2019年7月30日火曜日

家路 2 3 - 2

 ネピア・ドーマーは朝一にハイネ局長にセイヤーズの希望を伝えた。ハイネの返事は、午後2時に面会可能、だった。用件の内容を伝えても、特に関心がない様で、局長は日課に勤しんでいた。そしてネピアは彼自身の仕事が急に忙しくなり、結局のところ、局長の返事を部下に伝えることをお昼迄忘れてしまった。
 思い出したのは、ハイネが長官執務室での打ち合わせ会に出かけて小一時間も経ってからだった。

 しまった、局長に叱られるぞ・・・

 ネピアにしては慌ててしまった。しかし、第2秘書のキンスキーに己の失敗を知られたくなかったので、キンスキーが先に昼食に出かけるのを待ってから、電話を掛けた。セイヤーズにではなく、上司のポール・レイン・ドーマーにだった。セイヤーズに嫌がらせをしたのではなく、ライサンダーと娘の件に関して、もう一人の父親であるレインも関係しているだろうと推測したからだ。セイヤーズは身勝手な男だが、息子の将来に関して、レインを無視したりはしないだろう、とネピアは彼なりに評価したのだ。
 電話の画面にレインが現れた。背後にぼんやりと大勢の人が映り込んでいるので、食堂だとわかった。
 
「レインです。」

 電話を掛けてきたのがネピアであることに、ちょっと驚いていた。セイヤーズの上司だから、セイヤーズが局長に面会を申し込んだことは知っている筈だ。だから返事はセイヤーズがもらうものと思っていたのだ。

「ネピアだ。局長がセイヤーズと面会される。午後2時に、彼を局長執務室に連れてきなさい。」
「午後2時に・・・」

 レインは確認の為に復唱した。そして、少し間を置いて尋ねた。

「俺も?」
「セイヤーズを外に出すか否か、彼の上司の君も関係してくるだろう?」
「ああ・・はいっ。」

 レインは直ぐにネピアの言葉を理解した。個人的用件であるが、セイヤーズの外出はドームの問題に関わってくるし、レインもライサンダーの父親だ。ネピアは彼の出席も必要だと判断したのだ。
 
「セイヤーズを午後2時に連れて行きます。」
「よろしく頼みます。」

 電話を切って、ネピア・ドーマーはホッと胸を撫で下ろした。どうやら局長に叱られずに済みそうだ。


家路 2 3 - 1

 翌日、ネピア・ドーマーは定時に起床して、定時に朝の運動に出かけた。成人して養育棟を卒業して以来、この習慣を続けている。徹夜で仕事をしたり、外勤時代出張した日以外は必ずこの習慣を守っていた。彼にとっては義務ではなく自然な生活リズムだが、時間に正確なので、他のドーマー達が彼の行動を時計がわりにしていることを、彼は知らなかった。
 ジョギングコースを5周して、ジムのシャワーを使い、身支度の為にアパートへ向かおうとした時、背後から足音が近づいて来た。

「おはようございます、ネピア・ドーマー!」

 虫の好かない秘書仲間の後輩、ダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。身勝手で、能天気で、甘え上手な男・・・とネピアは評価していた。局長に取り入るのが得意な奴だ。ネピアは故意に気の無い返事をした。

「あー・・・おはよう・・・」

 振り返らずに立ち去ろうとしたが、セイヤーズは横に並んだ。能天気そのもので、相手の不機嫌な顔に気が付かない・・・否、気が付かないフリをしているのか? 彼はネピアに話しかけてきた。

「局長に個人的なお話があります。休み時間で結構ですから、局長の手が空いた時を教えて下さい。急ぎではありません。」

 ネピア・ドーマーはセイヤーズがいつも厄介事を持ち込む男だと認識していたので、局長を煩わせる用件ではないかと怪しんだ。

「用件の内容を簡単にでも教えてくれませんか? 局長はお忙しいのです。」

 内容次第では断るつもりだった。セイヤーズは微かに溜め息をついて、素直に答えた。

「脱走中に住んでいた場所を売り払いたいので、購入希望者と面会する必要があるのです。場所はドーム空港のビルで充分だと思うので、ゲートの外に出る許可を頂きたい。」
「電話やメールで済ませられないのですか?」
「購入希望者はライサンダーと娘を同居相手に希望しています。」

 ネピア・ドーマーは立ち止まって、まともにセイヤーズを見た。驚いた。ライサンダー・セイヤーズが妻を失くした後、誰と住もうが彼の知ったことではない。しかし、ライサンダーの娘は、別だ。大異変の後、地球上で初めて自然な男女の交わりで誕生した女性だ。その子と同居したいと言う人物がいる?

「どう言うことです?」
「ですから、それを説明する為に、局長にお会いしたいのです。」

 ちゃんと簡単に教えたじゃないか。詳細をここで求めるつもりか?

 セイヤーズはお堅い先輩に心の中で毒づいた。ネピア・ドーマーは相手の気持ちを察して渋面をしたが、頷いた。重要な案件だ。

「朝食の後で局長に伝えておきます。」
「よろしくお願いいたします。」

 セイヤーズは精一杯愛想良く微笑んで、第1秘書から離れた。
 後輩が去って行くと、ネピアは歩きながら考えた。土地の購入希望者の身元を確認しなければならない。怪しげな人間に地球の大事な娘を奪われてはならない。



2019年7月28日日曜日

家路 2 2 - 5

 ネピア・ドーマーは、生死リストのデータ移行作業の詳細を知りたい人の為のデモサイトを作っておいたから、とアドレスを告げた。

「もし質問があれば、私に電話かメールを下さい。決して局長のお仕事のお邪魔はしないように。」

 彼が言うと、初めてハイネが口を挟んだ。

「暇な時はいつでも声をかけてくれて構わないぞ。」

 ケンウッドがすかさず言葉を追加した。

「何も声をかけないでいると、ハイネもネピアも若者に無視されたと落ち込むからね。」

 室内に和やかな笑い声が起こった。
 ネピア・ドーマーが、若者達に、仕事を中断させて悪かった、と言い、会合を終了させた。
 大部屋から出ると、ネピアはケンウッドとハイネにも仕事の邪魔をしたと謝った。ケンウッドは彼に言った。

「これも我々の仕事の一つだ。君に邪魔をされた覚えはないよ。」

 ハイネも笑った。

「君は私に楽をしろと言ってくれているのだろう? 有り難いよ。」

 恐縮するネピアを執務室に帰して、ハイネはケンウッドを午後のお茶に誘った。お八つを無視することは、彼にとって堪え難い苦行なのだ。2人で食堂に向かって歩きながら、彼がケンウッドに尋ねた。

「月の本部は私の後継者を決めておられるのですか?」

 ケンウッドは驚いた。そんな話は聞いたことがなかった。

「否、君はまだまだ元気だろうから、誰もアメリカ・ドームの17代目の遺伝子管理局長のことなど考えてもおらんよ。」
「そうなのですか・・・」

 ハイネがちょっとがっかりした様子だったので、逆にケンウッドから質問してみた。

「君は後継者候補を考えているのかね?」

「ええ」とハイネは渋々認めた。それで、彼が局長の日課を複数の人間に割り当てると言い出した理由をケンウッドは悟った。ハイネの頭の中にいる後継者候補は、毎日の日課をこなすのが苦手なのだろう。リーダーとしての資質には優れていても、事務仕事で机に縛り付けられることに苦痛を感じる人なのだ、きっと。ハイネは自身がしんどいから、日課を減らしたいのではない。後継者が能力を発揮出来る環境を整えておいてやりたいのだ。
 ケンウッドはなんとなくその後継者候補に見当がついたが、敢えて口に出さなかった。代わりに、彼自身のアイデアを言ってみた。

「遺伝子管理局長をドーマー達の選挙で決めても良いかも知れないね。維持班総代もだ。」
「選挙ですか?」

 ハイネは意表を突かれた表情でケンウッドを見た。ケンウッドが頷くと、彼は少し考えてから言った。

「髪の色が白いから神様みたいだ、と考えるうちは、ドーマー達が自分達でリーダーを決めるのは難しいでしょう。目上の者に自由に意見を言えるようにならなければ。」




2019年7月25日木曜日

家路 2 2 - 4

 妻帯許可は不要、と言う結論で、ケンウッドはこの件をはっきり明文化させることを次の執政官会議で決めると約束した。執政官達は科学者で、地球の法律に関して無関心で無知だ。わかりやすく説明してやれば賛同してくれるだろう。
 ネピア・ドーマーは少し休んでから、本当の話題に入った。

「次に私が提案したいのは、局長職である生死リストのデータ移行を、局長から内勤部署に移すことです。」

 室内は一気に静かになった。生死リストの仕事は支局から送られてくる死亡届の確認と出産管理区から来る出生報告と胎児認知記録の照合だ。それは内勤で行われている。そして異常なしと判断されると局長に送られ、局長がマザーコンピューターのデータベースに書き込むのだ。
 
 マザーコンピューター・・・そのデータは人類が存続する限り永久に残る・・・
 
 故に、データ入力は決して間違ってはいけない。慎重に細心の注意を払って書き込みが行われるのだ。遺伝子管理局長にとって、それは日常の仕事ではあるが、毎日神経をすり減らしていく。歴代の遺伝子管理局長の在任期間が短かったのはそのせいだ。第15代遺伝子管理局長ランディ・マーカスが30年近くその座にいることが可能だったのは、修行と称して次世代のローガン・ハイネに手伝わせていたからだ。そしてハイネは・・・
 ケンウッドはそっと隣の親友を眺めた。

 この男は日課を苦にしていなさそうだ・・・

 だがハイネは日課を若い者に託したがっている。書き込みが苦なのではなく、毎日と言うのが苦痛と感じているのだ。しかし彼はそれを部下に語ったことがない。ネピア・ドーマーが発言したのは、ネピア自身の考えだ。
 ネピアはハイネを振り返った。

「私は局長からお仕事を取り上げようと言う意図を持っておりません。しかし、私は僅か数回ですが、日課の代行を仰せつかり、その大変さを経験しました。ですから、貴方の後に続く遺伝子管理局長が局長の日課を重荷に感じるであろうことを想像出来るのです。」

 第1秘書はそこで深く息を吸って吐いて、思い切って言った。

「局長の日課を局長お一人でなさる必要はないのではないですか? 支局の数だけ担当者を増やして分業してはいけないのでしょうか? 生死リストですから、生死で2人ペアで行っても良いと思いますが、どうでしょう? 局長は最終的にその日のデータ移行が終了したことを署名で確認されることになされば? 」

 ネピアは若い仲間達を見た。

「局長のお仕事はデータ移行だけでないことを、君達も知っている筈です。局長のスケジュールは我々秘書が調整するが、これが大変難しい仕事であることを言っておきます。つまり、局長は日々非常にお忙しいのです。日課がなくても、お仕事が山のようにあります。」

 毎日庭園で昼寝をする時間があるハイネは無言だ。ケンウッドは微笑んだ。ハイネに時間の余裕があるのは、ハイネの才覚だ。効率よく仕事に時間を配分出来る能力を持っているのだ。
 ネピアは上司2名から何の異議も出なかったので、安堵した。彼は若い連中に言った。

「大至急と言う訳ではありませんが、内勤部署内で議論して、結論が出たら局長室に報告して頂きたい。出来れば10日以内にお願いします。」
「議論の内容は・・・」

と最初に挙手した男が発言した。

「貴方の意見を受け入れると言うことですか、それとも、貴方の意見を前提に、データ移行の仕事をこちらで分担する相談ですか?」
「私は意見を押し付けるつもりはありません。」

 ネピアはいつもの硬い表情に戻った。

「先ずは私の意見を受け入れるか否か、そこから初めて頂いて結構です。」

 男はケンウッドとハイネを見た。

「長官と局長は秘書殿の意見に異議はないのですね?」
「ないよ。」

とケンウッドは優しく答えた。

「君達が君達自身の生死の記録をどう扱うかの議論だ。執政官の出る幕ではない。それにハイネ局長はこの件に関して自説を出す訳にいかない。ただ・・・」

 ケンウッドは小さい声でトーンを落とした。

「私個人の意見は言わない方が良いが、一つの仕事を一人の人間だけに集中させるのは危険だと思うよ。」



2019年7月24日水曜日

家路 2 2 - 3

 ケンウッドとハイネが昼食を取りに行く頃に、ネピア・ドーマーから御二人と話したいことがありますと連絡が来た。珍しいことだ。ケンウッドは先日の遺伝子管理局長職の代理の件だろうと見当をつけた。ハイネの都合を訊いて、ネピアに時間と場所を指定した。長官執務室だ。 しかし、ネピアは意外な場所を希望した。
 約束の時刻に、ケンウッドは遺伝子管理局本部の内勤大事務室、通称内勤大部屋に入った。普段は局員の机毎に仕切りパネルがあるのだが、この時パネルは全て床に収納されていた。内勤の職員達が中央のスペースに向かって座っていた。中央のスペースは彼等が休憩したり、仕事について話し合う場所だ。そこにネピアとハイネが座っていて、ケンウッドを待っていた。
 ケンウッドは局員達に挨拶して、空席に座った。
 ネピアが立ち上がった。長官と局長に出席を感謝して、室内の職員達に業務の手を止めさせたことを謝ってから、本題に入った。

「最近、中央研究所でドーマーを外の世界に復帰させる計画が着手されています。」

 ケンウッドはドキリとした。まだ幹部クラスのドーマーにしか明かしていなかった情報だ。思わず室内に視線を巡らせたが、ネピアの言葉に驚いた様子は誰にもなかった。
 ネピアが続けた。

「勿論、我々の生活や仕事に大きな変化が出るのはずっと未来のことです。しかし、我々はそのことに安穏として現実に何もしない訳には行きません。我々の業務にも、我々自身で改革を行うことが必要です。」

