2017年8月31日木曜日

後継者 2 - 9

「閉じ込めると言うのは良くありませんな、実際・・・」

 マーカス・ドーマーは囁く様に言った。喋り疲れが出て来たのだろうか。ケンウッドはそろそろ切り上げるべきかと思ったが、老ドーマーは言葉を続けた。

「ローガン・ハイネも若いうちに1度は外へ出してやるべきでした。彼の遺伝子はちっとも危険ではないのですから。執政官達は彼を大切にする余り、外気の雑菌が彼を汚染するのを恐れたのです。彼の弟は外の世界の広さに魅了されて出て行きました。ローガン・ハイネも外を知っていれば、ドームはダニエル・オライオンを手放さずに済んだはずだと私は思うのです。オライオンは外の素晴らしさをハイネに語ったために、追い出されたのですからな。」

 マーカス・ドーマーは遠くを見る様な目で窓の外を見た。

「オライオンは良い漢でした。彼は幼い時から自身が何の為にドーマーにされたのか、理解していました。彼はローガン・ハイネに仕え、崇拝し、愛していました。そしてローガン・ハイネもそれに応えようと努力していました。彼も弟の中に漢を見ていたのでしょう。もし彼が外の世界を知っていたら、オライオンは今もドームの中に居て、内と外を行き来して兄の仕事を助けていたでしょうに。」

 彼はパーシバルに視線を戻した。

「もしセイヤーズが捕まって、アメリカ・ドームで処分を受けるとしたら、ローガン・ハイネは彼を閉じ込めるを良しとは思わないでしょうな。そして、彼をこのドームに居る部屋兄弟達から引き離すことは許せないと思うはずです。」

 パーシバルも首を振った。

「僕もそう思う。セイヤーズは、リンに脅されて西ユーラシア転属を承知した。リンは、彼が行かなければ弟分のワグナーを転属させると言ったそうだ。ワグナーには女性ドーマーの恋人が居てね、引き離すのは可哀想だと、セイヤーズは思ったんだよ。きっとハイネは彼の気持ちを汲んでくれるだろう。」
「西ユーラシアのマリノフスキーも良いヤツですよ。」

 マーカス・ドーマーはちょっと笑った。

「あの男の顔を見たら、誰でも此奴は善人に違いないと思うでしょうな。」

 ケンウッドは副長官に就任した時、地球上の全ドームの長官・副長官・遺伝子管理局長に動画電話で挨拶した時のことを思い出した。確かに西ユーラシア・ドームのミヒャエル・マリノフスキー局長は東洋の福の神みたいに穏やかで親しみのある顔をしていた。

「処分を決めるのはマリノフスキーですが、先にローガン・ハイネに働きかけておいてはいかがです? 局長同士で話し合ってくれるでしょう。危険値S1の遺伝子保有者は実際のところ厄介者です。能力に目覚めれば歯止めが利きませんからな。セイヤーズの能力はまだ完全に目覚めていないはずです。だから西ユーラシアは彼を引き受けた。もし彼が目覚めれば、マリノフスキーは彼をアメリカに返すと思いますよ。」

 その時、近くに居た半分眠った様な老ドーマーが顔を上げて話しかけてきた。

「何を返すんだって、マーカス局長?」

 マーカス・ドーマーが彼に優しく答えた。

「借り物だよ、ジャック。君の物じゃないよ。」
「そうか・・・良かった。」

なんだかよくわからない会話を、老ドーマーは独りで納得して終わらせた。マーカス・ドーマーが少し離れた所に居た世話係のドーマーに合図した。

「ジャックを寝室へ連れて行きなさい。もう寝る時間だ。」

 ケンウッドは自身の時計を見た。執政官にはまだ宵の口だが、地球人には遅い時刻になろうとしていた。

「我々も・・・」
「お気になさるな。」

 マーカス・ドーマーは話し相手が欲しかったのだろう、執政官達を引き留めた。

「年寄りは宵っ張りでね・・・もう少し居て下さい。」

 彼はパーシバルに向き直った。

「他にこの年寄りから引き出したい情報はありますかな?」

 パーシバルがケンウッドを見た。君はどうだ?と目で問うてきたので、ケンウッドは腹をくくった。

「それでは、私から・・・」
「どうぞ。」
「マーカス・ドーマー、貴方は30年遺伝子管理局長を務められましたね。就任は50代の頃と思います。その頃、ハイネは40代のはずです。当時の執政官達は、彼を局長に据える目的で育てたのに、何故ハイネと歳が近い貴方を局長にしたのでしょう? ハイネが就任するのを彼等は見られずに地球を去ることになったのに・・・。」

 すると、マーカス・ドーマーがニヤリと笑った。



2017年8月30日水曜日

後継者 2 - 8

「脱走した若造のことですかな?」

と老いたマーカス・ドーマーがパーシバルの目を覗き込んで尋ねた。パーシバルが肯定すると、何を知りたいのかと問いた気に執政官を見返した。パーシバルは先ず自身がポール・レイン・ドーマーの熱烈なファンであることを明かした。そしてレインのファンクラブを主催しており、レインの恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーとも親しかったと説明した。

「セイヤーズが逃亡する直前に会った執政官は、多分僕だけだと思う。彼は当時のリン長官に憎まれていたから、コロニー人に会いたがらなかった。僕は彼が到着してすぐに出会い、遺伝子管理局本部まで一緒に行った。僕は彼をリンの一味から守ったつもりだ。彼が『直便』の役目を終えると、僕は彼をレインに引き合わせ、そこで彼等と別れた。
 僕はセイヤーズの様子に注意を払っていたつもりだったが、彼が脱走を決意するほど思い詰めていたことに気が付かなかった。もっとあの子の気持ちを理解してやれば良かったと後悔している。」

 パーシバルが一気に喋り終えると、マーカスはケンウッドに視線を移した。ケンウッドは正直に自身の考えを述べた。

「私はセイヤーズの脱走に関してパーシバル博士には何の落ち度もないと思っています。ハイネ局長もセイヤーズの行動はその場の思いつきだろうと推測しています。レインと会ってから、セイヤーズの心境に何か変化があったはずです。」
「セイヤーズ逃亡の責任の話をしているんじゃないんだ、申し訳ない、論点がずれた。」

 パーシバルが謝った。

「セイヤーズは進化型1級遺伝子危険値S1だよね? 将来、彼が発見されてドームに連れ戻されたら、一体どんな処分が下されるのだろう? 危険値S1と言うのは、悪用されれば人類社会に多大な損失と脅威を与える才能の持ち主、と言うことだったと思うが。」

 マーカスは考え込んだのか、深い皺の奥の目を閉じた。ケンウッドはコロニーでは進化型1級遺伝子保有者はどう扱われていただろうか、と考えた。進化型遺伝子は人工的に開発された遺伝情報であり、複雑な組み替えで生み出されたものだ。その歴史は人類が地球から宇宙へ出ていき始めた250年以上前に遡る。存在はよく知られているが、実際にその遺伝子による能力を発揮する人間を見たことも聞いたこともない・・・。

 辺境開拓の為に開発された遺伝子なのに、何故地球にこんなに多くの種類が存在するのだ?

「処分はないでしょうな。」

とマーカス・ドーマーが不意に呟いた。

「処分はない?」
「特殊遺伝子を持って生まれたことは、セイヤーズの罪ではありませんからな。」
「しかし・・・」
「罪状は、脱走罪だけです。ドーマーはドームから無断で出て行ってはならない。脱走者は逮捕されたら、謹慎処分を食らって観察棟に入れられる。それだけです。」
「それだけって・・・謹慎期間は?」
「それは逮捕時の遺伝子管理局長の腹積もり次第です。数ヶ月で終わるかも知れないし、一生かも知れない。」

 パーシバルはケンウッドを見た。ケンウッドも予想外の返答だったので、驚いていた。

「つまり・・・ハイネ次第?」
「ローガン・ハイネの任期中にセイヤーズが捕まれば、そうなります。しかし、あの若造は西ユーラシアの所有だったのでは? そうなればマリノフスキー局長次第となるでしょう。」
「長官の意見は?」
「長官とは、西ユーラシアの長官ですな。彼はセイヤーズの遺伝子をどう研究に使うかを決めるだけです。処罰を決定する権利は地球人側にあります。」

 ケンウッドはパーシバルが落胆するのを感じた。パーシバルはセイヤーズの処分が少しでも軽減されるよう、リプリー長官に掛け合うつもりでいたのだ。しかし、セイヤーズが西ユーラシア・ドームに籍を移していたことをすっかり失念していた。これではハイネにゴマすりしても無駄だ。

「せめて一生観察棟幽閉と言うのは避けてやりたいな・・・」

とケンウッドは呟いた。

「ヘンリーと私がここに後何年勤務出来るかわかりませんが、セイヤーズが戻って来た時に、ドームの中だけでも自由に生活させてやれたら、と思います。アメリカでも西ユーラシアでも、彼を狭い部屋に閉じ込めて一生を終わらせるようなことは、させたくありません。」





2017年8月29日火曜日

後継者 2 - 7

 その日の午後、夕方近くになってヘンリー・パーシバルがジムで筋トレをしているケンウッドのそばへ来た。

「今夜、空いてるかい?」
「うん。特に用事はない。『黄昏の家』に行くのか?」
「そのつもりだ。係の執政官には連絡を入れておいた。一応ハイネにもメッセを送った。彼からの返事はないけど、グレゴリーが了承したと返信をくれた。」

 行くなと言われないのだから、行って良いのだろう。ケンウッドとパーシバルは軽く夕食を済ませてから、引退したドーマー達が住む「黄昏の家」へ繋がるトンネルに入った。中央研究所の片隅のエレベーターに乗り、地下へ下り、クローン製造施設とは反対側のドアを抜けると通路が延びていた。歩いても良いし、カートで移動しても良い。2人はカートに乗った。

「一つ聞いておきたいことがある。」

とパーシバルが言った。

「就任式の時、マーカス・ドーマーは君に何の話をしたんだい? ハイネは君も15代目も教えてくれなかったと言っていたが?」
「ドーム行政のしてはいけないこと集だよ。」

 ケンウッドはヘンリーなら話しても良いだろうと思いはしたが、マーカス・ドーマーかハイネ局長が自身の口から語る迄は言わないでおこうと思い直した。

「ドームの行政が人の心を傷つけた話とだけ言っておく。当事者がまだ存命中だからね。」

 当時の執政官達は現在月や火星やコロニーに戻っている。みんな社会的に高い地位を得て、地球復活に貢献している奇特な人々として敬われているのだ。彼等は、確かに困った時には頼りになる。リン長官の更迭も彼等に通報したからこそ出来たのだ。ハイネだって、彼等を頼ったのだ。いや、利用したと言った方が良いだろうか。彼等はハイネを愛し、弄び、理想のリーダーに作り上げた。そしてハイネは彼等に仕込まれた通り、利口に振る舞い、彼等を逆に利用している。
 パーシバルは「ややこしい話は聞かないでおくよ」と言って、その話題を終わらせてくれた。
 カートは5分もしないうちに「黄昏の家」に到着し、2人はカートを降りてエレベーターで上に上がった。
 そこはロビーだった。レセプションにいるのは年配のドーマーで、彼等は現役を引退して「黄昏の家」の住人になる直前の年代だった。

 しかし、ハイネより年下だ・・・

 恐らくエイブラハム・ワッツ・ドーマーと同世代のドーマー達が老人の世話係をしているのだ。執政官もいるので、養育棟の老人版と言った様相だった。
 パーシバルの要求は通っていて、ケンウッド共IDを提示して中に入った。
 「黄昏の家」でも夕食時間が終わっており、ランディ・マーカス・ドーマーは自由スペースでロボット相手に囲碁をしていた。すぐそばには膝に毛布を掛けたドーマーがいて、眠っているのかテレビを見ているのか判然としなかった。
 顔見知りのケンウッドがパーシバルを案内する形でマーカス・ドーマーに近づいた。

「こんばんは、15代目。」

 ケンウッドはハイネが呼んだのを真似て声を掛けた。マーカス・ドーマーが盤から顔を上げて、皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにした。

「こんばんは、副長官。今夜はお友達もご一緒ですね?」
「今夜はこちらのヘンリー・パーシバル博士が貴方に伺いたいことがあるとかで、連れてきました。」

 パーシバルの提案だったが、ドーマーを相手にする場合は上下関係をはっきりさせておくことが肝心だ。執政官とドーマーの間で意見の相違があった時、執政官同士の意見を統一させておかねばならない。上下関係があると見せておけば、上位の者の意見を採用して取り敢えずその場を収めることが出来るからだ。
 ケンウッドはパーシバルにランディ・マーカス・ドーマーを紹介した。

「第15代遺伝子管理局長だった方だ。」
「よろしく、15代目。神経細胞の研究をしているヘンリー・パーシバルだ。」

 パーシバルはハイネ同様マーカスにもタメ口で応じた。マーカス・ドーマーは気にしなかった。世話係の執政官も似たような態度をとるのだから。
 彼はロボットにゲーム終了を告げ、盤を片付けさせた。そして場所を少し移動して寛げる椅子とテーブルがあるスペースに落ち着いた。そこではテーブル上にお茶の用意がされていて、いつでも飲める様になっていた。
 パーシバルは自身で3人分のお茶を淹れた。この男はこう言うところはよく気が利くのだ。マーカス・ドーマーがケンウッドに尋ねた。

「長官と16代目は上手くやっておりますかな?」
「はい。時々意見の相違がありますが、互いに上手に衝突を躱しています。」
「あの長官も少し柔軟になったのですな。」

 するとパーシバルが口をはさんだ。

「と言うか、秘書のドーマーの舵取りが巧いんだな。」

 マーカス・ドーマーが微笑んだ。長官秘書ロッシーニ・ドーマーも彼の部下だったのだ。

「ローガン・ハイネは穏やかに見えて、地は頑固ですからな。臍を曲げると後の扱いがかなり厄介ですぞ。」

 パーシバルが彼の正面に座った。

「ところで、今日お邪魔したのは、ハイネではない進化型1級遺伝子所有者の将来をご相談したくてね。」



2017年8月28日月曜日

後継者 2 - 6

 ローガン・ハイネ・ドーマーは意外にしつこいところがあった。彼は翌日もリプリー長官をランチに誘い、断られ、翌々日もランチに誘った。リプリーは局長を怒らせたと悟り、秘書のロッシーニ・ドーマーに相談した。ロッシーニは、心の中で「2人ともいい加減にしてくれよ」と思いつつ、「たまには食堂でお昼を召し上がってはいかがです?」とアドバイスした。
 3日後、遅い昼食を摂りにケンウッドが中央研究所の食堂に行くと、驚いたことにリプリー長官とハイネ局長が向かい合って食事をしていた。ハイネは普通に肉料理とサラダとスープをトレイに載せていたが、リプリーはてんこ盛りのサラダと持参した携帯用シリアルバーでランチだ。
 ケンウッドが2人に黙礼して近くのテーブルに着くと、長官と局長は彼が現れる前にしていた会話の続きを始めた。内容は真面目で、ハイネが例の発信器の装着を話すと維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが喜んだと言う報告だった。

「遺伝子管理局の局員は外勤務の際は護身用の麻痺光線銃を携行していますが、維持班は丸腰です。特に庶務課は物資購入の為にお金の出し入れも行いますが、護衛は付きません。庶務課の課長は部下の行動が発信器で掴めるので、心配の度合いが減ると安堵しています。」
「今まで彼等が事件に巻き込まれなかったのが奇跡かも知れないなぁ。」

 リプリーは発信器装着にドーマー達が不満を持たないかと心配していたので、この報告で一安心した様子だ。

「航空班も、単独飛行する静音ヘリのパイロット達の所在地を把握出来ると言っています。端末のGPSでは機械が体から離れると安否情報が掴めなく恐れがありますからね。」
「端末と発信器の両方でドーマー達の安否確認が出来る。君達が今回の案件を受け容れてくれて嬉しいよ。」
「ドーマーが発信器を体内に埋め込んでいることを外の人間には知られないよう、ワッツから庶務課や航空班に厳重に注意を与えさせました。」
「知られても、あの大きさなら、皮膚の上から触れても装置が体内にあるとはわからないはずだ。」
「用心するに越したことはありません。体を切り刻まれたら、装置の無事どころかドーマーに致命的な損傷を与えられますから。」

 ハイネは残酷なことをさらりと言ってのけたが、これは1世紀前に実際に起きた事件を念頭に置いたものだった。オセアニア・ドームの遺伝子管理局の局員がメーカーに誘拐されて、クローン製造の材料にする細胞を取られたのだ。メーカーは誘拐したドーマーを殺害する意志はなかったと後に言ったらしいが、切られた傷に雑菌が入り、被害に遭ったドーマーは救出される前に死亡してしまった。無菌状態で育ったドーマーの悲劇だった。この事件は後に世界中のドームの知れることとなり、被害者は寸刻みに切り刻まれたと言うデマが広がったのだ。

「アメリカ・ドームのドーマー達には、絶対にそんな残酷な運命を負わせたくない。」

とリプリーが力をこめて言った。

「発信器は身を守るものではないが、何かあれば直ぐに救出に向かう為の物だ。装着は義務ではないと私は言ったが、出来れば外に出るドーマーには必ず装着させて欲しい。」
「ワッツは部下達に、装着は義務だと言ってしまいましたよ。」

 ハイネはケンウッドをチラッと見て、ちょっと笑った。彼は発信器の装着はリプリー長官のアイデアだとワッツ・ドーマーに4回も言ったのだが、ワッツは部下達を集めて説明会を開いた時、ローガン・ハイネからの提案で、と出鱈目を言ったのだ。後で遺伝子管理局の部下からそれを聞いたハイネが咎めると、ワッツは平然と言い切った。

「貴方の案だと言った方が、みんなが受け容れやすい。」

 それは困るとハイネは言った。現在の長官とは仲違いしたくないので、彼の案だと訂正してくれと。 それでワッツは、「長官命令だ」と訂正を出したのだ。

「義務か・・・そう言う表現で納得してもらえるなら、良しとしようか。」

 リプリーはまさか「命令」にすり替えられているとは知らずに、ドーマー達の代表の説得方法を了承した。
 食べる速度が違うので、リプリーが食事を終えた時、ハイネはまだ半分しか食べていなかった。リプリーはトレイを持って立ち上がった。

「まだ面倒な書類が残っているので、お先に失礼するよ、ゆっくり食べてくれ。」

 ハイネが頷くと、リプリーはケンウッドにも「失礼」と言って、返却カウンターへ去った。後ろ姿を見送ってから、ケンウッドはハイネ局長を振り返った。

「ドーマー達が発信器を受け容れてくれて、助かったよ。」
「なぁに、ワッツが以前から似た様なことを考えていたのですよ。セイヤーズが脱走した時、端末をトイレに置き去りにしましたからね。ドーマーが簡単に捨てられない位置情報発信装置が欲しいと、ワッツは呟いていましたから。」

 ケンウッドは溜息をついた。

「セイヤーズはまだ行方がわからないのだね?」
「ええ、見事に隠れています。頭脳明晰ですからね。」
「いつか帰って来るだろうか?」

 ハイネは肩をすくめただけだった。

2017年8月26日土曜日

後継者 2 - 5

「長官は局長を怒らせましたね。」

と配膳コーナーで料理を取りながらロッシーニ・ドーマーがケンウッドに囁いた。

「発信器のことか?」
「いいえ。長官は大声を出したでしょう?」

 長官秘書は局長の部下でもある。そして局長との付き合いの方が長官の下で働いた時間より長いので、ハイネの性格を知っていた。

「局長は大きな声で叱られた経験がないので、いきなり大声を出されると怯えるのです。」

 ケンウッドは、リプリーがハイネの言葉を遮った時の、ハイネが一瞬ビクッとした様子を思い出した。ローガン・ハイネは幼少期から大事に育てられてきた。執政官達は彼を叱る時も穏やかに理を語って聞かせたのだろう。叱ると言うより注意を与える形で。それは普段ハイネが部下に接する時の様子からわかる。彼は失敗した部下を怒鳴りつけたりしない。穏やかに「馬鹿者」と言い放ち、何故叱られるのか説明してやるのだ。

「だから、終盤は局長が冗談と思えない言葉で長官を脅かしたのです。」
「ああ・・・それで意地悪された長官がショックを受けたんだな。」

 ハイネ局長のランチの誘いをリプリー長官は断った。携行食を持っているし、お昼はいつもそれで済ませるからと。事実そうなのだが、局長がそれにも不満そうな顔をしたので、ロッシーニ・ドーマーが長官を諭した。

「長官、いつもそんな物ばかり召し上がっていると体力が落ちます。重力に耐えられなくなりますよ。」

 人付き合いの苦手な長官は「しかし」と反論した。

「私はいつも昼はこれだし、すぐに業務に取りかかれる。朝夕はしっかり食べているつもりだから、心配要らない。」

 ケンウッドはつまらない諍いが起きないように、ハイネを早々に長官執務室から連れ出した。長官は秘書にも昼休みを与えたので、ロッシーニ・ドーマーはすぐに2人を追いかけて来たのだ。
 料理を揃えて支払いを済ませたケンウッドとロッシーニは、先にテーブルを確保して食べ始めているハイネの所へ行った。ロッシーニが上司のトレイを見て、またデザートが先ですか?と呆れた。ハイネはアップルパイを2切れだけ取っていた。

「今日の昼はこれだけで済ませる。だからデザートではない。」

 ロッシーニはケンウッドを振り返った。

「私の上司は2人共子供みたいでしょう?」

 ケンウッドは笑った。

「どっちも拗ねているんだな。」

 ハイネはフンっと言ったきり、後は黙って食べた。
 内務捜査班のチーフでもあるロッシーニ・ドーマーが、ところで、と話をふってきた。

「昨夜もみなさんで飲まれたんですか?」

 ケンウッドはハイネを見た。ハイネはパイを見つめており、彼も部下も見ない。ケンウッドはロッシーニはどの程度知っているのだろうと考えた。執政官がドーマーに酒を与えるのは規則違反だ。少なくとも、金曜日の夜、バーで飲ませる以外は禁止だ。
 しかし、平日の夜、ドーマーが執政官に自室で飲ませるのは、どうなるのだ?

