2017年4月19日水曜日

奮闘 15

 法律では遺伝子関係の研究室はガラス壁でパネルを使って外からの視線を遮断することになっていた。ミナ・アン・ダウン教授の第3研究室もその様に造られていたが、パネルはしっかりと閉じられており、見通しが良いとは言えなかった。
 リュック・ニュカネンは元ドーマーらしい強引さで、ドアをノックしてからドア横のカメラに遺伝子管理局のIDを提示しただけで名乗らなかった。カチッと開錠される音が聞こえ、ドアが静かに開いた。
 顔を出したのは若い男だった。学生か助手だろう。ニュカネンは彼の顔を知っているらしく、頷くと、教授は中かと尋ねた。学生が「はい」と答えると、それ以上の質問はせずにずかずかと中に入り、ダリルは慌てて彼を追いかけた。常に慎重なニュカネンらしからぬ振る舞いに戸惑いを覚えたのだが、ニュカネンは教授が犯罪者の一味だと言う認識を持っていたので、相手に対する礼儀や遠慮を必要だとは感じなかっただけだ。
 ダウン教授は立体ボードに化学式を書き込んでいる最中だったが、2人の乱入者に気が付くと手を止めた。

「あら、ニュカネン所長、何用ですの?」

 ダリルは教授を眺めた。彼は歳を取って皺だらけになった女性を決して醜いと思ったことはなかった。寧ろその人の生きてきた時間を考え、歴史を考え、周囲の環境を想像し、美しいとさえ思うのだ。しかし、ダウン教授は違った。彼女はポール・レイン・ドーマーの母親より年長のはずだが、皺のない綺麗な顔をしており、手の甲も艶々だった。首筋もぴんと肌が張り詰め、髪もふわふわと豊かに波打っている。それが険しい光を放つ瞳とアンバランスに見えた。

 不自然な若さだ・・・

 美容整形を行ったのか、細胞活性化療法を施術してもらったのか、兎に角もの凄い大金を注ぎ込んで若さを保とうと努力しているのが手に取るようにわかる。何故そんなに若さにこだわるのだろう。
 ダウン教授がダリルを眺めた。

「セイヤーズさん、お久しぶり。」

え? と驚いたが、顔には出さなかった。そしてダリルは、教授が彼を囮捜査官ロイ・ヒギンズと間違えたのだと思い当たった。ヒギンズがダリルのふりをしてセイヤーズと名乗っていたのだ。だがヒギンズは囮捜査が終了しており、裁判では正体を明かして証言したはずだ。この時、ヒギンズはセイヤーズと言う人物が架空の人間であると言ったのだ。実在の人間の名を使ったと言えばダリルの身辺も探られる可能性があるので、ドームがヒギンズにセイヤーズと言う人物設定は架空のものとして証言するよう要請した。ヒギンズは法廷も騙したが、それはトーラス野性動物保護団体を誘拐容疑で起訴するためだ。