2016年8月31日水曜日

捕獲作戦 5

 ボーデンホテルは白亜の洒落た3階建てだった。翼を広げた白鳥をイメージしており、フロントは中央にある。ダリルはホテルの宿泊客とは思えない街の住人が駐車場の片隅にたむろしているのを見かけた。麻薬の売人か男娼の類だ。車上荒らしが獲物を待っているのかも知れない。彼は明るい街灯の近くに駐車した。通行人の目につく場所で、彼の車はお世辞にも高級車とは言えない。多分、ターゲットのランクでは下位になるだろう。
 大理石の床が輝くロビーには予想したより多くの人間がいた。上品な遊び場所と言えば、ここしかないので、夜遊びしたい人々が集まってくるのだ。女性もイブニング姿で歩いている。
 ダリルは自分の身なりを恥ずかしいと思わないが、それでもちょっと気後れした。
ネクタイでもしてくるべきだったろうか?
 フロントに行くと、チェックインのピークが過ぎて、フロントクラークは疲れた顔をしていた。
 ダリルが管理局のポール・レインは到着しているかと尋ねると、彼は端末を覗いて、チェックイン済みだと答えた。ダリルは姓だけ名乗り、面会希望者が来ていると告げてくれ、と頼んだ。クラークは内線をかけ、客と言葉をいくつか交わしてから、彼を振り返った。

「3421号室でお待ちです。上がってきて欲しいとのことです。」

ホテルでは宿泊客への来客を部屋に入れないはずだが・・・とダリルは疑問に思ったが、クラークはいつものことだと言う顔をしていたので、もしかすると管理局は特別に規則を曲げているのかも知れない。
 ダリルはクラークに礼を言って、エレベーターに向かった。ボタンを押す際に、ちらりとフロントを見ると、先ほどのクラークはまだ電話を握っており、ダリルと目が合うと慌てて顔を背けた。
 ダリルはエレベーターに乗ると、地下階から屋上までの全てのボタンを押して、扉が閉まる直前に外へ出た。
 クラークは次の客の相手を始めており、ダリルの行動に気づかなかった。
 階段を上がると、数人とすれ違ったが、怪しい素振りをする人物はいなかった。
3階は静かだった。ここは宿泊用の部屋しかない。3421号室は右翼の北の並びで一番中央寄りだった。ダリルはドアのそばに立ち、周囲を見回した。この部屋を見張っている人間はいない様だ。
 ボーイが一人、ワゴンにルームサービスの空き皿を載せて3415号室から出て来た。
ダリルはカードキーを探すふりをしてポケットをあちこち探った。
彼の後ろをボーイが通り過ぎ、エレベーターホールの向こうにあるスタッフ用通路へ消えて行った。
 ダリルは3421号室のドアチャイムを鳴らした。
 中で人が動く気配がした。ドアまで来て、ドアレンズで外を覗いた様だ。ダリルはドアの横に立っていた。ドアの外に誰もいないのを不審に思ったのか、中の人物がドアを少しばかり開いた。ダリルの知らない声が彼の名前を呼んだ。

「セイヤーズ・ドーマーか?」

 ダリルはドアの陰で言った。

「失礼、部屋を間違えた様だ。」

ドアが動き、男が頭を出した。 赤毛の頭髪がある。そいつがダリルに気づいた時、ダリルは相手の顔面を殴りつけた。そして、素早くドアの中に男を押し込み、自分も中に入った。

2016年8月30日火曜日

捕獲作戦 4

 ボーデンホテルはこの界隈で一番大きなホテルで、「高級」と見なされていたが、結局のところ、田舎のビジネスホテルの域を出ない。ドレスコードなどないし、館内にショッピングモールがある訳でもない。ただ、牧童や農夫が野良着のままで入れば、セキュリティ係につまみ出される程度の上品さは持っていた。
 ダリルは取り敢えずシャツの上にジャケットを着た。銃は車に積んだが、携行はしない。あのホテルの入り口には銃火器のチェックシステムがあるのだ。武器を携行してホテル内に入れるのは、銃携行を許可された公務員、つまり警察官と遺伝子管理局員だけだ。
ホテルの構造は、頭に入っている。20年前と同じままであってくれれば良いが、と思った。
 車庫に行くと、ライサンダーが車にもたれかかって待っていた。
どうして隠れ家でじっとしていないんだ、とダリルは心の中で愚痴った。目を離すとすぐに出歩くのだから・・・
ライサンダーは父親の身なりを上から下までじろっと見た。

「オシャレなんかして、あのスキンヘッドに逢いに行くんだろ?」

非難めいた声で尋ねた。ダリルがJJの引き渡しの打ち合わせに行くのだと見抜いている。

「彼女の処遇に関して最善を尽くせと言うだけだ。ドームは、人権を守る。」
「父さんはドームで暮らしていたからね、連中を信じられるんだ。だけど、JJがどう感じるかは、誰にもわからないだろ?」
「JJがどうしてもドームに行きたくないと言うのなら、ここに残ればいいさ。」

ダリルは息子とこれ以上議論したくなかった。これから罠かも知れない会見に臨むのだ。余計な時間を取りたくなかったし、エネルギーも使いたくない。

「私はこれからポールと会ってくるが、もし明日隠れ家に私が現れなかったら、おまえは彼女を連れて北へ行け。ニューシカゴの偽造屋ジョンソンを訪ねるんだ。以前、連れて行ったことがあったから、場所は覚えているだろう?」
「うん・・・だけど、父さん・・・」
「時間がない、ポールは時間を守らない人間とは面会しない。私はもう出かける。」

ライサンダーが渋々車から離れたので、ダリルは車に乗り込んだ。ライサンダーは彼がエンジンをかけると、さっさと車庫から出て行き、岩場の方角へ去って行った。

捕獲作戦 3

  乱暴な訪問者が帰った後、ダリルは一人で畑の手入れをした。ここに居を定めてから毎日欠かさず行ってきた作業だ。手放したくなかったが、子供たちの安全を考えると転居した方が良いだろう。JJをドームに保護してもらったら、ライサンダーを連れてどこかへ行こう。
 電話が鳴った。出ると支局のブリトニー嬢だった。

「ミスター・セイヤーズですね? レイン局員から連絡がありました。西部支局に急用が出来たので、今夜帰りにこちらに立ち寄れるとのことです。
ボーデンホテルはご存じですね?」

 ボーデンホテルはこの近辺では一番大きなホテルで、ドーマーたちもよく利用する。大陸の西半分の支局巡りをして一日で用事が終わらない時に、そこに宿を取るのだ。
各部屋に空気清浄機が完備され、飲料水も蒸留水しか使用しない。雑菌が恐いドーマーたちには、安心出来る数少ない宿泊施設だ。ダリルも若い頃、1,2度泊まったことがある。
 知っていると答えると、ブリトニー嬢は親切に相手の到着時間を教えてくれた。

「今夜の19時から20時の間に到着されます。面会時間は21時まで。お部屋はフロントで尋ねて頂けると案内してくれます。」

 直接部屋に来いと言うのか? ポールとダリルの個人的な面会ならそれは不思議ではないが、今回は形だけでも公務だ。ポールは本当にブリトニー嬢にそんなことを言ったのか?

「面会は部屋でするのですか?」

と尋ねると、彼女も「あら?」と呟いた。

「ええっと・・・普段は局員がロビーに下りてくるんじゃないかしら? 私が聞き間違えたのかも・・・」

ダリルは彼女に余計な心配をさせたくなかったので、気楽な調子で言った。

「今夜、ホテルに行って、フロントに尋ねればわかることですね。連絡、有り難うございます。」

電話を切って、考えた。これは罠かも知れない。しかし、ポールがこんな安っぽい罠を張るだろうか? そもそも、何の為に彼が罠を張るのだ? JJの処遇について、話し会うだけではないのか?


2016年8月29日月曜日

捕獲作戦 2

 翌日、ライサンダーとJJは裏山の隠れ家へ移った。そこは天然の洞窟にダリルが手を加えて造った「別荘」だった。岩室に狭いながらも居住空間をしつらえて、時々親子でそこに泊まったり、外出が長引く予想の場合や、予告された来客があった場合に、ライサンダーを隠していたのだ。当然、食糧や生活物資を備蓄してある。
 ライサンダーは父親を一人家に残すことを渋ったが、JJを不良から守ったことをダリルに褒められると気分を直して、指示に従った。
 2人の若者が出かけて半時間もしないうちに、訪問者があった。
昨日ライサンダーと一悶着起こしたボブ・スキッパーことロバート・スカルプ・ミクロビッチの父親だった。街の有力者の一人で、遊技場の経営者、マイケル・ミクロビッチだ。
彼は、入り口に立ったまま、家の中に招き入れようとしないダリルに向かって、20分間も息子が受けた被害の苦情を訴えた。多分、この男は、息子が誰かと問題を起こして負けて帰ると、その度に相手の家に怒鳴り込むタイプだ。相手の言い分を聞こうともしない。
 ダリルは果てしなく続きそうな苦情に、強引に口をはさんだ。

「それで、あんたの息子はどんな具合なんだね? 骨を折った訳じゃないだろ?」
「息子の顔は殴られてカボチャみたいに腫れ上がっている。とても学校へ行けたもんじゃない。あんな乱暴をするガキを育てたおまえの責任だ。」

 ミクロビッチはダリルが自分より若く見えるので、実際に10歳は若いのだが、威圧的に非難した。

「それで、私にどうしろと言うんだ?」
「医者代を支払え。それから、息子共々、ボブに謝罪しろ。」

 ダリルは、こう言う場合は弁護士が要るかな、と思いつつ、一言提案した。

「その前に、ボブにも謝ってもらいたいな。女性に失礼なことをした謝罪だ。」

 ボブは親に喧嘩の原因を語っていないはずだ。果たして、ミクロビッチはダリルの言葉を理解しなかった。

「何のことだ?」
「あんたの息子が、東部から遊びに来ていた私の姪っ子にちょっかいを出して、止めに入ったうちの子と殴り合いになったと、ボブは言わなかったのかな?」

 ミクロビッチが黙り込んだ。女性に乱暴狼藉を働くと、罪が重い。例え少年でも15歳以上は成人と同じと見なされる。痴漢・迷惑行為は軽くて懲役5年以上、強姦に至っては終身刑か死刑だ。もしボブが実際は何もしていなくても、女性側から訴えを起こされると、少年の未来はお先真っ暗になる。
 ミクロビッチが確認するかの様に尋ねた。

「うちの息子が、おまえの姪に手を出そうとしたって言うのか?」
「出したんだ。背後から抱きついた。」

 ボブはライサンダーと間違えてふざけてJJに抱きついたのだが、陪審員によっては強姦未遂と解釈されかねない。それに、JJに交際を要求したのも良い印象を与えないだろう。

「その・・・おまえの姪っ子は今、どこにいるんだ?」
「昨日の一件で怖がったので、今朝、東部に帰らせた。息子が空港まで送って行ったところだ。」
「娘っこは帰ったんだな。」

ボブの狼藉を訴えずに被害者が去ったことを聞いて、ミクロビッチは安堵した。
証人がいなければ、ダリルはボブを訴えないだろう。彼は勝手に自分の言い分を取り下げることに決めた。
 ガキの喧嘩は世話が焼けるよな、みたいなことを言って、車に乗り込み、さっさと山を下りていった。

2016年8月28日日曜日

捕獲作戦 1

 ダリルは太陽が西に傾いた頃に帰宅した。車を車庫に入れると、JJが現れ、勢いよく抱きついて彼を驚かせた。

「どうした、何かあったのか?」

そう言えば、いつもは出迎える息子がいない。まだふくれているのか、それとも何かあったのか?
ダリルはJJが離れてから、荷物を車から降ろして、2人で家の中に運び込んだ。
ライサンダーは長椅子に座っていた。ダリルに気づくと、よろよろと立ち上がって、奥の部屋へ行こうとした。ダリルはすぐ彼の異変に気づいた。
荷物を床に下ろして、息子に追いついた。

「その顔はどうした?」

ライサンダーの顔には青あざが出来ていた。殴られた跡だと、ダリルにはわかった。JJに殴られた訳ではないだろう。
ライサンダーは溜息をついた。彼が沈黙しても、JJが報告するだろう。彼は父親を見ずに答えた。

「ボブ・スキッパーと喧嘩したんだ。」

息子の遊び仲間の一人だ。紹介されたことはないが、時々ライサンダーが街で遊んでいることをうっかり口を滑らせる時に、2,3度登場した名前だった。確か、遊技場を経営している男の息子で、養子だ。父親は財産はあるが婚姻許可をもらえなかった。しかし養子縁組許可はもらえたのだ。

「街へ下りたのか?」
「違う。あいつがここへ来たんだ。いきなりだった。俺をびっくりさせるつもりで畑に来たんだけど、JJに出くわしちまったんだ。」
「彼女を見られたのか・・・」
「JJは俺の服を着て、畑の散水を手伝ってくれていたんだ。ボブは俺と間違えて、後ろから彼女に抱きついた。」

どんな脅かし方だ? ダリルは息子とボブの仲がどうなっているのか心配になった。ボブは同性が好みなのか?
ライサンダーの説明が続いた。

「JJは彼を突き飛ばして俺のところへ逃げて来た。俺は止めろと彼に注意したんだ。だけど、あいつ、初めて女の子に触って興奮してた。JJを紹介しろって言うんだ。俺が断ったら、殴りかかってきた。あいつ、仲間内でもボス気取りなんだよ。」

そもそも、何をしにそのボブ・スキッパーは山へ登ってきたんだ? ダリルは少年たちの世界がよくわからない。顔を見せない”子分”の様子を伺いに来たボスの思考など想像出来なかった。それに、ライサンダーが大人しく”子分”でいるのだろうか? ダリルとポールの息子が大人しく同年代のガキの手下になるだろうか?

