2019年3月31日日曜日

誘拐 2 2 - 3

 局長執務室に入ると、秘書達が既に業務の準備を始めていた。ハイネは「おはよう」と声を掛け、続けて報告した。

「タンの救出に成功した。」

 ネピアとキンスキーが思わずハイタッチした。

「流石ですね、セイヤーズは!」

とキンスキーが言えば、ネピアが

「チームワークの勝利だろう。」

と言った。ハイネは苦笑して、席に着いた。電話が掛かって来て、ネピアが取り次いだ。

「局長、セイヤーズです。」

 ネピアもこの時ばかりはセイヤーズの名を嫌な顔をせずに告げた。ハイネは苦笑したまま電話に出た。

「おはようございます。パトリック・タンを救出しました。」

 セイヤーズが要件を真っ先に告げた。ハイネは「うん」と答えた。

「良くやった。」
「ワグナーの援助のお陰です。それにレイン、クロエル、ニュカネンも上手く敵の注意を引きつけてくれました。素晴らしいチームですよ!」

 セイヤーズの声が弾んでいた。ハイネはタンの顔を実際に見る迄まだ完全に安心出来る状態ではないと己に言い聞かせ、部下に新しい命令を与えた。

「直ぐにタンを連れて帰って来い。」
「仲間がまだですが?」
「君とタンだけ先に帰って来い。」

 無断でヘリを操縦して出て来たセイヤーズは逆らえない。それに彼の今回の任務は「タンの救出」だけなのだ。彼は一つだけ要求を出した。

「ヘリの中でタンの面倒を見る人員が必要です。ジョン・ケリーも連れて帰ります。」
「良かろう、寄り道するなよ。」

 ジョン・ケリー・ドーマーは外に出て2日目だ。遅かれ早かれ抗原注射の効力が切れる。夕方迄に帰って来なければならなかった。
 ハイネが通話を終えると、ネピア・ドーマーが医療区に電話を入れていた。セイヤーズが操縦するヘリの到着予定時刻を計算して負傷者の受け入れ準備を要請しているのだ。ハイネは彼に声を掛けた。

「ネピア・ドーマー、申し訳ないが、ヘリが到着する頃に送迎フロアに行ってくれないか? タンを迎えてやって欲しい。私が行きたいのだが、私が動けば長官に今回の遺伝子管理局のヘマがバレる。出来れば部下達の報告書が上がって詳細を私自身が把握する迄は、長官に知られたくないのだ。」

 ネピア・ドーマーはボスの気持ちを理解した。ケンウッド長官はドーマーが傷つくのを何よりも嫌がる。局員が誘拐され、怪我をさせられたと知れば、どんなにショックを受けることか。ケンウッドの哀しみは局長の哀しみでもある。ネピア・ドーマーはそれをしっかり理解していた。

「承知いたしました。タンの怪我の状況を確認して、励ましてきます。医療区にもしっかり治療するよう頼んでおきましょう。」


誘拐 2 2 - 2

 ダルフーム博士の後ろ姿が食堂の建物から消え去ると、ドーマーらしくローガン・ハイネは去り行くコロニー人のことを忘れた。料理を取ってテーブルに着き、食事を始めた。頭痛は博士との会話で少し和らいだので、食欲も少し出てきた。半分迄食べた頃、入り口にケンウッドとヤマザキの姿が見えた。昨夜よりはましな顔になっているかな、とハイネは自身の顔を手で撫でてみた。その時、端末に電話が着信した。レインからだった。

「おはようございます。作戦は成功しました。」

 ハイネが出るなり、レインはそう言った。ハイネは時計を見た。

「早かったな。」
「先方も油断している時間でしたから。」
「全員無事か?」
「はい。タンも保護しました。怪我をしているので出来る限り早めに帰還させます。」
「了解した。良くやった。」

 執政官達が近くに来たので、ハイネは通話を終えた。気分はかなり楽になっていた。だから笑顔でケンウッドに朝の挨拶をした。ヤマザキがニヤニヤしながら腰を下ろした。

「頭痛はどうだい? 今日は軽いかな?」
「いつもよりはね。」

 ハイネはケンウッドに向かって言った。

「先程ダルフーム博士からご挨拶を頂きました。」
「そうか・・・」

 ケンウッドが寂しそうな顔をした。先輩が辞めていくのが寂しいのだ。彼より古い科学者はもう数が少なくなった。ヤマザキはハイネの皿を見て、奪う物がないなぁと思いながら、ケンウッドに言った。

「彼は離任式をせずに行くそうだね。」
「うん。柄じゃないと言ってね・・・。」
「確かに、大勢に拍手で送られるのを好む様な人じゃないがね。だが慣例を無視するのはあの人らしくないな。」
「照れ臭いんだろうなぁ。」

 ケンウッドとヤマザキが先輩の思い出話を始めたので、その間にハイネは朝食を終えて「お先に失礼します」と立ち上がった。ヤマザキが思い出した様に尋ねた。

「具合が悪くなった部下は何時頃帰って来る?」
「昼前でしょう。」

 ハイネはレインの報告からヘリの速度と給油時間を予想して答えた。セイヤーズは勝手に一人でヘリを操縦して出かけた。救出されたパトリック・タンは負傷しているとレインが言った。タンはヘリで帰される筈で、セイヤーズしか操縦士はいないから、セイヤーズは真っ直ぐ帰って来る筈だ。今回は身勝手な捜査活動は出来ない。


誘拐 2 2 - 1

 翌朝、ハイネはアパートの自室から出ていつものジョギングに出かけた。平素の生活を見せておかないと執政官達に怪しまれる。軽い頭痛がするのは、ヤマザキに睡眠薬を飲まされたからだ。ヤマザキは何が起きているのか知らぬまま、ハイネの部下に何か重大な問題が生じてハイネが悩んでいることを察していた。だから、眠れるように睡眠薬を処方したのだ。

「君が頭痛を嫌うことは知っているが、眠っておかないと部下達を迎える前に君がダウンするぞ。第一寝不足の顔で人前に出たら、何か問題発生だとケンさんにバレバレだ。」

 説得されて嫌々ながらも睡眠薬を飲んだのだ。お陰で眠れたが、頭痛はやはり彼を苦しめた。お昼までは我慢しなければならない。彼の体質上、その時間迄は薬が抜けないのだ。
 朝食の席でケンウッドに出会わないよう祈りながら食堂に行くと、ダルフーム博士と出会った。一般食堂に滅多に現れない人だったので、ハイネは驚いた。ダルフームは彼を見つけると近づいて来た。

「おはよう、ハイネ局長。」

 コロニー人の中でも年長の博士はハイネと年齢が2つしか離れていない。ハイネとの付き合いは、親しくはないものの、このドームの中で一番長い。

「おはようございます。こちらでお見かけするのは珍しいですね。」

 ハイネはこの学者には敬意を払って接した。ダルフームが近々退職すると言う情報を聞いた時は残念に思ったのだ。出来れば女子誕生を見届けてから辞めて欲しかった。しかしダルフームは女子誕生の鍵発見のチャンスをケンウッドに譲り、ケンウッドがその偉業を成し遂げると満足して退職を決意したのだ。
 ダルフームはハイネに微笑みかけた。

「今夜、出発することにしたのだよ、局長。」

 え? とハイネは驚いた。

「離任式は?」

 執政官は執政官会議で離任することを長官から承認される仕来りだ。しかしその日執政官会議の予定はなかった。
 ダルフーム博士は首を振った。

「必要ない。私は静かに退職する。ケンウッド長官にもそう言ってある。若い執政官達は明日の会議で私が去ったことを知るだろう。だが、君には一言挨拶をしておきたかった。友人とは言えなかったが、長い付き合いだったからね。薬剤関係では世話になった。有り難う。」

