのだからね。だから、ライサンダーが住むのだったら私は何も言わないつもりだったが、彼女の様に社会的地位のある人は土地の所有者を探して交渉してもらわなければ、後で厄介なことになる、私には何も権利がないからと言ったんだ。」
 
 ポールは脳天気なパートナーをじっと見つめた。西部開拓時代の真似をしていたのか? と心の中で呟いた。

「彼女は地主を見つけたのか?」
「大異変の後、個人の所有者はいなくなって、州が管理していたらしい。と言っても、荒れ地だし、開墾する人間がいなかったので放置されていたんだ。だから、州知事は開墾する人がいれば売却すると言ったそうだ。」
 
 ライサンダーが首をかしげた。

「アメリアは土を耕す様なタイプじゃないけど・・・」
「実を言うと、彼女はパリから引き揚げて来るフランシスの住む場所を探していたんだよ。」
「それじゃ、フランシスが言った、モントレーって・・・俺達の家のこと?」
「州の土地の登記簿には、大異変の前に、あの場所にモントレーと言う小さな集落があったと記載されていたらしい。200年以上前のことだから、今は検索しても出てこない。」

 ポールとライサンダーは互いの顔を見やった。

「あの荒ら家がモントレーだと?」
「荒ら家とは失礼な! 父さんと俺が18年間暮らした家だよ。」
「すまんな、俺にとって家はドームなのでな。」
「父さん、フランシスはあの家を購入する為に農業を始めるのだろうか?」
「それが州知事が出した条件だから。彼女は農業を多少は知っているのかも知れない。食品の会社を経営しているからね。実際にやったことがあるかどうかは不明だが。」

 ポールが納得がいったと言う顔をした。

「フランシスはライサンダーに畑仕事を教わりたいのだな。」









2017年5月26日金曜日

家路 6

「2日前、フランシス・フラネリーが俺のところへ来たんだけど・・・」

 ライサンダーが話しかけると、マイペースを乱されるのが嫌いなY染色体の父親は、テレビの画面を見たまま、終わる迄待てと言った。それでライサンダーは9回裏まで我慢して付き合った。先攻チームが相手チームの最終バッターを三振で仕留めると、ポールは端末を出して何処かに電話を掛けた。

「見ていたか? 俺の勝ちだぞ、明日の昼飯を奢れよ。」

 誰かが電話の向こうでブーブー文句を言っていたが、結局負けを認めたのだろう、ポールは上機嫌で電話を終え、テレビも消した。そしてやっとライサンダーに向き直った。

「フランシスがおまえに何を言ってきたんだ?」
「子供と俺と一緒に住みたいって・・・」
「パリでか?」
「そっちは秋に引き払って、モントレーに住むって・・・」
「モントレー? カリフォルニアか?」
「多分・・・他にもモントレーがあるなら、俺は知らないけど。」
「一緒に住むとは、おまえか赤ん坊を養子にするってことか?」
「そうじゃなくて、お互いに仕事の手が空く方が赤ん坊の世話を出来るから便利だろうって言うんだ。」
「それで、おまえは何と返事をしたんだ?」
「まだ何も。」

 ライサンダーは父親の表情を伺った。ポールが少し考え込んだのだ。取り替え子の妹の意図を推し量っているのだろう。

「おまえ、フランシスのことをどの程度知っている?」
「大して知ってないと思う。大統領の妹で、輸入食品を扱う会社の経営者、本業を活かして食糧生産が困難な国に援助をしている慈善家・・・世間一般の知識と大差ないよ。」
「彼女の家族のことは?」
「現在独身、1度結婚して2人の男の子をもうけたものの、夫とその子供達を13年前に航空機事故で失っている・・・」

 ポールは頷いた。

「彼女は再婚せずに独りで生きてきた。恐らく、歳を取って寂しくなってきたのだろうな。そこへ突然甥が現れ、しかも妻を失って赤ん坊を抱えている。彼女は世話を焼きたくなったに違いない。」
「善い人に見えたけど?」
「善い人だ。」

 接触テレパスの父親が断言した。

「アメリア・ドッティと同じくらい善意の人だ。だから、もし断るなら、慎重に言葉を選べ。受け容れるなら、叔母と甥として仲良くすることだ。」

 ポールはライサンダーに決定権を委ねて、自身は口出ししないつもりだ。ライサンダーはまだ迷った。フランシスが言うモントレーが本当にカリフォルニアのモントレーだとしたら、ドームから遠くになってしまう。仲良くなったドーマー達とは、娘がクローン育成施設から出た後はお別れだとわかっていても、距離的に遠くなると寂しさが倍増しそうだ。
 しかし、ドームから出た後は娘と2人きりで暮らしていかなければならない。ライサンダーには、ダリルの様な脳天気に行き当たりばったりの子育てをする自信がない。娘には普通の子供としての生活を与えてやりたかった。

「フランシスはお金持ちだよね?」
「彼女の母親の実家が金持ちだからな。あちらからの財産分与と彼女自身も稼いでいるから、ドッティ家ほどでないにしても、兄のハロルドより金を持っているはずだ。」

 ライサンダーはポールがアーシュラ・R・L・フラネリーを「彼女の母親」と表現したことに気が付いた。アーシュラはポールの実母でフランシスは取り替え子だ。しかし、ポールにとって親は遺伝子をくれた人間で育ててくれた人ではない。

「金持ちが何か問題か?」
「俺、財産目当てで同居するって思われるかも・・・」
「財産目当てで何が悪い。おまえは甥だ。」
「大統領の息子達も彼女の甥だろ?」
「財産を誰にどう分与するかは、彼女が決めることだ。それに、金持ちと同居するとしっかりした警備が付くぞ。おまえはともかく、赤ん坊には警護が必要だからな。」

 あっとライサンダーは声を上げた。すっかり失念していたが、彼の娘は地球で重要な立場にある女の子なのだ。大異変の後、初めてドームの外で、自然な男女の交わりで生まれた女の子。多くの違法メーカー達は、とっくの昔に地球上に女子が誕生しない事実に気が付いている。ポーレット・ゴダート殺害事件の後、遺伝子管理局は保護した胎児の性別を公表した。そのニュースを知ったメーカー達は、赤ん坊の存在の意味を察しているはずだ。赤ん坊は、これからもずっと狙われるのだ。

「フランシスは、警備のことも考えて誘ってくれているんだね?」
「当たり前だろう。大統領の近親者は、歴代の大統領が任期を終えた後も護衛が付くんだ。元大統領とその親族に何か起きたら、国の威信に関わるからな。恐らく、フランシスの屋敷にはシークレットサービスと彼女が自腹で雇った警備が付いているはずだ。そんじょそこらのメーカーが手出し出来ない程度にな。」
「でも、警備付きで学校に通わせるって、普通じゃないよね?」
「ライサンダー・・・」

 ポールがおかしそうに口元をほころばせた。

「今時、警護無しで学校に通う女の子がいると思うのか? 田舎でも女の子にはボディガードが付けられているはずだ。」
「俺、田舎時代に学校へ行ったことがないし、女の子と付き合ってもいなかったし・・・」

