2018年2月28日水曜日

脱落者 13 - 5

 ハレンバーグ名誉顧問はケンウッドの記憶が確かなら、既に110歳を超えている筈だ。足腰は弱ってしまい、月のコロニーでさえも反重力サスペンダーの助けがなければ立っていられない。それでもまだ眼光が鋭く、知性を感じさせる。彼は斜め前に座ったケンウッドに微笑みかけた。

「久しぶりだな、ケンウッド博士。元気そうだな。この度のドームで起きた悲劇には心からお悔やみ申し上げる。」
「有り難うございます。貴方もお元気そうで何よりです。」

 ハナオカ委員長が主導権を取ろうと地球からの客に話しかけた。

「今日は忙しいところをご苦労だった。多くの人が参列してくれて、追悼式も無事に終わって安堵している。アメリカ・ドームも少しは落ち着いたかね?」
「テロを仕掛けた者が特定されて拘束されたので、取り敢えず安心したところです。不幸中の幸いでアフリカ・ドーム程の大きな被害は出ませんでしたから。」

 ハナオカが何か言いかけたのに、ハレンバーグが割り込んだ。

「しかし、我々の可愛いドーマーが傷モノにされた。」

 ケンウッドがムッとすると、若いヴェルティエンが先にハレンバーグの言葉に反論した。

「ローガン・ハイネは負傷しましたが、彼の価値が損なわれた訳ではありません。」

 ハナオカが急いで口を挟んだ。

「アメリカ・ドームでは副長官が重傷を負わされた。長官の仕事が増えて大変だろう、ケンウッド博士。」
「仲間が助けてくれていますから・・・彼等の為に早く地球へ戻りたいのですが、用件は何でしょうか?」

 それまで無視されていたエイリアス大佐がやっと出番が回ってきたと言う顔で口を開いた。

「貴方のドームから我等が憲兵隊のコンピュータに無断侵入した者がいる。」

 ケンウッドは隠すつもりなど毛頭なかったので、即時答えた。

「ローガン・ハイネ遺伝子管理局長です。」
「やはりハイネか!軍のデータベースに入るとは、流石だな。」
「あんな大胆な悪戯ができるのは、あの男しかおらんだろう!」

 ハレンバーグとハナオカが口々に彼等が育てたドーマーを誇らしげに呼んだ。お陰でエイリアス大佐は怒りを向ける標的を失ったかの様な気分に陥った。彼は苛立たしげに尋ねた。

「ハイネとは?」
「えっ? ハイネをご存知ないのですか?」

 ヴェルティエンが驚きの声を上げた。 ハナオカの秘書もびっくりして大佐を見たので、大佐は赤くなった。

 件の地球人のハッカーはそんなに有名なのか?

「アメリカ・ドームの遺伝子管理局の最高責任者だよ、大佐。」

 110歳を超えるハレンバーグ名誉顧問は軍人など怖くない、と言った風情で大佐に話しかけた。

「ドーマーと言う、研究用に当委員会が赤ん坊の時から養育している地球人達のリーダーだ。生まれつき優秀な男でな・・・」
「進化型1級遺伝子危険値S1を持っているのではないのか?」

 危険値S1の遺伝子は宇宙連邦法により、軍が管理することになっている。
 ケンウッド、ヴェルティエン、ハナオカ、ハレンバーグ、それにハナオカの秘書までがブンブンと首を横に振った。

「危険値S1は個体差があるが、あれは親の記憶を生まれながらに持っているのだよ、大佐。」

とハレンバーグが説明した。

「親はその親の記憶を持って生まれるから、危険値S1が生まれた時に持っている知識は膨大だ。彼等は学習する必要がない。機械を見ただけで、使い方も構造もわかってしまうのだから。しかし、話題のローガン・ハイネは危険値S1を持っていない。それは彼に接したことがある執政官なら皆知っている。ハイネは、学習しなければ機械を使えない。我々と同じだ。ただ、彼は恐ろしく頭が良い。記憶力は抜群だし、計算力も思考力も高い。だからちょっとしたヒントを与えれば、あとは彼自身で考えて解決出来るのだ。」

 ケンウッドはハイネの言葉をそのまま言うべきか迷った。ハッキングした方法をここで明かせば、ドナヒュー軍曹が過失を咎められるかも知れない。
 ケンウッドは言った。

「ハイネは、必要だったからやりました、と言いました。」



脱落者 13 - 4

 新しいアフリカ・ドーム長官が推薦と投票で決まった。新長官ははにかみながらも、本心はその大役が嬉しかったのであろう、笑顔を抑制しながら挨拶をした。ケンウッドはその新しい仲間を歓迎しながらも、候補者名簿に残った一つの名前に心を残した。ヴァンサン・ヴェルティエンの名が書かれていたのだ。ハナオカ委員長が秘書を連れて来いと言った理由がこれだったのだ。ヴェルティエンは長官職にふさわしい人物だ。ケンウッドもそう思う。文化人類学者だから、文化的に多様性に富むアフリカのドーム行政に意欲的に取り組んだことだろう。しかし、科学者達は遺伝子学者ではない彼に1票も投じなかったのだ。推薦リストに載せてくれたハナオカの気持ちはどんなだったろう。ケンウッドも身内なので投票しなかった。大事な秘書を手放したくなかったので、別の人に票を入れたのだが、ヴェルティエンに入れてやれば良かったと後悔した。
 ヴェルティエン本人は気にしていなかった。リストを見て、逆に

「なんかの間違いじゃないっすか?」

とクロエル・ドーマーの口真似をしてケンウッドを苦笑させた。

「みなさんが良識あって良かったですよ。ふざけて僕に票が入ったら、泣くところでした。まだケンウッド博士の下で働きたいですからね。」
「しかし、アフリカは君も興味がある土地だろう?」
「興味があっても長官職をこなすとなると人類学の研究どころじゃないですよ。先生を見ていてわかりますもん。先生、最近は殆ど白衣を着ておられないでしょう?」

 耳の痛いことを堂々と言う。ケンウッドもそれ以上選挙の話題を続けることはなかった。
 会議が終了すると、追悼式に集まっていた地球からの会席者は宇宙港へ向かい始めた。ドームには仕事が待っている。ケンウッドも帰ろうと思ったが、端末にメッセージが入った。ハナオカ委員長が委員長執務室に来るようにと要請してきたのだ。ケンウッドは気が重くなった。ハイネのハッキングの件で叱られるのは間違いない。ヴェルティエンに先に地球に帰っても良いよ、と言うと、出立前の出来事を知っているヴェルティエンは同行すると言った。

「ローガン・ハイネはふざけてやったんじゃありません。僕は彼を弁護します。」
「ハナオカもそれぐらいわかっているさ。だが、ハッキングされた相手が悪かった。」

 委員長執務室はドーム長官室に似ているな、とケンウッドは思った。手前に秘書スペースがあり、中央に会議用テーブルがあり、奥に執務机がある。違っているのは、窓だ。机の背後の壁が全面窓になっている。委員長は振り返ると偏光ガラスの向こう側に常に青い地球を見るのだ。
 ハナオカ委員長は憲兵隊の軍人とハレンバーグ名誉顧問と共に待っていた。ハナオカは入室したケンウッドとヴェルティエンに空いている椅子を勧めた。座った状態でハナオカが各人を紹介した。軍人はドームに通信してきたビーチャー大尉ではなく、その上官のエイリアス大佐だった。大佐が出て来ると言うことは、軍はこのハッキングをかなり問題視していると取って良いだろう。



2018年2月27日火曜日

脱落者 13 - 3

 場所を地球人類復活委員会本部に移して臨時会議が開かれた。理事、委員、職員、出席出来る者は殆ど顔を出した。
 最初に改めて犠牲者に黙祷を捧げた後、キルシュナー製薬の代表が壇上に立ち、同製薬会社からテロリストの一味を出してしまったこと、製造した薬が爆薬に作り変えられたことを謝罪した。彼等の重役の1人が「青い手」のシンパで、長い歳月をかけて仲間を増やしていったのだ。
 製薬会社代表と交替して壇上に上がったハナオカ委員長が、宇宙連邦軍憲兵隊からの情報を報告した。
 製薬会社にいたテロリスト達は、アフリカ・ドームとアメリカ・ドームから薬剤のオーダーを受注した時、同時多発テロを計画した。アフリカ・ドームには、受注した薬剤をそっくり偽物にすり替えた物を送付した。アメリカ・ドームの薬剤は不安定だったので完成品ではなく未完成品を送り、現場で爆薬を完成させる計画だった。彼等にとって幸いなことに、アメリカ・ドームの薬剤管理室には彼等のメンバーが室長として勤務していた。
 ドナルド・アンガス・フェリート薬剤管理室長は部下の女性ドーマー薬剤師を騙して爆薬を完成させる為の触媒を作らせた。
 アフリカとアメリカ、どちらが先に犠牲になっても、キルシュナー製薬から送られた薬が爆薬だったと判明するには時間がかかる、とテロリスト達は読んだ。しかしアメリカ・ドームではハン博士が開発した薬に触媒は不要だったことを知っている薬剤師達がいた。彼等の証言で、キルシュナー製薬に潜んでいたテロリスト達の存在が判明し、逮捕された彼等の関係者を手繰って拠点を発見したのだ。
 憲兵隊の捜査で全てが解明された、と語るハナオカの言葉をケンウッドとヴェルティエンはちょっと白けた気分で聞いていた。捜査をしたのは、遺伝子管理局内務捜査班のフォーリーではなかったか? するとハナオカがこう言った。

「もっとも、憲兵隊が有力な情報を得られたのは、アフリカ、アメリカ両ドームで働く執政官達とドーマー達の協力があってのことです。我々は彼等を誇りに思います。」

 満場の拍手でハナオカは報告を終えると、会議の本来の目的に移った。

「さて・・・我々はルパート・シュバルツバッハ博士の後任のアフリカ・ドーム長官を決めなければなりません。副長官のアルフォンソ・マルセル博士はまだ怪我の治療中で長官職の激務をこなすことは難しいのです。本人も今は長官就任を望んでおりません。それで、新しいアフリカ・ドーム長官と副長官代理を決めたいと思います。先ずは、候補に立たれる方はおられますかな?」

脱落者 13 - 2

 ニコラス・ケンウッドと秘書のヴァンサン・ヴェルティエンが月に到着すると、見知った顔の執行部の事務員とボディガードが出迎えた。ケンウッドは物々しい宇宙港の警備を見た。

「まだ厳戒態勢ですか?」
「今日は追悼式に出席するセレブが多いのです。『青い手』でなくとも襲ってくる可能性がありますから。」

 ケンウッドは追悼式に出るのは地球人類復活委員会のメンバーだけと思い込んでいた自身の甘さに気が付いた。委員会に出資している多くの企業からも使者が来ているのだ。経営者や重役が来ている企業もある。彼等の多くは地球を愛すと言うより、地球の資源に関心があるのだ。ただ「青い手」の様に住人を絶滅させて資源を得る様な卑怯なことは考えていない、まともな人々だ。世間では売名行為と揶揄する者もいるだろうが、出資者達は委員会にとっては重要な人々だ。
 会場は月でも最大級のホールだった。宇宙連邦の会議なども開かれる場所で、警備は万全だ。ケンウッドは直属の部下を失った立場なので、遺族席に近い席に案内された。アフリカ・ドームからは重傷を負った副長官が車椅子で参加していた。長官を失ったので、彼が次の長官になるのだろうか、とケンウッドは挨拶をしながら考えた。アフリカ・ドームの副長官はまだ体調が思わしくないらしく、看護師が付き添っている。長官職をこなすのはまだ当分無理だろう。
 追悼式は静かなクラシック音楽が流れる中で厳かに行われた。ハナオカ委員長が死者達の研究への貢献を讃え、感謝し、決して暴力に屈せずに一日も早く地球人を復活させることを誓った。宇宙連邦軍は既にテロリストを制圧した筈だったが、それに関する話は出なかった。犠牲者達の親しかった友人が数名代表で弔辞を読み上げ、ケンウッドも被害を受けたドームの代表として弔辞と出席者へ感謝の辞を述べた。
 式典が終わると、VIPの客達は遺族席に順番に挨拶して退出して行った。ケンウッドはハン・ジュアン博士の遺族と対面した。まだ若く見える両親だったが、息子の突然の死去に打ちのめされていた。ケンウッドは慰めの言葉を贈ったが、ただの気休めでしかないと自身で思った。
 研究員のチャーリー・ドゥーカスの遺族は彼の妻子だった。親は遠方に住んでいて追悼式には間に合わないので来なかったのだ。まだ若い細君と幼い子供を見て、ケンウッドの胸に悔しさが込み上げて来た。チャーリー・ドゥーカスとはそんなに親しくなかったが、故人の無念さは理解出来る。こんなチャーミングな妻と可愛らしい我が子を置いてこの世を去らなければならなかった彼の悔しさを。
 研究員リック・カールソンの遺族はスタン・カールソンとエリザベート・ウェスト夫妻だった。夫婦別姓なだけで、2人は結婚以来50年間ずっと同居していた。彼等にはリック以外にも子供がいて、追悼式にはリックの姉のセシリアとモーラの双子も出席していた。双子はリックに似ていたが、セシリア・ドーマーとは全く似ていなかった。スタン・カールソンが、リックには弟が2人いるが、1人は軍人で式典には来られなかったと言った。末っ子の息子は兄の死を悲しみ、式典に出るのを嫌がったと言う。

「家族だけの葬儀で十分だと申しまして・・・」

 カールソンはケンウッドが地球を発つ前に頼んでおいた家族の集合写真のコピーを持って来てくれていた。

「リックが最後に実家に帰省した時に撮影したものです。偶々次男も休暇で帰っていましたので、娘達の家族も一緒に総勢20人ばかりの画像になりますが。」

 それでも一人一人の顔は鮮明に見ることが出来る。拡大すればもっとよくわかるだろう。

「有り難うございます。お辛い時に厚かましいお願いを聞き届け下さって感謝します。」
「この画像が事件の捜査の助けになると仰いましたが?」
「ええ・・・リックの友人である地球人の未来がかかっています。詳細は語れませんが・・・」
「構いません。それはコピーです。捜査に使われた後はご自由に処分なさって下さい。」


脱落者 13 - 1

 ヤマザキ・ケンタロウは観察棟のモニター室で、小さな個室に入ったローガン・ハイネ・ドーマーがベッドに入るのを見守っていた。

「驚くべきことだな。」

 彼が呟くと、横にいたアーノルド・ベックマン保安課長が頷いた。

「宇宙連邦軍のデータバンクをハッキングするなんて、コロニーに住んでいても不可能に近いですよ。」

 ヤマザキは苦笑した。

「僕はそんなことを言ってるんじゃないよ。あの爺さんがあんな何もない部屋に文句も言わずに入ったことに驚いているのさ。彼のアパートの寝室だって、あれより広いんだ。」
「一晩だけですから。」

 ベックマンは医者がことの重大さを気が付いていないことに苛立ちを感じた。

「あれ以上悪さをしない様に、夕食に睡眠薬を仕込みました。明日の朝迄爆睡する筈です。」
「睡眠薬?」

 ヤマザキが驚いてベックマンを振り返った。

「それは拙いな。」
「そうですか?」
「ハイネは睡眠薬を飲むと目覚めた時に頭痛がするのでわかるんだ。絶対に機嫌が悪くなるぞ。」
「よくご存知ですな。」
「一度それをやって失敗した経験があるからね。」
「しかし・・・」

 ベックマンは言い訳がましく言った。

「今夜は何もすることがないのです。彼も退屈なだけでしょうから、眠っていてもらった方がこちらも安心出来る。」

 ヤマザキは肩を竦めた。そして、セシリア・ドーマーの部屋の映像を見た。彼女はベッドに座ってテレビを見ていたが、ただ眺めているだけかも知れない。明日は再びキャリー・ジンバリスト・ワグナー・ドーマーが訪問することになっている。その時にハイネ局長も同行するのだ。彼を死なせたと思い込んでいるセシリアはどんな反応を示すだろうか。

2018年2月26日月曜日

脱落者 12 - 9

 ケンウッドは通信を一方的に切って、机の向こう側を見た。白い髪のドーマーが、それこそ (^^) と言う顔で彼を見返してきた。

「何の問題を話し合っていたか、わかるな、ハイネ局長?」
「何でしょう?」

すっとぼけるハイネ。宇宙連邦軍が慌てているのが面白い様だ。宇宙連邦軍も地球人類復活委員会の出資者様なのだが・・・。
 ハイネの守役ではないのに、ベックマン保安課長が言い訳した。

「局長が何をしていたのか、コンピュータの画面を見る迄気がつきませんでした。」
「私は仕事をしていただけですよ。」

 ケンウッドは己に怒るまいと言い聞かせた。ローガン・ハイネ・ドーマーには危険値が付く進化型1級遺伝子はなかった筈だ。生まれつき機械を見ただけでその使い方や構造がわかってしまう危険値S1は、逃亡中のダリル・セイヤーズ・ドーマーだけだ。ハイネは頭が良い、恐ろしく頭の回転が早いだけだ。つまり、彼は誰かが地球上から宇宙へアクセスするのを見て、学習した。してはいけないこととわかっていて、やった。遊びではない。必要だと判断してやったのだ。

「どこで覚えたんだ? その・・・ハッキングの方法を・・・」
「明かすと困る方がいらっしゃいますが・・・」
「教えてもらったのか?」
「いいえ・・・」

 ハイネは悪戯っ子の顔をして告白した。

「入院している時に、憲兵が来たでしょう? 女性の・・・ドナヒューと言いましたっけ?」
「彼女に教わったのか?」
「そんな時間はありませんでした。私の事情聴取をした彼女が、私の枕元で宇宙にデータを送信していたのです。指の動きが見えたので、それをさっき私の部屋で再現して見たら、宇宙のコンピュータに繋がったのです。」

 ベックマンが手で目を覆った。コロニー人は地球人を野蛮人だと思っている。少なくとも文明が停滞している原始人と考えている。だから「青い手」の様に地球人が絶滅しても構わないと考える輩が出てくるのだ。だが、地球人はコロニー人ほど機械に頼らない代わりに自力で物事を解決する能力に長けている。ローガン・ハイネはドームから一度も出たことがない箱入り息子だが、恐らく荒野で火を熾して狩りをして生きていけるのではないか。兎に角学習能力が半端ではない。先任者のダニエル・クーリッジが引き継ぎの時に注意してくれたではないか。

 ドーマーの中には異常に物覚えの良い連中がいる。見られて困る書類やデータは絶対に放置するな。特に頭の白い男は油断ならぬ。

 カレン・ドナヒュー軍曹は、指の動きだけでハイネが軍のデータバンクにアクセスする方法を考えたとは夢にも思わないだろう。
 ケンウッドは溜め息をついた。

「叱られるのは私だ・・・わかっててやったのか?」
「業務に必要だったからやったのです。」

 ハイネも頑固だ。謝るつもりは毛頭ない。ケンウッドはこの場は折れることにした。

「それで? 成果はあったのか?」
「ありました。長官?」
「何だね?」

 遺伝子管理局長が微笑みながら言った。

「罰として私を観察棟に入れて下さい。」


2018年2月25日日曜日

脱落者 12 - 8

「まさか・・・」

 ケンウッドは思わずそう言っていた。宇宙連邦軍のセキュリティは宇宙一厳重だ。地球上から簡単にアクセス出来る筈がない。そんな技能を持っているとしたら、進化型1級遺伝子危険値S1に認定される。勿論、それはドーマーがハッカーだと想定した場合で、コロニー人の仕業だとすれば、テロリストの仲間がまだ残っている可能性があると危惧しなければならない。

「ご存知のように、ドームから外へアクセスする時は保安課のサーバーを必ず通します。執政官が割り当てられているパスコードを入れなければ、宇宙への通信は出来ません。
執政官が宇宙軍のコンピュータにハッキングするとは思えない・・・」
「それが・・・」

