2017年9月30日土曜日

後継者 6 - 3

 翌日の午後、ヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックはアメリカ・ドームに還ってきた。女性のキーラは消毒時間が長いので、パーシバルは事前に取り決めていた通り、先にアパートに帰ることにした。出産管理区や医療区を抜けるルートが早いのは知っていたが、彼は西の回廊をゆっくりと歩いて行くことにした。荷物は運送班が運んでくれるので、手ぶらだ。明後日は秋分の日で、このドームを去る。彼は感慨深げに透明の壁越しに見える遠くの風景を見ながら歩いて行った。
 中程まで来た時、緩いカーブの所にダークスーツを着た背の高い男が立っているのに気が付いた。髪の毛が真っ白だったので、誰なのか直ぐにわかった。パーシバルは無意識にポケットに手を入れ、チーズを持っていないことを思い出して舌打ちした。仕方なく、「餌」無しで声を掛けた。

「わざわざお出迎えかい、局長?」

 ローガン・ハイネ・ドーマーが振り返った。まだ陽が高くて髪の毛が眩しく光った。

「お帰りなさい、ヘンリー。」

 優しい微笑み。パーシバルはふと思った。

 このドーマーがファーストネームで呼ぶのはリンと僕だけだな。

 あの「悪党」と同列であるはずがない。サンテシマと呼ぶ時、ドーマー達は蔑みの意味を込める。全宇宙の他のサンテシマ達には気の毒だが、このドームではこれからも未来永劫、サンテシマは忌み嫌われる名となるだろう。
 だが、ヘンリーと呼ぶハイネの声には親しみが込められ、温かみがある。パーシバルの心を穏やかにしてくれる響きがある。
 本当は父親ほど年上なのに、外見は年下に見えるドーマーを、パーシバルは本当に可愛いと感じていた。相手には失礼かも知れないが弟の様な感じがする。だが、現実を見なくてはならない。
 パーシバルはハイネの隣に並んだ。

「旅行はいかがでした?」
「とっても楽しかった。素晴らしい人類の歴史と芸術と地球の風景と、最高の同伴者と・・・」

 彼は自身より上の位置にあるハイネの目を見上げた。

「君には不本意かも知れないけど・・・婚姻許可をもらえないかな?」

 ハイネが青みがかった薄い灰色の目で彼を見つめた。

「私はどうこう言える立場ではありません。」
「でも、君に許可してもらいたいんだ。彼女はまだここでもう暫く働く。僕は明後日月へ行く。2人の絆をしっかり守る為にも、君の許しをもらっておきたい。地球で地球人の許可をもらっておきたい。」
「言葉で? 文書で?」
「言葉で。君の言葉はこの世界では絶対の重みがある。」

 ハイネは困ったなぁと言いたげな顔をして壁の向こうを見た。

「婚姻許可の発行は班チーフの仕事ですが・・・」
「おいおい、逃げるなよ。」

 パーシバルは吹き出した。ハイネが照れているのがよくわかった。彼を遺伝子管理局長としてではなく、恋人の父親としてパーシバルが許可を求めていることを、ハイネは理解しているのだ。ハイネだって映画や小説で娘を嫁に出す父親の話を見たり読んだりしているはずだ。家族を知らないドーマーだって、その程度の知識は持っている。
 遂にハイネが降参した。

「なんと言えば良いのですか?」
「一言、結婚を許す、で良いのさ。」
 
 そしてパーシバルは笑った。

「普通、婿が舅に強制することじゃないよなぁ?」

 ハイネも笑い出した。

「私が貴方の舅ですか?」
「そうなるさ。勿論、人前では秘密だけどね・・・うっ!」

 パーシバルはいきなりハイネにギュッと抱きしめられて、声を詰まらせた。ハイネは力を弛めてもなお彼を抱きしめて、その耳に囁きかけた。

「何故ドームが私の子供を創らないか、理由はご存じですか? 地球人の女性との間では私も他の男達同様、男の子しか作れない。私の息子は必ず白い髪を持って生まれてきます。ドームは取り替え子の秘密を守る為に、そんな目立つ赤ん坊を養子として外の世界にばらまく訳にいかないのです。
 キーラは彼女の母親が言う通り、私の娘なのでしょう。彼女にとって幸いだったのは、進化型1級遺伝子を受け継がなかったことです。もしあんなものを持って生まれたら、地球人の子供だとばれて母親から取り上げられ、ドームに収容されていたはずです。
 女性ドーマーは一生ドームの中で生きます。好きな男性と添えることはまず許されません。ですから、私はキーラが宇宙で産まれて宇宙で育ったことに感謝しています。
 どうか彼女をよろしくお願いいたします。私の代わりに守って下さい。」

 パーシバルも彼を抱きしめ返した。

「僕はこの通り、重力に負けた軟弱者だけど、人を好きになる力は誰にも負けないつもりだ。きっと彼女と楽しい人生を送っていけるよ。彼女を生んでくれて有り難う。」

 軽い咳払いが聞こえて、2人は同時に顔を上げた。ケンウッドとヤマザキが立っていた。2人でパーシバル達を出迎えにやって来たのだ。

「人気のない場所で、男2人で抱き合って、何やってんだ?」

とヤマザキが呆れた声で言った。パーシバルとハイネはお互いの体を離した。ケンウッドは窓の外の陽が少し傾きかけているのに気が付いた。ここはハイネにとって常に意味のある場所ではなかったか?
 ハイネが真面目な顔で言った。

「今、婚姻許可を出したところです。紹介しましょう、私の義理の息子のヘンリーです。」
「はぁ?」

 ヤマザキとケンウッドはパーシバルを見た。ヘンリー・パーシバルは少し頬を赤らめたが、夕陽のせいにするにはまだ少し早かった。



後継者 6 - 2

 グレゴリー・ペルラ・ドーマーは局長の執務机に着いていた。局長のコンピュータを操作しており、局長自身はその横に立っていた。何かのソフトの使用を指導している様子だ。引退する予定の第1秘書に局長業務の指導をするだろうか? そもそも第1秘書は既に局長業務の代行をハイネの入院中にしていたので教える必要はないはずだ。ハイネは新しいソフトの使い方をペルラに教えているのだ。
 ケンウッドが入室したことは既に両名共知っている訳で、ケンウッドが「やぁ」と声を掛けると、ペルラが素早く手を動かし、ソフトを閉じる仕草をした。執政官に隠さねばならないソフトなのか? ハイネが顔を向けて「こんにちは」と微笑みを見せた。

「『お勤めリスト』ですね?」
「うん。確認をお願いする。」

 メールで済ませられる簡単な書類でも、ドームでは必ず紙に印刷して残す。ハイネ局長はケンウッドから書類を受け取り、さっと目を通した。3人の執政官から7名のドーマーを指名したものだ。3人の研究分野はそれぞれ違っていて、しかし目的のドーマーは限定していない様に思われた。年齢と前回の「お勤め」からの時期を考えて選んだだけなのだ。ハイネは文面から顔を上げた。

「クロエルを指名したのは何方です?」
「ええっと・・・ミヤワキ博士だ。」
「クロエルは外して下さい。彼の検体は人工授精対象にしてはならないと、地球人類復活委員会から通達があったはずですが?」

 ケンウッドは記憶を探った。クロエル・ドーマーが成人となった時に、確かにその主旨の通達が月の本部から送られてきた。クロエルは父親が不明だ。しかもその父親が違法製造のクローンである可能性があるので、遺伝子遡上追跡が不可能だ。クロエル・ドーマーに許されているのは、母方と同じ血統の女性との間に子供を創ることだけだ。そして母方の部族は絶滅危惧民族で、未だあの可愛らしい青年のお嫁さん候補は発見されていないのが実情だ。
 ケンウッドは自身の手のひらで額をぴしゃりと打った。

「うっかりしていた。申し訳ない。」
「クロエルだけ外して承認します。追加を希望されますか?」
「追加はしない。クロエル・ドーマーを削除して承認をお願いする。」
「承知しました。」

 ハイネは机の上にリストを置いた。ペルラ・ドーマーが立ち上がった。局長と場所を交替した。ハイネがドーマー達に送る「お勤め出頭命令」のメールを作成する横で、ケンウッドはペルラに尋ねてみた。

「新しいソフトを教わっていたのかい?」

 するとペルラではなくハイネが答えた。

「グレゴリーがこちらに居ながらにして『黄昏の家』のヘイワードの様子を見られる様に端末にソフトを入れたのです。操作の指導をしていました。」

 彼は画面から顔を上げてケンウッドの目を見た。

「内緒に願います。こちらから『黄昏の家』を覗くことは禁止されていますので。」

 ケンウッドはちょっと呆れた。ローガン・ハイネ・ドーマーは決して執政官に逆らわない。ドーマー達はコロニー人達に逆らわない。それはただの「おとぎ話」に過ぎないと言うことを、今まで何度も誰かが過去の話として彼に教えてくれたのだが、これは本当に目の前で起きていることだ。しかも、ハイネはケンウッドに秘密の共有を求めている。

「私に共犯になれと言っているのか、ハイネ?」
「誰の不利益にもなりません。グレゴリーが安心して後進指導に集中する為の手段です。」

 なぁんにも悪いことなんてしてませんよ、とハイネの目が笑っていた。ケンウッドも笑うしかなかった。

「承知した。しかし、万が一ばれた時に、私も知っている、なんて言わないでくれよ。」

 そして尋ねた。

「そのソフトは何処から調達したのだ?」

 すると驚くべき答えが返ってきた。

「キーラが私にくれた熊の縫いぐるみですよ。貴方に差し上げる前に、中にあった装置を抜き取ってコピーしておきました。何かに使えるかと思いましてね。ヘイワードに持たせる身の回りの品に仕組んで使わせます。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは意外に器用な特技を持っているのだ・・・。


2017年9月29日金曜日

後継者 6 - 1

 ヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックの両博士は旅先のヨーロッパから毎日の様に画像メッセを送って来た。

「報告はいいから、ゆっくり楽しんで来いよ。」

とケンウッドが気遣って言うと、パーシバルは笑って、

「君が寂しがると思って送ってるんだから、そっちこそ楽しんでくれよ。」

と言い返した。確かに背景はとても美しかった。中世の古い町並み、素朴な田園風景、荘厳な寺院、気高いアルプス・・・。市場では賑やかな雰囲気が伝わって来た。男ばかりだが、町の古さに会わせた上品な賑やかさだ。
 ドームでは研究着や手術着の姿が多かったキーラが私服で登場する。貴族的な顔立ちが風景によく合っている。

 そう言えば、ハイネと言う姓はドイツ系だったな・・・

 キーラは父親にはメッセを送っているのだろうか? 彼女はケンウッドに各地のチーズを紹介してくれた。これは局長に見せろと言う意味か? とケンウッドは考えてしまった。
 ドームでは急速に世代交代が行われていた。エイブラハム・ワッツ・ドーマーはドーム維持班総代表の座をロビン・コスビー・ドーマーに譲り渡すと、ただの現場監督として現場に戻った。もっとも老齢なので、顧問として指導する立場の方が多くなるだろう。
 一般食堂の司厨長は後継者候補3人に交代で現場指揮を執らせ始めた。部下達が言うことを聞いてスムーズに働いてくれないと、現場は忽ち大混乱になる。ドームの食事を扱う部署だから、混乱すると住人達が迷惑する。司厨長は広報に彼の考えを載せた。

ーーパーシバル博士の送別会に3人の司厨長候補者の料理を出します。送別会の参加者のみなさんで投票をお願いします。

 送別会か・・・とケンウッドはその言葉を哀しい気持ちで心の中で繰り返した。パーシバルはこれからも地球に来る機会が何度でもある。しかし、毎日食堂で顔を合わせて冗談を言い合ったり、愚痴を聞いてもらうことは出来ない。

 友達ならもっと体のことを気遣ってやれば良かった。

 健康と言えば、遺伝子管理局長の秘書の恋人の体調はこの数日安定している。グレゴリー・ペルラ・ドーマーは3人の秘書希望者を選び、局長室に入れた。第2秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーに第1秘書の業務を教えながら、3人に秘書の仕事を教えるのだ。3人の弟子達の仕事ぶりを局長は何も言わずに見守っている。
 送別会は有志で行うことになっているが、参加希望の「有志」がかなりの人数になった。リプリー長官はパーティ好きではないのだが、余りに参加者が多いので長官が出ないのはおかしいのではないか、と自ら心配して参加希望者の中に入ってきた。実行委員会を立ち上げ、ケンウッドは委員長になった。会場は一般食堂、参加者は会費制で、事前に申し込んだ者以外でも当日参加可能。ドーマーのアマチュアバンドが演奏を買って出たので、音楽を任せることにした。
 酒を出すか出さないか迷ったが、主役のパーシバルは飲まない男だし、ドーマーには原則飲酒させてはいけないことになっている。アルコール類は軽いビールとワインを少しだけにした。
 演説はなしにしよう、とヤマザキは言ったが、それでもリプリーに開始の挨拶だけしてもらうことにした。演説嫌いの長官は、うんと短く喋ってくれるだろう。
 パーティの準備で忙しくなったので、寂しさは少し紛れた。それに日常の業務もしなければならない。
 送別会の前日にパーシバルとキーラが帰って来る。その日のさらに前日、ケンウッドは「お勤め」のドーマーのリストを遺伝子管理局へ提出する為に、昼食後に本部へ行った。事前にアポを取っていたので、セルシウス・ドーマーの弟子になる候補者の1人がドアを開けてくれた。中に入ると、第2秘書の執務机にはもう1人の候補者が着いており、コンピュータで作業中で、残る3人目が横に立ってそれを見守っていた。セルシウスは第1秘書の机に居た。ペルラ・ドーマーが居ないな、と思ったら、セルシウスが顔を向けて挨拶してくれた。

「お待ちしておりました、ケンウッド博士。」

 副長官としての業務ではなく研究者としての業務なので、ドーマー達は彼を博士と呼んだ。ケンウッドは微笑みながら挨拶を返した。

「お邪魔する。弟子達は学習は進んでいるかね?」
「はい!」

と元気よく答えたのは、ドアを開けてくれたドーマーだった。 

2017年9月28日木曜日

後継者 5 - 9

 エイブラハム・ワッツ・ドーマーからロビン・コスビー・ドーマーを紹介された時、ケンウッドは次期ドーム維持班総代表は狐に似ているなぁと感じた。勿論、彼は生きた本物の狐をその目で見たことがなかったのだが。
 ドーム副長官と言う職が行う業務は、ドーマー達の健康管理とドーマー達が要求してくる予算の調整だ。ワッツとは普通の執政官時代は全く接点がなかったのだが、副長官になると殆ど毎日端末で話をしてきた。それが若い(と言っても60歳近いが)コスビーに代わるのだ。
ケンウッドはコスビーの人となりをまだよく知らないので、緊張を覚えた。
 リプリー長官も同じだろう。長官の仕事は執政官の管理とドーム全体の施設維持の予算調整だ。彼もワッツと毎日予算を巡って鬩ぎ合いをしてきた。闘う相手が交代するのだ。コスビーは彼の「要注意人物」リストになかったのだろう、かなり注意深く相手を観察していた。
 立ち会いのハイネ遺伝子管理局長は暢気そうに座って会見を眺めている。ちょっと小憎たらしい、とケンウッドは思った。遺伝子管理局はドーム維持班の管轄ではないので、コスビーが早速リプリー長官相手にドーム壁の補修費用の話を始めても、局長は我関せずの顔をしている。
 ケンウッドはつい皮肉っぽく話しかけた。

「今日は機嫌が良さそうだね、ハイネ。」

 局長が彼を見た。

「そう見えますか?」
「少なくとも怒っているとは思えないな。」

 するとワッツが小声でちゃちゃを入れた。

「朝っぱらから美女と飯を食ったからでしょう。」

 ハイネがケンウッドからワッツに視線を移した。

「もう噂が拡散しているのか?」
「ドーム中に知れ渡っているさ。」

 ハイネは先手を打ってケンウッドに言い訳した。

「セドウィック博士ですよ。旅行中パーシバル博士に無理をさせるなと注意しただけです。」

 ケンウッドは微かな微笑みを浮かべて頷いて見せた。ハイネが友人としてパーシバルを気遣ったのか、それとも娘が男性と旅行することを心配したのか、彼には判断出来なかった。
 リプリーがコスビーから解放された。コスビー・ドーマーは初仕事として要求通りの予算案を認めさせたのだ。長官は明日の執政官幹部会議でそれを承認させなければならない。もし反対されたら、彼はドーマーと執政官の板挟みになってしまう。
 ケンウッドは長官に強力な武器を持たせることにした。万が一長官が会議で執政官幹部達に言い負かされたら、維持班建築班の予算が通らない。だから、ケンウッドは遺伝子管理局長に尋ねた。

「局長、次期維持班総代表の予算案は妥当かね?」

 ハイネは彼流の言い方で承認した。

「否定する要因はありません。」

 するとワッツ・ドーマーが立ち上がった。

「これでロビン・コスビー・ドーマーが維持班総代表として働ける人間であると証明出来ました。さて、皆さん、これから昼食をご一緒しませんか?」

2017年9月26日火曜日

後継者 5 - 8

 翌朝、キーラ・セドウィックが中央研究所の食堂で朝食を取っていると、彼女の正面の席に断りもなくローガン・ハイネ・ドーマーが座った。彼の方から彼女のそばに来ることは滅多になかったので、彼女は驚いて食事の手を止めた。

「おはようございます、局長。何かご用ですの?」

 彼女がいつもの口調で声を掛けると、ハイネは「別に」と答えた。

「ここに座りたかっただけですよ、出産管理区長殿。」

 そして彼は食事を始めた。キーラは暫く彼を眺めていた。白い髪のドーマーが顔を上げようとしないので、彼女はまた尋ねた。

「私がヘンリー・パーシバルの旅行に付き添うのに反対?」
「否、医師の付き添いは歓迎です。」

 ハイネは遺伝子管理局長と執政官として会話をする口調だ。キーラはフォークを置いて、テーブルの上に上体を傾けた。

「でも何か仰りたいのでしょう? 貴方がご自分から私のそばに来るなんて、変だわ。」

 すると、ハイネは言った。

「私が婚姻許可証を発行する迄は、男女の関係になるなよ。」

 キーラは一瞬ぽかんとした。彼は何を言おうとしているのか? そして、急にしかめっ面になった。

「私が誰と寝ようが、貴方には関係ありませんでしょ? 私は大人だし、コロニー人ですのよ!」
「声が大きい。」

 ハイネに注意されて、彼女はハッと我に返り、周囲に視線を走らせた。早朝なので食堂内はまだ人影がまばらだったが、静かな分、声がよく響く。数人がこちらを伺っていた。
彼女は声のトーンを落とした。

「私の私生活に貴方が口出しする権利はありません。」
「ドーマーの私生活には口を出すのにか?」
「それは・・・」

 それは論点が違う、とキーラは思った。しかしドーマー達は外に居る地球人と違って公私共に管理されている。公の場と私生活の境界がドーマー達に限って言えば曖昧なのだ。
彼女は一歩譲ることにした。

「いいわ、何故私の私生活に干渉したくなったのか、理由をお聞かせ願えません?」

 ハイネがやっと顔を上げた。

「君が私の目が届かない所へ出かけるからだ。」
「ですから、どうしてそれが気になる訳?」

 わからないのか、とハイネは言いたげに、苛立った声で答えた。

「君は私にとって大事な女性だからだ。」

 その表現はちょっと誤解を招くだろう、とキーラは心の中で苦笑した。相手が言いたいことはわかった。

「そこはwomanではなく、girlを使って頂きたいわ。」

 ぐっとハイネが黙り込んだ。キーラは父親が次にどう出るか待った。出産の介助だけで30年間地球で暮らした訳ではない。収容される地球人の女性達の夫や男性家族のメンタルケアのアドバイスなどもしてきたのだ。彼女は赤ん坊や母親だけでなく男性の扱いにも手慣れていた。
 ハイネが何も言わずに自分の皿に視線を落としてしまったので、彼女は仕方なく彼を安心させる言葉を言った。

「ヘンリー・パーシバルは心臓が悪いのです。旅行中に彼に負担を掛けるような行いは絶対にしませんわ。」

 ハイネは無言で皿に置いていた桃の実を手に取った。ドームの園芸班が栽培している数少ない果物だ。彼は桃の実の表面にある溝にナイフを軽く入れ、それから両手で実をくるむ様に持つと左右を反対方向に捻った。桃は綺麗に二つに割れた。彼はそれを彼女の前に差し出した。好きな方を取れと言う意味だ。キーラは種がない方を選んだ。
 食べやすい大きさに桃を刻んでいる娘に、彼は言った。

「気をつけて行ってきなさい。」






2017年9月24日日曜日

後継者 5 - 7

 ケンウッドの言葉にキーラ・セドウィックはちょっと驚いた。

「あら、そんなことまでご存じですの?」
「15代目に教えてもらったのです。16代目は過去を何も語りません。」
「そうですか・・・」

 彼女はちょっと寂しげに見えた。

「私は母から遺伝子工学を学べと言われましたが、反発して警察官になりましたの。勉強はしましたのよ。ただ学者になりたくなかっただけ。
 警察に入った次の年に『死体クローン事件』が起きました。宇宙連邦内で大きく報道されましたから、ご存じですわよね?」
「ええ、私は学生でしたから、ニュースで知っただけですが。」
「私も自身には無関係だと思っておりましたわ。それが上役について地球に行くことになって、びっくりしました。しかも犯人が勤務していたのが、ここアメリカ・ドームでしたの。」
「地球へ行くことが決まって、お母様は何と?」
「母に言う暇はありませんでしたわ。上役から『これから地球へ行くぞ、ついて来い!』とそれだけ・・・」