 ライサンダーは溜息をついた。

「お父さんは、結局俺の娘を守ることを考慮したら、フランシスの許に行く方が良いと思っているんだね?」










2017年5月25日木曜日

家路 5

 木曜日の夕方、ライサンダー・セイヤーズは仕事が終わるとアパートには帰らず直接ポートランドの空港へ行った。そこには既に親しくなった静音ヘリのパイロット、マイケル・ゴールドスミス・ドーマーが来ており、遺伝子管理局のポートランド支局に届ける荷物を降ろすと、ライサンダーを拾ってドームへ戻った。以前はもっと遅い時刻に出遭っていたのだが、2人とも、早くポートランドを発った方がドーム空港の空港ビルにある食堂が閉まる前に夕食にありつける、と気が付いたのだ。シェイの料理をお腹いっぱい食べられるのは、ドームの外にいる人間の特権だ。
 ドーム空港は、妊産婦の送迎をする航空機専用だが、その機内に搭乗するのは決して女性達ばかりではない。出産を控えた妻や恋人を気遣う男達も乗ることが出来るし、そう言う男達は彼女達が子供を産んでドームから出てくる迄空港周辺の宿泊施設に滞在する。婚姻許可がもらえるのが裕福な男性ばかりなので、こう言うことが可能なのだ。だから、ドームの周辺は野原だが、その野原を取り囲んでホテル街が繁栄している。
 妻を亡くしたばかりのライサンダーは、そんな幸福な男達と一緒にならないよう、閉店時刻ぎりぎりで食堂に入る。ゴールドスミスが航空班のドーマーなので、食堂は拒否しない。それにライサンダーは後片付けを手伝うので、寧ろ歓迎された。
 その週末、ライサンダーは夕食を終えると、尞に戻るゴールドスミスと別れてドームのゲートをくぐった。執拗な消毒を済ませてから、長い回廊を通り、庭園を抜けた。木曜日の夜は、父親のダリル・セイヤーズ・ドーマーがラナ・ゴーン副長官とデートをする日で、時々庭園で彼等を見かけるのだが、その夜は2人共姿が見えなかった。
 ライサンダーは満腹で眠気を覚えたので、どこにも寄り道をしないで両親が住むアパートに向かった。
 ダリルとポールが住むC-202のドア上に、住人の在宅を示す青ライトが灯っていた。ライサンダーは取り敢えずチャイムを鳴らしてから、指紋で開錠し、室内に入った。居間は薄暗く、2人掛けのソファの真ん中にポール・レイン・ドーマーが独り陣取ってテレビで野球中継を見ていた。ライサンダーが「こんばんは」と声を掛けると、彼はテレビから目を離さずに頷いただけだった。
 ライサンダーは荷物を彼にあてがわれている小さい寝室に置いて、居間に戻った。もう片方の父親が室内に居る気配はなかった。やはりデートだな、と思いつつも、ポールに訊いてみた。

「父さんは?」
「音楽会。」

 ドームの中は娯楽が少ないが、コロニー人が宇宙から時々慰問に来る。だから、ドーマー達は地球上では見られない演劇やコンサートなどを楽しめる。これはコロニー人も地球人も一緒に鑑賞出来るのだ。

 ライサンダーは独り掛けの椅子に座った。

「お父さんは行かないの?」
「俺の柄じゃない。」

 音楽自体に興味がないのか、それとも好まないジャンルの音楽なのか、どっちだろう。兎に角、ポールは留守番を選択したのだ。JJはどうしたのかな、と思ったが、それは訊かなかった。誰かがテレビの中でホームランを打って、ポールが悔しがったからだ。
 ポールは暫く息子を無視して野球を楽しんでいたが、ライサンダーには彼がどっちのチームを応援しているのかわからなかった。ポールは守備に回るチームを応援していたので、どちらのチームが打たれても悔しがるのだ。

 変わった野球ファンだこと・・・

ライサンダーは、ダリルに相談するつもりだったフランシス・フラネリーの提案をポールに持ちかけてみることにした。

2017年5月23日火曜日

家路 4

 ライサンダー・セイヤーズは仕事を終え、図書館で勉強する為にバスに乗った。夜勤明けなので疲れていたが、眠る前にもうひとふんばりしたかったのだ。彼の記憶力は抜群に優秀なので、暗記物の科目は楽勝だ。それに見つけたばかりのアパートは、子供がいる家庭が数軒入居しており、昼間は結構賑やかで眠るには図書館の方が良いと彼は思っていた。子供達の多くは養子で、親は男性カップルと言う家庭が大半だ。ライサンダーはなんとなく住民達に親しみを覚えていたが、静けさとなると話は違う。幼い子供の甲高い声は勉強にも睡眠にもふさわしくなかった。
 目的地のバス停でバスを降りて図書館の入り口に向かって歩きだした時だった。

「セイヤーズさん?」

 女性の声で呼びかけられた。女性の知人と言えば職場に数名いるが、彼女達は夕方迄オフィスで働くエリートで、昼間街中を出歩くことは滅多にない。
 ライサンダーは立ち止まって声がした方を振り返った。中年の女性が立っていた。上品な薄いベージュ色のスーツを着ており、髪の毛は栗色だ。薄い水色の目で彼を見つめる眼差しは優しかった。彼女はライサンダーが振り向いたので、微笑んだ。

「やはり貴方、ライサンダー・セイヤーズなのね?」
「どちら様?」

 ライサンダーは少し警戒した。初対面の女性だが、誰かによく似ている。すごく彼に親しい人なのに、思い出せないのは、彼の知古の人が男性で、目の前の人が女性だからだろう。
 彼女は静かに彼に歩み寄り、周囲に声を聞かれない様気を配って名乗った。

「私、フランシス・フラネリーです。」
「あっ!」

 ライサンダーは一瞬うろたえた。Y染色体の父ポール・レイン・ドーマーの取り替え子、世間ではポールの双子の妹とされているフランシス、大統領ハロルド・フラネリーの妹だ。
 フランシスが彼に手を差し出した。

「初めまして、貴方の叔母です。」

 原則的に取り替え子は母親のオリジナルであるコロニー人と血縁関係がある女性のクローンだ。だから遺伝子的に、フランシスはポールの肉親であり、つまりライサンダーの叔母にもなるのだ。
 ライサンダーはそっと握手に応じた。そして素早く周囲に目を配った。大統領の妹だから、当然シークレットサービスの護衛が付いている。果たして、少し距離を置いて数人のダークスーツの男性達がさりげない風を装いながらこちらを伺っていた。
 こんにちは、と言ってから、ライサンダーは素直に疑問をぶつけた。

「何のご用でしょうか?」

 フランシスが次の角に駐車しているバンを指した。

「立ち話もなんですから、あちらへ行きましょう。時間はありますよね?」

 ないとは言えないので、ライサンダーは彼女に導かれるままバンに乗り込んだ。
中は広くて、快適そうだ。
 フランシスは彼に車を動かすか、このままそこに留まって話すかと問うたので、ライサンダーはこのままでと答えた。長話はしたくなかった。だから飲み物も断った。

「警戒しているの?」
「いいえ・・・勉強する時間が惜しいだけです。」
「ああ・・・ごめんなさい。」

 フランシスは彼が抱えている書類鞄に目をやった。

「アメリアから聞いています。法律の勉強を始めたのですよね。」
「はい。」
「資格を取っても独立するまで大変ですよ。その間、独りで子育てなさるの?」

 ライサンダーはハッとした。フランシスが現れた理由がその言葉で察せられたからだ。

「父のダリルは独りで俺を育ててくれました。俺には父が2人もいます。」
「でも、彼等は仕事があるわ。貴方も勉強と仕事があるでしょう?」

 ライサンダーが何か言う前に、彼女は提案した。

「私と一緒に暮らしませんか、ライサンダー?」

 予想外の提案だった。彼はてっきり彼女が赤ん坊だけを託せと言うのかと思ったのだ。

「あ・・・貴女と?」
「貴方と赤ちゃんと私の3人で。」
「でも・・・」

 ライサンダーは、ダリルとポールが教えてくれたフランシス・フラネリーの身辺情報を記憶の中で探った。フランシスは現在独身でパリに住んでいたのではなかったか?
 彼の心中を見透かしたかの様に、フランシスが説明した。