 ハナオカ委員長が躊躇った時、画面に彼を押しのけるかの様に1人の年配の男性が現れた。宇宙連邦軍憲兵隊の制服を着ている将校だ。

「貴方がアメリカ・ドームのケンウッド長官ですか?」
「そうですが?」
「宇宙連邦軍憲兵隊本部のジョン・ビーチャー大尉です。」
「こんにちは、ビーチャー大尉・・・」
「お聞きの通り、貴方のドームから我が隊のコンピュータに侵入した者がいます。」
「まさか・・・」
「事実です。複数の地球上、月、衛星のサーバーを経由して巧妙に足跡を消していましたが、何とか当方の技術者が追跡に成功しました。貴方のドームからのハッキングに間違いありません。」
「しかし、軍のコンピュータにアクセスする必要がある人間などいませんよ。」

 と言ってから、ケンウッドはふと嫌ぁな予感がして、執務机の向こうに座っている白い髪の男を見た。

「ちなみに、何のデータをハッキングされたのです?」
「貴方のドームで先日テロの犠牲になった3人の研究者の身元調査データです。」

 ケンウッドはもう一度机の向こうを見た。ベックマンは小さくなっていた。ハッカーの正体を知っているのだ。さっきから彼が何か言いたそうだったのは、このことか?
 もう1人、ハイネはポーカーフェイスだ。コロニー人達が何を問題にして話し合っているのか理解しているくせに知らん顔している。
 ケンウッドはビーチャー大尉に尋ねた。

「そのデータを外部に持ち出されると都合が悪いのですか?」
「データの重要性は問題ではありません。」

 大尉が顔を赤くして言った。

「無断で軍のデータにアクセスした事実が問題なのです!」
「わかりました。」

 ケンウッドは腹を括って言った。

「重々叱っておきます。」

 大尉が目を丸くした。

「犯人をご存知なのか?」

 ケンウッドは時計見るふりをして言った。

「数時間後に月に居ますから、その時にお話します。」

脱落者 12 - 7

 業務打ち合わせは昼食後に行われた。ケンウッド長官はハイネ局長に留守番を頼むのだから、いつもより内容が濃くなる。もう1人の幹部であるベックマン課長も同席した。ケンウッドはベックマンが何か言いたそうにソワソワしているのが気になったが、ハイネに普段局長が関知しない必要業務を説明することに忙しかった。それらの業務は、ドームに問題が発生しなければしなくても良い仕事だ。長官の日常業務は秘書のロッシーニと副長官秘書に委任する。

「ブラコフが入院しているのに、ヴェルティエンを連れて来いとは、本部も何を考えているのか・・・」

 ケンウッドは心底困惑していた。正常に動いている時でもドームの仕事はいっぱいあるのだ。ヴェルティエンは遺伝子学者ではないが、優秀な秘書だ。彼を留守番に置いておけば、ハイネもベックマンも気が楽だろうに。
 ハイネは大人しく説明を聞き、わからなければ質問する良い生徒だ。翌日の朝普段通りに遺伝子管理の日課をこなし、手があけば中央研究所に来て長官執務室で非常事態に備えて待機しておく、それだけだ。ケンウッドは月で問題が発生しなければ明日の夜には帰って来られる筈だ。

「体調がまだ万全でない君に仕事を増やすのは酷だが、マザーの管理者は君とベックマンだけだからね。」
「私が長官業務出来れば良いのですが・・・」

 ベックマンが残念そうに呟いた。彼はテロ事件の後なので警備強化で忙しい。それに事務仕事は苦手だった。ハイネが微笑した。

「保安課長がしっかり働いて下さっているので、私の出番はないと思いますけどね。」
「局長・・・」

 ベックマンが困った顔をした。さっきから何か言いたいのだが、どう切り出して良いのかわからない。だが今長官に言わなければ・・・と彼が決心した時、長官のコンピュータが緊急通信の音を発した。ケンウッドは彼等に断って画面を出した。
 地球人類復活委員会のハナオカ委員長が画面に現れた。

「ケンウッド長官、問題が発生した・・・」

 委員長は困った顔をしている。どうして今日は誰も彼もが困っているのだ?
 ケンウッドは尋ねた。

「どうしました?」

 委員長が答えた。

「君のドームから宇宙連邦軍憲兵隊本部のコンピュータにアクセスした者がいる。」

脱落者 12 - 6

 ベックマン保安課長とフォーリー内務捜査官はセシリア・ドーマーの処遇に関して口出しする権限を持たなかったが、それでもあれやこれやと考えざるを得なかった。彼女はアメリカ大陸の遺伝子管理局長を殺害しようとしたと言う動かせない事実がある。それが計画的なものだったのか、突発的にそうしてしまったのかで、処罰は変わる。計画的なものであれば、誰かにそそのかされたのか、彼女自身の考えだったのかと調べなければならない。
 秘書2人は、そろそろお昼だな、と考えていた。毎日昼前に局長は長官執務室に出向いて、次の1日の計画・予定を打ち合わせするのが日課だった。それが入院で中断している。この日は長官が夕方出張するので準備に忙しいのか、長官執務室からお呼びがまだかからない。ジェレミー・セルシウスは変化があっても動じないが、ネピアは規則正しく仕事をするのが好きな人間だ。時計を気にしていたら、フォーリーに誤解された。

「もう昼食時間ですか、ネピア・ドーマー?」

 ネピアとフォーリーはあまり年齢差がない。ネピアは局員経験者だが、フォーリーは入局以来ずっと内務捜査班にいる。ネピアは外勤務経験者の方が立場が強いと思っていたが、局長は外に出たことがない人だ。そして内務捜査班は秘密主義で局員経験者達も苦手に感じている。局員経験者は引退すると内勤業務に移るのだが、内務捜査班は引退がない。彼等の報告書を清書する内勤の仕事をしているうちに、ネピアは彼等がかなり専門的な分野を極めていることに気が付いた。殆ど科学者だ。コロニー人科学者達の違反を捜査しているのだから当然だが、内勤の元局員には太刀打ちできない相手に思えた。
 ネピアはフォーリーに指摘されてちょっと慌てた。

「いや、長官執務室での打ち合わせの時間の筈が、連絡がないな、と思ったので・・・」
「長官はお忙しいのでしょう。夕刻には月へ出張されるし。」
「しかし打ち合わせも重要だろう・・・」

 局長崇拝者のネピアには、局長を無視することは許されない暴挙と採られた。
 セルシウス・ドーマーはお茶を淹れた。ベックマンと局長とフォーリーに出すと、ネピアに目を向けた。ネピアは首を振って断った。
 局長がお茶に気がつくと秘書達に声をかけた。

「昼休みにしなさい。私はもう少し時間がかかる。」

 ベックマンは彼が何をしているのか気になった。しかし無断で地球人のコンピュータを見ても良いものだろうか? するとハイネが彼を呼んだ。

「保安課長、亡くなった3人の研究者の身元調査の結果が出ています。」
「何?」

 ベックマンはハイネの横に移動してコンピュータの画面を覗き、心の中で「ゲッ!」と叫んだ。




脱落者 12 - 5

 アーノルド・ベックマンはケンウッド長官との通話を終えて、周囲の人々を見た。彼は遺伝子管理局本部局長執務室に居た。滅多に入ることがない本部だ。最後に入ったのは就任の挨拶の時じゃないか、と彼はふと思った。それだけドーム内は平和で、地球人の役所は彼にとって用がない場所だった。だが、観察棟のモニター室でセシリア・ドーマーとキャリー・ジンバリスト・ドーマーの会話を聞いていると、セシリアが「オリジナルはリック・カールソンの姉」と言う意味の言葉を語った。それが真実なのか、調査するには、長官と遺伝子管理局長の協力が必要だった。
 コロニー人の身元調査はコロニー人にしか出来ない。だからケンウッド長官に尋ねたが、長官の手持ちのカードは少なかった。
 ベックマンが遺伝子管理局に来ているのは、一緒にセシリア・ドーマーの話を聞いていたビル・フォーリー・ドーマーに連れて来られたからだ。フォーリーはセシリアとキャリーの会話の録画を局長に見せた。保安課の資料になるので、ベックマンの立会いがあった方が後で面倒にならないだろうと思ったのだ。
 前日に業務に戻ったばかりのハイネ局長は、その朝は1人で日課を片付けてしまい、念のために手伝いに来ていたグレゴリー・ペルラ・ドーマーは、安心した声で「もうお役御免ですな」と言って、「黄昏の家」に帰って行った。局長はスーツの上着の代わりに前日医療区でもらったカーディガンを羽織っていた。お堅い第2秘書のネピア・ドーマーが、局長はこのままカーディガンを制服にしてしまうのではないかと心配した。
 ベックマンが電話を終えたので、ハイネ局長は少し考え込んだ。

「セシリアとカールソンが遺伝子的姉弟ではないと言う証明が出来れば良いのですね?」
「カールソンの遺伝子サンプルとセシリアの遺伝子を比較したいのだが、生憎カールソンの遺体と遺品は全て軍が月へ送ってしまったんだ。」

 ベックマンは、カールソンがセシリアと恋愛関係にあったと思い込んでいたので、セシリアの言葉にショックを受けていた。

「騙されていたとセシリア・ドーマーが悟って、何が彼女にあんな行動を起こさせたのか、告白してくれれば良いのだが・・・」
「軍はもう調べているのでしょうね?」
「亡くなった3名の背後関係も調べている筈だ。テロリストは味方も平気で犠牲にする可能性があるからな。だが軍が調べるのは、爆発の仕組みだけで、ドーマーが貴方を刺した理由ではない。私と長官は、貴方が何故刺されたのか、その理由を知りたい。彼女が錯乱したと言うだけでは、納得出来ないのだ。」

 フォーリーも言った。

「セシリア・ドーマーの処罰に関しても、真相解明は必要でしょう。」

 ハイネはまた少し考えてから、おもむろにコンピュータのキーを叩き始めた。



脱落者 12 - 4

 ケンウッドは出張の準備の途中だったが、ベックマンの要請により、セシリア・ドーマーのオリジナル卵子提供者の検索をした。

「オリジナルの母親は、セシリア・テイラーだ。」
「カールソンではない?」
「カールソンではない。」
「離婚したとか、再婚したとか・・・」
「そんな情報はマザーには入っていない。しかし、リック・カールソンの両親の情報はある。」

 ケンウッドはキーを叩いて、亡くなった研究者の履歴を出した。

「スタン・カールソンとエリザベート・ウェストだ。」
「姉とか妹はいませんか? 養子に出されたとか、あるいはリックが養子だったとか?」
「リックはスタンとエリザベートの息子だ。ああ・・・待て待て・・・スタンとエリザベートに他の子供がいるかどうか、これは月に問い合わせてみないといけない。」
「お願いします、お忙しいでしょうが・・・」
「なに、事務局に問い合わせのメールを入れておく。返事が何時になるかわからないが、今日中には何か言ってくるだろう。」

 ベックマンとの通話を終えて、秘書達を見た。ヴァンサン・ヴェルティエンは執行部からの呼び出しの理由が判然としないので不安がっていた。

「僕は何か疑われる様な行動を取ったんだろうか?」
「貴方がテロリストなんて誰も思わないでしょう。」

とロッシーニが慰めた。ロッシーニの方がずっと年長だが、ヴェルティエンは執政官に準じる地位にいるので、慇懃な態度を取っている。ヴェルティエンはそれでも不安を拭いきれなかった。

「僕はバックパッカーであちらこちら旅した時に、アフリカ・ドームにも立ち寄ったから、何かしたんじゃないかと思われているのかも知れない・・・」
「何かしたんですか?」
「してない!」
「だったら、心配ないでしょう。」

 ロッシーニはケンウッドと視線が合うと肩を竦めて見せた。誰もヴェルティエンに疑いを抱いたことなどなかったのだ。彼は文化人類学者だから、生化学フロアにさえ立ち入ったことがない。それにガブリエル・ブラコフとは気が合って兄弟みたいに仲が良かった。

「疾しいことなどないのですから、堂々と行ってらっしゃい。」

 ロッシーニは年長者らしくビシッと言い聞かせた。

脱落者 12 - 3

 キャリーはセシリア・ドーマーが泣くのを見ていた。セシリアはさっきまでハイネ局長を刺したことを忘れていたのだろうか? しかしベックマン保安課長とフォーリー内務捜査官の事情聴取の時は覚えていた筈だ。彼女はドーマーは法律上存在しない人間だから殺しても罪にならないと言った。またドーマーは閉じ込められているから殺すことでハイネを解放してやったとも言った。キャリーに言わせれば、セシリア・ドーマーの主張は支離滅裂だった。

「貴女は人を殺したのね?」
「ええ・・・」
「その人はドーマーなのね?」
「・・・そうよ・・・」
「ドーマーは人よね?」
「ドーマーも人よ。」
「貴女も私もドーマーだわ。」
「ええ・・・」
「人よね?」
「・・・」
「貴女も私もドーマーで、人だわ。そうでしょ?」

 セシリアはしゃくりを上げた。キャリーはハンカチを手渡し、セシリアは鼻をかんだ。

「私達、クローンよ。」
「でもクローンは人間だわ。人間のクローンは人間よ。」
「でも私達、一生このドームの中から出られないわ。他のクローンは外の世界で家族を持って幸せに暮らしているのに。」
「全員が幸せとは限らないわ。食べ物の好みが違う様に、幸福の感じ方も違う。私は今幸せだけど、貴女はそう感じないのね。」
「リックが死んでしまったもの・・・」

 キャリーは用心深く静かな口調で尋ねた。

「リックは貴女にとってどんな存在だったの?」

 セシリア・ドーマーはもう一度鼻をかんだ。

「リックは私のオリジナルの弟なの。」
「あら・・・」

 キャリーは痛ましそうに相手を見つめた。

「お悔やみ申し上げるわ。」

 セシリアの手を軽く叩いた。

「今日はたくさん話してくれたわね、有り難う。貴女とリック・カールソンの関係を教えてくれて有り難う。疲れたでしょう、ゆっくり休んでね。」

 キャリーはハンカチをセシリアに持たせたまま立ち上がった。

「明日、また来るわ。」


脱落者 12 - 2

 キャリー・ジンバリスト・ドーマーは言った。

「好きでない料理は美味しくないでしょう?」
「・・・」
「みんなが美味しいと言っても、私には好きでない物は美味しくありません。例えば、キャビア・・・」
「キャビアは美味しいわよ。」
「私にはしょっぱいだけです。それに私は粒々した物は美味しくないのです。」
「変わってるわね。」
「でも、それが個性でしょ?」
「私は粘り気のある物が嫌いなの。味に関係なく、気持ちが悪いの。」
「どろりとしたヨーグルトとか?」
「ヤムイモの摩り下ろしたものとか、作りたてのメレンゲとか、餅とか・・・」
「クリーム状の物が嫌いなのね?」
「味は美味しいけれど、舌触りが気持ち悪いのよ。」
「それが貴女の個性ね。」
「そうかしら?」
「ドームの生活でも嫌なことがあるでしょう?」
「嫌なこと?」
「不満に感じていることとか?」
「貴女にはあるの?」
「もっと大勢の患者の症例を見て見たいわ。ここでは人数が限られているし、精神科医なんて必要ないって思われている。」
「必要ないんじゃない?」
「そうかしら?」
「だって、みんな満足しているわよ。」
「貴女も満足しているの?」
「私は・・・」

 セシリア・ドーマーは口ごもった。そしてキャリーを振り返った。

「何を言わせたいのかわかったわ。私が爆弾を作った理由でしょ?」
「爆弾なんて作ったの?」
「知っているくせに。」
「私は、貴女がフェリート室長の指示でキルシュナー製薬が送ってきたレシピ通りに調合した薬が、実は爆弾の役割を果たしていた、と聞かされただけよ。貴女は騙されていただけだと聞いたわ。」
「では、どうして私は閉じ込められているの?」
「貴女が遺伝子管理局長を刺したからでしょう?」

 キャリーは、セシリア・ドーマーが青ざめるのを見た。

「私・・・」

 セシリア・ドーマーが声を震わせた。両手を目の前に上向けに掲げた。

「人を殺したんだわ。この手で・・・」

2018年2月24日土曜日

脱落者 12 - 1

 翌朝、セシリア・ドーマーが朝食を終えて数分後に保安課員が食器を下げに来た。彼と入れ違いに、若い女性が入って来た。セシリアはその年下の女性を知っていた。女性ドーマーの中ではこの数年間で最も優秀だと評判のキャリー・ジンバリスト・ドーマーだ。美人で明朗で、親切で、遺伝子管理局の局員と恋愛関係にある、最も恵まれた女性ドーマーだ。
 セシリアはキャリーが「おはようございます」と挨拶した時、外方を向いて無視した。キャリーは面会者用の椅子を指差した。

「私はキャリー・ジンバリストです。そこに掛けさせて頂きますね。」
「・・・」

 精神科医はセシリアの反応を気にせずに椅子に座った。

「お名前を教えて頂けますか?」

 セシリアはチラリと横目で彼女を見た。

「知っているくせに・・・」
「確認に必要なのです。」
「ええ・・・そうね・・・」

 薬剤師はドームの規則を承知していた。どんなに仲が良くても職務に関しては必ず名乗って確認を取り合う。

「貴女は仕事をしているのだわ。」
「貴女もお仕事なさって、事故に遭われたのでしょう?」

 セシリアは一瞬唇を震わせたが、何も言わなかった。キャリーが改めて尋ねた。

「お名前は?」

 セシリアは小さな溜め息をついて答えた。

「セシリア。」

 女性ドーマーは普通姓を持たない。クローンだから、オリジナルの卵子の母親の名前をもらうだけだ。キャリーが姓を持っているのは、既に先輩のキャリーがいたからだ。つまり、彼女はオリジナルの母親のフルネームをもらったのだ。

「職業は?」
「薬剤師。」
「セシリア・ドーマー、昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ・・・」

 セシリア・ドーマーはまだ相手の顔を見なかった。

「朝ご飯は美味しかったですか?」
「ドームの食事で美味しくないものはないでしょう。」
「どうしてそう言い切れます?」
「え?」


脱落者 11 - 9

「今日、君と話したかったのは、明日からの出張のことなんだ。」

 デザートの段階になって、ケンウッドはやっと本題に入った。ハイネはリコッタチーズと苺の盛り合わせをじっくり味わいながら、長官の顔を見た。一瞬、「また出張?」と置き去りにされる子供みたいな心許なさそうな表情をしたので、ケンウッドはドキリとした。

「察しの通り、君に留守番をしてもらわねばならない。副長官があの状態だし、ベックマンは今警備強化で手がいっぱいだ。それに彼には行政は不向きだ。君しかいない。」
「秘書達がいるでしょう?」
「秘書の権限は知れているし、それにどう言う訳か、本部はヴェルティエンを連れて来いと言ってきた。」
「ヴァンサン・ヴェルティエンを・・・ですか?」

 ハイネが意外そうな顔をした。ケンウッドも本部が何を考えているのか掴めないでいた。ロッシーニは優秀だが、ドーマーだ。執政官ならアクセス出来るサイトに、ロッシーニはログイン出来ない・・・ことになっている。緊急事態が発生したらロッシーニはいちいちベックマンを呼ばないといけないのだ。

「出張は、この度の事件の犠牲者達の合同追悼式と委員会会合に出席することだ。予定では1日で終わることになっているが、大勢委員が集まるし理事やらスポンサーもたくさん集まるからね。テロリストの格好の標的だから警備が厳しくて、出入りに時間がかかるのだよ。」
「まさか、その1日と言うのは月時間ではないでしょうね?」
「 27日 7時間 43分 11.5秒地球時間・・・だね・・・それはないよ。一応、コロニー社会は地球時間制を取っているから。」
「24時間でしたら、大人しく留守番をしています。48時間を超えたら、ドームを乗っ取りますよ。」

