2019年5月31日金曜日

大嵐 2 2 - 9

 ポール・レイン・ドーマーがライサンダーを週の2日をドームで、残りの日々を従来通り外で生活させたいと言った時、ローガン・ハイネ・ドーマーは父親業を始めたばかりの部下に言った。

「君の家族の生活に、私やドームが口出しすることはない。ライサンダーは民間人でドーマーではないのだから、ドームに関係する事柄以外で私の許可をいちいち取る必要はないぞ。」

 他の人々は皆ライサンダーに興味津々なのに、ハイネ局長は余り関心がない様だ。若者が失意から浮上したのか、どんな生活をしているのか、ドームにどれだけ理解を示しているのか、天で触れようとしない。レインはそれが却って有り難かった。息子は見世物ではないし、ドーマーの様な研究対象でもない。しかし執政官達は男同士の間に生まれた息子を解剖したげな目で見る。ドーマー達はレインとセイヤーズに似たライサンダーを身内として受け入れるべきか、他所者と見なすべきか値踏みしている最中だ。
 レインはポーレット・ゴダートの遺体引き取りと葬儀の為にライサンダーをドームの外に戻すことを告げた。

「俺も付き添います。外の世界ではセイヤーズが父親として認識されていますが、彼は暴力行為のせいで外に出ることを許されません。俺は親として名乗ることを控え、遺伝子管理局職員として、胎児保護宣言をゴダートの親族に告げます。相続の問題がありますから。」

 母体を失った胎児が遺伝子管理局に保護された場合、遺伝子管理局は胎児の生存と親の遺産相続権保証を公に宣言する。遺伝子管理局と言う役所の役目だ。
 レインの言葉にハイネは頷いた。そして、やっと部下の息子に触れた。

「FOKが根絶された保証はない。ライサンダーの警備は怠らぬ様気をつけなさい。」
「わかりました。」

 その時、レインの目に、ハイネの執務机の隅に置かれた写真立てが映った。立体画像写真で、一人の若い男性と2人の若い女性が並んで立っている。女性達はそっくりな顔で、しかし着衣は違っていた。3人共に笑顔でこちらを見ていた。
 レインの視線が写真に向いたことに気が付いたハイネがさりげない風に説明した。

「パーシバル博士とセドウィック博士のお子さん達だ。先日の春分祭の折にこのドームに来てくれたので、夫妻が写真を残してくれたのだ。宇宙で撮影したものを地球に持ち込むのは規則違反だからな。」
「利発そうな綺麗なお子さん達ですね。」

 レインはそうコメントして、心の中で呟いた。

 貴方のお孫さんじゃないんですか?


2019年5月29日水曜日

大嵐 2 2 - 8

 ケンウッドはこのライサンダー・セイヤーズと言う若者を気に入った。ダリル・セイヤーズは能天気で少々身勝手だが、子供を素直な人間に育てることは上手なのかも知れない。  
 ライサンダーが気になっていることを長官に尋ねた。

「俺は進化型1級遺伝子を持っているんじゃありませんか? 外に住んでいても良いのでしょうか? 娘に遺伝しているのではないかと心配です。」

一気に質問したので、ケンウッドは直ぐには応えなかった。少し考えてから、質問で返した。

「君はさっき使っていたコンピュータを今すぐに分解出来ますか?」
「え?」

 ライサンダーは質問の意味を解せず、戸惑った。

「そんなこと、出来る訳ないでしょう?」
「ダリルは出来ますよ。」
「親父は特別なんです。」
「彼を特別だと思えるのであれば、君は普通の人間です。」
「そうでしょうか?」
「山の家で、機械を分解したりして修理したことがありますか?」
「修理しようとしてさらに壊したことはありますが・・・親父が直してくれました。」
「ダリルは説明書きを読まなくても、機械を見ただけで何をどうすべきかわかっているでしょう。しかし、君はわからない。」
「そうですね・・・」
「ダリルの進化型1級遺伝子は、そう言う種類のものです。だから、君には遺伝していない。君が持っていなければ、君の子供にも遺伝しない。」

 専門家にはっきり言われて、ライサンダーは肩の荷が下りたような気がした。

「俺は普通の人間なのですね。」
「そう、肉体も脳も精神も普通ですね。」

 ケンウッドはライサンダーの笑顔を可愛いと思った。滅多に笑わないポール・レイン・ドーマーが笑えばこんな感じになるのだろう。いつも陽気なダリルの笑顔とは少し趣の異なる笑顔だった。
 ライサンダーがふと遠い目をして言った。

「でも、親父は、針仕事や料理は誰かに教わらないとわからないんですよね。」
「教わる?」
「ええ、俺の蒲団や料理を作ってくれたんですが、ほとんどが町で誰かに教わってきたんです。俺が産まれた時も、ジェリーからミルクの作り方や飲ませ方、襁褓の替え方、抱っこの仕方を習ったって言ってました。」

 ケンウッドはライサンダーをぐっと見つめた。彼の視線に籠もった強い力に、ライサンダーは気が付いて少し驚いた。何が長官の注意を惹いたのだろう。

「そうか、わからないのか・・・」

とケンウッドは独り言を呟いた。目から鱗が落ちるとはこのことだ。どうして今迄そんなことを気づかなかったのだろう。否、ハイネやヤマザキ、パーシバルはわかっていたのではないか? だからあまりセイヤーズの能力を深刻に考えず、彼を守ることだけに気を配っていたのでは?
 ライサンダーがちょっと不安になった様で尋ねた。

「俺、何か親父に不都合なことを言ったんでしょうか?」
「とんでもない!」

 ケンウッドは微笑みながら立ち上がった。

「君は今素晴らしいヒントをくれたのです。君はダリルを救うことが出来るかも知れない。」

2019年5月28日火曜日

大嵐 2 2 - 7

 午後、ケンウッドは図書館に行った。 ハイネは昼食を一緒に摂った後、昼寝の為に庭園へ行ってしまったので、一人だった。ロビーに入ると、若い男がソファに座ってぼんやりと周辺を眺めているのが目に入った。馴染みのない顔だが、旧知の男達によく似ていた。それにその男の髪は、緑色に輝く黒髪だった。ケンウッドは、彼が誰なのかすぐにわかった。静かに歩み寄ると、彼の前の席に座った。

「ライサンダー・セイヤーズだね?」

 柔らかな口調の落ち着いた声で話しかけた。ライサンダーはぼんやりさせていた目の焦点を合わせた。彼に認識されたと確信したケンウッドは名乗った。

「当アメリカ・ドームの代表のニコラス・ケンウッドです。」
「は・・・初めまして、ライサンダー・セイヤーズです。」

 長官だ。ライサンダーはびっくりした。父ダリルが暴力沙汰を起こして叱られたと聞いたので、恐い人だと想像していたのだが、目の前に居るのは優しそうな小父さんだった。
彼は長官が差し出した手を握った。温かかった。

「奥さんのことは残念だった。お悔やみ申し上げます。」

とケンウッドは言った。ライサンダー・セイヤーズはドーマーの子供でクローンだが、既に成人登録を済ませた地球人、そして「民間人」だ。ケンウッドはドーマーに接する時の親としての態度ではなく、来客に対する丁寧な言葉で挨拶した。ライサンダーが礼を言うと、彼は微笑んだ。

「君が元気そうで安心しました。ドームの中は君には奇妙な世界に見えるかも知れないが、赤ん坊が無事に育つ迄我慢して下さい。」
「我慢だなんて・・・」

 ライサンダーは長官の腰が低いことに戸惑った。

「俺の方こそ、ここに居る資格がないのに、親に甘えて居座っています。さっき、親達と相談したのですが、妻の葬儀の後で外の世界に戻ります。週に2日、子供の様子を見に来ます。どうか許可をお願いします。」

 ケンウッドは目の前の「サタジット・ラムジーの最高傑作」を見つめた。

「君がその面倒な生活を受け容れてくれるのであれば、こちらは何の問題もありません。」

 ケンウッドは市民権を持つ成人としてのライサンダーに、1人の地球人としてのライサンダーに敬意を表して言った。

「あの・・・」

 ライサンダーが勇気を振り絞って提案した。

「俺の細胞を研究に使ってもらっても良いです。もしそれで地球に女の人が増えて、マコーリー達の様な犯罪者がいなくなるのであれば・・・」

「ライサンダー」とケンウッドは優しく呼びかけた。

「君の細胞は君がここへ来た晩に、健康診断の為に採取したもので充分です。君は正式な地球市民と認められているのですから、我々は君を研究の為のドーマーと同じには扱いません。」
「ドーマーは正式な地球市民ではないのですか?」
「少なくとも、ドームの外に自由に出る権利はありません。選挙権も持っていない。ドームの中にいる限り、子供を持つ権利も認められません。そして納税者でもありません。」
「でも・・・」
「でも地球人ですから、コロニー人のペットではないし奴隷でもない。人間としての権利は持っています。実は女の子誕生の目処が立ちそうなのです。もし成功すれば、ドーマーは地球に返すことになっています。彼等に本当の自由を返してあげれるのです。」

 ケンウッドは可笑しそうに笑った。

「話が逸れました。兎に角、これ以上君から細胞を戴くことはありません。もし、ドームの中に居る時に執政官から理不尽な扱いを受けたら、遠慮なく訴えて下さい。保安課に通報してもかまいません。コロニー人は地球上では地球人を尊重しなければならない。どんな出生の形でも地球人である以上、守られなければなりません。」
「そうですか・・・では遠慮なく保安課に通報します。うっかり父に言って、父が執政官を殴ると困りますから。」
「その『父』はブロンドの方ですね?」
「ええ・・・黒髪の方は理性がありますから。」

 ケンウッドが声をたてて笑ったので、周囲の人々が振り返った。ライサンダーが「しーっ」と指を立てたので、ケンウッドは照れくさそうに首をすくめた。

2019年5月26日日曜日

大嵐 2 2 - 6

 ダリル・セイヤーズが長官執務室に現れたのは15分も経ってからだった。彼が指示された椅子に座ると、ケンウッドは直ぐには口を開かずにコンピュータを眺めていた。何を言おうかと考えているのだった。
 セイヤーズは辛抱強く待った。ハイネ局長は目を閉じて、もしかすると居眠りをしているのかも知れない。ケンウッドもセイヤーズも、ハイネが味方してくれそうにない、と同じことを思った。
 たっぷり5分待たせて、ケンウッドがやっと顔を上げた。

「セイヤーズ、呼ばれた理由はわかっているな?」
「息子の妻を殺害した連中を私が殴って怪我をさせた件ですね?」
「そうだ。腹が立ったことは理解する。だが、理性的に振る舞って欲しかった。」
「申し訳ありません。しかし、あの時は自制が利かなかったのです。」

 ケンウッドは溜息をつき、局長を見た。ローガン・ハイネ・ドーマーはまだ目を閉じていた。
ハイネ、と長官に呼ばれて、やっと彼は瞼を上げた。ケンウッドが尋ねた。

「このやんちゃ坊主をどうすれば良いと思う?」

 局長はちらりとセイヤーズを見た。

「力を誇示したがるのは晡乳類の雄の常です。」
「だからと言って、麻痺光線で撃たれた人間を殴って負傷させて良いとは誰も思わん。」
「去勢しますか?」
「馬鹿言わんでくれ。」
「警察には引き渡しませんよ。」
「当然だ。」
「しかし司法が定める罰則を科す権利は、我々にはありません。」
「だから・・・」
「実は連邦捜査局から話がありましてね。」

 ハイネの言葉に、ケンウッドは緊張した。

「何を言ってきた?」
「彼等はニコライ・グリソムの犯罪を立証するめどがついたので、近々裁判に持ち込むつもりでいます。グリソムの裁判には、彼を実際に捕まえた航空班のゴールドスミス・ドーマーを証人として出廷させます。連邦捜査局はセイヤーズも現場に居たことを知っていますが、ヒギンズ捜査官の囮捜査の件も絡んでいるので、セイヤーズの存在には触れないことにするそうです。従って、彼等は、裁判が終わる迄セイヤーズにドームの外に出て来て欲しくないのです。」
「シェイともう1人現場に男がいただろ? 彼等の証言はどうするのだ?」
「司法取引と言うヤツで、セイヤーズの存在を黙らせるそうです。FOKがどれだけセイヤーズの存在を主張しても、目撃者全員が否定する。」

 セイヤーズが驚いた。

「そんなことが出来るのですか?」
「出来るように彼等が取引するのだ。兎に角、君は行く先々でトラブルを起こすから、連邦捜査局も苦慮している。裁判を有利に進めるには、君の存在を消し去ることが必要なのだ。」
「私は邪魔者なのですね・・・」
「だから、外に出るな。」
「何時までですか?」
「マコーリー達の裁判が終わるまでだ。」
「ニコライではなく、マコーリーの裁判ですか? 事件は2日前に起きたばかりですよ。」
「それがどうした?」
「どうしたって・・・」

 セイヤーズは悟った。局長はこれから先無期限で外に出るなと言っているのだ。
恐らく、今朝ライサンダーに面会した刑事達も口をつぐんでしまうのだろう。ブロンドの遺伝子管理局の男は最初から存在しなかったことにされてしまうのだ。だが、それで容疑者達を怪我させたことが不問にされるのであれば、我慢しなければならない。元々種馬として閉じ込められるはずの運命だったではないか。
 セイヤーズは深呼吸してから承知した。

「わかりました。ドームの中で大人しく精進して過ごします。」

 彼が納得したので、ケンウッドは肩の力を抜いた。そしてハイネ局長に目で感謝の意を伝えた。

大嵐 2 2 - 5

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーがニューポートランドのライサンダー・セイヤーズの家でFOKを捕縛した際、麻痺光線銃で動きを封じた4人のメンバーを殴りつけ大怪我を負わせた件は、ライサンダーの事情聴取に立ち会った執政官の口からケンウッド長官に報告された。ケンウッドはそれを聞いて頭を抱え込んでしまった。裁判になれば、被告達は遺伝子管理局職員による暴力について申し立てをするだろう。出来ることならドーマー達を裁判所に出廷させたくないドーム行政府としては、これは大問題だった。
 まだ昼前の打ち合わせ会の時間になっていなかったが、ケンウッドは遺伝子管理局本部の局長執務室に電話を掛けた。ネピア・ドーマーが電話口に出ると、ケンウッドは有無を言わさずに命令した。

「局長に長官執務室にすぐに来てもらってくれ。大至急だ。」

 10分後にハイネが来る迄、彼は色々と対策を考えた。ダリル・セイヤーズをドームの外に出したくなかった。そもそも彼を外に出す許可を出していないのだ。ハイネが独断でクロエル同伴と言う条件で外に出す許可を与えた。だがそれを責めるつもりはない。セイヤーズが行かなければ、ライサンダーはFOKに拉致されていたのだ。クロエルも行かなかったし、ケリーだって監視する間にあんな惨劇が屋内で行われていると想像すらしなかっただろう。だから、ケンウッドが考えなければならないのは、セイヤーズが外に出たことを咎めることではなく、これから警察の捜査や裁判にどう対処するか、未来のことだった。
 ハイネがやって来た。日課を終えた直後だったので、気分を害した様子はなく、長官執務室の彼自身の定位置に座ると、ケンウッドを見た。

「ご機嫌斜めのご様子で・・・」

とハイネが言った。呼ばれた理由を知っている、とケンウッドは感じた。

「セイヤーズがFOKのメンバー達を殴って大怪我を負わせた。知っているな?」
「報告書にありました。3人共に書いていましたので。」
「何故私に報告しなかった?」
「地球人サイドの問題だと判断しました。」

 ハイネの逃げの口上だ。コロニー人に介入して欲しくない問題はいつも「地球人サイドの問題」で片付ける。ケンウッドは腹が立った。

「裁判に影響が出る。遺伝子管理局が無抵抗の容疑者を殴って傷を負わせたのだぞ! 悪人共に有利に働くじゃないか!」

 彼はハイネに反論する隙を与えず、電話を掛けた。

「レイン、セイヤーズはいるか?」
「今、アパートにいます。」

 電話の向こうでポール・レイン・ドーマーが答えた。画面の中のケンウッドが赤い顔をして怒りまくっていることに驚いていた。

「すぐ戻ってくる筈です。ライサンダーが事情聴取を終えたので、様子を見に行っているだけですから。」
「戻ったら、すぐに私の部屋に出頭させろ。」

 レインは、長官の立腹の原因に思い当たったらしい。暗い表情になった。神妙に答えた。

「承知しました。」

 ケンウッドは電話を切り、ハイネを振り返った。遺伝子管理局長は目を閉じて背もたれに体を預けていた。



大嵐 2 2 - 4

 付き添いの執政官はライサンダー・セイヤーズを警察の事情聴取の後で中央研究所へ連れて行った。案内されたのは副長官の執務室だった。彼はそこでライサンダーを室内に導き入れた。

「ライサンダー・セイヤーズを連れてきました。」

 そしてライサンダーにも部屋の主を紹介した。

「当ドームの副長官ラナ・ゴーン博士だ。」

 ライサンダーは執務机の向こうに座っている女性を見た。コロニー人の、中年の女性で、美しく賢そうな人、と言う印象だ。
 彼女は執政官に「ご苦労様」と声を掛け、執政官は会釈して部屋から出て行った。
副長官が机のこちら側に出て来て、手を差し出した。

「副長官のラナ・ゴーンです。血液の研究を専門としていますが、ここ暫くは貴方の赤ちゃんが人工子宮に安定する迄観察をしています。」

 ライサンダーはドキドキした。コロニー人の女性と会うのは初めてだ。それも立派な大人の女性だ。地球人の女性達より年齢は上だろうが、どうすればこんなに綺麗でいられるのだろう。
 ぼんやりしていたが、やがて差し出された手に気が付いて慌てて握手に応じた。

「ライサンダー・セイヤーズです。子供を助けて戴いて有り難うございます。」
「水を挿すようですが、まだ楽観は出来ませんよ。でもドームは全力を尽くしていますし、あの赤ちゃんは強い子の様です。きっと無事に育ってくれるでしょう。」