 ハイネはこの誠実な学者を見つめ、やがて彼の方から手を差し出した。

「地球の為に貴方の貴重なお時間を捧げて頂き、有り難うございました。」

 ダルフームはハッとした様にドーマーの手を見つめ、そして握った。

「遺伝子管理局長自ら握手を求めて下さるとは、光栄です。」

と老科学者は言った。その目に光るものがあった。


誘拐 2 1 - 8

 出来ればケンウッド長官と顔を合わせたくなかったのだが、夕食の席に長官がやって来てしまった。ハイネは普段より少なめの食事にケンウッドが気がつかなければ良いが、と思った。ケンウッドは機嫌が良かったのだ。保養所のアイデアをドーマー達に受け入れてもらえたし、修正中のプログラムももう直ぐ完成だ。後は他のドームと比較して今度こそ誤りがないことを互いに確認し合ってマザーコンピュータにインストールするのだ。だから、彼はハイネが浮かぬ表情をしていることに、直ぐには気がつかなかった。

「今夜は茸のシチューに根菜のサラダ、体に良さそうだね!」

 ケンウッド自身は肉料理を選んでいた。座ると直ぐに美味しそうに食べ始めた。ローガン・ハイネはそんな彼を愛おしげに眺めた。外観は年上に見えるこのコロニー人は、彼より30歳も年下だ。執政官はドーマーの親として振る舞えと言う地球人類復活委員会の規則に従って、ケンウッドはハイネを息子として扱い、ハイネは彼を父として敬っているが、仕事から離れるとやはりケンウッドは若い。一度も言葉にしたことはないが、ハイネは彼を可愛いと思っている。ドーマー達と同様に、このコロニー人も彼にとっては大事な息子の一人なのだ。だから、ハイネはケンウッドを悲しませたくなかったし、心配を掛けたくなかった。
 彼は努めて明るく声を掛けた。

「プロジェクトは順調ですか?」
「うん。君に認証の日程を告げられる日も近いと思うよ。」

 マザーコンピュータの書き換えには、ドームの4名の最高責任者、長官、副長官、保安課長、そして遺伝子管理局長の認証が必要だ。作業は丸一日かかるだろう。
 ケンウッドは肉を切りながら言った。

「君もそろそろ覚悟してくれ。一日縛られるから。」

 そして何気に顔を上げて、ハイネの顔色が良くないことに気が付いた。

「どうした、ローガン・ハイネ・・・?」
「どうもしませんよ。」

 ハイネはいつものポーカーフェイスを保つことに失敗した己を悔やんだ。素早く頭を回転させて言い訳した。

「認証の日の退屈さを思い出してうんざりしただけです。」

 その時、端末に電話が着信した。保安課が直通を許可した外からの電話だ。ハイネは落ち着き払って電話に出た。

「ハイネだ。」
「レインです。」

と北米南部班チーフが名乗った。直ぐに報告に入る。

「今、セイヤーズが到着しました。」

 ケンウッドの手が止まった。ハイネは心の中で、ちぇっと舌打ちした。それでもレインには平素を装った。

「無事に着いたか。」
「はい・・・一人で来ましたが、単独飛行は局長の許可ではないですよね?」
「する訳なかろう。」
「叱っておきました。」

 どうだか、とハイネは思った。レインがどんなに怒っても、セイヤーズは堪えないのだ。幼馴染なので、相手の怒りの度合いを心得ている。

「今夜は部下を休ませて、明日早朝に作戦を開始します。できれば朝飯前に終わらせるつもりです。」
「了解した。」
「お休みなさい。」
「お休み。」

 通話を終えると、ケンウッドが見つめていた。ハイネは覚悟した。彼が釈明しようとしたその時、ヤマザキ・ケンタロウが現れた。

「ヤァ、お揃いだな?」

 陽気な医者は空いた席に座った。

「ハイネ、胃薬の用意をしておいた。急病の部下はいつ帰る?」
「胃薬?」

 ケンウッドがヤマザキを見た。ヤマザキは謎の微笑を浮かべて遺伝子管理局長を見ただけだった。



誘拐 2 1 - 7

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは夕方の運動に出ようとロッカールームにいたところを、局長執務室に呼ばれて、慌てて着替えて走って来た。スーツではなく私服だ。本来なら既に仕事を上がっている筈の秘書2人が執務室に居たので、彼は「あれ?」と言いたげな表情で局長の前に立った。 ハイネが挨拶抜きで命令を出した。

「セント・アイブスの出張所へ直ぐに行け。トーラス野生動物保護団体がパトリック・タンを誘拐してビル内に監禁している。現地で北米南部班第1チームと合流してタンを救出せよ。」

 セイヤーズは一瞬驚いた表情で口を開いた。しかし、質問はせずに、応えた。

「了解しました。」

 第2秘書のアルジャーノン・キンスキーが後ろから声を掛けた。

「静音ヘリを準備させている。パイロットの調整が着き次第飛びなさい。」

 ネピア・ドーマーが「おい」と声を掛けたので、セイヤーズが振り返ると、第1秘書が情報用チップを投げて寄越した。セイヤーズはそれを難なく受け止めた。ネピアが説明した。

「事件の経緯をそこにまとめた。ヘリの中で聞いておけ。」
「わかりました。有り難うございます。」

 セイヤーズは行動が早い。局長に向き直ると、

「では、直ぐに行ってきます。」

と告げた。ハイネが頷くと、彼はくるりと向きを変えて、部屋から駆け出して行った。
アッと言う間だ。ドアが閉まると、キンスキーが感想を呟いた。

「まるでつむじ風の様な男ですな。」
「ふんっ!」

 ネピアはセイヤーズが気に入らないので、同意したくない。

「せっかちなだけだ。」

 ハイネは一先ずパトリック・タンの救出に出来ることは全て準備したと感じた。地球の富豪達が怒ろうが迷惑を被ろうが、知ったこっちゃないのだ。大事な部下を可能な限り無事に救出出来れば、遺伝子管理局としてはそれで良い。後の責任は局長一人で被れば済むことだ、と彼は思った。タンが誘拐されたのは、クロエルの責任ではないし、ジョン・ケリーの失敗でもない、ニュカネンの落ち度でもないのだ。
 ハイネは秘書達を帰して、一人執務室に残った。取り敢えず業務記録をコンピュータに登録した。セイヤーズがそろそろ飛び立つ頃かと思っていると、保安課から電話が入った。

「ハイネだ。」
「局長、航空班チーフから電話です。」

 航空班とは? セイヤーズが乗る筈の静音ヘリに何か問題でも生じたのか? ハイネは嫌な予感がして、電話に出た。

「ハイネだ。」
「局長・・・」

 航空班チーフが困惑顔で画面に現れた。

「静音ヘリが一機、消えてしまったのですが、どーなっているんでしょうか? 出動命令が出たので準備した機体ですが・・・パイロットは全員いるのですよ、ここに・・・」

 ローガン・ハイネは胃が痛むのを感じながらも、笑ってしまった。

誘拐 2 1 - 6

 リュック・ニュカネンからデータ送信を依頼する電話が掛かってきたのは夕方だった。最初のクロエルの通報から4時間も経っていた。その間、ハイネは2名の秘書と共に弱々しく瞬くパトリック・タンの生命の光を見守っていたのだ。
 ニュカネンはレインの到着を待って、病院に収容されたダウン教授とヒギンズ捜査官の事情聴取を行ったと告げた。

「レインの接触テレパスで、ダウンが事件の鍵を握る人物であることは間違いないようです。ただ、物的証拠がないので逮捕出来ません。」

 ニュカネンは淡々と事実を語った。

「ヒギンズは気絶させられて何が起きたのか、まだ理解していません。怪我がないので、出張所に連れ帰り、休ませています。
 所長室のデータ受信の準備が整いましたので、送信をお願いします。」

 無駄のない語り口だったが、そこでふと口をつぐみ、それから静かに質問してきた。

「タンはまだ生きていますよね?」

 ハイネは努めて力強く応えた。

「ああ、生きているぞ。君達の近くにいる。」

 ニュカネンが一瞬笑顔になりかけた。ハイネはまだ早いと思い、「切るぞ」と告げて通話を終えた。そしてデータ送信ボタンを押した。
 それからたっぷり10分後に、今度はポール・レイン・ドーマーから電話が掛かってきた。ネピアが保安課から取り次ぎ、ハイネは電話に出た。