「欧州の家はこの秋で引き揚げる予定です。仕事が順調に進んでおり、私が直接指揮を執る必要がなくなりましたから。それで、私は従妹のアメリア・ドッティが購入したモントレーの家をこれからの住居と活動拠点にするつもりです。
 家は決して広くありませんが、普通の家族が住むには充分のスペースがあります。私は貴方と赤ちゃんの生活に干渉するつもりはありませんが、貴方が忙しい時は私が子守をすることが出来ます。」

 ライサンダーがまだ返事を出来ないでいると、彼女は優しく微笑んだ。

「急なお話でごめんなさいね。今ここで答えを出せとは言いません。赤ちゃんが無事に生まれる迄に、どうするか、考えておいて下さい。」

 彼女は彼の手を両手で握った。

「ポールもダリルも好きな時に来てもらって良いのですよ。ゴダート家のご両親も歓迎します。
 勿論、貴方が断ると言うのなら、無理強いはしません。でも、考えておいて下さい。」

 彼女は強い意志の光を放つ目で彼を見つめた。

「女の子には母親も必要ですよ。」





2017年5月21日日曜日

家路 3

 あと5名の妊婦の胎児を見る、と言うJJを出産管理区に残して、ジェリー・パーカーとメイ・カーティスは出産管理区を大きく迂回する回廊を歩いてドームの研究・居住区へ戻った。医療区の建物の中を抜ければ早く戻れるのだが、なんとなく2人はそれがもったいないような気がしたのだ。
 回廊は主に物資の運搬に使用されているので、荷物を積んだカートなどが行き来する。たまに航空班や庶務課など、外部から出産管理区経由で戻って来たドーマーが歩いていたり、どこかの補修の為に維持班の工務部門の人間が走り回る他は、比較的空いている通路だ。
 メイはジェリーの上司と言うことになっているので、彼女が先に立って歩いていると、後ろからジェリーが声を掛けてきた。

「なぁ、地球の永住権って、簡単に獲れるのか?」
「簡単じゃないわよ。」

 メイは振り返らずに答えた。

「まず、請求が本当に本人の意思で出されたのかどうか、面接審査があるわ。それから、コロニーの家族と別れてしまうことになるから、その覚悟があるのか、家族の側の意見も調査されるわ。家族が反対しているのに地球に住むと言うことは、コロニーに居ては何か不都合があって逃亡する目的ではないのかと疑われるのよ。それから、遺伝子チェックと病気の有無も検査される。地球に宇宙の病原菌を持ち込ませる訳にはいきませんからね。
審査に数ヶ月から1年かかるって聞いたことがあるわ。」
「数ヶ月から1年? もしその間に心変わりして請求を取り下げたら?」
「また請求を出したくても、2度と認められないわ。門前払いよ。」

 彼女は付け加えた。

「もっとも、同じ制度がコロニー間でもあるのよ。地球より緩いだけで・・・」
「コロニーの方がスペースに制限があるから移住は難しいと思った。」
「でもコロニーの数は増えているわ。惑星開拓は進んでいないけど。」
「人類はよその星の環境破壊はそんなにしていない訳だな。」
「居住可能な星が遠すぎるだけね。」

 ジェリーが立ち止まったので、彼女も足を止めて振り返った。

「どうしたの?」

 ジェリーが少し躊躇ってから、尋ねた。

「あんたは地球永住権請求を出す気はないのか?」

 メイの瞳が揺れた。

「私・・・」

 彼女が何か言おうとした時、ゲートから来た物資運搬カートが雑音を立てながら横を通過した。ジェリーは咄嗟に彼女の腕を掴んで脇へ引き寄せた。回廊は決して幅が狭い訳ではなかったが、パイプ状の通路内に風が起こり、音が響いた。思わず首を縮めたメイの体を庇うようにジェリーが抱き寄せた。
 カートが遠ざかって行った後も、2人は暫く身を寄せ合っていた。

「俺は・・・」

 ジェリーが囁いた。

「あんたを守りきる自信がない。だけど、セイヤーズとゴーンみたいな関係だったら、なんとか続けられると思う。」
「セイヤーズとラナみたいな関係?」
「コロニー人が違反者扱いされない程度に交際するって意味だ。」

 メイが彼の顔を見た。ジェリーが彼女の唇にそっとキスをした。

「すまない、今はこれが精一杯だ。」


家路 2

 西ユーラシア・ドームから出された「地球人保護法」改正案は、宇宙で大きなニュースとして取り上げられた。宇宙に拡散しているコロニーの人類の90パーセントは、初めて地球人とコロニー人の婚姻が禁止されていることを知ったのだ。

「正確には、コロニー人側が地球人に求婚することが禁止されているのであって、その逆ではありません。」

 テレビで法律の専門家がインタビューに応じて説明していた。

「しかし、実際に地球人とコロニー人が婚姻した記録は、『地球人保護法』成立以降、皆無ですが?」
「それは、地球人が宇宙に出ることを禁じている条項が存在するからです。これは、現在地球上で女子が誕生しないと言う実情が解決される迄、地球人の遺伝子異常が外に持ち出されることを防ぐために制定されました。
 コロニー人は地球上に留まって自らの子孫にその異常が起きることを好しとしません。もし地球人と結婚したら、配偶者を地球外に連れ出して、子孫を守ろうとするでしょう?
敢えて地球に留まり、自身の肉体を地球の大気汚染や環境汚染に曝したいと思うコロニー人がいなかったと言うことです。」
「では、地球に住んでも良いと考えるコロニー人がいれば、地球人側から求婚があった場合、法的問題はない訳ですね?」
「ありません。」
「現在の地球は既にかなり環境が改善され、また女子誕生もクローン製造の段階で誤りがあったことが解明されて解決のめどが立ちましたので、地球人側からの求婚はもとより、コロニー人側からも求婚して良いのではないでしょうか。」
「それは法律改正の前に、医学的、遺伝子学的に地球が安全であると確認されることが必要ではないかと思われます。」
「しかし、結婚は人権の問題で、科学の問題ではないでしょう?」

 連日宇宙では、こんな風に討論する番組が各コロニーで流されていた。しかし、肝心の地球では、地球人の99パーセントがそんなことが問題視されているとは全く知らなかった。コロニー人と毎日直接接している各大陸のドーマー達でさえ、宇宙で話し合われている議題を知らされていなかった。嘆願書を出した西ユーラシアのドーマー達も、まだ結論が出ないのかなぁと思っているだけだった。

 地球は人類世界の孤島だった。

 ケンウッド長官は、執政官メイ・カーティスが時々溜息をつくのを知っていたが、何も言えなかった。メイの方から恋愛の相談をしてきたことがなかったし、彼女は慎重だった。ただ、相手のジェリー・パーカーが近頃彼女に声を掛けたり、食事に誘うことが増えた。ジェリーが彼女を好いている素振りを今まで見せたことがなかったので、これはちょっと驚きだった。
 ある日の昼休み、ケンウッドは中央研究所の食堂でラナ・ゴーンを見つけ、彼女に同席の許可を求めた。副長官は快く認めた。彼が座ると、彼女の方から尋ねた。

