2018年5月27日日曜日

Break 20

登場人物紹介


アイダ・サヤカ

出産管理区長。 産科の医学博士。
「退出者」で既に登場していたのだが、紹介から漏れていた。(作者、びっくり!)
丸顔で柔和な顔をしたぽっちゃり系美人。ヤマザキ・ケンタロウは彼女を「観音菩薩」と呼ぶ。
夫に病気で先立たれ、生活の為に2人の子供を姉夫婦に預けてドーム勤務に就いた。
キーラ・セドウィック博士の部下として親友として長年労苦を共にした。
若いドーマーの多くは彼女に誕生の時に取り上げられ、選ばれ、彼女を母親として慕っている。
ローガン・ハイネ・ドーマーに片思いしていたが、かなり積極的に彼に素手で触れたりして、平静を装っていたが、歳を取るに連れて辛くなり、辞表を提出した。


ジャクリーン・スメア

ケンウッド長官の第2秘書。コロニー人。
ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが引退した後の後任。
聡明で大胆なところがある女性。


チャーリー・チャン

ケンウッド長官の第1秘書。コロニー人。
ヴァンサン・ヴェルティエンが秘書から副長官に昇格した後、就任した。
スメアとは仲良く働いている。


ジョアン・ターナー・ドーマー

住居維持班のドーマー。
本編では、維持班総代として登場。 大工として働いている。
ロビン・コスビー総代に気に入られ、後継者に抜擢された。


コナーズ

コロニー人の取り立て屋。
金融会社に雇われ、借金を踏み倒して地球に逃げたレイモンド・ハリスを追跡してアメリカ・ドームにたどり着いた。
仲間数名と共に出口で辛抱強くハリスが出てくるのを待ち構えている。


ロバータ・ベルトリッチ

地球人類復活委員会委員長。
ハナオカが委員長から引退した後、選挙で選ばれた。
遺伝子学者として西ユーラシア・ドームで勤務した経歴があり、ミヒャエル・マリノフスキー西ユーラシア遺伝子管理局長お気に入りのコロニー人。
性転換する前はロベルトと言う名だった。
自身の経歴の影響もあり、他人の特異性に対する理解があり、ハイネとアイダ・サヤカとの結婚を認可した。


ロナルド・セドウィック

マーサ・セドウィックが二番目の夫との間に産んだ息子。
キーラ・セドウィックの異父弟。医学博士。
火星のコロニーで祖父が興したクリニックの院長をしている。
母親の地球愛に呆れつつも付き合っている。
妻の名はタマラ。成人した3人の息子がいる。

Break 19

 これで「泥酔者」は終わり。

 本編の問題児、レイモンド・ハリス中西部支局長、クロワゼット大尉、アレクサンドル・キエフ局員が出揃った感じ。

 ハイネが結婚してしまったのは作者もびっくりだけど(笑)、極秘結婚なので、生活は変わらない。だけど、精神的に余裕が出てくるので、彼も100歳を間近にして、やっと落ち着いた人生を送られるようになった。

 ラナ・ゴーンが副長官に就任するのもこのあたり。手強い女性なので、ケンウッド長官、威厳を失わないよう頑張らないとね!

 元司厨長が旅立つであろう予感を書いておいた。寂しいけれど、ドーマー達も歳を取っていく。ハイネにとって、10歳下の連中、グレゴリー・ペルラやエイブラハム・ワッツ、ジョージ・マイルズ達は弟みたいなもの。ダニエル・オライオンがいなくなった後、彼を支えてきたのは彼等だった。でも80、90になると彼等もやがて去って行く。

 次はポール・レイン・ドーマー、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマー、そしてダリル・セイヤーズ・ドーマーの世代がドームを支えていくのだ!

泥酔者 16 - 6

  その日の夕刻、クロエル・ドーマーが率いる遺伝子管理局中米班がドームに帰投した。消毒を終えて送迎フロアに入ったクロエルは、そこでガブリエル・ブラコフ副長官と出会った。

「おヤァ? 副長官が僕ちゃんをお出迎えすか?」

 いつもの陽気なクロエル・ドーマーの声に、ブラコフは微笑んだ。

「そうだよ、と言いたいところだけど、お見送りだったんだ。新しい副長官が決まったんだよ。」

 クロエルが一瞬笑みを顔から消した。ブラコフの言葉の意味を素早く理解したからだ。
そして直ぐに何時ものひょうきんな表情に戻った。

「僕ちゃん、新任が決まらなきゃいいのに、と思ってたんすけどねぇ。決めちゃいましたか・・・」

 ブラコフが笑った。

「有り難いけど・・・僕は次の仕事も早くやってみたい、身勝手な人間だからね。それに、新任の名前を聞いたら、君はきっと喜ぶよ。」
「へぇ? まさか、パーシバル博士ってんじゃないでしょうね?」
「パーシバル博士は回診のお医者さんだ。それに重力障害でここには住めない。」
「そうでした・・・」

 クロエルは考えた。ブラコフの言い方だと、新任は彼が知っているコロニー人のようだ。ドームで働いている執政官だったら、見送る必要はないだろうし。過去に宇宙に帰って行ったコロニー人を色々と思い浮かべて見たが、副長官になりそうな人を思いつけなかった。

「誰なんすか? 降参しますよ。」

 ブラコフはクスクス笑った。クロエル・ドーマーは余りにも身近過ぎて養母の名前を思い出せないのだ。

「執行部のラナ・ゴーン博士だよ。」
「はぁ????」

 クロエル・ドーマーの大きな目が、さらに大きく見開かれた。

「冗談止して下さいよ、ガブリエル。 おっかさんが副長官だなんて・・・」
「冗談だと思うなら、本部に帰って任務完了報告する時にハイネ局長に確認してごらん。」
「ああ・・・」

 クロエルは思わず天を仰いだ。

「おかっさんが同じ屋根の下にいたら、羽目を外せないっす・・・」

 ブラコフはニヤリとした。新しい副長官の人柄を知るのに、クロエルは最適な情報源だと気が付いたからだ。

「クロエル、今日は金曜日だろ? 今夜一緒にバーで飲まないか?」
「いいっすよ・・・」

 クロエルが笑顔で答えた。

「僕ちゃん、今のうちに泥酔して羽目外せるだけ外しておきます。」


2018年5月25日金曜日

泥酔者 16 - 5

 レイモンド・ハリスが支局長職を引き受けたと、ネピア・ドーマーから連絡が入った。ネピアはこれからハリスに業務内容の説明をすると言う。ハイネ局長は第1秘書に「よろしく頼む」と言って通話を切った。そして執務机を挟んで向かい側に座っているポール・レイン・ドーマーに指示を出した。

「レイモンド・ハリスが中西部支局長の職を引き受けた。これから最短で5年、君と仕事をして行くことになる。コロニー人だから、世間知らずでは私と良い勝負かも知れない。」

 レインはお愛想笑いをして見せた。ハリスはコロニー社会では世間を知っている筈だ。しかし、常識があるのは局長の方に決まっている。

「ハリス博士は世間知らずではなく、意志が弱く、常識がないのです。」

と彼は言った。

「それに局長を世間知らずと思う人はいません。局長は人間の心の裏表を俺達なんかよりずっと理解しておられます。」

 ハイネは肩を竦めただけで、その言葉にコメントを返さなかった。キーボードの上で軽やかに指を動かし、レインの端末がメッセージを受信した通知のメロディを奏でた。レインは上司の前でそれを見ようとしない。失礼になると思ったからだ。ハイネが言った。

「君がチーフに就任してから最初の支局長就任者だ。現地での指導を君にやってもらうことになる。ハリスに与える注意事項をメッセで送っておいた。航空機内で目を通しておくように。」
「了解しました。」
「現地の地域的特性は君達局員が一番よく知っている。コロニー人が地球の表面で暮らす際の注意だ。私やネピアでは知識が足りない。ネピアは引退して10年以上経つし、彼は南米班出身だからな。それから・・・」

 ハイネはレインの顔を見た。

「彼を博士と呼ぶ必要はない。支局長は君の上役になるが、上司ではないし、ハリスはもう研究者でもない。支局長の業務をこなす臨時職員だ。彼が規律を守らなければ、君が遠慮なく叱ってやれ。」
「わかりました。」

 レインは今迄セイヤーズ捜索の空白地帯だった中西部の山岳地帯へ行く拠点に中西部支局を利用するつもりだ。引退する支局長は倹約家だったので、ヘリコプターの使用は自由にならなかったが、これからは好きなだけ使ってやろう。衛星データ分析官もアメリカの生活に慣れて来ているので、外回りに連れて行くつもりだった。

「明朝は何時に出るのか?」
「午前8時の一番機に搭乗予定です。」
「では、ハリスもそれに乗せるよう、長官に進言しておく。取り立て屋と接触しないよう、十分気をつけてくれ。」
「心得ています。出動する局員で彼を取り巻いておきますよ。」

2018年5月24日木曜日

泥酔者 16 - 4

 ネピア・ドーマーがムッとするのをケンウッドは気配で感じ、局長第1秘書が爆発する前に抑える目的でハリスに言った。

「地球の雑菌も放射線もコロニーとあまり変わらない。勿論地球の生命体の種類はコロニーと比較にならない程多いがね。危険度は宇宙の方が高いじゃないか。未知の生命程危ないものはないだろう? 紫外線は日除けクリームを塗っておくと良いさ。ドーマー達も使用している。日焼けで困っているドーマーなんて見たことないだろう?」
「しかし・・・西部劇の世界ですよね? 日陰が少ないんじゃないですか?」
「ハリス君、西部劇にだって家は出てくるだろう?」

 ケンウッドとハリスの遣り取りに、長官秘書のスメアがプッと吹きだした。お堅いネピアが彼女をチラリと非難の目で見た。長官が真面目に話をしているのに秘書が笑うとは何事か、と心の中で叱責したのだろう。
 ネピア・ドーマーがケンウッドの言葉が途切れた時に口を挟んだ。

「貴方は地球人の下で働くはお嫌か?」

 ハリスが初めて彼をまともに見た。

「僕はそんなことを問題にしているのではない。ドームの清浄な空気の外に出るのが不安なんだ。」
「では仕事に関して不満はないのか?」
「仕事の内容を何も知らないのに、不満も何も・・・」

 ハリスはそこで一拍置いて尋ねた。

「どんな仕事なんだ、支局長職と言うのは?」

 するとネピア・ドーマーは意地悪く答えた。

「貴方が支局長を引き受けると言うのなら、教える。断るのなら、教えない。時間の無駄だからだ。」

 ケンウッドがハリスの背中を押した。

「ドームから出れば取り立て屋が待ち構えているんだ、ハリス君。彼等は金融会社と地球人類復活委員会の取引をまだ知らない。君を捕らえたら直ぐに辺境開拓団の派遣会社に連れて行くだろう。そこで君はタダ働きさせる医者として開拓地へ送られる。
 2つに1つだ、ハリス君、支局長として中西部へ行くか、医者として辺境へ強制送致されるか?」

 ハリスは暫くは沈黙した。辺境開拓地と言うのは、数光年向こうの新規発見の惑星だ。ワープ航法で太陽系と行き来しているが、とても人間が住む場所とは思えない。開拓が始まって日が浅いので、人類居住に成功するカナメの農業がその星に根ずくかどうかの判定待ちだ。
 一方支局の方は、地球にあって地図に載っているし、そこへ行って事実を確認する方法もあった。
 たっぷり10分考えてから、ハリスは顔を上げた。

「支局長として一からやり直すことを選びます。」



2018年5月23日水曜日

泥酔者 16 - 3

「今、新しい仕事と仰いましたか?」

 レイモンド・ハリスが目をパチクリさせた。ケンウッドは頷いた。

「君の借金を地球人類復活委員会が利子も含めて全額肩代わりした。」
「えっ!」

 ハリスがポカンとした表情でケンウッドを見つめた。

「全額と仰いましたか?」

 ケンウッドはネピア・ドーマーがうんざりとした表情を見せたのに気が付いた。ハリスが長官の言葉を繰り返して確認するのがうざいのだ。このコロニー人は何故一回で理解できないのか? と言いたげだった。

「うん、全額だ。だから、今、君は金融会社ではなく、委員会から借金していることになっている。」
「それで・・・働けと?」
「うん。」
「しかし、僕は今朝クビになった筈です。」
「執政官としての身分を剥奪されたのだよ。地球人類復活委員会の仕事は他にもいっぱいある。」
「働いて金を返せと言うことですね? つまり僕は奴隷みたいに働いて給料をもらえない・・・」
「給与は出るよ。勿論、借金の返済分は月々天引きされるが、生活に必要な額は君の手元に残る。酒を飲まず、贅沢しなければ十分人並みの生活を送れると思いなさい。」

 ハリスは出てもいない額の汗を拭うふりをした。

「それは・・・どんな仕事でしょう?」

 彼はネピアがドーマーであることに気が付いた。スーツを着たドーマーは遺伝子管理局の職員だ。
 ケンウッドは可能な限り穏やかな口調で言った。

「遺伝子管理局北米南部班の中西部支局で支局長として勤めてもらいたい。」
「遺伝子管理局?」

 ハリスが目を丸くした。遺伝子管理局が地球人だけで運営されている役所であることは、彼の様に日が浅い人間でも知っている。
 するとネピア・ドーマーが口を開いた。

「支局長は名誉ある任務だ。ドームの外で暮らすと決意したドーマーのみがその任に就ける。ドームと地元を結ぶ重要な位置にいる。本来ならコロニー人に任せることは許されないが、現支局長が病気で急に辞めることになった。ローカルな都市だから元ドーマーが他にいない。それで、コロニーの学者である貴方に重責を負わせることになるが、異例の処置として後任が決まる迄の5年間をお願いしたい。」

 いつもはコロニー人相手に話す時は慇懃な口調になるネピア・ドーマーが、上から目線でハリスに語りかけたので、ケンウッドは内心驚いた。だが、それはハリスが嫌いだからと言う理由からではなく、支局長に局長の指示を与えるのが第1秘書だからだ、と気が付いた。ネピア・ドーマーはここで誰が上位なのかハリスに教えたのだ。
 ハリスの顔が強張った。ドーマーの下で働くのが嫌なのだな、とケンウッドは思ったので、宥めるつもりで言った。

「5年間の我慢だ。5年あれば君は借金の返済が出来る。委員会は利子を取らないからね。完済出来れば、君は晴れて自由の身になって故郷へ帰れる。」

 ところが、ハリスは予想外のことを言った。

「中西部って・・・紫外線や雑菌や放射能が多いんじゃないですか?」

2018年5月22日火曜日

泥酔者 16 - 2

 副長官後任決定は殆どの執政官達から好意的に承認された。ラナ・ゴーン博士は何度かアメリカ・ドームに仕事で立ち寄っていたので、女性達と親しく、それも歓迎の一因となった。彼女の専門は血液の遺伝子で、血液関係の病気の診断も行った。そして執行部ではコロニー人のボランティアから提供される卵子の遺伝子管理をしていたので、アメリカ・ドームではクローン製造部に籍を置くことになった。
 会議が終了すると、早速ブラコフは彼女を副長官執務室へ案内して行った。
 ケンウッドは長官執務室に戻った。秘書スペースでチャーリー・チャンとジャクリーン・スメアが真面目な顔で仕事をしていた。いつもなら長官が居ようが居まいが世間話をしながら手を動かしている彼等だが、その時は勝手が違った様だ。
 会議用テーブルの端に、遺伝子管理局長第一秘書ネピア・ドーマーが座って居た。お堅い秘書が来ているので、コロニー人の秘書達も彼に馬鹿にされまいと頑張っているのだ。ケンウッドは何となく可笑しく思いながら執務机に着き、ネピア・ドーマーに遺伝子管理局長の椅子に座るよう声を掛けた。ネピアが躊躇った。局長の崇拝者なので、局長の椅子に座るなど畏れ多いと感じているのだ。しかしケンウッドはこれからハリスを相手にするのだ。味方はそばにいるべきだと思ったので、命令だ、と言った。長官の命令は、ドーマーにとっては絶対だ。ネピア・ドーマーは渋々席を変えた。

「ここに来ている用件はわかっているね?」
「はい。局長から聞かされました。」
「驚いただろう?」
「正直・・・はい。」

 その堅い表情には、コロニー人が支局長職をするなんて言語道断、と書いてあった。
間も無く、スメアがレイモンド・ハリスの到来を告げた。
 ハリスは用心深く入って来た。初めてドームに来た時、彼は勝手に受付を通過して、勝手にこの部屋にやって来た。図々しく入って来た。だが今はすっかり打ちひしがれ、萎縮しているかの様に見えた。
 ハリスはチャンに案内された末席の椅子に座った。少し前迄ネピア・ドーマーが座って居た場所だ。ケンウッドは直ぐに用件に入った。

「ハリス博士、君はドームから退去した後の身の振り方をどうするつもりかね?」

 ハリスはちょっと笑みを浮かべようと口角を上げて見せた。

「急なことでしたので、何も考えていません。」
「そうだろうな・・・私は君を助手に格下げするつもりだったが、執行部が罷免せよと言って来たのでね・・・」
「これが初めてではありませんから。」

 ケンウッドはネピアをチラリと見た。本来なら局長がいる筈だが、ハイネはハリスが嫌いだ。同じ部屋にいたくないと言って、ネピアに一任したのだ。ネピアも秩序を乱すハリスが大嫌いなのだが。