「ハイネだ。」
「局長、レインです。」
「タンは見つかったのか?」

 これは、タンの居場所の特定が出来たかと言う意味だ。レインが応えた。

「位置は確定出来ました。まだ生存していますが、ややこしい場所に連れて行かれたようです。それで、お願いがあります。」
「救出に必要な提案と言うことか?」
「そうです。」

 レインは一息置いてから、ダメ元で上司に頼んでみた。

「セイヤーズをこっちへ寄越して下さい。彼にタンを救出させます。」

 ハイネは、レインならそう来るだろうと予想していたので、ちょっとだけ安堵した。

「セイヤーズを誘拐しようと企んだ連中に捕まったタンを、セイヤーズに救出させるのか?」
「そうです。彼は1度トーラス野生動物保護団体ビルを訪問しています。恐らくビル全体の構造を理解しています。中に居る人間も記憶しているでしょう。」

 場所はトーラス野生動物保護団体の本拠地か。ハイネは富豪の団体とFOKの繋がりがしっくり来ないと感じた。何故、富豪がドーマーを攫う必要があるのだ?

「策士レイン、セイヤーズを使う他にも何か策があるのだろうな?」
「あります。囮捜査官はまだ有効なので、ヒギンズに陽動作戦に出てもらいます。本物と偽物のセイヤーズに同時に動いてもらって、敵を混乱させます。」

 ハイネは数秒間沈黙した。成功率を考えたのか、それとも安全性を考えたのか。 現地にいる3人のドーマーと元ドーマーは局長の返答を緊張しながら待った。
 やがて、ハイネは呟いた。

「どうせタンが誘拐された時点で俺が叱られるのは目に見えていたからなぁ・・・」

 彼は、ケンウッド長官の怒りを想像しているのだ。ドーマー達を誰よりも大切に思ってくれるあのコロニー人を心配させたくないのだ。
 画面の中のレインが切ない表情になった。彼もケンウッドのドーマーに対する愛情を痛いほど理解出来る男だ。
 ハイネは部下達の勇気を奮い立たせねばと、自らを叱咤して、レインに告げた。

「セイヤーズを派遣させる。君達はしっかり彼を守ってサポートしろ。次は誰1人怪我したり攫われたりするなよ。」

 

誘拐 2 1 - 5

 ハイネは衛星からパトリック・タン・ドーマーの生体信号を引き出した。ドーマー達の脇の下に埋め込まれた小さな発信機は、人間が生きている間は電波を発し続ける。地球ではそれを感知する技術がないのだが、宇宙では行方不明者捜索用に広く用いられているので、どんな微少な信号でも拾えるのだ。
 局長執務室の中央にある会議用テーブルの上空に白い点が現れ、その周囲に建物の壁が築かれ始めた。2人の秘書がそれを見つめた。
 
「どこかのビルですね。」

と第2秘書のアルジャーノン・キンスキー・ドーマーが呟いた。

「タンはまだ生存しています。敵はどんな意図で彼を拉致したのでしょう。」
「馬鹿者どもの考えなど、理解出来ないさ。」

とネピア・ドーマーが忌々しげに呟き返した。ネピアは南米班で局員として働いていた時代、多くの悲惨な事件現場を見てきた。それらは遺伝子には関係ない、強盗や暴動の現場が大半で、無慈悲に殺害された犠牲者の身元確認に遺伝子管理局が呼ばれたのだ。あの胸の悪くなる光景は、今でもネピア・ドーマーの記憶に刻み込まれて消えてくれない。だからネピアは人間の命を軽々しく奪う輩を心から憎んでいる。暴力は犠牲者にも遺族にも捜査官にも深い傷を残すのだ。
 ハイネは無言のまま、地図を縮小して、タンが誘拐された大学までを表示した。またキンスキーがそれを見て発言した。

「誘拐現場から近いです。」
「市内ですね。」

 ネピアも局長を見て言った。

「敵は大胆なのか、本当にアホなのか、兎に角、タンを遠くに運ぶ時間はなかったようです。」
「或いは、そこが敵の本拠地で見つからないとたかを括っているか、だな。」

 ハイネは端末を見た。まだニュカネンからもレインからも連絡は来ない。
 彼はケンウッドの番号を出し、数秒間躊躇って、それを消した。そしてヤマザキ・ケンタロウの番号にかけた。

「ヤマザキだ。」

と医療区長の呑気な声が応えた。

「どうした、ハイネ、腹でも痛むのか?」
「痛むのは心です。」

とハイネは言った。

「ドクター、救急体制はいつでも用意万端ですよね?」
「なんだ、藪から棒に?」
「24時間以内に患者を届けます。」

 ハイネは冗談を言わない。少なくとも、医者にそんな冗談は言わない。ヤマザキは外勤務のドーマーに何かがあったと察した。

「患者は一人だな?」
「そう願っています。」
「では、少なくとも3人分、用意しておこう。」
「一人に留めます。」

 ヤマザキが優しく言った。

「君達を信じているよ、局長。」

誘拐 2 1 - 4

 クロエル・ドーマーは北米南部班第1チームリーダーでチーフ副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと合流するので、また連絡しますと言って通話を終えた。
 ハイネは椅子に全身を預けて暫く・・・10秒間・・・放心した。数ヶ月前にもポール・レイン・ドーマーがメーカーに誘拐されたが、あの時は、敵のラムゼイがレインの価値を知っている人間だと言う思いがあったので、レインを殺害したりしないと心の何処かで確信していた。しかし、今回の敵は違う。まだ実態を掴めていない殺人集団だ。

 何故、囮捜査官ではなく、俺の部下を攫ったのだ?

 怒りが込み上げてきた。どの子も可愛い。子供を傷つけられて平気な親がいるものか。
ハイネが身を起こした時、また端末に着信があった。ネピアが告げた。

「ニュカネンから通信です、局長。」

 ネピアもハイネの只ならぬ表情に異常事態を感じ取っている。クロエルに続いて出張所所長から通信が入るのも、その事件の重大さを物語っていた。
 ハイネが電話に出ると、リュック・ニュカネンが現れた。

「クロエルから連絡がありましたね?」

と彼は挨拶もそこそこに尋ねた。ハイネが「あった」と答えると、彼はまた尋ねた。

「詳細報告をしてよろしいでしょうか?」

 クロエル・ドーマーの興奮状態を見ているので、局長に細部を伝える余裕はなかっただろうと、堅物ニュカネンは素早く判断したのだ。ハイネはニュカネンの落ち着きを有り難く感じた。

「頼む。報告せよ。」

 リュック・ニュカネンは、クロエルと警察から聞いた話だと前置きして、事件の経過を語った。ヒギンズがセイヤーズだと信じるダウン教授から息子に会わせると連絡をもらったヒギンズが一人で打ち合わせ場所の礼拝堂に入った。クロエルが後からそこへ行こうとして、学生運動家に足止めを食らった。学生達は遺伝子管理局にクローン虐待を止めろと詰め寄ったのだ。クロエルが仕方なく相手をしていると礼拝堂で銃声が聞こえ、クロエルは中に駆け込んだ。彼はそこで負傷した連邦捜査官と薬品で気絶させられているヒギンズを発見した。誰かが礼拝堂の奥に逃げ込む気配もあった。クロエルは直ぐに駆けつけた応援に2名を託した。その時、タンから電話が掛かってきて、西隣の学舎に来てくれと言われた。クロエルは礼拝堂と学舎をつなぐ地下通路があるのに気が付いた。入り口付近にはダウンが倒れており、彼女も薬品で気絶していた。
 クロエルはダウンも警察に託して、地下通路から西隣の学舎に入った。そこで死体を見つけてしまった。通報して来たタンの姿が見えず、端末に電話をかけると、タンの端末は近くの床に落ちていた。

