2017年5月25日木曜日

家路 5

 木曜日の夕方、ライサンダー・セイヤーズは仕事が終わるとアパートには帰らず直接ポートランドの空港へ行った。そこには既に親しくなった静音ヘリのパイロット、マイケル・ゴールドスミス・ドーマーが来ており、遺伝子管理局のポートランド支局に届ける荷物を降ろすと、ライサンダーを拾ってドームへ戻った。以前はもっと遅い時刻に出遭っていたのだが、2人とも、早くポートランドを発った方がドーム空港の空港ビルにある食堂が閉まる前に夕食にありつける、と気が付いたのだ。シェイの料理をお腹いっぱい食べられるのは、ドームの外にいる人間の特権だ。
 ドーム空港は、妊産婦の送迎をする航空機専用だが、その機内に搭乗するのは決して女性達ばかりではない。出産を控えた妻や恋人を気遣う男達も乗ることが出来るし、そう言う男達は彼女達が子供を産んでドームから出てくる迄空港周辺の宿泊施設に滞在する。婚姻許可がもらえるのが裕福な男性ばかりなので、こう言うことが可能なのだ。だから、ドームの周辺は野原だが、その野原を取り囲んでホテル街が繁栄している。
 妻を亡くしたばかりのライサンダーは、そんな幸福な男達と一緒にならないよう、閉店時刻ぎりぎりで食堂に入る。ゴールドスミスが航空班のドーマーなので、食堂は拒否しない。それにライサンダーは後片付けを手伝うので、寧ろ歓迎された。
 その週末、ライサンダーは夕食を終えると、尞に戻るゴールドスミスと別れてドームのゲートをくぐった。執拗な消毒を済ませてから、長い回廊を通り、庭園を抜けた。木曜日の夜は、父親のダリル・セイヤーズ・ドーマーがラナ・ゴーン副長官とデートをする日で、時々庭園で彼等を見かけるのだが、その夜は2人共姿が見えなかった。
 ライサンダーは満腹で眠気を覚えたので、どこにも寄り道をしないで両親が住むアパートに向かった。
 ダリルとポールが住むC-202のドア上に、住人の在宅を示す青ライトが灯っていた。ライサンダーは取り敢えずチャイムを鳴らしてから、指紋で開錠し、室内に入った。居間は薄暗く、2人掛けのソファの真ん中にポール・レイン・ドーマーが独り陣取ってテレビで野球中継を見ていた。ライサンダーが「こんばんは」と声を掛けると、彼はテレビから目を離さずに頷いただけだった。
 ライサンダーは荷物を彼にあてがわれている小さい寝室に置いて、居間に戻った。もう片方の父親が室内に居る気配はなかった。やはりデートだな、と思いつつも、ポールに訊いてみた。

「父さんは?」
「音楽会。」

 ドームの中は娯楽が少ないが、コロニー人が宇宙から時々慰問に来る。だから、ドーマー達は地球上では見られない演劇やコンサートなどを楽しめる。これはコロニー人も地球人も一緒に鑑賞出来るのだ。

 ライサンダーは独り掛けの椅子に座った。

「お父さんは行かないの?」
「俺の柄じゃない。」

 音楽自体に興味がないのか、それとも好まないジャンルの音楽なのか、どっちだろう。兎に角、ポールは留守番を選択したのだ。JJはどうしたのかな、と思ったが、それは訊かなかった。誰かがテレビの中でホームランを打って、ポールが悔しがったからだ。
 ポールは暫く息子を無視して野球を楽しんでいたが、ライサンダーには彼がどっちのチームを応援しているのかわからなかった。ポールは守備に回るチームを応援していたので、どちらのチームが打たれても悔しがるのだ。

