2018年9月30日日曜日

捕獲作戦  2 2 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは疲れ切っていた。着ているスーツは埃だらけだったし、靴も泥だらけだ。乗っている航空機は乱気流に上手く対処しているが、それでも小さな揺れが感じられ、気分も良くない。彼は手にした端末の画面をぼんやり眺めていた。
 散々躊躇った挙句ハイネ局長に送った報告書は短かった。

ーー彼を確保。

 それだけだった。それ以上書く気力が起こらなかった。そして1分後に返信が来た。

ーー機内で引き渡せ。

 局長は彼の短過ぎる報告書で全てを理解したのだ。レインが4Xを取り逃がしたことを。
そしてセイヤーズの息子にも逃げられたことを。

 否、逃げられたんじゃない・・・

 それ以上考えたくなかった。ライサンダー・セイヤーズが背中を麻痺光線で撃たれて川に転落したなんてことを。そして少年の姿を濁流の中で見失ったことを。更に目的の少女が何処にも見当たらなかったことを。
 部下達も疲弊していた。少年達を慣れない山道で追跡して撃ち合いをした。そして手ぶらでまた長い道のりを歩いて帰った。部下達はまだ自分達が誰を追いかけていたのか知らされていない。メーカーの残党だと思っている。レインは彼等にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。まだ真実を話す許可を上からもらっていない。ドーム空港に到着すればわかるだろうが、それまでは沈黙を守らねばならない。
 彼の座席は、遺伝子管理局専用の小型ジェット機にある指揮官専用席だ。小さな部屋だが固定されたベッドがあり、その上にダリル・セイヤーズが横たえられている。セイヤーズはレインが自ら打った注射で昏睡している。息子が川に落ちて行方不明になっていることを知らないで、生まれ故郷のドームに運ばれて行くことも知らぬまま眠っているのだ。唯1人秘密を明かされた部屋兄弟のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが時々セイヤーズの口に栄養ドリンクを少量ずつ流し込んでやって世話をしていた。ワグナーは黙り込んでいた。セイヤーズを山の小屋で見た時は興奮して喜んでいたが、レインが任務に失敗したと告げると、無表情になった。彼も4Xの重要性を理解していたし、セイヤーズが同居していた少年が何者か見当が付いていた。それに、レインがセイヤーズを捕らえた時、元恋人に対して行った暴力も察していた。それが2人の兄貴達の仲にどんな影響を及ぼすのか、ワグナーには想像がつかなかったが。
 やがて機長からドーム空港に着陸態勢に入ったと連絡が入った。シートベルトを締めて着陸の軽いショックを受けた。
 航空機は搭乗ウィングへ向かうバスに静かに横付けした。降機する順番は自由。出口に近い座席にいた局員達が先に降りてバスに乗り込んだ。ワグナーが後から来て、バスの乗務員に指図した。

「脱走者を降ろす。 ストレッチャーを用意してくれ。局員諸君は暫く待機!」

 遺伝子管理局の男達は固まった。脱走者とは?
 彼等は自分達がレインに率いられて山狩りに出ている間に、ワグナーが一足先にヘリコプターで運んで航空機に乗せた人物の存在をその瞬間迄知らなかったのだ。1人だけ、ワグナーが抱えて運んで来た男を見た者がいた。衛星データ分析官のアレクサンドル・キエフ・ドーマーだ。彼はセイヤーズの顔も経歴も知らなかった。だから、何故その人物が指揮官専用席に入れられたのか、理由がわからなかった。わからないから、偏愛するチーフ・レインが関心を寄せる人物に早くも嫉妬を覚えていた。
 ストレッチャーに乗せられた男にレインが付き添ってバスに乗り込んだ。乗務員にレインは言った。

「脱走者を逮捕した。」

 バスの中に衝撃が走った。アメリカ・ドームで「脱走者」と呼ばれる人間は1人しかいなかったから。


捕獲作戦  2 1 - 10

 翌朝早くケンウッドは一般食堂でパーシバルと共に朝食を摂っていた。ハイネとヤマザキはまだ早朝ジョギングの後のシャワーから出ていない。パーシバルの出発時刻の件があるので、彼等を置いて先に朝食を摂っていたのだ。パーシバルは昨晩のハイネの引き取りをハイネ自身から断られたことを残念がっていたが、予想もしていたことだったので怒ってはいなかった。そもそも、と彼は言った。

「彼を老人扱いすることが誤りだよな。」
「当たり前じゃないか。彼は今は私達より肉体年齢が若くなってしまったんだ。年老いていく私達に引き取られたくないだろうさ。」
「逆に僕等の面倒を見なきゃいけない恐れもあるしな。」

 ケンウッドとパーシバルは笑い合った。それにしても・・・とケンウッドは笑いが落ち着いた時に切りだした。

「もしセイヤーズと4Xと呼ばれる少女が女性誕生の鍵を握っていて、彼等の協力で地球人が復活するなら、地球人類復活委員会は、世界中のドーマー達を社会に復帰させるプロジェクトを立ち上げる必要があると思うんだ。」
「それは今から始めた方が良いかも知れない。僕は、人間だけに女性が生まれないのはおかしいと前から思っている。きっと何か、一つだけの些細な原因が見つけられていないだけなんだ。それが見つかった瞬間にドームは不要になり、ドーマー達を地球の一般社会に戻してやらないといけなくなる。僕は今回の巡回が終わったら、委員会にドーマーの社会復帰プロジェクトの立ち上げを提案してみる。」
「ベルトリッチ委員長なら、きっと取り上げてくれるさ。彼女は現場経験があるから、ドーマーが如何にドームの外の世界と切り離されてしまっているか理解している。いきなりドーマーを外に出すのは無責任だってわかっているさ。」

 2人は口をつぐんだ。ポール・レイン・ドーマーがテーブルに近づいて来たからだ。きっちりとダークスーツを着て、出動の準備を整えた様子だった。
 パーシバルは笑顔で立ち上がり、彼をハグして朝の挨拶をした。ケンウッドは彼と接した時だけレインが穏やかな表情をすることを知っていた。このドーマーがいつもそんな表情をしていられる日がいつか来るだろうか。セイヤーズの帰還は彼の心の平安を取り戻してくれるだろうか。
 パーシバルがレインから身を離した。

「セイヤーズを迎えに行くのだね、ポール?」
「はい・・・素直に戻ってくれると良いのですが。」

 パーシバルが今回はセイヤーズとの再会を遠慮して昼前にはアメリカを去ることは、接触テレパスで伝わった筈だ。パーシバルは余計な説明をしなかった。

「セイヤーズには子供がいるって・・・?」
「ええ・・・多分、片親は俺です。」

 本当に親しい者の間だけの秘密だ。パーシバルは深呼吸してから、レインに諭した。

「セイヤーズには地球の将来が掛かっているかも知れない。もしかすると、君には納得の行かない処分指示が月から来ることも考えられ得る。」
「・・・覚悟しています。」

 レインが囁いた。

「俺達はその為に選ばれたドーマーですから。」

 パーシバルはもう一度彼をハグした。

「どんなことになっても、ケンウッドやハイネを恨まないでくれ。彼等は絶対に君達を守ろうとする筈だから。」
「十分に承知しています。ですから・・・」

 レインは自分から身を離してパーシバルの目を見つめた。

「俺がダリルの心をここへ戻せるよう祈って下さい。あいつは体だけ拘束しても駄目なんです。」
「君を信じている、ポール。」

 パーシバルはレインの背中を叩いた。

「さぁ、行ってこい! 気をつけてな!」

捕獲作戦  2 1 - 9

 ハイネもケンウッドも、ワッツに泊まっていけと言ったのだが、頑固な大工の元親方は自室のベッドでなければ眠れないと断った。それで、ペルラもその夜は早めに失礼することに決めて、ヤマザキにワッツの手術の予約を取ってもらってから、2人の老ドーマーは車椅子と共に静かに去って行った。

「考えたら、僕等はドーマー達にお泊まりの経験をさせてやらないからなぁ・・・」

 パーシバルが残念そうに呟いた。彼は美男子好きだが、ワッツの燻し銀の様な重厚な雰囲気の男も好きだった。溜め息をついた彼は、ハイネのグラスにブランデーを注いだ。

「君はたっぷり経験しているだろう? お泊まり・・・」

 するとハイネが声を立てずに笑った。ケンウッドが珍しく彼をからかった。

「ハイネはいつも夜明け前に帰るんだよ。部下達の出勤時間にかち合うと拙いからね。」

 ハイネは肯定しない代わりに否定もしない。パーシバルに注いでもらったブランデーをクイっと飲んだ。
 パーシバルが体をリビングテーブルの上に乗り出した。

「もし女の子が生まれない謎が解明されて、ドームが解散になった時、君はどうするんだ、局長?」
「ドームが解散?」

 ハイネが面食らった表情になった。彼はドームが不要なモノになることを願いながら、その実現される日が自身の存命中に来るとは思っていないのだ。100年もの長い年月を生きて来て、更に後50年は生きるだろうと予想されている男は、パーシバルの質問に困惑した表情を見せた。

「それは、ドームと言う施設がなくなると言うことですか?」
「うん・・・機能する必要がなくなると言う意味だな。」

 ハイネは返事を出来ないでケンウッドを見た。ケンウッドは真面目な答えを出した。

「もし今ドームの解散が決定されても、暫くは機能させなければいけないよ、ヘンリー。女の子を産める女性はこれから生まれて来るのだし、彼女達が女の子を産み始める迄は取り替え子を続けなければならない。ドームはまだ最低でも20年は必要とされる筈だ。」
「だから・・・」

 パーシバルが焦ったそうに続けた。

「そう言うことも全部ひっくるめて・・・明日からドームは閉鎖ですってなった時、どうするのかと訊いているんだよ。」

 彼はグラスを持ったままのハイネの手を掴んだ。

「火星に来てくれよ。コロニーの空気はドーム程清浄じゃないかも知れないが、地球の微生物の多い大気よりは安全だ。君は普通に暮らせると思う。だから、僕達と一緒に住んでくれないか? 地球人保護法も撤廃されるだろうし・・・」
「おい、ヘンリー、君はハイネを火星に攫って行くつもりか?」

 ヤマザキが呆れて非難の声を上げた。

「ハイネは飛行機にも自動車にも乗ったことがないんだぞ。いきなり宇宙船に乗せるなんて無茶だ。」

 パーシバルは頑張った。

「キーラとも話し合ったんだ。僕等が元気なうちにドームが解散になったら、君を引き取ろうと・・・」

 何故かそれを聞いたケンウッドは軽い嫉妬を覚えた。パーシバルは親族であることを武器に、念願の白いドーマーを手に入れようと画策しているのだ。ケンウッドは思わず口を挟んだ。

「私が彼を引き取るよ。」

 パーシバルとヤマザキが彼を振り返った。ケンウッドは言った。

「ハイネは地球から出ないさ。私もこのままこの惑星に骨を埋めたい。ドームは解散になっても、後処理の仕事はいくらでも残っている筈だ。私はそれを片付けていく。ハイネだってやることがいっぱいあるさ。」
「あー、ちょっと待って下さい。」

 ハイネがコロニー人達の会話に割り込んだ。

「皆さん、お忘れのようですが、私には妻がいます。」

 勿論、パーシバルはそれも考慮に入れていた。

「キーラとサヤカは親友だ。一軒の家に同居が難しければ、近所に住めば良い。マーサの家が空いて・・・」
「あの女の家に住めですって?」

 ハイネが眉を顰めた。

「お断りします、ヘンリー。」
「ハイネ、マーサはもういないんだ。高齢者介護施設に現在の夫と一緒に移住した。彼女は君を煩わせたりしないよ。」
「いいえ、結構です。私はニコラスとサヤカと一緒に地球に残ります。」

 ヤマザキがニヤニヤしながらパーシバルを見た。

「振られたな、ヘンリー。」

 パーシバルが天井を仰いだ。

「ここで姑に足を引っ張られるとはなっ!」

 ハイネが笑い出し、ケンウッドも吹き出した。


2018年9月27日木曜日

捕獲作戦  2 1 - 8

 ハイネの部屋で開かれた酒盛りに、初めてエイブラハム・ワッツ・ドーマーが参加した。自主的に来たのではなく、ペルラ・ドーマーに車椅子に乗せられて無理矢理連れて来られたのだ。ワッツは外見は酒が好きそうに見えるのだが、実際は下戸で殆ど飲めない。だから今迄ずっとハイネの誘いを断って来たのだ。しかし今回は、ペルラは目的があって彼を連れて来た。

「ヘンリー、エイブの神経を診察してやって下さい。」

 酒盛りの席では無礼講だ。ドーマーも執政官も巡回医師も役職ではなく名前で呼び合うルールがいつの間にか出来ていた。ワッツはそれも馴染めないと言って嫌がっていたのだ。局長は局長、長官は長官だ、と。だが屁理屈だ。日常会話では、彼はハイネをローガン・ハイネと名前で呼んでいたし、ケンウッドも長官や博士でなく、ニコラスと名前で呼んだこともあるのだ。
 ヤマザキがパーシバルに説明した。

「エイブの脚が痛むのは骨でも筋肉の衰えでもない。膝の関節の神経が骨に接触しているから痛むんだ。手術を受ければ元通りに立って歩けると言い聞かせているのだが、言うこと聞かなくてね。」

 するとワッツは梅ソーダを一口飲んでから反論した。

「私はこの痛みと10年近く付き合って来たんです。今更体にメスを入れてもらおうなんて思っちゃいませんよ。」
「エイブ、今時メスで治す病気は殆どないよ。」

 ペルラが注意して、ヤマザキがパーシバルにワッツの検査結果を見せた。パーシバルとケンウッドは一緒に資料を覗き込んだ。

「レーザーで神経の先端を少し削ってやればいいんじゃないか?」
「私もそう思う。」

 ケンウッドが顔を上げてワッツを見た。

「半時間程度で終わる簡単な手術だよ、エイブ。」

 本当はかなり慎重を要するのだが、そんなことはこの際言わない。ワッツに手術を受けさせて昔の様に颯爽とドームの中を歩いて欲しかった。
 ワッツはハイネを見た。ハイネが何か味方になる様なことを言ってくれないかと期待したのだが、こう言う個人的な案件に対してローガン・ハイネは全く関心を示さない。真剣な顔で皿に並べたクラッカーの上にチーズクリームを絞り出してカナッペを作ることに没頭していた。全部同じサイズ、同じ分量で同じ形でなければ気が済まないのだ。失敗すると・・・

