2017年12月27日水曜日

Break 14

 リュック・ニュカネンがどのようにしてドームを卒業したかと言うお話でした。
そこにキーラ・セドウィックとヘンリー・パーシバルの結婚と、メイ・カーティスの恋愛事件を絡めました。
 キーラ・セドウィックと言う名前は、好きなアメリカ人女優さんの名前をいただきました。とても魅力的な女優さんで、夫はケビン・ベーコンです。

2017年12月24日日曜日

退出者 11 - 3

 所長室は、ドーム幹部の執務室の小さい版だった。正面奥に執務机があり、中央に3次元画像を出せる小型の会議机があった。ニュカネンは会議机が床下収納に出来ないことを謝った。

「そこまでは予算が足りなくて・・・」
「それは申し訳なかった。」

とリプリー長官が謝ったので、ケンウッドが笑った。笑ったことでニュカネンを恐縮させずに済んだ。3人で会議机を囲んで座った。

「仕事は順調そうだね。」
「いえ、暗中模索です。何から何までドームとは勝手が違いますから。ここでは何でも自分でやらなければなりません。相手を怒らせた時や失敗した時に取り成してくれる上司はいませんし、雑用をちゃっちゃと片付けてくれる維持班もいません。全て私がやって、部下を指揮しなければなりません。毎日気が抜けませんよ。」
「まさか、休みなしで働いている訳じゃないだろうね?」
「部下は週休2日制を採らせています。」
「部下は?」

 ケンウッドが言葉尻を捉えた。

「君はどうなんだ?」
「私は・・・その時の仕事内容次第で・・・」
「それは駄目だ。」

 リプリーも言った。

「君は家族を持ったんだぞ。子供もいるだろう? ちゃんと決まったローテーションで休め。遺伝子管理局は警察や消防署ではない。土日は休んで構わないのだぞ。」
「そうだ。大学や研究機関も土日は休みだろうが? 」
「しかし、違反者は隠れて研究していることもあります。」
「そんな場合のみ、働けば良いのだ。情報収集の手筈は整っているのか?」
「まだ情報提供をしてもらえる人材を探しているところです。」
「焦る必要はないのだよ、ニュカネン。出張所はまだ始まったばかりだ。人脈は時間をかけて構築して行くものだ。」
「そうとも。だから、君も突っ走ってばかりいないで、ちゃんと休みなさい。」

 長官と副長官から忠告をもらって、堅物リュック・ニュカネンの目に光るものがあった。

「私は、幸せ者です。子供時代はドームで大事に育てていただき、大人になって好きな仕事をさせてもらい、愛する家族を持つことを許されました。」
「ああ、君は世界一幸せなドーマーだな。」
「だから、無理せずに、体を大事にして暮らして欲しいのだよ。」
「有り難うございます。」

 ケンウッドとリプリーが立ち上がったので、リュック・ニュカネンも立ち上がった。2人のコロニー人は会議机を回って彼に歩み寄ると、順番に彼を抱きしめた。

「ドーマーだろうが元ドーマーだろうが、君は私達の可愛い息子だ。」

2017年12月22日金曜日

退出者 11 - 2

 ケンウッドの運転で、リプリーと彼は車で砂漠地帯を横切った。大異変前は豊かな穀物生産地だったのだ。この土地が昔の様に蘇れば、人口もまた増えるだろうに、とリプリーが呟いた。
 
「なんだかんだ言っても、宇宙の食糧事情は地球に頼っている。植物は周期的に地球の種子を交配しなければならないからね。早く地球を元気にしなければいけない。私の悔いは、任期中に女性誕生を実現出来なかったことだよ。」
「それはユリアン、誰もが同じ思いさ。」

 2人きりの時は、互いにファーストネームで呼び合う。ここでは長官、副長官はなしだ。
 やがて緑のベルトが前方に見えて来て、目的地に無事にたどり着いた。
 ナビに従って市街地を走り、綺麗な白亜の壁のビルに到着した。ビルに表示はなかったが、入り口に顔認証システムを組み込んだセキュリティポールが立っており、ケンウッドとリプリーが立つと、スッとドアが開いた。恐らく所持金属製品や火薬などの検査も同時に行われたはずだ。
 中は奥の階段とエレベーターホールまでまっすぐ通った通路と、その右側にガラス壁で仕切られた大きな事務室があった。事務室奥にあるドアが、所長室の入り口だろう。事務室には机が10台置かれており、4人の職員が仕事をしていた。1人が席を立ってドアへやって来た。入り口のセキュリティポールのセンサーが動いたので、訪問者を知ったのだ。
 ケンウッドはドームの外で使用するIDカードを出した。

「ドームから来ましたユリアン・リプリーとニコラス・ケンウッドです。ニュカネン所長はおられますかな?」
「ドームから?」

 職員は面食らった様な表情を見せた。局員だったら遺伝子管理局本部から来たと言うのだろう。ドームから来たと言う言い方はしない。彼はちょっと考えて、アッと声を出した。訪問者がコロニー人だと気が付いたのだ。

「ちょっとお待ちください。」

 彼は慌てて中に入り、所長室のドアをノックした。中にいる人物と二言三言交わして、やがて1人の生真面目そうな顔をした男が現れた。ケンウッドとリプリーが片手を上げて見せると、男は目を丸くして駆け寄って来た。

「リプリー博士、ケンウッド博士!」

 外では役職で呼ばないと言うお約束をちゃんと守っているリュック・ニュカネンだった。
 3人は交互に握手を交わし、元気そうだね、博士達も、と挨拶しあった。そしてニュカネンは、彼等を事務室の中に招き入れた。


2017年12月20日水曜日

退出者 11 - 1

 ケンウッドはローズタウンの中部支局の空港でニューポートランド支局から来る飛行機を待っていた。良いお天気で、彼自身気持ちの良いフライトを楽しんだところだった。そのままフロリダのマイアミ支局まで飛んで行きたかったが、待ち合わせの時刻が迫っていたので我慢して降りたのだ。支局で車の手配をして、コーヒーを飲みながら空を見ていると、ドームのジェット機が到着した。降りた客は数名で、そのうちの1人がケンウッドの待ち人だった。
 こんがり小麦色に日焼けしたユリアン・リプリーがにこやかに近づいて来た。

「やあ、ニコラス、待たせたかね?」
「20分ばかりね。」

 2人は半月ぶりの再会に握手を交わして互いの無事を喜び合った。
 リプリーは後半月で退官する。アメリカ・ドームの長官に就任して丁度5年経つのだ。彼は就任当初の約束通り、引退して研究者の道に戻ることを切望し、ケンウッドが続投を願っても聞き入れてくれなかった。そして月の地球人類復活委員会執行部で退職願いを出して通ると、ケンウッドに後任を譲る手続きをして、最後に退官する執政官の特権である半月の地球旅行に出かけた。
 彼は南北アメリカ大陸の遺伝子管理局支局巡りと言う、いかにも堅物リプリーらしい旅を選んだ。半月しかないので滞在期間は短かったが、支局職員達や支局長を務める元ドーマー、支局巡りをする現役局員達の現地勤務ぶりを見学し、地元の一般地球人の生活を観光した。決してお忍びではなかったが、お供を連れず、1人でスーツケースを持って現れた長官に、各支局の職員達はびっくりした。リプリーは決して親しみやすい人柄ではない。事なかれ主義で、規則厳守の堅物で、チクリ屋だ。しかし半月の地球旅行では、彼は人懐こい面を見せた。わからないこと、疑問に思ったことを遠慮なく質問し、珍しい風物に純粋に驚いた。受けた親切に素直に感謝を述べた。各支局に彼は好印象を残した。
 リプリーは時計回りに南北両アメリカ大陸を回ったが、最終目的地はゴールであるドーム を通り過ぎて、南の小さな学術研究都市、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンと決めていた。彼の任期中で一番大きな出来事が、遺伝子工学研究施設の監視を目的とする出張所開設であった。セント・アイブスの出張所は、その記念すべき第一号なのだ。所長はまだ30歳にならない若い元ドーマー、リュック・ニュカネンだ。彼はリプリー以上の生真面目な性格で学術研究都市内に睨みを利かせ、科学者達の暴走を防いでいた。所長就任の最初の1年間で24件の違反を摘発し、3つの研究施設を閉鎖させた。ほんの若造と侮っていた科学者達は痛い目に遭ったのだ。彼の優秀さに、最寄りのローズタウン中部支局も一目置くようになり、かつての班の仲間も彼の出張所に立ち寄る時は緊張感を持って現れた。それでも、彼は出張所で働く現地採用の職員達への面倒見が良く、部下達から信頼されている、と立ち寄った局員達から本部に報告が入ると、彼を所長に任命したハイネ局長は満足そうに頷くのだった。
 リプリーがセント・アイブスに立ち寄ると聞いて、ケンウッドもニュカネンに会いたくなった。彼が暴漢に撃たれた時、彼の上に覆いかぶさって守ってくれた若者に、ケンウッドは父親の様な愛情を感じていた。ニュカネンと妻のアンナスティンが幸福な暮らしをしている姿を見てみたいと思ったのだ。だから、リプリーと落ち合って、会いに行くのだ。