 キーラは、誰かとそっくりに、くっくっと笑った。

「シャトルに乗って、アッと言う間にドーム空港に到着して、身体検査の後で消毒されて、面会室まで駆け足で・・・。」

 面会室? ケンウッドは意外な言葉を聞いた思いがした。ドームの外からの訪問者は、通常特別許可がなければ面会室で執政官やドーマーに会う。送迎フロアに一番近い空間で、長い回廊の端にある。20代だったローガン・ハイネは回廊の真ん中まで1人で行って連れ戻された。それから20数年たって、面会室まで行くことが許されたのか。
 
「彼と面会したのですね?」
「面会したのは上役ですわ。私は面会室の入り口から入ってすぐの所で座って上役と彼の情報交換を黙って見ていました。紹介はしてもらえましたが、彼から声を掛けてくることはありませんでした。」
「彼は貴女に気が付かなかったのですか?」

 すると、キーラは思い出し笑いなのか、ふふふと小さく笑った。

「後に一緒に仕事をすることになった時に、私は初対面の時のことを覚えていますか、と彼に尋ねましたの。彼は覚えていると答えました。
 マーサ・セドウィックと同じ姓で同じ顔をした、しかも別れた時の彼女と同じ年齢の女性がいるので不思議だったと、彼は言いましたのよ。」

 ケンウッドはつくづくドーマーに家族と言うものを教えずに育てる教育法は誤りではないのかと思った。ローガン・ハイネ・ドーマーは別れた女性が彼の子供を産んだかも知れないと疑いもしなかったのだ。元カノそっくりの女がいる、ただそれだけの認識だった。

「私の存在に気が付いてくれない、と言うことが、私に火を点けましたの。」

とキーラが面白そうに言った。

「私は遺伝子学者ではなく、産科医の資格を取って、地球勤務の職員に応募しました。毎日試験管と電子顕微鏡を覗く生活をするより、生きている人々を相手にしたかったのです。母はもう何も言いませんでした。
 私がアメリカ・ドームに派遣されると聞いた時、彼女は黙って送り出してくれました。
私は出産管理区で勤務を始め、白い髪のドーマーを食堂で見つけると声を掛けてみました。彼は全く私とマーサを結びつけて考えなかったのです。ですから、私は却って安心して彼と話しが出来ました。彼は当時まだ平の遺伝子管理局の内務捜査官だったのですけど、ドーマー達から既に将来のリーダーとして敬われていました。彼の日頃の態度、立ち居振る舞い、話し方、全てがリーダーとなるべく仕込まれたものだと、私は母から聞いていましたけど、実際の彼はそれにふさわしい人でした。」
「ええ、そうですね。」

 ケンウッドは友人が褒められて嬉しく思った。キーラが悪戯っぽく笑って言った。

「私は彼の真似をしてみました。すると、出産管理区で何故か私はリーダー的立場になってしまったのですわ。いつの間にか周囲から頼られて、信用されて・・・。」

 それでケンウッドは思い切って言った。

「貴女は本当に彼に似ていますよ。お顔も話し方も立ち居振る舞いも。」
「それが有り難いのか、迷惑なのか・・・」

 キーラは複雑な顔をした。

「彼は迷惑がっていますわ。私、知ってます。でも私は引き下がりませんから、半ば強引に彼に私達の関係を打ち明け、友人として接しています。私が勝手に仲良しだと思っているのでしょうけど。」

 ケンウッドは優しく彼女を励ました。

「彼は貴女を嫌ってなどいませんよ。口では迷惑だと言っていますが、要するに、ドーマー達は子供を持った経験がある仲間が1人もいないので、貴女にどの様に接して良いのか、彼はわからないのです。その一方で彼は貴女を守らねばならないことは知っています。
サンテシマに貴女が彼に似ていることを気づかれないよう、注意を払っていましたからね。」
「まぁっ! そうでしたの?」

 キーラはびっくりして目を見張った。
 ケンウッドは話を元に戻した。

「ですから、ヘンリー・パーシバルは、貴女がローガン・ハイネと似ていることにも関心があるのです。彼は局長と仲良しですからね。ハイネの良いところを貴女が持っていることが嬉しいのです。」


後継者 5 - 6

 ケンウッドはジムで筋肉トレーニングをしていた。重力障害を防ぐには毎日の鍛錬を欠かさないことが先決だ。ヘンリー・パーシバルはこの基本的な運動をさぼった為に、退官するはめになった。もっと親友にきつく注意すべきだったと後悔するが後の祭りだ。
心臓を痛めてからパーシバルはジムから完全に遠ざかってしまい、運動は医療区で医師の監視の下で行っている。
 「こんばんは」と声を掛けられ、振り返るとキーラ・セドウィックが運動着姿で立っていた。体の線がはっきり見えているが、彼女は全く気にしていない。自信の表れだ。50代でも美しい体型を保てるのはコロニー人の女性だからだが、キーラの場合、父親の遺伝子も多少は影響しているはずで、30代でも充分通用する若さだった。進化型1級遺伝子を持っていないとプロフィールは語っているが、父親が「不明」なのだから、わかるものか、とケンウッドは思った。もっとも彼女はコロニー人なので、特殊遺伝子を持っていても「待機型」なら野放しだし、成人しているので父親が地球人だと判明しても地球に強制送致されることもない。彼女が父親の正体を明かさないのは、父親の為なのだとケンウッドは解釈していた。父親の足枷になりたくないのだ。
 ケンウッドはマシンを止めて、「こんばんは」と挨拶を返した。呼吸が整う迄少し時間を要した。キーラが微笑みながら、言った。

「ヘンリーと旅行に行く許可をお友達の貴方に頂こうと思って・・・」
「私に遠慮される理由はありませんよ。」

 ケンウッドは可笑しそうに笑った。

「ヘンリーと私はそんな仲じゃありませんから。」
「勿論、承知ですわ。」

 キーラも笑った。

「でも小うるさいオバサンが付いていって、お友達の具合が悪くなるかも知れないって、心配なさるのでは?」
「ヘンリーは貴女をそんな風に思っていないでしょう。」

 ケンウッドはマシンから降りて、彼女を休憩スペースへ誘った。カウンターでレモンジュースを2人分取って、1つを彼女に渡した。

「付き添いは、貴女の案ですか?」
「ええ・・・でも私が申し出たら、彼は2つ返事で承諾してくれましたの。」
「彼は貴女に関心がありますからね。」
「そうですの?」
「彼は美男子好きで知られていますが、美女も好きなんですよ。」
「あら、お上手ね。」

 キーラが笑うと横顔が本当にハイネに似ていた。

「彼の親友の貴方なので正直に告白します。私、あの人が本当に好きです。」

 さらりと言われて、ケンウッドはびっくりした。

「お友達のことを心から気に掛けることが出来る人でしょう? 親切で優しくて、ジェントルマンですわ。」
「確かに、その通りです。」
「でも彼自身の健康にもっと気をつけて欲しいのです。」
「当然です。」
「ですから監視に付いていきます。」

 ケンウッドは彼女を見つめた。

「それなら、一生監視してやってくれませんか?」

 キーラは応えずに彼を見返した。彼の本心を探ろうと目を見つめた。
 ケンウッドは言った。

「貴女は30年間、地球人の為に尽くしてこられた。そろそろ貴女自身の時間をもたれてもよろしいのではないですか? それが私の親友と共に歩む時間であれば、私にとっても大変嬉しいことです。」

 まだ彼女が無言なので、彼は続けて言った。

「ヘンリーが貴女に関心があるのは、貴女が美しいからだけではありません。貴女の熱意の篭もった勤務態度や毅然とした姿に惹かれているのです。」

 すると、キーラは初めて彼から視線を外して、囁く様な低い声で言った。

「私がそう振る舞うのは、手本がいるからですわ。」

 ケンウッドは、彼女が誰のことを言っているのか、すぐに察した。故意に名前を出さずに言った。

「彼の様に働きたいと思っておられるのですね?」

 キーラが微笑んだが、それは苦笑に近かった。

「私の母のことをお調べになったはずですわね? 母は昔ここでとても酷いことをしました。最初は仕事で、それから本気になって、最後は自己防衛の為に、彼を傷つけてコロニーに帰ってしまったのです。
 私は母から地球にいる王子様の話を聞かされて育ちました。ドームと呼ばれるお城に囚われの身の王子様。子供の頃は気の毒な人だと思いました。成長するに従って運命に逆らわない意気地無しだと思うようになりました。母から聞かされるのは、ひたすら美しく高潔な王子様の物語ばかりで、私は次第にうんざりしたのです。母が彼に固執する余り、その後2度も結婚に失敗したせいもありました。」

 ケンウッドはマーサ・セドウィックと言う女性を知らなかったが、哀れな人だと感じた。当時のドーム幹部達は弟を失って気落ちしていた1人のドーマーを慰める為に、女性の同僚達をけしかけたのだ。マーサはそれに踊らされたのだ。

「彼の姿を見たことはなかったのですか? その・・・」
「春分祭の様子をテレビで見たことがあります。彼はすぐにわかりました。あの容姿ですからね。確かに美しい人でした。声も素敵で・・・でもカメラには素っ気なく逃げてしまって・・・。画像を通して見た彼は、私にはそんな魅力がある男性には見えなかったのですわ。」

 キーラが可笑しそうに笑った。宇宙に大勢いるローガン・ハイネのファンは皆、テレビで春分祭を見て彼を知ったのだ。しかし、彼の娘にはつまらなかったようだ。

「貴女がここへ来られたのは、警察官としてだったそうですね。」



2017年9月23日土曜日

後継者 5 - 5

 普通のドーマー達の夕食時間が終わる頃にローガン・ハイネ・ドーマーの夕食時間が始まる。彼と個人的な話をしたい人間は大概この時間を狙って彼のテーブルにやって来る。
その夜は、ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーが10歳ばかり若い男を連れてやって来た。
 ロビン・コスビー・ドーマーだ、とワッツが紹介した。

「明日、長官に会わせる。立ち会いを頼みたい。」

 ハイネは50代後半の男を眺めた。ドーマー達の数が多いので、顔と名前が一致しても経歴まではなかなか覚えられない。局長に就任してから彼がドーマー採用を決めた子供達の遺伝子情報なら全員覚えているが、先達が選んだ人々はそうもいかない。ハイネはワッツに「ちょっと待て」と命じて、端末でロビン・コスビーの情報を検索して読んだ。特殊遺伝子は持っていないが、特技と言うか資格はたくさん取っており、多趣味多才だ。

「建築班の主任だったよな?」
「はい。ワッツ・ドーマーから代表を任されることになりました。よろしくお願いいたします。」

 ドームの慣習として、新しいトップの座に就く男は、それまで幹部経験がない人間を選ぶ。それは指導者の資格が誰にでもあると言う執政官側の考えなのだ。しかし、ワッツが自身の後継者に選んだのは、幹部経験者だった。ワッツは自身が総代表に選ばれた時、年長の幹部達からいびられた経験があった。彼はまだ体が丈夫で「黄昏の家」へ行く資格をもらえない。前任者がまだドームで働いているせいで新総代が先輩幹部達から見下されては可哀想だ、と考え、幹部連中の中から新総代を選んだのだ。
 ハイネはこれから遺伝子管理局長の次の権限を持つことになる、20歳以上も年下の男に言った。

「こちらこそよろしくお願いする。」

 そしてワッツを振り返った。

「明日は何時にする?」
「副長官が長官室で定時打ち合わせをするのは何時だ?」
「普通は11時から正午迄の間だな。」
「では、長官秘書に11時半で依頼しておく。変更があれば連絡する。」
「了解した。」

 コスビー・ドーマーは2人のやりとりを聞き逃すまいと真剣な表情で聞いていた。遺伝子管理局長ローガン・ハイネは彼の世代にとっては大スターだ。維持班総代表エイブラハム・ワッツは彼が尊敬する師匠だ。2人の憧れの人々がどんな風に会話するのか、しっかり記憶しようと心がけていた。彼の気持ちをワッツは察したのだろう、不意に振り返って言った。

「聞いての通り、俺はローガン・ハイネとタメ口で話をする。維持班は遺伝子管理局の部下ではないからだ。おまえは総代表になったら、彼と同等の立場で話をしなければならない。決して彼の部下ではない。それを忘れるな。
 だが、彼に失礼な振る舞いは許されない。何故なら彼は遺伝子管理局長だからだ。局長は全ての地球人の生から死までを管理する役職だ。並の人間では務まらない重責を負っている。それをローガン・ハイネは俺達が高所で建材を適所にはめ込むみたいに毎日平静な顔でやってのける。俺はローガン・ハイネを心から敬愛している。だから、彼には必ず敬意を払え。遺伝子管理局長に非礼を働く者はドームから叩き出される。」

 ワッツは最後に小さく付け足した。

「サンテシマみたいにな・・・」

 会話はタメ口で、しかし敬意を払って・・・難しい課題を押しつけられた様な深刻な顔で「心得ました」と応えたコスビー・ドーマーに、ハイネが思わず笑った。

「エイブ、今からコスビーを脅かしてどうする?」
「こう言うことはきちんと言っておかないと駄目なんだ。貴方は若い連中から見れば雲の上の存在だ。挨拶と違って仕事で話しをする時はどんな風に口を利けば良いか、教えておかなければならない。」
「そんなことは、コスビーは言われなくても理解しているさ。なぁ?」

 ハイネに話を振られて、コスビー・ドーマーは顔を赤らめた。さっきから胸がドキドキしていた。局長とはドーマー幹部の集会で顔を合わせたことは何度もあったが、こんな近距離で彼自身を話題に会話したのは初めてだったからだ。
 ハイネがワッツに視線を戻した。

「ところでエイブ・・・」
「うん?」
「そろそろ私に食事をさせてくれないか? シチューが冷めてしまったぞ。」
「程よい温度加減になったんじゃないのか? 猫舌だろう?」




後継者 5 - 4

 昼食を終えてハイネが局長室に戻ると、ペルラ・ドーマーが1人で業務を行っていた。第2秘書のセルシウス・ドーマーは中央研究所に情報収集に出かけた様だ。
 ハイネが執務机に着くと、ペルラが席を発ってそばに来た。

「ちょっとお時間を頂いてよろしいでしょうか?」

 ハイネが頷くと、彼は面談者用の椅子には目もくれずに前に立った。

「正午のネットニュースの内容は、私の引退に関係があるのでしょうか?」

 ハイネは正直に答えた。

「ないと言えば嘘になる。だがコロニー人達は200年近く昔に作られた規則に疑問を持っていた。ドーマーが愛情を抱いた相手と最後の時間を一緒に過ごせないのはおかしいのではないか、と。さっき私が昼食を取りに行ったら、大勢のドーマー達が私を通して長官達に感謝の意を伝えて行ったよ。」

 ペルラ・ドーマーがハッとした表情になった。彼は自身とパートナーのことしか頭になかったこの数日間のことを恥じた。

「申し訳ありませんでした、私は自分のことで精一杯になっていました。」
「恥じることはないぞ、グレゴリー。」

 ハイネは優しく部下を慰めた。

「私はいつだって自分のことで精一杯だから、君の恋人の存在すら想像したことがなかった。君はいつも私の世話を親身になってしてくれたのにな。
 今の『黄昏の家』の住人は私よりも10歳以上年長の爺様ばかりだ。君のパートナーのゴードン・ヘイワードが行けば、きっと子供扱いされるだろう。それは覚悟しておくが良い。」
「脅かさないで下さい、局長・・・」

 ペルラ・ドーマーがやっと笑った。

「執政官に聞きましたが、引退宣言をしても本当に身体的に弱ってしまう迄は『黄昏の家』に移る許可は出して頂けないそうです。それで内心途方に暮れておりましたが、今日のニュースの内容を読んで、安堵しました。後継者の教育をしながらあちらへヘイワードの看病にも通えるスケジュール調整を致します。決して業務に支障が出るようなへまはしないつもりです。」
「後継者の目星はついたのか?」
「はい、5名ばかりに声を掛け、現在3名に見習いで来てもらえることを確認してあります。もしお許し頂ければ、明後日から教育を始めたいと思います。」

 もしヘイワードが亡くなって、それでもペルラ・ドーマーが丈夫だったら、彼はどうするつもりなのだろう、とハイネは内心思ったが、口には出さなかった。彼とて自身より若いドーマーの死亡届けに承認印を出すのは嫌だった。

「ところでグレゴリー、君が後継者を教育することを、ジェレミーには言ってあるのか?」
「あっ!」

 ペルラ・ドーマーの間の抜けた顔を見られるのは滅多にない。

「す・・・すみません、彼にはまだ何も言っておりませんでした・・・」

 ハイネは思わず吹き出した。

「ジェレミーだって馬鹿じゃないさ。彼はなんとなく察していた様子だぞ。だから正午のニュースを君に見せたのではないのか?」
「そう言われれば、そうですね・・・」

 ペルラ・ドーマーは汗を拭う仕草をした。

「考えてみれば、私は彼を第1秘書にする訓練を真っ先にするべきなのですよ。すっかり念頭から抜け落ちていました。」
「3名の訓練生の教育はジェレミーがするのだ。それを忘れるなよ、第1秘書君。」
「承知致しました。」

 ハイネとペルラは互いの顔を見合って笑い合った。

後継者 5 - 3

「終点のヴァージョン? 何だ、それ?」

 ケンウッドは思わず尋ねた。ヤマザキが苦笑した。

「重力障害で退官を余儀なくされた執政官に、重力をものともしない執政官が付き添って最後の旅のお供をする。」

 キーラ・セドウィックは父親が地球人なので重力には地球人並の耐性があるのだろう。彼女はそれを誤魔化す目的で年に数日だけ重力休暇を取って、コロニーに残っている年老いた母親に会いに帰る。恐らく彼女はかなりの日数の有給休暇を溜め込んでいるはずだ。
それを利用してヘンリー・パーシバルの退官記念旅行に付き添うのだ。
 当の父親は、娘が何をしようがてんで無関心だ。ドーマーなので親と言う自覚が欠如している、とケンウッドは感じた。

「その同伴は、彼女の希望なのだろう? ヘンリーはどう思っているのだろう?」

 ヘンリー・パーシバルは美男子好きだ。しかし、ゲイではない。ケンウッドは世間が親友を誤解していることを承知していた。男性同士で恋愛するドーマー達を見ていると、パーシバルが美男子の追っかけをしているのが恋愛とは異なるのだとわかる。パーシバルは人間の美を追究しているのであって、その対象がたまたま男性ばかりが住んでいる世界の地球人の男だと言うだけだ。もし女性ばかりが収容されている出産管理区で働いていたら、きっと妊産婦を追っかけていたかも知れないが、それでは痴漢と間違えられる・・・。
 ヤマザキはケンウッドの問いに、ニヤリと笑った。

「ヘンリーも春分祭の夜の出来事からずっと彼女を気にしているんだ。医療区に彼女の休憩時間のスケジュールを聞いてみたり、食堂に出かける時を彼女の時間に合わせてみたり・・・」

 するとこの会話が始まってから初めてハイネが食事の手を止めた。

「ヘンリーはキーラに関心を持っているのですか?」
「執政官同士の恋愛に遺伝子管理局が出る幕はないよ。」

 ヤマザキはちょっと冗談めかして言ったのだが、ハイネは笑わなかった。

「2人共50代ですから、他人が口出しすることではありませんが、女は慎重に選ぶべきです。」

 ハイネの懸念はそこなのか、とケンウッドは軽い衝撃を受けた。友人が娘に関心を持っていることは問題ではない。娘が、彼自身を翻弄した女性の子供だと言うことが彼の懸念なのだ。つまり、ハイネはパーシバルがキーラに翻弄されはしないかと心配しているのだ。
 ヤマザキがハイネを宥めた。

「キーラ・セドウィックは立派な人格者だ。男をからかったり、弄んだりしない。それは君が30年間彼女と一緒に仕事をしてきて知っているだろう? ヘンリーだって、ただ彼女が命の恩人だからとか、君の・・・」

 彼はちょっと躊躇ってから続けた。

「君の縁者だからとか、そんな理由で関心を持った訳じゃない。彼女は女性として魅力的なんだ。僕だって彼女を1人の女性として素敵だと思っている。ただ僕には交際している人がいるし、そちらの彼女の方が僕にとってはキーラより上だと言うことさ。
 だから、君もヘンリーとキーラの関係がどう動くか、黙って見守ってやってくれよ。」

 ハイネは彼をじろりと見て、それからケンウッドに視線を移した。ケンウッドはハイネの心の傷がまだ癒えていないのかと心配だったが、気が付かないふりをして言った。

「父親は娘の恋愛に反対したがるものだからな。」

 周囲に聞こえては困る話題なので、続けて誤魔化した。

「君にとって彼女は娘みたいな人だから、気になるのだろう? 親父の嫉妬だよ。」

 ハイネは気を削がれたらしく、また料理に注意を戻した。

「私が何故彼女に嫉妬しなきゃならないんです? 一週間あの口うるさい女帝から解放されると思うと、ホッとしますよ。」

 これはハイネ流の冗談なのだろうか? ヤマザキとケンウッドは顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。


2017年9月22日金曜日

後継者 5 - 2

 ケンウッドは規則改定に伴う書類仕事が予想外に多いことに閉口した。なんとかやっつけ仕事で片付けると既に1時半を廻っていた。遅いお昼を食べに一般食堂へ行くと、丁度ハイネ局長も自身のトレイを持ってお気に入りのテーブルに着くところだった。
 ケンウッドが料理を選んでいる間に、ハイネのテーブルにはドーマー達が10数人ばかり入れ替わり立ち替わりやって来て、何か挨拶みたいな会話をしているのが見えた。ハイネは真面目な顔で彼等の相手をしていたので、ケンウッドが同席許可を求める迄食事に手を付けられなかった。
 ケンウッドは腰を下ろし、ナイフとフォークを手に取った。