「それで、おまえは殴り合いに勝ったんだな。」
「わかるの?」
「おまえが負けていたら、JJが戦っていただろう。」

そうだ、JJも負けず嫌いのはずだ。彼女は銃を扱える。ライサンダーが負けていたら、ボブ・スキッパーは生きていなかったかも知れない。

「あいつ、JJのことをみんなに喋るかも知れない。」

ライサンダーはボブを生きて帰したことを悔やんでいる様だ。
ダリルは、JJの安全の為に早くポールに連絡をつけるべきだと思った。



4X’s 29

 遺伝子管理局中西部支局の支局長レイ・ハリスは、コロニー人だ。アメリカ・ドームに赴任したのだが、宇宙時代から直せない悪癖、飲酒で失敗して、支局へ飛ばされたのが5年前。ドームの長官はケンウッドだったが、彼の処分を決めたのは、宇宙にある本部だ。しかし、通報したのはケンウッドだとハリスは信じていた。当然、恨んでいた。地球で生活出来ることを喜ぶコロニー人もいたが、ハリスは元々地球勤務を希望した訳ではなかった。ただ、地球のドームで働いて出世の近道を考えただけだ。地球勤務経験者は経歴に箔が付く。
しかし、地球では多種多様なアルコール飲料が生産されていて、彼は忽ち虜になってしまった。挙げ句、酔っ払って暴力事件を起こし、砂漠の街に飛ばされたのだ。ドームに帰るには、何か手柄を立てなければならない。
 ハリスは受付のブリトニー嬢が提出した男たちの要望書をドームに電送してしまってから、改めて自分で目を通した。数枚赤ペンで書き込みがあったが、いつものことだ。

「いつもながら、40代、50代のオジサンの相手ばかりするのは、うんざりだろうな。」

若いブリトニー嬢にちょっと労うつもりで声をかけた。
地球人の40代、50代は既に「初老」になる。老化が早いからだ。ハリスは自分も老化が早まることを恐れていた。彼は50歳だが、地球人の目から見ると30代に見える。だが、最近皺が増えたのではないかと心配で堪らなかった。
 ブリトニー嬢はニコッと笑った。

「そんなことありませんわ、支局長。今日はとても目の保養になる人がいましたよ。」

 ハリスはもう1度書類をめくって見た。どれも年齢は40代、50代だ。目の保養になるオジサンって、どんな男だ?

「美男子がいたのかね?」
「はい、とってもハンサムでした!」

 ブリトニー嬢は思い出したのか、うっとりと宙を見た。

「40歳だなんて、信じられませんわ。20代だと思いましたもの。」

 ハリスは再度めくって3枚目の書類で手を止めた。この名前は、記憶にある。聞いたことがある。ドームではある種の「伝説」になっている名前だ。最優先捜索対象リストにあったはずだ。

「まさか・・・な」

思わず独り言が出たので、ブリトニー嬢は心配になった。

「何かまずいことになりそうですか?」
「否、何でも無い。もう帰って宜しい。」


4X’s 28

 翌日、ダリルはいつもの買い出しだと言って、街に出かけた。ぎくしゃくしてしまった息子には、普段通り、訪問者には警戒して、人前には出ないと言う注意を与えた。勿論、JJの姿も見られてはいけない。
 街では、まずJJの着る物を購入した。サイズは彼女の外観から計測して選んだ。流石に下着を買う時は、柄にもなくドキドキしたが、店員は何もコメントせずに包んでくれた。
JJが書いてくれた買い物リストには、男性が絶対に思いつかない衛生用品もあった。改めてダリルは男女の体の構造は違うのだと理解した。遺伝子管理局の訓練では、こんなことは教えてくれなかったものなぁ・・・
 食糧を購入してから、管理局の中西部支局へ行った。この支局は現役時代に2,3回訪れたことがあったが、それ以降は用がなかった。建物は既に数回改装されており、中の間取りが全くわからない。逃走経路を確保出来ない場所に入りたくなかったが、彼は意を決して正面から入った。
 待合室を兼ねた広いホールで、数人の先客がベンチに座ってテレビを見たり新聞や本に目を通していた。男ばかりかと思えば、女性もいた。多分、男は養子縁組申し込みや婚姻許可をもらいに来た人々だ。女性は妊娠して、妊婦登録、または胎児の定期健診に来たのだ。
ここで胎児の遺伝子情報が採取され、ドームに電送される。ドームは分析して、親元に残す子供と女の子と取り換える子供の選別を行う。妊婦たちは臨月になるとドームに収容され、衛生管理された場所で出産するのだ。人類が正常に繁殖していた時代は、父親が出産に立ち会うこともあったそうだが、今は絶対に許されない。取り替えが出来なくなるからだ。
 ダリルはベンチの端に座った。近くにいる女性はマタニティドレスを着ており、夫らしい男性が隣に寄り添っている。幸福そうなカップルを他の男たちがちらちらと見ている。
夫らしい男性は身なりからして裕福そうだ。家族を養う甲斐性がなければ妻をめとる権利を認めてもらえない、それが「現代」だ。昔は、女性が夫を養う時代もあったのに、とダリルは昔読んだ書物を思い出していた。女性がどうしようもなく貧乏な男性を好きになって、結婚を望んだら、ドームはどう言う回答をするのだろう。ダリルが管理局で働いていた時には、そんな先例は聞いたことがなかった。 だが、女性にだって好きな男性を選ぶ権利はあるはずだ。
 受付カウンターに、昼休みを終えた女性職員が戻ってきた。安全な就職先として、管理局の出先機関を選んだのだろう。用心棒代わりに大きな犬がついていて、彼女の足許に座った。
 男達が立ち上がり、我先にとカウンターの前に並んだ。妊婦と夫は別の部屋へ呼ばれて消えて行った。ダリルは男たちの列に混じり、10数分後にカウンターに到達した。
 身分証を提示すると、女性職員が解読器に掛けた。ポールが処理してくれている通りに、解読器は読み取り、ダリルは彼女と話す機会を得た。

「本部の局員と連絡を取りたいんだが?」
「どの様なご用件でしょう?」
「彼に頼めば、里親資格検査にパス出来ると聞いた。」

 故意に声を低くして、内緒話らしく喋った。彼女は真面目な顔で断った。しかし目はカウンターの上に置かれた要望調査票から離れなかった。解読器の表示内容を印刷して、目を通しているのだ。

「本部の方は多忙ですし、個人的な便宜を図ることはなさいません。審査は公平に行われます。」
「でも、話をすることは出来るだろう?」

 ダリルはしつこく話しかけた。

「婚姻許可申請で、あと1点で落とされたんだ。養子をもらう資格は十分あるはずだ。レイン局員がいつ来るのか、それだけでも教えてくれよ。」

 女性職員は溜息をついた。毎日こんな要求を聞かされているのだ。ダリルだけが特別な要求をしている訳ではない。彼女は目を通していた要望調査票から顔を上げ、初めてダリルをまともに見た。そして相手の容姿がそんじょそこらの牧童や農夫とは違って遙かに垢抜けていることに気が付いた。

 わぁ、めっちゃイケメンじゃん!!

 ダリルは彼女が突然ニコニコしたので、驚いた。

「レイン局員に養子の件で面会なさりたい、と言うことですね?」

 彼女はダリルの要望調査票に赤ペンで「L氏に面会希望」と書き込んだ。

「局員の巡回日程はお教え出来ませんが、この調査票は本日中に本部へ電送しますから、局員の元へ一両日中に届くでしょう。」

恐らく、彼女は気に入った相手の調査票に片っ端から赤ペンで書き込んでいるのだろう。




4X’s 27

 生物を塩基配列のレベルで見る人間など存在するだろうか? 

 ダリルはさぼっていた畑の手入れをしながら、考えていた。機械にだって、簡単にできる作業ではない。ドームでも研究所と呼ばれるドーマー立ち入り禁止区間でしか行われない作業だ。JJが本当にそう言うレベルで世界を見ているのだとしたら、この世界はどんな風に見えているのだろう。 彼女は、文字を書けるし、図も描ける。だから、普通の人間と同じ物も見えているのだ。遺伝子を見る時だけ、頭の視覚分析機能が別の働きをするのだろうか。
 想像がつかない。
 ダリルは小型トラクターを操作する手を止めた。狭い耕地は十分に手入れされた。雑草も取り除かれた。しかし、彼の心中はもやもやしていた。ひどく重大な案件を抱え込んでしまった気分だ。ドームがJJを追跡するのは、彼女が遺伝子を分析出来るからだ。そうに違いない。地球人が女性を生めなくなった謎を彼女が解くことを期待して、彼女を手に入れたがっている。彼女自身はそれに気が付いているだろうか? 自分が人類の運命を握る鍵を持っていることを。
 当のJJは、畑仕事が一段落ついたライサンダーと裏の溜め池で水遊びをしていた。
泥を掴んで投げ合ったり、水をかけあったり、ほとんど幼児と同じだが、兄弟がいなかったライサンダーは楽しかった。それはJJも同じだろう。同じ年代の子供がメーカーの研究所にいたことがなかったのだから。2人とも、単純に、このままずっと一緒に暮らすと楽しいだろうな、と思った。だから、夕食の時に、ダリルがポールに連絡をするつもりだと言った時、ライサンダーは怒った。

「あのスキンヘッドのオッサンは、JJを池で遊ばせたり、洗濯を教えたりしないよ、檻に閉じ込めて、彼女を動物みたいに実験に使うんだ、きっとそうだ!」
「ドームはそんなことをしないよ。JJは多分、執政官・・・いや、遺伝子学者たちと一緒に仕事をしてくれと頼まれるだろう。彼女の特殊な才能が必要とされているだけなんだ。」

 きっとそうだ、とダリルは自分に言い聞かせたことを言った。そして、ドームに行く方が彼女にとって安全なのだと息子にわからせようとした。しかし、友達を取られたくないライサンダーは聞く耳を持たなかった。

「その安全なドームから、どうして父さんは出て来たんだい?」

彼は、ポールが送って来た端末を出した。

「これは、ドームに父さんの居場所を教えている機械だろ? スキンヘッドのヤツは、いつでも父さんを見つけられるんだ。多分、JJがここにいることも、もう知っているよ。」

 それはまだだとダリルが言おうとする前に、ライサンダーは端末を床に叩きつけた。止める間もなく、足で踏みにじる。
 機械は惜しくなかったが、ダリルは溜息が出た。

「そんな乱暴な子に育てたつもりはなかったのだが・・・」

 するとライサンダーは、父親を睨み付けて言った。

「きっと、俺の残り半分の遺伝子提供者の血筋だよ。父さんは俺が何も知らないと思っていたの? 俺はメーカーに創られたクローンだってことぐらい、知ってるよ。街で出れば、そんな話はいくらでも聞くんだ。俺には母さんがいない。父さんは母さんの話をしたことがない。父さんは、結婚したことがないんだろ? メーカーにクローンを創らせるのは違法だってこと、知ってるよね? 父さんがそれを摘発する仕事をしてたんだろ? 父さんは違反して、ドームを逃げたんだ。俺、間違ってる?」