「副長官?」
「飲んだのは、執政官だけだよ・・・」

 ケンウッドはハイネをもう1度見た。ハイネはパイを小さく刻むのに忙しそうだ。

「場所は局長の部屋だったが、局長は直ぐ眠ってしまったし、私達も少し飲んだだけで後片付けをして帰った。だから、今朝はヤマザキも私も元気だったろ?」

 ロッシーニ・ドーマーが溜息をついた。

「それで・・・酒は何方が調達されたのです?」
「ジャン=カルロス・・・」

 遂にハイネが口を開いた。

「君は内務捜査班か?」
「局長・・・」

 ケンウッドは長官秘書がうろたえるのを見た。ローガン・ハイネが本当に腹を立てると意地悪になるのだと悟った。

「酒は執政官が宇宙の業者や庶務班から購入したものだよ。」

 ケンウッドは当たり障りのない事実を述べた。

「違法に手に入れたものではないし、密造酒でもない。」
「そうですか・・・」

 ロッシーニ・ドーマーは気を削がれたらしく、それ以上突っ込まなかった。
 いつもの様にゆっくり食事するハイネはアップルパイ2切れに時間を費やし、部下の方が先に料理を平らげてしまった。ケンウッドもまだ食べていたので、ロッシーニ・ドーマーは「図書館で休憩してきます」と言って、トレイを返却コーナーへ運んで去って行った。
 2人になると、ケンウッドは近くに人がいないことを確認してからハイネに話しかけた。

「もし君が飲酒していると知ったら、彼はどうするつもりだったのだろう?」
「さてね・・・」

 ハイネは他人事みたいに答えた。

「内務捜査班に酒の出所を調査させて、ドーマーに酒を与えた執政官に警告を出すでしょうな。」
「どんな警告?」
「同じことをまたやったらドーム退去を要求すると言う・・・」

 ケンウッドはハイネをじっと見つめた。どうやらハイネは彼に対しても意地悪をしたい様だ。

「昨夜のことを怒っているのか?」
「何のことです?」

 ここでうっかり答えてはいけない、とケンウッドの頭の奥で警報が鳴った。ハイネは睡眠薬を盛られたことに気が付いている。犯人を知りたいのだ。ケンウッドは慎重に答えた。

「君を残して我々だけで飲んだことだよ。」
「酒は減っていませんでしたが?」
「ホストの君がいないので遠慮したんだ。君が眠った後も話し込んでいた。」
「今朝は貴方方は一般食堂に来られなかった。」
「ヤマザキは仕事で朝から忙しかった。ヘンリーと私はここ(中央研究所の食堂)でキーラ・セドウィックと朝ご飯を食べた。それだけだ。他に理由はない。」

 そしてケンウッドはハイネの突っ込みを躱す台詞を思いついた。

「そうだ、キーラ博士が、次の飲み会には彼女も誘ってくれと言っていたぞ。」

 秘密の娘の名前が出たので、ハイネは退いた。

「駄目です。私の部屋は女性禁制です。」

 彼は最後のパイの1切れを口に入れ、よく嚼んで呑み込むと、ケンウッドに警告を与えた。

「あの出産管理区の女帝には私の部屋の話をしないで下さい。あの部屋に入れるのは私の友人だけです。もし余計なことを彼女に教えたら、2度と招待しませんよ。」
「わかった。」

 ケンウッドはこれ以上老ドーマーを悩ませたくなかった。ハイネにとって娘は1人の女でしかないのかも知れない。彼のアパートの部屋は、彼が弟ダニエル・オライオンと過ごした大事な思い出が詰まっている場所だ。ケンウッド達はその大切な場所に入る許可を与えられた特別な友人なのだ。その特別な友人のカテゴリーに娘は入らないのだ。
 今日のハイネは機嫌が悪い。睡眠薬、発信器、大声、追求、兎に角気に入らないことだらけなのだ。こんな時、パーシバルなら持ち前の軽薄さとチーズで宥めるのだろう。しかしケンウッドは重厚で小道具を用いるのを良しとしなかった。

「男は秘密基地を持ちたがる動物だ。我々も君の部屋を気に入っている。絶対に女は入れないと誓うよ。」

 ハイネは低脂肪ミルクを飲み干して、ケンウッドを見て少し笑った。

「今日の私は扱いにくいと思っておられるでしょう。」
「うん。君は意地悪になっている。長官にもロッシーニにも私にも。」
「少し頭痛がするのです。多分、昨夜の酒に何か入れられた・・・」

 ハイネの目が「犯人はおまえじゃないよな?」と問うていた。ケンウッドは頑張った。

「君は疲れているんだよ。まだ体調が完全に3年前と同じに戻っていないのだろう。昨夜は君が早い時間に眠ったので、却ってヤマザキが安心していた。彼は君に酒を沢山飲ませたくないんだ。」
「ああ・・・」

とハイネが微笑した。今度は目が笑っていた。

「犯人はドクターでしたか。」





後継者 2 - 4

 午前11時頃にケンウッドはリプリー長官の執務室に定時の面会に行った。その日の正午から翌日の正午迄のドーム内における執政官達の業務内容の確認と打ち合わせだ。誰かが目新しい研究や実験を始めない限りは、両者が部下達から提出されたスケジュール表に目を通して承認するだけで、半時間もかからない。
 だがその日はリプリー長官が用事を作っていた。

「昼休みに食い込むかも知れないが、ちょっと重要な案件がある。良いだろうか?」

 科学者に定時で仕事を終えると言うのは無意味なことだ。ケンウッドは慣れていたので、かまわないです、と応えた。するとリプリーは言った。

「では、ハイネ局長も呼んであるので、彼が来たら始めよう。」

 遺伝子管理局との合同業務と言うことか? ケンウッドはリプリーに2度手間をかけさせたくなかったので、黙って座って待つことにした。
 リプリーはコンピュータで書類を数点片付けた。その間、ケンウッドは秘書のロッシーニ・ドーマーが淹れてくれたお茶を飲みながら自身の仕事の資料に目を通した。真面目な2人の正副両長官にロッシーニ・ドーマーが何か言いたそうな顔をしたが、2人とも気が付かなかった。
 正午直前になって、やっと遺伝子管理局長が現れた。わざわざ本部から歩いて来てやったのだぞ、と言う顔をしながら出迎えたロッシーニ・ドーマーに頷いて見せ、奥に通されてケンウッドと向かい合う形で座った。ハイネ局長、とリプリーが執務机の向こうに座ったまま声を掛けた。

「ご足労願って申し訳ない。実は遺伝子管理局本部では話しづらい案件をこれから論じ合いたいのだ。」
「それは、ドーマーに関係する事案ですか?」
「その通り。」

 リプリーがコンピュータを操作して、中央の会議用テーブルの上に3次元画像を映し出した。楕円形の物体で表面がつるりとした感じの物体だ。

「本当の大きさは1ミリメートルほどだ。」

とリプリーが説明した。

「これは生体埋没型信号発信器だ。人間の細胞が発する電流に反応して電波を発信する。この装置を埋め込んだ人間が生存している限りは信号を発信し続ける。」

 ハイネが視線を画像から長官に向けた。彼はすぐに何故呼ばれたのか、その発信器が何の目的のものなのか悟ったのだ。

「ドーマーにこれを埋め込むのですか?」
「全てのドーマーではない。外に出かけるドーマーだけだ。」
「遺伝子管理局と維持班の両方に?」
「それに航空班もだ。」

 ケンウッドは話の内容を呑み込めた。リプリー長官はいつまで経っても見つからないダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走を気にしていた。第2のセイヤーズが出現する前に、外で仕事をするドーマー達に発信器を埋め込み、所在を掴んでおきたいのだ。

「これを埋め込むことでドーマー達には脱走してもすぐ捕まるぞと警告を与えられる。しかし、それよりも事故や事件に巻き込まれた時に彼等の居場所をすぐに特定出来れば、救助に向かう側も動きやすいだろう? 遺伝子管理局は巡回する地域が届け出られるので、何かあっても大凡の居場所の見当は付く。航空班は航空機にトラブルが発生した場合の不時着地点を探し出せる。」
「生きている場合でしょう?」
「勿論だ!」

 リプリーが力を込めて言ったので、ハイネが珍しくビクッとした。リプリーがちょっと不機嫌そうな声で言った。

「私はドーマーが死亡した時の話をしているのではない。生きて動けない状態になった場合の、救出方法の話だ。」
「失礼しました。」

 ハイネが素直に謝った。ケンウッドは急いで話の続きを長官に求めた。

「その発信器の信号を拾うのは、ドームですか?」
「いや、衛星だ。」

 画像に人工衛星が現れた。

「発信器は小さいので微細な電波しか発せないが、これは人工衛星が拾える機能を持っている。」
「つまり、軍用機器の一部ですか。」
「そうだ。コロニーの技術だから、地球人の技術では感知出来ない。つまり、メーカーが外に居るドーマーを誘拐しても発信器の存在はばれない。こちらは何か事件や事故でドーマーが行方不明になったとわかった時点で、衛星に指示を飛ばし、受信情報を本部に送らせることが出来る。」

 ハイネが質問した。

「本部とは?」
「勿論、貴方だ、ハイネ局長。」

 今度は何らかの書類が画像に出て来た。

「これは衛星から情報を送らせて分析させる為のマニュアルだ。これを貴方のコンピュータに転送するから、学習して欲しい。貴方の部下達を守る為のシステムだ。貴方が管理する。」

 ケンウッドは機械の取説は苦手だ。目の前で操作してもらえれば覚えられるが、文章を読んで覚えろと言われると閉口する。ハイネは大丈夫だろうか、と思って局長を見ると、ハイネは画像をチラッと見ただけで、長官に頷いて見せた。

「わかりました。目を通しておきます。それで、発信器の装着は何時から始めればよろしいですか?」
「貴方が承諾してくれたので、機器の準備を今日の午後から始めたい。埋め込みは医療区で行う。なぁに、圧力注射で腋の下の皮膚下に埋め込むだけだから、数秒で済むらしいよ。
いきなり全員が行っても混乱するだけだから、明日出かける局員から始めてくれないか。抗原注射の接種と同時に出来るそうだ。接種が必要ない『通過』済みの局員も受けて欲しい。」

 リプリーは念を押した。

「これは強制ではないが、出来るだけ受け容れて欲しいと言うのが、ドームの方針だと、部下達に言い聞かせてくれないか?」

 低姿勢の執政官に、遺伝子管理局長は言った。

「回りくどい言い方は不要です。逃亡防止目的だと言っておきます。」
「ハイネ・・・」

 一瞬リプリーが泣きそうな顔をしたのをケンウッドは見逃さなかった。ハイネ局長は気づかないふりをして立ち上がりながら言った。

「冗談ですよ。ところで、これからランチに行きますが、ご一緒しませんか?」



後継者 2 - 3

 翌朝、ケンウッドは独りで朝食を摂っていた。場所は中央研究所の食堂で、施設内はまだ混み合う前で閑散としていた。
 昨夜はホストのハイネが眠ってしまったので、3人で彼をベッドに運んで寝かせた後、後片付けをして早々に引き揚げた。恐らく遅く迄残って飲んでもハイネは気にしなかっただろうが、彼等はマナーを守った。
 食堂にパーシバルが現れた時、ケンウッドは彼に連れがいるのを見て驚いた。意外な人物だったからだ。

「おはよう!」

とパーシバルがケンウッドを見つけてやって来た。ケンウッドもおはようと返事をしてから、彼の連れにも「おはようございます」と挨拶した。

「おはようございます、ご一緒してもよろしいの?」

とキーラ・セドウィック博士が微笑みながら尋ねた。ケンウッドも柔らかな笑みを浮かべて頷いて見せた。
 優雅な動作でキーラが彼の正面に座った。パーシバルはその隣だ。ちょっと意外だった。キーラはパーシバルをローガン・ハイネにちょっかいを出す「美男子好き」として警戒していたのではなかったのか?
 食事中の会話は他愛ないものばかりだった。パーシバルは新しく誕生する子供達の健康状態を知りたがり、外の世界に病気が蔓延していないか、妊産婦達が毎日楽しく過ごしているか、とキーラと話をしていた。
 そう言えば、とキーラがケンウッドを見た。

「リプリー長官は来週末に大統領と会食なさるそうですが、貴方もご一緒されるの、ケンウッド博士?」
「いいえ、私は留守番です。長官、副長官が同時にドームを空けるのは月の委員会に呼び出される時ぐらいですよ。」
「あら、残念。貴方から大統領の情報をお聞き出来るかと期待したのに。」
「大統領の情報?」
「今の大統領が取り替え子システムをどう考えているのか、知っておきたいのですわ。」

 地球人で取り替え子の事実を知っているのは、各ドームが存在する国の首脳だけなのだ。首脳が交代すれば、その度にドームの幹部が面会し、システムを説明する。まず全員の首脳がショックを受け、うろたえる。そして受け容れるが、彼等が本当に納得出来ているかどうかは、わからない。現在のところ、事実を公表した首脳は世界中に独りもいないが・・・。

「それはリプリー長官にお聞きになればよろしいかと・・・」
「あの方は苦手なのよね、私・・・」

 キーラが苦笑した。

「あちらも女性は苦手の様で、女性執政官達は彼に要望があってもなかなか素直に言い出せないと愚痴っていますわ。」
「そんな時の為に、副長官がいるんですよ。」

とパーシバル。彼はケンウッドを見て笑った。

「ニコラスは堅物ですが、女性には親切です。彼の女性助手達は言いたい放題ですよ。」
「では、副長官から長官に大統領の考えを探って来て、とお願いして下さいます?」
 
 キーラが物ねだりする様な目でケンウッドを見つめて笑って見せた。男心をくすぐる瞳だ。母親もこんな目だったのだろうか。
 ケンウッドは渋々と言う表情で頷いた。

「承知しました。昼前の定時面会の時に、キーラ博士からのたってのお願いで、と伝えておきます。」
「あらぁ、私の名前をお出しになるの?」
「貴女からのお願いですから。」
「はいはい、その通りです。」

 キーラが素直に認め、3人は笑った。
 彼女が時計を見た。そして出産管理区に出勤しなければ、とトレイを持って立ち上がった。

「お先に失礼させて頂きます。」

と言ってから、彼女は振り返って言った。

「今度、ローガン・ハイネの部屋で飲まれる時は、私も誘って頂けませんこと? 彼、一度も声をかけてくれたことがないんですよ、私は30年もここにいると言うのに・・・」
「は・・・はぁ・・・」

 ケンウッドが気後れした顔で応えると、彼女は謎の微笑みを浮かべて去って行った。
 キーラ・セドウィック博士が食堂から出て行くと、パーシバルがケンウッドの方に体を乗り出して囁いた。

「キーラはハイネの母親のオリジナルと血縁関係があると言う噂を知っているか?」
「母親のオリジナル?」

 ケンウッドは彼女が消えた方向を見た。成る程、キーラとハイネの顔が似ていることに関して、そんな憶測がドーム内にある訳か。恐らく30年間、ドームの「都市伝説」になっているのだろう。ケンウッドが知らなかっただけで。

「もし母親のオリジナルと血縁だったら、彼女にも進化型1級遺伝子があるのかもな。」

とパーシバルがわざとらしく推測してみた。するとケンウッドは笑った。

「それはない。彼女が年齢より若く見えるのは彼女が美人で美容指導者でもあるからだ。ハイネの若さを保つ肉体とは少し肌の老化の過程が異なる。彼女は普通の人だ。」
「ああ・・・やっぱりハイネの母親の希少遺伝子はヘテロなんだな。ホモで若さを保つコロニー人って、辺境のメトセラ型の開拓地に行かないといない訳だ。」

 パーシバルはちょっと考え込んだ。

「ハイネの実の兄弟っているのかな?」
「いたとしても、もう爺さんだろう。 もしハイネと同じ遺伝子を持っていたら、例外ではあるが兄弟でドームに残されたはずだ。白髪ではあるだろうが、若さは保っていないさ。」
「普通の地球人だったら80歳迄生きていないだろうしな・・・。」

 彼はふと何かを思いついた。

「ニコ、君は就任式で15代目の局長だったドーマーに会ったと言っていたな?」
「うん、ランディ・マーカス・ドーマーだ。」
「執政官は『黄昏の家』に訪問出来る・・・」
「彼を訪ねるつもりか?」
「90歳を越えるドーマーが何人いるか知ってるか? たったの5人だ。そのうちの2名は寝たきりだ。マーカス・ドーマーが元気なうちに僕は会ってみたい。過去に進化型1級遺伝子を持って生まれたドーマー達がどんな生涯を送ったのか、聞いておきたいんだ。ハイネには聞きづらくてね。」
「それは、セイヤーズの為か?」
「うん。セイヤーズが帰って来た時の為に・・・あの子が一生西ユーラシアの観察棟に閉じ込められるのだけは避けたいんだよ。」





2017年8月24日木曜日

後継者 2 - 2

 ハイネはケンウッドをチラリと見て、簡単に答えた。

「15代目が元気だったからですよ。局長職は終身ですから。」

 そして何かつまみはないかと食品庫を覗きに席を立った。ケンウッドはまたはぐらかされた気がした。ハイネは嘘をつかない。だが都合の悪い質問には核心を答えない。
 パーシバルがポケットから小さな箱を出した。軽く振るとカサカサと音がした。

「ハイネ、良い物をあげるから、僕の隣へおいで。」
「何です?」
「チーズクッキー。」

 ハイネにはテレポーテーションの才があるのだろうか? ケンウッドはアッと言う間に彼の正面に座った局長に呆れた。ヤマザキは笑いっぱなしだ。
 一口サイズのチーズクッキーをつまみにお酒を飲んで、パーシバルが立ち上げたいくつかのドーマーのファンクラブの運営状況を聞いた。ドーマーは芸能人ではないから、ファンクラブと言っても、彼等の職務の応援をしたり、便宜を図ってやるのが活動内容だ。だからハイネも真面目に話を聞いていた。
 パーシバルの一番の気がかりはポール・レイン・ドーマーだった。ダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走事件以来、レインは取り憑かれた様にセイヤーズ捜索に没頭していた。局員としての通常業務の合間に捜索活動を挟み込み、抗原注射を打つ間隔を最短で組んだ。リン前長官の愛人として幹部候補生になり、優遇されていたのを、リプリー新長官によって降格され、唯の局員に戻ったので、却って動きやすくなったのだ。殆どドームに居着かず、外に出かけて行く。部屋兄弟のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが彼の健康を心配してヤマザキに医療警告を出してくれと泣きついたほどだ。

「ハイネ、セイヤーズはまだ見つからないのか?」
「まだ手がかりさえ見つかりません。端末を遺棄した上に、ネット環境のない場所に隠れた様です。」
「メーカーに捕まったと言う様なことはないだろうな?」
「メーカーに?」

 ハイネが皮肉そうな笑みを浮かべた。

「セイヤーズはそんな柔なヤツではありません。西ユーラシアのマリノフスキーも言っていましたが、彼は戦闘能力に秀でています。メーカーの組織の一つぐらい1人で片付けられます。」
「そんなに凄いのか、セイヤーズは?」

 ヤマザキが驚いて尋ねた。ケンウッドは訓練所で教鞭を執った時の、生徒としてのセイヤーズを思い出した。

「彼はとても個性的なんだ。ドーマーらしい型にはまった発想しか出来ない普通の子供達とは違う。凄く豊かな才能を持っている。」

 ハイネがグラスの中身を飲み干して付け加えた。

「でも、脳天気なんです。」

 パーシバルが笑った。それからしんみりと言った。

「そう・・・脳天気だから脱走したんだ。知らない人ばかりの所に行けば、なんとかなると思ったんだろう。ポールを忘れることが出来ると思ったに違いない。だけど、きっと今も苦しんでいるさ。」

 お代わりを取って来ます、とハイネが席を立った。彼が寝室に近い棚を眺めて客に背を向けた隙に、ヤマザキがポケットから点眼薬の様な小さな容器を出して、ハイネのグラスの中に1滴雫を落とした。ケンウッドが尋ねる前に彼は素早く容器をポケットに仕舞い込んだ。
 ハイネがブランデーの壜を持って席に戻った。空になっているヤマザキと彼自身のグラスに注ぎ、ケンウッドの前に壜を置いた。ご自由にどうぞ、と言うことだ。そしてヤマザキが謎の薬を入れたことに気が付かずにブランデーを飲んだ。

「もしセイヤーズを捕まえたら、ドームは彼をどうするつもりだい?」

 話を振られてケンウッドは我に返った。質問したパーシバルに顔を向けた。

「恐らく観察棟に入れて反省させるだろうな。セイヤーズは西ユーラシア所属だから、向こうから迎えが来るだろうし、それまでは幽閉するだろう。もっとも、この件に関しては、リプリーと話し合ったことがないんだ。リプリーはドーム内の粛正に忙しくて、地球上の何処かに隠れたドーマー1人に時間を割けない。」

 パーシバルが視線を向けたので、ハイネも仕方なく答えた。

「ケンウッド博士が仰せの通り、西ユーラシアに強制送還となるでしょう。その後の処分はあちらが決めることで、私は口出し出来ません。」

 ハイネはセイヤーズを本当は手放したくなかったのだ。γカディナ黴の病気で昏睡状態にいた間に、サンテシマ・ルイス・リンが無断で若いドーマーをドーマー交換に出してしまったのだから。
 パーシバルがケンウッドに向き直った。

「ニコ、早く長官になってセイヤーズを取り戻す算段をしてくれよ。僕はポールの辛そうな顔を見ると、心が痛むんだ。」
「君はポールの為にセイヤーズを取り戻したいのか?」
「勿論、セイヤーズも好きさ。あの子は性格が良いから、一緒に話をしたり運動しても楽しいんだよ。彼が居たら、きっと遺伝子管理局の雰囲気も変わるぞ。」

 するとヤマザキが口をはさんだ。

「クロエルが入局したら、ずっと明るくなるんじゃないか?」
「明るくなり過ぎて毎日お祭り騒ぎかも知れない。」

 いつの間にか話しの流れが新入局員の話題に変わった。わいわい言っているうちに、ケンウッドはハイネの口数が減ったことに気が付いた。見ると局長は目を半ば閉じてうとうとし始めていた。ブランデーの壜を見るとまだ殆ど減っていない。

「ハイネ、疲れたのかい?」
「いえ・・・ちょっと・・・」

 ハイネは頑張って答えたが、数分後にはパーシバルの肩にもたれかかって目を閉じてしまった。
 ケンウッドはヤマザキを見た。

「君が彼に何か盛ったな?」
「睡眠薬を1滴・・・」

とヤマザキが苦笑した。

「あまり大酒を飲んで欲しくないので、眠らせたんだ。大丈夫、明日の定時に彼はちゃんと目覚めるはずだ。」
「ばれたら絶交されるぞ。」

とパーシバルが脅かした。彼はハイネに囁きかけた。

「ハイネ、起きてベッドまで歩け。さもないとキスをするぞ。」

 しかしハイネは「うふん」と艶めかしい声を出したきりで、動かなかった。パーシバルは諦めた。

「きっとチーズの山でも見つけた夢を見ているんだろう。誰か、彼を運ぶのを手伝ってくれ。僕独りで抱っこするには大き過ぎるから。」




後継者 2 - 1

 副長官に就任すると仕事が増えた。兎に角書類仕事が多い。下にいる執政官達からの予算の申請やら実験報告やら実験計画書やら検体採取計画書やら、自身の研究に裂く時間がなくなるほどすることが多かった。
 元副長官リプリーはもっと仕事が多くて要領を得る迄の2,3ヶ月は長官執務室から出る暇がないほどだった。たまに食堂で顔を合わせると、長官と副長官は互いの仕事の愚痴を言い合って憂さ晴らしをした。そのうちにケンウッドはあることに気が付いた。
 長官就任当初、リプリーは何かを始める場合、先ず副長官のケンウッドの意見を求め、話合い、結論を出してから遺伝子管理局長を長官執務室に呼んで承認させていた。しかし、いつの頃からか、順序が変わった。リプリー長官は先ずハイネ局長を長官執務室に呼んで意見を求め、話し合って結論を出してから副長官を呼び、決定事項を告げるようになったのだ。
 ケンウッドにとっては、これは良い方向だと思えた。コロニー人同士で話を決めてしまい、地球人に承認させるのではなく、コロニー人と地球人が話し合って結論を出すのだ。
恐らくリプリーは最初からそうしたかったのだろう。だが彼はハイネに慣れていなかった。ハイネ局長は意見を求められても直ぐには答えない、と言う癖を持っていることを理解するのに時間がかかったのだ。だからリプリーは局長に嫌われているのではないかと心配だった。そえ故に仲介役としての副長官を先に呼んだのだ。しかし何度か面会するうちに彼もこの老ドーマーの扱い方を学習した。ハイネは自身の考えを他人に押しつけるのではなく、他人にもっと考えさせようとする。相手が熟慮の結果出した答えを、彼は支持するかしないか、なのだ。支持しない場合、執政官に逆らうなと教育されたドーマーは、「どうぞご勝手に」と言う態度を取る。長官はその態度から彼が反対していることを察しなければならない。
 リプリーはドーム内の綱紀粛正に取りかかっている。ドームの本来の目的から外れた研究をしている者や、地球人を下等動物扱いする者を探し出し、処罰することに力を入れていた。前任者サンテシマ・ルイス・リンのシンパだった執政官の処分はあらかた済んだ。降格、左遷、解雇、いろいろと処分が下され、執政官の入れ替えが必要となった。ケンウッドは大幅な人事異動で影響が出るコロニー人達の勤務シフトの練り直しを余儀なくされた。
 コロニー人の人事はハイネ局長には関係のないものだった。ハイネはリン一派に懐柔されたドーマー達の処分に神経を尖らせていた。ドーマー達は被害者であったが、その一方で与えられた優遇処置に浸りきって堕落しかけた者もおり、ドーマー仲間から顰蹙を買い、妬まれ、嫉まれたので、彼等には相応の対処が必要だった。リプリーはドーマーの処分をハイネにさせなかった。そんなことをすれば、ハイネが同胞から恨みを買うことになると、かつて事なかれ主義でコロニー人達から無視されていたこの長官は気を遣ったのだ。遺伝子管理局長が地球人仲間から孤立してはドーム行政そのものが遣り辛くなる。だから、リプリーは敢えて自身が悪役に徹した。思い切った処分にハイネが不機嫌になるほど、彼はドーマー達にもコロニー人と同じ様に公平に臨んだ。

「リプリーは腹が立つ人ですが、遣り手であることは確かです。」

 半年たったある晩、各メンバーの手が空いたので久し振りにハイネのアパートに4人が集まった。ハイネがまともな素性の地球産のウィスキーをグラスに注いで客達に配りながら、そう評価した。

「私なら頭でわかっていても、実際には勇気が出なくてやれないことを、彼はしっかりやってくれます。」
「君がそんな風に彼を褒めるなんて、驚いたな。」

とパーシバルが、ウィスキーのグラスを手に取って琥珀色の液体を照明にかざしながら言った。

「今回の3人のドーマーの処分は、行き過ぎだと批判するコロニー人もいるのに。」
「彼等は前長官から贔屓にされているのを良いことに、抗原注射の許可を勝手に取って、ドームの外へ遊びに出かけていたのです。それだけならまだしも、自分達で仕入れた嗜好品の密売までしていました。研究所助手から他の部署へ廻されても文句は言えないはずです。」
「だが、君はその処分に文句を言いたそうじゃないか?」
「私が文句を言いたいのは、下水処理の仕事が処罰になると思われていることです。業務に上下はないのに・・・」

 下水処理は実際はロボットの仕事で、人間は汚水槽の点検やロボットの作業の監視や機械のメンテナンスを行うのだ。コロニー人はドーマー達が汚れる仕事をするのを嫌がる。ドーマーは清潔でいなければならないのだ。だから左遷されたドーマー達は監視室でロボットの作業を見守るだけなのだが、研究助手をしていた人間には「落ちた」と思われるのだ。
 ハイネはどんな仕事も「罰」ではない、と言いたいのだ。リプリー長官が3人のドーマーに罰を与えたのは評価するが、左遷先を「罰」と見なす考え方は気に入らないと言っている。