 座って、と彼女は彼に椅子を勧めた。ライサンダーは来客用の椅子に静かに腰を下ろした。彼女が赤ん坊の映像を見ますかと尋ね、彼は少し躊躇ってからお願いしますと返事をした。
 中央のテーブルに立体画像が立ち上がった。人工子宮に入っている胎児の姿だ。まだ人間の姿と呼べる形にはなっていない。

「女の子ですよね?」
「ええ、女の子です。」
「3ヶ月目のはずです。」
「確かに、13週目ですね。」
「俺とポーレットの娘・・・」
「そうですよ。」

 ラナ・ゴーンは微笑んで見せた。

「大異変の後で初めてドームの外、自然の愛の営みで生まれた地球人の女の子ですよ。」

 ライサンダーは画像にそっと手を伸ばした。彼の手は何にも触れなかった。

「なんだか恐いです。」

と彼は正直に感想を述べた。

「俺はそんな重要な命を養える人間じゃない・・・」
「出来ますよ。貴方は独りではないでしょう?」
「ドームで育てろと仰るのですか?」
「その子はちゃんと貴方と言うお父さんがいます。ドームの中で育てることは出来ません。でも、人工子宮の中にいる間は、ドームが守ります。貴方も居て下さると良いのですけど。」
「俺はここに住む資格はないし、そのつもりもありません。俺の仕事は外にあります。」
「貴方がどんな生活形態を取るかは、貴方が父親達と話し合って決めることです。ドームは貴方の人生に干渉しません。赤ちゃんを誕生まで保護するだけなのです。赤ちゃんの人生にも口出し出来ません。」
「子供が産まれたら・・・つまり、機械から出たら、自由にしろと?」
「冷たい様ですが、そう言うことです。」
「勿論、自由にさせてもらいます。」

 ライサンダーは副長官が何を言いたいのか考えた。ドームは胎児を人工子宮から出せる日まで保護する。その間はライサンダーにも赤ん坊のそばに居て欲しいと言うのだ。

「俺がここに居る意味は何です?」
「赤ちゃんに時々語りかけて欲しいのです。胎児は母親に語りかけられて育ちます。ちゃんとお腹の中でお母さんの声を聞いているのですよ。でも、貴方の赤ちゃんはお母さんがいなくなってしまいました。ですから、お父さんの貴方が代わりに語りかけてあげて下さい。」
「ドーマーでは駄目なのですか?」
「ドーマーは大勢の赤ちゃんの面倒を見なければなりません。貴方は自分の子供を人任せにしたいのですか?」
「いえ、それは・・・」
「ダリル・セイヤーズは数日おきに貴方をラムゼイの研究所へ見に行ったそうですよ。もしかするとメーカーに捕まってクローンの材料にされるかも知れない危険を冒して。」
「・・・」
「赤ちゃんは貴方を必要としています。そしてダリルも貴方をそばに置きたがっています。1年間だけで結構ですから、ドームに住んで戴けませんか?」

 ライサンダーはもう1度画像の赤ん坊を見つめた。リアルで中継されているのだろう、胎児の心臓が鼓動しているのが見えた。
 
 生きているんだ・・・ポーレットの忘れ形見が・・・

 ライサンダーはラナ・ゴーンに向き直った。

「わかりました。2人の父と相談してみます。」
「有り難う。ところで、今すぐとは言いませんから、赤ちゃんの名前が決まったら教えて下さい。番号で呼ぶより、名前を呼んだ方が、貴方もお父さんとしての実感が湧くでしょう?」

大嵐 2 2 - 3

 ポートランド市警がドームを訪問したのは、翌日の午前中だった。刑事が2人やって来たが、彼等が足を踏み入れることを許されたのは、出産管理区のみだった。つまり、一般の地球人が出入り出来る区画だ。そこで設置されているゲストルームでライサンダー・セイヤーズは事情聴取を受けた。彼は前日、レインとセイヤーズ両方の父親と一緒に過ごし、精神的にかなり落ち着いて普通に振る舞うことが出来た。ドーム側は弁護士の用意はしなかった。ライサンダーは被害者で、警察は被害者の証言を取りに来たのだ。しかし付き添いとして地球の法律に詳しい執政官が1人同席した。
 ライサンダーは妻ポーレットが犯人のドン・マコーリーと幼馴染みだと言う説明を妻から聞いたことがあると言った。妻は妊娠して、産科医のマコーリーに健康管理に関する相談をしていた。マコーリーと彼は電話で会話をしたことはなく、面識もなかった。また事件当日にマコーリーが彼の自宅に来ることも知らなかった。
 昼過ぎに帰宅したら妻は姿を見せず、代わりに家の中にマコーリーが居た。拳銃を向けられ、少し言葉を交わした後、マコーリーの仲間が同じく家の奥から現れた。妻の行方を尋ねたが教えてくれず、手錠を掛けられ、家の外へ連れ出された時に、遺伝子管理局の局員が庭に居て、救出してくれた。
 そう言う内容のことをライサンダーは刑事に喋った。喋りながら、自分がマコーリーと言葉を交わしていた時にはポーレットは既に殺害されていたのだと思いが行き、涙が出て来た。昨日何度か父に抱き締められて泣いたので、号泣することはなかったが、言葉に詰まる場面が何度かあった。執政官が、気分が悪ければ事情聴取を打ち切らせると言ってくれたが、彼は頑張った。
 刑事達は、事件当日クロエル・ドーマーとジョン・ケリー・ドーマーからも事情聴取を済ませていた。彼等の証言とライサンダーの証言に食い違いがないか、チェックしていた。

「貴方の証言と遺伝子管理局の2人の証言は合っていますが・・・」
「何かおかしなところでもあるんですか?」
「マコーリー達は、遺伝子管理局の職員は3人居たと言っているんです。」

 ライサンダーは、クロエル達がダリルの存在を伏せたことに気が付いた。彼は証言で局員は2人居たと言ったのだが、その2人はクロエルと父親のつもりだった。しかし警察の事情聴取に応じたのはクロエルとケリーで、ダリル・セイヤーズは一足先にポーレットの胎児を支局へ搬送して事件現場を去ったのだ。ケリーの存在はライサンダーも知っていた。ケリーは庭での乱闘に加わらなかったので、彼は計算に入れなかったのだが、ケリーが事情聴取を受けたことは知っていた。

 遺伝子管理局は父さんの存在を警察に知られたくないんだ・・・

 ライサンダーはすっとぼけることにした。

「3人でしたか・・・俺はもう何が何だかわからなくて・・・すぐに警察が来たし・・・」
「3人居たと連中は言ってるんです・・・否、まだ喋れないから筆談だけど。」
「喋れない?」
「顔を殴られて、1人が顎の骨を砕かれ、1人が頬骨と鼻骨を骨折してね、3人目は鼓膜を破られて、4人目も歯を折られた。それがブロンドの局員だったと証言しているんですが、居ないんですよね、何処を探しても・・・」

 執政官が咳払いした。

「見間違いでは?」
「しかし、証言した局員はドレッドヘアの黒人とダークヘアの白人で、ブロンドじゃなかったんです。私もそのブロンドの局員とちょっとだけ話をしました。セイヤーズさんの奥さんの遺体を発見した時に・・・。」
「消えたブロンドの局員は、警察が来る迄の間に、捕まえたマコーリーの一味全員をぶちのめして怪我をさせてます。ちょっと拙いんですよ。」
「しかし、その男が局員だと言う証拠はないでしょう?」
「マコーリー達はブロンドの男もダークスーツを着用していたと言っています。」
「連中の言うことを信じるのですか?」
「しかし、彼は局員だと名乗りましたし・・・」
「だからそのブロンドが局員だったと言う証拠はない訳ですね。」

 刑事達は渋々認めた。

「ないです。」
「申し訳ないが、証言した2人・・・ええっと、クロエルさんとケリーさんにもう1度お話を伺いたいのですが?」
「それは無理ですね。」
「無理?」
「クロエルは今朝早く職務でニカラグアへ飛んで行きました。ケリーもLAへ出かけました。」
「証人を遠くへ行かせたのですか?」
「別に逃げた訳ではありません。職務遂行に励んでいるだけです。数日で帰って来ますよ。」

 勿論、ドーム幹部は2人のドーマーが帰投する前に彼等と口裏を合わせるつもりだ。
刑事達は、また伺いたいことがあれば来ます、と言い、ライサンダーも落ち着いたらニューポートランドに帰るので、その時に連絡すると言った。
 警察が帰ると、執政官はライサンダーを見て愚痴った。

「君の親父、ダリルは本当に厄介な男だなぁ。余計な乱暴を働かなかったら、証言させていたのに。」

 ライサンダーは肩をすくめた。

「俺も、親父があんなに怒ったのを見たのは初めてです。」

2019年5月25日土曜日

大嵐 2 2 - 2

 夕食の席でケンウッドはハイネからセイヤーズ親子の様子に関する報告を聞いた。ハイネは午後の臨時執政官会議をサボった。ケンウッドが無駄な会議だと感じたのと同様、彼も出席する価値なしと判断したからだ。そしてレインからアメリア・ドッティの電話を受けたと聞かされた。アメリアは命の恩人だったポーレット・ゴダートの殺害事件にびっくり仰天して、レインの端末に直通でかけてきた。彼女はお悔やみを述べ、ライサンダーと胎児の無事を確認したのだが、レインが局長に報告した理由はそんなことではなかった。
彼女はライサンダーが男性同士の間の子供だと知っており、レインが彼女の従兄弟だと言うことも知っていたのだ。つまり、彼女の伯母であるアーシュラ・L・フラネリーが彼女にポール・レインがフラネリー家の次男である事実を教えたことになる。

「アーシュラは、娘のフランシスと俺が双子だとアメリアに言ったそうです。」

 取り替え子の秘密を守って、しかし我が子の存在を親族に伝えておきたい。アーシュラの精一杯のドームへの抵抗だった。
 アメリアはドッティ家の経済界の力を使って事件の後処理をすると約束した。大統領を輩出した家系であり、経済界の大物を夫に持つ彼女は、一族の名誉を守る為に、マスコミへ影響力を行使するつもりだった。つまり、ライサンダーの身元を隠し通してくれるのだ。
 ハイネはレインにアメリアとこれからも連絡を取り合ってドームの秘密を守る努力を怠るなと指示した。そして、その内容をケンウッドに報告した。
 ケンウッドは既にハロルド・フラネリー大統領と話し合っていたので、マスコミ対策は十分だと思っていた。だが大富豪の奥方が味方につけば更に心強かった。そして「双子」のアイデアに感心した。

「それなら、これからレインは大ぴらに実家と接触出来るのではないかね?」
「公には無理です。」

とハイネが否定した。

「現職大統領の兄弟は妹1人だけと言うのが世間の認識です。2人目がいきなり現れては、何故一緒に育たなかったのかと疑問が生じます。余計なことを探られますぞ。」
「そうか・・・確かにそうだな・・・私が甘かった。」

 いつかドーマー達を本当の親族の元へ返してやろうと考えているケンウッドは、時期尚早と反省した。


大嵐 2 2 - 1

 一夜明けて、ライサンダー・セイヤーズの付き添いはダリル・セイヤーズからポール・レイン・ドーマー、キャリー・ワグナー・ドーマー、JJ・ベーリングと引き継がれた。ライサンダーは2人の父親や親友達の愛情で落ち着き、お昼にはレインとセイヤーズに連れられて一般食堂で食事を摂った、と報告が入り、ケンウッドを安堵させた。
 午後、執政官会議が開かれた。ケンウッド長官はその会議を無用のものだと感じていた。議論する必要のない事柄をさも重大事案として話し合いたがる執政官のグループがいたのだ。

「ポール・レイン・ドーマーは遺伝子管理局の北米南部班のチーフです。将来は局長職にも昇り詰める可能性のある幹部クラスの男に、違法クローンの子供がいると、ドーム中に知れ渡ってしまいました。これでは、他のドーマー達に示しが付きません。」

 まくしたてる執政官はレインのファンクラブのメンバーだ。本来ならアイドルを庇ってやるのが筋だろうに、逆に糾弾しようとしている。

「それでは、レインを遺伝子管理局は懲戒免職にしろと?」

と別の執政官が尋ねた。糾弾派はケンウッドの右側、擁護派は左に席を占めていた。

「そこまでしろとは言っていない・・・」
「では、どうしろと言うのだ? 忘れているようだから言ってやるが、クローンの子供を創ったのはダリル・セイヤーズ・ドーマーで、レインは関与していないのだぞ。彼は半年前にセイヤーズを逮捕する迄子供の存在すら知らなかったのだ。」
「そうとも、子供の件でレインを責めるのは間違っている。」
「だが、しかし・・・レインは今、これ見よがしに子供をドームの仲間に披露しているぞ。まるで法律違反などなかったかの様に・・・。」
「セイヤーズが脱走と違法クローン製造でそれなりに処罰されたことはドーム中が知っている。彼は自由にドームを出入り出来ないし、先ず外に住む許可は一生もらえない。『お勤め』の回数も他のドーマー達と比べて遙かに多い。今回の子供の件は特殊な事情を考慮してドームに連れて来ることを、ハイネ局長が許可したのだ。」
「レインが息子を連れ回しているのは、息子に悲劇を忘れさせようとしているのだと言うことを、理解してやらねばならない。あの男なりに父親であろうと努力しているのだ。」

 糾弾派は分が悪い。彼等はアイドルをクローンの息子に奪われて悔しいのだ。嫉妬しているだけだ。だからケンウッドはこの会議は無用だと感じていた。
 彼は黙って議論を聞いていた医療区長に声を掛けた。

「ライサンダー・セイヤーズの健康状態はどんな具合だね?」
「精神的なストレスを除けば、完璧に良好ですな。」

 ヤマザキは糾弾派にニヤリと笑いかけた。

「クローンとは思えない、完全に健全な地球人の体です。誰が見ても、彼の出自はわからんでしょう。サタジット・ラムジーがどんな方法であの若者を創ったのか、知りたいものです。」
「違法ばかりした男だが、遺伝子学者として惜しい人材を失ったものだ。」
「もっと検体を採取したいのですが、ドームはセイヤーズとの約束を守らねばなりませんからな。息子には絶対に手を出さないと言う・・・」

 そこへ、ラナ・ゴーン副長官が入って来た。彼女は昨夜から人工子宮に保護されたポーレット・ゴダートの胎児に付きっきりで観察していたのだ。胎児が安定したので、やっと地下から上がって来た。

大嵐 2 1 - 10

  医療区でキャリー・ワグナー・ドーマーがポール・レイン・ドーマーを出迎え、お悔やみを述べた。レインは黙って頷いただけだった。ドーマーでこの半年に2度もお悔やみを聞いたのは俺だけだ、と思った。家族持ちと言うことか。
 キャリーの案内で通された病室で、ダリル・セイヤーズ・ドーマーがベッドに座ってライサンダーを抱いていた。彼はまだスーツのままで、毛布にくるまれたライサンダーは鎮静剤が効いたのかぐったりと父親にもたれかかっていた。その背をセイヤーズが優しく叩き続けていた。
 レインがそばに来ると、彼が顔を上げた。

「すまない。」

と彼が囁いた。

「君が警告をくれたのに、私は間に合わなかった。」
「誰にも非はない。」

 レインはライサンダーをはさんで座った。

「悪いのはマコーリーとその一味だ。俺たちの落ち度ではないし、ライサンダーのせいでもない。当然、ポーレットが油断したからでもない。他人の善意を踏みにじる人間がいただけだ。」
 
 彼はライサンダーの体をそっとセイヤーズから取り上げた。

「俺が見ているから、君は少し休んで来い。飯もまだだろう。」
「君こそ、西海岸から飛んで帰って来たんじゃないか。」
「俺は機内で寝たし食ったから良いんだ。」

 言われてセイヤーズは素直に立ち上がった。レインは彼の手を見た。少し赤くなっているのを見て尋ねた。

「連中を殴ったのか?」
「うん・・・1人2,3発ずつ殴った。」
「あと100発殴れば良かったのに。」

 レインの言葉にセイヤーズがちょっと笑った。

「本当に・・・そうだな。」

 セイヤーズが戸口まで行くと、レインがまた言った。

「ライサンダーが落ち着いたら、俺たちのアパートに連れて行くからな。外には戻さない。当分の間、俺たちの手元に置く。」
「それは・・・」

 セイヤーズは少し黙ってから、結局小さく頷いて承諾の意を示した。


大嵐 2 1 - 9

  ドームは夜中でも機能している。コロニー人には夜も昼も関係ないし、赤ん坊の誕生にも昼夜関係がない。
 ポール・レイン・ドーマーは深夜の飛行機で西海岸からとんぼ返りしてきた。もの凄く怒っていたので、ゲートの消毒班が彼のそばに近づくのを躊躇った程だ。彼が中央研究所のケンウッドの長官執務室に入ると、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長が、隣の椅子でうたた寝していたクロエル・ドーマーの脚を蹴って起こした。
 ケンウッドが指した椅子にレインはどさりと体を落とし込んだ。彼が心身ともに疲労していることは明白だったが、ケンウッドは今話して置くべきだと思った。

「遠くから緊急で呼び戻して申し訳ない。」

と長官が言うので、レインは黙って首を振った。事件の報告は機内でクロエル・ドーマーから電話を通して聞かされた。クロエルは警察の取り調べに立ち会ったのだ。

 「もっと早くマコーリーの正体に気づくべきでした。」

 レインが反省すると、ハイネが言った。

「電話の盗聴だけでは、誰が悪意を持つ人間なのか判別不可能だ。ライサンダーとポーレットの夫妻には友人が多かった。今朝まではマコーリーはその中の1人に過ぎなかった。君が調査に乗り出した日に、あの男がセント・アイブスからポートランドまで移動するなど、誰も予測していなかっただろう?」
「ですが・・・」
「反省するな、レイン。」

 局長は部下を黙らせた。
 ハイネが振り返ったので、ケンウッドは自分の役割を果たしことにした。

「ライサンダー・セイヤーズの子供は、クローン育成施設で育てることにする。」

 ケンウッド長官の宣言に、誰も異を唱えなかった。母胎を失ってしまった胎児が生きられるのはドームしかない。略奪者が来ない、安全な場所は、ここしかないのだ。
 ケンウッドはクロエル・ドーマーを見た。母親が希望した堕胎によって3ヶ月で人工子宮の世話になった男だ。