 御堅いネピアの口から「改革」と言う言葉が出て、ドーマー達は一瞬「えっ?」と言う表情をしたが、まだコメントは出なかった。うっかり口を挟んで御堅い局長第1秘書を怒らせたくないのだ。
 ネピアは若い局員達を見渡した。

「我々は今迄外の世界の住人の婚姻許可を発行したり、妻帯許可証を出して来ました。しかし、本来、婚姻に役所の許可は必要ないものです。女性が生まれない現状で、遺伝子管理を行う必要から、許可制になっているのです。だが・・・」

 ネピアはケンウッドを見た。ケンウッドは彼が何を明かすつもりなのか悟った。しかし、止める意思はなかった。理性的に話してくれるのであれば、そして理性的に受け止めてくれるなら、ドーマー達に早く教えてやりたい事実なのだから。
 ケンウッドが頷いたので、ネピアも小さく頷いた。そして仲間に向き直った。

「我等がアメリカ・ドームで、ケンウッド長官が女性誕生の鍵を発見されました。」

 おおっ!と初めてドーマー達が反応した。近くの仲間同士見合ったり、思わず抱き合ったりした。 しかしネピアが大きく咳払いしたので、彼等は行儀良く静かになった。
 ネピアは室内が静かになるのを待ってから、話を続けた。

「女性が自然に誕生始める迄、まだ時間がかかります。それは君達も十分承知していることでしょう。だから、まだこの事実はドーム全般には伝えられていません。女性誕生が確実になる迄、我々は今迄の業務を続けます。ただ、業務の内容を少しずつではあるが、変えて行く必要があります。例えば、先刻挙げた婚姻許可と妻帯許可の受理・発行です。」

 ネピアはちらりと局長に視線を向けたが、ハイネが反応を見せなかったので、また仲間に目を向けた。

「住民の現実生活を一番よく知っている支局で、許可判断をさせてはいかがでしょうか。局員は胎児認知届けを確認するだけで良いのではないでしょうか。」

 内勤局員の一人が手を挙げたので、ネピアは頷いて発言を許した。挙手した男が立ち上がった。

「支局に婚姻許可発行の権限を持たせると言うことですが、それは支局長が全て行うと言うことですか?」
「私の考えでは、局長の名で支局長が許可を出す、と言う案です。各地の支局長が日常どの程度の仕事をこなしているのか知りませんが、私が現役時代に出会った支局長はどこも時間に余裕がありそうでした。」

 暗に「暇だ」を意味するネピアの遠回しの言い方に、数人の職員がクスッと笑った。ネピアが支局長達に抱いた感想を彼等も同じく持っていたのだ。
 別の男が挙手して、発言許可を得た。

「支局長の手に余る数の許可申請が出される可能性も考えられますが?」
「それは支局長各自の判断で、助手を入れさせれば良いのではありませんか? そもそも大異変前の婚姻許可は役所の職員が扱っていたのであって、行政の長の関知するところではなかった筈です。宗教上の指導者が扱うこともあったでしょう。一般人がもっと自由に婚姻出来るよう制度を改めるべきだと思いますが。」

 ネピアの口から婚姻の自由を認める言葉が出たので、一同はちょっと驚いた。最初に質問した男が再び発言を求めた。

「婚姻の自由を認めるのでしたら、妻帯許可など必要ないのではありませんか?」
「ないと思います。」

 ネピアはきっぱりと言い放ち、ちらりとハイネを見た。ハイネはやはりコメントしなかった。ネピアがケンウッドに視線を向けたので、ケンウッドは目で発言許可を求めてみた。ネピアが小さく頷いたので、ケンウッドは視線をドーマー達に向けた。

「妻帯許可とは、女性の赤ん坊の数が限られている為に、婚姻カップルの数もコントロールしなければならなかったドーム側の都合による制度だ。女性の奪い合いを避ける為の苦肉の策だったのだよ。特に、民族紛争の絶えない地域では必要だった。民族の存続に関わることだったからね。だが、それはコロニー人の地球人に対する上から目線の考えでもあった。地球には地球のやり方があり、コロニーから押し付けるものではない。女の子がこれから自然に生まれてくるのだから、もう制限は必要ない。今迄コロニー人の受精卵から作っていたクローンの女の子も、今は地球人男性精子とコロニー人女性の未受精卵子を受精させて増やすことが可能になった。」

 ケンウッドははっきりと言った。

「もう取り替え子の女子の人数は母親から誕生する男子と同数になるのだ。」

 室内のドーマー達から歓声が上がった。




2019年7月22日月曜日

家路 2 2 - 2

 地球人保護法改正案もしくは撤廃案が西ユーラシア・ドームから出された話題は、ネピア・ドーマーの耳にも届いた。お堅いことで有名な局長第1秘書は、もしその案件が宇宙連邦で通ったら、どう言うことになるのだろうと真面目に考え込んだ。元は執政官がドーマーに性的嫌がらせをするのを防ぐ目的の法律だったと彼は解釈していた。少なくとも、ドームの中ではそう信じられているのだ。もし、その法律が緩和されれば、執政官が好き勝手をするのではないか? それに腹を立てるドーマーが暴力行為に及ぶのではないか? ネピアはネガティヴな想像をしてしまい、自分の心の狭さにうんざりした。

 もっと物事を楽観的に考えられないのか、私は? これでは局長代理など到底務まらないぞ。

 先日ケンウッド長官から、ハイネ局長にもしものことがあれば代理を頼むと言われて、ネピアはずっと気持ちが塞いでいた。局長職が代理としての仕事であるのは良い。ネピアは野心家ではない。局長の地位に座ってドーマー達を統率しようなどと大それたことは望んでいない。また、生死リストを毎日チェックする仕事も嫌いではない。その仕事が地球人にとって重要なものであることも承知しているし、重荷に感じることもない。代理なのだから、いずれ適性な人物を見つけて譲れば良いのだ。
 ネピアが嫌だと感じているのは、ローガン・ハイネが何時働けなくなる日が来ると考えなければならないことだった。ハイネは彼が物心ついた頃に既に薬剤管理室で働いていたし、彼が遺伝子管理局に入局した時も薬剤師だった。だがネピアは先輩から、白い髪の薬剤師が、実は内務捜査班の潜入捜査官で、未来の遺伝子管理局長だと教えられてから、ハイネに強い憧れを抱くようになった。誰よりも武道に秀で、誰よりも知識が豊富で、誰よりも優しくて、誰よりも美しくて・・・

 私が生きている間、局長が働けなくなるなんてことは有り得ない。

 ネピアはそう楽観的に考えようと努力した。しかし、彼が秘書になってから、ハイネはテロに遭って瀕死の重傷を負ったし、それ以前にカディナ黴感染症の治療に用いられた薬剤で肺を痛めてしまった。激しい運動をすると咳き込む。そして必ず主治医のヤマザキ・ケンタロウがすっ飛んできて、叱りつける。つまり、それだけハイネの肺の問題は深刻なのだ。
 悩んでから、ネピアは一つの解決策を思いついた。

 局長のお仕事を大勢で分担して、局長のお体に負担をかけないようにすれば良いんだ!

 ネピアは、ハイネが意図した局長職分業化案にまんまと引き込まれた。

2019年7月20日土曜日

家路 2 2 - 1

 近頃のドームの中の話題は、西ユーラシア・ドームから地球人類復活委員会に提出された嘆願書だった。西ユーラシア・ドームでは、コロニー人女性の執政官とドーマーのカップルが5組もいて、同棲を始めた。それは地球人保護法違反だろうと指摘する者が現れ、ドーマー達が恋愛の自由を権利として主張したのだ。彼等は署名活動を始め、ドーム内の人口の8割が署名した。コロニー人が地球人に素手で触れるのが違反だと言うのはおかしい。そもそもコロニー人が地球人に対して性犯罪を行うことを防ぐための法律なのに、拡大解釈されて、地球人とコロニー人の間に溝を作ってしまったのだ。
 しかも地球人と結婚するコロニー人がコロニーでの権利を放棄しなければならないこと、地球に帰化しなければならないこと、宇宙へ出る権利も失うこと、など理不尽なことばかりの法律だ。地球人もコロニーの情報を得ることを許されない。まるで宇宙の孤島、隔離された世界だ。
 西ユーラシアの要求は、それらの法律を廃止し、地球人も宇宙連邦の住民と同じ権利を持つ人類であることを認めよと言うものだった。
 南北アメリカ・ドームでは、その嘆願書の対象は、ドーマーだけでなく外の地球人にも拡げるべきだと言う意見が出てきた。
 そうなると、データ書き換えの事実をドーマーや地球人全体に知られることになる。

「今更と言う気がするな。」

とヤマザキ・ケンタロウが言った。

「外の地球人は観光や貿易で訪れるコロニー人から宇宙の情報を得ている。訪問者が地球人にコロニーの情報を伝えることを取り締まるのは不可能だ。コロニーが思っているより、地球人は事実を知っているさ。」

 ヤマザキとケンウッド、そして久しぶりのヘンリー・パーシバル、彼等はバーにいた。
パーシバルも頷いた。

「僕は回診で地球上を巡回しているが、結構地球人達は真実を知っているんだ。女性達は自分がクローンだと承知しているし、男達も何故妻を得るのに当局の許可が要るのかわかっている。知っているから、メーカーって言う商売が成り立っているのさ。」
「そうなのか?」

 ケンウッドは外の世界の社会事情に疎い自身が情けなく思えた。

「しかし、よく秩序が守られているものだね。もっと荒れる筈だと宇宙では考えられているのだが・・・」
「宇宙の連中は地球人を野蛮人だと見下しているからなぁ。」
「地球人を閉じ込めて文明の進歩を止めたのは自分達のくせに。」
「地球人は女性が誕生しない理由が解明される迄はコロニーの援助に頼らなければならないからね、コロニーに従順なふりをしているだけさ。」

 ケンウッドはグラスの中の氷を見つめた。

「ドーマーを社会復帰させるプログラムを急がなきゃなぁ・・・」

家路 2 1 - 5

 気がつくと、ハイネが目を開いてアイダを見ていた。視線が合うと、彼が囁きかけてきた。

「眠れないのですか?」

 アイダは微笑んで見せた。

「楽しい思い出に浸っていただけです。」

 そして端末に手を伸ばした。時刻を見ようとすると、ハイネがその手を抑えた。

「まだ時間はあります。おやすみなさい。」

 そして彼は彼女から手を離し、寝返りを打って、反対側を向いた。アイダは思わず心の中で尋ねた。眠れないのは貴方の方ではないのですか、と。
 マザーコンピューターのデータ書き換えが完了してから、中央研究所は忙しくなった。執政官達は従来の女性誕生のきっかけを探す研究ではなく、これから生まれてくる地球人達の寿命を、大異変前に戻す研究に転向しなければならなかった。いくつかの部門では、もう用済みだと当人達が判断して、自主的に研究室を閉鎖して退官準備に入ろうとしていた。但し、これらの動きがデータ書き換えに端を発するとドーマー達に知られてはいけないのだ。ドーマーにはまだ200年前のデータの過ちが女性が誕生しなかった原因だと知られてはならない。しかし、彼等を外の世界に戻していくプログラムも進行しなければならない。
 秘密を知っているローガン・ハイネとジョアン・ターナーの2人のドーマー代表は中央研究所とドーマー社会のバランスを保つことに神経を使って疲れている。時々お馬鹿な執政官がいて、うっかり秘密を漏らしそうになり、その打ち消しに苦労するのだ。若いターナーが、白髪が増えたとこぼし、白髪のハイネが笑い飛ばしたことがあった。すると、うっかりターナーは、貴方も皺が増えましたよ、と口を滑らせて、長老を凹ませてしまったのだ。

「いつまでも若いままでいたいとは思いませんが・・・」

とハイネは妻にこぼした。

「いきなりシワクチャになるのは嫌なんです。」

 アイダは吹き出した。

「貴方は私より若く見えますよ。シワクチャなんて、とんでもない!」

 ハイネは彼女の頬に手を当てて言った。

「私は貴女と共に歳を取って行きたいです。」

 若さを保つ遺伝子を持って生まれた故に、愛する者達が徐々に歳を取って行くのを見るのが辛いのだ。彼は自身一人取り残されて行く疎外感を抱いている。アイダは彼を抱き締めたが、励ます言葉をすぐに思いつけずにいた。


2019年7月19日金曜日

家路 2 1 - 4

 キーラ・セドウイックと一緒に働いていた時期は、本当に楽しかった。やがてローガン・ハイネ・ドーマーが生まれる前からの約束に従って遺伝子管理局長に就任すると、それまでのような気軽な接触は出来なくなったが、アイダも出産管理区の副区長となり、仕事で一対一で会うことも多くなった。その都度、ハイネは彼女を食事に誘ってくれた。話題は他愛のない日常の出来事だったが、時には地球の将来を想像し合ったこともあった。
 そんなアイダの細やかな幸福が、ある男の出現で脅かされることになった。南北アメリカ・ドームの長官に、サンテシマ・ルイス・リンが就任したのである。リンは就任式の時点でハイネと衝突した。地球人を見下す長官に、執政官達は憂慮したが、リンは他人の忠告を聞く人間ではなかった。彼は地球に美少年を求めてやって来たも同然の振る舞いで、やがて同じ性癖の執政官達が彼の取り巻きとなると、事態は悪化していった。彼等にローガン・ハイネ・ドーマーとドーム維持班総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーは毅然として抵抗したが、ある時、恐ろしい事件が起きた。
 γカディナ黴感染事故だ。そして恐ろしい伝染病が地球に持ち込まれたと本能的に察したハイネは、感染の拡大を防ぐことに成功したものの、彼自身はその病に倒れてしまったのだ。
 ハイネの進化型1級遺伝子はドームの大切な収入源だ。リンは医療区にハイネを死なせるなと厳命したが、全快を望んでいるようには見えなかった。アイダはジェルカプセルに入れられたハイネを見舞いたかったが、キーラに止められた。