「クロエルは地下通路から出た時に、車が走り去る音を耳にしたと言っています。タンはその車で拉致されたと推測されます。」

 ニュカネンの落ち着きのある声を聞いているうちに、ハイネも冷静を取り戻した。

「タンは一人で行動していたのか? 2名1組で行動する規則を守らなかったのか?」
「私もそれをワグナーに問いました。」

 規則重視のニュカネンは言った。

「タンはジョン・ケリー・ドーマーと組んで行動していたのですが、彼等も例の学生運動家達の妨害を受け、いつの間にか離れてしまったそうです。ケリーはタンが近くに居るものと思い、連絡可能な場所だからと油断していました。」
「ケリーは無事なのだな?」
「彼は無事です。しかしタンが行方不明と知って、ショックを受けており、現在出張所で待機させています。」

 ニュカネンは、その場の指揮官から主導権を取るつもりはなく、クロエルが落ち着くのを待ちます、と言った。

「ワグナーがレインに連絡をとりましたので、レインも間も無く到着します。私は彼と病院でヒギンズとダウンから事情聴取します。現場はクロエルとワグナーに任せます。」
「うむ。」

 ハイネは自分が出来ることを素早く考えた。

「私はタンの生体信号を拾う。彼が生存しているなら、居場所は直ぐに特定出来る筈だ。そちらの準備が整ったら、連絡をくれ。データを送る。」
「わかりました。よろしくお願いします。」

 通信を終えると、ハイネはこの事件をケンウッド長官に報告すべきかと考え始めた。





誘拐 2 1 - 3

 保養所設置の案は、ローガン・ハイネ・ドーマー個人にはどうでも良いことだったが、若い部下達には必要だろうし、きっと仕事以外の目的でドームの外に出かけることに慣れれば喜ぶだろう、とハイネは思った。地球人類復活委員会が保養所の次にどんなアイデアを持ち出してくるのか、それはハイネにもまだ見当がつかなかった。しかし、外で生活することを最終目標にするのだから、外で寝泊まりしてドームに通勤すると言う考えもあるのだ。ドームはまだその存在を必要とされる施設だ。地球人の女性達は安心してお産に望める施設として、病院よりもドームを選択したがる。コロニー社会も折角200年間続けた施設運営をあっさり終わらせることを渋っている。出資者様達はドームが本来の役目を終えた時に、別の目的の施設として運営することを考え始めるだろうし、その場合の労働者としてドーマーが必要とされるだろう。

 もっとも、その時代になる頃には、流石の俺もこの世にはいないだろうさ

 ハイネはくよくよ考えることを止めて、執務室に戻った。午後の業務である報告書を読もうと机の前に座った途端、第1秘書のネピア・ドーマーが保安課からの連絡を受けて、局長に声を掛けた。

「局長、クロエルから緊急通信が入ってきました。」

 ハイネは端末を出した。画面にクロエル・ドーマーが現れた。顔面を端末に押し付けんばかりの近距離で、若い中米班チーフが感情を抑えた声で言った。

「局長、パトリック・タンが行方不明になりました。」

 一瞬、なんのことかハイネは解せなかった。
 クロエルは連邦捜査局の囮捜査官ロイ・ヒギンズと共にテロリストを装う殺人集団FOKの捜査の為に、北米南部班の局員を装ってセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに週一で通っていた。ヒギンズはダリル・セイヤーズ・ドーマーに扮している。セイヤーズは希少遺伝子保有者として故サタジット・ラムジー博士の資料に記載されており、それを読んだはずのFOKがセイヤーズを狙っているだろうと言う推測の元に囮を立てたのだ。果たして、FOKの首謀者と連邦捜査局が考えているセント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウン教授がヒギンズとクロエルのコンビに接近してきた。ヒギンズは故意に敵に捕まってその尻尾をつかもうと言う危険な計画だ。そして、クロエルの最終報告では、ダウンがヒギンズが扮する偽セイヤーズに、行方不明のセイヤーズの息子を発見したので会わせると連絡してきたので、これから面会する、と言うのだった。
 パトリック・タン・ドーマーは北米南部班の局員で、クロエル達のサポートとして近くに待機している筈だ。それが行方不明とは?

「行方不明とは?」

 思わずハイネは尋ね、それから嫌な予感を覚えた。
 クロエルが端末を振り、周囲の風景をちらりと見せた。警察の規制線や、制服警官、救急隊員の姿が見えた。スーツ姿の男は、出張所所長、リュック・ニュカネン元ドーマーだ。

「ヒギンズがダウン教授と接触したのですが、何か手違いがあったらしく、現場が混乱しています。捜査官が一名、銃で撃たれて負傷、ヒギンズとダウンは薬品を嗅がされて意識不明ですが、命に別状ありません。今、病院に搬送するところです。」
「タンは・・・」

どう関わってくるのかとハイネが尋ねる前にクロエルは早口で言った。

「タンが僕に電話で来てくれと要請してきたので、その場所に行ったら、2人分の死体がありました。クローンだと思われます。そして、その場に居た筈のタンが何処にも居ないのです。端末が床に落ちていました。僕に連絡をした直後に何者かに襲われて拉致されたと思われます。」

 ハイネは心の中で待ってくれと叫んだ。何がどうなっているのか、頭の中で整理がつかない。わかったことは、唯一つ・・・

 俺の部下が何者かに攫われた!




誘拐 2 1 - 2

 出張から戻ったケンウッドは早速遺伝子管理局長ローガン・ハイネとドーム維持班総代ジョアン・ターナーを呼び、保養所設置案を提案してみた。ドーマーを外の世界に慣らして行く計画の発端だと言うことも忘れなかった。
 ハイネは局員が普段から外へ出かけているのであまり関心なさそうに見えた。ターナーの方は外に出る機会がないドーマー達がどんな反応をするかと心配した。

「みんな外の世界に関心はあるのですが、その一方で大気や細菌が怖いのですよ。」
「地球人なのだから、慣れれば平気だろう。」

とハイネが呟いた。その彼はもう年齢的に細菌への耐性が期待出来ない肉体になっている。医療区長のヤマザキ・ケンタロウは時間をかけてゆっくりと慣らして行けばハイネも外に出られると可能性を唱えているのだが、他の執政官達はこの美しい老ドーマーにそんな冒険をさせたくなくて反対しているのだった。

「予算の問題があるので、すぐにとは言わないが、2、3年のうちに保養所を使えるようにしたいのだよ。」

とケンウッドは言った。

「だから、最初は『通過』を終えたドーマーで、仕事に余裕のある者、現役指導に就く年齢の者たちから始めようと思う。彼等に先ず場所を選んでもらう。保養所だから、ドームから離れた場所、しかし万が一の時はすぐにこちらから救援に行ける距離が良いだろう。一般市民との距離も遠からず近からずの場所だ。」

 一度も外に出たことがないハイネと、外に出る仕事は多いが滅多にドームから離れたことがないターナーは顔を見合わせた。

「航空班の協力が要りますね。」

とターナーが言った。

「すぐに救援に行ける交通手段としては、ヘリコプターが一番でしょう。車ではドーム周辺のシティの交通渋滞などを考えないといけませんから。」
「交通渋滞?」

 ハイネは聞き慣れない言葉に思わず総代の言葉をリピートした。そうだ、ドーム内部では乗り物がない。多くのドーマーは交通渋滞なるものを知らないのだ、とケンウッドは気が付いた。

「車が一箇所に集中して走行がスムーズに行かなくなる状態だよ。」

とケンウッドはさりげない風を装って説明した。ターナーも大先輩が実は外の世界にはほとんど無知なのだと思い出したので、優しく例え話を出した。

「ほら、食堂の配膳コーナーで混み合って前に進めないことがあるでしょう? 外の道路でもそう言うことが頻繁に起きるんですよ。車は人間みたいな融通が利かないから、なかなか前に進めなくて、みんな苛々するんです。」