「あっ、またハイネがつまみ食いした!」
「欠陥品を処分しただけです。」
「ものは言い様だな。」
「相変わらず子供みたいな爺さんだ。」

 ペルラが咳払いして話をワッツの膝に戻した。

「エイブ、君はただ手術が怖いだけじゃないのか?」
「なんだとっ!」
「エイブ、この手術は痛いことも何ともない。終われば半日休憩して、後は走りさえしなければ普通に歩ける様になるさ。」
「・・・」

 ワッツが黙り込んだ。すると、やっとハイネが視線を彼に向けた。

「エイブ、脚を動かさないと、直に寝たきりになるぞ。君が小さいドームに閉じこもったら、誰が私のブレーキ役になってくれるのだ?」

 ハイネの言葉が効いた。ワッツは渋々ヤマザキに向き直った。

「執刀医は貴方ですか、先生?」
「僕がするつもりだが、不安があればヘンリーに来てもらおうか?」
「否・・・貴方で結構です。」

 ワッツは少し頰を赤らめて言った。

「ローガン・ハイネをまだ1人にしておけませんからな。」

2018年9月25日火曜日

捕獲作戦  2 1 - 7

 パーシバルは体を起こし、ハイネから離れた。施術台から降りてケンウッドの前に立った。

「セイヤーズは、元気なんだね?」
「レインの報告では元気そのものらしい。」

 ケンウッドは素直に喜べないこの「朗報」をどう伝えようかと考えたのだが、名案が浮かばなかった。

「らしい?」
「レインは彼に直接会った。だがセイヤーズからこちらへのメッセージは何もない。戻りたいと言わないんだ。」
「もうサンテシマはいないじゃないか。」
「ドームの外の暮らしに馴染んでしまったんだよ。」
「普通のドーマーなら目を瞑ってやれるだろうが・・・」

とヤマザキ。彼はハイネが身を起こしたので服を手渡した。ハイネは日課を終えたので私服だ。最近オフの時間は私服が多い。昔のような運動着やスーツの着崩し姿でドーム内を歩き回らなくなった。結婚すると服装も変わるのか、とヤマザキがからかったことがある。ハイネは照れ臭そうに微笑んだだけだった。
 パーシバルはセイヤーズがドームに帰って来たがらないことを心配した。セイヤーズは進化型1級遺伝子を持っている。野放しに出来ない危険な能力を持っているのだ。だから遺伝子管理局は絶対に彼を連れ戻さなければならない。そしてその役目を負うのは、彼の恋人だったレインだ。レインは彼を見逃してやるつもりなどない。それはパーシバルにもわかっていた。レインにとってドームは神聖な「自宅」で「故郷」だ。それを裏切る者は決して許さない。恐らくセイヤーズを麻痺光線銃で撃って動きを封じ込めてから捕まえるだろう。セイヤーズが怒ってもレインは命令に従うのだ。
 パーシバルはハイネを振り返った。ドーマーを統率するこの男が、セイヤーズをどう扱うか、それがセイヤーズの今後に大きな影響を与えるのは間違いない。

「ヘンリー、今夜は泊まるのだろう?」

とケンウッドが尋ねた。

「ハイネの部屋に集まらないか? グレゴリーも来る筈だ。」
「勿論、ハイネがお招きして下さるなら。」

 ハイネがニッコリした。

「勿論、お招きさせて頂きます。」
「サヤカは・・・」
「私の部屋は今でも女人禁制です。」

 彼は付け加えた。

「それに彼女は今夜は夜勤当番ですから。」
「嫁さんが働いている時に、亭主が飲んだくれるのかい?」

 パーシバルがからかっても、ハイネは怒った風でなく、ヤマザキの方を見た。ヤマザキが苦笑した。

「僕も今夜は夜勤じゃないので、飲めるよ。」
「明日、セイヤーズが戻って来たら会うかね、ヘンリー?」
「否・・・」

 珍しくパーシバルは尻込みした。

「僕がここに居た時代はサンテシマが支配して居た時と重なる。ポールは気にして居ないが、セイヤーズはあまり良い思い出を持って居ないだろう。僕はあの子がここで落ち着いて、僕のことを思い出してくれたら、その時に会うことにするよ。」


捕獲作戦  2 1 - 6

 世の中には地球人保護法を全く気にしないで、平気でドーマーを抱いたりお触りするコロニー人がいる。夕刻、ケンウッドは医療区へ行った。ヤマザキ・ケンタロウが彼を見て、クスッと笑った。

「あんな姿を彼は絶対に部下に見られたくないだろうな。」

 怪訝な顔をするケンウッドを導いてヤマザキは隣の理学療法区画へ向かって歩いて行った。その日は午後から巡回医師のヘンリー・パーシバル博士が神経科の診察をする予定だった。同科の患者は目下のところ3名だけで、うち2名は執政官だ。既に診察は終わっていて中央研究所に戻っている。残りの1名はグレゴリー・ペルラ・ドーマーで、最近は背中の調子が良いので今回の診療はキャンセルしていた。
 
「グレゴリーはヘンリーに会いたくないんじゃなくて、痛みがない時に撫でられるとくすぐったいのだそうだ。だから遠慮した。」
「難しいなぁ・・・」

 ケンウッドは、ペルラ・ドーマーがくすぐったいから診療をキャンセルしたとは信じなかった。ペルラはパーシバルと世間話をするのが好きなのだ。だから、キャンセルは別の理由がある筈で、その理由はヤマザキが施術室の扉を開けると判明した。
 施術台の上でパーシバルが座り込み、自身より大きなローガン・ハイネ・ドーマーを前に横たえて背中を撫でていた。否、マッサージしていた。ハイネは気持ちが良いらしく、全身脱力してだらんとしている。先刻長官執務室でポール・レイン・ドーマーに見せた厳しいリーダーの顔はどこへ行ったやら・・・。

「ヘンリーく〜ん!」

とヤマザキが呼びかけた。

「君の患者リストに遺伝子管理局長が入っているなんて聞いてないぞ。」
「そんじゃ、今入ったんだ。」

  パーシバルは一向に気にしないで、ハイネの背中の筋肉を押したり撫でたりを続けた。

「凄いじゃないか。これで100歳だぞ、ハイネ! こんな弾力のある筋肉を持つ100歳なんて、宇宙にだっていないぞ。」

 ヤマザキが首を振った。

「ハイネ、グレゴリーにヘンリーとの触れ合いの時間を譲らせたな?」
「グレゴリーが譲ってくれたんですよ。」

 ハイネが枕の上で囁いた。

「密談に丁度良いからと・・・」
「密談?」
「何?」

 ヤマザキとパーシバルが同時に尋ねた。ケンウッドが咳払いして、存在を友人達に思い出させた。

「ヘンリーの長年の心残りが解消される日が近いのだよ。」
「僕の・・・?」

 パーシバルはキョトンとしたが、直ぐに思い当たった。

「セイヤーズが見つかったのか?」

 彼は屈みこんでハイネの顔を見た。

「そうなのか、ハイネ?」

 ハイネは目を閉じた。

「レインが見つけました。首尾よく行けば、明日ドームに連れて帰って来る予定です。」




2018年9月24日月曜日

捕獲作戦  2 1 - 5

 ポール・レイン・ドーマーはそろそろ外の支局巡りに出ようと思っていた。代替薬剤は体から抜けたし、溜まっていた事務仕事も全部片付いた。部下達ばかり外で働かせて自身が1人安全圏のドームに留まっていることは、彼の性分に合わなかった。そこへ、局長第1秘書ネピア・ドーマーから連絡が入った。昼食を終えたら長官執務室に顔を出すようにと言う指示だった。レインは訊かなくて良い質問をしてしまった。

「その昼食とは、長官のですか、俺のですか?」

 ネピアはそんな質問をされるとは予期していなかったのだろう、ムッとした声で答えた。

「一般的な昼休みと言う意味だ。」

 そしていきなり通話を終わらせた。レインは溜め息をついた。ネピア・ドーマーにあまり良い印象を持たれていないことは知っていた。それでも、優しいペルラ・ドーマーやセルシウス・ドーマーの時代が懐かしかった。
 取り敢えず「一般的な昼休み」を、局長の昼休みと捉えて、食堂で厨房班に局長が昼食を終えたら教えてくれと依頼すると、彼自身は早々と昼食を終えて図書館で休憩した。昼寝をしないように気をつけて、個室ブースで瞑想した。連絡が入ったのは1時半だった。局長のランチタイムにしては半時間早い。やはり局長も長官に呼ばれているのだろうと見当をつけて中央研究所へ急いだ。
 エレベーターホールでケンウッド長官とハイネ局長に出会った。挨拶をして、一緒にエレベーターに乗り、長官執務室に入った。その間は仕事の話は誰からも出ず、長官と局長は前夜の深夜放送の映画の話をしていたが、レインは見なかったので会話に入って行けなかった。ぼんやりとお偉いさん方もコメディが好きなんだな、と思っただけだ。
 長官執務室に入ると、ケンウッド長官は2人の秘書を隣の小会議室に追い払った。秘書達は慣れているので、直ぐに移動して行った。扉が閉まると、長官は定位置の席に着いた2人のドーマーを見た。話があると言ったのは、ハイネだ。

「それで? ハイネ、何か進展があったのかね?」

 長官の言葉で、レインはハッとした。セイヤーズが支局経由で何か言って来たのだ。連絡用に端末を渡しておいたが、あの男はそれを使わない。ドームの外からかけられる電話は全て保安課が発信元を記録する。それを警戒しているのだ。
 ハイネが養子縁組申請書を出してコピーを長官とレインに配った。ケンウッドは申請者の氏名欄に書かれたセイヤーズの名前を認め、レインに物問いたげに視線を向けた。レインは言った。

「セイヤーズが4Xを見つけて確保したようです。」

 あの男ならやれると信じたのは正しかった。レインは誇らしげに思い、同時に不安を感じた。それで、これから俺はどうすれば良い?
 ハイネ、とケンウッド長官が局長を呼んだ。

「少女もドーマーも必要だ。地球の未来の為に、彼等の協力が必要だ。」
「善処します。」

 ハイネ局長がそう答え、レインに向き直った。

「全ての予定を後回しにして、ダリル・セイヤーズと4Xの確保を優先せよ。」

 滅多に部下に命令をしないローガン・ハイネ・ドーマーが、明確に命令を下した。レインは恭しくそれを受けた。

 

捕獲作戦  2 1 - 4

 成人登録申請の際、本人が遺伝子管理局職員の面接を受けるのは義務であり、遺伝子検査もされる。しかし、性決定染色体の識別は殆ど省略される。ドームで生まれない地球人は全て男性であると言う前提があるからだ。だから、女性が男装してうまく誤魔化せば・・・或いは男性が身代わりになって面接を受ければ・・・。
 事の真相は定かではないが、2名の現在25歳と23歳の北米在住の人物が、成人登録を受けて3年後に「性転換」手術を受けたと報告していた。生物学的には男性と見なされているが、外見は女性だ。恐らく、実際は遺伝子も女性に間違いないのだろう。親はかなり裕福な、社会的に地位がある一族の人間だ。息子は既にいるから、娘が欲しかったのだ。しかし、ドームは女の子の取り替え子をしなかった。だから親はメーカーに女の子のクローンの注文をした。

「ラムゼイは父親からクローン用に預かった遺伝子と、謎の男の遺伝子で女の子を作ったのでしょう。」

 ペルラ・ドーマーの言葉に、俯いて仕事をしていたネピア・ドーマーがびっくりして顔を上げた。

「今、何と仰いました? ペルラ・ドーマー!」

 するとハイネが苦笑して、何も知らなかった現役の2人の秘書に他言は無用と諭してから、北米南部班が現在追っているメーカー、ラムゼイと、遺伝子組み替えで女の子を作ったメーカー、ベーリング、そして山奥で密かに暮らしていたダリル・セイヤーズ・ドーマーの関係をかいつまんで説明した。

「セイヤーズがメーカーに、遺伝子を提供して、クローンを作らせた・・・と?」

 ネピアは大きなショックを受けた。ドームの権威に関わる問題だ。アメリカの恥だ。しかし、キンスキーはまだ呑気だった。

「それは、リン長官の時代の話ですね?」
「その辺りだろうね。」

とセルシウス・ドーマー。

「2、3年前の性転換の件では、許可など遺伝子管理局は関知せずだ。当時の支局が成人登録申請者の身元をしっかり調査しなかった怠慢だと言える。この申請が出された時、中西部支局はハリス元博士が赴任したばかりでゴタゴタしていた筈だ。」

 ネピアは不安げに局長を見た。

「違法製造のクローンの女性が存在するとしても、成人登録をしてしまった以上、こちらは手を出せません。ドームはどうするつもりでしょう?」

 執政官や地球人類復活委員会の出方を心配しているのだ。科学者達は、ドームの外で生まれた女性達を調査したがるだろう。その時に遺伝子管理局に仕事を押し付けてくるのではないかと懸念している。
 ハイネはケンウッド長官が強引に物事を進める人でないことを承知していた。

「ドームは問題の女性達が妊娠して出産に来るのを待つだけさ、ネピア。それに、さっきも言ったが、彼女達はクローンではないだろう。体外受精の子供に過ぎない。」
「そこが大問題なのだ、ネピア。」

とセルシウス。

「ドームの外では体外受精でも女性は生まれないと言うのが地球規模での定説だった。セイヤーズのX染色体が女性を作る能力を持つことは予想されていた。進化型1級遺伝子だからね。だけど、彼が脱走する前に、外にそんな能力を持つX染色体を保有する男がいた、それが問題なんだよ。」