「ドーマー達は例の規則改定の件で君に何か言ってきたのかね?」

と尋ねると、ハイネは苦笑した。

「感謝を言いに来たのですよ。私が規則を変えたのではなく、長官と副長官が提案されたのだと何人に説明したことか・・・」
「彼等が中央研究所へ挨拶に来ることなどないだろうから、君を通してくれれば良いのさ。」
「私からも感謝の言葉を贈りたいです。グレゴリーが少しでも楽になれば良いのですが。」
「彼はまだ後継者候補を決めていないのか?」
「まだの様ですね。公募すれば早いのかも知れませんが、局長秘書は厳しい仕事ですから、希望者がいるとは思えません。」
「そうかな? 君の下で働きたい人はいると思うが・・・」

 そこへヤマザキ・ケンタロウがやって来た。食事は済ませたらしく、珈琲カップだけ持ってケンウッド達のテーブルに無断で着いた。座るなり、彼は尋ねた。

「ヘンリーが地球を発つ前に1週間旅行に行くって、知っていたか?」

 ケンウッドは頷いた。ハイネも同じく頷いた。

「昨夜聞いた。」
「私は今朝聞きました。」
「なんだ・・・みんな知っていたのか・・・」

 ヤマザキはさもがっかりした様に言ったが、目は笑っていた。

「退官する執政官の特権だな、地球見学旅行だ。彼はヨーロッパの美術館を巡って美男子の肖像画を見て廻るそうだ。」
「美男子ですか?」

とハイネが落胆したふりをした。

「私だったら、裸婦像を見て廻りますけどね。」

 ケンウッドとヤマザキが笑った。本当にローガン・ハイネは女が好きなのだ。笑いながらヤマザキが言った。

「だけど、これは君達知らないだろう? ヘンリーの旅行には同伴者がいるんだ。」
「同伴者?」
「彼は病人だから、万が一のことがあってはならないと言うので、医師が1人付いていく。」
「監視付きなのか・・・」
「誰だと思う? キーラ・セドウィックだ!」

 ケンウッドは思わず食事の手を止めた。ハイネは知らん顔をして食べている。
 ケンウッドは喉が詰まるかと思ったが、何とか口の中の物を呑み込んだ。

「キーラ博士がどうしてヘンリーに付き添うのだ? 彼女は産科医だろう?」
「彼女は助けた命を最後まで見守りたいのさ。」

 ヤマザキはハイネを見た。それで良いのか? 娘が男と旅行だぞ? それだけを目で老ドーマーに訴えた。ハイネは気づかないふりをした。

「付き添いはドームの規則ですか?」
「否・・・ある終点のヴァージョンだな。」


後継者 5 - 1

 執政官会議は静かだった。リプリー長官が提案した「黄昏の家」の収容者に1人だけ付き添いを認めてはどうかと言う案に異議を唱える者はいなかった。会議に出席した執政官達は皆引退するドーマー達より若かったが、仲の良い者がすぐ近くの場所に居るのに面会すら出来ないと言うドーマーの現状に心を痛めていた人々がいたのだ。
 途中、ある執政官が、付き添いを希望する者が複数現れた場合はどうするのか、と質問したが、それ迄終始黙して会議の成り行きを見守っていた遺伝子管理局長が一言、

「それは当事者の問題であって執政官の出る幕ではありません。」

と言い放ったので、質問者は沈黙してしまった。
 付き添いを許可される人間は、副長官に希望を申し出ること、と新しい規則が生まれた。付添人は収容者がこの世を去る時に医師と共に看取ることも許可されるが、葬儀に関しては従来通り出席出来ない。ドーマーの葬儀は執政官達だけで行われる厳粛な儀式であり、研究に一生を捧げてくれた地球人に対する礼を示す式典だった。
 ハイネ局長はこれらの決定に異議を唱えず、了承した。
 リプリー長官は直ぐにネットニュースを担当する放送班のコロニー人達に決定事項の原稿を作成して見せるようにと指示を出した。出来ればその日の正午のニュースに間に合わせたかった。
 会議が解散すると、ケンウッドはドーム内規則の改定の為に執務室へ急いだ。出口の所でヘンリー・パーシバルがハイネ局長を呼び止めて何か話しているのを見たが、立ち止まらずに部屋へ戻った。
 規則を一つ変えるだけで大仕事だ。「黄昏の家」に関係する全てのファイルに「付添人」と言う新規のキーワードを追加しなければならなかった。そして決定した新規の規則も付け加える。これが現在はアメリカ・ドームだけのお約束だと言う1文も忘れてはならなかった。
 副長官の清書とネットニューススタッフの原稿を合わせて校閲したリプリー長官はそれをネット上にアップすることを指示した。
 昼食時、ドーマー達はいつもの様に何気なくニュース画面を覗いて仰天した。ドームが始まってから長い間触れることが出来なかった規則が変更されたのだ。
  局長室でも昼休みに出かけようとした局長第2秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーが何気にニュースを開いてその報道を見た。彼は第1秘書が何を企んでいるのか、まだ知らなかったが、最近のペルラ・ドーマーの様子がいつもと違うことに気が付いていた。彼はやはり昼食に出ようとしてた先輩に声をかけてニュースを見せた。
 ペルラ・ドーマーは記事を読み、あまりにもタイミングが彼とパートナーの問題発生と重なるので、自分達のことがきっかけではないかと思った。局長を見ると、ハイネは執政官会議で開始が遅れた彼自身の業務に必至で取り組んでいた。誕生も死亡も遺伝子管理局の対応が遅れるとそれだけ市民の生活に影響が出る。ハイネの日課は地球人にとって重要な結果をもたらす仕事だった。
 ペルラ・ドーマーは尋ねたいことがあったが、ボスの業務の妨害は許されないことなので、この場は我慢することにした。

「お昼に行って来ます。」

 声を掛けると、ハイネは画面操作をしながら顔も上げずに頷いて了承を示した。
 遺伝子管理局は地球人の生と死の管理をしている。ファイルに加えたり削除するだけの事務仕事なのだが、何となく神の仕事の代理人をしている気分になることがある。ペルラ・ドーマーには、この日ほど白い髪のドーマーが神に近い存在に思えたことはなかった。

2017年9月20日水曜日

後継者 4 - 15

 長官室を出たのは、まだ12時を少し廻った時刻だった。食堂が賑わっている時間帯だったので、ケンウッドはハイネを副長官執務室に連れて行った。局長のランチタイムには早かったし、ハイネ自身が今は大勢の喧噪の中に入る気分ではないはずだ。
  副長官に就任してから自身の執務室に遺伝子管理局長を入れるのは初めてだったろうか。ハイネは入室すると珍しそうに室内を見廻した。秘書が既に昼休みで部屋を出た後だったので、ケンウッドは彼に好きな場所に座ってくれと言い、自身は執務机でやりかけだった書類の後片付けをした。時間つぶしだ。ハイネは来客用の椅子に座って端末をいじり始めた。誰かとメッセージのやりとりをしている様子だったので、ケンウッドは邪魔をしないことにした。
 ケンウッドはコンピュータに他の執政官から連絡が入っているのに気が付いた。開くと、ヘンリー・パーシバルの送別会に引退するエイブラハム・ワッツ・ドーマーや司厨長達ドーマーのお別れ会も兼ねないか、と言う提案だった。ドーマーを愛するパーシバルの送別会にふさわしい提案だと思えた。執政官の中には老いた地球人の引退と病気の執政官の退官は別物だと主張する人もいるが、どちらもお別れ会だ、一緒でいいじゃないか、とパーシバルの声が聞こえて来そうだ。ケンウッドは「賛成」と返信を送った。
 ハイネが端末を仕舞って顔を向けた。

「先ほどの、ゴードン・ヘイワード・ドーマーの病気の件ですが・・・」
「医療区に尋ねてみたのかい?」
「はい。消毒班に心臓の病気が多いとリプリー長官が仰いましたが、私は初耳でした。」
「申し訳ない、ドーマーには教えるなと言われていたので・・・」
「事実ですか?」
「薬品が原因ではないのだ。薬品が原因ならば、妊産婦のドームゲートで働くドーマーに病気が頻発するはずだが、あちらには心臓の障害は出ない。宇宙からの出入ゲートの係官に症状が出る。重力調整の為に減圧したり増圧したりする装置を操作する人々が罹る確率が高い。恐らく、ヘンリーの重力障害と似た病気だと思うのだ。」
「そうですか・・・」

 ハイネはちょっと苦しげな表情を見せたが、すぐ元の平素の顔に戻った。

「医療区のコートニー博士に問い合わせましたら、ヘイワードは長く保って半年だそうです。何故そんなになる迄我慢していたのでしょうね。グレゴリーは気が付いていた様で、何度かヘイワードを医療区に連れて行ったそうです。しかしヘイワードは入院を拒否しました。出来るだけ長く仕事をして、グレゴリーと過ごす時間を持ちたかったようです。」

 ケンウッドはそれを聞いて哀しく思った。

「ドーマー達に働くことしか教えてこなかったドームの責任だよ。疲れたら休養期間を取って休ませてやらねばならないのに・・・ドーム機能の維持が可能なぎりぎりの人数しかドーマーを養っていないから、君達が病気になると代わりがいないんだ。」
「しかし、体の不調を訴えるのは、ドーマー自身の責任ですから。グレゴリーやヘイワードの年代は真面目な人間ばかりで、自身を休ませると言うことを知らない・・・」

 ケンウッドはハイネを見た。

「君もそうじゃないのかね?」
「私ですか?」

 ハイネは微かに苦笑した。

「私は怠け者ですよ。業務中に疲れればすぐ休憩スペースで寝ています。秘書に訊いてごらんなさい。」
「真面目な秘書殿にね・・・」

  ケンウッドは時計を見た。

「そろそろ1時だ。昼食に出かけようか?」
「そうですね・・・」

 ハイネは座ったまま、また室内を見廻して尋ねた。

「ところで、キーラの熊のぬいぐるみはどうされました? 廃棄処分されたのですか?」

 キーラ・セドウィックがローガン・ハイネを前長官サンテシマ・ルイス・リンの魔の手から守る為に監視カメラを仕込んだ熊のぬいぐるみを、ハイネは幽閉が解ける前にケンウッドに譲ったのだ。リンがケンウッドを邪魔者として罠にはめる恐れがあったからだ。
今、副長官室を見廻しても、どこにも熊はいなかった。

「あの熊は研究室に置いてあるよ。助手達の監視になるし、不審な人間の侵入も見張ることが出来るからね。偶に助手が抱っこして遊んでいる。」

 それではキーラも監視を中止しただろう、とハイネもケンウッドも思った。


2017年9月19日火曜日

後継者 4 - 14

 ハイネ局長が来るのを待って、リプリー長官は定時打ち合わせに来ていたケンウッド副長官に翌日の予定を尋ねた。ケンウッドが特に何もないと答えると、長官は局長にも同じことを尋ねた。ハイネは明日何があるのですかと逆に問い返した。

「執政官会議を開く。」

とリプリーは答えた。

「『黄昏の家』の収容者と介護人について規則を少々変えようかと思ってね。」

 リプリーが期待した通り、ハイネは直ぐに彼自身の第1秘書の引退問題だと察した。

「ペルラ・ドーマーの引退が会議の議題になるのですか?」
「彼の引退と言うより、彼が引退を希望する理由だ。」

 長官がケンウッドを見たので、ケンウッドは局長に衝撃を与えなければ良いがと心配しつつ、ペルラ・ドーマーから聞いた話を説明した。

「グレゴリーが引退を希望するのは、彼のパートナーが病気で医療区から『黄昏の家』へ移転するよう勧告されたからなんだ。」

 一瞬ローガン・ハイネが固まった様に思えた。やはり彼は秘書の私生活を知らなかったのだ、とケンウッドは思った。ドーマー達は仕事をする上ではお互いをよく理解し合っている。業務を円滑に進める為に必要だからだ。しかしその反面、私生活において互いに無関心だ。男性社会だし、ドームと言う狭い世界から出ることを許されない彼等にとって、互いの私生活に無関心でいる方がストレスが溜まらないからだ。ペルラ・ドーマーがボスの私生活を知らない様に、ハイネも部下の私生活を知らないのは当然だった。
 やがてハイネが口を開いた。

「ワッツ・ドーマーから、心臓に問題を抱えた消毒班の男を1人、『黄昏の家』に移す、と連絡を受けています。彼がグレゴリー・ペルラの相手なのですね?」
「その様だ。ゴードン・ヘイワード・ドーマーと言う名で、グレゴリーとは20年ほど一緒に暮らしていた。」

 そう言えば観察棟でハイネの世話にかかりっきりになっていたペルラ・ドーマーは一度も同居人の話をしたことがなかった、とケンウッドは思い当たった。徹底した私生活と公的生活の切り離しに、ハイネが部下の恋人を知らなかったのも当然だ。

「グレゴリーは、ヘイワードのそばに付いていてやりたいのだと私に言ったんだ。ヘイワードはあまり長くないらしい。医療区にも確認してみたが、消毒班のドーマー達は薬品の影響で心臓に問題を抱えることが多いそうだ。これは我々が検討しなければならない課題だがね。現在のグレゴリーは、パートナーの容態が何時悪化するか不安でならないのだよ。」

 ハイネが小さく頷いた。部下の現在の心情を理解したと言う意味だろうとケンウッドは解釈した。
 今度はリプリーが話しだした。

「局長、恐らくペルラ・ドーマーはまだ後継者の指名をしていないのだと思うが、違うかね?」
「仰せの通りです。」
「局長秘書の業務は急に教育して出来る仕事ではないはずだ。君には・・・我々ドームには、グレゴリー・ペルラはまだ必要な男だ。しかし、彼に恋人との最後の時間も与えてやりたい。それで、副長官と私は明日の執政官会議で、『黄昏の家』に入るドーマーの規制を少し緩和しようと提案する。収容者のパートナーに限って自由に出入り出来るようにしたい。健康でまだ仕事が出来るドーマーをあの人生の終焉を待つ為の場所に閉じ込めたくないだろ?」
「勿論です。」
「ペルラ・ドーマーの引退は、後継者が確定する迄は許可出来ない。しかし、『黄昏の家』に収容されるパートナーの元に自由に通える許可は与えられるように、規則を変えたい。」

 ハイネが軽く頭を下げた。

「よろしくお願いいたします。」

2017年9月18日月曜日

後継者 4 - 13

 翌朝、ローガン・ハイネ・ドーマーが遺伝子管理局に出勤すると、コンピュータにリプリー長官からメッセージが届いていた。端末に送れば済むものを、と思いながら彼はメッセージを開いた。少し話し合いたい案件があるので、手が空いたら連絡を入れて欲しいと言う。ハイネは別画面でその日処理すべきデータ件数を出した。ちょっと考え込んでから返信した。

ーー11時半にそちらへ伺います。

 リプリーから速攻で返事が来た。了解と言う。まるでコンピュータの画面を開いて待ち構えていたみたいだ。
 秘書2人はいつもの様に何事も変わったことがない顔で業務に励んでいた。時々ペルラ・ドーマーがセルシウス・ドーマーに書類上のミスや改善点を指摘する回数がちょっと多かったが、恐らく彼は後輩を指導しているつもりなのだろう。セルシウスは先輩の決意をまだ何も知らされていないので、五月蠅いなぁ、ぐらいにしか感じていないはずだ。
 ハイネは秘書達を放って置いて、自身の業務を約束の時間迄に終わらせることに専念した。
 11時過ぎに何とかその日の課題をやってしまい、彼はファイルを閉じると部下達に声を掛けた。

「長官に呼び出しを受けた。中央研究所に顔を出してくるから、君達はいつも通り適当に昼休みを取りなさい。」
「わかりました。」
「行ってらっしゃい。」

 ハイネは局長室を出て通路を歩き、ロビーへ出た。中央研究所と行き先を告げて外へ出たところで、噂のネピア・ドーマーとばったり出会した。中東系の家族の子供で、大人しく真面目な男と言う評判だ。部下に指図する立場を望んでいる様に見えないが、本当に秘書志望なのだろうか。秘書がただの書類整理の仕事だとは思っていないはずだが。
 ネピア・ドーマーは局長といきなり出会ったので、びっくりした様子で、慇懃に挨拶した。ハイネは彼の態度に誠実さを感じた。

「ネピア・ドーマー、今日は内勤の日かね?」
「はい・・・抗原注射効力切れは昨日でしたから、今日から3日間内勤です。」
「君の年齢では、もう『飽和』か『通過』を済ませているだろう?」
「はい、37歳で『通過』を済ませました。ですから、効力切れ休暇は本当にのんびりさせていただけて、助かります。」
「君のチームはセイヤーズ捜索で北米にも出かけるのだったな?」
「そうです。南米班ですが、パタゴニア方面担当ですから、北米内陸地方と気候が変わらないだろうと班チーフが北米南部班に協力を申し出たのです。」
「迷惑だろう?」

 ハイネがちょっとからかうと、ネピア・ドーマーはブンブンと勢いよく首を振った。

「とんでもありません! 地球の安全を脅かす様な遺伝子を野放しには出来ませんから!」

 本当に真面目な男だ。ハイネは内心苦笑した。

「セイヤーズは地球征服など考えやせんよ。2年目で捜索の規模を縮小させるつもりだ。後は有志で探させる。」
「有志とは・・・ポール・レイン・ドーマーですか?」
「恐らく、彼と彼の部屋の仲間だな。」

 ネピア・ドーマーはハイネの顔を眩しそうに見つめた。

「私はあの年代が危なっかしく思えて仕方がありません。」
「危なっかしい?」
「ええ・・・何を考えているのか、よくわからないところがあります。」

 そう言えばネピアの班には、クロエル・ドーマーがいたな、とハイネはぼんやり思った。クロエルの斬新な発想にこの真面目な局員は振り回されているのかも知れない。
ハイネは優しくネピア・ドーマーに言い聞かせた。

「私から見れば、君も若い、理解するのが難しい世代だ。固い考えで若者をくくって見ないように。」

 ネピアはハッとした表情で頭を下げた。

「わかりました。気をつけます。」

 ハイネは「じゃぁな」と言って、歩き始めた。恐らくネピア・ドーマーは事務仕事には申し分ない才能を発揮するだろう。問題はあの堅苦しい頭だ・・・。


2017年9月17日日曜日

後継者 4 - 12

 バーは金曜日以外ドーマーが立ち入ることが出来ない場所だ。午後6時に開き、深夜の2時に閉店する。バーテンダーはコロニー人で、宇宙から取り寄せた酒だけでなく、地球上の伝統ある多種多様な酒が置かれている。
 ケンウッドが入店すると、リプリー長官は隅っこの目立たないボックス席に独りで座ってたった1杯のカクテルとつまみ少々を前に置いていた。ケンウッドは同じカクテルを頼み、グラスを持って長官の前に座った。

「複雑な話とは?」

 リプリーはいつも性急だ。ケンウッドは冷たい酒を一口飲んでから、尋ねた。

「何故健康なドーマーは『黄昏の家』を訪問出来ないのでしょうか?」

 リプリーは彼を見返し、暫く黙っていたが、やがて言った。

「私もそれを疑問に感じていた。」
「では、貴方もご存じない?」
「うん・・・長官から長官への申し送りかと思っていたが・・・サンテシマの前任者に問い合わせたことがあった。彼も知らないと答えた。」
「では、理由不明のまま、禁止されていたと言うことですか?」
「月の執行部にも尋ねた。そうしたら・・・」
「そうしたら?」
「意外にも、バカバカしい答えが返ってきた。」
「バカバカしい?」

 リプリーが自身のグラスから一口飲んだ。ちょっと顔をしかめたが、不味そうではなかった。アルコールの刺激が好きでないのだろう。ごくりと呑み込んでから、彼は言った。

「可愛いドーマー達に同胞の死を見せて哀しませたくないからだと・・・」

 ケンウッドは呆れた。同胞の死を看取らせてやった方が、ドーマー達はどんなに喜ぶか。まだ生きている友人に永久の別れを告げるより、ずっと優しくないか?