「何か相談事ですか?」

 上司がそばへ来るのは、相談事がある時だけだ。ケンウッドは素直に認めた。

「カーティス博士とパーカー助手のことだ。」

 研究所内で、ジェリーは「助手」と呼ばれていた。博士に相当する知識と手腕を持っているが、博士号を取っていないのだから仕方が無い。
 ラナ・ゴーンは頷いた。コロニー人の研究者同士の恋愛には口出ししないが、地球人相手となると、現行の法律では問題視されてしまう。当人達に罪がないのに、理不尽なことだ。

「パーカーは、カーティス君のことを実際のところ、どう思っているのだろうね? 他人の恋愛に口出しすべきではないが、彼の場合は特別だ。」
「彼は感情をあまり表に出さないので、私からは何とも申せませんが、彼女のことは憎からずと思っていると見て良いでしょう。」
「カーティス君は、パーカーを意識している・・・それは前から私の様な唐変木でも気が付いていた。」
「パーカーの押しが強ければ良いのですが、彼は煮え切らないので・・・今の法律のままでは、カーティスが可哀想です。」
「だが、私達がパーカーの尻を叩く訳にもいかんしなぁ・・・」

 恐らく、ジェリーがこの会話を聞いたら、余計なお世話だと言っただろう。
 彼は同じ頃、メイとJJと一緒に出産管理区のある妊婦を面接していた。彼女の子供の父親はマザーコンピュータには登録されていなかった。地球人としての市民権を持っていない男性が父親になるのだ。彼女は妊娠が確認されてからその日まで、一貫として父親の名を明かさなかったが、決して正体不明の人間の子を身籠もっているのではなかった。

「父親はコロニー人なのね?」

 メイの問いに、彼女は固い表情で頷いた。

「彼は貿易商です。1年のうち11ヶ月は地球に住んでいます。私達、一緒に住んでいるのです。でも、結婚出来ないって、遺伝子管理局に言われたんです。コロニーの法律でそうなっているって。地球の法律では禁じていないのに、コロニーの法律では駄目だから、遺伝子管理局は婚姻許可を発行出来ないって・・・おかしいでしょ?」
「あのね・・・」

 メイはこの地球人の女性になんと説明して良いのか悩んだ。

「遺伝子管理法は、地球人保護法と言う法律の下に制定されている法律で、人口が極端に減ってしまった地球人を守るためにあるの。コロニー人からの暴力や違法行為から地球人を守るのが本来の目的だったの。だけど、時代が変わって、現状に合わなくなってしまったのね。貴女が言う通り、今の法律はおかしいわ。でも守らなきゃ、貴女の彼氏は違反者として逮捕されて宇宙に強制送還されてしまう。」
「じゃぁ、子供と私が彼とずっと一緒に暮らすためには、どうすれば良いのですか?」

 メイは躊躇ったものの、唯一の抜け道を告げた。

「彼がコロニーの市民権を放棄して地球永住申請を出すことです。」
「永住権を得たら、どうなるのです?」
「彼は地球から出ることが出来なくなります。」
「そんな・・・彼の仕事は貿易商です!」
「人を雇うしかないでしょうね、今の仕事を続けたければ・・・」
「彼に故郷の家族を捨てろと言うのも同じだわ。」

 パーカーが呟いた。

「新しい家族を採るか、生まれた家を採るか、そいつは彼氏が決めることだな。」

 グッと唇を噛み締めて黙り混んだ妊婦の手に、JJがそっと手を添えた。

「欠陥がある法律は早く改正されるべきよ。」

地球人類復活委員会の存在を知らない一般の地球人に嘆願書を出せとも言えない。地球人保護法は、人口が激減した地球から人間が宇宙へ出て行って人口減に拍車を掛けるのを防ぐ為だと言う説明が一般人にはされている。法律を作ったのは地球の指導者達と言うことになっているのだ。

「フラネリー大統領に手紙を出すわ。」

と妊婦が呟いた。

「愛する人と結婚出来ないなんて、おかしいわよ。」




家路 1

 ラナ・ゴーン副長官の白い指が、クロエル・ドーマーの少し赤みがかった黒い縮れた髪を細かな三つ編みに編んでいくのを、ダリル・セイヤーズ・ドーマーとポール・レイン・ドーマー、それにJJは興味深げに眺めていた。クロエルは気持ちが良いだろう、目を半眼にしてじっとしている。口元はやや緩んで微笑んでいるかの様に見えた。

「クローちゃんのヘアスタイルがいつも素敵なのは、ラナが整えていたからなのね。」

 JJが翻訳機を通して呟くと、クロエルが目を閉じたまま、

「僕ちゃんだって自分でするよ。でもおっかさんがいる時は、やってもらう方が楽なの。」

 ラナ・ゴーンがおかしそうに笑った。

「普通の男の子は、母親にこんな風にいじられるのは嫌がるものよ。」
「僕ちゃん、普通じゃないです。」
「ええ、こんな可愛い子は普通にはいないわね。」

 肌の色も生まれた世界も違うし、クロエルは彼女よりずっと身長が高いし、体も大きい。しかし、彼女にとって彼はいつまでも可愛い息子だ。ダリルはふと思った。ラナ・ゴーンが持ってくるお見合い資料をいつもクロエルは蹴っ飛ばしているが、本当はラナは彼をどの女性にも渡したくないのではないか。だから彼の気に入らない女性ばかり紹介しているのではないだろうか。そしてクロエルもいつまでも母親に甘えていたいから、独立して家庭を構える気はないのかも知れない。彼が「家庭」を理解しているなら、と言うことだが。
 クロエルがふと目を開いた。

「そうだ、みんな知ってますか? 西ユーラシア・ドームから『地球人類復活委員会』に嘆願書が送られたって話?」
「嘆願書? 何の?」

 彼は鏡の中の自身の頭を見て、ラナ・ゴーンにもういいよ、と声を掛けた。

「今日は半分だけ編んでおくんだ。残りはそのまま。」

 ラナ・ゴーンは素直にはいはいと彼から離れ、ヘアメイク道具を片付け始めた。
クロエルは仲間の方を向き直り、話の続きを始めた。

「西ユーラシアでドーマーと執政官が同棲を始めるカップルが5組もいて、それは法律違反だろうって誰かが指摘したそうです。指摘された方は、好きで一緒にいる訳だから、悪いことなんて何にもしてないでしょ? それで5組10名が連名で法律を変えてくれって嘆願書を書いたんです。」
「10人だけじゃなぁ・・・」

とポール。ドーマーの殆どが男性だから、コロニー人の方は女性のはずだ。男性執政官の賛同はどうなのだろうか。宇宙に行けば女性は大勢いるから、地球人にコロニーの女性を取られたくないとは言わないだろうが、ドームの中の秩序を守る為に、コロニー人が優位のドーム社会を壊したくないだろう。

「それがね、西ユーラシアのドーマー達が署名活動をして、ドーム内の人口の8割が署名して、賛同を示したそうです。それで、嘆願書を宇宙に送ることになったって。」

 クロエルはダリルとラナ・ゴーンを見比べた。あんた方はどうなの? と言いたげだ。
ダリルはラナ・ゴーンを見た。彼は彼女が好きだ。だが、結婚とか同棲を考えたことはなかった。ただ彼女と今以上にもっと親密になりたい、それを公共の場で堂々と態度に表したい、と思っているだけだ。勿論、公私は分ける。
 ラナ・ゴーンは彼女とダリルの関係は棚上げにするつもりだった。彼女はこう言った。