 そう言うターナーも渋滞の経験は資材購入で遠出したほんの2、3回しかなかったので、それ以上詳しく語ることはなかった。
 ああ、とハイネが頷いた。

「それなら、ヘリで行ける場所が良いですな。」
「どうだろう? 保養所設置に協力してくれるね?」

 ケンウッドは期待を込めて両名を見た。ハイネが小さく頷き、ターナーも「はい」と答えた。


2019年3月24日日曜日

誘拐 2 1 - 1

 オセアニア・ドームで長官会議が開かれ、ケンウッドは数年ぶりに地球上での出張を行った。パース郊外の平原に建設されているドームは外観はどこのドームとも全く変わらなかったが、内部は違っていた。オーストラリア先住民のアボリジニの伝統的なデザインを主体とした装飾で彩られた室内で、地球各地から集まった長官達はもてなされ、会議を行った。
 議題は、現在ドームで働いているドーマー達をいかに外の世界に順応させて行くか、と言うものだった。遺伝子管理局や航空班、維持班の外壁担当部署など、最初から外出がメインの仕事に就いているドーマーはほんの一部で、多くは一生をドームの中で過ごす男達だ。抗原注射を処置して外に出すか、注射なしで出すか、なしなら「通過」をさせるか、と先ずはドーマー達をいかに外気に慣らすか方法を論じ合った。注射をして出すのは順応させるとは言わないだろうと言う意見する長官、いきなり外気に触れさせて病気をさせるのは残酷だろうと親心を主張する長官や、外へ出す目的は何なのかと疑問を提示する長官がいて、彼等は皆大事に育ててきたドーマー達を手放したくない本心をさらけ出してしまった。
 ケンウッドはどの意見も理解出来た。だが、地球人が女の子を生めることが判明した今、ドームは2、3世代のうちに不要になる。ドーマー達は外の世界に戻さなければならない。執政官の保護のない、地球人としての本来の人生を取り戻すのだ。いつまでも大事な研究用地球人として扱うことは許されなくなる。

「いきなりドーマーを外に出しては、外にいる地球人達が彼等をどう思うか、それが心配です。」

と東アジア・ドーム長官が言った。

「今まで外の法律上存在しなかった人々が急に現れるのですから、地球人達はドーマーが何処から来たのか、何故来たのか、と不思議に思います。追求されれば、ドームで行われていたことが知られてしまいます。その時、地球はパニックになるでしょう。」

 彼女は場内を見回した。

「最初はドーマーを外の世界に慣れさせるところから始めましょう。全員を一度に出す必要はありませんし、業務を考えれば無理です。ですから、休暇を取るドーマーの中から希望者を募って、外の施設に遊びに出る形で、外気に触れさせてはいかがですか?」
「外の施設とは?」
「保養所の様な施設をドームから然程遠くない場所に建設して、そこに数人ずつ送って2、3日過ごさせます。どう過ごすかは、各ドームの考え方次第で結構だと思います。別荘感覚でのんびりさせても良いし、保養所の運営を彼等に順番にさせてもよろしいかと。
外の地球人との接触をその休暇中に体験させ、本来の地球人の生活を先ずは見学させるのです。」
「つまり、段階を置いて徐々に慣れさせて行くのですね?」
「そうです。」

 数人が考えた。

「保養所を建設しなければなりませんな。」

 すると、ケンウッドの脳裏に昔の光景が浮かんだ。彼は発言した。

「新規に建設するのではなく、中古物件を購入して、ドーマー達が順番に改装して行くと言うのは、如何ですかな?」

 一同が彼を見た。

「ドーマー自らが改築に携わるのですか?」
「そうです。物件探しも、購入交渉も、手続きもドーマー達が自分でするのです。彼等は子供ではありません、立派な社会人です。交代で順番に手続きをさせて、地球人の同胞との触れ合いを持たせてやろうではありませんか。」

 ケンウッドは遠い昔、リュック・ニュカネン・ドーマーを手放した時の経験を思い出していた。ローガン・ハイネ・ドーマーはニュカネンに出張所を開設する為の中古物件を探させ、買わせ、改築までさせた。その結果、ニュカネンは現在の地元で住民と馴染んで尊敬までされている。ケンウッドはその時より今回の方がオープンな状況だと思った。

2019年3月17日日曜日

囮捜査 2 3 - 3

 ジェリー・パーカーはいつもの朝の運動を終え、朝食を中央研究所の食堂で摂った。保安課員アキ・サルバトーレ・ドーマーの監視付きもいつもと同じだった。だが食事の後でサルバトーレは彼を研究所ではなく、研究所の地下へ連れて行った。
 そこはクローン製造部だった。広い部屋の中にパネルで仕切られた小部屋がいくつか島のように設けられ、執政官や研究員や助手達が働いていた。パーカーはそのうちの一つに誘導された。

「ジェリー!!」

 機械的な女性の声が彼の名を叫び、若い女性が彼目掛けて走って来た。パーカーは彼女を認め、立ち止まった。

「よお! JJ!」

 JJ・ベーリングが彼に飛びついた。立場上、彼は彼女の両親の仇になる。しかし、JJはラムゼイの農場で暮らした短い期間に彼に友情を感じていた。パーカーは彼女にもライサンダー・セイヤーズにも親切だったからだ。それに彼女が現在交際しているポール・レイン・ドーマーにも保護者的な接し方をして他の手下達の暴力から守っていた。JJは彼が紳士だと信じて疑わなかった。

「おはよう、パーカー。」

 ラナ・ゴーン副長官が抱き合って再会を喜んでいるJJとパーカーに声を掛けた。パーカーは少女を離した。このセクションで一番高い地位にいるコロニー人に挨拶をした。

「おはよう、ゴーン博士。」

 そして周囲を見回した。

「俺のクローンを作るのかい?」
「いいえ、貴方がクローンを作るのですよ。」

 パーカーはゴーンを振り返った。副長官が冗談を言ったのかと思った。彼は違法なクローンを作るメーカーとして逮捕されたのだ。ゴーンは無駄な時間を取らせなかった。

「今日から貴方はこのセクションで私達と共に働くのです。」

 彼女が一番奥にある小部屋を指差した。

「あちらは、コロニーから送られて来るコロニー人の受精卵からクローンを製造する部門です。先日ケンウッド長官が発見された人工羊水の計算式の誤りが修正される迄業務が休止されていますが、本来はここで一番忙しい部門です。」

 その部門の人々は準備された受精卵の健康状態をチェックする作業に追われている様子だった。受精卵の成長を人為的に止めて、クローンを作る迄キープしなければならない。
 ゴーンは次の小部屋を指した。

「次のグループはドーマーの精子とコロニー人の卵子を受精させて、それからクローンを作る作業をしています。そちらも現在計算式の修正待ちです。」

 ゴーンは視線をパーカーに戻した。

「貴方はこの私がいるグループ、JJ・ベーリングとメイ・カーティス博士のいる部門で活動してもらいます。作業内容は、ドーマーと地球人の女性との間に女の子を誕生させるものです。これは計算式が修正されて初めて始動するプロジェクトです。」
「もしかして・・・」

 パーカーは不安げに尋ねた。

「すごーく重要なんじゃないか?」
「どの部門も重要ですよ。でもこの部門はこれから始まるのです。」

 ゴーンは真面目に答えた。

「ですから、優れた技術を持つ貴方が必要なのです。」

 パーカーは彼女を見つめ、それからJJを見た。少女は微笑んでいた。彼と一緒に働くのが嬉しいのだ。カーティスは緊張の面持ちだ。彼女も初めての部門になるのだろう。そしてパーカーと接するのも初めてなのだ。
 パーカーは後ろに立っているサルバトーレに視線を向けた。

「監視付きで仕事かい?」

 ゴーンが首を振った。

「サルバトーレは貴方がここで働いている間は、通路脇の常勤保安員の控え室で同僚達と一緒に待機します。休憩時間に貴方が上に出たいと言えばついて行きます。ですが、基本的に勤務中は貴方は私たちと一緒で、彼とは離れます。」