「何故急にそんなことを聞くのだね?」

 それで、ケンウッドはペルラ・ドーマーの引退希望の理由を説明した。リプリーは哀しそうな顔をした。

「1人、心臓が弱っているドーマーの報告を受けている。コロニーの治療法を受け付けないのだ。ドーマー達は人生の最後に地球人らしく死にたいと言う。我々の延命処置は受けたがらない。ペルラのパートナーは恐らくその男なのだろう。」
「延命処置を受けると、今度は自身がパートナーより長生きすることになります。パートナーを生かそうと思えば、また延命処置が必要です。ドーマー達の世代交代がなくなってしまう・・・彼等はそれも考慮してくれているのです・・・地球人の子孫の為に。」

 リプリーは手で自身の顔を撫でた。汗を拭ったのか、涙を誤魔化したのか。

「自由に行き来出来るようにしてやりたいが、アメリカ・ドームだけの改革で終わらせるのもどうかと思う。次の長官会議で提案しよう。」
「しかし、ペルラのパートナーの命は待ってくれるでしょうか?」
「ペルラには介護の間、あちらに居て良いと言うことにしてはどうかな? ペルラだけでなく、パートナーの居る者達全員にそれを適用してやりたいが、現在のところは彼等だけが該当者の様だ。」

 ケンウッドはリプリーが予想外に柔軟な対応をしたので内心驚いた。そうか、長官職はこの様な権限も持てるのか、と思った。

「ハイネ局長とも相談してみる。これは私に任せてもらって良いかな?」
「ええ、執政官のトップとドーマーのトップで話し合って下さい。」

 リプリーはちょっと微笑んで、グラスの中身を一気に飲み干した。そして咳き込んで、ケンウッドは背中をさすってやるはめに陥った。

「有り難う。」

とリプリーが呻く様に言った。

「何故私がハイネの秘密クラブに入れてくれと言わないか、これでわかったろう?」



後継者 4 - 11

 夕刻、ケンウッドは夕食前に少し運動をしようとジムに行った。着替えて筋トレコースを数分していると、ペルラ・ドーマーがやって来た。彼も運動着だから、先に来ていて副長官を見つけたのだ。
 挨拶の後で、秘書が尋ねた。

「昨夜の私の行動を局長に話されましたね?」
「君が若い連中と夕食を摂ったことかい?」
「会話の内容を彼等からお聞きになったでしょう? 1人、貴方のテーブルに座っていましたから。」

 ケンウッドはマシンを止めて、秘書を振り返った。

「局長から何か言われたのか?」
「後継者の教育には時間をかけろと仰いました。」
「つまり、君に辞めてくれるなと言うことだよ。」

 ペルラ・ドーマーはうっすらと笑った。

「私には私の事情と言うのもあるのですよ、副長官。」
「どこか体調が悪いのか?」
「そうではなくて・・・」

 秘書は頬を少し赤らめて小さな声で言った。

「私にも私生活でパートナーがおります。その彼が引退を決意しました。彼の場合は本当に体調が良くなくて、『黄昏の家』への移動を医療区から勧められています。あちらへ行ってしまえば、彼の体調ではもうこちらへ後進指導に来ることは無理でしょう。健康な者は引退表明しなければ『黄昏の家』を訪問することを許されません。私はパートナーと共に居たいのです。私が動けなくなって向こうへ行く迄、パートナーが生きているとも思えない・・・」

 ケンウッドは胸を突かれる思いだった。ペルラ・ドーマーにも私生活があると、何故今まで思わなかったのだろう? 彼は動揺を隠せなかった。

「グレゴリー・・・何故それを局長に言わないのだ?」
「局長は・・・」

 ペルラ・ドーマーはさらに小さな声になった。

「ずっとお独りでしたから・・・何方とも添われずに孤独に耐えていらっしゃる方ですから・・・」
「馬鹿だなぁ。」

 思わずケンウッドは呟いていた。

「ハイネは仲の良いカップルを引き離すのを何よりも厭うさ。第1秘書の後継はセルシウス・ドーマーが出来るだろう?」
「ええ・・・彼は充分能力があります。」
「それなら、第2秘書を育てる訳だから、君とジェレミーでやれば良い。ちゃんと局長に君の事情を伝えなさい。」

 ケンウッドはペルラ・ドーマーと別れると、更衣室に戻った。端末を取り出してリプリー長官に電話を掛けた。

「長官? 今夜少し時間を取って頂けませんか?」

 リプリー長官はいつものごとく夕食直前まで執務室で業務をしていた様だ。背後で微かに秘書の声が聞こえていたが、内容は聞き取れなかった。秘書は誰かと話している。
 リプリーが尋ねた。

「夕食を摂りながらでは無理かな? 」
「内容をドーマー達に聞かれたくないので・・・」

 ケンウッドは更衣室内に誰か居るかも知れないと思い当たり、急いで付け足した。

「今は聞かれたくないと言うだけで、深刻な話題ではありませんが。」
「複雑そうだな。」

とリプリー。

「夕食の後でバーで一杯やりながらでは、どうかな? 」
「長官は飲めないのでは?」
「カクテル1杯ぐらいなら平気だ。」
「では・・・9時で?」
「いいとも。」

 地球人類復活委員会は、ドームを「誕生の場」と定めている。そこで暮らし働くドーマー達には、死に関わらせないようにしているのだ。ケンウッドはそれがどうしても理解出来ない。生きとし生けるものは全て生まれて死ぬ。死も生の一部ではないのか? 健康なドーマーが「黄昏の家」を訪問して何が悪いのだ? 会いたい人がそこに居るなら、会わせてやっても良いではないか。

後継者 4 - 10

 お昼になると、ペルラ・ドーマーとセルシウス・ドーマーの2人の秘書は前後してほぼ同じ頃に休憩に入った。ハイネはセルシウスの端末にメールを入れた。

ーーグレゴリーは今何処だ?

 多分、セルシウスは何故局長は本人の端末に電話しないのかと疑問に感じただろう。しかしすぐ返信が来た。

ーー一般食堂です。
ーー有り難う。

 ハイネは執務室を出た。いつもより早い休憩に、遺伝子管理局本部ロビーの受付係がちょっと驚いていたが、ハイネは何も言わずに「昼休憩」のチェックを入れて出かけた。そのまま真っ直ぐ一般食堂に行き、入り口から中を伺うと、ペルラ・ドーマーが南米班と中米班の局員が数名固まって座っているテーブルに混ざっているのが見えた。面子はやはり50代の年長者ばかりだ。恐らくスペイン語で喋るグループのはずだが、ペルラは英語で押し通すだろう。
 ハイネは自身の食べ物を取ると、そのテーブルに向かった。彼が子羊のチーズ載せオーブン焼きを無視したので、司厨長がびっくりして見送った。

「ローガン・ハイネ・・・一体どうしたんだ? 体調が悪いのか?」

 ハイネは無視して部下達のテーブルの隣に席を取った。ペルラ・ドーマーの背後だった。南米班の男が1人彼に気が付いたが、ハイネは指を立てて振って見せた。「俺を無視せよ」と解釈した部下は黙って仲間に向き直った。
 ペルラ・ドーマーは若い連中に質問していた。

「君等の中で内勤で部下に指図が出せる役職に興味がある者はいないかな?」
「それって、秘書ってことっすよね?」
「うん・・・地味だがね・・・やり甲斐はあるよ。」
「今朝、北米班の秘書が貴方にやり込められていましたよね?」
「もう噂が広まっているのか?」
「アッと言う間に拡散しますって!」
「普段秘書に押さえつけられてるヤツが面白がって広めるんす。」
「それは恐いなぁ・・・」

 テーブルを囲む男達が笑った。笑いながら、2,3人が隣のテーブルに誰が座っているのか気が付いた。ハイネは仕方が無く、また指を振って見せた。部下達は素直に従ってくれた。
 1人の部下がペルラに言った。

「この中にはいないっすけど、ちょっと若いグループで内勤に興味のある男がいます。」
「若い?」
「ええっと・・・」

 その男は隣の仲間を見た。

「あいつ、フルネームは何だっけ?」
「フルネーム? あいつは名前しかないよ、姓のない親から生まれたから。」

 ハイネもペルラもその返答で、誰だかピンときた。ハイネは心の中で呟いた。

 ネピア・ドーマーか?

 ペルラも確認した。

「ネピア・ドーマーのことか?」

 テーブルの一同が頷いた時、司厨長がハイネの横に立った。

「ローガン・ハイネ、なんで今日に限って子羊のチーズ載せオーブン焼きを無視するんだ?」

 テーブルを囲む部下達が、いや、食堂内に居た全ての人々が振り返った。ハイネは思わず額に手を当ててその肘をテーブルに突いた。

「後で食べるから、置いておけ。」
「否、これは焼きたてを食べる物だ!」

 ジュージュー音を立てる肉を載せた保温プレートがハイネの目の前にドンッと置かれた。ハイネは顔を伏せたまま文句を言った。

「まだ支払っていない!」
「後払いで結構、俺と貴方の仲だ。」

 司厨長はハイネの正面にどさっと座り込んだ。引退を考えているとは思えぬ血色の良い顔で局長の表情を読み取ろうと覗き込んだ。

「どこか具合でも悪いのか?」
「すこぶる健康だ。」
「では、食え!」

 局長、とペルラ・ドーマーの声がハイネを呼んだ。

「盗み聞きした罰です、司厨長のご厚意を受けて下さい。」

 ちぇっ、とハイネは心の中で毒づいた。盗み聞きしながら大好物を食べたくなかったのに・・・。
 司厨長は秘書をチラリと見て、またハイネに向き直った。

「部下の動向を探っていたなんて言わないでくれ、ローガン・ハイネ。貴方に隠密行動は絶対に無理だ。」

 だからハイネは渋々言い訳した。

「たまには部下達の日常会話を聞きたかったんだ!」

 司厨長は彼の肩をぽんぽんと叩いて、厨房に戻って行った。ハイネは彼の後ろ姿にアッカンベーをして、それから料理に向き直るとチーズ料理に襲いかかった。
 ペルラ・ドーマーがテーブルのメンバー達に挨拶して、トレイを持ってボスのテーブルに移動して来た。

「同席許可願います。」
「もう座っているじゃないか。」

 時々子供みたいになる上司に、ペルラ・ドーマーは微笑んで言った。

「候補を数名目星を付けてからお話しようと思っておりました。」

 ハイネは、ケンウッドの懸念が本当だったのだな、と内心落胆したが、表情に出さずに言った。

「教育には念を入れてかかれ。時間がかかってもかまわない。」



2017年9月16日土曜日

後継者 4 - 9

 翌朝、ローガン・ハイネ・ドーマーは定刻に出勤した。既に第2秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーが来ており、仕事の準備をしていた。休憩スペースのお茶の補充も忘れない。第1秘書の姿が見えないな、と思ったら、セルシウスが素早く説明した。

「ペルラ・ドーマーは北米北部班チーフのオフィスへ行っています。昨日の二重死亡届けの件で・・・」

 ハイネはわかったと答え、執務に取りかかった。普通はチームリーダーを連れて来いと班チーフに局長室から指示を出すのだが、ペルラはこの手のミスの場合、局長が新しい業務に取りかかるのを邪魔しないよう、秘書レベルで解決する。秘書が局長室に部下を呼び出す訳にいかないから、自らチーフ執務室へ出向いた。恐らく届け出を局長室に廻した北米北部班チーフ秘書がペルラに叱られるのだ。秘書は内勤専門だから、チーフや部下達が外勤で不在でも執務室に居る。
 ハイネは昨日誕生した赤ん坊のリストを出し、出生確認を行った。予定日を過ぎても生まれない子供の名前を残して生まれた子供の記録を別のファイル「出生届け済み」に移動させた。これで子供達は法律上正式に「生まれた」ことになった。地球人としての権利が保障され、成人後の納税義務が生じる。当然ながら要チェック遺伝子保有者リストを開き、遺伝病の因子を持っている赤ん坊や、地球人が大昔から持っている所謂「超能力」保有者や、ドームが管理対象としない進化型3級、4級などの遺伝子保有者をそこに登録する。この作業にハイネは毎朝2時間を費やす。南北アメリカ大陸で生まれた全ての赤ん坊の遺伝子情報に目を通すからだ。
 次に死亡者リストのチェックだ。地球人の死亡を法的に承認して、遺族の遺産相続権を確定させる。次いで要チェック遺伝子保有者リストから死亡者を削除する。ただし、死者の遺体が何らかの方法で保存される場合は要追跡ファイルに加える。要追跡ファイルは各地の支局に配信され、支局は遺体が登録場所から移動されないか、傷つけられないか監視するのだ。この作業が終わればお昼だ。
 但し、これらの時間割は割り込みの仕事が入らなければ、の話だ。中央研究所の長官や副長官から呼び出しが来れば、出かけなければならないし、クローン製造施設から胎児育成に関して報告があれば話を聞かねばならない。出産管理区からも緊急連絡が入ることもある。収容された妊産婦に異変が起きた場合だ。母親が、または赤ん坊が、最悪の場合は母子共に命を失うこともあるのだ。どんなに科学が進んでも出産は命がけだった。
 遺伝子管理局内でも、部下が相談や報告で面会を求めて来る。聡い部下は局長の手が空く午後に連絡を入れるが、無頓着な者は時間を考えずに何時でも電話してくるのだ。
 幸いなことに、昨日誕生した人数は日平均より遙かに少なかったので、出生確認はすぐに終わった。特殊遺伝子を持つ子供の誕生もなく、ハイネ流に言えば「穏やかな1日の始まり」だった。恐らく出産管理区でも平和な1日だったので、キーラ・セドウィックは1日の終わりにプールに出かけてハイネを見つけたのだ。
 死亡届け承認を始めてすぐにペルラ・ドーマーが戻って来た。その朝初めて局長と顔を合わせたので、互いに挨拶を交わし、ペルラは自身の執務机に着いた。

「昨日の二重届け出があった死亡者の件ですが、報告してよろしいですか?」
「よろしい。」
「どうやらあれは支局のミスではなく、詐欺事件の様です。」

 珍しい言葉に、ハイネとセルシウスはそれぞれ仕事の手を止めてペルラ・ドーマーを見た。

「詐欺と言ったか?」
「はい。死者の2人の息子が別々の支局に父親の死亡届けを出して遺族年金の二重取りを企んだと思われます。警察の仕事ですから、我々はそれ以上は追跡しませんが、市民権登録がマザーコンピュータ上1人1件であることを知らずに、居住地の役所毎に死亡届けを出せば、出した数だけ遺族年金が支払われると考えたようですね。」
「届け出を受け付けた局員も複数か?」
「はい、それもわざわざ支局巡りの局員が別人であることを確認した上での犯行です。」
「チームは同一なのか?」
「はい。ですから、まとめたチームリーダー秘書の見落としですから、厳重に注意しておきました。」
「わかった。ご苦労だった。」

 ペルラは軽く頭を下げて、今日の仕事に取りかかった。70歳を過ぎようとしているが、彼はまだ現役を続けられるはずだ。ハイネは昨夜のケンウッドの言葉を思い出し、副長官の杞憂ではないかとふと思った。ペルラ・ドーマーが引退を考えているのではないか、とケンウッドは懸念を抱いたのだ。
 ペルラ・ドーマーは「死体クローン事件」と言う30年以上前に起きた事件の捜査で大怪我を負い、外勤務の局員から引退を余儀なくされた。それから内勤で頑張ってきた。ハイネは「死体クローン事件」の時は内務捜査班の捜査官だった。入院中のペルラを見舞いがてら事情聴取したのだ。その時、怪我で弱っているにも関わらずペルラ・ドーマーがきちんと情報を整理して証言したことに感心した。それ以来、内務捜査班の仕事で中央研究所に提出する報告書は内勤職員が清書するので、ハイネはいつもペルラに依頼した。局長就任が決まった時には、すぐ第1秘書の任をペルラに要請したのだ。
 思えば30年以上の付き合いだ。ハイネはこの部下をまだ手放したくなかった。




後継者 4 - 8

 食べた物が胃の中でこなれてきた様なので、ケンウッドはやっと重い腰を上げてジムに行こうとした。立ち上がってトレイを持ち上げたところへ、ハイネ局長とクロエル・ドーマーを引き連れたヤマザキ医師が食堂に入ってきた。和やかな雰囲気が漂っていた。ケンウッドは運動をさぼる口実を発見した思いで、また椅子に座った。空席を探してこちらを見たヤマザキに手を揚げて見せると、医師は頷いた。
 ケンウッドは「使用中」のタグをテーブルに置いてトレイを返却し、新しい珈琲を取って席に戻った、ほどなくヤマザキ達がやって来た。これからディナーのハイネは肉料理に野菜たっぷりのスープ、ヤマザキは米を使った香辛料の利いたスープ、ディナーを済ませたクロエルはチェリーパイと珈琲だった。この3人はどんな状況で出会ったのだろうと思いつつ、ケンウッドは「やぁ」と声を掛けた。

「クロエル・ドーマーの髪が濡れているところを見ると、水泳の後かな?」
「ご明察。」

 ハイネが答えた。先に喋っておかないと、クロエルとの勝負で無理をしたとヤマザキから告げ口されると思ったのだ。 彼は若者を振り返って言った。

「速く泳ぐので、年寄りはついて行けなくて・・・」
「局長も速かったっす。」

 クロエルの話し方はいつもリズミカルだな、とケンウッドはふと思った。ハイネがオペラなら彼はラップだ。
 白いドーマーと珈琲色のドーマーが並んで泳いでいたのか、とケンウッドはちょっと想像してみた。
 遺伝子管理局の中堅局員グループは既に解散して食堂から姿を消していた。今テーブルに居るのは主に維持班のドーマー達だ。時間的にハイネを見かけることはあってもクロエルにはあまり出会う機会がないので、ちょっと注目を集めた。クロエルは南米班なので、外勤に1回出ると1週間はドームに戻って来ない。だから彼の姿を見られて喜んでいるファンもいるのだ。陽気で可愛らしい若いドーマーは既にアメリカ・ドームの新しい人気者になっていた。
 クロエル本人はハイネを何度も見る。ケンウッドはそれに気が付いた。

「クロエル・ドーマーは局長のファンなのかな?」
「当然でっしょ!」

 とクロエルが力強く答えた。

「局長はいつも全力で僕ちゃんの相手をして下さいます。手加減なさらないから、僕ちゃんすっごくやる気出ます。」
「君にやる気出されちゃ、こっちは心配でならないよ。」

とヤマザキがぼやいた。

「ハイネが83歳だって覚えておいてくれないか、坊や。」
「は・・・83?! 80じゃなくて?」

 クロエル・ドーマーが目をピンポン球みたいに見張ったので、ケンウッドとハイネが大笑いした。クロエル自身も笑いながら、長老に謝った。

「でも83歳の人が食べる量じゃないっすね?」
「そうか? 歳を取ると満腹感を覚えなくなるそうだ。」

 ハイネの冗談に医者が渋い顔をした。彼はハイネの振る舞いが時々本当に年齢からくる衰えが原因なのか冗談なのか判断出来なくて困惑させられるのだ。
 ケンウッドはヤマザキほどには心配していないが、それでも気遣いはした。

「ハイネ、医者を虐めては駄目だよ。」

 ハイネは眉を上げて見せた。何故叱られるのだ、と言いたげだ。ケンウッドはもうそれぐらいで許してやろうと思ったので、先刻まで近くに居た彼の部下の話題を出した。

「さっき迄ペルラ・ドーマーがそこで食事をしていたんだ。遺伝子管理局の中堅局員達のグループが先に来ていたのだが、彼はそこへ入って行った。後で1人が私のテーブルにご機嫌伺いに来てくれたので、グレゴリーが何の話をしたのか聞いてみたんだ。彼にしては若い連中の集まりに入って行くのが珍しく思えてね。」

 ハイネが口をはさまなかったので、ケンウッドは続けた。

「グレゴリーは局員達に、報告書のまとめ方が上手いヤツや上司の行動の先読みが上手いヤツを聞き出そうとしていたそうだよ。」

 ハイネが食事の手を一瞬止めたが、すぐに動きを再開した。彼は肉をよく嚼んで呑み込んでから感想を述べた。

「それは一大事です、副長官。」



後継者 4 - 7

 同じ時刻、遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーは医療区の水泳プールに居た。ドームの中は通年気温が一定に保たれているので、水泳も年間通して出来るのだが、夏の終わりになると差し込む日差しの角度が低くなり、ちょっと泳ぐには涼しい気分にさせる。しかしハイネは夜に泳ぐので全く気にしなかった。彼が利用するリハビリ用プールは出産管理区の隣にあり、実は出産管理区に収容されている女性達のプールと植え込みで隔てられているだけだ。ちゃんと監視員が居て、ドーム住人の男達が女性の聖域に侵入しないよう見張っている。ハイネが医療区のプールを使うのには理由があった。一般の運動施設のプールを使うと若いドーマー達が彼に遠慮してしまうのだ。何故特別扱いされるのかハイネには理解出来ないが、水から揚がると大抵プールサイドに見物人が居て彼の泳ぎを眺めている。他の運動施設でも同様なので、彼は同胞が利用しない遅い時刻に運動する習慣が身についていた。
 ハイネが平泳ぎで3往復して水から揚がると、何故か見物人が1人いて、彼と目を合わせてにんまり笑った。

「こんばんは、局長。いつ拝見しても綺麗なフォームですね。」
「こんばんは、クロエル・ドーマー。君がここに居ると言うことは、面会日だったのか?」

 異色の経歴を持つドーマー、クロエルには「養母」が居る。彼が幼少時、南米の分室でペット扱いされていた時に、視察に訪れて地球人類復活委員会に通報した女性だ。彼女はその後、クロエルの余りの愛らしさに心を奪われ、養子に欲しいと申請を出した。しかし地球人保護法に阻まれ、法的な手続きは不可能だとわかった。諦めきれない彼女は、クロエルが北米にあるドームに引き取られてからも年に何回か訪問して「母と子」の時間を持った。あまりの熱心さに委員会も折れて、非公式ながら養子を認めたのだ。
 他のドーマー達には母親の存在を意識しない教育を施しているドームとしては、開けっぴろげに母性を公開して欲しくなかったので、クロエルと養母は出産管理区と医療区の境目の医療区側で面会することが多かった。
 クロエルはハイネの質問に目尻をトロンと下げて頷いた。

「はい、おっかさんとさっき迄一緒にご飯食べてました。」

 母親を知らないハイネには、女性執政官と食事する程度の認識しかなかった。つまり、デートだ。

「おっかさんはまだ優しいか?」
「ええ、僕ちゃんにいつもメロメロですよ。今日は新しい時計をくれたんです。ダイバーズウォッチって、水陸両用です。」
「宇宙製だろう? 水中でも使えるものをわざわざ宇宙で作るのか?」
「宇宙にだって水はあるでしょ?」

 クロエルは自慢げに腕時計を見せた。多分、宇宙空間活動用機密服を着用しても使用出来るのだろう、とハイネは思った。

「おっかさんはもうゲストハウスへ入ったのか?」
「いえ、彼女はいつも泊まらずにシャトルの最終便で月へ帰っちゃいます。あっちに娘さんがいるので。もうお孫さんも出来るそうですが。」

 我が子がいても養子が欲しい。女性とは不可思議だな、とハイネは思った。男は自身の遺伝子を受け継ぐ子供しか必要ないと思うのだが、それは生物としての雌雄の違いなのだろうか。だが、それなら取り替え子の男の赤ん坊達を養子に迎えてくれる大勢の独身男性達は、母性の欠片を持っているのだろうか。
 ちょっと物思いに沈みかけたハイネに、クロエルが陽気に声を掛けた。