「では、新しい仕事を引き受けてくれるね?」

泥酔者 16 - 1

 執政官会議で罷免を言い渡された時、レイモンド・ハリスは冷静にそれを受け止めた。取り乱したり、言い訳したり、みっともない態度を取るだろうと予想していた何人かの執政官達はちょっとがっかりしたようだ。ケンウッドはジェフリー・B・B・ダルフーム博士が薄笑いを浮かべるのを目撃した。ハリスの経歴詐称を発見してケンウッドに告げた研究者だ。ドームの秩序をかき乱すハリスを忌み嫌っていた。ケンウッドはふと思った。執行部に今回の空港乱闘騒ぎを通報したのはダルフームではないかと。
 ケンウッド自身もサンテシマ・ルイス・リンの素行の悪さを執行部に通報した経験がある。あの時は本当にドーマー達を守りたい一心で行った。同じくリンの横暴を通報した先代長官ユリアン・リプリーは、秩序を乱す者を許せなかった。
 執行部はケンウッドの通報は無視に近い扱いをして、リプリーの訴えを取り上げた。しかし本当に動いたのは、ケンウッドがダリル・セイヤーズ・ドーマーの逃亡を通報した時だ。あれは地球の安全を脅かす恐れがあったからだ。もっともケンウッドはそれをハイネ局長から指摘される迄知らなかった。
 ハリス自身は秩序を乱す意図などなかっただろう。しかし彼の意志の弱さが騒動を引き起こした。地球と言う人類の母星の運命がかかっている場所で、酒と博打と借金と言うくだらない原因で騒ぎを起こした。執行部はそれが気に入らなかった。
 ハリスを弁護する者はいなかった。彼がドームに来て間もなしに意気投合していた連中は、先のバーでの乱闘騒ぎで謹慎処分を受け、彼から離れて行った。レイモンド・ハリスは孤独だったのだ。だからドームの外で、居酒屋で、誰も彼を知らない場所で、酒に呑まれた。

「地球人類復活委員会会則、及び 宇宙連邦法により、貴殿は本日午前8時35分に失職した。これより24時間以内に地球から退去されることを勧告する。」

 ケンウッドが罷免する執政官に告げるおきまりの言葉を述べると、ハリスは軽く頭を下げて承諾した。
 ケンウッドは一呼吸置いてから、言った。

「貴方の今後について執行部からある提案があった。会議の後で長官執務室に来て欲しい。重要な話なので、必ず顔を出してくれ。」

 ハリスはそれも素直に承知した、もしかすると頭が真っ白で何も考えていないのかも知れない。
 ハリスは執政官達の冷たい視線を浴びながら議場を出て行った。ケンウッドはホッと一息ついた。隣の席で、ガブリエル・ブラコフが小さな咳払いをした。まだ要件が残っている。副長官後任が決まったのだ。それを執政官達に公表しなければならなかった。


2018年5月20日日曜日

泥酔者 15 - 8

 ケンウッドはくたびれ果てていた。レイモンド・ハリスに地球の業務を任せる承認をドーマー幹部達から取り付けたものの、明日は当のハリスにそのドーマー達の「厚意」を受け入れることを強いらねばならない。ハリスに拒否する権利はないのだ。
 班長達は会議が終わるとそれぞれのアパートや職場に戻って行った。数名は残って食堂の冷たい飲み物を味わいながら何か喋っていた。
 ハイネ局長は3名の維持班の班長に囲まれて話をしていた。そのうち、1人が涙を流し始め、ハイネが彼を抱きしめた。残りの2人も悲しそうな顔をしているのを見て、ケンウッドはハッとした。病気療養で辞める中西部支局長の部屋兄弟達だ、と思いが至った。昨日の局長からの報告では、支局長は自身の体力に過信があった為、病気の進行が深刻な段階に進む迄気がつかなかったのだと言うことだった。つまり、外の世界の医療では、もう手遅れなのだ。ドームは彼を連れ戻すことも出来る。研究素材として元ドーマーを再収容する権利が委員会で認められるのだ。しかし、それを希望する元ドーマーは1人もいなかった。愛する家族と別れて生きようと思わない。支局長は部屋兄弟と再会することなく、旅立つのだろう。その覚悟ができているのだ。
 ハイネ局長は3人全員を順番に抱き締め、何か優しい表情で語りかけてから別れた。ケンウッドは彼がそばに来た時、何も言わなかった。局長も説明しなかった。ケンウッドがカウンターから取って来たレモンジュースを飲みながら、2人は暫く頭の中を空っぽにしていた。
 やがて、ケンウッドがぽつんと言った。

「君の嫌いな男を直属の部下に押し付けてしまって、すまん。」

 ハイネが微かに苦笑した。

「ドームに召喚しなければ済むことです。連絡の窓口はネピア・ドーマーに任せます。」

 お堅いネピア・ドーマーだってハリスには我慢出来ない筈だ、とケンウッドは思ったが、黙っていた。
 ハイネが話題を変えた。

「ガブリエルはラナ・ゴーン博士を後任に決めたのですね?」
「うん・・・今度の副長官は歴代の男性副長官より優秀な様だから、君も覚悟してくれ。」

 そして重要なことを思い出した。そっと局長に囁きかけた。

「彼女もお誕生日ドーマーに君を指名するのだろうか?」

 新婚だから断る、と言うのかと思いきや、ハイネは平然と答えた。

「執政官からご指名があれば何時でもどうぞ、です。」
「しかし・・・」

 ケンウッドは何故自分が赤面するのだろうと焦りながら、赤くなった。

「彼女はアイダ博士の友人だし、クロエルの養母だし・・・」
「執政官に変わりありません。 ご指名を拒絶する権利はドーマーにありませんし・・・」

 男の執政官から指名される時は平気で自身の名前をリストから削除する局長は、いけしゃあしゃあと言い切った。

2018年5月19日土曜日

泥酔者 15 - 7

 ケンウッドは立ち上がり、簡単に挨拶をして直ぐにスピーチに入った。先ずは執政官レイモンド・ハリスが失職する理由だ。酒と博打で故郷から逃げ出して地球へ来たことは既にドーマー達の間にも噂で広まっていたので、長官の口から直接告げられると、納得したと言う表情がどの顔にも浮かんだ。空港での乱闘の話は、最新の事件だったので知らない人もいて、かなり面白がって聞いている様子だった。
 本題はこれからだ。ケンウッドは緊張を覚えた。ドーマー達は執政官がクビになる説明のみをわざわざ班長会議で告げられると思っていない。何か重要な話があるから、長官が説明すると言う異例の事態になっていると理解していた。

「ハリス博士は明日の執政官会議で罷免された後、ドームから退去しなければならない。しかし、外に出れば取り立て屋が待ち構えている。彼等は先刻も説明したように、債務者を捕らえて辺境の開拓地に送り込み、ただ働きさせる。債務者はまず一生逃れることが出来ない。我々は一度は同じドームで働いた人間をそんな目に遭わせたくない。君達もそう思うだろう? 我々は冷酷な人間になりたくない筈だ。だから、地球人類委員会の執行部も対策を考えた。」

 ケンウッドはそこで数秒間休憩した。ハイネには躊躇っていると見えたかも知れない、とちょっぴり心配したが、局長はいつもの平然とした顔で長官を見ているだけだった。
ケンウッドは続けた。

「ハリスを救うには借金の返済しかないのだが、彼は金を持っていない。そこで委員会は彼の借金を肩代わりする代わりに、彼を地球の為に働かせることを考えついた。向こう最短で5年間はタダ働きさせるのだ。」

 すると班長の中から誰かが質問した。

「ドームの中で働かせるのですか?」
「いや、それでは罷免する意味がない。」

 ケンウッドはドーマー達が反発するのを覚悟して言った。

「ハリスには、遺伝子管理局北米南部班中西部支局で支局長として働いてもらう。」

 食堂内がシーーーンとなった。皆長官の言葉が直ぐには理解出来なかったようだ。コスビー総代も唖然とした表情で長官を見ていた。数秒間彼はじっとケンウッドを見つめ、やがて視線をハイネ局長に向けた。その動きを予想したかの如く、ハイネも彼を見た。そして、徐に彼が口を開いた。

「中西部支局長が病気療養を理由に3日前に突然辞表を提出した。あまりにも急なことで後任にふさわしい元ドーマーが当該地域に1人もいないのだ。元局員はおろか元維持班の者もいない。田舎なので、住みたがる元ドーマーが昔から少ない地方だ。私は困って長官に相談に行った。その時、月の地球人類復活委員会のベルトリッチ委員長が偶然ハリス博士の処分に関する話し合いをする為にケンウッド長官に通信してこられた。私が同席している理由を委員長が尋ねられたので、支局長後任の件を話すと、委員長がハリス博士を支局長にしてはどうかと提案されたのだ。」

 ケンウッドはハイネの援護に感謝しながら、素早く引き継いだ。

「地球人の人生と未来に関わる重要な仕事を、ハリスの様な酒飲みで博打好きでいい加減な男に任せるのは、私も不安だ。しかし支局長の仕事は彼の能力で行える内容で、彼は遺伝子管理局支局業務の意味と内容を理解している。給与も委員会が肩代わりした借金を返済させるに無理な額ではない。加えて中西部支局がある場所はコロニーからの取り立て屋がわざわざ行く理由がない。ハリスは堂々と働きながら身を隠せる。彼は酒さえ飲まなければ真面目に働ける人間だ。
 ドーマーがすべき役職だがその適任のドーマーがいなければ、現役局員を強制的に退職させるか、ドーマーからドーム退出者を募らねばならない。これはハイネ局長もドーム幹部も避けたいと思っている。君たちの中で希望者がいると言うなら話は別だが・・・」

 ケンウッドは一旦言葉を切った。食堂内のドーマー幹部達の反応を見たのだ。班長達は互いの顔を見合わせたり、腕組みして考え込んだりしていた。私語は聞こえなかった。
その時、出入り口の側で立っていたジョアン・ターナー・ドーマーが挙手した。彼はまだ幹部ではない、ただの大工だったが、ケンウッドは彼を見て頷いた。ターナーが質問した。

「ハリス博士を支局長にした後でドーマーから後任候補が現れたら、どうするのですか?」

 ケンウッドが答えた。

「ハリスには委員会に借金が残るから、最低5年は働いてもらわねば困る。借金の返済が終わればすぐにでもドーマーと交代させるよ。 勿論、彼が支局長の間にドーマーの候補者を一緒に働かせることも出来る。」
「本当にあの人が真面目に働いてくれると信じておられるのですか?」
「信じると言うより、必ず真面目に働かせる。局員の支局巡りを知っているだろう? 申請書の不備などがある住人に面談する為に、こまめに地方を訪問する業務だ。中西部支局は一週間に1度は必ず誰かが訪問する。ハリスの監視を兼ねることは容易いと思うが・・・。」
「ええっと・・・北米南部班のチーフは・・・」
「ポール・レイン・ドーマーだ。」

 おお、と微かな響めきが上がった。ポール・レイン・ドーマーは類稀なる美貌の持ち主だが、性格は冷たく愛想がない。そして職務には忠実だ。超がつくぐらい仕事熱心で、最近は滅多にドーム内にいない。
 レインがいれば安心だ、と言う囁きがケンウッドの耳に届いたが、ケンウッドは聞かなかったふりをした。個人崇拝は時に過ちが起きる元だ。
 ケンウッドは話をまとめるつもりで尋ねた。

「レイモンド・ハリスを遺伝子管理局支局で働かせることに君達の承認を得られるだろうか?」




2018年5月18日金曜日

泥酔者 15 - 6

 ドーマーの班長会議は通常中央研究所の食堂で開かれる。利用者が最も少なくなる午前10時頃か午後10時頃だ。班長会議が開かれている間は食堂を利用出来ないので、執政官は一般食堂へ行く。
 ケンウッド長官から事案の概略と会議開催を求められた維持班総代表のロビン・コスビー・ドーマーは質問も反対もせずに、班長達の端末に徴集指示の一斉送信を行った。
遺伝子管理局長もこの場合出席を許されるので、ハイネ局長は夜の運動時間を切り上げて食堂へ行った。
 食堂の入り口で出席者の確認をしているのは、家具作りが得意なジョアン・ターナー・ドーマーだった。若い彼はコスビーに命じられてその作業をしているのだが、ハイネ局長はその役目の意味を理解していた。だから、食堂の端に設けられた臨時ステージの上のケンウッドを認めると、長官の右横の席に座って、同じく左横に陣取っていたコスビーに囁きかけた。

「君の後継者はまだ30代ではないのか?」
「後継者?」

 ケンウッドは2人のドーマーの間に座っているので当然ながら会話を全部聞くことになる。思わず口を挟んでしまった。

「誰が?」
「ジョアン・ターナーです、長官。」

 コスビーが小声で答えた。

「出席者確認をしている大工です。」
「ああやって班長達に彼の顔を覚えさせ、彼にも班長達の名と顔を覚えさせるのです。」

 ハイネが説明した。コスビーがケンウッドを無視して局長に言った。

「まだ後継者候補と公言した訳ではないので、ここだけの話にしておいて下さい。本人にも話していませんから。 私は2、3年のうちに引退しようと考えています。」

 まだ若いのに、とケンウッドは思ったが、口出しは賢明にも控えた。コスビーは70歳を過ぎた。ドームの外に住んでいたら既に鬼籍に入る恐れがある年代に入ったのだ。それを考えたコスビーは第一線から退いて後進の育成に携わる決心をした。
 開場から10数分後に食堂はほぼ満席になった。班長と言っても各部門の最高責任者だけでなく、下部組織のリーダーもいた。コスビーは出来るだけ大勢の仲間の意見を聞きたかったのだ。何しろコロニー人が地球人にとって重要な職務をなすことの是非を問う会議だ。
 やがて、入り口にいたターナー・ドーマーが満席を告げた。

2018年5月17日木曜日

泥酔者 15 - 5

 ベルトリッチ委員長との通信を終えたケンウッドは、隣に立っているハイネ局長を見上げた。ハイネは少しぼーっとしている様に見えた。委員長の勢いに呑まれてしまって、何がどうなったのか必死で頭の中で整理しているのだろう。

「君がハリスに救いの手を差し伸べてくれるとは、驚いたよ。」

とケンウッドは声をかけてみた。ハイネが我に返って彼を見た。

「私がハリス博士を救うと仰いましたか?」
「うん・・・」

 ハイネが横を向いた。

「私はあの騒々しい男を静かにさせたかっただけです。ドーマーが怪我をする羽目になったのです、地球の為に働いてもらわなければ困ります。」

 ケンウッドは苦笑した。彼はこれからドーム維持班総代表のロビン・コスビー・ドーマーに緊急の班長会議を開かせなければならない。そして異例ではあるが、長官として今回の顛末を班長達の前で説明して、遺伝子管理局の支局長にコロニー人を任命することを納得させなければならない。この手順を怠れば、ハイネが独断でハリスを支局長に据えたと見做されてしまう。それは断じてあってはならない。遺伝子管理局長をドーマー社会から孤立させては、ドーム行政そのものが崩壊しかねないからだ。局長はドーマーのリーダーであり、ドームとドーマーのパイプ役なのだ。リーダーがドーマーの信を失えば、ドーマー社会はドームの言うことを聞かなくなる。
 ドーマー達を納得させてから、執政官会議でハリスを罷免する。その後、ハリスに支局長の任を与える。ハリスが拒否しても従わせる。従わなければ、金融業者に引き渡すしかない。
 
「ハリスも馬鹿ではない。辺境で死ぬまでタダ働きさせられるより、地球で支局長として名誉のある仕事をこなし、借金返済が終了すればコロニーに帰れる方を選ぶ筈だ。
彼は事務仕事は出来るし、部下をこき使うタイプでもない。5年から7年、働いてもらう間に、君は正当な支局長を探せるのじゃないかね?」

 ハイネ局長が渋々頷いた。彼を慰める為に、ケンウッドは朗報を思いついた。

「悪いことばかりじゃないよ、ハイネ。空港での騒ぎに、ラナ・ゴーン博士が積極的に関わった。ブラコフの後任候補だ。彼女は乱闘の中に分入って、怪我をした保安員を気遣った。お陰で、ガブリエルはすっかり彼女に惹かれてしまって、もう彼女を後任にすると決めてしまったんだ。まだ彼女が地球に来て半日しか経っていないのに。」

2018年5月16日水曜日

泥酔者 15 - 4

「ハリス博士が借金返済の為に辺境に売り飛ばされる恐れがあると言うのでしたら、中西部支局長の代理をお願い出来ないでしょうか?」

とハイネが言ってベルトリッチ委員長を驚かせた。

「ハリス博士に支局長職ですか?」
「正式な次期支局長が決まる迄の繋ぎです。支局では秘書や現地職員が働いていますから、現在業務が滞っている気配はありません。ハリス博士にはドームにいながら彼等の仕事を監視して頂き、執政官のお仕事と両方をこなして頂ければ・・・支局長の給与の半分は出せるかと思います。借金の利子の返済に使って頂けませんか?」

 ベルトリッチは苦笑した。ハイネが不良執政官を助けてくれようとしている。しかし、借金の額は支局長職を内職程度の量でこなして支払われる臨時収入では補いきれない。

「いっそのこと、ハリスを執政官から退官させて、支局長にしてしまってはどうかしら?」

 彼女のアイデアに、ケンウッドもハイネもぽかんとした表情になった。地球人の役所で地球人の為の職務をこなす地球人の代わりに、あの不良学者を据えると言うのか? ハイネが思わず言った。

「それは暴挙です。」
「暴挙?」
「支局長の権限を全てハリスに与えると言うことです。地球人の権限をコロニー人に与えると言う・・・」
「でも、このアイデアは貴方が考えついたのですよ。」

 言い返されてハイネが返事に窮した。ケンウッドが彼を宥めた。

「ハイネ、ドームにいながら支局の監視をするのは、何もしないのと同じだ。そんな仕事をしている人間に、支局長給与の半分も出せないよ。
委員長は、ハリスを現地に行かせて働かせろと仰っている。」
「それなら給与を出せます。」

とベルトリッチ。

「取り立て屋がハリスを追いかけて来ては中西部の住人に迷惑がかかるでしょうから、彼の借金は委員会が肩代わりします。ハリスの借金は地球人類復活委員会に移るのです。給与支払者である委員会は、彼の給与から最低限の生活費を差し引いた金額を返済金として天引きします。物価を考えると、全額返済は7年ほどでしょうか。その間、ハリスにはタダ働きしてもらうことになるでしょう。しかし、身の安全は保障されるのです。」