 ハイネの冗談に思わずケンウッドは笑った。

「ここは地球だから、君が頂点にいる方が自然なのだがね。」

 そして付け加えた。

「多分、軍が調べた事件の詳細も教えてもらえるだろう。地球の安全に関わることだから、君達ドーマーにも知る権利はあると思うんだ。執行部が教えるなと言っても、私は君に伝えるよ。」
「それなのですが・・・」

 ハイネがフォークを置いた。

「私が貴方とお話したかったのは、セシリア・ドーマーのことなのです。」
「彼女はまだ黙秘しているだろう?」

 セシリア・ドーマーは観察棟に幽閉されたままだ。薬剤管理室長が憲兵隊に逮捕されて宇宙へ送られたと聞かされても、知らん顔をしている。時々涙ぐむのは、亡くなったリック・カールソンを思い出すからだ。食事はしっかり取るので、自殺することはないだろうと言う判断で、ベッドからの拘束を解かれ、部屋の中で退屈な日々を過ごしている。テレビの視聴は許されているが、刃物や尖った物は部屋に置かれていない。食事のナイフやフォークも監視付きで使用だ。
 ケンウッドは一度、接触テレパスのポール・レイン・ドーマーの能力を借りようかとも思ったのだが、男性に手を掴まれて尋問されるのは彼女は嫌だろうと思い直した。

「彼女の真意をテレパシーで解明したとしても、彼女の心の闇を解決することにならないからね。」

 ケンウッドが言うと、ハイネも同意した。

「ですから、セラピーを受けさせようと思うのです。」
「精神科医を付けるのか?」
「キャリー・ジンバリスト・ドーマーを観察棟に入れてやって下さい。」

 ああ、彼女がいたな、とケンウッドはドーマーの精神科医の存在を忘れていた己の迂闊さに情けなく思った。

「君は、君を刺した彼女を救いたい、と解釈して良いのかな?」
「私は彼女に何の恨みも怒りも感じていません。彼女は室長に利用されただけでしょう? 心の弱みに付け込まれただけだと信じています。」
「フェリートがセシリアのどんな弱みを利用したのか、それを解明するのだね?」
「ええ、彼女を救うのは、そこから始まると思っています。」



2018年2月23日金曜日

脱落者 11 - 8

 中央研究所の食堂は遺伝子管理局から離れているが、局長が選んだのには理由があった。腕に力を入れることを禁止されているハイネは、食事のトレイにたくさん皿を載せて運ぶことが出来ないので、給仕ロボットを使っていた。一般食堂にもロボットは配備されているが、これを使用するのは体力がない人、と言う認識がみんなにある。ハイネはドーマー達に自身が弱っているところを見られたくないのだ。リーダーの地位にある男のちょっとした意地だ。
 ケンウッドが食堂の入り口から中を覗くと、彼は既に奥のテーブルを確保してロボットが運んできたトレイを前に腰を下ろそうとしていた。体に負担を掛けない配慮なのか、医療区で被服班からもらった襟付きのデニムのシャツの上に濃紺のカーディガンを着ていた。スーツ姿を見慣れているので、彼の髪が白くなければ誰だかわからないだろう。遅い時刻で客は少なかったが、誰もがハイネに気がつくと驚いていた。
 ケンウッドは料理をトレイに取って、支払いを済ませるとテーブルに近づいた。

「待たせたかな?」

 声を掛けると、端末を眺めていたハイネが振り返り、立ち上がった。ケンウッドはトレイをテーブルに置き、挨拶の握手をしようと彼に向き直った。

「君が元気になって本当に嬉しい・・・うっ!」

 いきなりハグされた。力を入れてはいけない筈の両腕で、ローガン・ハイネ・ドーマーがニコラス・ケンウッドをぎゅっと抱きしめた。ケンウッドの心臓が早鐘の様にドキドキと鼓動した。ハイネがヘンリー・パーシバルやヤマザキ・ケンタロウを抱きしめるのを今迄何度も見てきたが、ケンウッド自身がハグされたことはなかった。互いに尊敬し合い、友情を感じていたから、何もしなくても十分だと思っていた。だが、こうして実際にハグされると、心の奥底で何か安心出来るものを感じて、胸が熱くなった。ハイネは何も言わなかった。黙って友人の体の温もりを感じている様だった。
 やがて自然に2人は離れた。ケンウッドが手で椅子を指して、彼等はテーブルの両側に向き合って座った。
 食事中はガブリエル・ブラコフの話をした。ハイネは退院する前に、副長官の病室を訪問したと言った。ブラコフはハイネが声を掛けると翻訳機で返事をしたが、すぐに電源を落としてしまったのだと言う。それでハイネは彼の手を握って暫くじっとしていた。数分後に彼が手を離して、「もう行きます」と挨拶すると、ブラコフは翻訳機の電源を入れて、一言「有り難う」と言ったそうだ。
 ケンウッドがブラコフの心中を想像した。若い副長官は、きっと複雑な心境なのだろう。彼が誘わなければ局長は怪我をしなかった筈・・・憧れの人に助けられて、その恩に報いなければならない、絶望的な姿になってしまったけれどこれからも生きて行かなければならない。

「彼の怪我は治せる。ただ、完璧に治そうと思えば時間がかかる。地球人類復活委員会の現場勤務は半年の休業が限界なのだ。それ以上休むと契約を解除されてしまう。」
「しかし彼は他人の暴力によって負傷したのです。それを考慮に入れるべきです。」
「うん。だから、私は本部に働きかけている。このドームの執政官達も署名活動をしているのだ。副長官職は無理でも、一執政官として再起出来る足場を確保してやって欲しい、と。」
「ドーマー達も応援している、と本部にお伝え下さい。」

 ハイネはいつもの手段で強調した。

「彼はドーマーが助けたのです。無駄にしないで下さい。」

 ケンウッドは笑いながら頷いた。ハイネの声はいつも耳に心地よかった。

2018年2月22日木曜日

脱落者 11 - 7

 宇宙連邦軍とテロリスト「青い手」の戦いは、「戦争」と呼ぶ程大規模なものではなかった。「青い手」は爆弾や毒ガスを製造し使用したが、戦闘員を訓練したり武力闘争をしたりしなかった。拠点を攻撃されると抵抗したが、軍隊の敵ではなかった。
 勿論、軍は「青い手」が壊滅したと思っていない。こう言う手合いは庶民の中に埋もれて次の機会を狙っているのだ。それでも今回の事件を起こした連中は捕縛された。
 ケンウッドは戦闘から遠く離れた場所にいたが、彼の職場は戦場同然だった。副長官を欠いたドーム行政は殺人的に忙しかった。ドームの中、出産管理区とクローン製造施設は平素と変わらぬ平和を保ち、居住区を元の落ち着きのある生活の場所に戻さねばならなかった。しかし、ドームの外にも仕事があった。彼は月で行われるテロの犠牲者達の追悼式に出席しなければならなかった。本部へ今回の事件の報告をする役目もあった。だが、彼が出かけると、アメリカ・ドームの留守を守る幹部がいなくなる。副長官がまだ集中治療室から出られないのだから。ベックマン保安課長はドームを守れるが、政治は出来ない。
残るメンバーで政治と守護の役目が出来るのは、遺伝子管理局長だけだ。
 ケンウッドはハイネ局長と随分長い間話をしていなかったことに気が付いた。月に出張して、事件が起こり、戻って来れば局長は負傷して声が出せなかった。その後はケンウッド自身が多忙で、局長が声を出せるようになった頃は医療区に顔を出す時間がなかったのだ。

 そうだ、ハイネは今朝退院したんだ・・・

 ヤマザキは局長をもう少し医療区に置いておきたがったが、歩けるようになった途端にハイネは集中治療室から出てしまい、一般病棟からも僅か一日で出てしまった。もっともドームの中にいるのだから、監視は出来る。後半月は重たい物を持たないように、激しい運動は避けるように厳重に注意を与えてヤマザキは退院を許可したのだ。ハイネが医療区から出ると、仕事の合間に抜けてきたドーマー達が出口で待ち構えていて、大騒ぎだったと言う。まるで10年前の幽閉が解けた日の再現みたいだった、と秘書のヴェルティエンが報告してくれたのだ。
 明日の午後には月へ出張しなければならない。ケンウッドはハイネに連絡を取らねばと焦りつつも業務に追われて昼になってしまった。昼食を中央研究所の食堂で簡単に済ませて執務室に戻ったところで、端末にハイネから電話が掛かってきた。

「お忙しいと思いますが、お会い出来ますか?」

と遺伝子管理局長がドーム長官に尋ねた。ケンウッドはホッとした。向こうから声を掛けてくれたので、時間を取りやすくなった。

「私も君に会いたいと思っていた。だが君も忙しいのじゃないか?」
「私はグレゴリーが大方手伝ってくれたので、午後は手が空きます。」
「では・・・」

 ケンウッドは自身の予定表を頭の中に思い浮かべた。やたらと会議が並んでいる・・・。だが午後8時以降は空いていた。

「夕食を一緒にどうかな? 少し遅い時刻になるが、約束の時間迄には仕事を片付けておくよ。」
「遅い時間には慣れていますよ。ただ、場所は中央研究所の方でお願いします。まだ腕に力を入れられないので。」





2018年2月21日水曜日

脱落者 11 - 6

 シティの薬局でヤマザキはドームのIDを提示して、数種類の薬を纏め買いした。地球製の薬剤に関しては、薬剤管理室の現役薬剤師達ではなく、引退して訓練所で教官を勤めている年配のドーマーから教えてもらった。ローガン・ハイネ・ドーマーが内務捜査官として主任薬剤師を勤めていた頃の同僚だ。ハイネ同様地球製の薬に関する知識を豊富に持っていた。宇宙から輸入する薬剤に頼らずに地球人らしく地球の薬を学ぼうと言う運動が半世紀前にあったのだと言う。
 薬局の店主は、コロニー人の客に驚いていたが、遺伝子管理局員が同行していたので、安心した。そしてカードでの支払いが済むと、ヤマザキに言った。

「空にデカイ宇宙船が浮かんでるでしょ? あれは何ですか? まさかコロニー人が侵略に来たんじゃないでしょうね?」
「まさか・・・」

 ヤマザキは笑った。

「あれは地球周回軌道防衛軍の航宙艦です。演習の戦闘機が地球に落っこちないように、あの位置で見張っているんですよ。」

 店主は前年にシティに墜落して火災を引き起こした事故を思い出した。ちょっと身震いして見せた。

「演習ですか・・・この前は廃棄人工衛星の墜落でしたね? もう空からの落下物はこりごりですよ。」

 本当はテロリストの無人戦闘機を撃墜したのだが、地球周回軌道防衛軍は地球には「廃棄人工衛星の落下」、ドームには「演習中の無人戦闘機の暴走」と説明していた。
 今空に浮かんでいる航宙艦は、ドームを護衛しているのだ。しかし地球人はドームの中でテロ事件が発生したことを知らされていない。大統領でさえ何も知らないのだ。

「もう落下はさせない筈です。昨年の事故で軍は膨大な賠償金をシティに支払いましたからね。懲りた筈ですよ。」

 ヤマザキは店主を励まして店から出た。出入り口で警戒していたレイン・ドーマーが彼を車まで誘導した。

「外の人々は航宙艦に不安を抱いている様子ですね。」
「そりゃ、あんなデカイのが頭の上に浮かんでいたら、誰だって嫌だろう? コロニー人だって嫌だよ。」

 ヤマザキはドームの上に護衛艦が停泊している意味を知っていた。宇宙連邦軍が広域テロリスト集団「青い手」の拠点を攻撃しているのだ。戦闘中にテロリストの仲間によって地球が襲われないように、各所の上空に地球周回軌道防衛軍が護衛艦を配備しているのだった。
 アフリカ・ドームの事件現場では破壊規模が大きく、得られた手がかりは少なかった。しかしアメリカ・ドームでは被害がそれほど大きくなかったので、爆発物がどうやって仕組まれたのか判明した。工作員も逮捕された。それで宇宙連邦軍はキルシュナー製薬の研究室に紛れ込んでいたテロリストのメンバーを割り出し、「青い手」の拠点を見つけた。「青い手」は地球を襲う以前にもコロニー各所で破壊行為を行なっていた。だから、軍は徹底的に彼等を叩くことにしたのだ。
 薬剤管理室長として潜伏していたテロリストは軍が抑えている。しかしドームにはまだ厄介な問題が残っていた。爆発物を調合したドーマーだ。
 車を発車させてから、レインが尋ねた。

「局長を刺した女はどうなりますか?」

 ハイネの怪我が刺されたものであると彼に教えた覚えはなかった。遺伝子管理局幹部と維持班幹部しか知らない筈だ。だがレインには接触テレパスと言う能力がある。他人の肌に触れて相手の思考を読み取るのだ。だからヤマザキは彼に触れる時は出来るだけ手袋を着用するのだ。この外出で彼に触れた記憶はなかったから、ドームの中で、医療区か保安課の人間からレインは情報を読み取ったのだろう。

「どうなるかな・・・」

とヤマザキは呟いた。

「維持班の班チーフ会議が決めることだ。僕等コロニー人も捜査権を持つ遺伝子管理局も取り締まる保安課も、セシリア・ドーマーの処遇を決める権限を持っていないからね。」


2018年2月20日火曜日

脱落者 11 - 5

 ポール・レイン・ドーマーは青く晴れ渡った空を見上げていた。空には黒い二等辺三角形の物体が浮かんでいるのが小さく見えていた。

「この距離から見てあの大きさだったら、実物はかなりデカイのでしょうね?」

 彼の呟きに、ヤマザキ・ケンタロウが微笑して頷いた。

「うん、かなりデカイ。うちのドーム並の大きさはあるな。」

 2人はドームの外にいた。薬剤管理室がまだ正常業務を行えないので、臨時に使用できそうな薬を調達する為に、ヤマザキが外へ買い物に出て来たのだ。レインは彼の護衛を仰せつかっていた。彼は同僚のクロエル・ドーマーより少し早く幹部候補生試験に合格していたが、ハイネ局長が入院してしまったので、新規配属がまだだった。

「あの方は俺の転機に何時も入院されている様な気がします。」

 レインは半分冗談のつもりで言ったが、ヤマザキは真面目に受け答えた。

「つまり、君の転機は常にドームの重大事件と共にある訳だ。これも何かの縁じゃないかな。少なくとも、君には忘れられない日だろう?」
「今の転機はともかく、前のはもう忘れてしまいましたよ。」

 レインはムスッとした。美貌の面を少女みたいにふくれっ面にして見せた。それを見て、またヤマザキは笑ったが、言いたいことは心の中にしまっておいた。

 セイヤーズが帰ってくる時は、もっとハッピーな転機であると良いな、レイン。

 代わりに彼は言った。

「そのふくれっ面は可愛いが、色気がまだ足りん。」

 するとレインは彼が驚く様な反論をした。

「俺はまだ局長の年齢の3分の1しか生きていないんです。ヤマザキ先生がお気に入りの局長並の色気に到達するのは当分先の話ですよ。」
「僕がハイネの色気を気に入っているだって?」

 レインが薄い水色の目でヤマザキの反応を観察していた。医療区長がムキになって反論したら、さらに言い返してやろうと思っていた。
 レインはその類稀なる美貌の為に、ドームの中にいる時は常時コロニー人のファンクラブに取り巻かれていた。彼自身はうざくてたまらないのだ。ファンクラブは、ヘンリー・パーシバルが設立した当初は、彼を他のコロニー人のチョッカイから守ってくれる頼もしい味方だった。しかし今やただのミーハーの集まりで、美しい彼とお友達になりたい男達の集合体だった。
 ところが、同じ様に美貌に恵まれているにも関わらず、一切取り巻きを持たないドーマーがいる。彼の上司のローガン・ハイネ・ドーマーだ。真っ白な髪、長身、オペラ歌手の様によく透る澄んだ声、何をしても様になる優雅な身のこなし。常にドーマーやコロニー人の憧れの対象になっているにも関わらず、ハイネには取り巻きがいない。レインはそれが不思議で仕方がなかったが、ある時、ひらめいた。

 局長には長官と医療区長が何時もくっついているじゃないか。

 だから誰も寄り付かないのだ、と若いドーマーは思ったのだ。
 ところがヤマザキは考え込んだ。

「ハイネに色気を感じたことなんか、あったかなぁ?  彼は僕の父親より年上だが、僕には年下に見える。遺伝子の作用のことを言ってるんじゃないぞ。彼の仕草やら行動パターンが君達若者とそっくりなんだ。僕には彼が子供に見えるんだよ。なんだか危なっかしいヤンチャ坊主みたいにね。だから、守ってやらなきゃ、と思うのさ。」
「局長は年齢相応に大人ですよ。」

 怪我は別にして、局長は1人で十分身を守れる人だ、とレインは心の中で呟いた。


脱落者 11 - 4

 薬剤管理室長は月へ連行された。ケンウッドには止める権限がなく、ドナヒュー軍曹は「また来ます」と言い残して、迎えに来た同僚と宇宙船に容疑者を乗せて去った。
 マーガレット・エヴァンズはゆっくりだが回復に向かっており、ドナヒューがいない間にアーノルド・ベックマン保安課長とビル・フォーリー・ドーマー遺伝子管理局内務捜査班チーフ副官の事情聴取を受けた。
 彼女はハン・ジュアン博士が開発した薬剤に、注文を受けた成分を調合して手渡すと言う形で関わっていた。だからキルシュナー製薬から送られて来た主剤とレシピを見て、自身が調合した時と違っていることに気が付いた。彼女はそれを直属の上司である主任のドブリン・ドーマーに告げた。ドブリンはハン博士に訊いてみようと提案したのだが、同じ室内にフェリート室長がいた。室長はハン博士の助手リック・カールソン研究員が清書したレシピを監修していたので、キルシュナー製薬のレシピを見て、おかしな点はない、と言い切った。それでもエヴァンズが納得しなかったので、真空ケースの検査を許可した。

「私はハン博士の原稿と照合したかったのですが、フェリート室長は相手にしてくれませんでした。キルシュナー製薬はコロニーでも有名な大きな企業で、研究者が大勢いる、間違いが起きる筈がない、と彼は言いました。」

 しかもキルシュナーのレシピには触媒が2種も追加されていた。触媒の調合は室長に反抗的なエヴァンズではなく、ハン博士の研究室に度々薬剤の配達に訪れていたセシリア・ドーマーに託された。

「セシリアは、今回の実験が成功すればカールソンも研究員から執政官に昇格される、と信じていました。」

 エヴァンズはセシリアとカールソンの仲が良いことを知っていた。それはコロニー人として認める訳にいかない事態だった。
 地球人保護法は本来コロニー人が地球人を虐待しないように予防する為の法律だ。しかし制定されて200年のうちに、どんどん現状と合わなくなって来た。コロニー人は素手で地球人に触れてはならない、と言う条項など、正に削りたくなる内容だ。性的イタズラを防ぐ目的の条項だが、実際はコロニー人に仕事を邪魔されないように、ドーマーが必要以上に持ち出している。また、この法律はコロニー人と地球人が結婚することを禁止していた。理由は、正に地球人に女の子が生まれないことだ。女の子が生まれない原因を突き止める迄は、地球人の遺伝子を宇宙にばらまかれては困る、と言う訳だ。だから、法律は地球人が地球外に出ることも禁止していた。無理に結婚しても、コロニー人は地球の重力に負けていつか去って行く。
 エヴァンズはこう証言した。

「カールソンがセシリアを誘惑したとは言いませんが、セシリアは彼に何か恋愛以上の特別な感情を持っている様に見えました。私も他の女性薬剤師達も彼女に注意したのですが、彼女は私達と一緒にいるより部屋の外で彼と会っている方が楽しい様でした。」