2017年12月17日日曜日

退出者 10 - 7

 部下達の報告が終わると、ハイネ局長はリュック・ニュカネンとポール・レインに退室を指示した。ベイルがそれにさらに指示を添えた。

「今夜は遅く迄ご苦労。帰って休め。」

 ニュカネンとレインは銘々「おやすみなさい」と挨拶して長官執務室を出て行った。
 ベイルは局長とコロニー人幹部達を見た。長官が素直に疑問を局長にぶつけた。

「何故この場でリュック・ニュカネンの恋人の件を持ち出したのだ?」

 クーリッジも同じ思いだった。出張所設置報告と局員の恋愛は別問題だろう、と思ったのだ。しかし、ハイネ局長はケンウッドを見ながら行った。

「ニュカネンの恋愛は既に北米南部班全体に知れ渡っているのです。若い連中は動揺して、副長官にニュカネンの様子を報告する者も出ました。このまま放置していては、局員に示しがつきませんし、ニュカネンにも相手の女性にも良くありません。」

 ケンウッドも言葉を添えた。

「リュック・ニュカネンは規則を厳密に守ることで知られていました。子供の頃からの性格です。そのニュカネンが重大な違反を犯したのです。局長としては放って置けないでしょう。」
「しかし、この報告会で出す案件かね?」
「これが出張所設置の報告会だから、出したのです。」

 ローガン・ハイネ局長は長官、副長官、保安課長、そして班チーフと順番に顔を見て、再びリプリー長官に視線を戻した。

「リュック・ニュカネン・ドーマーをアメリカ・ドームから追放します。」

 ええっ!と全員が衝撃を受けた。ハイネは彼等に意見を言う間を与えず、続けた。

「そして元ドーマーとして、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウン出張所の管理者に任命したいと思います。どうか承認を頂きたい。」
「ハイネ・・・」

 ケンウッドは、ハイネの心情を理解した。ローガン・ハイネ・ドーマーにとって部下達は全員可愛い息子だ。1人として手放したくはないだろう。しかし、リュック・ニュカネン・ドーマーは外の女性を愛してしまった。ニュカネンが妻帯許可申請を出さなければ、彼はクローン観察棟で再教育を受けさせられる羽目になる。彼女が妊娠したことを誰も知らぬまま、彼を別の班に再編入させて北米南部から遠ざけてしまう。遠い昔、コロニー人女性を愛して彼女に突然去られた経験を持つハイネは、アンナスティン・カーネルがニュカネンを失う時のショックを想像出来るのだ。そして子供の誕生も成長も知らぬまま生きてきた自身を思い、可愛い息子には同じ悔しさを味わせたくないのだ。
 だから・・・

「君はグズグズして煮え切らないニュカネンにハッパをかけたのだね?」

 ハイネがケンウッドを振り返って微笑んだ。

「ニュカネン・ドーマーは1人になっても十分やっていける能力と活力を持っています。新設する出張所の所長としても、彼の性格はふさわしいと思います。」

 ベイルが目頭を指で押さえて、局長、と呼びかけた。

「正直、私は彼をどうすべきか悩んでいました。彼は手放すに惜しい人材ですが、それ故に、安心して出張所を任せられます。ご英断、有り難うございます。」

 ハイネはリプリーを見た。

「どうか、ドーマーの追放をご承認頂きたい。」

 リプリーも苦笑して頷いた。

「相手の女性をシングルマザーにして、子供に父親の正体を明かさぬまま成長させるのも良くないしなぁ・・・」



退出者 10 - 6

 リュック・ニュカネンは、顔を強張らせて立ち上がった。起立する必要はないのだ。だが彼は立ち上がって、局長に進言した。

「私の友人は、あまりお役に立てないかと思います、局長。」
「何故だ?」
「それは・・・」

 ニュカネンが躊躇った。ハイネは端末を出して、何かの画面を検索した。そして言った。

「アンナスティン・カーネルは妊娠したな?」

 えっ!!!! とニュカネンを除く室内の人間全員がハイネを振り返った。ニュカネン・ドーマーは真っ青になった。だが、何故局長が知っているのかとは尋ねなかった。遺伝子管理局は地球上の女性の健康状態を常に把握することが仕事の一つだ。産科・婦人科の医師は患者の情報を遺伝子管理局に報告する義務がある。患者の情報に関する守秘義務は、女性の妊娠に関する限り、無視されるのだ。アンナスティン・カーネルの主治医は彼女の診察結果を法律に則って支局に報告した。支局は当然ながら本部に報告して、局長のコンピュータにデータが入ったのだ。局長は父親の胎児認知届けが出ていない妊娠報告を受けることになっているからだ。しかも、今回の案件は、女性が未婚であることも問題となっていた。男性からの妻帯許可申請も、男女双方からの婚姻許可申請も出ていない。シングルマザーは法律違反とならないが、父親の存在を明確にする義務が地球人全員に課せられている時代だった。
 ニュカネンは観念した。彼は床に視線を落として告白した。

「私の子供です。間違いありません。」
「胎児認知届けがまだだ。」
「昨夜、彼女から告白されました。今日、支局に行くべきでしたが、出張所の最終チェックがありましたので・・・」
「提出するのは胎児認知届けだけのつもりだったのか?」

 ハイネの質問に、ニュカネンが顔を上げた。リプリー、ケンウッド、クーリッジ、ベイル・ドーマー、それにレイン・ドーマーがリュック・ニュカネン・ドーマーに注目した。
ニュカネン・ドーマーは全身を硬直させた。そして声を固くなった喉から搾り出した。

「私はアンナスティン・カーネルとの結婚を望みます。妻帯許可申請と婚姻許可申請を出します。」

 ハイネ局長は頷いた。そしてリプリー長官を振り返った。

「それで、出張所のセキュリティシステムの設置に、予算はどの程度いただけますかな?」

 いきなり話が元に戻ったので、リプリーは混乱した表情で彼を見返した。

「ええっと、それはつまり?」
「クーリッジ保安課長がベイル・ドーマーと共に出張所に出向かれてセキュリティシステムの設置を見積もりされます。工事の監督はニュカネン・ドーマーが行います。ドームの外でのセキュリティシステムがどの程度のものか、局員達は知っています。ベイルは当然わかっています。市役所の職員の手助けは必要ありません。」
「ああ・・・それなら・・・」

 リプリーはケンウッドを振り返った。予算の検討は長官と副長官で行い、執政官会議で承認を取るだけだ。地球の事情に疎いコロニー人の学者達は、法外な値段でなければほぼ100パーセント承認を出すはずだ。
 リプリーは答えた。

「明日中に返答する。大まかな予想金額は今聞かせてもらえるかな?」

 それにはニュカネンが答えた。

「それは私からお答えします・・・」

2017年12月16日土曜日

退出者 10 - 5

 フレデリック・ベイルは長官執務室中央にある会議用テーブルの上にビルの三次元画像を立ち上げた。見取り図も出して、改装の結果を報告して、次に責任者のリュック・ニュカネン自身に何をどう工夫したのかを語らせた。ニュカネンは緊張していたが、それは最高幹部4名の前で直接語ることからであって、自身の仕事に自信がない訳ではなかった。寧ろ彼は自信があった。何故なら・・・
 ケンウッドが尋ねた。

「君がそのビルを利用するとしたら、こうあれば良いと考えて設計したのかね?」
「そうです。他人がどう感じるか、未熟な私には想像が難しかったので、私自身が使用する場として考えて改装しました。ですから、かなり利己的な部分が多いかと思いますが・・・」
「いやいや、なかなかの物だよ。」

 ケンウッドは同意を求めて他の出席者達を見た。リプリーが言った。

「施設は申し分ないと私は思うが、保安責任者の目から見て、どうかね?」

 クーリッジが画像を眺めながら言った。

「ビルには文句がありません。周辺環境はどうですかな? 」

 ベイルはそれも怠らなく準備していた。ビルの画像の周辺に街の風景が広がって行った。ほうっとリプリーとクーリッジが身を乗り出した。地球の風景を見るのは、コロニー人にとって楽しいものなのだ。ケンウッドは訪問した時の様子を思い出し、暫し懐かしさに浸った。ハイネ局長だけが冷静に眺め、外部環境の説明を求めた。ベイルは説明もニュカネンに任せた。ニュカネンは警察署、消防署、医療施設、店舗等、普段生活するのに必要な民間・官営施設を指して説明した。交通手段も調べ上げており、路線バスや市内のタクシーの営業状況、輸送業者も語った。
 クーリッジが頷いた。

「立派な調査結果だ。ビルのセキュリティシステムの設置に大いに参考となる。」

 彼は長官と局長に向き直った。

「私は現地に行ってセキュリティ設置の計画を立ててみようと思いますが、いかがですかな?」

 ベイルが期待を込めて局長を見た。コロニー人の専門家に依頼したいと思っていたのだ。リプリーが許可を出そうと思った瞬間、ハイネが言った。

「出張所を使用するのは主に現地雇用の職員となりますから、地球人が扱えるレベルのシステムでお願い出来ますか?」

 つまり、ぶっ飛んだ最新システムを設置して地球人の雇用者達を困らせてくれるなと言いたいのだ。クーリッジはちょっと考えた。地球の現行システムはどの程度だろう?