「西ユーラシアだけの問題じゃないわね。他のドームでも運動をするべきだわ。ここでも、メイとパーカーのことを認めてあげないと。」

 クロエルが不満そうに彼女を見た。

「メイとパーカー? パーカーはメイを受け容れるの?」
「あの2人は良いカップルよ。」

とJJが言った。

「仕事は息がぴったりだし、メイは献身的だわ。」
「パーカーはどうなのよ?」

 ポールが自分を見たので、ダリルはなんだよと言った。ポールが言い訳するように呟いた。

「俺はパーカーは男が好きだと思っていたがな・・・」
「ん?まさか、あの時のキスの話を蒸し返すんじゃないだろうな?」
「否、そうではなくて・・・」

 ポールはジェリー・パーカーが以前ダリルに片恋をしていたことを知っている。パーカーの手から感じ取ったのだ。しかし、今では、パーカーにとってダリルは「良い友達」であって、片想いの相手ではない。パーカーが今夢中になっているのは・・・

「ジェリーはメイのことが好きよ。」

とJJが断言した。

「でも、彼はメイの立場を考えて何も出来ないでいるの。嘆願書が通れば、きっと喜ぶわ。」
「そう言えば・・・」

とラナ・ゴーンが何かを思い出した。

「ローガン・ハイネがジェリーに言ったそうですよ、法律なんて気にしないで好きな相手と一緒になりなさいって。ハイネは彼とメイのことに気づいていたのです。」
「ジェリーは何て?」
「時期尚早ですって。何があっても彼女のことを第1に考えられるようになるまで、無責任に彼女を苦境に立たせる訳にいかないって。」
「それって・・・」

 クロエルが笑いを堪えながら指摘した。

「彼女のことに責任を感じてるってことですよね?」

 ポール・レイン・ドーマーは心密かに思った。ジェリーの心が勝手に彼の手に流れてきた時に、ジェリーの心を占めていた「告白」とハイネ局長のイメージは、局長に告白の相談をしたかったってことなのか・・・



奮闘 25

 真夏のドームは、冷房に電力を大量に消費するので、外の太陽光発電パネルを増やす。パネルの反射光がドームに入らないよう、外壁が光を跳ね返すので、内部の人間は野原が無粋な板に覆われたな、と思うだけだが。
 ジェリー・パーカーは体調が回復すると、午後の休憩時間に壁に出かけた。昼寝をしたかったし、会いたい人もいた。
 遺伝子管理局のローガン・ハイネ・ドーマーは彼の期待通り、壁のベッドでうたた寝をしていた。ジェリーは邪魔をしないように少し離れた位置に昼寝場所を取り、半時間ばかり眠った。
 やがて、局長が両腕を伸ばし、ウンと声を上げて伸びをした。ジェリーはその声で目覚めた。局長が滑り降りるのが視野の隅に入り、彼も慌てて降りた。

「こんにちは」

 声を掛けると、ハイネが振り返った。ちょっと目を細めて彼を見た。

「やぁ、久し振りだな。」
「そうですね。」
 
 ジェリーは言いたかったことを急いで頭の中で整理して口に出した。

「この前は折角俺の希望を聞き届けて下さったのに、騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。セイヤーズにも怪我をさせちまって、ケンウッドに叱られました。」
「あんなのは怪我の内にはいらん。」

 局長がクスッと笑った。

「セイヤーズは事故の後、無断で行動した。君の希望を逆に利用したのだ。」
「そう言ってもらえると、気が楽です。」
「ジェシー・ガーが警察に捕まる前に死亡したのは残念だったな。恐らくあの男はビューフォードの犯罪をいくらでも喋っただろうに。」
「すみません・・・」

 ジェリーは局長の視線を受け止めるのが辛くなり、目を伏せた。あの瞬間理性を失ってしまったのは事実だ。

「人間だからな。」

とハイネが呟いた。

「どんなに歳を重ねても制御出来ない感情ってものは、誰にでもあるさ。」

 彼等は庭園を抜ける道を歩き始めた。

「だが、これで君の気は収まったのかな?」
「ええ。」

 ジェリーは微笑んで見せようと努力した。

「博士に直接手を下した男が死んで、何だか俺も気が抜けた気分です。」
「気が抜けたら、早く歳をとるぞ。」
「え?」

  ハイネ局長が片眼を瞑って見せた。

「君に関心を寄せている女性がいるのだが、気が付いていないのかね?」






2017年5月13日土曜日

奮闘 24

 ダリルはバーでコンサートを聴いていた。いつもの馬鹿騒ぎパーティーが中米班の出動でお休みになったので、南米班がドーム内の素人バンド達に声を掛け、急遽行われたコンサートだ。練習不足でガタガタのバンドや、人数が揃わなくて気が抜けたソーダ水みたいな曲や、即興で見事な演奏をやってのけたバンドやらで、思う存分楽しめた。ダンスを始める客もいたが、男性ばかりなので、男同士のペアばかりだ。そのうちに音楽会だと聞きつけて女性執政官やドーマーが現れると、もう引っ張りだこだ。ダリルはラナ・ゴーンを探したが、彼女は来ていなかった。JJも今夜はライサンダーと食事をした後早めに部屋に帰ったようだ。
 JJと仲良しの執政官メイも姿を見せないが、彼女はきっとジェリー・パーカーに世話を焼いているのだろう。彼女がジェリーに関心を持っていることは、ダリルもポールも感じていた。執政官から地球人に交際を申し込めないので、彼女は「親切の押し売り」しか出来ない。ドーマー達は、なんとなく「地球人保護法」が本当に地球人のためのものなのか、疑問に思い始めていた。恋愛は自由のはずだ。
 そろそろ疲れてきたので、ダリルはバーを出て、1人でぶらぶら庭園へ向かった。いつもの場所に副長官が来ていないかと期待したが、彼女はそこにもいなかった。電話もメールもないし、彼の方からするつもりもない。今彼女を求めているのは、ポールがいないからだ、と彼は承知していた。ただ寂しいから・・・。
 自分はポールとラナとどちらを愛しているのだろう。どちらも自分にとってかけがえのない人だ。だが、どちらか1人しか選べないとしたら?
 東屋の近くで立ち止まってぼんやり考えていたら、恐らく油断していたのだろう、誰かがすぐ背後に来ていることに気づくのが遅れた。

「殴るなよ。」

と接近者は言って、彼の攻撃を未然に防ぐことを忘れなかった。
 ダリルは後ろから抱きすくめられ、そばの茂みに引き込まれた。暫く相手のやりたい様にやらせた。監視カメラの死角に入っていることを頭の隅で認識していた。
 あまり時間がないことをお互いにわかっていたので、ことは早く終わった。ダリルは人目につかない様に気遣いながら服装を整えた。

「これは、犯罪になるんじゃないのか?」

と彼が抗議すると、相手は笑った。

「嫌なら、俺が声を掛けた時に逃げたはずだろ?」
「どうして私が君から逃げるんだ?」

 ダリルはポール・レイン・ドーマーを改めて抱きしめると自分からキスをした。

「君はいつも私のバックを狙ってくる。」
「君はバックが甘いからさ。俺の腕の長さより短い距離まで敵が迫っても気が付かない。それじゃ、いつかやられるぞ。俺は警告してやってるんだ。」

 ポールは常に自身に都合の良いようにものごとを解説する。

「いつ戻ったんだ?」
「2時間前だ。局長に報告して、書類も作成した。後は眠るだけだ。」
「夕食は?」
「機内で食った。」
「帰って来るなんて言わなかったじゃないか?」
「そうだったか? まぁ、まだ仕事が完了した訳じゃないからな。2,3日休んだら、また出かける。奴隷製造組織をもうすぐぶっ潰せそうなんだ。」