 変わった野球ファンだこと・・・

ライサンダーは、ダリルに相談するつもりだったフランシス・フラネリーの提案をポールに持ちかけてみることにした。

2017年5月23日火曜日

家路 4

 ライサンダー・セイヤーズは仕事を終え、図書館で勉強する為にバスに乗った。夜勤明けなので疲れていたが、眠る前にもうひとふんばりしたかったのだ。彼の記憶力は抜群に優秀なので、暗記物の科目は楽勝だ。それに見つけたばかりのアパートは、子供がいる家庭が数軒入居しており、昼間は結構賑やかで眠るには図書館の方が良いと彼は思っていた。子供達の多くは養子で、親は男性カップルと言う家庭が大半だ。ライサンダーはなんとなく住民達に親しみを覚えていたが、静けさとなると話は違う。幼い子供の甲高い声は勉強にも睡眠にもふさわしくなかった。
 目的地のバス停でバスを降りて図書館の入り口に向かって歩きだした時だった。

「セイヤーズさん?」

 女性の声で呼びかけられた。女性の知人と言えば職場に数名いるが、彼女達は夕方迄オフィスで働くエリートで、昼間街中を出歩くことは滅多にない。
 ライサンダーは立ち止まって声がした方を振り返った。中年の女性が立っていた。上品な薄いベージュ色のスーツを着ており、髪の毛は栗色だ。薄い水色の目で彼を見つめる眼差しは優しかった。彼女はライサンダーが振り向いたので、微笑んだ。

「やはり貴方、ライサンダー・セイヤーズなのね?」
「どちら様?」

 ライサンダーは少し警戒した。初対面の女性だが、誰かによく似ている。すごく彼に親しい人なのに、思い出せないのは、彼の知古の人が男性で、目の前の人が女性だからだろう。
 彼女は静かに彼に歩み寄り、周囲に声を聞かれない様気を配って名乗った。

「私、フランシス・フラネリーです。」
「あっ!」

 ライサンダーは一瞬うろたえた。Y染色体の父ポール・レイン・ドーマーの取り替え子、世間ではポールの双子の妹とされているフランシス、大統領ハロルド・フラネリーの妹だ。
 フランシスが彼に手を差し出した。

「初めまして、貴方の叔母です。」

 原則的に取り替え子は母親のオリジナルであるコロニー人と血縁関係がある女性のクローンだ。だから遺伝子的に、フランシスはポールの肉親であり、つまりライサンダーの叔母にもなるのだ。
 ライサンダーはそっと握手に応じた。そして素早く周囲に目を配った。大統領の妹だから、当然シークレットサービスの護衛が付いている。果たして、少し距離を置いて数人のダークスーツの男性達がさりげない風を装いながらこちらを伺っていた。
 こんにちは、と言ってから、ライサンダーは素直に疑問をぶつけた。

「何のご用でしょうか?」

 フランシスが次の角に駐車しているバンを指した。

「立ち話もなんですから、あちらへ行きましょう。時間はありますよね?」

 ないとは言えないので、ライサンダーは彼女に導かれるままバンに乗り込んだ。
中は広くて、快適そうだ。
 フランシスは彼に車を動かすか、このままそこに留まって話すかと問うたので、ライサンダーはこのままでと答えた。長話はしたくなかった。だから飲み物も断った。

「警戒しているの?」
「いいえ・・・勉強する時間が惜しいだけです。」
「ああ・・・ごめんなさい。」

 フランシスは彼が抱えている書類鞄に目をやった。

「アメリアから聞いています。法律の勉強を始めたのですよね。」
「はい。」
「資格を取っても独立するまで大変ですよ。その間、独りで子育てなさるの?」

 ライサンダーはハッとした。フランシスが現れた理由がその言葉で察せられたからだ。

「父のダリルは独りで俺を育ててくれました。俺には父が2人もいます。」
「でも、彼等は仕事があるわ。貴方も勉強と仕事があるでしょう?」

 ライサンダーが何か言う前に、彼女は提案した。

「私と一緒に暮らしませんか、ライサンダー?」

 予想外の提案だった。彼はてっきり彼女が赤ん坊だけを託せと言うのかと思ったのだ。

「あ・・・貴女と?」
「貴方と赤ちゃんと私の3人で。」
「でも・・・」

 ライサンダーは、ダリルとポールが教えてくれたフランシス・フラネリーの身辺情報を記憶の中で探った。フランシスは現在独身でパリに住んでいたのではなかったか?
 彼の心中を見透かしたかの様に、フランシスが説明した。

