2018年10月29日月曜日

JJのメッセージ 2 1 - 9

「腹立たしいことだな・・・」

 ケンウッドは端末をしまった。スピーカーにしておいたので、ゴーンとハイネにも聞こえた筈だ。ゴーンは黙って首を振っていた。彼女の養子クロエル・ドーマーは父親が不明のアフリカ系の血を引く子供だ。それでもゴーンは敢えて彼を非公式ではあるが養子にした。肌の色も血筋も関係ない、可愛らしかったからだ。ポーレット・ゴダートの両親と夫の父親の言い分がどうにも納得出来ない。可能なら、今彼等の元へ言って説教してやりたい。しかし、地球人の生活に干渉することを地球人類復活委員会は認めていない。結婚や出産と言う重大事項を任されている上に、信仰や信念まで干渉してはコロニーからの侵略と受けとられかねないからだ。
 ハイネは我関せずと言う顔だ。毎日同じような事例を扱っているので、ゴダートの件が特別とは思わないのだろう。いちいち気にしていたら、遺伝子管理の業務が出来なくなる。それに子供を養子に出すか出さないか、最終的に決定権を持つのはゴダート自身なのだ。
 それより、ハイネはケンウッドがポール・レイン・ドーマーを朝食会に送り込んだ目的の成果を報告したかったので、長官の顔を見つめた。
 ケンウッドが彼の視線に気が付いた。

「何かね、局長?」
「レインがドッティを探った結果です。」

 レインは殊勝にも合コンは「仕事」と割り切っていた。ドーム長官公認となれば、幹部が彼に何かを期待していた、と解釈した。だから彼は朝食会が解散になった後、セイヤーズとゴールドスミスと別れてまっすぐ遺伝子管理局本部に行き、自身のオフィスで報告書を書いて局長に送った。

ーーアメリア・ドッティは純粋に友情の証に朝食会を企画しました。彼女にドーム事業への妨害や詮索の意図はありませんでした。

 ドッティはレインが従兄弟だと言う知識もなかったのだ。あればきっとレインにもっと接近を試みただろう。しかし、彼女はレインをイケメンの遺伝子管理局員としか見ていなかった。セイヤーズとどっちが男前かな、と思っただけだった。
 ケンウッドはレインの短い報告書を読んで、拍子抜けした顔をした。

「これだけ?」
「これだけです。」
「短いな・・・」
「レインの報告書はいつもこんなものです。」

 レインは本当に重要だと思うことは、局長に直接面会して口頭で報告する。おかしなことに、同じことをレインと正反対の性格のクロエル・ドーマーもするのだが、ゴーンは知らなかった。

「やはりお嬢様は純粋なのかな。」

とケンウッドは呟き、出産管理区の朝食会の件は彼の中ではそれっきりになった。


2018年10月28日日曜日

JJのメッセージ 2 1 - 8

 お昼前の打ち合わせ会に、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長が来たので、ケンウッドはポーレット・ゴダートと言う女性の子供が養子に出される勧告を受けている理由を尋ねて見た。しかし、ハイネは知らなかった。遺伝子管理局は子供がどこで育てられるかは把握しているが、何故そこなのか、その理由までは関知しない。

「出産管理区に訊いてみましょうか?」

 すぐに端末を出そうとしたので、ケンウッドは止めた。

「私の好奇心だ。私が訊いてみるよ。」

 ラナ・ゴーン副長官も興味を持って長官を見た。

「その女性は、同じ収容者の女性を救助したのですね?」
「うん。だから今日の朝食会に彼女も招待されていたが、1人だけ浮かぬ表情だったので気になったのさ。」

 ケンウッドがかけたのは、区長のアイダ博士ではなく、副区長のシンディ・ランバート博士だった。そもそも朝食会にセイヤーズ達ドーマーの参加の許可を申請して来たのがランバートだったのだ。
 ケンウッドは多忙な出産管理区の邪魔をしないように、ランバートが電話口に出ると、すぐにゴダートの子供の処遇について質問した。
 毎日誕生する子供は多い。ランバートはすぐには思い出せなかったが、アメリア・ドッティの恩人の女性だと言うと、ああ、と呟いた。

「お気の毒なことですわ。」

 とランバートが溜め息をついた。

「お産の次の日に、子供の父親が事故で亡くなったのです。」
「父親が亡くなった?」
「はい。それに彼女と夫は異人種結婚で、それ自体は問題ない筈なのですが、双方の親が猛反対していて、ドームを退所した後の母親と子供への援助が期待出来ません。担当支局の支局長がゴダートの両親と夫の両親双方に援助の打診をしたのですが、どちらも断ったのです。」
「酷い話だ!」

 ケンウッドは驚いた。

「親達は経済的に問題を抱えているのかね?」
「ゴダートの親は裕福です。でも白人の男性を父親に持つ孫は要らないと・・・」
「この世紀に?」
「ええ、この世紀にです!」

 ランバートも喋りながら腹が立ったようだ。

「夫の親は?」
「こちらは父親だけの家庭で、つまり、夫は取り替え子の養子だったのですが、黒人の嫁と孫の世話まで余裕がないと・・・」
「ゴダートは無職か?」
「妊娠して退職してしまったのです。再就職しても、子供の世話をする人がいませんから、働けないでしょう。」
「それで、養子勧告か・・・」
「そう言うことです。」