 他人の恋愛に口出ししたくない、と彼女は思ったのだ。一線を超えなければ、ドーマーとコロニー人の交際は目をつぶってもらえる。

「彼女はキルシュナー製薬のレシピ通りに触媒2剤を調合し、実験当日に自身で実験室へ届けに行きました。
 私は心配になりました。偶々朝早い時間にハイネ遺伝子管理局長から実験に立ち会うことになったと言う連絡をもらいました。局長は元薬剤師ですから、薬品の試験などに興味を持たれており、実験に立ち会われることも時々ありました。あの日も副長官のお誘いで見学を決められた様です。それで私は局長の立会いを薬剤管理室全体に伝えました。一旦通話を終えてから、実験室に入るチャンスだと思い、部屋を出て局長にかけ直しました。
 同伴させて頂けるようお願いすると、局長は快く承諾して下さいました。
 局長が迎えに来られて、2人で生化学フロアへ行きました。セシリア・ドーマーが一足先に薬剤の配達に行ったのですが、戻って来なかったので、またカールソンと話し込んでいるのだろうと思いました。恋愛にしては堂々とし過ぎていると思いました。その時に、ふと彼女がずっと以前に質問してきたことを思い出したのです。
『クローンがオリジナルの兄弟に出会ったら、やはり兄妹の再会となるのかしら?』と。
 私は気になったので、ハイネ局長に尋ねてみました。
『ドーマーとして生きているクローンがいるドームに、クローンのオリジナルの親族が執政官として派遣されることがあるのでしょうか?』と。局長は『知りません』と答えました。『ドーマーには月の委員会の執政官選考条件は教えられていません』と。」


2018年2月18日日曜日

脱落者 11 - 3

 地球上で犯罪が起きた場合・・・
 ドームの外で起きた犯罪は、刑事民事共に、地球の司法に委ねられる。これは関係者が地球人であろうとコロニー人であろうと関係ない。コロニー側からの干渉は一切許されない。
 ドーム内で起きた犯罪の扱いは関係者の立場によって異なる。
 ドーマー同士の間で起きた場合は、刑事民事共に遺伝子管理局内務捜査班の管轄だ。関係者に対する処罰裁定を下すのは、維持班の班チーフ会議であり、遺伝子管理局は処罰を決めない。
 コロニー人同士の間で民事事件が起きた場合は、ドーム執政官幹部会議が扱う。捜査が必要な場合は長官が地球人類復活委員会に調査を依頼する。ドーマーは関知しない。
 コロニー人同士の間で刑事事件が起きた場合は、ドーム長官が地球人類復活委員会を通し、地球周回軌道防衛軍憲兵隊に事件を通報する。捜査、容疑者逮捕は憲兵隊が行う。加害者への裁定は宇宙連邦法により、月面コロニーの裁判所が下す。
 ドーマーとコロニー人双方に関わる事件となると、かなりややこしくなる。どちらが加害者であるか被害者であるかで、捜査権の所在が異なってくる。
 民事の場合、加害者がコロニー人ならば、コロニー人同士の民事事件と同じ扱いとなる。但し、被害者がドーマーなので遺伝子管理局内務捜査班も調査に参加する。加害者に対する裁定を下すのはドーム執政官幹部会議である。
 加害者がドーマーで被害者がコロニー人の場合は、捜査権は内務捜査班に置かれ、捜査結果は遺伝子管理局長を通して長官に報告される。加害者に裁定を下すのはドーム維持班班チーフ会議である。
 刑事の場合は、どちらが被害者でも、捜査権は地球周回軌道防衛軍憲兵隊が担当する。憲兵隊は必要に応じて、ドーム執政官幹部会議又は遺伝子管理局内務捜査班に協力要請出来る。裁定は、コロニー人が加害者の場合は、宇宙連邦法によって月面コロニーの裁判所が下す。裁判結果はドーム長官がドーマー側に通知する。ドーマーが加害者の場合、コロニー側の弁護士立会いの下で、ドーム維持班班チーフ会議が裁定を下す。判決内容は維持班総代表が長官に報告する。
 しかし、加害者がテロリストとなると、話は違ってくる。被害は地球だけでなく、宇宙連邦全体に影響を与えるからだ。捜査権は地球周回軌道防衛軍が持ち、加害者の処遇は月面コロニーではなく宇宙連邦裁判所が裁判で決める。テロリストは常にコロニー人、と今まで誰もが考えてきた。しかし、今回の事件では、コロニー人がドーマーを抱き込んでしまっている可能性があった。

 

2018年2月17日土曜日

脱落者 11 - 2

 薬剤管理室主任のショーン・ドブリン・ドーマーが、昼食を摂っているケンウッド長官と秘書のロッシーニ・ドーマーのテーブルにやってきた。

「こんにちは、長官、ロッシーニ・ドーマー。同席させて頂いてよろしいでしょうか?」

 ケンウッドが頷くと、彼はロッシーニの隣に座った。内務捜査班の潜入捜査官、ロッシーニの部下だ。ケンウッドが薬剤管理室の様子を尋ねると、彼は肩を竦めて言った。

「憲兵のお姉さんから業務停止を食らっていますから、薬剤師達はロボットの点検や薬剤の在庫調べをしています。コンピュータを押収されているし、仕事は停滞するしで、みんなストレスを溜めていますね。」
「申し訳ない、フェリート室長に嫌疑がかかっているので、もう暫く我慢してくれ。」
「我々は我慢出来ますが、執政官のみなさんはどうなのです? 研究に支障が出るでしょう?」
「維持班の漢方薬でなんとかやっているらしい。」

とロッシーニが会話に加わった。彼は周囲をさっと見回してから、部下を促した。

「ハン博士のレシピの報告を頼む。」
「ハン博士が開発した薬剤は主剤1種のみ。私と室内に残った薬剤師6名全員で保安課が手に入れた博士のレシピを検証してみましたが、爆発する様な成分は使われていません。
また触媒使用の必要もない完成された羊水分析剤でした。」
「カールソンが清書したレシピは手に入ったか?」
「それも保安課がコピーをくれました。ハン博士のレシピを少し変えていました。オリジナルのレシピで製造すると薬が空気で変異し易くなる欠点を補う為に、製造の最終過程で一旦完成を止め、使用直前に最後の1剤を加える、となっていました。このレシピにも爆発する成分は入っていませんでした。」

 ケンウッドが確認した。

「追加する薬剤は、カールソンの清書では、1剤だけなのだね?」
「そうです。」
「室長の監修結果は手に入ったか?」
「フェリートはそれを削除していましたが・・・」

 ドブリン・ドーマーがニヤリと笑った。

「あのドナヒュー軍曹はコンピュータエンジニアとしての腕もなかなかのものです。削除されたデータを復活させました。彼女はデータを軍の基地に送信しましたが、我々は保安課がコピーしたものを手に入れました。」

 ケンウッドは聞いていて可笑しくなってきた。ドナヒューもベックマンもコロニー人だ。2人共、地球人にテロリストの情報を与えてはならないと言う防衛軍や委員会の会則に従って、押収したレシピを1枚も薬剤師達に見せていない筈だ。捜査の途中なのだから、尚更当たり前だ。しかし、ドブリン主任は、薬剤師達、コロニー人3名と彼を含めたドーマー4名でどのレシピも検証したと言っている。ドナヒューが軍の基地と交信する時、必ずドームのサーバーを使用する。サーバーは保安課が管理している。傍受するのはお手の物だ。しかも、保安課員は、ベックマン課長以外は全員ドーマーなのだ。内務捜査班の要求に応じて当たり前と言う人々ばかりだった。
 ドブリン・ドーマーは言った。

「フェリート室長はカールソンのレシピをキルシュナー製薬に送っていました。ただし、いくつかの成分の名前が赤文字で記されていました。赤文字の成分を別物に置き換えると、爆発物が製造出来ます。そして、成分を置き換えられたレシピと薬剤がキルシュナー製薬から送り返されて来ました。追加の薬も2剤に増えており、その理由がキルシュナーのレシピに『反応促進剤』と記されていました。確かに最初のハン博士のレシピで製造すると、成分同士の結合反応が遅くて時間がかかったのです。キルシュナーの研究者達の検証結果で2剤の触媒が必要となった、と我々は室長から説明を受けました。
 しかし、エヴァンズは納得しなかったのです。彼女は開発者のレシピが間違っている筈がないと言い、送られて来た薬剤の検査を主張しました。それで室長は許可しました。
 レシピ通りの製品ですから、エヴァンズが検査した時、間違っていないかの様に思われたのです。」
「それでも彼女は、薬剤に納得が行かなかったのだね?」
「そうです。ですから、局長に頼み込んで実験室に入れてもらったのです。」



脱落者 11 - 1

 ドーマーとして生きているクローンがいるドームに、クローンのオリジナルの親族が執政官として派遣されることがあるのか?

「ない。」

 ニコラス・ケンウッドはきっぱりと断言した。

「何の為に地球人類復活委員会が地球に遺伝子管理局を設けたのか、考えて見たまえ。コロニーから提供される受精卵子は少ない。それは親が我が子のクローンを作りたいと思わないからだ。提供してくれる親は、地球人の絶滅はあってはならないと信じている人々だ。しかし受精卵そのものを提供する気はない。クローンを作る為だから、貸してくれるだけだ。一つの卵子からクローンを最低5人作る。一卵性五つ子は大陸に均等にばら撒かれるが・・・言葉が悪かった・・・配分されるが、出会う確率がないとは言えない。同じ血縁者のクローンが出会って、子供を作らないとも限らない。それを防ぐ為に遺伝子管理をするのだ。
 地球人類復活委員会は、受精卵提供者を採用することはあっても地球に派遣はしない。また、その血縁者、親子兄弟姉妹も同様だ。」
「従兄弟姉妹は?」
「4親等以内は同様だ。それ以外でも当人が親族だと自覚すれば、対象ドーマーがいるドームには配属されない。」

 ドナヒュー軍曹とベックマン保安課長が頭の中で家系図を想像した。2人が沈黙してしまったので、ケンウッドも黙った。
 やがてドナヒューが口を開いた。

「先ほどの質問はエヴァンズがハイネ局長にしたものですが、エヴァンズはドーマーと血縁関係はないのですね?」
「その筈だ。」

と言ったが、ケンウッドは少し自信がなかった。地球人類復活委員会は、ハイネ局長の実の娘をアメリカ・ドームに配属した。もっとも、キーラ・セドウィックの場合は受精卵提供者ではないし、オリジナルでもない。ドーマーがコロニー人に産ませた子供なので、委員会としても彼女の正体を掴めなかったのだ。母親の代に選考役員だった人達は既に引退していたし、キーラの母親は決して娘の父親の身元を明かさなかった。

「エヴァンズにドーマーの縁者がいないのでしたら、彼女は誰のことを指したのでしょう?」
「彼女は意識を取り戻している。明日になれば医療区が事情聴取に耐えられるか判断を下す。それまで待っては如何かな?」

 やっとドナヒューとベックマンが執務室から出て行った。ケンウッドは溜息をついた。副長官がいない分、仕事が増えて、彼は疲れていた。防衛軍が通信遮断を解除したので月の執行部と連絡が取れる様になった。本部は副長官代理を指名するようにと言ってきた。
現役執政官から選ばなければ、本部が誰かを送り込んで来る。事態が混迷している時に、不慣れな人間を入れて欲しくないと言うのが、ケンウッドの本音だ。いっそのこと、ドーマーを副長官代理に任命したい。

「長官、そろそろお昼になさっては如何です?」

 秘書のロッシーニ・ドーマーが声を掛けてくれた。彼ももう1人の秘書ヴァンサン・ヴェルティエンが副長官秘書の手伝いに行っているので、仕事が増えている。しかも本業の内務捜査班の仕事もあるのだ。ケンウッドは秘書に返事をした。

「一緒に飯にしようか、ジャン?」

脱落者 10 - 6

 ドナヒュー軍曹もベックマン保安課長も実験室での爆発の様子は尋ねなかった。出来事は監視映像で見た通りだ。ケンウッドが聞き取れなかったセシリア・ドーマーの金切り声は、保安課の音声処理で判明した。彼女はこう言ったのだ。

「そんな筈ない!」

 彼女はハン・ジュアンが考えなかった触媒のレシピで薬を調合し、博士にそれを使用させた。爆発するとは思わなかったのだろう。
 誰かが彼女を騙して爆発物を作らせた。
 色が予想されたものでなく、異常な反応を主剤にもたらした印であることは、監視映像を見た他の薬剤師達の証言でもわかったので、ドナヒューもベックマンも敢えてハイネにそれを訊かなかった。
 ドナヒューは局長に尋ねた。

「何故セシリアは貴方を刺したのでしょう? 」

 映像を見た限りでは、ブラコフ副長官の手当に熱中していたハイネがリック・カールソンに目を向けてくれないので、セシリア・ドーマーが激怒した様に思われた。彼女は副長官が倒れている方向へガラス片を向けて突進した。処理前の映像では、現場は気化した薬品で視界が悪かった。彼女はハイネの位置がわからなかったか、或いは副長官が亡くなればハイネの注意がカールソンに向けられると思ったか。ハイネは彼女がブラコフに向かって突進して来るのを悟って、副長官の盾になり、胸を刺された・・・と思われた。
 しかし、ヤマザキと執刀医クック博士はガラス片が下から上向きに突き刺したものだと傷を見て見抜いた。セシリア・ドーマーはハイネの心臓を狙ったのか?
 ドナヒューの質問に、ハイネは天井に目を向けて、「わかりません」と答えた。

「貴方は副長官に彼女が向かって来るのを見て、副長官の盾になったのですね?」
「彼女の影が見えました。彼女が何を持っているのか、わかりませんでした。」

 ハイネは声の力を弱めた。当時の衝撃を思い出して気力が萎えたのか、それとも喋り疲れたのか。
 
「彼女が倒れているブラコフを踏みつけない様に、前に立ち塞がっただけです。」
「では、刺されてから、彼女が凶器を持っていたことに気が付いたのですね?」
「胸に押される感覚と激しい痛みを感じました。何が起きたのか、わかりませんでした。」
「彼女を反射的に殴った?」
「多分・・・」

 ハイネはまた目を閉じた。

「殴ったと思います。兎に角、ぶつかって来た物を払い退けた、それだけです。」

 ヤマザキは壁際の看護師が目に涙を浮かべているのに気が付いた。看護師は映像を見ていないが、彼が敬愛する遺伝子管理局長が体験した残酷な出来事を想像して、泣きそうになっていた。

「刺されたと気が付いて、ショックだったでしょうね?」

 しかし、ハイネは「理解不能でした」とだけ言った。

「何故刺されたのか、理解出来なかったと言うことですね?」
「そうです。」
「彼女は副長官を狙ったと思いますか? 貴方が偶々盾になったので刺してしまった?」
「それは・・・」

 ハイネがやや不機嫌な声音で答えた。

「セシリア本人に訊いて下さい。」

 そろそろ限界だな、とヤマザキは判断した。ハイネは疲れてしまっている。彼は立ち上がり、患者の手首を掴んだ。脈をとるふりをして、俄か刑事達に言った。

「患者は疲れた様です。聴取はここ迄にしてもらいます。」

 医療区では医師の判断は絶対だ。ドナヒューとベックマンは腰をあげた。ドナヒューがハイネの協力に感謝の言葉を述べて先に部屋から出て行った。ベックマンも挨拶して去ろうとすると、ハイネが片手をあげて彼を手招きした。ベックマンは怪訝な顔でベッドに近づいた。遺伝子管理局長が、低い声で彼に囁いた。

「髭を剃りなさい、保安課長。見苦しい。」

2018年2月16日金曜日

脱落者 10 - 5

 ハイネが溜息に似た深い息をしたので、ヤマザキはそっと看護師に合図を送った。看護師が水を局長に与えた。ハイネは喉を潤し、少し気分が良くなったらしい。ちゃんと視線をドナヒュー軍曹に向けて説明した。

「エヴァンズは私が電話を切って数分後に掛け直してきました。場所を移動したのでしょう。背後の音が違っていました。」
「その電話で、貴方の立会いに同伴させて欲しいと、彼女は言ったのですね?」
「はい。」
「彼女は理由を言いましたか?」
「いいえ、新薬の効果を見て見たいと言っただけです。」
「それで、貴方は同行を許可された?」
「断る理由はありませんでしたから。」

 ドナヒューは質問を中断した。自身の端末で他の人々の証言を出してハイネの言葉と比較した。
 ヤマザキはハイネが目を閉じるのを見て、患者が疲れないかと心配になった。ハイネは前日迄殆ど口をきかずに過ごしていた。今日は既にかなり喋っている。ハイネの発声はお腹の底から息を出す。力が必要だ。今の状態の彼は声を出せば体力を消耗する。

 だから喋らせない様に面会者を絞ってきたのに・・・

 ヤマザキが事情聴取をそろそろ終わらせようと思った時、ハイネが目を開いた。

「実験室へ向かっている時、エヴァンズが私に言ったことがあります。」

 ドナヒューが端末の画面を閉じて顔を彼に向けた。ベックマンも我に返った様な顔で局長を見た。

「何と彼女は言ったのです?」
「ドーマーとして生きているクローンがいるドームに、クローンのオリジナルの親族が執政官として派遣されることがあるのか、と質問してきたのです。」

 ヤマザキはぽかんとしてハイネを見た。ベックマンもドナヒューも困惑した表情になった。室内にいる2人のドーマー、ハイネと看護師も答えを知らない様子で、コロニー人達の表情を伺った。ヤマザキが尋ねた。

「君は何て答えたのだい、局長?」
「知りません。」

 とハイネが言った。

「私は『知りません』としか答えようがありませんでした。執政官の選考基準は地球人類復活委員会執行部しか知らないでしょう? ドーマーに執政官を選ぶ権利はないのですから。」

 今度はベックマンが尋ねた。

「何故エヴァンズはそんな質問を貴方にしたのだ?」
「それは訊きませんでした。実験室に到着してしまったので。」

脱落者 10 - 4

「よく覚えていません。」

 ハイネが目を閉じて答えた。ヤマザキはふと遠い記憶が蘇るのを感じた。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは相手に不満を抱くと心を閉ざす。普通の人間ならば言葉で言い返したり、腕力に訴えようとするが、彼はドーマーだ。コロニー人に決して逆らうなと幼い頃から躾けられてきた。92歳になっても、彼はそれを守る。逆らいたいと思ったら、質問の答えをはぐらかすのだ。彼は先刻ドナヒューが口にした言葉に気を悪くしてしまった。
 ヤマザキは軍曹に助け舟を出すことにした。ここで2人の関係がこじれては、事件解決に支障が出る。

「軍曹、局長はまだ体調が万全ではない。イエスとノーで返事ができる質問にしてはどうかな?」

 ドナヒューは彼を見て、ベックマンを振り返った。保安課長は看護師が用意した椅子に腰を落として休憩モードに入っていた。ヤマザキは昨日局長第1秘書が面会に来た時に使用していた椅子を引き寄せ、彼女に勧めた。

「お座りなさい。立ったままで質問すると、患者に威圧感を与える。患者は素直になれない。」
「有り難うございます。」

 ドナヒューは素直に椅子に腰を下ろした。ヤマザキはベッドの反対側に移動した。ガラス窓に背を向ける形で立つと、看護師が彼の為に椅子を運んで来た。
 ドナヒュー軍曹は暫く端末を眺めて考え、やがて顔を上げた。

「では、質問を改めます。局長、貴方がハン博士の実験を知ったのは、副長官に誘われた時が初めてでしたか?」

 ハイネは渋々ヤマザキの提案に従った。

「はい。」
「それ以前に実験に立ち会うつもりはなかったのですね?」
「ありませんでした。」
「つまり、誰も貴方が実験に立ち会うと予想していなかった?」
「していませんでした。」
「実験に立ち会うとお決めになった後、誰かにそれを伝えられましたか?」
「薬剤管理室に連絡しました。」
「それは何故でしょう? ハン博士にお伝えするのが普通ではないでしょうか?」