「左遷された当人達が屈辱だと思っているなら、どんな仕事でも『罰』になるのだよ。」

とケンウッドがハイネをやんわりと諭した。ハイネはまだ部下を処罰することに慣れていない様だ。
 考えてみると、少し不思議だった。ハイネは生まれる前から遺伝子管理局長になると決められていたのに、実際にその任に付いたのは70歳を過ぎてからだ。15代目のランディ・マーカス・ドーマーは局長を30年務めたと言っていた。彼が引退したのは80歳頃だったから、局長に就任したのは50代か? ハイネは随分遅い就任になるのだ。マーカスも「ハイネをかなり待たせてしまった」と言っていた。ハイネが若さを保つ遺伝子を持っているからと言って、そんなに待たせてしまうものなのか?
 ケンウッドは思い切って彼に直接尋ねてみた。

「ハイネ、君は70代になってから局長に就任しているが、何故そんなに遅くなったんだ? 君は局長になる為に育てられたのだろう?」



2017年8月23日水曜日

後継者 1 - 6

 一般食堂に入ったのは、多くの住民が昼休みを終える頃だった。ローガン・ハイネ局長は普段から昼食はこの時間に摂っていたし、訓練生達も大人の邪魔をしない時刻に訓練所の外へ食事に出るので、彼等には「日常」の時間帯だ。ケンウッドの食事時間は曖昧だったので、彼は2日酔いの後の軽い食事を、と中華粥と野菜の煮物を選んだ。トレイを持ってテーブルを探すと、いつもの場所でヘンリー・パーシバルとヤマザキ・ケンタロウが座っているのを見つけた。近づいて行くと、彼等は既に昼食を終えるところだった。

「やあ、ケン、調子は良くなったかい?」

 ケンウッドが声を掛けると、ヤマザキが顔を上げた。彼もお粥のボウルを前に置いていた。

「ああ、ケンさん、なんとか生還したよ。」
「君は平気そうだな、ニコ。」

 パーシバルが笑いながら言った。この男は飲んだふりをしてあまり飲んでいなかった。雰囲気で酔える人間なのだ。

「なんとかね・・・彼には負けるが・・・」

 ケンウッドはレジで訓練生達とたわむれているハイネ局長を顎で指した。そちらに視線をやったパーシバルが目を輝かせた。

「おっ! クロエルちゃんがいるじゃないか!」
「どれが噂のクロエル?」

 ヤマザキは養育棟の担当ではないので少年達とあまり接点がなかった。クロエル・ドーマーの名前と評判は聞いたことがあるが顔は馴染みがなかったのだ。パーシバルがフォークで指した。

「ほら、ハイネの左にいるアフリカ系の南米人。」
「へぇ・・・でかいなぁ・・・」
「でも顔はめっちゃ可愛らしいだろ?」
「うん。美男子なんだろうけど、可愛らしいと言う言葉がぴったりだな。」

 ケンウッドはふと思いついて尋ねた。

「ヘンリー、クロエルのファンクラブも作るのかい?」
「いや。」

 パーシバルが即座に否定した。

「作ってやると言ったら、あの子は『めんどくせぇ』って言ったんだ。ポールみたいに取り巻きを連れて食事をしたりジムで運動するのは、御免なんだろう。」
「だけどファンはいるだろ?」
「うん。多分、訓練所を卒業したら人数が増えると思う。かなり面白いヤツだし、性格が良いから。」

 それでケンウッドはハイネがクロエルに柔術の試合を申し込んだ話を語った。ハイネ本人は訓練生に捕まって別のテーブルに行ってしまったので、遠慮なく話せた。
 ヤマザキが感想を述べた。

「要するに、ハイネは若造に教訓を与えたいが為に、試合をした訳だな?」
「どうだろ? チーズが絡んでいるとしたら、ただの3年越しの恨みを晴らしただけかも知れない。」

とパーシバル。

「それにしても、その試合を見たかったなぁ。僕はハイネが闘っているところを見たことがないんだ。ジムに居る時の彼は大概独りだからなぁ。殆ど単独演武だから舞を見ているようなもんだ。」
「しかし、組み合って動かない時間が長かったし、勝敗は一瞬で決まったから、見ていて楽しいかどうか・・・」
「クロエルも動かなかったのか?」
「彼は動きたくても動けなかった。ハイネにしっかり組み付かれて焦っていたのはわかったが・・・」

 2人の会話を聞いたヤマザキが訓練生達のテーブルを見た。クロエルは離れた場所から見てもでかい。ヤマザキは呟いた。

「よくあんなでかいのを倒せたなぁ・・・後で熱を出さなきゃ良いけど・・・」

 ケンウッドはその言葉を聞き逃さなかった。

「彼は完治したんだろ?」
「完治はしたけど、彼の肺は昔ほど元気じゃなくなっているはずだ。黴に痛めつけられた後で洗浄されたからね。薬も大量に投与されたから、若い頃と比べればかなり弱っている。だから完治宣言の翌日、彼がジョギングをすると言うので僕も伴走したんだ。」
「ああ、君が置き去りにされた、あの朝だな。」
「・・・まぁ、ジョギング程度なら平気だろうけど、用心するに越したことはない。無茶はさせないでくれよ。」

  ハイネの主治医は局長が82歳だと言うことを常に念頭に置いている。ハイネが40代の肉体を保持していても、ヤマザキの目には1人の年配者にしか見えないのだ。
 ケンウッドは食べながら会議の結果を尋ねた。

「どーってことなかった。」

とパーシバル。

「10年後の進路を母胎にいる段階から決めることはない、とリプリーが言うので、お開きになったのさ。」
「リプリーは10年もいるつもりはないんだろう。」
「ハイネだって今から子供達の将来を決めるつもりはなさそうだ。」

 ハイネは生まれる前から遺伝子管理局長になると決められてしまっていた。本当は何になりたかったんだろう、とケンウッドはふと思った。ドーマー達はドームの中にある職業に就く。ドームの外で成長していたら、もっと選択肢があったはずだ。
 少年達のテーブルでドッと笑い声が起きたので、そちらを見ると、クロエル・ドーマーが何やらおちょけた顔をして一同を楽しませていた。ハイネさえ大笑いしている。
 ヤマザキが呟いた。

「あの子は外に居たら、きっと芸能界で大成功していた口だなぁ・・・」





2017年8月22日火曜日

後継者 1 - 5

 胴着に着替えたハイネ局長と訓練生クロエル・ドーマーは格闘技場で向かい合った。渋々審判を引き受けた教官が号令を発すると、2人は礼をして組み合った。ハイネはクロエルの帯をすぐに掴んだが、クロエルには自身の帯を掴ませなかった。クロエルは力で相手をねじ伏せようとしたが、ハイネは動かない。クロエルは覚えた技を掛けてみたが効かない。しかしハイネに攻撃をさせないで動きを止めるのは成功した様だ。
 訓練生達が周囲を取り囲んでクロエルに声援を送った。おちゃらけたクロエルは仲間から浮いているかと思っていたが、そうでもないらしい。周囲に迎合するでなく、自分と言うものを保っているので、同級生達から信頼されている様だ。
 クロエルの顔から余裕の表情が消えた。相手を老人だと思って甘く見ていたのが過ちだったと気が付いたらしい。ハイネは年寄りだが、肉体は40代の男盛りだ。そして彼は若者を決して甘く見ていなかった。少しでも油断すれば必ずクロエル・ドーマーは見逃さないはずだ。ハイネの真剣さにクロエルも気が付いた。これは真面目にやらないと痛い目に遭う。
 相手の帯を掴めないまま、クロエルはハイネをもう1度捻り倒そうとした。しかしハイネは一瞬彼の帯を放したが、すぐに握り直しただけだった。
 審判をしている教官がケンウッドをチラリと見た。試合が長引くと局長が疲れる、と彼は心配したのだ。早く止めろ、と言うことか・・・とケンウッドは理解した。
 ケンウッドはハイネに声を掛けた。

「早く決着を付けろ! もう昼だぞ!」

 するとハイネが彼をチラッと見て、次の瞬間、クロエル・ドーマーを払い腰で倒した。一瞬の出来事で少年は我が身に何が起きたのかわからず、床の上でボーッとしていた。審判が局長の勝利を告げた。
 クロエル・ドーマーが立ち上がり、ハイネと向き合ってお辞儀した。

「参りました。」

と素直に彼が言った。ハイネが、流石に肩で息をしながら言った。

「君は体重があるから力で相手を倒そうとする。技をもっと勉強しなさい。教官の指導はきちんと聞いて体得すること。技を覚えれば疲れずに済む。」
「肝に銘じます。有り難うございました。」

 教官が訓練生達に昼休みに入るようにと声を掛けた。少年達が更衣室に走って行くと、彼はハイネに礼を言った。

「有り難うございました。クロエルは最近自分より強い者がいなくなったので、ちょっと天狗になっていました。今日のことで少し反省したはずです。」
「誰にでも経験はあるさ。私も久し振りに良い運動をさせてもらった。授業の邪魔をしてすまなかった。」

 教官と別れてハイネは更衣室に行った。ケンウッドは教官に尋ねた。

「クロエルは遺伝子管理局に入る予定かね?」
「そのはずです。」

 教官は端末に授業内容を記録しながら言った。

「あの子は外から来ましたから、抗原注射の必要がありません。それに維持班に入れればきっとエネルギーをもてあまして問題を起こすでしょう。」
「外の世界を懐かしがって逃げる恐れはないのか?」

 教官はその質問に驚いてケンウッドを見た。

「クロエルが逃げる? 確かに執政官にはそんな心配をなさる方もいらっしゃる様ですが、私はその可能性はないと思っています。」
「どうして?」
「彼はここが気に入っていますから。」

 教官はドーマーだ。ドームの外の暮らしを知らない人間だ。ドームの中が清潔で安全でこの世で最高の場所だと信じているのだ。

「ブラジルで彼がどんな扱いを受けていたのか、私は知りませんが、ここでは彼は執政官のペットではなく、1人の男として扱っています。誰もが彼と対等です。神様みたいなローガン・ハイネ・ドーマーでさえ、彼とケーキを取り合って真剣に喧嘩してくれるんですよ。彼はここの生活を楽しんでいます。」

 暫くして更衣室から賑やかに会話をしながら男達が出て来た。中心に居るのはハイネとクロエルだった。ハイネが少年達に宣言した。

「今日の昼食に君達全員にフローズンヨーグルトを1杯ずつ奢ろう。」

 少年達が歓声を上げた。クロエルはハイネの手を取って甲にキスをした。

「局長、これから2度と貴方のチーズケーキを取らないと誓います。」

 ハイネは彼の肩を叩き、少年の群れを離れてケンウッドの横へやって来た。
 ケンウッドがお疲れ様と言うと、彼はちょっと愚痴った。

「もう少し早く声を掛けて下さいよ。危うく限界に来るところでしたよ。」
「そうかい? 君は全然余裕だったと思ったが・・・」
「いかなる時も余裕があると見せかけろと、子供時代に仕込まれたんです。」






2017年8月21日月曜日

後継者 1 - 4

「こんにちは、ケンウッド先生、ローガン・ハイネ!」

 少年が挨拶すると、近くに居た教官が怒鳴った。

「クロエル! 局長を呼び捨てにするとは、失礼だぞ!」
「かまわないさ。」

 ハイネ局長は教官に手を振って制した。クロエルは舌を出して見せた。ケンウッドは笑うしかなかった。この父親が不明の為に父親の名前をもらえなかったクロエル・ドーマーは、何時も何かしでかして養育係や教官から叱られるのだが、当人はすぐケロリとして反省の色が見られない。だが、決して馬鹿ではなかった。彼が忘れるのは「彼自身の嫌な思い」であって、叱られた事実ではない。だから同じ失敗はしないし、記憶力は人並み以上だ。コンピュータの画面いっぱいに書かれた文章を一瞬で読み取り理解する能力を持っている。

「僕ちゃんとハイネ局長は永遠のライバルなんすよね?」

 ハイネとは真逆の早口で彼は喋った。スペイン語訛りがあるので、慣れないと聞き取りにくいかも知れない。

「何のライバルだね?」

とケンウッドは尋ねた。授業中ふざけられると腹が立つが、クロエルは面白い発想をする子だ。教官としては嫌いになれない生徒だ。クロエルは自身の縮れた髪を手で撫でた。

「ありとあらゆることですよ、先生。」

 彼はハイネを見てウィンクした。するとハイネが突然提案した。

「クロエル・ドーマー、私と一本お手合わせを願いたい。」

 ケンウッドは思わずハイネの顔を振り返った。若さを保っていると言っても、ハイネは82歳だ。しかも退院してまだ1ヶ月。さらに言えば、昨晩大量に酒を飲んでいた。対してクロエルは19歳、ピチピチの活きの良い若者で、身長はハイネと同じだが肩幅はずっと広い。ハイネが華奢に見えてしまうほど体格が良かった。
 教官も驚いて、局長に思いとどまってもらおうとした。

「局長、この子は教えた通りに動きません。無茶な・・・」
「実戦では教科書通りに闘わないだろう?」

 実戦経験が全くないハイネが教官を遮った。彼は更衣室に向かって歩き出していた。

「クロエル、おまえが勝ったら3年前の貸しをチャラにしてやる。」
「そうですか? んじゃ、僕ちゃんも本気出しちゃいまーす!」

 クロエル・ドーマーが準備運動を始めた。教官がケンウッドに言った。

「局長を止めてくれませんか? 何かあれば私がワッツ・ドーマーや長老達に叱られる。当然、執政官からも厳罰を受けます。」

 ケンウッドはハイネの気まぐれに戸惑っていた。まさか少年と勝負するのが目的で養育棟に来たのではあるまい。何故こんな展開になるのだ?
 ケンウッドは準備運動をしているクロエルに声を掛けた。

「クロエル・ドーマー、3年前の貸しとは何だね?」

 クロエルが動きを止めて答えた。

「僕ちゃん、食堂で最後に残っていたチーズケーキを取ったんす。初めて養育棟から出してもらった日で、ルールがわかんなくて・・・。そのケーキは司厨長が局長の為に残してたんすよ。そんで、ローガン・ハイネが怒っちゃって・・・。」

 ケンウッドは思わず大笑いしてしまった。




2017年8月20日日曜日

後継者 1 - 3

 訓練所は16歳から20歳前後の若いドーマー達が職業訓練を受ける場所だ。彼等は10歳の頃に大方が将来の職業を決められてしまうので、その進路に合わせて勉強する。勿論、訓練所で異なる適性が発露されて進路転換することも可能だ。つまり、ドーマーにとっては訓練所時代が一生を決める大切な時間と言うことになる。
 生まれながらに遺伝子管理局長になると決められていたローガン・ハイネ・ドーマーにとっては唯の「高校時代」みたいなものだろう、とケンウッドは思った。彼はここで仕事のやり方を学んだが、他の子供達とは全く別のことを教わったはずだ。つまり、「いかにして部下や後進を指導して行くか」と言うリーダーとしてのあり方だ。
 ケンウッドはとっくに気が付いていた。ハイネの喋り方が他のドーマーと異なると言うことを。発声からして違う。ハイネは低い声で話しても相手の心に響く様な音声で話す。抑揚も話す速さも発音も全部計算し尽くした様な話し方だが、勿論本人は自然に話している。彼を教育した執政官が、彼がリーダーとして人前で話すことを想定して幼児期から訓練したのだ。だから、初めて彼と対面するコロニー人達は、古い映画で見る地球の王侯貴族を彼の話し方から想像してしまう。そして彼の独特の容姿と合わせて彼は高貴な血統の生まれなのかな、と思うのだ。
 その日訓練所に居たのは15名の若者達で、ケンウッドの授業を受けた経験があるのは3名だった。勿論遺伝子管理局に入局が決まっている少年達だ。彼等は、ケンウッド先生とハイネ局長の見学に気が付くと、一気に緊張した。ケンウッド先生が副長官に就任したことは少年達にもとっくに伝わっており、彼等は「凄い人」に教わったことを誇りに感じた。その「凄い人」が、局長と言うドーマー界の超大物と同行して参観しているので、緊張度マックスだ。その時、彼等は護身術の訓練中だった。これは少年達全員が受けるので、15名の若いドーマー達はドーム幹部に「いいところ」を見せようと張り切った。
特に遺伝子管理局局員候補生3名と保安要員候補生2名は地球人らしい見事な筋肉を動かして格闘技を披露した。

「あの子・・・」

とハイネがケンウッドに1人の少年を指して囁いた。ケンウッドもその少年に気が付いていた。とても目立つのだ。身長はハイネと同じくらい高い。肩幅が広いがっしりとした印象だが、動きを見ているとかなりしなやかだ。筋肉も綺麗にバランス良く付いている。少年の肌は浅黒い。汗でキラキラと輝いている。アフリカ系とアメリカ先住民の血が混ざった南米系の少年だ。勿論、局員候補生なので、ケンウッドは彼を教えたことがある。正直なところ・・・

「あの子は落ち着きがなくてね・・・」

とケンウッドは囁き返した。

「かなりおちゃらけた性格で、養育係も手こずっている。」
「知っています。かなり特殊な生まれの子ですから。」

 少年は母親の胎内に居る時点でドーマー候補に選ばれたのではなかった。新生児誕生リストに載った段階で、母親が出産を拒否した。母親にも子供にも不幸なことに、性犯罪で宿ってしまった生命だったのだ。母親は堕胎を希望し、母親の家族も彼女を保護した警察も診察した病院も彼女の希望を受け容れてくれるよう、担当支局に訴えた。
 地球人類復活委員会は、この世に生を受けた者を大人の事情で排除することを良しとしなかった。彼等はアメリカ・ドーム南米分室に命じ、母親を保護し、胎児を生きたままで母胎から取り出した。胎児は直ちに人工子宮に入れられ、母親は子供が死んだものと思い込み、分室を去った。南米分室は胎児を育て、新生児としてこの世に出した。
 普通なら、その子は養子に出されるはずだった。しかし、父親が誰なのか判明しなかった。父親は遺伝子管理局のリストに載っていない違法出生者だったのだ。遺伝子履歴が判明しない子供はドームの外に出さない、と言う遺伝子管理法が適用され、その子はドーマーとして育てられることが決定した。ところが、ここで予想外のことが行われた。
 南米分室のスタッフ達は、その子がとても可愛らしかったので、ドーム本部に送らずに自分達で育てることにした。これは勿論違反だ。しかし、南米の大らかさで、彼等は自分達の決定を本部に連絡することもなく、その子供を育てた。まるで子犬を可愛がる様に、その子は自由気ままに分室と外の世界を行き来して、一般人と混ざって遊んでいた。
 何時まで経っても南米から子供が送られて来ないので、本部から連絡を受けた月の委員会から視察団が南米に行き、その子を発見した。子供は既に5歳になっていた。分室スタッフは更迭され、大規模な人員入れ替えが行われた。その間、子供は南米に留め置かれたままだった。遺伝子管理局長ランディ・マーカスが再三にわたって月の委員会執行部をせっつき、やっと子供が北米のドーム本部に来たのは9歳になる直前だった。
 外の世界を知っている子供を他の幼いドーマーと一緒には出来ない。執政官達はそう判断した。その子は隔離養育された。教育の大本からのやり直し、子供の人としての認識の書き換えだ。南米分室での公用語はスペイン語とポルトガル語だったので、子供は英語教育もみっちり仕込まれた。厳しい教育を受けたのだが、その子は天真爛漫さを失わなかった。

「あっ! ローガン・ハイネとケンウッド先生だ!」

 局長を呼び捨てにして、少年が仲間から離れて2人の見学者のそばへ駆け寄って来た。

後継者 1 - 2

 養育棟はドームの中にあって別世界だ。そこでは新生児から15歳迄の少年少女が大人社会から隔離されて養育されている。彼等はひたすらドーマーと呼ばれる特殊な生活環境で生きる地球人として教育されるのだ。コロニー人には決して反抗しないが地球人としての誇りは持つこと、ドーマー達は全員家族で、血縁など絶対に意識しないこと。ドーマーの親は執政官であり、ドーマーの子は地球全体の子供であって個人の子供ではないこと。
 要するに、コロニー人がドーム行政を行うに当たって、都合の良い労働者を養育しているのだ。それがケンウッドの認識だった。子供達は誕生と同時に親から引き離され、親は代わりにクローンの女の子を与えられる。そして我が子だと信じて家族が待つ我が家へ帰って行く。残された子供達の大半は養子として外へ出されるが、執政官会議でドーマーとして採用が決まっている赤ん坊だけがドームに残され、ドーマーとして育てられる。
 ケンウッドはローガン・ハイネ・ドーマーと共に養育棟の建物に入った。IDをチェッカーにかざしてセキュリティを通り、通路を歩いて行くと、やがて賑やかな子供達の声が聞こえてきた。
 ハイネがこの3年間闘病生活をしていたので、現在新生児から3歳迄の子供はいない。現在いるのは3歳から6歳迄の幼い子供達8名だけだ。本来なら20人前後はいなければならないのだが。だからハイネは今回の会議で6名の補充を申請した。1年間に6名は多いのだが、3年のブランクがあるので仕方が無い。
 子供達は丁度砂場遊びの時間だった。室内に設けられた砂場で自由に転げ回って遊んでいた。相撲をしている子供や砂で何か山やらを作っている子供、ただ這いずり廻って砂の感触を楽しんでいる子供・・・。
 監督している養育係の執政官が副長官と遺伝子管理局長に気が付いて会釈した。幹部の見学は久し振りだ。前任者のリン長官の時代は殆ど誰も来なかった。養育棟は忘れられたのかと思われるほど、前任者は無関心だったのだ。だから、養育係は、ケンウッド副長官がニコニコしながら子供達を眺めているのを見て、心から安堵した。そしてハイネ局長が無表情なのを見て肩をすくめた。ハイネはドーマーだから、ここで育ったのだ。そしてドーマーだから、幼い者を見ても無感動だ。関心はあるのだが、幼子が可愛いとか、そんな人としての当たり前の感情がドーマー達には乏しい。女のドーマーはやはり母性本能があるのか、子供達を見ると触りたがるし、話しかけてみたり、抱いてみたりする。
 ケンウッドも隣に立っているハイネの無反応に気が付いた。ハイネは子供達が成長した時にどんな能力を発揮するか、それだけを想像しながら見ているのだ。友人のそんな様子に、ケンウッドは心の奥底で何かチクリと痛みに似た感情を覚えた。

 彼をこんな風にしか子供を見られない人間にしてしまったのは、我々執政官の責任だ。

 ケンウッドはわざと質問してみた。

「ハイネ、自分の子供時代を思い出したのかね?」

 ハイネが首を動かして彼を見た。

「半世紀以上も昔のことをですか?」

と彼が聞き返した。

「70年も前ですよ? 忘れてしまいましたよ。」
「そうかい? ダニエル・オライオンと遊んだろ?」

 言ってしまってから、ケンウッドは後悔した。オライオンは禁句にすべきだったろうか? しかし、ハイネは砂場に視線を戻し、そう言えば、と呟いた。

「砂の中が冷たくて気持ちが良かったです。ダニエルと2人で砂に潜って髪の中まで砂だらけになりました。養育係に叱られましたっけ。」

 と、彼は砂場の子供に不意に声を掛けた。

「おい、そこの坊主、砂を食うな!」

 養育係が慌てて砂を口に入れた子供の方へ走った。ケンウッドはちょっと安心した。ハイネは無感動なだけで無関心ではない。ちゃんと子供達の安全に気を配って観察していたのだ。養育係の助手のドーマー達が砂を食べるなと子供達に注意を与えるを聞きながら、2人はそこを後にした。
 次は訓練所だ。

2017年8月19日土曜日

後継者 1 - 1

 ニコラス・ケンウッドは大会議場を出ると一直線に最寄りのトイレに駆け込んだ。ドアの中に跳び込むと、驚いたことに洗面台の前にハイネ局長が立っていて手を洗っているところだった。ハイネはいきなり跳び込んで来たケンウッドにちょっと驚いた様子だったが、すぐ自身の背後の個室のドアを振り返った。閉じられたドアの向こうで「おえっ!」とヤマザキ医師の声が響いた。
 ケンウッドも空いている個室に跳び込んだ。ドアを閉じるのももどかしく、すぐに便器の上に体をかがめた。
 なんとか胃の中の物を出して楽になったので個室から出ると、壁にもたれてハイネがクックと笑っていた。

「『スリーピーボーイズバーボン』ですな?」
「そうかい?」
「あれを飲んだのは貴方とドクターの2人だけです。」
「口当たりの良い、飲みやすい酒だった・・・」
「あの酒は飲んでから数時間後に胃にくるのです。私はあれを初めてもらった時に酷い目にあったので、昨夜はパスしました。」
「一言言ってくれれば良かったのに・・・」
「コロニー人は大丈夫だと思ったんですよ。」
「2人で1本空けてしまった・・・」
「平気そうに見えましたがね。」
「飲んだ時は平気だった。会議中におかしくなったんだ。」
「ドクターはもっと早くに影響が出ていました。」