「まさか、濠やら土塁やらを造れと言ってる訳じゃないよな?」

 冗談を交えて尋ねると、ハイネはニコリともせずに応えた。

「ビル周辺に濠を造ろうとすれば、さらなる用地買収が必要ですが、予算は降りますかな?」

 ケンウッドは堪えきれずにプッと吹き出した。離れた位置で座っているレインも声を忍ばせて笑っているのが見えた。笑われてもハイネは表情を変えなかった。彼はいきなり部下に爆弾を投げつけた。

「セント・アイブスの市役所に相談しては如何でしょう? ニュカネン・ドーマー、君の友達が市役所で働いているだろう? 彼女に相談してくれないか?」

 

2017年12月15日金曜日

退出者 10 - 4

 アメリカ・ドーム長官執務室で、ユリアン・リプリー長官、ニコラス・ケンウッド副長官、ダニエル・クーリッジ保安課長、そしてローガン・ハイネ遺伝子管理局長が集まって部下の到着を待っていた。このドーム最高幹部4名が集まるのは久しぶりだった。マザーコンピュータのアクセスコード書き換え以来ではなかろうか。つまりそれ以降、ドームの中は平和だった訳だ。
 待つのが退屈なのだろう、クーリッジが無駄口を叩き始めた。

「この4名が集まってのんびり世間話をするのであれば、いつでも歓迎ですが、コンピュータの書き換えが目的でしたら、もう2度と御免ですな。私は既にここで4回も経験しています。1回目は私自身が着任した時、2回目はハイネ局長が就任された時、3回目はリプリー博士が副長官に就任された時・・・」

 彼はサンテシマ・ルイス・リンが長官に就任したとは言わなかった。

「4回目はこのメンバーで1年半前でしたかな・・・」

 すると目を半ば閉じて居眠りをしていると思えたハイネ局長が呟いた。

「次回はお三方が一度に交代されると手間が省けてよろしいのですが。」

 一瞬、3人のコロニー人達はドキリとして彼を見た。ハイネは眠たいのか、それきり黙して下を向いていた。彼はきっと冗談を言ったのだ、そうに違いない、とコロニー人達はそれぞれ自身の胸に言い聞かせた。冗談でなければ、何か彼の気に障ることを言っただろうか。
 不安に苛まれるコロニー人達の耳に、長官秘書のロッシーニがフレデリック・ベイル・ドーマーと部下達の到着を告げる声が聞こえた。リプリーが入室許可を出し、ロッシーニには帰宅許可を与えた。時刻は午後9時を回っていた。普通の地球人は仕事を終えて寛いでいる時間帯だ。しかしコロニー人は出身地のコロニー時間で活動したがるので、夜でも仕事をしている人が多い。ケンウッドは地球時間を採用していたが、宵っ張りには慣れていた。気の毒に地球人のハイネは昼間の疲れが出て眠いに違いない。
 遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーが部下のリュック・ニュカネン・ドーマーとポール・レイン・ドーマーを伴って入ってきた。彼はレインを秘書机の位置に置かれている待機用席に残し、ニュカネンを連れてドーム幹部達の前へ進み出た。

「貴重なお時間を割いて頂いて有難うございます。」

とベイルが挨拶した。

「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの出張所のハード面での準備が整いましたので、ご報告致します。」

 するとハイネが顔を上げた。眠気が飛んだと言うより、初めから眠ってなどいなかったような、鋭い視線で部下を見て言った。

「始めよ。」


2017年12月14日木曜日

退出者 10 - 3

 2日後、セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの出張所の改装が完了したとの知らせがリュック・ニュカネン・ドーマーから入った。翌日、遺伝子管理局北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーは、局員のポール・レイン・ドーマーとクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーを連れて見極めに出かけた。本来ならニュカネンの直属の上司、第3チームリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーを同伴すべきなのだが、交通手段を静音ヘリにしたので、万が一の事故に備えて幹部を置いて行ったのだ。静音ヘリの操縦士は、これが単独初飛行のワグナーだったから。それにレインとワグナーはニュカネンの部屋兄弟で、彼のことを一番良く知っていた。
 出張所のビルの屋上には、ちゃんとヘリポートが設えてあった。ワグナーは上手に着陸して、ベイルから褒められた。屋上への出口のそばにニュカネンが立って一行を出迎えた。誇らしげな彼の案内で、3人はビル内を見学して廻った。ニュカネンが本部に提出した間取り図そのままに綺麗に改装されたビル内は新築の様だった。どの部屋も使いやすいように仕切られ、開放され、用途目的にピタリと合っていた。

「なかなか良く出来た出張所じゃないか。」

とベイルが呟くと、レインが相槌を打った。

「そうですね、働き易い構造です。かなり生真面目な間取りですけど。」
「生真面目な間取りかね? 確かに遊びの感覚はないな。」

 すると堅物ニュカネンが真面目な顔で、仕事の場ですから、と言い、一行は吹き出した。
 一通り建物内を見学すると、ベイルは周辺環境もチェックした、治安が悪い場所では出張所そのものが危険に曝される。周辺は静かなオフィス街で、小さなホテルやコンビニエンスストアや、クリニックが中小の事業所に混ざって存在していた。大きな研究施設は数ブロック先だが、決して遠くはない。警察署も車で5分とかからない距離だった。
 ベイルは満足そうに頷くと、ニュカネンを振り返った。

「完璧だな、リュック。」
「有難うございます。」
「局長も長官も満足されるだろう。では、ドームに帰って報告書をまとめるとしようか。半時間後にヘリに乗るぞ。ニュカネン、君も一緒に引き揚げろ。」
「えっ!」

 ニュカネンが衝撃を受けるのをベイルもレインも感じた。ワグナーは心配そうな表情で先輩達を見た。ベイルはここからいきなりドーム帰投を命じたのだ。ニュカネンは仮住まいを持っている。家財も少しはあるだろうし、家賃だって払わなければならないし、その上、同居人がいるのではないか・・・。
 しかしベイルはニュカネンに何も言わせない雰囲気で、くるりと背を向け、出張所に戻る道を歩き始めた。
 レインは同僚を見た。ニュカネンはグッと唇を噛み締め、やがてノロノロと歩き始めた。その背を見たレインは心の中で問いかけた。

 お前は黙って帰るつもりなのか? 彼女は何も知らないんだぞ!

 ワグナーは何か言いたそうにレインを見たが、レインが何も言わないので、ヘリコプターの準備をするために駆け足で出張所に向かった。当然上司を途中で追い抜いた。

「ヘリの準備がありますので、失礼します!」

 ベイルは軽く頷いた。そして班チーフは思った。半時間の猶予を与えたのに、何故あの唐変木は女に連絡を取らないのだ?



2017年12月13日水曜日

退出者 10 - 2

 ケンウッドは時間を無駄にしたくなかった。もたもたしているとレインのファンクラブに見つかる恐れがあった。

「話を聞こう。君の部屋兄弟に何かあったのかね?」

 促すと、レインは意を決した。

「そうです。リュック・ニュカネンは外の恋人との結婚を望んでいます。」
「彼女も同じなのか?」
「2日前、俺はクラウスとセント・アイブスに行きました。ニュカネンがあそこで出張所の設置準備をするために滞在していることはご存知ですよね? 俺は彼がクラウスを不動産屋に案内している間に市役所に行き、彼の相手の女性に会いました。勿論、彼女は俺が恋人の同僚だと知っています。俺は彼の所在を知らないふりをして、彼女に彼の現住所を尋ねました。その時、うっかり彼女の手に触れてしまいました。」

 うっかりではなく、確信犯なのだ。レインは彼女の心を読んだ。

「彼女はニュカネンが任務を終えて街を出て行くのではないかと恐れています。」

 そして彼は付け加えた。

「彼等は現在一緒に住んでいるのです。」

 書類を繰るふりをしていたケンウッドは手を止めた。男女が一緒に住むと言うことは、つまり・・・

「彼等は結婚まで待てなかったのか?」
「ええ・・・妻帯許可もまだもらっていません。」

 地球人の妻帯許可証を発行するのは遺伝子管理局の局員、それも班チーフの仕事だが、ドーマーの妻帯許可を出すのは遺伝子管理局長だ。
 規則を守ることが生き甲斐の様な堅物リュック・ニュカネンが、ドームの規則を破った。

 そこまでして、彼女のそばに居たいのか、ニュカネン・・・?