 きっと出産管理区では、この手の話は珍しくないのだろう。だからドーム幹部に報告が上がってこない。全て支局レベルで片付けてしまうのだ。
 ケンウッドはランバートに礼を言って、通話を終えた。

2018年10月27日土曜日

JJのメッセージ 2 1 - 7

 ライサンダー・セイヤーズを川に転落させてしまい、行方不明にしてしまって以来、ポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーに近くことを避けていた。後ろめたかったのだ。しかし、記憶削除手術の後人形状態になってしまったセイヤーズを呼び起こした夜から、少し気分が楽になったようだ。セイヤーズの合コンの誘いを受けて、彼は私服で出産管理区の朝食会に出席した。
 中央研究所の食堂のガラス越しに、合コン、元い、朝食会の様子が観察出来た。レインのファンクラブの面々が、女性達やセイヤーズと親しげに談笑するレインを見て、悔し涙を流していたが、ケンウッドは無視した。レインもセイヤーズも自然に女性と会話が出来ている。ドーマーだと言う意識はなく、普通の地球人の男性として、女性と接しているのだ。ケンウッドは保安課員のピーター・ゴールドスミス・ドーマーが気になった。生粋のドーマーとして養育された男だ。現在の職場もセイヤーズの監視だから出産管理区の近くにいるが、本来はゲート周辺のドーム内の護衛が仕事の筈だから、女性への免疫がない。
制服を着ているが、セイヤーズにアドバイスされたのか、上着は脱いで、少しラフにシャツも崩した形で着ていた。なかなか良い男っぷりなので、早くも女性の中の何人かは彼に話しかけている。

「ピーターはドキドキしているでしょうな。」

 上司のロアルド・ゴメス少佐がケンウッドの隣のテーブルに座って、苦笑した。初な我が子を見守っている気分なのは、彼も同じだろう。ケンウッドも思わず微笑んでいた。

「あの子は自分がいかに女性に好まれる容姿をしているか、わかっていないだろうからね。女性達の注目が全部レインに向かっていると思い込んでいる。だから、女性に声をかけられてドギマギしているのだよ。」
「コロニーでも男子校の生徒はあんな風ですよ。女子校の生徒は結構大胆ですが、男子はいけませんな。共学校の生徒の度胸の半分もない。」

 ケンウッドはゴメス少佐を見た。

「少佐は男子校出身でしたか?」
「お恥ずかしいことに、その通りです。親の方針で幼稚園の時から男子校で育ちました。軍隊に入ったら、上官が女性ばかりで恐怖でしたよ。」

 ゴメスが豪快に笑ったので、周囲が振り返った。ケンウッドも笑顔で彼等に頷いて見せた。楽しい話題をしているのだから、邪魔しないでくれよ、と。
 レインもセイヤーズも世間慣れしているので、上手に会話をコントロールした。女性のリーダー格のアメリア・ドッティが、もう1人の恩人であるアフリカ系の女性を立てて話をしているのを、フォローしていた。会話の内容はガラス壁のこちらには聞こえないが、ケンウッドにはそう見えた。ただ、アフリカ系の女性の表情があまり明るくないことが気になった。
 そっと検索すると、ポーレット・ゴダートと言う名前で、無事に男子を出産している。ところが出産管理区から彼女に子供を養子に出す勧告が出ているのだ。

 どう言う理由だ?

 ケンウッドはもう一度その女性を見た。美しい黒い肌のほっそりとした女性だ。取り替え子ではなく、養子勧告とは? 彼女の身に何があったのだろう?


2018年10月25日木曜日

JJのメッセージ 2 1 - 6

 ケンウッドはハイネの向かいに座った。ハイネが葡萄を半分分けてくれたので、彼も赤い葡萄を半分交換した。砂糖水のような甘さの中に、微かに酸味と、さらに微量の渋みがある。ドームの中で、ドーマーが栽培した葡萄だ。ケンウッドは愛しいものの様に丁寧に葡萄をむしって口に入れた。

「それで、お話とは?」

 いきなりハイネが仕事の話に方向転換したので、ちょっと面食らった。

「ああ・・・今朝出産管理区であった事故の話は聞いているよな?」
「セイヤーズと保安課員のゴールドスミスが女性をプールで救助したと言う・・・」
「うん。それで、助けられた女性が彼等を明日の朝食会に招待したいと言ってきた。」
「成る程。」

 ハイネは反対するつもりはないらしく、頷いた。ケンウッドはちょっと深呼吸した。ここからが本題だ。

「救助された女性は、アメリア・ドッティだ。ドームの外では海運王の奥方で有名だが、現大統領ハロルド・フラネリーの従姉妹でもある。」

 彼は遺伝子管理局長の表情を伺ったが、ハイネはドッティの名にピンと来なかった様だ。大統領の従姉妹もドームでは威力がない。ケンウッドは続けた。

「つまり、彼女はポール・レイン・ドーマーの従姉妹でもある。」

 ハイネは赤と緑の葡萄を手にとって比べている。

「ハロルドとポール・レインの母親アーシュラ・L・フラネリーは接触テレパスだ。夫や出産の時に触れ合ったドームのスタッフを通して取り替え子の秘密を知ってしまった。レインが赤ん坊の頃、返してくれと夫やドームに訴えたそうだが・・・」
「先代のマーカス・ドーマーが手を焼いておられたのを覚えています。しかし、私の代になる前に彼女は諦めた筈です。大人しくなりましたから。」
「アーシュラがどの範囲の親族に取り替え子の話をしたのか、知っておきたい。ドーム事業の脅威になると思えないが、噂話を広めてもらっても困る。そうでなくとも、真相に勘付き始めたメーカーがいるのだし・・・」