「欧州の家はこの秋で引き揚げる予定です。仕事が順調に進んでおり、私が直接指揮を執る必要がなくなりましたから。それで、私は従妹のアメリア・ドッティが購入したモントレーの家をこれからの住居と活動拠点にするつもりです。
 家は決して広くありませんが、普通の家族が住むには充分のスペースがあります。私は貴方と赤ちゃんの生活に干渉するつもりはありませんが、貴方が忙しい時は私が子守をすることが出来ます。」

 ライサンダーがまだ返事を出来ないでいると、彼女は優しく微笑んだ。

「急なお話でごめんなさいね。今ここで答えを出せとは言いません。赤ちゃんが無事に生まれる迄に、どうするか、考えておいて下さい。」

 彼女は彼の手を両手で握った。

「ポールもダリルも好きな時に来てもらって良いのですよ。ゴダート家のご両親も歓迎します。
 勿論、貴方が断ると言うのなら、無理強いはしません。でも、考えておいて下さい。」

 彼女は強い意志の光を放つ目で彼を見つめた。

「女の子には母親も必要ですよ。」





2017年5月21日日曜日

家路 3

 あと5名の妊婦の胎児を見る、と言うJJを出産管理区に残して、ジェリー・パーカーとメイ・カーティスは出産管理区を大きく迂回する回廊を歩いてドームの研究・居住区へ戻った。医療区の建物の中を抜ければ早く戻れるのだが、なんとなく2人はそれがもったいないような気がしたのだ。
 回廊は主に物資の運搬に使用されているので、荷物を積んだカートなどが行き来する。たまに航空班や庶務課など、外部から出産管理区経由で戻って来たドーマーが歩いていたり、どこかの補修の為に維持班の工務部門の人間が走り回る他は、比較的空いている通路だ。
 メイはジェリーの上司と言うことになっているので、彼女が先に立って歩いていると、後ろからジェリーが声を掛けてきた。

「なぁ、地球の永住権って、簡単に獲れるのか?」
「簡単じゃないわよ。」

 メイは振り返らずに答えた。

「まず、請求が本当に本人の意思で出されたのかどうか、面接審査があるわ。それから、コロニーの家族と別れてしまうことになるから、その覚悟があるのか、家族の側の意見も調査されるわ。家族が反対しているのに地球に住むと言うことは、コロニーに居ては何か不都合があって逃亡する目的ではないのかと疑われるのよ。それから、遺伝子チェックと病気の有無も検査される。地球に宇宙の病原菌を持ち込ませる訳にはいきませんからね。
審査に数ヶ月から1年かかるって聞いたことがあるわ。」
「数ヶ月から1年? もしその間に心変わりして請求を取り下げたら?」
「また請求を出したくても、2度と認められないわ。門前払いよ。」

 彼女は付け加えた。

「もっとも、同じ制度がコロニー間でもあるのよ。地球より緩いだけで・・・」
「コロニーの方がスペースに制限があるから移住は難しいと思った。」
「でもコロニーの数は増えているわ。惑星開拓は進んでいないけど。」
「人類はよその星の環境破壊はそんなにしていない訳だな。」
「居住可能な星が遠すぎるだけね。」

 ジェリーが立ち止まったので、彼女も足を止めて振り返った。

「どうしたの?」

 ジェリーが少し躊躇ってから、尋ねた。

「あんたは地球永住権請求を出す気はないのか?」

 メイの瞳が揺れた。

「私・・・」

 彼女が何か言おうとした時、ゲートから来た物資運搬カートが雑音を立てながら横を通過した。ジェリーは咄嗟に彼女の腕を掴んで脇へ引き寄せた。回廊は決して幅が狭い訳ではなかったが、パイプ状の通路内に風が起こり、音が響いた。思わず首を縮めたメイの体を庇うようにジェリーが抱き寄せた。
 カートが遠ざかって行った後も、2人は暫く身を寄せ合っていた。