 彼女はハイネに優しく言った。

「都市部の元ドーマーを強制的に中西部へ追いやることを思えば、貴方も楽なのではありませんこと? 無理に希望者を募って現役を外に出すのは貴方も避けたいでしょう?」
「7年・・・ハリス博士はちゃんと働けますかね?」
「それは委員会にとっても大博打ね。大金を肩代わりするのですもの。」

 ベルトリッチはケンウッドに顔を向けた。

「維持班のドーマーに班長会議を開かせて下さい。そこでハリス博士を遺伝子管理局の仕事に従事させる承認を取るのです。ハリスは維持班のドーマーにも迷惑をかけていますから、退官は処罰であると長官からはっきり説明してあげて下さい。そして支局長は名誉な仕事でありますが、処罰されるコロニー人にその職を与えるのは、ハリスが元執政官であるからと言い含めて下さい。処罰と名誉、両方の処置です。
 班長会議で承認を得たら、次に執政官会議でハリスへ退官勧告を出し、必ず本人に了承させて下さい。 他の執政官達にも彼がクビになる理由を分からせるのです。支局長に任命することは、会議では言及する必要はありません。長官執務室でハリス個人にだけ告げるのです。名誉を与える必要はありません。本人にとっては屈辱でしかないでしょう。」




泥酔者 15 - 3

「遺伝子管理局の仕事をコロニー人にさせる?」

 ベルトリッチが形の良い眉を顰めた。地球人の仕事にコロニー人が介入するのは禁止されている。ケンウッドが先刻迄ハイネと2人で話し合っていた事案を説明した。

「南北アメリカ大陸遺伝子管理局の北米中西部支局の支局長が3日前突然辞意を表明しました。理由は病気療養の為に職務続行が困難になったと言うものです。何の前触れもなかったので、ドームも遺伝子管理局も慌てています。と言いますのも、中西部は遺伝子管理局の業務知識を備えた元ドーマーが殆どいないのです。維持班から卒業した元ドーマーすら殆どいません。」
「元ドーマーは都市部に集中したがりますものね。」

 西ユーラシアで勤務した経験があるので、そこのところはベルトリッチも理解した。

「生まれ育った場所の近くに住みたい、ドームの環境に似た便利な都会に住みたい、彼等にはそう言う傾向があります。」
「中西部は田舎で、過疎化の為に住人の人口が少なく、情報も限られてきます。支局が受け付ける申請書の7割は養子縁組に関するものです。仕事量は少ないのですが、担当する土地の面積は馬鹿に広い。そこへ進んで行きたがる元ドーマーはいません。」
「つまり、次の支局長の成り手がいない?」
「そうです。それでハイネ局長が相談に来ていたのです。」

 委員長はハイネに顔を向けた。

「貴方はどんなアイデアを持っていたの?」

 ハイネは肩をすくめた。

「都市部の元ドーマーに強制的に支局長職を命じるか、現役からドーム退出希望者を募るか、その程度しか思いつかなかったのですが、現役から選ぶとなると執政官会議の承認が必要です。長官のご意見を伺おうと来ました。」
「それで? コロニー人とどう関係するのかしら?」

 珍しくハイネがちょっと躊躇った。

「ハリス博士の借金返済に多少援助出来るかと思いまして・・・」

 ケンウッドもベルトリッチも彼が何を言おうとしているのか読めなかった。

「貴方がハリスに援助するのですか?」
「私が、ではなく、遺伝子管理局が、です。」
「どの様に?」
「ハイネ、私にもわかる様に頼むよ。」

 時々ハイネは物事を遠回しに言うので、ケンウッドはすぐに理解出来ずに戸惑うことが多い。ハイネがチラリと彼を見た。ケンウッドは、そんなことはわかっている、と言われた様な気がした。

「ケンウッド長官が仰った様に、中西部支局の業務量は都会に比べれば少ない方です。支局長の仕事は申請書受理と本部で発行された許可証を申請者に届けること、支局巡りの局員の業務に便宜を図ったり、宿泊施設の手配をしたり、空港の管理をすることですが、辞任する支局長の場合、週の半分は地元名士達との社交に費やされていました。」
「つまり、暇?」
「時間が余ると仰って下さい。」
「でも、成り手がない?」
「田舎の退屈さは、ドーマーには地獄なのです。」

とケンウッド。

「うちのドーマー達は皆勤勉ですから、ダラダラした生活は苦痛でしかありません。」

 「うちの」とケンウッドが発音すると、ベルトリッチが眉を上げた。まるでアメリカのドーマーが特別みたいじゃないの、と言いたげだったが、彼女は口を挟まなかった。

泥酔者 15 - 2

「初めまして、ハイネ局長!」

 ロバータ・ベルトリッチ委員長が満面の笑みを浮かべて挨拶した。西ユーラシア・ドームで勤務していた頃に数回画像通信で話したことがあったが、委員長として月と地球の間で話すのは初めてだ。それに以前話した時は、彼女はロベルトだった。ハイネはこんにちはと言った。ベルトリッチが周囲をさっと見回してから、カメラに向き直って小声で尋ねた。

「新婚生活は如何です?」

 ハイネが色白の頬をうっすらと桜色に染めて、

「お蔭様で、楽しく暮らしています。」

と答えた。ベルトリッチは頷いてから、本題に戻った。

「地球人保護法違反の男は保釈されても地球から最低半年は出られません。その間の生活費の問題がありますから、雇主にすれば彼を拘置所から出すより閉じ込めておいた方が金銭的に得です。」
「理解しました。」

 ハイネも頷いた。

「では、保安員に訴えを取り下げないようアドバイスしておきます。」

 ベルトリッチはケンウッドに目を向けた。

「ええッと・・・ハリス博士の借金返済の問題でしたね。」
「2年分の給与全額注ぎ込んでも、利子が残る額です。」
「高利貸しはハリスを捕まえたら、借金返済の代わりに彼を辺境開拓団に売り飛ばすでしょう。」

 ハイネがびっくりして彼女に尋ねた。

「あの博士を売り飛ばすと金になるのですか?」

 ベルトリッチとケンウッドが顔を見合わせた。ハイネが何を想像したのか知らないが、2人は妙に可笑しく思えて笑ってしまった。ケンウッドがハイネに説明した。

「辺境の開拓地に行きたがる医者はいない。だから、ハリスの様に医師免許を持っている人間が借金返済の代わりに辺境に送られてタダ働きさせられるんだよ。女性だったら性の奴隷にされる恐れがあるが、男は力仕事か専門知識を利用したタダ働きさ。」

 するとハイネが言った。

「委員長の通信が入る前に話していた件ですが・・・」

 ケンウッドは額を掌でぴしゃりと打った。

「ああ、そっちも問題だったな・・・」
「そうではなくて・・・」

 ハイネがベルトリッチを振り返った。

「委員長、遺伝子管理局の仕事にコロニー人を使ってもよろしいですか?」


2018年5月15日火曜日

泥酔者 15 - 1

 ロバータ・ベルトリッチ委員長が通信を入れて来た。誰かが・・・レイモンド・ハリスの存在を疎ましく思っている執政官の誰かが空港での事件を本部に通報したのだ。
 ケンウッドは叱責されることを覚悟して、長官からの通報を故意に遅らせたことを詫びた。

「警察の判断を待ってから報告するつもりでした。今回の事案はレイモンド・ハリス博士個人の問題です。地球人保護法違反や乱闘はそこから派生したに過ぎません。執行部の皆さんのお時間を取らせる様な問題ではありません。私の指導が足りなかったのです。」
「起きたことにうだうだ文句を言うつもりはありませんよ、ケンウッド博士。」

 ベルトリッチが溜め息をついた。

「レイモンド・ハリスの身元調査が不十分だった人事部にも落ち度はありますからね。」
「今日は午前中ハリスを伴って警察に行って来ました。彼は深く反省していましたが、借金返済の目処が立たないのです。2年分の給料を全額注ぎ込んでも利子が残るのです。」
「それ・・・博打でそんなに?」
「博打の借金は返済したのですが、その返済金を借りた高利貸しの方の借金がどんどん膨らんで・・・」
「泥沼ですね。恐らく胴元とその高利貸しは繋がっていますよ。」
「私もそう思います。しかし法的にはハリスに返済義務があるのです。」

 ケンウッドは画面の中で委員長が天井を見上げて考え込んでいるのを眺めた。星空に答えが書いてあるのであれば、彼も見上げて見たかった。
 その時、ケンウッドの後ろで声がした。

「そのコロニー人の取り立て屋は、地球人保護法違反で捕まっているのですか?」

 ケンウッドは委員長が通信して来る直前迄遺伝子管理局長とある事案に関して話し合いをしていたことを思い出した。彼は少し後ろに顔を向けて答えた。

「保安員を殴った男だけ拘置されている。彼の雇主が保釈金を払ってくれれば出られるが、地球から出るには裁判を受けてからだ。有罪判決が出れば、禁固1年か、社会奉仕半年だな。無罪にはならない。保安員が訴えを取り下げない限りは・・・」

 航空班は維持班支配下の輸送班の一部だが、航空機や空港施設などのハード面だけが輸送班の管轄で、業務は遺伝子管理局の指図を受ける。保安員がコロニー人を訴えるか訴えないか、それは航空班の指揮権を持つ局長第2秘書の考え次第だ。ハイネ局長は秘書にどうしろとは言わないだろう。しかし彼の考えを秘書は無視しない。
 ハイネが次の質問をして来た。

「捕まっている男は、彼の雇主にとって保釈金を払う価値がある人物なのですか?」
「彼の価値と言うより、彼を自由にすることが雇主に意味があるかないかだろうな。」

 ベルトリッチが画面の中でハイネを見ようと体を動かした。

「ローガン・ハイネがそこにいるのですね?」

 それでケンウッドはハイネに来いと手を振った。ハイネ局長が椅子から立ち上がり、カメラの前にやって来た。


泥酔者 14 - 10

 アーノルド・ベックマン保安課長がドームに帰って来たのは2時間後の午後8時を廻った頃だった。保安員とレイモンド・ハリスも一緒だった。出迎えた航空班班長がハリスを引き継ぎ、保安員は再び外の寮に戻って行った。彼がドームのアパートに帰るのは休日だけだ。航空班班長はケンウッドに指示されていた通りにハリスを医療区に連れて行った。ハリスはまだ完全に酔いが醒めたのではなかったので、ヤマザキが彼を入院棟の部屋に入れた。ハリスは着替えもせずにベッドにごろりと横になってそのまま鼾をかき始めた。
 ベックマンは長官執務室で警察の事情聴取の様子を語った。シティ警察はハリスと取り立て屋の関係を知りたがった。ベックマンはハリスの私生活を知らなかったので、ただ酔っ払って動けない遺伝子学者を長官の要請で迎えに来たこと、長官も偶然空港職員に声を掛けられて酔っ払いの世話をする羽目に陥ったことを語った。

「ハリス博士が酒と博打で火星にいられなくなったと噂で聞いたが詳細は誰も知らない、と言っておきました。警察がどこまでも信用してくれるか、見当がつきませんが・・・」
「取り立て屋も事情聴取を受けているのだろう?」
「はい。あちらは地球人保護法違反がありますから、かなり詳細に聞かれているようです。それにアフリカや西ユーラシアにも出没していたらしく、不審なコロニー人として国際的に注意喚起対象人物になっていた様です。」
「こちらには何の落ち度もない筈だ。私とブラコフも明日出頭する。貴方にはとんだとばっちりでした。お疲れ様でした。」

 ケンウッドの労いにベックマンは微笑んで頷いた。部屋を出かけてふと足を止めた。

「今日来られた女性博士ですが・・・ブラコフ副長官の後任の方ですね?」
「まだ決まった訳ではないが・・・ガブリエルはさっきの一件で彼女が気に入った様だ。」
「私も気に入りましたよ。取り立て屋と言えばヤクザも同然ですからね、そこへ割り込んで保安員に手を貸したり、酔っ払いに注射を打つなんて、男でも躊躇する場面であの行動力です、大した人です。」
「副長官より長官にふさわしいと思わないかね?」
「ご冗談を・・・」

 ベックマンがニヤリと笑った。

「そんなことを言って重責から逃げようと企んでいらっしゃるのですな?」
「逃げ出したいよ、本当に・・・」

 ケンウッドも苦笑した。

「女の子を誕生させる目処も立たないのに、次から次へと問題が発生する。」
「それが人生ってものですよ、長官。」

 ベックマンが片目を瞑って「おやすみなさい」と言い、ドアを開いた。

2018年5月14日月曜日

泥酔者 14 - 9

 ベックマンと保安員がまだ足の重いレイモンド・ハリスを両側から支えて立たせた。ドームに帰り着くには時間がかかりそうだと判断したケンウッドは、ブラコフに命じた。

「ゴーン博士と一緒に先にドームに帰っていなさい。博士は長旅でお疲れだろうから、お食事を摂って頂いてゲストハウスにご案内しなさい。」
「わかりました。」

 ブラコフは素直にケンウッドの指示に従い、ゴーンに行きましょうと声を掛けた。その時、ハリスを動かそうとしているベックマン達の背後に、先刻の取り立て屋が現れた。ケンウッドが気がつくと、人数が4人に増えている。ゴーンと同じシャトルで取り立ての交代要員が来たので合流した様だ。マイケル・コナーズと名乗った男がハリスに声を掛けた。

「ハリス博士、酔いが少し醒めた様ですな。こちらへ来て頂けませんか?」

 ベックマンに支えられてフラフラだったレイモンド・ハリスが一瞬固まった。と思ったら、信じられぬ力でベックマンと保安員の腕を振りほどき、脱兎の如く走り出した。

「待て!!」

 ベックマンが、保安員が、そして取り立て屋がレイモンド・ハリスを追いかけて走り出そうとした。ストレッチャーを取りに行きかけて立ち止まっていた保安員が、取り立て屋の1人に飛びついた。コナーズの連れの目つきの悪い男だ。ブラコフはハリスがそばまで来た時に脚を伸ばして引っ掛けた。ハリスが床の上に転がった。追いつきそうになっていた取り立て屋の1人がハリスに躓いて転倒した。その上にベックマンが飛びついた。
 ケンウッドはコナーズの腕を掴んで引き止めた。

「止しなさい、ここが何処だか忘れたのか?」

 その時、目つきの悪い男と組み合っていた保安員に、4人目の取り立て屋が後ろからカバンの様な物で殴りつけた。振り返った保安員の顔にさらにもう1発。保安員が小さい悲鳴を上げた。

「動くなっ、それ以上彼を殴ると撃つぞ!」

 甲高い声がして、コロニー人達は動きを止めた。ケンウッドが振り返ると、先程の警察官が銃を抜いて立っていた。
 彼等の周囲を遠巻きにして人々が成り行きを見守っていた。コロニー人の旅客もいるが、大半は空港を利用している地球人だ。その地球人の人垣の中で誰かが声を上げた。

「殴られたのは、ドームで働いている地球人じゃないのか?」
「そうだ、地球人がコロニー人に殴られたんだ。」
「見ろ、顔から血が出ている。」

 ケンウッドは殴られた保安員を見た。保安員は殴られた衝撃で床に尻餅を付いていた。頰に自分で手を当て、出血を確認した。カバンの金具で皮膚が切れたのだ。
 ブラコフとベックマンはハリスに覆いかぶさった取り立て屋をハリスから引き剥がしていたが、人垣から起きた声に驚いて振り返った。

「地球人保護法違反だ。」
「保護法違反だ。」
「コロニー人を捕まえろ!」

その時、

「地球人を傷つけたのね!」

 ゴーンの声が館内に響いた。彼女がつかつかと靴音を立てて保安員に近づいた。警察官は彼女がバッグからハンカチを出して若い保安員の顔に押し当てるのを黙って見守った。
ゴーンが保安員に囁いた。警察官には聞こえない低い声だった。

「『通過』は済ませてあるの?」
「はい。」
「では感染症の心配は低いわ。でも皮膚が切れているから痛むでしょう?」
「ええ・・・」
「ドームで手当してもらいましょう。」
「ここの医務室で十分です。」
「駄目よ、外科処置はドームの方が確実です。」

 ゴーンはケンウッドの方へ顔を向けて報告した。

「傷は小さいですが、皮膚が切れています。医療区での治療を要求します。」
「うむ。」

 ケンウッドは頷いた。彼は警察官に言った。

「貴方が目撃した通り、地球人保護法違反があった。ドーム勤務の職員が殴られて怪我をした。ドーム側は被害届を出します。貴方の職務を遂行して下さい。」

 警察の応援が到着した。コナーズと3人の男はその場で拘束された。取り立て屋の1人は不満そうだったが、コナーズが宥めた。地球では地球のルールがある。逆らうと事態が悪化するのは目に見えていた。保安員を殴った男は手錠を掛けられた。
 ベックマンが警察での事情聴取に応じてくるとケンウッドに告げた。ケンウッドもブラコフも無関係ではなかったが、身分がしっかりしているので翌日の聴取に応じると警察に約束してひとまず解放された。ハリスも警察に引っ張られたが、彼の場合はドーム側の保安員が監視に付いていた。
 騒ぎが収まって、人垣が消え、ケンウッドはブラコフとゴーン、それに負傷した保安員と共にゲート前に残された。

「とんだ歓迎会でしたな。」

とケンウッドはゴーンに謝った。ゴーンが首を振った。

「クロエルが言っていた通り、ここのドームは退屈せずに済みそうですわ。」

 そして保安員を振り返った。

「さぁ、早くこの子の手当を・・・」




泥酔者 14 - 8

 ベックマン保安課長の指図で航空班保安員達がレイモンド・ハリスを立たせようとした。ハリスはぐにゃぐにゃになっていて、なかなか言うこと聞かない。保安員の1人がストレッチャーを取りに歩き去ろうとした時、女性の声がケンウッドの背後から聞こえた。

「アルコールで酔っ払っているのですね?」

 ケンウッドが振り返るとブラコフ副長官と栗色の髪のすらりと背が高い美女が立っていた。年齢は50台後半か? 地球人の目から見れば30台後半に見えるだろう。

「ゴーン博士ですね?」
「ケンウッド長官、こんばんは。お取り込み中とお見受けしました。」
「お恥ずかしい。部下が研究資料採取で外出して、シティでちょっと飲酒をしたらしいのです。」

