2019年6月30日日曜日

オリジン 2 4 - 8

「駄目だ!!」

 ケンウッドは思わず怒鳴ってしまった。ハイネ局長が予告なしに長官執務室に現れるなり、ジェリー・パーカーをドームの外に出す許可を求めたからだ。しかも理由は、サタジット・ラムジー殺害容疑者の特定だ。

「気でも狂ったか、ローガン・ハイネ! パーカーは貴重な地球人のオリジンだぞ! ドームの外に出して逃げられでもしたらどうする? 否、FOKやラムゼイの残党に拐われたりしたら一大事じゃないかっ!」

 思ったことを早口で言ってしまってから、ケンウッドは自身が大声を出していたことに気が付いた。ハイネに大声で怒鳴りつけるのはご法度だ。幼少期から大事に育てられてきた老ドーマーは、大声で叱られた経験がない。だから成人してからも、誰かが近くで不意に大声を出すと怯えるのだ。
 果たして、ハイネは硬い表情でケンウッドを見返して立っていた。だがその目は固い決意を保っていることを示していた。真っ直ぐ長官を見つめているのだ。ケンウッドは自身が狼狽えていることを隠そうと努力した。声のトーンを落として話しかけた。

「つまりだ、ハイネ、パーカーは地球にとって大事な人物だ。まだこの先数年は地球人の父親としてここで頑張ってもらわねばならない。残虐行為を平気で行う悪党と直接対峙させる危険は冒せないのだよ。」
「何もパーカーを一人で外に行かせるとは言っておりませんが。」

とハイネが言い返した。ケンウッドは心の中で身構えた。さぁ始まったぞ、と呟いた。怯えさせられた仕返しに、ハイネはとても意地悪になる。故意に遠回しの言い方をしてこちらを混乱させるのだ。
 ハイネが続けた。

「重要人物のジェリー・パーカーが一人で外に出るのが危険なのでしたら、もう一人一緒に行かせてみては如何ですかな? 普通のドーマーやコロニー人の学者ではなく、もう一人重要な人物を同行させるのです。」
「もう一人の重要人物?」

 ケンウッドは考え込んだ。そんな人間がいたか?
 ローガン・ハイネがまるでからかうかの様な口調で答えを言った。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーを使いましょう。」
 

オリジン 2 4 - 7

 ジェリー・パーカーとローガン・ハイネ遺伝子管理局長はゆっくりと庭園を歩いて俗世に向かっていた。

「人捜しは進展があったか?」

とハイネが尋ねた。パーカーは頷いた。

「少しだけ・・・」

 彼は簡単に説明した。ライサンダー・セイヤーズの協力でドーム内からはアクセス出来ないエロサイトの一つで問題の運転手と思われる人物を発見したこと。その人物はマツウラと名乗り、そのサイトの管理人をしていたこと。ライサンダーが探りを入れるとマツウラは他にもサイト運営をしており、そちらでは「牧童頭」と名乗り、精力剤などの怪しげな薬品の通信販売をしていること。そのサイトはドーム内からでも見ることが出来るので、パーカーはライサンダーに指示を出して利用者の通信欄で書き込みをしてもらい、自分の存在を管理人にアピールしている最中であること、等だ。

「エロサイト?」

 神様みたいに神々しい容姿のハイネの口からそんな単語が発せられるのは、奇異な感じがする、とパーカーは思った。

「若い綺麗な男を斡旋する売春サイトです。」
「表向きは薬を販売して、その客の中から何人かを選んで裏商売に誘い込む訳だな。」
「局長、よくわかっておられる。」
「その男がラムゼイの第2の運転手である確証は掴めたのか?」
「ネット上の出会いですから、確証は無理です。やはり本人に会ってみないとね・・・。しかし、彼の顔を知っている連中は刑務所の中だし、俺は外に出られない。」
「囚人に協力させることは不可能なのかね?」
「減刑を条件にするとしても、信用出来る人間はいませんね。連中を部下にしていた俺が言うのもなんだけど・・・。彼等には俺ほどもラムゼイ博士に対する忠誠心はありませんから。」

 庭園の出口に近づくと通行人が増えてきた。遺伝子管理局と中央研究所は庭園から出ると左右に分かれることになる。

「さっきは楽しかったです。」

とパーカーは局長に別れの挨拶をした。

「ほんの一瞬ですが、子供時代を思い出しました。博士とシェイと俺の3人で野原で遊んだ記憶です。意外でしょうけど・・・」
「そうかな?」

 局長が遠くを見る目をした。

「サタジット・ラムジーは息子を愛していた。君にその面影を求めていたのかも知れないな。」

 彼はパーカーを見た。

「ジェシー・ガーを捕まえたいのだろう?」
「勿論。」
「外に出るか?」
「えっ?」

 パーカーは思わず足を止めた。ハイネは立ち止まらずに遺伝子管理局に向かって歩きながら言った。

「コロニー人に相談してみよう。」
「それは・・・」

 パーカーは小さな声で呟いた。

「この俺を信用してくれているってことですか・・・」

オリジン 2 4 - 6

 初夏になると空調が効いたドームでも暑く感じられる様になる。つまり、太陽が偉大だと言う証拠だ。
 ローガン・ハイネは昼食後、いつもの様に昼寝に出かけた。但し、いつもの庭園の芝生ではなく、ドームの壁際の、秘密の寝床だった。壁の向こうは初夏の花畑でとても綺麗だ。多くのドーマー達は回廊の窓からそれを見物するが、庭園や施設の建物の裏手に回って壁まで行こうとはしない。壁はドームの内側からは透明で何もない様に見える。ドーマー達は幼少期にぶつかると危険だから近づかないようにと厳しく言いつけられて育つ。成人してもそれを守っているので、滅多に壁の際に行かない。だから、ハイネは壁の仕組みを発見して以来、一人だけの昼寝場所として使っていた。
 壁の窪みに体を入れて目を閉じた。早朝に若い内勤のドーマー達に生死リストの目通しを教えると告げた時の彼等の驚き具合は大きかった。神聖な局長業務だと思っていた仕事を、局長自らが部下に教えると言うのだ。ある部下は、局長が引退するのかと心配したほどだ。だがハイネが、少し楽をしたいだけで、たまにはサボって休めるよう準備をしておくのだ、と言うと、彼等は肩の力を抜いた。一番若い部下が、「ネピア・ドーマーに教えられても、局長がサボるとわかってしまえば、絶対に休ませてもらえないでしょうからね」と言って、その場を笑いの渦に包み込んでしまった。
 ハイネがうとうとしかけた時、静かな足音が近づいて来た。彼の様子を伺うかの如く、用心深く歩いて来る。ハイネは目を閉じたまま呟いた。

「昼寝の邪魔をしないでくれないか。」

 接近者が足を止めた。

「すみません。ただ、貴方がどんな仕掛けで宙に浮いているのか知りたくて・・・」

 ハイネは目を開いて、首を動かした。ジェリー・パーカーが立っていた。ハイネは、君か、と呟いた。彼は上体を起こし、次の瞬間、滑り台を滑り降りるかの様に地上にすっと降り立った。 パーカーは一人だった。付かず離れず彼に付いている筈の保安課員はいなかった。どうやら監視の目を盗んで散歩に出たらしい。
 ハイネは尋ねた。

「どんな仕掛けか知りたいだと?」
「はい・・・」
「手を伸ばしてみたまえ。」

 言われてパーカーは花畑の方角へ手を伸ばした。彼の手は透明な硬い壁に阻まれた。彼が壁の存在を認識したと判断したハイネは声を掛けた。

「それが壁だ。硬いだろう?」
「ガラスの様です。」
「宇宙船の外壁用素材だ。特殊超合金で、ダイアモンドより硬い。しかし・・・」

 彼は2,3メートル内側に移動し、いきなり花畑に向かってジャンプした。パーカーが呆気にとられる目の前で、彼は空中で斜めに体を傾けた状態で停止した。そして柔らかい物の中でもがく様に手足を動かし、胴を捻って体を反転させ、顔を上に向けた。パーカーを振り返って微笑んだが、それは悪戯に成功した子供の様に無邪気な笑みだった。

「やってみたまえ。」

 パーカーは先刻手に触れた硬い感触を思い出し、あんな硬度の壁に突進したら怪我をするんじゃないか、と思ったが、現に目の前でハイネが空中に浮かんでいるので、覚悟を決めた。真似をして2,3メートル後退してから、勢いをつけてジャンプした。
 彼の体はフワフワした柔らかい物に受け止められ、宙に浮いた形で止まった。あまりにフワフワしているので、顔が真綿で包まれた様になって呼吸が出来ない。彼は慌てて体を捻り、上を向いた。大きく息をつくと、ハイネが笑った。

「上手く出来たじゃないか。」
「なんなんです、これ?」
「特殊超合金の性質を利用した私の昼寝場所だよ。」
「その特殊超合金の性質とは?」
「宇宙船は光速で移動する。宇宙空間にはたくさんのゴミが漂っていて、宇宙船に衝突することが頻繁にある。そんな時に外壁が硬いままでは船体に受けるダメージが大きくなるだろ?だから平素は硬いが、動体が衝突すると緩衝材の様になって衝撃を和らげるのだ。
 ドームの内部から見ると壁が無いように見える。ドーマー達が知らずにぶつかると怪我をする。だからコロニー人達は人がぶつかると緩衝材に変化する特殊超合金で壁を造った。」
「ドーマーはこの壁の性質を知っているんですか?」
「コロニー人はドーマーにそんなことは教えない。地球上で必要のない技術は教えないのだ。」
「すると、この昼寝場所は、貴方が発見されたのですね?」
「恐らく、私だけが知っている場所だな。」

 ハイネは片眼を瞑って見せた。

「誰にも口外するなよ。昼寝は一人で楽しみたいのでね。」
「俺も昼寝させてくれたら、喋りませんよ。」

 それから20分ばかり2人は黙って目を閉じていた。
 パーカーは、育った中西部の平原を想った。春になると一面の花畑になった。幼かった彼は、やはり幼かったシェイと2人で隠れ家を抜け出して野原で遊び回った。やがてラムゼイ博士と用心棒が探しに来て、2人を捕まえて家に連れ帰った。お花の首飾りを壊されてシェイが泣いた。博士にあげようと思ったのにと。
 次の日、博士が自ら2人の手を引いて野原に出かけた。ヘビや毒虫がいないことを確認してから、2人は遊ぶことを許され、用心棒付きでピクニックをした。
 パーカーの数少ない幸せな子供時代の記憶だ。

「休憩時間終了!」

 ハイネの声で、パーカーは現実に引き戻された。ハイネが両腕を伸ばして伸びをすると、壁が硬くなって、彼は滑り降りた。パーカーも真似て、するりと地面に降りた。

オリジン 2 4 - 5

 ローガン・ハイネは極稀に鬱になる。だがそれを乗り越えると、すぐにいつもの陽気な男に戻る。翌日の早朝ジョギングで出会ったハイネは、ケンウッドに元気よく「おはようございます!」と声を掛けてさっさと追い越して走り去った。ケンウッドはのこのこ走るヤマザキ・ケンタロウとコロニー人らしくそこそこにスピードを抑えて走り、シャワーを浴びて朝食の為に食堂へ行った。珍しくハイネは他の若いドーマーが集まっているテーブルにいた。外勤の職員ではない。内勤専門の事務方だ。食事をしながら若者達と語らっているので、どうやら例の分業の話らしい。若者達は局長が同じテーブルに来るだけでも緊張するのに、局長の仕事を習うように言われて緊張に「ど」がついた様な硬い表情になっていた。気の毒にと思いながらも、ケンウッドは今まで内勤の遺伝子管理局員に注意を向けなかった自身を反省した。ドームの花形である外勤局員と違って内勤の男達は地味だ。維持班の様に目立つこともない。本部の外で仕事をする訳ではないので、顔も仲間のドーマーにあまり知られていない。だが、今改めて見ていると、どの男も利発で聡明な顔をしていた。身体能力のほんの僅かな差で外勤と内勤に振り分けられたのだ。彼等だって広い外界で働きたかっただろう。
 ケンウッドとヤマザキが食事を始めて間も無く、内勤のテーブルで笑い声が起こった。食堂内のドーマー達が振り返るほどだ。笑いの中心はまだ幼い顔つきの若者で、何か冗談を言ったのだろう。隣の同僚に小突かれている。ハイネさえ笑っていた。その笑いでテーブルの一同の緊張がほぐれたらしく、彼等は局長も交えて雑談を始めた。
 やがて少し遅れて外勤のグループが現れ、班毎に一日の業務の打ち合わせを兼ねた朝食会を始めた。その頃にはハイネ局長は食事を終え、数人の部下と共に席を発って職場へ向かって行った。
 ケンウッドが遺伝子管理局のドーマー達に気を取られているので、ヤマザキが咳払いして注意を促した。