 ペルラ・ドーマーが大きな溜め息をついて、ハイネの注意を引いた。

「局長、サタジット・ラムジーは、古代人の細胞を復活させたに違いありません。」



2018年9月23日日曜日

捕獲作戦  2 1 - 3

 遺伝子管理局長付き第2秘書アルジャーノン・キンスキー・ドーマーは支局から送られてくる申請書の振り分けを行なっていた。成人登録申請書、婚姻許可申請書、妻帯許可申請書、妊娠報告書、死亡届け等、地球人の人生にとって重要な書類ばかりだ。出生証明書だけは全ての地球人はドームで誕生すると言う建前があるので、支局は扱わない。例外はドームに行く余裕なく突然お産が始まって市井の病院で子供を産んだ場合だけだ。
 キンスキーは北米南部班担当地域の書類を分別する時に、タンブルウィード支局からのものに特別な注意を払っていた。北米南部班チーフ、ポール・レイン・ドーマーから慎重に扱って欲しいと頼まれていたからだ。理由をレインは言わなかったが、局長の承認済みだと言っていたので、なんとなく見当がついた。

 あの男が見つかったか・・・

 メーカーの捜査に関することなら、レインははっきりそう言う筈で、あの真面目な男が秘密にしたがるのは恋人か部屋兄弟に関することだけだ。たくさんの書類を振り分けしているうちに、キンスキーの手が止まった。養子縁組申請書だ。その数枚に赤丸が付いていた。タンブルウィードの若い秘書嬢は、イケメンの申請者の書類に赤丸を付ける癖がある。そして一番最初の書類の申請者名が、キンスキーが予想したものだった。
 キンスキーは局長の机を見た。局長は日課の作業に没頭していた。その前にある会議机には、秘書職の大先輩グレゴリー・ペルラ・ドーマーとジェレミー・セルシウス・ドーマーが居て、どちらも自分のコンピュータを持ち込んで検索作業を行なって居た。
 既に「黄昏の家」の住人兼管理者となって久しいペルラと、まだ妻との生活を楽しみたいが為にこちらの仕事に従事して頑張っているセルシウスは、どちらも90歳近い。だがまだ足腰はシャキッとしているし、頭も明瞭だ。彼等が何の作業を局長から命じられたのかキンスキーは知らなかったし、第1秘書のネピアも知らされていない様子だ。その証拠に、ネピアは大先輩が目の前にいるのが気に入らないらしく、いつも以上に無口でしかめっ面して自身の仕事に没頭していた。何かをしくじって先輩に指摘されるのが嫌なのだ。
キンスキーは、自分達がする時間を持てないから先輩達にお声が掛かったのだと理解していた。ネピアが不機嫌になるのは筋違いだ。もしネピアに指示が下されれば、忽ち時間の遣り繰りがつかなくなって、第1秘書は往生しただろう。
 キンスキーは先輩の仕事の邪魔にならない様心がけながら席を立ち、局長の側へ行った。失礼しますと声を掛け、そっと件の申請書類を差し出した。
 ハイネがチラリと視線を書類に向けた。そして呟いた。

「セイヤーズは見つけたか。」

 セイヤーズが見つかった、ではなく、見つけた、と局長は言った。キンスキーは内心驚いた。それでは・・・

 既にセイヤーズは見つかっていたのか・・・

 しかし、セイヤーズが何を見つけたのか、局長は目的語を言わなかった。ペルラ・ドーマーがこちらを見ていることにキンスキーは気が付いた。ハイネも気が付いて、声を掛けた。

「グレゴリー、君も見つけたか?」
「はい、1人・・・」

 するとセルシウスも言った。

「私も・・・どうやら、これが該当しそうです。」



2018年9月20日木曜日

捕獲作戦  2 1 - 2

 アフリカ・ドームの遺伝子管理局長クワク・カササ・ドーマーが、ハイネが送った質問状の返事を送って来た時、ハイネは妻の部屋に居た。アイダ・サヤカは読みたい推理小説があったので、今夜の夫の訪問はちょっと迷惑そうだった。それでも高齢のハイネが疲れた様子でカウチに身を投げ出してテレビを見始めると、なんだか可哀想に思えて読書を諦め、彼の隣に座った。ハイネは、無理に相手をしてくれなくても良いよ、と言う態度で彼女を無視するフリをした。彼女は彼に寄り添い、フサフサの真っ白な髪を撫で、背中に片腕を回して肩に手を掛けた。その時、ハイネの端末にカササの電話が着信した。
 仕事用の電話のメロディだったので、彼女は素早く彼から離れた。
 ハイネが電話に出た。彼が名乗ると、カササが遅い時間に掛けたことを謝罪した。ハイネが呆れた様な声でその謝罪に反論した。

「こちらはまだ宵の口だ。君の方こそ真夜中を通り過ぎているんじゃないか?」
「私はいいんです。昼寝の時間が長いのでね。」

 アフリカの民族は多種多様で生活習慣も異なる。アフリカ・ドームではドーマー達をそれぞれの出自民族の習慣に従って養育するのだ。カササの親は熱帯雨林の多い地区に住んでいた。その民族は人口がそれなりにあったし、大異変の前に宇宙に出て行った富裕層も居たので、女性クローンに不自由しなかった。だから絶滅から免れた。
 カササは肌が黒いが髪は年齢相応に真っ白だ。彼は80歳を過ぎたが、遺伝子管理局長になったのはほんの2年前だ。前任者が長生きしたので、かなり待たされた口で、本人は「5年勤められれば良しとしようかな」などと弱気なコメントを就任の挨拶でしていた。ハイネは、若造が何を言うか、と笑い飛ばして励ました。
 そのカササに、ハイネはセイヤーズ脱走の前に誕生していたと思われる女性達の調査を依頼したのだった。ラムゼイの客は外国人が多く、主に複数の妻を持てる社会の男性達だった。アフリカと中央アジアにその文化が残っていたので、試しに問い合わせてみたのだ。

「メーカーが作ったかも知れない女性の件ですが・・・」

 カササはハイネの依頼内容がまだ信じられなかった。ドーム以外で女性が誕生しているとなれば、これは地球規模の一大事だ。

「現在のところ、当方には成人登録申請をしてきた女性はいません。」
「いない?」
「男のクローンは大勢いますが、女はいません。もしいたら、月に報告していますよ。」

 ケンウッドは一番年長の女性は今年で25歳になるだろうと言った。成人登録しなければ違法出生児達は社会人として活動出来ない筈だ。ラムゼイが作った女性達は、成人に至らずに成長過程途中で死んでしまったのだろうか?
 しかし、カササがこんな意見を述べた。

「女性を作らせた客は富豪なのでしょう? 今の時代、女性のクローンなんて大金を積まねば手に入りません。富豪なら、娘を家の外に出さなくても一生養っていけます。結婚相手も持参金さえ積めば、婚姻許可申請を出さなくても女の親が許せば妻を得られるのです。」
「では、ラムゼイが作った女性がそちらの大陸に居る可能性はあるのだな?」

 カササが頷いた。

「恐らく堅固な要塞みたいな屋敷の奥で大事に育てられているのでしょう。局員達に、探りを入れさせます。」
「期待している。」
「そう仰られても・・・もし発見すれば、こちらの中央研究所で遺伝子検査をしてもらいますから・・・」

 つまり、アフリカで見つかる可能性のある女性の研究は、アフリカ・ドームですると言っているのだ。ハイネは頷いた。アメリカには、セイヤーズがまだいる。
 電話を終えて、ハイネは室内を見回した。彼の大事な女性はキッチンで何か作っていた。チーズの香りが漂ってきて、ハイネはゴクリと喉を鳴らした。アイダが言った。

「お夜食を作りましたから、これを召し上がって貴方のお部屋にお帰りなさい。今夜はお疲れの様だから・・・」
「わかりました。」

 ハイネは殊勝に応えたが、心の中では彼女がそばに来たら捕まえようと思っていた。


2018年9月19日水曜日

捕獲作戦  2 1 - 1

 ポール・レイン・ドーマーがケンウッド長官の執務室に呼ばれたのは2日後の夜だった。ドーマーが中央研究所に呼び出されるのは、「お勤め」の時ぐらいだが、時刻が遅かったので、レインは別件だろうと思った。長官は「お勤め」を随分長い間担当していないし、多くのドーマーが休む夜に体力勝負の仕事を押し付ける人でもない。それでも中央研究所はドーマーにとって「正規の仕事」を意味する場所だったので、レインは新しいスーツを着て出頭した。
 長官がドーマーを執務室に呼ぶ時はほぼ必ずと言って良い程、ハイネ局長が同席するのだが、その夜は珍しく局長はいなかった。レインは少し戸惑いを覚えつつも、長官の執務机の前に立った。

「お呼びですか?」

 ケンウッドはせっせと書類に何か書き込んでいたが、顔を上げた。

「4Xの捜索は何処まで進んでいる? セイヤーズは本当に協力してくれているのか?」

 遺伝子管理局の仕事に長官が直接口を出して来た。普通なら地球人のことにコロニー人が口出しするなと文句を言うところだが、セイヤーズに関して言えば、これはレインとハイネ局長とケンウッド長官しか知らない秘密だった。(とレインは信じていた。幹部クラスの執政官達が情報をシェアしていることなど、一般のドーマーは知らないのだ。)
 セイヤーズはレインが郵便で送付した端末を家に置きっ放しにして出かけた。GPSの信号が動かないので、レインもその程度のことはわかっていたし、予想もしていた。逃げられたとは思っていない。セイヤーズは昔から規則に縛られるのが嫌いなだけなのだ。

「あの男は、やると言えばやります。絶対に約束は違えません。」
「君が彼を信じるのなら、私も信じよう。」

 夜遅く、そんな話でわざわざ呼び出したのか、とレインが思った時、ケンウッドは本題に入った。

「収容したメーカーたちの遺体の中にラムゼイはいなかったそうだね。」

 渋々レインは認めた。

「ベーリングが襲った時、彼は研究所を留守にしていた様です。逃げられました。」
「しかし、施設は破壊された。当分はあくどい商売は出来ないだろう。」
「そう願いたいですが、あの爺様は、方々に同じ様な施設を持っていました。」

 ケンウッドがやっとまともにレインの目を見た。

「君は、ラムゼイが一番大切にしているものを別の場所に隠していると思うかね?」
「俺には、ラムゼイには誰か強力なバックが付いていると思えます。」

 ケンウッドは驚いた。メーカーに黒幕がいると言う考えに、虚をつかれた思いだった。

「そのバックが彼を匿っていると思うのか?」
「恐らく、何らかの手を貸しているでしょう。」

 レインは、ケンウッドが深刻な顔で悩むのを見物した。大きな組織のメーカーを取り逃がしたことには違いないが、長官は何を懸念しているのだろう。

「レイン、メーカーの遺体のDNA照合はしたのだろうね?」
「全員、しました。死亡者リストに登録済みです。」
「その中に、ドーム内出生未登録者はいたか?」

 地球人は、メーカーが作ったクローンでない限り、ほぼ全員がどこかのドームで生まれている。ドームには地球人全員の遺伝子登録があるのだ。死亡した場合は、そのリストと照合して死亡事実を確認、登録する。

「メーカーたちは全員、ドームで生まれていましたよ。」

 皮肉な事実にレインが少しばかり愉快そうに言った。ケンウッドは笑えなかったが、憂慮は少し和らいだ。彼は、ドーマーに部屋に戻って休むようにと言った。レインは素直に退出したが、長官が何に安堵したのか、微かな疑問を抱いた。



4X’s 2 6 - 10

 医療区を出たローガン・ハイネ・ドーマーはその足で中央研究所に行った。端末にケンウッド長官から「来てくれ」とメッセが入っていた。普通ドーマー達は中央研究所に呼ばれる時はそれなりにきちんと仕事用の衣服を身につけて行く。そこで何が行われても、それはドーマー達の仕事だからだ。しかし、ハイネは遺伝子管理局本部での一日の仕事を終えたのだし、今更スーツに着替えて出直すのは面倒だったので、スウェットスーツのままで出頭した。長官だって本当は仕事を上がった筈なのだ。
 長官執務室に入ると、当然ながら秘書は帰宅しており、ケンウッド1人がコンピュータの画面を見つめていた。ハイネは彼の机の少し手前で立ち止まり、暫し目の前のコロニー人を黙って眺めていた。
 ケンウッドはハイネより30歳近く若い。息子と呼んでも良い年齢だ。しかし長官職の激務と皮膚の老化現象の研究家にも関わらず己の皮膚に関心を持たないせいで、ニコラス・ケンウッドは実際の年齢より4、5歳は老けて見えた。知らない人が見れば、ケンウッドの方がハイネより年上だと思うだろう。

 このコロニー人を長生きさせたくば、地球に女性を誕生させねば・・・

 ハイネは軽く咳払いして、存在をアピールした。ケンウッドがハッとした表情で顔を上げ、局長を見つけて頭を掻いた。

「来てくれたのか・・・遅くに呼び出してすまん。」

 ハイネは自分の席に座った。ケンウッドはキーボードに何かのコマンドを入力した。呼ばれたのは己だけかとハイネは少し驚いた。長官執務室に時間外に呼ばれる場合は、大概副長官も一緒なのだ。ケンウッドがまた顔を上げた。直ぐに説明に入った。

「夕方、セイヤーズが女の子を作れると言う話をしただろう?」
「ええ。」
「あの資料とは別に、もう一つ別のグループの子供の記録があったんだ。気になって、夕食後にもう一度読み返して見た。」
「クローンですか?」
「クローンではない。セイヤーズの子供達も正確には体外受精児で、普通の人間だ。現在セイヤーズと一緒に居る少年は、クローンに間違いないだろうが・・・。」

 ハイネはケンウッドが奥歯に物が挟まった様な言い方をするので、早く本題に入れよ、と心の中で呟いた。

「セイヤーズの子供達も、と仰いましたか? まるで他の男の子供が居る様な言い方ですね。」
「ラムゼイは、そのグループの精子提供者の氏名を何処にも書いていないんだ。だが、その子供達の父親は最近迄健在の筈だ。」