「局長、僕ちゃんと一泳ぎ、競争してみませんか?」

 ハイネは若者を見た。服の上からでもクロエルの逞しい筋肉が見て取れた。水泳よりは格闘技に向いている体型に思えたが、彼は頷いて挑戦を受けた。視野の片隅に、出産管理区側の植え込みの向こうからこちらを見ているキーラ・セドウィック博士の姿を捉えたからだ。彼女が何者であれ、女に「いいところ」を見せたいのは男の常だった。
 クロエルはプールサイドの更衣室で素早く着替えて出て来た。
 プールサイドに並んで立ち、号令をクロエルに任せて、2人の男は水中に跳び込んだ。
クロールで50メートルを10往復すると、ハイネは息苦しさを感じた。クロエルの体が少し前を行くのが水中でも見えたので、負けじと頑張ったが、無理な様だ。彼は素直にギブアップしてプールサイドに手を掛けた。誰かが彼の手を掴み、引き揚げた。
 自身でも情けないほど咳き込んでしまい、よく知った声が彼を叱った。

「君の肺は弱っていると言っただろ、局長。若い者の挑戦をお気軽に受けるんじゃない!」

 ヤマザキ医師がぶつくさ言いながら彼の背中をさすった。クロエル・ドーマーが水から揚がってくる気配がした。

「大丈夫すか、局長?」
「大丈夫だが、気分は最低だろうね。」

とヤマザキ。ちょっと笑っていた。

「君の勝ちだ。」

とハイネは咳が収まったので、なんとか口が利けた。

「泳ぐのも速かった。」
「だけど、局長がベストの体調だったら、僕ちゃんはまだかなわないすよ。」

このガキ、一人前にフォローしやがる、とハイネは心の中で呟いた。 クロエルはヤマザキ医師と近くに立っていた保安課員に言った。

「局長は速かったす! 僕ちゃん必至で水の中で逃げたんすよ。僕ちゃんはいつも全力出しているのに、局長は絶対に許してくんないす。」
「クロエル・ドーマー・・・」

と保安課員が口を開いた。

「君は局長に勝ったのに不満なのか?」
「だって、彼は万全の体調じゃないのに僕ちゃんは追い込まれたんす。悔しいっす。」

 ハイネは呆れてものが言えなかった。こいつ、素直に己の勝ちを認めないのか?
ヤマザキが医者らしく若者に言って聞かせた。

「君がどう思うと、ハイネはこれが限界だ。それがわかっているから、彼は途中で棄権したんだよ。君を勝たせるために止めたんじゃない。」
「こいつは年寄りを虐めたいんですよ。」

とハイネが冗談を言った。彼は視野の隅からキーラ・セドウィックが消えているのを確認した。

「いつも全力でかかってくるから、私まで調子に乗ってしまう。」
「調子に乗る前に戦線離脱しろよ、さもないと本当に死ぬぞ。」

 ハイネが横目でヤマザキを見た。

「貴方がここに来たのは、密告があったからでしょう?」
「密告?」
「プールで爺が若造と無謀な競争をしていると・・・」

 プッとヤマザキが吹き出した。

「キーラは君を心配しただけだよ。」
「・・・やはり・・・」
「彼女も医者の端くれだ。君の肺がハードな運動に適していないことを知っているのさ。」

 彼はクロエル・ドーマーとハイネに着替えて夜食に行かないかと声をかけた。2人のドーマーがそろって頷いたので彼は念のために尋ねた。

「まさか、2人共空腹のまま泳いだんじゃないだろうね?」
「僕ちゃんは食べました。」
「私はまだ何も・・・」

 医者の目が光った。

「ハイネ! 完全な空腹時の水泳は御法度だ!」






2017年9月15日金曜日

後継者 4 - 6

 夕食時、ケンウッドは午後6時半に一般食堂へ行った。彼は中央研究所の食堂よりこちらの方が好きだ。賑やかで、大勢のドーマー達に混ざって食べていると、耳新しい情報なども自然と得られる。ドーマー達は副長官がそばに居ても気にしないで幹部の批判をしたり、仲間同士のゴシップを喋っている。男ばかりだから、それほど姦しくもないのだが、時々大声で怒鳴り合うこともある。そんな場合はすぐに誰か腕に覚えのある者が居て止めに入る。
 食べ終わる頃にケンウッドは、物静かな男を見つけた。局長第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーがあるグループのテーブルに近づき、仲間に加わった。局長室では、ボスのハイネが一番最後に部屋を出るので、秘書が先に仕事を終える。第2秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーはまだジムで運動中らしい。グループは遺伝子管理局の中堅局員達で40代から50代後半の男達だ。チームリーダーと呼ばれる幹部ではなく、平の局員ばかりで、内勤の日らしい。遺伝子管理局の局員は普通2日支局巡りで外勤務をして、1日抗原注射効力切れ休暇を取り、3日間内勤で集めた申請書などの審査をする。彼等の1週間は6日なのだ。ペルラが加わったのは内勤中の局員なので上着なしのラフな姿だった。彼等もジムから戻ったところだ。
  ケンウッドは何となく違和感を覚えた。何がどうなのか説明出来ないが、いつもと違う様な気がした。それでゆっくりと食べて、食べ終わるとテーブルに「使用中」のタグを置いてデザートを取って来た。秋が近づいているせいか、葡萄のゼリーを使った冷菓だった。ふとパーシバルとの別れ迄一月切ったことを思い出し、彼は寂しく感じた。
 ドーマーのグループもそろそろ食事を終える頃で、2人ばかりが仲間に何か言って席を立った。トレイを返却カウンターに持って行き、1人はそのまま食堂から出て行った。もう1人はカフェイン抜きの珈琲を取り、ケンウッドの所へやって来た。

「副長官、今晩は。」
「今晩は、カシアス・ドーマー。」

 目で同席の許可を求めて来たので、ケンウッドは頷いて見せた。カシアス・ドーマーは博士の正面に座った。

「パーシバル博士は今日は一緒じゃないんですか?」
「うん、私の仕事が手間取ってね、置いてきぼりを食ったのさ。」
「あの先生はお腹が空くと我慢出来なくなる人だから。」

 2人は静かに笑った。

「僕等、あの先生が好きです。どうしても月へ行かれるのですか?」
「重力障害でね、彼は運動嫌いだったのだが、それが災いしてしまった。病気でなければ彼は死ぬまで地球に残ると言うだろうが・・・」
「ファンクラブを作ってもらった若手達は本当に寂しがっています。ポール・レイン・ドーマーはずっと不機嫌です。セイヤーズがまだ見つからないのに、パーシバル博士までいなくなるなんて。」
「レインは芯は強いから大丈夫さ。」
「あの男は甘えん坊なんですよ。」
「ヘンリーには安心して甘えられるか・・・」
「あの先生は見返りを求めませんから。」

 だろうな、とケンウッドはまた笑った。パーシバルは美男子好きだが、言葉を交わせれば満足出来る男だ。それ以上は求めない。相手の体に触ったり、私生活に口を出したりしない。だからドーマー達は安心してパーシバルに近寄っていく。
 ケンウッドは話しの流れに乗って、今さきまで気になっていたことを尋ねてみた。

「ペルラ・ドーマーは君達とよく一緒に食事をするのかね?」

 カシアス・ドーマーが先刻まで自身が座っていたテーブルに目を向けた。

「いいえ、あの方は僕等より10歳以上年上ですから、普段は同じ世代の方と一緒のはずです。今夜は突然声を掛けて来られたので、正直なところ僕は驚いたのです。」

 通常、遺伝子管理局の秘書は平のドーマーが採用される。現役時代の有終の美を飾る職場と陰口を叩かれるが、現役局員時代の内勤が上司の採点基準になっているのは確かだ。仕事ぶりを見て、上司達は誰が秘書業に向いているか判定する。秘書は班チーフ、チームリーダーやその副官に各1名認められている。身分的には平だが権限は幹部級だから、多くの遺伝子管理局員にとってはチームリーダーと同じぐらい憧れの地位だ。しかし、仕事内容が地味なので目立たない。
 局長秘書ともなれば、格は班チーフに匹敵する。秘書達の中で中央研究所の食堂を単独で利用出来るのは局長秘書の2人だけだ。平の局員からすれば、声を掛けてくれることも滅多にない人なのだ。それが今夜は同じテーブルに着いて一緒に食事をしたので、カシアス・ドーマーも訝しく思っていた。
 ケンウッドはさらに質問してみた。

「彼はどんな話題を持って来たのかな?」
「話題ですか? 特に・・・報告書のまとめ方の上手いヤツとか、上司の動向を見て次の指図を見当付けるのが上手いヤツとか、そんな話を僕等から聞き出そうとしてましたね・・・なんだか変だな・・・」

2017年9月14日木曜日

後継者 4 - 5

 世代交代の時期と言うものが一気にやって来た感があった。ドーム幹部が、サンテシマ・ルイス・リン長官からユリアン・リプリーに、リプリー副長官からニコラス・ケンウッドに交代したのを手始めに、ドーム内部で多くの人々が異動した。リプリー長官による粛正でリン前長官のシンパだった人々が降格や転属させられ、新しい人が空いた地位に就いた。重力障害で引退を余儀なくされたヘンリー・パーシバルの研究室は弟子が引き継ぐことになった。新しい学者が他所から来るよりよっぽどましだ、とパーシバルは言った。
彼は研究の引き継ぎよりもドーマー達のファンクラブの運営を任せる後継者選びに苦労していた。ドーマーをただ愛でるだけの管理者は要らない、ドーマー達の健康を気遣い、仕事の便宜を図ってやれる力量のある人物でなければならなかった。
 ドーマー社会も世代交代を迎えていた。現役ドーマーの最長老ローガン・ハイネは若さを保つ進化型1級遺伝子のお陰でまだ70年はやれそうだったが、彼より年下のドーマー達はそうはいかなかった。
 ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツは視力や聴力の衰えを自覚していた。コロニー人達は最新技術でそれらを補える装置があると彼に言ったのだが、ドーマー達は一般の地球人と同じ様に歳を取ることを選んだ。だからワッツは目下若い部下達にいくつか課題を与え、一番彼の満足のいく結果を出せた者を次期総代に推薦するつもりだ。
 ハイネと喧嘩をするのが生きる張り合いみたいな一般食堂の司厨長も引退を考えている。料理をするのも重労働だ。刻んだり煮込んだりするのはロボットに任せるが、仕上げは人間がする。大人数の食事を24時間体制で作るドームの食堂は、戦場みたいなものだ。次から次へとやって来る客を満足させる為に、四六時中働いていなければならない。司厨長は総監督だから、気が抜けない。だから彼はそろそろ一般食堂を卒業して「黄昏の家」で働きたいと維持班総代ワッツに申し出ていた。彼の場合、後継者候補は3名居て、誰に継がせるか、若い部下達の投票で決めたいと言ってきた。
 遺伝子管理局長室でも、世代交代の波が押し寄せて来た。
 その日、ハイネは日課の死亡者リストの最終確認をしていた。地方の役所が受け付けた死亡届けを支局が集めて本部に電送して来る。支局の担当者の局員達がそれをチェックして不審な案件がないと判断すると局長室に電送する。局長はそれをざっと目を通して承認の連絡を局員に返信する。局員は支局に承認連絡を送り、支局が「死亡認知」と「死亡証明」を役所に送り、初めて人々は「死んだ」ことになるのだ。遺伝子管理局の「認知」が出なければ、遺族は、葬儀は勿論遺産相続も出来ない。ハイネが毎日「ちょっとした一仕事」感覚でやっていることが、実は市井で暮らす人々には大変重要な意味を成すのだ。
勿論、ハイネは軽々しくやっているつもりはない。ただ彼のところに廻って来るデータは部下達が既に厳重なチェックを行った後のものだから、彼は承認印を画面で入れるだけなのだ。
 ある死亡者の名前に見覚えがあることにハイネは気が付いた。死亡届けの2重提出か? と思われたので、第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーに、最近の北米北部班担当で過去4日間のデータの中から頭文字L・Sのリストを検出して自身のコンピュータに送ってくれないか、と声をかけた。
 珍しくペルラ・ドーマーは返事をしなかった。ハイネが秘書のスペースを見ると、ペルラ・ドーマーは忙しなく自身のコンピュータを操作している最中だった。部下の仕事を無理に中断させるのを好まなかったので、ハイネは第2秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーを見た。セルシウス・ドーマーは上役のペルラが局長に声を掛けられたのに無視していることが気になっていた。彼はハイネの視線を感じると、ペルラ・ドーマーに声を掛けた。

「ペルラ・ドーマー、局長がお呼びですよ。」

 2回も同じことを繰り返し、やっとペルラ・ドーマーが振り返った、

「何か言ったか、ジェレミー?」

 セルシウス・ドーマーは面食らった様子で、上役に繰り返して用件を告げた。

「局長が貴方をお呼びですが?」

 ペルラ・ドーマーはハッとした表情をした。うろたえるのを見て、ハイネは小さく溜息をついた。

「疲れているのか、グレゴリー?」
「いいえ、決してその様なことは・・・」

 ペルラ・ドーマーは目を伏せた。

「ちょっと考え事をしておりました。申し訳ありませんでした。ご用件は何でしょうか?」



2017年9月12日火曜日

後継者 4 - 4

「呼び方は『お父様』で良いんじゃないか?」

とヤマザキが言った。

「但し、キーラ博士だけでなく、出産管理区の執政官全員に呼ばせるんだよ。遺伝子管理局長を指す隠語として定着させちゃえば、問題ない。」
「誰が定着させるんだ?」
「僕がキーラにそれとなく勧めておくさ。」

 するとハイネが質問した。

「この中で、父親になっている方はいらっしゃいますか?」

 ケンウッドは思わず首を横に振った。パーシバルも身に覚えがない。ヤマザキも独身で交際している女性はいるが、子供はいなかった。

「なんだ、この4人の中で父親なのは、父親になってはいけないドーマーだけなんだ。」

 パーシバルのぼやきに、残りの3人は思わず笑った。
 ケンウッドが時計を見た。

「そろそろ研究室に戻るよ。まだ報告書の作成途中だったんだ。」
「それは悪かった・・・」

とヤマザキが悪びれた様子もなく口先だけで謝った。ハイネもアパートに帰って寝ると言ったので、解散となった。
 アパートに向かって歩くハイネとヤマザキと森の出口で別れ、ケンウッドとパーシバルは中央研究所に向かった。
 パーシバルが呟いた。

「 ハイネは長年胸の内に秘めていたものを放出したので、かなり晴れやかな表情になった様だな。」
「彼はそれとなく私達にキーラの正体をほのめかしていたよ。隠しきれないでぽろりと出したのか、それとも私達に謎を解いて見ろと挑戦していたのか・・・」

 するとパーシバルはケンウッドに尋ねた。

「まさか15代目が君に教えた内緒話とは、彼女のことじゃないだろうな?」
「彼女のことはほんの一端さ。15代目が私に話してくれたのは、昔の執政官達がハイネを可愛がり過ぎた挙げ句、彼の心を傷つけたことだ。コロニー人の驕りだ。善意や愛情のつもりで地球人を苦しめていることを気づけ、と言う忠告だった。」
「失恋のことだけじゃないのか?」
「さっきの失恋の話は、ハイネの側からの視点だけだったろ? 15代目は言ったんだ、マーサ・セドウィックは、他の女性執政官達から密告されたと。」
「密告?」
「月の委員会に、特定のドーマーと深い仲になっていると通報されたんだ。マーサは自分の意志で地球を去ったんじゃない、召喚されたんだよ。だが、月での諮問で妊娠を隠し通したのだろう。もし委員会に知られたら、赤ん坊を取り上げられる恐れがあったから。」
「もしや、その密告者が現在執行部にいるとか?」
「シュウ副委員長もその1人だそうだ。」
「ああ・・・それでサンテシマの弾劾会議の時、キーラが嫌な目つきで副委員長を睨み付けていたのか・・・」
「他にもいろいろあったが・・・」

 ケンウッドは空を見上げた。中空に月が浮かんでいた。

「あまり語ると、君が月で生活していくのに、嫌気が差すだろうし・・・」
「うん・・・聞かないでおくよ。有り難う。」

 パーシバルは微笑んだ。

「ところで、僕は最近、女性にも興味が出て来たんだが、それは彼女が僕のお気に入りのドーマーに似ているからかなぁ?」


後継者 4 - 3

 ケンウッド達はハイネの次の言葉を待った。しかし、ハイネはそれきり黙ってしまった。仕方なくパーシバルが催促した。

「それで?」
「それでとは?」

とハイネ。

「それで終わりです。」
「君とキーラ・セドウィックの関係は?」
「彼女は出産管理区の執政官です。私はドーマーです。それ以上でもそれ以下でもありません。」
「しかし、ハイネ、彼女はマーサ・セドウィックの娘なのだろう? そして彼女はマーサがコロニーに帰ってから出産した子供だ。しかも、君によく似ている・・・。」

 ハイネは、うざいなぁ、と言う表情をした。

「私は井の中の蛙ですが、そこそこ宇宙では知名度があることぐらい知っています。春分祭の度に観光客がやって来て、私に話しかけます。彼等は私の母親のオリジナルを知っている、とか、遠い親戚だ、とか、白い髪の一族に会ったことがある、とか、そんな話をするのです。私に似ているからと言って、血縁関係があるとは限りません。」

 ケンウッドは不思議なものを見る気分でハイネを見た。今、ハイネはキーラ・セドウィックに対して非常に冷たい見方をしている様に聞こえた。御落胤を名乗る者を切って捨てる様な、そんな態度に思えた。それなら、しかし過去にケンウッドが見た保安課のモニター画像の中で彼が彼女に対して見せた優しい態度は何なのだろう? キーラが彼を抱き締めたり、キスをしたりしても怒らずに好きにさせていたハイネは、何を考えていたのだろう? お誕生日ドーマーとして振る舞っていただけなのか?
 パーシバルが臍曲がりのドーマーに辛抱強く語って聞かせた。

「地球人の女性に女の子が生まれないのは事実だ。しかし、彼女達はクローンだ。恐らくクローンであることに女子が生まれない原因があると推測されているが、まだ何が良くないのか発見に至っていない。
 一方、コロニー人の女性は地球人の男性との間に女子を生める。ただ、彼女達は生まれた子供を地球人にしたくない。地球の汚染が人間の寿命を縮め、女子を生めなくしたのは事実だからだ。だからコロニー人の女性は地球人と結婚しないし、子供を地球人に渡さない。
 これは僕の勝手な憶測だから、この後で忘れてもらってもかまわないが、マーサ・セドウィックは君の子を身籠もってしまったのだ、きっと。彼女は子供を産みたいと思い、しかし地球人には渡したくなかった。そして恐らく地球人類復活委員会にも知られたくなかったんだ。何故なら、子供の父親は君だからさ。委員会はドームに閉じ込めて大事に育てているドーマーに子供が出来れば、きっとその子も欲しがるはずだ。進化型1級遺伝子保有者の子供だからね。
 だからマーサは誰にも知らせずに出産してシングルマザーとして子供を登録し、育てたんだ。そして子供だけには、地球にいる父親のことを語って聞かせたのだろう。それでキーラは大人になってから地球に下りて来た。
 彼女は分別を持っているだろう? きっと母親からドーマーがどんな家族観を持たされて育つのか、聞かされていたのさ。だからコロニー人の娘が父親に対するような甘え方を彼女はしない。友達として付き合っている、そうだろう、ハイネ?」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは溜息をついた。

「ドーマーは子供を持つことを許されないのです、ご存じですよね? 子供を持ちたければドームから出なければならない。しかし、私は一歩でも外へ出ることを許されなかった。ですから、子供だと名乗られても困るのです。どの様に扱って良いのか、わからないのです。」

 ケンウッドはパーシバルとヤマザキの2人と顔を見合わせた。ハイネは心の奥ではキーラを我が子と認めているのだ。だがドーマーとして育った男達は子供を持った経験がない。先例がないので、ハイネは何をどうして良いのかわからぬまま、30年キーラと友人関係を保ってきた。周囲が彼女に余計な興味を持たぬ様に、細心の注意を払いながら。

「今のままで良いんじゃないか。」

とケンウッドが言った。

「彼女とずっと友達のままでいたまえ。彼女もそれ以上は望んでいないはずだ。大人なのだし、仕事仲間でもあるのだから、親子の情は却って邪魔だろう。」
「一つ、僕から注意したいことがある。」

とパーシバルがハイネに言った。

「春分祭の夜、僕が倒れて、彼女が君に救援を要請した時だ。彼女が君を『お父様』と呼んだような記憶がある。もし事実なら、彼女にそれは止めさせろ。他人が冗談だと思ううちは良いが、真実だと気づいたら、噂はすぐに広まる。」


2017年9月10日日曜日

後継者 4 - 2

「女性執政官達は誰か仲間の誕生日が近づくと、その誕生日を迎える女性に尋ねるのです。『どのドーマーが欲しいか?』とね。そして返答をもらうと、彼女達は『お勤め』の候補リストを遺伝子管理局に出します。勿論、『お勤め』の出頭命令を出すのは遺伝子管理局長です。」
「つまり、局長はそのリストの意味を知っている訳だな?」
「そうです。先代からの申し送りで知っています。」
「それで、誕生日の女性執政官に必ず指名したドーマーが籤引きで当たるのか?」
「女性執政官の誕生日には、女性執政官達しか籤に参加出来ないのです。」
「ぬあに?」
「誕生日の女性が外しても、彼女の希望のドーマーを引き当てた女性が譲ってくれます。」
「それじゃ、『当たり』のドーマーをもらった女性は何をするんだ?」
「それはその女性次第ですよ。一緒に食事をしたり、一緒にジムで運動をしたり・・・アパートに連れ込んでも良いのです。」
「嘘だろ? 女性アパートは男子禁制だぞ!」
「女性達全員が許可したら、かまわないそうです。」
「うっそーーー!」

 ケンウッド達は開いた口が塞がらなかった。何故女性だけがそんな役得を持っているのだ? ここが女性が生まれない惑星だからか?