 ダリルは何も言い返せなかった。息子は馬鹿ではない。時々、ダリルが驚くほど頭脳明晰な面を見せる。今まで、知らないふりをして、父親を騙してきたのだ。一体、いつから?
いや、今はそんなことはどうでも良い。

「ドームは確かに、世間から見れば謎だらけの不可解な場所だろうが、絶対にJJを不幸な目に遭わせたりしない。JJは安全が確保出来れば自由に出入り出来るはずだ。今は、JJの身を守れる場所はドームしかないんだ。」


4X’s 26

ダリルは1枚目の紙の塩基配列を指した。

「これは1人の塩基配列だ。」

2枚目を指して、

「これは3人分だ。3人の人間のX染色体だけを彼女は描いた。」

彼はJJに尋ねた。

「1枚目は君のお母さんで、こっちの3人は・・・その・・・お父さんになるのかな?」

ぽかんとするライサンダーを無視して、JJは頷いた。
ダリルは、「4X」の本当の意味を理解した。JJはX染色体の4倍体ではなく、4人の人間のX染色体の遺伝子組み換えで生まれた子供だったのだ。
遺伝子の組み換えは、人間以外では頻繁に行われた。特に農産物や家畜だ。人間への応用は、宇宙で行われていたと推測されるが、ダリルはその歴史を教わっていない。ドームでは、胎児に致死遺伝子があると見なされた場合のみ、執政官たちの合議の元で処置が行われていた。地球人として不自然であり、あってはならない遺伝子があった場合も同様だが、基本的には、してはならない処置だったのだ。
 そして、この技術は、ドーム外のメーカーごときが行える様な簡単な物ではないのだ。
ベーリングと言うメーカーがどれ程の知識と技能を持っていたのかわからないが、JJは高度な技術の産物なのだ。
 ドームとラムゼイはそれを知って、彼女を手に入れようと追跡しているのだろうか? だがラムゼイは別にして、ドームにそうする必要があるのか?

 それにしても・・・

「君は誰からこれを教わったんだい? 君のご両親が教えたのか?」

 すると、JJは沈黙した。喋らない少女だから、手を動かさなくなったと言った方が正解か。
 黙ってダリルを見て、それから馬鹿みたいに自分を見つめているライサンダーを見た。
彼女はペンを取り、紙に文章を書いた。

ー貴方は澄んだ水が流れる川の様。彼にも同じ水が流れている。

これは詩ではないよな・・・とダリルはまた考え込んだ。しかし、彼女が直答を避けて敢えてこの形で答えたのだと察しはついた。
すると、ライサンダーが、初めて口を開いた。

「彼女は教えられたんじゃないんだね? わかるんだ、きっと! 人間を見たら、その・・・遺伝子がわかるんじゃない?」


2016年8月27日土曜日

4X’s 25

 ライサンダーは少し混乱していた。生まれてからずっと父親と男2人きりの生活だった山の一軒家に突然若い女性が加わったのだ。 JJと呼ばれる彼女は、筆談でしか会話をしなかった。 コミュニケーションに時間がかかってまどろっこしい上に、彼女の生活習慣はライサンダーには初めてのことばかりだ。初日に彼女が使用中のバスルームにうっかり入ってしまい、父親に引きずり出された。
 夜は、彼の寝室が彼女に占拠され、父親の部屋で寝るはめになった。

「なんでこの歳で親のベッドで一緒に寝なきゃいけない訳?」
「彼女と同じベッドで寝るには早すぎるからだ。」

 ダリルは息子にベッドを譲って自分が床や長椅子で寝るなんて考えなかった。彼の部屋の居候は息子なのだから、息子が自分で寝床を確保するべきだ。
しかし、ライサンダーは彼のベッドに入ってきて、半分を使った。 大人しく・・・と言いたかったが、寝相が良いとは言えない。
ダリルはJJを早くドームに引き渡そう、と思った。さもないと、寝る度に痣だらけになる。それに、ラムゼイと出遭ってしまったのだ、あのメーカーの老人は、きっと彼の現住所を探すだろう。近いうちに引っ越しも考えておかねばならない。

 JJは家事の経験がなかった。それでもセイヤーズ家の手伝いをすべきだとけなげにも行動した。結果は、父子の仕事を増やしただけだった。
 ライサンダーは割れた皿の後始末や、洗剤と間違われて洗濯機に放り込まれた砂を掃除するのに一日を費やした。
ダリルは畑の世話よりも彼女が野菜の芽を踏まないように見張らねばならなかった。
2日目の夜、夕食が終わって、やっとくつろぐ時間を得たダリルに、JJが紙に書いたものを見せた。
 ライサンダーは、ダリルが紙を見て黙り込んだのを不審に思い、紙面を覗き見した。
綺麗な模様が描かれていた。

「綺麗な絵だけど、何かの模様なの?」

すると、ダリルが答えてくれた。

「これは、塩基配列だ。」

怪訝な表情のライサンダーを無視して、JJがもう一枚の紙を出した。そこにも塩基配列が描かれていた。彼女は1枚目の絵を指して、次に2枚目の絵を指した。また1枚目の絵の違う部分を指し、2枚目の別の箇所を指した。同じことを4回繰り返した。

「それは、つまり・・・」

 ダリルは、彼女が言いたいことを頭の中で整理した。
信じられないが、そう言うことなのか?

「だから、何?」

ライサンダーがじれて説明を求めた。

「塩基配列が何かってことは知ってるよ。これがどうかしたの?」





4X’s 24

 ダリルはその声に聞き覚えがあった。18年前にも聞いていた。ライサンダーが新生児として人工子宮から出た時、ダリルに赤ん坊の抱き方を教えてくれた若者だ。彼はミルクの作り方や与え方、オムツの替え方まで教授してくれた。

「ジェリー? 君か?」

彼が運転席を覗き込もうとすると、ラムゼイが話題を変えた。

「ところで、おまえさん、この辺りで若い女を見かけなかったか?」

ダリルは顔を上げた。

「女? どんな女性だ?」
「知らないのであれば、今の質問は忘れろ。身のためだ。」

ラムゼイがここへ来た本当の目的は、少女の捜索だ。ダリルはもう少し時間を稼ぐことにした。ライサンダーと少女には出来るだけ遠くへ逃げて欲しい。

「あんたの部下が何か拾ってきたら、見せてもらっていいかな? 私に関する物があれば、ここで処分したい。」
「いいだろう、まだ夜は長い。」

 ダリルとラムゼイはやっと場所を移動して、枯れた植え込みを囲む石組に腰を下ろした。

「ところで、あんたは同業者と戦争するはめになることをやらかしたのか?」
「いろいろ営業妨害したのでな、ものすごーく気に障ることをうちの若いのがやったんだろう。」

 ラムゼイは遠慮無くダリルをじろじろと眺めた。

「おまえさんは、今、何をやって食っているんだ? ドームを出た元ドーマー連中は大概支部や出張所で働いているが、脱走者はそうも出来まい。」
「私は渡りの運送業をしているのさ。一箇所に留まらないから、あまり当局の目につかずに済む。それに、もう遺伝子云々の仕事には関わりたくないんだ。」
「そうか・・・困ったことがあれば、いつでも儂の所へ来ると良い。」

 ダリルはラムゼイが別の隠れ家の住所を言うのかと期待したが、老人はそれ以上は触れなかった。なかなか一筋縄ではいかない男だ。
 そこへ部下たちが戻って来た。手土産はほとんどなくて、当然、ダリルに関する物など何もなかった。
ラムゼイ博士がダリルに言った。

「儂が言った通り、おまえさんの物は何もないだろう? さぁ、さっさとねぐらに戻れ。儂はまだやることがある。」

 ダリルは素直に車に乗り、エンジンをかけた。
ラムゼイ博士は既に彼に背を向けて、廃墟の方向へ歩き始めていた。
博士の車から、運転席に居た男が降りて、博士の後を追った。






2016年8月26日金曜日

4X’s 23

「儂は悪運が強いのだよ。友達が警報を発してくれたんでね。出かけて良かった。
研究所と弟子の数名がやられてしまったのは口惜しいが・・・。」

 ラムゼイ博士はそれほど残念でもなさそうに言った。
ダリルは、彼が何気なく言った言葉を聞き漏らさなかった。友達? ベーリングの襲撃を教えた人間がいたのか? ベーリングの組織にスパイがいたのか、それとも、この「戦争」を画策した管理局の内部に・・・? 
 ラムゼイがダリルに尋ねた。

「おまえさんは、ここで何をしてるんだね? もう夜中だぞ。」
「あんたが私に関する資料を残してあるんじゃないかと、調べに来たんだ。あんたのことだから、私に全て処分したと見せかけて記録を取ってあるかも知れない、と心配になってね。」
「おまえさんのものは、18年前に、おまえさんの目の前で全て灰になったよ。惜しかったが、約束だったからな。儂は顧客との契約は守る主義だよ。
だから、何もなかったろう? 管理局も後捜査で何も回収していないはずだ。」
「じゃぁ、あんたは何しに今夜ここに来たんだい?」
「儂も残務整理だ。おまえさん、ここの地下を既に見たのだろう? 墓場になってしまった保育室の哀れな連中をせめて焼いてやらんとな。ハゲタカの様な同業者に荒らされても困るから。」

 ラムゼイ博士は部下たちに地下室の始末を命じた。
数人が廃墟の中に入っていった。ダリルは車をはさんで老人と対峙していたが、車内には運転席の男がいるので、出来るだけ刺激しないように努めた。
 博士が尋ねた。

「子供は元気か?」
「死んだよ。」

ダリルはあっさりと答えた。

「2歳になるかならないかで、風邪をひかせてしまって、あっと言う間だった。医者には連れて行ってやれない身分だったのでね。可哀想なことをした。」
「ふむ」

ラムゼイがかすかに笑った。

「だからスペアを取っておけ、と言ったのに、おまえさんは強引に廃棄したんだ。命には変わりないのにな。」
「1人で3人も育てるのは無理だ。」

すると、運転席の男が口をはさんだ。

「1人育てるのも3人育てるのも同じだ。」


2016年8月25日木曜日

4X’s 22

 訪問者たちが駐車場に入ってきた時、ダリルは既に建物から出て暗がりの中に立っていた。彼の車は直ぐに発見され、5台のオフロードカーが取り囲む様に駐まった。
数人が銃を手に下りて来て、不審車を調べる為に近づいた。
 ダリルは2番目を走って来た車に静かに歩み寄った。車内の人間は下りないで、仲間の動向を見ている。その後部席のサイドウィンドウをダリルはコツコツとノックした。
後部席の白髪の男が振り返った。ダリルが挨拶した。

「今晩は、ラムゼイ博士。」

運転席の男と、外に出ていた男たちが振り返った。
忽ち銃口がダリルに向けられたが、白髪の男が片手を揚げて彼らを制した。
彼は運転席の男に何か囁き、自分は車外に出た。
かすかなブーンと言うモーター音が聞こえた。歩行障害がある人間が使用する重力サスペンダーの音だ。機械で体を吊り上げ、脚に体重を掛けないようにする。高価なので、金持ちにしか買えないし、まず一般の地球人は使わない。
白髪の男は、地球の年齢で60代に見えた。20世紀より人類の寿命が短くなっているのだから、かなり高齢な部類に入る。老化度も、20世紀の人間だったら90近くに見えただろう。コロニー人やドーマーだったら100歳は越えている肉体だ。
つまり・・・ダリルにはこの違法遺伝子学者が実際は何歳なのか見当がつかなかった。
ただ、18年前に会った時より歳を取っている。それだけは言えた。

「誰かと思えば、あの『はぐれドーマー』じゃないか。」

 ラムゼイはダリルを覚えていた。無理もない、遺伝子管理局の局員でありながら、メーカーにクローンの子供、それも男同士の遺伝子を合わせた子供を創れ、ととんでもない発注をしてきた珍客だったから。
 ラムゼイの部下たちがダリルにライトの光を浴びせた。眩しいので、ダリルは手で目をかばった。
 ドーマーと聞いて、部下たちが色めき立った。管理局員だと思ったのだ。だから、ラムゼイは彼らを宥めた。

「こいつは心配ない、再教育が必要な脱走者だ。」

そして、ダリルに向き直って、微笑んだ。

「18年たってもあまり歳を取っていないな、流石にドーマーは今の地球の環境に影響される速度が遅いと見える。」
「そうかね? 先日出遭った管理局員は、私を見て、オッサンになったと言ったぞ。」