 ハイネは聡明だ。ケンウッドが何を言いたいか、直ぐに悟った。

「女の子を作れる男が、セイヤーズの他にもいて、ラムゼイはその男の子供を作り続けていたと、仰るのですね?」
「うん・・・それもセイヤーズが逃げ出すより以前からだよ。しかし、ラムゼイはその父親に関して何一つ個人的な記録を残していない。ただ、”彼”と書いているだけなんだ。」

 ハイネがケンウッドの目を見た。ケンウッドも彼の目を見返した。どちらも同じ疑念を抱いていた。




2018年9月17日月曜日

4X’s 2 6 - 9

「4Xを見つけた時の報酬の代わりに、息子の出生を認める証明書を俺の権限で出してやると約束しました。」

 レインは肩を竦めて見せた。

「もっとも、チーフ会議で後の3人が拒否権を発動すれば、証明書は出せません。」

 彼はそれを承知でセイヤーズと約束したのだ。ハイネは小さく首を振っただけだった。レインはもう一つの約束を述べた。

「セイヤーズ自身は第一優先捜索対象から外すと約束しました。」

 ハイネが黙っているので、レインは再び付け加えた。

「既に彼の所在は確認していますから、捜索は終了しています。」
「策士だな、レイン。」

 ハイネが微かに笑った。レインはセイヤーズに嘘は言っていない。だが無効になっていることを約束しただけだ。
 レインが局長の目を見返した。

「俺にセイヤーズを逮捕させて下さい。他の者に彼を捕まえて欲しくありません。」

 生まれた時からずっと愛し合ってきた、とレインは心の中で呟いた。同僚や部下に手を触れて欲しくない。クローンの息子なんかに奪われたくない。俺たちは只の部屋兄弟じゃないんだ。
 ハイネが目の力を抜いた様に見えた。普段のぼーっとした表情になったのだ。彼は遠くを眺める顔で言った。

「ケンウッド長官が、必ずセイヤーズを取り戻せと仰せだ。」
「はい?」
「彼の遺伝子は地球に女性を取り戻す鍵を持っていると思われる。」
「そう・・・なのですか?」
「我々にとって、彼は必要な人間だ。必ず健康体の状態で捕まえてきて欲しい。」
「わかりました。」
「先ずは、4Xの保護を優先させる。彼が少女を確保したら、君が彼と彼女を確保する。」
「承知しました。」

 レインは、セイヤーズを捕まえるお墨付きをもらった。だが・・・

「息子はどうします?」

 ハイネが振り返った。

「長官の指示に息子の項目はない・・・今の所は。」
「・・・」
「取り敢えず、君自身の体調を整えなさい。万全の体調でなければ、セイヤーズは捕まえられない、そうだろう?」
「はい。」

 セイヤーズがどれだけの時間をかけて少女を探し出すかわからなかったが、レインは休息の時間は十分にあると思った。


2018年9月16日日曜日

4X’s 2 6 - 8

 レインは少し躊躇した。彼はセイヤーズと別れた後、山道を少し下ったところで少年と出会った。ちょっと会話を交わしたが、正直なところ良い雰囲気で話をしたとは言えなかった。少年はレインを敵視していた。ドームから父親を連れ戻しに来ている人間とわかっていたのだ。そして、レインにははっきりわかった・・・

「少年の名前はライサンダーと言います。髪の色は、黒い葉緑体毛髪です。目の色は水色・・・」

 ハイネの薄い青みがかった灰色の目がジッと彼の表情を見つめていた。レインは正直に言った。

「俺の子です。間違いありません。」

 ハイネが一瞬目の焦点をずらした様に思えた。否、ぼかしたと言った方が良いか? 思考に力を置いたのだ。そして直ぐに現状に戻って来た。

「セイヤーズは脱走の折に君の細胞を盗んだか?」
「そう思います。盗まれても可笑しくない状況でした。」
「少年は君に似ているのか?」
「俺にはわかりません。少なくとも、外観は俺と瓜二つではありません。寧ろ、全体の面影はセイヤーズです。俺は・・・パーツで・・・」

 ハイネがやっと視線をレインから外した。壁にはめ込まれているバイオチェックグラフの画面を見たが、レインの健康状態を確認した訳ではないだろう。

「ラムゼイはコロニー人だ。」

と彼は言った。レインは、そうなんですか、としか言いようがない。長官達が妙にラムゼイと言うメーカーに関心を寄せていた理由は解せた。コロニー人でメーカーと言うことは、密入星者だ。そして犯罪者だ。
 ハイネはそれ以上ラムゼイの正体には触れず、レインが出会った少年の分析にこだわった。

「君とセイヤーズに似ていると言うことは、君とセイヤーズの遺伝子を組み合わせていることになる。」
「・・・そうですね・・・」

 ただのクローンではなく、遺伝子組み替えの子供だ。野放しに出来ない。
 レインは気が重くなった。セイヤーズに子供の身分を保証してやると約束してしまった。気がつくとハイネが横目でこちらを見ていた。まだ何か報告があるだろうと目が言っていた。

4X’s 2 6 - 7

 夕食後、キャリー・ワグナー・ドーマーは親切にもポール・レイン・ドーマーが医療区に辿り着くまで一緒に歩いてくれた。部屋兄妹だから親しいし、お互いが大好きなので話も弾んだ。彼等を見かけた人々は羨ましげに眺めた。ドームの男の中で一番の美貌のレインと、美人医師の組み合わせだ。
 医療区のロビーで2人は別れた。別れ際、キャリーが謎めいたことをレインに囁いた。

「もしハイネ局長と意見が別れた時に、御呪いを唱えると良いわ。」
「御呪い?」

 怪訝な顔のレインに、キャリーはにっこりして、さらに声を小さくした。

「アイダ博士のお部屋のキーナンバーを何時お知りになったの?って。」

 意味がわからずにポカンと立ち竦むレインに、キャリーは「おやすみ」と手を振ってアパートへ帰って行った。
 何だかわからないまま、レインは受付を済ませ、ロボットによる形式だけの診察を受けた。そして入院の手続きを済ませ、入院病棟の指定された部屋に入った。直ぐに担当の看護師が現れ、キャリーが予告した通り、薬剤の効力を緩和させる点滴を処置された。
 1人になると昼間のことが色々頭に浮かんで来た。18年かけてやっと見つけだした恋人は、既に半分彼のものでなくなっている。それを感じて、彼は哀しかった。セイヤーズは彼の注意を常に半分息子に向けていた。全てをレインに向けてくれなかった。あの息子はなんなんだ? クローンの分際で生意気な口を利きやがって・・・
 病室の入り口の消毒ミスト噴射装置が作動する音が聞こえた。局長の到着だ。レインは寝巻きになっていることをちょっと残念に思った。仕事の時はきちんとスーツで居たかった。しかし、彼の後悔は意味がなかったことが直ぐに判明した。ベッドの横に立ったレインの前に現れたハイネ局長はラフなスウェットスーツ姿だった。ボスがスーツ姿のままだと目撃した部下達が穏やかに休息を取れない、と気遣って、彼は一旦その日の仕事から上がると私生活モードに入ったことを見た目でアピールするのだ。
 レインが挨拶しようとすると、手で座れと合図しただけだった。自分で椅子を引き寄せ、ベッドの脇に座ると、ハイネは部下を眺めた。

「代替薬剤の具合はどうだ? 短期間に2度も接種するのは、これきりだぞ。」
「承知して居ます。我儘を聞いて頂いて感謝して居ます。」

 ハイネは頷き、直ぐに本題に入った。

「セイヤーズ本人であることを確認したな?」
「はい。」
「外部との接触はどの程度だ?」
「恐らく、食糧や生活必需品の調達以外は他人との接触を最小限に控えている様子です。ドームのことは一切喋っていないでしょう。」

 ハイネはレインの目を見つめた。レインは緊張を覚えた。局長はテレパシーを持っていないが、相手の微細な表情の変化で感情を読み取ってしまう。彼は、認めたくないことを認めた。

「セイヤーズはラムゼイにクローンを作らせた模様です。」

 ハイネが頷いた。

「君達が押収したラムゼイの資料の中に、それを裏付ける記録があるのを、ケンウッド長官が発見された。」
「本当ですか!」

 レインは疑惑が真実だとわかって、何故かホッとした。彼1人で抱え込む秘密とするのは荷が重過ぎたのだ。
 ハイネが尋ねた。

「彼の息子はどんな子だ?」

2018年9月15日土曜日

4X’s 2 6 - 6

 ポール・レイン・ドーマーがドームに帰投したのはケンウッド達幹部が夕食を終える頃だった。彼は消毒を終えるとゲートの内側に入り、端末を返却してもらった。直ぐに本部に帰投の連絡を入れた。時間的に局長も仕事を終えている筈だったので、直通でかけるとハイネは直ぐに出てくれた。バックに賑やかなざわめきが入っていたので、一般食堂だと見当がついた。戻った旨を告げた。ハイネは彼に夕食を採ったかと尋ね、まだだと答えると必ず食べるようにと言われた。仕事の報告を何処でするべきか訊く前に、ハイネの電話にヤマザキが割り込んで来た。

「レイン・ドーマー、抗原注射の代替薬剤は体力の消耗が通常のものより激しい。食事が済んだら医療区に来なさい。」
「しかし、報告が・・・」
「ハイネが医療区に来る。そこで報告すると良いだろう。」

 ハイネが、聞いてないよ、と言う顔をするのが画面で見えた。しかし医者は完全に主導権を獲っており、ハイネにそれ以上意見を言わせずに電話を切った。
 上司に逆らうことを知らないドーマー、ポール・レインは渋々手近な中央研究所の食堂へ足を運んだ。一度医療区を通り抜けて、また戻らねばならない。自宅アパートで寝ていれば済むんじゃないかと内心不満だったが、ドームでは医療区は絶対だ。長官すら逆らえない。医師の命令を無視して保安課に捕獲されるのは御免だった。
 医療区から出ると直ぐにファンクラブに見つかった。声を掛けられたが、いつもの様に無視して食堂へ入った。珍しくキャリー・ワグナー・ドーマーが1人で食事をしていた。夫のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが西海岸へ出張しているので、今夜は1人なのだ。レインは、この部屋姉妹のテーブルへ行った。

「同席して構わないかな、キャリー?」

 キャリーが顔を上げ、にっこり笑った。

「構わないわ、ポール兄さん。」

 ファンクラブが距離を置いた。女性ドーマーに迂闊にちょっかいを出すと厄介な事態になる。地球人保護法違反とセクハラで訴えられかねない。それにキャリーは精神科の正規の医師なので、コロニー人も彼女の医療診断に従わねばならない。もし「異常行動を採っている」などと言われたら、保安課に観察棟へ連れて行かれてしまう。
 勿論、レインはそう言うことも計算の内だった。可愛い妹は強力な味方でもあるのだ。
 キャリーはレインの特別任務の内容を知らなかったが、通常の薬剤でない物を抗原注射で接種したことは知っていた。だからレインが食べるのを眺めて、食欲に異常がないことを確認した。

「明日は運動も通常の半分の量に減らして十分な休養をとると良いわ。」
「忠告有難う。食事の後で医療区に行けとヤマザキ博士に言われているんだ。」
「それなら安心だわ。」

 キャリーがにっこりした。

「きっと一晩点滴を受けることになるでしょう。でも明日になれば通常の効力切れの時より体が楽になっている筈よ。」
「そうなのか?」
「ええ。ケンタロウ先生が薬剤管理室に解毒剤の手配をしているのを聞いたもの。」
「医療区で局長に面会することになりそうだが・・・」
「病室は立ち聞きされずに済むしね。」

 キャリーは距離を置いてテーブルに着いているレインのファンクラブをちらりと見た。

「兄さん、あの人達、なんとかならないの? うざくない?」
「うざいに決まっているだろう。」

 レインは精神科医に本音をポロリと漏らした。

「だが、役に立つこともあるんだ。あれでも一応執政官だからな。」



4X’s 2 6 - 5

「ラムゼイは、使用した卵子を顧客の女性から採取したものと思われる。だから、売却されたのは客自身の子供、もしくは妻の実子だ。」
「精子は? 地球人の精子はY染色体のものしか女性のX染色体に受け入れてもらえないだろう?」
「だが、ある特定の男のものは受け入れられたのだ。」

 ケンウッドがハイネを見たので、ハイネが懸念を口に出した。

「進化型遺伝子保有者のものですね?」

 ケンウッドが頷いた。ヤマザキはまさかと呟いた。

「その、進化型遺伝子は1級危険値S1じゃないだろうな?」
「ラムゼイは・・・」

 ケンウッドはダルフームに見せた内容を語った。

「S1因子を除去すれば女の子は生まれない書いている。」
「つまり、祖先の記憶を代々受け継ぐS1だからこそ、女性のX染色体に男のX染色体が受け入れられた?」
「うん。」
「大異変前の遺伝の記憶をS1は持っている?」
「恐らく・・・それから、ラムゼイは、生まれた女の子のS1因子はヘテロだから、能力の発現はないとも書いている。」

 ハイネが視線を何処か遠くへ向けた。

「セイヤーズは何の目的でラムゼイに精子を渡したと思います、長官?」
「目的?」
「今日、ポール・レイン・ドーマーが、山の小屋に住んでいる男がダリル・セイヤーズであると確認しました。」

 ハイネは昼寝直前に受け取ったレインの報告書の内容を、さらりと言った。

「セイヤーズは少年と同居しています。彼はレインに、その若者を彼の息子だと言った。クローンなのです、その少年は。それに、セイヤーズは、レインがラムゼイの名前を出すと反応したそうです。レインは、クローンの息子の製造元はラムゼイだと睨んでいます。」