 ハイネが葡萄から視線をケンウッドに向けた。

「つまり、何を仰りたいのです、長官?」

 ケンウッドはやっと本題に入った。

「明日の朝食会にレインも参加させたい。セイヤーズも彼が来ることを望んでいるし、保安課員も承知した。」
「長官が許可なさるのでしたら、私は反対しません。」
「それで、セイヤーズは自分でレインに電話で誘いをかけたいと言っている。」
「電話?」

 電話とは、コンピュータだ。セイヤーズに触らせてはならない物。だからこそ・・・

「彼がレインに電話をかける間、君が監視してくれないか? そんな長い時間じゃない筈だ。君なら、セイヤーズが悪戯しても見抜けるだろうし、対処も出来るだろう?」

 しかし、ハイネは首を縦に振らなかった。

「私には私の都合があります。その件でしたら、保安課員に任せなさい。」
「しかし・・・」
「セイヤーズに信頼していることを示してやって下さい。彼は無法な男ではありません。信頼されれば、それに応えようとするでしょう。普通に端末を貸してやって、保安課員の監視の下でレインと会話させることです。」

 ケンウッドは自分が臆病になっていることを感じた。ドーマーに苦痛を与えたくなくて、セイヤーズに規則違反をして欲しくなくて、危険な物を全て遠ざけようとしていた自分を、彼は恥じた。

「そうだね・・・セイヤーズも馬鹿じゃない。同じ過ちは繰り返さないだろう。」

 彼は葡萄を口に放り込んだ。甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がった。

2018年10月23日火曜日

JJのメッセージ 2 1 - 5

 ケンウッドは観察棟を出て、歩きながら端末で電話を掛けた。ハイネ局長は昼寝から覚めて午後の仕事に戻った筈だ。外にいる部下から送信されて来る報告書に目を通しているのだ。
 3回目の呼び出し音の後、ハイネの声が応答した。画面には出てこない。ケンウッドからの電話だとわかっている筈だが、画像を出すのは都合が悪いのだろうか。

「ケンウッドだ。局長、ちょっと頼みがある。」
「何でしょう?」

 ハイネの声が少し苛ついている様に聞こえた。拙いタイミングだったかな、とケンウッドが心配する間も無く、相手が言った。

「今、一般食堂に向かっています。そちらでお伺いしても良いですか?」

 夕食には早いが・・・ケンウッドは時刻表示を見た。

 そうか、おやつの時間か!

 ローガン・ハイネは好物が食堂のメニューに上がると何をおいてもそれを食べることを優先したがる。変化の乏しいドームの生活で1番の楽しみは食べることなのだ。ハイネは食堂へ急いでいるのだ。

「わかった、私もそっちへ行くよ。」

 電話を切って、今日のおやつは何だろう? とケンウッドも気になった。時刻は午後4時を回っていた。そろそろおやつが売り切れる頃だ。だからハイネは焦っている。仕事で遅くなったので、食べ損ねることを恐れているのだ。100歳になっても、こんな一面があるのだ。
 食堂の入り口で、ケンウッドは立ち止まった。甘い芳しい香りが漂っていた。これは、もしや・・・
 中に入ると、フルーティな香りは更に強くなった。ケンウッドは配膳棚の方を見た。デザートコーナーに艶やかな大きな粒の葡萄が見えた。既に完売に近く、10房も残っていないが、綺麗な実の葡萄だ。赤と緑の皮の色がキラキラ光っていた。
 厨房班のピート・オブライアン司厨長が長官に気が付いて顔を出した。

「長官、間に合いましたね! 今年最初の収穫です。」
「ドームで栽培している葡萄かね?」
「そうです! 園芸班が丹精込めて育てた葡萄ですよ! 召し上がって下さい!」

 ケンウッドは頷いて棚から赤い葡萄の房を手に取った。支払いをして、局長はどこだろうと振り返ると、いつもの席にハイネが居た。緑の葡萄の房を掲げ、一番下の実を直接口に入れるところだった。綺麗に円錐形になった房の一番下の実が彼の唇の中に入っていく。何故かエロティックな印象を覚え、ケンウッドは微かに狼狽えた。
 ふと気がつくと、周囲の人々もハイネの葡萄の食べ方を見物していた。別に珍しい光景でもあるまいに・・・ケンウッドは彼等も彼と同じ印象を持ったのだろうか、とちょっと考えてしまった。
 ハイネが目を閉じて甘い果汁を味わいながら葡萄を飲み下した。幸福そうに、うっとりとした表情を作り、そして目を開くと長官に気が付いた。ケンウッドの手の中の葡萄を見て微笑んだ。