 答えに説明を要する質問をしてしまったが、ハイネは答えてくれた。

「ハン博士には副長官が連絡されました。私は薬剤の変化を見たかったので、それを薬剤管理室に伝えただけです。」
「薬剤の変化?」
「新しい薬剤の開発はどれも興味があります。私は元薬剤師ですから。」
「そうですか・・・その連絡は副長官の誘いを承諾された直ぐ後ですか?」
「翌日の朝です。」
「実験当日ですね?」
「はい。」
「薬剤管理室で局長の連絡を受けたのは誰でしたか?」
「私は代表番号にかけました。出たのはマーガレット・エヴァンズでした。」
「その時、彼女は何か言いましたか?」
「いいえ、その場で室長に私の立会いを告げただけです。」
「その場で・・・」

 ドナヒュー軍曹は薬剤管理室をベックマンと共に訪れていた。通路から入ると直ぐに受付カウンターがあり、その向こうに薬剤師達の机が並んでいた。机の向こうに調剤用のテーブル、その背後が薬剤の棚だ。何重にもなってずっと奥の方へ続いている様に見えた。
エヴァンズが局長と話すのを、室内に居た全員が聞いていた。ドナヒュー達は薬剤師達から、エヴァンズもセシリア・ドーマーも局長の誘いを受けた様に見えなかった、と言う証言を得ていた。

「エヴァンズは貴方と一緒に実験に立ち会うことを何時決めたのでしょう?」




2018年2月15日木曜日

脱落者 10 - 3

 ローガン・ハイネ・ドーマーは早朝に胸の奥から疼く様な痛みを感じて目覚めた。傷が悪化したのかと心配したが、朝ご飯の前に現れたヤマザキが走査して異常なしと言った。

「細胞の再生が始まったんだ。君の体が元に戻ろうとして活動しているのさ。2、3日我慢するんだね。痛みが和らげば、痒くなるだろうが、それも我慢するんだよ。」

 ハイネが動いて治癒を遅らせるのを防ぐ策として、クロエル・ドーマーが局長の痛み止め薬を減らせと言った案を、ケンウッドが昨晩ヤマザキに伝え、医療区長は早速実行したのだ。勿論患者本人に教えたりはしない。
 ハイネはチクチクする痛みを我慢しながらも、出されたオートミールとオムレツ、ヨーグルトをかけたカットフルーツの朝食を全部平らげた。看護師の補助を受けながら口腔内を洗浄して、薬を喉に塗ってもらったところに、ドームの俄か刑事達がやって来た。
 カレン・ドナヒュー軍曹は入念にお化粧を施していた。軍服を無視すればどこかへお呼ばれに行くみたいな顔だ。ベックマンは昨晩の薬剤管理室長逮捕劇で疲れていた。無精髭を生やしているのを見て、ドーマーの医療スタッフ達が顔をしかめた。ドームの中では誰もが身ぎれいにしている。男ばかりの社会なので、ドーマー達はホルモンコントロールを受けており、互いに威嚇行為を行わないように体内的制御を為されている。だから髭が薄い。すべすべの肌が常識なので、たまにコロニー人の男性が髭を手入れしないと軽蔑の目で見られる。しかしベックマンは疲れていたので、そんな視線に気がつかなかった。ハイネが彼の髭面を睨みつけるのも気づかずに、おはようございます、と挨拶した。

「こちらは地球周回軌道防衛軍の憲兵、カレン・ドナヒュー軍曹です。今回の事件の捜査でドームに滞在されています。
 軍曹、こちらが、アメリカ・ドーム遺伝子管理局の局長ローガン・ハイネ氏です。」
「よろしく、局長。」

 ドナヒューが規則に従って手袋をはめた手を差し出した。ハイネは胸の痛みを堪えて腕を上げ、握手に応じてやった。これは良い傾向だ、とコロニー人達は思った。もしここでハイネが握手を拒否したらどうしよう、と皆が心配していたのだ。
  ドナヒューはハイネの手をなかなか離さなかった。彼の手を眺め、話しかけた。

「この手でセシリア・ドーマーを打ち払ったのですね? 女性の顔を殴るってどんなお気持ち?」

 ヤマザキはハイネが不機嫌になるのを感じた。あれは誰が見ても正当防衛であって、相手が女だろうが男だろうが、殴らなければハイネは命を失っていたのだ。そして殴ってすぐに気を失った。何も感じる暇はなかった筈だ。
 ハイネはドナヒューの手から自身の手を引き出し、上掛けの下に入れた。胸に力を入れない程度の声で尋ねた。

「何をお知りになりたいのです?」

 ドナヒューはベックマンを見た。ベックマンはくたびれた表情で彼女を見返した。彼は今はただ早く仕事に一区切りつけて休みたかった。
 ドナヒューがハイネに向き直った。

「爆発が起きてから貴方が気を失う迄のことを教えてください。セシリア・ドーマーは何か言いましたか?」


2018年2月14日水曜日

脱落者 10 - 2

 ヤマザキ・ケンタロウはベックマン保安課長からきちんと整理した報告書をメールで受け取った。不愉快な内容だったが、彼の予想にほぼ合致していたので、納得もいった。彼は薬剤管理室長に疑いを抱いた時、マーガレット・エヴァンズの治療に用いる薬剤成分に細心の注意を払った。そしてじわりじわりと筋力を弛緩させ患者を死に至らしめる成分を発見していたのだ。フェリート室長は薬剤師らしい手段で部下の暗殺を図ったと考えて良かろう。
 エヴァンズは予想より遅かったが、その朝未明に意識を取り戻した。看護師の呼びかけに反応し、目を開いて医療スタッフを見た。おはようと言う呼びかけに、微かに微笑して応えた。ヤマザキは看護師に彼女の覚醒をもう暫く秘密にするようにと言いつけた。

「まだ事情聴取に耐えられる状態じゃないからね。」
「わかりました。先生と私以外は病室に入れないよう保安課員に言っておきます。」

 ガブリエル・ブラコフは目覚めていた。エヴァンズが覚醒したと聞かせると、彼は喜んでくれた。

「彼女は何か爆発の詳細を知っていると思いますか、先生?」
「期待しているが、まだ話せる状態じゃないからね。」
「脳波翻訳機でも駄目ですか?」
「彼女は君より重体だったんだ。脳内出血を起こしていてね。」

 それがハイネが庇った時に床に頭を打ち付けたせいだとはヤマザキは言わなかった。エヴァンズ自身が話題にする迄は黙っていようと思った。ハイネは彼女を助けようとしただけだ。彼も彼女があの行動で負傷したとは想像すらしていない。
 ブラコフは看護師がどこからか見つけてきた手の感覚だけで遊ぶゲームで暇つぶしをしていた。ベッドを斜めに上げてもらい、口からの食事はまだ無理だが、舌が無事だったので、味見だけはさせてもらえるのだ。チューブで喉から注ぎ込まれる食事が少しだけ楽しめる。

「歯と顎は無事だから、頬の再生が終われば普通の食事が楽しめるよ。」

 ヤマザキの言葉に彼は「楽しみです」と応じた。その態度に医師は感心した。

「君は大人だなぁ。普通の人なら、君のような怪我をしたら絶望して未来のことは考えないだろうに。」
「僕だって何時も冷静でいる訳ではありません。」

 気のせいか翻訳機の音声が笑っているようにヤマザキの耳に聞こえた。

「昨日の夜、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろうと、悲しくなりました。それで泣いたのですが、翻訳機の電源を入れたままだったので、物凄い雑音がして、自分でびっくりしたんです。そして、取り乱すってことは、まともな思考じゃないって悟ったのです。」
「感情を抑制しても良いことはないぞ。泣きたい時は泣きなさい。」
「電源を切って・・・ね?」

 軽快なリズムの様な雑音がした。ブラコフが楽しんでいるのだ。

「今の僕の心配は、ケンウッド先生のお仕事の手伝いが出来ないことです。副長官を欠いたドーム行政は大変でしょう? 長官が過労で倒れないか心配なのです。」
「それは僕がしっかり見張っている。」
「それが心配なのです。ケンウッド先生が何時も仰ってました。『ヤマザキ先生は自分のことを考えないで他人の心配ばかりしているから、体を壊さないか心配だ』ってね。」
「それは一本取られたな・・・」





2018年2月13日火曜日

脱落者 10 - 1

 爆発があった生化学フロアはドーム維持班が綺麗に掃除して、例の実験室以外は使用可能になった。実験室だけは入り口にまだ規制線が張られている。
 ドームの中は以前の落ち着きを取り戻し、軽傷者達は元の生活に戻った。ただ、何時も見る顔・・・ブラコフ副長官とハイネ遺伝子管理局長の姿が見えないことはドーマー達も気にしていた。2人の怪我は重いのだろうか?
 ケンウッドはアパートの自室で朝の身支度をしていた。そこへアーノルド・ベックマンから電話が掛かってきた。

「朝早くにすみません。もうお目覚めと思いまして・・・」
「何かあったのか?」
「今朝の午前1時過ぎですが、薬剤管理室長ドナルド・アンガス・フェリートが逃亡を図りまして、ゲイトで確保しました。」
「逃亡を図った?」
「ゲイトを誰にも見られずに通り抜けられる筈はないのですが、焦ったようですね。」
「宇宙へ逃げるつもりだったのか?」
「日時指定なしの航宙券とコロニーのIDカードを所持していました。」
「大人しく捕まったのか?」
「私が部下の報告を受けて駆けつけた時は、麻痺光線を浴びてひっくり返っていました。ご存知のように、ゲイトの保安課員の光線銃は原則出力を『強』に設定してあります。
室長は現在観察棟で寝ています。」

 ケンウッドは溜息をついた。昨日ロッシーニと推理を語り合ったが、心のどこかでは部下がテロリストの一味だと信じたくない気持ちもあったのだ。地球人復活の為に真面目に働いていた男だった筈だが・・・。
 ケンウッドは朝食の後でドナヒュー軍曹がハイネ局長の事情聴取を行う予定だったことを思い出した。

「ベックマン課長、暫く室長をそのまま寝かせておいてくれないか? まだ事情聴取していない人々が数名残っている。マーガレット・エヴァンズの証言を是非聞きたい。室長が爆発にどんな関与をしたのか、証言をもっと集めたいのだ。」

 ベックマンは理解を示した。

「わかりました。もう暫く彼を拘束したことを伏せておきます。まだ他にも誰かいると困りますから。」

 保安課長はケンウッドをドキリとさせる言葉を残して通話を終えた。

2018年2月12日月曜日

脱落者 9 - 5

 ケンウッドは夕食を摂りに一般食堂に行った。その日は日本食が中心で、あっさりした物が食べたかったケンウッドには有り難かった。ドームで食べられる刺身は一旦冷凍して殺菌処理された魚で、本当の刺身ではないのだ、とヤマザキがずっと以前に言っていた。もっともヤマザキだってコロニー人なのだから、「本当の刺身」を食べたのは地球に降りてきて祖先が暮らしていた島国に旅行に行った時が最初で最後なのだ。
 ケンウッドが赤身の刺身と野菜の煮物を取ってテーブルに着いて間も無く、クロエル・ドーマーが現れた。この若者は仲間から人気があるのに、何故か食事時は1人で居ることが多い。但し、孤独を好んでいる訳でもなく、話し相手になってくれそうな人を見つけてテーブルに押しかけるのだ。

 もしかして、北米北部班の同僚と馬が合わないのか?

 クロエルは南米生まれ南米育ちの異色のドーマーだ。母語はスペイン語だし、高温多湿に体が慣れている。音楽もダンスも中南米の陽気な物を好む。北米北部班だって陽気な男達が多いのだが、ちょっと水が違うのかも知れない。
 クロエルは物怖じしない。お偉いさんでも好きな人には平気で話しかける。ケンウッドは彼と目が合ってしまった。しまった、と思うが目を逸らすのも失礼なので、微笑んで見せると、案の定クロエルは喜んでテーブルにやって来た。

「こんばんは! 同席よろしいっすかぁ?」
「どうぞ、歓迎するよ。」

 クロエルは好きな刺身をかき集めてご飯の上に載っけていた。海鮮丼を作ったのだ。それに肉じゃがやらかぼちゃのそぼろ煮やら、甘い味の野菜の惣菜を数種類トレイに置いていた。

「豪勢だね、クロエル。」
「僕ちゃん体が大きいんで、こんだけ食べなきゃ保たないんす。」

 器用に箸を使って食べ始めた。ケンウッドも箸を使えるが豆腐は苦労する。

「クロエル、君は南米班に戻りたいのかい?」

 それとなく尋ねてみた。若者が顔を上げた。

「帰りたそうに見えるんすか?」
「君が北米の仲間と一緒にいるのを余り見ないのでね・・・」
「うーん・・・」

 クロエルは大きなじゃがいもを口に入れて、もぐもぐと食べて飲み込んでから、長官に言った。

「仲間がどうって言うんじゃないっす。僕ちゃん、暑い所の方が性に合ってるんす。」
「寒いのは嫌いか?」
「レインも嫌いだって言ってます。」
「局員シャッフルは、気に入らないか・・・」
「今のメンバーが一緒に南米に行ってくれたら、僕ちゃん何も文句ありませんけどぉ。」
「それじゃ北米に誰もいなくなるじゃないか。」
「だからね、それが僕ちゃんが1人でいる理由なんす。同僚はみんなスキーやスケートの話ばっかするんだもん・・・。」

 要するに、北国のウィンタースポーツの話題についていけないのだ。運動神経は抜群だから練習すれば直ぐに上手くなるだろう。しかしクロエルは寒い氷や雪の上で遊びたくないのだ。
 ケンウッドは優しく宥めた。

「君は幹部候補生の試験にパスしたから、春分祭の後で昇格があるだろう。どのチームのリーダーになるか、チーフ会議で決められる。希望の暖かい土地に行けるように、品行方正でいなさい。」
「はい、肝に銘じておきます。」

 素直に答えてから、クロエルは声を潜めて尋ねた。

「局長はどんなご様子ですか?」

 ケンウッドはどう答えて良いものか困った。

「大人しく寝ているように見えて、仕事をしたがるのでヤマザキが困っている。腕を動かすと胸の傷に響くのだ。本人は痛み止めのお陰で動いても気にならないらしいが・・・」
「痛み止めを減らしては如何です?」

と残酷なことを言うクロエル。

「そしたら局長も大人しくしてますよ。早く戻って来て欲しいっす。」


脱落者 9 - 4

 アメリカ・ドーム第23代長官サンテシマ・ルイス・リンは、呼吸器系の遺伝病の治療法を研究して、治療薬の製造会社を設立、成功を収めた。しかし、長官職にあった時、ドーマー達をペット扱いして地球人保護法違反を犯し、さらに危険値S1の進化型一級遺伝子保有者を逃亡させた罪で更迭された。後者は連邦法違反に当たるので、彼は執行猶予付きの有罪判決を受け、現在は辺境の開拓地で医師として働いている。
 リンが設立したアボンリー薬品製造は、役員会議で創業者である彼を役員から外した。リンの有罪によって会社に付いた悪評を払拭しようと従業員達は努力した。そして創業当時から居た古参の社員達を解雇した。
 ドナルド・アンガス・フェリートと言う薬剤師はリストラされたメンバーの1人だった。ボスの犯した罪とは無関係なのに、彼は職を失った。きっと悔しかったに違いない。怒りをぶつける対象が、地球人類復活委員会になったとしても不思議ではない。逆恨みだが、理由はわかった。

「室長はセシリアを洗脳したのかも知れない。」
「状況証拠だけでは、彼を追求するのは難しいです。」
「コンピュータに証拠が残っていると良いのだが・・・」

 推理ばかりしていても埒が明かない。ロッシーニは部下に思いつく限りの必要な指示を与え、ケンウッドは医療区と出産管理区に薬剤管理室から届けられる薬剤に注意を払うよう勧告を出した。クローン製造施設にも警戒を呼びかけた。
 数分後、出産管理区のアイダ・サヤカ博士から電話が掛かってきた。

「薬剤管理室の薬に警戒せよとは、どう言う意味でしょうか? 電話では説明出来ないことですか?」

 ケンウッドは正直に言うべきか迷った。

「テロリストが地球人の子供達に悪さをする懸念が生じたのだ。必ず薬剤の中身を確かめて使用してくれないか?」
「いつもしています。」

 アイダ博士は真面目な顔で答えてから、ちょっと苦笑した。

「お気遣い有り難うございます。時々中央研究所から忘れられている存在ではないかと不安でしたので。」

 チクリと皮肉を言って、彼女は通話を終えた。入れ替わりのように、医療区のヤマザキ・ケンタロウから電話が掛かってきた。

「薬剤管理室に問題があるのか?」
「うん、ちょっと疑いのある人物が居てね・・・。」

 するとヤマザキが「室長か?」と言ったので、ケンウッドは驚いた。

「何故わかるんだ?」
「なんだ、本当だったのか。」

と医療区長はがっかりした様に言った。

「爆発があった次の日だったか、サヤカが薬剤管理室の主任から聞いた話と、小会議室で監視映像を見た時に室長が言った内容が違っていたのでね、どちらかが嘘つきだと思ったんだ。」
「え? アイダ博士が主任から話を聞いていたって?」

 ケンウッドはドームが狭い世界であることを思い知らされた。

2018年2月11日日曜日

脱落者 9- 3

「君の御株を奪うことになるが・・・」

 ケンウッドは硬い表情でロッシーニに命じた。

「カールソンと室長のコンピュータも押収させろ。保安課に連絡する暇はあるかな? なければ内務捜査班単独で決行しても構わない。」
「軍曹にも連絡しますか?」
「どおでも良い。」

言ってしまってから、思い直して、

「後でギャーギャー騒がれても面倒だから、一応伝えておけ。但し、室長には不意打ちで行け。事前連絡はするな。」
「承知しました。」

 ロッシーニはフォーリーに電話を掛けた。ケンウッドの命令を伝えて通話を終えてから、長官を再び見た。

「ところで、これは医療区長に内緒にして戴きたいのですが・・・」
「何だね?」
「フォーリーは既にハイネ局長から事情聴取を終えています。」

 ケンウッドは、集中治療室でハイネが無断でタブレットを弄っていた光景を思い出した。

「メールでやりとりしたのか・・・フォーリーの指示で看護師がタブレットを局長に手渡したのだな?」
「申し訳ありません。フォーリーは待てなかったのです。局長暗殺計画があったのかも知れないと恐れていました。」
「それは私も心配で堪らない。」
「局長が実験に立ち会うことになったのは、事件の前日の夜でした。副長官からお誘いがあったそうです。薬剤に詳しい局長にサポートを頼みたいとのことでした。」
「うん・・・ブラコフはハイネと一緒に仕事が出来る機会を狙っていた。それだけだ。」
「副長官に非はありませんでした。局長は時間に余裕があると思って、承諾されたのです。忙しければお断りした筈です。」
「うん。」
「局長は、実験に立ち会うことを薬剤管理室にご自分で連絡を入れられました。連絡を受けたのは、エヴァンズでした。」
「エヴァンズが?」
「はい。彼女は局長の立会いを室長に伝えると告げた後で、彼女も立会いたいと局長に申し出たそうです。」
「彼女は触媒のレシピの存在に疑問を抱いた。だから、何が起きるのか知りたかったのだな?」

 監視映像の中のエヴァンズは真剣な目付きでハン博士の手元を見つめていた。

「局長は女性達を誘ったのではなく、彼女達が局長の立会いを利用して実験室に入ったのだ。セシリア・ドーマーも誘ったのではなかったのだな?」
「局長は実験室には既にセシリアが居たので、驚いたと仰っていました。」

 ケンウッドはまた考えた。

「室長は、触媒もキルシュナー製薬から送られて来て、未開封のまま実験室に運ばれたと小会議室で証言した。しかし、実際はセシリア・ドーマーが2剤をここの調剤室で調合した。何故室長は嘘を並べ立てるのだ?」