「俺は・・・」

 ジェリーが囁いた。

「あんたを守りきる自信がない。だけど、セイヤーズとゴーンみたいな関係だったら、なんとか続けられると思う。」
「セイヤーズとラナみたいな関係?」
「コロニー人が違反者扱いされない程度に交際するって意味だ。」

 メイが彼の顔を見た。ジェリーが彼女の唇にそっとキスをした。

「すまない、今はこれが精一杯だ。」


家路 2

 西ユーラシア・ドームから出された「地球人保護法」改正案は、宇宙で大きなニュースとして取り上げられた。宇宙に拡散しているコロニーの人類の90パーセントは、初めて地球人とコロニー人の婚姻が禁止されていることを知ったのだ。

「正確には、コロニー人側が地球人に求婚することが禁止されているのであって、その逆ではありません。」

 テレビで法律の専門家がインタビューに応じて説明していた。

「しかし、実際に地球人とコロニー人が婚姻した記録は、『地球人保護法』成立以降、皆無ですが?」
「それは、地球人が宇宙に出ることを禁じている条項が存在するからです。これは、現在地球上で女子が誕生しないと言う実情が解決される迄、地球人の遺伝子異常が外に持ち出されることを防ぐために制定されました。
 コロニー人は地球上に留まって自らの子孫にその異常が起きることを好しとしません。もし地球人と結婚したら、配偶者を地球外に連れ出して、子孫を守ろうとするでしょう?
敢えて地球に留まり、自身の肉体を地球の大気汚染や環境汚染に曝したいと思うコロニー人がいなかったと言うことです。」
「では、地球に住んでも良いと考えるコロニー人がいれば、地球人側から求婚があった場合、法的問題はない訳ですね?」
「ありません。」
「現在の地球は既にかなり環境が改善され、また女子誕生もクローン製造の段階で誤りがあったことが解明されて解決のめどが立ちましたので、地球人側からの求婚はもとより、コロニー人側からも求婚して良いのではないでしょうか。」
「それは法律改正の前に、医学的、遺伝子学的に地球が安全であると確認されることが必要ではないかと思われます。」
「しかし、結婚は人権の問題で、科学の問題ではないでしょう?」

 連日宇宙では、こんな風に討論する番組が各コロニーで流されていた。しかし、肝心の地球では、地球人の99パーセントがそんなことが問題視されているとは全く知らなかった。コロニー人と毎日直接接している各大陸のドーマー達でさえ、宇宙で話し合われている議題を知らされていなかった。嘆願書を出した西ユーラシアのドーマー達も、まだ結論が出ないのかなぁと思っているだけだった。

 地球は人類世界の孤島だった。

 ケンウッド長官は、執政官メイ・カーティスが時々溜息をつくのを知っていたが、何も言えなかった。メイの方から恋愛の相談をしてきたことがなかったし、彼女は慎重だった。ただ、相手のジェリー・パーカーが近頃彼女に声を掛けたり、食事に誘うことが増えた。ジェリーが彼女を好いている素振りを今まで見せたことがなかったので、これはちょっと驚きだった。
 ある日の昼休み、ケンウッドは中央研究所の食堂でラナ・ゴーンを見つけ、彼女に同席の許可を求めた。副長官は快く認めた。彼が座ると、彼女の方から尋ねた。

「何か相談事ですか?」

 上司がそばへ来るのは、相談事がある時だけだ。ケンウッドは素直に認めた。

「カーティス博士とパーカー助手のことだ。」

 研究所内で、ジェリーは「助手」と呼ばれていた。博士に相当する知識と手腕を持っているが、博士号を取っていないのだから仕方が無い。
 ラナ・ゴーンは頷いた。コロニー人の研究者同士の恋愛には口出ししないが、地球人相手となると、現行の法律では問題視されてしまう。当人達に罪がないのに、理不尽なことだ。