 勿論ハリスの状態を見れば「ちょっと」どころでないことは誰の目にもわかった。
血液の研究者であるゴーンが端末でサッとハリスの体を走査した。そしてブラコフを振り返った。

「私のスーツケースはまだ消毒が終わりませんか?」
「もうすぐ出て来る筈です。」

 ブラコフとゴーンは同時に荷物の受け取りカウンターを見た。そして流れ出て来る荷物の山を見て、ゴーンが素早くそちらへ歩いて行った。
 ベックマンがハリスを宥めすかして立たせようと努力していた。保安員達はハリスが暴れたら直ぐに抑えられるように身構えている。コロニー人達が騒ぎを起こしていると気が付いた地球人や、コロニー人の旅客が遠巻きに見物しているので、ベックマンは不機嫌だ。ケンウッドも落ち着かなかった。保安員の1人が端末で映像記録を撮り始めた。後でハリス自身に見せて反省を促すのに用いる為だ。
 ゴーンがスーツケースを持って戻って来た。ケースを開き、薬品ケースを出した。

「ドーム外で使用許可が出ている薬です。血中アルコール濃度を下げます。」

 彼女はアンプルの中身を圧縮注射に注入すると、保安員とベックマンに言った。

「彼を抑えておいて下さい。微量を注射します。量を間違えると危険ですので、しっかり抑えて下さい。」

 ベックマンと保安員がハリスをむんずと捕まえた。ハリスが言葉にならない声で何やら抗議した。ゴーンが彼に近づき、首筋に圧縮注射を押し当てた。ベックマンの耳に微かな「プシュッ」と言う音が聞こえた。ハリスが深い息を吐いた。ケンウッドが声を掛けた。

「ハリス博士・・・」
「・・・はい?」

 ハリスが半分夢の中にいるようなトロンとした目で長官を見た。

「ここが何処かお分かりか?」
「・・・ああ・・・長官・・・」

 ベックマンが彼の腋の下に腕を入れて立たせた。

「何処だか、中に戻ってから考えろ。さぁ、もう立てるだろう、酔っ払い博士。」



2018年5月13日日曜日

泥酔者 14 - 7

 ケンウッドは取り立て屋と思しき2人組のコロニー人男性とハリスの間に立った。

「いかにもこの人は当アメリカ・ドームに勤務するレイモンド・ハリス博士だが、貴方方は彼のお知り合いですか?」

 男達がケンウッドをジロリと眺めた。

「貴方は?」
「アメリカ・ドーム長官ニコラス・ケンウッドと申します。ハリスの上司です。」

 長官と聞いて、2人組が少し引いた。地球ではドーム長官はそれが置かれている国家の元首と対等の立場で話が出来る人間だ。コロニー社会でも地球で長官職を務めた経験のある人間は尊敬されVIP待遇になる。

「ケンウッド長官・・・お目にかかれて光栄です。私はマイケル・コナーズと申します。」

 1人が手を差し出した。

「火星第4コロニーのアルバート&ビーチャー金融との契約で、ハリス博士の借金返済に関して相談する為に参りました。博士とお話ししたいのですが、どうも今の状態では無理な様ですね。」

 ケンウッドは握手に応じないで、コナーズに言った。

「その様です。話し合いは彼の酔いが醒めてからにして頂けませんか?」
「しかし、一旦ドームに入ってしまうと、彼は当分出てこないでしょう。」
「ドームの面談室で面会と言う方法はありますよ。ハリス博士が貴方方に面会する許可を出した場合に限りますが。」
「ご冗談を・・・」

 コナーズが苦笑いした。彼の連れは怒った様な不機嫌な顔でケンウッドを見つめた。

「借金を踏み倒して逃げた人が、我々と面会する筈がないじゃないですか。」
「その借金ですが・・・」

 ケンウッドは相手を真っ直ぐ見つめた。

「博打の借金と聞きました。彼が返さなければならない正当な理由になるのでしょうか?」

 コナーズが優しそうな笑みを浮かべた。

「我々の雇い主は、アルバート&ビーチャー金融であって、博打の胴元ではありません。そこのところをよくご理解願います、長官。ハリス博士は胴元に支払いが出来なくて金融会社から借金をしたのです。ハリス博士は借入金の返済義務を負っています。」
「つまり、胴元には返済を済ませたが、金融会社には返していない?」
「そうです。」

 ケンウッドは溜め息をついた。博打の胴元と金融会社の関係はわからないが、確かにハリスには返済義務がありそうだ。しかし、だからと言ってここでハリスを取り立て屋に渡す訳に行かない。

「へべれけになっている人間を貴方方が大事にお世話してくださるとは思えません。それに私には部下を守る義務があります。今日のところは彼をドームに連れて帰ります。申し訳ないが、明日もう一度ここへ来て頂けませんか?」

 ケンウッドの視野の片隅にアーノルド・ベックマンが歩み寄って来るのが見えた。腰にガンベルトを下げている。コナーズの連れがそれに気が付いて、相棒に目配せした。コナーズもベックマンを見た。明らかに警察官ではない、軍人の様な雰囲気のベックマンに2人の取り立て屋は警戒した。
 ケンウッドが紹介した。

「アメリカ・ドームの保安責任者ベックマン氏です。彼が責任を持ってハリス博士を保護します。ですからハリス博士は逃亡したりしません。」

 ベックマンは後ろに数人のドーマーを連れていた。外に出たことがない保安課員ではなく、空港ビル内の寮で寝泊まりしているドームの航空班保安員だ。ベックマンの直属の部下ではないが、訓練するのは保安課長だ。彼等は師匠ベックマンの命令を聞く。
  取り立て屋は分が悪いと悟った。

「わかりました。では明日のこの時間にここへ来ます。その時にハリス博士から良いお返事を頂きたいものです。」



泥酔者 14 - 6

 レイモンド・ハリスは待合フロアのベンチで大声で何やら喚いていた。ケンウッドが近づいて名を呼んでも振り返らなかった。
 ケンウッドは空港職員を振り返った。

「いつからここでこうしているのです?」
「半時間前からです。シティから戻って来られたようです。」

そして警察官がこう言った。

「ドームに関係ないコロニー人にもよくある事ですが、地球のお酒がお気に召して飲みすぎる人がいるのです。シティの店は日が沈む迄酒類の提供を禁止している筈ですが、コロニー人目当てで闇で飲ませる店があるので・・・困ったものです。」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「この人はコロニーでも酒癖が悪かったと聞いています。ドームから応援を呼びましょう。」

 大人しくさせるには麻痺光線銃が必要だろうとケンウッドは考えた。地球人の目の前で使用したくないが、もしハリスが暴れでもしたら民間人に被害が出ないとも限らない。それにドーム事業の秘密を口外されては困る。絶対に困る。
 ハリスはコロニー時代の職場の人間達の悪口を言うのに忙しく、まだ秘密を喋るところまで行っていないようだ。しかし油断出来ない。ケンウッドは保安課に電話をかけてみた。ベックマンが出て、ドーマーの保安課員は外に出せないので彼自身が出向くと応えた。

「光線銃を使用することになると思う。麻酔注射を打てればそっちの方が良いのだが。」

 ケンウッドが考えを告げると、ベックマンは善処を心掛けますと言って通話を終えた。
 ケンウッドは警察官に尋ねてみた。

「彼は単独だったのだろうか? 誰か連れがいる気配はなかったですか?」
「お一人の様子ですが・・・何方かまだいらっしゃるのですか?」
「いや・・・私が受理した届出は彼1人だけです。連れがいないのでしたら、彼は闇で飲ませる店をどうやって見つけたのでしょうか?」
「それは僕も知りたいです。」

 ハリスがベンチからずり落ちた。そのまま床の上に座り込んで、ブツブツ独り言を始めた。そのまま寝てくれた方が安心だな、とケンウッドが思った時、聞きなれない声がした。

「おヤァ? ハリス博士じゃないですか?」

 ケンウッドには懐かしい火星第1コロニーの訛りだ。見ると2人連れの男が立っていた。いつの間にかシャトルが到着しており、コロニーからの客がぞろぞろと入国審査ゲートから出てくるところだ。2人連れは到着したての客ではなく、出迎えに来た方か、折り返すシャトルに乗る予定の人間の様だ。
 ケンウッドの頭の中で警報が鳴った。

 コイツらは取り立て屋だ!

泥酔者 14 - 5

 3日後の夕刻、ケンウッド長官とブラコフ副長官は揃ってドームゲートの外側に立っていた。月から来るシャトルを待っていたのだ。
 ケンウッドが地球人類復活委員会のベルトリッチ委員長に副長官後任候補の件を尋ねると、予想が的中してラナ・ゴーン博士を推薦された。

「彼女は優秀で副長官より長官がふさわしいと思いますが?」

 ケンウッドがそう意見を述べるとベルトリッチは笑った。

「それは貴方の謙遜です。彼女は確かにリーダーシップがあるし研究者として優秀ですが、貴方の下で働く方が長官職で働くよりずっと能力を発揮出来ます。人には人の適性があるのですよ。彼女は縁の下の力持ちタイプです。」

 そしてゴーン博士は急遽地球に降りて来ることになったのだ。ブラコフの時間が少ないことが理由だった。

「副長官の仕事は彼女も十分知識があります。ですからドームの皆さんと彼女の相性を見て下さい。」

 とベルトリッチはケンウッドに要請したのだ。「ドームの皆さん」が執政官ではなくドーマーを指していることはケンウッドにもわかった。他のドームに見られる執政官とドーマーの軋轢を委員長は懸念しているのだ。
 ブラコフは後任候補が新人ではなくベテランで年上の女性だと聞いて緊張していた。ゴーン博士のことは委員会の広報ネットで見たり聞いたりして知っている。立派な経歴を持っている人がどうして彼の後任なんかに? と思いがあった。ブラコフには彼自身が凄い仕事をしていたと言う認識が欠けているのだった。だから今迄の後任候補に物足りなさを感じて落としてしまったのだ。
 夕暮れの空に白く輝くシャトルが現れた時、ケンウッドは背後から声を掛けられた。

「ケンウッド・ドーム長官であらせられますか?」

 馬鹿丁寧な呼び掛けにケンウッドがゆっくりと振り返ると、制服を着用した警察官と空港職員が並んで立っていた。ケンウッド自身はあまり彼等と接点がなかったので、何の用事だろうと思いながら、「そうですが?」と答えた。警察官が言った。

「ドームの学者だと名乗る人があちらでクダを巻いておられるのですが・・・身元を照会するIDをお持ちでないもので・・・」

 ケンウッドとブラコフが顔を見合わせた。何のことだかわからない。ケンウッドは警察官に向き直った。

「その人は名乗っていますか?」
「ハリスとか・・・」

 警察官は言い直した。

「レイモンド・ハリスと名乗っています。」
「ああ・・・」

 ケンウッドは頷いた。ハリス博士が前日研究資料採取と言う届けを出して外出したことを記憶していた。まだ帰っていなかったのか?

「クダを巻いていると?」
「昼間から飲んでおられるようで、意味不明のことを色々と喋っています。」

 拙い、とケンウッドは思った。ドームの秘密、取り替え子の秘密を一般の地球人に喋ったりしていないだろうな?
 ケンウッドはブラコフに「ちょっと行ってくる」と言った。

「ハリス博士が困ったことになっているらしい。申し訳ないが、ゴーン博士のお出迎えは君がしてくれ。君の後任候補だ、頼んだよ。」

 ブラコフの返事も待たずに彼は警察官と共に歩き出していた。


2018年5月11日金曜日

泥酔者 14 - 4

 ローガン・ハイネとアイダ・サヤカは一瞬ギクリとした。彼等が結婚したことは秘密だ。もし公になれば、彼女が地球人保護法違反に問われ、地球退去になってしまう恐れがあった。しかしハイネは平静を装い、アイダもポーカーフェイスで愛想よくフォーリー・ドーマーを迎えた。ハイネが尋ねた。

「おはよう。どちらに用事だ?」
「アイダ博士に・・・」

 フォーリーは椅子に座るとアイダ博士に低い声で囁いた。

「出産管理区のお買い物の件で・・・」
「お買い物?」

 アイダはキョトンとした。内務捜査班が興味を持つような買い物をした覚えがなかった。購入するのは地球人の女性達が必要とする備品や食糧の類だ。月々の決算はきちんと長官に報告している。疚しいことは何もしていない。
 フォーリーが説明した。

「4日前にワインを3ダースも購入されましたね?」
「ああ・・・あれね。」

 あっさり認めたので、フォーリーは追求する愉しみを失った。一方アイダの方は思い出した。

「副区長のシンディ・ランバートが担当した女性が、ワイナリーの主婦でした。彼女と夫はドームの手厚い世話で無事に跡取りができたと大喜びしましたの。それで礼のつもりで自家製ワインを送ってきたのですけど、私達は公務員も同然です。少額の小物程度の贈り物なら受け取ることもありますが、3ダースものワインの様な高額なものは頂けません。ランバートがそう伝えると、先方はそれなら数ドルで良いから購入と言う形で受け取って欲しいと言って引き下がらなかったのです。仕方なく出産管理区で彼等と交渉して定価の8割で購入することで決着しました。
 出産管理区では酒類は不要の品ですから、厨房班が同額で買い取ってくれました。恐らくバーで出すお酒に加えられると思います。」

 スラスラとアイダが事情を説明したので、フォーリーは口を挟めなかった。ハイネを見て、目で尋ねた。この説明を信じるべきかと。ハイネは真実を知っていた。厨房班がブラコフの送別会を想定して庶務班に酒類の購入を依頼したのだが、その話を偶々耳にしたランバート博士が、出産管理区で収容中の女性の中にワイナリー経営者の妻がいることを思い出し、格安で購入する案を思いついたのだ。ワインは贈答品ではなく、ドーム関係者、執政官とドーマーの連携で値切って買った正規の買い物だった。
 基本的にドームはアルコール類禁止である。バーと細やかなパーティで出す少量の酒のみが許可されている。大っぴらに買える品物ではないのだ。だから内務捜査班は大量のワイン購入の真相を探ろうとして、アイダはそれを誤魔化した。ハイネは見て見ぬ振りをした。

「わかりました。個人的なお愉しみの目的で購入されたのではないと言うことですね。では執政官の皆さんが気晴らしにそのワインを楽しんで下さいますよう・・・」

 フォーリーは軽く頭を下げ、席を発った。アイダ・サヤカは笑顔で彼を見送り、その笑顔のままハイネを振り返った。ローガン・ハイネ・ドーマーは妻の演技力に感服して声を立てずに笑っていた。

「真相を語ってもフォーリーには何も出来なかった筈です。」
「でも立場を利用して安い買い物をしたのは事実ですから、フォーリー・ドーマーに質問されたらランバートは気まずい思いをしたかも知れません。」
「厨房班にも、執政官を窮地に追い込む恐れのある無理な頼みごとをするなと注意しておきます。」

2018年5月10日木曜日

泥酔者 14 - 3

 出産管理区の執政官達は普通中央研究所の食堂で食事を摂る。ガラス壁越しに妊産婦の観察をするからだ。しかしアイダ・サヤカ博士は非番の時は一般食堂にも顔を出す。特に養育棟を卒業したての若いドーマー達が多い時期は、可愛い子供達がしっかり社会活動に参加できているか気になるのだ。
 ローガン・ハイネ局長が朝食の為に食堂に行くと、アイダが若者3名とテーブルを囲んでいるのが見えた。若者達は維持班のペーペーで、仕事の失敗で落ち込んでいる1人をアイダと残りの2人が励ましている最中だった。
 ハイネが近くのテーブルに席を取り、彼女を見ると偶々彼女も彼の方へ視線を向けた。後で話があると言う意味で彼は手で正面の空席を指して見せた。彼女が小さく頷き、再び若者達に向き直った。
 たっぷり15分若者を励ましたりして、やっと彼女が腰を上げた。空になった食器をトレイごと返却してからハイネのテーブルに来た。
 朝の挨拶を交わしてから、彼女が席に着いた。

「何のお話でしょう?」

 アパートの外で彼が彼女を呼ぶ時は仕事の話がある時だ。彼女も産科の医師として話をする。彼が尋ねた。

「執行部のゴーン博士に関して、最近何か変わったことはありませんでしたか?」
「ラナ・ゴーンに変わったこと?」

 アイダが怪訝な表情で彼を見返した。そして彼女が思いつくことを訊き返した。

「それはクロエル・ドーマーに関係していることですか?」

 ハイネは部下のことが念頭になかったので、ちょっと面食らった。そしてラナ・ゴーンがクロエル・ドーマーの非公式養母だと思い出した。

「彼は関係ありませんが・・・」

 いや、あるのかも知れない。ラナ・ゴーンはブラジルで初めてクロエルを見つけた時からずっとあの子を手元に引き取りたがっていた。彼が成人して、地球人を宇宙に連れ出せないのであれば、コロニー人が地球に降りて来るしかない。

「彼女が地球で働くと言う話は聞いたことがありませんか?」

 すると、「ああ・・・」とアイダが合点が行ったと言う顔をした。

「ラナは昔から地球で働きたがっていました。でも夫君と子供達がいましたから我慢していたのです。彼女は私と違って子供を置いて遠くへ働きに出るなんて出来っこなかったのです。子供が一番、それがあの人の信条です。でも今は事情が変わりました。子供達が成長して独立したのです。彼女の家には彼女と夫君しかいません。」
「それで彼女は地球に降りて来ることが可能になったと?」
「ええ・・・」

 アイダは複雑な表情をした。妻が地球で働くとなると夫は宇宙で単身生活になる。夫が地球勤務を希望すれば委員会は同じ職場を考慮してくれるが、ラナ・ゴーンの夫は地球人類復活委員会とは無関係の職に就いている人だった。ゴーンが地球勤務を切望すると言うことは、夫との生活が上手く行っていないと言う意味だ。
 しかし、ドーマーのハイネはそこまで考えが及ばなかった。