ダリルも老科学者を見ながらニヤリとした。

「風の噂では、あんたは他のメーカーと戦争になってやられたって聞いたんだがな。」


 

2016年8月24日水曜日

4X’s 21

 ダリルは暗闇の中で少女が動くのを待っていた。食べ物を口に入れて少しでも自分たちを信用して欲しかった。この娘をドームに引き渡せば、後は自由だ。身分証を手に入れたし、息子も市民権を登録してもらえた。これからは、普通の地球人として暮らしていける。
そして、ポール・・・ダリルはもう彼と暮らしたいと思わなかった。人生の価値観が全然違う相手と、これから巧くやっていける自信がなかった。ポールはコロニー人が築き上げたドームと言う世界から出ると言う発想すらない。
 ダリルにもたれかかって眠っているライサンダーは幸せそうな寝息をたてていた。息子は父親以外の人間をほとんど知らない。せいぜいが遊び仲間だけだ。
少女も両親とその仲間しか知らなかったのだろう。世の中を知る時間も与えられぬまま、ドームに囚われて一生過ごさせて良いのだろうか。
 ダリルは自身に問いかけた。今、自分は間違ったことをしていないか? 自分の自由を手に入れる為に、他人を犠牲にしようとしているのではないか?
 ダリルが切なくなった時、少女がカウンターに近づいて来た。そっと手を伸ばして、シリアルバーを取った。ダリルは呼吸を乱さずに無言で見守った。月明かりで彼女のシルエットが見えた。
 女の体はどうして優しい曲線で、優美な動きをするのだろう、と彼はぼんやりと思った。
ドームの女性は制服で身を包み、あるいは研究者用の白衣を着て、滅多に私服姿を見せなかった。若い男性ドーマーに「教育」をほどこす時だけ、軽装になったが、ダリルはそのチャンスを十分に経験する前に脱走してしまったので、あまり女性の体に関する実体験がない。
ユーラシア・ドームで見かけた清楚な印象のコロニー人女性は、もう宇宙に帰ってしまったろうか?
 ダリルが思わずついた溜息で、少女が振り返った。ダリルはあくびをする振りをした。
少女は空っぽの書棚に座って、シリアルバーを口に入れた。
 彼女がバーを半分ほど食べた時、外で音がした。エンジン音だ。複数の自動車が近づいて来る。
 彼女より先にダリルが動いた。窓に駆け寄り、訪問者がどの方向から、どれだけの台数で来るのか、確認した。道路を走って正面から5台、並んでやって来る。この施設の廃墟が目的地だ。ここは砂漠の中だから、他に行く所はない。
 よりかかっていたダリルがいなくなったので、ライサンダーが床に倒れ込んで目覚めた。寝起きが悪い彼は、熟睡から強引に起こされた形となり、ぐずぐず声を立てた。ダリルは低い声で叱った。

「声をたてるな、ライサンダー、客人だ。」

そして少女にも注意を与えた。

「窓から離れろ。姿を見られるぞ。」
  
 少女は彼を見て、言われた通りに窓から離れた。そして、驚いたことにライサンダーに歩み寄り、彼の腕を掴んで引き起こそうとした。ライサンダーはびっくりして、父親を見た。

「今の見た?」
「ああ。」

 感動している暇はなかった。近づいて来る車は、ここの地形を理解している。ラムゼイの残党と見なして良いだろう。直ぐにダリルの車を見つけてしまうはずだ。

「ライサンダー、裏に外付けの非常階段がある。彼女を連れてそこから逃げろ。私が連中を惹き付けておくから、闇に紛れて道路沿いを歩いて街へ向かえ。路面は歩くな。私が車を取り戻して追いつくまでは、出来るだけ姿勢を低くして歩くんだ。サソリとヘビには気をつけろ。」

 ライサンダーは山で育ったから、夜の砂漠には慣れていた。
それでも、不安を感じた。

「相手の数は多いんだろ?」

ダリルは務めて気安い声で言った。

「1人の方が動きやすいんだよ。私はラムゼイ博士と面識がある。彼があの中にいれば、大丈夫だ。」
 

2016年8月23日火曜日

4X’s 20

 東海岸は3時間の時差で既に夜が更けていた。ケンウッド長官はまだ書類仕事を片付けられないでいた。彼は仕事熱心で真面目でドーマーたちからも同僚の執政官たちからも信頼されていたので、既に長官職を2期勤め、3期目は流石に肉体的にやばいかなぁと思い始めていた。しかし、彼は在任期間中にどうしても解決しておきたい仕事をいくつも抱え込んでいた。
 彼の机の向こうにポール・レイン・ドーマーが立った。仕事では最も優秀だが、情け容赦のないやり方をするので、「氷の刃」と渾名される男だ。いつも身綺麗にしており、今も夜遅いと言うのに、今出勤してきたみたいに、折り目をパリッとつけたシャツとスーツをきちんと着込んで、冷たい水色の目で長官を見下ろした。

「お呼びですか?」

 命令されれば雑巾がけでも靴磨きでも何でもする男だ。仕事に関する意見は言うが、命令には逆らわない。典型的なドーマーだ。
 ケンウッドは期日が迫っている予算委員会への提出書類を作成していたが、ポールには手伝わせない。ポールにはポールの適性があり、ケンウッドは部下の適性を正確に判断出来る人間だった。ポールに声を掛けられて、彼は手を止めた。

「4Xの捜索は何処まで進んでいる? セイヤーズは本当に協力してくれているのか?」

 ポールが逃亡したダリル・セイヤーズを発見したことは、まだケンウッドと遺伝子管理局局長のローガン・ハイネ・ドーマーしか知らない。4Xの捜索にダリルを起用することを提案したのは、ハイネ局長だ。
 ダリルはポールの為なら働くだろう。ドームの外で長時間自由に動けて、危険任務を厭わないドーマーはダリルしかいない。
 ポールは、ダリルがGPS機能内蔵の端末を家に置きっ放しにしているのを察していたが、それを長官に告げるつもりはなかった。

「あの男は、やると言えばやります。絶対に約束は違えません。」

 ケンウッドにとって、ダリルは昔の教え子の1人でしかなく、特によく知っている訳ではなかった。ただ印象は残っていた。授業中に悪戯をするやんちゃ坊主だったのだ。

「君が彼を信じるのなら、私も信じよう。」

 夜遅く、そんな話でわざわざ呼び出したのか、とポールが思った時、ケンウッドは本題に入った。

「収容したメーカーたちの遺体の中にラムゼイはいなかったそうだね。」

 渋々ポールは認めた。

「ベーリングが襲った時、彼は研究所を留守にしていた様です。逃げられました。」
「しかし、施設は破壊された。当分はあくどい商売は出来ないだろう。」
「そう願いたいですが、あの爺様は、方々に同じ様な施設を持っていました。」

 ケンウッドがやっと顔を上げてポールを見た。

「君は、ラムゼイが一番大切にしているものを別の場所に隠していると思うかね?」

 メーカーの一番大切なもの、と言えば、遺伝子組み換えの方程式や、貴重な遺伝子サンプルだろう。そして、細胞を分裂させる己の技術。
だが、遺伝子管理局から見れば、そんなものは抹消すべき邪道の研究だ。
ポールは、今回の作戦を始める前から、ラムゼイやベーリングの支部を片っ端から潰していった。外堀を埋めて、メーカーたちが本丸に逃げ込んだ所を、攻撃する。
ポールは、ベーリングは壊滅させた自信があったが、ラムゼイの用意周到さには呆れかえった。潰しても潰しても、ラムゼイには逃げる場所が用意されていたからだ。

「私には、ラムゼイには誰か強力なバックが付いていると思えます。」

ケンウッドは驚いた。メーカーに黒幕がいると言う考えに、虚をつかれた思いだった。

「そのバックが博士を匿っていると思うのか?」
「恐らく、何らかの手を貸しているでしょう。」

ポールは、ケンウッドが深刻な顔で悩むのを見物した。
大きな組織のメーカーを取り逃がしたことには違いないが、長官は何を懸念しているのだろう。

「レイン、メーカーの遺体のDNA照合はしたのだろうね?」
「全員、しました。死亡者リストに登録済みです。」
「その中に、ドーム内出生未登録者はいたか?」

地球人は、メーカーが作ったクローンでない限り、ほぼ全員がどこかのドームで生まれている。ドームには地球人全員の遺伝子登録があるのだ。死亡した場合は、そのリストと照合して死亡事実を確認、登録する。

「メーカーたちは全員、ドームで生まれていましたよ。」

皮肉な事実にポールが少しばかり愉快そうに言った。ケンウッドは笑えなかったが、憂慮は少し和らいだ。
彼は、ポールに部屋に戻って休むようにと言った。
ポールは素直に退出したが、長官が何に安堵したのか、微かな疑問を抱いた。




2016年8月22日月曜日

4X’s 19

 ポール・レイン・ドーマーは緑色に輝く葉緑体毛髪が好きではなかった。彼は幼い頃から女性も羨む美貌の持ち主だったが、当人は髪の毛が緑色だからちやほやされるのだと思っていた。
 だから、恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーがドームの中の将来に絶望して脱走した時、彼は剃髪した。彼の髪を愛したリン長官に無言で抗議したのだ。リンがダリルを西ユーラシア・ドームにトレードして、ダリルがそれを嫌がって逃げた、と思ったのだ。
彼は、出世しても妻帯しても、ダリルと少年時代同様巧くやっていけると信じていた。ドーマーは誰でもそう言う生活をしているのだから。
 ダリルが規則だらけでコロニー人に逆らうことを許されないドームの生活そのものが嫌になって、それにポールが疑問を抱かないことに絶望したことを、ポールは気が付かなかった。だから、リン長官への抗議も、剃髪で終わったのだ。
 しかし、ポールの剃髪の意味に気が付いた執政官が1人だけいた。人間の体表組織の老化現象を研究している学者、ケンウッド博士だった。ケンウッドはコロニーの「地球人復活委員会」本部に通報した。
「アメリカ・ドームの長官リン氏が、ドーマーに愛人関係を強要した上に、進化型1級遺伝子保有者を逃亡させた。」
 本部は、愛人云々より、後半の部分の訴えを重視した。進化型1級遺伝子は、地球人にはないはずの遺伝子だ。これは宇宙空間を旅する宇宙船の操縦士の為に人工的に開発された遺伝子で、ドームに提供された女性の卵子に偶然にも因子が含まれていたのだ。
だから、赤ん坊のダリルはドーマーとして残されたのだ。彼の子孫は、因子を取り除いた核を用いなければ作ってはいけないことになっていた。 リン長官の罪は、地上に放ってはいけない遺伝子保有者を逃がしてしまったことだった。
 リンは更迭され、後任の長官はポールの美貌を警戒して彼を遠ざけた。ポールは5年間窓際に追いやられ、這い上がるのに努力しなければならなかった。妻帯希望を出すどころではなくなったし、第一、ダリルを失って、家族を持ちたいと言う夢も失った。
 死にものぐるいで働いて、やっと名誉回復した時に、長官が交代した。
 ケンウッドは、ポールを好いていなかったが、才能は認めていたので、重用してくれた。
仕事で必要だと判断すれば多少の我が儘も聞いてくれた。

 ダリルが息子と共にX染色体の4倍体少女と持久戦に入っている頃、ポールはケンウッドの執務室に呼ばれていた。

4X’s 18

「既に息子から紹介があったと思うが、私はダリル・セイヤーズ、息子はライサンダーだ。君をメーカーから守って欲しいと管理局から依頼されて探しに来た。
どうすれば、君に信用してもらえるのかな?」

 ダリルがポケットに手を入れると、少女がベルトに差したダリルの拳銃のグリップを掴んだ。彼は動きを止めて言った。

「君の写真を出すだけだよ。」

 動作はゆっくりと行わなければならない。ダリルはそっとプラスティックの写真を取り出した。
 ドーマー同士の情報交換は普通端末で行う。ポールは彼に端末を送って来たのだが、ダリルは管理局に自分の位置情報を与えたくなくて、家に置いて来た、写真は端末からプリントアウトしたのだ。
 写真をカウンターの上にそっと置いて、再び壁際に退いた。
少女がカウンターの上の写真を眺め、彼を見た。