「サンテシマの天下になった今、ローガン・ハイネに近くのは危険だわ。私達は出産でドームに収容される地球人の母親達を守らなければならない。私達が守りを怠れば、きっとサンテシマは地球人女性達にも手を伸ばす筈よ。」

 アイダは横っ面を叩かれた思いだった。

「そうだわね! 私達がここにいる1番の目的は、地球人を守ることだわ。仕事に専念しましょう。」

 きっとキーラの心は父親の生死の心配でいっぱいの筈だ。それを抑圧して職務のことを考えようとしている。アイダは親友を気遣い、彼女を守ることを誓った。
 2人は無我夢中で出産管理区を管理して、ドームの聖地としてリン一派の魔の手から死守した。ハイネがカプセルの中で生きていることだけが、彼女達の心の支えだった。
 そして、奇跡が起きた。
 医療区がなにやら慌ただしいと、部下が報告をくれた6日後、アイダの端末にメッセージが入った。

ーーこんにちは

 一言、発信者不明のメッセージだった。不審に思った彼女が返事をしないでいると、翌日、また同じ発信元からメッセージが来た。

ーー戻って来ました

 彼女は暫く端末画面の文面を見つめていた。短い文章の意味を、発信者を考えた。そして答えを出した。胸が高鳴り、全身に感動の震えが来た。彼女は細かく震える指で返信を打った。

ーーお帰りなさい

 それの返事は、ニッコリマークのアイコンだった。彼女は思わず端末を抱き締めていた。もしそばに地球人の妊婦がいなければ大声で叫んでいたかも知れない。キーラに知らせなきゃ、と思った。しかし興奮ですぐには動けなかった。妊婦が、「先生?」と心配して声をかけてくる迄、彼女は目を閉じて突っ立っていた。







2019年7月17日水曜日

家路 2 1 - 3

 アイダ・サヤカは彼女自身の問題よりも、親友で上司のキーラ・セドウィックが心配だった。美人で気が強いキーラは、仲間から尊敬され愛されていたが、同時に敵も多かった。思ったことをズバズバ言うし、正論で相手の口を封じてしまうので、男達から敬遠され、恐れられもした。彼女はまたローガン・ハイネとも頻繁に口論した。どちらからともなく、双方の言動にイチャモンをつけ、皮肉を言い合うのだ。
 だが、嫌い合っているのではない。アイダは敏感に察していた。互いに相手が好きなのに素直になれない、そんな仲だ。すると、ある時ハイネと喧嘩した後で、キーラがアイダに言い訳した。

「彼が嫌いではないのよ。互いに性格が似ているのだと思うの。だから反発し合うのだわ。」

 彼女はアイダにある画像を見せた。キーラによく似た年配の女性だった。

「母のマーサよ。昔、このドームで執政官として働いていたの。そしてあるプロジェクトに参加したのだけど、ちょっと調子に乗り過ぎたのね。地球人保護法違反に問われて、退官する羽目になったの。」

 キーラは片目を瞑って見せた。

「彼女は火星に帰って、37週目に私を産みました。」

 アイダはその言葉の意味を即時に理解した。コロニー人女性で地球人と恋に落ちる者がたまにいる。地球人の子供を孕んでしまうと、宇宙に帰って出産する。子供が地球で生まれて、万が一遺伝子に異常が起きるかも知れないと心配するからだ。だが、父親が地球人だと当局にバレると、子供は地球に送り返されてしまう。地球人の子供は地球人として育てる、それが宇宙連邦と地球の取り決めだった。大異変で人口が急激に減少した地球人は、一人でも多くの子孫を欲したのだ。だから、マーサ・セドウィックは、我が子を父親不明の子供として届出て、遺伝子検査を拒否した。コロニーでは、遺伝子検査の強制はされない。だから、キーラはコロニー人として成長したのだ。
 アイダは、キーラを見つめた。キーラは母親に似ている。しかし、笑うと、別の人物の顔にそっくりなのだ。
 アイダは大変な秘密を親友に押し付けられた気分になった。キーラには進化型1級遺伝子があるのではないか? もしアイダの知識が正しければ、「あの遺伝子」はX染色体上に存在する筈だ。アメリカ・ドームの貴重な収入源である、「あの遺伝子」だ。
 キーラがニッコリとした。

「父は私を娘と認めていないし、私も告知はしたけど、法律上の立場を認めてもらおうなんて思っていないの。公にすれば、成人している私はコロニー人としての権利をキープ出来るけど、母はスキャンダルの渦中に放り込まれるわね。相手が相手ですもの。だから私は一生沈黙するつもり。」
「でも・・・やっぱりお父様には認めてもらいたいでしょう?」

 アイダは人の子であり親だったので、キーラにも娘としての権利を認めてやりたかった。しかし、キーラは肩を竦めて首を振った。

「無駄よ。ドーマーは家族を理解しない。私達がそんな風に育ててしまったのだから。同じ遺伝子を持っているとわかっても、それ以上の繋がりは持てない人達なのよ。」

 それよりも、とキーラはアイダに顔を寄せてきた。

「貴女はもっと積極的に彼に接した方が良いわ。彼を狙っている女達は多いのよ。」
「いやねぇ・・・私は彼をなんとも思っていないから・・・」

 心にもないことを言ったが、キーラはクスッと笑った。笑うと本当に父親似だった。

「貴女がなんとも思っていなくても、向こうは貴女を気にしているわよ。相手にしてもらえないなんて、可哀想なローガン・ハイネ。」


2019年7月16日火曜日

家路 2 1 - 2

 薬剤管理室でハイネにハグされてから、アイダは彼のことが忘れられなくなった。彼がどの女性にも優しく、人気が高いと知っていても、彼女にとって彼は特別な存在に思えた。だから彼と目が合うと照れてしまう。それを誤魔化す為に彼女は積極的に彼に触れることにした。そして出産管理区の女性達にも勧めたのだ。

「ハイネ・ドーマーは将来遺伝子管理局長になる人ですから、今のうちから親しくしておいた方が、後の私達の仕事に有利に働きますよ。」

 内心、自分は卑怯だと思ったが、キーラも賛同してくれたので気が楽だった。それにハイネ自身も嫌がらない。彼は滅多に職場から離れなかったが、偶に薬剤の配達で出産管理区に現れると、執政官達の事務室に顔を出して、暫く世間話をして油を売っていた。そのうち回数が増えてくると、キーラが彼の姿を地球人女性達に目撃されはしないかと心配し始めた。

「絶対に彼を『表』に出しては駄目よ。あの人は目立ち過ぎる風貌だから。」

 キーラは仲間に厳命した。
 好きな人が出来ると、火星に帰る回数が減っていった。子供達には申し訳ないと思ったが、親族から注意されると腹が立った。自分の人生ではないか、自分の能力を活かせる仕事を存分にして何が悪い? 
 子供達は成長していた。母親は火星に帰ってくれば必ず彼等と一緒に過ごすことを何よりも優先してくれていると理解していた。息子は母親が仕事を愛していると心から信じていたが、娘は勘が鋭かった。2人きりになったある時、娘が囁いた。

「お母さん、地球に好きな人ができたわね?」
「どうしてそう思うの?」

 アイダは内心狼狽えた。相手がコロニー人だったら、正直に告白して子供達に紹介したかも知れない。子供達はもう亡き父親に母親が縛られる必要はないと考える年齢になっていたのだ。しかし、相手が地球人となると事情が変わってくる。地球人保護法は、コロニー人が地球人を愛すことを禁じていないが、結婚するとなるとかなり厄介な法律だった。コロニー人はコロニーに置ける全ての権利を放棄して地球人にならねばならないからだ。それはコロニー人にとって健康維持に必要不可欠な、重力障害予防の為に宇宙へ定期的に戻ることまでを禁じているのだ。アイダは、彼女自身の健康維持の問題よりも、子供達に会えなくなる方が辛かった。だから、コロニー人の権利を棄ててまでローガン・ハイネに愛の告白をする勇気を持てなかった。彼女は女性よりも母親だったのだ。
 娘は意味深に母親を見た。

「お母さん、最近綺麗になってきたわ。それに地球に戻る時、嬉しそうだもの。」
「嬉しいだなんて・・・私は貴女達と別れるのが寂しいのに・・・」
「確かに寂しそうよ。でも地球に戻ることを喜んでもいるわ。」

 既に官僚への道を歩み始めていた娘は相手の表情を読み取るのが上手かった。

「彼氏は地球人でしょう? 否定しても無駄よ。執政官仲間だったら、お母さんはとっくに私達に紹介していたでしょうから。」

 鋭い娘の読みに言い返せない間に、娘は忠告した。

「用心してね。私は地球人保護法違反を犯罪だとは思わないけれど、当局に摘発されて痛い目に遭うのはお母さんですからね。2度と仕事に戻れないし、彼氏にも会えなくなるのよ。」
「私達、そんな関係ではないのよ。交際なんかしていないし、ただの職務上のお付き合いだけなの。貴女が心配する必要はないわ。」

 母親の反論に娘は暫し沈黙し、やがて呟いた。

「本当に大事な人なのね・・・」

 もし、あの時、母親の片想いの相手が、宇宙でも有名なローガン・ハイネ・ドーマーだと知っていたら、娘は何と言っただろう、とアイダは思う。息子は現在でも母親が結婚した相手が誰だか知らない。地球人と結婚したのだと秘密を明かされた時、驚愕したが、一言「通報されるようなヘマはしないでくれよ」と言っただけだった。恐らく一生会うことはないであろう義理の父親の名前すら聞かなかった。娘は流石に官僚と言う立場になっていたので、母親が危険な綱渡りをしていることを心配した。しかし、アイダが夫の名前を囁くと、不思議に落ち着いた。

「あの人なら、大丈夫だと信じるわ。きっとお母さんを守ってくれる。」

 そして母親に甘えてみせた。

「いつか紹介して頂戴!」

2019年7月15日月曜日

家路 2 1 - 1

 アイダ・サヤカは同じベッドの隣に横たわっている白い髪のドーマーを眺めていた。時々そのふさふさの髪を手で撫でてやる。彼の片手は彼女の胴に掛けられている。いつ見ても美しい顔だ。そろそろ円熟した大人の男の顔になってきたが、無心に眠っているとまだ若者の様なあどけない表情になる。
 彼と彼女が知り合ったのは40年近く昔だ。アイダは配偶者を病気で失くし、生活の為に2人の子供を実家に預けて一人、地球に働きに来た。産科医だったので、地球人類復活委員会の求人に応募したら、即決で採用されたのだ。地球での生活をする為の訓練を終えて赴任すると、そこにキーラ・セドウィックと言う先輩医師がいた。キーラは彼女より一つ年上で独身だった。既に地球で5年勤務しており、若いが才能豊かで気が強い人だった。そして輝く様な赤毛の美貌の女性だった。アイダは彼女について勤務することになり、直ぐに性格の異なる2人は意気投合した。キーラは気が強いのでよく上司や他の部署の執政官と衝突したが、いつも自身の意見を押し通した。しかしアイダと2人きりになると必ず尋ねた。

「私の考え、あれで良かったと思う?」

 アイダが良かったと答えれば彼女は満足したし、間違っていると言えば、どこが間違っているのかと尋ね、説明を聞いて反省した。相手に素直に謝罪することを恥としない気持ちの良い性格だったので、彼女はやがて出産管理区で支持者を多く抱える様になり、区長に昇進した。その際、彼女は副区長に是非アイダ博士を、と幹部執政官達に働きかけ、要求を押し通すことに成功した。
 アイダは当初5年で宇宙に帰るつもりだった。しかし地球人の妊産婦の世話が宇宙の人類にとってもどんなに重要か悟り、キーラと働くことが楽しく人生の喜びに思えてきて、我が子達に申し訳ないと思いつつも地球勤務を延長して行った。
 アイダが地球に留まった理由がもう一つあった。好きな男性がいたのだ。その男は地球人だったので、彼女の方から交際を申し込むことは法律で禁止されていた。地球人保護法はコロニー人の側から地球人に触れることを禁止していたのだ。ところが、どう言う訳か、キーラは彼と平然と触れ合っていた。ハグで挨拶したり、頬にキスをしたり。彼も彼女の肩に手を置いたり、髪を触ったり、自然に、友人として付き合っていた。
 アイダは最初は彼と距離を置いていた。と言うのも、彼は昔からコロニー人女性に人気があって、結構スキャンダルを起こしていたのだ。キーラが親しげに彼と接するのを不愉快に思う女性もいた。アイダはそんな女達の嫉妬を感じ取っていたので、我が身に降り懸からぬ様用心深く振る舞い、またキーラを嫉妬から来る攻撃から守った。そして、男の方にも自重してもらおうと、直談判に行った。
 薬剤師ローガン・ハイネ・ドーマーは、その時点では、まだアイダにとって憧れの人でしかなかった。アメリカ・ドームのスターに会いに行く、その程度の認識だった。
 彼女が一人で薬剤管理室に行くと、偶然昼休みで薬剤師達は食事に出かけており、ハイネ一人だけが留守番をしていた。この頃既に彼は他人より時間をずらして一人で食事にでる習慣をつけていた。薬剤管理室に一人でやって来たアイダを見て、彼は丁寧に「何か御用ですか」と尋ねた。執政官は皆上司だ。ハイネは年下の女性にも謙虚に振る舞った。それでアイダはキーラにもそう言う態度で接して欲しいと言った。親密な関係だと思われると、キーラは地球人保護法違反だと訴えられかねないから、と。
 ハイネは悲しそうな表情になった。そしてアイダが仰天した言葉を口にしたのだ。

「ご忠告有難うございます。私はあれの母親にしたのと同じ過ちを繰り返すところでした。」
「彼女の母親?」

 アイダはキーラから母マーサが以前ドームに勤務したことがあると聞いたことがあった。だが退職の理由は聞かされていなかった。ハイネがマーサ・セドウィックを知っていたのだとすると、このドーマーは何歳なのだろう? と彼女はその時どうでも良いことを考えた。外見はまだ20代後半に見えていたが、その当時ハイネは既に60歳を過ぎていた。ちょっと困惑したので、ハイネがすぐ側まで来たことに気づくのが遅れた。女遊びのベテランだったハイネは、アイダに近づくと優しく囁いた。