 2人はアパートに向かって歩き始めた。

「そっちはどうなっているんだ? JJとクラウスの報告では、君とパーカーが交通事故に遭って、ラムゼイを殺した男が死んで、パーカーが酷く怪我をしたと言う話だが?」
「それは報告書を読んでくれ。ちゃんと書いたから。」
「では、明日、じっくり吟味してやる。君の怪我は軽かったようだが、パーカーの責任はちゃんと調べるからな。余計なかばいだてはするなよ。」

 明るい場所に出ると、ダリルはポールがまだスキンヘッドのままなのを確認した。

「またその頭に戻るのか?」
「ああ・・・」

 ポールは自身の頭を手でつるりと撫でた。

「どうもこっちの方が俺は性に合ってるようだ。少なくとも、現役の間はこっちで過ごすよ。」

 きっと兄ハロルドが大統領に再選されたので、髪の毛がない方がフラネリー家との関係をマスコミに詮索されずに済むと判断したのだろう。肉親の存在を知ってしまうと、いろいろと気苦労が増えるのだ、とダリルは思った。彼の母親のオリジナル、スパイラル工業のセイヤーズCEOは、見事に男子を身籠もったのだが、勿論それは夫の子ではなく、ダリルの息子だ。しかし、彼女はその秘密を未来永劫護り続けるだろう。

2017年5月12日金曜日

奮闘 23

 ライサンダー・セイヤーズは図書館に居た。ジムで運動した後、更衣室でシャワーを浴び、JJと一緒に軽い夕食を取った。眠くなっては困るので、彼にとってはかなり控えめに食べたので、彼女と別れて図書館で勉強しているとお腹が空いてきた。時刻はまだ午後9時前で、食堂では大勢のドーマー達が食事を終えてくつろいでいる頃だ。バーも開くだろうが、彼は勉学に勤しむ方を選んだ。通信制の大学に入ったばかりで、いきなり試験があるのだ。その出来具合で大学は個々の学生のカリキュラムを決めるらしい。暗記は得意だが、理解するとなるとやはり時間がかかる。理解出来なければ質問に答えられないから、彼はコンピュータと書物で先人の知恵と知識を必死で頭に入れていた。
 10時頃になって、ようやく目標の課題をこなせたので、彼はロビーに出て一休みした。小さな売店があり、軽食と飲み物を販売していたので、ホットドッグと珈琲で夜食を摂っていると、そばの席に座った男性がいた。

「こんばんは、ライサンダー。勉強ははかどっていますか?」

 振り返ると、ケンウッド長官だった。久し振りの再会だ。ライサンダーはちょっとはにかみながら、ええ、なんとか、と答えた。

「本気で弁護士を目指しているのですね。」
「はい、俺がクローンであることを活かせるとしたら、やはりクローンの権利の為に働くことだと思ったので。」

 ケンウッドは目を細めて彼を眺めた。

「完璧な人間なのにね、やはり差別はありますか?」
「俺が今の職場で何か不愉快な体験をした、と言うことはありません。でも、街中で他のクローンの人が嫌な思いをさせられている場面に遭遇することが偶にあります。助けてあげようとしたことがあったのですが、法律のことがよくわからなくて、悔しい思いをしました。論理的に抗議出来ないと、どうしても暴力の方へ向かってしまいますから・・・。」

 ライサンダーは、ふと父親のポール・レイン・ドーマーに尋ねようと思って、ポールが留守で実現出来ていない質問を長官にしてみた。

「長官、フラネリー大統領はメーカーの取り締まりを強化させていますが、その一方でクローン技術の開示をドームに求めています。彼の目的は何ですか?」
「ふむ・・・」

ケンウッドは視線を遠くへ向けた。

「歴代の大統領は就任すると、地球人の存続が危機に陥っている事実を教えられます。女性が誕生しないと言う事実を公表出来ない理由を彼等は理解しますが、取り替え子の人数に限度があることに危機感を募らせる者もいます。どうしても女性は裕福な家庭、或いはドームが選択した家庭にしか割り当てられない。庶民は、何かおかしいと感じているはずです。」
「ええ・・・確かにそうです。どうして女性は金持ちの家にしか生まれないのだろう、とみんな疑問に思っていますよ。」
「フラネリー大統領は、政府が管理するクローン製造施設を建設する構想を持っているのでしょう。私達は彼と直接話しをしたことがないので、これは憶測ですが・・・。
彼は地球人だけの力で女性を増やせないものかと考えているのです。だが、それはまだ彼1人の頭の中での話でしょう。彼の政策スタッフにも事実は明かせないのですから。」

 ライサンダーはちょっとびっくりして長官を見つめた。

「工場で女性を創るのですか?」
「それに似たようなものでしょうね。」
「俺は好かないなぁ・・・」
「私も個人的には反対です。そんな施設を造ったら、すぐに事実が外部に漏れてしまうでしょう。それに・・・」

 長官は呟いた。

「あと100年耐えれば、地球は元通りになるはずですよ。」



2017年5月11日木曜日

奮闘 22

 ダリルは息子をジムに残して1人アパートに帰った。シャワーを浴びて着替えをして、夕食までテレビの前に座ってぼんやりしていた。ポールが居れば話をするなり、じゃれあったり出来るのだが・・・。

 老後はやはり園芸班で植木の手入れでもするか・・・

 山の家の畑が懐かしかった。去年の今頃は玉蜀黍の出来具合を楽しみにしながら世話をしていたのだ。玉蜀黍はクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが操縦する静音ヘリに押しつぶされたが・・・。
 夕食を取りに食堂に行くと、いつとなく静かだった。気のせいかと思いつつ配膳カウンターに行くと、厨房班のオブライアンが声を掛けてきた。

「今日は昼前に中米班がほぼ全員出かけて行ったけど、何か大事件でもあったのかい?」
「否・・・」

 何かあれば、遺伝子管理局内の秘書は全員知らされるはずだ。中米班が黙って出動したと言うことは、大袈裟な任務ではないが、人手がいる仕事だと言うことだろう。
 ポール・レイン・ドーマーと彼が率いる北米南部班は、西海岸でメーカー組織を摘発する任務に就いている。西海岸のヒスパニック系のメーカーの一つが、かなり悪質で、中米の農場で働かせる奴隷を作る目的でクローンを製造していると言う密告があったのだ。
恐らく、クロエル・ドーマーの担当地域の農場だ。だから、クロエルと彼の部下達は北米南部班と合同でメーカーを抑えに出かけたのだ。

「中米班の連中がいないと、世の中、静かでつまらねぇや。」

 オブライアンがぶつぶつ言った。

「彼等は陽気だからね。」

 ダリルは南米班を目で探した。チーフのホアン・ドルスコ・ドーマーが1人で食事をしているのが目に入った。

「南米班も陽気だけどね。」

 オブライアンは次の客に気が付いてそちらを見ながら、ダリルに言った。

「兄さん、ライサンダー坊やに、今夜のバーの騒ぎはお預けだって言ってやれよ。クロエル先生がいなけりゃ、火の消えた祭りみたいにつまらない。」
「ライサンダーは今夜勉強するそうだ。明日はバスケの試合があるので、今夜のうちに覚えたい項目があると言っていた。」
「へぇ、真面目なんだな・・・どっちに似たんだろ?」