「もし彼女が貴女の上司になるとしたら、貴女は歓迎しますか?」

 この質問にアイダはびっくりした。

「彼女が私の上司?」

 出産管理区長の上司は長官と副長官だけだ。そして一瞬彼女はラナ・ゴーンがドーム長官になるのかと尋ねかけて、思い留まった。現在アメリカ・ドームが抱えている問題に考えが及んだのだ。

「彼女を副長官に迎えたいと仰っているのね?」

 ハイネは慎重に答えた。

「ケンウッド長官が考えついた一つの可能性の話です。」

 アイダ・サヤカがにっこりとした。

「いいわ、私は賛成です。余り時間がないのでしょう? 彼女と執行部に連絡を取ってみます。キーラにも援護射撃してもらいます。」

 その時、遺伝子管理局内務捜査班チーフ、ビル・フォーリー・ドーマーが2人のテーブルに近づいてきた。

「おはようございます、局長、出産管理区長。 ちょっとよろしいでしょうか?」


2018年5月9日水曜日

泥酔者 14 - 2

 夜の仕事を片付けると、流石のニコラス・ケンウッド長官もくたびれて運動に出かける気力がなくなった。アパートに帰ると、妻帯者用の広いスペースががらんとした空間になって出迎えた。賑やかなヘンリー・パーシバルは月へ帰ってしまったし、ヤマザキ・ケンタロウは夜勤当番だ。グレゴリー・ペルラ・ドーマーは「黄昏の家」で高齢者仲間と長い夜を過ごしていることだろう。
 シャワーを浴びて部屋着に着替えたが、眠る気にはなれなかった。疲れているのに横になりたいと思わない。ケンウッドはキッチンのキャビネットを開いた。1本だけ、スコッチウィスキーがあった。ヴァンサン・ヴェルティエンがスコットランドを旅した時に送って来てくれたものだ。その封を切って栓を開けると、急に1人で飲むのが勿体無く思えた。

 これをつまみなしで平気で飲める男は1人だけだな。

 ケンウッドはダメもとで端末の電話を掛けた。相手は直ぐに出た。

「ハイネです。」
「ケンウッドだ。もう部屋に戻ったかね?」
「いいえ、ジムのロッカールームを出たところです。何か?」
「1人か?」
「そうですが?」
「私の部屋で飲まないか? 2人だけになるが・・・」

 ハイネは一瞬黙したが、直に「行きます」と答えた。通話を終えて、ケンウッドは脱ぎっぱなしだった上着をクローゼットに片付け、ソファの上の研究資料を書斎に移動させた。部屋の掃除は維持班の掃除ロボットが毎日してくれるので、床や家具の上は綺麗だ。
出来るだけ清潔なグラスを出してテーブルに置いたところでドアチャイムが鳴った。
 ローガン・ハイネ・ドーマーがケンウッドの部屋に入ったのはこれで2度目だ。運動帰りの彼はスーツではなく私服だった。それも部屋着と呼べるぐらいラフな物だった。
 2人はウィスキーを氷だけでちびちび味わった。視察団が無事に帰ったことを喜び、パーシバルと妻子が元気でいることを喜んだ。そしてブラコフの後任がまだ決まらないことを悔やんだ。
 ブラコフがケンウッドが長官であることを前提とした後任者を探していると言った、とケンウッドが告げると、ハイネが笑った。

「当たり前じゃないですか。ガブリエルにとって、アメリカ・ドーム イコール ケンウッド長官 なのですから。」
「そんなことを言われてもなぁ・・・欠陥だらけの私の補佐をしてくれる人材と言うならいくらでもいると思うが・・・」

 ケンウッドはチラリと相手を見た。

「君がドーマーでなければ採用するのに。」
「私がコロニー人でもお断りしますよ。」

 ハイネが澄まし顔で言った。

「私は今の職務で手一杯です。副長官の仕事など、手に余ります。」
「そうかな? 君の能力なら十分可能だと思うが・・・」

 ケンウッドは彼のグラスにお代わりを注いでやった。

「君は執行部のラナ・ゴーン博士を知っているかね?」
「ええ、卵子提供者の適性などの調査や遺伝子のチェックをなさっている方でしょう。時々ここにも来られますよ。」
「サヤカとも親しそうだったが・・・」
「仲が良いですね。キーラとも親交があるようです。彼女が当ドームに来る場合は、大概出産管理区かクローン製造部に行くので、私はあまり接点がありませんが。」
「クロエル・ドーマーの養母と言うのは彼女だったね?」
「そうです。あのおちゃらけた若者が、彼女の前ではお利口さんになるそうです。彼女のことが好きなのでしょう、クロエルは。」
「彼女は仕事熱心な人だと私は見たが・・・ハイネ、彼女の情報をサヤカからもっと引き出せないものかな? 」

 ハイネがグラスから視線をケンウッドに向けた。

「ゴーン博士を副長官に迎えるおつもりですか?」
「承知してもらえる自信はないが、交渉してみる価値はあると思うんだ。後任が決まらないままでは、ガブリエルが可哀想だ。」
「それでしたら・・・」

 策士ローガン・ハイネは提案した。

「西ユーラシアのマリノフスキーからベルトリッチ委員長に働きかけてもらいましょう。ゴーン博士をアメリカ・ドームに譲ってもらえるように。」
「おいおい・・・ドーマー交換じゃないんだぞ。」

 ケンウッドは笑った。

「先ずは彼女の人柄の調査だ。私はともかく、君や総代と仲良くしてくれる人でなければ副長官は務まらないからね。」








泥酔者 14 - 1

 ガブリエル・ブラコフはネピア・ドーマーに直接会って南米旅行の成功の礼を言った。堅物のネピアが、後輩の第2秘書に見られないように横を向いて、嬉しそうに微笑んで照れていた。
 夕食後、ブラコフはケンウッド長官の執務室に行った。副長官後任候補が辞退してしまったことは本人から聞かされた。がっかりしたが、反省もあった。候補が荷物をまとめる為にゲストハウスに引き揚げると、ブラコフはケンウッドに取り敢えず旅行内容の報告を行った。ケンウッドは彼の奮闘努力を高く評価してくれた。

「君の人柄が滲み出るもてなし内容だね。」
「そう仰っていただいて光栄です。ですが・・・後任には心配りが足りなかったようです。」

 どうしたものかなぁとブラコフが溜め息をついた。ケンウッドは慰めになるかと懸念しながらも、ベルトリッチが1人推薦してくれるかも知れないと言った。

「委員長直々に推薦ですか?」
「そんな口ぶりだったが、まだ詳細は何も聞いていない。君から聞いてみるかね?」
「そうですね・・・パーシバル博士は何もご存知なかったのですか?」
「うん。」

 パーシバルがラナ・ゴーン博士の名前を出したことは言わなかった。確証もないのにうっかり口に出してブラコフに無駄な希望を持たせるのは酷だ。
 その代わりにケンウッドは言った。

「優秀な人材を推薦されたら、もしかすると私が副長官に戻って、新しい人が長官になるかも知れない。」
「それは駄目です!!」

 ブラコフの勢いが強かったので、ケンウッドはびっくりした。ブラコフが勢いをつけたまま言った。

「僕は貴方が長官であることを揺るぎない前提として後任を選んでいるんです。他の長官では駄目です!!」
「しかし、私よりふさわしい人物は大勢いるし・・」
「僕が選ぶ後任は、貴方の為の副長官です。他の誰の為でもありません!」

 困ったなぁ、とケンウッドは苦笑いした。

「つまり、私の足らぬところを補ってくれる人材を探しているのだね?」
「そ・・・そんな意味では・・・」

 ブラコフも困って2人は顔を見合わせ、互いに苦笑いした。

「ヴァンサンが戻って来てくれたらなぁ・・・」
「一度辞めた者を雇う委員会ではないしなぁ。全く人間の扱いにおいては融通の利かないところだよ。」

 兎に角、今夜はもう休みなさい、とケンウッドはブラコフを解放してやった。


2018年5月8日火曜日

泥酔者 13 - 10

 翌日の午後、南米から出資者様御一行がガブリエル・ブラコフ副長官の引率でドームに戻ってきた。彼等は荷物を空港ロビーで帰りのシャトルに積み込んでもらう為に手続きを済ませてから、消毒を受けて一旦ドームの中に入った。
 ケンウッド長官はハイネ遺伝子管理局長を連れて彼等一人一人と挨拶した。どの人も旅行に満足していた。素晴らしい風景と美味しい食事と温かな現地の住人を褒め称えた。勿論ブラコフの気配りにも感謝した。そして最後に憧れの白いドーマーに会えて喜んだ。
 クロワゼット大尉は精神安定剤が体から抜けたので、しっかり歩いていたが、機嫌は良くなさそうだった。しかし富豪達は彼のことは気にならない様子で、ケンウッド長官にアメリカ・ドームのもてなしを感謝し、出資額の増額を約束してくれた。
 ヘンリー・パーシバルは彼等が忘れ物をしていないかチェックに忙しかった。忘れ物をしても取りに戻ってくるのは難しい。地球に降りるには1ヶ月以上の間を空けねばならない。どんな富豪でも曲げられない法律はあるのだ。
 ポール・レイン・ドーマーはパーシバルの荷物を運ぶ手伝いを申し入れ、局長に許可された。

「この次はキーラ博士とご一緒に来てくださいよ。」

 レインは無理なお願いだとわかっていたが、そう言わずにおられなかった。美しいセドウィック博士は憧れだったし、アイダ博士とセットで「母」なのだ。
 パーシバルはにっこり笑って彼の坊主頭をクリクリと撫でてやった。

「君達を月に招待出来ればなぁ・・・娘の1人を君の嫁さんにやっても良いんだ。」
「博士、そんな冗談は止して下さいよ。俺はダリルを見つける迄は誰とも結婚しませんから。」
「なに言ってるんだか・・・僕の娘達はまだ11歳になったばかりだ。適齢期になる迄ダリルを見つけられないって言うのか?」

 パーシバル流の励ましにレインは苦笑した。

「俺はロリコンじゃありませんから・・・でもキーラ博士の娘さんですから、きっと美人でしょうね。コロニー人なのが残念です。」

 娘達は4分の1地球人だよ、とパーシバルは心の中で呟いた。子供達が成人する頃に地球に女性が誕生していれば良いのだが。
 レインは時差ボケが治った新しい衛星データ分析官を局長の元に挨拶に行かせなければと思った。衛星データから地図の空白地帯をセイヤーズ捜索対象地域に変えるのだ。

泥酔者 13 - 9

「クロワゼット大尉は体調が悪いのかね?」

 ケンウッドが心配そうにゲストハウスの方向を見た。勿論食堂から、中央でも一般でもどっちの食堂からも、ゲストハウスそのものは見えないのだが。
 夕食時間になっても軍人が現れないので、長官として心配するのは当たり前だ。ヘンリー・パーシバルも守役として気になった。

「電話してみようか?」

 端末を出しかけると、ハイネ局長が平然と言った。

「大丈夫ですよ。 ドリームドロップをグラス1杯飲まれてお休みになられているだけですから。」

 ケンウッドとパーシバルは思わず遺伝子管理局長の顔を見た。ドリームドロップは精神安定剤だ。主に興奮状態に陥ったドーマーや執政官を鎮める目的で甘いシロップに混ぜて飲ませる内服薬で、無味無臭だが効果は強い。服用は本人次第で、食堂や図書館ロビー、ジムの休憩スペースで注文出来る。食堂のレジの支払いは、各人の摂取する食物の栄養を記録する役目があるのだが、ドリームドロップ等の自由摂取を認められている薬品の個人の分量計算もしてくれる。ゲストにはビジターパスにその人の体質や体重のデータが入っているので、危険のない分量が処方されるのだ。
 クロワゼット大尉はどこでドリームドロップを服用したのだろう?

「大尉は精神安定剤を必要とされたのか?」

 ケンウッドが気遣って尋ねた。パーシバルは心当たりがあるので、笑いそうになって我慢した。ハイネに説明を任せたのだ。ハイネは少しも悪びれずに答えた。

「大尉が必要とされたのではなく、大尉が服用されるのを我々が必要としたのです。」

 ケンウッドは一瞬キョトンとした。遺伝子管理局長の言葉の意味がすぐには理解出来なかったのだ。

「ええっと・・・それは君が彼に飲ませたと言うことか?」
「私は彼に飲ませた覚えはありません。」

 ハイネは澄まし顔で言った。

「彼が食堂の無料ドリンクを希望された時、係が注いだ飲み物の中にたまたま精神安定剤が入っていたのでしょう。」
「そんなことが・・・」

 ケンウッドはパーシバルがおかしな顔をしているのに気が付いた。パーシバルは笑いを堪えていた。何か知っているな、とケンウッドが目で問いかけると、彼は仕方なくハイネの言葉の足りない部分を説明した。

「クロワゼット大尉がドーマーの体に触りたがっている雰囲気だったので、ドーマー達が自主的に予防線を張ったんだよ・・・そう言うことだな、ハイネ?」

 ハイネは肯定も否定もせずに、微笑みながらワイン風味の葡萄ジュースを長官とパーシバルのグラスに注いだ。


2018年5月7日月曜日

泥酔者 13 - 8

 アンリ・クロワゼット大尉はむしゃくしゃした気分のまま中央研究所の食堂へ行った。アルコールが欲しかったが、ドームではバーでしか飲酒を認めておらず、それも午後8時以降と決まっていた。まだ夕方にもなっていない。彼は何か気を紛らわすものはないかと食堂内を見回し、マジックミラーの手前のテーブルに若い女性が2人座っているのを見つけた。彼女達は彼に気づかず、ミラーの向こう側の地球人の女達を見ているのだった。
 横顔が綺麗だ、と彼は思った。話しかけてみようと歩き出すと、呼び止められた。

「あの女性達に声を掛けても無駄ですよ。」

 振り返ると、頭髪の寂しい中年の男が立っていた。薬品の匂いが微かに感じられたので、研究所の人間だとわかった。

「何故無駄なんです?」

 相手が年長だと思えたので、クロワゼットは丁寧に尋ねた。男は女性達の間にあるテーブルを指差した。

「書類とタブレットを持っているでしょう? 彼女達は出産管理区の医師ですよ。ああやって鏡越しに出産管理区の妊産婦の様子を観察しているんです。勤務中だから、話しかけても相手になってくれません。」
「へぇ・・・そうなのか。」

 普段のクロワゼットなら素直に医師達の邪魔をしないでおこうと思っただろうが、この時は気が立っていたので、意地悪な気分になっていた。

「邪魔するとどうなるのかな? まさか僕が話しかけたせいで地球人が絶滅したりはしないだろう?」

 中年男がニヤニヤと笑った。品がないな、とクロワゼットは思った。男は研究所の中にいる時は研究着を着用しているのだろう。しかし食堂にいる彼はくたびれたセーターにヨレヨレのパンツ姿だった。それもだらしなく着崩している。
 男が左側の女性を指差した。

「彼女はドーマーです。ドーマーの医者なんです。うっかり話しかけて、肩でも触れたら、すぐに地球人保護法を振りかざして貴方のキャリアを滅茶苦茶にしてくれますよ。」
「ほう・・・」
「片方はコロニー人の医者です。若いが、かなりきついネエちゃんでね、彼女をからかった執政官がビンタを食らうのを見たことがあります。だから、話しかけない方が良いです。触らぬ神に祟りなしってね。」

 彼はクロワゼットに向き直った。無礼にも顔をぐいと近づけてきた。

「カード遊びはお好きですか?」

 クロワゼットはムッとした。いいカモだと思われたのか?

「いや、博打はやらない。」
「そうですか・・・残念ですな。」

 男はそんなに残念でもなさそうな声で言った。

「メンバーが少なくて、刺激が欲しかったのですが・・・軍人さんでも遊びは好きだと思ったんですけどね。」
「娯楽としてのカード遊びはするが、博打はやらない。」

 それはかつての上官ロアルド・ゴメス少佐の方針でもあった。博打と深酒と商売女(男)には手を出すなと言う方針だ。

「残念だ・・・本当に残念だ・・・」

 男はさよならも言わずに食堂から歩き去った。
 クロワゼット大尉は女性に声をかける気力もなくなり、配膳コーナーで無料のドリンクをもらった。ドリンクは厨房班のドーマーが容器からグラスに注いで直接手渡してくれた。クロワゼットはそれを飲みながらマジックミラーの壁に近づいて行ったが、その時2人の女性医師はテーブルの上を片付け、席を立った。さっさと食堂から出て行く彼女達を見送っていると、クロワゼットに急に眠気が襲ってきた。彼はグラスを返却して食堂から出た。どんどん眠くなる。

 睡眠薬でも盛られたか?