「食事の手が止まってるぞ、ケンさん。」
「え? ああ・・・」

 ケンウッドはバツが悪そうに食べ物を口に運んだ。ヤマザキがフォークで内勤のテーブルを指した。

「保養所の計画が出来たら、あの連中を最初に外に出してやらないか? 維持班にそれとなく提案してみるよ。外に出る順番を決めるのは維持班だろうから。」
「それは良い考えだ。だが、ハイネは絶対に出すな、と言うのを忘れないでくれないか。」
「当たり前じゃないか。僕が大事な患者を外に放り出すとでも?」

 ヤマザキにとっては、ローガン・ハイネはまだ彼の大事な重症患者だった。

「もう少し彼を野外活動訓練プログラムに参加させないとね。」
「ハイネはもう料理は2度と御免だと言っていたが?」
「どうかな? チーズを使う料理だったら喜んで参加するんじゃないか?」



2019年6月29日土曜日

オリジン 2 4 - 4

 書き換え決行日はまだ確定していなかったが、ケンウッドは仲間と手順の確認をしておいた。ハイネは局長業務を2人の秘書に任せることを承知した。ヤマザキは狭い部屋に篭る4名の最高幹部の健康に問題が生じたら直ちに駆けつける用意をする。マザーコンピューターの書き換え作業の最中に部屋に入ることが出来る部外者は、医療区長だけなのだ。
 夜が更ける頃に話し合いが終わり、ペルラとヤマザキは帰って行った。ハイネは残って小さなキッチンでグラスを洗ってくれた。ケンウッドでも出来る家事だ。だからケンウッドは遺伝子管理局長が何か言いたいことがあるのだなと見当を付けた。

「先刻の、局長業務の分業化について何か言いたいのかね?」

 彼の見当は当たっていた。ハイネはグラスを拭いて棚に仕舞ってから、ケンウッドを振り返った。

「日課を部下に渡してしまったら、私には何が残るのです? 最終段階の署名だけですか?」

 老ドーマーは、役立たずと見做されてしまうことを恐れているのだ。彼には薬剤師としての経歴と知識があるが、今更遺伝子管理局長を薬剤管理室が労働者として受け入れる筈がない。しかしローガン・ハイネには、それ以外に手に職がなかった。
 ケンウッドは優しく微笑んで見せた。

「君にやってもらいたいことは沢山あるさ。」

 彼はハイネに向かいの席に座るよう指図した。ハイネは素直にソファに座った。

「ドーマーの社会復帰計画を会議で話しただろう? 君は維持班総代と共にその指揮を採ってもらわねばならん。まだ明確な方向もわかっていない計画だ。つまり、君は立案から取り掛からねばならないのだよ。」
「外の世界を知らない私に、計画を立てろと仰るのですか?」
「立てられるだろう? 君はリュック・ニュカネンに出張所を設置させた。あの時君の話の流れの持って行き方は見事だったよ。だが君はセント・アイブスと言う街を全く知らなかったじゃないか。」

 ローガン・ハイネは歳のせいで臆病になっているのか、とケンウッドは案じた。それとも、20年以上毎日こなしてきた仕事を取り上げられるのかと心配しているだけなのか。
 ハイネが溜め息をついた。

「地球に女の子が誕生し始めたら、ドームは役目を終えます。ドーマー達は外の世界へ戻って行きます。その時、私は何をしているのでしょう。その時私が生きていればの話ですが・・・。」

 地球に女子が誕生するか否か、最初に確認されるであろう時期は、今から早くて15、6年後だろう。その程度の時間なら、ハイネはまだ丈夫で生きている筈だ。ケンウッドは励まそうと試みた。

「私だって、その頃には長官ではないだろうし、お払い箱になっているかも知れないな。しかしハイネ、ドームはなくなりはしないよ。妊婦と新生児の為の重要な施設に変わりはない。地球人類復活委員会がいつまで存続するのか、誰もまだわかっていないが、もし彼等が撤退してもドームの施設は地球側に譲渡される。それが各国首脳と委員会の約束なのだ。ドームは、産婦人科の巨大な病院として存続する筈だよ。それに遺伝子の管理は当分必要だ。近親婚は防がなければいけない。一番心配されるのは、地球人類保護法の改正もしくは廃止だ。宇宙から地球へやって来る人口が必ず増加する。今迄一生出会うことがなかったクローン女性とオリジナルの女性が出会う可能性がゼロとは言い難い。彼女達の子供同士が出会って恋愛に発展するかも知れない。そんな場合に備えて、遺伝子管理の業務は続けようと言うのが、委員会の意見だ。」

 彼はハイネに優しく言った。

「アイダ・サヤカだってまだずっと先まで働くだろう? 彼女も必要とされているんだ。」

 彼は体を前に乗り出して、親友の肩に手を置いた。

「君とサヤカは堂々と夫婦として名乗れるんだぞ。一緒に働けるのだ。」

2019年6月27日木曜日

オリジン 2 4 - 3

 ケンウッドはアパートの自室で書き換えの日に備えて打ち合わせ会を開いた。出席者はハイネ、ヤマザキ、ペルラの3名で、実質飲み会のメンバーなのだし、実際酒を飲んだのだ。しかし立場上ドーマーに飲酒させていることを公表出来ないし、本当に打ち合わせもしたのだ。
 ヤマザキが丸一日コンピューターに縛られるケンウッドとハイネの健康を案じて、端末を使っただけだが、簡単に健康診断を行った。そして書き換え作業の合間に端末を用いて日課業務を行えると言ったハイネに、余計な仕事はするなと忠告した。

「確かに君の能力なら両方の作業をこなせるだろうけど、精神的肉体的に余裕を持たせて仕事をして欲しい。君は認めたくないだろうが、100歳ってぇのは、無理して欲しくない歳なんだぜ。」
「それに、万が一間違えられては困ります。折角女の子誕生が目の前に迫ってきているのに・・・」

とペルラがヤマザキに味方した。ハイネが眉を上げて睨みつけるフリをすると、彼は言葉を追加した。

「そろそろお仕事の形態を変えてみては如何でしょう?」
「形態を変える?」
「日課を局長だけの仕事とする時代は終わりになさっては如何です?」

 ケンウッドとヤマザキはペルラの発想に感心した。遺伝子管理局長が日々行っている作業は、分業出来る筈だ。出生届けと死亡届け承認だ。地球人類復活委員会が発足して、遺伝子管理を地球人にさせようと決めた時、生死の公式承認をするのは局長の仕事と委員会が決めたのだ。しかし、膨大な人名のリストと届出書類に目を通して承認するのは、局長でなくても良いではないか。局長は部下が目を通した書類の総括の最終承認をするだけで良いのではないのか。
 生まれた時から、局長職とはこんなものだと教え込まれてきたハイネは、困惑してケンウッドを見た。ケンウッドは、長官として、ドーマーの親として、そして親友として、ペルラの意見を理解し、賛同した。

「ハイネ、内勤の局員は大勢いるだろう? 生死リストが何か彼等は知っている。重要性も知っている。彼等の中から数名ピックアップして、業務内容を教えてはどうかね? それぞれに担当の支局を決めてやり、誕生と死亡を2人以上で代わり番こにチェックするのだ。彼等が承認した書類の総括の最終承認署名を君が行う。
 常々思っていたが、内勤の局員数が増えているんじゃないか? 元から内勤に就いている局員に加えて、外勤の局員が引退して内勤に異動する人数が増えているだろう? 仕事のシェアをするなら、新規の業務を作るのも有りだと思うんだ。君が楽をする為に分けるんじゃない。彼等に重要な仕事を与えて外勤は引退してもまだ必要とされていると思ってもらえるようにしなくては。」

 ペルラがケンウッドの意見に勇気付けられて、微笑んだ。

「局長、みんな生死リストの日課が重労働で外の人間にとって最重要の仕事だと理解しています。それを任されるのは名誉ですよ。」


2019年6月23日日曜日

オリジン 2 4 - 2

 プログラムの書き換えの準備はできているのだが、まだ月からはゴーサインが出ない。書き換えには、それぞれのドームのセキュリティ最高責任者4名が揃わなければならないのだが、地球全体のドームの最高責任者達が24時間もかかる書き換え作業に携われる日程を揃えるのが難しいのだ。
 実際、ケンウッドのアメリカ・ドームでもゴーン副長官はクローン製造部の責任者でもあり、取り替え子のスケジュールが詰まると手が空かない。それに彼女はドーマー達の健康管理責任者でもあり、新しく始まったドーマー社会復帰計画の打ち合わせので維持班の代表達と頻繁に会議を開いている。なかなか時間が取れないのだ。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長も日々の日課があるし、外勤の部下の活動内容によっては連絡の遣り取りで忙しく、書き換えをしている暇がない時も度々だ。
 ゴメス保安課長だって、新規設置の保養所の警備システムの構築に頭を悩ませている。
 そしてケンウッド自身もドームの財政や執政官の管理など、多忙だ。
   保安課長と遺伝子管理局長は羊水の製造方法に関して全く無関係なのだから、書き換え手順から外れても良さそうなものだが、マザーコンピュータの書き換えは月で行われ、地球の各ドームのアクセス権がプログラムの各章毎に更新を必要とされるのだ。もしどこかのドームで一人だけ欠席しても、月のマザーコンピュータ本体が動かない。だから全員の都合がつく日が要求されていた。
 それなら、とケンウッドは思った。全員の都合を待つのではなく、全員で都合をつければ良いではないか、と。
 出張から帰って来て1週間、ケンウッドはデスクワークに飽きて、自身で休業時間を長めに取った。午後、秘書達が仕事を終えて帰宅すると、彼も執務室を出て、運動施設に行った。ジムで軽く筋肉トレーニングをして、球技場へ行った。ドーマー達も1日の仕事を終えて運動に来る時間帯で、どの施設も人が多かった。彼は少し考えてからバスケットボールを選択した。長官がバスケットボールをするイメージが湧かなかったのだろう、ドーマー達も若い執政官達も驚いていたが、直ぐに互いの業務上の立場を忘れてプレーに没頭出来た。ケンウッドは2回シュートを成功させたが、チームは負けた。気持ちの良い敗北だった。ドーマー達は長官が重力に対する鍛錬を欠かさないことを改めて認識した。若い執政官達は努力の人ケンウッドを尊敬の眼差しで見た。
 球技場から出たところで、ハイネ局長とヤマザキ医療区長に出会った。ヤマザキは団体競技は好まないので、単独で運動するハイネとよく一緒に施設を回っている。もっとも半分は、ハイネが肺に無理をさせないよう、見張っているのだ。彼はケンウッドが汗にまみれて現れたので、顔を綻ばせた。

「血色が良いじゃないか、ケンさん。近頃執務室に閉じこもって青い顔をしていたから、心配していたが、どうやら安心出来そうだ。」
「そんなに私は青い顔をしていたのか?」