 その問いには答えずに、ダリルは彼にバイバイと言って、ドルスコ・ドーマーの方へ行った。
 南米班は任地が遠いので、出かけると1週間は帰って来ない。ドルスコが食堂で食べているところに出くわすのは珍しいのだ。
 ホアン・ドルスコ・ドーマーは南米班のチーフだが、生まれと言うか母親の出身地はメキシコの中米人だ。ブラジルのジャングル生まれのクロエル・ドーマーが中米班のチーフをしているのと逆の人事になる。クロエルの母語は本来ならポルトガル語になるのだが、彼が生まれた南米分室はスペイン語を公用語としていたので、クロエルはスペイン語を母語にしている。だからドルスコと話す時は完全にスペイン語だ。
 ダリルは西ユーラシア・ドームに転属した時、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、スウェーデン語、フィンランド語、オランダ語を習った。だからこれらの言語は簡単な日常会話程度なら出来るし、読み書きは完璧だ。中西部で暮らしていた頃も、街に買い物に行けばヒスパニック系の住民とスペイン語で話をしたので、中米班、南米班のドーマーと話をする時は、時々スペイン語を使う。
 ドルスコの隣のテーブルにトレイを置いて、スペイン語で「オラ!」と声を掛けてみた。ドルスコが皿から顔を上げ、笑顔で「オラ!」と返事を返してから、英語で、

「こっちのテーブルに来いよ。」

と言った。ドルスコはここのドームで育ったので、実のところスペイン語より英語の方が母語になるのだ。
 ダリルはテーブルを移って彼の向かいに座った。

「今日は1人かい、セイヤーズ?」
「うん。君も?」
「俺は飯は1人で食うのさ。考え事をしたいからね。ああ、今は君と一緒で良いさ。レイン抜きで君と飯を食うのは初めてだから。」
「君の任地は遠いから、滅多に食堂で出遭わないってことだな。会うときは大概会議だ。」
「そうだね。それに俺は暇な時はグラウンドでボールを蹴っているし。」

 ドームのグラウンドは一箇所しかない。土地が限られているので、その一箇所が用途に合わせて野球場になったり、サッカー場になったり、アメフト競技場になったり、陸上競技のグラウンドになったりする。南米班はサッカー好きのドーマーやコロニー人の為に場所取りをしていることが多い。
 ダリルは中米班の仕事内容を聞きたかったが、ドルスコが仕事の話を好まない様子だったので、諦めた。それで、今夜のバーでのパーティーのことを尋ねてみた。

「今夜はパーティーをやらない。」

とドルスコが教えてくれた。

「中米班の連中が留守なんで、静かになるだろうから、代わりに音楽好きの連中にミニコンサートをやってもらうことにした。」


 


2017年5月9日火曜日

奮闘 21

 FOKのメンバー達の公判が始まった。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは決してドームから出てはいけないと言い含められ、遺伝子管理局本部で大人しく事務仕事をした。囮捜査官のロイ・ヒギンズがどんな証言をするのか、息子ライサンダー・セイヤーズがいつ証人として召喚されるのか、ダリルには全く知らされない。不安と不満でイライラが募るが、ゲートは彼に対して固く閉ざされていた。
 ポール・レイン・ドーマーはまだ西海岸から戻らない。抗原注射が不要な体になった途端に長期のドーム外勤務だ。活動状況報告はきちんと定期的に入って来るので、ダリルはそれを整理して、ポールや部下達のものをまとめて毎日局長室へ送信する。
 交通事故で負った打撲傷は週末にはかなり良くなって、ライサンダーがドームに来た時には、普段通りジムで相手をしてやれた。

「ジェリーが怪我をしたって・・・」

 ライサンダーはジェリー・パーカー本人からではなく、仲良くなった静音ヘリのパイロット、マイケル・ゴールドスミス・ドーマーから得た情報を出して来た。その時、彼は父親と格闘技の練習をしていた。

「マイクが、ジェリーの怪我に父さんも関係しているって言ったけど?」
「ああ、ラムゼイ博士の墓参りに行った時に、ちょっとした事故に遭ったんだ。」
「墓参り? 父さんとジェリーはドームから出られたの?」
「特別許可をもらってね。」

 ダリルは息子にラムゼイの殺害に直接手を下した男の話をしたくなかった。息子にとっては、メーカーのラムゼイ博士は3番目の「父親」なのだ。その悲惨な最期を息子に詳しく語りたくなかった。

「もしかして、ハイネ局長の計らいかな?」

 ライサンダーは、スカッシュの師匠が遺伝子管理局の局長だと知って以来、白い髪のドーマーに尊敬の念を抱いている。まだ胎児の娘に名前を付ける手伝いをしてくれたのも、局長だ。

「まぁ、そんなところだ。」

 ジェリーの奸計がハイネを動かしたのだ、とはダリルは言いたくなかった。ジェリーは博士を殺害した犯人を確認したかった。そして確認して、激情に駆られ、殺害しようとしたのだ。
 交通事故でダリルより酷い打撲傷を負ったジェリーは、今もまだ1日半時間薬品風呂に浸かっている。リハビリでジムに顔を出す以外、研究所の外に出ようとしないが、それはまだ歩くのが億劫だからだ。

「父さんも怪我したんじゃないの? 大丈夫?」

と尋ねながら、ライサンダーは父親をなんとかして投げ飛ばそうと努力していた。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは母親の様に優しい父親だが、こと護身術に関しては決して息子を甘やかさなかった。ライサンダーが父親に勝たせてもらえたのは5歳迄、それ以降はまだ一度も勝ったことがなかった。
 ダリルは組み合ったまま、息子が父の負傷した箇所を見破れないのを残念に思った。父の傷を思いやって攻めないのではない、ライサンダーは父親が体のどこを痛めたのかわからないのだ。彼は息子をひと思いにマットレスの上に押し倒し、敗北を認めさせた。

「私は右肩と腰の右側を打ったんだ。おまえは私がその部分を庇っていたのに気が付かなかったな?」
「・・・そうか・・・全然わからなかった。」
「知られないように努めたからな。」

 立ち上がったダリルは、JJがそばで見ていたことに気が付いた。ポールが出かけてから、彼女も寂しいので、ジムで憂さ晴らしをしに来たのだ。

「ライサンダー、JJと一勝負してみないか? 女性だからと侮るなかれ、彼女は強いぞ。」



2017年5月6日土曜日

奮闘 20

「それで・・・?」

 とニュカネンはダリルに尋ねた。

「ラムゼイ殺害をジェシー・ガーに指示したのは、誰なんだ? ダウン教授か、ビューフォードか? FOKではないな、ラムゼイにFOKと接触した気配は無かったから。」
「恐らく、ビューフォードだ。彼の家にラムゼイは隠れていた。きっとジェシー・ガーも一緒だったんだ。博士のいない所で、ビューフォードはガーに絶縁体のバネを渡し、重力サスペンダーの細工を指示したに違いない。」
「かなりの金を与えたようだな。ガーは羽振りの良い売春宿の経営をしていた様子だ。まさか、ビューフォードを脅して金を取り続けていたんじゃないだろうな?」
「私にはそこまではわからないよ。だが、脅迫を続ければ、いつか自分もビューフォードにやられるとガーだってわかっていただろうさ。」
「昨日の事故は単純な事故だろ?」
「うん、それは確かだ。」

 2人はニュカネンの車まで戻った。ニュカネンは端末を出し、乗車前の車の安全チェックを怠らない。

「昔、爆発物を仕掛けられたことがあるのだ。」

と彼は言い訳してダリルを驚かせた。

「誰に?」
「君の知らないメーカーだ。10年前のことだし、既にそいつは逮捕されて終身刑に服している。皮肉にも、刑を言い渡した判事が、ケン・ビューフォードだった。
私はそれ以来長時間車から離れた後は、必ずチェックする習慣を付けた。」
「良い心がけだ。私も仲間に勧めておくよ。」