 ふとそんな疑いが胸を掠めたが、彼は気力でゲストハウス迄歩いた。足が重くなり、ゲストハウスのロビーに入った途端に世界が揺れた。彼はなんとかロビーに置かれたソファに身を預け、そのままそこで眠りに落ちた。
 保安課の監視カメラに客人が食堂からなんとかゲストハウスに辿り着き、睡魔に襲われる様子が一部始終写っていた。監視室の保安要員が遺伝子管理局長に電話を掛けた。

「仕留めました。晩飯も食わずに明日の明け方迄眠りこけますよ。」








泥酔者 13 - 7

 地球人の重力に耐えられる筋肉に憧れを抱くコロニー人は多い。特に運動している人間は尚更だ。クロワゼット大尉は特殊部隊で人工重力装置の整った訓練施設で鍛えた体を持っている。恐らく地球の重力より強いGにも耐えられるだろう。大尉は本物の地球人の筋肉をその手で確かめてみたいに違いない。
 パーシバルはちょっと考えてから、古い馴染みの保安課のドーマーに電話を掛けてみた。幸いそのドーマーはまだ現役で、パーシバルからの電話だと知ると大喜びした。パーシバルは挨拶してから急いで質問しなければならなかった。さもなくば長い近況報告を聞かされるところだった。

「午前中にコロニー人の軍人が保安課を見学していた筈だが、何か変わったことはなかったかね?」
「変わったことですか? どんな?」

 パーシバルはちょっと躊躇ってから思い切って言った。

「無駄に君達の体に手を触れたとか・・・」

 保安課員は少し沈黙してから、低い声で言った。

「私は相手をしなかったのでわかりませんが、若い連中達が組み合った後で何かこそこそ話し合っていましたね。聞いてみましょうか?」
「うん・・・保安課長には内緒にしてくれないかな。上層部に知られたらややこしくなりそうだ。僕のこの番号に頼む。」

 パーシバルが通話を終えると、横にいたハイネが肩をすくめた。

「触るだけでしたら、誰も被害届けを出したりしません。」
「ベルト上だけなら問題ないからね。しかし、言葉は悪いがドーマーは地球人類復活委員会の大切な財産だ。出資者だからと言って無闇に人権を無視した行動をして欲しくない。」

 するとハイネはパーシバルが予期しなかったことを言って驚かせた。

「貴方が出資者を怒らせて新しい仕事を失う可能性もあるのですよ。あまりこの件に深入りしない方が良いでしょう。」

 パーシバルはハイネを振り返った。純粋培養されたドーマーがそんな生臭い社会の裏側の話をするなんて予想外だった。しかし、ローガン・ハイネ・ドーマーは1世紀近く生きてきたのだ。人間の汚い面を十分知っていた。それに彼自身が裏工作で仲間を守ってきた実績を持っているのだ。

「ドーマーは自分達で身を守れます。貴方は委員会の規則を客に守らせるだけで良いのです。無礼者の対処は我々でします。」
「しかし・・・」
「彼は明日になれば宇宙へ去ります。我々は何も出来ない代わりに、これ以上の迷惑を被ることもありません。しかし貴方は彼と同じ世界に生きておられる。身を守らねばならないのは貴方の方です。」

 ハイネはグッと顔を寄せてきた。

「貴方に何かあれば、キーラと子供達が悲しみます。」

 パーシバルは義父を見つめた。

「クロワゼットがこれっきりで悪さを止めるとは思えないな。彼は仕事で何度でもやって来る。その度に悪さをして、エスカレートしていくぞ。」
「抵抗しないなんて言っていませんよ。」

 ハイネは薄笑いを浮かべた。

2018年5月6日日曜日

泥酔者 13 - 6

 ジムに到着すると、クロワゼット大尉は胴着姿で闘技場の入り口前で突っ立っていた。ジムの管理をしているドーマーが固い表情で彼の前に立ち塞がっていた。数人のドーマーが大尉と係を取り巻く形で立っていたので、パーシバルは「通してくれ」と声を掛けた。
人々が振り返り、ドーマー達は彼の後ろにいるハイネ局長の存在に気がつくとサッと道を開けた。パーシバルはクロワゼット大尉のそばに行った。

「何か問題でも?」
「この男が僕を闘技場に入れてくれないんだ。」

 パーシバルは係に訊く迄もなく理由がわかった。ドーム勤務していた人間なら知っていて当然の理由だ。

「コロニー人はコロニー人相手の場合のみ闘技場での試合を認められるんですよ、大尉。」
「なんだって?」
「地球人保護法で地球人の体に直接手を触れてはいけないと言う規則があります。」
「スポーツをするのにそんなことを守らなきゃいけないのか?」
「勿論、地球人側が許可すれば問題ありませんが・・・」

 パーシバルは周囲を見回した。

「貴方の対戦相手になることを承諾した地球人は何処です?」
「それは・・・これから申し込むんだ。」
「先に対戦を申し込んでから、闘技場の使用を申し込んで下さい。それがここのルールです。もしお一人なら、演武での利用を申し込まれると良いです。」
「演武?」

 クロワゼットが不愉快そうな顔をした。特殊部隊出身の彼が演武を披露してどうなると言うのだ?

「僕は見世物じゃないぞ。」

 パーシバルは後ろのハイネを振り返った。ローガン・ハイネは大概1人で演武をして闘技場を利用する。対戦相手になる力を持っている若いドーマーが少ないからだし、後輩達はこの大先輩に失礼があってはいけないと遠慮するからだ。
 クロワゼットがハイネに気が付いた。純白の髪とテレビで見たことがある顔に、誰なのか気が付いた。

「ローガン・ハイネだね?」

と彼は嬉しそうに声を掛けた。ハイネはスポンサー様に軽く頭を下げて挨拶の代わりとした。クロワゼットはパーシバルとハイネの方に踏み出した。

「良ければ僕の相手をしてくれないかな?」

 ハイネが何か言う前にパーシバルが素早く口を挟んだ。

「ハイネ局長は今朝迄入院していたんです。ちょっと体調を崩してね。高齢だし無理はさせられないので対戦は遠慮して下さい。」
「高齢・・・?」
「御歳95歳です。」

 ドーマーの中から声が上がり、銘々が頷き合った。局長に手を出したら承知しないぞ、と言う雰囲気が大尉の周りに立ち昇った。これは拙い、とパーシバルは感じた。お客様に恐怖心を感じさせてはいけない。軍も立派な出資者なのだ。その時、ハイネが口を開いた。

「パーシバル博士の仰せの通り、この年寄りは無理の利く状態ではありません。どうかご勘弁を。」

 そしてさらに言った。

「連邦軍の訓練の賜物を拝見したいものです。演武を披露して頂けませんか?」

 するとクロワゼット大尉は、「お断りする」と言った。

「地球人の力を試して見たかったが、許可されないとなると興味が失せた。失礼する。」

 彼は人垣を搔きわけるつもりでドーマーの輪に向かって歩き始めた。ドーマー達は彼に触れるのを避けてサッと道を開いた。その時、パーシバルは大尉の顔にがっかりした表情が浮かぶのを見た。

 まさか、あの男は地球人を触りたいのか?

泥酔者 13 - 5

 ケンウッドとの通話を終えたヘンリー・パーシバルは彼の膝の上に頭を載せて目を閉じているドーマーの純白の髪を撫でた。懐かしい重たさだ。彼が退官し、子供が出来て宇宙空間に出られなくなって都合13年が過ぎた。彼も友人もドーマー達もそれ相応に歳をとったのに、このドーマーは殆ど容姿が変わらない。若さを保つと言うのも限度がある。人間は永遠に若くはいられない。待機型遺伝子を保つ人間がある日突然老化が始まって急速に歳を取り死に至った症例を、パーシバルは聞いたことがある。コロニーで起きた事件だが、有名な話で、ドーマー達でも知っているのだ。当然ハイネも知っているだろう。

 どんな気持ちで君はその話を聞いたんだい?

 ローガン・ハイネは寝入ってしまった。昨夜は病棟のベッドで熟睡出来なかったのかも知れない。パーシバル自身も立木にもたれかかってうとうとしかけたその時、また端末が震えた。ポケットから出すと、アンリ・クロワゼット大尉からだった。

「パーシバル・・・」
「博士、直ぐにジムに来られるか?」

 階級の高い軍人特有の横柄な口調でクロワゼットが尋ねた。確かまだ40代にもなっていない若造の筈だが? コロニー人の軍人の最盛期は50歳迄だ。クロワゼットは一番働ける年齢で現場を引退して内勤になっている。特殊部隊の精鋭だった男が広報部で働いているのは、当人にとっても本意ではあるまい。病気で退官を余儀なくされたパーシバルはクロワゼットの気持ちを理解出来るが、だからと言って見下されるのは気分が悪い。

「どうかされましたか?」
「ちょっと問題発生だ。」

 パーシバルは膝の上のハイネを見た。

「ドーマー絡みですか?」
「そんなところだ。」

 ドーマーと言う単語が聞こえたので、ハイネが目を開いた。パーシバルは彼が目覚めたので、相手に「直ぐ行きます」と告げて通話を終えた。ハイネが自発的に身を起こした。

「何かありましたか?」
「わからないが、ジムで客が呼んでいるので行くよ。」
「では私もご一緒します。」

 ドーマー絡みなら局長が一緒の方が良いに決まっている。2人は立ち上がって歩き始めた。

 

泥酔者 13 - 4

 昼食会が自然な形でおひらきになった。午後の仕事がある者は職場に戻って行き、お昼で上がった者達は休憩の後で運動施設に向かう。ケンウッドは副長官が留守なので午後も仕事が詰まっている。仲間に挨拶して食堂から出ると執務室に戻った。机に戻って暫くすると、副長官の秘書から電話が掛かってきた。副長官後任候補が辞退を表明したと言う。
秘書は困惑していた。肝心のブラコフが留守の時に候補者が辞めると言い出したのだ。

「副長官と連絡が取れませんので・・・」

 通信は繋がるが、大事な視察団接待の仕事をしているブラコフの心を乱したくない秘書は途方に暮れていた。ケンウッドは仕方なく候補者を長官執務室に呼んだ。
 辞退の理由は明白だった。副長官の仕事が余りに多岐にわたり、忙しくて目が回ると言うのだ。それに研究する暇がない。おまけに視察団の接待など重要な臨時業務をこなす自信がないと候補者は言った。
 ケンウッドは「仕方がないね」と辞意を受諾した。

「しかし、留守中に君がいなくなっては副長官も気の毒だ。貴方には申し訳ないが、約束の期間だけは勤めてくれませんか?」
「わかりました。期間中は精一杯努力します。」

 相手もそれなりに誠意を見せてケンウッドに礼をした。彼が外へ出て行き、ドアが閉まるとケンウッドは溜め息をついた。ブラコフ離任迄後1ヶ月だ。アメリカ・ドームは一体どうなるのだ? 保安課長の希望者はあんなに大勢応募してきたのに、副長官と言う地位と職務は人気がないのか?  いや、副長官も当初は大勢応募があったのだ。ブラコフが篩にかけて落としてしまった。

 どうするつもりだ、ガブリエル?

 書類の山を眺めていると、長官秘書2人が心配そうにこちらを見ていることに気が付いた。ケンウッドは試しに彼等に声をかけてみた。

「君達、副長官になる気はないかね?」
「とんでもない!」

 2人は慌てて首を振った。秘書の仕事で手一杯なのだ。副長官の大変さは彼等も目の当たりに見てきた。だろうな、とケンウッドは手を振って、忘れてくれ、と言った。それからふと視察団が来ると連絡してきた時、ベルトリッチ委員長が副長官後任候補について何か言いかけたことを思い出した。彼女は何を言おうとしたのだろう。

 ヘンリーなら何か知っているかも知れない。

 ケンウッドは端末を取り上げ、パーシバルの端末に電話をかけてみた。パーシバルは午後は暇だった。神経科の診察はないし、客は軍の広報しかいない。その広報は昼食後は運動施設に行っていた。
 パーシバルが電話に出た。

「何か用事かい、ニコ?」
「大した要件ではない・・・先日ベルトリッチ委員長がガブリエルの後任について何か言いかけたんだが、君は何か聞いていないか?」
「ガブの後任?」

 パーシバルはお気楽な口調で言った。

「ああ・・・ゴーン博士のことかな? 副長官なのか執政官なのか知らんが、アメリカ・ドームで勤務なさりたいと仰っているそうだ。クロエルちゃんの・・・あっ! まだクロエルちゃんに会っていない!!」
「クロエル・ドーマーはカリブ海です。明後日にならないと戻って来ませんよ。」

 ハイネの声が聞こえた。パーシバルはハイネと一緒にいるのだ。ケンウッドは時計を見た。ハイネの昼寝の時間だ。恐らくパーシバルは芝生かどこかで膝枕を提供させられているのだろう。
 ケンウッドは、ゴーン博士とはアイダ・サヤカの友人の執行部役員だったな、とぼんやり思った。副長官になるにはベテラン過ぎないか? 長官の方がふさわしい人材に思えるが。

「ベルトリッチはゴーン博士を推薦しているのか?」
「推薦しているかどうか知らない。彼女がクロエル・ドーマーの側で働きたいと言っているんだよ。」


泥酔者 13 - 3

 昼食はさながら宴会の様だった。ヘンリー・パーシバルが在籍していた頃にいた執政官達が一般食堂に集まり、ドーマー達も時間が許す者は集まって来た。
 ポール・レイン・ドーマーはレジのところでアナトリー・ギルに呼び止められた。

「あの人が、ファンクラブ創設者のパーシバル博士かい、ポール?」
「そうだ。」

 レインは、創設期のメンバーがもう残っていないことを残念に思った。あの人達も宇宙から戻って来てくれたら、本当に愉快な集会になったことだろうに。ギルがトレイを持ってパーシバルのテーブルに近づいて行くのを横目で見ながら、彼はドーマーが集まっているテーブルに行った。彼等は昨夜夕食後にパーシバルとたっぷり語り合ったので、昼食会には参加せずに見守っているだけだった。

「パーシバル博士はまた来て下さるんでしょう、レイン・ドーマー?」
「ああ、回診に来られる。焦って博士のお仕事の邪魔はしない方が良いんだ。」

 執政官達に囲まれて高齢のドーマー達が座っているのが見えた。10数年振りの再会だ。本来なら一度退官した執政官は2度と戻って来られない。観光やビジネスでドームの外の世界と付き合うことは可能だが、ドームの中に入ることは送迎フロアの面会室止まりだ。しかしヘンリー・パーシバルは1度ばかりか2度も戻って来た。執行部本部が彼を信頼している証拠だ。地球にはこの男が必要なんだ。ポール・レイン・ドーマーは彼と友人であることを誇りに思い、年寄り達が喜んでいる理由も理解出来た。皆んな彼が好きなのだ。ケンウッド長官も心から喜んでいる。ヤマザキ博士などずっと笑いっぱなしだ。ハイネ局長は威厳を保とうと努力しているが、パーシバルに子供扱いされている。
 アナトリー・ギルは人垣の中になかなか入って行けず、離れたテーブルに着いた。それで良いんだ、とレインは思った。ドームに来て1年も経っていないのに幹部面するギルの厚かましさを苦々しく思っていた他の執政官達がパーシバルに近づかせないのだ。
 レインとクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの部屋兄弟であるピート・オブライアン・ドーマーが厨房から出て来て、ジョージ・マイルズ・ドーマーに何かを見せた。マイルズがそれを摘んで口に入れた。オブライアンが緊張の面持ちで元司厨長を見つめた。マイルズは目を閉じて口の中で吟味してから、目を開いてオブライアンを見た。マイルズが大きく頷くのを見て、オブライアンの顔が綻び、周囲から拍手が起きた。
 ワグナーがレインに囁いた。

「ピートのヤツ、大師匠に何か合格点をもらった様ですね。」
「うん。マイルズ司厨長は弟子には厳しい人だったそうだから、あれはピートも嬉しいだろう。」
 
 オブライアンが急いで厨房に戻って行った。その後直ぐに厨房から絵も言われぬ甘い香りが漂って来た。
 パーシバルとハイネが同時に叫んだ。

「チーズスフレだ!」

 マイルズが訂正した。

「半熟とろとろチーズスフレですよ。やっとピートが一人前に焼けるようになったんです。」



泥酔者 13 - 2

 ローガン・ハイネ・ドーマーがヤマザキの診察室に現れた。すでにスーツを着ているのを見て、ヤマザキが苦笑した。

「局長、まだ退院許可を出した覚えはないがね。」
「視察団は明日の午後迄帰らないのでしょう。もう本部へ帰りますよ。明日のお見送りには顔を出さないといけませんしね。」
「お昼はどうされます?」

と診察室の隅にいた元司厨長が声を掛けた。ハイネは時計を見た。

「まだ2時間もあるよ、ジョージ。それに長官執務室の打ち合わせにも出なければ。」

 するとワッツが言った。

「ジョージは貴方と食事をしたいのですよ、ローガン・ハイネ。貴方とパーシバル博士とね。」

 ペルラ・ドーマーも頷いたので、ハイネは微笑んだ。

「それなら長官と医療区長も一緒と言うことでどうです?」
「いいね!」

 ヤマザキは秘書に声を掛けた。

「お昼に診察なんて予約はなかったよな?」
「ありませんよ、ここはドームですから。」

 テレビの医療ドラマが大好きな秘書が笑いながら答えた。ハイネは頷き、ヤマザキに退院許可をと急かした。ヤマザキはキーボードを叩き、許可証を出した。局長に手渡し、受付に見せるようにと言った。
 パーシバルがハイネに言った。

「ニコに昼休みはちゃんと取れと言ってくれよ。ここにいる人間は皆空腹を我慢出来る忍耐を持ち合わせていないからな。」


泥酔者 13 - 1

 視察団一行は朝食後ガブリエル・ブラコフに引率されて南米に向けて出発した。送迎フロアで彼等を見送ったケンウッド長官は、ひとまず肩の荷が下りた思いだった。出資者様達は明日の午後に戻ってくると、そのままシャトルに乗り換えて宇宙へお帰りになる。
 ただ1人ドームに残ったアンリ・クロワゼット大尉は午前中保安課の訓練施設で一緒に訓練に参加した。重力強化訓練を受けていると言うのは嘘ではなく、地球人と同列で運動しているとベックマンから報告があった。

「大尉は確かロアルド・ゴメス少佐の元部下でしたね。」

 アーノルド・ベックマン保安課長は、2年後に退官する予定になっている。彼自身はドームでの仕事が気に入っていたが、そろそろ重力の弊害が肉体に出始めていた。トレーニングをサボらずに努力していたが、若い頃に生活していた辺境の惑星の環境が彼の体を地球のそれとは余り馴染めないものにしてしまっていたのだ。それにベックマンは木星コロニー出身の女性と恋愛をしていた。初めての恋だった。ケンウッドもヤマザキも彼の才能を惜しみつつ、結婚へと背中を押してやったのだ。
 それで、地球人類復活委員会はベックマンの後任を募集した。大勢の応募があったが、その中でベックマンと意気投合した元軍人がいた。宇宙連邦軍特殊部隊で指揮官をしていたロアルド・ゴメスと言う退役軍人だ。ゴメスは不慮の事故で負傷し、軍務を続けることが難しくなったので自ら退役した。そして入院中に地球の映画を見て、地球勤務を希望したのだ。ベックマンは彼が地球の重力に体を慣らすのを待って退官する予定だ。