「事故で母親を失って人工子宮に保護される胎児はたまにいるが、無事に生き延びる例は少ない。多くは現場の医師の腕が未熟で死んでしまうからだ。今回の胎児もまだ数日観察を要するが、ドームまで保ったから、きっと生きてくれるだろうと信じている。」

 レインに聞かせたのだが、クロエルが代わりに頷いた。
 レインは胎児のことに関心が薄い様子で、局長に尋ねた。

「息子は何処です?」
「医療区だ。」

 ハイネが答えた。

「ダリル・セイヤーズが付き添っている。」
「行ってやれば?」

とクロエルが口を挟んだ。レインは首を振った。

「俺が行っても、あいつは喜ばん。」
「倅じゃないよ、父親のセイヤーズの方だ。」

 クロエルは長官を見た。

「良いでしょ、長官? セイヤーズは父子共々まいっちゃってます。ダリルは息子の嘆きをどう受け止めて良いのか、途方に暮れてるし、ライサンダーは鎮静剤で抑えないと錯乱状態に陥ってしまう。レインの冷静さが必要なんです。」

 ケンウッドは頷いた。今部屋の中に居る男達全員、個人的な家族を持った経験がない。家族に不幸が襲った経験がない。だがポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーを1度失ったことがある。

「行ってやりなさい、レイン。ダリル・セイヤーズが君を必要としている。」

大嵐 2 1 - 8

 ケンウッドが一般食堂でテーブルに着いて間も無くハイネが現れた。2人は周囲の人々に事件の話を聞かれたくなかったので、さりげない日常会話をした。どんな辛い話題も誤魔化せる話術が身についた己に、ケンウッドは内心うんざりした。もう科学者ではなく政治家だな、と自分で思った。
 半分まで食べた頃に、ヤマザキ医療区長がクロエル・ドーマーと共にやって来た。普通に同席の許可を求め、着席したクロエルは小声で報告した。

「過去に起きたFOKの犯罪と同じ扱いをしてもらうことを、警察に確約させました。」

 ケンウッドとハイネは頷いた。FOKがクローンの子供を人体実験に用いる目的で誘拐して殺害した一連の事件と同じ扱いでマスコミに発表するのだ。実際、ドン・マコーリーはそのつもりでライサンダーの家族を襲ったのだから。

「ゴダートの両親には連絡が着いたのか?」

とケンウッドは被害者遺族の対応を心配した。クロエルは、警察に任せています、とだけ答えた。

「胎児の保護は遺伝子管理局とドームの仕事ですから、外の世界も承知しています。特別扱いではありませんからね。」

 ゴダートの両親は娘の最初の結婚も二度目の結婚も認めなかった。だからライサンダーがドームに保護されても何も言わないだろう。
 ヤマザキがライサンダーの様子を報告した。

「セイヤーズの息子は眠っている。目覚めた時にパニックになるかも知れないので、セイヤーズに付き添わせているんだ。」
「セイヤーズも・・・ダリルの方だが・・・まいっているだろう?」

 ケンウッドはドーマーの身を心配した。クロエルが答えた。

「セイヤーズは強いっす。ライサンダーも感情の波を乗り越えたら、大丈夫っすよ。彼等には胎児って言う希望があるっすから。」

 子供は希望だ、とケンウッドも思った。どこの世界でもいつの時代も、子供は希望なのだ。
 そう言えば、クロエルも受胎3ヶ月で母胎から出された。母親に生まれることを拒否されたのだ。しかし、彼は現在多くの人々に愛されている。クロエルを可愛がっているハイネが話題を変えた。

「FOKは銃器を使ったのか?」

 クロエルが上司を振り返った。

「向こうは持ってました。でも僕ちゃん達は素手で応戦したっす。ちょろい連中で・・・」

 ヤマザキが笑った。

「君とセイヤーズに掛かれば、大概の連中はちょろいだろうさ。ケリーも頑張ったんだろ?」
「当然っすよ! アイツは監視役の責任を感じて必死でした。今、パトリック・タンの部屋に行ってます。きっと事件の話をしてるんでしょ。」

 ジョン・ケリーはパトリック・タンの誘拐事件の責任を感じていた。皆んなから否定されても、彼自身はこだわっていたのだ。今回もその自責の念に苦しむだろう。だから、ケリーがライサンダーの容体を伺いに医療区に来た時に、ヤマザキはタンの部屋に寄って行け、とアドバイスした。タンは退院が近い。だから、仕事の話で社会復帰の準備をしてやれ、とさりげなく心の中を同僚に打ち明けるセラピーを勧めたのだ。タンの対人恐怖症を克服する為にも、ケリーの悩みを解消させようとすることで自信をつけさせるのだ。

「ライサンダー・セイヤーズの心理的治療は君達に任せるよ。」

とケンウッドはヤマザキとドーマー達に言った。

「私は外の事件にドーム関係者が巻き込まれた場合のマスコミ対応を、大統領と相談する。ドームの秘密主義を外の人々が不審に思うだろうしね。」




2019年5月24日金曜日

大嵐 2 1 - 7

 ハイネ局長から連絡をもらった時、ケンウッド長官は夕食に出かけようとしていた。医療区とクローン製造部の慌ただしい動きは、中央研究所にはまだ達していなかった。だから、ハイネから事件を聞かされ、ケンウッドは絶句した。
 ポーレット・ゴダートは幼馴染みの産科医ドン・マコーリーに身籠もった子供が女の子だと告げてしまった。マコーリーは彼女の夫がセイヤーズ姓を名乗るクローンだと言うことも教えられた。ポーレットは胎児の健康の為に、医師に全てを打ち明けることが賢明だと判断したのだ。
 しかし、マコーリーは、クローンの体に脳を移植して若返りを夢見るミナ・アン・ダウン教授の弟子だった。人間の脳が快感を覚える時に造られるβーエンドルフィンを麻薬として抽出して売り出す組織FOKのニコライ・グリソム達の仲間でもあった。
 マコーリーは仲間と共に、胎児とクローンの男を手に入れようとニューポートランドに来た。ニコライ・グリソムの裁判前に手に入れれば、人質に出来るし、コロニー人を地球から追い出したがっている金持ち達に売ることも出来る。
 何も知らないポーレット・ゴダートは、マコーリーを子供時代の優しい隣のお兄さんのままだと信じて家に招き入れてしまった。マコーリーは油断した彼女に襲いかかった。彼女は辱めを受け、殺害された。マコーリーは浴室で幼馴染みの女性を解剖した。胎児を取り出し、死なないよう擬似子宮に入れた。産科医なので、その程度の装備は持っていたのだ。そこへ、ライサンダー・セイヤーズが帰宅した。
 マコーリーはライサンダーにも性的虐待を行い、胎児と共に自身が経営する病院へ連れ去ろうとした。そこへ遺伝子管理局のクロエル、セイヤーズ、そしてケリーが現れたのだ。3名はすぐに異変に気づき、ライサンダーを救出し、マコーリーと仲間を速攻で捕縛した。残念なことにポーレット・ゴダートは救えなかったが、胎児を保護した。

「セイヤーズの息子はどうしているのかね?」

 ケンウッドは妻を殺害され、我が子を盗まれかけた若者の心の傷を思いやった。まだ18歳になったばかりじゃないか。それなのに、こんな悲惨な運命を受け入れなければならないのか。

「ドームに保護しました。精神的ダメージが大きいので、鎮静剤で眠らせていると医療区から連絡がありました。現在は父親のセイヤーズが付き添っています。」
「父親が付いているのか・・・」

 ケンウッドはライサンダーのもう一人の父親の存在を思い出した。

「レインはどうしている?」
「彼は西海岸へ出張でしたが、事件の知らせを受け取って引き返しました。もうすぐ帰ってきます。」

 クールに見えて実際は情熱的な男であるポール・レイン・ドーマーは息子夫婦を襲った悲劇に感情的になっている筈だ。ケンウッドはハイネの冷静さが救いに思えた。

「ライサンダー・セイヤーズはドーマーではないが、ドーマー同士の間の子供だ。そして今回は異常事態だ。例外だが、彼を暫くドームに留め置くことを許可する。また、彼の子供はまだ胎児の状態だから、胎児保護プログラムの適用を命じる。母体から出る時期迄の養育をドームで行う。よろしいか、遺伝子管理局長?」

 ケンウッドが精一杯テキパキと指示を与えると、ハイネは電話の向こうで、「承りました」と言った。
 ケンウッドは深呼吸した。何か忘れていないだろうか?

「クロエルは戻って来たかね?」
「10分前にポートランド市警本部を出て空港に向かうと連絡がありました。半時間後には戻るでしょう。レインより先に帰って来ます。」
「では、彼が夕食を終えたら、ここへ来るように伝えてくれ。君も来てくれないか? 外部のマスコミ対策が必要だろう。今回の事件は外の世界で起きた殺人事件だから。」
「わかりました。では、私もすぐに食堂へ行きます。」

 ハイネは絶対に食事を抜かさない。ケンウッドは苦笑ではあるが、やっと笑うことが出来た。

「私も行くよ。君と食事時に別行動を取ると、何かあったのかと勘ぐる連中がいるからね。」

 まだ執政官やドーマー達に事件を伝えるつもりになれなかった。

2019年5月23日木曜日

大嵐 2 1 - 6

 局長執務室では、まだ2人の秘書がいて書類仕事をしていた。セイヤーズもケリーも気がつかなかったが、彼等は外部の警察との情報交換の整理をしていたのだ。警察は遺伝子管理局が絡んだ事件が発生した場合、支局の指示を受けて捜査する。事件に関する世間への情報公開、つまりマスコミへの発表は支局指導だ。ドームで行われている「取り替え子事業」の秘密を守る為に、情報操作しなければならない。だから、ネピア・ドーマーとキンスキー・ドーマーは支局と連絡を取り合い、警察に渡せる情報の仕分けをしていた。
 ハイネはコンピューターの画面から顔を上げ、セイヤーズとケリーに執務机の前の席に座れと目で合図した。2人が腰を下ろすと、彼は声を掛けた。

「FOKを逮捕したそうだな。3人共怪我がなくて良かった。」

 セイヤーズは局長が直前迄読んでいたものが、クロエルとケリーと彼が送った報告書だと気が付いた。

「敵は油断していました。目的のものを手に入れて、人質を取ったので逃げ切れると思っていた様です。」

 セイヤーズは努めて元気な声を出して答えたが、部下達が疲労していることはハイネにはお見通しだった。

「事件のあらましは報告書で十分だ。ケリー・ドーマー・・・」
「はい?」

 ケリーは不意に名を呼ばれて、ギクリとした表情になった。監視が不十分だったとお叱りを受けるかと思ったので、彼の血圧は一気に上昇した。しかしハイネは別のことを言った。

「たった一人で今日迄ライサンダー・セイヤーズとポーレット・ゴダートを監視・護衛してご苦労だった。残念な事件で終わってしまったが、君の働きに何の落ち度もないことは誰もが知っている。」
「あの・・・恐れ入ります・・・」

 ケリーは赤くなった。局長も彼が自責していることを察しているのだ。

「クロエルが警察での犯人の取り調べに立ち会った。今回の事件の首謀者はゴダートの幼馴染で、彼女自身が彼を自宅に招いたと自白したそうだ。平気で友達を裏切る人間だとは、彼女は夢にも思わなかったのだ。」
「しかし、局長、チーフ・レインはドン・マコーリーを信用出来ないと考えて素行調査を行なっていました。僕等はもっと警戒すべきでした。」
「だがマコーリーは産科の医者だ。妊婦のゴダートが幼馴染の医者を信用して自分で呼んでしまったものを、我々が阻止するのは困難だった。マコーリーはその時点では何も行動を起こしていなかったのだからな。」

 ハイネはそれ以上部下の繰り言に付き合う気はなく、ケリーに言った。

「ライサンダー・セイヤーズとその子供は暫くドーム内に保護する。君は2日休暇を取り、その後は再び現地へ戻ってレインと共に事件の事後処理に取りかかりなさい。」

 ハイネが口を閉じたので、ケリーは彼への局長指示は終わったと判断した。彼は、立ち上がった。

「了解しました。失礼します。」

 ハイネが頷いたので、彼はセイヤーズにも軽く会釈して部屋から出て行った。
 セイヤーズは、次は己の番だと気を引き締めた。しかし、局長の指示は彼の意表を突いた。

「医療区へ行って、ライサンダーに付き添ってやりなさい。今は父親の君を必要としているだろう。」
「しかし、まだ仕事が残って・・・」
「端末で出来る内容は医療区ですれば良い。鏡を見たか、セイヤーズ? 酷い顔だぞ。」

 ハイネは休めと言ってくれているのだ。セイヤーズはやっと上司の心遣いに気が付いた。ケリーも2日の休暇を与えられた。局長は精神的負担を強いられた部下達を思いやってくれたのだ。

大嵐 2 1 - 5

 ドームは緊急事態への対処に慣れていた。母体の生命が危険に脅かされた時、胎児を救出してドームに緊急搬送される事例は年に10数回発生するのだ。だから、ライサンダー・セイヤーズの子供が乗せられたヘリコプターがドーム空港に到着するや否や、係のドーマーが待機していて、セイヤーズ親子とケリー・ドーマーが降りるより先に胎児が入った保護ケースをドーム内に運び去った。
 ダリル・セイヤーズはストレッチャーに乗せられた息子も係に託した。ライサンダーは妻の死亡を察した時点で取り乱し、止む無く父親は彼に鎮静剤を注射したのだ。眠る息子が運ばれて行くの見送ってから、彼は後輩のジョン・ケリー・ドーマーに注意を向けた。ケリーも精神的に参っていた。同僚のパトリック・タンが誘拐された時、彼はタンとはぐれてしまったことを後悔していた。今度は監視していたセイヤーズ家から離れて支局へ上司を迎えに行った間に、監視対象が襲われてしまったのだ。
 ヘリの上では、ダリル・セイヤーズは息子の面倒で精一杯だった。だから、ドームに到着して一息つける状態になってから、ケリーにも気を配るべきだったと気が付いた。疲労と憔悴しているのはセイヤーズ自身も同じだったが、彼はケリーの肩に手を置いて努めて元気良く声を掛けた。

「さぁ、まだ報告書作成が残っているぞ。もう一踏ん張りだ。」

 ケリーは弱々しく頷いた。2人で居住区へ向かう為に歩き出した。近道をする為に出産管理区を通った。赤ん坊や幸福な母親達を見るのは辛いので、スタッフ通路をひたすら足早に通り過ぎた。彼等の勢いに、すれ違ったスタッフは何か怖い物を感じた。
 遺伝子管理局本部に入ると、受付の係が2人に局長執務室にすぐに行けと指示した。セイヤーズは重い足取りで歩くケリーを支えるようにエレベーターに乗った。

「僕は凶運を持っているのかも・・・」

とケリーが呟いた。

「周囲に不幸を運んでいる・・・」
「馬鹿だな。」

とセイヤーズは彼の肩に腕を回して引き寄せた。

「君が他人の運不運を左右するような大物だとは知らなかったよ。」

 そして続けた。

「私の進化型遺伝子が悪人供を惹きつけるようだ。だが私は自分を不運だとか不幸だとか思ったことはないし、親を恨んだこともない。ジョン、人間の幸不幸は結局自分の心次第で、他人に影響を及ぼす力を持っているヤツなんてそうそういやしない。」

 セイヤーズは溜め息をついた。

「ただ、息子には悪かったと思っている。あの子はクローンで、私が作ったのだからね。」
「セイヤーズ・ドーマー・・・」

 ケリーはダリル・セイヤーズが彼を励まそうと精一杯努力していることを感じ取った。彼は背筋を伸ばした。

「愚かな悔やみごとを口にしました。もう大丈夫です。有り難うございます。」

 セイヤーズは微笑んで彼の肩から腕を外した。エレベーターはとっくに目的のフロアに到着していた。

2019年5月19日日曜日

大嵐 2 1 - 4

 その日の午後、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は次の日は出産管理区長アイダ・サヤカが重力休暇を取る為に月へ行く日だと思い、気分が沈みかけていた。多忙な彼女と顔を合わせない日も少なくないのだが、彼女が同じドームの中にいると思うと安心出来る。しかし、彼女が宇宙空間に出てしまうと、たまらなく寂しく、そして不安になるのだ。もし航宙艦に故障や事故が起きたらどうしよう、と悪い想像をしてしまう。地球と月の間の航路で事故が起きたことはこの半世紀なかったのだが・・・。
 ハイネは気分転換に部屋から出て、内勤の局員達がいる大部屋へ向かっていた。ドアの前迄来た時、ポケットの端末に電話が着信した。外にいる部下からの直通だ。4つのチームのどのチーフからだ? ハイネは端末を出し、画面に表示された名前に少し驚いた。
 発信者はダリル・セイヤーズ・ドーマーだった。そう言えば、クロエル・ドーマーが彼を気晴らしに外へ連れ出す許可を取り付けてポートランドへ出かけたのだ。面会はさせられないが、こっそり息子のライサンダーの顔を見せてやる、とクロエルは言っていた。クロエルからではなく、セイヤーズからの電話と言うことは、クロエルに何かあったのか?
 ハイネは通話ボタンを押した。

「ハイネだ。」
「局長!」
 
 電話の画面でセイヤーズが叫んだ。

「セイヤーズです、局長。大至急人工子宮の準備をしてもらって下さい。受胎3ヶ月の胎児用です。」

 ハイネの頭が素早く反応した。セイヤーズ、受胎3ヶ月の胎児、人工子宮・・・

「ライサンダーの妻に何かあったのか?」

 セイヤーズはチラリと背後を振り返り、また元の位置に戻った。向こうを向いて話したくないのだ。彼は小声で言った。

「FOKに先を越されました。息子と胎児を保護しました。」

 胎児の母親に関して、彼は言及しなかった。言及しなかったからこそ、ハイネはライサンダー・セイヤーズの妻ポーレット・ゴダートに何が起きたか悟った。

「わかった。大至急副長官に設備の要請をする。クロエルはそこにいるか?」
「私の息子と一緒に、近くにいます。ケリーは警察の相手をしています。」

 では指揮権はセイヤーズに変更だ、とハイネは判断した。

「警察の相手はクロエルに任せろ。君はケリーと共に君の息子と胎児を連れてドームに戻れ。寄り道はするな。」

 ライサンダー・セイヤーズはドームと無関係に生きて行く筈だった。しかし、ハイネは彼の意思よりも彼の安全を優先させた。ダリル・セイヤーズは素早くそれを理解した。母親の体から外に出されてしまった胎児が生き延びるには、ドームの技術が必要だ。そして、妻を失ったライサンダーを一人にしておけない。