「アパートに連れ込んで何をするんだ?」

 既に男達は興奮状態になりかけていた。想像しているのだろう。ローガン・ハイネは詳細を語るのを避けた。

「それは人それぞれですから・・・想像なさっていることもするでしょうねぇ・・・」

 ケンウッドは額に手をやった。

「それは・・・地球人保護法に思いっきり違反している・・・」
「ドーマーは虐待を受けたと思っていませんから、告訴しません。ですから、違反行為になりません。また、他人に見られることもありませんから、やはり違反行為になりません。」

 パーシバルが答えを聞くのが恐いと言いたげな表情で、恐る恐る尋ねた。

「キーラの母親はお誕生日ドーマーに君を指名したのか?」
「指名したのは、マーサ・セドウィックだけではありませんでしたよ。シュウ副委員長もいましたし、当時の女性執政官の8割は私を指名しました。」

 ハイネはとんでもないことをサラリと言ってのけた。

「8割? 」

 ケンウッドが思わず確認した。

「8割とは、約20名はいるだろう? 昔も現在も女性の人数はほぼ同じだ。」

 ええ、とハイネは平然と認めた。

「今でも年に20回は呼ばれます。」
「呼ばれる・・・? ちょっと待て、ハイネ、君は『お勤め』のないドーマーだろう?」
「私はそんなことを言った覚えは1度もありませんよ。貴方方男性執政官達が勝手にそう思い込んでいるだけです。」

 呆れて物が言えない、とはこのことだ。ローガン・ハイネはちゃんと中央研究所でドーマー本来の仕事をしていたのだ。考えれば、執政官が提出する「お勤め」リストを審査して不適格なドーマーを外すのは、遺伝子管理局長の仕事だ。ハイネは自身の名前が男性執政官が作成したリストに書かれたら刎ねてしまうだけだ。恐らく、彼が女性の相手をしていたので、歴代の局長も彼の名をリストから削除していたのだ。

「それで・・・」

 気を取り直したヤマザキが話を振り出しに戻した。

「それで、君はマーサ・セドウィックのお誕生日ドーマーをした時に、失敗したのか?」

 ハイネはジロリと彼を見た。

「マーサは誕生日以外にも私を『お勤め』に呼んだのです。私の記憶では5回です。私は彼女に愛されていると思い込んでしまいました。悔しいことにね。自惚れていたのでしょう、私は。反対に彼女は私のものだと思い込んだのですよ。ところがある日、彼女はいきなり宇宙へ還ってしまったのです。」






後継者 4 - 1

 みんな時間がもっとゆっくり過ぎてくれないかなと思いながら、初夏を迎えようとしていた。夏が終われば、お別れの日はすぐに来るだろう。月は頭上に見えている天体だし、シャトルで数時間もあれば往来出来るが、地球人は地球から出ることを禁止されているし、コロニー人も宇宙連邦移民局の許可証がなければ無闇に地球に下りることは出来ない。地球が汚染されるのを避ける目的が一番だが、他にも理由がある。地球はコロニーよりも遙かに広大だ。宇宙から逃げて来た犯罪者が身を隠す場所がいくらでもある。だから、宇宙連邦の治安当局は地球に下りる人間を厳重にチェックする。ドーマーにとって、月は目の前にあっても絶対に手が届かない世界だ。

 でも大昔からそうだったんだ・・・

 ケンウッドは地球に伝わる月にまつわる伝説や昔話を思い出しながら、夜空を見上げた。ドームの透明な壁の遙か上空に明るい月が浮かんでいる。人工の森の東屋では、いつものメンバーが座っていて、軽い夜食を摂っていた。食堂とアパート以外で飲食が許されるのは、この場所ぐらいで、大人気のデートスポットなものだから、空きがあるのは滅多にないことだ。偶然ヤマザキが見つけて、仲間に電話して呼び寄せた。

「月見と行こうぜ。」

 月を愛でるのは、日本人ぐらいだろう、とパーシバルが言ったが、彼は月光に輝くハイネの白髪が美しかったので、それ以上文句を言わなかった。ヤマザキは医療区から直接来ていたので、医療関係者の制服を脱いだだけで、Tシャツとラフなパンツ姿だった。ケンウッドとパーシバルは中央研究所から来たので、研究着を脱いでシャツとスーツのパンツ、タイは取っていた。ハイネはジムに居たので、運動着のままだった。着替えるのが面倒でそのまま来たのだ。
 食堂で購入した軽食とアルコールなしの飲み物だけで、彼等は特に仕事の話をするでもなく、うだうだと世間話をしたり、仕事中に興味を惹かれた細胞の現象を語ったりして時間を過ごした。そのうちに日中の疲れが出たのか、ハイネがパーシバルの膝枕でうたた寝を始めた。

「この爺さん、僕の膝がお気に入りなんだよな。」

 パーシバルが重みに耐えながら毒づいた。

「そのうちに、膝だけ置いて月へ行けと言い出すんじゃないかな?」
「膝だけクローンで作って置いていけば良いじゃないか。」

 ケンウッドの冗談に、パーシバルは苦笑した。彼はハイネの白い髪を優しく撫でていた。ハイネは最近理髪をさぼっているのか、髪が少し伸びている。パーシバルが彼の顔を見下ろしながら、仲間に囁いた。

「なぁ、こうやって横顔を見ると、ハイネはキーラによく似ているよな?」

 ケンウッドはドキリとした。ハイネが一番触れて欲しくない話題に違いなかった。話を逸らそうと考えている間に、ヤマザキもパーシバルに同意した。

「その白い髪を赤く染めたら、セドウィック博士になるなぁ・・・」

 パーシバルとヤマザキは互いの顔を見合った。パーシバルが先に思ったことを口に出した。

「ハイネが似ているんじゃない、キーラがハイネに似ているんだ。」

 すると、熟睡に至らずにうたた寝の状態だったハイネ本人が呟いた。

「迷惑な話ですよ・・・」

 パーシバルが髪を撫でる手を止めて、「起きていたのか」と言った。ハイネがゆっくりと体を起こした。仲間を順番に見てから、彼は言った。

「私は胎児認知届けも妻帯許可申請も出した覚えはないのです。」

 ケンウッドは、パーシバルとヤマザキが沈黙してしまったのに気が付いた。2人共、ドーマーの言葉の意味を推し量っているのだ。ケンウッドは独りだけ真実を知っているのが心苦しくなった。彼はハイネに向かって言った。

「私は、15代目から聞いたよ、ハイネ。」

 ハイネ、パーシバル、ヤマザキがケンウッドを見た。ケンウッドは腹をくくった。

「14代目は申請書も届け出も見たことがなかったはずだ。君は本当に出さなかったんだから。何も知らなかった。そうだろう?」

 ハイネがちょっと苦笑して訂正した。

「当時はまだ13代目の局長でしたよ。」

 彼は東屋の周囲に目を配ってから、パーシバルとヤマザキに向き直った。

「『お誕生日ドーマー』と言う言葉を聞いたことがありますよね?」

 2人の執政官は考えた。ケンウッドも以前耳にしたような気がしたが、何時だったか、何処でだったか、思い出せなかった。
 ハイネが説明した。

「女性執政官だけの秘密の習慣で、彼女達が誕生日の贈り物に、ドーマーを贈るのです。」
「はぁ?!」
「何だって?」
「まさか?!」

 ケンウッドも他の2人も思わず声を上げてしまった。ハイネが苦笑した。

「男性執政官がご存じないのも無理ありません。これは女性達とドーマー達の間での秘密なのです。ですから、私が今ここで貴方方に喋ったと言うことを、決して他所では言わないで下さい。さもないと、私がドーマー達から総スカンを食らいます。」
「なんだか聞くのが恐いなぁ・・・」

とパーシバルが弱々しく言って、彼等は低く笑った。




2017年9月9日土曜日

後継者 3 - 10

 ヘンリー・パーシバルの月での身の振り方が内定したことを祝って、4人の男達はハイネのアパートに集まった。パーシバルの健康を考えて強い酒はなし・・・と言うことはなく、アルコールがないのはパーシバルだけだった。ハイネは木星コロニーの名産品と言われる度数の高い酒を出してきて、ヤマザキを不安にさせた。
 4人は取り敢えず酒と紅茶で乾杯した。

「神経外科の医者になるのか?」
「そうらしい。既に月から準備の手引き書が送信されて来た。」
「まだ古い医者は月に居るのだろう?」
「その人が送って来たんだ。引退して故郷のコロニーに帰るので気が逸っているらしい。次の仕事が楽しみだとかで・・・」
「まだ半年あるだろうが?」
「その半年で前任者の教えが必要ないように勉強しろとさ。」
「その人は後継者が見つかって嬉しいのでしょう。」

 ハイネが1滴だけ酒をパーシバルの紅茶に落とした。芳醇な香りが熱いお茶から立ち昇った。パーシバルはそれをグッと鼻に吸い込んだ。

「僕は普段から酒はあまり飲まないが、こんな風に仲間と飲めるのは幸せだと思うよ。」

 彼はドームの外から引いたチーズを出して来た。発酵食品をドームの中に持ち込むにはかなり厳しい検査がある。厨房班の注文を叶えようと尽力している庶務課は苦労だ。そこに執政官の個人的な希望も入ると、袖の下でも欲しくなる。パーシバルはそう言うところも融通の利く男で、上質のカマンベールとロックフォール、2種類の黴タイプのチーズを仕入れてもらい、御礼にドーマー達に憧れの遊園地の入場券を買ってやった。
 ローガン・ハイネはもうめろめろで、マタタビをもらった猫みたいにパーシバルにべったりくっついてしまった。ケンウッドはパーシバルが羨ましかったので、ハイネをからかった。

「ハイネ、もう黴はこりごりじゃなかったのか?」
「こんなの、恐くありませんよ。」

 ハイネはカマンベールの白黴を愛おしそうに見つめた。
 ヤマザキはロックフォールに蜂蜜をかけながら、残りの半年は何をするのかとパーシバルに尋ねた。決まってるだろう、とパーシバルは答えた。

「ファンクラブの世話をする後継者を育てるのさ。ポールやドーソン達のファンクラブは既に引き継げる人材がいるけど、新しく作ったところは僕が中心だったから、執政官達を教育しないとね。ただドーマーを愛でるだけじゃ駄目なんだ。仕事の便宜を図ったり、不埒なヤツから守ってやらないと。」
「後継者育成はどこの分野でも重要問題だな。」

 ケンウッドは将来を考えて溜息をついた。リプリー長官はことある毎に彼に「次の長官は君だ」と言ってくれるのだが、では次の副長官は誰なのか、それは考えていないようだ。ケンウッドを副長官にと指名したのが、前副長官のリプリー自身だったので、次期副長官を指名するのは現副長官のケンウッドだと考えているに違いない。しかしケンウッドはまだ心当たりの人材を見つけられないでいる。パーシバルに任せようと思っていたので、彼がドームを引退してしまうと、何処からか見つけてこなければならない。さもなくば月から知らない人間を派遣してもらうことになる。
 ケンウッドが副長官職について考え込んでいると、ハイネ局長も言った。

「ワッツ・ドーマーが維持班総代を引退すると言い出しまして、困っています。」
「えっ、エイブも辞めるのか?」
「総代を辞めるのです。歳なので、後進に道を譲りたいと言うのです。」
「人材はいくらでも居るだろう? ドーマーは大勢いるし、どれも才能豊かな人間ばかりだ。」
「各班や部課に候補は大勢います。でもみんな若いのです。私から見れば、息子の世代ばかりです。」

 コホンッとヤマザキが咳払いした。

「ハイネ、僕等も君から見れば息子の世代なのだがね・・・」
「そうでしたっけ?」

ととぼけるハイネ。パーシバルが

「僕等は年寄りに見えるのか?」

と呟き、ハイネが見事に返した。

「外見は私と同じ年代に見えますよ。」

 ケンウッドもヤマザキも大笑いした。パーシバルも笑いながらハイネを抱きしめた。

「君はでかいけど、本当に可愛いなぁ! みんなに訊いてみな、君は僕等より10歳は若く見えているから。」
「30代に?」
「40代だよ。」
「では、貴方方は50代?」
「そうだよ、知らなかったのか?」
「知りませんでした。」
「嘘つけ!」

 遺伝子管理局長はドームに住むコロニー人のプロフィールを全部チェックしているはずだ。全員の生年月日を把握している。

「ハイネ、個人情報を訊くのは良くないとわかっているが、教えてくれよ。キーラ・セドウィックの誕生日は何時だい? 歳はいいから、月日だけ教えてくれ。地球暦で良いからね。」
「何の為に?」
「助けてくれた御礼に、誕生日に贈り物をしたいんだ。誕生日以外に何か贈っても、彼女は受け取ってくれなさそうだしな。」

 ハイネはパーシバルから身を離して、少し考え込んだ。ケンウッドは思った。子供の誕生日を忘れないのは母親で、父親はよく忘れるのだ。ましてや、父親がドーマーであればなおさら・・・。
 ハイネが顔を上げた。

「彼女の来年の誕生日は・・・」
「来年?」

 と素っ頓狂な声を出したのはヤマザキだ。

「年毎に誕生日が変わるのか?」

 ケンウッドはハッとした。

「まさか、2月29日だったか?」
「そうです。宇宙暦では知りませんが、地球暦で計算すると、そうなります。」
「計算って・・・日数計算したのか?」
「地球人はそんなことをしません。単純に・・・来年は3月1日です。」
「2月28日ではなく?」
「女性は1日早く歳を取るのは嫌がるでしょう? ちなみに、彼女は今54歳です。」

 キーラ・セドウィックはハイネが28歳の時の子供なのか。ケンウッドは計算した。ダニエル・オライオンは23歳でドームを出た。ハイネは彼より3歳年上だったし、誕生日もほぼ同じだから当時26歳。その後ふさぎ込んだハイネを慰めようと当時の女性執政官達はかわりばんこに彼を誘惑したのだ。マーサ・セドウィックが彼と意気投合して、1年後に身籠もって宇宙へ還り、故郷で出産したら、計算が合う。

「2月だったら、ヘンリー、君は月に居るだろう?」
「月からでも贈り物は出来るさ。」

 パーシバルはニヤッと笑った。

「だから秋分の日までに、彼女が欲しがる物を探ってみるさ。」









後継者 3 - 9

 ヘンリー・パーシバルの退職願いは本部に提出されたものの、受理されるには時間がかかると連絡が来たのは一週間後だった。本部では、神経細胞の損傷と再生の研究者であるパーシバルをただの職員として採用するのは勿体ないと言う意見が多数あり、本部の研究所での空きを待ってはどうかと言ってきたのだ。
 これにはパーシバル本人ががっかりした。本部の研究所に入ってしまえば、月1回の地球訪問が難しくなる。

「僕はただのぱしりで良いから、地球と深く関わる仕事をさせてくれ。」

 ケンウッドは彼に訴えられ、リプリー長官に代わって本部へ何度か自ら足を運んだ。パーシバル自身も同行すれば良いのだが、重力の差がある場所を行き来するのは良くないとコートニーに言われて、留守番で我慢した。
 最終的に面会したシュウ副委員長がケンウッドに言った。

「パーシバル博士は専門家です。その職を投げ打ってまでして、地球と本部の連絡係に甘んじると言うのは、どう言う魂胆ですか?」

 それでケンウッドは遂に奥の手を出した。

「彼はアメリカ・ドームのドーマー達から最高の理解者として敬愛され、信頼されています。彼自身も彼等との繋がりを断ちたくないのです。」
「アメリカ・ドームだけでは、説得力が弱いですね。」
「彼は地球上の各ドームの執政官やドーマー達とも親交があります。親しみやすい人柄で、すぐに友達を作れるのです。」
「外交官タイプなのね?」
「そうです。それに・・・」

 最終カードだ。

「ローガン・ハイネ・ドーマーが彼のことを大変お気に入りなのです。」

 シュウ副委員長の瞳が揺れた。

「ローガン・ハイネがパーシバル博士を気に入っているのですか・・・」
「若いドーマー達同様、彼も相談事や悩み事をパーシバルに持ち込みます。心から信頼しているのですよ。」

 多少誇張はあるが、事実だ。ハイネはパーシバルの膝枕で眠ったこともある。だがそこまで具体的に言う必要はない。
 すると、シュウが意外な質問をしてきた。

「ハイネは、昔の女性執政官達の話をすることがありますか?」

 その昔、彼女が弄んだドーマーが思い出してくれることを望んでいるのだろうか。それとも悪い思い出を忘れてくれていることを望んでいるのか。ケンウッドは事実のみ答えた。

「彼は昔話をしないタイプですね。仕事での思い出は時々話してくれますが、執政官や年長のドーマー達の話は全くしません。まるで過去がなかったみたいに・・・」

 するとシュウは安堵したかの様に微笑んだ。

「そうですか。彼は現在しか見ないのですね。それで、現在の連絡係を求めているのだと理解しました。パーシバル博士が専門知識を活かせるような、連絡係の仕事を用意しましょう。重力障害は彼にとって不本意な病気でしょうから、研究を断念させるのも忍びませんもの。」

 そしてその会見の3日後、アメリカ・ドームのリプリー長官の下にハレンバーグ委員長の名でパーシバル博士の本部採用の内定が届いた。
 昼食前のいつもの長官執務室でケンウッドが部下達の予定表検めをしている時だった。リプリーが月からの連絡メールを読んで、ニコリとした。

「ケンウッド博士、パーシバル博士の月勤務が内定したよ。」
「本当ですか?!」
「本部常勤の神経外科の医師として働いてもらうそうだ。地球上で働くコロニー人の診察と治療が仕事だから、地球上の各ドームの医療区と頻繁に連絡を取り合うし、ドーマーの診察も行う。月一には地上訪問も可能だ。」
「それは良かった! 彼は臨床医の経験もあるので、勤務出来るはずです。」
「私から通知しようか、それとも君から言ってくれるか?」
「これは内定ですね・・・私から告げて、正式な辞令が来たら長官からお願いします。」
「わかった。」
「勤務は何時からです?」
「地球時間の今年の秋分の日からだから、ほぼ半年後だ。それまで、パーシバル博士には安静に暮らしてもらわないと困る。火星に帰省しろと言っても、彼は聞いてくれないだろう?」
「確かに・・・」
「彼を安静にさせるために、ドーム内にも公表しようと思う。彼に無理な相談を持ち込まれたりすると、こっちがハラハラするからな。」

 ケンウッドは安堵と共に一抹の寂しさも覚えた。パーシバルとはほぼ同時期に地球に着任して、ずっと一緒にやってきた。彼の研究分野である皮膚とパーシバルの末梢神経の研究はよくクロスオーバーした。生殖細胞の研究と外れることもあったが、内務捜査に引っかからずにやってこられた。共同研究は楽しかった。趣味は異なるのに妙に気が合ったのだ。

 友人がいなくなる。

 ケンウッドは初めてダニエル・オライオンが外へ出されると聞かされた時のローガン・ハイネ・ドーマーの心情を理解した。


後継者 3 - 8

 パーシバルの進退問題はひとまずリプリー長官預かりとなった。コートニー医療区長と長官はパーシバルにくれぐれも体調を考慮して無理をしないようにと言い聞かせ、解散した。
 ケンウッドは友人を連れて昼食に出かけた。中央研究所の食堂だが、入ると入り口から出産管理区との隔壁側のテーブルにハイネ局長とヤマザキ医師が座っているのが見えた。ヤマザキはきっとハイネにパーシバルの容態を報告しているのだ。ケンウッドとパーシバルは料理を取り、彼等のテーブルに近づいた。
 ヤマザキが振り向いた。パーシバルを見て、「お疲れ」と言った。パーシバルは諦めた表情で席に着くと、ハイネに言った。

「クビになりそうだ。」

 ハイネはケンウッドを見た。リプリー長官の意見はどうだったのか、と無言で尋ねた。ケンウッドは座ってから口を開いた。

「長官はヘンリーの健康の為に、月へ移ってはどうかと言っている。地球人類復活委員会の本部にヘンリーを入れて、ドームと月の連絡係にしたいらしい。」
「つまり、僕には月で働くか、辞めて火星に帰るか、2つに1つしか選択肢がないのさ。」

 ハイネはパーシバルを振り返り、言った。

「月で働いて下さい。」

 コロニー人達は暫く沈黙した。ローガン・ハイネ・ドーマーはヘンリー・パーシバルに無理をしてでも地球に残れと言わなかった。パーシバルに元気でいて欲しいから、宇宙へ戻れと言う。でも遠く離れて欲しくないから、月に居ろと言う。
 ケンウッドがハイネに尋ねた。

「それが君の希望か?」
「ドーマーの総意です。」

とハイネは無表情に答えた。

「若いドーマー達はパーシバル博士を慕っています。頼りにしています。近くに居て欲しいのです。」

 パーシバルが意地悪く尋ねた。

「君個人の希望じゃないんだな?」

 ハイネがムッとした表情になった。感情が表に出たのだ。

「私個人は貴方にここに残っていただきたい。でも重力が邪魔なのでしょう?」

 また数秒間コロニー人達は沈黙し、不意にパーシバルの笑い声でその沈黙は破られた。

「参ったな、ローガン・ハイネに愛の告白をされてしまったぞ!」

 付近にいた人々が振り返ったので、ケンウッドはちょっと慌てた。パーシバルをたしなめた。

「周囲に誤解を招くような表現は使うなよ。」

 ハイネが彼等を見ている人々に、向こうを向けと手を振った。君等が想像している様な内容の会話ではないぞ、と。
 ケンウッドはコートニー医療区長の提案をハイネに言うべきか否か迷った。パーシバルの為にならハイネは尽力してくれるだろうが、ケンウッドの良心はそれを許さなかった。リプリーもその辺りの事情はなんとなく知っているのだろう。それに重力障害はコロニー人全員の問題でもある。地球人には無関係なのだから、対策を練るのはコロニー人だけで充分だ。