 すると、個室から声がした。

「アジア系は肝臓がそんなに強くないんだよ!」

 数分後、ヤマザキがまだ白い顔で個室から出て来た。洗面台で顔を洗い、口をゆすいで、やっと落ち着いた様子だった。

「局長は養育棟に行くんじゃなかったのかい?」
「これから行きますよ。貴方方が跳び込んで来たので、心配で様子を見ていただけです。」

 それでケンウッドはリプリー長官から休む許可をもらったことを思い出した。

「長官が気を利かせてくれて会議を休めるんだ。私も養育棟を見学に行っても良いかな?」
「どうぞ。」

 ヤマザキは哀しそうな顔をした。

「僕はコートニー医療区長が会議を欠席しているので、議場に戻る。」
「無理するなよ。」

 ケンウッドの思いやりの言葉にヤマザキは感謝の意を込めて微笑んだ。そしてハイネを見た。

「ところで、局長、貴方に酒を与えたのは誰です? ドーム内でドーマーに酒を販売出来るのはバーだけで、しかも店から持ち出し禁止のはずだが?」

 しかし、簡単に口を割るハイネではなかった。

「世の中、いろいろと親切にしてくれる人が大勢いましてね、その人々の善意を踏みにじる様な行いは、私にはとても出来ません。」
「ローガン・ハイネ・・・」
「あの部屋の中の酒の種類の数ほどの人数の名前をここで挙げろと仰っても無理です。」

 老獪な局長はニヤリと笑った。

「貴方は少なくとも5人の方の善意を飲まれましたし・・・」



2017年8月18日金曜日

侵略者 11 - 3

 その日の執政官会議は久し振りにドーマー採用検討会だった。出産管理区の責任者キーラ・セドウィック博士が次年度の新生児誕生予定票を中央の会議テーブルの3次元スクリーンに立ち上げた。白い文字で書かれた番号の新生児が取り替え子にされる子供達だ。これらの子供達の選定は先の執政官会議で為されているので討論の対象ではない。白文字の新生児の母親の名前の後ろに付けられた赤い星印、それがドーマー採用候補の印だった。赤い星を付けるのは遺伝子管理局長の仕事で、親の人種、職業、収入、社会的活動、地位、宗教などが選定要素とされている。さらに一人の母親が産む子供に関して、2人以上の取り替え子はしない。この年の採用予定数は6人で、ハイネは27人の候補に赤い星を付けていた。その27人の中から6人を選ぶのは執政官の仕事で、会議で何故その子供をドーマーにするのか、ドーマーにふさわしい遺伝子なのか、とことん話し合う。話合いの結果次第では6人未満になる場合もある。
 執政官達が話し合っている間、遺伝子管理局長は腕組みをして目を閉じ、船を漕いでいた。退屈なのだ。ドーマーになる予定の新生児はまだ母親の胎内にいるのだし、ドーマーとして取り替えられても、配属される部署が決定するのは10歳になる迄待たねばならない。地球人の出番は当分ない。だからハイネ局長は堂々と居眠りをしていた。
 副長官のケンウッドはそんなハイネが羨ましかった。昨晩、ホストのハイネが一番大量に酒を飲んだはずだが、少しも顔に出ない。誰にも気づかれていない。

 だから今まで彼に飲酒の習慣があるなんて誰1人夢にも思わなかったのだ。

 ケンウッド自身は二日酔いではないが、全身がだるくて早く横になりたかった。
 ヘンリー・パーシバルは自身の専門分野の研究に役立ちそうな新生児がいないので、無関心を装ってファンクラブと机の下でメールのやり取りをしていた。少し眠たそうだが、ケンウッドは助けてやれない。
 ヤマザキ医師は可哀想に宿酔で顔色が良くなかった。下を向くと気分が悪いのが酷くなるので顔を上げている。医療区の仕事が立て込んでいると言い訳して帰れば良いのに、とケンウッドは同情した。
 隣に座っていたリプリー長官がケンウッドに囁いた。

「昨夜は随分盛り上がったようですな。」
「お恥ずかしい・・・」

 ケンウッドも囁き返した。

「久し振りなので調子に乗りすぎました。次回は長官もいかがです?」

 リプリーが苦笑した。

「遠慮します。私は下戸なんだ。」

 その時、執政官の中からハイネ局長を呼ぶ声が聞こえた。

「局長、遺伝子管理局は新人を何人希望するのですか?」

 ケンウッドはそちらへ目を向けた。男の執政官が立ち上がってテーブル上の3次元リストを指しながら、数人の新生児にチェックマークを付けていた。
 ハイネは目を開いて面倒臭そうに応えた。

「そんな20年も先のことなんか、わかりませんよ。第1、私は生きていないかも知れない。」
「そんなぁ・・・」

 と執政官が不満気に声を上げた。

「局長が生きていないのだったら、僕等はなおさらだ。」

 議場内で笑いが起こった。ハイネは立ち上がった。

「20年先に人員の補充が必要かどうか、これから養育棟へ行って子供達を見て来ます。」

 意味不明のことを言い、彼は誰の返事も待たずに議場を出て行った。執政官達は呆気にとられた。討議はハイネ抜きでもかまわないが、彼が出て行った理由がわからないのだ。
 その時、ヤマザキ医師が立ち上がった。

「すみません、ちょっと席を外します。」

 顔が真っ青だ。リプリー長官が頷いて了承を伝えると、彼はすぐに出て行った。
 パーシバルがそれを見送り、ケンウッドを見た。ケンウッドは自身も胃がむかむかしてくるのを感じた。

 まさか、2日酔い?

  彼はリプリーに向き直った。

「長官、私も中座させて頂きます。どうも・・・体調が良くなくて・・・」

 リプリーは呆れるより先に笑った。

「この後が無理なら休んでもらって結構。会議で決まったことは後でメールしておく。」
「よろしくお願いいたします。」

 ケンウッドまでが立ち上がったので、パーシバルが不安気に見た。この男は何にも感じない様だ。ケンウッドは彼に微かに頭を下げ、急いで議場から出て行った。





2017年8月17日木曜日

侵略者 11 - 2

 ローガン・ハイネ・ドーマーの部屋は、コロニー人・ドーマー共通の妻帯者用アパートにあった。それも最上階の角部屋、一番上等の部屋だ。彼を育てた執政官達は、彼に最上級の部屋を与えたのだ。その証拠に、ハイネの部屋は本当に半世紀以上たった古い家屋の雰囲気を持っていた。部屋の数や配置は他の妻帯者用と変わらないが、寝室もリビングも少し広い。造り付けの家具もリフォームされた形跡が全くなくてアンティークなデザインのままだ。アパート自体はドームが建設された200年前から存在するが、インテリアは住人が替われば改装されるのが常で、古いインテリアは住人が交替していない証拠だった。
 ケンウッドは同僚の部屋に訪問したことが何回かあるが、殆どの執政官が仮住まいらしい質素な生活をしており、趣味の品物と研究資料しか部屋に置いていない。もっとも彼はドーマー用のアパートに入ったことがないので、ドーマー達がどんな私生活をしているのか知らない。部屋の造りはコロニー人もドーマーも同じはずだが。
 ハイネの部屋の装飾は、酒瓶だった。地球内外の綺麗なデザインの酒の容器が棚に並べられていた。狭いキッチンの食器棚もほとんど酒瓶だ。中身が入っているものがあれば、完全な未開封品もあった。酒瓶が載っていない棚はグラスが占拠していた。
 ケンウッドが見とれている間にハイネは寝室に入ってスーツから部屋着に着替えた。ケンウッドも上着を脱いでタイを外し、ポケットに入れた。楽な姿になった時に、ヘンリー・パーシバルとヤマザキ・ケンタロウがやって来た。室内に入るなり、2人は酒瓶コレクションを見て思わず歓声を上げた。

「ドームのバーに負けていないぞ、これは!」
「ハイネ、まさか毎晩飲んだくれてるんじゃないだろうな?」
「飲むのは次の日に大事な会議が入っていない夜だけですよ。」
「それじゃ、ほぼ毎晩だ。」
「違いますって!」

 寝室でハイネが怒鳴った。パーシバルはケンウッドを見てニヤリと笑い、手土産の箱を掲げて振って見せた。

「素直に白状しないと、ポン・デ・ケイジョをやらないぞ。」

 次の瞬間、電光石火の早業でハイネが寝室から跳びだして来てパーシバルを抱きしめた。

「本当に飲んでませんって、信じて下さい、愛しいヘンリー!」
「君が愛おしく思っているのはポン・デ・ケイジョだろ!」

 ケンウッドとヤマザキは腹を抱えて笑った。
 パーシバルを放したハイネが棚の説明をした。寝室に近い棚に蒸留酒、キッチンの棚は醸造酒、テレビのそばの棚は混成酒で、各上段が地球産、下段がコロニー産、それぞれ10種ずつ冷蔵庫で冷やしてあり、氷は充分用意してあること・・・。

「お好きなものをお好きなだけどうぞ。つまみは食品庫からご自由に出して召し上がって下さい。」
「待て待て、まずはケンさんが副長官に就任した祝いだ。」

 ヤマザキがワインの壜を冷蔵庫から出して、4つのグラスに注いだ。それで
4人でケンウッドの副長官就任と健康を祝福して乾杯した。
 次にまたヤマザキがグラスを満たし、ハイネの全快祝いだと言って乾杯した。

「忙しくて今まで祝えなかったからね。」
「それじゃ、次は僕だ。ポール・レイン・ドーマーがリンから開放されたお祝いだ。」

 それから4人はダリル・セイヤーズ・ドーマーが逃げたきり見つからないことに自棄酒だ、と乾杯し、その日出産管理区で赤ん坊が18人生まれたことを祝福して乾杯し、もうすぐ日付が変わると言って乾杯し・・・
 ケンウッドが喉の渇きで目が覚めた時、午前3時前だった。1,2時間しか眠っていないが、彼はいつの間にか入り込んでいた小寝室から出て、水を飲んで室内を見廻すと、ソファの上でヤマザキが寝込んでいた。主寝室のドアが開放されたままで、2つあるベッドの片方だけに何故かハイネとパーシバルが仲良く寝ていた。と言っても、パーシバルは壁にもたれかかって鼾をかいており、ハイネは彼の膝に頭を預けていた。

 確かに、ヘンリーはハイネをチーズで手懐けている。あの馴れ馴れしさは行政を担う者同士には不適切だな。

 ポン・デ・ケイジョの箱を覗くとまだパンが残っていたので、1個口に入れた。弾力のあるパンを噛んでいると頭が冴えてきた。もう少し寝たかったので、1個だけで止めて、また小寝室のベッドに戻った。

 ここで酒を飲んでしまったら、もう没収は出来ないなぁ・・・

そんなことをぼんやり思い、再び彼は眠りに落ちた。

2017年8月16日水曜日

侵略者 11 - 1

 翌朝の執政官会議でリプリー新長官とケンウッド新副長官はアメリカ・ドーム執政官達から名実共にトップに承認された。この会議には勿論遺伝子管理局長も出席しており、執政官の何人かはハイネの顔色を伺うかの様に、そっと彼の方を見た。ハイネは普通に新長官と新副長官を承認する拍手をして、会議は無事終了した。
 会議が解散すると、リプリー長官はケンウッド副長官、クーリッジ保安課長、ハイネ遺伝子管理局長を長官執務室に呼んだ。そして4名のドーム最高責任者によるマザーコンピュータアクセス権の書き換えを行った。サンテシマ・ルイス・リン長官の権利を削除して、リプリー副長官の権利も削除すると、次にリプリー長官の権利とケンウッド副長官の権利を登録する。2名を削除して2名を新たに登録するので、変化しない2名、クーリッジ保安課長とハイネ遺伝子管理局長の作業が多くなり、全てのコードの書き換えに夕方迄かかってしまった。リプリーにとっては2回目、クーリッジ、ハイネにとってこれは3回目の経験だったが、ケンウッドは初めてだったので戸惑ったし、閉口した。

「この4名の中の誰か1人でも交代すれば、その度にこの作業が待っているからなぁ。」

とクーリッジ保安課長がぼやいた。するとハイネが

「4名全員が1度に交代すればどうなるのです?」

と尋ねて、保安課長を考え込ませた。リプリーが長官らしくその点は学習しており、

「他のドームの長官が立ち会うのだ。地球人はそれとは別のドームの遺伝子管理局長が担当する。新人に手順を教えなければならないからな。旧メンバーは立ち会えない。新規のパスワードを覚えられてはいけないからだ。」
「理解しました。」

 ハイネが殊勝に新長官に頭を下げて見せた。
 ケンウッドは自身が地球の最高機密を扱うコンピュータのアクセス権を持ったことがまだ信じられなかった。

「私がこのコンピュータを呼び出すことがない様に祈っています。億と言う地球人の運命を背負っていると考えただけで押しつぶされそうな気分です。」

 ハイネがチラリと彼を横目で見た。貴方はそんなちっぽけな玉かい? と言われた様な気がして、ケンウッドは大きく息を吸った。

「勿論、責任を投げ出す様なことは絶対にしません。」

 リプリーが苦笑した。

「私が言おうと思ったことを言わないでくれないか、ケンウッド副長官。」

 上位の者の喋り方が少し様になってきた。
 長官室の外に出て隣の会議室で仕事をしていた秘書達がやっと呼ばれて戻って来た。

「皆さん、お食事もまだなのではありませんか?」

とロッシーニ・ドーマーが心配して声を掛けた。リプリーが首を振った。

「ああ、今日はこれで終わりだ。みなさん、ご苦労様でした。解散としよう。」

 ケンウッドが気を利かせて、一緒に夕食でも、と声を掛けたが、リプリー長官はまだ書類整理があるので携行食で済ませる、と言った。彼は秘書達に帰宅を許可したので、残りの人々は長官室を辞した。
 通路に出ると、クーリッジ保安課長もまだ用事があるから、と保安課本部へ足早に立ち去り、ケンウッドとハイネの2人だけが残った。ハイネが尋ねた。

「どちらの食堂にします?」

 ケンウッドはアパートに近い中央研究所にしようか、気安く食事が出来る一般食堂にしようかと迷った。ハイネは一般食堂の方が好みだな、と思ったのだが、そのハイネが

「今日は疲れたのでアパートに近い方にしませんか?」

と提案したので、結局中央研究所の食堂に出かけた。
 遅い時刻になっていたので、食堂は空いており、マジックミラーの壁の向こうの出産管理区も半分照明が落とされていた。妊産婦達の食事時間はとっくに終わって、一部のスタッフが利用しているだけだった。
 夜も遅いので、ハイネは軽いサラダやデリカテッセン類だけを取った。ケンウッドもメインを少量だけ取り、サラダ類だけでお腹を満たした。
 2人で静かに食べていると、やがてハイネが話しかけて来た。

「昨日は15代目と何を話しておられたのです?」
「気になるのかい?」
「あの後で爺様を『黄昏の家』に送って行く時、あの人が妙に静かだったので。喋り疲れたのだと推測しました。」

 ケンウッドは思わず笑った。ハイネは更に続けた。

「エイブラハムとジェレミーも貴方の秘書を連れてサロンに移動していましたし・・・」

 ケンウッドは隠し事は好きでなかった。しかし真実が必ずしも善と言う訳でもない。

「副長官としての心得を講義してもらったんだよ。」

 これは嘘ではない。半世紀前の執政官が犯した過ちを教えてもらったのだ。支配者側の身勝手な考えで1人の若いドーマーの心を深く傷つけてしまったと言う過ちを。マーカス・ドーマーは人間の純粋培養計画の愚かさを伝えてくれた。人間を動物園の希少動物みたいに扱うことの恐ろしさを教えてくれた。
 ハイネは、その恐ろしい体験をした本人はとっくにそれを乗り越えたのだろうが、ケンウッドの顔を眺め、ふーん、と言ったきりでそれ以上は聞かなかった。
 ケンウッドの端末に電話が着信した。出ると、ヘンリー・パーシバルだった。

「もうコード書き換えは終わったのかい?」
「うん。今、ハイネと2人で晩飯中だ。」
「どこで?」
「中央・・・もうすぐ終わる。」
「飲まないか? ちょっとお祝いしたい。」

 するとハイネがその声を聞きつけてケンウッドに囁いた。

「よろしければ、私の部屋で飲みませんか?」

 ケンウッドは思わず彼の顔を見た。もしもし? とパーシバルが声を掛けた。
ケンウッドはハイネを見たまま、端末に言った。

「ハイネが彼の部屋に来いとさ。」
「マジ?」

 パーシバルの声のトーンが上がった。

「行って良いのか?」

 ハイネが声を出した。

「どうぞ、ご遠慮なさらずに。」
「そんじゃ、ヤマザキも連れて行くぞ?」
「どうぞ。」

 ケンウッドは時間を打ち合わせして電話を終えた。ハイネが可笑しそうに言った。

「あちらは既に飲んでますね。」
「その様だね・・・ハイネ、今夜は覚悟しておいた方が良いぞ。明日は遅刻するかも知れない。」


侵略者 10 - 14

 ケンウッドは、ローガン・ハイネ・ドーマーとキーラ・セドウィック博士の言動を思い出してみた。
 彼女は、世の中の娘が父親に振る舞う様に振る舞っていた様な気がした。彼の身の回りの世話をして、彼を守る為に小細工を縫いぐるみに仕込み、彼のミスを見つけて叱ってみたり・・・。彼を抱きしめてキスをした時、唇にだけしなかったのは、男女の仲ではなかったからだ。
 一方、ハイネは女装した折にキーラに似ていると当時のリン長官に気づかれない様に用心深く行動した。彼女に言いたい放題やりたい放題させているが、怒るでもなく、かと言って無視するでもなく。
 互いに父と娘だと知っているに違いない。キーラは母親から地球にいる「囚われの身」の父親の話を聞かされていたのかも知れない。しかし、よもや任務で地球を訪問した時に、同じ事件を捜査する者同士として出会うとは夢にも思わなかっただろう。あまりにも特徴があり過ぎるハイネの姿を見て、彼女は彼が父親だとわかったのだ。

「キーラ博士は警察官として来たのですね?」
「そうです。彼女は1度宇宙へ帰りましたが、元々母親と同じ研究者としての修行もしていたのでしょうな、次は2年後で、産科医として派遣されて来ました。」

 最初の出会いの時は、恐らくハイネは何も知らず何も気が付かなかった。マーサ・セドウィックによく似た若い女性がセドウィック姓を名乗っても、全く気が付かなかった。
多分、キーラの方から正体を明かしたのだ。ドーマーの父親は一体どんな反応をしたのか、それはケンウッドには想像がつかなかった。マーカス・ドーマーもそこまでは語らなかった。

「先月、月から地球人類復活委員会の幹部が3人、ここへ来たそうですな。」

とマーカス・ドーマーが尋ねた。ケンウッドが肯定すると、彼は「ふん」と鼻先で笑った。

「きっと連中はさも懐かしげにローガン・ハイネをそばへ呼び寄せたのでしょうよ。」
「ええ、会議の後の夕食で・・・」
「誰と誰でしたっけな?」
「ハレンバーグ委員長、シュウ副委員長、ハナオカ書記長です。」
「ハレンバーグは西の回廊でローガン・ハイネを捕まえた張本人です。私は遺伝子管理局の局員で、あの日内勤でしたから、ハイネの追跡を命じられました。しかし、私が回廊の入り口まで行ったら、もう終わっていました。ハレンバーグが手錠を掛けたハイネを回廊から引きずり出すところでした。ハイネが泣いていたので、私は仲間に見るなと言いました。執政官達がドーマーのリーダーにするつもりで育てた男が泣いているのを見るべきではないと思いました。
 シュウは、色仕掛けでハイネに迫った女性執政官の1人です。彼と関係を持ったことは確かです。だが魅力ではマーサ・セドウィックに負けたのでしょう。マーサが彼と深い仲になったと勘付いて上層部に密告した女達の1人ですよ。」
  
 あの会議の後のディナーの席でハイネは幹部達にキスをした。あれは、親愛の情を示したのではなく、ただのパフォーマンスだったのだ。親愛どころか憎しみを抱いていたって不思議でない相手だった。

「ハナオカ書記長は?」
「彼はただの執政官でした。ハイネにも私にも日常顔を合わせて挨拶して世間話をするだけの人でしたよ。無害なコロニー人でした。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーがコロニー人を嫌う理由が、ケンウッドに明かされた。ケンウッドはマーカス・ドーマーがこんな立ち入った昔話を聞かせてくれた真意を推し量ってみた。ハイネはケンウッドが長官職に就くことを望んでいる。ドーマー達は遺伝子管理局とドーム幹部が上手く折り合っていくことを望んでいる。第15代遺伝子管理局長だったマーカス・ドーマーは、ローガン・ハイネの個人的な歴史を語ることで、ケンウッドに「してはいけないこと」を教えてくれたのではなかろうか。ハイネ個人だけでなく、ドーマー達全員の心を侵略しないでくれと言う、老ドーマーの願いだ。

 ドアの外で微かに物音がして、ノックの後、セルシウス・ドーマーとワッツ・ドーマーがケンウッドの秘書を連れて戻って来た。

「そろそろ長官と局長が戻って来られます。」

とワッツ・ドーマーが言った。

「前回の長官就任式は中央研究所で適当にやってしまったので、手順がわからなくて苦労しました。正式な手順を踏んだ就任式はローガン・ハイネも初めてです。握手のタイミングを間違えたし、私もどこで名乗るべきか戸惑ったし、局内の案内も、本来ならもっと簡単にするはずでしたが、リプリー長官はここへ来られたのは9年振りで、局員の業務内容から説明するはめになって時間がかかった様です。思えば、リンはこの役所のことを何も知らないまま長官を務めていたのですね。だから副長官にも何も教えなかった。リプリー長官は不勉強を悔やんでおられました。」

 セルシウス・ドーマーがケンウッドを見て微笑んだ。

「貴方は大丈夫ですよね、副長官?」



侵略者 10 - 13

 ケンウッドが強い衝撃を受けたことを、マーカス・ドーマーは理解した。ケンウッドは何を言うべきなのか、どう受け止めるべきか、途方に暮れた。絶対にあってはならないことだ。起こるはずのないことだ。しかし現実に目の前に結果が存在していた。
 彼はカラカラになった喉から辛うじて言葉を搾りだした。

「マーサ・セドウィックと言う女性執政官は、ローガン・ハイネ・ドーマーの子供を産んだのですね?」
「そう言うことでしょうな。」

とマーカス・ドーマーは曖昧な答え方をした。
 ケンウッドは声が震えるのを止められなかった。

「しかも、女の子だった・・・」
「確かに、女性です。」

 ケンウッドは立ち上がった。

「これがどう言うことなのか、貴方はおわかりでしょう、マーカス・ドーマー? 当時の委員会にもわかったはずだ!」

 しかし、マーカス・ドーマーはこう言った。

「マーサ・セドウィックは子供の父親が誰なのか頑として明かしませんでした。」
「遺伝子が・・・」
「彼女は遺伝子検査を拒否したのです。彼女のものも、子供のものも。」
「父親は地球人の男ですよ! 地球人にも女の子が作れる証明じゃないですか!」
「そんなことはわかっていますよ。」

 15代目遺伝子管理局長だった老人は落ち着いたままだった。

「地球人の男とコロニー人の女が直接交われば女の子が出来る可能性があることは、最初からわかっていました。」
「・・・」

 ケンウッドはマーカス・ドーマーの言葉を頭の中で繰り返してみた。何か引っかかる。キーワードが存在する・・・
 彼は次第に冷静さを取り戻してきた。キーワードは・・・「直接」?
 前遺伝子管理局長が新副長官に優しく解説した。

「ドームで創る女の子は全員クローンです。コロニー人女性から提供される受精卵からクローン受精卵を作り、オリジナルは母親に返します。クローンの女性の赤ん坊を育て、ドームで生まれた男子の赤ん坊と取り替える。外で成長したクローンの女性が現在の地球人の母親達です。彼女達は男の子しか産まない。試しにドーマーとして育てた女の子3名をコロニー人と結婚させたことがありました。1世紀前の実験です。やはり男の子しか生まれませんでした。
 クローンの女性は男の子しか産めない。だからと言って、オリジナルの受精卵を地球にそのまま提供する訳にはいかない。数だって足りない。だから貴方方は研究しているのでしょう? 何故クローン女性は男の子しか産めないのか、と。」
「原因は女性側であって、男性側ではない?」
「しかしオリジナルの方は成長して女の子を産んでいる。」
「原因はクローン?」
「しかし、比較検査しても、違いはなかったそうです。」

 ケンウッドはクローン工学の専門家ではない。彼の研究は大気汚染が皮膚に与える影響、皮膚の老化現象が生殖細胞に与える影響だ。

「兎に角、マーサ・セドウィックは生まれた子供が研究対象にされるのを避けたかった。だから父親のわからない子として育てたのです。
 キーラ・セドウィック博士のプロフィールをご覧になられるとよろしい。副長官になられたのですから、閲覧出来るはずです。彼女の父親欄は空白です。遺伝子の特徴が書かれていますが、父親から受け継いだであろう項目は青文字です。先ず身体的特徴しか書かれていません。遺伝病はなし。進化型1級遺伝子もありません。幸いにも父親は彼女に身元を明らかにする決定的なものを与えなかったのです。」