 ケンウッドが驚くと、ハイネが笑った。それで、からかわれたのだと悟った。

「君達も一汗かいたようだが、格闘技でもやったのかい?」
「うん、珍しくハイネが僕の相手をしてくれてね。」

 ヤマザキは局長に片目を瞑って見せた。

「柔道の手合わせをしてくれたんだ。」
「ケンタロウは小柄ですが、結構強くて・・・」

 ハイネが言った。

「もう少し上背があれば、私を投げ飛ばしていたでしょうな。」
「この爺さんは図体がでかいから、投げにくいんだよ。」

 ケンウッドは彼等の柔道の試合の結果が想像出来た。

「要するに、君は負けたんだね、ケン。」
「ハイネに勝てたら、保安課に鞍替え出来るだろうさ。」

 ヤマザキは自身が負けたとは意地でも言わなかった。

2019年6月20日木曜日

オリジン 2 4 - 1

 次の週末、と言ってもドームの住人にとっては余り関係ないが、外から来る人々の周期的訪問によって曜日を意識する事もある。
 ローガン・ハイネは金曜日の午後、時間が出来たので運動施設でスカッシュをしていた。若い対戦相手がいたが、彼の成績を脅かす存在ではなく、彼が相手をしてやっていると言う雰囲気で、向こうも練習と教授してもらっていると言う意識だった。
 軽く1セット試合をすると、ハイネは相手を相手と同等の腕を持つ人に譲った。彼にとっては体をほぐす程度の運動だったな、と思っていると、「こんにちは」と声をかけて来た者がいた。振り返ると、ライサンダー・セイヤーズがいた。ラケットを持っているので、スカッシュをするつもりだとわかった。ハイネが「ヤァ」と返事をすると、ライサンダーは対戦を申し込んで来た。ハイネは快く承知して、2人はプレーをした。
 ライサンダーはなんとかハイネから2ポイント取ったが、結局敗れた。それでも運動して気持ち良さそうに笑顔で終了の挨拶をした。

「有り難うございました。楽しかったです。でも2点しか取れなかった・・・」
「私から2点取るなんて、なかなかの腕だぞ。最近の若い者は遊ぶだけで技術を磨こうとしないからな。」

 ライサンダーが不思議そうな顔をした。若く見えるハイネが年寄りじみたことを言ったからだ。しかしハイネは気がつかなかった。
 彼はドーマー達の間で少し話題になっている質問をしてみた。

「君の子供は順調かね?」
「はい。元気そのものだと副長官が言ってました。」

 そしてライサンダーはふとあることを思いついた。

「副長官が、子供に声をかけるようにと言うのですが、名前がないと呼びづらいです。何か良い名前はありませんか?」
「君の子供の名前だと?」

 ハイネはちょっと驚いた。胎児に名前を付けるのは早過ぎることはないが、何故俺に訊くのだ? と言う思いだ。

「君の親達と相談して付ければ良いだろう?」
「親達の意見はバラバラなんです。」

 ライサンダーは白い髪の大柄の美しい男がドームの中の実力者ではないかと考えていた。先刻彼の前にハイネと対戦していたドーマーも、周囲の他のドーマー達もハイネに対して慇懃に接している。偉い人に違いない。だから、相手の名前を直接尋ねるのも気が引けているのだ。
 ハイネは少し考えた。

「君の考えはないのか?」
「ミドルネームに母親の名前を付けてやろうと思っています。妻がいつでも娘のそばに居てやれるように・・・」

 すると、ハイネが何かを思いついた表情になった。

「ルシアはどうかな?」
「ルシアですか?」
「ルシア・ポーレット・セイヤーズだ。」

 彼はライサンダーに微笑みかけた。

「ルシアは、ダリル・セイヤーズを産んだ女性の名前だ。」

 ハッとライサンダーが息を呑んだ。祖母の名前? 今迄考えた事もなかった。勿論、父親が実の親を知らないのが原因だったが。

「ルシア・ポーレット・セイヤーズ・・・ルシア・ポーレット・・・」

 口の中で繰り返し、その名を呼んでみた。とても素晴らしい名前に思えた。ライサンダーはハイネに微笑み返した。

「有り難うございます! 素晴らしい名前です。」

 ハイネは頷くと、「では」と呟いて、スカッシュ競技場を出て行った。

2019年6月19日水曜日

オリジン 2 3 - 8

 用件が終わるとロアルド・ゴメス少佐は職務に戻って行った。ケンウッドは食事を続け、その間、ハイネ局長は静かに座っていた。やがてケンウッドは食事を終え、友人を見た。

「私達の子供達は、私の留守中、変わりなかったかね?」

 子供達とは、勿論ドーマー達のことだ。ハイネが首を振った。

「皆んな元気ですよ。」

 そして付け足した。

「パトリック・タンが職務に復帰しました。」

 タン・ドーマーの事件はケンウッドも覚えていた。若い遺伝子管理局員の健康問題は彼の心にも引っ掛かる心配事だった。だから、職場復帰したと報告されて、思わず笑顔になった。

「そうか! 良かった。まだ若いから立ち直りも早いだろうと思っていたよ。」
「周囲が気を使い過ぎず、ほどほどに労ってやったのが良かったようです。余り過保護にすると却って神経質になる質ですからな。」

 どちらかと言えば過保護になりがちなケンウッドには少々耳が痛い。するとハイネがポケットから小さな紙包みを出して彼に差し出した。

「タンが出張土産に中国のお茶を買って来てくれました。少しですが、貴方も宜しければどうぞ。」
「おお、それは有り難い。」

 ケンウッドは包みを受け取り、そっと開いてみた。花の香りに似た甘い芳香が彼の鼻腔をくすぐった。ケンウッドはまた顔を綻ばせた。

「地球の香りだ。」

 ハイネが声を立てずに笑った。
 ケンウッドはお茶の包みを自身のポケットにしまった。そして肉親の近況を尋ねようとしない親友に、パーシバル&セドウィック夫妻と子供達の様子を語って聞かせた。ローガンとシュラミスがそれぞれ地球自然環境学部を受験する事、ショシャナが音楽の道に進むことを両親に納得させて、プロのレッスンを受けている事、等々。
 ハイネはふーんと遠い出来事を聞く目で聞いていた。実際、月にいる親族は彼にとっては地球の何処かにいる親族と同様、居てもいなくても同じなのだろう。


2019年6月18日火曜日

オリジン 2 3 - 7

 その夜、午後9時近くになって、やっとケンウッドは留守中に溜まった仕事を片付け終えた。酷くくたびれていたが、空腹だったので執務室を施錠して食堂へ出かけた。一般食堂に行きたかったが、近くの中央研究所の食堂に入った。利用者は少なく、出産管理区が見えるガラス窓も半分不可視状態になっている。
 手を振る人がいたので、そちらを何気なく見ると、驚いたことにゴメス保安課長とハイネ遺伝子管理局長が同じテーブルに着いていた。ゴメスが手招きしていたのだ。ケンウッドはトレイを持ってそちらへ行った。
 彼が着席するのを待って、保安課長が「長くはかかりませんから」と言った。彼はコーヒーカップを前に置いていたが、カップは既に空になっていた。ハイネの方はお茶が半分入ったカップと半分食べかけのチーズケーキの皿を前にしていた。ゴメスがハイネを見たので、局長は「食べながらお聴きください」とケンウッドに言った。そしてジェリー・パーカーがサタジット・ラムジー殺害の実行犯と思われる男と連絡を取り合いたがっていると言った。

「パーカーは会話することで、その男の口からラムジー殺害に関与した黒幕の名前を聞き出そうと考えています。」
「黒幕を聞き出してどうするつもりだね? 敵討ちなど、とんでもないことだぞ。それにパーカーはドームから出られない。少なくとも、そんな目的を持っていると知った以上、あの幼馴染の料理人の女性に会わせる許可も出せないじゃないか。」
「勿論パーカーは現在の己の置かれている立場を弁えています。彼は相手の男が彼になら口を割るだろうと考えているのです。黒幕を聞き出したら、情報を外の警察に渡すつもりです。」

 そこでゴメスが口を挟んだ。

「保安課は外部から送信されてくる全ての情報を傍受出来ます。パーカーはそれも承知でこの案件を局長に持ちかけたのです。我々に傍受させて情報の正確性を確認させようと言う考えです。」

 ケンウッドは豆のスープを口に運んだ。せっせと手を動かすので、ハイネとゴメスは暫く黙っていた。ゴメスはコーヒーのお代わりを取りに配膳コーナーへ行き、ハイネは残っていたケーキを食べた。
 ケンウッドはメインディッシュの子羊のクリーム煮に取り掛かり、ゴメスは2杯目を飲んでしまい、ハイネはケーキを平らげた。やがて、ケンウッドが口を開いた。

「要するに、君たちはパーカーの提案に乗って彼と外にいる男の遣り取りを傍受する許可を私に求めているのだね?」
「そうです。」

 ゴメスは普段やっていることを長官に断っておきたいのだ。電波を通しての会話をただ聞き流すのではなく、聞き耳を立てて聞く。特定の個人の回線だけを追尾する。プライバシー保護の面では歓迎出来ないが、これはパーカー自身が提案した捜査協力なのだ。ケンウッドは頷いて見せた。

「パーカーが望んでいるのだから、構わないだろう。成果が上がると良いが・・・彼が黒幕以外の人間と話すことも考えられる。ドーム内の情報を語る気配があればすぐに止めさせなさい。」
「勿論です。不審な会話を始めたら通信妨害をかけます。」

 ケンウッドはまだパーカーを完全に信用仕切れない自分を哀しく思った。そんな彼の心情を知ってか知らずか、ゴメス少佐は続けた。

「しかし、パーカーの監視をしているサルバトーレ・ドーマーの報告では、彼はラムゼイの手下達のことを余り好いていなかったようです。信用していなかったと言いますか、兎に角あの男が気にかけているのは、料理係のシェイと言う女性だけです。ラムゼイを殺害した犯人を挙げることが出来るなら、彼は手下全員を喜んで司法当局に差し出すでしょう。」

 ケンウッドは食事の手を止めた。彼は呟いた。

「ラムジーは、パーカーとシェイに友人と言う者を与えずに育てたのだなぁ・・・」



2019年6月16日日曜日

オリジン 2 3 - 6

 会議が閉幕すると、ローガン・ハイネ・ドーマーはクローン製造部へ急いだ。そこで働いている男に用があった。受付のドーマーに取次を頼み、相手の業務がひと段落着く迄通路で待った。
  ジェリー・パーカーは生まれてこの方、こんなに緊張した経験はなかった。ラムゼイ博士の研究所で海千山千のメーカー達と情報交換したり、ライバルのメーカーと命のやりとりをしたこともあったが、彼はいつも心のどこかに余裕があった。余裕なのか諦めなのか彼には判別出来なかったが、落ち着かない状態に陥ったことは滅多になかった。
 逮捕され、ドームで目覚めた時も、ケンウッド長官と対面した時も、彼は緊張などしなかった。ドーマーの群れの中に放り込まれた時も覚悟は出来ていた。
 しかし、今この瞬間は違った。彼の目の前に座って彼をじっと見つめている美しい白髪のドーマーは、彼を萎縮させ、畏怖の念を抱かせた。100年以上生きてまだ彼と同じ世代に見える。これこそ人類が大昔から求めていた遺伝子、若さを保つ遺伝子を持っている人間だ。この遺伝子を開発した昔のコロニー人達は何を思い、どの様な技術で組み替えを行ったのか、そして受け継いだ子孫がどんな人生を送るか考えたことがあるのか、パーカーの脳裏に様々な思いが駆け巡った。
 互いに一対一で会うのは初めてだった。パーカーはドームに囚われて半年以上になるが、遺伝子管理局の局長と対面したのは、この瞬間が2度目だった。それも局長の方からわざわざクローン製造部に足を運び、彼が参加していた会議が終了する迄通路で待っていたのだ。
 ドーマー達を年下と見なし、子供扱いしている執政官が皆一様にこの老ドーマーには敬意を表し、言葉遣いも扱いも丁寧になる。パーカーと親しくしてくれるドーマー達、ポール・レイン・ドーマーやダリル・セイヤーズ・ドーマーやアキ・サルバトーレ・ドーマー達が親の様に慕い尊敬している人物だ。
 だから、パーカーは考えたのだ。ラムゼイ博士の仇を討つには、この人を動かさなければ駄目だ、と。
 彼のセイヤーズへの片恋をレインが察していることは気づいていた。彼が、その片恋を一生秘めておくつもりであったことも知っていたはずだ。だから、セイヤーズにキスをしたら、レインはその意味を考えるのではないか、と彼は咄嗟に思ったのだ。2人目の運転手の存在をセイヤーズがレインに伝えてくれるきっかけだ。レインがその情報を上に伝えてくれるかどうかは心許なかったが。