「貴女は友達思いの優しい方なのですね、アイダ博士。」

 長身の彼は上体を屈めて彼女の目線に目を合わせようとした。アイダは彼の薄い青みがかった灰色の瞳を見て、体が竦んでしまった。憧れの人の目がすぐ側で、真っ直ぐ彼女を見つめていたから。ハイネの手が伸びて来て、彼女の髪を撫でた。

「皆んなが同じことをすれば、セドウィック博士一人が責められることはないと思いますよ。」

 彼は優しく彼女をハグして囁いた。

「貴女もこうして下さい。彼女と同じ様に振る舞って下さい。私は騒ぎませんから。」

 後に結婚してから、ハイネはアイダに告白した。あの時のハグは精一杯の自制で、本当はあのまま貴女をあの場所で奪ってしまいたかった、と。

「キーラが初めて貴女を薬剤管理室に案内して来た時から、貴女に関心がありました。」

と彼は言って、アイダを赤面させたのだ。


 

2019年7月14日日曜日

奮闘 2 2 - 4

 真夏のドームは、冷房に電力を大量に消費するので、外の太陽光発電パネルを増やす。パネルの反射光がドームに入らないよう、外壁が光を跳ね返すので、内部の人間は野原が無粋な板に覆われたな、と思うだけだが。
 ジェリー・パーカーは体調が回復すると、午後の休憩時間に壁に出かけた。昼寝をしたかったし、会いたい人もいた。
 遺伝子管理局のローガン・ハイネ・ドーマーは彼の期待通り、壁のベッドでうたた寝をしていた。パーカーは邪魔をしないように少し離れた位置に昼寝場所を取り、半時間ばかり眠った。
 やがて、ハイネが両腕を伸ばし、ウンと声を上げて伸びをした。パーカーもその声で目覚めた。局長が滑り降りるのが視野の隅に入り、彼も慌てて降りた。

「こんにちは」

 声を掛けると、ハイネが振り返った。ちょっと目を細めて彼を見た。

「やぁ、久し振りだな。」
「そうですね。」
 
 パーカーは言いたかったことを急いで頭の中で整理して口に出した。

「この前は折角俺の希望を聞き届けて下さったのに、騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。セイヤーズにも怪我をさせちまって、ケンウッドに叱られました。」
「あんなのは怪我の内にはいらん。」

 ハイネがクスッと笑った。

「セイヤーズは事故の後、無断で行動した。君の希望を逆に利用したのだ。」
「そう言ってもらえると、気が楽です。」
「ジェシー・ガーが警察に捕まる前に死亡したのは残念だったな。恐らくあの男はビューフォードの犯罪をいくらでも喋っただろうに。」
「すみません・・・」

 パーカーは相手の視線を受け止めるのが辛くなり、目を伏せた。あの瞬間理性を失ってしまったのは事実だ。

「人間だからな。」

とハイネが呟いた。

「どんなに歳を重ねても制御出来ない感情ってものは、誰にでもあるさ。」

 彼等は庭園を抜ける道を歩き始めた。

「だが、これで君の気は収まったのかな?」
「ええ。」

 パーカーは微笑んで見せようと努力した。このドームの人々は本当に彼に対して優しい。だから彼もその想いに応えなければと思った。

「博士に直接手を下した男が死んで、何だか俺も気が抜けた気分です。」
「気が抜けたら、早く歳をとるぞ。」
「え?」

  ハイネ局長が片眼を瞑って見せた。

「君に関心を寄せている女性がいるのだが、気が付いていないのかね?」
「俺に関心を?」

 パーカーは訝しげに眉を寄せた。そんな奇特な女性がいるのか? 彼が知っている女性達はクローン製造部の人達だけだ。副長官とJJは相手がいるから違う。ではコロニー人か? 彼とよく口を利く女性と言えば・・・
 パーカーは思いついた人の名前を口に出してみた。

「メイ・カーティス博士?」

 ハイネが微笑んだので、彼はびっくりした。

「そんな・・・あんな綺麗な人がこの俺を?」


奮闘 2 2 - 3

 ドーマー達にはまだマザーコンピュータのデータが200年前に間違って登録されてしまった事実や、そのデータを正しく書き換えたことを黙っておかねばならなかった。実際に女性が地球上の女性から誕生することを確認してからでなければならない。しかし、ドームの改編は始まっていた。
 ケンウッドは執政官達と今後の研究内容の変更を何度も話し合い、ドーム維持班総代表ジェアン・ターナー・ドーマーと新規採用ドーマーの中止計画を相談した。女性誕生の目処がたったことにターナーは興奮したが、秘密を守ることは固く約束した。

「200年前の間違いを知ったら、暴動が起きかねませんからね。」

と彼は物騒なことを言ったが、可能性を否定することはケンウッドも出来なかった。アメリカ・ドームで抑えることが出来ても、他のドームに伝わればどうなるかわからない。特にドーマーと執政官の軋轢が大きいオセアニア・ドームでは厳戒態勢で書き換えを行ったのだ。
 遺伝子管理局はそんなドームの変化に我関せずの顔で、現実問題に取り組んでいた。クローンの子供を奴隷として製造・販売する組織の存在をキャッチして、その全容の解明に乗り出したのだ。ポール・レイン・ドーマーとクロエル・ドーマーの担当区域にその組織が根を張っており、北米南部班と中米班は忙しい。抗原注射を必要としなくなったレインは西海岸に出張したきりで、戻って来ないので、チーフ執務室では秘書のダリル・セイヤーズが一人で働いている。外では逮捕されたFOKのメンバーの裁判が始まりつつあり、セイヤーズの息子ライサンダーが証言台に立つこともあるのだが、それが何時なのかセイヤーズには知らされない。また、セイヤーズに化けて囮捜査を行った連邦捜査官のロイ・ヒギンズも裁判に出廷する為に準備で多忙らしく、ドームから完全に遠ざかってしまった。彼と仲良くなっていたドーマー達はちょっぴり寂しそうだ。相手の仕事柄、外に出たからと言って会える訳でないからだ。
 ハイネは外の地球人世界の問題をコロニー人に教えてくれない。直接ドーマーが関わった場合のみ報告するので、ケンウッドは何か寂しい感じがした。しかし、コロニー人が干渉することは許されない。
 
「地球人保護法もそろそろ撤廃の方向に持って行かないとね。」

とある日の夕食時にヤマザキ・ケンタロウが言った。

「医療現場としても、素手で触りたい診察に、いちいち気を遣うのは疲れるんだよ。」
「地球人同士でも手袋を着用しているではありませんか。」

とハイネ。

「衛生観念がドクターは希薄ですよ。」
「そんなことはないぞ。手袋着用ではわかりにくい症状もあるんだ。」

 ヤマザキは遠慮なくハイネの手の甲を指先で撫でた。

「ほら、ちょこっと荒れているぞ。チーズの食い過ぎだ。」
「そんなアホな・・・」

 ケンウッドは2人の漫才を見て笑った。
 夕食の後、彼は図書館で映画を見て一人で時間を過ごした。映画が終わってロビーに出ると、緑色に輝く黒髪の若者が椅子に座ってぼーっとしているのが目に入った。ライサンダー・セイヤーズだ。副長官から聞いた話では、弁護士資格を目指して猛勉強中だと言う。疲れて休憩しているのだろう。ケンウッドはそばまで言って声をかけてみた。

「こんばんは、ライサンダー。勉強ははかどっていますか?」

 年下だが一般人なので丁寧に話しかけた。久し振りの再会だ。ライサンダーはちょっとはにかみながら、ええ、なんとか、と答えた。

「本気で弁護士を目指しているのですね。」
「はい、俺がクローンであることを活かせるとしたら、やはりクローンの権利の為に働くことだと思ったので。」

 ケンウッドは目を細めて彼を眺めた。

「完璧な人間なのにね、やはり差別はありますか?」
「俺が今の職場で何か不愉快な体験をした、と言うことはありません。でも、街中で他のクローンの人が嫌な思いをさせられている場面に遭遇することが偶にあります。助けてあげようとしたことがあったのですが、法律のことがよくわからなくて、悔しい思いをしました。論理的に抗議出来ないと、どうしても暴力の方へ向かってしまいますから・・・。」

 ライサンダーは、ふと父親のポール・レイン・ドーマーに尋ねようと思って、レインが留守で実現出来ていない質問を長官にしてみた。

「長官、フラネリー大統領はメーカーの取り締まりを強化させていますが、その一方でクローン技術の開示をドームに求めています。彼の目的は何ですか?」
「ふむ・・・」

ケンウッドは視線を遠くへ向けた。

「歴代の大統領は就任すると、地球人の存続が危機に陥っている事実を教えられます。女性が誕生しないと言う事実を公表出来ない理由を彼等は理解しますが、取り替え子の人数に限度があることに危機感を募らせる者もいます。どうしても女性は裕福な家庭、或いはドームが選択した家庭にしか割り当てられない。庶民は、何かおかしいと感じているはずです。」
「ええ・・・確かにそうです。どうして女性は金持ちの家にしか生まれないのだろう、とみんな疑問に思っていますよ。」
「フラネリー大統領は、政府が管理するクローン製造施設を建設する構想を持っているのでしょう。私達は彼と直接話しをしたことがないので、これは憶測ですが・・・。
彼は地球人だけの力で女性を増やせないものかと考えているのです。だが、それはまだ彼1人の頭の中での話でしょう。彼の政策スタッフにも事実は明かせないのですから。」

 ライサンダーはちょっとびっくりして長官を見つめた。

「工場で女性を創るのですか?」
「それに似たようなものでしょうね。」
「俺は好かないなぁ・・・」
「私も個人的には反対です。そんな施設を造ったら、すぐに事実が外部に漏れてしまうでしょう。それに・・・」

 ケンウッドは呟いた。

「あと100年耐えれば、地球は元通りになるはずですよ。」

2019年7月13日土曜日

奮闘 2 2 - 2

 昼食後、2人は一緒にアパート迄帰った。ハイネはアイダ・サヤカの部屋に行くかと思えたが、結局3階で降りずに5階迄上がって行った。元気に見えて実際はかなり眠かったのだろう。ケンウッドも3階の自室に入ると、上着を脱いで、そのまま夜着に着替えることもなくベッドに倒れ込み、直ぐに眠りに落ちた。
 目が覚めると、まだ2時間しか経っていなかった。それでも頭がスッキリしたので、ケンウッドは起き上がり、シャワーを浴びて普段着に着替えた。さっぱりすると、さて何をしようかと考え、端末を開いてみた。するとヤマザキ・ケンタロウからメールが入っていた。開封した。ヤマザキは、ジェリー・パーカーの診断結果と治療内容を報告して来たのだった。パーカーの打撲は肩や腕、脚、脇腹などで、幸い頭部は無事だった。薬剤ジェル浴で筋肉の損傷を回復させるとあった。
 ケンウッドはふとパーカーの見舞いに行ってやろうと思いついた。パーカーの外出の実質的な許可を出したのは自分だし、最終責任はハイネが取ると言ってはいたが、やはりケンウッドとしてはパーカーの身の安全をもっと考慮してやるべきだったと反省もあった。
 医療区に行くと、ヤマザキは多忙で話しが出来なかったが、パーカーとの面会はあっさりと許可が出た。ジェル浴室に行くと、なんだか急に懐かしくなった。

 20年前、ヘンリーと一緒に毎日ジェルカプセルの中のハイネを見舞ったのだった・・・

 あの頃はまだハイネともヤマザキとも親友ではなかった。しかしケンウッドもパーシバルも我が身を犠牲にしてでも地球を守ろうとしたハイネに感銘を受け、毎日通ううちに主治医のヤマザキともすっかり親しくなったのだ。
 ジェリー・パーカーは首から下をジェルの風呂の中に浸ける体勢でカプセルの中に立っていた。ジェルは体温と同じ温度に保たれ、パーカーの体に重力の負担を与えないようしっかりと肉体を包み込んでいた。ケンウッドが部屋に入った時、パーカーは目を閉じていた。眠っているのでないことは、壁の脳波モニターを見ればわかる。ケンウッドは声をかけた。

「ヤァ、パーカー。」

 パーカーが目を開いた。そして囁く様な低い声で言った。

「こんにちは、長官。申し訳ないが、そっちを向くのが一苦労なので、前に回ってもらえますか?」

 ケンウッドはカプセルの周囲を歩いて彼の正面にやって来た。

「打撲傷の治療が大変だとは聞いていたが、かなり大袈裟だな・・・痛むかね?」
「全身打撲ってとこですから、湿布をするよりこの方が薬剤が直接患部に浸透して治りが早いそうですよ。」

 ケンウッドは小さく頷いた。

「君が何処で何故怪我をしたのか、さっき遺伝子管理局から説明があった。私は、君がラムジー博士の墓参りに出かけると聞いたから外出を許可したのだが、どうもハイネと君、そして私の見解は異なっていたようだ。」

 実際は捜査の為に外出したのだと知っていたが、パーカーの外出理由は公には育て親の墓参りとなっていた。出来るだけ特定の人物に責任が集中しない様、秘書のチャーリー・チャンが考えたのだ。
 パーカーが言い訳した。

「俺は誰がラムゼイ博士殺害に直接手を下したのか、知りたかっただけです。オンライン上で俺と会話していたヤツが、本当にジェシー・ガーなのか、確認を取るだけのつもりでした。ハイネ局長も確認だけしてこいと言ったんです。」

 パーカーはジェシー・ガーの話を聞いているうちに殺意が芽生えたことは黙っていた。セイヤーズには脅すつもりで殺傷能力のない麻痺光線をガーの横を狙って撃ったと言ったが、本当は怒りに吾を忘れて殺すつもりで撃ったのだ。麻痺光線であることも忘れていた。しかしここでそれをケンウッドに告白するつもりはなかった。
 彼は殊勝な顔をして素早く付け足した。