「長官は赤ですか? 私のと半分交換しませんか?」

 ケンウッドも思わず微笑んだ。他人をドキドキさせる妖艶な表情を見せておきながら、台詞は子供っぽい。

 だから、私にはこのドーマーが可愛いのだ・・・


2018年10月22日月曜日

JJのメッセージ 2 1 - 4

 セイヤーズ個人に特に問題はなかったので、ケンウッドはゴールドスミス・ドーマーと共に通路に出た。詰所の前で、保安課員が長官に話しかけた。

「長官、さっき貴方がレインの名前を出した時に僕が浮かない顔をしたことに気づかれたでしょう?」
「鋭いね。」

 ケンウッドが苦笑すると、保安課員は真面目な顔をして言った。

「実は、今朝の事故の直前にあったことですが・・・」

 彼はレインの部下がセイヤーズに絡んで来た話をした。ケンウッドはキエフの名前を覚えていなかった。他所のドームから来たドーマーがいることは知っているが、全員の顔や名前を覚えている訳ではない。養育棟時代から知っているドーマーは殆ど覚えているのだが。

「レインにはドーマーにも熱心なファンがいるようだね。」
「熱心どころではないと思います。彼に執着しているように見えました。セイヤーズは大人の対応で相手にしないつもりだったのです。」
「それで?」
「例の事故が起きて、我々が女性の救助に向かっている間に、あの男は姿を消しました。救助を手伝わないなんて、最低だ。」

 ゴールドスミスはセイヤーズに絡んで来た遺伝子管理局員に腹を立てていた。ケンウッドはドーマーが全員仲良しだとは思っていないが、特定の人物に不快感を抱く様子を見たのは初めてだった。昔、レインは部屋兄弟のリック・ニュカネンとよく喧嘩をしていた。馬が合わなかったのだが、だからと言って憎み合ったりしていなかった。意見が合う時は仲良く喋っていたのだ。ドーマーがドーマーを「最低」呼ばわりするとは、ただ事ではない、と彼は感じた。

「その男のことは、私からハイネにそれとなく注意しておくよ。」
「局長は雲の上の方なので、局員の個人的な確執まで目を配っておられないのでしょう。」

と保安課員が言った。ケンウッドは苦笑した。若いドーマー達は100歳のローガン・ハイネを神格化しようとしているのか?

「ハイネ局長は多忙なだけで、雲の上に住んではいないよ。それに、そのキエフと言う男はハイネの前では良い子を演じているのではないかな? 或いは、ハイネは気が付いているのかも知れないが、レインが苦情を申し立てなければ、上司として動くことも出来ないだろう?」
「そうですね・・・」

 ゴールドスミスが納得した。

「チーフ・レインは、ご自分の問題を1人で抱え込んでしまう癖がありますから。」

おやおや、ドーマー達はアイドルの性格分析もしているのか、とケンウッドは内心呆れた。それでも保安課員に、明日の朝食会は制服でいいよ、と言うのを忘れなかった。
出産管理区に滞在する間、全ての女性はお仕着せの寝巻き姿だ。男がおしゃれしたら、女性として気まずい思いをするだろう。

2018年10月21日日曜日

JJのメッセージ 2 1 - 3

 ケンウッドは急ぐ用事がないことを確認して、1人で観察棟へ足を向けた。クローン観察棟は遺伝子管理局の管轄だが、執政官は自由に出入り出来るし、収容者の管理は医療区が、セキュリティは保安課が受け持っている。収容者の健康に問題がなければ、中央研究所は収容者に自由に面会出来るし、連れ出すことも出来る。ダリル・セイヤーズ・ドーマーはリハビリ中で、健康に問題はなかった。女性達と接しても病気を移したり移される心配はない。
 ケンウッドは最初に保安課の詰所に顔を出し、休憩していたピーター・ゴールドスミスを呼び出した。セイヤーズ担当の保安課員で、アメリア・ドッティのお誘いを受けている1人だ。朝食会のことはまだ黙ったまま、ケンウッドは彼と共にセイヤーズの部屋に入った。セイヤーズはコンピューター室への立ち入りを禁じられてしまったので、図書館から運んでもらった紙の書籍を読んで退屈を紛らわせていた。
 ノックをして入室すると、セイヤーズは顔を上げ、それから慌ててベッドから降りた。礼儀正しく長官に挨拶をした。部屋が狭いので、面会者用の椅子一つしか置けない。収容者はベッドに座るしかなく、保安課員は立ったままだ。
 ケンウッドは迷ったが、立ったまま話すのも威圧的な感じがしたのでベッドの端に座った。ゴールドスミスに椅子を勧めると、保安課員は戸惑った。

「君にも話があるから、座って聞きなさい。」

と言われてやっと腰を下ろした。
 ケンウッドはアメリア・ドッティからの要請を2人に説明した。

「朝食会と言っても、君たちが普段やっている打ち合わせ会とは違う。ただ朝ごはんを食べながら世間話をするだけのお気楽なものだ。女性達はこの手の小さな食事会で友達との交流を持つのが好きなのだよ。だから、君たちも明日の朝、1時間ばかり彼女達に付き合ってやってくれないかね?」