「やっと貴方にお会い出来ました。」

とパーカーは言った。コロニー人達にはタメ口で会話するのに、このハイネ局長には敬語を使ってしまう。

「呼ばれたから来た。」

とローガン・ハイネが言った。

「どんな用件だ?」
「外の人間と連絡を取り合う許可を戴きたいのです。」

 パーカーは遺伝子学者としてドームで働くことを認められているが、外部との接触は一切禁じられている。彼が働く内容が地球の最高機密を有する事案だからだ。

「誰と連絡を取りたいのだ?」
「貴方がお知りになる必要もないくだらない人物ですが、ラムゼイ博士の・・・いえ、ラムジー博士の運転手をしていたジェシー・ガーと言う男です。」
「博士の重力サスペンダーに細工をして博士を死に至らしめたと疑われる人物だな?」

 セイヤーズはちゃんと情報を上に伝えてくれたようだ。パーカーは少しだけ満足を覚えた。

「そうです。ガーが実行犯である確証を得て、なんとかあの男を捕まえて戴きたい。それが今の俺の唯一つのちっぽけな望みです。」
「ドームの中に居て、電話やメールのやりとりだけで確証を得られるのか?」
「なんとか言葉を引き出してみせます。どんなに時間がかかっても・・・」
「君がそのつもりでも、向こうが君との接触を止めてしまえば、それで終わりだろう。」
「ですが、アイツの居場所を知る手がかりにはなるでしょう?」

 檻の中の獣でしかないジェリー・パーカーは藁にもすがる思いでハイネ局長に訴えた。

「俺はラムゼイ博士を・・・いえ、ラムジー博士を殺したヤツ等が許せないんです。」
「ラムゼイと呼びたまえ。」

 と局長が何の感情も出さずに言った。

「我々もその名の方が慣れているし、君にはあのコロニー人はラムゼイ以外の何者でもなかったのだろうから。」
「有り難うございます。」

 ハイネは少し考えてから答えを出した。

「何の結果も得られないかも知れないが、やらないよりはましだろう。だが、私の一存で君に外部との連絡を取らせる訳にはいかないのだ。君は自覚しているだろうか? 君は地球の最高機密を扱う立場に居ると言うことを。」

 パーカーは赤面した。そんな風に思われているなんて想像もしていなかったのだ。

「これからケンウッド長官とゴメス保安課長に相談してみる。どちらか1人でも反対すれば、この話はなかったことにする。」
「わかりました。」
「もし、許可が出た場合、全ての君の通信内容はドームの保安課によって傍受され、記録される。当然ながら内容の分析も行われる。機密が漏れていないか、調べられる。」
「承知しました。」

 局長は頷いて見せ、立ち上がった。優雅なその姿が面談室から出て行くと、ジェリー・パーカーはぐったりと椅子に沈み込んだ。

 

オリジン 2 3 - 5

 パトリック・タン・ドーマーの土産のお茶を飲み終えたハイネは中央研究所へ出かけた。ケンウッド長官は予告通り昼前に地球へ帰還したのだが、消毒と昼食で少し会議開始が遅れたのだ。そしてハイネもレインとタンの帰還報告を聞いていたので、出席が少し遅れた。
 会場に入ると、執政官達は既に着席しており、ケンウッドが出張報告を始めていた。各ドームの新規プロジェクト書き換え計画の進行状況だ。ハイネが入ってくると視線を上げてこちらを見たが、遅刻に関して言及せず、そのまま話を続けた。ハイネは彼の固定席に座ると、隣の女性執政官に声を掛けた。(彼の隣は必ず女性と決まっていた。)

「今、何の話です?」
「プロジェクトの妨害工作の話です。」

 女性執政官は小声で答えた。

「失職を危惧する研究者が妨害しているドームがあるのですって。」
「ふーん・・・」

 ハイネは遺伝子管理局長間の連絡網で既に知っていたので、初めて知ったふりをして感心して見せた。

「さて・・・」

とケンウッドが言った。

「ご存知の通り、我等がアメリカ・ドームでは、ドーマーの社会復帰計画を開始しています。執政官や研究者が失職する心配はないと私は以前皆さんに言いました。」

 執政官達が緊張するのをハイネは感じた。ケンウッドがこれから何を言い出すのかと耳を澄ませて聞いている。月の地球人類復活委員会執行部や総会での決定事項が、アメリカ・ドームの計画を否定するのであれば、どうしよう、と言う緊張感だ。

「今回の総会で・・・」

 ケンウッドは会場内を見渡した。

「地球人類復活委員会は来年から新規採用中止と決定しました。つまり、今年の採用者で最後です。」

 会場内がザワッとなった。新しい研究者はもう来ない。

「その代わり、現在雇用されている皆さんは、採用時の契約年数を終えても勤務していただくことになります。もし契約年数更新を拒否される場合、勿論退職は自由です。ただ、交替要員はもう採用がありませんから、欠員補充がありません。」

 すると会場内の執政官の一人が声を上げた。

「欠員補充が必要な部署がある場合、どうなるのですか?」

 ケンウッドは落ち着いた声で答えた。

「欠員補充は、コロニー人ではなくドーマーを充てます。助手として働いているドーマーが退職者の仕事を引き継ぎます。もう女性誕生の鍵を模索して遺伝子の研究をする必要はないのです。ドーム事業は、ここで誕生する地球人の健康管理を行う業務に転向します。
私達が育てたドーマーを地球社会に戻してやる事業も同時に行います。もし、この業務形態に不満のある人は、年内に退職手続きを行うことをお勧めします。」

 場内はザワザワと私語が飛び交い始めた。ハイネはケンウッドが水を口に含んで休憩するのを眺めた。「長官」と呼ぶ声が響き、ケンウッドは振り返って壇上に戻った。何でしょう?と彼が尋ねると、声を掛けた人が質問した。

「取り替え子はまだ当分続けるのですよね?」
「そうです。新規プロジェクトで誕生する女の子が成長して次世代に本当に女性を産めることを確認される迄は、クローンが必要です。」
「では、我々の生活で一番大きく変化することは何ですか?」
「女性が誕生しない原因究明をしなくても済むことです。それだけです。今迄の研究内容を検討して、これから生まれてくるクローンの健康状態を最良に保つ環境作りを研究してください。その為に、ドームの外に出ていかれる機会が増えると思います。貴方方も地球の環境に体をなじませる努力が必要となるでしょう。また、外出の際にドーマーを同伴する規則も作ることになります。これはドーマーの社会復帰の一環にも当てはまります。」

 ケンウッドは静かになった場内を見た。

「計画の細部はこれから皆さんと話し合いましょう。何をどうするか、これは各大陸の気候と地球人の社会事情に合わせてドーム毎に異なります。我々の裁量に任されることになったのです。恐らく、これ迄以上に忙しくなります。皆さん、覚悟は良いですか?」

 静かだった場内で、誰かが拍手した。すると拍手は波紋が広がるように数が増えていき、やがて会場全体が揺れるような大きな音になった。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは壇上で執政官仲間を見つめているケンウッドを見て、囁いた。

「貴方は本当にここに骨を埋めるつもりなのですね・・・」

オリジン 2 3 - 4

 昼過ぎにポール・レイン・ドーマーとパトリック・タン・ドーマーが遺伝子管理局本部に帰投した。2人はまっすぐ局長執務室に行き、直に報告を行った。本当は2時間前に空港に着いていたのだが、彼等はシェイのランチを食べたくて空港ビルで食事をした。タンは初めてシェイの料理を食べて感激した。何故彼女をドーム内の厨房に置かないのかと上司に愚痴った。
 報告は短かった。今回の任務は第3チームの仕事で、彼等は前日に帰投して既に報告を済ませている。レインとタンは尋問の手伝いに行き、レインが接触テレパスで黙秘するメーカーから子供の販売先情報を引き出しただけだ。
 ハイネ局長の関心は任務の結果報告ではなく、タンの健康が回復したことにあった。少し前迄他人の手が触れることを恐れ、ビクビクしていたタンだが、すっかり活き活きとした表情で、頬も血色が良い。彼はチャイナタウンで購入したティーバッグのお茶をお土産として秘書に渡した。局長秘書の若い方のキンスキーは昼休みで出ており、第1秘書ネピアがお土産を受け取った。

「ところで、チーフ・レイン、君の留守中に君の秘書が一騒動起こしたことを知っていますか?」

 ネピアが尋ねたので、レインは苦笑した。

「ええ、セイヤーズが俺に首を絞められては堪らないと事前に連絡してきました。」
「さっき食堂で執政官のグループと一悶着起こしかけましたが、なんとか巧く切り抜けたようです。若いドーマー達に彼は人望があるようですね。」
「彼は裏表がありませんからね。」

 普段セイヤーズを無視するか嫌味を言うかだけのネピアが褒めたので、レインは何か裏でもあるのかと内心勘ぐった。すると珍しく局長が部下の世間話に入って来た。

「相手はジェリー・パーカーだったな?」
「その様です。」
「暴露サイトに画像を載せられることを計算したかどうかはわからんが、君にばれることはわかっていたはずだな?」
「否、彼は俺の能力を知らないと思いますが。」
「しかし、セイヤーズは君に隠さないだろう。」
「はい。」
「パーカーは故意にセイヤーズにキスをしたのではないか? 君の注意を惹きたかったのでは?」
「俺の、ですか? 普段から彼とは会っていますが・・・」

 ふむ、とハイネは暫く考え込んだ。

「急ぎ君と会いたかったのだろうな。」

 レインは局長を眺めた。パーカーは何らかの目的を持ってセイヤーズにキスをしたのだろうか。どうも得心行かなかった。レインに会いたければJJに声をかければ済む。パーカーとJJは同じ部署で働いているのだから。
 一方、タンは局長秘書がお茶の支度をするのを横目で見ていた。

 ああ、時間が長すぎる・・・もうバッグを引き揚げて良いのに・・・

 彼が口出ししようかと思った時、やっとネピアがティーバッグを揚げた。かなり黒っぽい色になったお茶を彼は4箇のカップに注ぎ、一つを局長に、2つを部下達に、残りを自身の為に配った。 タンは黒くなったお茶をげっそりと見つめた。
 
「セイヤーズとパーカーはキスする前に何の話をしていたのだ?」
「それはまだセイヤーズから聞いていません。」
「夜中に庭園で会うと言うことは、2人で示し合わせて会ったのか、それとも偶然か?」
「それもわかりません。セイヤーズは直前まで息子の相手をしていたはずですが。」
「パーカーに聞いてみてくれないか?」
「パーカーにですか? セイヤーズではなく?」
「セイヤーズはキス騒動の収拾でパーカーと何を話したか忘れていると思われる。」

 ハイネ局長はジェリー・パーカーがセイヤーズにキスをしたのは目的があったからだと決め込んだ様子だった。
 レインが承知した旨を伝えた時、ハイネはカップを覗き込んだ。そして秘書を振り返った。

「お湯は残っているか? 少し足してくれないか、私には濃すぎる。」

オリジン 2 3 - 3

 内務捜査班チーフ副官コリン・エストラーベン・ドーマーが局長執務室に現れたのは、ハイネが業務を始めた15分後だった。第1秘書ネピア・ドーマーの不機嫌そうな顔を全く意に介せずに彼は執務室の中央テーブルを回り込んで歩き、局長執務机の前に立った。

「おはようございます。いきなりで申し訳ありませんが、この画像をご覧下さい。」

 エストラーベンは自身の端末を操作して中央テーブルの上空に画像を表示した。

「げっ!」

とネピアが真っ先に声を上げた。

「ほう・・・」

とハイネ。キンスキーはぽかんと口を開けたまま固まった。
 画像は夜間の庭園だ。森の中のギリシア風東屋で、キスをしている男2人が写っていた。片方の男は金髪だ。暗くてもわかる。名前もわかる。彼の背に腕を回して引き寄せている男の顔は見えないが、黒っぽい髪だ。その体格にハイネはなんとなく見覚えがあった。本人に直接会ったのは1回だが、画像や身体スキャン映像は何度も見ている。
 最初のショックが消えると、ハイネが一番早く立ち直った。エストラーベンを振り返った。

「例のパパラッチサイトか?」
「そうです。今朝、アップロードされました。」

 画像タイトルが出た。

ーー本日のトップニュース! 我らがアイドル、恋人を横取りされる!