「了解しました。すぐに息子と胎児を連れてケリーと共に帰投します。」

 セイヤーズは通信を切った。
 ハイネは休む暇もなく、ゴーン副長官に電話をかけた。



 

2019年5月18日土曜日

大嵐 2 1 - 3

 3ヶ月経った。
 ジョン・ケリー・ドーマーはただ車でライサンダー・セイヤーズの家がある通りを走り抜けるだけではなかった。彼は集音器で家の中の音声も拾って聞いた。プライバシー侵害だが、若夫婦の交友関係をつかんでおきたいと言うチーフ・レインの意向だった。
 ライサンダーは職場の仲間と交流していた。他所から来た人間だったし、遊べる様な金銭的余裕もないので、職場以外の場所で友達を作る機会がまだないのだ。しかし職場では人気者らしく、地元のバスケットボールチームに誘われたり、野球チームの助っ人を頼まれたり、休日もよく出かけた。 夫婦で仲間の家に招待されることもあったし、招待する方になることもあった。
 ポーレット・ゴダートは綺麗な女性で、ケリーはちょっと若いライサンダーが羨ましく思えた。まだお腹がそんなに大きくないので、モデルみたいにすらりとしたスタイルの良い美女だ。彼女は時間が不規則な夫と違い、毎朝同じ時刻に自家用車で出勤して、夕刻どこかで買い物をして帰宅する。夫婦がそろっている時は、一緒にいてテレビを見たり音楽を聴いたりしていた。
 ライサンダーが夜勤当番の日、彼女は友人と電話でお喋りをしていた。多くは女性友達で、ケリーは女性の興味の対象がよく理解出来なかったが、料理の話やファッションの話をたっぷり聞かされた。 育児に関するアドバイスを求める時もあって、大富豪アメリア・ドッティから電話が掛かってくることも珍しくなかった。アメリアはライサンダーにもっと時間を家族の為に合わせることが出来る仕事を紹介したいと言ったが、ライサンダーの方は今のままの方が気が楽だと断った。
 ポーレットが夫以外で電話をよく掛ける男性がいた。ダン・マコーリーと言う名で、ケリーは同僚にも同じ姓のドーマーがいるなぁと、電話相手の名をすぐに覚えた。
会話の内容から、ダン・マコーリーは産科医の様で、勿論、出産はドームが管理しているのだが、妊婦がドーム収容の通知を受け取る迄の期間健康管理をしてもらう医師だった。彼女が彼に頻繁に電話するのは、彼が彼女の幼馴染みだったからだ。ちょっとしたアドバイスや悩み事相談、そして最初の結婚以来疎遠になっている彼女の両親の様子伺いに、ポーレットは電話で聞いていた。
 ケリーからダン・マコーリーと言う男の存在を報告されたポール・レイン・ドーマーは、当然のことながらその医師を調査した。
 マコーリーはセント・アイブス・メディカル・カレッジの卒業生で、レインにとって非常に気に入らないことに、ミナ・アン・ダウン教授の教え子だった。

「ニコライ・グリソムやジョン・モア兄弟の仲間じゃないのか?」
「彼等の名前は出て来ませんが?」
「ポーレットが知らないだけだろう。俺はそのマコーリーって医者をもう少し詳しく調べてみる。」

 通話を終えたケリーは、通りを往来する人々を眺め、車を動かした。街の中心街へ行くとどんどん通行人が増えていく。囮捜査に参加した時にケリーは「通過」を経験したので、抗原注射は不要の体になったのだが、まだ人混みを見ると不安になる。雑菌の集団に見えるのだ。閑散とした住宅街の方がまだましだと思うが、長時間張り込むと住人に怪しまれるので、街へ出たり、支局に立ち寄って休憩するのだ。
 ポール・レイン・ドーマーはその日、朝食前にドームを出て西海岸に向かう飛行機に乗っていた。「飽和」を経験して以来、出張を控えていたのだが、平常の勤務に戻る潮時だと判断したのだ。チーフと言う地位は全ての支局巡りを部下に任せてもかまわないのだが、ドーマー達は働き者なので、どの班のチーフも自ら出かけて行く。レインも出張が苦にならないし、むしろデスクワークより支局巡りをしたりメーカーの捜査をする方が好きだ。
 ジョン・ケリー・ドーマーからポーレット・ゴダートの交友関係に関する報告を受けた時、彼はドン・マコーリーなる医師を調査するべきだと思った。コンピュータで調べられる経歴は知れている。本人に近づいて探るべきだろうと思ったが、巡回の順番は西から、と決めてあるのですぐに取りかかることが出来ない。仕方が無いので、犬猿の仲のセント・アイブス・出張所のリュック・ニュカネンにマコーリーの身辺調査をメールで依頼しておいた。
 レインの留守を預かる秘書のダリル・セイヤーズ・ドーマーは、仕事に励んでいた。息子の消息が判明したと教えられた時は興奮してしまったが、今は冷静ないつもの彼に戻っていた。じたばたしても何も変わらないのだから。寧ろ真面目に職務に励んだ方が、外出許可をもらえる機会が得られる近道だ。
 その日は養子縁組申請が多かった。女性が少ないから、子供が欲しい男達が増える。子供達は取り替え子だ。本当の親は女の子をもらって我が子だと信じて育てている。ドームでは「血縁より愛情」と言う教えをドーマーの養育で使用するが、外の人間にも結局のところ押しつけているのだろう、とセイヤーズは思った。
 彼が事務作業に専念している時、クロエル・ドーマーは局長執務室に居た。彼はハイネ局長に進言していた。

 「セイヤーズをこのままデスクに貼り付かせていたら、戦闘員として使い物にならなくなりますよ。」

 ハイネは日課の邪魔をする部下に顔を上げずに応えた。

「それなら、君が使えば良い。レインは使い方を知らんからな。」

大嵐 2 1 - 2

   ダリル・セイヤーズ・ドーマーはオフィスでいつもの仕事をしていたが、落ち着かなかった。息子の消息を知ることが出来て嬉しいのだが、会いに行けないのが悔しい。結婚を祝ってやることも、市民権を獲得したことを一緒に喜んでやることも出来ない。せめて画像通信で会話が出来れば良いのだが、息子のアドレスを教えてもらっていない。端末に電話も掛かってこない。
 一方息子に父親の座を認めてもらえたポール・レイン・ドーマーの方は余裕で、業務に勤しんでいた。だからケンウッド長官から呼び出しを受けて中央研究所に行く時も、セイヤーズの前に書類をどっさり置いて昼迄に片付けておくようにと言いつけた。
 長官執務室にはハイネ局長とラナ・ゴーン副長官が居た。まだ昼前の打ち合わせ会の時刻ではなかったので、ライサンダーの件だなとすぐ見当がついた。
 長官に椅子を勧められ、座ると、レインは自身から切り出した。

「ライサンダー・セイヤーズの件で何かありましたか?」
「そのことだが・・・」

 ケンウッドは胎児認知届け証明を眺めた。

「君の孫は女の子だね?」

 レインはそうだっけ?と言う表情をして、コロニー人上司達を呆れさせた。ラナ・ゴーンが尋ねた。

「胎児の性別を確認していなかったのですか、レイン?」
「すみません。」

 レインは、「孫」と言う単語にピンと来なかっただけなのだ。ハイネは自身も身に覚えのある感情だったので、もう少しでニヤリとしそうになった。レインは認知届けを見た時にちゃんと性別に目を通していた。しかし、本当の理由を言ってもコロニー人にはわかってもらえないだろうと思ったので、偽りの言い訳をした。

「男だとばかり思い込んでいました。」
「無理もない。男しか産まれない世界なのだから。」

 ケンウッドが肩をすくめた。ハイネが長官をチラリと見た。早く会議を終わってくれないかなとその目が言っていた。忙しいのだから・・・。
 長官が咳払いして用件に入った。

「ドームの外で自然な交わりで産まれる最初の女の子だ。放任しておく訳にはいかない。」
「保護しろと?」
「いや、監視したまえ。当人達には気づかれない様に見守る態勢を取って欲しい。」

 レインは直属の上司である局長を見た。

「人員を割けと言うことですか?」
「セント・アイブスで使った部下を今度はニューポートランドに派遣してはどうかな?」

 囮捜査で使った部下と言う意味だ。ロイ・ヒギンズは今週で去るから、ジョン・ケリー・ドーマーに巡回させよとハイネは暗に提案している。レインはポートランド支局を担当している第4チームのメンバーを頭に思い浮かべてみた。誰か1人をケリーと交換するべきか、それともケリー単独で動かすか・・・。

「シフトを考えてみます。」
「早い内に頼む。親も周辺の人間も誰1人として重大さをわかっていないだろうが・・・」

 だが、FOKやメーカーにはわかる筈だ。支局から情報が漏れることはないだろうが、ポーレット・ゴダートが受診した産科医はどうだろう? レインは監視対象が広がることを懸念した。世間知らずの上司達はわからないだろうけど・・・。


2019年5月17日金曜日

大嵐 2 1 - 1

  ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局局長は、朝食の席でケンウッド長官にライサンダー・セイヤーズの消息を掴めたことを報告した。 ケンウッドはハムを切りながら、捜し物がやっと見つかったか、と言う程度の軽い気持ちで聞いていた。彼はまだ前日の疲れが取れずにいた。実を言うと、朝寝坊して、朝食時間には間に合ったものの、朝の運動は出来なかった。ぼーっとした頭で耳に心地よいハイネの澄んだ声を聞いていた。

「ライサンダーは成人登録と妻帯許可申請と婚姻許可申請と胎児認知届けを出して、レインに発見されました。」
「レインは本人と認めたのか?」
「昨日実際に現地に出向いて本人と面接して来ました。」
「外へ出たのか。飽和の後、最初の外出だな。彼の体調はどうだ? 異常はないかね?」

 ケンウッドはこの数日視察団の世話で疲れている。ハイネが本当に言いたいことを正確に把握していないで、焦点の呆けた応答をした。
 局長はポール・レイン・ドーマーの話をしているのではないので、少し皮肉った。

「お気に入りのドーマーをお気遣いなさるのはよろしいですが、話の論点が違います。」

 ケンウッドは皿から顔を上げた。

「私がレインを気に入っていると、君は今言ったのかね?」

 彼は不機嫌な顔をした。

「私はリンではない・・・」
「長官、そんな話をしているのではありません。」

 そこへトレイを持ってラナ・ゴーン副長官がやって来た。仕事の話でなければ男性2人のテーブルにわざわざ着くことはなかったのだが、何やら長官相手に局長が手こずっているかの様に見えたので、彼女は同席の許可を求めてみた。
 ハイネは、副長官にも情報を告げた方が良いだろうと判断したので、「どうぞ」と応え、ケンウッドも無言で頷いた。ハイネが何を言おうとしているのか、自身が理解し損ねても副長官が聞いてくれるだろうと思ったのだ。
 着席して、パンケーキにシロップを掛けながら、ラナ・ゴーンは中断している男達の会話が再開されるのを待った。
 ローガン・ハイネは捜し物が見つかった経緯の説明は止めて、本題から始めた。

「ポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーの遺伝子から創られたクローンの息子が見つかりました。」
「あらっ!」

 ラナ・ゴーンは期待通りしっかり反応した。

「ライサンダー・セイヤーズが見つかったのね。元気なのですか?」
「元気です。昨日、レイン自ら出かけて面接してきました。」
「逃げなかったのね、坊やは。」
「逃げませんよ。仕事を持ち、家を持って、妻もいます。」
「結婚したの?」
「ええ、職場恋愛だそうです。」

 ハイネはライサンダーの現住所、職業、妻の氏名と経歴を簡単に説明した。ポーレット・ゴダートの名は、大勢の妊産婦達を毎日扱っているドームの幹部の記憶に残る程の重要性を持っていなかったので、ケンウッドもゴーンも覚えがなかった。しかしアメリア・ドッティをプールの事故から救った女性だと聞いて、ライサンダーとポーレットの出会いが運命的なものであるかの様な印象は与えられた。
 そこ迄聞いて、やっとケンウッドは話の内容が頭に入りかけた。

「つまり、サタジット・ラムジーの『最高傑作』は、一人前の市民権を得て暮らしているのだな?」
「もう立派な地球人ですわ、長官。」

 ライサンダーをクローン扱いするのは止めましょうと、ゴーンは言いたかった。彼女はセイヤーズが息子の話をする時、本当に嬉しそうな顔をするのを知っている。息子の成長過程を彼の口から聞けば、彼女自身の娘達の成長とも重なる。普通の子供と変わらない育ち方をしているのだ。どこにも異常はない、普通の地球人の少年だ。

「地球人ではありますが、監視は必要です。」

とハイネが水を挿した。

「妻のゴダートが妊娠しています。」
「子供が出来たのか?」
「しかも、支局の羊水検査の結果では、XXです。」

 その言葉はぼーっとしていたケンウッドの頭にしっかり入った。ケンウッドは口をぽかんと開けた。ラナ・ゴーンも手からオレンジの欠片をぽろりと落とした。
 2人は同時に叫んだ。

「XX?!」

 周囲の人々が振り返ったので、彼等は慌てて口をつぐんだ。

 ほら、上の空で聞いているから仰天するのだ。

 ハイネは苦々しく思いながら、小さな声で繰り返した。

「そうです、胎児は女です。」

2019年5月16日木曜日

訪問者 2 3 - 9

 ポール・レイン・ドーマーとロイ・ヒギンズ、ジョン・ケリー・ドーマーがドームに帰投した時は既に午後7時を廻っていた。遺伝子管理局本部では殆どの局員が一日の仕事を終わらせて食事や運動に出かけてそのままアパートに帰る、いつもの生活を送っていた。がらんとした静かな本部の北米南部班チーフ執務室に3人は入った。秘書のセイヤーズは既に帰宅していたので、レインにとっては幸いだった。まだセイヤーズにライサンダーが見つかったことを知らせたくなかった。教えればセイヤーズは息子会いたさにドームから飛び出して行くのではないか、と彼は危惧したのだ。
 3人はそれぞれ報告書を作成した。ヒギンズはドームと連邦捜査局に提出する2通を書いたが、内容は簡潔で、囮捜査を中止する準備として局員2名と共にニューポートランドに日帰り出張したと報告しただけだった。ライサンダー・セイヤーズに対面したことも書いたが、相手は彼をダリル・セイヤーズと混同することはなかったとも書いた。待機中の出来事は特に記載することはないらしく、チーフ・レインが若者との面談を終えて任務は終了したと締めくくった。
 ジョン・ケリー・ドーマーはもっと簡潔で、運転手を務めたこと、待機してセイヤーズ家に近づく人間がいないか見張ったが異常なしだったこと、と書いただけだった。
彼は帰途に立ち寄った店でロブスターのバター焼きに舌鼓を打ったのだが、これは書きたくても書けなかった。上司に奢ってもらったからだ。
 レインの報告書は必然的に詳細だった。ローガン・ハイネ局長にライサンダー・セイヤーズの現状をきちんと報告しなければならないからだ。証明書類に署名してもらったのだから。序でに往路で立ち寄った支局で受け取ったライサンダーとポーレット・ゴダートの血液サンプルと胎児検査の検査表も、提出した。
 ヒギンズとケリーを帰宅させた後、レインは局長執務室に出向いた。2人の秘書はもういなかったが、ハイネはまだ仕事をしていた。彼等部下の報告書に目を通していたのだ。

「これで見る限りは、普通の夫婦と普通の胎児だな。」

とハイネが評価した。

「ええ、問題はありません。後はゴダートが定期健診に通って来る時に胎児の細胞を分析出来るサンプルを手に入れるだけです。」

 局長は子宮内のエコー写真を眺め、レインに視線を移した。

「胎児を傷つけてはいかん。出産でドームに母親が来るまで待つ。執政官達もそう言うはずだ。」
「執政官達には報告済みですか?」
「コロニー人達は視察団の世話で疲れたはずだから、まだ何も言っておらん。明日の朝食の時に、ケンウッドにこっそり教える。」

 そして、ちょっと苦笑いした。

「君は嬉しくないのか、レイン? 祖父さんになるんだぞ!」

訪問者 2 3 - 8

 見送りグループが解散した。JJ・ベーリングはレインのそばに行ったが、彼はこれから外に出かけるのだと彼女に断った。そっと端末にメッセを入れて見せた。

ーーライサンダーと思しき人物が現れたので確認に行ってくる。

 レインは申請書の人物がライサンダー・セイヤーズだと確信していたが、敢えて断言を避けた。万が一間違っていたら、大勢を失望させてしまう。JJが微笑んだ。そっと彼の腕に手を添えた。

 ライサンダーだと良いわね。元気にしているかしら・・・

 彼女が遠い目をした。ラムゼイの農場に居た頃のことを思い出したのだろう。当時は彼女もライサンダーもまだ子供だった。精一杯大人になろうと反抗して背伸びしていた。半年たって、彼女はすっかり落ち着いた女性学者になり、ライサンダーは結婚を希望している。父親になるかも知れない。
 レインはそっと彼女にキスをした。
 少し離れた所では、ダリル・セイヤーズとラナ・ゴーンが並んで歩いていた。 セイヤーズは彼女の方から手を握ってきたことに驚いた。彼女は何も言わなかった。しかし、彼女は前夜の出来事を全て承知しているのだ、と彼は理解した。彼は彼女の手を握り返した。

 スパイラル工業の女が金の力で法を曲げて地球人を抱いたのなら、副長官が憎からず思う地球人に触れてはいけない理がどこにある?