 ケンウッドはレインを見た。薄い水色の瞳で、普段は感情を浮かべない氷の様に冷たい目をしている男だが、ケンウッドと相対する時は甘えているのだろう、ちょっと潤んで見えた。ケンウッドは彼に尋ねた。

「君はどうしたいのだ? ニュカネンを取り戻したいのか、それともドームから放逐したいのか?」

 レインはケンウッドの目から視線を逸らした。ちょっと間をおいてから答えた。

「俺はこれ以上仲間がいなくなるのは嫌です。ドームから出て行くなんて信じられない。だけど・・・」

 彼はケンウッドに改めて向き直った。

「ニュカネンが恋人から離れたくないと言う気持ちは理解出来るんです・・・」

 恋人に脱走されて、今も必死で探している男の言葉だ。ケンウッドは頷いた。誰かを好きになると云う感情は、他人にとやかく干渉されて止められるものではない。

「レイン、ハイネはニュカネンが恋愛をしていることを知っているよ。」

えっ! と驚きの表情をレインが見せた。ずっと一緒に局長室で仕事をしていたのに、局長はそんな素振りを見せなかったのだ。見せる必要がなかっただけだろうけど。
 ケンウッドは続けた。

「多分、トバイアス・ジョンソンもフレデリック・ベイルも気が付いているさ。上司達はニュカネンがどれだけ本気なのか、本人が打ち明ける迄待っているだけだ。これは周囲が心配するだけでは何も進展がない。ニュカネン本人が行動を起こさなければ意味がないんだよ。だから君が部屋兄弟を心配するのなら、彼に告白するように仕向けてやれないか?」


2017年12月11日月曜日

退出者 10 - 1

 ケンウッドがポール・レイン・ドーマーから連絡を受けたのはカーティス・オコーネル騒動から5日経った頃だった。副長官執務室で書類と格闘していると、端末にレインからメッセージが入った。

ーーご相談したいことがあります。ご都合の良い時間を教えて頂けませんか? 急ぎませんが、深刻です。

 ケンウッドにはピンと来るものがあった。リュック・ニュカネンのことに違いない。セイヤーズを見つけたと言うことであれば、レインは「早急に」と書いてくるはずだ。レインはニュカネンの恋愛を知っている。ニュカネンがどれだけ真剣なのか、彼は観察していたのだ。副長官に相談しなければならない程、ニュカネンの気持ちは後戻り出来ない状態になってしまったのか。
 ケンウッドは残っている仕事量を考えてから、午後8時に図書館のロビーで、と返信した。レインが即答で承知と伝えてきた。
 これはハイネに伝えておくべきだろうか? それともレインの話の内容を吟味してからで良いだろうか。こんな時、パーシバルならどうする? 
 ケンウッドはヤマザキ・ケンタロウにメールを送った。レインから相談を持ち込まれたので出会う予定だと書いた。ヤマザキから数分後に返信が来た。

ーーニュカネンの件かね?
ーー多分。まだ内容は不明。後報を待て。

 仕事を可能な限り手早く片付け、なんとか約束の時間に間に合う様に簡単な夕食を摂った。食堂ではヤマザキにもハイネにも出会わなかった。
 夜の図書館は存外混んでいる。昼間働いているドーマー達が静かにくつろげるのが図書館周辺だからだ。
 ケンウッドは館内に入り、ロビーに点在する椅子の一つに座った。低いテーブルの上に持参した書類を置いて仕事をしているフリをしていると、レインがやって来た。いつもスーツ姿しか見たことがなかったが、その夜は私服姿だった。それに野球帽を目深に被っていた。ドームはスペースが限られているので、野球をすることが出来ない。しかしドーマー達はテレビでプロの試合を見るのが好きで、売店では帽子やロゴTシャツなどを購入出来る。レインが帽子を被っているのは、特にどこかのファンだからと言う理由ではなく、ファンクラブから隠れる為だろう。
 彼は断りもなくケンウッドの向かいの席に座った。

「こんばんは。お時間を割いて頂いて有難うございます。」
「かまわんよ。君達の相談を受けるのも私の仕事のうちだからね。」

 ケンウッドに言われて、レインは少し躊躇った。仕事と言うからには、副長官はこの面談を報告書にするのだろうか?

2017年12月10日日曜日

退出者 9 - 8

 リプリー長官は結局メイ・カーティスとジェームズ・オコーネル両研究員に1週間の休職期間を与えた。彼等は地球外に出て、互の今後の身の振り方を決め、1週間後に地球人類復活委員会に報告することを命じられた。
 会議が解散して、女性達はメイ・カーティスを守るかの様に取り囲み、議場から出て行った。オコーネルも友人数名と集まって何か相談していたが、やがて出て行った。友人達の1人が輸送班に連絡を取る声が聞こえたので、アパートを引き払う準備をするらしい。
 遺伝子管理局長はクーリッジ保安課長と一緒に議場を出て行こうとしていたので、ケンウッドは辛うじて追いついた。

「君達の時間を潰して申し訳無かった。」

 開口一番、彼はそう言った。ハイネはニコリともしないで副長官を見た。

「男女間の問題を会議に持ち込むのはどうかと思いますがね。」

と彼はドーム幹部の判断を批判した。クーリッジも同感の気配だったので、ケンウッドは今朝の茶番劇の説明をしなければならなかった。

「近頃若い人達の間で職場恋愛の真似事が流行っていると言う報告があってね・・・君の耳に入っていないらしいが、ロッシーニ秘書がそれらの報告をまとめて長官に提出したのが、偶然3日前だったのだ。コロニー人社会だけの問題なので、ロッシーニは遺伝子管理局や維持班総代に報告しなかったのだろう。 キーラ・セドウィック博士とヘンリー・パーシバルの結婚を羨む若者達が多くて・・・」
「しかし、セドウィック博士は勤続30年の実績があったし、丁度5度目の任期終了に合わせて退職したのだ。パーシバル博士はその1年前に退官していた。彼等の結婚は誰にも文句を言わせない状況だった。」

とクーリッジが言った。

「何よりも、ドーマー達が彼等の交際を歓迎していたんだ。若者達の恋愛ごっことは違うんだよ。」
「うん。だから、それを他の若い連中に教えるために、リプリーは会議の場を利用して大袈裟な痴話喧嘩をさせたのだ。ドーマー達は彼等に恋愛を止めろとは言わないが、不愉快に思っているとね。」

 ケンウッドはハイネを見た。

「その証拠に君は怒って見せてくれただろう?」

 クーリッジが驚いたふりをしてハイネを見た。

「あの口調で怒っていたのかね、局長?」
「ええ、激怒しておりました。」

とハイネがケロリとした表情で言った。そして、周囲にそっと目を配ってから囁いた。

「ドーマーはメイ・カーティスが残ることを希望していますがね。」

 その「ドーマー」は単数形だったので、誰のことを指すのか、ケンウッドは考えた。ステイシー・ドーマーなのか、それともハイネ・ドーマーなのか?
 ハイネはそれ以上職場恋愛の問題に言及することはなく、「では日課がありますので」と断って去って行った。
 クーリッジがその後ろ姿が見えなくなってから、ケンウッドを振り返った。

「長官はまだ多くの恋愛問題の報告を抱えている様だが、どうするつもりだろうね?」
「若者達の自粛を期待するしかないでしょう。地球の外で休暇中にデートする程度で我慢してくれれば良いのですがね。」


退出者 9 - 7

 ケンウッドは更に尋ねた。

「オコーネル研究員、君はここを辞める場合、この先の身の振り方をどうされるつもりですか? 任期を中途で辞める場合、病気や怪我以外の理由の時は、委員会に残ることは出来ません。君が今やっている研究を続けるための施設を探さねばならない。」

 ジェームズ・オコーネルは沈黙した。感情に流されるまま、辞意を表明したので、将来の身の振り方をまだ考えていないのだ。
 ケンウッドはメイ・カーティスを見た。カーティスが言った。

「私は申し上げました通り、ここで研究を続けることを希望します。でも、私がしでかした騒ぎが仲間の研究に支障を与えると仰せでしたら、私はここを離れた方が良いのかも知れません。私はここでの仕事が大好きです。でも地球人の復活の足を引っ張ることは出来ません。」

 彼女はオコーネルを振り返った。

「もし私がここを辞することになっても、もう貴方と将来を語ることは無理です。」
「どうしてだ?」

 オコーネルは思わず席から離れようとして、隣席の同僚に引き止められた。カーティスが言い訳した。

「私は同じ目的で働く貴方が好きでした。でも今の貴方は仕事のことは頭にないでしょう? 私にはこの仕事から離れて暮らす生活は考えられません。」
「それじゃ、君はもう僕のことを愛していないのか?」

 メイ・カーティスは目を伏せて暫く黙っていたが、ハイネ局長が再び議場に入ってきた時に顔を上げた。

「ごめんなさい、私は身勝手な人間です。貴方の幸福よりも私自身の心を満足させる方を選びます。」

 オコーネルの顔面が蒼白になった。ケンウッドは危険だなと感じた。その時、ハイネが着席しながらのんびりとした口調で言った。

「ドーマーの班長会議の結果が出ました。」

 リプリー長官が、ほうっと関心を示した。

「ハリー・ステイシー・ドーマーの処分が決まったのかね?」
「はい。5日間観察棟で謹慎です。それからオコーネル研究員に暴力を振るったことを謝罪させます。」
「オコーネル研究員がステイシー・ドーマーを突き飛ばした件はどうなる?」
「それを考慮に入れた上での処分ですから、ステイシーも納得して受け入れました。」