「ゴメス少佐の部隊にいたのなら、きっと優秀な男なのだろう。」

 そんな男が何故広報にいるのだろう、とケンウッドは疑問に思ったが、口には出さなかった。
 ヘンリー・パーシバルは医療区で年老いたドーマー達と再会を果たした。グレゴリー・ペルラ・ドーマーは背中のマッサージを受けに来るよう医療区から連絡をもらい、前回からまだ8日しか経っていないのに、と思いつつやって来た。そしてマッサージ室でパーシバルと出会って歓喜した。

「生きている間にまた博士にお会い出来るなんて、奇跡ですよ!」

 エイブラハム・ワッツもジョージ・マイルズも健康診断だと呼ばれてやって来た。

「なんで嘘をつくかな、医療区長は・・・」

 笑顔でワッツがヤマザキに苦情を申し立てた。

「穴蔵から這い出てこいと一言仰れば済むものを。」
「驚かせたかったんだよ。エイブ。人生に刺激は必要だ。」

 パーシバルはすっかり小さくなった元司厨長の手を取った。

「司厨長、僕がわかるかい?」
「チーズでローガン・ハイネを手懐けている博士でしょう?」

 一日の半分は眠っている元司厨長が久しぶりに目を輝かせて彼を見つめた。

「予約を入れて下されば、チーズスフレを作りましたものを。」

 パーシバルは微笑んで彼を抱き締めた。その後も彼はアメリカ・ドームに回診に訪れたが、元司厨長との面会はこの時が最後になった。


泥酔者 12 - 7

 その日の午後いっぱいを使って出資者様の視察団はアメリカ・ドームの中を見学した。研究所の中の見学は駆け足だろうと言う予想に反して、彼等は熱心に研究の様子を見守り、質問した。お陰でどのフロアでも遺伝子学者や助手たちが冷や汗をかきながら説明に四苦八苦する様が見られた。謹慎が解けたばかりの乱闘騒ぎ当事者達も大真面目に仕事をして見せた。あのレイモンド・ハリスも助手として割り当てられた研究室で実験のサポートをしていた。幸い大酒と博打で借金をこしらえた下々の話題など富豪様はご存知なかったので、彼の存在は無視された。
 予定より1時間遅れてディナーが始まった。中央研究所の食堂で、出産管理区の様子が見られる仕組みもちゃんと出資者様は知っているのでマジックミラーも公開したままだ。
富豪には特別のフルコースが用意されていたが、執政官達がビュッフェ方式で食事をしている区画を見て、数人が真似た。彼等はビジターパスを持っているので、それでお支払いしてくれる。富豪なので、ドーム持ちなんてケチなことを要求しない。中には配膳コーナーで言葉を交わしただけで奢ってもらった執政官もいたほどだ。

「ドーマーはいないのですか?」

と質問が出た。ケンウッドが答えた。

「ドーマーも利用しますが、時刻がずれています。彼等は食後に運動をするのも仕事のうちですから、食事が我々より早く、規則正しいのです。」

 本当はドーマー達が視察団を避けて自主的に一般食堂に逃げてしまったのだ。やがてデザートのタイミングになった。パーシバルがコーヒーカップをスプーンで叩いて音をたて、視察団の注意を引いた。

「これから明日の南米旅行の説明がブラコフ副長官からありますので、よくお聞き下さい。地球はコロニーと違って地域によって全く生活習慣も風土も異なります。注意事項を疎かにすると事故に繋がりかねませんから、副長官の言葉に必ず従って頂きますようお願いします。
 なお、私、パーシバルはドクターストップが出ており、高山地帯には行けません。残念ですが、ここでお留守番です。もし旅行に参加されない方がいらっしゃいましたら、この場で申告願います。」

 すると、意外なことに1人が挙手した。ケンウッドが見ると、その人物は軍服を着用していた。そう言えば、1名だけ、宇宙連邦軍の広報がいたな、と彼は思い出した。

「クロワゼット大尉はお留守番ですか?」
「ええ・・・アンデスに軍事施設があると思えませんし、あっても地球の軍隊は私を入れてはくれないでしょう。」

 特に面白い冗談でもないので、誰も笑わなかった。パーシバルは頷き、他には? と一同を見回したが、富豪達は旅行が楽しみなのでそれ以上手を挙げる者はいなかった。

「では、クロワゼット大尉は明日、ドーム内で自由に過ごして頂きましょう。但し、ドーマーの業務を妨害されませんように。ドームの機能を少しでも妨害すると地球人の誕生に障害が出ますからね。」

 これは大袈裟ではなく真実なので、視察団一行は素直に頷いた。
 パーシバルはブラコフに頷いて見せた。

「では副長官、後をお願いします。」



2018年5月5日土曜日

泥酔者 12 - 6

「あー、死ぬかと思った・・・」

 ハイネの腕から解放されたヘンリー・パーシバルは咳き込みながら愚痴った。ハイネはちっとも申し訳なく思っていないらしく、ケンウッドに尋ねた。

「何故この人がここにいるのです?」
「視察団の引率だよ、局長。ちゃんと仕事中なんだ。」
「おやっ! それは失礼しました。」

 ハイネは形だけ謝罪した。ヤマザキはまだ面白がって笑っている。

「ほらな、凶暴なドーマーは閉じ込めておくのが一番だ。」

 ハイネが彼にウィンクして見せた。局長も視察団のお相手は面倒臭くて嫌なのだ。彼等は室内にあった椅子を集め、顔を合わせた。

「酒宴のオリジナルメンバーが全員揃ったな。」
「まだ続けているのかい?」
「うん。君の後釜のグレゴリーはよく飲むんだ。」
「ああ・・・彼にも会いたいな。」
「明日呼んでやるよ。エイブ・ワッツと司厨長も呼ぼうか?」
「あの2人も元気なのか?」
「当分くたばるつもりはないそうですよ。」

 ハイネがパーシバルの家族について質問しないので、代わりにケンウッドが尋ねてみた。

「キーラと子供達は機嫌良くやってるかい?」
「ああ・・・息子はやんちゃでね、娘達はお喋りで煩いし・・・」

 パーシバルは端末に映像を出してハイネに見せた。

「息子のローガンと娘のショシャナとシュラミスだ。三つ子なんだが、女の子は双子でね。」

 ハイネは孫の姿に関して、養育棟の子供のドーマーを見るのと同じ反応をした。表情を和らげ、愛情に満ちた目で眺めたが、それ以上の動作もコメントもなかった。会ったことがなければこの先会う可能性もない孫に、何を言えば良いのかわからないのだ。
 ケンウッドとヤマザキは顔を見合わせ、肩をすくめた。女性だったらドーマーでも違う反応を示したであろうが、男のドーマーは遠い宇宙の子孫に全く関心を持たない。だから地球人類復活委員会がドーマーの精子を売買して収入獲得を図っても気にしないのだ。
 パーシバルはめげずに今度はキーラの映像を出した。途端にハイネの反応が変化した。
娘の動画にグッと顔を近づけ、キーラが「ハーイ、局長!」と呼びかけると、「ヤァ!」と返事までした。キーラが画面の中で言った。

「我儘言って長官を困らせたりしては駄目よ! ケンウッドは本当に素晴らしい人ですからね、ちゃんと協力してあげてね。それからケンタロウの言うことを聞いて、健康維持に努めて頂戴。」
「あー、煩い・・・」

 ハイネが思わず端末に向かってぼやいた。ケンウッドもヤマザキも笑った。
 ハイネが端末をパーシバルに返した。パーシバルはドームから宇宙へ端末で通信を繋げられないことを悔やんだ。ライブで家族とハイネに会話をさせたかったが、それは規則で禁止されているのだ。

「マーサの最近の画像も見せたかった。」
「お気遣いなく。」

とハイネは言った。

「もう彼女に未練はありませんから。今の私には、もっと大切な人がいます。」

 パーシバルはケンウッドを見て、ヤマザキを見た。それからハイネに向き直った。

「聞いたよ、結婚、おめでとう!」

 ハイネが軽く頭を下げた。パーシバルが尋ねた。

「僕からキーラに言おうか? それともサヤカが彼女に伝えてくれるのだろうか?」
「貴方からお願いします、ヘンリー。サヤカはキーラになんと説明しようかと悩んでいましたから。」
「説明なんか要らないだろう? 相思相愛で一緒になった、それで十分だ。」

 パーシバルが優しく微笑んだ。

「キーラは常日頃言っているんだ、サヤカがいてくれるから安心して君を1人にしておけるって。ニコやケンタロウでは、逆に親父さんに振り回されるだろうから・・・」



泥酔者 12 - 5

  回廊は長く、途中で出ることは出来ない。ケンウッドとパーシバルは時間をかけて外に出たが、まだ視察団は出産管理区から出ていなかった。もしかするとそのままクローン製造区画へ向かったのかも知れない。
 ケンウッドとパーシバルは医療区へ少し後戻りした。そこではヤマザキ・ケンタロウが「通過」のドーマーの診察を終えて報告書を製作中だった。ヤマザキはパーシバルを見ても特に感動しなかった。重力休暇で宇宙へ帰れば必ず一緒に飲むのだ。寧ろ彼の助手を勤めているドーマー達がお騒ぎした。パーシバルはまだアメリカ・ドームの人気者だった。
次々に握手を求められて、パーシバルは手が痛くなると彼等に苦情を言って笑わせた。その間にヤマザキは報告書を終わらせ、コンピュータを閉じた。

「さて、爺さんの部屋に行くかね?」
「勿論だ。」
「君が帰って来ることはまだ言っていない。」
「そうだろうな、さっきの看護師達の騒ぎようを見れば察しがつくよ。」

 パーシバルはケンウッドとヤマザキにポケットの中に入れた小箱をチラリと見せた。消毒班に特別扱いさせた食物だ。
 3人は入院病棟に入った。そこではその日の朝に「捕獲された」遺伝子管理局長があらかじめ準備されていた仕事部屋で業務に励んでいた。建前は入院なので仕方なくお仕着せの寝巻きを身につけて、普段通りの誕生と死亡のリストに署名を入れる業務を続けていた。なぁ、とパーシバルがヤマザキとケンウッドに声を掛けた。

「なんで視察団が来るとハイネは隔離されるんだ?」

 ヤマザキが答えた。

「視察団を凶暴なドーマーから守る為だよ。」

 ケンウッドが苦笑しながら補足した。

「視察団の中にはドーマーにちょっかいを出す人がたまにいるだろう? ハイネがそれを知ったら怒るから、出資者様に失礼がないように彼を遠ざけておくのさ。」
「だけどドーマー達はコロニー人が彼に興味を持つので彼をコロニー人から守る為に僕等が気を利かせていると信じている。」

 ヤマザキの言葉に、はっはっと笑い、パーシバルは隔離室入り口の消毒ミストを浴びて中に入った。物音でハイネが振り返った。パーシバルは笑顔で両腕を広げた。

「ヤァ、元気そうでなに・・・うっ!」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは電光石火の早業でヘンリー・パーシバルに飛びつき、力一杯抱き締めた。ギュッと彼を抱え込んだまま、後から入ってきたケンウッドに報告した。

「長官、旧知のコロニー人によく似た侵入者を捕獲しました。妙にチーズ臭いのですが。」

 ケンウッドとヤマザキは思わず笑い転げた。


泥酔者 12 - 4

 パーシバルをハイネに会わせる前にケンウッドは確認しなければならないことがあった。

「ヘンリー、最近キーラはサヤカと連絡を取り合っているか?」
「なんだ、それ?」

 パーシバルが怪訝そうな顔をした。

「2人はサヤカが重力休暇で1ヶ月に一度宇宙へ戻って来る度に会ってお茶しているよ。僕や子供達がヤキモチ焼くぐらいに仲良しだからな。どうしてそんなことを聞くんだ?」
「最近サヤカの生活に変化があったと聞かなかったか?」
「はぁ?」

 アイダ・サヤカは例の辞表騒ぎの後、まだ重力休暇を取っていない。彼女の人生に起きた重大な秘密を通信と言う軽々しい手段で親友に報告する軽はずみなことはしていないのだ。ケンウッドは安心した。
 彼は回廊に誰もいないことを確認してから、パーシバルに囁いた。

「これから話すことは絶対に秘密にして欲しい。キーラに教えても構わないが、キーラ以外には話さないでくれ。サヤカはキーラには直接会って報告するつもりで、まだ彼女に言っていないのだと思う。」
「何なんだ?」

 パーシバルが不安と好奇心の入り混じった顔で彼を見つめた。
 ケンウッドは彼との距離をさらに縮めてから、さらに低い声で告げた。

「アイダ・サヤカとローガン・ハイネは結婚した。」

 ヘンリー・パーシバルがあんぐりと口を開けた。そしてぽかんとケンウッドを見つめた。数秒間その姿で固まってから、やがて彼は口を動かした。

「今・・・何て言った?」

 ケンウッドは苦笑した。1回しか言わないつもりだったが、仕方なく囁いた。

「サヤカとハイネは結婚したんだ。ベルトリッチと最高幹部数名だけが知っている地球人類復活委員会の最高機密事項の一つだ。2人を引き離すのは気の毒だが、公になると他の執政官達に示しがつかなくなるので、秘密の夫婦でいるようにと言うお達しだ。だから彼等は今まで通りの生活をしている。」
「それじゃ結婚の意味がないだろ?」

 ケンウッドはパーシバルがまだうろたえているのを宥めるように言った。

「私は彼女の部屋を女性専用棟から妻帯者用に移してもらった。ハイネは彼女の部屋に忍んで訪問するのを楽しんでいる。」
「・・・参ったな・・・」

 パーシバルは額の汗を手の甲で拭った。

「サヤカがハイネを気に入っていることは察していたが・・・」
「彼女は片思いが辛くなって辞表を出したんだ。私達は理由がわからなくて驚いたのだが、一番ショックを受けたのがハイネでね・・・私の所に来て、彼女と結婚させてくれなければドームの外に出ると脅迫までした。」
「つまり、ハイネも彼女を憎からず思っていたんだな?」
「誰にも気づかれずに気持ちを秘めていたんだ。マーサ・セドウィックの時の様に委員会に彼女を取り上げられることを恐れていたんだよ。ずっと秘密にしていたから、彼女自身にも気づかれなかったんだ。彼女の辞表で慌てふためいたハイネが彼女にいきなり求婚したものだから、今度は彼女が狼狽た。それで私は彼女を連れて執行部幹部に直訴した。」

 パーシバルがやっと落ち着きを取り戻し、ニヤリと笑った。

「委員長がベルトリッチで良かったじゃないか! ハレンバーグやハナオカだったら、サヤカは更迭されていた。」
「うん。それで、まぁ・・・何だ、彼女はキーラにとって年下の継母になる訳だ。」
「いやぁ・・・僕にとっても年下の義母じゃないか・・・呼べないぞ、おっかさんだなんて。」
 
 ケンウッドとパーシバルはやっと声を立てて笑った。





2018年5月4日金曜日

泥酔者 12 - 3

 ヘンリー・パーシバルが視察団の引率としてやって来ると言う嬉しい知らせは前日にベルトリッチ委員長から受け取っていた。それでも実際にドームの送迎フロアで彼の顔を見た時は、ケンウッドは本当に嬉しかった。思わず駆け寄り、出資者様そっちのけで彼と握手を交わした。

「先々月会ったばかりじゃないか。」

と言いつつもパーシバルも目を潤ませた。ドームに再び足を踏み入れることが出来るとは夢の様だ。御一行様から軽い咳払いが聞こえ、2人は慌てて離れた。
 ドーム長官として型通りの歓迎の挨拶をして、ブラコフ副長官を紹介した。ブラコフは間も無く退官することは一言も言及せずに挨拶すると、彼等を最初の目的である出産管理区に案内すると言った。

「荷物は?」

 誰かがまだ消毒を終えていない荷物の心配をした。ブラコフは微笑んだ。

「大丈夫です、消毒が終わり次第係がゲストハウスに搬入致します。消えたりしませんから、ご安心を。」

 御一行様から微かな笑いが生じて、彼は彼等を引き連れ、出産管理区へ向かった。
 パーシバルはブラコフに客を任せた。ドームの中は現役に案内させるのが一番だからとシャトル内で客に言い含めたのだとケンウッドに笑いながら言い訳した。ケンウッドも笑った。

「つまり、君は自由時間を上手く作った訳だ?」
「うん!」

 彼等は東の回廊を歩き始めた。互いの近況を語り合い、研究のことも話した。
すっかり昔に戻った様に錯覚する程、和やかな散歩だった。

「また回診することになった。どうもアメリカ以外のドームでは、ドーマーとコロニー人の間で軋轢があって精神的に不安定な執政官が出ているらしいよ。」
「ホームシックだろう。ここにだっているよ。」

 ケンウッドは苦笑した。

「でも、アメリカ・ドームのドーマー達は優しいからな。」


泥酔者 12 - 2

 ヘンリー・パーシバルと出資者様ご一行が消毒ゲートに姿を消すと、ポール・レイン・ドーマーは西ユーラシアからの航空機が着陸したことに気が付いた。シャトルに遠慮して少し離れた位置に降りて来たジェット機は、丁度乗客を下ろす為にウィングに横付けしたところだった。レインはそちらへ歩いて行った。ガラス越しに大勢の客が降りて来た。一般のビジネスマンに混ざってダークスーツを着込んだ若い男が見えた。きちんと出発前に髭を剃った筈だろうが、既に頰が青くなっている。髭の濃い男らしい。周囲の人間は気が付いていないが、レインには彼が遺伝子管理局の人間だと直ぐにわかった。ドーマーにはドーマーの雰囲気があるのだ。
 若い男だった。恐らくまだ20代後半だ。背が高くひょろりとした細身だ。同じように背が高いクロエル・ドーマーの様ながっしりしたガタイではなく、ローガン・ハイネ・ドーマーの様に逞しい印象もない。なんとなく病的な感じがしたが、青白いのはシベリアから来たからだろう、とレインは思った。
 男が入国審査を終えて簡易消毒を済ませてロビーに出てくると、レインは声を掛けた。

「アレクサンドル・キエフ・ドーマー?」

 男が振り返った。レインを見て、目を見開いた。美貌に驚いたのだ。レインは相手をリラックスさせようと微笑して見せた。

「遠路はるばるアメリカへようこそ! 遺伝子管理局北米南部班チーフ、ポール・レインだ。」
「キエフ・・・アレクサンドル・キエフです。」

 キエフはレインが差し出した手を恐る恐る掴んだ。カチカチに緊張した感触がレインに伝わって来た。

 わぁ、なんて綺麗な人なんだろう! どうしよう、なんて挨拶すれば良いんだ?