 ジョアン・ターナー・ドーマーがハイネ局長の腕を突いて、セイヤーズとゴーンに彼の注意を向けさせた。コロニー人と地球人が個人的な関係になっても良いのか? と無言で問うた。ローガン・ハイネが囁いた。

「見なかったことにしたまえ。」

 セイヤーズとゴーンは直ぐに離れた。そしてそれぞれの職場に向かった。
 ターナーは、遺伝子管理局長と出産管理区長が交際していると言う噂を思い出した。人々の話によれば、ハイネとアイダは仲良く食事をしたり、庭園で一緒に昼寝をしたり、図書館で映画を見たりしているとのことだ。節度を守った交際だ。セイヤーズとゴーンもそうなのであれば、維持班総代として何も言うことはない。地球人保護法は元々コロニー人の横暴に宇宙へ出ることを許されない地球人が泣き寝入りしないよう、地球上でトラブルを解決出来るように制定された法律だ。地球人とコロニー人が仲良くしているのであれば、どんな深い関係になっても問題ないではないか。
 ターナーは立ち止まってハイネを先に行かせると、後からとぼとぼとやって来たジェリー・パーカーに声を掛けた。

「昼ご飯に、シェイのアップルパイでも食わないか?」

 パーカーが顔を上げ、笑顔を作った。

訪問者 2 3 - 7

 地球人の出番が終わると、各部門の首席執政官達が視察団と挨拶を交わし始めた。その間、地球人達は少し距離を開けて待機していた。JJ・ベーリングはセイヤーズの横に立ち、彼と視察団のファッションについて雑談を始めた。ジェリー・パーカーは疲れた表情で、ジョアン・ターナー・ドーマーと近くの椅子に座った。互いに親しい訳ではないので口を利かなかったが、無視し合うほどでもなく、ターナーがそっと気分転換用のラムネ菓子を手渡すと、パーカーはちょっと驚いて、それから表情を和らげ、目で感謝を伝えて菓子を口に含んだ。淡い甘味と炭酸の刺激が口の中に広がるお菓子だ。
 レインはハイネ局長がコロニー人達のサイン攻めから解放されるのを待って、上司のそばに静かに歩み寄った。周囲に聞こえない程度の低い声で囁いた。

「ライサンダー・セイヤーズと名乗る人物が、成人登録と婚姻許可、妻帯許可、胎児認知届けを提出してきました。」

 ハイネは視察団と執政官の交流をニコニコと眺めながら、囁き返した。

「先刻の情報管理室の急用の件か?」
「そうです。メイン州のポートランド支局から送信されてきました。」

 レインはセイヤーズがこちらに聞き耳を立てていないか、チラリと視線を遣って警戒した。そして端末を出し、送られて来た書類を画面に出すと、そっとハイネに見せた。成人登録申請書、妻帯許可申請書、婚姻許可申請書、胎児認知届けだった。全部同じ人物から出されていた。
 誰も、ライサンダー・セイヤーズの誕生日も生誕地も知らない。しかし、セイヤーズが消えた日から約10ヶ月後、彼が住んでいた山から近い砂漠のラムゼイ博士の研究施設があった辺りの住所が、成人登録申請書に書き込まれていた。傑作なのは、父親の欄に、ダリル・セイヤーズとポール・レインの名前を無理矢理記入してあったことだ。母親の欄には誰の名も書かれていない。これはクローンの子供が出す申請書だ。

「午後から出かけて本人なのか、確認して来たいと思います。」
「直接君が会って話をして来い。」

 とハイネが言った。

「だが、手ぶらでは相手が警戒するだろう。私がそれぞれの書類に署名をして許可と承認を与える。本物なら、君の手で渡してやると良い。偽物なら破棄しなさい。」
「了解しました。」

 その時、コロニー人の中の数人がこちらを向いたので、ハイネとレインはそれぞれ美しい顔に優しい笑みを浮かべて愛想を振りまいた。
 コロニー人達も笑顔で手を振り、また向こうを見たので、レインは話を続けた。

「胎児の性別の欄をご覧になりましたか?」

 ハイネは微かに頷いた。

「信じられんが、支局が失敗るとも思えん。」
「その件に関しても、確認してきます。」




訪問者 2 3 - 6

 お昼前にコロニーの富豪達からなる視察団は宇宙へ帰還した。ポール・レイン・ドーマーは見世物になりたくなくてずっと面会を拒んでいたのだが、最後の見送りだけでも出てくれと執政官達に要請され、渋々セイヤーズと共に中央研究所に向かった。ハイネ局長も一緒だったが、クロエル・ドーマーはさっさと朝一番コスタリカ行きのジェット機に乗ってとんずらしていた。
 ドーム側の見送り人は、維持班総代表ジョアン・ターナー・ドーマー、遺伝子管理局の3名とJJ、そして厨房に隠れているところを引っ張り出されたジェリー・パーカーだった。パーカーが登場したことで、レインは注目を浴びる率を減らすことが出来て助かった。勿論、髪を伸ばした彼の美貌にコロニー人達は目を見張ったのだが、古代人のジェリー・パーカーの存在は大きかった。コロニー人達はパーカーを取り囲み、いろいろ質問したり腕に触れてみたりした。パーカーは仏頂面していたが暴れたりはしなかった。

「アメリカ・ドームのスター達のそろい踏みだね。」

と視察団の団長が上機嫌でケンウッド長官に挨拶した。ケンウッドはごく自然に聞こえるように彼に囁いた。

「パーカーは本当の地球人です。火星の博物館が彼を寄越せと言うのではないかと不安です。当人も宇宙への移送は希望していません。」

 すると団長は微笑んだ。

「それで彼は3日間我々の目から隠れていたのですな? 大丈夫だ、と彼に告げていただけませんか、長官。地球人として地球で成長した彼を今更博物館に連れ戻してどうなると言うのです? 」

 宇宙連邦の教育界で大きな影響力を持つ大富豪がジェリー・パーカーの地球帰属を保障する発言をした。
 女性の間から「黒い子がいないわ」と不満の声が上がったが、ケンウッドは「仕事に出かけました」と軽く受け流した。団長の言葉でかなり気分的に楽になった。
 セイヤーズがアリス・ローズマリー・セイヤーズと目を合わさない様に心がけていることがわかった。彼女の方も知らん顔している。仮に宇宙で妊娠が確認されても地球で種を仕込んだと思われたくないのだろう。
 ラナ・ゴーン副長官が顔を腫らしているアンリ・クロワゼット大尉を気遣うふりをした。彼女は大尉にお尻を触られたり、部下を嫌がらせから守ったりで3日間気苦労が絶えなかったのだが、ドームの副長官と言う立場上、寛大な態度でこの不良を見守る役目を演じた。彼女は大尉をぶちのめしたのがセイヤーズだと聞かされた時、内心とても嬉しかった。
 地球人類復活委員会は、スパイラル工業のCEOが大金を積んで法律を曲げたことを副長官には教えるなとケンウッドに言い含めていた。万が一ことが発覚した時、トップ2人が更迭となればアメリカ・ドームは大混乱になる。ラナ・ゴーンは何も知らない、それが安全策だと。
 しかし、ラナ・ゴーンは女の勘で、何か表沙汰に出来ないことがあったと薄々勘付いていた。夜中にセイヤーズが中央研究所に呼ばれたこと、アリス・ローズマリー・セイヤーズが深夜パーティーの席から消えていたこと、長官が一晩でげっそりやつれていたこと等から、ゴーンなりに推理を働かせていた。
 だから、ダリル・セイヤーズ・ドーマーが早朝にクロワゼット大尉を相手に大暴れしたと聞いて、副長官は独り言を呟いた。

「そう言うことね・・・」

 最後にハイネ局長が、視察団にドーマー達と握手してやって下さいと提案して、受け入れられた。レインは面倒だったので接触テレパスの働きを止めたが、スパイラル工業の女とクロワゼット大尉の時だけ情報を取り込んだ。
 女の思考は予想外に単純だった。美しいレインと最後に出会えて喜んでいた。ダリル・セイヤーズのことはこれっぽちも未練がないのだ。

 こんなつまらない女が俺のダリルを買ったのか・・・

 腹立たしいが、彼女は2度と来ない。2度と来ないのは、クロワゼット大尉も同じだった。軍人は心の中で呟き続けていた。

 2度と来るものか・・・地球なんか2度と来るか!・・・軍を辞めて辺境へ仕事を探しに行こう・・・

 視察団はある者は笑顔で、ある者は名残惜しそうに、またある者はホッとした顔でドームを去り、空港からシャトルで月へ向かった。

2019年5月14日火曜日

訪問者 2 3 - 5

 運動施設の闘技場で行われたダリル・セイヤーズ・ドーマーとアンリ・クロワゼット大尉の格闘技試合の結果は、忽ちドーム中に拡散し、視察団も執政官達もそれを聞いて内心「それ見たことか」と傲慢だった軍人の惨めな敗退にほくそ笑んだ。ケンウッドは秘書からその話を聞いた時は一瞬冷や汗をかいたのだが、視察団の団長から直後に電話をもらった。

「地球人と宇宙連邦軍の広報係官がちょっとした余興を行ったそうじゃないですか。」

 団長は連邦政府にも影響力の大きい某有名大学の学長だ。学長自身も大金持ちで公的私的に出資者様と言う、地球人類復活委員会としても無視出来ない存在だった。その人が、クロワゼットが恥をかかされたことを喜んでいる雰囲気を隠さなかった。

「地球人もなかなかやりますな。」
「お騒がせして申し訳ありません。」
「いやいや、みんな朝から楽しんだ様ですぞ。地球人との交流が少なかったので、面白かった様です。それにあの軍人は少々調子に乗り過ぎていましたな。」

 団長は、私も見たかった、と笑い、それから視察団の帰りの出立時刻を告げた。昼前の月へ向かうシャトルで帰るのだと言う。ケンウッドは時計を見て、3時間後だと計算した。

「ドーマーの代表達と共に送迎フロア迄お見送りしますよ。」
「そうですか。ひょっとして、遺伝子管理局長にも会えますかな?」

 そう言えば、まだハイネは視察団に挨拶していなかったな、とケンウッドは気が付いた。

「ええ、問題ありません。今朝の闘技場での試合の前に、彼がそこで運動をしていたのは確かですから。」

 ハイネは見送りには必ず現れる。だからその点をケンウッドは心配していなかった。問題は、セイヤーズが出て来るかどうかだ。ドーマーの代表として挨拶したメンバーが顔を出すのだが、昨夜の出来事の後だ。それに今朝彼は闘技場でクロワゼット大尉に恥をかかせた。
 団長は白いドーマーに会えることを楽しみにしていると告げて通話を終えた。
 ケンウッドは溜め息をついた。それから見送りにもう一人、どうしても顔を出さねばならない人物がいることに気が付いた。地球人の未来の鍵を握る男だ。JJ・ベーリングの能力のプレゼンと共に彼の存在を披露したかった。そして彼が地球人として地球に残る権利を大富豪達に保障してもらいたかった。しかし、ジェリー・パーカーは見世物扱いされると感じたのか、何処かに隠れてしまい、この3日間姿を現さなかった。
 取り敢えず、解決出来ることから処理しよう。
 ケンウッドはハイネ局長に電話をかけた。日課に取り組んでいる時刻だったので、当然ながら第1秘書のネピア・ドーマーが不機嫌な声で応答した。

「遺伝子管理局、局長執務室です。」
「おはよう、ネピア・ドーマー 。ケンウッドだ。局長に取り次いでくれ。」

 ネピアには明確な上から目線で物を言った方が効果がある、と最近になってやっと気が付いた。上下関係をはっきりさせることを日頃から心がけている男には、こちらが上なのだとはっきり態度で示すべきだ。
 果たして、ネピアは「お待ちください」と言って、直ぐにハイネに取り次いでくれた。
おはようございます、と挨拶してハイネは画面のケンウッドに優しく微笑みかけた。

「お疲れの様ですな。もう少しの辛抱ですよ。」
「うん。今日の午後が待ち遠しいよ。ところで、視察団の見送りの件だが・・・」
「必ず顔を出します。何時ですか?」
「午前11時半だ。11時に中央研究所のロビーに来てくれないか?」
「承知しました。」
「ドーマー代表達にも来てもらいたい。先日のメンバーだ。」

 するとハイネが困った顔をした。ケンウッドは一瞬セイヤーズの件だと思ったが、違った。

「クロエルが今朝中米に飛び立ちました。勿論仕事ですが、見送りが面倒臭いので逃げたのです。」

 青天の霹靂だ。セイヤーズが出席を渋っても、クロエルがいれば視察団も彼の話術に機嫌を直すだろうと思っていたのに。ケンウッドの落胆をハイネは敏感に見抜いた。遺伝子管理局長は言った。

「代わりにレインを行かせます。元々彼の役目の筈だったのですから。」
「彼は出てくれるだろうか?」
「セイヤーズが出るのですから、レインも行きます。」

 セイヤーズは来てくれるのか、とケンウッドは安堵した。今朝の闘技場での大暴れで気が済んだのだろう。

「では、局員の方はよろしく頼む。私はターナー・ドーマーとベーリングに声をかけておく。ああ、それから・・・」

 ダメ元でケンウッドはハイネに尋ねた。

「ジェリー・パーカーが何処に隠れたか、君は知らないだろうね?」
「パーカーはまだ隠れているのですか?」
「うん・・・」

 ケンウッドの顔が心細そうに見えたのだろう、ハイネがクックと笑った。

「では、部下を総動員して彼を引きずり出しましょう。」

2019年5月12日日曜日

訪問者 2 3 - 4

 セイヤーズはハイネ局長の言葉に耳を傾け、その隙を突かれた。顎に一発食らったが、直前に躱そうとしたので軽い衝撃で済んだ。ギャラリーが冷やかした。

「セイヤーズ、気を散らすな!」
「さっさと片付けて朝飯に行けよ!」

 声援の全てがセイヤーズへの応援なので、クロワゼット大尉は面白くない。視察団のメンバーも数名来ているのだが・・・。焦りが彼の判断を鈍らせた。彼は闇雲に攻撃を開始し、セイヤーズは余裕で躱し、相手の顎にアッパーを食らわせた。
 クロワゼット大尉は汗の雫を飛び散らせながら仰向けに倒れた。なんとか後頭部は守ったが暫く動けなかった。
 セイヤーズは相手が立ち上がるのを待っていた。大尉が首を振りながら起き上がった。

「よくも・・・」

 しかし、脚に来ているのか、反撃態勢に移れない。ふらつきながら構えを取ろうとした時、声を掛けた者がいた。

「そこまでにしておき給え、大尉。」
「少佐・・・」

 保安課のゴメス少佐が来ていた。クロワゼット大尉の元上官だ。

「君はその男には勝てない。彼は君の筋肉の動きを見ている。次の手も全部前もってわかるのだ。」
「しかし・・・」
「宇宙軍の広報がここで地球人と悶着を起こしてどうする?」

 クロワゼット大尉はやっと周囲の反応を見る余裕が出来た。彼を取り巻くどの目も冷ややかで非難めいていた。
 セイヤーズが尋ねた。

「勝負がついたと思って良いですか?」

 ゴメスがクロワゼットに目で命じた。負けを認めろと。
 クロワゼット大尉は渋々受け入れた。

訪問者 2 3 - 3

 ハイネは闘技場から出た。入れ替わりにクロワゼット大尉とダリル・セイヤーズ・ドーマーが中に入った。大尉がセイヤーズに言った。

「運動着に着替えてこい。胴着の方が良ければ、僕も着替えるが?」
「いいえ、これで充分です。」

 セイヤーズは身につけている部屋着を見回した。素足にスニーカーだったので、靴は脱いだ。

「実戦では敵が着替えを待ってくれることはないでしょう? 今のままの服装で充分ですよ。」

 闘技場の周囲にジム内にいたドーマーや執政官が集まり始めていた。皆大尉が何者か知っている。どんな人間かも大体知っている。そのコロニー人に1人のドーマーが闘いを挑んでいるのだ。もしかすると本日最大のイベントかも知れない。ハイネ局長が止めないのだから、これは「公認試合」だ。
 セイヤーズの言葉に、実戦経験があるクロワゼット大尉が赤くなった。

「ドームの囲いの中でぬくぬくと大事に育てられた地球人が、宇宙軍の精鋭だった僕を軽んじると言うのか?」

 彼は鼻先で笑った。

「僕が勝ったら、おまえのその服をひん剥いてここで素っ裸にしてやる。」

 セイヤーズも微笑した。

「では、私が勝ったら、ここで貴方はこのドーム内で迷惑をかけた人々に謝罪して下さいね。」

 クロワゼット大尉は「いいとも」と言うなり、いきなり拳を突き出した。しかしセイヤーズは僅かな動きでそれを躱した。大尉は勢いをそがれたが、そのまま態勢を持ち直して次の攻撃に出た。セイヤーズはそれもひょいと躱した。そして大尉の背中を平手でパンッと叩いた。からかったのだ。大尉の顔が怒りで歪んだ。
 セイヤーズとクロワゼットの闘いを眺めていたハイネはふと時計を見た。

「これはいかん、朝ご飯の時間だ。」

 規則正しい生活が長生きの秘訣だと思っている彼は、忙しく闘っている部下に声を掛けた。

「セイヤーズ、先に戻って朝飯にするからな! 君は今日は休みだが、朝ご飯はしっかり食えよ。」

訪問者 2 3 - 2

よりにもよって、こんな時にこんな場所に、何故ダリルが・・・寝ていたんじゃなかったのか?