 ピーター・ゴールドスミス・ドーマーは恩人と言われるほどのことはしていないと謙遜したが、彼が排水溝のバルブを閉めに行ったのでアメリア・ドッティを救助出来たのだ、とセイヤーズが讃えた。それに2人共に女性は嫌いでなかったので、結局ドッティからのお誘いを受諾した。
 それで、ケンウッドは中央研究所から歩いて来る間に考えた案を出してみた。

「ポール・レイン・ドーマーも参加させてくれないかな? ゴールドスミス・ドーマーはセイヤーズを監視する役目があるが、食事会で監視しながら食べたり喋ったりではつまらないだろう? レインと互いにフォローし合いながらセイヤーズを見張ってくれないか?」

 実を言うと、ケンウッドはレインを従姉妹に会わせてやりたかった。実の肉親ではないが、遺伝子的に繋がっているし、もしかすると長男のハロルド・フラネリーがドーマーになって次男のポールが外の世界で育てられたかも知れなかったのだ。それにもう一つ、ハロルドが大統領に就任した時、ケンウッドは挨拶に行ったのだが、接触テレパスを持つハロルドは取り替え子の事実を伝えた時、大して驚かなかった。同じ能力を持つ母親が出産でドームに来た時に真実を知って息子に伝わったのだろう。或いは父親の記憶が母親に読まれ、それを母親を介して息子が知った可能性もあった。ケンウッドの懸念は、その情報がフラネリー一族の他のメンバーに伝わっていないか、と言うものだ。
 凄腕のメーカー、ラムゼイの顧客である富豪達はドームの秘密に薄々勘付いている節がある。フラネリー家がその波に影響されている恐れはないか、レインに探らせたかった。
 ゴールドスミス・ドーマーは、美貌のレインが同席すると聞いて複雑な表情をした。ケンウッドは女性の関心がレインに行ってしまうことを心配しているのだと思った。

「レインは女性扱いが上手いらしいが、セイヤーズに夢中だろう?」

と言うと、セイヤーズが頬を赤く染めた。

「からかわないで下さい、長官。レインは人前では普通の男です。」

 そして彼は、自分でレインを誘いたい、と言った。それは端末で電話を掛けさせてくれと言っているのと変わらない。ゴールドスミスは彼が機械類に触らないよう見張っているので、ケンウッドの顔を見てお伺いを立てた。
 ケンウッドも保安課員の懸念を察したので、ちょっと考えて答えた。

「後でコンピューターに詳しい者を寄越すから、彼の監視の下で電話しなさい。」


2018年10月20日土曜日

JJのメッセージ 2 1 - 2

「朝食会?」
「はい。ドッティさんは明日の午後退所されるので、朝食会でドームに来てから親しくなった人々とお別れを言いたい、とお考えです。その時に命の恩人もお招きしたいと仰るのです。」

 食事会そのものは禁止されていない。女性たちが時々仲良くなったメンバーばかりで集まって食事をしている姿を、中央研究所側の食堂から見かけたことがある。彼女達は無事に出産出来たことを喜び合ったり、励ましあったり、慰め合ったり、と友情を温めているのだ。広い外の世界に戻れば、育児で忙しくなるし、家族との生活が待っている。何時再会出来るかわからない友達と短い時間だが濃密に過ごしているのだ。
 恩人を招くと言う行為は、女性達には特別なことではないだろう。感謝の気持ちを表したいだけだ。だがドーム側にはドーマーを余り世間に曝したくないと言う都合がある。世話係のドーマーが女性達と私語を交わさない理由の一つでもある。ドーマー達は外の世界を知らない。うっかり会話をして女性達に違和感を与えてしまうことを地球人類復活委員会は恐れていた。取り替え子の秘密は守らねばならない。ドーマーが実の母親から奪われた子供であることも、女性達本人がその取り替え子であることも、絶対に知られてはならないのだ。
 ランバートはケンウッドに、ドーマーを食事会に付き合わせても良いかとお伺いを立てて来たのだった。
 ケンウッドはちょっと考えた。セイヤーズは18年間外で暮らしていたから、女性達の会話について行けるだろう。彼はドームの秘密を脱走中も守ってきた。だから食事会でボロを出すことはない筈だ。保安課のゴールドスミスはどうだろうか? 保安課は外に出ない。女性と接触することもない。コロニー人の女性研究者と会話をする機会も殆どないだろう。口の固さではドーマーの中で一番と言われるが、女性に慣れていないので舞い上がったりしないだろうか。
 ケンウッドは画面の中のランバートを見た。

「少し時間をくれないか? ドーマー達に誘いを受けるかどうか、私が訊いて、返答する。夕食時間迄に連絡する。」

 つまり、ドーマーの出席を禁じないと言う意味だ、とランバートは解釈したらしい。ちょっと肩の力を抜いた様子で、微笑した。

「わかりました。では私の個人番号に掛けて頂けますか? お待ちしてます。」

2018年10月19日金曜日

JJのメッセージ 2 1 - 1

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは子供時代からユニークだったが、40歳になってもそれは変わらなかった。ローガン・ハイネが「ドーマーのハッキング記念日」と命名したあの日の出来事は全て彼の記憶から削除されてしまったのだが、人格は変わらない。体を動かせるようになると、直ぐに元気を取り戻し、低下した筋力を鍛え直す目的でリハビリに水泳を始めた。そして、プールが隣接する出産管理区の収容女性が水中で事故に遭った時、彼は監視係の保安課員と共に救助に駆けつけた。女性が無事に救出され、セイヤーズも保安課員も女性達からヒーロー扱いされたが、余計な口を利かずに医療区へ戻って来た。
 そのニュースを聞かされたケンウッドは鼻高々だった。

 このドームの子供達は素晴らしい!