「パーカーは、カーティス君のことを実際のところ、どう思っているのだろうね? 他人の恋愛に口出しすべきではないが、彼の場合は特別だ。」
「彼は感情をあまり表に出さないので、私からは何とも申せませんが、彼女のことは憎からずと思っていると見て良いでしょう。」
「カーティス君は、パーカーを意識している・・・それは前から私の様な唐変木でも気が付いていた。」
「パーカーの押しが強ければ良いのですが、彼は煮え切らないので・・・今の法律のままでは、カーティスが可哀想です。」
「だが、私達がパーカーの尻を叩く訳にもいかんしなぁ・・・」

 恐らく、ジェリーがこの会話を聞いたら、余計なお世話だと言っただろう。
 彼は同じ頃、メイとJJと一緒に出産管理区のある妊婦を面接していた。彼女の子供の父親はマザーコンピュータには登録されていなかった。地球人としての市民権を持っていない男性が父親になるのだ。彼女は妊娠が確認されてからその日まで、一貫として父親の名を明かさなかったが、決して正体不明の人間の子を身籠もっているのではなかった。

「父親はコロニー人なのね?」

 メイの問いに、彼女は固い表情で頷いた。

「彼は貿易商です。1年のうち11ヶ月は地球に住んでいます。私達、一緒に住んでいるのです。でも、結婚出来ないって、遺伝子管理局に言われたんです。コロニーの法律でそうなっているって。地球の法律では禁じていないのに、コロニーの法律では駄目だから、遺伝子管理局は婚姻許可を発行出来ないって・・・おかしいでしょ?」
「あのね・・・」

 メイはこの地球人の女性になんと説明して良いのか悩んだ。

「遺伝子管理法は、地球人保護法と言う法律の下に制定されている法律で、人口が極端に減ってしまった地球人を守るためにあるの。コロニー人からの暴力や違法行為から地球人を守るのが本来の目的だったの。だけど、時代が変わって、現状に合わなくなってしまったのね。貴女が言う通り、今の法律はおかしいわ。でも守らなきゃ、貴女の彼氏は違反者として逮捕されて宇宙に強制送還されてしまう。」
「じゃぁ、子供と私が彼とずっと一緒に暮らすためには、どうすれば良いのですか?」

 メイは躊躇ったものの、唯一の抜け道を告げた。

「彼がコロニーの市民権を放棄して地球永住申請を出すことです。」
「永住権を得たら、どうなるのです?」
「彼は地球から出ることが出来なくなります。」
「そんな・・・彼の仕事は貿易商です!」
「人を雇うしかないでしょうね、今の仕事を続けたければ・・・」
「彼に故郷の家族を捨てろと言うのも同じだわ。」

 パーカーが呟いた。

「新しい家族を採るか、生まれた家を採るか、そいつは彼氏が決めることだな。」

 グッと唇を噛み締めて黙り混んだ妊婦の手に、JJがそっと手を添えた。

「欠陥がある法律は早く改正されるべきよ。」

地球人類復活委員会の存在を知らない一般の地球人に嘆願書を出せとも言えない。地球人保護法は、人口が激減した地球から人間が宇宙へ出て行って人口減に拍車を掛けるのを防ぐ為だと言う説明が一般人にはされている。法律を作ったのは地球の指導者達と言うことになっているのだ。

「フラネリー大統領に手紙を出すわ。」

と妊婦が呟いた。

「愛する人と結婚出来ないなんて、おかしいわよ。」




家路 1

 ラナ・ゴーン副長官の白い指が、クロエル・ドーマーの少し赤みがかった黒い縮れた髪を細かな三つ編みに編んでいくのを、ダリル・セイヤーズ・ドーマーとポール・レイン・ドーマー、それにJJは興味深げに眺めていた。クロエルは気持ちが良いだろう、目を半眼にしてじっとしている。口元はやや緩んで微笑んでいるかの様に見えた。