 ロッシーニが困った様な表情を見せた。

「長官、我々内務捜査班はコロニー人の経歴を調査する権限を与えられておりません。あの室長はどんな経歴の方なのです? アメリカ・ドームに勤務して既に6年になりますが・・・」

 ケンウッドは彼の顔を見た。そして自身のコンピュータに視線を移した。キーを叩いて、ドナルド・アンガス・フェリートと入力して経歴を開示させた。ロッシーニの為に読み上げた。

「ドナルド・アンガス・フェリート、今年で63歳、出生地、火星第6コロニー・・・学歴は必要かな? 最終学歴は火星第3大学、薬学部大学院卒、薬学博士、卒業と同時に就職・・・」

 恐らく室長が若い頃に転々とした職場はロッシーニには無意味な名前だったろう。最後の職場、つまりドームに来る前の職場は、アボンリー薬品製造・・・。
 ケンウッドはどこかで聞いた名前だと思った。アボンリー薬品、と彼が繰り返し呟くと、ロッシーニもそれに反応した。

「長官、私の記憶違いでなければ、それはサンテシマ・ルイス・リン元長官が興した会社ではありませんか?」

 ケンウッドは雷に打たれた様な衝撃を受けた。心臓が止まりそうなショックだ。

「サンテシマの会社に、室長は居たのか!」




脱落者 9 - 2

「ちょっと待ってくれ・・・」

 ケンウッドは頭の中でロッシーニの報告を整理した。

 主剤はハン・ジュアンの開発時は1剤のみで使用可能とされたにも関わらず、キルシュナー製薬は触媒のレシピを添付して送って来た。
 主剤のレシピはハンが作成し、カールソンが清書して製薬会社に送った。
 主剤は空気中で開封してはならないと書かれていたので、エヴァンズが真空ボックスの中に置いて開封、中身を検査確認した。(結果は問題なし)
 触媒の調合は、セシリア・ドーマーが行った。

「ハン博士は、触媒使用の必要性を認めたのか?」
「そこなのですが・・・」

 ロッシーニが困惑した表情で言った。

「主任は薬剤管理室の外での研究者達の話は聞けません。ハン博士がどの段階で触媒使用を認めたのか、彼の記録にはないのです。ですが、ご自分の開発した薬に別の物が添えられて来たのでは、博士も疑問に感じた筈です。どこで触媒が実験に追加されることになったのか、フォーリーは調べようとしたのですが、ハン博士個人のコンピュータはドナヒュー軍曹が押収していました。」
「ドームのコンピュータを軍が勝手に押収したのか?」
「フォーリーは当然抗議しました。それでベックマン保安課長と共に3人で分析することになりました。オブザーバーとして薬剤管理室長も一緒です。」
「何時だ?」
「予定では今夜です。」

 ケンウッドは何かひっかる物を感じたが、それが何か掴めなかった。もどかしい気分でロッシーニを見た。

「その分析に主任も加えることは可能だろうか?」
「主任ですか? 不可能ではありませんが、室長がいますから・・・」

 ケンウッドは目を閉じた。もう一度、監視映像を見た時の小会議室を思い起こしてみた。

「触媒は2種類あった。それを注入する順番が逆だったので、爆発が起きたと薬剤師の1人が言った。元はなかった触媒のレシピが添付されて来たことを薬剤師達は知っていたのだな?」

 するとロッシーニも考え込んだ。1分、たっぷり考えてから、ドーマーの秘書は長官に言った。

「薬剤師達が、元は触媒など存在しなかったことを知らなかったとしたら、どうなります?」

 彼はケンウッドの返答を待たずに、端末を取り出し、誰かに電話を掛けた。

「ドブリン・ドーマー、ロッシーニだ。今、話せるか? ・・・一つだけ確認するが、ハン博士のオリジナルのレシピを見た者は、薬剤管理室では何人いる?」

 相手は、薬剤管理室主任のドーマーだ。その回答を聞いたロッシーニは、硬い表情で、「有難う」と言って、電話を切った。彼はケンウッドを振り返って言った。

「オリジナルは誰も見ていませんが、カールソンの清書を検証したのは室長だそうです。」

脱落者 9 - 1

 ケンウッド長官のコロニー人秘書ヴァンサン・ヴェルティエンは執政官と呼ばれる遺伝子学者でも助手を務める研究者でもなかった。彼はドームでは珍しい文化人類学者だった。地球人とその文化が大好きで、地球人類復活委員会に頼み込んで職員に採用してもらったのだ。ドームに勤務してからは、休暇を取る度にバックパッカーとして辺境の旅に出た。女性が少ないせいで消えていく少数民族の生活を一所懸命記録しているのだ。土着信仰や言語が失われていく。それは大異変の前から起こっていることだが、この200年間で消滅速度が早くなった。ヴェルティエンは焦りにも似た感情を心の奥に抱えていた。だから地球人の絶滅を謳う広域テロリスト組織「青い手」の存在を憂えていた。
 その日のお昼、彼は中央研究所の食堂で見かけたドナヒュー軍曹に迫り寄り、「軍は何をグズグズしているんです? 早くテロリストをやっつけて下さいよ!」と怒鳴って周囲を驚かせた。軍曹は流石に落ち着いており、

「地球人はそう簡単に絶滅したりしませんよ。」

と言い放った。

「貴方のお友達を殺傷した連中は必ず捕まえて見せます。」

 ケンウッドは黙って見ていたが、昼休みが終わって長官執務室に戻ると、ヴェルティエンに軍曹に当たっても意味がないと注意した。ヴェルティエンも冷静さを取り戻して反省した。

「あの人はここで起きたことを捜査しているだけなのですよね・・・将軍じゃないんだし。」

 そして副長官執務室へ応援の為に出かけて行った。
 彼と入れ替わる様に、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが昼休みを終えて戻って来た。中央研究所の食堂にはいなかったので、一般食堂へ行っていたのだろう。彼はヴェルティエンが出かけたのを確認してから、ケンウッドに声をかけた。

「フォーリーが気になることを言って来ました。」

 ケンウッドは書類から顔を上げた。

「気になること?」
「薬剤管理室の人間達の証言が食い違っているのです。」

 ケンウッドは椅子の背もたれに体を預けた。

「どんな?」
「監視カメラの映像を見た時の薬剤管理室長の証言を覚えておられますか? 彼は、薬剤はキルシュナー製薬から送られてきたままだった筈だと証言した、とフォーリーの報告にありました。」
「うん・・・そう言った。私も覚えている。」
「また、別の薬剤師が『蓋を開けて空気に触れたら直ぐに変化してしまうので、実験本番の時にしか開けない薬剤だ。』とも言いました。」
「うん。」
「フォーリーは薬剤管理室の主任薬剤師と話をしたのですが・・・」

 薬剤管理室の主任と言うのは、ドーマーだ。ローガン・ハイネも若い頃はこの職に就いていた。即ち、内務捜査班の潜入捜査官だ。コロニー人の薬剤師達が不正を行わないか見張っているのだ。

「主任は何と言った?」
「キルシュナー製薬から送られて来たのは主剤のみで、触媒薬剤はここの薬剤室で調合されたものだ、と言ったのです。」
「何・・・だって・・・?」
「主任の記録によると、ハン博士が主剤を開発し、レシピを書き、それをリック・カールソン研究員が清書してキルシュナー製薬に送った。キルシュナー製薬からは、あちらの開発施設で調合された主剤と、反応を促進させる為に新たに2種類の触媒のレシピが付属で送付されていた。」
「待て・・・ハン・ジュアンが開発した薬は主剤のみで、触媒は計算にすら入っていなかったのか?」
「主任の記録では、そうなります。ハン博士の開発実験では触媒は存在しなかったのです。ですから、レシピが主剤と一緒に送られて来たので、それを見たマーガレット・エヴァンズが首を傾げたのです。エヴァンズは主剤が空気に触れてはいけないと書かれていたので、真空ボックスに入れて、ロボットアームで開封し、中身を確認しました。」
「真空状態で開けた?」
「はい。主任はそれに立ち会いました。」
「ハン博士には言わずに?」
「連絡はしています。博士は確認を依頼し、問題ないと判断しました。」
「主剤は異常なかったのだな?」
「エヴァンズの検査では異常なしと言う結果になっています。しかし、触媒はここで調合しなければなりませんでした。担当したのは、セシリア・ドーマーでした。」


2018年2月10日土曜日

脱落者 8 - 5

 ブラコフが昼食の後で昼寝をしたいと言うので、ヤマザキは翻訳機の電源を切ることを忘れないようにと言った。

「夢を見ている間の翻訳機って、煩いだけだから、自分の夢の『音』で目が覚めてしまうぞ。」
「ご忠告有り難うございます。」

 ブラコフは顔を失う重傷を負いながらも前向きだ。ヤマザキは彼の手にキスをしてやった。頰にしたかったが、ジェルで覆われているので不可能だった。それに皮膚を失った顔にキスをして細菌を移しては医者の面目丸潰れだ。「無菌」と言っても、細菌はドームの中にいる。医師はよく承知していた。
 また夕食後に来る、と言って、ヤマザキは廊下に出た。3人の捜査官がまだ揉めていた。

「ハイネ局長の部屋に男の人がいるじゃないですか! 彼は医療スタッフに見えません。」

 ドナヒューが抗議した。ベックマンが怒鳴った。

「あれはセルシウス・ドーマーだ! 局長の秘書だよ!!」
「秘書なら入って良いのですか?」

 フォーリー・ドーマーが彼女の腕を掴んでいた。

「第1秘書は局長の右腕だ。彼は許可されている面会者だ。」

 ヤマザキは大きく咳払いして彼等を振り向かせた。

「医療区内で騒いでもらっては困る。保安課に言いつけて追い出すぞ。」

 ベックマン保安課長が決まり悪そうにドナヒューに視線を戻した。

「まだ許可が出ていないのに、ハイネ局長に事情聴取したいと軍曹が仰せだ。」
「駄目です。」

 ヤマザキは即答した。抗議しようとするドナヒューを遮った。

「ハイネは今朝から微熱が続いている。昨日タブレットを弄って胸の筋肉に負担をかけたのだ。まだ声も出せない。明日出直して来なさい。」

 フォーリーはドナヒュー越しにボスの部屋を見た。ハイネ局長はジェレミー・セルシウス相手に何やら笑っていた。あの様子では、絶対に声を出して喋っている・・・。

 ボス、大人しく寝ていて下さいよ・・・

 内務捜査班の副官はヤマザキのバックアップに務めた。

「局長は92歳の高齢です。絶対に体に負担をかけてはいけません。医療区長の言葉に従って下さい。それが出来ないのであれば、アメリカ・ドームからの退去を命じなければならなくなります。」
「内務捜査班を怒らせると、地球にいられなくなりますぞ。」

 ベックマンもドーム側だ。ドナヒュー軍曹は体の力を抜いた。

「わかりました。では明日、必ず来ます。」

 彼女はハイネの部屋に背を向けたまま、出口に向かってどんどん歩き去って行った。残された3人の男達は彼女が角を曲がって見えなくなると、次は反対側の奥の部屋を見た。
ハイネとセルシウス・ドーマーがガラスの向こうからこちらを見ていた。 ヤマザキが微笑みを浮かべて片手を挙げて見せると、ハイネも片手をわずかに持ち上げて手をヒラヒラさせた。

「腕をあげると胸の傷に響くので、あの程度しか挙げられないんだ。」

 ヤマザキが解説すると、フォーリーが言った。

「私は明日の聴取には参加しません。ボスの怪我の様子は映像で十分です。」

 そしてドナヒューの後を追いかけて歩き去った。まだ残っているベックマンに、ヤマザキは笑い出したいのを我慢して言った。

「昨日、ハイネがタブレットで誰かと連絡を取り合っていた。それが傷に響いて今朝の熱に繋がったのだが、どうやら相手はフォーリーだったみたいだな。」
「内務捜査班は何を掴んでいるのか、よくわかりません。」

とベックマンが愚痴った。



2018年2月9日金曜日

脱落者 8 - 4

 3人の捜査官に廊下で待つようにと言って集中治療室から追い出すと、ヤマザキはブラコフのバイタルチェックを行った。体温、血圧、心拍数を記録した。

「脳波翻訳機は付けておく。スタッフとの意思疎通に必要だろう。違和感を感じるだろうが、直に慣れるさ。」
「ありがとうございます・・・ヤマザキ先生・・・」

 ブラコフが事情聴取の間、ずっと言葉にするまいと堪えていた質問を出して来た。

「何故軍人がここにいるのですか? ただの薬剤使用ミスじゃないんですか?」

 ヤマザキは先刻迄ドナヒューが座っていた椅子に腰を下ろした。

「ケンさんはまだ君に教えるのは早いと考えているが、君から質問が出たので教えておく。ドーマー達にも教えるなと本部からの通達もあったが、横の繋がりでドーマー達も知ってしまったことだし・・・。
 実は君が怪我をした少し前の時間帯だが、アフリカ・ドームで爆発事件があった。」
「何ですって!」

 ブラコフが素直に驚いた。翻訳機の音声が大きくなった。

「やはり薬剤ですか?」
「詳細はまだ調査中で本部からも報告がない。しかし、アフリカ・ドームのルパート・シュバルツバッハ博士と3名の遺伝子学者が亡くなったことは確かだ。建物にも大きな被害が出たそうだ。そして時間を置かずに広域テロ組織『青い手』が犯行声明を出した。」
「テロ?! そんな・・・ドームは平和な施設なのに・・・」
「地球人類復活委員会の活動に異を唱える人々もいると言うことだよ。地球人が繁殖能力を失ったのであれば、自然淘汰で絶滅させてしまえ、と言う人々がね。」
「僕はそんな考え方が理解出来ません。要するに、お金がかかるから研究を止めてしまえと言うことでしょう?」
「そうだ。 そしてタチの悪いことに、連中はアメリカ・ドームの爆発事故も彼等の犯行だと言っている。ここの事故はまだ公表されていない時間にだ。」

 ブラコフは暫く翻訳機の電源を切った。感情が高ぶってしまったのだ。ヤマザキは彼のバイタルチェックを見た。血圧と心拍数が上がっているが、危険な状態ではない。

「テロリストは、新薬の実験に必ずドーム長官もしくは副長官が立ち会うことを知っているんだ。だから防衛軍は、今回のここの生化学実験室で起きた爆発は、ハン・ジュアン達ではなく君を狙ったものだと考えている。ハイネは前日に君が誘っただけなので、巻き添えになったのだろう。ああ、君が誘ったから、と言う考えは止めろよ。これはドナヒューの考えを僕も支持する。
 問題は、テロリストが薬品が爆発するようにどうやって仕向けたか、なのだ。羊水の分析に用いるだけの薬品を爆薬にしてしまう手口を軍曹は探っている。ベックマン課長はテロリストの手先になったヤツを探している。フォーリー・ドーマーはその手先が何故地球人類復活の目標を棄てたのか探っている。」

 ふとガラス窓の向こうに目をやると、3名の捜査官が何やら揉めているらしい姿が見えた。ドナヒューが奥の部屋へ行こうとするのを、ベックマンとフォーリーが引き止めようとしていた。
 やれやれ、とヤマザキは苦笑した。

「ガブリエル、今廊下でさっきの3人の刑事達が揉めているんだ。他の患者に迷惑なので止めて来ても良いか?」
「ええ、どうぞ!」

 ブラコフの声から深刻さが消えていた。



脱落者 8 - 3

 逆にブラコフが質問してきた。

「エヴァンズはどうなったのです? 彼女は生きていると聞きましたが?」
「彼女はまだ意識が戻りません。でも命に別状はないそうです。」

 ドナヒューの回答に、ヤマザキが急いで言葉を添えた。

「マーガレット・エヴァンズは脳内出血を起こしたので、その回復に少し時間を要した。しかし、今日ぐらいに目を覚ますと期待されている。こう言うことは急いではいけないからね。」

 ブラコフの翻訳機がザーザーと音をたて始めたので、ブラコフは自分で音源を落とした。言葉ではなく映像記憶なのだ。爆発の直前でも思い起こそうとしたのだろうか。
 ドナヒューが尋ねた。

「エヴァンズは薬剤に疑いを抱いたのですか?」

 ブラコフは少し間を置いてから答えた。

「わかりません。彼女が薬が違っている様な気がするので、彼女よりベテランの薬剤師の立会いを希望すると言ったのです。それで僕はハイネ局長に声をかけてみました。局長と一緒に仕事をしたかったので。」
「局長は直ぐに応じましたか?」
「二つ返事で承知してくれました。僕は嬉しかった。あの人と一緒に仕事が出来るなんて!」

 ブラコフの幸福そうな言葉は、次には沈んだ調子になった。

「僕が誘わなければ彼は怪我をせずに済んだのに。」
「彼を誘ったから、貴方は今ここで生きているのです。」

とドナヒュー軍曹がきっぱりと言った。

「もし、と言う言葉は忘れなさい、副長官。貴方はハン博士の要請で実験に立会い、薬剤の爆発で負傷し、ハイネ局長の応急処置で一命を取り留めたのです。貴方には何の落ち度もありません。」

 翻訳機から雑音が流れ出し、ブラコフは自身で電源を切った。
 ヤマザキはもう潮時だろうと思ったので、ドナヒュー軍曹に言った。

「患者を疲れさせたくないので、そろそろ終わりにしてもらえませんか?」

 ドナヒューは彼を振り返った。そして壁際に並んで立って彼女とブラコフの遣り取りを聞いていたベックマン保安課長とフォーリー・ドーマーを見た。

「副長官に質問なさりたいことはありませんか?」

 ドームの住人である2名の男達は首を振った。彼等は医療区長の機嫌を損ないたくなかったし、ブラコフは逃げない。質問は後からでも出来ると思った。
 ドナヒューはブラコフに向き直った。

「今日の事情聴取はこれで終わります。また尋ねたいことがあれば、お伺いします。
どうぞ、お大事に。」

 ブラコフは少し頭を振った。


2018年2月8日木曜日

脱落者 8 - 2

 ヤマザキ・ケンタロウはガブリエル・ブラコフに3人の捜査官を紹介し、脳波翻訳機を装着して事情聴取に応じることを彼に勧めた。

「君自身も何が起きたのか、整理しておいた方が良いと思うんだ。ただ、脳波で質疑応答をすると言っても疲れるだろうから、無理はしなくて良い。」

 彼は脳波を音声に変換する機械をブラコフの手に持たせた。聞かれたくない考えがあれば、電源をオフにすること、と説明すると、ブラコフは直ぐに使用方法を覚え、「わかりました」と機械の声で答えた。そして

「コメカミ以外の場所に装置を装着することを思いつくなんて、流石にケンウッド先生だ。」

と呟いた。ヤマザキは彼が現在の境遇を悲観していないと感じた。ブラコフはケンウッドを信じている。必ず助けてくれると信じている。ヤマザキはベッドの反対側に移って副長官の空いている手を握った。そしてドナヒュー軍曹に頷いて見せた。
 カレン・ドナヒュー軍曹はベッドの脇に椅子を引き寄せて座った。

「地球周回軌道防衛軍のカレン・ドナヒューです。憲兵隊の軍曹です。貴方の姿を映像に記録し、音声も記録します。よろしいですね?」
「はい。」

 軍曹がブラコフの名前を読み上げ、間違いないかと尋ね、ブラコフは「間違いありません」と答えた。その直後に彼はスウィッチを切った。数秒後に再び入れたので、何か聞かれたくないことを考えたのだろうと、ヤマザキは想像した。
 軍曹が質問を開始した。