 ヤマザキが悩ましげな顔をした。

「セイヤーズは自身の息子が欲しくてラムゼイに自身の体液を渡したんだな・・・ラムゼイはこっそり一部を流用したか・・・」

 ハイネが別の考えを述べた。

「セイヤーズは高価なクローンに払う金を持っていなかった筈です。ラムゼイが報酬として求めたのではありませんか? セイヤーズの価値を知っていなくても、ドーマーの子種ならそれなりに売値が付くと思ったのでしょう。」

 ケンウッドはハイネの説を認めた。

「ラムゼイはセイヤーズから得た染色体を使用前に分析していた。腐っても遺伝子学者だからね。どんな遺伝子なのか調べずにいられなかったのだろう。そして、とんでもないものを得たと知ったに違いない。」
「ラムゼイが作ったのは、女の子だけですか?」
「男の子もいたが、そちらはY染色体だから、S1は持っていない。」

 ケンウッドはハイネを見つめた。

「セイヤーズをどうしても取り戻したい。ハイネ、頼む、あのドーマーを捕まえてくれ。」





4X’s 2 6 - 4

「もし本当に方程式が存在していたら、女の子は1人ではなく大勢生まれていた筈だしね。」

 ヤマザキも納得した。ハイネもベーリングの研究結果を信頼していなかった様子で、落胆しなかった。そんなことだろうと思った、と言う表情をしただけだ。
 アイダはベーリングとかラムゼイとかの名前を聞くのは初めてだった。ハイネは仕事の話を夫婦の時間に持ち出したりしないからだ。しかし彼女は口を挟まず、ケンウッドの話は出産管理区の業務に無関係だと心の中で断じた。
 ケンウッドはラムゼイの資料の話に移った。ラムゼイは既に50年近く活動していたらしく、資料が膨大で、現在のところは「どんなクローンを作ったか」から始めているところだとケンウッドは言った。男の子のクローンは、正直なところドームは興味を持っていない。女の子が欲しい客の要求に従ってラムゼイが作った女の子のクローンを調べているのだ。

「地球人の知識人の大半が、既に女の子が生まれないことに気が付いている。彼等は女の子がドームでしか生まれないことを承知していて、ドームに頼らずに女性を誕生させようと独自で研究までしているんだ。」
「ラムゼイがそう記録しているのかい?」
「うん。だから彼の顧客は金持ちで教養がある富裕層ばかりだ。」
「ドームへ行っても女の子を得られると限らないから、クローンを作りたがるんだね?」
「そうだ。それにドームは女の子を一つの家族に1人しか与えられない。娘を大勢欲しいと思う家族は、クローンに頼る。」
「姉妹、と言う単語が死語になりかけていますものね。」

 アイダが溜め息をついた。男性が姉妹を持つことはあっても、女性が姉妹を持つことはない。出産管理区で地球人女性と毎日接しているアイダはそれを痛感していた。彼女が火星にいる姉のことをつい口にすると、妊産婦達はぽかんとするのだ。

ーードクターには、お姉さんがいらっしゃるの?
ーー羨ましいわ。女の”きょうだい”ってどんなの?

「それで?」

とヤマザキが急かした。彼はちょっと空腹を感じ始めていた。

「僕等に聞いて欲しいってことは何だね?」

 ケンウッドはちょっと躊躇ってから、ハイネを見た。

「ラムゼイは17年前、3人の女の赤ん坊を中東からの客に売却している。」

 ハイネは聡い。その年月を表す数字を聞いて、眉を上げた。

「その女の赤ん坊のオリジナルは・・・」
「オリジナルなんていないんだ。その赤ん坊達は、普通の卵子と精子を受精させた普通の体外受精児だったのだよ。」

 アイダが息を呑んだ。ヤマザキもぽかんと口を開けた。ハイネもフリーズした。



2018年9月14日金曜日

4X’s 2 6 - 3

 監視カメラの死角になっている木陰で、遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーが上着を丸めて枕がわりに寝ていた。そのすぐ側の立木にもたれかかって出産管理区長アイダ・サヤカも目を閉じて脱力していた。いつも多忙な夫婦の束の間の休息だ。ちょっと想像していた状態と違っていたので、ケンウッドは肩透かしを食らった気分になった。ヤマザキの言い方を聞いて、もう少し公序良俗に反する行為をしているのかと危惧してしまったのだ。ヤマザキはそんなケンウッドの拍子抜けした表情を横目で見て、ニヤッと笑った。
そして故意に木の枝を揺すって音を立てた。
 先にアイダが目を開き、数秒後にハイネも目覚めた。どちらも熟睡している訳ではなかったのだ。ほんの少しの休憩だ。その邪魔をしてしまったケンウッドは申し訳なく感じた。
 ハイネが上体を起こし、アイダが端末を出して、時刻を見るふりをして画面を鏡がわりに顔をチェックした。ケンウッドは彼等の前に出た。

「起こして悪かった。」

 彼が謝ると、ヤマザキが後ろで

「もう昼寝の時間でもあるまいに。」

と呟いた。確かにドームの壁の向こうは暗くなっていた。
 ハイネが脚を前に出して座り直した。

「2人お揃いで、何かありましたか?」
「僕もそれを聞きたいね。」

 ヤマザキはまだ何もケンウッドの要件を聞いていない。アイダが

「私は席を外しましょうか?」

と尋ねたので、ケンウッドは首を振った。

「否、貴女にも聞いてもらいたい。本当は副長官にも聞かせたいのだが、彼女は今クローン製造部にいるから、後で話す。」

 ヤマザキがハイネの隣、アイダの反対側に座った。ケンウッドは彼等の前に腰を下ろした。立ったままだと誰かに立ち聞きされるような気がした。

「今日は、遺伝子管理局が押収したメーカーの資料を手が空いている執政官達で整理していたんだ。」

 それ自体は珍しいことではない。品質の良いクローンを製造出来る腕を持つメーカーが摘発される度にドームはそのメーカーの研究資料を分析してきた。何か女性誕生の手がかりがないか、探れるものは徹底的に探ってきたのだ。

「4Xと呼ばれる少女を遺伝子組み替えで作ったらしいトリスタン・ベーリングの研究は、かなり行き当たりばったりで、女の子を生み出した偉業にそぐわない。少女の誕生は、恐らく全くの偶然だったと思われる。ベーリングは方程式どころか、正確な記録すら録っていない。方程式の噂を流したのは、ベーリング本人ではない筈だ。多分、彼の研究室を解雇された者のリークだろう。」

 ケンウッドは本題に入る前に、今までに解ったことをざっと説明した。

2018年9月13日木曜日

4X’s 2 6 - 2

 ケンウッドは小会議室を出て、隣の長官執務室に戻った。どうしても長官の署名が必要な書類を片付け、秘書と翌日の打ち合わせをすると、既に夕刻だった。小会議室ではまだ数名の科学者が資料の分析を続けていたが、ケンウッドは自身の体調維持の為に、その日の業務に一区切りつけた。先刻発見したことを教えたい人がいた。彼は執務室を出て、歩きながら端末で電話を掛けた。
 相手はなかなか出なかった。こんな場合、先方は寝ている・・・。ケンウッドは相手の位置情報を探り、庭園の一角を突き止めた。食堂で待ち合わせする手もあったが、出来ればまだ他の人間に教えたくなかった。ダルフームも同じ思いだったので、どちらも小会議室に居合わせた人々に何も教えていないのだ。
 ケンウッドは中央研究所を出た。足早に歩いていると、向かいからヤマザキ・ケンタロウがやって来た。この男にも知らせたい。ケンウッドは声を掛けた。

「時間を取れるかね、ケンタロウ?」

 ヤマザキが足を止めた。

「取れる時間があるから、ここに居るんだが?」

 相変わらず素直な物言いをしない医者だ。ケンウッドは手を振った。

「ちょっと聞いて欲しいことがある。一緒にハイネのところへ行こう。」

 するとヤマザキは意味深な笑みを浮かべた。

「それは拙いんじゃないかな? 邪魔すると怒られるぞ。」

 ケンウッドは足を止めた。親友の顔を見て、言葉の意味を考えた。

「ハイネに怒られる? 一体・・・」
「野暮だな。」

 ヤマザキは引き返してケンウッドに並んだ。

「電話を掛けたか?」
「掛けたが出なかった。」
「じゃぁ、サヤカの端末に掛けろ。」
「アイダ君の?」

  ケンウッドが端末を出しかけると、ヤマザキはその手を抑えた。近くを若い執政官が通った。彼が通り過ぎてしまう迄待ってから、ヤマザキは言った。

「僕が場所を知っている。どうせ起こすんだから、直接行こう。」

 ケンウッドは彼が起こす相手を him ではなく、them で表現したので、やっと事態を理解した。


4X’s 2 6 - 1

 ケンウッドは久し振りに科学者に戻った気分だった。遺伝子管理局北米南部班が中西部から回収して来たメーカーの資料、トリスタン・ベーリングとラムゼイ博士のアジトから持ち帰った遺伝子組み替えやクローン製造の記録や計算式、理論などの資料を読み解くのだ。
 小会議室で、己の研究を一旦中断しても良いと言う執政官達が集まって、各自の得意分野でメーカーの資料の解読を行っていた。ケンウッドの専門分野である皮膚の老化はなかったが、彼はメーカー達が生まれたクローンを販売した客を探っていた。メーカーの顧客リストは暗号化されているので、解読に手間がかかった。
 ラムゼイは、女性の子供を販売していた。ケンウッドは読み解くうちに、大変なことに気が付いた。顔から血の気が失せ、すぐ後に今度は血が上った。近くにいたダルフーム博士がそれに気が付いた。

「いかがされました? ケンウッド博士?」

 研究に関する仕事の最中なので、この最古参の科学者はケンウッドを長官ではなく博士と呼んでくれた。ケンウッドは彼を振り返った。ジェフリー・B・B・ダルフームは執政官の誰よりも長くこのアメリカ・ドームに居る。もしかすると、地球上の全てのコロニー人の中で一番長く居るのかも知れない。すっかり歳を取ってしまったが、彼はまだ女性誕生の手がかりを見つけようと毎日研究に励んでいた。

 この人がここに居る間に女性を誕生させたいものだ・・・

 ケンウッドは無言で資料を彼の前に差し出した。ラムゼイの研究所からレインが持ち帰ったものの一つだ。ダルフームは紙に手書きされたその資料を読んだ。彼はグッと唇を噛み締め、大きなショックを受けたことを隠そうとした。ケンウッドは彼が発作でも起こさないかと心配した。
 ダルフームが顔を上げ、ケンウッドを見た。

「これは本当のことなのですね?」
「ラムゼイがこれを他人に見せる意図で書いたのでなければ、真実でしょう。」

 ダルフームは小会議室を見回した。他の学者達はそれぞれに分担された資料を分析するのに忙しく、2人の小声の会話に耳を傾けた様子がなかった。
 ダルフームが資料をケンウッドに手渡しながら囁いた。

「サンテシマがこれを知ったら、自殺しかねませんな。」
「サンテシマどころか、私も地球人に申し訳ない気持ちでいっぱいですよ。」

 ケンウッドは大きな溜め息をついた。

2018年9月12日水曜日

4X’s 2 5 - 10

 ドーマーは、ドームの外で48時間しか活動出来ない。それ以上外にいると、抗原注射の効力が切れて、細菌や汚染された大気や紫外線に抵抗力のない純粋培養の彼らの体は、忽ち衰弱する。レインが細切れの捜査をしたくないことは、セイヤーズにも理解出来た。
限定された時間での捜査が一向に捗らないのは、18年かかったセイヤーズの捜索で証明済みだ。自分が動けないのなら、18年間外気の中で生活して「普通の地球人」並の体になった元ドーマーを使うしかあるまい。レインは仕事に関しては実に合理的な考えを持つ人間だった。セイヤーズは恋人で幼馴染で部屋兄弟であるこの男の考え方を十分理解出来た。

「この娘を見つけたら、私は報酬に何を得られるんだ、ポール?」

と彼は尋ねた。
 レインは、ここへ来る前にドーム長官ケンウッドと交わした約束を提示した。

「君を捜索第1優先対象から除外してやる。」

さらに、ここへ来てから思いついた条件も・・・今この瞬間に思いついたのだが・・・付け加えた。

「息子の子孫登録をしておいてやる。今日、帰ったらすぐにやっておく。」

 セイヤーズが横を向いて呟いた。

「君がここに残るって言うのはないんだな・・・」
「それなら、今すぐ君を車に押し込んでドームに帰るさ。」

 2人は目を合わせた。暫く見つめ合った。睨み合ったと言った方が良かった。微かな緊張感が彼らの間に流れた。どちらも互いに相手がそばに居てくれることを期待して居た。同時にそれが叶わぬ希望だと言うことも承知して居た。
 やがて、セイヤーズが尋ねた。

「妻帯の夢は叶えたのか?」
「クローンの女は欲しくないんだ。」
「コロニー人は地球人と添わないだろう?」
「今は、妻帯に興味がない。」

 レインは心の中で呟いた。

 俺が今欲しいのは、おまえだけだ、ずっと探していたんだぞ。それなのに、こんなド田舎で、子供を作って・・・

 彼は立ち上がった。別れを告げると、セイヤーズは気が抜ける程あっさりとその挨拶を受け入れた。レインは連絡方法を伝え、いかにも自然に見えるように振舞いながら、石造りの家を出た。



2018年9月11日火曜日

4X’s 2 5 - 9

「ラムゼイと言うメーカーを知っているだろう?」

 いきなりレインはセイヤーズの心臓を掴むような名前を出した。

「ラムゼイと言えば、この大陸の業界最大手だ。素人でも知っている。」

 セイヤーズが再会による興奮から急速に冷めていくのを、レインは感じた。
ラムゼイがライサンダーの製造元であることは間違いなさそうだ。
 2人は向かい合って座り直した。