「クローちゃんのヘアスタイルがいつも素敵なのは、ラナが整えていたからなのね。」

 JJが翻訳機を通して呟くと、クロエルが目を閉じたまま、

「僕ちゃんだって自分でするよ。でもおっかさんがいる時は、やってもらう方が楽なの。」

 ラナ・ゴーンがおかしそうに笑った。

「普通の男の子は、母親にこんな風にいじられるのは嫌がるものよ。」
「僕ちゃん、普通じゃないです。」
「ええ、こんな可愛い子は普通にはいないわね。」

 肌の色も生まれた世界も違うし、クロエルは彼女よりずっと身長が高いし、体も大きい。しかし、彼女にとって彼はいつまでも可愛い息子だ。ダリルはふと思った。ラナ・ゴーンが持ってくるお見合い資料をいつもクロエルは蹴っ飛ばしているが、本当はラナは彼をどの女性にも渡したくないのではないか。だから彼の気に入らない女性ばかり紹介しているのではないだろうか。そしてクロエルもいつまでも母親に甘えていたいから、独立して家庭を構える気はないのかも知れない。彼が「家庭」を理解しているなら、と言うことだが。
 クロエルがふと目を開いた。

「そうだ、みんな知ってますか? 西ユーラシア・ドームから『地球人類復活委員会』に嘆願書が送られたって話?」
「嘆願書? 何の?」

 彼は鏡の中の自身の頭を見て、ラナ・ゴーンにもういいよ、と声を掛けた。

「今日は半分だけ編んでおくんだ。残りはそのまま。」

 ラナ・ゴーンは素直にはいはいと彼から離れ、ヘアメイク道具を片付け始めた。
クロエルは仲間の方を向き直り、話の続きを始めた。

「西ユーラシアでドーマーと執政官が同棲を始めるカップルが5組もいて、それは法律違反だろうって誰かが指摘したそうです。指摘された方は、好きで一緒にいる訳だから、悪いことなんて何にもしてないでしょ? それで5組10名が連名で法律を変えてくれって嘆願書を書いたんです。」
「10人だけじゃなぁ・・・」

とポール。ドーマーの殆どが男性だから、コロニー人の方は女性のはずだ。男性執政官の賛同はどうなのだろうか。宇宙に行けば女性は大勢いるから、地球人にコロニーの女性を取られたくないとは言わないだろうが、ドームの中の秩序を守る為に、コロニー人が優位のドーム社会を壊したくないだろう。

「それがね、西ユーラシアのドーマー達が署名活動をして、ドーム内の人口の8割が署名して、賛同を示したそうです。それで、嘆願書を宇宙に送ることになったって。」

 クロエルはダリルとラナ・ゴーンを見比べた。あんた方はどうなの? と言いたげだ。
ダリルはラナ・ゴーンを見た。彼は彼女が好きだ。だが、結婚とか同棲を考えたことはなかった。ただ彼女と今以上にもっと親密になりたい、それを公共の場で堂々と態度に表したい、と思っているだけだ。勿論、公私は分ける。
 ラナ・ゴーンは彼女とダリルの関係は棚上げにするつもりだった。彼女はこう言った。

「西ユーラシアだけの問題じゃないわね。他のドームでも運動をするべきだわ。ここでも、メイとパーカーのことを認めてあげないと。」

 クロエルが不満そうに彼女を見た。

「メイとパーカー? パーカーはメイを受け容れるの?」
「あの2人は良いカップルよ。」

とJJが言った。

「仕事は息がぴったりだし、メイは献身的だわ。」
「パーカーはどうなのよ?」

 ポールが自分を見たので、ダリルはなんだよと言った。ポールが言い訳するように呟いた。

「俺はパーカーは男が好きだと思っていたがな・・・」
「ん?まさか、あの時のキスの話を蒸し返すんじゃないだろうな?」
「否、そうではなくて・・・」

 ポールはジェリー・パーカーが以前ダリルに片恋をしていたことを知っている。パーカーの手から感じ取ったのだ。しかし、今では、パーカーにとってダリルは「良い友達」であって、片想いの相手ではない。パーカーが今夢中になっているのは・・・