 キンスキーが掠れた声で誰にとなく尋ねた。

「セイヤーズが浮気ですか?」
「違うだろう。」

とネピア。

「両者の上体の形状を見たまえ。セイヤーズは珍しく不意打ちに遭ったのだ。」

 正しく筋肉の緊張状態を画像だけで判断したネピアは、局長を見た。

「レインは出張中でしたね?」
「そうだな。」

 ハイネは恋人同士の間で起きるかも知れない波紋を想像して、ちょっと笑った。そしてエストラーベンを見た。

「何か問題でもあるのか?」
「相手のパーカーに付ける護衛を増やした方が良いですか?」

 とエストラーベンが質問を質問で返した。ハイネは首を振った。

「必要ない。パーカーは目的があっての行動だろう。」


オリジン 2 3 - 2

 日曜日はドーマー達にとって意味がなかったが、出産管理区では収容されている女性達には意味があった。金曜日だって意味があるのだし、更に言えば全ての曜日が外の地球人には意味があるのだ。ドーム内には宗教施設がない。しかし信仰の形によって集会が出来て、お祈りに集まっている人々の集団がいた。中央研究所の食堂でガラス越しにその様子を眺めながら、ハイネとアイダは朝食を摂った。

「コロニーでもあんなことをしているのですか?」

 ハイネの質問にアイダが頷いた。

「信仰と言うものはいつの時代でも何処の土地でも消えることはないでしょうね。」

 そして彼を見て笑った。

「貴方だって、若い人達から『ドーマーの神様』と呼ばれているじゃないですか。」
「止して下さいよ。私はお供え物なんかもらったことなどありません。」

 ハイネはムッとした表情をして見せた。 そして2人で吹き出した。そこへヤマザキ・ケンタロウがやって来た。

「相変わらず、仲のよろしいことで・・・」

 彼は遠慮なくアイダの隣に座って、ハイネに向き合った。

「ニコはお昼前に帰って来る。帰ったら昼食の後ですぐ執政官会議を招集するそうだ。間も無くゴーンから一斉送信で連絡が入るだろう。君達も出てくれよ。」
「貴方は、ドクター?」
「僕も急患がいなければ出るさ。何か重要な話らしいぞ。」

 勿論緊急臨時会議を開くのだから重要案件があるのだ。アイダは折角の休日なのに、と呟いた。キーラからの連絡ではそんな話は出なかったのだ。ハイネは彼女の手をそっと上から掴んで慰めた。

「会議を引っ掻き回す人がいなければ早く終わるでしょう。」
「そう願いたいね。」

 ヤマザキは離れたテーブルで食べている若い執政官達を見た。ケンウッドが運んで来る案件はきっと新規プロジェクトに関係している。女の子が生まれる遺伝子情報を崩さない人工羊水のプログラムが実施されれば、失業を心配する執政官がいることは確かだ。アメリカ・ドームではケンウッドが決して失職させないと約束したが、他のドームではプロジェクト進行に妨害工作する科学者もいると言う。アメリカ・ドームも一つにまとまっていると言い難いから、ヤマザキは不穏分子が隠れていることに不安を抱いていた。

オリジン 2 3 - 1

 土曜日、ポール・レイン・ドーマーとパトリック・タン・ドーマーは西海岸から戻らなかった。彼等に援護要請を送って来た第3チームは供述を取った容疑者を順番に警察に引き渡して行ったのだが、局員数名の抗原注射効力の時間が切れる前にドームに戻らなければならなくなった。それで後の仕事をレインとタンが引き受け、第3チームはドームに戻って来たのだ。
 報告書の内容はどれも彼等が真面目に仕事をした証で、タンが病気であることを感じさせるものはどこにもなかった。タン自身の報告書も以前と変わらぬ文体だった。レインはチーフらしく部下の様子を書いていたが、異常は認められず、以前と同様平常心で仕事に励んでいますと報告した。
 ハイネは安堵した。パトリック・タンが自身に自信を取り戻し、元通りになったのであれば、彼の誘拐事件に責任を感じていた同僚のジョン・ケリー・ドーマーも安心出来る筈だ。ケリーはポーレット・ゴダート殺害事件でも精神的なショックを受けていたので、心の負担の半分は軽減されるだろう。
 夕刻、アイダ・サヤカが勤務を終えて食堂で彼と落ち合った。

「キーラから連絡がありましたよ。」

と彼女が開口一番に報告した。

「ニコラスは明日地球に帰って来ます。」

 彼女は可笑しそうに笑った。

「とっくに会議は終わっていて、彼は今朝にでも地球に帰って来たかったそうですけど、彼が月を去るのを嫌がる人がいたらしくて・・・」

 ハイネは心当たりがあった。悪戯っぽく笑って言った。

「当ててみましょうか? シュラミス・セドウイック・パーシバルでしょう?」

 アイダも笑った。

「ご存知だったの? あの子はニコ小父さんが本当に好きなようですね。」
「ただ父親の様に慕っているだけならましですが・・・」

 彼の言葉に、彼女が笑うのを止めた。彼を見つめて、そして言った。

「私達が口出しする問題ではないと思います。彼の為人を私達はよく知っていますもの。」
「だから心配なのですよ、サヤカ。」

 ハイネはドームの天井の透明な壁の向こうにある空を見上げた。夕刻だが、まだ夏の空は明るかった。

「シュリーは真剣なのです。」


オリジン 2 2 - 6

 金曜日の夜は、ドーマー達にバーで飲酒して騒ぐことが許されている。だがハイネはそれに参加することはなく、一人アパートに帰った。アイダ・サヤカは夜勤でいない。彼は自室に入り、軽くスコッチをストレートで2杯飲むとシャワーを浴びてベッドに入った。心地よい眠りに入りかけて間も無く、端末にメールが入った。着信音で目が覚めた。彼は腕を伸ばして端末をサイドテーブルから取り上げると、画面を見た。
 ポール・レイン・ドーマーからのメールだった。西海岸でメーカーの尋問をしている部下から応援を求められたので、2時間後に出発したいと言う要請だ。
 要請の文体だが、実際は事後承諾の既成事実だろう、とハイネは思った。レインは、局長が眠っている可能性を考えて、起こさないよう電話を避け、メールを送ってきたのだ。ハイネがメールを受け取ってすぐ許可を出すと期待していない。就寝中で気がつかないかも知れないと考えている。業務内容は尋問の援護、つまり接触テレパスで逮捕したメーカーの思考を読むことだ。危険はないので、ハイネは必ず許可してくれる、と信じている。事後承諾で許してくれる、と確信している。
 ハイネは時計を見た。真夜中だ。殆どのドーマーは酔っ払っているか、寝ている時間だ。彼は返信を入れた。

ーー許可する。

 するとすぐに折り返しメールが来た。

ーータン・ドーマーを同伴します。復帰訓練です。

 パトリック・タン・ドーマーは誘拐事件の後、精神的不安定が続いて休職中だった。最近、やっと人が多い場所に出ていけるようになったとヤマザキ・ケンタロウから報告が来たところだった。人が多いと言っても、子供時代から馴染んだドーマーばかりの世界だ。外の世界の人間と触れさせるのも必要だ。尋問だけの仕事なら、タンも平気だろうと思われた。
 ハイネは再び返信した。

ーー許可する。急がずに君のペースで行うように。
ーー了解しました。

 レインはこのメールの文面を医療区でタンの担当医師に見せるだろう。
 やっとパトリック・タンが元の元気を取り戻したか。ハイネは肩の荷が一つ降りた気分になった。そして端末をサイドテーブルに戻すと、再び心地よい眠りに戻って行った。

オリジン 2 2 - 5

 ニコラス・ケンウッド長官が留守のアメリカ・ドームは退屈だ、とハイネは思った。長官と出会うのはお昼と夕方ぐらいなものだが、職務関係の連絡は頻繁に取り合っているので、地球上に彼がいないと端末も静かだ。宇宙と地球の間の連絡はコロニー人にしか許されていないので、地球人の彼はケンウッドともパーシバルとも連絡が取れない。月の地球人類復活委員会がどんな話し合いをしているのかも見当がつかなかった。ただ、ケンウッドが出かける前に、新規プロジェクトの開始が遅れている理由を聞いてくると言っていたので、事態の進展を期待していた。
 部下達はいつも通り働いている。外勤の局員達は南北アメリカ大陸各地に出かけているし、内勤職員達は複雑な書類上の手続きが正しく行われているかチェックしている。内務捜査班はどこで何をしているか不明だが、上がってくる報告は現在のところ「異常なし」ばかりだ。
 夕食は久しぶりに「黄昏の家」から現れたグレゴリー・ペルラ・ドーマーとエイブラハム・ワッツ・ドーマー、それにジェレミー・セルシウス・ドーマー夫妻と共に賑やかに食べた。膝の痛みがなくなったワッツは以前より元気になって、小さなドームで大工仕事に励んでいる。ペルラはそんな友人が無理をしないかと常にドキドキしながら手伝っているのだ。セルシウス夫妻は養育棟で働いているのだが、担当している子供達が腕白で振り回されている。1人だけいる女の子が、男顔負けの元気さで手こずっているのだと言う。

「ロッシーニ・ドーマーが彼女をそろそろ男の子達と引き離して教育しようとしたんですけどね・・・」

とセルシウスが同僚の失敗談を語った。

「女性の体の仕組みとか教えて、健康に支障がない生活をさせようと企てたんですが・・・」

 つまり、過去の女性ドーマー達同様に、出産管理区やクローン製造部、教育棟での仕事に関する勉強をさせようとしたのだ。セルシウスの妻が可笑しそうに笑った。

「彼女は保安課希望なんですよ。保安課の女性ドーマーは出産管理区で働くから、出産関係の勉強も必要だとジャン=カルロスは説得しようとしました。でも彼女は勉強より体を動かしたくて、机の前でじっとしていないのです。ジャンは毎日子供と追いかけっこですよ。」
「一人だけ引き離して勉強させようとするからだよ。」

とペルラ・ドーマー。あのお堅い元内務捜査班チーフが女の子を追いかけて走り回る姿を想像して笑った。

「男女の体の仕組みの違いを学ぶのは男の子にとっても重要なんだから、全員で学ばせれば良いのさ。」

 セルシウスが言った。女の子のドーマーは希少なのでその教育方法で毎回男達は右往左往させられる。個性が同じ教育方針を押し付けることの難しさに拍車をかけるのだ。

「執政官は何も意見を言わないのか?」

とハイネが尋ねると、セルシウス夫妻は苦笑した。

「ゴーン副長官は私達の自由裁量に任せっぱなしですよ。クローン製造部のお仕事とドーマー全般の健康管理にお忙しくて・・・」
「それにデートもなさらないといけないし・・・」

 一同は爆笑した。

2019年6月15日土曜日

オリジン 2 2 - 4

 初心者らしいぎこちなさでラケットを振っていたライサンダー・セイヤーズだったが、直ぐに要領を得たらしく、上手に狙った方向へボールを打ち返し始めた。それで、ハイネは途中で声を掛け、1セットだけ手合わせした。スポーツが得意で初めての種目でも直ぐに習得してしまうライサンダーは、この年齢不詳の白髪の人物は何者だろうと思いながらも試合を楽しんだ。しかし長身のハイネが初心者に対して容赦無く打ち返す速球に付いて行くのがやっとだった。
 5ゲーム終了した時、ライサンダーは1ポイントも取っていなかった。両手を膝に置いて呼吸を整えている彼を、ハイネは余裕で眺めた。全くの初心者で彼に付いて来られた挑戦者はライサンダーが初めてだったので、彼は面白いと感じていた。