「ベーリングと言う業者は知っているか?」
「いや。」
「ラムゼイに対抗していた新興勢力だった。」

 レインが過去形を使ったことにセイヤーズは気が付いた。

「ラムゼイに潰されたのか?」
「互いに潰し合ったんだ。そう、仕向けてやった。」

 レインがよく使う手だった。摘発に時間がかかる相手には、直接手を下すことはせずに、謀略を用いて自滅させる方向へ誘導する。抗原注射の効力が48時間しかないので、「通過」をしていない彼には、この方法が一番楽だった。時間と手間がかかるが、部下を危険に曝さずに済む。
 レインは簡単にラムゼイとベーリングの2つのメーカー組織の間で起きた抗争の過程を語った。セイヤーズは記憶にある昔の仲間の名前が出る度に目を輝かせた。懐かしいだろう? とレインは心の中で呼びかけた。みんな、まだお前を待っているんだぜ。
 4Xの話に至ると、セイヤーズは遺伝子管理局が少女を保護出来なかったことにショックを受けた。砂漠の中に、女性が貴重なこんなど田舎に、少女1人彷徨っていると言うのか?
 レインはポケットから端末を出して、写真を呼び出した。それをセイヤーズに見せた。

「ラムゼイの研究所にあった写真のコピーだ。ベーリングの研究所にも同じ子供のデータが残っていたから、この子に間違いなかろう。」

 セイヤーズは写真を眺めた。4Xは、綺麗な少女の姿をしていた。
年齢はライサンダーとあまり変わらないだろうか。普通の人間の女の子だ。
利発そうな目でカメラを見ている。

「遺伝子組み替えの少女なんだな?」
「恐らくな・・・メーカーたちは、ただ『4X』としか呼ばなかった。」
「多倍体であろうとなかろうと、女の子は今の地球では貴重な存在だ。一人で外を歩かせては駄目だ。」
「そんなことはわかっている。」

レインは端末を仕舞った。

「だから、探して欲しい、と君に頼みに来たんだ。」

2018年9月10日月曜日

4X’s 2 5 - 8

 レインの詰問口調に、セイヤーズは否定しなかった。

「私の息子は遺伝子管理局の目を盗んで産まれた。私が創ったんだ。」
「ダリル・・・」

 レインは首を振った。彼の恋人は恐ろしい違反を犯したことを告白したのだ。一般人が違法クローン製造を依頼すれば、教育刑1年又は2年を食らう。しかし、外で暮らす元ドーマーが同じことをすれば、ドームに強制収容され、観察棟で反省する迄幽閉処分となる。期限はない。反省したと執政官会議で認められる迄だ。そして違法クローンの子供は取り上げられる。2度と親に戻されることはない。親が刑期を終えれば再び子供と一緒に暮らせる一般人の場合と違って、元ドーマーは厳しい罰を受けるのだ。

「君なら、申し込めばいつでも養子がもらえたはずだ。何故、そんな違法を・・・発見されれば再教育は免れられないぞ。息子は管理局収容所に収監される。君の子供ではなくなるんだ。
わかっているだろう、君自身の仕事だったんだから。」

 セイヤーズはレインを見つめただけだった。やがて彼は席を立ち、レインの隣に移動した。レインは動じなかったが、タンブラーをテーブルに置いた。セイヤーズの「魂胆」が理解出来た。18年前と同じだ。レインの誘いに乗って、しかし自分の思いつきを実行してしまう。
 レインは誘惑に乗るまいと己に言い聞かせ、相手に言った。

 「俺は君を告発しに来た訳ではない。息子の件は俺しか知らない。君が仕事をしてくれるなら、目をつぶる。息子が婚姻する折にはデータを改竄して守ってやってもいい。兎に角、今は仕事をして欲しい。困っているんだ。」

  セイヤーズが彼の膝に手を置いた。レインは彼が自分を欲しがっていることがわかった。しかし、今はヨリを戻しに来ているのではない。人類の存亡がかかっているかもしれない女性を捜索している最中なのだ。
 硬い表情の彼の顔を見て、セイヤーズは恋人が任務のことしか頭にないと悟った様子だった。小さく溜め息をついて言った。

「わかった、話を聞こう。」

4X’s 2 5 - 7

 レインは若者をもう一度振り返った。帽子からはみ出した若者の黒髪がキラキラと緑色の光を放っていた。レインは呟いた。

「人前に出すのを避けているんだな。」

 彼の言葉が聞こえなかったのか、セイヤーズはドアを開き、彼を招き入れた。レインは用心深く屋内に足を踏み入れた。昼間だったし、窓もあったが、屋内は薄暗く、外から入ったばかりの目には真っ暗に思えた。目が慣れてくると、そこには質素なリビングがあった。手作りのテーブル、椅子、棚。粗末と言えば粗末だが、機能的で使い勝手が良さそうだった。セイヤーズが自力で作ったのだ、とレインは胸がいっぱいになった。買う金はないし、作る時間はたっぷりあったのだろう。
 セイヤーズが声を掛けた。

「何か冷たい物でも飲むか、ここにも冷蔵庫くらいはあるんだぞ。」

 台所に行きかけた彼の手をレインは掴んだ。肌を通して”声”が聞こえた。

  今は駄目だ

 レインは黙って彼を引き寄せた。顔を向けた彼に言った。

「お茶を飲みに来た訳じゃない。仕事の話だ、ダリル。」
「飲みながらでも出来るだろう。逮捕される前に君とお茶を飲ませてくれ。」

 逃げたりしないよ、ポール

 レインは手を離した。セイヤーズは台所に入って行った。直に棚や冷蔵庫を開閉する音が聞こえた。レインはテーブルの上にある新聞を手に取った。一週間分の紙の新聞だ。セイヤーズはコンピュータも端末も持っていない。情報は紙の新聞で得ているのだ。ネット利用で足が付くのを防ぐ為に、機械を使わないのだ。お陰で捜索が18年もかかってしまったのだが、セイヤーズが生まれ持った進化型1級遺伝子S1の悪戯もなかったのだ。
それはダリル・セイヤーズと言う男が決して危険な人物ではないと言う証拠ではないのか。レインは微かな希望を抱いた。S1を所有する人間が宇宙軍の管理下に置かれると執政官が言っていた。だが危険でなければ地球が管理しても良い筈だ。セイヤーズは地球人なのだから。
 セイヤーズがトレイにソーダ水のタンブラーを載せて戻って来た。テーブルにそれを置いて、レインの向かいに座った。

「ビールは飲めなかったよな、ポール?」
「ああ」

  レインは喉の渇きを覚え、一口だけ飲んだ。人工甘味料の味がしたので、それ以上は飲む気が失せた。こんな毒性のある物を、ドームの外では平気で飲むのだ。セイヤーズもその悪癖に染まってしまった・・・。
 彼は仕事の話をしようとして、メーカーを思い出し、メーカーから先刻出会ったばかりの若者を思い出した。

「息子の母親はどうしたんだ、ダリル。君は婚姻登録も子孫登録もしていないが。俺は君の住まいを見つける為にあらゆる法律上の記録を調べたが、この辺鄙な土地の住所登録で君の名前を発見するまで、何一つ見つけられなかった。あの息子は婚外出生児か、それとも違法出生の子供なんだな?」




2018年9月9日日曜日

4X’s 2 5 - 6

 レインとセイヤーズは互いに抱き合い、背中を手で叩きあった。

「相変わらず、いい体してるなぁ、鍛えているのか?」

 セイヤーズが用心深く体を離しながら尋ねた。勿論彼は答えを期待していない。ただの話のきっかけを探っているだけだ。

「まだあそこで働いているのか?」
「そうだ、俺にはあそこしかない。君のように外へ出る勇気はない臆病者だから。」

 レインは勿論自身を臆病者とは思っていない。だが、セイヤーズの勇気は認めていた。認めていたが、何故そんな馬鹿な行動をとったのか、理解出来なかった。ドームの中ほど安全で清潔で楽しい場所は他にないのに。
 セイヤーズはコメントしなかった。ちょっと躊躇っている。彼はレインがここへ来た理由を知っている。何が目的なのかわかっている。そして、それに従えないことも、レインが彼がドームに戻るつもりがないことを知っていることを知っている。
 レインは仕事の優先順位を思い出した。先ずは少女の捜索をセイヤーズに依頼しなければならない。その言葉のきっかけをどうしようか。
 背後で、ずっと離れた場所で、溜め息が聞こえた。レインはもう1人の人物の存在を思い出した。彼は振り返り、トラクターの運転席にいる若い男を見た。

「子供か?」

 努めて自然に質問した様に聞こえただろうか? 
 セイヤーズは即答しなかった。手で石の家を指した。

「ここは日差しが強いから、中で話そう。」

 そして若者に言った。

「ライサンダー、すまないが後をやっておいてくれないか。」

 ライサンダーと呼ばれた若者は、1人で耕す羽目になった畑を哀しそうに見回した。

「終わったら釣りに行ってもいいかな、父さん?」

 父さん? レインは懸念が本当だったと知った。若者は既に声変わりしている。恐らく15歳以上になっているだろう。セイヤーズはずっと人知れず子供を育てていたのだ。
 セイヤーズは「いいとも」と許可を与えた。ドームの話を息子に聞かせたくないのかも知れない。
 レインは石造りの家に向かって歩き出しながら言った。

「俺を息子に紹介しないのか? 息子の紹介もなかったな。」
「来客には慣れていないんだ。」

 セイヤーズは言い訳した。

「礼儀作法はなにも教えてないんだよ。」

4X’s 2 5 - 5

 ドライブコンピューターに目的地の座標を入力して、自動運転にすると、レインは上着を脱いだ。日差しが強く、紫外線カットの車内はエアコンを利かせていたが、それでも車内温度はジリジリと上がってくる。上着を脱ぐと光線銃のホルスターが露出した。レインは少し迷った。目的地にいる男がダリル・セイヤーズだと言う自信があったが、もし違っていたら、相手は身を守ろうとするだろう。銃が必要になるかも知れない。ダリルなら、レインに危険な行為をしない筈だが、同居人はどんな行動をとるだろう? セイヤーズは抵抗しない代わりに逃げるだろう。その時、麻痺光線が必要なのではないか?
 悩んだ挙句、レインはホルスターは装着したまま、銃だけ脱いてダッシュボードに入れた。これで相手が誰だろうと、こちらには傷つける意思はないのだと伝わるに違いない。
 車は土埃を上げながらダラダラうねうねと曲がりくねった山道を登って行った。
 セイヤーズに会ったら、最初になんと声をかけよう。レインは18年間考え続けてまだ結論を出せない悩み事に、終止符を打とうとしていた。
 コンピューターが目的地に到着したと告げた時、彼は頭に浮かんでいた3つの最終候補の台詞を全部忘れてしまった。真っ白な頭のまま、彼はブレーキをかけた。
 目の前に、貧相な野菜畑があった。収穫が一度終わって、次の作物の種を撒く準備をしていたのだが、農耕の知識がないレインには、ただの乾いた更地に見えた。
 古いポンコツのトラクターに男が1人乗っていた。麦わら帽子を被っている、その襟足に覗く髪は黒かった。彼が顔をこちらに向ける時、髪がキラリと緑色に光った。葉緑体毛髪だ。レインは己の地毛の色を思い出し、嫌な気分になった。彼は自身の髪が嫌いだった。
トラクターの上の若い男が岩の塊に見える家屋に顔を向けて何か怒鳴った。レインはそれに釣られて同じ方向に目を向けた。
 家屋の前にもう1人の男が立っていた。古いコットンのシャツとズボンを身につけ、古い野球帽を被っているが、日焼けしたその顔は18年間忘れたことがなかった男のものだった。彼は手についた泥を払い落としていた。車内の人間の顔を判別出来た筈だ。それに黒塗りの車、中西部にありながら東海岸のナンバープレートで登録されているセダンが、何処の物かもわかっている。
 レインは彼の顔を見つめたままドアを開け、外に出た。革靴が埃まみれになっても気にしなかった。否、気づかなかった。彼は紫外線避けのサングラスを取った。喉に力を入れ、声を出した。

「やあ、ダリル、久し振りだな。元気そうだね。」

 本当はこんな台詞を言うつもりじゃなかった、と彼は意識の底でぼやいた。もっと気の利いた言葉を考えていたのに・・・。誰にもわからない失敗を隠す為に、レインは無理矢理笑顔を作った。
 セイヤーズはやっと彼が誰だかわかった様だ。目を丸くした。

「君か、ポール。驚いたな、まるでトニー小父さんみたいだ。」

 剃髪した姿を見たのは初めてなのだ。しかし、セイヤーズが車内の彼を識別出来なかったことを、レインはちょっと残念に感じた。車内が外の人間から見ると暗くて中の人間が見え辛いなんて、考えが及ばなかった。いつものレインらしくないことだった。
 セイヤーズがゆっくりと近づいて来た。逃げない。だが用心している。レインが遊びに来たのでないことぐらい承知しているのだ。
 レインは手を前へ出した。セイヤーズがその手を握った。いきなり感情の波がレインに押し寄せて来た。

  ポール、会いたかったよ! 遂に見つけてくれたんだな!!