 レインは振り返った。部屋着姿のダリル・セイヤーズがジムの入り口に立っていた。髪はぼさぼさで、いかにも寝起きの様子だが、目はしっかり開いていた。

「情報管理室から緊急呼び出しだと?」

とハイネが尋ねた。遺伝子管理局のチーフに呼び出しをかけるとなると、情報管理室は極めて重要性の高い通信を外から受信したのだ。セイヤーズが彼に気が付いて、「おはようございます」と挨拶した。

「何だか知りませんが、レイン本人にしか告げられない用件だと言うので、呼びに来ました。彼は電話を忘れて行ったので・・・。」
「忘れたんじゃない、置いて来たんだ!」

 レインはクロワゼット大尉がセイヤーズをジロリと眺めるのを視野の隅で捉えた。拙い・・・。
果たして、クロワゼット大尉はセイヤーズがゲストハウスでの面会に参加したドーマーだと思い出した。視察団の女性達が後で噂していた男じゃないか。レインが18年間探し続けて、やっと見つけ出し、連れ戻した因縁の恋人だ。こんな綺麗な男だったのか。
 クロワゼットは楽しくなった。美しい地球人男性が目の前に大勢いる。その中でもとびきりの上玉が3人、全員揃っている。
 
「緊急ならば、さっさと行った方が良いな、レイン。保安課を怒らせるなよ。」

 ハイネがのんびりと言った。レインをジムから去らせたいのだ。レインは躊躇った。局長も恋人もクロワゼット大尉の嫌がらせから守りたい。しかし、呼び出しを無視出来ない。セイヤーズがじれったそうに言った。

「早く行けよ、ポール。情報管理室は気が短いぞ。」

 仕方なく、レインはジムの出口に向かって歩き出した。セイヤーズがついて来るかと期待したのかゆっくりと歩いて行ったが、セイヤーズはついて行かなかった。セイヤーズはレインとクロワゼット大尉の間に割り込む形で立った。

「クロワゼット大尉?」
「そうだが?」
「視察団は今日の昼にはお帰りになるのでしょう。さっさと部屋に戻って荷造りされてはいかがです?」
「その前に朝の運動をしたくてね・・・」
「成る程ね。」

 セイヤーズがハイネを見た。目で「勝負しても良いですか」と尋ねてきた。ハイネは微かに笑って頷いて見せた。 セイヤーズが現れなくても、彼は自身でクロワゼット大尉と勝負するつもりだったのだ。大尉をここで叩きのめして部下達の仇を取る計画だった。だから、昨夜執政官の1人に頼んで、自身の早朝訓練のスケジュールをさりげなく大尉に囁いてもらったのだ。しかし、セイヤーズが立候補したのであれば、あっさり譲ってやろう。

 この男は昨夜の鬱憤を晴らしたいのだ。

 セイヤーズが大尉に声をかけた。

「お強いそうですね。一つ、お手合わせ願えませんか?」

2019年5月11日土曜日

訪問者 2 3 - 1

 翌朝、ローガン・ハイネ・ドーマーはいつもの時刻に起床すると運動着に着替え、ジョギングに出かけた。軽く走り、運動施設に到着し、今度は闘技場へ入った。道着には着替えず、そのまま利用手続きを済ませて、一人闘技場のリングに立った。演武の練習だ。早朝なので運動施設を利用しているのは夜勤帰りのドーマーか、夜通し研究室で働いていたコロニー人ぐらいだ。日勤の者達が出てくるのはまだ早過ぎる時刻だった。
 ハイネはリング周りに数人の男達が来て彼の練習風景を見物しているのを意識した。普段は気に留めないのだが、この日は違った。彼は人を待っていた。昨夜、長官執務室を出たところで出会った執政官に頼みごとをした。彼が闘技場で練習をすることを、視察団にそれとなく伝えて欲しい頼んだのだ。執政官は人々の注目を集めることを避けているハイネがそんな頼みごとをしたので、訝しがったが、そのうち彼の意図を察した。

「局長、危険なことは止めて下さいよ。」

とその執政官は忠告した。

「貴方はこのドームにとって重要な人だ。相手は貴方のお歳を信じていない。無茶を仕掛けてくるでしょう。」
「お気遣い有り難うございます。しかし、私は勝ち負けを問題にしていません。相手に恥をかかせたいだけなのです。適当に手を抜きますよ。」

 ケンウッド長官に知れたら、絶対に止められるので、ハイネもその執政官も黙っていた。幸い、ケンウッドは2人のセイヤーズの問題で頭がいっぱいだったので、晩餐会の会場で白いドーマーが現れる場所が判明したと囁かれるのを聞き逃した。
 リング周辺の見物人の輪が崩れ始めた。保安課のドーマー達が出勤する為にロッカールームへ移動始めたのだ。その人の流れの向こうに、こちらへ近づいて来る男の姿があった。運動着を着ているが、その服の下の筋肉のつき方が半端でない。事務方で仕事をしていると聞いていたが、普段から鍛錬を欠かさないのだろう。上手く餌に食いついたな、とハイネが思った直後、思わぬ声が接近する男の背後から聞こえた。

「おはようございます、局長。お早いですね!」

 接近しつつあった男が立ち止まって、後ろを振り返った。ハイネも動きを止めて、声の主を見た。

「おはよう、レイン。もう君が走る時刻なのか。」

 何故お前がここにいるのだ? とハイネは内心苦々しく思った。ポール・レイン・ドーマーはまだアパートにいなければならない。中央研究所から戻った筈のダリル・セイヤーズ・ドーマーが休息する間、そばに付き添ってやって欲しかった。それなのに、この瞬間、レインはハイネが打ちのめそうと狙っているコロニー人の軍人の後ろに立っていた。

「レイン?」

 ハイネの声を聞いて、アンリ・クロワゼット大尉が目を見張った。

「あのスキンヘッドの『美人』なのか?!」

 髪の毛があるレインを見て、驚いていた。ポール・レイン・ドーマーは最近髪を伸ばし始めた。恋人セイヤーズを取り戻し、ドームの行政府に対する反抗心が和らいだのだ。それに彼は自身の緑色に輝く黒髪が、セイヤーズが作り育てたクローンの息子のもう一人の親がレインなのだと周知させたかったのだ。
 レインが闘技場に現れたのは偶然だった。この男は子供時代から生活習慣を変えずに生きてきた。早朝ジョギングは彼の生活になくてはならない一行事だ。だから眠るセイヤーズをアパートに置いて、彼は出かけた。そしてクロワゼット大尉が闘技場に向かっているのを発見した。そして闘技場のリング上には、ローガン・ハイネが純白の髪を波打たせながら、素晴らしい筋肉美を披露しながら演武の練習に励んでいた。
 クロワゼットは真っ直ぐリングに向かって歩いていた。この軍人は以前の訪米の折にもハイネとの格闘を希望した。しかしヤマザキ医療区長が反対し、ハイネも体調不良を理由に断った。勿論、ハイネは無駄な闘いを避けたのだ。レインは聡い男だったので、それを理解出来た。しかし今回、ハイネは前夜退院して、早朝から運動に励んでいる。クロワゼットが模擬試合を申し込んでくれば拒否出来ないだろう。
 レインはクロワゼットが自分に注意を向けた隙に局長に消えてもらいたかった。クロワゼットごときくだらぬ男に、ドームのスターが相手をする必要はない。それがレインの持論だ。しかし、ハイネは複雑な表情を一瞬浮かべ、レインに言った。

「そろそろ打ち合わせの時間だろう、レイン。」
「局長も・・・」

 ドーマー達に無視されていることも気にせずに、クロワゼット大尉はレインに近づこうとした。2年前にキスを奪ったドーマーが髪を伸ばして美しさを増している。
 その時だった。

「ポール、情報管理室から緊急の呼び出しだ!」




2019年5月10日金曜日

訪問者 2 2 - 13

 ケンウッドは自身の執務室の休憩スペースで上着を脱いだままの状態で仮眠をとった。コンピュータが検体採取室から人が退室した合図を鳴らしたのは午前3時を回った頃だった。ケンウッドは浅い眠りから目覚め、コンピューターの前に立った。検体採取室の内部の様子を見る操作をすると、セイヤーズが一人でベッドに横たわっていた。毛布だけ体にかけて休んでいる様だ。女はいなかった。
 アパートに戻してやらなければ、とケンウッドは思った。自宅でゆっくり休ませるべきだ。
 彼は執務室を出ると、ゆっくりと検体採取室があるフロアに向かった。セイヤーズにも10数分程は仮眠させてやろうと思ったので、急がなかった。
 地球の時間を気にしないコロニー人達が各自の研究室で仕事をしている灯りが見えたが、検体採取室のフロアは静かだった。アリス・ローズマリー・セイヤーズ女史が部屋を出入りする姿を見られないように、ケンウッド自ら執政官達の立ち入りを禁じたのだ。時間限定だし、ドーマー達は普通夜間は研究目的の仕事に参加しない。地球人は原則的に夜は休ませることになっている。夜勤はドーマー達自身で仕事のシフトを決めて行うことで、コロニー人は口を出さないのだ。
 ケンウッドは検体採取室に静かに入った。セイヤーズはモニターで見た時と殆ど同じ姿勢で眠っていた。

「起きなさい、セイヤーズ・・・」

 ケンウッドは優しく声を掛けながら肩を揺すった。セイヤーズが反射的に体を仰向けにして声がした方へ拳骨を突き出した。

「おっと!」

 ケンウッドは彼の拳骨を両手で包み込む様に受け止めた。キャッチボールのボールを掴む感じだ。両腕に軽い衝撃を感じたが、苦痛ではなかった。

「レインが君を起こすのを嫌がる訳だな・・・」

 セイヤーズが覚醒した。目を開き、周囲を見た。検体採取室だと彼は認識した様だ。彼が上体を起こしたので、ケンウッドは彼の手を離して少し後ろに退いた。

「気分は悪くないか?」
「いいえ・・・今何時です?」
「午前4時だ。起こす様な時間ではないが、アパートで休ませたかったのでな。」

 セイヤーズはまだ産まれたままの姿なのに気が付いた。検査着を捜しかけたので、ケンウッドは傍の棚に置かれていた彼が着てきた服を渡した。セイヤーズが服を身につけている間、ケンウッドは壁を見ていた。着衣が終わる頃に、彼は言った。

「コロニー人の身勝手を許してくれ。」
「許す? 何をです?」

 セイヤーズは頭の中がまだすっきりしない気分だった。只の疲労なのか、それとも思考がまとまらないだけなのか。

「君の意思を確認してから決めなければならないことを、評議会が勝手に決めてしまった。」
「ドームがいつもやっていることを、あの女性が1人でしただけでしょう。」

 言ってしまってから、セイヤーズは後悔した。ドームがしていることは、地球人の未来の為の研究だ。しかし、昨夜の出来事は、1人のセレブの女が自前の子孫が不出来なので自身のクローンが産んだ子供を父親にして新しい子孫を創ろうとしただけだ。ドームの事業と金持ちの我が儘を同じ次元で考えてはならない。
 謝ろうと振り返って、彼は愕然とした。ケンウッドはげっそりとやつれていた。頬には無精髭を生やし、目は寝不足で赤かった。長官はセイヤーズを金で売ってしまった委員会の一員として、後悔し悩んでいるのだ。

 この人は、私を売るまいとして抵抗してくれたのだ。

 セイヤーズはケンウッドに近づき、肩に手を掛けた。

「ドーマーの役目は子孫を残すことでしょう。あの女性が個人的に私を利用しただけです。どうか気に病まないで下さい。それに、私はそれなりに楽しみましたから。」

 快楽に浸ったのは事実だった。アリス・ローズマリーは上手にリードしてくれたのだ。男は快感がなければ役に立たないから。セイヤーズは初めての異性体験に夢中になり、3回絶頂に達して最後は意識を失ってしまった。

「君は優しいなぁ」

とケンウッドは呟いた。

「セイヤーズ女史が息子に欲しがるのも無理はないだろう。」
「私は彼女の役に立ったのでしょうか?」
「さて・・・受精はまだだろうし、受精に成功したとして着床まで12,3日はかかる。結果が出るのは彼女がコロニーに帰ってからだな。」
「もし失敗したら?」
「2度目はない。そう言う約束だ。」

 ケンウッドはきっぱりと言い、セイヤーズを安心させた。

2019年5月9日木曜日

訪問者 2 2 - 12

 午後9時を過ぎた頃、ポール・レイン・ドーマーは自宅アパートにて一人でテレビを見ていた。恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーはケンウッド長官から中央研究所へ出頭せよと指示を受けて出かけていた。
 ドーマーが中央研究所に呼ばれるのは、十中八九「お勤め」だ。セイヤーズは地球人の命運が掛かった遺伝子を持っているので、執政官が研究に必要だと思えばいつでも呼び出される。レインは彼を気の毒に思ったが、ドーマーの存在理由は「研究に使われる地球人」なのだから、文句を言えない。見返りに生まれてから死ぬ迄安全で清潔なドームの中で大切にされながら生活出来るのだ。
 レインの端末に電話が着信した。部下からだろうと軽い気持ちで手にして画面を見ると、ハイネ局長からだったので、彼はちょっと慌てた。急いでテレビを消すと、電話に出た。

「セイヤーズは中央研究所に行ったか?」

とハイネが開口一番に尋ねた。レインが「はい」と答えると、ハイネは躊躇なくセイヤーズの身に起ころうとしていることを語り始めた。

「セイヤーズを呼んだのは、長官でも執政官達でもない。今夜ゲストハウスで騒いでいるコロニー人の一人だ。」
「コロニー人が? 科学者ですか?」
「否、スパイラル工業のCEOだ。」

 宇宙の情報を得る機会を制限されている地球人でも、その企業の名前は知っていた。宇宙船建造の最大手で、宇宙連邦の至る所に支社や支店を置き、工場も持っている。その下請けに至っては、それこそ星の数程もある。地球の企業も、スパイラル工業の製品や部品を購入しているのだ。ある意味、一大帝国を築いている企業だ。
 レインはその有名大企業のCEOはどんな人物だったか思い出そうとしたが、彼が思い出す前にハイネが言った。

「CEOは、アリス・ローズマリー・セイヤーズと言う女だ。」

 残念ながら前日の視察団への挨拶を拒否したレインの記憶に、その女性の顔はなかった。だが、名前に引っかかるものがあった。

「セイヤーズと仰いましたか? ダリルの母親のオリジナルと関係があるのでしょうか?」
「オリジナルその人だ。」

 レインは驚き、それからオリジナルが自身のクローンが産んだ息子を見たいのだと思った。しかし、ハイネは彼が仰天する情報を出した。

「セイヤーズ女史は、セイヤーズ・ドーマーとの間に子供を作ろうとしている。だから、彼を呼んだのだ。」
「子供を作る・・・って・・・ダリルの母親のオリジナルでしょう?」
「彼女はオリジナルだが、セイヤーズ・ドーマーの母親ではない。」
「でも遺伝子が・・・」
「全く同じではない。セイヤーズ・ドーマーの母親は女の子を産めない。」
「しかし・・・」
「スパイラル工業は同族会社だ。親族の中の優秀な人間が経営の舵を取る。だが、彼女は自身の子供達を凡人だと断じている。数億の社員の生活を守り、宇宙連邦の秩序を守る力量がある人間ではないと、彼女は息子達を見切っている。」
「それでは、ダリルの子供を産んで、会社の後継者にするつもりですか?」
「そうだ。彼女は賭けに出た。ドーマーの子供が優秀な経営者になれるとは限らん。だが彼女は藁にもすがる思いで、地球人類復活委員会に莫大な寄付をして、ドーマーと一夜を過ごす許可を取り付けたのだ。」

 レインは眩暈がしそうな気分だった。

「委員会は、ダリルを売ったのですか? 一夜限りの男娼として?」
「一夜限りの配偶者だ。ケンウッド長官は猛反対したがね。」

 ハイネはケンウッドの名誉の為に後の言葉を付け足したのだ。このドーム内にいるコロニー人は誰も悪くない、とレインに感じさせなければならない。例え一人のドーマーだけでも、反抗させてはならなかった。南北アメリカ・ドームの平和を守る為に、ドーマー達に執政官へ不信感を持たせてはいけない。その昔、彼をドーマーのリーダーに据えて地球人達を統制しようと言う執政官達の考えを、ハイネは自覚しないまま、彼自身の「我が家」を守ろうとしていた。

「セイヤーズはやっと一人前の男になる。それに、彼は遺伝子を元の人間に戻してやるだけだ。そう割り切って考えたまえ。」

とハイネはレインに言った。セイヤーズとレインは互いの肉体を愛し合う仲だが、レインが既にJJ・ベーリングと男女の関係になっているのに対して、セイヤーズはまだ異性に関して童貞だった。それが今夜、やっと・・・

「本人には不本意な状況だろうが、こちらは金以外にも良い結果を得られる。」
「何でしょう?」

 レインは恋人が男娼扱いされている様な気がして不満だったので、ちょっと反抗的な口調で質問した。

「セイヤーズがコロニー人を喜ばせることが、我々の利益になるのですか?」
「利益ではないが・・・」

 ハイネはニヤリとしたと思われる雰囲気を声に滲ませた。

「厄介払いが出来る。」
「厄介払い?」
「夜が明ければわかる。」

2019年5月8日水曜日

訪問者 2 2 - 11

 ケンウッドとハイネは中央研究所の長官執務室に入った。ケンウッドは自身のコンピュータから大急ぎで検体採取の許可申請を遺伝子管理局に提出した。ハイネは自身の端末でそれを確認すると、端末から遺伝子管理局長の承認を入力した。
 ケンウッドは時計を見た。そろそろゲストハウスでの晩餐会は終盤に入る頃だ。長官は視察団の招待客と言う立場なので、会場に戻らなければならない。

「ハイネ、私がセイヤーズに出頭命令を出す。異例だが、違反ではない筈だ。」
「確かにそうです。」
「その間に君はレインに事態を説明してくれないか? 恐らくあの男は接触テレパスでセイヤーズの身に起きたことを知ってしまうだろう。彼が憤る前に、君の口から納得させてやって欲しい。 本来なら私が説明しなければならないが、これから会場へ戻らねばならないのだよ。」

 ハイネはあっさりと承諾した。

「承知しました。部下を納得させるのは私の仕事です。ゲストハウスへお戻りなさい。私は本部へ向かいます。」

 ケンウッドはダリル・セイヤーズに21時に中央研究所に来るようにとメールを送信した。返事は数秒後に来た。一言、「承知しました」だった。
 ケンウッドとハイネは長官執務室を出た。無言で廊下を歩いていると反対側から一人の執政官がやって来た。ハイネがケンウッドに囁いた。