「ジェリーはメイのことが好きよ。」

とJJが断言した。

「でも、彼はメイの立場を考えて何も出来ないでいるの。嘆願書が通れば、きっと喜ぶわ。」
「そう言えば・・・」

とラナ・ゴーンが何かを思い出した。

「ローガン・ハイネがジェリーに言ったそうですよ、法律なんて気にしないで好きな相手と一緒になりなさいって。ハイネは彼とメイのことに気づいていたのです。」
「ジェリーは何て?」
「時期尚早ですって。何があっても彼女のことを第1に考えられるようになるまで、無責任に彼女を苦境に立たせる訳にいかないって。」
「それって・・・」

 クロエルが笑いを堪えながら指摘した。

「彼女のことに責任を感じてるってことですよね?」

 ポール・レイン・ドーマーは心密かに思った。ジェリーの心が勝手に彼の手に流れてきた時に、ジェリーの心を占めていた「告白」とハイネ局長のイメージは、局長に告白の相談をしたかったってことなのか・・・



奮闘 25

 真夏のドームは、冷房に電力を大量に消費するので、外の太陽光発電パネルを増やす。パネルの反射光がドームに入らないよう、外壁が光を跳ね返すので、内部の人間は野原が無粋な板に覆われたな、と思うだけだが。
 ジェリー・パーカーは体調が回復すると、午後の休憩時間に壁に出かけた。昼寝をしたかったし、会いたい人もいた。
 遺伝子管理局のローガン・ハイネ・ドーマーは彼の期待通り、壁のベッドでうたた寝をしていた。ジェリーは邪魔をしないように少し離れた位置に昼寝場所を取り、半時間ばかり眠った。
 やがて、局長が両腕を伸ばし、ウンと声を上げて伸びをした。ジェリーはその声で目覚めた。局長が滑り降りるのが視野の隅に入り、彼も慌てて降りた。

「こんにちは」

 声を掛けると、ハイネが振り返った。ちょっと目を細めて彼を見た。

「やぁ、久し振りだな。」
「そうですね。」
 
 ジェリーは言いたかったことを急いで頭の中で整理して口に出した。

「この前は折角俺の希望を聞き届けて下さったのに、騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。セイヤーズにも怪我をさせちまって、ケンウッドに叱られました。」
「あんなのは怪我の内にはいらん。」

 局長がクスッと笑った。

「セイヤーズは事故の後、無断で行動した。君の希望を逆に利用したのだ。」
「そう言ってもらえると、気が楽です。」
「ジェシー・ガーが警察に捕まる前に死亡したのは残念だったな。恐らくあの男はビューフォードの犯罪をいくらでも喋っただろうに。」
「すみません・・・」