「私の友達からもらった。友達は君と君のお母さんを助けようとここへ来たが、間に合わなかった。君のお母さんは君を逃がして亡くなったんだね? 彼女は今際の際、友達に君のことを託した。しかし、友達はドーム人なので、ここへは長く居られない。だから、私が代理で君を保護しに来たんだ。」

 少女は何か言いたそうにしたが、コミュニケーションを取る方法を思いつかない様子だった。
そこへライサンダーがデイパックを持って戻って来た。荷物を受け取ったダリルは、シリアルバーを取り出し、息子と分け合った。

「名前を教えてくれたら、君にもあげるよ。」

 彼はノートとペンも出して、カウンターに置いた。
ライサンダーがこれ見よがしに水筒から水を飲むと、彼女はイライラを募らせた。
ダリルは彼女が可哀想になった。虐めるためにここに来たのではない。
それに日が沈んでしまい、気温が低下し始めた。
月明かりだけで、3人は互いの様子を伺っている状態だ。出来れば早く山の家に帰りたい。
ダリルは根負けした。
カウンターの上に、シリアルバーの残りと水筒を置いた。

「休戦だ。君も食べて飲んで、休むと良い。寝ている間は手を出さないと約束する。」

4X’s 17

 ダリルは階段を上った。上がりきって右手にリクリエーションスペースらしい広い場所があり、ライサンダーは端の壁にもたれかかっていた。ソファやテーブルがひっくり返ったり、押し集められたりして、その向こうのカウンターの後ろに少女がいた。右や左へ行ったり来たりしていた。

「何をしているんだ?」

ダリルが尋ねると、ライサンダーは彼女を見ながら答えた。

「彼女は場所をかえるべきか否か、思案中なんだ。ここは広くて身を隠す場所がない。向こうにあるシャワールームは水が出るんだけど、狭くて戦えない。彼女は困っている。」

ダリルは息子の横顔を見た。

「おまえはいつから女性の心理を読めるようになったんだ?」
「なんとなく、分かるような気がするんだ。父さんが倒れている間、ずっと彼女を観察していたから。」

ライサンダーは父親を振り返り、ダリルのベルト下を見た。

「大丈夫?」

 ダリルは、ああ、とだけ答え、我が身の災難の話題を終わらせた。
 少女は相手が2人になったことを心配していない様子だ。ダリルから奪った拳銃はまだ所持していたが、それでライサンダーに攻撃したり威嚇したりはしていない。

「私たちが攻撃しないので、敵か味方か判断しかねているんだ。」
「攻撃しようがないよ、怪我をさせちゃいけないんだろ?」

もうすぐ日没だ。廃屋の夜は気持ちの良いものではないし、砂漠の夜間は冷え込む。
ダリルは車内に水と携行食を積んできたが、野宿はしたくなかった。

「私達のことを説明したのか?」
「うん、私立探偵みたいなものだって言った。メーカーから彼女を保護するために探しに来たんだって。でも、彼女は何も答えないんだ。聞こえていないのかな? こっちが名乗っても、彼女は無視なんだ。」

 彼女は喋らない。声すら発さない。
まさか、発声機能が退化しているのか?
 ダリルはライサンダーに車から水と食糧を取ってくるように言いつけた。ライサンダーは素直に外へ出て行った。
 少女は窓の外を眺め、ダリルを見て、また右に左に歩いた。

「せめて、君の名前がわかればなぁ。」

とダリルは話しかけた。

2016年8月21日日曜日

4X’s 16

 彼女はまだ銃を持っていた。近づくダリルに銃口を向けながら、少しずつ燃えさかるバイクから遠ざかろうと動き始めた。ダリルは、今更ながら、自分の腕を掲げ、撃つ意志がないことを示そうと試みた。

「バイクを撃ったのは、君に遠くへ行って欲しくなかったからだ。もう撃たないから、君も銃をしまってくれ。」

 腕を伸ばしたまま、ゆっくりと銃を下げ、地面に置いた。愚かな行為だと言う意識が心の底にあったが、彼女に信用してもらうには、他に方法を思いつかなかった。
 少女が銃を振って、彼に退がれと合図した。彼は素直に従った。彼女が前に出て来て、彼に狙いを付けたまま身をかがめ、彼の銃を拾い上げた。それを自分のベルトに差し込む。なんだか闘い慣れている、と彼は思った。
 また銃が振られた。今度は「歩け」だ。ダリルは正面玄関に向かって歩き始めた。彼の車が駐まっている。ライサンダーの姿は見えない。今は出てこない方が良い。
 不意に少女が前に回り込み、彼を足止めした。空いている手を差し出したので、車のエントリーキーを要求しているのだとわかった。ダリルが手を下ろそうとすると、彼女は首を振った。

「腕を上げたままでは、キーは出せないぞ。」

ダリルは話しかけた。

「それとも、君が私のポケットから取るかい? 右の尻ポケットだ。」

 彼女は彼の後ろに回った。彼女の手が彼のお尻に伸びた時、建物の方で物音がした。乾いたカサッと言う音だ。彼女がそちらへ顔を向けた瞬間、ダリルは彼女の手首を掴み、銃口を自分からそらせた。彼女が引き金を引き、ポンッと音がして、ダリルの車がぐらりと揺れた。ダリルは気づかずに、彼女の手首を捻って銃を取り上げるのに成功した。同時に彼女が彼の股間を蹴り上げた。
 このアンフェアな行為は、男には効果覿面だった。
ダリルは思わず彼女を放し、地面に倒れ込んだ。その隙に彼女は建物内に駆け込んだ。
悶絶しているダリルにライサンダーが駆け寄った。

「大丈夫かい、父さん?」

ちょっと笑っている。ダリルは呻いた。

「見てわからんか! 大丈夫な訳がなかろう!」

 醜態を息子に見られた。涙は苦痛だけが原因だけではなかったかも?
ライサンダーは肩をすくめ、建物を見た。

「俺が仇を取ってやるよ。」

ダリルの返事を待たずに彼は走り去った。

多分、この苦痛と屈辱は一生忘れないだろう。苦痛が治まったダリルは悪態をつきながら自動車のタイヤ交換をした。少女の銃の流れ弾が当たって、タイヤがパンクしていたのだ。
お陰でライサンダーの加勢に行く迄時間をくった。
 ライサンダーも小娘も建物から出てこない。息子が彼女に簡単にやられるとは思わないが、静か過ぎるのが気になる。ダリルは建物に入った。階段に近づき、息子の名前を呼ぶと、階上から返事があった。

「2階だよ、父さん。」

4X’s 15

 地下室には死の匂いが籠もっていた。床や壁に血痕が残っている。至る所に死体の位置を示すマーカーが描かれている。ガラスと言うガラスは残らず破壊され、壁には弾痕が無数に開いており、棚は引っかき回され、OA関連の機材は全て持ち去られていた。管理局が押収したのか、略奪に遭ったのか、荒らされ方が酷くて区別がつかない。照明がないので持参したハンドライトだけで歩くと、霊安室を歩いている気分になって、気が滅入った。
 ベーリングの母娘は何処に監禁されたのだろう。ダリルは人間を閉じ込められそうな部屋を探した。
 冷蔵庫の様な扉を押し開けると、胸の悪くなる腐敗臭が襲ってきた。
ガラス管に入った腐った胎児が大きな目をこちらに向けてライトの光の中に浮かび上がった。流石のダリルも嘔吐感を覚えて、急いでそこを離れた。
 何故管理局はあの子たちを放置したのだ。せめて焼却してやるべきだ。こんな廃墟の中で人知れず腐っていくなんて、哀れじゃないか。
 廊下の突き当たりに、目立たない扉があった。隙間の向こうが明るい。
ダリルはライトを消し、静かに扉を開いた。

 多分、そこはラムゼイ博士の特別な部屋だったのだろう。毛足の長いカーペットとどっしりとした執務机、両側の壁を埋め尽くす書棚、机の向こうはガラス壁で、掘り下げて造られた庭と岸壁から生える萎びた観葉植物が見えた。明るいのは、庭が天井のない吹き抜けになっていたからだ。
 床の上にぶちまけられた書物の隙間に死体を示すマーカーが2つ描かれ、その一つの上に1人の少女がかがみ込んで、カーペットの血痕を撫でていた。彼女は押し入ってきたダリルを無言で見上げた。ポールが見せてくれた画像の少女だ。
 ダリルは彼女が片方の手に銃を握っているのを見逃さなかった。

「JJだね?」

 精一杯優しい声音を出してみた。女の子に話しかけるなんて、ドームを出て以来だ。
彼女は彼を見つめ、いきなり警告もなしに発砲した。
ダリルは無意識に彼女の指の動きを察知して、身を伏せ、危うく銃弾をかわした。
床を転がり、秘書机らしき家具の後ろに隠れた。

「私はメーカーではない! 君のお母さんに君の保護を頼まれた管理局の仕事で、君を探しに来た、セイヤーズと言う者だ。一緒に支局へ行こう!」

 返事がなかった。突然床の上の書類がパラパラと宙に舞った。風? ダリルは立ち上がった。少女がいない。風は窓から吹き込んで来る。ガラスが割れているのだ。そして少女は庭に出ていた。ダリルが窓に駆け寄ると、彼女は中庭の壁に刻まれた階段を駆け上って行った。逃がすか! ダリルも外に出た。少女が振り返り、また撃ってきた。
 ダリルが階段を上りきると、そこは裏庭だった。枯れた芝生としなびた花壇。少女が建物の正面へ走っていく。
 JJ、と呼んでから、ダリルは思った。彼女は本当にそんな名前なのか?
 庭の出口にオフロードバイクが停めてあった。先刻周回した時はなかったのだ。彼女はさっきどこからか来たばかりだ。
 ダリルは拳銃で狙うには距離があると思ったが、立ち止まると慎重にバイクに銃口を向けた。
 タイヤを狙ったつもりだったが、銃弾はエンジンに命中した。エンジンが爆発した。
少女が花壇に吹っ飛んだ。怪我をさせてしまったか? ダリルは駆け寄った。少女が立ち上がった。埃まみれだが、しっかり自分の脚で立って、ダリルを睨み付けた。

「すまない、怪我はないか?」

ダリルは声をかけてみた。

4X’s 14

 ラムゼイの研究所は表向き神経障害者療養施設だった。砂漠の中のオアシスの様に地下水を利用して緑の空間を造り、二階建ての病棟をその中央に設けていた。
 ダリルたちが訪れた時、施設はベーリングの私兵の襲撃で破壊され、当局の捜査で荒らされていた。電力供給が止まっているのは発電設備がやられたからだろう、地下水を組み上げるポンプが停まり、植物が枯れかかっていた。隠れ蓑だった入院患者はラムゼイがベーリングの攻撃を予想したのか、先だって別の病院に転移させられていたので、犠牲は出なかったそうだ。メーカーにも良心はあるのだ。
 犯罪現場を示す黄色いテープが周囲に張り巡らされ、割れた入り口のガラス扉の破れ目から砂が中に入り込んでいた。窓も同じだろう。
管理局は証拠物件を押収すると、現場保存はしないのだ。ダリルは外部に残された足跡や自動車のタイヤ痕を見て、捜査関係者が引き上げた後に多くの訪問者があったことを知った。
略奪者だろう。ダリルは銃を出して、ライサンダーに渡した。

「ここで出遭うヤツは碌でもない連中だろう。危険を感じたら迷わずに撃て。ただし、女は撃つなよ。」

 ライサンダーが建物を見上げた。

「でかい建物だから、ゆっくりしていたら明日になるよ。二手に分かれて探そうよ、今夜はここでキャンプするんだろ?」

 少しピクニック気分だ。
 ダリルはゆっくり周回してみてどこにも車がいないことを確認してから、庭に停めた。

「おまえは2階から見て行け。私は地下から始める。2時間後に車に戻って来い。野宿する場所はそれから決める。」

 地上階は療養所だったから、ライサンダーはメーカーの実体を示す物を見ずに済むだろう。
 エレベーターが動かないので、2人は階段で別れた。

 ダリルは階段を下りながら、ラムゼイ博士は死んだのだろうか、と考えた。ポールは「ほぼ全滅」と言ったが、犠牲者の氏名は明かさなかった。言う必要がなかったからだろう。
 ラムゼイ博士は、ダリルが仕事を依頼した時、酷く驚いていた。無理もない、メーカーを摘発するはずの遺伝子管理局員が、自分のクローンを発注したのだから。しかも、男同士の遺伝子を合成する子供だ。博士はダリルの顔を見て、「禁断の恋だな」と分析して笑った。
ダリルが罠を掛けてきたと懸念したかも知れないが、ダリルのなけなしの財産と彼自身の遺伝子を採取させる条件で、仕事を請け負った。
つまり、博士はダリルの遺伝子でライサンダーの他にも数人のクローンを作ったのだ。ドーマーの遺伝子は高額で売れる。子供たちはどこかの結婚しない富豪や、子供に恵まれない夫婦に売られたのだ。しかし、ダリルには知ったことではなかった。彼にとって「子供」は、ポールとの間に生まれる子供だけだった。
 天才ラムゼイ博士をもってしても、男性同士の遺伝子を組み合わせて子供を作るのは困難だった。生命が発生したのは、わずか3体だけで、ダリルは三つ子を持つか、1人を選択して、残りをスペアとして凍結するか、と迫られた。
 彼は、一番発育の良かった一体を選び、残りを自分の目の前で廃棄させた。ラムゼイは胎児も命なのだと渋ったが、ダリルが頑として聞かなかったので、焼却した。