「ブラコフ博士、貴方がハン・ジュアン博士の実験に立ち会うことを決められたのは何時でしたか?」
「10日前です。」
「実験には必ず立ち会うのですか?」
「新薬を使用する実験には、長官か副長官が立ち会うことになっています。」
「ではケンウッド長官が立ち会う可能性もあったのですね?」
「いいえ、長官は2月前に出張されることが決まっていましたから、ハン博士が僕に直接立会いを要請してきました。」
「それは特別なことではなかったのですね?」
「そうです。1月に1回の割合で立ち会っています。」
「立ち会ってどんなことを見るのですか?」

 恐らくこの答えをドナヒューは既に知っている筈だ。薬剤管理室を調べた時に室長に訊いただろうから。ブラコフはヤマザキが知っている答えを伝えた。

「開発された新薬が正しい目的のものであるかを確認するのです。ドームの歴史の初期に麻薬を製造した学者がいたので、法律で監視を兼ねた立会いを義務付けしています。」

 ドナヒューは端末のメモを見て、頷いた。そして次の質問に移った。

「ハイネ局長が立ち会った理由は何でしょう? 内務捜査班からの情報に依れば、局長の立会いは実験の前日に決まったそうですが?」
「僕は薬剤の専門家ではないので、助言をしてもらう為に僕から局長に頼んだのです。局長は元薬剤師ですから。」
「何故実験の前日だったのです? 10日前にハン博士から立会いを求められた時、局長に頼んだのではないのですね?」
「当初は僕1人で立ち会うつもりでした。しかしエヴァンズが薬が変だと言ったので・・・」
「薬が変? どう言う意味ですか?」
「わかりません。」





2018年2月7日水曜日

脱落者 8 - 1

「昨日、僕の言いつけを無視して看護師からタブレットを入手したハイネは、はしゃぎ過ぎた報いで、今日は早朝から熱を出して大人しくしているよ。」

 朝食の時に、ヤマザキが可笑しそうに教えてくれた。医師が笑っているので、深刻な事態ではなさそうだ。ケンウッドはホッとした。

「熱は高いのか?」
「いや、微熱だ。でも胸の傷に響くから、発声練習は午後からに延期だ。食事は予定通りにする。延期すると彼は絶対に機嫌が悪くなるから。」
「食べ物に関して言えば、ローガン・ハイネは子供だなぁ・・・」

 2人は笑い合った。ヤマザキはベックマン保安課長からセシリア・ドーマーが事情聴取の際にハイネ暗殺を企てたことを認めたと聞かされていた。ベックマンは医療区の警備強化の必要性を説く為に、医療区長に伝えたのだ。ヤマザキはセシリア・ドーマーの共犯がいるとは思えなかったが、真面目に受け止めた。スタッフに、医療区に用の無い者は例え顔見知りでもセキュリティチェックを通してからでなければ入れてはならない、と指示を出しておいた。しかし、それをケンウッド長官に言うつもりはなかった。ベックマンから報告があるだろうし、まだなかったとしても多忙な長官に心を乱して欲しくなかった。

「ドナヒュー軍曹がガブリエルの覚醒を知った。事情聴取出来ないかと訊いてきた。彼の怪我の状態を実際に見ているのだから、無理だとわかりそうなものだがなぁ・・・」

 ケンウッドが憲兵の無神経な要求に愚痴をこぼした。ヤマザキはケンウッドが前日提案した脳波翻訳機を頭髪を剃って装着させる案を思い出した。口で証言するより脳波で喋られせた方が疲れないだろう、と思ったので、「良いんじゃないか?」と言った。

「制限時間を区切って、脳波通信機でガブリエルに証言させれば良いだろう? 僕が同席して時間オーバーや質問の内容をチェックする。少しでもガブに負担が掛かると判断したら、即事情聴取を打ち切らせる。」

 ケンウッドは自身も同席したいと思ったが、ドームは副長官を欠いている。長官業務以外にも仕事が山の様にあった。

「それではガブリエルの護衛は君がしてくれるのだね? 軍曹とベックマンかフォーリーにガブリエルの面会を許可する旨を伝えておこう。」

2018年2月6日火曜日

脱落者 7 - 5

 ベックマンとフォーリー・ドーマーはセシリア・ドーマーの部屋に戻った。ドナヒュー軍曹は重力が辛いのか、近くの保安課員控え室に向かった。少し休憩してから戻ると言ったが、ベックマンは尋問に時間をかけるつもりはなかった。セシリア・ドーマーもまだ長い時間の尋問に耐えられる状態ではない。
 入室すると、彼女はマスクをしたまま目を閉じていた。2人の男性がベッドに近くと、気怠そうに目蓋を開けた。保安課員がマスクを外してやった。

「私はどうなるのですか?」

 彼女の質問に、フォーリーが質問で返した。

「どうして欲しいのだ? 君はドームの中にこれ以上居たくないのだろう?」

 ベックマンは、ドーマーが犯罪を犯した場合の処罰がどんなものなのか、聞いたことがないことに気が付いた。ドーマーが犯罪を犯したことが、かつてあったのだろうか? コロニー人に逆らって観察棟に幽閉されたと言う話は聞いたことがあるが、法的な違反を犯した場合の前例を耳にしたことがない。

「追放が希望なのか? ドームの外の、大気汚染と放射線の汚れの中に追い出されたいのか?」

 フォーリーの質問に、セシリア・ドーマーは再び目を閉じた。

「それ以外に何があるのです? 宇宙へは出してもらえないでしょう?」

 彼女が口元に笑みを浮かべたので、ベックマンはギョッとした。何か悪いものが、女性ドーマーに取り憑いた様に思えたのだ。
 セシリアが言った。

「ドーマーは、法律上は地球に存在しない人間です。 私はクローン、クローンの母親から生まれた子供ですらない。クローンはドームの外に出ない限り、人間ではないのです。人間でないクローンの私が、法律上存在しないローガン・ハイネと言う人を殺害しても、殺人にならないでしょう? でも、人を殺したことは事実です。貴方方は私をドームの中に置いておけない筈です。邪悪な生き物ですからね。法律上の殺人ではないから、罰することは出来ません。私を放逐するしか、貴方方には選択肢がないのです。」

 ベックマンとフォーリーは顔を見合わせた。この女は狂っている、とベックマンは感じた。クローンも人間であると言う不動の考えで、ドームは女の子を創っているのだ。それを当のクローンが否定している。クローンが人間でないなら、クローンの女性達から生まれた現代の地球人は、何なのだ?
 フォーリー・ドーマーが初めて感情を表した、彼は苛ついたのだ。

「ローガン・ハイネも私も人間だ。法律上存在しないなどと、誰が言ったのだ? 我々ドーマーは法律上存在している。外の世界の住民登録に名前がないだけだ。ドームには、地球上の全ての住民の登録が為されている。我々ドーマーもその中に入っている。君達女性ドーマーも入っている。君も私も地球人なのだ。」

 セシリア・ドーマーが突然起き上がろうとした。しかし彼女の四肢をベッドに拘束してるベルトは頑丈で、彼女は上体を浮かせることすら出来なかった。彼女は何か叫ぼうとして、再び咳の発作に襲われた。咳き込む彼女に、ベックマンが声をかけた。

「暫くそこで休んでいなさい。そして、自分が何をやらかしたのか、じっくり考えて見ることだ。」

 2人は部屋を出た。ドナヒューが戻って来るところだった。彼女は2人の男性が出て来るのを見て立ち止まり、彼等がそばに来るのを待った。

「彼女は何か事件の真相について喋りましたか?」
「何も・・・」

 ベックマンはフォーリーを見た。彼なら上手く説明してくれるだろうと期待したが、ドーマーの捜査官は黙っていた。仕方なくベックマンは説明した。

「彼女はドーマーもクローンも法律上存在していないと信じている。存在しなければ人間ではない、だから彼女がローガン・ハイネを殺しても罪に問われない、と言う考えだ。」

 ドナヒューがポカンと口を開けて、2人を見比べた。

「一体、どこからそんな考えが出て来るのかしら?」
「さぁね・・・」

 ベックマンは思った、ドーマーを洗脳したのは誰だろう? と。

2018年2月5日月曜日

脱落者 7 - 4

 セシリア・ドーマーが咳き込んでいる間、ベックマンはドナヒュー軍曹とフォーリー・ドーマーを通路へ誘い出した。ドアを閉じると、彼は2人に尋ねた。

「私には彼女が殺意を持ってハイネを刺したように聞こえたが、どう思う?」
「『解放』とか『閉じ込められて』とか『飼われている』とか、そんな言葉を使っていましたね。」

 ドナヒューがフォーリーを見た。ドーマー達は皆そんなことを感じているのだろうか?
しかしフォーリーは言った。

「感じ方は人それぞれです。しかし他人を殺して『解放してやる』と言う考え方は私には理解出来ません。」
「それはコロニー人もドーマーも外の地球人も同じだ。まともな人間の考えじゃない。」

 ベックマンは手で顔をこすった。ドームに職を得てから二日前まで平和で穏やかな日々を送って来た。彼は宇宙軍の傭兵として辺境の開拓惑星で働いて来た。宇宙軍と言っても、異形のエイリアンと戦う訳ではない。開拓を妨害する同じ人類から開拓団を護衛していたのだ。宇宙の盗賊は地球人の末裔だ。開拓地を平気で荒らしたし、殺人も犯した。傭兵は標的にされた。ベックマンはそれなりに危険な職場を渡り歩いて来たのだ。だからドームの小さくても平和な世界が好きだった。ささくれだっていた彼の心に人間らしさを取り戻してくれたのは、コロニー人を親と思えと躾けられたドーマー達の純真さだった。
 それなのに・・・ドームで生まれ育った女が同じドーマー仲間を殺害しようとした。しかも自分たちのリーダーである長老を・・・。

「ローガン・ハイネは立派な人だ。若いドーマー達を我が子の様に愛しているし、年長者には敬意を払って接している。常に仲間のことが一番で自身は最後だ。セシリアの様な若い薬剤師達は訓練所でハイネの講義を受けた筈だ。彼は彼女の恩師でもある。そんな人を身勝手な解釈で哀れんで死を以って『解放』してやろうと?」
「誰かが彼女に邪な考えを吹き込んだのでしょう。」


脱落者 7 - 3

 セシリア・ドーマーはベッドの上に拘束されていた。顔は鼻が折れているので腫れていた。手術は成功しており、見た目は以前と変わらず綺麗だが、むくみはまだ引かないようだ。喉はハイネ同様良好な回復で、ベックマンは医師からの忠告もあり、あまり興奮させたり長時間喋らせないよう、仲間と打ち合わせていた。
 彼女は3人の捜査官が入室すると、首を動かしてドアの方を見た。付き添っていた保安課員が上体を少し起こしてやった。

「こんばんは、セシリア・ドーマー。保安課のベックマンだ。こちらは内務捜査班のフォーリー・ドーマー、そしてこちらは地球周回軌道防衛隊のドナヒュー軍曹だ。」

 ベックマンが紹介すると、セシリア・ドーマーは無言で頷いた。縛られている意味も捜査官が訪問した意図も理解している様子だ。感情のない目で彼等を見た。
 ベックマンは椅子をベッドの脇に引き寄せて座った。ドナヒュー軍曹には付き添いの保安課員が椅子を勧めたが、フォーリーは椅子を断って立っていた。
 さて、とベックマンが切り出した。

「気分はどうだね? 痛むか?」

 セシリア・ドーマーは小さく首を振った。質問を無視するつもりはないらしい。

「喉を痛めたそうだから、今夜はあまり多くの質問はしない。今ベッドに拘束されている理由はわかるだろうか?」

 彼女は一瞬天井に目を向けてから、かすれ声で答えた。

「私がローガン・ハイネ・ドーマーを殺したからです。」

 ベックマンはドナヒューとフォーリーを見た。2人共無言だ。セシリア・ドーマーは殺意を持ってハイネを刺したと受け取れた。

「ハイネ局長を殺した?」

とベックマンが彼女の言葉を繰り返すように尋ねた。彼女が無言で頷いた。彼は尋ねた。

「何故、彼を殺したりしたのだ?  彼はこのドームの長老だった。君達のリーダーだっただろう?」

 彼は故意に過去形で語ってみた。セシリア・ドーマーはハイネを仕留めたと思い込んでいるらしい。
 彼女は目を閉じた。

「私は彼を解放してあげたのです。私も解放される筈だった・・・」
「解放? 」
「ドーマーは囚われの身です。自覚がないだけなのです。特別な場合以外、死ぬ迄ドームの中で飼われている研究用の人間です。外の地球人には存在を知られず、宇宙のコロニー人からは珍しい動物みたいに見られています。私はそんな生活が・・・」

 彼女は咳の発作に襲われた。保安課員が酸素マスクを彼女の顔に当ててやった。
尋問が暫し中断された。

2018年2月4日日曜日

脱落者 7 - 2

 ベックマン保安課長はカレン・ドナヒュー軍曹とビル・フォーリー・ドーマーと共に観察棟の通路に居た。1時間前に出産管理区からセシリア・ドーマーが移されたところだ。彼女は意識を取り戻してからも薬を注射されて朦朧とした状態だった。折れた鼻と喉の火傷以外に大きな傷はない。あとはかすり傷程度だ。爆発の瞬間にローガン・ハイネに庇ってもらったお陰なのに、その恩人をガラスの破片で刺した。
 3人の捜査官は何も監視映像で見た彼女の行動に疑問を抱いていた。錯乱したとしても不自然だ。彼女にブラコフを襲う理由もハイネを刺す理由もない・・・筈だ。

「女性ドーマーは生まれてから死ぬ迄ドームから出ない。唯一の例外は、男性ドーマーと結婚して彼と共に子供を自力で育てると決意した場合のみだ。ドーマーがドーム内で子育てする権利は認められていない。子育てしたければ、ドーマーであることを辞めて外で暮らさなければならない。」

 ベックマンが執政官の1人としてドナヒュー軍曹に説明した。横でドーマーのフォーリーが黙って聞いているので、緊張する。間違ったことを言いはしないかと、内心冷や汗ものだった。

「だから、セシリア・ドーマーが外の人間と接触したとは考えられない。彼女が接触する外の人間は皆無だ。彼女が接するコロニー人は全員地球人類復活委員会に属し、雇用されている執政官と研究員、それに設備維持の技術者だけだ。技術者は薬剤管理室に出入りしないし、地球上を巡回しているので運動施設を利用することもないから、食堂で出会わない限り彼女と言葉を交わすことはない。」
「すると、仮に彼女が『青い手』と関係を持ったすると、考えられるのは、執政官、研究員、それに男性ドーマーの誰かがテロリストと繋がりがあると言うことですね?」

と軍曹。3人共にリック・カールソン研究員が気になっていた。爆発で死亡してしまっているが、その背後を調査せねばならないと思った。
 ドナヒューが「男性ドーマー」と言っても、フォーリーは口出ししなかった。内務捜査班の副官は無口だが、目付きは鋭く、思慮深そうだ。ドナヒューはドームの規則で武器携行を許可されていないが、フォーリーも丸腰だ。しかし体格を見ると、素手でも十分強そうだった。ただ1人麻痺光線銃を携行しているベックマンは、上着を脱いでいた。セシリア・ドーマーに対して抑止力になるかどうか心もとなかったが。
  ベックマンが仲間を見た。

「では、入ろうか。」


 

脱落者 7 - 1

 夕食の後、ケンウッドはヤマザキに連れられて医療区を訪問した。残念ながらガブリエル・ブラコフは眠っていた。壁の脳波パネルを見て、ヤマザキが肩をすくめた。

「何も見えないのでは音楽を聞かせるしかなくてね・・・穏やかなクラシックを聞かせたら、退屈だったんだろ、また眠ってしまったよ。」
「今は眠っていてくれて良いさ。早く事件の真相を解明しないと、私も安心して彼を治療してやれない。」

 ブラコフの病室を出ると、ハイネの部屋に移動した。ローガン・ハイネは、ベッドの上体部分を斜めに起こしてもらい、またもや誰かからタブレットを入手して遺伝子管理局本部と会話中だった。ヤマザキが看護師を睨みつけると、彼はそそくさと控え室に戻って行った。
 ケンウッドとヤマザキは急いで消毒ミストを浴びて室内に入った。「局長」とヤマザキが呼びかけると、ハイネはタブレットに何か打ち込んで送信すると、振り返った。ケンウッドとヤマザキを見て微笑んだ。

「そんな可愛い顔をしても、駄目なものは駄目!」

 ヤマザキが彼の手からタブレットを取り上げようとすると、彼は素早くメッセージを入力して見せた。

ーー看護師を叱るな

 ケンウッドはヤマザキが脱力するのを見て、苦笑した。

「ケン、ハイネは仕事をしている方が精神的に安定しているんだよ。言いつけを守って声を出さずにいるのだから、大目に見てやってくれないか。」

 ケンウッドがハイネの味方をするので、ヤマザキは渋々敗北を認めた。

「昼食と夕食をきちんと食べたみたいだし、薬の塗布も終わっている。体の洗浄も終わったね。クック博士の報告では、胸の傷の接着剤もしっかり固まって、後は傷口の細胞の再生が早く終わるのを待つだけだ。明日は発声練習、明後日は車椅子で部屋の中を移動できるだろう。お手洗いも自分で使えるようになるよ。」

 ケンウッドは彼に頷いて見せ、ハイネのそばに行った。

「ガブリエルを救ってくれて有難う。」

 彼は局長の手を軽く叩いた。ハイネはちょっと複雑な表情をした。女性を庇ってしまったので、副長官を大怪我させてしまったことを、ちょっぴり後悔しているのだろう。

「月の本部から口止めされているのだが、君には打ち明けておいた方が良いと思う。遺伝子管理局にも横の繋がりで連絡がきているそうだからね。」

 ケンウッドはアメリカ大陸の地球人の代表に言った。

「宇宙では、地球人を絶滅させて地球の資源を手に入れようと言う考えを持つ人々がいるのだ。『青い手』と名乗るテロリスト集団もその一つで、彼等がアフリカ・ドームの爆発事件を起こしたと犯行声明を出した。彼等はアメリカ・ドームで起こった爆発も自分達の犯行だと言っている。もし本当ならば、どこでそんな仕掛けが作られて、どんなルートでここへ送られてきたか、調べなければならない。同時に、このドームに協力者がいるのかどうか、それも調べなければならない。」

 するとハイネがメッセージを入れた。

ーー薬剤管理室を調べましたか?

「調べた。ハン博士が使用した触媒が入れ替わっていた。レシピの改竄か、こちらで取り替えられたものか、捜査中だ。薬剤師達を調べているところだ。」

ーー死亡者も調べなさい

 ケンウッドはヤマザキを見た。ヤマザキは何もコメントしなかったが、驚いた様子はなかった。セシリア・ドーマーは死亡したリック・カールソン研究員を気にしていた。カールソンも何か関係しているのかも知れない。死亡したのは、手違いがあったかも知れないのだ。
 ケンウッドは頷いた。

「勿論、3人を調べる。実は・・・」

 彼は少し躊躇った。

「君は気に入らないだろうが、地球周回軌道防衛隊から憲兵が1人、捜査官としてドームに来ている。カレン・ドナヒュー軍曹と言う。彼女が君に事情聴取に来るかも知れない。暫くはヤマザキが面会謝絶で君を守るが、君が順調に回復して動き回ると、彼女が面会を求めて来るだろう。」

ーー協力しますよ、女の人でしょう?