 それはつまり、信用されていることか? パーカーは何故ここの住人達は彼を信じるのか、理解出来なかった。しかし、悪いことじゃない。


2019年3月10日日曜日

囮捜査 2 3 - 2

  ドームには、ドーマーやコロニー人達の息抜きの為の施設がいくつかある。収容されている妊産婦と共用出来ないのは残念だが、女性達と同じ施設の小規模のものだ。(勿論、女性ドーマーやコロニー人の女性は大きな施設を使用出来る。)
 チーフ会議が開かれている時間、ケンウッドはジムの隣のジャグジーへ行った。サウナが混雑していたのだ。すると湯けむりの中に男が一人湯に浸かっているのが見えた。赤みがかった金髪のダリル・セイヤーズ・ドーマーだった。ボスが会議中の間に息抜きをしているのだ。ケンウッドは邪魔しないよう、静かに入ったつもりだったが、向こうは彼に気が付いた。セイヤーズの方から声をかけて来た。

「新しいプロジェクトは進んでいますか?」

 ケンウッドは振り返り、彼に気づいたふりをして微笑した。

「ああ、なんとか進行しているよ。出来れば君の孫の世代には間に合わせたいがね。」
「孫の世代ですか・・・」

 もう年頃の息子がいるのにと言おうとして、セイヤーズは長官が思っているのは今試験管の中で生まれたばかりの子供達のことだと気が付いた。彼は出しかけた言葉を呑み込み、別の台詞を搾り出した。

「間に合うと良いですね。」

 少し間を置いて、ケンウッドは呟いた。

「本当は次の春に引退するつもりだったのだよ。」

 それは本当だった。長官職を辞してただの研究者に戻りたかった。ただの研究者としてドーマー達ともっと触れ合う時間を持ちたかった。
 セイヤーズは純粋に彼の言葉に驚いたようだ。

「えっ?」
「しかし、プロジェクトを開始する役目を掴んでしまったからね、今更逃げる訳にはいかない。」
「地球の重力はお体に負担ですか?」
「歳を取ったからなぁ。5年若ければ、まだやれると思うのだろうが、少々弱気になってきた。」

 ケンウッドは自嘲した。

「君がここへ連れ戻された時のことを覚えているかね? 君がベッドの上で目覚めた時、私に言った言葉だ。」
「ええ・・・『18年以上も地球上に残るコロニー人を初めて見ました』と言いました。」
「私は地球に来て今年で23年目だ。当初は6年で帰るつもりだった。残ったのは他でもない、君が逃げたからだ。」
「何故です? あれはリン長官の責任と言うことになったのでしょう?」
「ドーム統率者の責任問題と言う次元の話ではないのだ。私はあの時、ドーマー達が動揺するのを見てしまった。ドームに逆らうことを知らなかった人々が、1人の脱走者の出現で自分達が置かれている立場に疑問を持ち始めたのだよ。それまでにもドームから去るドーマー達はいたが、彼等は静かに平和的に外でドームの為に働くことを条件に出て行ったのだ。しかし、君は違った。」
「私は身勝手な男ですから・・・」
「そんなことを言っているんじゃないよ。君はドーマーにも生き方の選択権があると言う当たり前のことをみんなに気づかせたんだ。だが、ドームは決して君を諦めない。君を見つけたら必ず次は逃げられないように閉じ込めてしまうはずだ。
 私は、そんなことになってはいけないと思ったのだ。君には進化型1級遺伝子があるから本当の自由は与えられないが、他のドーマーと同じに扱ってやりたいと思った。だから、君が帰ってくるのを待っていた。君がせめてドームの中では自由に動き回れる安全な人間だと証明してから、宇宙に帰るつもりだったのさ。」
「私は安全な人間ですか?」
「当然だろう!」

 ケンウッドは微笑んだ。

「君は誰かに脱走を勧めたり、叛乱を起こそうと呼びかけたりしたことがあるかね? 君が帰って来てからしたことは、人類の為に塩基配列を見ることが出来る少女を連れて来てくれたことと、人類のオリジナルの遺伝子を持つ男を我々に委ねてくれたことだ。大いに役立ってくれているよ。」

 セイヤーズも微笑んだ。

「貴方がここに居て下さるだけで、私は安心出来るのですが・・・これからもずっと居て下さいと言えば、貴方には酷でしょうか?」

 涙が出るほど嬉しいことを言ってくれる。ケンウッドは湯に浸かっていることを感謝した。

「流石に、この年齢になってくるときついなぁ。 嬉しいがね。」

 ケンウッドは湯気の向こうに見えるドーム越しの空を見上げた。

「私の唯一の心残りと言えば、ローガン・ハイネに外の世界を体験させてやれなかったことだ。」
「局長はまだ若いでしょう?」
「そう見えるだけだよ。」

 ケンウッドはセイヤーズの顔を見た。

「ハイネは私より年上なんだよ、知らなかったのかね? あの男の進化型1級遺伝子は君のとはタイプが違うんだ。君の遺伝子は宇宙船の操縦士の為に開発されたものだが、ハイネのものは、宇宙船乗りを待つ家族の為に開発された特殊なものだ。」
「家族の為ですって? それは一体・・・?」
「宇宙船乗りは1回航宙の旅に出ると数10年は帰って来られない。コロニーや惑星で待つ家族はその間に歳を取ってしまうが、宇宙船乗りはゆっくりとしか歳を取らない。ああ、その辺の説明は省くが、兎に角、帰還した時に家族が歳を取っていなくなってしまう場合もあると言うことだ。だから、歳を取る速度を落とす遺伝子が開発された訳だが、これは失敗だった。」
「失敗?」
「人間はね、セイヤーズ、どんなに科学が進歩しても、せいぜい150年生きられれば良いところなんだ。それ以上はどんなに研究を重ねても無理なんだ。」

 遺伝子そのものを変えてしまわない限りは。ケンウッドは遠い別の星系に移住した人類が200年、300年生きる遺伝子に改良されていることを地球人には教えることが出来ないと気が付いた。地球人はまだ人類全体の科学情報を得ることが出来ないのだ。

「ハイネは今100歳に近いが肉体はまだ50代だ。しかし、間もなく老化が速度を速めて襲ってくるはずだ。
 本人もそれを知っているから、彼はとうの昔に子孫を残すことを諦めている。ある日突然体が老い始めるかも知れない恐怖を子孫に味わせたくないのだそうだ。」

 進化型1級遺伝子はまだ謎が多い。ハイネと同じ「待機型」遺伝子を持つ人間が突然老化が始まって急速に衰え亡くなった事例が報告されている。ハイネが同じ目に遭うと言う確証はないのだが、科学情報誌でそれを読んだ執政官の一人がうっかりハイネに喋ってしまったことがあった。もう10年以上も昔のことだ。ハイネは一言、そうですか、と言っただけだった。その執政官は口を滑らせたことを後日かなり後悔していた。ヤマザキ・ケンタロウがハイネのアパートでの酒盛りで、その話題に触れ、「待機型」遺伝子を持つ人間全てが同じ症状に襲われるのではないから、と励ました時に、ハイネは、同じ遺伝子を継ぐ子孫は残さないと言ったのだ。
 セイヤーズが痛ましそうな目をした。

「恐怖・・・局長は毎日そんな思いで・・・」

 ちょっと大袈裟に表現してしまったな、とケンウッドは少し後悔した。

「彼は強いだろう、全く君達には気取られずに生きている。」
「ええ!」
「だが、体はもう抗原注射には耐えられない。彼は今ドームから出れば忽ち肺炎にでも罹って命を落としてしまうだろう。私はもっと早い時に彼を外に出してやれば良かったと後悔している。」
 
 それは事実だ。病原菌に対する抵抗力を持つ機会を持たないまま、ハイネは年をとってしまった。
 ケンウッドはまた空を見上げ、セイヤーズも見上げた。2人とも白髪の美しい年を経たドーマーを想っていた。彼の先祖は遠い宇宙の旅に出た身内を待っていた。彼は今ドームの外の危険に満ちた世界に仕事で出て行く部下を毎日待っているのだ。