「俺の怪我でハイネを叱ったりしなかったでしょうね?」
「私が彼を叱る?」

 ケンウッドが苦笑した。

「私が何を言っても、彼の場合は暖簾に腕押しだ。またコロニー人が小言を言っていると言う程度の認識で軽くスルーされる。」
「でも、あんた方は地球人を子供扱いしているだろ?」
「それは、我々がドーマー達や女性達を生まれた時から育てているからだ。決して地球人がコロニー人に劣っているなどと思ってはいない。」
「俺はあんた等に育てられたんじゃない。」

 ケンウッドはパーカーの目を見た。孤独な暗い目だ、と感じた。

「ああ・・・そうだ、君はここでは客人だ。」
「囚人だろ?」
「違うよ。君が復讐を企んだりさえしなければ、自由にドームを出入り出来るはずなのだがね。」

 パーカーとケンウッドの目が合った。

「君の復讐に、うちの子供達を巻き込まないでくれないか。」

とケンウッドが言った。言ってしまってから、しまった、と思った。これではますますパーカーの孤独感を強めてしまうではないか。 全ての地球人はドームの子供だ。しかし、パーカーは違う。パーカーは4000年も前に母親から生まれた正真正銘の地球人だ。

「つまり・・・」

 ケンウッドは心の中の狼狽を隠して言った。

「君に危険なことをして欲しくないと言う意味だよ。今みたいな怪我を2度として欲しくないのだ。」

 パーカーは曖昧な笑みを浮かべて目を閉じた。

「怪我を恐れては何も出来ませんぜ、長官。」

と彼は言い、ケンウッドにおやすみと呟いた。


奮闘 2 2 - 1

 昼食は普段より早い時間だったので、混雑を避けて中央研究所の食堂で摂った。食べながらケンウッドはハイネに相談した。ドーマーの採用を中止する時期は何時にすれば良いかと言う相談だ。中止時期について、月の本部は各ドームの裁量に任せると言ってきた。ドーマーは労働者だから、それぞれのドームの労働力の問題だ。ハイネは少し考えてから、答えた。

「遺伝子管理局は現在予定している候補生で採用を止めても構いません。将来の外勤の局員は支局で一般人を雇用しても差し支えないと思います。」

 過去の遺伝子管理局の人間が聞いたら腰を抜かしそうな案だ。しかし、ケンウッドはハイネらしい意見だと思った。他人より長い時間を生きるドーマーは、ドームの未来を長い目で見ることが出来るのだ。

「維持班の採用は、ターナー総代と相談なさった方がよろしいでしょう。特に出産管理区とクローン製造部は外からの雇用者を入れることが出来ませんから、人員補充はまだ当分必要です。」
「うん、そうだね。」

 ケンウッドはガラス壁の向こうの出産管理区の妊産婦達を眺めた。あの女性達が全員地球人になるのは何時の頃だろうか。
 ハイネの端末にメールが着信した。失礼しますと断って、ハイネは画面を覗いた。そして顔を上げて報告した。

「ジェリー・パーカーがドーム空港に到着しました。消毒を終えたら、直接医療区へ搬送します。」

 ケンウッドはホッとした。貴重な地球人のオリジナルが帰って来た。

「彼の怪我は酷いのかね?」
「怪我の殆どが打撲傷です。自力歩行は可能ですが、かなり辛いらしいので、車椅子で移動させます。治療は医師達にお任せします。」

 人任せの言葉に、ケンウッドはちょっと引っかかったので、尋ねた。

「パーカーを外に出した理由である、ラムゼイ殺害実行犯の確認についての調書は取らないのかね?」
「私がですか?」

 逆にハイネが驚いたので、ケンウッドも驚いた。ハイネが何を今更と言いたげな顔をした。

「今回の外での捜査活動はセイヤーズとニュカネンが主導しています。パーカーは捜査員ではありません。彼は報告書を出す義務がありませんし、私の部下でもありません。」
「だが、彼を外に出したのは君だろう?」
「彼が外に出たがっていたからですよ。気分転換と気持ちの整理をさせたのです。捜査の詳細はセイヤーズが書いています。ニュカネンも報告書を送って来ました。十分です。」

 ハイネは端末をポケットにしまった。

「私は明日の昼迄休暇を取ります。留守の間のことは、長官が先程ネピア・ドーマーに言い聞かせて下さったので、部下に全て任せますよ。長官もお休み下さい。」

 明日の昼迄休めと言ったのは、外でもないケンウッド自身だった。彼は頷いた。

「わかった。お互いゆっくり休もう。では、明日の昼前の打ち合わせ会で業務再開だ。」


2019年7月11日木曜日

奮闘 2 1 - 10

 局長第1秘書のネピア・ドーマーは第2秘書を帰らせた後も一晩中主の帰りを局長室で待っていた。夜が明けて、キンスキー・ドーマーが出勤して来たので少しアパートに戻って仮眠をとってから、昼前に出勤すると、中央研究所からネピアに呼び出しがかかっていた。
 秘書が呼ばれるのは珍しく、ネピアは遺伝子管理局の現役を引退した時に「お勤め」も引退同然だったので、呼ばれたのは10年振りだ。自身に用があるのではなく、局長に何かあったのでは、と彼は不安に襲われながら中央研究所に出頭した。
 案内されたのは長官執務室室だった。入室許可を得て中に入ると、執務机の向こうでケンウッド長官が書類仕事をしていた。ネピアが「こんにちは」と挨拶すると、長官は顔を上げて優しく微笑んだ。

「こんにちは、ネピア・ドーマー、久し振りだね。元気にしてるかね?」
「おかげさまで・・・」

 ネピアは部屋の端の休憩スペースに置かれている長椅子の上に人間が横たわっているのに気が付いた。その人物が誰かわかってギョッとした。彼が驚いたのが長官にわかったのだろう、ケンウッドが低い声で説明した。

「ただ寝ているだけだよ、夕べ、私が無理を言って徹夜させてしまったものだから・・・」

 長椅子の上でローガン・ハイネ遺伝子管理局長が気持ちよさそうに寝息をたてていた。

「徹夜ですって?」

 ネピア・ドーマーは眉を寄せた。100歳を越える局長になんてことをさせるのだ、と無言で苦情を言い立てた。しかしケンウッドは彼の態度を無視した。

「君をここへ呼んだのは、その徹夜仕事に関係することだ。」

 長官に椅子を指され、ネピアは仕方なく腰を下ろした。

「君はハイネからマザーコンピュータのプログラミングの再構築の話を聞いているだろうね?」
「はい、口外してはならぬと口止めされました。」
「彼が君に話したのは、君を信用かつ信頼しているからだ。」
「畏れ入ります。」
「その新規プログラムは一昨日完成した。」
「おお、そうでしたか!」

 ネピアは思わず声を上げ、慌てて局長を振り返った。疲れて寝ている人を起こしたくなかったのだ。

「知っての通り、マザーコンピュータの内部を触るには、各ドームの代表4名の認証が必要だ。ここアメリカ・ドームでは、長官の私、副長官のゴーン、保安課長のゴメス、そしてドーマーの代表であるハイネだ。昨夜、この4名が集まってプログラムのインストールを行った。当初は日付が変わる頃に終了するだろうと予想されていたのだが、存外書き換えられる項目が多すぎて時間をくってしまい、認証を求められる回数も多かったので、終わったのは今朝の9時前だった。」
「それは・・・お疲れ様です。」
「ゴメスとゴーンは帰ったが、ハイネは一つ用事が出来たと言って残った。その用件には、君が必要だった。しかし、本部に連絡を入れると、君は徹夜でハイネの帰りを待った挙げ句、疲れてアパートに帰宅した後だった。」
「用件があるのでしたら、直接電話下さればすぐに参りましたのに・・・」
「ハイネが君の休憩の邪魔をしたくないと言ったのだよ。それで、彼は君が本部に出勤する迄、ここで休んでいると言う訳だ。」
「ああ・・・そうでしたか・・・」

 ネピア・ドーマーは、ローガン・ハイネ・ドーマーの進化型1級遺伝子が「待つために肉体の老化を止める」ものであったことを思い出した。ハイネは待つことが特技なのだ。

「実を言うと、彼がいなくても君の手続きは出来るのだ。彼の承認は後でもらえば済むからね。」
「私の手続き?」

 ネピアは怪訝そうな顔で長官を見つめた。

「何の?」

 少し躊躇ってから、ケンウッドは言った。

「ハイネの身にもしものことがあった場合、君が局長職を代行する権限を持てると言う手続きだよ。」

 ネピアは一瞬長官の言葉の意味を捉えられなかった。いつも冷静な彼がうろたえた。

「局長の身に・・・どう言うことです?」

椅子から前のめりに身を乗り出してしまったネピアをケンウッドは手を振って制した。

「今の話をしているのではないよ、ネピア・ドーマー。遠い将来に、彼が歳をとって職務の遂行に支障を来すことが出てくる場合を想定した話だ。」
「遠い将来に・・・」

 ネピアは泣きたくなった。

「私は普通に歳をとります。局長はきっと今のままで生きられます。無駄なことを・・・」
「人間はどんなに頑張っても150歳が限界なのだそうだ。」
「局長には50年あるではないですか。私は後20年生きられたら良い方ですよ。」
「ハイネの50年が平穏無事である保障はないだろう?」

 ケンウッド長官はネピア・ドーマーを優しく宥めた。

「彼の遺伝子の作用は明確に解明されている訳ではない。人工的改良型の遺伝子は、世代を追う毎に変化する。だから、『進化型』と呼ばれる。ハイネは、彼と同じ『待つための遺伝子』がある日突然機能を止めて肉体を急激に老化させた事例があったことを知っている。彼に同じことが起こらないとは言い切れない。
それ所以に、彼は万が一の場合、彼の仕事を引き継いでくれる人物として、君を推薦したのだ。」
「お話はわかりました。」

 ネピア・ドーマーは声が震えるのを必死で制した。ローガン・ハイネ・ドーマーにもしものことがあるなんて想像出来ない。あってたまるか!

「しかし、何故私なのです? もっと若くて才能のある人間がドーマーの中に大勢いるでしょう? 私は幹部になったことはありませんし、秘書の職務で充分満足しているのです。局長代行だなんて・・・繋ぎの職務だと承知していますが、それでもそんな大それたお役目を引き受けられる器ではありません。」

 ケンウッドが溜息をついた。

「君は、ハイネが予想した通りの返答をするのだなぁ・・・しかし、ネピア・ドーマー、君の世代と現在の幹部局員の間は少し年齢が開いているだろう? 数年間取り替え子からドーマーを採らなかったからな。現役の連中は才能は溢れているが、まだ人間としての経験が足りない。だから、例え繋ぎだとしても、君は絶対に必要なのだ。
 頼むから、断らないでくれないか。今は口約束で良いから、常に心づもりしておいてくれ。」

 ネピア・ドーマーが長い沈黙の後でやっと承諾すると、ケンウッドはホッとした表情になった。そして、秘書が部屋から退出してドアが閉じられると、部屋の端っこに向かって声を掛けた。

「おい、何もかも私に喋らせて、自分はタヌキ寝入りかね?」

 ローガン・ハイネ・ドーマーが目を閉じたままで、くくくっと笑った。

奮闘 2 1 - 9

 ハイネがセルシウス・ドーマーから届いていた報告書をかいつまんで語った。ケンウッドは、ダリル・セイヤーズとジェリー・パーカーが交通事故で負傷したことに驚き、心配したが、ハイネはそっちの方は気にしていなかった。セルシウスもその件の報告はセイヤーズ本人とリュック・ニュカネンの報告を読んで欲しいと簡単に済ませていた。それに本日中にパーカーはドームに帰って来るのだ。ハイネは彼自身が何を悩ましく思っているのか、ケンウッドに告げた。

「局長第1秘書は、局長が業務を遂行出来ない時に自主的に代行する役目を負っています。つまり、秘書自身の判断で、局長の権限を引き継ぐのです。局長が後継者を指名せずに死亡した場合は、第1秘書が自動的に局長に就任します。これはドームが開設されて以来の約束事です。
 しかし、ネピア・ドーマーはこれを理解していない。もしくは、避けているのです。私が長官の下で仕事をしたり、体調を崩して休んだりして局長業務を遂行出来ない時、彼は必ずグレゴリーかジェレミーに応援を求めるのです。それが日課の事務仕事の手伝い程度なら良いのですが、ネピアは局長裁断が必要な事案を先輩に丸投げする。部下へ命令を下すことは出来るのに、その上の次元の判断が出来ない。」

 ケンウッドはハイネが言いたいことを理解した。

「ネピア・ドーマーには第1秘書としての覚悟がまだ出来ていないと言うことだね?」

 ネピア・ドーマーは秘書として優秀だ。記憶力もずば抜けているし、事務処理能力も秀でている。判断力だって素晴らしい。しかし、責任を負うとなると、腰が引けてしまうようだ。目下の者には命令を下せるが、その発令の責を己が負うことに恐れを抱いている。

「私はまだ死ぬつもりはありません。」

とハイネが物騒な物言いをした。

「ですから、ネピアが思う存分彼の考えで行動しても、その最終的な責任は私が負うのです。彼が怖がる必要はないのです。私の考えと正反対の判断をしても、私は怒らない。彼が何故そう判断したのか、私が考えれば良いのですから。
 長官、どうすれば彼に私の思いを伝えることが出来るでしょうかね? 」
「君の口から伝えても無駄なのかね?」