 ハイネは女性に興味を示す。ケンウッドは苦笑するしかなかった。

脱落者 6 - 6

 中央研究所の食堂の入り口で、ケンウッドはヤマザキと出会った。2人は同時に声を掛け合った。

「良い報せがある。」
「悪い報せがある。」

 互いに数秒間見つめ合った。そしてケンウッドが先に尋ねた。

「良い報せとは?」
「先に悪い報せを聞きたい。」

 ヤマザキは落ち込ませてから希望を与える主義だ。ケンウッドは、彼がセシリア・ドーマーに疑いを抱いたことを思い出したので、素直に先に言った。

「彼女は故意に局長を刺した恐れがある。捜査陣の意見だ。」

 周囲に誰もいない。厨房班にも聞こえていない筈だ。配膳コーナーの奥から賑やかな声が聞こえてくる。厨房班は明日からチーズを使用できると張り切っているのだ。
 ヤマザキはケンウッドの言葉に頷いた。そして次は彼の番だ。

「局長の回復状態は良好。そして、ガブリエルが目覚めた。」
「えっ?」
「現状を説明したら、彼は理解してくれた。治療に専念してくれるそうだ。前向きな良い男だ。」
「コミュニケーションを取れるのか?」
「聴力に問題はない。脳も正常だ。こちらからの言葉はちゃんと通じる。彼からこちらへ考えを伝える方法を考える。まだ脳波翻訳機を装着できる箇所がないからね。」

 するとケンウッドはあっさりと案を出した。

「残った頭髪を剃り落として、頭皮に付けてやってくれ。誰も笑う者などいない。」

 ヤマザキが笑った。

「そう言う手があったか・・・うん、名案だ。髪の毛が伸びる頃には、コメカミの皮膚が再生されてるよう、優先してみる。」

 そして厨房の中を背伸びして覗いた。

「チーズを使えると聞いて馬鹿に喜んでいるな・・・」
「チーズ使用と言うことは、ハイネが元気になったと言う意味だからだろう。」

 ケンウッドは小さな溜息をついた。

「私は地球が宇宙の争いから隔離された聖地だと言う幻想を打ち破られて、ちょっと滅入っているんだ。」
「聖地なんて、元々幻想だよ、ケンさん。医者は毎日現実と向き合っているからね。ハイネやレイン達ドーマーの美しさは夢なんかじゃない、彼等は現実に生きているから美しいんだ。」

2018年2月3日土曜日

脱落者 6 - 5

 ヤマザキはブラコフの治療方法の計画を説明した。先ずは筋肉の再生を優先する。それから皮膚、神経細胞、眼球、と順番に作り上げていく。

「促進剤を用いることも出来るが、それでは後遺症や副作用を心配しなければならない。君もわかるだろう、専門家だからね。再生は出来るだけ自然な形で行いたい。
 但し、これには時間がかかる。最短でも半年は費やさなねばならない。
 知っての通り、ドーム勤務の休業は半年が限界だ。君はギリギリ間に合うか、退官を余儀なくされるか・・・。
 君に職場復帰を賭ける覚悟があるか? それとも体の回復を第1に考えるか?  僕はそれを君に尋ねたい。君の選択によって、治療方法を決めよう。何処で治療するか、決めよう。」

 ブラコフは手を動かさなかった。考え込んでいる。迷っている。ドーム勤務を諦めたくない。しかし元の体も取り戻したい。

「すぐに決めなくても良い。今は筋肉の安定をさせなければならない。10日間は安静に寝ていなければ駄目だ。わかったかい?」

 ブラコフは手を2回握った。意識はまだしっかりしている。ヤマザキはもう一つ、患者を励ます話をすることにした。

「ハイネ局長と2人の女性薬剤師は生存している。3人共に大怪我をしたが、君ほどではない。
ハイネは爆発の瞬間に君ではなく女性達を庇った。彼女達の方が君よりハイネに近かったからだ。だが、爆発の衝撃が収まると、彼はすぐに君に中和剤をかけて、心肺蘇生術を施した。君の顔面の火傷が骨迄達しなかったのは、中和剤のお陰だ。溶けかけたマスクで窒息せずに済んだのはハイネがマスクを君の顔から剥ぎ取ったからだ。ハイネは命懸けで君を救った。だから、君は生きて健康を取り戻さなければいけないよ。わかったね?」

 ブラコフは力強くヤマザキの手を2回握った。ヤマザキは空いている手で彼の手を包んだ。

 

脱落者 6 - 4

 ヤマザキ・ケンタロウは目の前のガブリエル・ブラコフにどう話しかけたものか考えていた。壁のパネルに表示されているブラコフの脳波計は副長官が目覚めたことを示していた。ヤマザキは取り敢えず、ブラコフの右手を握って声を掛けた。

「やぁ、ガブリエル、目が覚めたかい?」

 当然ながらブラコフは答えない。唇を失い、頰の筋肉も損傷を受け、喉を火傷している。それに両方の眼球も失っているので、真っ暗な世界にいる。それでも彼は声が聞こえた方へ顔を向けようとした。ちゃんと聞こえているのだ。
 ヤマザキはきちんと残酷な真実を告げることにした。

「今、君は世界が真っ暗で戸惑っているだろう? 僕の言葉に返答をしたいのに声が出せなくて困惑しているだろう?」

 ブラコフの手がヤマザキの手を握り返してきた。我が身に何が起きたのか、わからずに不安な筈だ。

「実験室で爆発があった。覚えているかな? 2日前のことだ。」
 
 ブラコフが首を動かそうとしたので、ヤマザキは止めた。

「僕の質問にイエスで答える時は手を2回握ってくれないか? ノーの時は3回だ。わかったかな?」

 2回、弱々しくブラコフが握り返した。

「うん、では何が起きたか説明しよう。ハン・ジュアン博士が使用した薬剤が間違っていたらしく、爆発が起きた。君は飛び散った薬品とガラスの破片を顔面に浴びて大怪我をしてしまった。」

 あの瞬間を思い出したのか、ブラコフの心拍数が上がった。血圧も上昇した。ヤマザキは暫く口を閉じて、患者が落ち着くのを待った。

「痛かっただろうね。僕等は昨日、実験室の監視カメラの記録映像を見せてもらった。君が怪我をする瞬間を見たんだ。誰にも救うことが出来なかった。君は顔面に薬品による火傷を負い、ガラス片で筋組織を傷つけられた。残念ながら両方の眼球にもガラスが刺さってしまい、現在失明状態だ。」

 ブラコフは動かなかった。ヤマザキの言葉を頭の中で繰り返して考えているのだろう。
ヤマザキはこの場ではこれ以上詳細な怪我の説明を避けた。代わりに希望的な話題に話を進めた。

「幸いにも首から下は無事だ。白衣を着用していたので、薬品の飛沫もガラス片も皮膚迄達しなかった。喉には気化した薬品を吸い込んだ時に負った火傷があるが、これは軽傷だ。現在はそれで声が出ないだけで、炎症が治れば声は出る。
 ケンウッド長官は事故の報せを受けて地球に帰って来た。君の傷を見て、彼は直せると断言した。君が卒論で書いた治療法を発展させて細胞再生治療を行う。」

脱落者 6 - 3

「しかし、何故まだ爆発のことを捜査されておられるのかな? あれは製薬会社側で薬剤が取り違えられていたのではなかったのか?」

 ケンウッドの疑問に、ベックマンとドナヒューが顔を見合わせた。2人の捜査のプロが、この人は素人だから、と心の中で語り合うのが聞こえた様な気がした。
 ドナヒューが代表して説明を始めた。

「我々は昨日保安課の監視カメラの映像を見ましたね?」
「うん?」
「女性薬剤師が恋人を失って錯乱した様に見えました。」
「うん・・・」
「しかし、不自然でした。」
「不自然?」
「ハイネ局長は長身で、彼女は彼より低いです。実際、局長の手刀を食らって鼻を折られていますから、彼の胸の高さに顔がありました。」
「それが?」
「彼女がガラス片を掴んで真っ直ぐ前に突き出すと、ガラス片は局長の腹部に刺さった筈です。しかし、局長は胸を、それも心臓に近い場所を刺されました。」

 ケンウッドは胸に冷たい物が落ちて来た感じを覚えた。

「彼女は故意にハイネを刺したと?」

 ロッシーニとヴェルティエンが固まっていた。アメリカ・ドームの職員が、それもこのドームで生まれ育ったドーマーが、遺伝子管理局長を狙って刺したと言うのか?
 ドナヒューが手で何かを掴む仕草をして、下から突き上げる動作をして見せた。

「ヤマザキ博士と局長の執刀医クック博士から証言を取りました。ハイネ局長の胸の傷は、下から斜め上方向に刺されています。背が低いセシリアが局長の心臓を狙ったと思われます。幸い局長は反射的に上体を後ろに退いて身を守りましたが、普通の人なら死んでいたかも知れません。」
「セシリア・ドーマーには殺意があったと言うのか?」

 ケンウッドは顔が青ざめるのを感じた。錯乱ではなく、錯乱したフリをして、ブラコフを狙ったフリをして、実際はハイネを狙ったのか? それとも、やはり最初はブラコフを狙い、ハイネが止めようとしたので標的をハイネに変えたのか?

「あの女性はまだ意識が戻らないのですか?」
「いや、ヤマザキによると錯乱しないように観察棟に移送する迄睡眠薬を与えているそうだ。自殺する恐れもあるから・・・」
「では、保安課には彼女の監視をしっかりお願いしましょう。」

 ドナヒューがベックマンを振り返った。ベックマンが当然だと言いたげに頷いた。

「セシリア・ドーマーの単独での犯行なのか、それとも『青い手』と何か繋がりがあるのか、早急に調べなければなりません。兎に角、医療区には無関係の者を入れないように警戒します。出来れば・・・」

 ベックマンは言いにくそうに言葉を続けた。

「ハイネ局長には動けるようになっても入院を続けて頂きたい・・・」
「それは無理だろう。」

 ケンウッドは親友の性格を知っている。

「ハイネは君と闘える程の武道の達人だ。怪我をしているからと言って、大人しく安全圏に留まる男ではない。」




脱落者 6 - 2

 ケンウッドはアメリカ・ドームの最高責任者だから、友人達の怪我の心配以外にもしなければならない仕事が山ほどあった。彼は友人達のことをじっくり考える時間を作る為に、暫し彼等のことを忘れて業務に没頭しなければならなかった。副長官を欠いたことはかなり痛い。何もかも1人でしなければならない。こんな時はハイネ局長が羨ましい。遺伝子管理局には全権委任された元秘書と現秘書がいるのだから。
 秘書のロッシーニが声を掛けてきた。

「長官、私は少し手が空きましたから、副長官秘書の手伝いをしてきましょうか?」

 ロッシーニは元副長官秘書だった。だから秘書の仕事を手伝って、現副長官秘書に副長官業務をさせてはどうかと暗に示唆したのだ。ケンウッドは一瞬考え込んだ。もう1人の秘書ヴァンサン・ヴェルティエンも元副長官秘書だ。ケンウッドが副長官だった時から働いている。ロッシーニより「最近迄」副長官秘書だった。それに、何か大きな事件が起きれば、ヴェルティエンよりロッシーニがそばに居てくれた方が心強い。

「ヴァンサン、君はまだ副長官秘書の仕事を覚えているか?」
「はい、ジャンより私の方が適任かと?」

 ケンウッドはロッシーニを見た。

「ジャン=カルロス、すまないが、君にはこの部屋に残ってもらおう。」
「わかりました。」
「ヴァンサン、申し訳ないが、お昼が済んでから、あっちの部屋へ助っ人に行ってくれ。副長官執務室には私から連絡を入れておく。」
「承知しました。」
「では、今は目の前の仕事に集中しよう。」

 それから小一時間ばかりケンウッドは書類の山の片付けに没頭した。なんとか署名が必要な書類を片付けた所に、ドナヒュー軍曹が面会を求めてきた。否応無しにまた事件を思い出す。それにしても、ドナヒューは月へ帰ったのではなかったのか?
 渋々応じると、カレン・ドナヒュー軍曹はアーノルド・ベックマン保安課長と共に入室して来た。

「おはようございます、長官。お忙しい所を申し訳ありません。」
「ご用件は?」

 ケンウッドは世間話も無駄な時候の挨拶もしない。もっともコロニーで生まれ育った人間は地球人の様な時候の挨拶をする習慣がなかった。
 ベックマンが2人の秘書をチラリと見た。ケンウッドは言った。

「彼等は構わない。私は業務をスムーズに進める為に、彼等にはできるだけ秘密を持たないことにしている。」

 それで、ドナヒューが頷いて執務机のそばにやって来た。

「薬剤管理室でハン・ジュアン博士が薬品会社に送ったレシピを押収しました。原稿を見たいのですが、アクセス権がありません。保安課長が長官と副長官、遺伝子管理局長の承認がないとマザーコンピュータの許可を得られないと仰います。」

 ケンウッドはベックマンを見た。

「ハン博士のパスワードが不明だと言うことかね?」

 研究関係の書類は重要度にもよるが、全てがマザーコンピュータに管理されている訳ではない。パスワードがわからないので、「表」からではなくマザーが支配する「裏」から見ようと言うつもりなのか?

 ケンウッドは自身のコンピュータを叩き、登録されているハン・ジュアンのパスワードを検索した。それをメモ用紙に書き留め、軍曹の前に差し出した。

「端末に記録しないで頂きたい。これはこのドームのものだから。」
「わかりました。有難うございます。このメモは保安課長に保管していただくことにします。」

 ドナヒュー軍曹はメモを見て、それをベックマンに渡した。


2018年2月2日金曜日

脱落者 6 - 1

 ヤマザキ・ケンタロウは朝の回診中だった。彼は重症者・軽症者合わせて6名の入院患者を抱えていた。回診は症状の軽い患者から始めた。「通過」を受けているドーマー1名、「通過」のタイミングを失って「飽和」まで来てしまったドーマー1名、生化学実験室の爆発で漏れた気化薬品を吸い込んで喉に軽度の火傷をしたコロニー人2名を順番に診て、5人目がローガン・ハイネ・ドーマーだった。
 ハイネ局長は早起きだ。寝ているだけなので退屈な筈だが、目を開いて壁のパネルに表示されている彼自身の心電図や脳波計や血圧計、体温計を眺めていた。ヤマザキが入室して、「おはよう」と声を掛けると振り向いて片手を持ち上げた。胸の筋肉に刺激を与えないように、そっと挨拶したのだ。
 ヤマザキは看護師を連れてベッドの際まで行き、壁のパネルを見た。電子カルテにバイタルチェックの数値が記録されて行く。ハイネはちょっと不安そうだ。数値次第で入院が伸びるのを心配しているのだ。
 ヤマザキはタブレットを看護師に手渡し、患者の顔から酸素マスクを取り除いた。口を開けさせて喉の奥をスコープで覗いた。次に鼻の奧を見た。そしてスコープを抜いて仕舞うと、ニッコリ笑って見せ、患者を安心させた。

「綺麗になっているよ、局長。言いつけを守ってくれた成果だね。後1日、今日も我慢して声を出さないでくれ。明日になれば発声練習をしよう。」

 彼は端末を出して裏方へ電話を掛けた。

「ハイネ局長に朝食を差し上げてくれないか? 重湯とチキンコンソメスープ、それに果肉なしの林檎ジュースだ。」

 ハイネがちょっと不満そうな顔をしたので、優しく宥めた。

「最初は液体だけ、お昼になればお粥にポタージュスープ、果肉入りのジュースを出す。
声を出さずに居てくれれば、夕食はさらに豪華になるから。 明日になれば普通の食事を食べられるよ。」
「明日はチーズ料理ですよ。厨房班に出前させますから。」

と看護師が医師の援護射撃をした。ハイネの表情が穏やかになったので、ヤマザキは可笑しく思いながら、看護師に指示を出した。

「朝食が終わったら、口腔内を洗浄して差し上げろ。それから喉に薬を塗布すること。」
「わかりました。」
「端末やタブレットは絶対に貸さない。」
「はい・・・」
「午後に執刀医のクック博士が術後経過を診に来られるから、警護の保安課員に伝えておくように。他に来客予定はないので、その他の面会は断ってくれ。遺伝子管理局の人間はジェレミー・セルシウスのみ許可する。」
「わかりました。」

 ハイネが片手を持ち上げて壁を指差した。ヤマザキは彼が言いたいことを理解した。

「ガブリエルは昨夜はまだ意識が戻って居なかった。今朝はどうかな? これから診るが、戻っていたら君が元気でいると伝えておくよ。」

 

2018年2月1日木曜日

脱落者 5 - 7

 ケンウッドの部屋は狭くて長老達を泊めるスペースがなかったので、ペルラ・ドーマーとワッツ・ドーマーは深夜に「黄昏の家」に帰って行った。
 ケンウッドはベッドに入り、3時間ばかり眠って、目が覚めると小さな書斎に入ってガブリエル・ブラコフの傷ついた顔の画像を呼び出した。医師でなくても執政官は全員医療免許を持っている。医療区が非公開にしなければカルテを読むことが出来た。
 ケンウッドはブラコフの顔に新たに付ける筋肉の構想を練った。頰、鼻、唇、額、耳 ・・・筋肉を再生させてから眼球と唇に取り掛かる。耳は耳殻だけだが、ただくっつけるだけではない。どれにも神経を通さなければならない。神経細胞の専門家はヘンリー・パーシバルだが、彼は現在火星のコロニーに住んでいる。地球に呼び出すことは出来ない。
 そこまで考えて、ケンウッドはブラコフの治療に最短でも半年かかることを思い出した。執政官が病気療養で休めるのは半年だけだ。それ以上は退官しなければならない。だから重力障害に罹ったパーシバルは退官したのだ。ブラコフは順調に行ってギリギリだ。
 ケンウッドは溜息をついた。ブラコフが退官しても治療を続けてやることは可能だ。問題はブラコフ自身が将来をどうするか決めなければならない。ギリギリまで治療を受けてドームに復帰出来るように頑張るか、それとも念願だったドーム執政官の職を諦めて治療に専念するか。

 どうする、ガブリエル、君はどうしたい?

 書斎でうたた寝をしてしまった。次に眼が覚めると早朝の運動時間を過ぎようとしていた。慌ててシャワーを使い、着替えてアパートを出た。食堂で熱いコーヒーとクロワッサンで簡単に朝食を取っていると、入り口で賑やかな声が聞こえた。

「ジャジャーン、僕ちゃんが朝ご飯に来ましたよ〜! ドームの皆さん、おっはっよーございます!!」

 いつも陽気な遺伝子管理局員、クロエル・ドーマーだった。昨晩外勤務から帰って来た。同僚は抗原注射の効力切れでまだ休んでいるのだが、彼は不要なので、朝っぱらから元気いっぱいだ。コロニー人のファンが数名後ろにいるが、彼は無視する。ファンクラブなど面倒臭くて持たない主義だ。だから、後ろのファン達は非公認のクラブなのだろう。
 クロエル自身はハイネ局長の大ファンだ。だから食堂内をぐるりと見回したが、局長の姿はなかった。
 あれ? と言う顔をしたクロエル・ドーマーはケンウッド長官が1人で食事しているのを見つけた。彼は素早く自分の朝食をトレイに取ると、長官が食べ終わる前にテーブルに押しかけた。

「おはようございます、長官。お一人ですかぁ?」

 長官が相手なのでファン達は遠慮してやって来ない。どんな相手にも物怖じしないクロエルは断りもなくケンウッドの正面に座った。ケンウッドも苦笑するしかない。

「おはよう、クロエル・ドーマー。君はいつも元気だね。」
「このところ合気道もムエタイも柔術もサボってますからぁ・・・」

 クロエルは入り口に視線を向けた。

「局長はまだですかね?」

 ケンウッドは静かに囁いた。

「ハイネは来ない。」

 え? とクロエルが向き直った。驚いた様に大きな眼をさらに大きく見開いて、長官を見た。ケンウッドは低い声で、この可愛らしい大きな若者に教えてやった。

「君が外に出ている間にちょっとした事件があって、局長は怪我をした。医療区で寝ているんだ。数日経てば退院出来る筈だから、大人しく待っていなさい。」

 あまり口外するなと言う意味で最後の言葉を言った。クロエルは利口だ。平素はおちゃらけて騒がしいが、ちゃんと締める時は締める。素直に「わかりました」と言った。

「お命に別状はないんすね?」
「医者の言うことを聞いていれば、大丈夫だ。チーズを食えるようになる迄大人しく寝ているよ。」