 その瞬間、セイヤーズはポール・レイン・ドーマーのダリルに戻った。


2018年9月8日土曜日

4X’s 2 5 - 4

 翌朝、かなり早い時刻に医療区に押しかけたポール・レイン・ドーマーはヤマザキ博士から文句タラタラ言われながら抗原注射を接種してもらい、その足でゲートを出ると機上の人となった。朝食は機内で済ませた。機内には早朝に自宅に帰る新しい母親達と赤ん坊が乗っていた。遺伝子管理局の人間にとって、これは当たり前の風景で、ミルク臭い機内の空気も慣れていた。朝食を終えると彼は座席で1時間ばかり眠った。同行者はいない。支局巡りに出かける部下達は一つ後の便だし、中南米へ出かける班は別の飛行機に乗っていた。レインの出張は、ゲート係とフライトスタッフしか知らないのだった。必要な休息を取る為に、彼は何も考えなかった。頭を空っぽにして目を閉じるとすぐ眠りに落ちた。これは訓練の賜物だ。ドーマー達はストレスを溜めないように、直ぐに睡眠に陥る訓練を若い時分に受ける。短い睡眠でも十分疲れを取るように自力で精神状態を調整するのだ。
だから、中西部の上空に来た時に目覚めると、頭の中は少しスッキリしていた。
 タンブルウィード空港、一般には中西部空港と呼ばれる埃っぽい空港に降り立つと、レインは支局の前に停められている黒塗りのセダンに近づいた。前日の夕刻に連絡を受けた支局が用意してくれた車だ。職員が1人、車のそばに立っていて、彼が近づくとお愛想笑いを浮かべて、朝の挨拶をした。レインは愛想が悪いがその美貌で支局の男性職員にも人気があった。愛想が悪くても親切なところがあるので、カッコイイ男なのだ。

「お一人ですか、チーフ・レイン?」
「うん。緊急の面談が一件だけだ。部下を連れてくる必要がないのだ。」

 今日出かけるチームは中西部には来ない。レインは誰にも邪魔されずにセイヤーズに会いたかった。
 キーを受け取って、彼は車内に乗り込んだ。職員は既に支局の建物に向かって歩き去ろうとしていた。レインは彼の名を呼んで引き止めた。

「例の少女は見つかったか?」

 見つかっていないことを承知で尋ねると、職員は首を振った。

「いいえ、誰も見かけた人はいません。警察も諦めた様子です。」
「砂漠に迷い込んだのかも知れんな。」
「それなら、もう生きていないかも知れません。」

 レインも首を振って同意した。

「所詮はメーカーが作ったクローンなのだろう。」

 彼は行って良しと合図して、自身もエンジンをかけた。そして街の北に連なるなだらかな岩だらけの丘陵地帯に向かって走って行った。

4X’s 2 5 - 3

 遺伝子管理局内務捜査班チーフ・ビル・フォーリー・ドーマーはそろそろ「黄昏の家」に移住しようかと考えていた。体が昔に比べると動きが鈍くなったし、視力も衰えてきた。聴覚もあまり信用出来ない。だから局長から久しぶりにお声が掛かった時、厄介な案件でなければ良いが、と思った。弟子で副官のコリン・エストラーベン・ドーマーを伴って局長執務室に顔を出すと、第1秘書のネピア・ドーマーが少し嫌な顔をした。局長が呼んだのはフォーリー1人だけで、エストラーベンを呼んだのではない、と言いたい訳だ。フォーリーはネピアなんか怖くないので無視した。
 局長は午後の仕事は全部終えていたので、秘書達にも帰宅して良いと言い渡してから、フォーリーを自身の執務机の側へ呼んだ。

「君はこのサイトを知っているか?」

 ハイネは会議テーブルの3D画像を使わずにコンピューターのデスクトップに画像を出して見せた。フォーリーは「失礼します」と断って机の局長側に回り込み、画面を覗いた。それは「猿も木から落ちる」と題された動画で、維持班の高所での修理作業の時に起きた細やかな事故だった。足場で1人が足を滑らせ、下にいた2人の仲間を巻き添えに滑り落ちるところを撮影したものだ。幸い大した事故ではなく、ペンキを被った3人が互いの顔を指差しあって笑い合うところで終わっていた。
 ああ・・・とフォーリーが唸った。

「若い連中が最近話題にしていましたな。私はアドレスを知りませんので、今初めて見ましたが。」
「私もヤマザキ博士に教えてもらったところだ。」

 ハイネはエストラーベンも呼んだ。50代のエストラーベンは流石に今話題のサイトを知っていた。

「面白いですよ。他人の失敗や隙を撮影した、悪趣味と言えば悪趣味ですが、悪気のないサイトだと私は解釈しています。静止画はもっと面白いです。食堂での食事風景が多いですが、変顔特集が特に人気です。みんな、自分の変顔を撮られて悔しがりますが、本気で怒る者はいません。」
「撮影者は不明なのか?」
「はい。私はアドレスを調べましたが、個人で作ったらしく、管理者の特定が出来ません。見つけたと思ったら、巧みに複数のコンピュータを経由して姿を眩ませてしまいます。」
「保安課も調査したらしいのですが、どうも正規の通信回路を使っていないらしくて・・・」

 フォーリーの言い訳にハイネが眉を顰めた。

「正規の通信回路を使用していない?」
「巧妙に機械に司令を出す回線を使ったもののようです。」

 維持班には機械に詳しい者が多い。進化型1級遺伝子を持っていなくても、工学が得意な遺伝子を持っているドーマーは多いのだ。その遺伝子を持って生まれた為にドーマーに選ばれたのだから。
 ハイネはパパラッチの正体を突き止めるのは辞めようと思った。

「このサイトは害はないのだろう?」
「内務捜査班としては、調査対象にしておりません。被害届けは出ていませんので。」
「それに、捜査の手助けになる場合もあります。」

 既に事実上内務捜査班の指揮を執ることを許されているエストラーベンが言った。

「届けが出た事案の決定的証拠が写っている場合がありましたし、逆に何時何処で撮影されるかわからないと言う不安から、破廉恥行為を慎む執政官もいます。」
「地球人保護法違反の抑制効果があると言うのだな?」
「そうです。もっとも撮影された者から肖像権やプライバシー侵害の届出があれば、削除するようコメントで警告しますがね。」
「従ってくれているのか?」
「現在のところは素直です。」

 ハイネは頷いた。覗き見される心配は拭えないが、下手に騒ぐような事案ではないらしい。
 こうして、パパラッチサイトは、公認された。



2018年9月6日木曜日

4X’s 2 5 - 2

「ハイネ・・・本気で言ってるのか?」

 ヤマザキ・ケンタロウは渋い顔で親友の遺伝子管理局長を睨みつけた。

「ポール・レインは帰投してまだ1週間も経っていないんだぞ。」
「承知しています。私も後2日は休ませたかったのですが、本人の気が逸って落ち着かないらしいのです。何しろ・・・」

 ハイネは溜め息混じりに言った。

「セイヤーズを見つけたのですから。」
「しかし、レインが体を壊したら、セイヤーズを連れ戻すどころじゃなくなるだろう?」

 そう言いはしたものの、ヤマザキもレインが逸る気持ちを理解していた。18年間探し続けていた恋人を遂に発見したのだ。レインは自身の健康など考えていられない気持ちだ。
 ハイネが青みがかった薄い灰色の目でじっとヤマザキを見つめた。この男も愛する女を手に入れる為に、死も辞さない、とケンウッド長官を脅したのだ。

 ドーマー達は皆クールに見えて情熱的なんだから・・・

 ヤマザキはコンピュータに薬剤変更指図を打ち込んだ。

「わかったから、その切なそうな目で見つめるのは辞めてくれ、ハイネ。まるで僕が君達に意地悪をしている様な気分になるじゃないか。」

 最後に署名を入れて、薬剤管理室に送信した。半時間後には薬が届く筈だ。

「これでレインは明日出かけられる。だけどハイネ、他の部下にこの裏技を教えたりしないでくれよ。」
「その点は大丈夫、信用して下さい。」

 どうだか、とヤマザキは心の中で呟いた。
 その時、彼の端末が「お知らせ」メロディを鳴らした。彼が登録してあるサイトの更新があったのだ。それはちょっとした彼のお楽しみだった。ハイネに「失礼するよ」と言って、端末を開いた。ハイネは彼が画面を覗いて、「ほうっ」と声を上げるのを聞いた。
 ヤマザキはハイネを見た。

「珍しく、美女3人がケンさんに注目している。同席している君を差し置いて、ケンさんに、だ。どうなってるんだ?」

 ハイネは昼間の食堂のことだと直ぐにわかったが、それが何故ヤマザキにお知らせで通知されるのか、解らなかった。ヤマザキの端末を覗き込んだ。
 食堂のテーブルでケンウッドとケプラー議員、サントス秘書、それにゴーン副長官がそれぞれ相対している。テーブルにはハイネも同席していたのだが、画面の端っこ扱いだ。
写真の下に投稿者のコメントが入っていた。

ーーケンウッド長官、美女に迫られ、タジタジ・・・

 確かに、ケンウッドの表情は追い詰められた人間のそれだった。
 ハイネは顔を上げてヤマザキを見た。

「このサイトは何です?」
「知らないのかい?」

 ヤマザキがクスクス笑った。

「今、ドーマーや若い執政官の間で話題になっているパパラッチ・サイトだよ。誰が撮影するのか知らないが、ドームの住民の恥ずかしい瞬間を上手く撮ってアップするんだ。それも人気者や幹部ばかり狙ってね。」

 ハイネの表情に不安の色が現れたので、彼は安心させようと追加した。

「撮影場所は主に食堂や図書館、運動施設だ。中央研究所や遺伝子管理局なんかの重要施設での画像はない。所謂公共のみんながリラックスしている場所での撮影だな。」
「アパートはないのですね?」
「ない。見たことがないから、撮影者はマナーを心得ている。」
「庭園は?」

 ヤマザキは、ハイネが何を心配しているのか悟った。彼は妻とのデートの現場を押さえられることを心配しているのだ。

「庭園は危険だな。普通に昼寝したり、ベンチに並んで座って話をしている程度だったらパパラッチも興味を持たない筈だが、遺伝子管理局長が出産管理区長を抱きしめていたりしたら、大スクープだぞ。」
「ご忠告有り難うございます。」

 ハイネは心密かに思った。後でビル・フォーリーを呼ぼう、と。


2018年9月5日水曜日

4X’s 2 5 - 1

 連邦議会の議員と秘書は夕刻宇宙へ帰って行った。ケンウッドは送迎フロア迄見送り、女達がゲートから出て行くと、ホッと一息ついた。一体何が目的で彼女達が地球に来たのか、結局解らずじまいだった。ただケンウッドをからかいたかったのかも知れない。
 ハイネはテレビで有名になった部下達や維持班のドーマー達がコロニー人の好奇の的にならずに済んで、同じくホッとしていた。コロニー人達はドーマーをアイドルか何かと勘違いしている。
 ハイネが部下達の報告書に目を通していると、ポール・レイン・ドーマーから電話が入った。近頃よく直通で電話をかけてくる。昔はほとんど口も利かなかったので、大人しい男か、敬遠されているのか、と思う程度だった。しかしダリル・セイヤーズの捜索に関する熱意がそうさせるのか、局長がセイヤーズを諦めていないと知ってからは、積極的に連絡を取ってくるようになった。そしてハイネはそれが嫌ではなかった。クロエル・ドーマーの様に無条件に懐いてくれる部下も嬉しいが、レインの様に頼ってくれる者の存在も彼には喜びだった。
 レインの要件は彼が予想した通り、抗原注射の代替薬品使用許可を求めるものだった。

「これで終わりです、どうか許可をお願いします。ヤマザキ博士を説得していただけませんか?」
「後2日待てないか?」
「待てません。ダリルは逃げないと思いますが、4Xが無事でいるとは思えません。ラムゼイの手に堕ちては、保護が難しくなります。」
「ふむ・・・」

 ハイネはレインが最後に注射を打った日から何日たったか考えた。そして妥協点を見つけた。

「セイヤーズの本人確認と4X捜索の依頼、一日あればそれだけは出来るな?」
「一日ですか?」
「一日だけだ。薬剤を半量にして接種してもらえ。 君ならその程度の時間で二つの仕事をやれるだろう?」
「・・・出来ると思います。」
「思う?」

 ハイネのリピートに、レインはちょっと慌てた。出来ると断言しなければ、局長は注射の許可を与えてくれないのだ。レインは急いで答えた。

「出来ます。」

 ハイネは頷いた。ポール・レインなら出来ると彼には確信があった。

「では、ヤマザキ博士に伝えておこう。明日早朝運動の後に医療区に行きなさい。」
「有り難うございます!」

 レインの声が元気になった。
 電話を終えて、ハイネはヤマザキ・ケンタロウをどう説得しようかと考え始めた。

 

2018年9月4日火曜日

4X’s 2 4 - 10

「要するに、私はあっさり諦めてもらえる、軽い男だった訳だ。」

 ケンウッドが自嘲気味に言った。彼はケプラーの体裁の為に追加した。

「私がふった形だが、あっさり退かれてしまうと、後でこちらががっくり来たってソフィアは知らなかっただろうね。」
「あら、泣いてすがりついて欲しかったの?」

 ケプラーとサントスが笑い、ゴーンとハイネも苦笑した。ケンウッドも笑うしかなかった。
 今こうして笑って話が出来て、良かったと思った。この後再会する可能性があると誰も断言出来なかったが、もし何処かで出会っても、お気楽に挨拶出来るだろう。
 サントスがハイネを見た。

「貴方にはお好きな方はいらっしゃるの? 女性でも男性でも・・・」

 ハイネは営業用の微笑みを浮かべて答えた。

「私の立場で特定の人物に心を寄せていると言うのは、拙いですね。しかし、強いて申せば、男性より女性の方が好みです。」
「優等生なのね。」
「ヴァレリア、失礼ですよ。ハイネ局長は私達よりずっとお歳が上なのよ。」

 あっ! と言う表現をサントスは見せたが、ケンウッドにはそれが演技なのか本当の驚きなのか判別出来なかった。サントスはハイネに失礼を詫びた。ハイネは気にしていませんよ、と笑顔で許した。もっとも、これが男性相手だったら、彼は拗ねて見せた筈だ。コロニー人を相手にする場合、ハイネは男女差を明確にする。本当に女性が好きなのだ。
 ケンウッドは自身が長官であることを思い出した。そして元婚約者の1人は政治家だ。

「次は何処を見学するのかね、ケプラー議員」

 突然現実に戻ってしまった彼に、ケプラーがちょっと驚いて眉を上げた。

「いきなり現実に帰るのね。」
「時間を考えただけさ。仕事がなければゆっくり君達のお相手をしていたいがね。」

 ケンウッドはハイネを見てちょっと笑った。

「初めてハーレムの気分を味わえたし・・・」

 ハイネも目が笑っていた。

「今日1日、空けてあるのでしょう、長官? 打ち合わせもありませんでしたし。」
「君は午後の予定はどうなっているんだ?」
「部下の報告書を読むことにしています。」

 するとケプラーが尋ねた。

「遺伝子管理局の見学は出来ますか?」
「駄目です。」

 ケンウッドとゴーンが即答した。あまりに早かったので、ケプラーは口を閉じ、サントスが代わりに言った。

「禁止されているのですか?」
「遺伝子管理局は地球人の役所です。コロニー人の介入は許されていません。これは、ドームが創設された時に、地球とコロニーの間で交わされた約束です。」