 ジェリーは局長の視線を受け止めるのが辛くなり、目を伏せた。あの瞬間理性を失ってしまったのは事実だ。

「人間だからな。」

とハイネが呟いた。

「どんなに歳を重ねても制御出来ない感情ってものは、誰にでもあるさ。」

 彼等は庭園を抜ける道を歩き始めた。

「だが、これで君の気は収まったのかな?」
「ええ。」

 ジェリーは微笑んで見せようと努力した。

「博士に直接手を下した男が死んで、何だか俺も気が抜けた気分です。」
「気が抜けたら、早く歳をとるぞ。」
「え?」

  ハイネ局長が片眼を瞑って見せた。

「君に関心を寄せている女性がいるのだが、気が付いていないのかね?」






2017年5月13日土曜日

奮闘 24

 ダリルはバーでコンサートを聴いていた。いつもの馬鹿騒ぎパーティーが中米班の出動でお休みになったので、南米班がドーム内の素人バンド達に声を掛け、急遽行われたコンサートだ。練習不足でガタガタのバンドや、人数が揃わなくて気が抜けたソーダ水みたいな曲や、即興で見事な演奏をやってのけたバンドやらで、思う存分楽しめた。ダンスを始める客もいたが、男性ばかりなので、男同士のペアばかりだ。そのうちに音楽会だと聞きつけて女性執政官やドーマーが現れると、もう引っ張りだこだ。ダリルはラナ・ゴーンを探したが、彼女は来ていなかった。JJも今夜はライサンダーと食事をした後早めに部屋に帰ったようだ。
 JJと仲良しの執政官メイも姿を見せないが、彼女はきっとジェリー・パーカーに世話を焼いているのだろう。彼女がジェリーに関心を持っていることは、ダリルもポールも感じていた。執政官から地球人に交際を申し込めないので、彼女は「親切の押し売り」しか出来ない。ドーマー達は、なんとなく「地球人保護法」が本当に地球人のためのものなのか、疑問に思い始めていた。恋愛は自由のはずだ。
 そろそろ疲れてきたので、ダリルはバーを出て、1人でぶらぶら庭園へ向かった。いつもの場所に副長官が来ていないかと期待したが、彼女はそこにもいなかった。電話もメールもないし、彼の方からするつもりもない。今彼女を求めているのは、ポールがいないからだ、と彼は承知していた。ただ寂しいから・・・。
 自分はポールとラナとどちらを愛しているのだろう。どちらも自分にとってかけがえのない人だ。だが、どちらか1人しか選べないとしたら?
 東屋の近くで立ち止まってぼんやり考えていたら、恐らく油断していたのだろう、誰かがすぐ背後に来ていることに気づくのが遅れた。

「殴るなよ。」

と接近者は言って、彼の攻撃を未然に防ぐことを忘れなかった。
 ダリルは後ろから抱きすくめられ、そばの茂みに引き込まれた。暫く相手のやりたい様にやらせた。監視カメラの死角に入っていることを頭の隅で認識していた。
 あまり時間がないことをお互いにわかっていたので、ことは早く終わった。ダリルは人目につかない様に気遣いながら服装を整えた。

「これは、犯罪になるんじゃないのか?」

と彼が抗議すると、相手は笑った。

「嫌なら、俺が声を掛けた時に逃げたはずだろ?」
「どうして私が君から逃げるんだ?」

 ダリルはポール・レイン・ドーマーを改めて抱きしめると自分からキスをした。

「君はいつも私のバックを狙ってくる。」
「君はバックが甘いからさ。俺の腕の長さより短い距離まで敵が迫っても気が付かない。それじゃ、いつかやられるぞ。俺は警告してやってるんだ。」

 ポールは常に自身に都合の良いようにものごとを解説する。

「いつ戻ったんだ?」
「2時間前だ。局長に報告して、書類も作成した。後は眠るだけだ。」
「夕食は?」
「機内で食った。」
「帰って来るなんて言わなかったじゃないか?」
「そうだったか? まぁ、まだ仕事が完了した訳じゃないからな。2,3日休んだら、また出かける。奴隷製造組織をもうすぐぶっ潰せそうなんだ。」

 2人はアパートに向かって歩き始めた。

「そっちはどうなっているんだ? JJとクラウスの報告では、君とパーカーが交通事故に遭って、ラムゼイを殺した男が死んで、パーカーが酷く怪我をしたと言う話だが?」
「それは報告書を読んでくれ。ちゃんと書いたから。」
「では、明日、じっくり吟味してやる。君の怪我は軽かったようだが、パーカーの責任はちゃんと調べるからな。余計なかばいだてはするなよ。」

 明るい場所に出ると、ダリルはポールがまだスキンヘッドのままなのを確認した。

「またその頭に戻るのか?」
「ああ・・・」

 ポールは自身の頭を手でつるりと撫でた。

「どうもこっちの方が俺は性に合ってるようだ。少なくとも、現役の間はこっちで過ごすよ。」

 きっと兄ハロルドが大統領に再選されたので、髪の毛がない方がフラネリー家との関係をマスコミに詮索されずに済むと判断したのだろう。肉親の存在を知ってしまうと、いろいろと気苦労が増えるのだ、とダリルは思った。彼の母親のオリジナル、スパイラル工業のセイヤーズCEOは、見事に男子を身籠もったのだが、勿論それは夫の子ではなく、ダリルの息子だ。しかし、彼女はその秘密を未来永劫護り続けるだろう。