 ケンウッドは深呼吸した。今までもやもやしていたものが晴れてきた感じだ。

「2人は互いの関係を知っているのですか?」
「どうでしょうな。」

 マーカス・ドーマーはちょっと目を閉じた。喋り疲れたかとケンウッドが危惧しかけると、また彼は目を開いた。

「キーラは最初、警察官としてここへ来ました。『死体クローン事件』はご存じですな?」
「はい。」
「彼女は上司である刑事のお供で初めて地球へ下りて来ました。そして遺伝子管理局内務捜査班の捜査官であるローガン・ハイネ・ドーマーと出会いました。」

 それは運命だったのだろうか? ケンウッドは運命と言う言葉が好きではなかったが、ふとその単語を思い浮かべてしまった。

「ローガン・ハイネは彼女に気が付きませんでした。ドーマーですからな、いなくなった初恋の女性が子供を産むなどと想像すらしなかったのです。」



2017年8月15日火曜日

侵略者 10 - 12

 ランディ・マーカス・ドーマーはケンウッドの目をじっと見つめて、

「これから話すことは他言無用に願います。勿論、私が貴方に話したことをローガン・ハイネに明かしてもらっては困る。」
「わかりました。誰にも言いません。」

 ケンウッドが誓うと、老ドーマーは彼に尋ねた。

「ローガン・ハイネに弟が居たことはご存じかな?」
「はい、ダニエル・オライオン、その人から聞きました。」
「そうですか、では話は早い。オライオンがドームを去った後、ローガン・ハイネはふさぎ込みました。執政官達は彼の機嫌を取ろうとあの手この手で試してみましたが、無駄でした。そのうちに執政官達が恐れていたことが起こりました。彼がドームを脱走しようとしたのです。」
「ええっ!」

 ケンウッドは仰天した。ローガン・ハイネ・ドーマーがドーム脱走を企てたことがあったのか?
 マーカス・ドーマーが苦笑した。

「外の世界を知らない男が企てたちゃちな計画でした。彼はカードと端末だけ持って、ただ弟に会いに行こうとしただけだったのですがね。外の世界のあらゆる汚れから遠ざけて育てたドーマーの外出を執政官達が許すはずがないでしょう。
 ローガン・ハイネは西の回廊の半分も行かない地点で追っ手に追いつかれ、抵抗空しく連れ戻されました。彼が人前で泣いたのは、あの時が最初で最後でした。」

 ケンウッドはわかる気がした。ハイネはオライオンの人生に責任を感じていた。同時に弟を深く愛していた。

「執政官達は、何か彼の気を紛らわせるものを与えようと考えました。そして、あろうことか、女に彼を誘惑させたのです。」
「女?」
「女性執政官達は彼に興味を抱いていましたから、候補は10人以上いたそうです。彼女達は若いドーマーを代わる代わる誘惑しました。彼女達にとっては遊びのレベルだったのでしょう。」
「まさか・・・ハイネは本気になった?」
「ローガン・ハイネは普通の男ですから。」

 最低だ、とケンウッドは思った。当時の執政官達は最低だ。弟を失って泣いた若者を色気で誘惑して寂しさを誤魔化したのだ。

「地球人保護法があるでしょう?」
「地球人側から告訴があればね。女性に本気で惚れてしまった若者が訴えるはずがありません。」
「彼が本気になって・・・女性側はどうだったのです?」
「彼女も本気になった。拙いことに・・・」

  マーカス・ドーマーはそこで言い淀んだ。

「地球人類復活委員会は、その相手の女性執政官を月に召還して、それっきりドームに戻しませんでした。ドーマー側の失恋と言う形で、連中は事態を収めたのです。」
「彼はまた落ち込んだのですか?」

 ケンウッドは若いハイネが可哀想に思えた。誕生日プレゼントに弟をもらい、弟をドームの外に出されてしまい、慰みに女性達に誘惑され、本気になった女性も取り上げられ・・・。

「我々執政官と名乗る人間達は、一体全体地球へ何をしに来ているのでしょうね。」

とケンウッドは呟いた。

「ドーマー達の心を弄んで、高みから見下ろして神様気分、飼い主気分で喜んでいる・・・ドーマー達を逆らわないように教育までして、心の侵略者も良いところですよ。」

 本気で腹を立てているケンウッドをマーカス・ドーマーが眺めた。

「そうやって本気で怒って下さる貴方を、ローガン・ハイネは信用しているのです。どうか、この地球の為に、若いドーマー達と共に働いて下さい。」

 そして最後に老ドーマーは爆弾を一つケンウッドの心に落とした。

「そうそう、ローガン・ハイネが惚れた女の名前は、マーサ・・・マーサ・セドウィックです。キーラの母親です。」


侵略者 10 - 11

「まぁ、お掛けなさい、副長官。」

 マーカス・ドーマーが声を掛けてくれたが、ケンウッドは自身のことだと気づくのに数秒かかった。セルシウス・ドーマーとワッツ・ドーマーが彼と秘書の為に椅子を出してくれた。ケンウッド達は礼を言って腰を下ろした。

「貴方とお会いするのは初めてでしたね。」

 ドーマーには「上から目線」で話しかけると言うルールが、この恐ろしく歳を取ったドーマーには適用されにくい。15代目遺伝子管理局長だった男が微笑んだ。

「私は30年局長を務めました。お陰でローガン・ハイネを随分待たせてしまいましたがね。貴方はこちら来られて何年目ですか?」
「6年目です。」
「新長官は9年目でしたね。お2人共重力障害は大丈夫ですか?」
「私は筋トレをしています。長官もそんなに苦にはされていない様ですが、あまり個人的な話をなさらない方なので・・・」

 セルシウス・ドーマーがお茶を運んで来た。マーカス・ドーマーは少しだけお茶に口を付けただけで、そばの局長執務机の上にカップを置いた。

「新長官はあまり長くおられないでしょうな。」

と彼は呟いた。

「あの人は望まない地位に戸惑っておられる。」
「その様ですが、今必要とされている人ですから・・・」
「では、あの人がやらねばならないことを、こちらも手伝って差し上げねば・・・」

 マーカス・ドーマーに視線を送られて、ワッツ・ドーマーが「了解しました」と呟いた。ドーム行政改革に協力してさっさとリプリーに辞めてもらおうと言う意味なのか? ケンウッドはドキリとした。コロニー人はドームを統治していると思っているが、実際はドーマー達、地球人が動かしているのだ。その証拠に、マーカス・ドーマーは新長官の耳には入れたくないことをずばりと言った。

「ローガン・ハイネは、貴方が長官になることを望んでいます。」
「えっ?」
「彼は貴方が地球を愛していると信じています。ですから、貴方には地球人を救う機会を与えたいと思っているのです。」
「私が地球人を救う?」
「貴方が女の子誕生の鍵を見つけてくれると期待しているのです。」
「それは・・・」

 それは執政官全員の夢であり願望であり目標だ。ケンウッドは言った。

「長官になろうと、ただの執政官であろうと、私が目指すところは一つだけ、女子が生まれない原因を突き止めることです。」

 ドーマー達が頷いた。ケンウッドの秘書はコロニー人だ。彼は博士の後ろで小さくなって座っていた。周囲に居るドーマー達は老人も含めて体格が大きく強そうに見えた。皺だらけのマーカス・ドーマーでさえ目つきが鋭い。秘書はちょっと恐かったのだ。ワッツ・ドーマーと目が合った時、彼はワッツが老人の言葉を他言するなと言った様な気がした。
 コロニー人達の緊張を感じ取ったのだろう、マーカス・ドーマーが不意に表情を和らげて微笑した。

「まぁ、一番の理由は、ローガン・ハイネが貴方を好いていると言うことですよ。」
「えっ?」
「彼がコロニー人を好きになるなんて、滅多にないことです。」

とワッツ・ドーマーも笑って言った。

「勿論。恋愛ではなくて友達として。」
「・・・でしょうね。」

 ケンウッドは何気なく言った。

「局長には女性の恋人がちゃんといるのだし・・・」

 一瞬、室内に沈黙が訪れた。

 え? 何か拙いことを言ったか?

 ケンウッドはうろたえた。 ワッツ・ドーマーがセルシウス・ドーマーを呼んだ。

「ケンウッド博士の秘書氏をサロンにご案内しろ。あちらの方がリラックスしていただけるだろう?」
「そうですね。」

 セルシウス・ドーマーはケンウッドの秘書に「こちらへどうぞ」と声を掛け、ワッツ・ドーマーと2人で半ば強引に局長室の外へ連れ出してしまった。
 ケンウッドは老いた15代目遺伝子管理局長だった男と2人きりになった。どうなっているのだ? 彼は不安気にマーカス・ドーマーを見た。老ドーマーが言った。

「彼女はローガン・ハイネの恋人ではありません。」
「そうですか? 仲が良いので、私はてっきり・・・」
「仲が良い? 彼女はまたここに来ているのですか?」
「またって・・・彼女は出産管理区で働いていますよ。確か30年間・・・」
「30年間? 彼女は5年しか居なかったはずだが・・・?」
「いや、30年間勤務しています。貴方が現役の頃にも居たでしょう?」

 マーカス・ドーマーはじっとケンウッドの目を見つめ、突然笑い出した。ケンウッドはぽかんとして彼を見つめた。からかわれたのか?
 しかし、老人はこう言った。

「貴方はキーラ・セドウィックのことを仰っているのですな?」
「え? 違うのですか?」
「勿論、キーラはローガン・ハイネの恋人などではありません。」
「そうですか・・・では、貴方方は一体私が誰のことを言っているのだと思われたのです?」

 とんだやぶ蛇だった、とマーカス・ドーマーが呟いた。

「半世紀以上前に、執政官達がしでかした過ちのことです。」






侵略者 10 - 10

 ケンウッドとリプリーは遺伝子管理局に出かけた。研究着を脱いでスーツ姿だ。後ろにそれぞれの秘書を従え、秘書もスーツを着ている。彼等が中央研究所から外に出ると、ドーマー達が足を止めて見送った。

 新しい長官と副長官だ。
 どっちが長官?
 前を行く方だろう?
 ケンウッド博士は知ってる。新長官は誰だっけ?
 顔は知ってる。名前が思い浮かばない。

 リプリーは「世間」の評判を全く意に介さない。目が合った相手にだけ軽く会釈するだけだ。ケンウッドは出来るだけ彼より目立たない様に務めた。それでも知名度が高いので声を掛ける人が多い。
 遺伝子管理局に到着すると、受付でロッシーニ・ドーマーが新長官と新副長官が局長に面会に来たと告げた。受付のドーマーが「伺っております」と言って、局長室に連絡を入れた。いつもくだけた雰囲気の人間が改まった口調で話すのがケンウッドには可笑しく思えた。
 リプリーが緊張しているのが後ろに居てもわかった。リプリーは着任した時に挨拶に来たきりで、遺伝子管理局を訪問するのはこれが2度目だ。彼はリンよりアメリカ・ドーム勤務が長く、一緒に働く遺伝子管理局長は実はハイネが2人目だった。しかしハイネの代になってからはここへ来たことがない。9年振りだった。局長室までは迷わずに来られた。ドアの前で立ち止まり、リプリーはケンウッドと秘書達を振り返った。

「もう引き返せないな。」

と彼が呟いた。ケンウッドは囁いた。

「毎日の挨拶と同様に肩の力を抜いて下さい。」

 リプリーは黙って前に向き直ると、深呼吸してドアをノックした。ドアが開かれ、セルシウス・ドーマーが姿を現した。彼は軽く頭を下げて、一同を中へ案内した。
 執務机の向こうにハイネ局長が、手前の左手にドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが、右手にはケンウッドが初めて見る、恐ろしく歳を取ったドーマーが座っていた。3人はコロニー人が入って来ると立ち上がって迎えた。老ドーマーは杖を突いていた。
 ケンウッドは部屋の中央にあるはずの会議用テーブルがないことに気が付いた。テーブルは足許の床に収納されてしまっていた。リプリーは仕組みを承知していたので、そのまま部屋の中央を歩き、3人のドーマーの長老の前に立った。ケンウッドはその後ろに立ったのだが、ロッシーニ・ドーマーからリプリーの隣に立つようにと囁かれた。
 リプリーがロッシーニ・ドーマーから教えられた通りに挨拶した。

「地球人類復活委員会から第24代アメリカ・ドーム長官を拝命したユリアン・リプリーだ。ドーム行政に全力を尽くすつもりでいる。以後よろしくお願いする。」

 ケンウッドも挨拶した。

「同じく、副長官に任じられたニコラス・ケンウッドだ。リプリー長官を補佐し、アメリカ・ドームの使命を1日も早く達成出来る様に尽力する。協力をお願いする。」

 もの凄くムズ痒く感じられた。
 ハイネが黙って老ドーマーを見た。老ドーマーがか細い声で挨拶した。

「遺伝子管理局第15代局長を務めたランディ・マーカス・ドーマーです。今日は16代目が新しい長官と副長官が来ると言うので、ご挨拶をと思い、『黄昏の家』から這い出て来ました。」

 「黄昏の家」とは、ドームでの全ての業務から引退して余生を過ごす老いたドーマー達が住む場所だ。ドーム本体から少し離れた場所に建てられた小さなドームだったとケンウッドは記憶している。ドームと「黄昏の家」は地下道で繋がっているので外気に触れずに往来出来るが、執政官が管理しているので現役のドーマーは立ち入らない。
 ケンウッドはハイネより年上のドーマーを初めて見た。どんなに若くても92歳以上のはずだ。
 リプリーがマーカス・ドーマーに「どうぞお掛け下さい」と声を掛けたので、老ドーマーはゆっくりと椅子に戻った。そしてハイネに頷いて見せた。ハイネがちょっと頭を下げて、コロニー人に向き直った。

「遺伝子管理局第16代局長ローガン・ハイネ・ドーマーです。よろしくお願いいたします。」
「ドーム維持班総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーです。何代目かは自分でもわかりません。」

 ワッツ・ドーマーの挨拶にマーカス・ドーマーが笑った。

「おまえは23代目だよ、エイブ。」
「そうでしたか? もっと大勢前にいたような気がしました。」
「各班代表を数えれば100人は越えよう。」

 局長第1秘書のペルラ・ドーマーが咳払いした。ハイネが何かを思い出して、執務机の前に出て来た。リプリーの正面に立って、

「この度の長官就任、おめでとうございます。」

と言った。リプリーもロッシーニ・ドーマーの小さな咳払いに気が付いて、片手を差し出した。

「有り難う。これからもよろしく頼む。」

 素手で・・・リプリーは緊張度マックスになった。もし拒まれたら、と心拍数が跳ね上がった。ハイネが彼の手を掴んで揺すった。

「こちらこそよろしくお願いいたします。」

 強ばった微笑みを浮かべたリプリーの手を放し、ハイネは隣へ移動した。ケンウッドも手を差し出した。

「よろしく。」
「よろしくお願いいたします。」

 互いの命を助け合った仲だが、正式な挨拶として握手をするのは初めての様な気がした。
 ワッツ・ドーマーとも握手を交わし、マーカス・ドーマーは座ったままで、コロニー人の方から近づいて握手した。よく見ると、マーカス・ドーマーは車椅子だった。

「ローガン・ハイネ」

と老ドーマーが呼んだので、ハイネが彼のそばへ行った。15代目が16代目に命じた。

「新しい長官に局の中を案内して差し上げろ。」
「承知しました。」

 ハイネがリプリーにどうぞこちらへ、と手招きした。ケンウッドもついて行きかけると、ペルラ・ドーマーが「長官だけです」と引き留めた。そしてハイネとペルラ・ドーマーはリプリー新長官と(局の中を知り尽くしている)秘書のロッシーニ・ドーマーを案内して局長室から出て行った。





2017年8月14日月曜日

侵略者 10 - 9

 遺伝子管理局の局員は内勤の日の事務仕事を午後3時迄に終えるのが慣習だ。そして夕食迄の時間はジムやプール、運動場等で体力維持の鍛錬に費やす。ドーム維持班の各班も同じ様に体力維持が職務の一つになっているが、混雑を避けるためにそれぞれ時間をずらしている。ハイネ局長はそうした若いドーマー達の邪魔をしないように早朝や深夜に運動するので、午後も局長室で仕事をしていた。2人いる秘書のうち若い方のセルシウス・ドーマーは3時で上がってジムに出かけたが、年嵩のペルラ・ドーマーはまだ仕事中だった。彼はリプリーの秘書からリプリーとケンウッドが局長室に「ご挨拶に伺いたい」と言う、局長の空き時間の打診をもらった時、大きく咳払いして、奥で局長と騒いでいた女性達を黙らせた。

「局長、リプリー博士とケンウッド博士が『ご挨拶』に来られるそうです。」
「ご挨拶?」

とオウム返しに応えたのは、局長ではなく女性の方だ。局長の執務机の周囲には5人の女性執政官が座っていた。ハイネは新生児誕生予定表を眺めていたので、顔を上げて秘書を見た。

「リプリーとケンウッドが?」
「そうです。」
「どちらが長官だ?」

 ハイネには「ご挨拶」の意味がわかっていた。月の本部が辞令を出したに違いない。ペルラ・ドーマーが真面目な表情で答えた。

「ロッシーニ・ドーマーからの電話ですから、リプリー博士でしょう。」
「そうか・・・」

 ハイネは一瞬がっかりした表情をした。ペルラ・ドーマーとキーラ・セドウィック博士はそれを見逃さなかったが、黙っていた。ハイネは時計を見て、1時間後に来てもらえ、と言った。ペルラ・ドーマーがそれを告げると、こちらが待たせた時間の長さで、局長室の失望を感じ取ったのだろう、ロッシーニ・ドーマーが丁寧に「よろしくお願いいたします。」と言って電話を切った。

「リプリーではご不満?」

とキーラ博士が尋ねた。女性達が興味津々で見つめるので、ハイネはぶっきらぼうに応えた。

「あの男はケンウッドより堅物だから。」
「でも行動は読めるわよ。」
「そうだが・・・」
「会議にもちゃんと呼んでくれるわ。」
「わかっているが・・・」
「そんなに長く長官室には座っていないわ。あの人は研究者としてここに来たのですもの。」
「ケンウッドも研究者だ。」
「気合いの度合いが違うの。リプリー博士はやり始めたら邪魔が入るのを嫌う人よ。今はドームの改革に熱中している。改革が終われば自分の研究をやりたくなるわ。長官の椅子に固執しない。きっと辞表を出して月へ帰る。」
「彼は木星コロニーの出身だ。」
「どこでもいいじゃない。」

 彼女は部下の女性執政官がハイネに提出した書類に目を向けた。

「それより、早く取り替え子の中からドーマーに採用する赤ちゃんを決めて頂戴。」
「今年は6人ですよ、局長。」
「人種の偏りがないようにお願いしますわ。」
「居住地もね。」
「親の階層も考慮なさって。」

 ハイネは顔をしかめた。

「私が何年この仕事をしていると思っているのだ?」
「書類上は8年、でもブランクが3年。」

 女性達の攻撃にたじたじのボスを横目で見ながら、ペルラ・ドーマーはドームの外で結婚している元ドーマー達は毎日こんなやりとりを奥さんとしているのだろうか、と思った。

侵略者 10 - 8

 ケンウッドは月から戻ったリプリー副長官に呼ばれて副長官執務室へ行った。部屋に入ると、秘書のジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーから少し待つ様にと言われた。先客が居て、輸送班の代表マリオ・コルレオーネ・ドーマーがリプリーと何やら打ち合わせをしているのだった。リプリーは急ぐ必要はないと言ったが、コルレオーネ・ドーマーは今夜中にやってしまえると言い切った。夜中に仕事をした方が作業がはかどるのだと自信満々なので、リプリーは彼に全面的に任せると言って話をまとめた。
 コルレオーネ・ドーマーは直ぐに部下を招集して作業を開始しますと言い、ケンウッドに軽く会釈して部屋から出て行った。
 リプリー副長官がフーッと大きく息を吐いた。研究一筋が性に合っている男なので、ドーマーであれコロニー人であれ、人と付き合うのが少し苦痛なのだ。無難な男、と言うことでサンテシマ・ルイス・リンは彼を副長官に要請した。月の本部はリンと性格の異なる彼がリンの抑え役となると考えて承認した。結果的に抑え役どころかリンを排除する反対派の先鋒となってしまったが。リプリーとしては周辺で風紀が乱れて研究に没頭出来ないのが嫌だったのだ。
 秘書がケンウッド博士の入室を告げると、副長官は執務机にケンウッドを呼んだ。ケンウッドが机の前に立つと、開口一番、彼は言った。

「ニコラス・ケンウッド博士、アメリカ・ドームの副長官をお任せしたい。受けて下さい。」

 ケンウッドは瞬きした。暫し相手の言葉を呑み込めなかったのだ。

「あの・・・何と仰いました?」
「副長官になって欲しい、と言いました。私は長官職を押しつけられた・・・」

 告げる順序が逆だろうとケンウッドは思った。長官職に就くので、空いた副長官職におまえを、と言うべきだ、と彼はどうでも良いことを考えた。

「長官就任、おめでとうございます。」
「あ・・・有り難う・・・」

 リプリーはあまり嬉しくなさそうだ。そして彼の要請に即答しないケンウッドに不安気な視線を向けた。

「副長官をお願い出来ますか?」
「何故、私なのです?」

 ケンウッドも当惑しているので質問で返してしまった。リプリーは非常に困ったと言う表情で秘書を見た。助けを求めたが、ロッシーニ・ドーマーは気が付かないふりをして書類整理をしていた。
 リプリーが腹をくくって言った。

「貴方は遺伝子管理局長と仲が良いので。私と遺伝子管理局との架け橋になって欲しいのです。」

 ケンウッドはなんと返して良いのかわからない。どうにか言葉に出したのは、

「仲が良いのは、ヘンリー・パーシバル博士もヤマザキ・ケンタロウ医師も同じですし・・・」
「パーシバル博士は、残念ながら特定のドーマーを贔屓にするファンクラブを主催されている。公平に全てのドーマーを見ているとは、私には思えません。」
「いえ、決してそんなことは・・・」
「それに彼は軽い。」
「はぁ?」
「ハイネに対する振る舞いが慣れ慣れし過ぎます。それでは外部の人間が見ればハイネが彼のペットに見えてしまう。」
「・・・」

 リプリーの指摘はもっともだ。パーシバルはチーズを用いてハイネを手懐けてしまっている。挨拶に抱きしめられてもハイネはパーシバルを拒まないのだ。リプリーはパーシバルが敵ではないと承知しているので糾弾の対象にしないだけで、もし行き過ぎた態度が見受けられればきっと注意を与えるだろう。

「パーシバル博士はハイネの友達のままでいてもらいます。役職を与えるのは彼の為にも良くありません。」
「わかりました。」
「それにヤマザキ医師は医療区の業務に忙しい。副長官兼任は無理です。」
「ごもっともです。」
「ですから、貴方にお願いしたいのです。ハイネは貴方には逆らわない。しかし貴方方は距離を適度においている。互いに相手を尊敬し合っている証拠です。」
「しかし、月は・・・」
「月の本部は、私に副長官選任を任せてくれました。
 ケンウッド博士、私は長官の器でないことを自身承知しています。しかし、自分で火を点けてしまったドームの改革を他人に丸投げしたくはない。私はこれから風紀の乱れを直す為にどんどん悪役になります。貴方はドーマー達の不満や不信を感じ取るのが上手い。どうか、私の舵取りをして、私が過ちを犯さないよう見張って下さい。お願いします。」

 ケンウッドは、マリオ・コルレオーネ・ドーマーが呼ばれた理由を悟った。リプリーが長官執務室に引っ越すのと同時にケンウッドの部屋をこの副長官室へ移すようにと指図されたのだ。
 ロッシーニ・ドーマーは一切コメントをはさまない。ケンウッドの出方を観察している。恐らくパーシバルのハイネに対する態度を報告したのはロッシーニの部下だろう。内務捜査班は局長にコロニー人と距離を置けとは注意しないのか?
 ケンウッドはリプリーに言った。

「わかりました。副長官の話をお受けします。」
「有り難うございます。」
「私からもお願いがあります。」
「何でしょう?」

 リプリーが不安そうに見返したので、ケンウッドはちょっと可笑しくなった。

「その腰の低い話し方はもうお止めになられてはいかがでしょう? 長官になられたのですから、堂々となさって下さい。私にも命令口調で結構です。」
「しかし・・・これは私の地ですから・・・」
「秘書のロッシーニ・ドーマーに話しかけるのと同じで良いですよ。」

 するとロッシーニ・ドーマーがプッと吹き出して、「失礼」と横を向いた。ケンウッドはリプリーを検めて見た。この人は秘書にも丁寧に話しかけるのか?
 ケンウッドはきっぱりと言った。