「ドーム勤務経験者は本部で無条件に働けるのですか?」

 ハイネが質問してきた。地球上の全てのドームから引き揚げたコロニー人達が、宇宙でどうしているのか、地球人には全く情報がない。だから、ドーマー達は親代わりに親しんできた養育係の引退後の生活も消息も知らされない。ハイネは初恋の女性が何処に住んで、いつ出産したかも知らないのだ。当然、パーシバルがこの後何処へ行くのかもわからない。

「本部に空きがあるなら、採用してもらえる。」

とヤマザキが答えた。

「ただ研究者として雇ってもらえるか、事務系の職員として採用されるか、それはわからない。」
「採用されなければ?」
「地球勤務経験者は宇宙では重宝されるんだ。人類の起源の星で働いてきたから、どのコロニーの病院や研究機関でも貴重な人材として迎えてもらえる。だから、就職口には不自由しないんだよ。」
「そこは地球からは遠いのですね?」
「月に比べれば、遙かに遠いなぁ。月はワープ航法なしでも半日で地球と往復出来るからね。」

 ハイネはケンウッドを振り返った。

「本部の連中に、ドーマーがパーシバル博士を雇えと望んでいると伝えて頂けませんか?」

 ハイネが単数形を使ったので、「ドーマー」が彼自身を指すのだと、ケンウッドは悟った。彼は勇気を振り絞ってハイネに尋ねた。

「本部の連中とは、ハレンバーグ委員長とシュウ副委員長かね?」
「その2人は勿論ですが、他にも数人いるはずです。アメリカ勤務経験者が。」

 ハイネは次の点を力を籠めて押した。

「女性委員達を口説いて下さい。パーシバル博士は彼女達に絶対に気に入られます。」

 凄い自信だ。ハイネは本部の年寄り連中が今でも白い髪のドーマーを熱愛していることを承知している。
 ケンウッドは思わず苦笑した。

「わかった、ローガン・ハイネが愛している男を雇えばお徳だぞ、と言っておく。」

 ヘンリー・パーシバルはぽかんとしてテーブルのメンバー達を見比べていたが、やがて言った。

「司厨長に、チーズスフレを焼いてもらおうか?」




2017年9月8日金曜日

後継者 3 - 7

 昼前の定時打ち合わせ会に出ると、長官執務室にコートニー医療区長とヘンリー・パーシバルが居た。コートニーは硬い表情でドアを開けたケンウッドを振り返り、パーシバルは弱々しい笑みを浮かべて見せた。端末で電話をかけようとしていたリプリー長官がケンウッドを見て、ホッとした顔をした。

「ちょうど君に電話をするところだった。」

 ケンウッドはコートニーに頷いて挨拶すると、彼等の向かいの副長官の席に座った。

「検査結果が出たのですね?」
「うん。」

 長官はコートニーを見た。医療区長が手にした書類をちらっと見てから言った。

「パーシバル博士は重力障害による心筋疲労だ。今すぐどうこうと言うものではないが、昨夜呼吸停止状態に陥ったと言う報告が医療関係者からあったので、医師の観察下に置くことを勧告する。」
「つまり、入院?」

とパーシバル本人が医療区長に尋ねた。コートニーが首を振った。

「ここに残るなら入院だが、宇宙へ帰れば通院で済む。」
「宇宙へ帰れば?」

とパーシバルは繰り返した。ショックを受けていた。ケンウッドも動揺した。

「そんなに酷いのですか?」
「心臓も全身の筋肉も重力の影響で疲弊しきっている。普段全く運動をしない生活だそうじゃないか。筋肉が重力に耐えられなくなってきているのだ。」

 あああ・・・とパーシバルが天井を仰いだ。リプリー長官がコートニーに質問した。

「月やコロニーに行けば、彼は普通の生活が出来るのだろう?」
「出来ます。週一程度の通院は必要でしょうが。」
「仕事も出来るのか?」
「大丈夫です。肉体労働でなければ。」

 パーシバルが恐る恐る尋ねた。

「地球に戻って来られる可能性はあるのか?」
「数日の滞在なら問題はない。住むのは無理だ。」

 ケンウッドは何も言えなかった。パーシバルにはここに居て欲しい。しかし、友人の命に関わる問題だ。ここに残れとはとても言えない。
 流石にリプリーは長官らしく対策を考えた。

「例えば、パーシバル博士が月に住んで、研究を続けると言うのは可能だろうか? 月だったら週一の通院と同程度に地球に来られるのではないか?」

 コートニーは余り親しくない現長官を見た。

「パーシバル博士が週一で月からここへ通って来る?」
「可能だろうか?」
「不可能ではありません。」

 コートニーはパーシバルを振り返った。

「君がその条件を守れると言うのであればね。地球が好きだからと言って、長居してはいけない。」

 パーシバルは別の心配をした。

「月に僕の研究をする場所があるだろうか?」
「地球人類復活委員会の本部があるさ。」

とケンウッドが思いついて言った。言ってしまってから、パーシバルが本部嫌いであることを思い出した。すると、リプリーが意外なことを言った。

「執行部は年寄りばかりだ。数年もすればメンバーが入れ替わる。我々の世代に近い人々が執行部に入れば、パーシバル博士も動きやすいのではないかな?」
「いっそ僕が執行部に入ろうか?」

 パーシバルがいつもの軽口を叩いたので、ケンウッドは内心ホッとした。深刻な暗い表情は友人に似合わない。
 コートニーもちょっと安堵した様だ。やっとリラックスした表情になった。

「本部に君が入る隙間があるかどうか、知人に訊いてみようか?」
「それよりも・・・」

とリプリー。

「パーシバル博士を本部に迎えた方が得策だと執行部に思わせてみよう。」

え? と一同が彼を見た。ことなかれ主義の長官が突拍子もない案を出したのだ。これが驚かずにいられようか。

「僕がお買い得の人材だって売り込むんですか、長官?」

 リプリーはすぐにはその問いに答えないで、ケンウッドを見た。

「どうだろ? パーシバル博士はドーマーを理解している数少ないコロニー人だ。執行部はドーマーをドーム経営の労働者としか考えていない人間が多い。そこへ博士の様な人が入れば、ドーマー達と委員会の間がもっとスムーズに意思疎通出来る様になるのではないだろうか?」
 
 ケンウッドはリプリーがパーシバルを追い払いたいのか、それとも援助したいのか判断つきかねた。しかし、パーシバルが地球を去った後の就職先を考えてくれていることは理解した。

「ドーマーとの差し渡し役なら、地球に何度でも来る目的が出来ます。」

 ケンウッドの言葉にリプリーは頷いてパーシバルを振り返った。パーシバルは涙目になっていた。彼は地球を出て行きたくないのだ。しかし、居残れば命を縮めるかも知れない。

「パーシバル博士、我々は君に今すぐ出て行けと言っているのではない。」
「わかってます。」
「私は委員会に掛け合ってみる。あまり月に顔が利く人間じゃないので、期待してもらっても困るのだが、精一杯愛想を振りまいてみせる。」

 すると、コートニーが予想外の提案をした。

「長官、その役目をハイネ局長にやらせてはどうですか?」

 今度はリプリーとケンウッド、パーシバルが驚いて彼を見た。コートニーは真面目な顔で続けた。

「今の執行部はローガン・ハイネ・ドーマーにご執心の年寄りの集まりです。ハイネが『お願い』をしたら、あっさり承知するのではないでしょうか?」

 それはハイネのプライドが許さないだろう、とケンウッドは思った。ハイネは今の執行部の人々に弄ばれた過去を持っている。利用しても頼るのは嫌だと思うはずだ。
 リプリー長官が言った。

「否、パーシバル博士の健康問題は我々コロニー人の問題だ。地球人を巻き込みたくない。」






後継者 3 - 6

 翌朝、ケンウッドがヘンリー・パーシバルを医療区に連れて行くつもりで友人のアパートのドアチャイムを鳴らすと、パーシバルはすぐに開けてくれた。見ると既に身支度を済ませて何時でも出かけられる用意をしていた。

「なんだ、ちゃんと医者に懸かる準備をしていたのか。」

 ぐずるだろうと思っていたので、ケンウッドは肩透かしをくらった気分だ。
 するとパーシバルが苦笑しながら言い訳した。

「朝の5時にハイネが電話してきやがって、『生きてますか?』だとさ。その10分後にキーラからも『気分は大丈夫?』ってかかってくるし、6時にはケンタロウから朝飯抜きで来いと言ってくるし・・・」
「みんなで君を心配しているのさ。」
「有り難いけど、もう少し寝かせてくれないかなぁ? 端末のメッセボックスもいっぱいだぜ。僕がファンクラブを作ったドーマー達からだ。ポールなんか3回もメッセをくれている。お大事に、とか、無理しないで下さい、とか、医者に行って下さい、とか・・・誰が連中に僕の体のことを漏らしたんだろう?」
「さあね・・・」

と言ったが、ケンウッドは犯人の目星がついていた。ドーマーを動かせるのはドーマーのリーダーだ。 ハイネはパーシバルを心から案じているのだ。
 朝食抜きなので空腹でイライラすると言うパーシバルを医療区に連れて行き、ヤマザキに引き渡した。それからやっと遅い朝食を摂りに中央研究所の食堂へ行くと、リプリー長官もそこに居た。昨日の春分祭の後片付けで寝るのが遅れて、今になって朝ご飯なのだ。
 ケンウッドはパーシバルの健康問題を報告した。パーシバルには自身で言えと言ったのだが、出会ってしまったからにはここで長官に何も言わないのでは後が面倒だ。
 リプリー長官は美男子の追っかけをしているパーシバルを余り好ましく思っていなかったが、それでもドーマー達から信頼されている数少ない執政官であることは評価していた。だからパーシバルに重力障害の疑いありと聞いて、眉をひそめた。

「重力障害で呼吸が停止するなんて、聞いたことがないが?」
「実は私もなんです。走査検査では、目立った異常は発見出来なかったのですが、念のために今日精密検査を受けることになっています。」
「そうか・・・それなら結果待ちと言うことだな。秘密にする必要はないと思うが、彼の今後のこともあるから、わざわざ公表することはないだろう。」

 リプリーは1分ほど黙してから、呟いた。

「本当になんでもなければ良いが・・・」

 ドーム内で病人が発生すれば、それがドーマーであれコロニー人であれ、ドーム長官の管理姿勢が良くなかった、と言うことになる。ことなかれ主義のリプリーには、例え誰かが転んで怪我をしても重大問題に思えるのだ。ましてや、重力障害や呼吸停止など・・・
 長官は何かわかったらすぐに連絡してくれと言って、食事を終えた。
 ケンウッドも食事を早々に終えて研究室へ向かった。副長官室の隣に引っ越した研究室では、まだ昨日の祭りの余韻が残っており、ケンウッド博士の優勝を祝う助手達の飾り付けが妙に場違いに思えた。
 ケンウッドは助手達に気を遣って、笑顔で感謝して見せた。

2017年9月6日水曜日

後継者 3 - 5

 ヘンリー・パーシバルは半時間もしないうちに立ち上がれる迄に回復した。ケンウッドとヤマザキは疲れていたが、彼がバスルームで化粧を落として夜着に着替える迄付き合った。

「僕等は毎日筋トレをして重力対策をしているが、ヘンリーは何もしないからなぁ。」
「年に2ヶ月重力休暇で火星に帰るだけだろう? それだって、仕事やファンクラブのまとめで切り上げて戻って来るのだから、役に立っていないはずだ。」

 コロニー人達が重力対策の話をしているのを、横で地球人のハイネが黙って聞いていた。彼は午前中に着ていたスーツではなく、カジュアルな服装をしていたので、午後はドーマー仲間と休日を楽しんでいたに違いない。或いは夕食後に何処かで飲んでいたか?
 ケンウッド達は表彰式の前に軽く食べていたが、空腹を感じた。バスルームのパーシバルに声を掛けてキッチンを覗くと、ビスケットとチョコレートがあったので、少し頂くことにした。
 ケンウッドはハイネにも勧めたが、老ドーマーはお腹は空いていないと断った。

「アパートに戻っていたのかい、局長?」
「いいえ、ワッツやペルラ達と一緒に居ました。」

 飲んでいたとは言わない。飲んでいたに違いないのだが、ドーマーは飲酒しないことが建前なので、ハイネは自身のアパート以外の場所では絶対に飲酒を認めないのだ。

「お楽しみの最中に呼び出されて申し訳なかったね。」
「お開きにする頃でしたから、問題ありませんよ。」

 呼び出される直前に何処に居たのか知らないが、ハイネは娘からの救援要請を受けて飛んで来たのだ。友人の一大事と聞いて急いだのかも知れないが。
 パーシバルがバスルームから出て来た。化粧を落としてさっぱりとした顔だ。

「今夜はキーラにキスしてもらえたし、ハイネに御姫様抱っこで運んでもらえたし、ついでに言えば、衣装も剥ぎ取ってもらえて、最高の気分だ。」

 他人事みたいに冗談めかして言うので、ケンウッドはコルセットを手にした。

「またこれで締め上げてやろうか?」
「それは勘弁してくれ。」

 パーシバルがもう大丈夫だと言うので、ヤマザキは明朝の診察を忘れるなと念を押してハイネと共に部屋を出て行った。
 ケンウッドはパーシバルが大人しくベッドに入る迄見守った。

「キーラに心肺蘇生をしてもらったそうだな?」
「うん・・・役得だけど、記憶にない・・・残念ながら。」

 パーシバルは苦笑して、ふと真顔になった。

「彼女が救援を電話で呼ぶのが聞こえたのだが、最初は誰と話しているのか、わからなかった。実は、彼女は『お父様』って言ってたんだ。そうしたら、来たのがハイネだったので驚いた。」

 ケンウッドはその話題をスルーした。ふーんと軽く受け流したが、パーシバルはこだわった。

「彼女はどうして医療区じゃなくハイネに電話したんだろ?」
「それは、ハイネが近くに居るのを知っていたからだろう。アパートの方が医療区より近いからね。」

 ハイネとキーラの秘密をパーシバルになら話しても良いだろうと思えたが、やはりケンウッドは黙っていた。もう夜更けだし、パーシバルを早く眠らせたかった。

「私は部屋に戻るが、もし気分が悪くなったらいつでも電話してくれ。」
「わかった。」
「明日は定刻に迎えに来る。必ず医療区へ行けよ。」
「わかった。」
「リプリー長官にも君自身で報告しておいた方が良いと思う。黙っていたら、ケンタロウやキーラに迷惑がかかるぞ。」
「わかった。」
「ちゃんと水分を摂れよ。」
「わかった。」
「おやすみ。」
「わかった・・・おやすみ。」

 ケンウッドは静かにドアを閉じて自身の部屋へ向かった。



2017年9月5日火曜日

後継者 3 - 4

 ヘンリー・パーシバルの部屋はケンウッドには馴染みの場所だから、何処に何があるかよくわかっている。しかし、室内に遺伝子管理局長が居たのは今回が初めてだった。何故ハイネがそこに居たのか不明だが、彼は症状が落ち着いたパーシバルを支えてベッドの上に座らせ、水を与えていた。ケンウッドとヤマザキを出迎えたキーラ・セドウィック博士がパーシバルの症状を説明した。
 パーシバルはアパートの入り口まで帰り着いた時、彼女とばったり出会った。彼女が優勝の祝辞を述べ、パーシバルが冗談で応じている最中に発作が起きたと言う。
 いきなり胸を手で押さえてその場にしゃがみ込み、呻き声を上げたので、彼女は急いで端末で彼の胸を走査した。心臓に異常を示す診断が出なかったので、彼を部屋まで運ぼうとしたが、パーシバルは立ち上がることさえ出来ず、そのままそこに体を横たえてしまった。彼女は咄嗟にローガン・ハイネに電話を掛けて、すぐに来てくれと要請すると、彼に心肺蘇生処置を施した。数10秒間呼吸が止まったのだ。
 ハイネが現れた時は、パーシバルは既に呼吸を再開させ、目を開いていた。しかし顔面蒼白で起き上がれそうになかったので、ハイネが彼を抱え上げ、キーラに医療区へ連絡を入れよと指示して、アパートの中に彼を運び込んだ。その頃はまだ男性執政官達は中央研究所の大会議室に居たので、キーラがハイネを呼ばなければ助けてくれる人がいなかった。
 パーシバルは何とか自力で部屋の入り口を解錠して、3人は室内に入った。ハイネがパーシバルの女装を解かせ、体を楽にしてやる間に、キーラは遠い医療区ではなく、近くに居るはずのヤマザキに電話をしたのだった。
 パーシバルは部屋に入って来たケンウッド達を見ると照れ笑いした。

「いやぁ、お騒がせして申し訳ない。いきなり息苦しくなって、ぶっ倒れてしまったよ。キーラがいなければ死んでいたかもな。」

 ケンウッドはハイネが彼の体から剥ぎ取って床に放り出していたコルセットを掴みあげた。

「こんな物で胴を締め上げていたから呼吸が出来なくなったんだろ?」

 キーラも特大のブラジャーをつまみ上げた。

「こんな物で胸を締め付けていたのね。」

 パーシバルが頬を赤く染めた。

「それでコンテストに優勝したんだから、文句言わないでくれ。」
「優勝して死んでしまったら、元も子もないだろう!」

 ヤマザキがもう1度彼の端末で走査検査をして、キーラの端末に記録されていた数値と比較した。血圧や心拍数は落ち着いた様だった。

「重力障害で体力が落ちているのに、コルセットなんかで締め付けるから、肉体が悲鳴を上げたんだ、ヘンリー。明日検査するから予約を入れておく。必ず医療区に来いよ。」
「ええ? 明日? 明日はポールとお茶会をする予定で・・・」
「駄目!必ず朝一で診察に来なさい!」

 医者の顔でヤマザキが厳しい口調になった。パーシバルは口を閉じた。
 ヤマザキが医療区のコンピュータに診察の予約を入れる手続きを始めた。ハイネがキーラを振り返って声を掛けた。

「君はもう帰りなさい。明日は早いだろう?」

 キーラ博士は一瞬パーシバルに目をやった。まだ心配なのだ。ケンウッドが彼女に言った。

「私の部屋は2つ向こうにあるし泊まってもかまわない。どうか今夜は引き揚げて下さい。 貴女のお陰でヘンリーは命拾いした。礼を言います。」

 パーシバルも礼を言った。

「キーラ博士、本当に有り難う。この恩は一生忘れないよ。」

 男達に気を遣わせてしまっていることに気が付いて、キーラ・セドウィックは素直に帰ることにした。

「わかりました、今夜はこれで引き揚げます。ヘンリー、お大事にね。ケンウッド博士、ケンタロウ、おやすみなさい。」

 そして特別に投げキスで・・・

「ローガン・ハイネ、来てくれて有り難う。」





2017年9月4日月曜日

後継者 3 - 3

 春分祭が終わり、男性執政官達は中央研究所の大会議室で打ち上げをしながら、テレビの画像をチェックしていた。誰もが自身の女装姿を見たくないのだが、他人のは見たい・・・。
 優勝者のケンウッドとパーシバルはささやかな賞金と1年分の口紅を折半した。予算と言うものがあるので、優勝者が複数出ると、賞金は等分に配当されねばならない。自分達の研究室の弟子達に酒を奢ると消えてしまいそうな金額だった。
 ケンウッドは鬘を取り、付け睫も取った。早く化粧を落としたいのだが、リプリー長官が最後のインタビューを終えて戻って来る迄副長官として待たねばならない。
 ヘンリー・パーシバルはくたびれた様子で、「お先に失礼」とアパートに帰ってしまった。
 会議室の一画で若い執政官達が賑やかに騒いでいた。見ると、彼等はドーマーばかりを追いかける木星の局を見ているのだった。

「相変わらずポール・レインは愛想がないなぁ。」
「せめて微笑んで見せれば良いのに。」
「セイヤーズがいないんじゃ、無理だよ。」
「おおっ、ローガン・ハイネだ!」
「なんと、逃げ足の速いこと!」
「保安課の妨害も慣れたもんじゃないか。」
「げげっ、クロエルちゃんだ!」

 画面いっぱいにクロエル・ドーマーの顔が現れた。カメラはこの初登場の若者にびっくりして退いた。クロエルはお洒落をしていた。黒い縮れ毛を細かく三つ編みにしてドレッドヘアを作っていた。お祭りの日は遺伝子管理局も業務は休みで、彼はスーツではなく私服なのだが、それがまたど派手な色彩のチュニックで、彼の浅黒い肌によく似合っていた。

「アイツ、絶対にファッションセンス抜群だよな?」
「うん。自分で考えるって言ってたけど、何着ても似合ってるんだ。」
「しかも、格好いい。」

 クロエル・ドーマーはカメラに向かって陽気にお喋りを始めた。本日の女装執政官の見所解説だ。いつもの早口なのだが、テンポもリズムも良くてノリノリ、しかもジョークまで飛ばして、報道陣を集めてしまう始末だ。

「彼、芸能人に向いているぞ。」
「これは新しいドームのスター誕生だな。」

 どんなに評判が良くても、ドームの中のイベントは決して地球上では放映されない。ドーマー達は地球人なのに同胞に存在を知られることもなく、しかし宇宙では有名になっていく。ケンウッドは溜息をついた。彼にとって救いなのは、ドーマー達が幸せに暮らしていることだ。彼等は地球の未来の為に親から引き離され、育てられ、働いていることを誇りに思っている。
 やっとリプリー長官が会議室に現れ、春分祭の労を労う挨拶をして、解散となった。
女装したままの者や、半分男性に戻りかけている者など、不気味な姿の男達がぞろぞろと各自のアパートや研究室に向かって歩き始めた。
 ケンウッドはヤマザキが脱いだ重たい十二単の衣装を半分持ってやった。

「しかし、これは実際の衣装の半分の重さなんだ。古代の日本女性はもっと重たい着物を着ていたんだよ。」
「それじゃ体力は半端じゃないな。」
「ところが、こう言うのを着ていた貴族の女性達はひ弱ですぐ病気に罹って死んでしまう。」
「この衣装の重みが原因じゃないのか?」

 2人でくだらない会話をしながら独身男性用アパートに向かって歩いていると、突然ヤマザキの端末に電話が着信した。ヤマザキが出ると、ケンウッドの耳に女性の声らしき音声が聞こえた。何か興奮している様子だ。ヤマザキはうんうんと聞いていたが、その表情が硬くなったのにケンウッドは気が付いた。急患か?