 ハイネはオコーネル研究員を振り返った。

「貴方もステイシーに謝罪してくれますね?」
「僕が彼に?」

 オコーネルは思わずドーマーを睨みつけたが、相手の青みがかった薄い灰色の目に見つめ返された。ローガン・ハイネを怒らせることはご法度だ、そうコロニー人の間で暗黙の了解があった。生まれる前からリーダーとなると決められて誕生したこの年老いたドーマーは、確かにカリスマ性がある。ドーマー達は彼の指示には絶対に従う。ハイネがコロニー人に逆らえば、他のドーマー達も皆逆らう。ほぼ無条件に・・・。
 だから、ハイネを怒らせる人間は、コロニー人の間で危険視される。ドーム内のコロニー人全員を危険に曝しかねないからだ。
 それにハイネは今でも月の地球人類復活委員会本部で根強い人気がある。執行部のお偉いさん達は彼を実際に育てた世代の最後の生き残りだ。彼等の可愛いドーマーが何かを気に入らないと言えば、排除してやろうと言う世代だ。執行部に睨まれたら、太陽系コロニー社会で遺伝子研究は出来ない。
 オコーネルは言い訳を考えた。

「僕が彼を突き飛ばしたのは、彼が・・・」
「理由は問題ではありません。貴方が彼を突き飛ばしたことは事実です。その行為を謝罪して下さい、と申し上げています。ステイシー・ドーマーも貴方を殴打したことのみ謝罪しますから。」

 そして遺伝子管理局長は言い添えた。

「皆さん、忙しいのです。私も忙しい。貴方のプライドや個人的事情で大勢の人の貴重な時間を無駄に費やさないでいただきたい。彼女が貴方と一緒になれないと言うのなら、諦めなさい。これ以上追いかけても無駄です。女性は一度『嫌だ』と感じたら、後は理屈抜きで嫌なのです。貴方のことを好いていても、嫌だと感じるし、貴方が追いかければ憎悪さえ抱く。それが女性です。だから、貴方はもう彼女のことを忘れて、貴方の世界を求めるべきです。
 さぁ、早くこのくだらない会議を終わらせてくれませんか?」

 ハイネが怒っている、とケンウッドは感じた。口調は穏やかだし、目に敵意を浮かべもしない。しかしローガン・ハイネ・ドーマーはドームの学者達の研究が1人の男と1人の女の揉め事で中断されていることが我慢出来ないのだ。
 メイ・カーティスが「長官」とリプリーに呼びかけた。

「遺伝子管理局長の仰せの通りです。私は皆さんの貴重な時間を無駄にしたくありません。私を解任して下さい。私達の問題は、地球の外で話し合います。」





2017年12月8日金曜日

退出者 9 - 6

 翌日の執政官会議は普段通り、各セクションの研究進行報告から始まった。地球人の女性誕生の目処はまだ立たない。それでも科学者達は可能性を求めて研究を続けているのだ。
 ただ1人の地球人出席者、遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーはいつも通り居眠りでこの時間をやり過ごした。コロニー人達は彼が目を覚ます様な結果を出さなければならない訳だ。
 研究発表が終わり、前日の喧嘩騒動の当事者であるコロニー人男性と、後から名乗り出たコロニー人女性が別々の入り口から現れた。それぞれ自身の席に着くと、クーリッジ保安課長が立ち上がり、騒動の顛末を語った。そして語り終えると着席した。

「ジェームズ・オコーネル研究員、メイ・カーティス研究員」

とリプリー長官が騒動の当事者2名に呼びかけた。

「我々は裁判官ではないし、君達の将来を決める権限は持っていない。しかし、地球人類復活員会には会則があり、君達は今の職を得る時に、その会則を遵守することを誓ったはずだ。そこで、我々は君達に確かめたい。君達はここに残って研究を続ける意志があるのか、それとも地球を去って君達の幸せを求めるのか、どちらを選択するか、この場合で明確にして欲しい。」

 オコーネルが立ち上がった。

「私はカーティス研究員と結婚したいと思っています。」
「そうすると、地球を去って、研究も断念することになるが?」
「・・・残念ですが・・・」

 するとカーティスが立ち上がった。頰を緊張で強張らせてやや青ざめていたが、しっかりとした口調で行った。

「私は博士になりたくて地球へ来ました。今の仕事が好きですし、辞める意思はありません。」
「メイ!」

 男が声を上げたので、リプリーが睨んだ。オコーネルはトーンを落とした。

「君を愛している・・・」
「ごめんなさい。」

と彼女が呟いた。

「考えましたけれど、やはり私は研究を捨て切れません。貴方は素晴らしい人だわ、ジミー、でも私は貴方についていける自信がありません。研究を捨てて貴方と暮らしても、いつか私は貴方を裏切るかも知れません。」
「地球の外でも研究は出来るじゃないか!」
「でも実際にクローンの赤ちゃんを扱う訳ではないわ。」

 再び男女の喧嘩が始まりそうな気配になったので、リプリーが彼等の会話を遮ろうとした時、遺伝子管理局長が動いた。ハイネが目を開き、自身の端末を出して画面をちらりと見た。そして長官を見て、端末を少し掲げて見せた。連絡を寄越してきた誰かと話をしたいので退席すると意思表示したのだ。リプリーは頷いて承諾を示した。
 ハイネ局長は立ち上がって素早く会議室から出て行った。
 長官は2人の若い男女に注意を戻した。水が入ったのでオコーネルとカーティスは少々気を削がれた様子だった。

「オコーネル研究員」

と呼びかけたのは、ケンウッド副長官だった。

「君はここで研究を続ける意思はないのですか?」
「・・・それは・・・今の仕事は好きです。」
「だが、カーティス研究員と結婚出来るのであれば、辞める、と言うことですね?」
「・・・それは・・・ええ・・・そうです。」
「結婚を諦めてここに残る可能性は考えられませんか?」

 オコーネルは前方の床を見つめた。1分間の沈黙の後、彼は小さな声で囁いた。

「考えられません。」


2017年12月7日木曜日

退出者 9 - 5

 ケンウッドは騒動のその後の展開を語った。

「1時間ほど観察棟で事情聴取していると、女性が1人やって来て、長官に面会を求めた。彼女もクローン製造部の人間だった。」

 するとハイネが推理して言った。

「彼女が騒動の原因なのですね?」
「うん。」

 人生経験豊かなドーマーに要点を先に言われてしまい、ケンウッドは内心がっかりしたが、その素ぶりは見せなかった。

「コロニー人の男とコロニー人の彼女は恋愛していたんだ。君は承知しているはずだが、ドームで勤務するコロニー人は職場恋愛を禁止されている。地球に来る前に結婚しているカップルは問題ないが、地球上での恋愛はご法度だ。男ばかりのドーマー達が自制しているのに示しがつかなくなるからね。」
 「男性同士であれば誰も気にしませんがね。」

とハイネ。女性の絶対数が少ない地球で、しかも住人の9割が男性のドームの中で、女性と恋愛できる男は奇跡の存在だ。

「彼女は恋愛していることを他人に知られるのを恐れた。地球でのキャリアを求めて来ているので、クビにされるのを恐れたんだな。それで彼女は男に任期が終わる迄我慢しようと提案した。しかし男の方は他人に知られても構わないと思ったんだ。ドームに居れば、彼女をいずれ他の男に奪われてしまうのではないかと心配したのだよ。男はいくらでもいるからね。いっそクビになって宇宙に帰った方が自由に彼女と付き合えると思った訳だ。彼は長官に告白しようと言い、彼女は反対した。
 彼女と彼が言い合っているところに、件のドーマーが来た。ドーマーは2人の関係を知っていた。実を言うと彼女とドーマーは同じ部署で働いており、親しい友人同士だったので、恋愛相談も受けていたんだ。言い争っている男女を見て、ドーマーは止めに入った。」
「そして男同士が喧嘩する羽目になったのですね?」
「うん。ドーマーは彼女の意見に賛成だったんだ。彼女のキャリアに傷をつけたくないと思ったのだが、コロニー人の男はドーマーが彼の恋人に横恋慕していると勘違いした。」
「そう言う話でしたら、確かに私には関係ありませんね。ドーマー達にも無関係です。1人の女と2人の男の問題でしょう。」
「君達にはね・・・」

 ケンウッドは冷めてしまった鶏肉のトマト煮込みを口に運んだ。

「明日の執政官会議で、当事者2人のコロニー人をどうするか話し合う予定だ。男の方は喧嘩の仲裁に入ったドーマーを突き飛ばしたのだから、地球人保護法違反に問われる恐れがある。ドーマーはその点では彼を庇っているが・・・」
「ドーマーがコロニー人の男性を殴ったことに対する処罰は、維持班が下すはずですが?」
「うん、コスビー・ドーマーが配下の班長会議で処罰を決めるそうだ。」

 するとハイネが不満気な顔をした。チーズが冷えて硬くなったせいかも知れない。

「班長会議を開くほどの罪でもないでしょう。コスビーとクローン製造部のドーマーの代表が2人で話し合えば済みますよ。」
「私もそう思ったので、長官室でこの騒動を聞かされた時に異見したのだが・・・あっさり無視された。」