 ケプラーはハイネ局長を見た。女性大好きな局長が何とか妥協してくれないか、期待したのだろう。しかしハイネは視線をデザートの南瓜のチーズケーキにロックオンしていた。こんな場合の局長は、他人の要求を受け付けてくれない。または彼自身の意見しか言わない。つまり、ケプラー議員の要求には答えるつもりがない、と言う意味だ。
 ケンウッドはドームのルールを改めて思い出し、客人達に言った。

「ドーマーに関する施設の見学はお断りします。貴女のお仕事には関係ない筈ですから。」





2018年9月3日月曜日

4X’s 2 4 - 9

 え〜、と言う顔のゴーン副長官と違って、ハイネ局長は恐らく冗談なのだろう、こう言った。

「長官は、ハーレムをお持ちだったのですか?」

 ケンウッドは思わず吹き出し、女性達も一瞬の沈黙の後に爆笑した。その笑い声で周囲のテーブルに居た人々が彼等に振り向いた。
 笑いの発作をどうにか押さえつけて、ケンウッドはハイネを見て言った。

「ハーレムは男の夢だね。だが、私はハーレムを持てる程裕福じゃないし、モテたりしないよ。それに二股かけるのは趣味じゃない。」

 アイダ・サヤカと言う正妻がいながら、お誕生日ドーマーに指名されると喜んで女性執政官のお相手をするハイネは、皮肉っぽく返した。

「では、この方々との婚約には、時間差があるのですね?」
「ヴァレリア・サントスと別れて3年後にソフィア・ケプラーと出会った。」

 ゴーンがケンウッド、サントス、ケプラーを順番に見比べた。

「もし差し支えなければ、お別れになった理由をお聞かせ願えません? 今なら笑い話に出来るのではないかと思いますが?」

 これまでの女性客2人の様子から判断して、彼女達は互いに同じ男性を愛した者同士と認識し合っている。ゴーンはそう確信していた。
 ケプラーとサントスが互いの視線を交わし合った。どちらが先かと尋ね合ったのだろう。 すると、ケンウッドがゴーンに向かって言った。

「私はサントスに捨てられたんだよ、ゴーン博士。」
「えっ?」
「私は当時化粧品会社の新商品開発部に雇われていた。大学に残りたかったが、研究者が大勢いて、席が足りなかったんだ。だから民間企業の雇われ科学者をしていたんだが、化粧品と肌の老化の研究は重なることが多くてね・・・ヴァレリアは試作品をテストするモデル達をマネージメントする会社で働いていた。打ち合わせに私の職場によく顔を出しているうちに言葉を交わすようになって・・・」

 サントスが彼に最後迄言わせなかった。

「当時のニコラスは真面目だけど陽気な学者だったのですよ。ハンサムだし、運動もしていたし、流行の話も豊富に持っていました。」
「それじゃ、今の私は陰気で、ハンサムではなくなって、運動をしない時代遅れの男みたいに聞こえるじゃないか。」
「誰もそんなこと、言ってません!」

 サントスは怒ったふりをしたが、目は笑っていた。

「彼の欠点は、女性のお肌をマジマジと見つめてしまうことだったのです。お肌の老化の研究家ですから、仕方がないことでしたけど、私も若かったので、彼が女性達を見境なく見つめるので、恥ずかしかったし、不満もありました。見つめるなら、私だけを見て欲しくて。」

 ケプラーが、わかるわかる、と首を振った。

「それに研究室に篭ると、彼はデートの約束も平気ですっぽかしたし・・・」
「デートの時も研究のことが頭に浮かぶと、会話が上の空になっちゃうのよね。」
「急に職場に戻ってしまったこともあったわ。」

 悪口の羅列にケンウッドがムスッとした顔をした。ハイネがクスクス笑った。ゴーンも笑っている。

「それで、長官をふったのですね?」
「彼がここの長官になると分かっていたら、私も我慢したでしょうけどね。」

 するとケプラーがゴーンを振り返って言った。

「私はヴァレリアとは反対に、ふられたんですよ。」
「そうなんですか?」
「私はジャーナリストでした。化粧品の成分を誤魔化した企業があって、それの解説を聞く為に、別の化粧品会社の研究者にインタビューしました。その時応対してくれたのが、ケンウッド長官で、私達、すぐに意気投合してしまいました。 一緒に住むところ迄は順調に進んだのですけど、私が政治にのめり込むようになると、彼は嫌気が差したのです。
そして、2年目の年始に、彼の方から別れ話が出ました。」

 ケプラーは悪戯っぽくウィンクした。

「私、人並みに泣きましたわ。でもすぐに気持ちを入れ替えて、別々の人生を歩むことに同意しました。」



2018年9月2日日曜日

4X’s 2 4 - 8

 通常ハイネとケンウッドは4人掛けか2人掛けのテーブルを使用するのだが、ケプラーが遺伝子管理局長の同席を求めたので、6人掛けのテーブルに彼等は着いた。連邦議会の議員だと紹介されてもハイネは関心を示さなかった。宇宙のことには興味を持たない、それが彼が生まれてから1世紀守って来たドーマーのルールだ。それに出資者様ではないので、ご機嫌を取る必要もないと思っているらしく、サントスの皿の内容を見るなり意見した。

「油物が多いです。ほどほどの量に抑えないと健康に良くありません。」

そしてケプラーにも、

「ソースの掛け過ぎです。素材の味が台無しだ。」

と言った。ケンウッドは議員が怒るのではないかと心配したが、サントスがハイネに言い返した。

「つまり、お肌に良くないってことかしら?」

 ケプラーが吹き出しそうになり、ハイネが真面目に答えた。

「内臓脂肪のことを言っています。」
「私達の健康を気遣って下さるのね?」
「折角今日迄健康を維持して来られたのに、地球に降りられた途端に食べ過ぎで体調を崩されては、こちらも立つ瀬がありません。」
「ハイネ局長・・・」

 ケプラーが笑いの発作をなんとか収めて話しかけた。

「サントスがお肌のことを持ち出したのは、ケンウッド博士への当てつけですのよ。」
「長官への?」

 ハイネがケンウッドを見たので、ケンウッドは局長が彼の本業を忘れているのだと気が付いた。やんわりと指摘した。

「私の専門は皮膚の老化防止だよ、ハイネ。」
「おや・・・長官も科学者でしたね。」

 ゴーンがクスクス笑った。そして客人達に尋ねた。

「お2人共にケンウッド長官と古いお付き合いの様ですが、どの様なお知り合いでしたの?」

 ケンウッドが深い溜め息をついた。懸念していたことが遂に起きてしまった。彼は腹を括って、副長官の疑問に答えた。

「ゴーン副長官、それにハイネ局長、正直に明かそう・・・」

 彼はケプラーを手で指した。

「私の元婚約者だ。」

 そしてサントスを指した。

「彼女も、私の元婚約者だ。」


4X’s 2 4 - 7

 ケプラーが、ドーマーを見たい、と言ったので一般食堂へ向かった。勿論、ドーマーは出産管理区にも中央研究所にもクローン製造施設にもいるし、ゲート係だってドーマーだ。議員が見たいのは、テレビの放送でお馴染みの遺伝子管理局の人々や、コロニーではお目にかかれない美味しい料理を作る厨房班のスタッフなのだ、とケンウッドは見当がついた。果たして、食堂に入場すると、ケプラーは配膳棚にずらりと並んだ数々の料理を感嘆の目で見つめた。食堂は昼食時間のピークを過ぎて空きが出来てくる頃だった。

「凄い! なんて彩の綺麗な食べ物なんでしょう!」

 サントスもニコニコ顔になった。

「まるで食品見本市みたいですね!」
「毎日こんなのを食べているのですか?」

 ゴーンが笑いながら頷いた。

「ですから、私は長い間地球勤務を希望していましたが、なかなか順番が廻って来なかったのですよ。」
「長官がここに居座っているのも、それが理由かしら?」

 ケプラーがまたケンウッドを刺激するようなことを言った。ゴーンは何故彼女がケンウッドに挑みかかるのかと疑問に思った。
 すると、サントスが誰かを見つけた。

「あの、白い髪の人・・・」

 ケンウッドは、ハイネ局長だと思って振り向いた。そして、白髪の人物がダルフーム博士だと知って、何故かホッとした。

「中央研究所のダルフーム博士です。こちらの食堂に来るのは珍しいが・・・」
「このドームの最古参の科学者です。」

とゴーンも紹介した。ケンウッドも情報を追加した。

「地球人の男性側のX染色体がクローン女性の染色体を拒むことを発見した方です。」

 無駄に40年もドームに居座っている人ではありませんよ、と意味したつもりだった。ただ、悲しいことに、何故X染色体同士が拒み合うのか、解明されていないのだが。
 サントスとケプラーが落胆を隠したのをケンウッドは知っていた。彼女達の反応を察知する方法は十分過ぎる程知っていた。
 その時、彼等の背後で馴染みのあるよく透る声が言った。

「そんな所に立ち止まらないで頂けませんか? 後ろがつかえていますので。」

 ああ、来てしまった、とケンウッドは心の中で苦笑しながら振り返った。案の定、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長が立っていた。ケプラーとサントスが思わず笑顔になるのを視野の隅っこに見ながら、ケンウッドは謝った。

「すまないね、宇宙から来た女性の皆さんが、料理に目移りして動けないんだよ。」




2018年9月1日土曜日

4X’s 2 4 - 6

「女性を子供を産む機械の様に考えていません?」

 ケプラーが尋ねた。クローン製造施設を見学した直後だった。ケンウッドとゴーンはしっかりと首を横に振った。

「確かに、現在の地球は女性が誕生しなくて人口がどんどん減少しています。このままでは文明が衰退して宇宙連邦に再加入することも叶わなくなります。否、それどころか、絶滅の危機が本当に迫っているのです。我々の研究が全く成果を上げられないのは事実で、クローンの女性を地球に渡すのは時間稼ぎでしかないとわかっています。女性達に子供を産んでもらわなければ大変なことになる。しかし・・・」

 ケンウッドは議員を見つめた。

「我々は決して女性達に結婚も出産も強制していないし、義務付けてもいません。彼女達は自由で、一生独身でいる権利もあるし、子供を産まない権利もあります。彼女達が母親になるのは、彼女達の自由であり、権利です。決して彼女達を道具として考えてはいません。」
「地球ではコロニーの様に生殖細胞を細胞銀行に預けてストックする様な方法で子孫を残したりしないのです。女性達は自分の子宮で子供を育て、自分で産んで、育てるのが常識です。だから、母親となる女性が大勢必要なのです。」

 ゴーンが議員に請願した。

「どうか、卵子提供をもっと積極的に呼びかけて下さい。決して損になる話ではありません。提供された卵子は遺伝子検査をしてお返しします。その時に病気の有無がわかりますので、治療方法の紹介が出来ます。子供の性格もある程度わかります。親にとって損はない筈です。それに、地球の子供達はコロニーの財産権を持ちませんから、クローンが何人いようがオリジナルの相続権を犯すことはありません。」

 ケプラーはちょっと考えた。

「今、ここで協力をお約束することは出来ませんが、前向きに努力します。」

 ケンウッドが微かに皮肉な笑みを浮かべた。

「君はいつもそう言って、問題から逃げようとする癖がある。」
「出来ないことは、はっきり言いますよ。」

 ケプラーはソッポを向いた。サントスが、その場を繕う為に、提案した。

「そろそろお昼になさいませんか?」

4X’s 2 4 - 5

 一目惚れと言っても、彼女達が異性愛者であることをケンウッドは知っていた。宗旨替え出来るようなものではない。2人の女性は互いの性格や考え方に惚れ合ったのだ。

「私が勤務していた職場がパーティーを開いてね、その時にソフィアが社長の友人として来たの。政治活動抜きで。お忍びって言う訳には行かないけど、彼女は特に名乗ることもなく、私達に混ざって飲んで喋って楽しんでいたわ。そして私は彼女とお酒のテーブルで出会って、世間話から始まってお互いのイデオロギーとか、そんな話になって・・・」

 ヴァレリア・サントスはケンウッドを見てクスッと笑った。

「男の話もして・・・そしたら、お互い同じ男の話をしているって気が付いて・・・」

 ケンウッドはそれ以上聞きたくなかった。

「それはさぞや盛り上がったことだろうね。」

 彼はガラス壁をコツコツと叩いて、アイダの注意を引いた。そろそろ議員を戻せと言う合図だ。客は泊まっていく訳ではない。見学する予定の場所はまだある。時間が惜しい。
アイダは長官の意向を解して、ゴーンに何か囁いた。ゴーンが頷き、議員に声を掛けた。ケプラー議員が名残惜しそうに赤ん坊の保育器から離れた。彼女はアイダとスタッフのドーマーと握手して、ゴーンと共に通路に出て来た。アイダはもう政治家の相手はしないつもりなのか、中に残った。
 
「次はクローン製造施設に行きましょう。」

 ゴーンが彼女の領域にケンウッドとケプラー議員とサントス秘書を案内した。

「クローンは地球の母親や父親と遺伝的関係のあるコロニー人から卵子を借りて作るのでしょう? でも、妊娠がわかってから提供者を探しては間に合わないのではありません?」
「妊娠を待っていては間に合いません、確かに・・・ですから、婚姻届けが受理された時点で検索して探します。そのカップルに子供が出来るか出来ないか、それは問題ではないのです。赤ちゃんを地球に届けられる機会を少しでも無駄にしたくないのです。」
「では、卵子の提供もその時点で?」
「はいっ!」

 ゴーン副長官は提供者公募の仕事で培った営業用笑顔で元気よく答えた。