 多分、キエフはロシア語で考えるのだろうが、テレパシーなのでレインにはそう感じ取れた。
 レインは優しく言った。

「当面は生活習慣に慣れるのが君の仕事になると思うが、君の衛星データ分析能力に大いに期待している。言葉は大丈夫だよな?」
「ダー・・・イエス。」

 キエフは薄っすらと髭が伸びた頰を赤く染めた。レインは彼のスーツケースを見た。

「でかい荷物だな。消毒に時間がかかるかも知れん。さあ、ドームに入ろう。仲間を紹介する。」

 胸をドキドキときめかせているキエフを従えてレインはパーシバル達が入って行った消毒ゲートに向かった。



2018年5月3日木曜日

泥酔者 12 - 1

 ポール・レイン・ドーマーはドーム空港のロビーで西ユーラシアからの航空機を待っていた。新しいドーマーがやって来る。衛星データ分析官だ。衛星監視室の準備も現在突貫工事で行われている。レインが企画したメーカー共倒れ作戦が始動したのだ。他の班チーフ達は彼の企画を無謀だと言ったが、ハイネ局長は採用してくれた。ケンウッド長官も期待してくれている。

 俺の上司は素晴らしい人達だ。

 宇宙からシャトルが降りてきた。富豪の視察団が来たのだ。彼等が乗って来たシャトルが優先なので、西ユーラシアからの便が少し遅れている。視察団の相手はドーマーの仕事ではないし、レインは今回挨拶に出る係に呼ばれていない。だからコロニー人達がシャトルからぞろぞろ出て来るのを離れた位置から眺めるだけだった。訪問する富豪は10人で、それぞれが秘書や護衛を連れているがこれらの付添人はドームに入れない。宇宙連邦の地球人保護法は厳格でどんな大富豪も従わなければ一生地球に降りることを許されなくなる。ドームは神聖な地球人誕生の場所だから、許可がなければ絶対に入れないのだ。そして視察団で許可が与えられているのは富豪本人だけで、使用人は許可が降りない。入りたくば彼等自身が許可申請して許されることが必要だ。そして富豪達は「その必要はない」と考えているので、使用人達は空港の外のシティでお泊まりになる。
 視察団を引率して来た地球人類復活委員会の職員がシティに向かうバスの乗り場を秘書やボディガード達に案内していた。その声を聞いて、レインは胸騒ぎを覚えた。

 まさか・・・

 彼はコロニー人の一行を振り返った。素直にぞろぞろとバス乗り場へ歩いていく人々に手を振っている男性の顔を見て、レインは心臓が跳ね上がった気分になった。彼は思わず駆け出していた。

「パーシバル博士!」

 男性が振り向いた。駆け寄って来るスーツ姿のドーマーを見て、彼の顔が綻んだ。

「ポール! ポール・レインじゃないか!!」

 彼も思わず駆け出し、2人の男がガシッと抱き合った。年甲斐もなく2人の大の男が涙ぐみ、互いの顔を見つめ合った。

「元気だったか、ポール?」
「ええ! 博士もお元気そうで何よりです。お身体の具合はよろしいのですね?」
「うん。また回診に復帰出来るんだ。今回の視察団引率は重力に体を慣らす目的で引き受けた。」
「では、またお会い出来るのですね?」
「ああ、来るなと言われても来るから。」

 体を離してヘンリー・パーシバルはポール・レイン・ドーマーの体をじっくりと見た。

「すっかり逞しくなったなぁ。遂にチーフになったんだって?」
「ええ。クラウスは俺の副官ですよ。ジョージ・ルーカスもチームリーダーです。」

 パーシバルはちょっと躊躇ってから尋ねた。

「ダリルはまだ見つからないんだね?」
「ええ・・・」

 レインは苦笑して見せた。

「あいつ、能天気だけど頭が良いから上手く隠れているんです。でもなんとなく隠れている場所に見当がついて来ました。俺と局長の意見が一致している地方があるんです。広いしメーカーが多いので、これから衛星データを使ってそこを調べるのです。」

 パーシバルが黙って頷いた。昔のレインは局長の存在を全く忘れたような生活だった。今は身近に感じているようだ。
 今度はレインが尋ねた。

「セドウィック博士はお元気ですか?」
「うん。彼女と子供達と5人で火星コロニーから月へ引っ越したんだ。彼女も委員会に復帰したのさ。そのうち出産管理区関係の仕事でここへ訪問するかもな。」

 そしてパーシバルは互いに仕事中だったことを思い出した。

「おっと! 視察団を忘れて話し込むところだった。彼等を消毒に連れて行かないと。」
「俺は今夜ドームにいますよ。もしお時間があれば・・・」
「あるさ! ディナーの後まで出資者様に付き合うつもりはない。手が空いたら連絡する。」

 視察団の女性達がレインを見てヒソヒソ話をしているのが見えた。レインの美貌はテレビで知っているが、本物が目の前にいるのが信じられない様子だ。
 一行の元に戻ろうとするパーシバルにレインが囁いた。

「局長は医療区です。ヤマザキ博士が今朝捕まえて隔離病棟に閉じ込めています。」



泥酔者 11 - 8

 ジョアン・ターナー・ドーマーは口に加えた3本の釘の1本を手に取り、板に打ち付けた。ローガン・ハイネ・ドーマーは彼が鮮やかな手つきで棚を壁に作りつけるのを見守った。どうして自動ハンマーで釘を打たないだろう、とか、ロボットにやらせないのだろう、とか、不思議に思ったが口に出さなかった。ターナーはアイダ・サヤカ博士に新しい部屋に新しい棚を増やして欲しいと言われて、自ら板を選び、適度な大きさに切り出して採寸して箱を作っていった。それは人間だったら大昔から行なっていた作業の一つなのだが、高度な文明の中で生まれ育った者には魔法を見ているような面白さだった。
 ターナーは何故アイダ博士の部屋にハイネ局長がいるのか理由を図りかねたが、局長が彼の動作を感心しながら見物してくれるのが嬉しかった。

「さあ、完成しましたよ。」

 ターナーが作業終了を宣言すると、アイダ博士が手を叩いて喜んでくれた。ターナーにとって母親の様な人だ。彼は出産管理区での作業が好きだった。大勢の女性達の前で作業をすると女性達から賞賛の目で見てもらえる。出産で来ている一般女性達も彼と部下の仕事を見るのが楽しそうだ。夫や兄弟が作ってくれた物の話も聞けるし、新しい意匠のヒントもくれる。
 アイダ博士は彼が板に塗ったペンキの色の選択も褒めてくれた。部屋の雰囲気にぴったりだと言ってくれたのだ。

「手作りの家具が一番信頼が置けるわね。」

 彼女がハイネ局長に同意を求めた。局長は手作りと言う物には料理しか縁がなかったので、曖昧に笑って頷いただけだった。彼女がお手製のストロベリースムージーを作って振舞ってくれたので、ターナーも

「お手製のドリンクも最高に美味いです。」

と感想を言って博士を喜ばせた。喉を潤してから道具の片付けを始めたターナーにアイダが尋ねた。

「貴方はチームリーダーなの?」
「いいえ、ただの職人ですよ。部下はいますけど毎回組む人員が違います。仕事の内容で組みの編成が変わるのです。組はリーダーが決めるので、私は年齢で若い連中に指図を出していると言うだけです。」
「そうなの? 若い人達に貴方は随分尊敬されているみたいだけど?」
「ハハ・・・そうですか? そう仰っていただいて光栄です。」

 ターナーが挨拶してアイダの部屋から出ると、ハイネ局長も博士に挨拶をして出た。そしてターナーに声を掛けた。

「ジョアン、今夜は空いているかね?」
「ええ・・・晩飯食って運動するだけですけど?」

 局長はそっと彼の横に並んだ。

「中央研究所に行って欲しい。」

 ドーマーならその言葉の意味がすぐ理解出来る。ターナーは長身の局長を見上げた。

「緊急ですか?」
「うん。ちょっと訳あってドーマー交換をよそのドームに持ちかけたのだが・・・」
「えっ!」

 ターナーの顔に衝撃が浮かんだので、局長は急いで説明を続けた。

「先方は必要なドーマーを譲ってくれる代わりに子種が欲しいと言ってきた。ドーマー本人は望んでいない。必要なのは子種だけだ。君は才能があるし健康だし、年齢的にも父親にふさわしい。それに時間がある・・・」
「わかりました。」

 自分がよそへ移らなくて良いと理解して、ターナーは緊張を解いた。それに今夜「お勤め」を果たせば、維持班のドーマーは1年間お役御免だ。遺伝子管理局の職員の様に1年に何度も呼ばれたりしない。

「私の子供でよろしいのですね?」
「君の子供達は皆丈夫な良い子供達だそうだ。だから先方も期待している。西ユーラシアだよ。」

 ターナーは遠い外国に自身の子孫が残されることを光栄に思った。

「選んで頂いて有り難うございます。食事を済ませたら風呂に入って出頭します。午後8時頃で良いですか?」
「うん。特例になるので担当執政官はケンウッド長官になるが、構わないか?」
「長官に処置して頂けるなら、正に光栄の至りですよ!」

 ターナーは何故局長がアイダ博士の部屋にいたのか理由がわかった気がした。彼が作業に来るのを待っていたのだ。



泥酔者 11 - 7

 ネピア・ドーマーは堅物で通っている。その生真面目さは、上司のハイネ局長でさえ時々うんざりしてしまう程だ。ブラコフは断られるのを覚悟で当たってみたのだ。すると意外にもネピアはちょっと間を置いただけで、こう答えた。

「ウユニ塩湖は昔から人気観光スポットですから、設備の整ったリゾートホテルがございます。観光客用の空港もありますから、専用ジェット機で行かれるのでしたら容易でございます。 1時間待って頂けましたら、資料をそちらへ送りましょう。」
「本当ですか!」

 ブラコフは思わず歓喜の声を上げ、秘書机にいた彼の秘書と後継者候補が驚いて彼を見た。電話の向こうでネピアも笑った。

「視察団のお守りは大変でございましょう。現地の元ドーマー達にも声をかけておきます。富豪達は護衛を同伴するでしょうが、宇宙の人々ですからね、高山病などの対策など考えていない筈です。そっと隠れて護衛するように頼んでおきます。」
「有り難う、ネピア・ドーマー、恩にきるよ!!」
「どういたしまして。私を思い出していただいて有り難うございます。ご健闘を祈ります。」

 通話を終えて、ブラコフは脱力した。こんなに簡単にことが運ぶとは思わなかった。堅物のネピア・ドーマーが、テロで負傷したブラコフが大怪我を克服して再び副長官としてドーム行政に心血注いできたことを高く評価しているなどと、夢にも思わなかった。同時に、尊敬する局長が息子か孫の様に可愛がっているコロニー人に頼られたことを、ネピアが心から喜んでいることも想像すらしなかった。
 約束どおりネピア・ドーマーは1時間程してアンデスの観光地の資料を送ってきた。宿泊施設、食事を取れる場所、緊急時の病院や現地警察の連絡方法もあった。現地の人間と接触する場合のマナーや注意事項、見学できる市民生活の場所、さらに万が一の連絡先として遺伝子管理局アンデス出張所の場所と所長の電話番号も書かれていた。
 一番最後に書かれていた文が、ブラコフの心を打った。

ーーおもてなしに心を砕かれるのも大事ですが、貴方ご自身の身の安全も十分に考慮されますように。

 ブラコフは思った。うちのドーマー達はなんて愛情深い人達なのだろう、と。そして後継者候補を振り返った。候補は既にデスクワークに取り組んでいた。
 彼はこのネピア・ドーマーの心遣いを理解出来るだろうか。いや、こんな温かい言葉をあの堅物のドーマーに語らせる程、あの男はドームに尽くしてくれるだろうか。
 人は成長するものだ。今判断するべきではない、とブラコフは思った。彼だって昔は何も出来ないペーペーだったのだから。


2018年5月2日水曜日

泥酔者 11 - 6

 副長官執務室に戻ったブラコフは大急ぎで月の本部広報課に連絡を取った。視察団の見学コースは定番なので決まり通りに歩かせれば良いだけだが、2日目の観光が頭を悩ませるのだ。今度のお客様はどんな場所がお望みかと質問を送ると、10分後に広報から返事が来た。今回訪問する富豪達はアンデスのウユニ塩湖を見たいらしい。

「南米ですか? 塩湖の見学は問題ありませんが、往復に時間がかかりますよ。アンデスにはシャトルが着陸出来る空港がありません。地上機対応のみです。」
「では3日目のドーマーとの触れ合いを削れば良いではないですか?」

 広報はしれっと言った。

「その方がドーマーも喜びますよ。」
「つまり、泊りがけで行かせて、ドームに帰ったらそのままシャトルに乗せて宇宙に帰せ、と?」
「その方が貴方も楽でしょう?」
「・・・」

 ブラコフは即答しかねた。確かにドーマーと視察団を接触させるよりは安全だと思えた。しかし、宿の手配を3日で出来るだろうか。
 ヤマザキの言葉が頭に蘇った。

   ドーマーに協力してもらえ

 ブラコフは広報に挨拶した。

「貴重なご意見、有り難うございました。精一杯頑張ります。」
「あまり固く考えずに適当にやれば良いですよ。」

 広報は他人事なのでお気軽に言って通信を終えた。
 ブラコフは椅子に体重を預け、天井を眺めながら考えた。南米の宿泊施設の問題は、遺伝子管理局南米班に協力を頼んでみようか。しかし現役の局員は忙しい。視察団の為に宿を探す暇などない筈だ。
 ブラコフは身を起こし、端末を手に取った。本部にいる遺伝子管理局の職員で南米班出身の男を1人思い出したのだ。しかし彼は力を貸してくれるだろうか。
 呼び出し2回で相手は出てくれた。

「遺伝子管理局局長執務室・・・」
「ネピア・ドーマー、ブラコフだ。」
「副長官?」

 ネピア・ドーマーが意外そうな声を出した。ブラコフは局長に用事がある時は直接ハイネの端末に電話をかけるので、秘書の端末にかけたのが珍しかったのだ。

「ネピア・ドーマー、貴方にちょっと頼みたいことがあるんだ。」

 ブラコフは簡単に宇宙から視察団が来ることを語った。スポンサー様がウユニ塩湖に行きたがっているので、宿の手配をしたいとも言った。

「手頃な宿をご存知なら教えて欲しい。あるいは誰か現地の様子に詳しい者がいれば紹介してくれても良い。視察団が来るのは4日後、宿の手配は3日しか使えない。今は貴方が頼りなんだ。」




2018年5月1日火曜日

泥酔者 11 - 5

 昼休みを取りにケンウッドはブラコフとヤマザキを伴って一般食堂に出かけた。すると出産管理区の女性達と取り替え子の打ち合わせを終えたハイネ局長が女性達に囲まれて食事をしているのが見えた。ヤマザキがニヤニヤ笑って囁いた。

「相変わらず爺さん、モテるなぁ。しかもしっかり鼻の下を伸ばしている。」
「彼は真面目ですよ。」

 ハイネ崇拝者のブラコフがムッとして反論した。彼は「お誕生日ドーマー」の習慣を知らないので、ハイネがドーム内の主だった女性達と適度に男女関係を持っていることを知らない。勿論ケンウッドもヤマザキもその事実を彼に教えるつもりはなかった。
 バーでの乱闘で見事にノックアウトされたブラコフは、少年時代に大人のコロニー人をぶちのめしたと言うハイネの「伝説」にすっかり心酔してしまった。テーブルに着いてからも遺伝子管理局長をぼーっと見つめていた。そんな彼を見て、ヤマザキもケンウッドも顔を見合わせてクスクス笑っていた。すると女性達も彼に気が付いた。

「副長官、顎の調子は如何ですか?」

 シンディ・ランバート博士が笑顔で声をかけてきた。ブラコフは頰を赤くした。

「ええ・・・大したことないんです。お気遣い有り難う。」

 ハイネは彼をちらりと見ただけで、隣に座っているアイダ・サヤカに向き直った。彼が何かを囁くと、アイダと彼女の横に座っている女性が笑った。ランバートもそちらを向いて、彼等の会話に加わった。ブラコフは一瞬彼のことを笑われているのかと思ったが、そうではなかった。彼等は乱闘とは全く関係ない世間話をしているだけだった。
 ヤマザキがブラコフに声をかけた。

「一つの失敗にこだわっていると前に進めないぞ。」
「こだわってなどいませんよ。」

 ブラコフはムッとして自身の皿に向き直った。ケンウッドが彼に言った。

「視察団の接待は副長官の役目だ。しっかり頼むよ。」
「えっ?」

 ブラコフは長官を見つめた。

「僕の役目なんですか?」
「そうだよ。前回は君もなりたてだったから手伝ったが、今回はしっかり1人でやってくれ。君の副長官としての最後の大仕事だ。」
「先生も副長官の時になさったんですね?」
「私は5年しか副長官をやっていないし、その間アメリカ・ドームに視察団は来なかった。経験はない。」
「じゃ・・・前回手伝って下さった時、長官も初めてだったんですか?」
「一執政官としては数回経験している。」

 ヤマザキがはっはっと笑った。

「ドーマー達に協力してもらえば良いじゃないか。」