「私はちょっと彼に用事があるので、今夜はここでお別れしましょう。」

 遺伝子管理局長の方から執政官に直接用件を伝えるのは珍しい。しかしケンウッドは気が急いていたので、素直に彼の言葉を受け取った。

「わかった。一人で大騒ぎしてすまなかった。後はよろしく頼むよ。」

 ハイネは頷き、近づいて来た執政官に声を掛けた。ケンウッドは急いでエレベーターに乗り込み、ゲストハウスに向かった。

訪問者 2 2 - 10

 ケンウッドは医療区に急いだ。走りたかったが、長官がドタドタ走り回るのはみっともないし、住民達に不安を与えるので、すまし顔で足早に歩いた。受付はフリーパスなので、そのまま入院病棟へ入った。
 ハイネは視察団が来る時の指定部屋にいて、ケンウッドがガラス窓の前に来ると、丁度ロボットが空になった夕食の食器を下げて出て行くところだった。ハイネは部屋に設置された事務机に向かおうとして、ケンウッドに気が付いた。微笑んで手招きすると、彼は面会者用の椅子を事務机のそばに置いた。
 ケンウッドは消毒スペースを通り、室内に入った。ハイネは病気ではないが、病室に居るので、寝巻きを着せられていた。それ以外はいつもの彼だった。

「お疲れの様子ですな。」

 ケンウッドが椅子に座るなり、彼の方から声を掛けてきた。ケンウッドは時間を惜しんで、いきなり本題に入った。

「困った出資者様がいてね、無理難題を迫られている。」

 彼はアリス・ローズマリー・セイヤーズの要求をハイネに語った。勿論、ハイネはケンウッドと共にベルトリッチ委員長からセイヤーズ女史の要求を聞かされている。ケンウッドの愚痴は、彼女が翻意してくれないことだった。ケンウッドはどうしても彼女が金の力でドーマーのセイヤーズを抱くことが許せない。ドーマーは男娼ではないのだ。
 しかしハイネはケンウッド程にも事態を憂いていなかった。

「成り行きはダリル・セイヤーズ本人に任せなさい、長官。」

と彼は穏やかな口調で言った。

「あの子はもう良い大人です。それに、コロニー人の女性は彼を縛り上げるのではないでしょう。」
「それはそうだが・・・」
「行為をするもしないも、男の意思次第ですよ。」

 そして、ハイネは立ち上がり、ベッド側の小さなクロゼットに歩み寄った。寝巻きを脱ぎ捨て、彼自身の服を身につけ始めた。

「退院します。どうやら遺伝子管理局の業務になりそうなので。」
「ハイネ・・・それはどう言う・・・」

 戸惑うケンウッドに彼は説明した。

「ダリル・セイヤーズはドーマーとして今夜『お勤め』をするのです。貴方は直ぐに遺伝子管理局に『お勤め』の要求を提出して下さい。私が承認してセイヤーズに出頭命令を出します。」

 ケンウッドは必死で頭を回転させた。ハイネは何か彼の気分を楽にする策を考えてくれたのだ。それは・・・

「セイヤーズ・ドーマーとセイヤーズ女史を検体採取室で会わせるのか!」

 2人のセイヤーズがそこで何をしようと、それはドームの研究を目的とした業務になる。ゲストハウスの客室で会うのとは意味が違って来るのだ。
 ケンウッドは端末を出し、急いでヤマザキ医療区長に遺伝子管理局長の退院命令を出した。本物の病人なら医療区は拒否出来るが、ハイネは病気ではない。ヤマザキはケンウッドの命令を拒否出来なかった。
 3分後に、ハイネの端末に退院許可証が送られてきた。

2019年5月7日火曜日

訪問者 2 2 - 9

 夕方近くに出資者様御一行がドームに帰って来た。今回の団体は泊りがけの旅行を希望しなかったのだ。当然、厨房班は食事の支度を済ませていて、ゲストハウスでビュッフェパーティを行った。
 ケンウッドは出席する必要はないと自身で思ったが、団体側から招待された。ゴーン副長官共々もてなしへの感謝を告げられ、順番に富豪達の話し相手をする羽目になった。
問題のセイヤーズ女史がそばに来た。彼女も礼を述べてから、彼に囁いた。

「今夜、21時にあの子を呼んで下さいます?」
「どうしても、ですか?」

 ケンウッドは相手を怒らせるかも知れないと覚悟しつつ、抗議の声で囁き返した。

「私は賛成しかねますが・・・」
「どうか、宇宙連邦のためだとご理解下さい。」

と女史。

「我が社は一つの惑星政府に匹敵するほどの大企業です。その舵取りをする人間は、凡人では務まりません。役員会は優秀ですが、我が社は同族企業でリーダーが必要なのです。私の息子達は能力不足です。どうしても優秀な子供が必要です。」
「あの男の子供が貴女の希望される才能を持って生まれるとは保証出来ませんよ。」
「わかっています。でも賭けなければなりません。会社が傾けば、惑星規模の失業者が出るのです。これは絶対に防がなくてはなりません。」

 そして彼女はさらに声を低めて彼に言った。

「もし失敗して子供が出来なくても寄付金はそのまま委員会のものです。ご安心下さい。」

 そんなことを心配しているのではない、とケンウッドは言おうとした。しかしそこへ次の順番の富豪が来たので、女史は笑顔を彼に向けてから立ち去ってしまった。
 ケンウッドはその後も女史へ接触を試みたが、セイヤーズ女史は人気者で忙しく、彼の元へ戻って来なかった。
 仕方なく、ケンウッドはトイレに立つフリをして、ホールから出ると、ヤマザキに電話を掛けた。

「ケンタロウ、今すぐハイネに面会出来るかい?」
「ああ、夕御飯が終わる頃だ。入院中の彼は食事時間が早いからね。グズグズしていると寝てしまうぞ。」

 ヤマザキがのんびりした声で答えた。ケンウッドは「直ぐに行く」と応じた。そしてゴーン副長官にメールした。

ーー医療区に行きます。ハイネに面会するだけなので直ぐに戻ります。

 ゴーンから返事が来た。

ーーまだ時間の余裕があります。ごゆっくりと語らって来て下さい。局長によろしく。


2019年5月6日月曜日

訪問者 2 2 - 8

 晩餐会は穏やかに進行した。富豪の出資者様達は執政官やドーマーの給仕係には余り関心を向けず、ケンウッドにとって有難いことに、互いのビジネスの話に没頭してくれた。経済や辺境開発の資金繰りの交渉や、兎に角地球へ来てまでわざわざそんなことを話し合うのか? と思える話題ばかりだった。
 ビュッフェタイプのコーヒータイムになるとゴーン副長官がケンウッドのそばに来た。

「実業家ばかりで、遺伝子の解説を理解して下さっているのかどうか、不安ですわ。」

と彼女が囁いた。ケンウッドは彼女を慰めた。

「少なくとも、ドーマー達や出産管理区の地球人女性達に無用の関心をもたれるよりましですよ。」

 ゴーンは昼間、到着したばかりの客を出産管理区とクローン製造部の見学に連れて行ったのだ。

「赤ちゃんや女性達の待遇に関心を持って下さったのは、良かったです。今回の出資者様の半分以上が女性ですからね。地球のファッションにも注意を向けられました。
 クローン製造部はいつもと同じで駆け足でした。試験管の中の胎児は見て気持ちの良いものでないのでしょう。」
「あの人達は自分のお腹で子供を育てたりしない人種だからね。」

 セイヤーズ女史は自腹で子供を育てるつもりだろうか。ケンウッドはまだあの大富豪の希望を受け容れられない己の心を持て余していた。女史は何時セイヤーズを呼ぶのだろう。
 晩餐会に来る前、セイヤーズとセイヤーズ女史は2人きりで外を散歩した。どんな内容の話をしたのか、ケンウッドは尋ねる権利を持たなかったし、セイヤーズからも報告がない。困った要求を受けたのであれば、相談してくれて良さそうだが、セイヤーズは何も言わない。ハイネ局長がいれば相談するのだろうか。それともポール・レイン・ドーマーには何か語ったのだろうか。
 視察団の日程2日目は、観光に当てられていたので、コロニー人達はドームの外に出かけて行った。宇宙では見ることが出来ない植物が多い森林地帯や海を見るために南の地域に出かけた。臨時便の飛行機を運航するので、遺伝子管理局の南方向へ出かける任務は休業だ。つまり、北米南部班、中米班、南米班は1日だけ休んだ。
 たったそれだけなのに、ドームの中の人口が急に増えた感じがして、ドーマー達は朝から遺伝子管理局本部内が賑やかだなぁと思った。ジョン・ケリー・ドーマーと囮捜査官ロイ・ヒギンズも帰って来て、ヒギンズなどは事務仕事がないので朝からジムやプールでくつろいでいた。たまには羽根を伸ばすのも良いだろう。
 問題のクロワゼット大尉も今回は素直に出かけた様子で、ケンウッドはその日の夕方迄は彼自身の業務に専念出来た。

訪問者 2 2 - 7

 面会は無事に終わったが、ケンウッドはセイヤーズに少し時間を割いて残るようにと言った。ターナー・ドーマーとクロエル・ドーマーはホールの外に出て行った。ラナ・ゴーン副長官が視察団に夕食が準備されている研究所の食堂へ案内しますと言って、彼等を誘導して去った。
 1人だけ、客がホールに残った。先刻のブロンドの女性だ。訪問者用のお仕着せを着て、首からヴィジターズパスを提げている。ケンウッドはセイヤーズに彼女を紹介した。

「火星第2コロニーの行政長官で、航宙艦造船で有名なスパイラル工業のCEOでもある、アリス・ローズマリー・セイヤーズ女史だよ。」

 セイヤーズがケンウッドを見た。客の名前の意味するところを何となく察したようだ。セイヤーズ女史が薄情そうな笑みを浮かべた。

「そう・・・貴方が私のクローンが産んだ子供なのですね。」

 セイヤーズが表面上何の反応も示さないので、ケンウッドは溜息をついて、女史に言い訳した。

「ドーマーは肉親を懐かしがらないよう教育されていますので。」
「お気遣いなく。」

とセイヤーズ女史。彼女はドーマーの目を覗き込んで尋ねた。

「お母さんに会ったことはないのでしょう?」
「名前も知りませんよ。」

 ダリルと言う名前は父親からもらった名だ。しかし、姓のセイヤーズは母親のオリジナルの家系のものだから、実際の生みの母の姓はセイヤーズではない。セイヤーズはきっと目の前の女性は生みの母とそっくりの顔なのだろうと思ったが、懐かしさは湧かなかった。

「では、何処でどうしているのかも知らないの?」
「ええ。」
「会いたくない?」
「いいえ。」

 ケンウッドはデジャヴューを覚えた。そうだ、ポール・レイン・ドーマーともこれに似た会話をしたはずだ。あの時、彼はセイヤーズなら肉親の情を理解出来ると思った。彼には息子がいるから。しかし、あれは思い違いだったらしい。ダリル・セイヤーズ・ドーマーも他のドーマー達と同じだ。「親」と言う存在を遠いものとしか認識していない。
 セイヤーズ女史が質問の方向を変えた。

「進化型1級遺伝子を持って、良かったと思う? 」
「即答しかねます。仕事に役立つことはありますが、私個人にとっては役に立たないどころか、自由を制限される要因ですから。」

 セイヤーズが反対に自身の方から質問した。

「お子さんはいらっしゃるのですか?」
「3人いますよ。息子ばかり。」

 彼女はニヤリとした。

「3人共、進化型の遺伝子は受け継がなかったようです。所謂、ぼんくらで家業に向かない長男は大学で研究者の道を進んでいます。惑星開発用の農産物の研究です。次男は私の下で経営者になる修行中ですが、まだまだです。人をすぐに信用してしまう甘さが抜けません。三男は反対に思いやりに欠ける男で、やはり我が社で働いていますが、部下の受けが良くなくて頭痛の種です。」
「最初から役員に就けたのではないでしょうね。使いっ走りからさせるべきですよ。」
「ご進言有り難う。」

 セイヤーズ女史はケンウッドを振り返った。

「この子が息子だったら良かったわ。」
「お持ち帰りは厳禁です。」

 珍しく冗談を言って、ケンウッドはこの個人面談を終わらせた。

2019年5月5日日曜日

訪問者 2 2 - 6

 ゲストハウスはドーマーや執政官の居住区域と中央研究所の間にあって、建物としてはこじゃれた20世紀初期のヨーロッパ風の外観をしていた。ドーマー達はこの建物の維持を担当している住居班以外使用したことがないので、中がどんな間取りなのか知らない。
 JJ・ベーリングはそつなくプレゼンをこなし、才能を出資者達に理解させることに成功した。コロニー人達は彼女の視力や脳の構造を知りたがたったが、それはドームの研究対象ではないのだとケンウッドは言った。引率係の地球人類復活委員会の役員も、彼女の能力の分析は委員会が扱う研究の範疇を超えていると言い訳した。
 拍手の音に送られながらJJがホールから出て行った。数分後に入れ替わりで3人の男性ドーマー達が入ってきた。クロエル・ドーマー、ジョアン・ターナー・ドーマー、それにダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。
 拍手で迎えられるのは照れ臭い。ケンウッドは3人に彼の横に並ぶよう促した。

「後ほど自由時間にいくらでもドーマー達と接する機会があろうかと思いますが、基本的に仕事以外でドーマー側からコロニー人に話しかけることはしません。ドーマーは地球人であると自覚させる為に、幼少期からコロニー人を無視するように教育しているからです。」

 3人の紹介の後、ケンウッドは説明した。故意に視察団をドーマーに近づけまいと牽制した。今回、視察団に例の軍人が参加していると言う情報はドーム中に拡散しており、ドーマー達が視察団に近づきたくないと思っているのは事実だ。ケンウッドは秘書のチャンにそれを思い出させてもらい、予防線を張った。「ですから」と彼は続けた。

「ドーマーに質問がありましたら、この場で、ドーマーを代表して来てくれた3人にお願いします。」

 視察団のうちの数名は既にこの企画を過去に経験済みだった。そして維持班のターナー・ドーマーは仕事柄宇宙で製造された機械や部品の購入でコロニー人と接する機会が多かったので、視察団の中に顔馴染みが出来ていた。彼は設備の維持や新規設置に関するドームの方向性など、建設関係の質問を受けた。
 プライバシーに関する質問は御法度となっていたが、クロエルは女性達からドーム内のファッションについて質問を受けた。彼の服装やヘアスタイルのセンスが抜群に素晴らしいと宇宙でも評判になっていたのだ。クロエルは「おっかさん」の表情を伺って、「喋っても良い?」と目で了解を求めた。ラナ・ゴーンは真面目な顔で頷いた。それで、彼は語り始めたのだが、好きな話題と言うこともあって、どんどん熱が籠もり、早口になって女性達とのファッション論議に時間を取った。
 お陰でセイヤーズは持ち時間が少なくなった。彼への質問は、遺伝子がもたらす生まれ持った才能を活かす為に、どんな未来設計を描いているか、と言う随分抽象的なものだった。勿論質問者は彼の進化型1級遺伝子の存在を知っているのだ。セイヤーズは返答に窮した。

「私は能天気ですから・・・」

と彼はぼそぼそと喋った。

「私の脳が周囲の地球人とどう違うのか、考えたことがありません。たまに私の行動が他人を驚かせて、それが遺伝子から来る能力の発現だと言われるのですが、私は意識して使っている訳ではないので、他人と違うと言われても困るのです。」
「つまり・・・」

と口をはさんだ者がいた。赤みがかったブロンドの女性だ。ケンウッドは彼女が問題のCEOだと気が付いた。

「先刻にプレゼンをしてくれたJJ同様、貴方には当たり前のことなので、活かすも何も特別に発展させたいとか才能を伸ばしたいとか考えていない、と言うことですのね?」
「ええ、その通りです。」

 女性は質問した男性に向かって、

「地球人はスーパーマンを愛しますけど、スーパーマンが増殖することは望まないのですわ、グールド氏。セイヤーズ・ドーマーはそれを本能的に悟っているのでしょう。」

と言った。セイヤーズは心の中を見透かされたようで、ドキリとした。グールドと呼ばれた男が薄笑いを浮かべた。

「しかし、彼の子供達はかなりの数でしたな。全部進化型の遺伝子を受け継いでいるのですかな?」

 セイヤーズの子種で生まれた胎児達のことを言っているのだ。ドーマーの子供達はクローンではなくコロニー人女性から提供された卵子との体外受精児だ。セイヤーズの子供が女の子だったら、必ず進化型遺伝子を持っている。
 ケンウッドがこの質問に答えた。

「ドーマーの子供達は実験体ですから、遺伝子組み換えを行うこともあります。セイヤーズのX染色体は必ずチェックしています。先ほどのJJが進化型遺伝子の位置を特定しましたので、その部分だけ手を加えました。ただし、JJは遺伝子がもたらす結果を見るのではありませんから、実際に子供達がどんな能力を持って生まれるかは、彼等が人工子宮から出る迄わかりません。」

 「ほう」とグールド氏は呟き、セイヤーズに向き直って言った。

「試験管ではなく生で子供をつくりたいだろうね。」

 この露骨な表現に、女性陣から抗議の声が上がり、男性達も彼を睨んだので、グールド氏は己が下品な事を口にしたのだと気づいて、「失礼」と詫びた。
 セイヤーズは、そしてケンウッドも視察団の最後列に座っている50歳近い男が笑うのを見た。その顔は知っていた。クロワゼット大尉だった。

2019年5月3日金曜日

訪問者 2 2 - 5

 宇宙から客が来るからと言って、ドーマー達が特別何か準備をする訳ではない。いつもより掃除を丁寧にとか、花を飾って、とかそんなこともしない。
 忙しいのは執政官達で、ケンウッド長官以下、客がドームの事業の進展を理解出来る様資料の整理や作成に忙殺されていた。JJはとりわけ忙しく、塩基配列が見えることの証明をパフォーマンスで披露しなければならず、サンプル作成に没頭していた。ハイネ局長は自ら医療区に出頭して入院した。慣れていたし、ヤマザキの下剤作戦は御免だった。忙しさで気を紛らわせているケンウッドを励ましたかったが、これはセイヤーズの問題だ。若い部下がどう感じ上からの指示にどう従うか、それはハイネにもわからなかった。
 視察団は20名だった。各コロニーを代表する大企業の経営者や著名な大学教授達だ。彼等は、手順通り月で地球滞在中の注意事項を与えられ、宇宙船内で消毒を受けた。そして来訪者が着用を義務づけられているスーツに着替え、静かに地球に降り立った。
 特に歓迎式典はなかった。これは視察団側からの希望で、彼等の世話で地球人の手を煩わせたくないと言うのだった。初日はドーム内の見学で、特にドームの主要施設である出産管理区と地下のクローン育成施設に重点が置かれた。
  夕方近くになって、仕事に没頭しているポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーの端末にそれぞれ連絡が入った。セイヤーズへの連絡はラナ・ゴーン副長官からで、半時間後にゲストハウスのロビーに来るようにと言うものだった。視察団との面会はゲストハウスのホールだから、これは集合がかかったと考えて良いだろう。
 レインはケンウッド長官からドーマー代表として挨拶に出るよう指示された。ケンウッドは彼の接触テレパスでスパイラル工業CEOのセイヤーズ女史の思考を読み取らせ、ダリル・セイヤーズに注意喚起して欲しかった。しかし、レインは全く別の理由から長官の指示に逆らった。