4X’s 13

 ラムゼイの研究所へ向かう道は、まだダリルの記憶の片隅に残っていた。と言うよりも、絶対に忘れなかった。ライサンダーが生まれた場所であり、初めてメーカーと対等に話しをした場所だ。それまで、ダリルはドームで教えられた通りに、メーカーは薄汚い命を売買する犯罪者だと信じていた。しかし、ラムゼイ博士は違った。確かに、狡猾な悪知恵の働く男だったが、客として来たダリルに紳士的に振る舞い、ダリルの正体を知っても、無礼を働かなかった。そして、ドームの執政官たちと勝とも劣らぬ遺伝子の知識を有していた。
 街を出て北東に300キロ、砂漠の外れだ。ベーリングの研究所からは街をはさんで正反対の位置になった。
 道中、ライサンダーは助手席で昼寝をしていた。満腹して、アイスクリームまで買ってもらって、幼児の様に満足し、父親の隣で安心しきって寝ていた。全く無防備だ。
ポールなら、相棒がこんな平穏な寝顔を晒すのを許さないだろう。あの男には100パーセントの信頼を置ける人間など存在しないのだ。自ら他人を信じない故に、他人が自分を信じることも好まない。
 車が路面の凹凸にバウンドして、ライサンダーが目を覚ました。彼が目を開いたことにダリルは直ぐ気づいたが、声はかけなかった。まだ目的地まで距離があったし、風景の変化が乏しくて、また睡魔に襲われるだけだ。
 ライサンダーは暫く無言で目の前の風景を見ていた。どこに居て、どこに行こうとしているのか、思い出して、彼は口を開いた。

「2人でこんなに遠くに出かけるなんて、随分久し振りだね、父さん。」
「そうだな。」

 久し振りどころか、初めてだ。ダリルは息子を山の家に連れ帰って以来、遠出をしたことがない。人前に出すことを極力避けてきた。ライサンダーを学校にも行かせていない。
遺伝子管理局に出生登録を出していないので、就学権がなかったし、当局に通報されれば、親子共々管理局に逮捕され、離ればなれにされてしまうのはわかっていた。
 ライサンダーは、ダリルに勉強を教わった。

「父さん・・・」

ライサンダーが話しかけて来た。

「あのドームから来た禿頭のオッサンは、本当に父さんのただの同僚だったの?」

ライサンダーには、ポールがもう片方の親だとは言っていない。

「そうだ、最も優秀な管理局員だ。それに、ポールは禿げているんじゃない、剃髪しているんだ。」

 ポールの髪は緑色の光沢を放つ美しい黒髪だった。地球に二酸化炭素が溢れた時、コロニー人が宇宙生活の技術を応用して、地球人の遺伝子に葉緑体を持つ情報を組み込んだのだ。
世代を重ねてその情報は薄れてしまったが、時々発現する。本来地球人にはない遺伝情報なので、ドームで胎児の段階に除去するのだが、たまに取り残しがある。だから、ライサンダーが街で髪の毛を緑色に輝かせて走り回っても、誰も不審には思わない。目立つことには変わりないが・・・。
 ポールも当然緑の因子を持っており、ドームに残す為の子供だったので、除去されなかった。この因子はY染色体にのみ存在し、故に、この緑の髪の毛は、男性だけのものだ。
ラムゼイがこの因子の存在を知ってて残したのか、除去出来なかったのか、それはダリルにはわからない。

「俺は、あのオッサン、好きじゃない。」

とライサンダーが呟いた。

「私の友達だからと言って、おまえが好きになる必要はないさ。」

ダリルは少しがっかりした。ポールの息子がポールを好きじゃないと言う・・・

「彼は誰も愛せないし、家族も持たないんだ。友人も数える程しかいない。おまえが無理に気に入ってやることはないんだよ。」
「そんなことじゃないんだ。」

 ライサンダーは心配しているんだ、と父親に言いたかった。あのスキンヘッドの男が父親を見る目が尋常でなかった、と言いたかった。ポールがサングラスを取った時だ。ダリルが再会を純粋に喜び、高ぶる感情を周囲に悟られまいと努力していた以上に、あの男は欲情を抑圧していた。今にもダリルに襲いかかって車に押し込めるのではないか、そんな緊張感さえ漂わせていた。ライサンダーは敏感にそれを感じたのだ。
あのドームから来た男は、親父を欲しがっていた。本当に、行方不明の少女を探す手伝いを依頼しに来たのだろうか。
 ライサンダーは、ダリルの過去をよく知らない。ダリルがドームで育ってドームで働いて、そこを「出た」ことしか知らない。どんな経緯で出たのか、教えられていなかった。
少女を見つけて管理局に引き渡したら、あの男に2度と自分たちの前に現れるなと言ってやろう、と少年は考えていた。

「ポールと私達が住む世界は違う。」

とダリルが自分に言い聞かせる意味も込めて言った。

「彼はもううちには来ないはずだ。今回限り、仕事の付き合いだけになるだろう。」


4X’s 12

「施設にはいなかったんだね。」
「おまえの街の遊び仲間も見かけていないんだろ?」

 ダリルは息子が父親の目を盗んで街で遊んでいたことは、ずっと以前から知っていた。男の子の冒険心は理解出来ると同時に、子供の安全をどう守るか、それが悩みだった。
護身術はみっちり仕込んだつもりだが、息子には実戦経験がまだない。女性の絶対数が少ない世界では、ライサンダーの様な年頃の少年が性犯罪の被害を受ける事件が多いのだ。
果たして、店内の客の幾人かは、ライサンダーをチラチラと見ていた。当人は慣れているのか、全く気にしていない。

「女の子って、どんな場所が好きなんだろ?」

 ライサンダーは女性と接したことがない。街で見かける女性には大概ガードが付いていて、気安く近づけないし、唯一普通に会話出来る雑貨店の女主は高齢だった。
ダリルも女性に慣れているとは言い難い。彼が子供時代から接してきた女性はコロニー人で、科学者であり、養母であり、ドーマーたちの保護者であって恋愛の対象ではなかった。
むしろ、口説かれるのはドーマーの方で、まず子供にレッスンする大人の女性ばかりだ。

「おまえの仲間に女の子はいないのか? 親の目を盗んで遊んでいる娘だっているだろう?」

おまえみたいに、とダリルは心の中で付け加えた。
うーん、とライサンダーは考え込んだ。つまり、仲間内に不良少女がいるってことだ。
ダリルが辛抱強く待っていると、2人のハンバーガーが運ばれてきた。
決して安全な肉を使用しているとは、元ドーマーには思えないのだが、ドーム外の人間に選択権はほとんど無い。ダリルはタバコの煙も嫌いだが我慢していた。ライサンダーは平気そうだ。ポールなら、こんな店には決して近づかないだろう。

「女の子等は・・・」

とライサンダーが言った。

「買い物が好きなんだ。アクセサリーとか、服とか靴とか・・・でも、例の女の子はショッピングモールには行かないと思う。」
「何故そう思うんだ?」

ライサンダーには、JJがどんな境遇なのか、簡単に話しておいた。
メーカー同士の闘争に巻き込まれて親を亡くし、逃亡している気の毒な少女だと・・・。

「彼女は遊びに行った訳じゃないし、逃げているんだから・・・それに友達がいる様にも思えない。女の子は一人でモールに行ったりしないんだ。」

ダリルは、最後に少女がいたであろう場所を考えた。
母親共々ラムゼイに攫われて、そこで父親が奪還を図り、ラムゼイと共倒れになった。
管理局はラムゼイの研究所を捜索したと言うが、砂漠の中の施設だから、ドーマーたちはそう長く滞在しなかったはずだ。
少女はまだそこに隠れているのではないか。
彼は息子に命じた。

「早く食え、行き先が決まった。」


2016年8月20日土曜日

4X’s 11

 誰からも保護を受けられない、とすれば、女性はどこに身を隠すのだろう。
ダリルは無駄足と知りつつ、街の女性救済院を訪問した。そこは、富豪と結婚したある女性が、結婚生活破綻によって夫から暴力を受けた妻たちの駆け込み寺として建設した施設だ。また、誘拐されたり、性的暴力被害を受けて男性に恐怖を感じ、社会復帰が困難な状況に陥った女性のリハビリ施設でもあった。
 ダリルは、ポールが送付してくれた偽の遺伝子管理局の身分証を提示した。
解読器に掛けると、ダリルの偽の経歴が機械に読み取られた。
解読器がダリルを指名手配中の逃亡者だと警告しなかったところを見ると、ポールが捜索優先対象から外すと言った約束を守ってくれたようだ。
 こんなことを平気でやってのけるポールは、かなり上のランクに出世したらしい。

「親から結婚を反対されて家出した少女を捜索している。」

ダリルは偽の手配書を見せた。

「未成年者の婚姻は認可出来ないが、狼の群れの中に子羊を投げ出す様な真似は出来ない。もし彼女が保護を求めて来たら、収容して、管理局に連絡をお願いする。」

 施設職員は、JJに見覚えはないと言った。他の職員にも問い合わせてくれたが、誰もベーリングの娘を見た者はいなかった。
ドームの中で行われているクローンの製造や、子供の交換は、外の世界では誰も知らない。
人々はドームを「安全に出産をする為の施設」「違法クローン業者を取り締まる施設」としか認識していない。だから、この施設がJJを隠しているとは考えられなかった。
 救済院を出て、ダリルは街の繁華街へ行った。田舎の繁華街でも、それなりに昼夜賑わっている。治安もそこそこ良いので、女性が昼間一人歩きしている姿も珍しくない。
もっとも、女性は選ばれた男たちの妻や娘なので、大概ボディガードが付いていたけど・・・
 軽食を出すカフェが大きな交差点の角にあった。路地の駐車して、カフェに入った。
カウンターとテーブルが5つばかりの小さな店だ。軽快な音楽とタバコの煙、男達の体臭と料理の匂い。一般的な街の店だ。
 カウンター奥の席にライサンダーがいて、ハンバーガーが焼けるのを待っていた。待ち合わせしていたのだ。
 ダリルはテーブル席に座り、自分もハンバーガーを注文した。そこへライサンダーが移動してきた。

2016年8月19日金曜日

4X’s 10

 突然サイドウィンドウをコツコツと叩く音がして、ポールは目を開いた。同時に手がグローブボックスに伸びた。銃が入っているのだ。
 車外にライサンダーが立っていて、彼の慌てぶりを見物していた。クスッと笑った様だ。
ポールは忽ち落ち着きを取り戻した。
マイクのスイッチを入れた。

「何か用か?」
「死んでるのかと思った。」

彼の息子でもある少年が、彼そっくりの皮肉っぽい喋り方をした。

「ドーム人はひ弱だと聞いたことがあるから。」
「考え事をしていたんだ。」
「完全に無防備だったよ、オジサン。追いはぎに襲われるぜ。」

 父親と言葉を交わしていた時と口の利き方がまるで違う、とポールは気が付いた。
このガキ、状況と相手によって態度をころころ変えるんだ。
まるで自身を見ているみたいで、ポールは気分が悪くなった。彼は子供を扱った経験が全くない。

「そうか、この辺りは追いはぎが出るのか。心しておくよ、忠告有り難う、坊や。」

 ライサンダーは釣りに行くと言っていたんじゃなかったか? 何も道具を持っていない様子だが?