 我が子が手柄を立てたような気分だった。
 秘書ジャクリーン・スメアが救出された女性のプロフィールを見て、少し驚いた。

「長官、その事故で危うく命を落としかけた女性は、アメリア・ドッティですわ! 海運王ドッティ財団総裁アルバート・ドッティの奥方で、現南北アメリカ大統領ハロルド・フラネリーの従妹になる人です。」
「ほう・・・」

 ケンウッドは運命論者ではなかったが、この巡り合わせには驚いた。現大統領ハロルド・フラネリーは元ドーマー、ポール・フラネリーの長男で葉緑体毛髪と接触テレパスの能力を持っている。ポール・フラネリーの次男も同じ髪の毛と能力を持って生まれ、現役のドーマーだ。つまり、ポール・レイン・ドーマーなのだ。レインの恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーが救出した女性は、レインの従妹になる訳だ。
 レインは実家がどんな家庭なのか全く知らない。従妹がセイヤーズと関わりを持ったことも想像すらしない。従姉妹の存在も知らないのだから。

「セイヤーズは出産管理区の女性達から英雄視されていますよ、きっと。」

 もう一人の秘書チャーリー・チャンが呑気に感想を言った。するとスメアが、ゴールドスミスもいますよ、と保安課員の名前を言った。

「2人ともルックスが良いから、大モテですね。」

 その時、秘書のコンピューターに電話が着信した。チャンが応答し、2、3やりとりしてから、ケンウッドに顔を向けた。

「長官、出産管理区のランバート博士からです。」

 ケンウッドは手で有難うと合図して、自分の机のコンピューターを通話モードにした。画面にシンディ・ランバートの顔が現れた。

「ヤァ、シンディ、どんな用件かな?」
「こんにちは、長官。用件は私ではなく、収容者なのですけど・・・」

 副区長のランバートは産科医として非常に優秀だが、職場の外では大人しい。あまり自分の意見を言う人ではない。今回も要望や意見ではなく、伝言係の役目を担ったようだ。

「収容者がドームに何か要求かね?」

 ランバートはちょっと躊躇ってから、おずおずと言った感じで切り出した。

「中央研究所は今朝のプールでの騒ぎをご存知ですよね?」
「うん、聞いたよ。女性達が無事で良かった。」
「2人のドーマーと、1人の収容者のお手柄です。」

 アメリア・ドッティの救助に、セイヤーズとゴールドスミスの2人のドーマーの他に、もう1人女性が協力したことも、ケンウッド達は聞いていたので、頷いた。

「ある女性が最初に事故に気が付いたのだったね?」
「そうです。それで、ドッティさんが、明日、朝食会を開いて命の恩人達にお礼をしたいと言って来まして・・・」


2018年10月17日水曜日

中央研究所  2 2 - 6

 ゴーンはセイヤーズの身に起きたことをレインにかいつまんで説明した。

「処置は成功したはずです。でも、セイヤーズはそれから2日間意識を取り戻さず、3日目に目を覚ましてからは人形の様に動かず、ただ呼吸しているだけでした。処置を施した医師は、彼の意識を呼び覚ます起爆剤があれば元通りになると言いました。」

 その「処置をした医師」がレインの最も信頼するヘンリー・パーシバルであることを彼女は黙っていた。パーシバルにそうしてくれと頼まれたからだ。人間の記憶を削除するなどと言う人権蹂躙の行為をレインが許す筈がないと懸念した為だ。

「何故、すぐに俺を呼んでくれなかったんです? こんなになる迄放置して・・・」

 レインの抗議に、ゴーン副長官は肩をすくめた。

「貴方が彼の息子を探し出して連れて来るのを待っていたのです。」
「俺よりガキの方が効き目があるとお考えなんですね。」

レインは皮肉っぽく笑った。ゴーンは悪びれた様子もなく、

「親子3人の対面の方が感動的でしょう。」

と言った。レインはカッとなった。初めて上司に憎悪を感じた。手に力が入ったのだろう、セイヤーズが囁いた。

「痛いぞ、ポール・・・」

 その一言がその場を救った。レインはセイヤーズを抱きしめて、その空白に近い感情を感じ取り、自身の気持ちを静めた。ラナ・ゴーンは、セイヤーズがレインに優しく囁くのを聞いた。

「怖がらなくていい、ポール。私がここにいるから・・・」

 ゴーンがヤマザキのオフィスに顔を出すと、そこにケンウッド長官も居たので、報告が二度手間にならずに済んだ。彼女がポール・レイン・ドーマーの訪問がセイヤーズを正気に返したと言うと、ほらね、とヤマザキが得意げに笑った。