 待つためだけに開発された遺伝子なんて・・・

 セイヤーズは人間とはなんて身勝手な生き物なのだろうと思った。子孫がどんな思いをして生きるのか考えもしないで科学を推し進めていく、それは今も変わらない。

囮捜査 2 3 - 1

 アメリカ連邦捜査局囮捜査官ロイ・ヒギンズとクロエル・ドーマーは2日外に出て4日休むと言う基本的な遺伝子管理局の勤務形態を3回続けた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンでラムゼイ博士の組織の残党を探すと言う触れ込みで捜査をした。初日は仏頂面した出張所のリュック・ニュカネンも付き添ったので、ラムゼイが死んだ時の組み合わせにそっくりで、セイヤーズと実際に出遭った人々もヒギンズがセイヤーズだと思い込んだ。1回きりしか本物と会っていないので当然かも知れない。ただ、トーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツと理事のビューフォードは2回会っているのでクロエルも彼等に近づくのを避けた。

「連邦捜査官はどんな調子だ?」

 ハイネ局長に訊かれてクロエルは「まあまあです」と答えた。

「他の職業と違って遺伝子管理局は一般の人と接触する機会が少ないので、ヒギンズはどんな振る舞いをして良いのか戸惑っていますが、周囲に気づかれないように平然として見せる度胸はありますね。」
「君のペースについてきているのか?」
「迷子にならない程度に。」

 そしてクロエルは苦情を言い立てた。

「僕等を取り囲む連中をなんとかしてもらえませんか? バックアップしてくれるのは良いけど、うざいし、管理局の行動を見張られている様で不愉快です。」
「ヒギンズは、女の子を生めるセイヤーズを演じている。ラムゼイがシンパにその情報を漏らしている可能性がある以上、君達が襲われないよう警護する必要があるのだ。」
「連邦捜査局は、セイヤーズの特異性を知りません。何故彼が狙われるのか、ヒギンズもわかっていない。理由がばれたら地球人の実態もばれてしまいます。」
「それは囮捜査に協力すると決めた会議でも話題に上っただろう? もしばれたら・・・」

 局長はクロエルをじっと見つめた。

「君が上手く誤魔化せ。」
「え〜、僕ちゃんに責任をおっかぶせるんですかぁ?」
「君なら出来ると踏んだから、みんなで君に決めたんじゃないか。」
「しくしく・・・」

 クロエルは抗原注射が不要なので外から帰った次の日に休む必要はないのだが、部下のローテーションに合わせて休むことにしている。囮捜査官ヒギンズも外の人間だから効力切れ休暇は必要ないが、一緒に出動するチームに合わせて休日をもらった。
 セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウン博士との面会に囮捜査官が成功したのは2ヶ月も経ってからだった。その間にクロエルとヒギンズのコンビはローズタウンからセント・アイブスの間の市町をかなり歩き回った。チーフを貸し出している中米班からは、「まだ終わらないのですか?」と局長に苦情が来たので、ハイネが「代わりにレインを貸そうか?」と申し出ると、「結構です」と断られた。性格が全く異なる上司が来ると業務がやりにくいのだ。レインも熱帯気候は苦手なので、断られてホッと安堵していた。
 ミナ・アン・ダウンはクロエルの言葉を借りると「若作りのおばちゃん」だ。皺を隠す為に整形して化粧して、マネキンみたいな肌をしているそうだ。そして・・・

「セイヤーズに化けたヒギンズに盛んにラムゼイのクローン製造の話をしていた。ヒギンズも学習しているので、そつなく答えていたから、上手く騙せたと思う。」
「ダウンはクローンの何に関心を持っていると思う?」
「一言で言えば、大量生産。」
「大量生産? 1人の人間のストックを複数創っておくと言うことか?」
「その通り。」

 チーフ会議でクロエルは、もの凄く汚い物に触れてきた、と言いたげな表情をした。

「人工羊水の中にクローンの肉体をストックしておいて、自分の脳を移植した体が駄目になったら、次のを出して来て使うって考えだと思う。」
「聞くだけで吐き気がする。」
「人間のやることじゃないな。」
「クローンにも人格があると言う考えは全くないんだな。」
「でもダウンは明確にそれを言った訳じゃない。言えばFOKの思想と同じだとばれるからね。他人がそう言っている、誰かがそう言う考えを持っている、と言う言い方をするんだ。」
「ヒギンズはそれを連邦捜査局に報告したのか?」
「まだ証拠がないし、証言とも言えないから、もっと接近したがっている。」

 するとハイネ局長が口をはさんだ。

「遺伝子管理局としての協力は果たせたようだな。」
「と仰いますと?」
「こちらが手を引く潮時だと言うことだ。これは連邦捜査局のヤマだからな。これからは連中のやり方でやるはずだ。」
「つまり、僕ちゃんはもうお役御免?」
「ヒギンズはセイヤーズになりきっている訳だ。」
「はい?」
「セイヤーズは規則には従わない男だ。」
「つまり?」
「ヒギンズはそろそろチーフ・クロエルから反抗して単独行動を取る頃合いだ。」

 チーフ達は黙り込んだ。局長は外の世界を知らない人だ。何処まで危険の度合いを理解しているのだろうと部下達は疑問に思ったのだ。しかし、ハイネは言った。

「連邦捜査局は我々以上に危険の度合いを理解している。彼等から見れば我々は素人だ。下手な手出しは無用と言うことだ。」
「向こうからそう言ってきたんですか?」
「さりげなく手を引いてくれと言ってきた。」

 クロエルが「愛想がないな」とぶつくさ言った。ポール・レイン・ドーマーが尋ねた。

「しかし、いきなり引き揚げると却って怪しまれるでしょう?」
「だから、さりげなく、だ。クロエルはヒギンズと喧嘩でもすれば良い。バックアップの組は少しずつ人数を減らし、連邦捜査官達だけにする。囮捜査は時間がかかる。この件にばかり関わっているほど遺伝子管理局は暇ではないぞ。」
「そうですが・・・」
「何か不満でもあるのか、クロエル?」

 クロエル・ドーマーがちょっと躊躇った。

「ジェリー・パーカーから人捜しを頼まれていて、それがまだ果たせていないんです。」
「人捜し?」

 レインはぴんと来た。

「ラムゼイのジェネシスを務めたシェイと言う女性の捜索だな?」
「うん。パーカーは彼女の安否を酷く気にしている。」
「現地の警察にも依頼しているのだろう?」
「うん・・・」
「では、そっちに任せておけ。俺たちが限られた時間で歩き回っても、彼女は見つからない。」

 ライサンダーの誕生に一役買った女性。レインはシェイとは一度も顔を合わさなかったが、彼女のスープは一匙だけ口に入れた。どんな味だったか記憶はないが、彼女が無事なら、ジェリーもJJも喜ぶだろう。
 レインはクロエルに言った。

「俺の部下達に、支局巡りの時に彼女の捜索を続けるよう言っておく。」

囮捜査 2 2 - 10

 ロッシーニ・ドーマーはペルラ・ドーマーと年齢的に大きな差がないのだが、髪はまだ半分黒かった。毎日子供を相手にしているので若々しく見えた。ケンウッドは若いドーマーやコロニー人が踊り騒ぐ中をかき分け、彼が座っているテーブルになんとかたどり着いた。早速ウェイターロボットが来て注文を取った。ケンウッドは軽いフルーツサワーを注文した。
 
「お元気そうで、何よりです。」

とロッシーニが微笑みながら声をかけた。君もね、とケンウッドは返した。
 ステージでは南米系のドーマーのバンドが賑やかに演奏して歌っている。ケンウッドの飲み物が届けられてから、軽く乾杯をした。それからロッシーニが顔を近づけ、いきなり本題に入った。