「遊びに行ったんじゃなかったのか、坊や?」

 流石に「坊や」を2連発されて、少年は気を悪くした。ポールをうろたえさせるに十分な反撃をお見舞いしてきた。

「俺はもう『坊や』じゃないよ、オジサン。なんなら、親父の代わりに、あんたを抱いてやろうか?」

 何でこのガキが、俺とダリルの関係を知っているんだ? いや、こいつはただ鎌を掛けてきただけだ。いや、待て・・・こいつは、ダリルの遺伝子のどの部分を受け継いでいるんだ?

 ポールはライサンダーの顔を見つめた。ダリルには、ダリルの遺伝子には重大な秘密がある。ドームが彼をドーマーとして残した理由になる秘密だ。そして18年たってもまだドームが彼を諦めない理由だ。
 ライサンダーは、ポールの心の中の問いに答えるかの様に呟いた。

「親父の想い人ってのは、あんただったんだな・・・」

 ダリルが自分の心の内を子供に打ち明けるはずがない、とポールは踏んだ。
ライサンダーは、常人には予想がつかない方法で、父親の恋心を知ったのだ。
恐らく、当人も意識していないだろう。

 このガキを野放しにしてはならない。ダリルを確保する折に、こいつもドームに収容するんだ。

ポールは平静を装って、話題を逸らした。

「おまえの親父に仕事を依頼した。興味があれば、おまえも手伝え。女の子を探す仕事だ。」

彼はマイクを切って、車を出した。
ライサンダーが土埃の向こう側でアカンベエをするのを見ずに済んだ。


4X’s 9

「俺は月に1度、中西部支局に資料回収に来る。君も街へ買い物に出るだろう。その時に連絡をくれれば良い。支局に俺の訪問予定日を問い合わせれば教えてもらえる。妻帯希望者や養子縁組希望者が局員に会いたがるから、誰も君が何者かなんて気にしない。
連絡をくれれば、俺は必ず時間をやりくりして都合をつけるから、その時に会おう。」

 ポールとしては、これが精一杯の譲歩だ。
ダリルはこの提案を呑むことにした。

「わかった。では、この件に関する連絡方法と、もう少し詳しい資料を希望する。写真だけでは娘のことも行方も見当がつかない。そもそも彼女の名前は何だ?」
「誰も知らないんだ。データに残された彼女を指す言葉は、JJだ。」
「何かの名前の略だな。」

 ダリルの家を出たポールは、名残惜しそうに見送るダリルを振り返りもせずに車に乗り込み、走り出した。 ダリルが引き留めるかと思ったが、引き留められなかった。
 狭い急なつづら折りの坂道を下り、ダリルの隠れ家から砂埃が見えなくなるまで走ってから、彼は大きな岩の陰に停車した。日陰になっているので、多少の休憩は肉体の脅威にはならない。
 彼はやっと大きな息を吐き、力を抜いた。シートに全身を預け、目を閉じた。
 ダリルは昔とちっとも変わっていない。外気の毒で少し歳を取ったが、素直な性格、まっすぐに物を見る気性、彼に対する愛情は少しも変わらなかった。
 そして、彼のダリルに対する想いも変わらないことを、今日の再会で認識させられた。

 ダリルが脱走したと判明した時、ポールは裏切られた思いだった。リン長官の愛人になったのも、出世に励むのも、将来、ダリルと自由に時間を過ごせる生活を手に入れる権利を得るのが目的だった。それなのに、ダリルは、彼が出世だけを楽しみにしていると誤解して逃げてしまった。規則だらけのドームを捨てて、自由で危険に満ちた未知の世界、「ドームの外」へ去ってしまったのだ。
 元々、規則に縛られるのが嫌いな男だったな、とポールは思い出した。
ある意味、執政官の手を焼かせるガキだったのだ、ダリルは。
外で暮らしているダリルは、ドームの中にいた少年時代よりも美しくなっている。歳を取ったのに、内面の輝きが増していた。

 外の世界がそんなに良いのか?

 ポールには想像もつかない。細菌と放射能と不純物で汚れた世界が好きだなんて・・・
18年間の捜索で、遂に発見した元恋人には、あろうことか子供がいた。
妻帯して作った子供ではない。管理局員としてあるまじき行為で、メーカーに発注して作らせたクローンだ。ダリルの遺伝子と、ポールの遺伝子を組み合わせて作られた人間だ。
ポールは、子供の片親が自分自身であることを疑わなかった。
ライサンダーの緑色に光る葉緑体毛髪を見ればわかる。それに、ダリルが他の人間の遺伝子を使うはずがない。
 18年間の「修行」で、ポールは山の家でダリルを見た瞬間に抱きしめたくなるのを自制心で耐えることが出来た。挨拶程度のハグで冷静に振る舞えて、内心安堵した。
ダリルが冷静に対処してくれたことも有り難かった。もし彼が感情的に振る舞えば、ポールもどうなっていたか、わからない。子供の目の前でダリルを襲ってしまったかも知れない。

 それとも、やはりあそこで彼を車に押し込めて連れて帰るべきだったか?


2016年8月18日木曜日

4X’s 8

 ドーマーは、ドームの外で48時間しか活動出来ない。それ以上外にいると、抗原注射の効力が切れて、細菌や汚染された大気や紫外線に抵抗力のない純粋培養の彼らの体は、忽ち衰弱する。
 ポールは、細切れの捜査はしたくなかった。
限定された時間での捜査が一向に捗らないのは、18年かかったダリルの捜索で経験済みだ。
 自分が動けないのなら、18年間外気の中で生活して「普通の地球人」並の体になったダリルを使うしかあるまい。
 ポールは仕事に関しては実に合理的な考えを持つ人間だった。

「この娘を見つけたら、私は報酬に何を得られるんだ、ポール?」

とダリルが尋ねた。
ポールは、ここへ来る前にドームの現長官ケンウッドと交わした約束を提示した。

「君を捜索第1優先対象から除外してやる。」

さらに、ここへ来てから思いついた条件も・・・今この瞬間に思いついたのだが・・・付け加えた。

「息子の子孫登録をしておいてやる。今日、帰ったらすぐにやっておく。」

 ダリルは横を向いて呟いた。

「君がここに残るって言うのはないんだな・・・」
「それなら、今すぐ君を車に押し込んでドームに帰るさ。」

 2人は目を合わせた。暫く見つめ合った。睨み合ったと言った方が良かった。微かな緊張感が彼らの間に流れた。
 やがて、ダリルが尋ねた。

「妻帯の夢は叶えたのか?」
「クローンの女は欲しくないんだ。」
「コロニー人は地球人と添わないだろう?」
「今は、妻帯に興味がない。」

 ポールは心の中で呟いた。

 俺が欲しいのは、おまえだけだ、ずっと探していたんだぞ。それなのに、こんなド田舎で、子供を作って・・・

彼は立ち上がった。


4X’s 7

「4X? それは何だ?」

と尋ねてから、ダリルは閃いた。まさか、人間にそんなそのものが・・・?

「Xの4倍体か?」
 
ポールは笑うだろうと予想したが、それは裏切られた。
ポールが頷いたのだ。

「ベーリングの女が産んだのだ。何故、そんな遺伝子の多倍体が誕生したのか、原因は不明だ。しかし、事実、それは人間の姿で産まれ、人間として成長した。
ベーリング夫妻はその子供を研究室の中で極秘で育てていたのだが、どこかで情報が漏洩し、管理局とラムゼイの組織の知ることとなった。
管理局は情報の真偽の確認に手間取り、その隙にラムゼイに先を越されたのだ。」
「ラムゼイがベーリングの研究所を襲い、ミセス・ベーリングとその4倍体の子供を攫ったんだな?」
「そう言うことだ。しかし、ベーリングが組織を揚げて、死にものぐるいと言って良いかな、ラムゼイの研究所に総攻撃をかけた。
銃撃戦になったらしい。管理局が到着した時には、双方共倒れに近かった。」
「ミセス・ベーリングは亡くなったが、4倍体は? 君は保護出来なかったのか?」
「俺が到着した時には、子供はいなかったんだ。」

ポールはポケットから携帯端末を出して、写真を呼び出した。
それをダリルに見せた。

「ラムゼイの研究所にあった写真のコピーだ。ベーリングの研究所にも同じ子供のデータが残っていたから、この子に間違いなかろう。」

 ダリルは写真を眺めた。
信じられないことに、4Xは、綺麗な少女の姿をしていた。
年齢はライサンダーとあまり変わらないだろうか。普通の人間の女の子だ。
利発そうな目でカメラを見ている。

「少女なんだな?」
「恐らくな・・・メーカーたちは、ただ『4X』としか呼ばなかった。」
「多倍体であろうとなかろうと、女の子は今の地球では貴重な存在だ。一人で外を歩かせては駄目だ。」
「そんなことはわかっている。」

ポールは端末を仕舞った。

「だから、探して欲しい、と君に頼みに来たんだ。」


2016年8月17日水曜日

4X’s 6

「ラムゼイも潰れたのか?」
「ベーリングが画期的な遺伝子を開発した、と言う噂を管理局が流した。
ラムゼイはそれを強奪した。ベーリングが奪還を図り、両組織は殺し合った。
管理局が乗り込んだ時は、ベーリングは全滅で、ラムゼイ側は大方が倒れていた。」
「良かったじゃないか、君の計画通りにことは進んだのだろう。」
「そのはずだった。」
「問題でも?」

 ダリルの質問に、初めてポールが即答を避けた。視線を窓の方に向けたのだ。

「餌に使った画期的な遺伝子が完成していた。」
「押収したんじゃないのか?」
「逃げられた。」

 ダリルはポールを見つめた。彼が失敗するなんて、初めてだ。ポール・レイン・ドーマーは優秀な遺伝子管理局員なのだ。

「どう言う意味だ? 遺伝子データを持ち逃げされたのか?」
「違う。遺伝子が自分で逃げたんだ。」

 ポールはダリルに向き直った。

「俺は、ベーリングに潜り込ませた情報屋から話を聞いた時、そいつはただのデータだと思った。方程式とか、塩基配列の組み替えデータとか、そんな類だと思ったんだ。
ラムゼイも同じことを考えたはずだ。だから、連中はベーリングの研究室にいた女・・・ベーリングの女房だ・・・彼女を誘拐して、データを聞き出そうとした。
そこへベーリングが女房を取り返す為に総攻撃を仕掛けた。
メーカーどもは、共倒れになるまで戦ったんだ。
俺たちが駆けつけた時、女は瀕死の重傷を負っていた。
彼女は俺に、こう言った。

 4Xを守って

と。」

2016年8月16日火曜日

4X’s 5

 ポールの遺伝子を盗むのは簡単だった。ダリルがベッドに誘うと、彼はあっさり応じたのだ。多分、リン長官の誘いにも、こんな風にあっさり応じるのだろう。
ダリルはポールが自分を可愛がってくれる人間には必ず従う質であることを思い出し、腹が立った。
 遺伝子を保護カプセルに封印すると、ダリルは翌日にはドームを脱走していた。
快適な環境も、約束された将来も、全て捨てて、彼は愛する男の遺伝子を持って自由な世界へ逃げた。

 知らなかったとは言え、遺伝子を盗まれて違法出生児の親になったからには、ポールにも罪が発生する。ポール自身が、そう言う人間を摘発して逮捕する仕事をしているのだ。

「ラムゼイと言うメーカーを知っているだろう?」

 いきなりポールがダリルの心臓を掴むような名前を出してきた。
メーカーとは、違法にクローンや体外受精児を作る闇業者だ。結婚許可をもらえないが故に、子供を希望をする男達が大金を払って子供を提供してもらうのだ。遺伝子管理局は厳しく取り締まっているが、子供の需要と供給のバランスが崩れた地球では、撲滅はまず不可能と言える。

「ラムゼイと言えば、この大陸の業界最大手だ。素人でも知っている。」

 ダリルはポールと再会した興奮が急速に冷めていくのを感じた。
ポールの話には真剣に耳を傾ける必要がある。ラムゼイはライサンダーの製造元でもあるのだ。
 2人は向かい合って座り直した。

「ベーリングと言う業者は知っているか?」
「いや。」
「ラムゼイに対抗していた新興勢力だった。」

 ポールが過去形を使ったことにダリルは気が付いた。

「ラムゼイに潰されたのか?」
「互いに潰し合ったんだ。そう、仕向けてやった。」

 ポールがよく使う手だった。
管理局の人間は、東海岸のドームに居住している。ドーム内の清潔な空気と水で生きている。紫外線からも保護されて、安全な世界で生活しているのだ。
しかし、仕事の多くはドームの外にある。防護服なしで活動出来るのは48時間。それも抗原注射と呼ばれる微生物の感染を防ぐ予防接種をしての上でだ。注射の効力が切れると、急速な体力の低下が始まり、コロニー人と同じ150年の人生の3分の1しか生きられない。
 だから、ポールは摘発に時間がかかる相手には、直接手を下すことはせずに、謀略を用いて自滅させる方向へ誘導する。