「嫌です。俺は行きません。」
「挨拶するだけだよ。それともコロニー人と面会するのは嫌かい?」
「いいえ、意味がないことはしませんから。」
「そう言わずに・・・」
「ずぇったいに、嫌です!!」

 執政官に逆らわない筈のレインが駄々をこねた。ケンウッドは困った。普段ならハイネを通して説得してもらうのだが、肝心の遺伝子管理局長は医療区だ。部下達は局長が本当に病気だと思っている。秘書のネピア・ドーマーは長官と言えども入院中の局長と外部の接触を良しとしない。ケンウッドはレインの出席を諦めることにしたが、別の不安が生じた。

「君が来ないのなら、セイヤーズも来てくれないのかな?」

 するとレインはあっけらかんと言った。

「セイヤーズはちゃんと行きます。それは安心して下さい。」

 そして、さようならと言って電話を切った。
 ケンウッドとレインのやりとりを聞くともなしに聞いていた長官秘書のチャーリー・チャンがケンウッドに教えた。

「レインは視察団のメンバーに入っている宇宙連邦軍の将校と顔を会わせたくないのです。」
「ああ・・・そうだったか・・・」

 前回、レインは宇宙連邦軍広報のクロワゼット大尉との間に問題を起こした。悪いのはクロワゼットだったが、レインは恥ずかしい目に遭わされたので、彼に会いたくないのだ。嫌な過去を思い出させて可哀想なことをした。ケンウッドは反省して、すぐにレインの代役を立てることにした。今度は執政官に反抗はしても、嫌なことから逃げたりしない男だ。相手はすぐに電話に出た。

「クロエルです。」
「クロエル・ドーマー、視察団にドーマー代表で挨拶してくれないか? レインがどうしても嫌だと言うのだよ。ハイネが入院しているので、遺伝子管理局の代表としてチーフに出てもらわないと困るのだが・・・」

 クロエル・ドーマーとしても面倒は嫌だろうが、この男には副長官をしている養母がいる。彼女の顔を潰す訳に行かない。

「僕ちゃんが挨拶すれば良いんすね?」
「そう、挨拶だけだ。」
「わかりました。じゃぁ、ゲストハウスに行きます。」
「時刻はわかっているかね?」
「はい、おっかさんに聞いていますから。」
「頼もしい。ではよろしく頼むよ。」

 電話を終えてケンウッドは深い溜め息をついた。視察団がクロエルにまで魔の手を伸ばさなければ良いが・・・。

訪問者 2 2 - 4

 アメリカ・ドームが現在有している全ドーマーを10年間養える金額をベルトリッチ委員長は言葉に出した。ケンウッドはその金額が示す意味を聞いた数秒後に悟った。一瞬顔から血の気が退いて、すぐに今度は逆流するのを感じた。彼は顔を真っ赤にした。

「委員会はセイヤーズを売ったのですか?」

 ハイネが彼を振り返った。その顔は無表情だった。
 ベルトリッチが深い溜め息をついた。

「貴方が反対するだろうことは、みんな承知していました。」
「勿論、反対です。」
「でも契約してしまいました。」
「そんな・・・連邦法違反です。否、真に人権蹂躙ですっ!」

 ケンウッドは画面に噛み付く勢いで顔を近づけた。

「本人の承認も得ていないのに・・・」

 その時、横からハイネが静かに声を掛けてきた。

「長官、ドーマーに選択権はありません。」
「否、これは人権問題だ。選択権の問題ではない。」
「しかし、委員会は昔からドーマーの遺伝子を販売して収入源としているではありませんか。」

 ケンウッドは再び殴られた気分になった。ハイネは事実を言った。地球人には教えてはならない事実を、ハイネは既知の事実として述べたのだ。

 知っていたのか、ハイネ・・・

 現時点で生存しているドーマー達の遺伝子の、最高値で売られている遺伝子保有者であるローガン・ハイネが、その事実を知っていた。
 ショックで脱力したケンウッドに代わってハイネがベルトリッチに尋ねた。

「そのコロニー人女性はセイヤーズ・ドーマーの遺伝子を望んでいるのですね?」
「そうです。でも彼女が望んでいるのは彼の進化型遺伝子ではなく、彼と彼女の間の子供です。」

 ケンウッドは口をあんぐりと開けた。自分が馬鹿みたいな表情をしているな、と感じながらも、彼はまだ何も言えないでいた。
 ハイネが考えてから委員長に言った。

「彼女は彼と直接の行為を望んでいるのですね。だから高額の寄付金を払った?」
「ええ、貴方の考えた通りよ、ハイネ。」

 ベルトリッチが初めて感情を顔に出した。忌々しげな表情をしたのだ。

「精子だけの提供では駄目なのですって。彼女が実際に妊娠して出産しないと意味がないのです。彼女と夫との間の子供であると世間に思わせたいのね。」
「体外受精では駄目なのですか? コロニーでは普通だと聞きましたが?」
「彼女は楽しみたいのよ。」

 ベルトリッチが吐き捨てるように言った。

「遺伝的息子とね。」
「それは倫理的に・・・」

 ケンウッドは気分が悪くなった。頭痛と吐き気がした。ハイネが彼の肩に手を置いた。温かい手だった。

「実の親子ではありません。」

とベルトリッチが言った。

「だから、そこは目を瞑って欲しいと言う、高額寄付金です。」


訪問者 2 2 - 3

 ケンウッドはヤマザキを裏切ることにした。視察団訪米の前日、打ち合わせ会を早々に切り上げてゴーン副長官を彼女の執務室に帰らせた後、彼は足止めしたハイネと共に月のベルトリッチ委員長に通信を送って画面で面会した。委員長が画面に現れる前に、彼はハイネにオヤツを食べないようにと忠告した。

「ケンタロウが君の捕獲に下剤を使うつもりだ。」

 ハイネが笑った。

「ご忠告有り難うございます。腹痛は嫌ですからね。オヤツの前に医療区に出頭しますよ。」

 ベルトリッチが画面に現れた。ケンウッドとハイネが揃っているのを確認してから、彼女は固い表情で告げた。

「個人的にダリル・セイヤーズと会いたがっている出資者がいます。」
「個人的にですか?」
「貴方は一度会ったことがあります。火星第2コロニーの行政長官でスパイラル工業のCEO、アリス・ローズマリー・セイヤーズです。」

 宇宙では知らない人がいない程の有名な女性だ。地球人には馴染みが無い筈だったが、ハイネが反応した。

「セイヤーズ? ダリル・セイヤーズの母親のオリジナルですか?」

 ケンウッドはハッとした。と言うより、頭を後ろからポカリと殴られた気分だ。そうか、そうだったのか、と思った。数年前に月で顔を見た時、何処かで会ったことがあるとぼんやり感じた。その時は有名人だからメディアで見た彼女を、会ったことがあると錯覚したのだと思った。だがメディアで見たのではなかった。当時脱走中だったダリル・セイヤーズの少年時代の顔が記憶の底にあったからだ。セイヤーズは母親似だったのだろう。だから、母親のオリジナルにも似ているのだ。
 ハイネはコロニー人の情報など知らない。だが遺伝子管理局長なので、ドーマー達の母親のオリジナルに関する情報は得られる。進化型1級遺伝子で危険値S1保有者であり、脱走者だったダリル・セイヤーズの情報はしっかりと覚えていた。
 ベルトリッチ委員長が頷いた。ハイネがアリス・ローズマリー・セイヤーズを知っていたので説明が省けたと思ったのだろう。

「セイヤーズ女史がセイヤーズ・ドーマーと個人的に面会したいそうです。」
「ドーマーの母親のオリジナルがドーマーに面会を希望するのは異例ではありませんか?」

 ケンウッドはまた不安になった。オリジナルのコロニー人は自らのクローンやクローンの家族に関心を持たない約束だ。地球人がコロニー人のオリジナルの遺産相続権を持たないのと同様に、コロニー人は地球人の子孫を自身の子孫扱いしてはいけない契約だ。互いの人生に干渉してはいけない。それを前提に遺伝子を分けてもらうのだ。
 それなのに、自身のクローンが産んだドーマーに会いたいとは、どう言う了見だろう。
 ベルトリッチが言った。

「スパイラル工業は宇宙連邦の政治と経済に大きな影響力を持つ企業です。ある意味、陰の支配者と言っても良いわね。ただ、経営者一族は分別を持っているので、傲慢な振る舞いはしないし、金に明かした派手な生活もしていません。でも彼等に逆らうと得なことは何も無いと言うのも事実です。」
「それで、セイヤーズを彼女に会わせてどうせよと?」

 色々考えることがあるケンウッドに代わってハイネが質問した。

「今はただ会わせてくれと彼女は言っているだけです。」

とベルトリッチ。本当は全て知っているのに持ち札を見せない魂胆だ。

「会わせてこちらに何か得なことでも?」
「会わせたくない理由でもあるの?」
「ドーマーを執政官でないコロニー人に近づかせたくないだけです。」

 ハイネの言葉に委員長は少しだけ餌をちらつかせた。

「スパイラル工業は高額の寄付をしてくれました。」
「セイヤーズに会うためにですか?」
「そうです。」

 ベルトリッチはそれ以上は語らずに、ケンウッドに言った。

「本当は貴方だけにこの件を告げるよう、委員会は決めたのです。でも、貴方はきっとハイネに教えるでしょう。私達がこれから法律を曲げようとしていることを。」


 




訪問者 2 2 - 2

 出資者様の視察団が来る正式な連絡が来たのはベルトリッチ委員長がケンウッドに内密の報告をした1時間後だった。視察団の目的は女子を生める遺伝子を持ったセイヤーズと古代人ジェリー・パーカー、それに不思議な能力で染色体を肉眼で見る少女JJ・ベーリングに面会したいと言うことだった。
 ケンウッドはそれを執政官宛の一斉送信で通知して、その夜に臨時会議を開くことを連絡した。またおもてなしの相談だ。副長官にはおもてなし旅行の立案も頼まなければならない。ゴーンに申し訳なく思ったが、これは副長官の仕事なのだ。当然ながら、遺伝子管理局長にも通知して、入院する準備を促した。
 ヤマザキ医療区長から電話が掛かってきた。

「ハイネの捕獲予定日を知らせろとのことだが、必要なのか?」
「委員長から彼と私に話があるので、入院前に伝えたいと言われているんだ。」
「話?」
「内容はまだ秘密で、私も何も教えられていない。正直なところ不安だよ。」

 するとヤマザキがなんでも無いような口調で言った。

「多分、希少遺伝子の提供の相談だな。」
「希少遺伝子だって? それは関係無いと言っていた。セイヤーズが持っている遺伝子は関係無いとか・・・」
「進化型とか、そう言う改造型のものは関係無いってことだ。地球人には色々遺伝子異常とか突然変異とかあるから、そう言うのを提供しろって言う話だろう、多分。」

 成る程、それなら遺伝子管理局長も同席しろと言う理由になる。ケンウッドは深く考えないことにした。少なくとも、実際に内容を聞かされる迄は。

「ハイネは視察団が来る前日に捕まえるよ。そうだな・・・オヤツの時間にしよう。菓子に下剤か何か仕込んで診察に来させる。」

 サディスティックな案を出してヤマザキは愉快そうに笑った。


訪問者 2 2 - 1

 春分祭の翌日、ケンウッドが仕事をしていると月の地球人類復活委員会から連絡が入った。

「こんにちは!」

 ベルトリッチ委員長が美しい笑顔で挨拶した。

「昨日は女装大会お疲れ様でした。なかなか可愛いらしいハイジだったわよ。」

 それは言わないでくれ、とケンウッドは苦笑した。委員長は地球勤務時代の半分は男性だった。どんな女装をしていたのだろう。
 それにしても、女装の労いだけを言いに通信してくる筈がない。何か面倒な用件があるに決まっている。果たして、委員長はすぐに本題に入った。

「ところで来週、出資者様の視察があるわよ。」
「えっ? またですか?」

 ケンウッドはうんざりした。この数年アメリカ・ドームが狙い撃ちされているみたいだ。普通は10数年おきじゃなかったか? 
 ベルトリッチは詳細な説明を避けたが、簡単に言い訳した。

「どうしてもセイヤーズに会いたいと言う出資者がいるのよ。」
「進化型1級遺伝子危険値S1保有者をですか?」
「その遺伝子は関係ないの。」

 ベルトリッチは今は言いたくない、と言った。

「理由は別にあるのだけど、直前に貴方に告げて欲しいと言われている。我慢してくれない?」
「まさか、セイヤーズを宇宙へ連れて行くって言うのではないでしょうね?」

 それは駄目だ。地球人は地球で一生を過ごさせてやりたい。本人が望まない限り、宇宙へ連れ出したくない。ケンウッドが警戒すると、ベルトリッチは首を振った。

「そんなことは言っていないわ。先方の希望はセイヤーズに地球に留まって欲しいのよ。ただ会いたいだけ。」
「よくわかりませんが・・・」
「ハイネの捕獲の予定日が決まったら教えて。」

 いきなりベルトリッチが話の方向を変えた。ケンウッドにはそう思えた。しかし、彼女はこれに少しだけ説明を加えた。

「ハイネにもセイヤーズに面会したい人の理由を説明するわ。だから、彼が医療区に収容される前に貴方にも説明します。2人揃って聞いて欲しいの。」
「副長官は?」
「彼女には教えないで。」
「それは?」
「秘密を知る人は少ない方が良いし、万が一世間に漏れたら、責任を取る人間が少ない方が良いでしょう。貴方、ハイネ、そして私の3人だけよ。」

 ケンウッドは嫌な予感がした。出資者の誰かが法律違反を企んでいるのではないか。
 ベルトリッチは、くれぐれも口外しないでね、と言い残して通信を切った。

2019年5月1日水曜日

訪問者 2 1 - 14

 ケンウッドは自宅アパートにやっとの思いでたどり着いた。クタクタだった。それでも明日の仕事に備えて化粧を落とし、衣装を脱いでシャワーを浴びた。短パン姿で寝室に入った時、端末に電話が着信した。こんな夜中に誰だ? 無視しようと思ったが、画面を見るとハイネだった。仕事の電話だとは思えなかった。それでもケンウッドは親友からの電話に律儀に出た。

「お休みでなかったですか? 夜分に申し訳ありません。」

と電話を掛けたくせに遺伝子管理局長は謝った。ケンウッドはあくびを噛み殺した。

「これから寝るところだよ。」
「そうですか。」

 ハイネは残念そうな表情になった。

「一杯飲もうと思ったのですが。」

 酒より寝たいケンウッドは面倒臭そうに尋ねた。

「君の部屋で?」
「貴方のお部屋でも良いですよ。ワインかウィンスキーを持って行きます。」

 ハイネは同じ棟に住んでいる。エレベーターをスムーズに使えれば1分もかからない。ケンウッドは折れた。

「いいよ、おいで。」

 Tシャツを着た直後にチャイムが鳴った。どうやら廊下から掛けたらしい。ケンウッドは端末を操作して入り口の解錠をした。「お邪魔します」とハイネが入ってきた。服装は完全にリラックスした部屋着で、手に真新しいバーボンの壜を持っていた。居間のソファに座ったケンウッドはそれを見て苦笑した。

「執政官として、今の君を飲酒禁止規則違反で捕獲して観察棟に収容しなくちゃいけないが・・・」
「酒を持参すると予告したドーマーを部屋に招き入れた執政官も同罪ですが?」

 ハイネは勝手にキッチンに入り、グラスに氷を入れて戻ってきた。ケンウッドの好みの量を覚えていて注ぎ入れた。向かいに座り、お疲れでしょう、と言った。

「貴方はいつも全力でお仕事をされる。周囲に常に気を配っておられますが、貴方ご自身に対してはどうでしょうか。」
「私に?」

 ケンウッドは酒を一口口に含んだ。熱い液体が喉を滑って行った。

「自分に気を配る必要はないよ。私は完璧主義者ではないし、手を抜くところは抜いている。君は私に自分を可愛がれと言いたいのだろう? 大丈夫、ちゃんと可愛がっているから。」

 もう一口飲んだ。胃の中が熱くなった。
 底なしの酒飲みハイネが優しい目で彼を見ていた。ケンウッドは彼に尋ねた。

「孫と会って感無量だったろう?」
「楽しかったです。」

 ハイネはケンウッドががっかりするようなことを言った。

「養育棟の訓練所に居る若いドーマーと同じですね。」

 ケンウッドは苦笑するしかない。ハイネはドームの中しか知らないのだ。子供を持った経験があるドーマーはドームの中にいないし、孫など存在しないも同然だ。

「君は初対面で孫たちの心を掴んだのだよ。ヘンリーもキーラも感心していた。少年少女の悩み事を解決するなんてね。」
「解決などしていませんよ。」

 ハイネはクイっと酒を飲み干した。2杯目を注ぐ。

「本当のことを言っただけです。親を凹ませる屁理屈をね。」
「屁理屈をね・・・」

 ケンウッドは眠気を覚えた。疲れた体に強い酒は強力な催眠剤だ。彼は自身に気配りすることにした。

「悪いがハイネ、私はもう休ませてもらうよ。ここで好きなだけ居て良いから。」
「わかりました。お休みなさい。」

 おやすみ、と立ち上がってケンウッドが背中を向けると、ハイネが呟いた。

「孫娘の一人が貴方に恋をしているそうです。」

 疲れているケンウッドはそれを遠くで聞いた。

「そうか・・・大人になってからじっくり考えて物を言えと伝えてくれないか?」