 ケンウッドの質問に、ハイネは首を振った。

「私が言い聞かせても無駄でしょう。彼はますます私に迷惑をかけまいと萎縮してしまいます。」

 ネピア・ドーマーがローガン・ハイネを神の様に敬っていることをケンウッドは思い出し、苦笑するしかなかった。

「わかった、私からなんとか言い聞かせてみるよ。」

2019年7月10日水曜日

奮闘 2 1 - 8

 ケンウッドが帰って良いよと言う前に、ハイネが自身の端末を手に取り、メッセージ画面を開いた。部下達からの連絡を確認して、長官を見た。

「長官はもうお帰りですか?」
「否、月の本部に書き換え手続き終了の連絡と、後細々した事務処理をしておこうと思うんだ。明日に残すと煩わしいからね。」

 ケンウッドは秘書達を見て微笑んだ。秘書も書類の山を抱えて過ごすのは嫌だろう。するとハイネが言った。

「お邪魔でなければ、お昼迄こちらで部下の報告書を読ませていただいてよろしいでしょうか? 仕事をアパートに持ち帰らない主義ですし、本部へ行けば行ったで余計な仕事が増えますから・・・。」

 日課は留守番の秘書がしてくれる。しかし報告書は自分で読みたい局長の心をケンウッドは理解した。

「いいよ、そこに座っていなさい。私も必要なことだけ片付けて休むつもりだ。一緒に昼飯に行こう。其れ迄好きにしていなさい。」

 ハイネは礼を言って、会議の時の自席に腰を据えた。南北大陸各所から送られてきた昨日の部下達の報告書を読み始めた。
 ケンウッドも執務机の前に座り、コンピューターのファイルを開いた。データ書き換えの最終書類を記入し、署名し、月に送付する。面倒だが、これをやっておかないと、月の執行部事務局から催促される。月は地球時間など御構い無しだから、下手をすると真夜中に叩き起こされる恐れがあるのだ。
 書き換えの最終事務処理を済ませると、ドームの日常的な事務処理が待っていた。重要ではないが、長官の承認がなければ先に進まない業務の書類に署名を入れる。部下を待たせたくないケンウッドは大急ぎでそれらの書類を片付けた。
 全部終わったのは11時前だった。書き換え認証処理が終わって2時間経っていた。ファイルを閉じて、ケンウッドはハイネを見た。遺伝子管理局長は疲れた表情で端末を見ていた。ケンウッドは声を掛けた。

「何か問題でも?」

 ハイネが振り返った。

「問題ですが、長官にご報告する様な内容ではありません。」
「そんな言い方をされると気になるなぁ。」

 ケンウッドはドームの外に外出させたジェリー・パーカーとダリル・セイヤーズの報告ではないかと疑った。するとハイネは言った。

「私の第1秘書に関する案件です。報告は、セルシウス・ドーマーから来ていました。」

奮闘 2 1 - 7

 マザーコンピューターのデータ書き換えに必要な地球側の認証作業は開始から14時間後にやっと終了した。月の地球人類復活委員会本部から、終了の連絡が来た時、南北アメリカ大陸ドームの最高幹部4名は疲労でぐったりしていた。ケンウッドとゴーンは高齢のハイネを気遣ったが、ハイネの方は男性らしく女性のゴーンに心を配った。

「副長官、狭い空間にむさ苦しい男ばかりの同輩でさぞや息苦しい思いをなさったでしょうな。」

 ハイネの言葉にケンウッドも部下が女性であることを思い出した。小部屋のドアを開け、彼女に手で出るよう合図した。

「お疲れ様、副長官。先ずは貴女から出てください。今日は打ち合わせ会を休みます。4名共に明日の昼迄休業としますから。ゆっくり休んで下さい。」

 ゴーンは微笑んだ。休むと言っても、この長官は働くだろう、とそんな予感がしたのだ。しかし彼女は素直に頷いた。

「わかりました。では皆さん、お疲れ様でした。」

 小部屋から長官執務室に入ると、2人の長官秘書が仕事をしていた。ジャクリーン・スメアもチャーリー・チャンも4名の最高幹部が何をしていたのか承知だったが、黙ってゴーン副長官に会釈して、預かっていた端末や所持品を返却した。ゴーンはその場で彼女の持ち物を確認して、笑顔で秘書達に頷いて見せた。そして長官執務室を出て行った。
 ケンウッドはゴメス保安課長に声を掛けた。

「少佐、お疲れ様でした。貴方の勤務シフトでは、既に30時間働き通しになっています。早く休んで下さい。」

 ゴメス課長は厳つい顔に優しい笑みを浮かべた。

「特殊部隊の隊員には慣れっこです。それに認証作業の合間に少しずつ寝ていましたから。」

 ケンウッドも彼が短い仮眠を何度か取っているのを目撃していた。ゴメスは立ったままで、或いは椅子に座って目を閉じていた。あの程度の休息で十分に休めたとは信じられなかった。しかし、ケンウッドは笑顔で言った。

「体力を温存する術を保安課だけ出なく、ジムでドーマー達に教えてやって下さい。」
「戦闘術だけでなく・・・ですな?」

 ゴメスは照れ笑いした。過保護に育てられたドーマー達に、これからは外の世界の厳しさを教えて行かねばならない。ゴメスはこの瞬間、新しい己の役割を悟った気分になった。科学者達には出来ない仕事だ。彼は新しい希望を得た気持ちで長官執務室を後にした。
 ケンウッドは小部屋を振り返った。ハイネが引き篭もり装備の後片付けをチャーリー・チャンのロボットに指図していた。携帯トイレや寝具、食料の後片付けだ。チャンが他人のロボットに勝手に指図する老ドーマーを苦笑しながら見ていた。ロボットに命令を下すコマンドをハイネに教えた記憶がないのだ。


2019年7月8日月曜日

奮闘 2 1 - 6

 通話を終えたネピア・ドーマーは先輩セルシウスの顔を見た。セルシウス・ドーマーはセイヤーズのセイヤーズらしい言葉に、腹を立てるどころか寧ろ微笑ましく感じていた。だからしかめっ面したネピアに言った。

「あの男は能天気で破茶滅茶な面もあるが、誠実で行動力があるし、機転が利く。それは君も認めているんじゃないのか?」
「私がセイヤーズを認めているですって?」

 ネピアは傷ついたフリをしたが、セルシウスの指摘が図星だったので内心狼狽していた。

「君には部下に命令する権限がある。局長ご不在の時は、君が遺伝子管理局の采配を振らねばならない。君はセイヤーズに即刻帰還を命じることも出来た筈だ。しかし、彼の好きなようにやらせようと思ったのではないかね?」

 ネピアは微かに頬を赤らめた。

「私は、あの男の我儘に呆れかえって物を言えなかっただけです。それに大切な遺伝子保有者ジェリー・パーカーと優秀な保安課員は帰らせると彼は断言しました。」

 彼は先輩の言葉を認めた。

「ええ、セイヤーズは誠実です。やると言えばやります。パーカーとサルバトーレは必ず夜が明けたら戻ってきます。」

 そして汗を拭うフリをした。

「もしセイヤーズが任務に失敗したら、私が責任を取ります。局長には傷をつけません。」
「局長はそんなことをお望みではないさ。」

 セルシウスは、親の心子知らず、と言う古い東洋の諺を思い出した。ハイネはネピアが業務成績にこだわらず、もっと大胆に才能を発揮させれば良いのに、と常々セルシウスやペルラにこぼしていた。

 最終責任者は俺なんだから、アイツはもっと自由な発想で仕事をすれば良いんだよ。

 しかし、セルシウスは上司の言葉を後輩に教えてやるつもりはなかった。ネピア・ドーマー自身がハイネの胸の内を悟って自身の考えで行動していけるようにならねば、意味がないのだ。

「局長は長官と徹夜で仕事をなさっているのだろうか。」

とセルシウスは呟き、ネピアを振り返った。

「私はもう帰る。君も帰って休め。」


 ネピアは首を振った。

「いえ、私はここに泊まります。もしセント・アイブスでまた何か起きると困りますから。多少なりと私がアドバイスを与えてやらないとね・・・」

 セルシウスは微笑した。ネピアは、嫌っていてもセイヤーズが心配なのだ。
 セルシウスは頷くと、おやすみ、と言い置いて局長執務室から出て行った。

2019年7月7日日曜日

奮闘 2 1 - 5

 ジェレミー・セルシウスが局長執務室に現れた直後に、ようやくリュック・ニュカネンから報告が届いた。ネピア・ドーマーは自身の判断力を疑われるのではないかと危惧しつつ、セルシウスと共にその報告書を読んだ。
 ジェリー・パーカーはラムゼイ博士殺害実行犯と思われる人物と、彼がネットで会話をしていた男が同一人物であることを確認した。実際の接触は翌日に行うことにして、彼等は支局が手配したホテルに宿泊、夕食を摂りに出かけた。レストランからホテルに戻る時に、流しのタクシーを拾ったのだが、パーカーとセイヤーズが乗り込んだところで、タクシーはサルバトーレを置き去りにして走り去った。サルバトーレは別の車を捕まえ、タクシーを追跡した。一時見失ってしまったが、そのタクシーがトラックと衝突事故を起こしたのを発見した。サルバトーレは車内に閉じ込められたセイヤーズとパーカーを通行人の協力を得て救助した。タクシーの運転手は死亡していたのだが、その男が例のラムゼイ博士殺害実行犯とされる男だった。
 パーカーとセイヤーズは病院に搬送された。セイヤーズは軽傷で湿布と塗り薬だけで済んだが、パーカーは打撲箇所が多く、命に別状はないが、当分動くのに苦痛を伴うだろうとのことだった。
 ニュカネンは、2名を翌日ドームに送り返します、と締めくくっていた。

「素直に帰って来るだろうか。」

とセルシウスが呑気な口調で言うと、ネピアはムッとした。

「帰って来てくれないと困ります。局長が長官を説得して外に出したのです。」
「だが、その局長は事の顛末を見届ける前にお出かけだ。」

 外の世界に出られないローガン・ハイネが行く場所など、たかが知れている。戻って来ないのは、執政官が、恐らく長官が、足止めしているのだ。
 セルシウスが帰宅しても良いかとネピアに訊く前に、ダリル・セイヤーズから電話が掛かってきた。これも局長宛に掛けて来たのだが、ネピアが出た。

「事故のことは聞いたよ。」

 ネピアはトラブルばかり起こすセイヤーズに腹を立てていた。遺伝子管理局の秘書仲間の内では、ネピアが最年長でセイヤーズが最年少だ。正直言って、セイヤーズはこの男が苦手だった。普段は局長と部下達の会話に一切口をはさまず、まるで存在しないかの様に気配もしない。しかし、不意に局長に話を降られても的確に答えを出す。常に正論を吐く。セイヤーズの脳天気さを軽蔑している雰囲気さえある。

「ご心配をおかけしました。取り敢えず、パーカーと私は無事だと局長にお伝え下さい。」
「何があったのかね? クーパーの報告によると事故を起こしたタクシーの運転手が、例のラムゼイの運転手だったそうだが?」

 後で局長に報告書を提出するので、真夜中に秘書に事故の説明などしたくなかったが、これからも秘書仲間の会合などで顔を合わせるのだ、セイヤーズは素直に質問に答えた。

「そうです。パーカーは気づいていました。それで芝居を打って、私を攫ってガーに店へ案内させる筋書きのつもりだったのですが、ガーがラムゼイ博士殺害に関係している趣旨の発言を自らしたものですから、パーカーが頭に血を上らせてしまいました。パーカーの証言では、彼は私の麻痺光線銃を手にしていたのですが、それを威嚇のつもりで発射しました。運転手に当てるつもりはなかったそうですし、実際当てていません。しかし、光線が顔のすぐ横を走ったものですから、運転手のジェシー・ガーはパニックに陥ったのです。彼は光線を避けようと体を左に傾かせ、ついでにハンドルも左に大きく切りました。そして左車線を対向して来たトラックの側面に突っ込んだのです。ガーは即死だったそうです。パーカーと私は後続のタクシーで追いかけてきた保安課のサルバトーレ・ドーマーと数名の通行人に救助されました。これが、今回の事故の粗筋です。」
「すると、事故の原因はパーカーの失態だね?」

 パーカー1人に責任を押しつけるのはセイヤーズには気が重かった。

「私の監督不行届です。」
「君がそう自覚しているなら、そう言うことにしておこう。」

 ネピアが意味深な表現をした。それでセイヤーズはつい突っ込んでしまった。

「何かご異論でも?」

 すると、秘書界の長老は言った。

「私は君達若者の業務上の行動に関して自分の意見は言わないことにしている。だから、運転中の人物に麻痺光線を浴びせるような馬鹿が遺伝子管理局にいるはずがないと言いたくても言わない。」

 言ってるじゃないか、とセイヤーズは心の中で毒づいた。電話の反対側でも、セルシウス・ドーマーが同じことを思っていた。

「パーカーだってジェシー・ガーに光線を当てるつもりはなかったんです。脅すだけで・・・」
「脅す必要があったのか?」
「ラムゼイ殺害が運転手1人の考えで行われたと誰も思わないでしょう?」
「ガーはビューフォードやモスコヴィッツにそそのかされたのではないのか?」
「そうだとしても、ビューフォード達を動かしていたのは誰です? 彼等の行動は、彼等がドームに敵対する組織の長とするには、あまりにもお粗末です。パーカーは真の黒幕を突き止めたいのです。」
「パーカーの考えなのか? 君のではないのか?」
「パーカーと私の考えです。それにレインも同じ考えです。」

 電話の向こうでネピア・ドーマーが溜息をついた。

「君はどうしてもこの件を解明したい訳だ。」
「はい。」
「明日・・・いや、既に今日か・・・戻らないつもりだな?」
「アキ・サルバトーレ・ドーマーは帰らせます。抗原注射の効力切れをまだ体験したことがありませんから、外に置くのは危険です。それから、パーカーも帰らせます。本人は抵抗すると思いますが、彼は局員ではないし、貴重な遺伝子保持者です。これ以上怪我をさせたくありません。」
「そして、君は残ってどうするのか?」