「副長官とダリル・セイヤーズの急接近の情報は長官のお耳に入っておりますか?」

 ケンウッドは苦笑した。年配者達は皆あの有名な男と美しい副長官を心配しているのだ。

「うん・・・実はゴーン本人から聞いた。」
「そうでしたか。」

 ロッシーニは安心した表情になった。ラナ・ゴーン自ら長官に報告したと言うなら、彼女にはしっかりと分別があるのだ。

「内務捜査班に探られるような状況ではないですよね?」
「庭園のベンチに座って互いの家族の話や、セイヤーズの逃亡中の生活の話をしているのだそうだ。それぞれ母親と父親だからね、子供の成長やこれからの生活の心配が主に会話の中心だそうだよ。」
「それは、要らぬ詮索をされる前に副長官が予防線を貼られたと考えて宜しいですか?」
「それもあるだろうし、私が現在携わっている仕事の障害にならぬよう配慮してくれたとも思っている。」

 ロッシーニが、体を退いた。ケンウッドをじっと見つめた。

「貴方が現在関わっておられるお仕事ですって?」

 ケンウッドはハッとした。ドーマー達には、まだ女性誕生の鍵が発見されたと公表していない。知っているのはローガン・ハイネぐらいだ。だがロッシーニには言っても良いだろう。口の固さは世界一だろうから。
 ケンウッドは彼が唇の動きを読めることを思い出した。だから、声を出さずに言った。

 もうすぐ地球人類復活委員会から発表がある。女性誕生の鍵が見つかった。

 ジャン=カルロス・ロッシーニがビックリ仰天するなんてあっただろうか? ケンウッドは冷静沈着なこの男が目を丸くして口をあんぐり開けたのを、逆に呆然として見つめた。

「本当に?」

とロッシーニが掠れ声で呟いた。

「本当なのですか?」

 そしてケンウッドが頷くと、彼はいきなり長官の手を取った。そして激しく揺すった。

「有り難うございます、ケンウッド博士!」

 ケンウッドはロッシーニの目に涙が浮かぶのを目撃した。


2019年3月9日土曜日

囮捜査 2 2 - 9

 ケンウッドは久しぶりに元長官秘書ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーから連絡をもらった。
 ロッシーニは遺伝子管理局内務捜査班の前チーフだ。隠密活動でコロニー人学者達が本来の研究から外れてしまわないよう監視する仕事に就き、ユリアン・リプリー博士の研究室で助手として働いていた。真面目で誠実な働きぶりが気に入られ、リプリーがアメリカ・ドーム副長官に就任した時に秘書に採用された。ドーマーが執政官の秘書になるのは珍しく、ロッシーニは正体を隠したままドーム幹部達の内状を探っていたのだが、リプリーが思いがけず長官になってしまい、彼も秘書業が多忙になってしまった。それで結局内務捜査班の業務は副官のビル・フォーリー・ドーマーが引き受ける形となった。リプリーは長官職を5年で辞める約束だったので、ロッシーニはそれを機に正体を明かして遺伝子管理局本部に戻るつもりだった。ところが、リプリーはケンウッドに長官職の後任を託す時に、ロッシーニを「実に優秀な秘書なので」と推薦してしまった。
 ケンウッドはひょんなことからロッシーニの正体を知ってしまっていた。だから内務捜査班のチーフを秘書に押し付けられてびっくりしたのだが、長官業務をよく知っている秘書は頼もしく思えたので、彼を引き受けてしまったのだ。実際、ロッシーニはケンウッドをよく助けてくれた。そして本来の上司である遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーとの連携もスムーズに行くよう支えてくれたのだ。
 ロッシーニが秘書と遺伝子管理局を引退したのは年齢のせいで、ケンウッドとしてはもう少し残って欲しかったのだが、彼は養育棟で子供のドーマーに英語を教える教官になった。それから滅多に顔を合わせる機会がなく、ケンウッドも多忙で会いに行けなかったのだ。だから・・・

「長官、もし宜しければ今夜半時間ほどお会いできませんか?」

 ドーマー達は時候の挨拶とか、元気だったかとか、そんな社交辞令はしない。いきなり用件に入る。ケンウッドはその愛想のなさに苦笑しながら、カレンダーを確認した。

「今日は金曜日だったね。もし良ければ、バーで飲まないかね?」

 ロッシーニが飲酒するかどうか覚えていない。だが金曜日はドーマーがバーを利用することが許される日だ。
 ロッシーニが電話の向こうで笑った。

「静かに語り合える場所ではないですね。」
「そうかい?」
「長官、最近バーに行かれたことがないのではありませんか?」

 ケンウッドは最後に行ったのはいつだろうと考えた。バーに行かないことはないが、金曜日には行っていないのではないか?

「金曜日のバーは静かではないのか?」
「バーと言うよりライブハウスですね。」
「ドーマーのアマチュアバンドが演奏するのは、昔からの伝統だろう?」
「そのバンドが様変わりしましてね、毎週お祭り騒ぎです。」

 そしてロッシーニは囁いた。

「騒がしい方が、内緒話に適しているかも知れません。」


2019年3月4日月曜日

囮捜査 2 2 - 8

「どちらが先に言い寄ったのでしょうか?」

 ハイネはアイダの質問に真面目に答えた。

「それはセイヤーズでしょう。副長官は分別のある方ですから。」
「ダリル坊やも分別はありますよ。」
「しかし交際を申し込んだのはセイヤーズですよ、きっと。地球人保護法を気にせずに行動するのはドーマーの方ですからね。」

 ハイネは妻の肩に腕を回した。ケンウッド長官やベルトリッチ委員長に我儘を聞いてもらって手に入れた大事な妻だ。

「どちらが積極的なのかは別にして、あの人達が夜に隠れてデートしなければならないなんて、気の毒だわ。」

 とアイダが呟いた。
 ハイネがちょっと考えた。

「セイヤーズはレインと同棲していますね?」
「ええ・・・有名なカップルだから・・・」

 彼女は少し顔をしかめた。

「セイヤーズはレインとラナの両方を愛しているのかしら?」

 同性を愛せる男が異性も愛しているのか? 彼女は少々信じがたい気分になった。しかしドーマーの中に多い男性同士のカップルは、時々女性にも関心を示したりする。
 ハイネが尋ねた。

「中央研究所はレインとベーリングを娶せようとしているのではないですか?」

 アイダがビクッと体を一瞬震わせた。出産管理区は居住区のドーマー達に中央研究所がどんな研究を行うのか知らされないし、興味も持たないことにしている。しかし変わった研究が行われれば、噂は伝わって来るのだ。そしてアイダは友人のゴーンからハイネが尋ねた内容の研究計画を聞かされていた。

「確かに、JJとレインをカップリングさせる計画があるそうです。でもそれはJJ自身が望んだことで、レインもまんざらではないと聞いています。」
「セイヤーズはそれを許したのですか?」

 ハイネはドーマー同士の仲違いを危惧した。セイヤーズはレインの心が女性に向けられたことを許容したのだろうか? そして娘同然のJJ・ベーリングがレインに恋をしていることに平気なのだろうか? セイヤーズがゴーンに接近しているのは、レインへの当て付けではないのか?
 アイダはカクテルグラスをテーブルに置いて、夫に向き直った。

「愛憎は当人同士でなければ理解出来ないものですよ、ローガン・ハイネ。私達が心配してもどうにもなりません。ただ、私は長い間出産管理区で働くドーマー達を見てきました。セイヤーズとレインの関係と似たようなカップルを何組も知っています。あの人達は、パートナーが同性と浮気をしない限りは、異性と親密になっても気にしないのです。正直なところ、私には不思議に思えるのですけどね。コロニー人の同性カップルは、どちらかが異性を好きになると壊れてしまうケースが多いのですよ。でも、ドーマー達にはそれがないの。」

 異性愛者であるローガン・ハイネには、この問題は難しいようだ。彼はそれ以上考えることを止めた。グラスをテーブルに置いて、妻をあらためて抱きしめ、ついで抱きかかえたまま立ち上がると寝室へ向かった。