「初めてにしては上手じゃないか。」
「でも・・・1ポイントも・・・取れてないです・・・」

 ライサンダーは白髪の男を眩しそうに見上げた。コロニー人ではなさそうだ。コロニー人はこんな逞しい筋肉を持っていない。地球人だ。でもこんな人間離れした様な綺麗な人がいるのだろうか。まるで作り物の様な体だ。ポール・レイン・ドーマーは美しいが、人間らしい匂いがする。だが、この人は天使の様だ。ライサンダーはハッと気が付いた。

 きっとこのドームから一度も出たことがない人なんだ・・・

 そう言えば、彼がドームに収容されてから身の回りの世話をしてくれたドーマー達も肌が綺麗だった。日焼けを知らない、滑らかですべすべした肌だ。白人も黒人も黄色人種も、皆んな共通して赤ちゃんの様に綺麗な肌をしている。コロニー人よりも清潔そのものに見えるのだ。

 これがドーマーと呼ばれる人達なんだ・・・

 ライサンダーは相手の名前を尋ねる為に、呼吸を整えようと努力した。しかし、ハイネはその時時計を見て、職場に戻る時刻だと気が付いた。彼は若者を振り返った。

「私は行かねばならない。面白かった。また会えたら、お手合わせ願うよ。」

 そしてライサンダーが何か言う間も与えず、ラケットを入り口の棚に返却して部屋から出て行った。呆気ないほど素早い行動だったので、ライサンダーはただ見送るだけだった。
 一方、ハイネはロッカールームに向かって歩きながら、ライサンダー・セイヤーズがクローン特有の病的な気配を微塵も持っていないことに安堵していた。普通の人間として扱う判断に誤りはなかった。危惧されていた特殊能力もない。人並み以上に運動神経が良いだけの、普通の地球人だ。そして、素直な性格だと見て取れた。

 レインにセイヤーズ、君達は良い息子を持ったな!

 彼はそっと微笑んだ。


2019年6月14日金曜日

オリジン 2 2 - 3

 昼食後仕事に戻るゴメス少佐と別れてハイネは図書館に行った。個別ブースに入って半時間ほど昼寝をした。普段より1時間以上早い昼食を取ったので、昼寝から覚めてもまだドームの中は昼休みモードだ。働き者のドーマー達が、のんびりと休憩している。
 ハイネは運動施設に行った。昼休みは比較的空いているのだ。着替えた彼はトレーニングマシンで軽くウォーミングアップしてからスカッシュ競技場に入った。午後は賑わう競技場も昼休みは閑散としている。彼はラケットを取り、マシンが打ち出すボールが壁に当たって戻ってくるのを打ち返す練習をした。相手がいないので、正直なところ退屈なのだが、体をほぐすのが目的だから、彼は業務に戻る迄の短い運動のつもりだった。
 ふと視界に一人の男が入った。ラケットを持っている。ハイネはマシンに声を掛けた。

「休止」

 ボールが止まった。ハイネは球技場の入り口に立っている若い男を振り返った。初めて見る顔だったが、見覚えがあった。ポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーを足して2で割った様な容姿だ。髪の色は緑色に輝く黒髪。日焼けしているが白人で、青い目をしている。その目元がレインにそっくりだった。だが全体の雰囲気はセイヤーズだ。

 これがサタジット・ラムジーの最高傑作か・・・

 ハイネは優しい微笑みを浮かべて若者に声を掛けた。

「ヤァ、スカッシュをするのかね?」

 若者は緊張した表情で彼を見返した。

「こんにちは。スカッシュって言うんですか? テニスみたいだけど・・・」
「テニスから派生した競技だよ。」
「そうなんですか。どんなルールなんですか?」
「簡単に言えば、四方を壁に囲まれたコートとボールを用いて行う屋内球技だ。2名がラケットでボールを交互に打ち合う。全ての打球は前方の壁に向かって打つ必要があるが、そのほかの壁も全て利用することができる。相手がボールを2度床にバウンドする前に前方の壁に打ち返すことができなかったり、ボールが壁に届かなかったりすると、自分の得点になる。逆に言えば、自身がボールを1度目のバウンドの後で打ち返せなかったり、壁にボールが届かなければ、相手の得点になる。」

 若者が頷いた。呑み込めた様だ。ハイネはマシンからボールを一個だけ出した。

「一回やってみるかね?」

 恐らくセイヤーズの息子だから、一回で要領を掴む筈だ、とハイネは睨んだ。若者が頷いてコートの中に入ってきた。

2019年6月12日水曜日

オリジン 2 2 - 2

 打ち合わせ会が早く終了したので、ハイネにもゴメスにも珍しく、混み合う時刻に食堂に入った。一般食堂だ。ゴメスは個人的にこちらの方が好きなのだが、仕事柄短時間で食事を摂るので殆ど中央研究所の食堂を利用する。だからドーマー達は滅多に顔を見せない保安課長の姿に驚いて注目した。混み合う時間に現れた遺伝子管理局長より保安課長の方が目立ったのだ。

「視線を感じるのですが・・・」

と食べながら少佐が囁くと、ハイネが笑った。

「有名税です、我慢なさい、少佐。」

 食事中の話題は主に最近のテレビのスポーツ番組の内容だった。他愛ない世間話だ。お互いに相手がそんな俗な番組を見ていることに内心驚きながら会話を楽しんだ。デザートの頃になって、ふとゴメスはこの数ヶ月気になっていた案件を思い出した。

「局長、後で少し内緒話が出来る場所に移りませんか?」

 ハイネはさっと周囲を見回した。賑やかな話声に彼等は包まれていた。

「ここで普通の音声で話した方が内緒話が出来ると思いますが?」
「そうですか?」
「保安課長と遺伝子管理局長が図書館の個別ブースに篭る方が、内緒話をしていると噂が拡散しますぞ。」
「そんなもんですか?」
「そんなもんです。」

 ゴメスは苦笑した。そして、アイスクリームをスプーンで掬いながら言った。

「うちの課員が監視・護衛している男のことなのですが・・・」

 ドーム内で保安課が監視・護衛している男性は一人しかいない、とハイネは思った。

「パーカーが何か?」

 果たして、ゴメスは否定しなかった。アイスクリームを頬張って口の中で溶けるのを待ってから続けた。

「クローン製造部の女性達に人気があるようですな。外から来た人間なので、コロニー人にもドーマーにも新鮮に映るのでしょう。」
「私は個人的に彼と接触したことがありません。職務で一度会ったきりです。印象として、確かに男性であることをアピールする容姿でしたな。体格が良いし、ルックスも良い。性格に関しては、彼と付き合いがないので何とも言えません。」
「監視員の報告では、仲間に親切で面倒見の良い男だそうです。ただ自身の立場をまだ囚人と捉えている様子だと、サルバトーレが・・・監視員ですが、言っています。執政官には少し反抗的な口を利くとか・・・」
「何か問題でも起こしたのですか?」

 ゴメス少佐はさりげない風に周囲に目を配ってから、テーブルの上に視線を向けた。

「女性執政官の中に彼に強い関心を抱いている人がいるそうです。否、積極的に彼の気を引くとか、そんな行動は取っていないのですが、何かと世話を焼きたがると言うか・・・」
「ああ・・・」

 ローガン・ハイネにもその手の女性の行動に心当たりがあった。まだ互いの恋に気が付いていなかった頃のアイダ・サヤカも彼に対してそんな風に接していたのだ。

「男の方は気が付いていないのですね?」
「男は鈍感ですからな。」

 ゴメスが苦笑した。

「サルバトーレは、2人の仲が発展すると思っていないが、彼女が気の毒だと言っています。地球人保護法がなければ、友達付き合いでも良いから彼にもう少し近づけるだろうに、と。」

 ゴメスは、ハイネとアイダが交際していると言う噂を知っていた。また、ゴーン副長官とダリル・セイヤーズも仲良くデートしていると言う報告を受けていた。地球人保護法は保安課の管轄ではない。だから彼はドーマーと執政官が男女の関係になったとしても告発するつもりはなかったし、妨害するつもりも毛頭なかった。彼が遺伝子管理局長に言いたかったのは、もしジェリー・パーカーと件の女性執政官が恋仲になった場合、幹部に目を瞑って欲しいと言うことだった。
 ハイネは別の解釈をした。

「女性が努力して感情を抑えているのだとしたら、その努力に報いてやりたいものです。」

と彼は呟いた。

「パーカーの石頭をなんとか和らげてやらねばなりませんな。」


2019年6月11日火曜日

オリジン 2 2 - 1

 アメリカ・ドームの幹部打ち合わせ会は本来最高幹部4名によって行われることになっていた。長官、副長官、保安課長、そして遺伝子管理局長だ。しかし、いつの頃からか、保安課長は出席しなくなった。多忙だったのか、面倒臭かったのか、どこにもその理由が記録されていないので、誰もが打ち合わせ会は3人で行うものだと思いがちだった。ユリアン・リプリーが長官に就任した時、規則重視の彼は4名体制に戻そうとしたのだが、当時の保安課長に無視された。あの時期は、更迭された前任長官派の残党を整理している最中だったので、実際に保安課は忙しかったのだ。ニコラス・ケンウッドが長官に就任した時も、保安課長は先手を打って、自分が打ち合わせに出ても何も建設的な意見を言う訳でないし、長官や副長官の意思に任せると断ってきた。だから・・・
 ケンウッドが重力休暇と出張を兼ねて月へ出かけてしまったので、留守を預かるゴーン副長官が打ち合わせ会をしましょうと保安課に連絡を入れた時、ゴメス少佐は何故自分に声が掛かったのかと驚いた。ゴーンが、打ち合わせ会は本来4名で行うもので、長官が留守の間は保安課長に是非出席してもらいたいと言うと、彼は反論した。今迄だって長官は出張したし、保安課に声が掛かったことはなかった。今頃になってどうして自分に声を掛けるのか、と。思わぬ反抗に遭って、ゴーンはびっくりした。しかし保安課長と喧嘩をするつもりはなかったので、出来るだけ穏やかな口調で説明した。
 近頃執政官の中に中央の執行部に不満を抱いている人々がいると噂が立っている。原因は、女子誕生の手掛りが発見され、用済みとなった科学者は解雇されると言うデマが流れているせいだ。ケンウッドが今回の出張で雇用に関する確たる答えを執行部からもらって来る迄、保安課に警戒してもらいたいので、本日の打ち合わせには少佐の出席を強く希望する、と。
 やっと納得したゴメス少佐は、副長官執務室に足を運び、ゴーン、ハイネと共にドーム内の保安状況について話し合った。ドーム内では銃火器の使用が禁止されている。武器となるのは日用品か薬品を細工したものに限られる。或いは、コンピュータのネットワークに何か仕掛けられることだ。だから保安課は情報システムの監視を強化させて欲しい、と副長官から要請があり、ゴメス少佐はそれを承諾した。遺伝子管理局から保安課へは何も要求はなかったが、ゴーンが打ち合わせ会の終了を告げると、ハイネがゴメスを昼食に誘った。この100歳になるドーマーが自分から友人以外のコロニー人を誘うのは滅多にないことなので、少佐は驚いた。ゴーンがちょっと笑いながらハイネに声を掛けた。

「私は誘って下さらないの? 局長。」

 ハイネが「おや?」と言いたげに眉を上げた。

「格闘技の話に興味がおありですか? 副長官。」

 ゴーンは首を振った。まだ笑っていた。

「私を最初から入れてくれないおつもりね、ローガン・ハイネ。無理言いません、お2人でゆっくりお昼を召し上がって下さいな。」



2019年6月10日月曜日

オリジン 2 1 - 4

 子供達が寝室へ退がってから、ケンウッドはパーシバルとキーラにライサンダー・セイヤーズの身に起きた不幸を語った。親友夫妻は思いがけない悲劇にショックを受けた。気の強さでは夫以上のキーラが目に涙を浮かべ、理不尽な暴力で命を奪われた地球人の女性に同情した。