 セイヤーズは迷うことなく答えた。

「まだわかりません。」

奮闘 2 1 - 4

  ジェレミー・セルシウスは局長第一秘書を引退して既に10年以上経つと言うのに、彼に外の世界で起きた事故の報告をしてきたトーマス・クーパー・ローズタウン支局長に、思わず苦言を呈した。

「君は、ネピアを秘書にした局長と、ネピアを後継に選んだペルラ・ドーマーと私の顔を潰す気か?」
「とんでもありません!」

 クーパーは慌てた。

「ただ、局長がお留守で第一秘書の判断を仰ごうとしたにも関わらず、ネピア・ドーマーが何も指示をくれなかったものですから・・・」
「緊急の指示を必要とするのかね?」

 セルシウス・ドーマーはアパートで妻と寛いでいたところを邪魔されて不機嫌だった。事故に遭った2人の人物が地球にとって重要な男達であることは承知している。しかし、命に別状がないのだから、焦ることはないだろう、と彼は思った。本当に深刻な事態であれば、クーパーではなく、負傷した2名と行動を共にしている保安課員から連絡が入った筈だ。しかし、アキ・サルバトーレは連絡をよこさなかった。彼等を直接世話しているセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウン出張所の所長リュック・ニュカネンからもまだ報告が来ていないのだ。
 強面に反して優しい性格のセルシウスは、あまり支局長を苛めたくなかったので、皮肉を言いたい気持ちを自制した。

「君が事故に遭った2名の重要性を理解していることは十分伝わった。ネピアも鈍い訳ではない。今対策を考えているのだ。君は通常の業務をこなし、連中に大きな変化があれば連絡してくれ。私ではなく、ネピアに、だ。」
「わかりました。」

 クーパーは渋々納得して通話を終わらせた。
 セルシウス・ドーマーは、自身の端末に残されたネピア・ドーマーからの応援要請のメールを眺めた。時刻は事故報告よりずっと早い時間だ。

「本部へ行ってくる。」

と彼は妻に告げた。

「どうもネピアの奴は急激な変化に弱いらしい・・・」

奮闘 2 1 - 3

 支局長との連絡のやりとりは秘書の仕事だったから、ネピア・ドーマーはトーマス・クーパー元ドーマーが画面に現れた時、重要な問題が起きているとは予想しなかった。クーパーが局長と直接話したいと希望した時も、局長は長官の所に行っていて留守だ、と冷淡に答えた。
 クーパーは諦めた様子で、ネピアに要件を伝えた。

「セント・アイブス出張所のリュック・ニュカネンからの緊急連絡を伝えます。ダリル・セイヤーズ・ドーマーと彼が同伴しているドームの研究員ジェリー・パーカーが交通事故に遭いました。」

 ネピアは暫く黙っていた。「交通事故」と言う言葉の意味を考えなければならない程、ドーマーにとって馴染みのない言葉だったのだ。クーパーはネピアが外勤局員だった時代を知っている年代だ。だから説明は不要と思ったが、相手の沈黙が予想以上に長かったので、言葉を足した。

「ニュカネンから詳細な報告が後で入る筈ですが、概要を申せば、セイヤーズとパーカーが乗車したタクシーが大型車と衝突したそうです。両名は救助され、現在病院で治療中です。」

 やっとネピアは頭を働かせた。どう言うことが起きたのか、想像出来るようになったのだ。彼はクーパーに尋ねた。

「両名の傷は深いのか?」
「ニュカネンは命に別状はないと言っていますが、彼等が自力歩行可能なのか否か、そこまではまだ何も報告がありません。」

 ネピアは何か忘れている気がした。セイヤーズとパーカーが乗ったタクシーが事故に遭い、2人は負傷した。今回外出したのは、2人だけだったか?
 ネピアは画面の中のクーパーに厳しい顔で尋ねた。

「もう一人はどうした? 保安課員が1名、負傷した2名と行動を共にしていた筈だが?」
「保安課員アキ・サルバトーレに関して、ニュカネンは何も言っていません。彼は保安課員の存在を知っていますので、サルバトーレの現状に言及しないことを考えますと、サルバトーレは無事なのでしょう。」

 事情が明確ではないので、ネピアはイラっとした。局長が留守の時に限って、重大事件発生ではないか。彼はクーパーを相手にしても埒が明かないと判断した。

「ニュカネンに可能な限り早く報告書を提出するよう、伝えて欲しい。こちらも早く対応を考えねばならないからな。」
「承知しました。」

と答えつつ、トーマス・クーパーは早く局長が部屋に戻れば良いのだが、と淡い期待を抱いた。それとも・・・

 ジェレミー・セルシウスに直接連絡してみようか?


2019年7月4日木曜日

奮闘 2 1 - 2

 遺伝子管理局本部局長執務室では、ネピア・ドーマーが落ち着きなく自身の机の前に座っていた。局長執務机は空だ。ネピアはハイネ局長が中央研究所に呼び出され、「丸一日戻らない可能性があるので、後は君に任せる」と告げた時、またコロニー人長官の我儘に付き合わされるのだな、と思った。ハイネは長官の言いつけを守ってデータ書き換えの話をまだ部下達に伝えていなかったのだ。いざ局長が去ってしまうと、ネピアは急に心細くなって、引退した先輩のジェレミー・セルシウス・ドーマーに、手が空いたら来て欲しいと連絡を入れた。セルシウスからは了解の返信が来たが、実物はまだ来ていなかった。
 外勤の部下達から午後の報告書が届き始めた。ネピアはキンスキー・ドーマーに秘書業務を託し、報告書に目を通し始めた。この作業は慣れていた。外勤からキャリアを始め、引退後は内勤で働いていたのだ。目を通した承認として「局長代理」の署名を入れた。局長は後日これらの報告書を読む筈だ。ハイネは決して一通の報告書も無視しない。だからネピアは慎重に読み、緊急を要する案件がないか注意を払った。
 夕方になってもハイネは戻らず、ネピアは報告書を読み終えた。時計を見て、もう暫くは頑張って見ようと思い、部下のキンスキー・ドーマーには帰宅を許した。
 局長業務を内勤の部下達に分業させてはどうかと言う案に、ネピアは批判的だった。ハイネを信奉する彼は、局長の日課は神聖な仕事だと信じている。地球人の生死の確認を記録する仕事だ。神に近いじゃないか、と彼は思っていた。だからハイネ自身の口から分業の提案が出た時は、酷いショックを受けた。内勤のドーマー達はネピアの部下だ。部下が神様の仕事をするなんて!
 ハイネはネピアが不満顔をしたので、「君は古いなぁ」と笑っただけだった。そして、そのうちにドーム幹部執政官から通達が来るだろうと呟いたのだ。
 分業に関する物思いからネピアが現実に戻ったのは、空腹になったからだ。彼はコンピュータを閉じ、帰宅の準備に取り掛かった。その時、電話が掛かってきた。取次の保安課のコンピュータが尋ねた。

ーーローズタウン支局長トーマス・クーパー元ドーマーから3番に、ハイネ局長宛に掛かっている。取次を希望するか?

 ネピアは機械相手に局長が不在だと説明しなかった。適当に答えた。

「希望する。取り次げ。」




2019年7月3日水曜日

奮闘 2 1 - 1

 翌日、ケンウッドはダリル・セイヤーズ・ドーマー、アキ・サルバトーレ・ドーマー、そしてジェリー・パーカーが囮捜査の為にドームの外に出たことを知らされた。報告は遺伝子管理局本部から局長名義の文書で届いた。局長自身は日課で忙しいので、詳細報告を希望されるなら打ち合わせ会で、と但し書きが付いていた。
 ケンウッドは3人の若い男達・・・一番若いサルバトーレでも30歳は過ぎていたが・・・の無事を祈りつつ、日常業務に取り組んだ。打ち合わせ会の時刻迄後15分と言う頃に、月の地球人類復活委員会本部から連絡が入った。

「マザーコンピューターのデータ書き換えを2時間後に開始します。各ドームは規定通りの態勢で開始合図を待って下さい。」

 突然の一方的通告だ。ケンウッドはびっくりしたが、準備は整っていたので、慌てることはなかった。直ちにラナ・ゴーン副長官、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長、ロアルド・ゴメス保安課長に招集命令を出した。もっとも、彼は一言但し書きを忘れなかった。

ーー長官執務室に来る前に昼食を摂っておくこと

 地球規模の作業なので、どのドームが何をしている時間なのか、月は御構い無しだ。就寝中のドームもある筈で、ケンウッドは昼間に連絡を受けた自分達をラッキーだと思うことにした。
 秘書2名にことの次第を説明して、書き換え作業の間は長官業務が出来ないので秘書達にカバーしてもらうことにした。出張と同じことだから、秘書達は慣れていたし、事前に打ち合わせもしていたので、長官執務室での業務引き継ぎは順調に行った。
 テキパキと準備してから、ケンウッドは大急ぎで自身も昼食を摂りに食堂へ行った。食堂には既にゴーン副長官とゴメス保安課長がいた。ゴーンは研究助手のジェリー・パーカーが外に出かけてしまっているので、クローン製造部の人手が欠けることを少し気にかけていた。部下の執政官達は優秀だが若いので、彼女の目から見れば経験豊富と言えないのだ。外から来た地球人のパーカーが一番頼りになる筈だったが、留守になってしまっている。彼女はJJ・ベーリングとメイ・カーティス博士に業務上の注意点をくどい程説明していた。
 ゴメス課長は反対に部下に任せておけば安心と言う顔だ。彼より部下の方がドームでの生活歴が長いので、ドームの安全に関する仕事に関して、彼は部下のドーマー達を信頼していた。
 ハイネ遺伝子管理局長は一般食堂で昼食を摂ったので、彼が顔を見せたのは長官執務室だった。彼は3人のコロニー人に挨拶をして、自席に座った。ケンウッドは彼等を見廻し、全員揃ったことを確認すると、簡単な説明を行った。

「これから予てから準備していたマザーコンピュータのデータ書き換えを行う。実際に新規データを入力するのは月の地球人類復活委員会本部だが、地球上の端末において、各章毎に全てのドームの最高責任者4名が書き換え承認を行う必要がある。決められた順番に、毎回各自名前を名乗り、虹彩認証と指紋認証を行わねばならない。章の数から考えれば5時間程度で終了する筈だが、知っての通り、地球上の全ドームでの認証が終わらなければ次の章へ進めないので、予想以上の時間を食う恐れがある。迂闊に席を外すことが出来ないので、終了する迄端末室から出ることは難しいと覚悟して欲しい。軽食と飲み物は準備している。トイレは宇宙船の救命艇のポータブルを用意してある。不便だろうが我慢し欲しい。また、端末室外部との連絡は一切遮断される。もし部下への業務引き継ぎで忘れていたことがあれば、今連絡を取って済ませて欲しい。」

 ケンウッドは言葉を途切り、一同を見た。3人共に動かなかった。きちんと準備を済ませて来たようだ。ケンウッドは頷くと、端末室のボタンを押した。
 長官執務机の背後の壁が開き、照明が点いた。狭い部屋の中央にマザーコンピューターの南北アメリカ大陸端末が立っていた。ケンウッドが立ち上がると、ゴーン、ハイネ、ゴメスも立ち上がり、4人は端末室に入った。扉が閉じられ、地球人の女子誕生への第一歩が開始された。


2019年7月2日火曜日

オリジン 2 5 - 3

 ハイネは全責任は己が一人で背負い込むと言ったが、ケンウッドは長官として親友として、そんなことはさせなかった。第1、ジェリー・パーカーが働いているクローン製造部にはきちんと事情を話しておかねばならない。
 ケンウッドはクローン製造部の責任者で副長官のゴーンにも責任を負わせることに躊躇したが、彼女を一人蚊帳の外に出して置く訳にもいかず、当該部署の執政官全員を長官執務室に招集した。
 ケンウッドの説明を聞いて、執政官達は暫し沈黙した。彼等はジェリー・パーカーが決して彼等に心を完全に開いている訳でないことを承知していた。だが同時に彼が育て親のラムゼイ博士に対して今も愛情と尊敬を抱いていることを理解していた。

「パーカーは、仇討ちに行く訳ではないでしょう?」

と一人が質問した。ケンウッドは首を振った。

「そんなことはしないし、ハイネも許可していない。ラムゼイを裏切って死に追いやった男とパーカーがネットで会話している男が同一人物であるか否か、それを確認に行くだけだ。」
「しかし、相手に実際に接触する・・・」
「そうだね。だから危険なのだ。向こうは、パーカーと言う人間の価値を理解していないだろうし、もし理解していたら、さらに危険になるかも知れない。FOKと繋がりを持っていれば尚更だ。」
「パーカーが本当は仇討ちを目的としている可能性もありますよね?」
「それは我々も考えているよ。だから、彼を制御する為にドーマーを2名付ける。」
「2名?」

 ゴーン副長官が尋ねた。

「お話では、セイヤーズが同行すると言うことでしたが?」
「セイヤーズは勿論行くさ。彼は局長命令でパーカーの護衛と監視を行う。」
「捜査目的ではない?」
「彼は捜査したいだろうがね・・・」

 ケンウッドはダリル・セイヤーズと言う男の正義感と好奇心の強さを思い出し、気が重くなった。もしかするとパーカーよりセイヤーズの方が厄介な問題になるかも知れない。
 メイ・カーティスが尋ねた。

「もう一人のドーマーは?」

 ケンウッドは物思いから引き戻された。

「パーカーの監視員、アキ・サルバトーレだ。」

 えっ! と一堂に驚きが走った。サルバトーレは優秀な保安課員だが、ドームの外に出たことがない。

「サルバトーレは抗原注射未経験者ですよ。」
「そうだ、彼の初外界体験だね。」
「活動時間は48時間しかありません。」
「だから彼が行くのだよ。」

 ケンウッドは一同を安心させようと微笑んで見せた。

「パーカーとセイヤーズはサルバトーレの体が動けなくなる前に、48時間以内にドームに帰って来なければならないのだ。」

オリジン 2 5 - 2

 ケンウッド長官はハイネ遺伝子管理局長から直接話を聞かされた時、熱が出るんじゃないかと心配した。それくらいショックだった。ハイネはこう言ったのだ。

「脳内麻薬を製造したり、若返り目的にクローンに脳移植したり、ドームからコロニー人を追い出してクローン技術を奪い、地球の支配権を独占しようと企む連中を炙り出す為に、ダリル・セイヤーズ・ドーマーとジェリー・パーカーを外で捜査活動させる許可を戴きたい。」
「その・・・」