「セイヤーズは僕等の会話を全部聞いて理解していたんだ。ただ脳が体を動かすのをサボっていた。」
「すると、セイヤーズは記憶を消されたことも、何故そうされたかも、わかっているのだね?」
「うん。多分、消された事実は彼にとって気分の良いものではないだろうけど、辛い記憶が消えたお陰で気持ちが楽になったのも事実だろう。」

 なんだかよくわからないが、危機は去ったとケンウッドもゴーンも判断した。ケンウッドはヤマザキに念を押した。

「もうセイヤーズは大丈夫だと、ハイネに伝えても構わないのだね?」
「うん。」

 ヤマザキがゴーンを見たので、ゴーンがケンウッドに教えた。

「レインが面会に行けばセイヤーズが元気になる、セイヤーズが元気ならレインも落ち着く、と提案したのは、ハイネ局長ですわ、長官。」


中央研究所  2 2 - 5

「ポール兄さん!」

 キャリー・ワグナー・ドーマーが声をかけてきた。精神科の医師だから医療区に居ても当然なのだが、レインは何故かドキリとした。キャリーの声が少し緊張感を孕んでいたからだ。副長官は俺に精神カウンセリングでも受けさせるつもりか?と疑った。
キャリーが近づいた彼に、305号室へ行くように、と告げた。

「後で副長官もお見えになりますからね。」

 ポール・レイン・ドーマーは副長官が苦手だった。ラナ・ゴーンはいつも彼の弱点を突いてくる。だから彼女の意見には反論が出来ない。それにしても、病室で会見するのだろうか?
 305号室の前には、保安要員が立っていて、彼を認めると頷いてドアを開けてくれた。 レインは疑問を口にすることなく、室内に入った。
 ベッドの上にダリル・セイヤーズ・ドーマーが横たわっていた。そのやつれ具合に、レインはギョッとした。2週間前、最後に彼を見たのは中央研究所の食堂だ。あの時のセイヤーズは元気そのもので、女性たちと世間話をしていた。
 セイヤーズは半眼を開いてぼんやり天井を見ていた。レインが近づいても反応しない。レインは不安に襲われた。一体、どうしてしまったんだ? 彼は恐る恐る声を掛けた。

「やぁ、ダリル・・・」

 セイヤーズが首をわずかに動かして、視線を彼の方へ向けた。それっきり反応がない。
俺がわからないのか? レインの不安は急激に恐怖へと変化しかけた。
その時、セイヤーズが瞬きした。

「ポール?」

夢を見ている様に呟き、それから自身の声で目が覚めたかの様に、目を大きく開いた。

「ポール!」

やせ細った腕で体を支えて起き上がろうとしたので、レインは駆け寄って抱き起こした。

「どうしたんだ、一体・・・?」

すると、セイヤーズが彼の肩にしがみつきながら、微かに笑った。

「へまをやった・・・」

悪戯を失敗した子供みたいな笑みだ。
 病室のドアが開いたが、レインは気にせずに彼にキスをした。今、2人を引き離そうとする者がいても、梃子でも離れないからな。そんな気分だった。
 咳払いが聞こえて、セイヤーズの方から唇を離した。 レインは気配で、ラナ・ゴーンの入室を悟った。 セイヤーズの顔から目を離さずに尋ねた。

「いつから、こんな状態なんです?」

このやつれ具合は昨日今日のことではない。セイヤーズはずっと具合が悪かったはずだ。それなのに、誰も教えてくれなかった。

「2週間前からです。」

 ラナ・ゴーンが答えた。心なしか、安堵した声だった。

2018年10月16日火曜日

中央研究所  2 2 - 4

 衛星データ分析官アレクサンドル・キエフ・ドーマーは絶不調だった。ポール・レイン・ドーマーのストーカーとして悪名高いこの若い部下は、レインが元恋人を取り戻したと先輩に聞かされて以来、言動がおかしくなった。
 仕事では実に優秀な男なのでレインは使っているのだが、出来るだけ接触は避けている。それがキエフを苛立たせる。キエフの苛立ちは、他の部下にも悪影響を与えた。誰もがチーフ・レインの不機嫌を恐れるし、キエフと同席するのを嫌がるし、でチーム内に不協和音が出来ていた。
 副官ワグナーは流石にこの事態を憂慮し、ハイネ局長にこっそりと注進した。

「チーフ・レインが精神的に不安定になっています。局長命令で休ませて下さい。」

 ハイネは、レインに命令を与えようとしたが、レインはそれより早く第5チームと出動してしまった。 局長はじっくり考えてから、副長官に相談をもちかけた。
 ライサンダーと4Xが行方不明になってから2週間経とうとしていた。
 ポール・レイン・ドーマーと第5チームは今回も空振りで帰投した。 ただ今回は1つだけ収穫があった。葉緑体毛髪を持つ少年が30代半ばの男と2人でニューシカゴ近くの街で買い物をしていたと言う目撃情報があったのだ。レインは目撃者と面会し、少年の人相を尋ねた。ライサンダーの写真がないので確証はないのだが、本人と思われた。
同伴していた男の人相もついでに尋ねて記録しておいた。 第5チームのチームリーダーが、その男の人相を聞いて、ちょっと心配した。