「ですから、長官らしく話して下さい。さもないと、ハイネに舐められます。」
「舐められる?」
「向こうは82歳の爺さんです。我々は彼から見ればドーマーもコロニー人も全員、ガキ、なんです。ガキが下手に出れば、ガキ扱いされるだけです。堂々と大人として接しなければいけません。」
「そ・・・そうなのか?」

 リプリーはまた秘書を見た。ロッシーニ・ドーマーが渋々ボスに意見した。

「ドーム長官は遺伝子管理局長の『親』として振る舞わなければなりません。執政官は全てのドーマーの親なのです。それがドーム行政の基本です。」

 リプリーが考え、そして頷いた。

「わかった。」
「では、これから遺伝子管理局本部、局長室へ連絡を入れます。」
「何の為に?」

 ロッシーニとケンウッドは思わず顔を見合わせた。ケンウッドは新長官に向き直って言った。

「勿論、新長官と新副長官が、遺伝子管理局長に、就任の挨拶をしに行くのですよ!」




2017年8月12日土曜日

侵略者 10 - 7

 1ヶ月後、リプリー副長官は月の地球人類復活委員会本部に召還された。執行部の幹部や理事会幹部達が居並ぶ本会議で、彼は先ずサンテシマ・ルイス・リンが進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを逃亡させてしまった過失を問われて遺伝子学会から永久追放されたことを聞かされた。この処分は刑罰ではなかったが、リンが築き上げた製薬会社の信用を堕とすには充分だった。会社は彼を創業者ではあるものの役員解任を通告した。また。リンは地球人に性的関係を強制した罪にも問われ、こちらは刑事罰の対象となった。地球人側から告訴があったからだ。宇宙連邦裁判所の月の法廷では、地球人の証人喚問が不可能なので地球人保護法を用いて原告抜きで裁判を行った。リプリーはリンとそのシンパの行動を逐一本部に訴えていたので、証人として出廷するよう指示された。
 その後で、彼は本会議場でアメリカ・ドームの長官就任を打診された。リプリーはそれでは約束が違うと抗議した。

「ドームとしがらみのない新人が長官に選ばれると言う約束だったではありませんか。私は飽くまで繋ぎです。長官職は気が重い。どうか副長官のままで居させて下さい。」

 ハレンバーグが困惑して彼に言った。

「新しい人物が長官では、ドーマー達が不安がる。それにハイネ遺伝子管理局長もやり辛かろう。副長官を選ぶので、君は長官職に就いて欲しい。」

 リプリーは首を振った。

「私はハイネと上手くやっていく自信がありません。彼が私の長官就任を歓迎するとも思えません。」
「彼と喧嘩でもしたのか?」
「いいえ・・・彼の部下を10名ばかり、リン一派のペットになっていた連中を私の独断で処分してしまいました。ハイネの許可もなく降格したのです。ハイネは執政官の介入が気に入らなかったらしく、それ以来私に口を利いてくれません。」

 ハレンバーグ委員長はシュウ副委員長を見た。シュウは肩をすくめただけだった。心の中ではこう呟いていたものの・・・。

 この人は本当にハイネを知らないのね。彼はチーズを与えればすぐ機嫌を直すのに。

 ハレンバーグは譲歩した。

「では5年・・・5年間だけ長官職を勤めてくれ。その間に適任者を探す。」
「しかし、遺伝子管理局長は・・・」
「ハイネは己の役目をわきまえておる。君の妨害は決してせん。」

 リプリーはまだ未練がましく訴えた。

「ハイネはニコラス・ケンウッドには決して逆らいません。寧ろ、彼の指示には必ず従う。アメリカ・ドームの長官にはケンウッドが適任です!」
「リプリー君・・・」

 理事長が声を掛けた。

「ケンウッド博士はまだ若い。もう少しだけ辛抱して彼が長官職にふさわしい年齢になる迄待ってくれないか?」

 リプリーがやっと本部の人々の希望に従うことを承知して本会議は閉会した。
彼を始めとする人々が議場から出て行き、ハレンバーグ、シュウ、ハナオカ書記長、それに理事達が残った。ハレンバーグが残った人々を見廻して言った。

「さて、リプリーを長官に据えたことを、ハイネに納得させなければいかん。」
「ハイネは誰か別の人間を希望していたのですか?」
「言うまでも無い、ニコラス・ケンウッドだ。」
「それなら、リプリーの希望でもあるのに・・・」
「ケンウッドはまだ若すぎる。せめて後5年、ドームで修行してもらわないと。ドーマー全体を統治するのだから、それなりに経験を積んでもらいたい。」
「ドーマーを統治するのは遺伝子管理局の仕事ですよ。」
「だがドームの指導権はコロニー人が持っている。それをハイネは理解している。それ故、経験値の高い長官が必要だ。ハイネのサポートがなければドーム行政が出来ない長官は不要だ。ハイネも迷惑だろう? 遺伝子管理局は多忙なのだ。」


 

侵略者 10 - 6

 ハイネとリプリーが連れ立って去って行ったので、ケンウッドは検査室に入った。ジャック・エイデン・ドーマーがベッドの縁に腰掛けて泣いていた。ケンウッドがドアを閉める音で彼は顔を上げた。

「博士・・・すみませんでした。」

 いきなり謝られても理由がわからない。ケンウッドは優しく尋ねた。

「どうしたんだね? 気分でも悪いのか?」
「そうじゃありません・・・僕は博士にご迷惑をおかけするところでした。」
「迷惑?」
「遺伝子管理局長に叱られました。」

 ケンウッドは全く話が読めない。ハイネは副長官の部屋に行ってしまったし、エイデン・ドーマーはケンウッドが全てを承知していると思い込んで喋っている。

「エイデン・ドーマー、私には・・・」
「局長の命令に従って医療区へ行ってきます。博士の忠告も頂いているので、検査も受けます。」

 彼はベッドから降り、ケンウッドに頭を下げて部屋を出て行った。ケンウッドは何がどうなっているのか、さっぱり理解出来ないので、ハイネの端末に電話を掛けた。ハイネは直ぐに出てくれた。

「ハイネ、エイデンが医療区へ行ってしまった。一体、何がどうなっているのか、説明してくれないか?」
「では、すぐに副長官室へ来て下さい。」

 それだけ言うとハイネの方から電話を切った。
 リプリー副長官の部屋は通路を歩いて右折して検査室から5分も歩かねばならなかった。つまり、副長官も部屋に戻るのに時間がかかった訳で、ケンウッドが訪問した時はまだハイネはリプリーに部屋へ押しかけた理由を語っていなかった。
 副長官室は会議用スペースが小さいだけで、長官室や遺伝子管理局長室と似た造りだった。入り口を入ってすぐの秘書スペースにジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが居て、せっせと事務仕事をしていた。中央研究所の建物の反対側の長官室に書類を取りに出かけた副長官が遺伝子管理局長と共に戻って来たので、お茶が必要かと考えているところに、ケンウッド博士もやって来たので、ちょっと戸惑った。
 ハイネ局長がリプリーとケンウッドに座って下さいと言った。誰が部屋の主かわからない。ロッシーニは取り敢えず3人分のお茶の用意を始めた。副長官は苦みの強いお茶が好きだが、局長はミルク入りでなければ飲まない。ケンウッドは何が好みだろう。
 ハイネはお茶の用意を待たずに話を始めた。

「ドーマーに中毒性のある薬物を混ぜた食物や飲み物を与えて従属させる者が、ドーム内にいます。」

 ケンウッドはリプリーを見た。リプリーも彼を見返した。お互いハイネが言った言葉の意味を俄には信じられなかった。リプリーがハイネに向き直った。

「しかし、ドーム内に麻薬を持ち込むなど不可能だ。」
「薬物はドーム内で製造出来ます。」

 ハイネが数種類の薬品の名を挙げた。

「これらをレシピ通りに調合すれば中毒性の薬物が出来ます。それを飲み物に入れて飲ませるのです。飲んだ人間は暫く快楽的な夢に浸ります。それを何度か繰り返させ、常習性の中毒者になったところで、命令を与えます。仕事をすればご褒美にまた薬をもらえる、と言い聞かせて。」

 彼の顔を見つめていたケンウッドは、ハッと気が付いた。

「ジャック・エイデン・ドーマーは薬物中毒者なのか?」
「中毒するまでは冒されていませんが、ご褒美がもらえるなら、ささいな悪戯はやってやろうと言う程度です。」
「ささいな悪戯?」
「診察を申し込み、執政官に手袋を外させて触診させ、後で無断で素手で肌に触れたと訴える・・・」
「まさか・・・」

 ケンウッドはエイデンの涙を思い出した。あれはケンウッドを罠に陥れようとした後悔の涙なのか?
 リプリーは別のことが気になった。

「そんな卑劣なことを考えたヤツは誰だ?」

 ハイネはエイデンから聞き出した執政官3名の名前を挙げた。リプリーは端末にそれを記録した。

「確かに、彼等は薬品に詳しい。他にも薬を与えられたドーマーはいるのかね、局長?」
「私が耳にしていないので、中毒症状に陥った者はいない様です。恐らく薬物の効力が薄いか、実験段階なのかも知れません。」
「貴方が挙げた名はリン元長官の一味に入って居る。もしかすると、ドーマー達と薬物遊びをするつもりで製造したのかも知れないな・・・許せない暴挙だ。」
「薬物を与えられたドーマーの調査は遺伝子管理局で行います。副長官は執政官の方をお願いします。」
「わかった!」

 ケンウッドは2人を見比べ、「私は?」と尋ねた。リプリーは何となく彼が部屋に呼ばれた理由がわかったので、ハイネに肩をすくめて見せた。ハイネがケンウッドに言った。

「もう少し用心深くなって下さい。」

 そこへロッシーニ・ドーマーがお茶を運んで来て3人に配った。

「副長官は濃いめに淹れました。局長はミルク入り。ケンウッド博士はご自分で味を調整なさって下さい、ミルクと砂糖はあちらにありますから。あ、薬物は入っておりません。ご安心を・・・」



侵略者 10 - 5

 ジャック・エイデン・ドーマーは20代の男で、少しぽっちゃりした体型だった。ドーマーで肥満している人は滅多にいないから、ぽっちゃり体型の男は「太ったヤツ」として見なされる。検査着に着替えて検査用ベッドの縁に腰掛けていた彼は、入室して来た執政官が2人だったので、びっくりした。思わず立ち上がってから、後ろにいる背が高い男が誰なのかわかって顔色を変えた。
 ケンウッドは気が付かないふりをして、「こんにちは」と挨拶した。

「では検査を始めよう。エイデン・ドーマー、君は前回の『お勤め』以後、貝類を食したかね?」
「あ・・・いいえ・・・」

 ケンウッドは手袋をはめた手で彼の体に触れ、前回湿疹が出た場所を診た。エイデン・ドーマーの肌は綺麗に治っていた。

「対処法を知りたいと言うことだが、これは食べないと言うことに限る。貝類の種類にもよるので、医療区で診てもらいなさい。ちゃんと検査してくれるから。」

 エイデン・ドーマーは少し緊張した面持ちで頷いた。目に微かに涙が滲んでいる。ケンウッドは気が付かないふりをした。

「このまま帰してもかまわないのだが、それでは『お勤め』の規定に反するので、血液採取と検体採取を行うが、承知してくれるかね? もし異存があれば、ここに遺伝子管理局長が立ち会っているから、申し立てると良い。」

 血液採取と聞いて、エイデン・ドーマーは不安げに局長を見た。局長が断ってくれないかと期待したのだろうか。ハイネは何も言わずに彼を見返しただけだ。ケンウッドが血液採取用の注射器の準備を終えて振り返ったので、彼は渋々腕を出した。しかし、ケンウッドが彼の腕を優しく掴むと、尋ねた。

「どうしても採取しないといけませんか?」
「注射が嫌いなのは誰も同じだよ。」

 ケンウッドは飽くまでとぼけて言った。このドーマーは何か秘密を抱えている。だからハイネやロッシーニが興味を抱いたのだ。エイデン・ドーマーは躊躇ってから、固い声で言った。

「ハイネ局長と2人きりにしていただけませんか?」

 執政官には言えないことか。ケンウッドはハイネを振り返った。どうする? と目で問うた。ハイネが頷いた。ケンウッドはエイデン・ドーマーを振り返り、わかった、と応えた。
 ケンウッドは部屋の外に出た。通路で壁にもたれてぼーっと立っていると、リプリー副長官が向こうから歩いてくるのが見えた。長官代理の副長官、かなり疲れて見えた。元々目立つのが好きでない人のはずだ。ケンウッドは姿勢を正してまっすぐに立つと、彼に声を掛けた。

「研究とドーム行政の両立はいかがですか、リプリー博士。」

 リプリーがハッと彼の存在に気が付いて顔を上げた。

「そこで何をしているんです、ケンウッド博士?」
「ちょっと時間調整です。」

 リプリーは検査室のドアを見た。中に誰かがいると言うのはわかったはずだ。

「『お勤め』の時間調整ですか。」
「ええ。」

 リプリーはまた歩きかけて、ふと足を止めた。

「そう言えば、変な噂を耳にしました。」
「変な噂?」
「飽くまで噂ですから、どうか気を静めて聞いて下さい。」

 まだ呑み込めないケンウッドの前に戻って来て、副長官が声を低めて囁いた。

「貴方が遺伝子管理局長に手を出していると言う・・・」

 ケンウッドは冷静でいられた。既にその手の噂は耳に入っていた。リンの一味が流していたのだ。リンが更迭されてまだ1日も経っていない。

「その噂はドーマーの間で流れているのですか、それともコロニー人の間で?」
「コロニー人の中で・・・恐らくリンの一味でしょう。根も葉もない噂であることは、私もわかっています。観察棟で収容者に手を出すなんて不可能です。それに、ハイネには誰も手を出せない。」

 リプリーが微かに笑った。

「その噂を流す人間を順番にリストに加えています。信じない人間は聞いても流しませんからね。貴方は不愉快でしょうが、暫く我慢して頂きます。」

 その時、ドアが開いてハイネが通路に出て来た。リプリーが跳び上がる程驚くのがケンウッドにはわかった。「清いドーマー」が「お勤め」室から出てくるか?
 ハイネは副長官に気が付くと、おや、と眉を上げた。

「こんにちは、リプリー副長官。これから今朝の続きですか?」
「あ、いや、偶々通りかかっただけで・・・」
「この後のご予定は?」
「やっと本業の時間だが・・・」
「ちょっとお部屋にお邪魔してよろしいですか?」

 いきなり遺伝子管理局長から訪問の申し込みを受けて、副長官は即答出来なかった。困惑して、躊躇って、ケンウッドを見た。一体何が彼を困らせているのか? ケンウッドが助けてくれると思ったのか?
 ケンウッドはエイデン・ドーマーが気になったが、副長官と遺伝子管理局長の会話の方が優先だろうと思ったので黙っていた。
 リプリーは腹をくくって、どうぞ、と言った。

侵略者 10 - 4

 不思議な爺さん、ローガン・ハイネ・ドーマーは約束通り午後1時過ぎにケンウッドの研究室に再び現れた。いつもはだらだらと午後の作業を開始する助手達が、今日はきびきび働くのが妙に可笑しい。
 ハイネは来客用の席に座って研究室の中を見物していた。珍しくはないだろうが、研究者毎に中の様子は異なるので、興味津々だ。助手達も彼の存在が気になって仕様が無いらしい。ある女性助手は早速お茶を淹れて彼に持って行くと、いろいろ話しかけている。彼は愛想良く相手をした。女性には常に優しいのだ・・・。
 ケンウッドは咳払いして彼女に勤務中だと言う事実を思い出させた。彼女を追い払って、彼は局長のそばへ行った。

「今朝はリプリー副長官の部屋に居たんだな? わざわざ『お勤め』の立ち会い代理を告げるためだけにここへ君が足を運ぶはずがないからな。」

 ケンウッドが推理を告げると、ハイネは微笑した。

「副長官はリン元長官の腰巾着達の新たな情報がないかと私に訊きたかったのです。私はずっと幽閉されていて情報量が限られていたので、内務捜査班に資料を提出させますと答えておきました。」
「内務捜査班チーフの目の前で?」
「ええ。」

 ケンウッドがロッシーニ・ドーマーの表向きの身分を知ったことに彼は驚きもしなかった。

「すぐ近くに居たのに、どうして私は彼に気が付かなかったのだろう?」
「彼は普段は助手として白衣姿で研究所内を歩いていますから。」

 身なりが違えば人間は雰囲気も変わるものだ。ロッシーニ・ドーマーは中央研究所内で研究者達の中に溶け込んでいるのだ。しかし一旦白衣を脱いでダークスーツに着替えると遺伝子管理局内務捜査班の精鋭に変身する。
 ケンウッドは以前からの疑問を思い切ってハイネにぶつけてみた。

「君は現役の頃、どこに潜伏していたんだ?」

 ハイネが彼を見つめ、やがて破顔した。

「潜伏だなんて・・・私は薬品庫で薬剤の管理人をしていました。執政官からの要請に従ってロボットに薬剤を計量させたり調合させたりして・・・不適当な薬剤使用がないかチェックしていただけです。」
「君は薬剤師だったのか・・・」
「そんなところです。」

 そしてもう1度ケンウッドを真面目な目で見た。

「今日の『お勤め』を受けるジャック・エイデン・ドーマーは不適切な薬物服用の疑いがあるので、私が来ました。」
「薬物?」

 ケンウッドはハイネが言った意味をすぐに呑み込めなかった。

「エイデンは貝類のアレルギーだが?」
「それは事実です。しかし・・・」

 その時、「お勤め」用更衣室にドーマー達が入室したと言う連絡が入った。ケンウッドの端末にライトが点滅し、執政官の籤引きが始まった。「お勤め」を担当する執政官は、その時刻に手が空いていると登録されている執政官達の中からコンピュータが無作為に選ぶのだ。当たった執政官は素直に検査を行わなければならない。ドーマーを待たせて彼等の勤務時間を必要以上に削ってはいけない。
 ケンウッドは今回エイデン・ドーマー自身からの逆指名が入っているので、籤の対象外だが、「お勤め」の指図者だから籤の結果が通知される。
 ケンウッドが当選した執政官の氏名を確認している間に、ハイネは席を発って近くの助手に白衣を借りたいと申し出た。長身の彼の為に一番背が高い助手が予備の白衣をロッカーから持って来た。

「『お勤め』の検査室に入れる執政官は1人と決まっているはずですが?」

と助手が心配するので、ハイネは笑った。

「私はドーマーですよ、先生。」

 遺伝子管理局長に「先生」と呼ばれて、助手は赤面した。彼はコロニー人だがまだ執政官ではない。ドーマー達からコロニー人として距離を置かれても執政官として尊敬の対象にされたことはなかった。ハイネは彼の白衣に袖を通しながら、

「汚さないように気をつけます。」

と言った。助手は、相手が彼をコロニー人として立ててくれているのだと気が付いた。それでも、彼は自身が相手を尊敬していることを伝えたかったので、応えた。

「貴方に着ていただけて光栄です、局長。」


2017年8月11日金曜日

侵略者 10 - 3

 昼休み、ケンウッドは中央研究所の食堂に行った。ヘンリー・パーシバルとヤマザキ医師が先に来ていて、既に食べ物を取って座っていた。ケンウッドが料理を持ってテーブルに行くと、パーシバルがヤマザキの筋肉疲労を笑っているところだった。

「地球人と同じペースで走れるなんて思うのが馬鹿なんだよ、君は・・・」

 みんなから馬鹿呼ばわりされてヤマザキはくさっていた。ケンウッドが席に着くと、パーシバルが話を説明しようとしたので、ケンウッドは「現場を見た」と言って遮った。

「私が行った時にはハイネは影も形もなかった。」
「彼は背が高いし、身体能力は見た目よりさらに若いからなぁ。足は速いだろうさ。」

 それでケンウッドは先刻の助手の指摘を思い出して、ヤマザキに尋ねた。

「ケン、うちの助手達がハイネが3年前より若返って見える、と言うのだが、どう思う?
私はずっと彼を見て来たので変化に気が付かないだけだろうか?」

 するとヤマザキが真剣な顔で言った。

「実は、見極め検査で採取した彼の血液を分析した結果、30代前半の時と同じ数値が出た。健康状態を維持出来る能力が優れているとも言えるが、遺伝子による細胞の活性化かも知れない。なにしろ黴を退治する為に大量の薬剤を投与したからね、どんな副作用が出るのか見当が付かない。彼の体に悪い結果は出ないはずだが、若返りは計算外だ。」
「一時的じゃないのか?」

とパーシバルは真面目に取り合わなかった。

「ハイネはその日の体調によって若く見えたり老けて見えたりするからな。」
「不思議な爺さんだ。」
「だから! その爺さんって呼ぶのは止めなよ。ケンだけだぞ、彼を爺さん扱いするのは。」

 その時、リプリー副長官が食堂に入ってきた。後ろに従えているのは秘書らしい。その男性の顔を見て、ケンウッドはもう少しでフォークを落とすところだった。副長官には関心がなかったし、秘書の存在など気にも留めなかったので、今まで気が付かなかった。

「あの男がリプリーの秘書かね?」

と囁くと、パーシバルが頷いた。

「うん、珍しいドーマーの秘書だ。リプリーは彼の有能さが気に入ってかなり以前から助手から秘書へ取り立てたらしい。ええっと名前はJC・・・なんか音楽家の名前だったような?」

 つまり、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーだ。急用と言うのは、リプリーが長官代理の副長官となって多忙になったから、秘書もフル稼働しなければならなくなったのだろう。ケンウッドの視線に気が付いて、ロッシーニ・ドーマーは軽く頭を下げた。勿論リプリーは秘書の正体を知らない。テーブルに着くと食事をしながら午後の仕事の打ち合わせだ。

「リプリーは忙しくなった様だな。」
「チクリ屋の報いだろう。」

 パーシバルはケンウッドも「チクリ屋」なのを知っているのだが、敢えて触れなかった。

「彼はリン派の粛正に着手したんだ。炙りだして糾弾するか、密かにドームから追い出すか、それの判断に当分時間を割かれるだろうよ。」


侵略者 10 - 2

 ケンウッドは研究室に入り、やっと落ち着いて仕事に取りかかれた。昨夜ドーマーの親方達と騒いだ助手も大人しく作業をしている。ドームの食堂では酒類は出さないので夜遅く迄騒いでも飲まないから、二日酔いの弊害は心配しないで済む。彼は作業が一段落付いた時に、ケンウッドに報告に来た。

「博士、昨夜フライングしてハイネ局長に着任の挨拶をしてしまいました。」
「私のアドバイスに従ってマリオ親方に紹介してもらったんだろ?」

 助手はエヘヘと笑った。

「はい。緊張して局長の前で固まっていたら、マリオから『そんなに固くなって、プロポーズでもする気か?』とからかわれました。そしたら局長が笑って手をさしのべてくれたんです。」

それでも彼はまだ固まっていたのだ。ケンウッドは一部始終を目撃していたが、コメントは控えた。

「ハイネは優しいだろ?」
「はい! もっと恐い人だと思っていました。でもあの後、世間話で盛り上がって、局長は監察棟に居た頃の失敗談とかいろいろ面白い話を語ってみんなを笑わせてくれました。」

 ケンウッドはその様子を想像出来た。ハイネは当たり障りのない話題を豊富に持っている。それを披露して若い連中をリラックスさせたのだ。語ってはいけない話は決してしない。
 後1時間で昼休みにしようと思う頃、研究室のドアチャイムを鳴らした者がいた。助手の1人が応対に出て、慌ててケンウッドに報告した。

「博士、遺伝子管理局長です!」

 助手達は驚いたが、一番驚いたのはケンウッドだった。過去に執政官の研究室を遺伝子管理局長が訪問した話を聞いたことがなかった。歴代の遺伝子管理局長は執政官と個人的な付き合いをしなかった。執政官に育てられても地球人としての誇りを保てと、執政官に教えられたからだ。遺伝子管理局長と言う役職は孤高の存在だった。しかし、現役の局長はお気軽にケンウッドの研究室に現れた。

「今日はジャック・エイデン・ドーマーの『お勤め』の日だったと思いますが?」

 とハイネ局長は応対に出たケンウッドに尋ねた。

「うん、午後1時半からの予定だ。」
「部下が急用で来られなくなりました。代わりに私が立ち会いますが、よろしいですか?」

 またもやハイネはケンウッドを驚かせた。部下とはロッシーニ・ドーマーのことだ。ハイネは内務捜査班の部下の名をケンウッドの助手達の前では言いたくないのだ。それにしても遺伝子管理局長がドーマーの「お勤め」に立ち会うなど前代未聞だ。何故ハイネもロッシーニもエイデン・ドーマーの「お勤め」にこだわるのだろう。他に2人のドーマーが選ばれているのに、彼等の方には関心がないのだ。立ち会った後で理由を聞かせてくれるのだろうか。
 ケンウッドは「かまわないよ」と答えた。