2016年8月15日月曜日

4X’s 4

 ポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーは、ほぼ同じ時期に誕生し、ドーマーとして残す子供として選別され、コロニー人に育てられた。
地球人の子孫をつなぐ為に研究しているコロニー人は「執政官」と呼ばれるのだが、執政官は政治をするのではなく、ただの遺伝子学者たちだった。
執政官は選別した子供達を愛情を持って育てたが、自然な親子関係ではなかったから、ドーマーたちも自然な人としての生活を知らずに育った。
それに、彼らは90パーセントが男子だったので、いや、地球人の子供は100パーセント男子で、コロニー人のクローンの女子とは思春期を迎える前に隔離された。

 ポールとダリルは、新生児時代から仲良しだった。いつも一緒にいて、ほとんど兄弟と言うより一心同体の仲だった。
思春期に入ると、2人は体の要求するまま、恋愛の真似事まで始めた。
もっとも、この様な関係は、男子ばかりのドーム内では珍しくなく、また同性の恋愛は子孫を残すことには関係がなかったので、執政官たちは黙認した。
適齢期になれば、「繁殖用」ドーマーには、クローンの女性相手の妻帯が許可され、同性の恋愛は自然消滅することが多かったのだ。

 執政官たちは、ドーマーにもコロニー人やドームの外の一般人と同じ心があることを忘れていたのかも知れない。

 ダリルたちが遺伝子管理局の局員として働き始める直前に、ドームの長官が交代した。
新長官となったリンは、ポールの美しさに一目惚れした。
ドーマーたちは美少年揃いだったが、ポールの美貌は群を抜いていたのだ。
リンは、ポールを贔屓にするにあたって、邪魔なダリルを他のドームに・・・西ユーラシア・ドームに他のドーマーとのトレードに出してしまった。
 ダリルは我慢した。ドーマーの大陸間トレードは遺伝子の偏りを防ぐ目的でしばしば行われており、珍しくなかったし、大人になればいずれは離れて暮らすこともあると覚悟はしていたのだ。永久に会えなくなる訳ではなかったし、リンの任期が終われば、またアメリカ・ドームに戻れるかも知れない。
 ところが、ダリルのそんな希望を打ち砕いたのは、他でもない、ポール・レインその人だった。

 アメリカ出張を命じられ、久し振りに里帰りしたダリルは、ポールと再会した。
ポールはリン長官の愛人同然になっていて、ダリルと出遭っても喜びを露わにすることはなかった。ダリルは思わず、彼に尋ねた。
 リン長官のペットになるのは楽しいか? と。
 ポールは平然と答えた。

「仕事だよ。ベッドに入る度に出世出来る。妻帯許可をもらえるのも、間もなくさ。」

 ダリルの近況を尋ねることすらしなかった。
 ダリルは未来に絶望した、



2016年8月14日日曜日

4X’s 3

「俺は君を告発しに来た訳ではない。息子の件は俺しか知らない。
君が仕事をしてくれるなら、目をつぶる。息子が婚姻する折にはデータを改竄して守ってやってもいい。兎に角、今は仕事をして欲しい。
困っているんだ。」
 ダリルはポールの膝に手を置いた。いつ見てもこの男は彼を夢中にさせてしまう。
18年たっても彼は忘れられないのに、この男は仕事の話しかしない。
「わかった、話を聞こう。」
とダリルは言った。

 地球は疲弊していた。環境ホルモンが水と大気を汚染して、多くの生物が生殖能力を失った。人類の一部は宇宙空間に建設したコロニーに逃れ、地上に残された人類は絶滅の危機を目前にした。
 勿論、コロニーは地球を見捨てなかった。彼らは同胞と母星を救おうと、精一杯努力した。持てる科学力を総動員して、水と大気の浄化を試みた。
地球は死滅を免れたが、人類の絶滅の危機が去った訳ではなかった。
 地球上では女性が生まれなくなっていた。新生児は全て男子だった。コロニーの女性が地上に降りて出産しても男子しか生まれなかった。

 地球は女性の誕生を拒否している。

 コロニーの人類は自分たちの女性が地球に下りることを禁止した。地球は男だけの世界になるのか? 
 それは拙い。
 苦肉の策として、コロニー人は地球に安全地帯「ドーム」を建設した。
限定された、浄化された水と大地の世界で、人類の子孫の製造を始めたのだ。
まず、コロニーの女性から卵子を提供してもらい、健康な男性の精子を受精させて女児をつくる。その胎児から複数のクローンを作り、成長させる。
 最初の女性たちは、地上で社会的に成功した男性たちの妻として地球で暮らした。
彼女たちが妊娠すると、ドームに収容され、出産する。
生まれてくるのは男子だけなので、ドームではその一部を、次のクローン世代の女児とすり替えて親に返す。
女の子とすり替えられた男児たちは孤児院に収容され、結婚相手はいないが子供が欲しい男たちの元へ養子に出された。 結婚出来る男、養子をもらえる男、彼らはコロニー人から厳しい審査を受け、合格した特権階級だった。
そして、この「すり替え」は、地球人には内緒だった。女性が誕生しなくなっている事実そのものが、地球人には知らされていなかったのだ。

地上の人々は、ドーム内に住んでいる人間を「ドーム人」と呼び、コロニー人と彼らに雇われた地球人だと思っていた。だが・・・


  養子に出されず、ドームに残された男児もいた。遺伝子的に優秀で、コロニー人が次世代の地球人誕生の為にストックした子供たちだ。
彼らは成長すると、ドームのコロニー人たちを補佐する仕事を与えられた。
実の親を知らず、コロニー人に養育された彼らは、コロニー人から「ドーマー」と呼ばれた。
 ドーマーは大まかに2つのグループに分けられた。
ドームの機能を維持するドーム機能維持班。彼らは技能的な分野で優秀な才能を発揮出来る遺伝子を持っていた。保安課や医療班、建築班など、専門分野に長けているドーマーたちだ。
もう一つは、遺伝子管理局。地球人の子孫を残す為のコロニー人の活動を直接手伝う仕事で、ドームの外で違法なクローン技術で子孫を作る「メーカー」と呼ばれる業者を取り締まる役目をしていた。
 ダリルとポールは、遺伝子管理局で仕事をするドーマーだったのだ。




4X’s 2

「人前に出すのを避けているんだな。」

ポールの呟きを聞こえなかったふりをして、ダリルはドアを開けた。ポールはそれに気づくと、階段を上り、家の中に足を踏み入れた。
 外が強烈な陽光で明るかったのと対照的に、屋内はひどく暗くひんやりとしていた。ダリルは自分の貧しい生活を恥と感じたことはなかったが、ポールの目にはどう映っただろうと気になった。家具の多くは彼の手造りだ。新しいのは息子の作品も混ざっている。店で買った物は少ない。自給自足に近い生活で彼は満足だったが、ポールには想像もつかないだろう。

「何か冷たい物でも飲むか、ここにも冷蔵庫くらいはあるんだぞ。」

台所に向かいかけるダリルの手をポールが掴んだ。振り返ると、引き寄せられた。

「お茶を飲みに来た訳じゃない。仕事の話だ、ダリル。」
「飲みながらでも出来るだろう。逮捕される前に君とお茶を飲ませてくれ。」

ポールはいつも職務に忠実だった。今も変わらない。肩から力を抜くことを知らないんだ。ダリルはポールの手の力が緩んだ隙に、相手から離れた。
 台所の窓から畑を見ると、ライサンダーは既に三分の二を耕し終えていた。
 ソーダ水を運んで行くと、ポールは木製の椅子に座って新聞を漁っていた。地元の薄っぺらな新聞だが、1日おきに郵便屋が配達してくれるので、映りの悪いテレビや雑音の酷いラジオよりは頼りになるニュースソースだ。もっとも、ニュースは地元の話題がほとんどだったが。
 ダリルはトレイをテーブルに置き、ポールの向かいの一人掛けの椅子に座った。
「ビールは飲めなかったよな、ポール?」
「ああ」

ポールは新聞を置き、タンブラーを手に取った。

「息子の母親はどうしたんだ、ダリル。君は婚姻登録も子孫登録もしていないが。俺は君の住まいを見つける為にあらゆる法律上の記録を調べたが、この辺鄙な土地の住所登録で君の名前を発見するまで、何一つ見つけられなかった。あの息子は婚外出生児か、それとも違法出生の子供なんだな?」

 彼の詰問口調に、ダリルは否定しなかった。

「私の息子は遺伝子管理局の目を盗んで産まれた。私が創ったんだ。」
「ダリル・・・」

 ポールが首を振った。

「君なら、申し込めばいつでも養子がもらえたはずだ。何故、そんな違法を・・・発見されれば再教育は免れられないぞ。息子は管理局に収監される。君の子供ではなくなるんだ。
わかっているだろう、君自身の仕事だったんだから。」

 ダリルはポールを見つめた。何故わかってもらえないのだろう。管理局からもらう子供など欲しくなかったのだ。誰の子供かわからないクローンなんか。
 ダリルは席を立ち、ポールの隣に移動した。ポールは動じなかったが、タンブラーをテーブルに置いた。

4X’s 1  

「父さん、誰か来るよ。」

 ライサンダーがそう声をかけた時、訪問者の自動車はすぐ近くまで来ていた。ダリルは息子に「屋内に入っていろ」と言いかけて止めた。
間に合わない。車内の人間には二人の姿がはっきり見えているはずだ。多分、ライサンダーの緑色に輝く美しい黒髪も。
ダリルは手に付いた泥を払いながら立ち上がった。自動車のナンバーは東海岸のものだ。
遂にあの連中が来たか、と彼が諦めの溜息をついた時、自動車は土埃の中で停車した。
ドアが開き、スキンヘッドの男が一人、今朝はピカピカに磨き上げられたであろう黒い革靴を埃まみれにしながら畑の縁に降り立った。スーツの上着を車内に脱ぎ置き、シャツの袖は肘まで捲り上げ、白い腕を露わにして、男は黒いサングラスを手に取った。

「やあ、ダリル、久し振りだな。元気そうだね。」

親しげに笑いかける男の顔を見て、ダリルは驚いた。

「君か、ポール。驚いたな、まるでトニー小父さんみたいだ。」

かつての仕事仲間の出現に用心して、ダリルは訪問者に近づいた。
ポールは腕を伸ばし、彼と握手して、次に抱き合った。互いに相手の背中をたたき合った。

「相変わらず、いい体してるなぁ、鍛えているのか?」

ダリルはポールの引き締まった筋肉の感触に、かつての胸のときめきを思い出し、相手に気づかれないように用心深く身を離した。お互いの顔が直ぐ目の前にある。

「まだあそこで働いているのか?」
「そうだ、俺にはあそこしかない。君のように外へ出る勇気はない臆病者だから。」

ダリルはポールのすべすべした肌を見つめた。とても同じ年齢には見えない。
勿論、彼にはわかっていた。あそこに残っていれば、彼も若くいられたのだ。

 だが、それはこの星の住人には不自然なことだ・・・

ポールがライサンダーを振り返った。

「子供か?」

ダリルは覚悟を決めた。ポールの目は誤魔化せない。真実を明かした方が安全なはずだ。

「ここは日差しが強いから、中で話そう。ライサンダー、すまないが後をやっておいてくれないか。」

息子は一人で耕すはめになったは畑を哀しそうに眺めた。

「終わったら釣りに行ってもいいかな、父さん?」

機嫌はとっておいた方が良い。ダリルは「いいとも」と許可を与えた。
畑は小さいし、川へ釣りに行ってくれた方が、話を聞かれなくて済む。
石造りの家に向かいながら、ポールが尋ねた。

「俺を息子に紹介しないのか? 息子の紹介もなかったな。」
「来客には慣れていないんだ。」

ダリルは言い訳した。

「礼儀作法はなにも教えてないんだよ。」

ポールは入り口に続く石段の中途で足を止め、畑を振り返った。
小型トラクターで土を掘り返すライサンダーが見えた。
帽子からはみ出した髪がキラキラと淡い緑の光沢を放っている。