 ハイネはケンウッドの顔を見て笑った。

「コスビーは初めて班長会議を開くのです。今回は程度の軽い事件なので練習にもってこいじゃないですか。」


2017年12月6日水曜日

退出者 9 - 4

 遅い夕食を摂りにニコラス・ケンウッドが一般食堂へ行くと、アメリカ・ドーム名物、遺伝子管理局長と司厨長の喧嘩は既に終了していた。若い3人のシェフが月交代で司厨長を務めるのだが、その月の司厨長はチーズ料理が苦手でよく焦がしていた。ハイネ局長は焦げたチーズの味が嫌いではないのだが、見栄えが良くないので文句を言ったのだ。司厨長はそれに口答えをしてしまい、ハイネに絡まれてしまった。

「あの人、絶対に私等を虐めて喜んでいますね。」

 ハイネがテーブルに行ってしまい、入れ替わりにケンウッドが現れたので、司厨長はぼやいた。ケンウッドは、そんなことはないよ、と慰めた。すると司厨長は先代の言葉を教えてくれた。

「先代が与えてくれたアドバイスに、こうあります。
 『ローガン・ハイネがチーズ料理で文句を言ったら、相手にしてやれ。決して無視するな。但し、こちらにミスがない限り、絶対に謝るな。』
 今日もなんとかこの教訓を守れました。」

 ケンウッドは笑って、司厨長に「負けるなよ」と言い残し、局長を追いかけた。
 ハイネはテーブルに着いて焦げたチーズの香りを楽しんでいた。そんな幸福そうな表情をするのなら、司厨長に意地悪しなければ良いのに、とケンウッドは思ったが、これはきっとハイネのストレス解消法なのだろう。その証拠に、食堂を出る時には、彼は必ず厨房に向かって「美味しかったよ」と一言声を掛けて行くのだ。
 向かいに座ったケンウッドに、ハイネが今日は穏やかに終わりそうですね、と言った。ケンウッドは彼がジムで夕方に起きた騒動を知らないことに気がついた。リプリー長官が現場に局長第1秘書が来ていたと言ったので、局長に話が伝わったと思っていたのだ。セルシウス・ドーマーは事件性の低い出来事だったので、局長に報告する価値はないと判断したのだろう。しかし、ドーマー側には意味がなくてもコロニー人社会には問題が生じていた。

「夕方、ジムでちょっとした喧嘩があってね。」

 ハイネはケンウッドの口調がのんびりしたものだったので、食事の手を止めなかった。それで?と先を促すように副長官の目を見ただけだった。ケンウッドは続けた。

「クローン製造部の人間達なのだが、コロニー人とドーマーが喧嘩をした。彼等が揉み合っているのを見た者が保安課に通報した。保安課員が到着した時、コロニー人がドーマーを突き飛ばした。それで激昂したドーマーがコロニー人の顔を拳で殴ったのだ。」
「それはいけませんね。」

 ハイネはあまり興味なさそうだ。もし重要案件だったら既に報告が入っているはずと思ったのだ。

「保安課はドーマーが興奮していたので取り押さえて手錠を掛けた。コロニー人は顔に軽傷を負ったので、一応保護と言う形になったが、事実上は拘束だ。保安課から連絡を受けて、長官とコスビー維持班総代が現場に出向き、内務捜査班の副官も出動した。」
「ドーマーがコロニー人を殴ったからですか?」
「うん・・・当初は地球人とコロニー人の対立だと思われたからだね。しかし目撃者の証言や当事者達の日頃の関係を調べると、そんな深刻な問題ではないとわかった。」
「だが、片方は怪我をしたのですね?」
「軽傷だよ。殴られたが、唇を切っただけで済んだ。長官と総代は双方に喧嘩の原因を尋ねたのだが、どちらも沈黙するか適当なことを言って理由を語らなかった。」


2017年12月5日火曜日

退出者 9 - 3

 ジムに入り、着替えてトレーニングルームに行くと、そこで事件が起きていた。手錠を掛けられた若いドーマーが1人、保安課員2人に挟まれて立っているコロニー人の研究者が1人、そしてリプリー長官とドーム維持班総代ロビン・コスビー・ドーマー、遺伝子管理局内務捜査班チーフ副官が闘技場の入口に立っていた。保安課員に挟まれているコロニー人は顔に殴打された痕跡があり、唇が切れて出血していた。挟まれているのは保護されているためだろうが、セルシウスとレインには逃亡を防ぐために抑えられている様にも見えた。

「何でしょう?」

 レインが不安そうな表情で呟いた。手錠を掛けられるなど滅多にあることではない。ドーマーがコロニー人を殴打したのだと言うことは察せられたが、原因は何だろう?
 セルシウス・ドーマーは維持班総代と長官が話し合っているのを見て、遺伝子管理局は介入すべきでないと判断した。内務捜査班はドームの警察の様な組織だから、そこに居るのだ。局長第1秘書としてセルシウス・ドーマーは事件の経緯だけは抑えておこうと思ったので、近くで野次馬をしているドーマーに声を掛けた。

「何があったのだ?」

 声を掛けられた若いドーマーは、彼が遺伝子管理局長の第1秘書とは気づかなかったが、自身が目撃したことを教えてくれた。

「手錠を掛けられているヤツと保安課員に挟まれて立っているヤツが、揉み合いをしていたんですよ。原因はわかりません。コロニー人が、ドーマーを突き飛ばしたんです。それで激怒したドーマーが相手を殴ってしまって・・・誰かが保安課員に連絡したので、この騒ぎです。」
「地球人とコロニー人故の対立ではないのかね?」

 遺伝子管理局が気にするのはその点だ。目撃者は首を振った。

「そんな深刻な問題とは思えませんね。」

 その時、話し合っていた長官、内務捜査班、維持班総代が散会した。長官と総代がドーマーに話しかけ、長官の指図で保安課員が手錠をドーマーの手首から外した。そしてドーマーとコロニー人を連れてジムから出て行った。
 レインがその後ろ姿を見ていると、いつの間にか内務捜査班副官がそばに来ていた。「やあ」とセルシウスが挨拶すると、相手も「やあ」と返答した。

「君の姿を見て、もう局長のお耳に入ったのかと思ったが、服装から見て、そうじゃないね?」

 セルシウスが苦笑した。秘書の存在イコール局長、と言う図式なのか?

「偶然来合わせただけさ。あれはただの喧嘩だったのか?」
「それが当事者2人共にだんまりで語らないのさ。だから長官が2人を観察棟へ連れて行った。そこで語る気になるまで頭を冷やさせる。」
「重大案件にはならないだろうな?」
「それはないと思う。」

 内務捜査官はちょっと考えてから言った。

「恐らく、彼等は互いに誰かを庇っているんじゃないかな。」



2017年12月3日日曜日

退出者 9 - 2

 セルシウス・ドーマーは立ち上がると、局長に声を掛けた。

「では、レインと私は今日はこれで上がらせて頂きます。」

 局長が顔を上げ、微笑んで応えた。

「うむ、ご苦労様、明日迄ご機嫌よう!」

 ネピア・ドーマーはセルシウスだけに視線を向けて、お疲れ様でした、と言った。後輩には挨拶しないつもりなのか、とレイン・ドーマーは不満を感じたが、「お先に失礼します」と挨拶して第1秘書と共に局長室を後にした。
 通路を歩きながら、レインはセルシウスに訴えた。

「ネピア・ドーマーは俺が気に入らない様ですね。」

 するとセルシウスが苦笑した。

「彼は局長の熱烈なファンなのだ。局長に近づく部下には、片っ端からああ言う態度を取る。そのうち局長からお咎めがあるだろう。秘書は局員全員に平等に接しなければならない。君1人に冷たい訳ではないから、気にするな。」
「全員に平等に冷たい訳ですね?」

 レインも苦笑した。個人的に不愉快な感情を持たれていることを察しているが、それは言わないでおこうと思った。こちらから壁を作ってもろくなことはない。
 本部から出て、彼等は運動施設に向かった。歩きながら、さらにレインは第1秘書に話しかけた。局長室の人々には滅多に会えないので、今の特権を利用して知りたいことを知っておきたかった。

「セイヤーズ捜索に局長の貴重なお時間を割かせていただいて、ご迷惑ではありませんか?」
「何を言うかと思えば・・・」

 セルシウスが彼を振り返った。

「セイヤーズ搜索は正規の仕事だ。進化型1級遺伝子危険値S1の人間を野放しに出来ないからな。それにリスト照合で違法クローン摘発数も増えているだろう? 君がしていることはボランティアではない、局長が認められた正規の任務だ。チームリーダーにも班チーフにも承知させている。君は堂々と局長室に通ってくれば良い。」

 そう言われたレインは、肩の荷が下りた気分だった。
 歩いている彼等を見かけたレインのファンクラブが付いてくるのが見えた。レイン1人ならもっと接近するのだが、セルシウスが一緒なので遠慮しているのだ。だがセルシウスはすぐに彼等の存在に気がついた。君は相変わらず人気者だなぁと言うと、レインがムスッとした表情で囁いた。