「昼食の後で、ここに来てくれ。ドーマー達が着替えたら検査室へ行く。」
「承知しました。では、昼休みの後で。」

 ハイネが立ち去ると、助手達が騒ぎ出した。特に女性達は大騒ぎだ。彼女達はこっそり写真撮影などしていた。

「博士、局長は3年前より若くなっていません?」
「まさか・・・」
「いいえ、私にもそう見えました。若返っています。」
「肌の艶なんか、羨ましいほどですわ。」
「そうだとしたら・・・」

 ケンウッドは皮膚の老化を研究する専門家だ。

「私は彼の皮膚サンプルを採ってこなければ・・・」
 
 冗談のつもりで言ったが、助手達の目は輝いていた。


2017年8月10日木曜日

侵略者 10 - 1

  翌朝、ケンウッドは早起きしてジョギングに出かけた。昨日はドーマーの脱走騒ぎや緊急会議で運動をさぼってしまったので、いつもの体調に戻す必要があった。
陸上競技場のトラックに入ると、前方をとぼとぼ歩いている男がいた。近づくと医師のヤマザキ・ケンタロウだった。肩で息をしながら運動着姿でコースを歩いているのだ。
 ケンウッドがおはようと声を掛けると、彼は疲れた声で返事をした。

「朝っぱらからなにくたびれているんだ?」
「くたびれている訳じゃない。」

 ヤマザキが言い訳した。

「ハイネが退院翌日に運動すると言うので、ぶっ倒れないか心配になって、一緒に走ったんだ。」
「馬鹿じゃないか?」

とケンウッドは思わずそう言ってしまった。

「この重力のある星で地球人と一緒に走るなんて・・・」
「重力を忘れていた訳じゃない。相手が爺さんだと思って油断したんだ。」
「ハイネを爺さんだと思うのは君だけだ。」

 ケンウッドは運動場を見廻した。ハイネの姿はどこにもなかった。ヤマザキは置き去りにされたのだ。

「もう少しすれば若いドーマー達が走り出す。彼等が来る前にジムのシャワーを使おう。」

 ケンウッドはヤマザキに合わせて速度を落とし、2人は並んで走った。

「ケンさん、君は重力が苦にならないのか?」
「苦にならないと言えば嘘になるが、筋力トレーニングを毎日欠かさず行っているから、怠けている人よりはましだね。」
「言ってくれるね。」

 ヤマザキはなんとか呼吸を整えて走るリズムを取り戻した。

「僕も筋トレを始めないと・・・体力が続く限りここに居たいんだ。」

 ケンウッドはチラリと彼を見た。地球人に魅せられた人間がここにも1人・・・。
 ジムの更衣室にもハイネはいなかった。とっくにシャワーと着替えを済ませて朝食を摂りに行ってしまったのだ。既に病気になる以前の生活を始めている。嬉しいことだが、3年間つかず離れず世話をしてきたコロニー人達はちょっと寂しかった。
 1時間後、一般食堂で朝食を摂っていると、入り口でどよめきが上がった。見ると、見慣れぬドーマーが居た。遺伝子管理局のスーツを着用しているが、頭部は髪の毛がなく青々とした坊主頭だ。じっと見て、それがポール・レイン・ドーマーだとわかった時は仰天した。
ヤマザキも少し遅れて気が付いた。

「確か、遺伝子管理局の『美人』だよな?」
「うん、ポール・レイン・ドーマーだ。あの頭はどうしたんだ?」

 ドーマー達もびっくりしている。一体どうしたのか、とレインに尋ねているが、レインは無視だ。緑色に輝いていた黒髪を綺麗に剃髪してしまった。それが却って妖艶な雰囲気を醸し出している。彼は食事のトレーを持って所属チームが集まっているテーブルへ行った。彼の先輩達も驚いて彼を見ていた。
 ヘンリー・パーシバル博士が現れた。彼はチラリとレインの方を見たが、驚いた様子はなく、ケンウッドとヤマザキを見つけると手を振って、急いで料理をトレーに載せて支払いカウンターへ行った。それで彼はレインの剃髪の経緯を知っているのだな、とケンウッドは見当が付いた。
 果たして、テーブルに着くなり、パーシバルは言った。

「昨晩、ポールとリンの送還を見送りに行ったんだ。」
「レインはあの頭で?」
「うん。僕も待ち合わせ場所に彼が現れた時は、腰を抜かしたさ。ポールはリンが彼の葉緑体毛髪を愛していたことを知っていたから、剃髪して見せに行ったのさ。もう2度とあんたの物にならない、と言いにね。リンに伝わったかどうかは、知らない。あの男はポールを見つめて何か言いたそうだったが、ポールが背を向けたので黙ったままシャトルに乗り込んだ。」
「レインはやっと自由になったのか。皮肉だな、セイヤーズは彼が自由になることを望んでいたが、彼自身が脱走することでレインはリンと決別出来たんだ。」

 遺伝子管理局の局員達は所属班毎に毎朝朝食会を開き、その日の業務打ち合わせをする。通常は支局巡りとメーカー摘発の打ち合わせだ。だが今朝はセイヤーズ捜索も業務に入っているのだ。

「セイヤーズは捕まったらどうなるんだ? 再教育か?」
「よくわからないが、恐らくそんなところだろう。」
「誰が再教育するんだ?」
「それは執政官だろう。遺伝子管理局の仕事じゃない。彼等はセイヤーズを捜索して捕縛するだけだ。」
「セイヤーズが自発的に帰って来てくれれば良いのだがなぁ・・・」


2017年8月9日水曜日

侵略者 9 - 17

 ドーマー達のテーブルで笑い声が一段と大きくなった。ケンウッドが振り返ると、助手がハイネの向かいに立っていた。彼の顔は紅潮しており、ドーマー達はその緊張振りを笑っていたのだ。ハイネは暫く黙って若いコロニー人を見上げていたが、やがて優しい笑みを浮かべて片手を差し出した。素手の握手を許可されたのだが、助手は舞い上がってしまってその意味に気が付かない。ケンウッドは局長の機嫌を損ねないかとハラハラしながら見守った。するとマリオ・コルレオーネ・ドーマーが助手の耳に何やら囁いて、若者を現実に引き戻した。助手は慌てて衣服で手を拭いて、差し出されたハイネの手を握った。ドーマー達がまた歓声を上げた。
 力が抜けてボーッとしてしまった助手を空席までマリオ・コルレオーネ・ドーマーが誘導した。 
 ハイネがケンウッドを振り返って、肩をすくめて見せた。彼はちゃんとケンウッド達がそこに居るのを知っていたのだ。ケンウッドは助手を受け容れてくれた彼に黙礼して見せた。
 ハナオカ書記長が元の席に戻ろうと立ち上がったので、ケンウッドは今夜はドームに宿泊するのかと尋ねた。

「いや、3時間後に発つ。サンテシマ・ルイス・リンも連れて行く。真夜中に出発すれば、ドーマー達の目につくこともないだろう。昼間の騒ぎを覚えているか? ドーマーが集結していただろう?」
「目の前で見ました。しかし、あの集結のメインは、ハイネの復帰を見に来ただけですよ。彼等は素直にハイネの言うことを聞いてくれました。」
「そんな風に同胞に指図が出来るように、我々はハイネを躾けたのだ。彼の誕生は偶然だったが、あの身体的特徴を発見した執政官は、使える、と思ったのだろう。若さを保つ細胞と純白の体毛だ。ミヒャエル・マリノフスキーの白髪は成長に従ってダークヘアの色素が抜けていったが、ローガン・ハイネは生まれつきだ。しかし色素欠乏症ではない。白変種だ。父親がああ言う色の体毛を持つ家系の出と言うことだ。そして母親から「待機型」進化型1級遺伝子を受け継いだ。神がかったドーマーとして育てると言うアイデアを、当時の執政官達は最善と考えたのだろう。あんな子供をドームの外に出せば、必ずメーカーに狙われる。だからドームに残してドーマー支配に利用しようと考えた・・・。」
「ハイネにすれば迷惑だったでしょう。」
「迷惑?」
「若い頃の彼は外に出たかった・・・。」
「彼はダニエル・オライオン・・・彼の部屋兄弟だ。」
「知っています。会ったことがあります。」
「そうか・・・では、当時のことを少しは知っているのだな。ハイネはオライオンについて行きたかった、それだけだ。ドームの外の世界がどんなものか、彼には知ったことではない、弟のそばに居られれば、彼は満足だったはずだ。」
「何故ドームはオライオンを引き留めなかったのです?」
「私が赴任する前の話だから詳しいことはわからん。恐らくオライオンが外の世界を知ってしまったので、閉じ込めるのは酷だと思ったのだろう。しかしハイネに外の世界の話を聞かせるのは歓迎出来ない、だからオライオンを外へ出した。そんなところだ。」

 ハナオカ書記長はドーマー達を目を細めて眺めた。

「あのテーブルのドーマー達は全員外に出ないまま一生をドームの中で過ごす連中だ。だから、ハイネは気が楽なのだろう。あんなに楽しそうな彼を見たのは、初めての様な気がする。」

 友人の過去を知る人間に嫉妬した訳ではなかったが、ケンウッドはもっと幸福そうなハイネを見たことがある、と思った。

 蜂蜜をたっぷりかけたクワトロ・フォルマッジを食べる時のハイネの至福の表情をこの男は知らないのだ。

侵略者 9 - 16

 ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが食堂に入ってきた。彼が地球人類復活委員会の最高幹部達のテーブルに近づいた。するとハイネが立ち上がり、ワッツをハレンバーグ委員長達に紹介した。足腰に問題がある委員長が立ち上がろうとしたので、ワッツが止めて挨拶した。ハイネは幹部達に何か言って、身をかがめると彼等の頬に順番にキスをした。これを見た若い執政官達は驚いたはずだ。ケンウッドもびっくりした。ローガン・ハイネ・ドーマーがコロニー人にキスをしたのだから。ハイネは特に女性のシュウ副委員長には念入りに両頬にキスをした。そして自身のグラスと皿を手に取り、ワッツと共にドーマー幹部が集まっているテーブルへ移動した。ドーマー達から歓声が上がり、全員が立ち上がってハイネを迎えた。

「ドーマーの親方達が局長の復帰を歓迎しているんですね。」

と助手が囁いた。ケンウッドは頷いた。

「うん、きっとあっちが先約だったんだな。ハイネは委員長の誘いも断れないのできっと困っていたのだろう。」
「局長が挨拶のキスを委員長達にしたら、他のテーブルの人達が驚いていましたね。」
「相手がコロニー人だからだろう。ドーマー達はそんなに驚いた様子を見せなかった。」

 ケンウッドは、ハイネは自分にはしてくれたことがないな、とふと思った。もっともキスをされたらされたで、何か含むところがあるのか、と疑ってしまうだろう。
 ハイネを囲んでドーマー幹部達が賑やかに食事会を始めると、委員長のテーブルにも執政官達がご機嫌伺いに訪れ始めた。今回のリン長官更迭に連座しそうな人々だろう。自分達が処分対象になるのか否か、探りにきているのだ。
 助手がドーマーのテーブルに馴染みの顔を発見した。

「輸送班のマリオ・コルレオーネ・ドーマーだ! 僕は引っ越しを5回もしてしまったので、顔馴染みなんですよ。ちょっと挨拶に行ってきても良いですか?」

 本心はハイネに近づきたいのだろう。正式な紹介なしに遺伝子管理局長に面会してしまおうと言う魂胆だ。ケンウッドは疲れていたし、面倒臭くなったので、助手に言った。

「コルレオーネから局長に紹介してもらえばどうだ? 私はもう帰るから。ここで解散としよう。」

 助手はあっさり承知した。

「わかりました。もし彼を怒らせたら、明日博士が執り成しして下さいね。おやすみなさい。」

 ちゃっかり先手を打つと、彼は自身のトレイを持ってドーマー達のテーブルへ歩き去った。
 若者の恐いもの知らずに呆れながら、ケンウッドが皿の上を綺麗に片付け終わる頃、ハナオカ書記長がやって来た。

「久し振りだな、ケンウッド。」

 幹部の中では一番若いが、それでもハイネよりは年上だ。ケンウッドが立ち上がろうとすると、彼は「そのまま」と言って、さっきまで助手が座っていた席に腰を下ろした。

「君がドーマーの脱走を通報してくれて、やっとリンの処分に取りかかれた。礼を言う。正直なところ、リプリーの訴状の山にはうんざりしていたのだ。」
「副長官が訴状を送っていたなんて、今朝初めて知りました。」
「彼は訴状の他にもメールやら何やら、あの手この手で訴えて来たぞ。しかし似た様な訴えは昔から絶えないし、他のドームからも来る。リンほどではないがな。」
「やはりセイヤーズの遺伝子は問題ですか?」
「大問題だ。君はよく気が付いたな。」
「私ではありません、ハイネが、私に通報しろと勧告したのです。」
「ドーマーからの告訴は後回しにされると警戒したのだな。アイツは結構な策士だろう?」
「そうですね。裏からの操作が巧いです。でも腹黒さがないから、操られる方も気持ちが良い。」
「ドームの中で純粋培養されたからな。」

 ハナオカは離れた所にいるドーマー達をチラリと見た。

「あの群れの中では最も若く見えるが、一番の年寄りだ、ハイネは。」
「でもみんなから慕われています。」
「彼の前後20年間はドーマーを採用しなかったからな。一番年齢が近い男でも10歳下だ。彼はみんなの兄貴なんだ。」

 でもハイネ本人はダニエル・オライオンだけの兄貴のつもりだ、とケンウッドは知っていた。

「私がここで勤務していた頃は、ハイネは大人のドーマーの中で一番若かった。同世代が1人もいないので、可哀想に独りぼっちで、執政官しか話し相手になれなかったのだ。今、ああして大勢に囲まれている彼を見て、安心した。」

 ハナオカ書記長はそう呟いて微笑んだ。



2017年8月8日火曜日

侵略者 9 - 15

 ケンウッドは研究室に行き、助手達に今日は早めに終わっていいよ、と言ってから自身は休憩スペースで長椅子に横になった。助手達が会議の結果を聞きたそうにしていたが、疲れていたし、ネットでドームニュースを見ればわかることだと思った。
 何も考えず何の夢も見ないで爆睡して、目が覚めるとドームの外は夜になろうとしていた。助手達は大方帰っており、2,3人が残って後片付けをしたり日報をコンピュータに入力しているところだった。
 一番若い助手が博士が目覚めたのに気が付いてそばに来た。

「博士、そろそろ部屋を締めようと思っていました。まだ何か用事がありますか?」
「いや、私も食事に行ってそのまま帰る。」

 すると彼はちょっとそわそわした様子で囁いた。

「僕もご一緒させてもらって良いですか? 今日、ローガン・ハイネが幽閉を解かれたんですよね?」

 そう言えばこの若者はまだハイネの実物を見たことがないのだ。ケンウッドについて行けば局長に会えると思っている。ケンウッドは翌朝にでも遺伝子管理局本部に彼を連れて行って遅ればせながらの「着任の挨拶」をさせるつもりだったので、焦って会うこともないだろうと思った。時計を見ると7時を少し過ぎていた。

「中央研究所の食堂へ行こう。多分、本部のお偉方と一緒にハイネが居るよ。」

 爺さん婆さんは結構ですよ、と軽口を叩きながら助手はついて来た。ハイネも爺さんだぞ、とケンウッドは心の中で呟いたが言葉には出さなかった。
 食事時にも関わらず、中央研究所の食堂は静かだった。客は入っているのだが、一般食堂の様な活気がない。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長はハレンバーグ委員長、シュウ副委員長、ハナオカ書記長と共に4人でテーブルを囲んでいた。しかし3人の本部役員が食事をしているのにハイネ1人だけ軽いつまみと飲み物だけを前に置いていた。テーブルは和やかな雰囲気で、どうやら老人の昔話の席の様だ。
 助手が立ち止まってハイネを見つめているので、ケンウッドは肘を突いて追い立てた。他の人の迷惑になるし、ハイネも嫌だろうと思った。
 テーブルに着くと、助手が体を前のめりにして小声で囁いた。

「本当に彼は80歳なんですか? どう見ても40代ですけど?」
「体調によって50代に見える時もあるさ。だが本当は82だよ。」

 助手は感心することしきりで、見るなと言われてもどうしても最高幹部達のテーブルの方へ視線が行ってしまった。
 食事が半ばまで進んだ頃、食堂の客が増えてきた。それが普段の中央研究所食堂の雰囲気ではない客ばかりだ。
 ケンウッドは、新たに入って来た人々がドーマーであることに気が付いた。ドーム維持班傘下の各部署の責任者達ばかりだ。制服姿だったり、私服に着替えていたりしていたが、紛れもなく職人芸を持つ技術系のドーマーばかりだ。
 彼等が出産管理区の食堂が見えにくい隅っこのテーブルに陣取ると、何故かハイネがそわそわし始めた。

侵略者 9 - 14

 リプリー副長官が医療区長に会議の後で書類を副長官執務室へ提出するようにと指示を出した。コートニーはハイネに頷いて見せたので、ハイネも軽く黙礼して議場を出ようとした。するとハレンバーグがまたも声を掛けた。

「ハイネ、今夜は時間を空けておいてくれないか?」

 ケンウッドはハイネが口の中で「ちぇっ」と呟くのを目撃したが、局長は半分だけ振り返って、「では7時に中央研究所の食堂で」と返事をした。そしてさっさと出て行った。
 地球人が姿を消すと、ハレンバーグ委員長は議場内を見廻した。

「このアメリカ・ドームのみならず地球上の各ドーム施設でよろしくない風紀の乱れが目立ってきているようだ。
 地球人は女性の数が少ないから、どうしても男性同士で恋愛する傾向がある。しかし、コロニー人がそれに便乗するのは言語道断だ。勿論、コロニー人に恋愛の自由は保障されているが、地球人を相手にするのは謹んでもらいたい。
 諸君が地球の重力に耐えられる限界は長くても10年かそこらだ。諸君がどんなに真面目に地球人を愛しても、何時かはここを去らねばならない。諸君の健康を守るために、そうせざるを得ないのだ。だが、残される地球人の気持ちはどうだろうか。彼等は宇宙に出ることを禁じられている。諸君と共に生涯を全うすることが適わない彼等に、余計な期待を抱かせないでもらいたい。
 友情や愛情は大切だが、地球人とは距離を置いて付き合うようにお願いする。」

 パーシバルはケンウッドを振り返った。ケンウッドは肩をすくめただけだった。ハレンバーグの言葉はそれこそ事なかれ主義に聞こえる。だが、委員長は今はただドーム内の秩序を取り戻せと言いたいだけなのだ。
 その時、サンテシマ・ルイス・リンが独り言の様に言った。

「確かに距離を置くのは大切だ。ドーマーに入れ込んで家族をないがしろにした女だっていたのだから・・・」

 シュウ副委員長が彼の言葉を耳にした。彼女が座ったまま言った。

「貴方の母上、ナディア・リン博士は決して家族をないがしろになどしませんでしたよ。」
「他人だからそう思えるだけですよ。」

 リンが吐き捨てる様に反論した。

「母はドーマーに恋をしたんです。白い髪のドーマーに入れ込んで、相手にされないのに熱中して、最後には家族と過ごすのが苦痛になってコロニーの家を出て行った・・・。」

 シュウが首を振った。

「貴方のお父様がそう思いたかっただけですよ。ナディアは貴方のお父様と性格が合わなくて家を出て行っただけ。それに彼女が勤務していたのはアメリカではなくアフリカでした。白い髪のドーマーと言うのは、恐らく当時アフリカ・ドームに居たミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーのことでしょう。彼の栄養素を溜め込む細胞の遺伝子をアフリカの食糧難に活かせないか、研究の為に西ユーラシアからアフリカへ貸し出されていたのです。ナディアは飢餓に苦しむ西アフリカの子供達を救う研究に没頭していました。
でも貴方のお父様は彼女が大勢の貧しい子供達の救世主になるより1人の子供の母親であって欲しいと願ったのです。」

 シュウ副委員長は痛ましそうにリンを見た。

「貴方はここへ復讐に来たのね。間違ったドームへ、間違った相手を標的にして・・・」
「同情は要りません。」

 リンは顔をハレンバーグに向けた。

「月へ行きます。荷物をまとめたいので退出を許可して下さい。」
「許可する。」

 ハレンバーグは保安課員に合図を送り、リン元長官を議場から連れ出すよう指示した。

 パーシバルがケンウッドに囁きかけた。

「リンの子供時代って、一体何時の時代の話だ?」



2017年8月7日月曜日

侵略者 9 - 13

 正午頃になって食堂に人が集まり始めた。ハイネは空になった食器をトレイに集めて立ち上がった。

「会議再開まで、少し昼寝をしてきます。」
「観察棟で?」
「アパートで。」

 彼は片眼を瞑って見せた。

「3年振りの我が家ですよ。」

 彼は返却カウンターへ向かったが、すぐに人だかりが出来てしまった。

「可哀想に」

とパーシバルが呟いた。

「昼休みが終わる迄に彼はアパートに帰り着けるだろうか?」
「私等もそろそろアパートに帰らないか? シャワーを浴びたいし、着替えもしたい。」

 ケンウッドの提案に彼は頷き、2人も食器を返却して執政官用のアパートに帰った。
 ケンウッドは部屋に入ると真っ直ぐベッドに向かい、服のまま寝転がった。直ぐに眠りに落ちたが、20分後には端末にセットしたアラームで起こされた。20分は体が寝てしまう直前のぎりぎりの時間だ。彼は起き上がり、バスルームでシャワーを浴び、髭を剃った。新しい服を着て外に出ると丁度1時だった。急いで中央研究所の会議室に向かった。
 議場内はまだ全員が揃っていなくて、ざわざわと騒々しかった。上座の幹部達もまだ来ていない。どうせなら2時再開にすれば良かったのに、とケンウッドは恨めしく思った。
ヘンリー・パーシバルもまだ来ていなかった。ポール・レイン・ドーマーのファンクラブ全員がまだ来ていないので、何処かで今後のことを論じ合っているのかも知れない。
 ハイネ局長がシュウ副委員長と共に入って来た。杖を突いているシュウに彼が手を添えている感じだ。副委員長は97歳、若い頃にこのドームで勤務していた。ハイネより15歳年上だから、少年時代の彼を知っているのだ。しかし彼は特に彼女の来訪を喜ぶ風でもなく、無表情に介助しているだけだった。ドアが閉じると、彼女は彼に「ここで良いわ」とそれ以上の介助を断り、1人で上座へ進んだ。
 ハイネは彼女を見守るでもなく、くるりと体の向きを変えて自身の席に着いた。ケンウッドは似た様なシーンを以前にも見た気がしたが、それが何時何処でだったか思い出せなかった。
 シュウ副委員長が時間をかけて席に辿り着く頃に、議場内の席が埋まり始めた。ハレンバーグ委員長とハナオカ書記長は一緒に姿を現した。リプリー副長官も一緒だったので、ケンウッドは何となく心穏やかでないものを感じた。
 やっとパーシバルとファンクラブの面々がやって来て、最後にリン長官が保安課員に付き添われて来た。

「みんな戻ったかな?」

とリプリーが声を掛けた。どこからも異存がないようなので、彼は委員長に頷いて見せた。
 ブーンと重力サスペンダーのモーター音を微かに響かせながら、ハレンバーグ委員長が立ち上がり、執政官会議の再開を宣言した。

「この度のアメリカ・ドームの失態に関し、月の評議会と執行部会、それに理事会とも話し合った結果・・・」

 委員長は場内を見廻して言った。

「サンテシマ・ルイス・リン氏のアメリカ・ドーム長官職を解き、月へ送還することとする。理由は、職務怠慢によってドーム内の秩序を乱し、外野に放つべきでない進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを逃がしたためである。」

 リンが立ち上がり、決議を受け容れることを示して頭を下げた。更迭される屈辱で顔は血の気がなかった。進化型1級遺伝子危険値S1ランクの人間を野放しにすることは、宇宙連邦法違反でもある。コロニーによっては宇宙軍が管理する遺伝子なのだ。委員長は月に送還された後、リンにどんな処分が下されるのかまでは言わなかった。それは裁判があるからだろう。
 委員長は続けた。

「リン氏に引き連れられて行動した者も複数いるが、今日は触れない。但し、これから詳細に吟味して行くので、心当たりの者は身辺整理をしておくように。」

 リンの腰巾着達も青い顔をしていた。

「リン氏の後任には、いずれ正式な通達が月から来るが、取り敢えず今日から副長官のリプリー氏にお願いする。間違えないように言っておくが、リプリー氏は副長官のままであるから、長官職は空いている。」

 委員長はリプリーに勘違いするなよと言って聞かせているのだ。ことなかれ主義の副長官は頷いて見せただけだった。
 ハレンバーグ委員長は遺伝子管理局長の席を見て、眉を寄せた。ケンウッドも同じ方角を見て、もう少しで笑いそうになった。椅子に座ったままハイネが大きく船を漕いでいたからだ。
 隣席の女性執政官がハイネの肩を軽く叩いて起こした。ハイネは大きく溜息をついて目を開き、委員長を見据えた。そして尋ねた。