 ケンウッドは目眩を覚えながら繰り返した。

「脳内麻薬を製造したり、若返り目的にクローンに脳移植したり、ドームからコロニー人を追い出してクローン技術を奪い、地球の支配権を独占しようと企む連中とは、実在するのかね?」
「これまでは、個々のグループが活動していた様に思われましたが、連邦捜査局が逮捕した連中を取り調べるうちに、黒幕が同一人物である可能性が浮かび上がって来たそうです。」
「何者だ? 私が知っている地球人は少ないので、聞いてもわからないかも知れないが・・・」
「セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウン教授です。彼女は多くの医師を育てました。この国の医学の最高権威の1人です。彼女が教え子達に吹聴しているのです、地球の医療科学力はドームのそれに劣らないと。ドームがなくても子供は安全に産むことが出来る、ドームは最早必要ない組織である、コロニー人が地球に居る必要もない、と。」
「馬鹿な・・・」

 ケンウッドは怒りを覚えた。

「確かに地球人だけでも医療科学は発展させることは出来るだろう。しかし、ドームは必要だ。まだコロニー人の卵子がなければ、子供は産まれないのだ。地球人はそれを知らない。」
「今それを公表すれば世界中がパニックになるだけです。」
「では、どうすれば・・・」
「まず、ダウン教授を排除しなければなりません。出来るだけ自然に。」
「自然に?」
「彼女を犯罪者として逮捕し、社会的信用を失墜させ、教え子達に彼女の愚かさを悟らせるのです。」
「それと、セイヤーズとパーカーを外に出すことがどう繋がるのだ?」
「彼等を囮に使います。」
「囮?」

 ケンウッドは困惑した。

「君は自分が何を言っているのか、わかっているのか、ハイネ? セイヤーズもパーカーも地球の未来がかかっている新しい人類の父親だぞ!」
「彼等は子孫の為に、この仕事を承諾しましたよ。」

 100歳を越える老ドーマーはほんの一瞬冷酷な表情を浮かべた。

「彼等は既に多くの子孫をこのドームの地下に残していますから、子供達の為に危険を排除したいのです。自身を危険に晒すことがあろうともね。」
「ハイネ・・・」
「全ての責任は私が負います。もう老い先短い身ですから、どんな責めを負っても恐くはありません。長官、貴方はただ目を瞑っていて下さい。地球人が地球の為に勝手にやることですから。」

オリジン 2 5 - 1

 遺伝子管理局ローガン・ハイネ・ドーマーの2人の秘書達は先刻から笑いたいのを我慢して苦しい思いを耐えていた。
 局長が苦虫を潰した様な顔でデスクの向こうで横を向いたまま座って沈黙しており、デスクのこちら側では直立不動の姿勢でポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーが指示を待って5分経っていた。長い5分間だった。
 やがて、ハイネが口を開いた。

「届け出なくヘリコプターを出動させたのは?」
「私です。」

 とレイン。

「航空班長に断り無くパイロットの乗務予定を変更したのは?」
「私です。」

とこれもレイン。

「輸送班の反重力ボートに人を乗せたのは?」
「私です。」
「免許取り立ての、航空班に所属していない新米パイロットにヘリの操縦をさせたのは?」
「私です。」
「民間企業の敷地内に無許可でドームのヘリを着陸させたのは?」
「私です。」

 ハイネは溜息をついた。

「ドームからの外出を固く禁じられているダリル・セイヤーズ・ドーマーを外出させたのは?」
「それも私です。」

 局長がレインに向き直った。

「6件の違反の理由を全て言えるのだろうな?」

 するとレインは横に立っているセイヤーズを指さして、平然と言い切った。

「こいつが朝寝坊したからです。」

 2人の秘書は我慢出来ずに吹き出し、慌てて顔をコンピュータの陰に隠した。

「ええっと・・・そのぅ・・・」

 セイヤーズがもじもじとしながら言い訳した。

「息子に6時に起こすよう頼まれていたのですが、私がつい寝過ごしまして、レインが息子の出勤が遅れると危惧したので・・・」
「君等は・・・」

 ハイネが2人を見上げた。

「それでもドーマーなのか? いつからマイホームパパになったのだ?」

 セイヤーズが身をすくめたが、レインは依然として平気な顔で上司を見つめていた。

「しかし、今朝の出来事で航空班も輸送班も非常事態に対処出来ることが判明しました。」

 局長は椅子をくるりと半廻転させて部下達に背を向けた。そしてネピア・ドーマーに声を掛けた。

「ネピア、こいつらをどうしてくれよう?」
「そうですね・・・」

 ネピアが珍しく暢気な声で答えた。

「レインはまた頭を丸めてはいかがですかな? 子煩悩な父親であることを忘れて暫く仕事一筋だった頃に戻って見ては?」
「セイヤーズは?」
「外に出たくて堪らないのでしたら、放り出しておやりなさい。」

 セイヤーズとレインは思わず振り返って秘書のブースを見た。秘書達はコンピュータを操作していて、2人のどちらとも目を合わせようとしなかった。
 局長が咳払いしたので、部下達はまた前へ向き直った。ハイネも彼等に向き直った。

「レイン、西海岸のメーカー達はまだごたごたしているのだろう? さっさと片付けて来い。」
「わかりました。」
「メキシコ系の組織と中国系の組織の解体を急げ。」
「では、すぐに理髪係に頭を剃ってもらって髪が今の長さに戻る迄に片付けて来ます。」

 秘書達が顔を上げると、ハイネは笑いもせずにレインに手を振って「行け」と合図した。レインは軽く黙礼して足早に部屋から出て行った。
 セイヤーズはまな板の上の鯉の気分で局長の「御下知」を待った。 ハイネは机面を指でコツコツと数回叩いてから、考えをまとめたようだ。

「セイヤーズ、髪を染めろ。」
「はぁ?」
「眉毛も同じ色に染めて、外に出るのだ。仕事をさせてやる。」


オリジン 2 4 - 10

 航空班からの苦情の電話を終えて間も無く、また電話が掛かってきた。ネピアが取り次ぎ、しかめっ面で局長に告げた。

「輸送班からです。」

 輸送班は、ドームの外で航空機を飛ばす航空班とドーム内で物資の運搬を担当する運送班の総括部門だ。航空班の苦情の件かと思いながらハイネが出ると、違った。

「局長、運送班の反重力ボートに、遺伝子管理局の職員が乗っかってゲートに向かったと言う報告が入っていますが?」
「反重力ボートに局員が乗った?」
「当該運送班員を特定して質問したところ、局員のレイン・ドーマーに呼ばれて緊急事態と言うことで、3名を乗せて走ったと言うことです。」

 反重力ボートは荷物専用の運搬車両で、人が乗ることは許可されていない。コロニー人すら乗れないのだ。乗せて良いのは、治療を一刻も早く必要とされる急病人だけと限定されている。ハイネは確認した。

「レインが自ら運送班を呼んだのだな?」
「はい。運送班の記録に残っています。コピーが必要ですか?」
「うん。第2秘書宛に送ってくれないか。ボートに乗ったのは3名だな?」
「そう記録されています。目撃証言もあります。」
「わかった。知らせてくれて有難う。違反者はこちらで処分する。」

 ネピア・ドーマーとキンスキー・ドーマーは思わず顔を見合わせた。規則に忠実なポール・レイン・ドーマーがドーム内の規則を公然と破ったのだ。局長が電話を終えると、キンスキーが思わず呟いた。

「レインも子供が可愛いんですかね?」
「セイヤーズがせがんだのかもな。」

とセイヤーズに批判的なネピアが苦々しい表情で答えた。彼は局長が溜め息をついて書類業務の続きに取り掛かるのを眺めた。ネピア・ドーマーの感覚では、ハイネ局長は部下たちの失敗に対して甘いのだ。だが今回は遺伝子管理局管轄外で局員が騒ぎを起こしている。言葉で諭すだけでは足りないだろう。
 その時、またもや電話が掛かってきた。ネピアはうんざりして、キンスキーに「出ろ」と目で合図した。キンスキーは素直に電話に出たが、その表情が忽ち曇った。

「局長、ゴメス保安課長からお電話です。」

 ハイネは無言で電話の通話ボタンを押した。画面にゴメス少佐が現れた。

「ハイネ局長、ニューポートランド市警察から今通報が入ったのだが・・・」

 ハイネが先手を打った。

「ドームの静音ヘリが不適切な場所に着陸でもしましたか?」
「正にその通り!」

 ゴメスはハイネとは逆に愉快そうに喋った。

「どう言う訳か、民間倉庫会社の敷地内に降りたそうだ。航空機の着陸許可のない場所だったので、偶然目撃した警察官が驚いて市警本部に通報した。倉庫会社で違法メーカーでも見つかったのかとな!」

 ハイネは笑えなかった。倉庫会社はライサンダー・セイヤーズの職場に違いない。レインとセイヤーズは息子を職場へ送って行ったのだ。静音ヘリを車代わりに使って。
 彼はゴメス少佐に言った。

「事件性はないと市警本部に伝えて戴けませんか。局員2名がちょっとふざけてヘリを飛ばしただけだと。」
「ふざけて?」

 ゴメスはハイネの苦虫を潰した様な表情を見て、局員の暴走だな、と察した。暴走する局員は限られている。ヘリを操縦出来る局員も限られている。

「わかった。悪戯だと謝罪しておくよ。」
「申し訳ありません。」
「ハイネ局長・・・」
「はい?」
「貴方も苦労だな、才能に溢れた部下が多すぎると・・・」


2019年7月1日月曜日

オリジン 2 4 - 9

 きっとハイネは冗談を言ったのだ、とケンウッドは己の心に言い聞かせた。ジェリー・パーカーとダリル・セイヤーズの重要度は、地球人のハイネが一番理解している筈だ。それなのに2人をドームの外に出して殺人事件の捜査をさせるなど・・・
 ケンウッドが取り合わなかったので、ハイネは黙って部屋から出て行った。ドアが閉じられてから、ケンウッドはふと不安になった。ハイネは時々執政官の許可なく行動する。事後承諾でとんでもないことをやってしまうのだ。
 その日の夕食時、遺伝子管理局長はケンウッドのテーブルに来なかった。昼間と同様、内勤の局員達とテーブルを囲み、そこには元局長秘書のジェレミー・セルシウスも加わっていた。セルシウスは普段妻と夕食を摂るのだが、この時は別行動だった。きっと分業の件で局長に呼ばれたのだろう。妻の方は養育棟の同僚と一緒だった。
 ヤマザキは仕事のシフトの都合で夕食時間が合わず、ケンウッドは一人で食べ、一人で運動施設を利用した。ジェリー・パーカーと出会ったら、局長におかしな考えを吹き込むなと忠告したかったが、出会わなかった。
 翌朝、いつもの様にジョギングしていると、ハイネに追い越された。朝の挨拶をすると、地球人はケンウッドに話しかける余裕さえ与えずにさっさと走り去った。これもいつものことなのに、ケンウッドは彼に避けられた様な気がした。
 ローガン・ハイネは別に長官を避けた訳ではなく、意地悪しているつもりもなかった。パーカーの希望を叶えてやる為に、どうやって長官を納得させようかと考えていただけだ。執務室で日課に取り組んでいると、電話が掛かってきた。第1秘書のネピア・ドーマーが取り次いだが、彼は酷く困惑していた。

「局長、航空班長からお電話です。なんだか酷くご立腹の様子で・・・」
「?」

 航空班は遺伝子管理局の職員を全米に運ぶ仕事をしているので、遺伝子管理局と密接に連絡を取り合っている。だが、班長と局長が直接話し合うことは滅多にない。実務的な用件が殆どなので、局長は事後承認を与えるだけだ。
 班長を怒らせる様なことを言ったかな? 程度の感想で、ハイネは電話に出た。

「ハイネだ。」
「グリューネルです。」

と航空班長が不機嫌な声で名乗った。

「遺伝子管理局の局員が私に無断で静音ヘリを操縦して飛んで行きました。正規パイロットを機体から下ろして、連中だけで出かけたんです。一体何なのですか? 局長のご命令ですか?」

 ハイネは話が読めなくて困惑した。

「何の話をしているのか、グリューネル・ドーマー?」
「ですから・・・」

 航空班長は、遺伝子管理局の職員2名と若者1名が、静音ヘリのパイロットにヘリを貸せと要求し、班長にフライトプランも出さずに無断でドーム空港から飛び立ったのだ、と語った。

「何処へ行った?」
「私も知りたいです。GPSでは、ニューポートランド近郊へ向かっていますが・・・」

 その地名にハイネは聞き覚えがあった。そしてヘリを無断拝借した人物も心当たりがあった。

「局員2名と若者1名と言ったな?」
「そうです。」
「レインとセイヤーズ、彼等の息子の3名ではないのか?」
「ご承知なのですか?」
「承知しておらん。彼等が出かけたと聞いたのは、君の口からが最初だ。」

 ネピア・ドーマーが小声で話しかけた。

「今日はライサンダー・セイヤーズが外へ戻る日です。」

 ハイネは秘書を振り返り、頷いて見せた。そして航空班長に言った。

「用事が済めば、レインとセイヤーズは戻ってくる。ヘリが空港に戻ったら、彼等に局長執務室に直ちに出頭せよと伝えてくれないか?」

 彼はグリューネル・ドーマーを宥める為に付け加えた。

「2人には私から灸を据えておく。」