 彼等は車に乗り込み、出張所に向かって走り出した。

「ダウン教授はこれからどうなるのだ?」
「彼女は公判待ちだ。FOKとの関係を検察がどう立証するか、グリソム達が彼女のことをどこまで裏切るか、それが見物だがな。残念なことに、主犯にはならないだろう。」

 それから、ニュカネンはトーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツが辞任したことを教えてくれた。モスコヴィッツは本業の清涼飲料水製造会社の経営からも退いた。彼とFOKの繋がりは解明されていないが、会社の役員会で灰色の経営者に対する警戒が強く、辞めざるを得なくなったのだ。
 ダリルはハロルド・フラネリー大統領が弟ポール・レイン・ドーマーに約束した「対処」を思い出した。2選を果たしたフラネリー大統領は、極力血を流さずにドームに反抗する勢力を排除し始めたのだ。
 ドームを経営する「地球人類復活委員会」は、宇宙に展開する人類の富豪達の出資で成り立っている。富豪達は、地球に無関心を装いながらも、地球の資源に大いなる興味を抱いており、ドームに敵対する者の存在を許さない。恐らく、彼等はフラネリー大統領に陰から援助をしているのだ。彼等が育てたドーマーの息子を地球の舵取りをする政権の頂点に立たせ、ドームを守らせる。

 結局、ドーマーはコロニー人に操られているのかも知れないな・・・

 ダリルが心の中で呟くと、ニュカネンが声を掛けた。

「今、何か言ったか?」
「否。」
「そうか・・・これから真っ直ぐローズタウンへ向かうが良いか? 用件が済めば、すぐに君を送り返せとドームからの指示だ。」
「ああ・・・任務を遂行してくれ。私はちょっと寝るよ。」




2017年5月2日火曜日

奮闘 19

「結局、あの女性教授は何をやったんだ?」

 歩きながらリュック・ニュカネンが尋ねた。ダリルは頭の中を整理しながら説明した。

「彼女は、若返りの特効薬の研究をしていた。彼女の学生時代からのテーマなんだ。」
「自身の若さと美貌に固執していたんだな。」
「うん。だけど、人間は必然的に年を取る。彼女は老齢にさしかかったところで、ラムゼイ博士と出会った。
 ラムゼイ博士はコロニーから地球に逃亡してからもう50年たち、恐らく彼はメーカーとして一生を終わるつもりだったのだろう。彼には大勢の部下とジェリー・パーカーとシェイと言う『子供達』がいた。『子供達』を守るには、資金が必要だ。だから、ラムゼイはトーラス野生動物保護団体を運営する富豪達に接近した。これは私の推測に過ぎないが、彼はポール・レイン・ドーマーを捕らえて、彼の実家が何者なのか知ったのだ。」
「何者なんだ?」

 ニュカネンの質問にダリルはちょっと驚いた。既に知っているものだと思っていたからだ。ドームの外に出かける遺伝子管理局の人間は皆、ポール・レイン・ドーマーとハロルド・フラネリー大統領がよく似ていることに気が付いている。そして大統領の父親の名がポールであったことも知っている。だから、ダリルは、仲間が皆ポールの実家がフラネリー家であろうと推察していることを、承知の上で話していたのだ。しかし、堅物ニュカネンは、そう言うスキャンダルになりかねないような話題に疎かった。

「ある政治家一家さ。」

とダリルはお茶を濁した。

「ラムゼイは恐らくポールを人質にジェリー・パーカーの身の安全を政治家に保障させようとしたのだろう。」

 ニュカネンはこの説明にあっさり納得した。そしてダリルに話の続きを促した。

「ラムゼイは資金調達の為に、金持ち達にいろいろと嘘やはったりを聞かせたんだ。その一つが、脳移植による若返りだ。
 コロニーでは脳移植は技術的には可能だが、倫理的な問題で禁止されているそうだ。ロボットに移すことも駄目なのだ。しかしラムゼイは法律の話はしなかった。技術的に可能だと、トーラスの連中に吹き込んだ。さらに質の悪いことに、彼は脳を移植する場所として、クローンの頭部を提案した。脳の持ち主のクローンを培養して、若い体に脳を移植すると、本人と変わらないだろう、と言う訳だ。器とされるクローンは人格を持たないようにある年齢迄人工羊水の中で培養して植物状態で育てておく。だから殺人にはならない、と。」
「無茶苦茶だな。」
「ああ、酷いアイデアさ。恐らく、トーラス野生動物保護団体の理事達は本気にしなかっただろう。いくら欲のツラが厚くても、不可能な話だとわかったはずだ。」
「だが、ラムゼイに資金は出したのだろう?」
「団体の本来の活動である野生動物のクローニングに、ラムゼイは多大な貢献をしたらしいから、資金はそっち方面で出したんだ。ラムゼイはある程度真面目に稼いだのさ。
 しかし、1人だけ、彼の嘘に大乗り気になった人間がいた。それが、ミナ・アン・ダウン教授だ。彼女は脳移植が可能か、弟子達に実験させた。それまで大人しかったFOKを乗っ取ったニコライ・グリソムやダン・マコーリー、ジョン・モア達にね。」
「連中は脳移植を目的にクローンの少年達を攫った訳じゃない。脳内麻薬を採取して売るのが目的だった。」
「ダウン教授はそこまではわからなかったのだろう。グリソム達は教授の指示を受けたふりをして、自分達の金を稼いでいたんだ。」
「まったく酷いヤツらだ。」

 ニュカネンは身震いした。

「君に化けたヒギンズを誘拐しようとしたのも、グリソムだったろう?」
「そうらしいね。あれはダウン教授の指示だから、ドーマーのクローンを創る手伝いをしただけなのだろうよ。脳内麻薬を採りたいのであれば、何も危険を冒してドーマーを誘拐することはないからね。」
「パトリック・タン・ドーマーを誘拐したのは、トーラス野生動物保護団体の理事達だったが、彼等とダウン教授の繋がりはどうなるのだ?」
「教授の夫が団体の理事の1人だってことは知ってるだろう? 理事の半分はドームがコロニー人の地球支配の拠点だと思い込んでいる。ラムゼイがコロニーの科学力の話を誇大に語ったので、彼等はコロニー人を地球から追い払わなければと思ったに違いない。ダウン教授がドーマーの誘拐を計画したことを夫は知ってしまったんだ。そしてビューフォードに伝えた。ビューフォードは遺伝子管理局が常に数人で行動することを知っている。単独行動するのは、私の様なはぐれ者だけだ。彼はグリソム達がヒギンズを誘拐したら横取りするつもりだったはずだ。だから献体室付近に隠れていた。そこに少年の遺体があると知らずにね。そして、運悪くパトリック・タン・ドーマーがそれを見つけてしまった。
パットはクローンの人権を擁護する学生デモに追われて避難したんだけど、そのデモはFOKが扇動して、誘拐を誤魔化すためのものだった。隠れていたビューフォードは、目の前に現れた美しい中国人に惹かれてしまったんだ。彼はヒギンズはどうでも良くなって、パットを誘拐してしまった。」
「そしてパットからマザーコンピュータのアクセスコードを訊きだしてドームの弱点を突こうとした訳だな?」
「うん。しかし、残酷な拷問にパットが耐え抜いたので、マザーは無事だった。」

 ダリルの推理を聞いて、ニュカネンは納得がいったと頷いた。

「ダウン教授の若さへの異常な固執が、男達の野望に火を点けた訳だ。」