「それじゃ、取り敢えず落ち着いたんだな? すぐそっちへ向かうから、ドアを開けておいてくれ。」

 ヤマザキは端末を仕舞い、ケンウッドを振り返った。

「ヘンリーが倒れた。」
「えっ!」

 ケンウッドは足早に歩き始めたヤマザキに並んだ。

「倒れたとは?」
「胸を押さえて急に苦しみ始めたそうだ。彼は心臓疾患を持っていないから、多分、重力障害だな。筋肉疲労が溜まって一時的な呼吸困難に陥ったに違いない。」
「電話は女性からだったと思えたが?」
「うん。キーラ博士だ。彼女が応急処置をしてくれたが、産科だから自信がないと言っていた。」

 2人は彼等が住むアパートに到着した。

2017年9月3日日曜日

後継者 3 - 2

 時間は飛ぶように過ぎて行く。

 春分祭でケンウッドとパーシバルは「2人のロッテ」に扮した。別々に育った双子の少女が偶然出会って姉妹だと知り、離婚した両親を元の鞘に戻すために入れ替わる、と言うエーリッヒ・ケストナーが1949年に発表した小説の主人公だ。そっくりの双子のはずだが、体格も顔かたちも違うので、どんなに化粧に励んでもそっくりになれなかった。
そのバカバカしい努力が功を奏して、2人は初めてダブルで優勝を勝ち取った。
ドーマー達はこの日頃は真面目な副長官とお気軽な博士のコンビを面白がって投票したのだ。
 コロニー人のテレビ中継の方は別の方面で大騒ぎだった。3年間姿を見せなかったローガン・ハイネ・ドーマーが現れたからだ。ハイネはお昼ご飯を食べに遺伝子管理局本部から外へ出た途端にカメラに取り囲まれた。3年間どこでどうしていたのか、とマイクを向けられたが、駆けつけた保安要員達が報道陣を追い払おうと努力した結果、彼は人混みの中に逃げ込むのに成功した。お祭りの屋台や女装した執政官を見る為に集まったドーマー達の群れの中に逃げ込めば、後は楽勝だ。カメラは背が高いハイネの白い髪が見えているのにそばまで近づけなかった。

「こっちよ、ローガン・ハイネ!」

 キーラ・セドウィック博士と彼女の部下の女性執政官達が運営する一口ピッツァの屋台の裏にハイネは身を隠した。椅子とテーブルが置かれ、数人のドーマー達がそこでピッツアとノンアルコールのビールや葡萄ジュースを楽しんでいた。
 キーラがピッツアを数枚焼いて運んで行くと、ハイネはジュースで一息入れていた。

「毎年のことながら、逃げるのが巧くなったわね。」

 彼女が皮肉った。彼は毎年誰かに助けられて逃げていたのだ。
 彼は無視してピッツァを食べ始めた。一口サイズと言っても、成人男性の広げた手ほどの大きさなので、絶対に一口では食べられないし、熱いので危険だ。

「君は誰に投票したのだ?」
「私? 今年はケンタロウに入れたわ。」
「彼は誰に扮装した?」
「紫式部。」

 ハイネは頭の中で情報を検索した。

「古代日本の女流小説家だな?」
「そうらしいわ。私には随筆家の清少納言と区別がつかないのだけど、ケンタロウはあの十二単とか言う重たい衣装が気に入っているのよ。座ったままで居られるから、出歩いて晒し者にならなくて済むんですって。」
「1日座っているのか?」
「まさか・・・彼は詩を書いたり、墨絵で見物人の似顔絵を描いてあげたり、貝合わせと言うゲームをしたりして、観光客を喜ばせています。」

 そして彼女は彼に同じ質問を返した。

「貴方は誰に入れたの?」
「投票は1人の有権者が1人だけ名前を書けるのだから、私は『2人のロッテ』に入れた。」
「でも2人よ、あれは・・・」
「ロッテは独り分の名前だ。」
「それは変よ。」
「何故だ?」

またハイネとキーラの口論が始まりそうな予感がした女性執政官達が集まって来た。

「ちゃんと『2人の』って言ってますよ、局長。」
「ロッテは2人居るんです。」

 真実を語る女性は強い・・・。

「では、私は何と書けば良いのだ?」
「ロッテ・ケルナーかルイーゼ・パルフィーですよ。」

 ハイネは端末を出し、女装大会のサイトを開き、投票訂正を選択した。投票対象にふさわしくない名前が書かれた時のみ、これは有効なのだ。その年の春分祭に居ない執政官の名前を書くドーマーも希にいるが、当然結果は無効処理される。ハイネが先に入れた名前は無効になっていたので、ハイネは適当にロッテ・ケルナーと入力した。扮装している人物が複数居れば執政官の名前を入れなければならないが、独りしか居なければ、役柄の名前でも執政官の名前でもどちらでもかまわなかった。

「どっちに入れたの?」

とキーラが尋ねると、彼は素早く端末を仕舞った。

「内緒。」
「けち!」

 キーラはまだハイネが手を付けていないピッツァを取り上げた。彼が抗議の声を上げると、彼女はしーっと彼を制した。

「大声を上げると、またカメラマン達が押し寄せて来るわよ。」

 そして謎の微笑みを浮かべながら、彼に教えてやった。

「ロッテ・ケルナーはヘンリー・パーシバル、ルイーゼ・パルフィーはニコラス・ケンウッドですからね。どっちを書いたのかな?」







2017年9月2日土曜日

後継者 3 - 1

 新しい遺伝子管理局の職員が誕生した。ケンウッドは初めて入局式に出席した。遺伝子管理局本部の局長室で行われた式には、来賓としてランディ・マーカス15代目局長とキーラ・セドウィック博士が出席していた。
 ケンウッドは来賓ではなく、ドームの現役幹部として、リプリー長官と共にハイネ局長の近くの席に座った。向かいには遺伝子管理局各班のチーフ達が並んでいる。内務捜査班のチーフ、ジャン=カルロス・ロッシーニは遂に長官に正体を明かすかと思われたが、内務捜査班の席には本部の班チーフ執務室でいつも事務仕事をしている副官が座っていた。
長官は副官がチーフだと思っているのか、それとも気にしないのか、何もコメントしなかった。
 新人3名が入って来た。真新しいダークスーツに身を包み、緊張した顔で部屋の中央に立って、クロエル・ドーマー、ジョージ・ルーカス・ドーマー、クレイグ・ホルツ・ドーマーの順に自己紹介した。クロエルは流石におちゃらける余裕がないのか、正しい英語の発音をしようと努力していた。キーラ・セドウィックが若者達を愛情を籠めた目で見つめた。ルーカスとホルツは彼女が取り上げた子供達だ。育てた訳ではないが、感慨ひとしおだろう。クロエルは外から来た子供だが、母性をくすぐる面立ちなので、出産管理区の執政官達にも人気があった。
 ローガン・ハイネ局長が3名のプロフィール紹介をした。クロエルは父親が不明なのが玉に瑕だが、母親は由緒ある家系だった。その母親から不要の子と見なされたことは、この場では言及されなかった。しかし、ハイネが母親のことに触れた時、クロエルの表情が硬くなったのをケンウッドは見逃さなかった。これが、この陽気な若者の弱点なのだな、と知った。これから彼と付き合う際に、決して触れてはいけない話題だ。少なくとも、彼自身が触れない限りは。
 ルーカスとホルツは普通の家庭の子供なので、遺伝子に特に言及する項目がなかった。それでハイネは彼等の特技を紹介した。ルーカスは大昔の映画製作の巨匠と同姓同名だったが、偶然この少年も画像撮影が得意だった。芸術家の遺伝子が隠れているのかも知れないとハイネに言われ、彼は嬉しそうな顔をした。
 ホルツは射撃が得意で、実弾も光線も決して的を外さないのだと言う。本人は狩人の末裔だと信じているが、ハイネは同僚を守る為に更に腕を磨いて欲しいと言った。敵の命を奪う弾丸ではなく敵さえ守る魔手になってもらいたいと言われ、彼は闘志を沸き立たせた様だ。
 リプリー長官が挨拶した。演説が不得手の彼の訓示は短く、3人の若者がこれからの任務で経験を積み、地球の未来の為に働いてくれることを期待する、と言う内容だった。
 ケンウッドも訓示を用意していたが、長官の話が短かったので、急遽変更を余儀なくされた。

「若いドーマー諸君、どうか怪我なく、病気をすることなく、元気な姿でドームに帰還して欲しい。それが私達年配者が毎日願っていることだ。」

 巧く伝わったかなぁ、とケンウッドは冷や汗をかきながら席に戻った。キーラが微笑んでいるのが見えた。少なくとも、馬鹿にはされていないな、と思った。
 再びハイネ局長が立ち上がり、3人の配属先を発表した。

「クロエル・ドーマー。」
「はい!」
「南米班第2チーム。」
「有り難うございます。」
「ジョージ・ルーカス・ドーマー。」
「はい!」
「北米北部班第4チーム。」
「え? アラスカですか?」

 思わず尋ねたルーカスにハイネがじろりと青みがかった薄灰色の目を向けた。ルーカスは慌てて定められた挨拶を返した。

「有り難うございます。」

 ハイネはすっと目を次の新人に向けた。

「クレイグ・ホルツ・ドーマー。」
「はい!」
「中米班第3チーム。」
「有り難うございます。」

 ケンウッドは新人達が配属された先がどの班でも一番自然環境が厳しく支局巡りが容易でない場所であることに気が付いた。いきなり究極の職場に配するのが、ハイネ流の新人教育なのだろう。それぞれの班チーフたちがニヤニヤクスクス笑っているのは、既に局長との間で話が着いているからだ。新人をもらえなかった北米南部班のチーフは、新人教育の苦労をせずに済むのでホッとしていた。彼の班にはセイヤーズ捜索と言う面倒な仕事があるから、新たな苦労を抱え込まずに済んで嬉しいのだろう。
 ハイネが執政官達を見た。何か言うことはないかと無言で尋ねたのだ。長官もケンウッドもキーラ・セドウィックも言うことはなかった。するとマーカス・ドーマーが車椅子の上で手を叩き始めた。執政官達も拍手をして、班チーフ達が新人に退室を合図した。
 若者達がぎくしゃくとスーツに身を包んだ体を動かして退室して、ドアが閉まった途端、局長室の内部は緊張感がなくなった。
 ハイネがフーッと息を吐いて執務机の向こう側の自身の椅子に体を沈めると、北米北部班のチーフがからかった。

「局長、3年振りの入局式にお疲れの様子ですね。」
「ルーカスを睨み付けられた時は、どうなることかと冷やっとしましたよ。」

 南米班チーフまでがからかうので、ハイネはムッとして、ケンウッドの方を見た。

「私は睨み付けた覚えはないのですがね・・・」
「目つきが良くない爺さんが見つめれば、若い初心な子は睨まれたと思うさ。」

 ケンウッドの返答に15代目が笑った。釣られてハイネも笑ったので、ほどなく室内は爆笑に包まれた。一同が落ち着く頃にリプリー長官が、

「今頃あの3人は互いの任地を比べ合って、誰が一番ましか論じ合っているだろうな。」

と呟き、再び室内に笑いを誘った。



後継者 2 - 11

 ランディ・マーカス・ドーマーにおやすみを言って「黄昏の家」を出た時は深夜になっていた。ケンウッドとパーシバルはトンネルの中をカートでゆっくりと戻った。

「僕はハイネの失恋の話や反抗期の話を聞かないことにする。」

とパーシバルが言った。

「聞いてしまえば、僕はもしかすると地球から離れられなくなるかも知れないから。」
「そうかい?」
「君はもうそのつもりになっているんじゃないか? 」

 パーシバルがトンネルのずっと先の方を見ながら呟いた。

「あの白い髪のドーマーは周囲の人間を惹き付ける能力があるんだ。だから昔の執政官達は彼に夢中になった。リンを弾劾した会議の時、月から来た年寄り達の表情を見ただろ?
ハイネが現れたら、連中は目尻を下げて喜んでいた。
 僕も実を言うと彼をほったらかしに出来ないんだ。ポールの危うさと違って、彼はしっかりしているから、誰の助けも要らないのだがね。ただそばに居てやりたい、と感じてしまう。それはケンタロウも同じ思いのはずだ。無茶を承知で一緒にジョギングするのだから。」

 ケンウッドは頷いた。

「実は私はオライオンに心の中で誓ったんだ。彼の代わりにハイネのそばに居てやる、と。」
「しかし、僕等は多分彼より長くは生きられない。彼は無事に暮らしていけば、後70年か80年は生きるぞ。」
「わかっているさ。だが可能な限り、私はここに居たい。ドーマー達がみんな可愛いんだよ。ハイネだけじゃない、ペルラもロッシーニもレインもワグナーも・・・セイヤーズだって、気になるんだ。」
「それは地球熱って言う病気だな、ニコラス。」

 パーシバルはそう言って可笑しそうに笑った。

「きっとキーラ・セドウィックも同じ病気だぜ。女性で30年もここに居るなんて、彼女ぐらいなものだろう? 普通、女性達は男の子しか生めなくなるんじゃないかって心配して数年で宇宙に帰ってしまう。だが、キーラはずっと居る。重力休暇を取るために年に一月ほど宇宙へ帰るが、それだって4回に分けているんだ。」
「彼女は産科だし、子供の誕生は待ってくれないからな・・・」

 真実を言ってしまおうか、どうしようかとケンウッドが迷ううちにカートは終点に到着した。
 彼等はカートを降り、エレベーターに乗って地上へ戻った。
 そのまま歩いてアパートに向かった。

「実は、ちょっと気がかりなことがある。」

 とパーシバルが声を低くして呟いた。ケンウッドが彼の顔を見ると、彼は殆ど聞こえないような声で言った。

「セイヤーズは本当に手ぶらで脱走したのだろうか?」
「どう言うことだい?」
「彼は出て行った時、ハードケースを持っていた。」
「あれは空だった。監視カメラでも、彼が空であることを出口の係官に見せているところが映っていた。」

 パーシバルがさらに小さな声で言った。

「あの子は手先が器用なんだ。」
「だから?」
「手品なんてお手の物だ。」

 ケンウッドは立ち止まった。パーシバルが立ち止まったからだ。

「手品?」
「ほら、よくあるじゃないか、箱が空だと見せておいて、素早く袖に隠していた物を入れて、次に開けた時には物が入っているって言う手品が。」
「セイヤーズが一体何を持ち出したって疑っているんだ?」
「それがわからないから、気になるんだよ。ハードケースに入れる物と言えば?」

 ケンウッドはドキリとした。

「細胞か・・・」

2017年9月1日金曜日

後継者 2 - 10

「親の心子知らず、です。」

 マーカス・ドーマーは皺だらけの顔を一層くしゃくしゃにした。笑っているのだ。

「ローガン・ハイネは14代目が引退を決めた時、まだ局長になりたくないと言ったのですよ。」
「ハイネが就任を拒否したのですか?」
「『まだ』が付きますが、その通りです。私は言いましたな? あの男は臍を曲げると厄介なのです。彼は弟を奪われて失恋を体験した20代からずっと臍を曲げて執政官に逆らい続けていました。」

 ケンウッドはハイネがドームに逆らっていたと聞いて驚いた。あんなに大事にされていたのに、逆らっていた?
 パーシバルは全く別の情報で仰天していた。

「ハイネが失恋した・・・と言ったか、マーカス・ドーマー?」

 15代目遺伝子管理局長は、先ずパーシバルに顔を向けた。

「ケンウッド博士はお口が固いですな。パーシバル博士はご存じなかった? ではケンウッド博士から後でお聞き下さい。ここには耳が沢山ありますから。」

 室内には世話係のドーマーがまだ2人居て、マーカス・ドーマーが就寝するまで待っているのだ。ケンウッドは彼等に申し訳ないと思いつつも長話が面白かった。
 パーシバルがケンウッドを見た。彼は友人がハイネの過去を聞かされていたと知っても、それには驚かなかった。

「急がなくても良いぞ、ニコ。そのうち本人から聞き出せるかも知れないから。」

 それは無理だろうと思いはしたが、ケンウッドは黙っていた。
 マーカス・ドーマーが昔語りの続きを始めた。

「逆らうと言っても、彼の場合は口を利いてやらない、と言う程度でした。それでも慈しんで育てた方にはショックですな。」

 老人は可笑しそうに笑った。

「新しく着任した執政官には、ローガン・ハイネは親切だったのですよ。過去には無関係なので、その辺はしっかり分けて考えておりました。ですから、14代目が局長職から退く意向を示した時、古い執政官達は、遂に彼等の秘蔵っ子がドームのトップの座に就くと期待したのです。しかし、ローガン・ハイネは、拒否しました。理由は単純でした。まだそんな年齢ではない、と言ったのです。
 確かに40代は若過ぎました。局長職は殆ど終身ですから、若さを保つ遺伝子を持つ男には終身刑みたいに思われたことでしょう。
 14代目はあっさりと彼の意見を採用し、私にお役目が託された訳です。」
「ハイネは内務捜査官だったよな? 彼の様な有名人が隠密捜査を出来たのか?」
「隠密は不可能でした。しかし、彼が内務捜査班であることは執政官は全員知っておりましたから、彼の目の前では不正が出来ませんでした。彼の存在が抑止力となったのです。」
「それなりに役に立っていたんだな。」

 随分失礼な物言いだが、それがヘンリー・パーシバルだ。
 ケンウッドは長い間の謎が解けた気分で、幾分すっきりした。
 マーカス・ドーマーの話は終盤にさしかかっていた。

「ローガン・ハイネが私の後継者になると決意したのにも、ダニエル・オライオンが関わっていました。
 遺伝子管理局長には、外の世界の警察関係者との業務連携をする仕事があります。ドーマーの局員には外での活動時間に制限がありますから、メーカーの捜査や逮捕には現地警察の協力が欠かせません。私は連邦捜査局と協力してメーカーの摘発を行っていました。それで時々外へ出て連邦捜査局本部を訪ねたものでした。」

 え? と驚く2人の執政官に彼は、何を驚くと言いたげに説明した。

「私は普通の局員として働いていましたから、局長になっても外出は自由でした。外に出られない局長は歴代の16人の中で、ローガン・ハイネと後2名だけでしたよ。残りは自由に出かけていたのです。」
「そう言われれば、そうだな・・・」
「目から鱗だ・・・」
「ある時、私は連邦捜査局の科学捜査班主任が交代したので、挨拶に行きました。」
「それが、ダニエル・オライオンだったのですね!」
「そうです。オライオンも旧知の顔と出会えると予想していなかったので、随分驚いていました。すっかり歳を取っていましたが、気性は昔のままの優しく陽気な漢のままでした。私がローガン・ハイネの近況を伝えると、彼は感慨深げでした。」
「彼はドームに帰りたがらなかったのか?」
「残念ながら、それはありませんでした。彼は外の世界で結婚し、子供をもうけ、社会的地位も確立した成功者でしたからな。ドームは彼にとって遠い子供時代の思い出に過ぎなかったのです。しかし・・・」
「ドームに置き去りにした兄貴だけは違った?」
「ええ・・・彼はどうしても兄貴に会いたいと言いました。会って、独りぼっちにさせてしまった詫びをしたいと。」

 ケンウッドは、ダニエル・オライオンと会った時の会話を思い出していた。オライオンはローガン・ハイネを独りにしてしまったことを悔やんでいた。ハイネに恋人や親友が出来たかも知れないなど、想像すらしなかった様に。
 オライオンは本当はドームに未練があったに違いない。兄貴と過ごした幸せな子供時代に。いつもそばに居てくれたヒーローの兄貴に。

「私はオライオンを業務上の会見を口実にドームに召喚しました。オライオンをドームの外へ出した執政官の最後の1人が地球勤務を終えた直後です。オライオンは元ドーマーですから、本部に入れたのです。執政官の邪魔が入らず、地球人だけで内緒話が出来ます。」
「そうですね・・・我々執政官にとっては、遺伝子管理局は出産管理区の次に立ち入ることが出来ない聖地みたいなものです。」
「ですから、そこでローガン・ハイネとダニエル・オライオンを対面させました。」
「感動の再会かな? それとも、どっちも自制した?」

 パーシバルはハイネがオライオンの話題になると冷静さを失うことを知っていた。
 マーカス・ドーマーはふふふと笑った。

「部下達の前では2人共自制していました。しかし、私がオライオンをアパートに連れて行っても良いと許可すると、ローガン・ハイネはいきなり弟の手を取り、2人で部屋から出て行ってしまいました。」

 あのアパートの中で、長い歳月の後やっと再会した2人は酒を飲み交わし、積もる話しを語り合ったに違いない。
 15代目がそこで昔話を締めくくった。

「ローガン・ハイネはやっと16代目を継ぐ決心を固めてくれました。局長になれば、科学捜査班主任をいつでも召喚出来ると気が付いたからですよ。」