「赤ちゃんには、お母さんが亡くなったのは彼女のせいだなんて思わせては駄目よ。」

とキーラは言った。

「勿論、お父さんがそんな考えを持たないことが重要だけど。」
「ライサンダーは自身がクローンだから襲われたと思っているらしいんだ。」

とケンウッドは言った。

「だが、その考えは間違っている。FOKは常識では考えられない様な思想で行動していた。ライサンダーがクローンだろうと普通の誕生の仕方をした子供であろうと、関係なかっただろう。ポーレット・ゴダートが女の子を妊娠した、父親がクローンだった、それだけで襲ったのだ。」
「ライサンダーがクローンであることを後悔するなら、ポールとダリルは胸を引き裂かれる思いをする筈だよ。」

 ドーマー達を愛する心ではケンウッドに負けないパーシバルが苦しそうな表情で呟いた。

「幸い、他のドーマー達がドームに保護されたライサンダーを気遣って、彼の悲しみを和らげようとするレインとセイヤーズの試みに力を貸してくれているんだ。構い過ぎず、無視せず、特別扱いしないで接している。私は一度ライサンダーと出会って言葉をかわしたが、なかなかどうして、聡明で穏やかな性格の若者だったよ。セイヤーズは上手に子育てしたもんだ。」
「ライサンダーをドーマーとしてドームに置くのかい?」
「とんでもない。彼は普通の地球人として、外で生活している。クローン製造部で保護されている胎児の様子を見るために週に2日だけドームに泊まる、そう言う約束になったんだ。」

 キーラが表情を和らげた。

「それはつまり、彼が前に進み始めたと言うことなのね?」
「うん。まだ細君のことを考えるのは辛いだろうが、子供の為に生きていくと決心した様だよ。」
「流石にダリルとポールの息子だなぁ・・・」

 パーシバルがしみじみとした顔で呟いた。

「あの2人も遂に祖父さんになったか・・・」

2019年6月9日日曜日

オリジン 2 1 - 3

 ショシャナが帰宅して、やっと夕食が始まった。子供達はもう殆ど大人だ。ケンウッドとパーシバル、キーラの会話に参加しようと3人で色々口を挟んでくる。ローガンとシュラミスは共に地球環境物理学を専門にする学部を目指しているので、ケンウッドに地球について質問を続けて、両親に話をさせまいとした。ショシャナは一人音楽の道を目指している。姉弟の会話に入っていけないので、ちょっと不満そうだ。気配りの人ケンウッドは彼女の様子に気が付いてなんとか仲間に加えてやろうとするのだが、シュラミスが許さなかった。

「ニコ小父さん、私の質問に答えて!」

 ケンウッドの注意が姉妹に向けられるのが不満だ。キーラが娘を窘めた。

「シュリー、ニコは疲れているのよ、少しは貴女が黙りなさい。」

 シュラミスが母親に抗議しようとする隙を突いて、ローガンがケンウッドに質問した。

「小父さん、ドーマー達は誰でもドームの外で暮らせる体なんですか? 局長みたいに外気を呼吸すると健康に問題が出る人は多いですか?」
「基本的には、誰でも外で暮らせるんだよ。ただ、空気中の細菌やウィルスに抵抗力をつけていないので、抗体を持たせないといけないんだ。」

 ケンウッドは少年に説明した。

「局長が抱えている問題は、抗体の欠如ではなく、肺の細胞が過去の病気の後遺症で弱っていることなのだ。だからドームの中でも、彼は激しい運動を控えている。普通のドーマー達ほど長時間は運動出来ないのだよ。彼の運動能力は素晴らしく高いから、格闘技など短時間で勝負を決められる運動は得意なのだが、水泳や長距離走は誰かが見張っていないと限度を超えて後で苦しむ結果になってしまう。まぁ、朝起きがけのジョギング程度なら問題ないのだがね。」
「困ったことに・・・」

とパーシバルが口を挟んだ。

「若いドーマーの中には、ハイネに挑戦したがる奴がいるんだ。動物の雄の本能かなぁ。年上の強いボスを倒して次世代の指導者になりたがるのは、雄の動物の常だからね。そして更に困ったことに、ハイネはその挑戦を拒まない。寧ろ喜んで受けて立つんで、ケンタロウはいつも心穏やかじゃない。」
「ケンタロウどころか、私も心配で堪らないよ。」

とケンウッド。キーラが笑った。

「その挑戦者は、クロエルちゃんじゃないの?」
「正にその通りだ。」

 へーっと子供達。クロエル・ドーマーは奇抜なファッションと軽快なトークで宇宙の若者に人気だ。

「クロエル・ドーマーって、局長に試合を挑むの?」
「ああ、水泳だろうが、柔道だろうが、レスリングだろうが、なんだって挑戦したがる困ったちゃんだ。」
「で? どっちが勝つの?」
「局長でしょ?」
「クロエルじゃない?」

 子供たちがワイワイ騒ぎ出した。ケンウッドは、ここにハイネがいれば良いのにな、とふと思った。この賑やかさが家族の団欒と言うものだ、と教えてやりたかった。

2019年6月8日土曜日

オリジン 2 1 - 2

 総会の後は恒例のパーティーだったが、ケンウッドは苦手なので出席を辞退した。執行部の広報は彼の話を聞きたがる委員が大勢いるのだからと、引き止めようとしたが、彼は本部会場を後にした。
 同じく総会に出席していたヘンリー・パーシバルと共に、パーシバルの月の家へ行った。そこでは、料理下手ではあるが、得意料理は上手に作れるキーラ・セドウィックが息子と共に食事の支度を整えて待っていた。ケンウッドは屋内に入るなり、シュラミスの抱擁の歓迎を受けた。

「ショシャナは後半時間したらピアノのレッスンから帰って来るわ。」
「彼女は構わないから、先に飯にしよう。」

とパーシバルが言ったが、ケンウッドは待ってあげようと提案した。

「それより車中で君が言っていたドーマーの社会復帰教育の草案を聞きたいね。」

とパーシバルに言ったので、彼等はリビングで食前酒を飲みながら話を始めた。
 パーシバルはケンウッドがアメリカ・ドームで計画中の保養所を支持しながらも、その前にすることがあるだろうと言うのだった。

「ドームの中の常識と外の世界の実情はかなり違う。一般人から見ると、ドーマーは汚れのない天国から降りてきた異邦人だよ。恐らく会話をしてもズレるだろうし、騙しやすいカモに見えるだろう。だから、外の世界の実情と法律を勉強させないといけない。外での生活体験はそれからだよ。」
「実情って・・・犯罪を教えるのかい?」
「犯罪の実情を教えるのさ。ドラマだけの世界じゃないって、実感させないと、彼等は危険性を理解しない。」

 パーシバルは空港ビルの画像を端末に出した。

「ドーマー達をまずはここで働かせるんだ。交代制でね。全員の仕事があるだろう?」
「研究所助手の仕事はないぞ。」
「それは維持班幹部が考える筈だ。何もかも執政官主導でやるのは、良くない。」
「全部ドーマーにやらせろと?」
「ニコ、ドーマーは子供じゃない、立派な大人だ。」

 ドーマーを我が子の様に愛している親友に、パーシバルは注意を与えた。

「いきなり外へ放り出せと言ってるんじゃない。最初は実際にすぐに働ける者を選んで、出してやるんだ。外には一般人の労働者がいる。彼等と一緒に働かせて学ばせるんだよ。」
「良いも悪いも、外の世界の同僚が教えるってことか・・・」
「僕等の子育てと同じだ。保育園に出すのと同じなんだ。」

 すると、それまでケンウッドの隣に座って親達の会話を聞いていたシュラミスが口を挟んだ。

「それじゃ、パパもママもローガンの開拓地研修を許可しなきゃね。」
「話の腰を折るんじゃないよ、シュリー。」

 パーシバルが娘にやんわり注意した。

「まだ大学に合格もしていないのに、反対する方が可笑しいわ。」

 とシュラミス。

「あっちでママとローガンを手伝ってきなさい。」

とパーシバル。しかしシュラミスはケンウッドの腕に自分の腕を回した。

「黙ってるから、ここに居させて。」

 ケンウッドは妙に可笑しくなって理由もなく笑った。


2019年6月5日水曜日

オリジン 2 1 - 1

 ケンウッドは重力休暇を兼ねて月での地球人類復活委員会総会に出席した。総会は委員会に在籍している者であれば誰でも出席出来るのだが、多くは面倒なので来ない。ほぼ役員と熱心な研究者、政治に興味のある者だけだ。ヤマザキ・ケンタロウなどは一度も出席したことがない。ケンウッドは知りたいことがあったので、今回は出席したのだ。
 ロバータ・ベルトリッチ委員長が開会宣言をして、短い挨拶の後、マザー・コンピュータのデータ書き換えが遅れていることの説明があると言った。それこそケンウッドが知りたかったことだったので、彼は安堵した。
 情報処理責任者が壇上に上がり、中央の空中に立体スクリーンを立ち上げた。数値とグラフが現れた。

「これは各ドームのデータ書き換え進行状況です。ご覧の通り、8割のドームでは書き換えが終了し、こちらのゴーサインを待つばかりになっています。」

 別の色のグラフがそれに置き換えられた。

「これは、新しい人工羊水使用が開始されることに対して、不安を感じる研究者の数です。」

 ケンウッドは驚いた。人工羊水使用に不安を感じるとは、どう言うことだ? 質問しようと思ったが、解説者がすぐに説明してくれた。

「研究者の多くは、地球に女性が誕生することで、失業の可能性を懸念しているらしいです。」

 あー、そう言うことか、とケンウッドは合点した。アメリカ・ドームでも同様の意見が出たのだ。しかしケンウッドは彼等に言い聞かせた。地球人の女性が実際に誕生すると証明されるのはまだ20年近い未来の話だ。それまではこれまで通りドーム事業が続けられなければならないし、ドーマーの社会復帰計画の中には健康管理の問題が重要な位置を占めてくる。ドームの研究者達は女性誕生に向けていた遺伝子研究を、今度は外気に曝されるドーマー達の健康維持に役立てて欲しい、と。

ーー延いては、大異変後に短くなった地球人の寿命を異変前に戻す研究になると思いますが、いかがなものでしょう?