「パーシバル博士が作ってくれた当時のファンクラブの人々は良い人達です。俺は好きだし、頼りになります。でも最近のメンバーは駄目ですね。」
「どんな風に駄目なのだ?」
「創設期の人達は、俺と世間話をしたり俺が運動するのを眺めるだけで満足してくれます。それに俺が困っていると思ったら、色々と仕事の便宜を図ってくれます。
 しかし、新しい人達は、それでは満足しないのです。彼等は俺の体に触りたがります。
俺だけじゃない、ドーマー達全員がなんとなく感じています。なんて言うか・・・サンテシマの再来みたいな・・・」

 セルシウス・ドーマーが眉を顰めた。彼もなんとなく同じ印象を抱いていた。用事で中央研究所に行った場合などに、通路ですれ違いざま体をぶつけてくる若い執政官がいる。エレベーターの中で、よろめいて見せてしがみついてくる女性もいる。
 セルシウス・ドーマーは既に60歳を超えている。しかし鍛え上げられた肉体は、重力が弱い宇宙のコロニーで育った執政官達よりも逞しく美しい。

「コロニー人は、地球人の筋肉に憧れているのだよ、レイン・ドーマー。彼等の無礼は不愉快だが、サンテシマの行動とは少し違う。もっとも行き過ぎると同じになるなぁ。
 出来るだけ隙を作らないようにすることだ。無用の争いは避けるように気をつけて行動したまえ。挑発には乗るなよ。」
「承知しました。執政官を怒らせないよう、十分に気をつけます。」




2017年12月2日土曜日

退出者 9 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは内勤の日の午後、本来の業務が終わると局長室を訪れる様になった。第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが彼のために机を用意してくれており、彼はそこに座ってコンピュータの中のファイルを覗く。そのファイルは、ローガン・ハイネ・ドーマーが一度チェックした住民登録表と遺伝子プロフィールと、同じ住所地の最新の情報だ。レインの仕事はそれを比較して、新規転入者を探すことだ。局長がチェックして遺伝子履歴のない人間をピックアップする。遺伝子管理局の局員達が現地へ行って、問題の人物の身元を調査する。違法製造のクローンだった場合は逮捕又は保護する。
 チェックすべき住民登録表は膨大な件数で、ハイネはまだ3分の1しかチェック出来ていない。しかし、人間は移動する。ドームの様な狭い社会でも、ドーマーやコロニー人は頻繁にアパートの部屋替えをする。広い外の世界では尚更だ。ハイネがチェックした後の土地に新しい住人がやって来る場合もあるのだ。そしてレインが2度目のチェックを行うわけだ。もし新規住人を見つけたら、彼はセルシウス・ドーマーに報告する。幹部候補生から降格された彼には、遺伝子プロフィールを閲覧する権限がないからだ。悔しいが、悔しがる暇がないほど目を通さなければならない情報が多い。
 レインが手伝う時間は1、2時間だけなのだが、毎回終わると彼はぐったりとしてしまう。外の世界で違法メーカーを追いかけている方がずっと楽だと、若者は思った。そっと局長の執務机を見ると、ハイネは特に苦にすることもなく、天文学的量の資料を1件1件目を通しているのだ。
 セルシウスの机を見ると、第1秘書はそろそろ1日の業務を終えて運動に出かける支度に取り掛かろうとしていた。第2秘書のネピア・ドーマーは中央研究所で拾い集めた情報を報告書にまとめているところだった。レインはネピアが苦手だった。昨年まで内勤局員をしていたネピア・ドーマーは、若い頃は凄腕の局員だったと言う話だ。引退して内勤になってからも上司から指示があれば臨時で外勤務に出ていた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した当初、ほとんど毎日捜索に当っていた。レインは偶然彼の手に触れてしまい、彼の感情を読み取ってしまった。ネピアはドームに迷惑を掛けたセイヤーズを憎んでいた。そしてセイヤーズを愛しているレインを疎ましく思っていた。
 レインは小さな溜息をついたが、セルシウスに聞かれてしまった。口髭のドーマーが彼を見て、微笑んだ。

「疲れたかね?」
「いえ・・・あ、はい・・・」

 レインは出来るだけ素直になろうと務めた。嘘をついて虚勢を張っても、年長者達は見破ってしまうことを彼は悟っていた。テレパシーではなく、経験からだ。
 彼はそっと局長を見て、セルシウスを振り返った。

「局長は毎日ずっとあんなしんどい仕事をなさっているのですね。」

 セルシウスが苦笑した。

「慣れだよ。」
「俺も毎日申請書や届出書を見ていますが、こんな長時間は耐えられませんよ。」

 セルシウスはまた声を立てずに笑っただけだった。レインは身体を秘書の方に傾けて囁き掛けた。

「局長が入院されていた時、局長業務はどなたがなさっていたのですか?」

 セルシウスは一瞬遠くを見る様な目をした。

「当初は、15代目が来られて代行して下さった。局長が眠り続けて1週間経つと、医療区から長期戦を覚悟する様にと言われたので、15代目はペルラ・ドーマーに業務を教授された。けれど、秘書ではとても毎日はこなせない。秘書の仕事を疎かにする訳にいかないし、局長業務を休むことは絶対に許されない。それでペルラ・ドーマーは15代目の許しを得て、私にも業務を教えて下さった。秘書2人で仕事を分け合ったのだよ。」


退出者 8 - 9

 食堂を出ると、フレデリック・ベイル・ドーマーは食後の運動をすると言って上司等と別れた。ケンウッドとハイネは図書館に向かって歩いた。特に図書館に用事があった訳ではなかったが、図書館のロビーならゆっくり座って会話ができるし、お茶も飲めるのだ。
ハイネはまだデザートの余韻に浸っている様子で、幸福そうな表情でケンウッドの歩調に合わせて足を進めた。ケンウッドは、自身の父親ほども歳が上のこのドーマーが何故か可愛くて仕方がない、と感じる己に気がついた。相手は外観が若く見えるだけで、ドームの中のことは何でも知っているし、コロニー人の心を読み取る能力もある。コロニー人の裏をかいて地球人に優位な方向に物事を運ばせる術も持っている。決して油断してはいけない人物のはずだが、何をしても様になるし、仕草は可愛らしい。そして利己的ではない。ハイネの行動は常にドームの為であり、ドーマー達の為だ。

 この男にはドームが全てなのかも知れない。

 ドームで生まれて一生中で暮らすドーマーはハイネだけではない。ドーマーの8割は一度も外に出ることなく、ドームの中で生涯を終えるのだ。彼等に閉じ込められていると言う意識はない。ドームの中しか知らないから、何も不足を感じないし、外に憧れることもない。勿論視聴が許されている映画やドラマで外の世界の様子を知っているのだが、出てみようと言う気は起こらない様だ。恐らく外気の汚染が恐ろしいからだろうとコロニー人は思う。映像の中の、普通の地球人達の肌は、荒れている。紫外線や放射線で傷つき、早く老化が訪れるので、ドーマーよりも寿命が短い。ドーマーはそれを知っているから、壁の向こうへは行きたがらないのだ。外に仕事を持つ遺伝子管理局や航空班のドーマー達も休日はドームの中でのんびり寛ぐ。外で遊ぼうとは思わないのだ。
 そんなドーマー達のトップにいるハイネは、部屋兄弟や部下達や娘が壁の向こうへ去って行くのをどんな思いで見送ったのだろう。
 図書館は静かだった。個別ブース内で勉強しているドーマーやコロニー人達を眺め、ケンウッドとハイネはロビーの談話コーナーに腰を落ち着けた。
 2人で取り留めのない世間話をして、お茶を飲んだ。常に遺伝子の管理やクローンの成長や新生児の健康状態を気に留めていなければならない彼等にとって、このぼーっとした時間は貴重だった。ケンウッドはヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックの結婚以来、酒盛りをしていないことを思い出した。ハイネが誘わないので開かれないだけなのだが、実際のところケンウッドもヤマザキもペルラ・ドーマーも、ハイネが娘を嫁がせて気落ちしているのだろう、と気遣って催促しないでいた。だから、ハイネが近々アパートに集まりませんかと提案したので、ホッとした。

「久々に飲むかね?」
「ええ、ずっと皆忙しかったでしょう? ケンタロウも『通過』のドーマー達が退院したと言っていましたから、手が空いたと思いますよ。」
「グレゴリーは来られるのか?」
「今日の昼に買い物に来ていたのを捕まえて、声を掛けておきました。いつでも来られるそうです。」

 ハイネは酒宴を開かなかったのは、仲間が多忙だったせいだ、と言いたげだ。ケンウッドは微笑んで頷いた。
 そこへ、1人の若者が近づいて来た。人目を憚る様に歩いて来たのは、ファンクラブに見つかりたくなかったからだろう。その男は、ポール・レイン・ドーマーだった。