「新しい長官は月から来るのですか?」
「その予定だ。」

 ハレンバーグはハイネが寝ていたのかタヌキ寝入りをしていたのか、判断しかねた。

「今回の様なドーム内の多数の人間が関わっている事案では、全く無関係の人間を送り込む。しがらみがない場所で、好きな様に改革をしてもらう。」

 ハイネが何も言わないので、彼は尋ねた。

「君は反対かね?」
「いいえ、それで進めて下さい。私は新しい長官をどんな風に虐めるか考えておきます。」

 ハイネは立ち上がった。

「業務があるので失礼します。ところで、コートニー医療区長・・・」

 いきなり名前を呼ばれて、コートニーがぎくりとした。

「何かな?」
「昨日の見極めの結果を知りたいのですが?」
「ああ・・・」

 コートニーは固い微笑みを浮かべた。

「もう君の病気は完治している。長官の承認をもらえれば、君は今日から自由に仕事が出来る。」

 ハイネは委員長を見た。

「長官が更迭されました。副長官の署名でかまいませんか?」

 ハレンバーグ委員長が首を振った。

「病気が治っているのだから、署名する人間にこだわる必要はない。リプリー長官代理、君の初仕事だ。」






2017年8月6日日曜日

侵略者 9 - 12

 一般食堂は11時に朝食メニューが終わってランチメニューに切り替わったところだった。昼休みには早いので食堂内は閑散としていた。殆どの執政官が中央研究所の食堂に行ってしまったからだ。だから、配膳コーナーの料理は多くが出来たてで誰も手を付けていない状態だった。これは滅多にランチメニュー開始時刻に巡り会えなかったローガン・ハイネ・ドーマーを喜ばせた。彼は出来たてほやほやのラザニアにサーバーをグイッと押し込み、なんとバットの中身半分をごっそりと自身の皿の上に載せた。厨房のモニターでは客の手しか見えない。誰だかわからない手が料理をいきなり半分取ったのを、厨房スタッフは見た。
 司厨長が飛んで来た。

「おい、なんてことをするんだ! 今日はローガン・ハイネが自由の身になったお祝いにそれを作ったんだ。おまえさんが半分食ったらハイネの分がなくなるだろ!!」

 ハイネは全く気にしないでまだグツグツ音を立てているラザニアに粉パセリを振りかけながら言い返した。

「まだ半分残っている。もう半分を焼いて足せば良いじゃないか。」

 彼の声を聞いて司厨長はハッとした。配膳棚の間から客を覗いて、純白の髪のドーマーを見た。彼が仰天している間にハイネは副菜を3皿選んで支払いを済ませ、先に食べ物を取ってテーブルを確保したケンウッドの元へ行った。テーブル周辺にチーズの香りが広がった。ケンウッドはハイネがラザニアを選ぶだろうと予想したので、自身のメインをアクアパッツァにしておいた。少し遅れてパーシバルが2つのメインディッシュを少しずつ取ってやって来た。

「司厨長が泣いているのだが、虐めたんじゃないだろうな、ハイネ?」
「そんな覚えはありません。」

 ケンウッドは笑った。司厨長は再びハイネとチーズ料理を巡って喧嘩が出来たので感激して泣いているのだ。ハイネ本人はチーズの伸びが良くないと文句を付けながらも幸せそうだ。

「それにしても、今朝はリンが集中砲火を浴びていたが、彼のシンパも無事では済まないだろうな。」

とパーシバルが会議の内容に話しを持って行った。

「実を言うと、僕は不安なんだ。ファンクラブもドーマーをペット扱い同然に振る舞っていたからね。糾弾されたら、違うなんて言えないし、証明も出来ない。もし更迭されることになったら、ニコ、君はきっと無事だろうから、ポールを頼むよ。あいつはああ見えて寂しがり屋なんだ。セイヤーズが逃げたから、かなり参っている。」
「何を言っているんだ、ヘンリー。君達はレインや若い連中を何時もリンから守っていたし、相談にも乗っていたじゃないか。それにレインは存外しっかりしている。」

 ハイネはこの会話に入って来なかった。チーズの糸をまとめるのに忙しかったのだ。

「ポールも無事に済むとは思えないんだ。リン一味に懐柔されたドーマー達は異例の出世をしている。ポールも地位こそ上げてもらっていないが幹部候補生としてかなり優遇されている。きっと処分対象にされると思う。」

 ケンウッドはハイネを見た。ハイネは固まり掛けたチーズで挽肉を包み込もうと奮闘中だ。だが、会話を全部聞いて理解している、とケンウッドは確信した。ただ現在は審議中だから何も言わないのだ。

侵略者 9 - 11

 中央研究所の出口で先に会議場を出た執政官達が渋滞していた。ケンウッドが最後尾の人にどうしたのかと尋ねると、その執政官は不安げな声で答えた。

「外にドーマーが集まっているんです。」

 ケンウッドはハイネを振り返った。ハイネもその返答が聞こえたので、執政官達を掻き分けて前へ出て行った。ケンウッドとパーシバルもくっついてついて行くと、中央研究所の玄関の外に大勢のドーマー達がいて、こちらを見ていた。維持班もいればスーツ姿の遺伝子管理局の局員もいる。彼等はハイネが建物から姿を現すと、突然歓声を上げて押し寄せて来た。ケンウッドの目の前でハイネがドーマーの波の中に消えてしまった。ケンウッドはドーマー達がハイネの名前を連呼し、リンを追放せよと叫んでいるのを聞き取った。
 パーシバルが囁いた。

「まいったな、ドーマーが執政官に意見しているぞ。」

 建物の中の地球人類復活委員会の幹部達には聞こえないはずだが、報告は行くだろう。ドーマー達はハイネがドーマー社会に帰還したことを喜び、リン長官の横暴を止めてくれと訴えているのだ。ドーム幹部の対応次第では暴動が起きかねない。玄関にいる保安課員がうろたえているのが見えた。同胞に同調すべきか、それともこの騒動を鎮圧すべきか、迷っているのだ。
 ケンウッドは出せる限りの声を張り上げた。

「ハイネ、この騒動を鎮めろ!」

 人の波の中から手が高く上へ伸ばされた。

「静かに!」

とハイネのよく透る声が響いた。途端に騒ぎが潮が引くようにハイネが立っている辺りからすーっと収まっていった。ドーマー達が興奮を我慢しているのを確認して、ハイネが言った。

「今日は朝から月の地球人類復活委員会の幹部が3名、地上に降りて来られて、執政官会議を開いている。博士達は早朝から朝ご飯も食べずに話し合ってお疲れだ。昼休みをはさんで、午後からも会議の続きがある。執政官達に休憩を取らせてあげて欲しい。道を空けて通して差し上げよう。」

 すると、ドーマーの人垣の中から1人のドーマーが出て来た。ドーム維持班の総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーだ、とケンウッドは見分けた。普段はあまり執政官と接点がないが、ドーム修復で巡回してくるコロニー人技術者達と裏方仕事をしている職人だ。執政官達は彼を「親方」と呼んでいる。

「ローガン・ハイネ・ドーマー、貴方が生きて戻って来て嬉しく思う。」

 彼が挨拶すると、ドーマー達がまた口々にハイネに復帰を祝う言葉を叫びだした。ハイネはまた片手を挙げて彼等を制した。

「3年も職務から遠ざかり、心配をかけてしまって、申し訳なかった。君達の元気な姿をここで見られて私は嬉しい。私はコロニー人に命を救われた。地球はコロニーに命を繋いでもらっている。だから、彼等の仕事を遅らせないようにしなければならない。
 会議の内容は後で発表があると思うが、ドーム行政の改善に関することだ。みんなの生活にも関わってくる。だから妨害してはならない。さぁ、道を空けなさい。」

 ドーマー達が左右に分かれて通路を作った。ハイネが建物を振り返り、どうぞ、と手を振った。執政官達がおっかなびっくりの様子で歩き出した。自分達が育てたドーマーを恐いと思ったのは初めてだ。言いなりになっていた地球人がいきなり自我を持ったと感じられた。
 ケンウッドとパーシバルはハイネの横に立って執政官達が食堂に入っていくのを見送った。ハイネにはドーマー達が代わる代わる近づいて来て声を掛けていく。ハイネは1人1人に返事をする。疲れないかとケンウッドは心配になったので、そっと声を掛けた。

「我々も食堂へ行かないか、ハイネ?」

 ハイネがハッとした表情で振り返った。

「そうでしたね、早く行かないと昼休みが終わってしまいます。」

 そして彼は尋ねた。

「どちらの食堂へ行きますか? 私はチーズ料理が多い一般食堂が好きなのですが・・・」


侵略者 9 - 10

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、確かにローガン・ハイネ・ドーマーに危害を与えるつもりはなかっただろう。だがちょっかいは出し続けた。まるでハイネの気を惹こうと悪戯する幼子の様に。

 この男は精神状態が幼いままなのではないか?

 ケンウッドは蒼白な顔で椅子に戻った長官を見つめた。呼吸器系の遺伝病研究で大きな成果を上げて社会的に成功した男だが、誰かに愛情を表現するのが下手なのだ。
 ハレンバーグ委員長が溜息をつき、次の質問を開始した。

「西ユーラシア・ドームはセイヤーズの遺伝子情報を得たはずだが、向こうも彼をそのまま局員として使用したのは、どんな訳があったのだろうか?」

 ハイネが答えた。

「私は動けるようになってから、マリノフスキーに書状を送り、セイヤーズが自身の能力に気が付いていないことを知らせておきました。マリノフスキーはセイヤーズの素直な性格を鑑み、普通に扱ってやるつもりだと返事をしてきました。セイヤーズは彼の期待に背かず、真面目に勤務に励みました。それで、マリノフスキーは、ご褒美に彼に『直便』の役割で里帰りの機会を与えたのです。残念ながら、それが徒となってしまいましたが。」
「セイヤーズは逃げる目的でここへ帰国したのか?」
「それはないです!」

とパーシバルが声を上げ、周囲の注目を集めた。幹部達は彼を咎めず、発言を許す合図に頷いて見せた。パーシバルが語った。

「セイヤーズは到着した時、緊張していましたが、それはリン長官や彼の仲間と出会すことを恐れていたからです。彼は生細胞を届けると直ぐに西ユーラシアに帰るつもりでした。ですが、我々は彼を昔の仲間と会わせてやりたかった。宿泊の準備をして、彼をポール・レイン・ドーマーに会わせました。レインは彼をアパートに連れて行き、そこで何かがあったのです。」

 パーシバルは心の苦痛で顔を歪ませた。

「ファンクラブを主催する私が言うのも何ですが、ポール・レイン・ドーマーは愛情表現が下手な男です。自身の言いたいことをはっきり言えないのです。ですから、周囲に誤解を与えることがよくあります。相手を拒否したつもりで逆に誘っていると思われたりするのです。」

 彼は長官を見たが、長官は彼を見ようとしなかった。

「レインは恐らく愛情を示したつもりで、セイヤーズを撥ね除けてしまったのではないでしょうか。セイヤーズは絶望したに違い有りません。ただ、彼の選択に『死』はなかったと信じます。彼は知らない人ばかりの場所を求めて旅立ったのです。」

 ハレンバーグ委員長は、シュウ副委員長とハナオカ書記長を見た。2人の幹部が目で彼に訴えた。もうこれ以上は話し合うこともないだろう、と。
 委員長は議場内を見廻した。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した経緯はわかった。原因はこのドームの職員の勤務態度にあるようだ。これから幹部で審議に入る。午後1時から会議を再開する。それまでは、各自普段通りの業務に励んで欲しい。」

 するとキーラ・セドウィック博士が立ち上がって言った。

「出産管理区は会議に時間を割ける余裕があまりありません。審議の結果はみなさんに委任致します。午後も通常業務に戻ってよろしいでしょうか?」

 女帝の固い表情にハレンバーグ委員長が頷いた。

「出産は待ってくれない。貴女方の貴重な時間を取ってしまい申し訳なかった。どうか業務に戻って下さい。」

 出産管理区の女性達が立ち上がり、黙礼すると足早に議場から退出して行った。
 残った執政官達も立ち上がった。みんな疲れていた。早朝6時からの会議だ。朝食がまだだったし、寝不足の者もいた。
 ケンウッドとパーシバルも立ち上がり、出口に向かって歩き始めると、ハイネも席を立って彼等のそばに来た。

「これから朝食ですか?」
「うん・・・ブランチになるがね。午後の再開までちょっと寝たい。」
「お2人共、酷いお顔ですよ。」

 ケンウッドは頬を手で撫でた。無精髭が伸びている。それはパーシバルも同じだった。ファンクラブのメンバーは全員とても研究者とは思えないボロボロの姿だ。
 ハイネが彼等を見廻して提案した。

「朝食にご一緒してよろしいですか? 外の食堂は久し振りなので勝手がわからなくて。」
「おい、ハイネ・・・」

 ケンウッドは思わず愚痴った。

「君はいつからそんな爺さんみたいなことを言うようになったんだ?」
「私は最初から爺さんですが?」
「それじゃ、僕等は爺さんの引き立て役だな。」

 パーシバルの言葉にファンクラブの面々が笑った。

侵略者 9 - 9

 ケンウッドは、地球人類復活委員会の最高幹部達がアメリカ・ドームに来た本当の目的がわかりかけてきた。彼等はセイヤーズ・ドーマーが逃亡したから捕まえに来た訳ではない。脱走ドーマーの捕縛は遺伝子管理局に任せておけば良い。委員会の目的は、サンテシマ・ルイス・リン長官の職務怠慢と職権乱用の糾弾だ。ケンウッドが委員会本部に送ったものを含め54通の訴状には、リンとそのシンパがドーマー達をペット扱いして性的関係を強制したり、彼等を懐柔する為に無理な人事を行ったりしたことがつらつらと並べ立てられていた。しかし、それらは地球上のどこのドームでも大なり小なり行われているので、委員会としてははっきりと処罰対象として扱いにくかったのだ。ハイネが言ったように、執行部幹部にも地球勤務時代に同じ様な罪を犯した人間が複数いて、在勤の執政官に対して強く出られない弱みもあった。だが、進化型1級遺伝子危険値S1のドーマーを脱走させてしまった事実は見逃せなかった。

 セイヤーズはその気になれば地球上から宇宙へ攻撃も出来る能力を持っている。

「セイヤーズが自身の能力に全く気が付いていなかったのは幸いだった。それにしても、何故あんな危険な男を他所のドームに転属させたのだ? 知らぬこととは言え、本人の希望があったとも思えないが?」

 ハレンバーグ委員長の言葉に、ハナオカ書記長がさらに数通の訴状を表示した。

「その件に関しましては、リン氏の個人的な嫉妬心があったようですな。」

 訴状には、リン長官が力尽くでポール・レイン・ドーマーを愛人にしたこと、レインと親しいドーマー達に冷たい仕打ちを繰り返していたことが連綿と書かれていた。中にはファンクラブが知らない出来事まであり、描写も具体的で刺激的、パーシバルが口の中で「ぬあんだとう?」と怒りで呻く場面もあった。
 リン長官はもうリプリー副長官を見なくなっていた。副長官も訴状をこんな場所で公開されて、密告屋みたいな扱いで不愉快だったろう。
 ケンウッドの訴状はそんな芸能メディアが取り上げる様なスキャンダラスな内容ではなかった。長官やシンパの行動がドーマー社会に不安と相互不信を与え、ドーム全体の雰囲気が悪くなっていくことを憂えたものだった。ドーム行政の長がそんな社会を創って良いものだろうか、そんな人間がアメリカ大陸の地球人の未来を背負っているのは不安だ、と言う訴えだ。
 場内に居たリン長官の腰巾着の1人が立ち上がった。真っ青な顔で退席許可を求めた。気分がすぐれないと言うのだ。ケンウッドは彼の表情を見て、不安に襲われたので、クーリッジに声をかけた。

「彼の退席を認めてやって下さい。但し、保安課員の監視を付けて頂きたい。」

 クーリッジもケンウッドの懸念を理解した。部下を呼ぶと、その執政官に付き添うことを命じた。
 他にも数名が居心地悪そうな表情で退席を希望した。委員会幹部達はうんざりした表情でクーリッジに更に部下を呼ぶように要請した。
 訴状の全部がリプリー副長官とケンウッドのものとは限らず、他にも数名から送られて来ていた。ある1通は、リン長官が1年4ヶ月の眠りから覚めてまだ日が経っていないハイネを病室で襲うとしたと言う衝撃的な内容が書かれていた。これにはリン長官が蒼白な顔で立ち上がって抗議した。

「襲ったのではない、見舞っただけだ!!」

 彼は医療区の執政官達を睨み付けたが、医師達はただ黙って彼を見返しただけだった。リン長官はハイネにすがるような目で言った。

「私は貴方を襲ったりしていない、危害は加えなかった。そうだよな?」

 ハイネは考え込むふりをした。彼ははっきり記憶しているはずだ、とヤマザキ医師は思った。ケンウッドもハイネが目覚めた直後のことさえしっかり記憶しているのだから、病室侵入事件を忘れるはずがないと思った。
 しかし、ハイネは言った。

「よく覚えていません。なにしろ、年寄りですから・・・」
「ハイネ!!!!」

 リン長官が喚いた。しかし、ハイネはあの夜すっとぼけたのと同じく、ここでも呆けたふりをした。

「聞いた話によれば、私はベッドから落ちたそうです。そのままカディナ病の後遺症で昏睡状態に陥りましたので、当時のことは記憶にないのです。」
「ハイネ・・・」

とシュウ副委員長が愛しい我が子を見る様な優しい眼差しでドーマーを見つめた。

「貴方は本当に危険な状態から生還したのね。今、ここで元気な姿を見られて嬉しいわ。」

 ケンウッドはキーラ・セドウィック博士が「ふん」と言うのを聞いた。シュウ副委員長がハイネを見る目つきが気に入らないのだろう、きっと・・・。
 ハイネは特に感動もない目で副委員長を見返した。

「私も、貴女が今でもお元気でいらっしゃることに驚きましたよ。」

 80歳が100歳を励ましている。100歳の方はその年齢にふさわしく劣化した肉体だが、80歳は実年齢が信じられないほど若々しい。
 彼はリン長官に向き直った。

「長官は私に危害を加えようとなさったことは一度もありません。それは断言します。」


2017年8月5日土曜日

侵略者 9 - 8

 会議室の入り口にローガン・ハイネ遺伝子管理局長が立っていた。スーツ姿でネクタイを結びながら言い訳した。

「遅くなりまして申し訳ありません。なにしろスーツを着るのは3年ぶりですから、タイの結び方がわからなくて・・・」

 パーシバルが目を細めた。多分、多くの出席者が彼と同じ思いだったはずだ。

 この地球人はいつ見ても美しい

 ローガン・ハイネ・ドーマーはやはり寝間着よりもダークスーツが似合っていた。絹糸の様に輝く真っ白な髪はふさふさで、3年間の闘病生活で元々の色白がさらに白くなっているが肌は艶がある。とても80歳には見えない。
 ハイネは遺伝子管理局長の席に歩み寄ったがふと足を止め、

「この席でよろしかったですか?」

とわざとらしく尋ねた。隣席の女性執政官がとろけそうな笑顔で頷いた。

「貴方が戻ってこられるのをずっとお待ちしておりましたわ、局長。」
「どうも有り難う。」

 ハイネは上座に座っている地球人類復活委員会の最高幹部達に軽く会釈して椅子に座った。そして「どうぞ続けて下さい」と言う様に頷いて見せた。
 クーリッジが彼に、セイヤーズがバスに乗って去ったところまでを映像で一同に見せたと教えた。そして尋ねた。

「遺伝子管理局はセイヤーズ捜索にいつ取りかかる?」
「既に取りかかっております。」

とハイネ。

「ドーム内に居た局員で外出可能な者全員にシフトを組ませ、バスの追跡をさせています。彼が立ち寄りそうな箇所も検討して数名はそちらへ向かっています。」
「西ユーラシアには通報したのか?」
「しました。もし向こうに彼が戻ればマリノフスキー局長が直ぐに連絡をくれるはずです。」

 そしてハイネはさらに言った。

「連邦捜査局にも協力を要請しました。但し発見しても決して手を出さないように言い含めてあります。セイヤーズ捕縛には麻痺光線しか効力がありませんから。」

 彼はハレンバーグ委員長を見た。これ以上の報告はありませんよと目が言っていた。
 ハレンバーグ委員長は視線をハイネからリン長官に向けた。

「リン長官、セイヤーズはここのドームで生まれたドーマーだったと、我々は認識しているが?」
「そうですが・・・?」
「何故、進化型1級遺伝子危険値S1ランクの者を外廻りの遺伝子管理局員に任じて、他所のドームに転属させたのだね?」

 リン長官は汗を拭いながら言い訳した。

「それは・・・彼の入局の際に遺伝子管理局から何ら報告がなかったので・・・」
「でも入局者のプロフィールはご覧になったでしょう?」

と副委員長。彼女が副長官を見たので、副長官は渋面をしながらセイヤーズのプロフィールを映像に出した。顔写真と氏名、二親の氏名、生年月日、血液型、人種、身体的特徴の後に遺伝子情報がずらりと並んでいた。赤い文字で表示されているのは進化型1級遺伝子の特徴だ。セイヤーズには赤文字表示項目が13もあった。
 リン長官の表情が硬いまま、青ざめて見えた。彼は初めてセイヤーズのプロフィールを見たのだ。恐らく、愛人扱いしているポール・レイン・ドーマーのプロフィールも見たことがないだろう。レインの特技、接触テレパスを知らないのだから。
 シュウ副委員長が議場内に尋ねた。

「これを初めて見たと言う人はいますか?」

 彼女は場内のほぼ全員が手を挙げるのを見て驚愕した。唯一人、ローガン・ハイネ・ドーマーだけが挙手していなかった。ハイネ、とハレンバーグ委員長が呼んだ。

「君はこんな重要な案件を長官に報告するのを怠ったのか?」
「怠ったのではありません。不可能でした。」
「その件につきまして・・・」

 コートニー医療区長が発言しかけた。ハナオカ書記長が首を振って彼を黙らせた。ハイネに喋らせろと言うことだ。

「不可能とは?」
「当ドームにて、γカディナ黴による感染事故が発生しまして、私は不覚にも感染、発症してしまいました。セイヤーズの遺伝子特異性を入局式で発表するつもりだったのですが、出席することは適わず、一言も発言出来ませんでした。リン長官始めここに列席されている執政官の皆さんがセイヤーズの遺伝子情報をご存じないのは、そのせいです。」

 何故ハイネはリン長官を庇う様な言い方をするのだ? とケンウッドは不思議に感じた。

「すると、君はセイヤーズを局員にするつもりはなかったのだな?」
「ありませんでした。彼は内務捜査班に配属予定だったのです。」
「すると、彼を局員にしたのは、誰だ?」

 人々の視線が自分に集まったのを感じたリン長官が言い訳した。

「人事は私が代理局長を任じたヴァシリー・ノバックが行いました。」

 ここに不在の者に責任を押しつけた。ケンウッドは苦々しく思った。
 その時、ハナオカ書記長が自身の端末を出して言った。

「ここに、過去3年間、アメリカ・ドームから本部へ送付されて来た訴状が54通ある。執政官の素行に関する苦情だ。」

 ケンウッドは15通送った記憶がある。残りの39通は誰からだ?
 書記長が最初の1通を画像で表示した。

「ここに書いてある。3年前の入局式の様子だ。
 リン長官は遺伝子管理局長を画像中継で新人に面会させた。しかし、新人3名が自己紹介を終えると、局長に一言も話しをさせずに中継を打ち切った。
 それに間違いないか、リプリー副長官?」

 一同はまた驚愕して、ことなかれ主義の副長官を見た。
 副長官が小さく頷いた。隣の席のリン長官が真っ赤になって睨み付けているので、絶対にそちらを向こうとしない。
 リン長官が言い訳した。

「あの時、ハイネ局長は高熱を出していました。早くジェルカプセルに入れないと危険だったのです。」

 委員長は正面のハイネ局長を見た。ハイネは肩をすくめただけで何も言わなかった。それで、やっと委員長はコートニー医療区長に声を掛けた。

「当時、ハイネはどんな状態だったのだ?」
「確かに高熱を出していました。しかし、あの時はまだ意識がしっかりしており、中継を切られた後、秘書に後の事務処理等の業務引継を行いました。少なくとも1時間は正常に意識を保っていました。記録に残っています。」
「もし、中継が続けられていたら、セイヤーズの遺伝子情報を正確に長官に伝えられたのかな?」
「可能だったはずです。ですが、秘書への引き継ぎにそれを含める時間はなかった様です。」

 するとヤマザキ医師が発言許可を求めた。委員長が許可すると、彼は証言した。

「局長は秘書に長官へ伝言を依頼しました。新人のプロフィールを見るようにと。」
「その証言を裏付ける訴状もある。」

 ハナオカ書記長がまた別の文面を表示させた。

「遺伝子管理局局長第1秘書グレゴリー・ペルラ・ドーマーが幾度かリン長官へ面会を求めたが、長官は取り合わなかった。長官は贔屓のドーマー以外は接触するのを拒否している。」

 ハレンバーグ委員長が不思議なものを見る目でリン長官を見た。

「君は地球人を拒否するくせに何故地球勤務を希望したのだ?」