 ケンウッドの言葉に、科学者達は失業の不安を和らげたのだ。
 情報処理責任者は、地球上の一部のドームで失業の心配をする研究者達がデータ書き換えを妨害している節があると喋っていた。会場内にざわめきが起こった。地球人類復活委員会は地球人の未来の為に働く組織であって、科学者達の金儲けの場所ではないのだ。お金に興味がある会員は総会に顔を出していないだろう。
 ベルトリッチ委員長がマイクをコンコンと叩いて、会場内の私語に勤しむ連中を黙らせた。

「ドーム内の科学者達を一つの目標に向かって歩かせる指導力を持つ長官達は、どんな方法で書き換えの準備を終わらせたのか、聞いて見ませんか?」

 彼女はケンウッドに顔を向けた。

「南北アメリカ大陸ドーム長官、ニコラス・ケンウッド博士、貴方はどのように研究者達を説得されました?」


2019年6月2日日曜日

大嵐 2 3 - 4

 宇宙での出来事の報告をアイダが終えると、ハイネは彼女の旅立の前日に起きたポーレット・ゴダート殺害事件を伝えた。この事件はドームに保護されたライサンダー・セイヤーズが落ち着くまで関係者以外教えられていなかったので、アイダは何も知らぬまま出かけたのだ。だから、ポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーの息子の一家に起きた悲劇を知ると彼女は心を痛めた。

「ポーレット・ゴダートはよく覚えています。最初の赤ちゃんを養子に出さなければならなかった女性でしたね。配偶者を亡くして子供を取り上げられ、本当に気の毒でした。やっと幸せを掴んだと思った矢先に、酷い亡くなり方をしたなんて・・・」

 彼女はドームの中の注目を集めたライサンダーではなく、殺害されたゴダートの方に関心を寄せて、同情した。

「赤ちゃんはこのドームに保護されましたのね?」
「はい。ゴーン博士が育成責任者になって面倒を見ておられます。」
「そして父親のライサンダーは週2回、ドームに子供を見にやって来る・・・ケンウッド長官の温情ですね。普通、保護された胎児の親がドームに来ることはありません。」
「取り替え子の秘密を知られてしまいますから。ライサンダー・セイヤーズは全て知っていますから、許可が出たのです。否、ゴーン副長官が彼に要請したのです。母親が胎児に話しかけるのと同じ様に彼にも胎児に語りかけて欲しいと。」
「ガラス管の中の胎児に話しかけるのですか?」

 アイダはなんとなく嘘くさく感じた。

「多分、胎児への影響より、ライサンダーの精神的苦痛を緩和させる為に、ラナが考え出した策でしょう。」

 と彼女はハイネに言った。

「ライサンダー・セイヤーズは生き残ったことに罪悪感を抱いている筈です。酷い事件の生存者の多くは、死者に対して罪の意識を持ってしまうのですよ。本当は生きていることに罪などないのですけど。胎児と繋がりを持っていることをいつでも思い出させて、子供の為に生きようと思わせる狙いがあるのでしょうね。」
「成る程・・・」

 ハイネはラナ・ゴーンと言う人物がいつも相手にそれと気付かせずに心配り出来る人だと言うことを思い出し、感心した。
 アイダが遠い未来を見つめる目付きになった。

「私はライサンダーに赤ちゃんの世話の仕方を教えましょう。ダリル坊やが教えても良いのでしょうけど、男の人の世話の仕方と女の人のそれはちょっと違いますからね。」


大嵐 2 3 - 3

 アイダ・サヤカは送迎フロアで夫の出迎えを受けた。彼女と彼の仲はもうすっかり周知の事実になっており、ゲイト係も彼等がハグし合って数日ぶりの再会を喜び合うのを見て見ぬ振りをすることに慣れていた。誰もコロニー人の女性博士が地球人保護法に違反する行為をしているなどと野暮なツッコミを入れなかった。

 あのローガン・ハイネが出産管理区長のママさんを愛しているんだ。僕等が野暮なことを指摘してドーマーの神様を苦しめてはいけない。

 ハイネとアイダが仲良くフロアを出ていくのを、彼等は微笑みながら見送った。
 以前のアイダは宇宙から戻って来ると、真っ先に職場の様子を見に、出産管理区へ直行していた。しかし、ここ数年は長い回廊を歩いてアパートの自室へ向かう。職場は副区長のシンディ・ランバート博士に任せているので心配していない。ランバートへ信頼していることを示す為にも、余計な顔出しをしないのだ。それに歩きながら夫に宇宙であった出来事を語るのも楽しかった。ハイネは宇宙の政治には関心がないが、彼女が月や火星のコロニーで出会った人々の話や出来事を聞きたがった。
 アイダが真っ先に語るのは、親友のキーラ・セドウィックとのお茶や食事会のことだ。彼女達は必ず出会う。キーラは今でも昔の職場が現在どんな様子なのか知りたがるので、アイダはかつての上司に報告する。それからキーラが取り上げたドーマー達がどれだけ成長し、現在どんな風に働いているか、元気なのか、悩んでいないか、と伝える。勿論、これは聞き手のハイネも関心があった。我が子と思う若いドーマー達の、彼が知らない姿を知る機会だ。それからキーラがアイダに語ったヘンリー・パーシバルと3人の子供達の話。最近の春分祭迄ハイネは孫には無関心でパーシバルのことだけに耳を傾けていた感があったが、今回は孫に関心を向けた。やはり実物に会って興味が湧いたのだ。
 そしてアイダが驚いたことには、ハイネは彼女自身の家族の話も聞きたがった。彼女の2人の子供とその家族だ。アイダの上の娘は宇宙連邦中央政府の官僚で、夫は大学の研究者だ。留守がちの妻に代わって夫が子育てと家事をしている。家事の大半をロボットがこなしているのは、ドームのドーマーの生活と同じだった。孫達はちょっと反抗期に入りかけており、母親が留守がちなのが不満らしい。それで今回アイダは孫達との時間を多めにとって、彼等の悩みを聞いてやった。
 下の息子は農業用機械の技術開発者だ。遠い開拓地へ出張することが多いが、コロニーの自宅にいる時は在宅勤務で機械の設計をしている。外へ働きに行っている妻と子供達と楽しく暮らしているので、アイダは上の娘の子供を連れて遊びに行き、嫁と一緒に買い物に出かけたり、2組の孫と出かけたりした。
 ハイネはそんな話を聞いていたが、ふと思い出したように妻に尋ねた。

「貴女はいつ眠っていたのです? お話を伺っていましたが、貴女が眠る時間があったように思えません・・・」

 アイダが笑った。

「ちゃんと眠っていましたよ。向こうに私の家はありませんから、移動の車中やシャトルの中で。それに子供達の家でも休む時間はちゃんとありました。」

 そして彼の手を軽く叩いた。

「そう言う貴方はちゃんとお休みになられましたか?」

大嵐 2 3 - 2

 翌日の午後、春の終わりの気怠い陽気を外の世界からそのまま受け継いでドーム全体がぼーっとした雰囲気になった頃に、ポール・レイン・ドーマーが1人で帰って来た。彼は先ず上司ハイネ局長に報告してから、ケンウッド長官にも挨拶に行った。息子の妻の葬儀の出席は私的なものだが、彼は遺伝子管理局の局員としての任務も果たしてきたからだ。
 法律では、胎児が保護されてドーム又は分室に収容される場合、遺産相続に関係してくる場合を考慮して、遺伝子管理局が公的に発表することになっていた。レインは胎児がライサンダーとポーレットの子供であることを確認し、性別を特定し、ドームが保護していることを葬儀の場で公表した。これで胎児が無事に新生児として世に出た時に、親族の財産を相続する権利を保障されるのだ。
 レインは自身とライサンダーの関係には言及しなかったが、2人の髪の色が同じで容貌も似ていたので血縁関係があるのではないかと推測された。本来なら血縁がない局員に任せるべき役割だったが、彼はどうしてもポーレットの親族を見ておきたかったのだ。彼等の反応を見てライサンダーと子供が受け容れてもらえるかどうか確認したかった。
 ゴダート夫妻は葬儀が始まる直前に現れた。父親は有名な社会人類学者だった。著書を多く出版しており、テレビでも解説者として出演するなど、幅広く活躍していた。しかし、娘が肌の色が違う男性を配偶者に選んだことが許せず、しかもその男性が貧しかったので、娘を勘当してしまった。ポーレットの夫が、彼女の最初の出産と同じ時に亡くなっても、娘を許せなかった。ポーレットが2度目の結婚で選んだ男も白人だったので、彼は娘を無視したのだが、事件を知って深く後悔していた。娘を殺害したドン・マコーリーは、彼が娘と結婚させたがっていた男だったからだ。
 娘の友人達が、ポーレットがいかに2人の夫を愛していたか、両親に伝えると、母親は悲しみに耐えきれなくなって号泣した。
 遺伝子管理局は子供の養子先を実の親に教えたりしない。子供が成長して養父母、子供、実の親の3者の合意がなければ真実を明かさないのが原則だ。ゴダート夫妻は最初の孫を諦めたが、2人目の孫には会いたいと言った。孫が成長した暁に、自分達が娘の人生を認めなかったばかりに娘を不幸な目に遭わせたことを謝りたい、と言った。
 ライサンダーは、彼等に罪はないと慰めた。犯人達は他にも多くのクローンの子供を殺害しており、ポーレットはクローンである彼と結婚した為に、犯人グループに目を付けられたのだと。意外なことに、ゴダート夫妻は肌の色にこだわったにも関わらず、クローンには寛大だった。クローンであることは罪ではないのだから、ライサンダーは気に病んだりしないで欲しい、と言った。そして孫が新生児になったら、会わせて欲しいと頼んだ。ライサンダーから取り上げたりしないから、養育の援助をしたいと申し出た。
 
「ポーレット・ゴダートは死によって親と和解出来た訳だな。」

とケンウッドが呟いた。レインは、親と言う人間は子供を愛する余り冷たくなってしまうこともあるのだな、と思った。ダリル・セイヤーズはライサンダーを愛しているが、溺愛はしていない。1歩距離を置いて、息子を1人の人間として認めて育てていた。しかし放任主義ではなく、常に見守っていた。自分は育てる手間が省けて助かった、とレインは内心思った。
 レインが長官執務室から退出して数分後に、ゲイトから連絡が入った。アイダ・サヤカ博士が重力休暇を終えて地球に戻って来たと言う。予定より早かったな、とケンウッドは思った。提出された休暇予定表では彼女の帰還は2日後だった。
 遺伝子管理局本部のハイネ局長の端末にアイダの帰還を知らせるメッセージを入れておいた。彼女も消毒を終えたら真っ先に夫に連絡する筈だ。長官を飛ばすことになるが、ケンウッドはそんな細かいことに拘る上司ではない。ハイネから数分後に情報提供への感謝のメッセージが返ってきた。

 

大嵐 2 3 - 1

 出産管理区長アイダ・サヤカが重力休暇で月に行っているので、ハイネ局長は大人しい。女性の影響力がこれほど大きなものかとケンウッドは今更ながらに感心してしまう。プレイボーイで名を馳せるヤマザキ・ケンタロウも歳をとったせいか、最近は一人の女性で落ち着いている。結婚はしていないが、重力休暇で火星に戻ると一緒にいるらしい。ケンウッドはまだ紹介されていないが、パーシバル・セドウィック夫妻は既に会っていると言う。
 ケンウッドはシュラミス・セドウィック・パーシバルからメールをもらった。ほぼ2日置きに送られて来る。どうも高校生に気に入られた様だ、と彼は秘書と笑い合った。シュラミスのメールの内容は日々の高校生活が中心だ。彼女は地球の気象学を選択しており、毎日地球の周回軌道を廻る人工衛星から届けられる気象データを分析する学習をしている。将来は天候をコントロールする気象制御士と言う職業に就いて、地球で働きたいと書いていた。
 地球にも気象制御士がいる。元々この惑星で生まれた職業で、現在は新規の惑星開拓に不可欠な仕事だ。
 ケンウッドはドームの壁越しに見える空を見上げた。地球では余り天候をいじることを良しとされない。一度壊して、やっと復元途上の生態系を狂わせたくないからだ。だが、農業地帯や居住地では災害を避ける為に雨雲をコントロールする。シュラミスはその仕事に就きたいと言うのだった。
 目のキラキラした元気な少女だったな、と彼女の印象を彼はそう感じた。ハイネと語り合っている姿は、祖父を信頼しきっている様だった。ハイネは外観こそ若いが、彼女と顔を寄せ合って内緒話をしている時は、正に「お祖父ちゃん」の表情で孫を見つめていた。肉親に無関心なドーマーと言うのは、嘘だ、とケンウッドは思った。ドーマー達はやはり心の奥底で母親を慕い、妻や子を持ちたいと願っているに違いない。

 ドーマーの社会復帰計画を早く進めるべきだな。

 そんな思いを強く感じたのは、ライサンダー・セイヤーズに出逢ったからだろうか。父親2人と言う特殊な誕生の仕方にも関わらず、彼は普通の人間だった。そして父親達を愛していたし、信頼していた。その我が子の感情に、あの無愛想なポール・レイン・ドーマーが一所懸命になって応えようと努力している。自然に親として振る舞えるダリル・セイヤーズと違って、子育てに関わらなかった分、レインは親としての時間をこれから作ろうと必死なのだ。ドーマーの中で、一番ドーマーらしく肉親に無関心を示したあのレインが!
 端末に、シュラミスからのメール着信が通知された。ケンウッドが開くと、少女の画像が添付されていた。空中放電実験の様子だと説明が書かれていた。そして最後に一言、

ーーニコ小父さんの、年下の女性への許容範囲は何歳まで?

と質問が添えられていた。

 どう言う主旨の質問なんだ?

 ケンウッドは真面目に考え込んでしまった。