「こんばんは、お邪魔でしょうか?」

 ケンウッドとハイネは同時に振り返った。ケンウッドが優しく言った。

「否、構わないよ。何か用かね?」
「ええ・・・局長に・・・」

 レインは少し躊躇ってから、副長官にも聞いて頂きたくて、と言い添えた。ハイネが頷いて許可を与えた。それで、レインは要望を出した。

「局長がセイヤーズを探す為にお仕事の空き時間に住民登録と遺伝子記録を比較されていると副長官からお聞きしました。俺には権限がありませんが、何かお手伝いさせて下さい。お願いします、セイヤーズを見つけ出すためでしたら、何でもします!」


2017年12月1日金曜日

退出者 8 - 8

 局長秘書達は既にその日の仕事を終えて帰宅していたので、ケンウッドとハイネ、ベイル・ドーマーの3名で中央研究所の食堂へ行った。一般食堂にしなかったのは、そちらが丁度混み合う時間帯だったからだ。ハイネには普段より早めの夕食になるが、彼は気にしなかった。
 ハイネは上司として当然とばかり部下の食事代を支払ったが、ケンウッドの分は払わなかった。副長官は遺伝子管理局長の上司になるので当たり前だが、ケンウッドは妙におかしく思えた。ドーマー達はこう言うところで序列にこだわるのだ。
 食事中は当たり障りのない世間話をした。ベイル・ドーマーはケンウッドが育った火星コロニーの話を聞きたがった。ケンウッドは年に1回しか帰省しない故郷に未練がなかったのだが、ドーマーの好奇心を満たす為に流行のミュージシャンやアート、スポーツの話を聞かせた。政治や教育制度の話をしなかったのは、どこのコロニーでも似たり寄ったりだったからだ。地球の様に広々とした世界ではないので、規則が多い。広大な宇宙に出たはずなのに、結局人間が生存可能な場所は限られているのだ。だから、コロニー人は地球を元の自由で活力の満ち溢れた惑星に戻したいのだ。
 デザートになると、ベイル・ドーマーは話題を仕事の方向へ転換した。但し、特定の部下に関する話題だった。彼はリコッタチーズのプルプルパンケーキを真剣な顔で切り分けている局長に話しかけた。

「リュック・ニュカネンのことですが、局長のお耳に入っているでしょうか、彼が外の女性と交際していると言う噂を?」

 その時、ハイネのパンケーキのてっぺんにあったバターの塊がツルリと滑ってシロップの池の中に落ちた。ケンウッドはハイネが残念そうな顔をするのを見て、危うく吹き出すところだった。塗ってしまえば同じなのに・・・。
 ハイネがベイル・ドーマーを見た。

「市役所の女か?」
「やはりご存知でしたか。」

 ハイネはケンウッドを見た。

「副長官がお怪我をされた時に、お世話をしてくれたそうだな。」

 それでケンウッドは頷いた。

「美人だよ。それに世話見の良い人だ。親切で優しい。」
 
 彼はベイル・ドーマーに尋ねた。会議の時からずっと気になっていたことだ。

「もしや、出張所の準備をニュカネンに全て任せたのは、彼女の存在が関係しているのかな?」
「別に女の為に彼をセント・アイブスに行かせるのではありません。彼なら1人でも新規事業の準備をやってのけると期待しているからです。」
「独り立ちさせる為ではないのかい?」
「それは・・・」

 ベイル・ドーマーは局長の顔を見た。ハイネはまた視線をパンケーキに戻していた。部下の将来の話よりリコッタチーズのプルプルパンケーキに神経を集中させたい様だ。
その態度はベイル・ドーマーの無言の問いかけにちゃんと答えを与えていた。
 ベイル・ドーマーはケンウッドに向き直った。

「ニュカネンから将来の希望が出される迄、我々の方から触れることはしません。」

 つまり遺伝子管理局はニュカネン自身が未来を決めると言う考え方なのだ。ドームの執政官達が反対すればそれまでだが、彼がドームを去りたいと言えば引き止めない。遺伝子管理局が局員に恋愛を禁止することはない。だが・・・

「勿論、仲間が去って行くと考えるのは、辛いですよ。」

 ベイル・ドーマーが本音を呟いた。

「出てしまえば、自由にドームを出入りすることは不可能ですからね。」




 

退出者 8 - 7

 ケンウッドが遺伝子管理局本部の受付でIDを提示して入館パスを受け取ったところにリュック・ニュカネンが駆け込んで来た。慌ただしくIDを提示して走って行ったので、受付のドーマーが呆れて舌打ちした。

「彼は礼儀正しい方なのですがね・・・副長官に挨拶もしないなんて・・・」
「なぁに、同じ会議に出席するはずだ、私は全然気にしないから。」

 ケンウッドは約束の時間の1分前に局長室に入った。既にメンバーは全員揃っていた。4名の班チーフ、北米南部班の5名のチームリーダー、リュック・ニュカネン、そして局長だ。ケンウッドは局長に一番近い席に着いた。対面に末席のニュカネンが座っていた。緊張で硬くなっている。ハイネ局長が室内を見回して頷いた。すると北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーが会議開始を宣言した。

「諸君、多忙なところを集まってもらい、感謝します。今日は先日話し合った出張所設置について、進展があったので報告と話し合いの場を持ちたいと思っています。
 なお、夕食前ですから、出来るだけ早く話をまとめるようにと局長から指示が出ておりますので、ご協力下さい。」
 
 一同から笑いが漏れた。ニュカネンは強張った頬をちょっと緩めただけだった。
ベイル・ドーマーが会議テーブルの上に3次元映像を立ち上げた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの立体地図で、その一部が拡大され、1棟のビルがさらに拡大表示された。ニュカネンが出した候補地のプラン3のビルだ。ニュカネンが思わず体を前に乗り出した。

「まず、報告です。うちの第3チームのリュック・ニュカネンが出したプラン3を採用することになりました。予算も認められましたので、早急に購入と改装に取り掛かる計画です。」

 ベイル・ドーマーはニュカネンに視線を向けた。

「ニュカネン・ドーマー、君にはさらに働いてもらおうと思うが、どうだろう? 購入手続きと改装の監督を引き受けてもらえないか? 売り手や改装工事業者と交渉してもらう厄介な仕事だが・・・」

 ニュカネンの顔が紅潮した。

「その様な大役を私に任せていただけるのですか?」
「バックアップをローズタウンの中部支局に頼んでおくが、大半は君の腕に掛かることになる。」

 ニュカネンが立ち上がった。興奮を抑えようと努力しながら、かすれる声を精一杯絞り出して言った。

「光栄です! 喜んで引き受けさせて頂きます。」

 まだ20代の若いリュック・ニュカネンには重い任務ではないか、と言いたげな班チーフもいたが、反対する者はいなかった。ハイネ局長が声を掛けた。

「ニュカネン・ドーマー、君には大いなる期待と信頼が寄せられている。だが困った時は遠慮なく支局なりドームなり巡回する仲間に相談したまえ。決して恥ずかしいことではない。君の力量を試す仕事ではないのだから無理をするなよ。無理をしてしくじる方が余程辛い。」
「はい、肝に命じておきます。」

 ベイルが座れと手で合図したので、ニュカネンはやっと自分が立ち上がっていたことに気がついた。耳まで赤くなって、彼は着席した。
 局長がケンウッドに声を掛けた。

「予算の方はお任せします、副長官。」
「うむ。」

 ケンウッドは出来るだけ威厳を保って頷いた。ドーマーばかりの会議に出たのは、実はこれが初めてだった。出席者の表情を観察するのは面白いのだが、自身がどんな役目を割り当てられるのか、わからなかった。そして、自分はドーム側のオブザーバーとして呼ばれたのだな、と悟り始めていた。
 次にベイルは、出張所の役割を明確に決めておこうと提案した。局長室内はやっと小さな議場の様に賑やかになった。班チーフに加えてチームリーダー達も意見を述べ、討論した。ドーマー達は議論しても、行儀良かった。誰かが発言する時は己の口を閉じて他人の意見に耳を傾ける。執政官会議の様に各自勝手に発言することはなく、相手の意見に異議があれば質問して、答えを吟味して、自身の意見を言うのだ。
 そして局長の希望通り、1時間後に話がまとまった。
 出張所の任務は、設置場所の遺伝子産業の監視、臨検、違反企業に対する業務停止手続き等だ。研究機関があれば、そこも検査に入る。所長は「元ドーマー」で、現地の人間を10名まで雇用できる。また、巡回してくる局員が休憩や宿泊にも利用出来るが、支局のような親切な対応をする必要はない。所長は指揮官であると同時に捜査員でもある役職だし、宿泊目的の施設ではないからだ。そして出張所の統括は遺伝子管理局本部であって支局ではない。班チーフが連絡役を担う。所長は支局長と常時情報交換を行う。
 ベイル・ドーマーは中部支局にこの決定を通知することを自身に課し、会議を閉会した。
 出席者達が退室して行くのを見送りながら、ケンウッドは机の上を片付けているハイネに声を掛けた。

「この後空いているなら、夕食を一緒にどうだい?」

 するとハイネはやはり後片付けをしているベイル・ドーマーを見た。

「彼も一緒で良いですか?」
「うん、構わないよ。」
「ベイル?」

 2人の会話を聞いていたベイル・ドーマーは少し頬を赤くして、光栄です、と答えた。