「ラムゼイの腹心と言われている秘書のパーカーに似ていますよ。」

ライサンダーはラムゼイに拾われたのか? レインは考えた。 ライサンダーがラムゼイに創られたクローンだと言う予想はついていた。同性の染色体だけで子供を創る高等技術を持つメーカーなど、他にはいない。 ラムゼイは自分の作品を取り戻しただけなのだ。
 ドームに戻ったレインは、執政官のアナトリー・ギル博士が顔を腫らしているのを見かけた。鼻の上に湿布がしてある。そんな目立つ治療法をこれ見よがしにするのは、ヤマザキ・ケンタロウだ。故意に目立つ絆創膏や包帯を使用して、周囲に「こいつは怪我人だから労ってやれ」とアピールすると同時に、「こいつはこんな怪我をするドジです」と宣伝しているのだ。
 
「ギル、その顔はどうした?」

 仕事以外でレインからファンクラブのメンバーに声を掛けるなんて、滅多にないことだ。しかし、その光栄な出来事にギルは喜ぶ気配もなく、ぶっきらぼうに「転んだだけだ」と言って足早に去った。
 なんだ? とレインが訝しく思った時、端末にメッセージの着信があった。見ると副長官からで、手が空いたら医療区に来て、とあった。
 レインは夜食は止めにしてその足で医療区へ出向いた。自身の健康問題に誰かがいちゃもんを付けたのか? その程度の思いだった。
 夜の医療区は静かだと思っていたが、存外雑然としていた。出産は夜が多い。スタッフが昼間と変わらず忙しく歩き回っていた。

2018年10月15日月曜日

中央研究所  2 2 - 3

 アメリカ・ドームは暫く静かだった。平和と言えるかも知れない。出産管理区では全ての業務がスムーズに進み、毎日元気な赤ん坊が誕生し、母親達が笑い、新しい妊婦がやって来て、女の子がそっと男の子と交換された。クローン製造部でも赤ん坊が誕生し、出産管理区に送られて行く。
 ドーム維持班は毎日煩雑な業務を順調にこなしていく。ドーマーの大半を占める出産管理区スタッフ達は赤ん坊と妊産婦の世話に明け暮れ、被服管理班は縫製と洗濯に精を出し、設備維持班はドーム施設のメンテナンスに忙しい。厨房班は日々の食事の準備にわき目も振らず、遺伝子管理局も地球人の生活の為の証明書発行や許可証認定に走り回る。
その他の部署も遊んでいる暇がない。
 そんな働き者のドーマー達に申し訳なく思いつつ、ケンウッドは停滞している研究に取り組んでいた。セイヤーズの子供を作る計画が中断しているのだ。
 1日分の記憶を削除されたダリル・セイヤーズ・ドーマーは目覚めたものの、起き上がれなかった。目を開いているが、何も見ていない。瞳孔は光に反応するので、ちゃんと機能しているのだ。耳も音は聞こえているが、脳が言葉を理解していない。
 セイヤーズの脳を壊してしまったか、とケンウッドは恐怖に襲われたが、ヤマザキも電話で様子を聞いて来たパーシバルも、大丈夫だ、と言い切った。

「セイヤーズの脳はゆっくり回復に向かっている。ダラダラしているだけさ。」
「僕の腕を信じてくれ。可愛いドーマーを傷つけるものか!」

 ハイネは何も言わない。執政官に任せているので、口出ししないのだ。ただ、ゴーン副長官が、レインに見舞いに来させよう、と言った時、彼は困った様子で言い訳した。

「レインは、川に落ちたセイヤーズの息子を探す為に、最短の休養期間を取っては外へ出かけて行きます。セイヤーズの現在の状態を彼は知りませんが、息子を見つける迄はセイヤーズに合わせる顔がないと思っているようです。」
「強制的に休ませることは出来ないのですか、局長。レインの健康状態まで心配しなければならないなんて・・・」

 ゴーンは溜め息をついた。すると、ハイネが一つの案を出した。

「アイダ博士が言ったのですが、セイヤーズを目覚めさせたいのであれば、レインの声を聞かせれば良いのでは、と。」

 ゴーンはハッとした表情で遺伝子管理局長を見た。ハイネが小さく頷いた。レインがセイヤーズに会えないと思いつめていても、セイヤーズはレインに会いたいのだ。



2018年10月13日土曜日

中央研究所  2 2 - 2

「ところで、アナトリー・ギルのことなんだが・・・」

と朝食の席でヤマザキ・ケンタロウが切り出した。ケンウッドは最近彼に教えてもらった卵がけご飯がマイブームになっていて、醤油の微妙な加減に神経を注いでいたので、上の空で「うん?」と返事した。その日の朝食は何故か4人共に日本食を選んでいた。ハイネでさえ、チーズオムレツ以外は全部和食のお惣菜で統一したのだ。ヤマザキはそのハイネに顔を向けた。

「ラナと保安課の証言があるから、セイヤーズの方は無罪と言うことで良いかな?」
「何のことです?」

 ハイネは6種類の海苔を順番に食べ比べるのに忙しかった。1番のお気に入りは山葵海苔だが、七味味も捨て難い。ヤマザキはその様子を眺め、不意に一番近い場所に置かれていた味醂味の海苔を奪い取った。アッとハイネが振り向いた時には、海苔はご飯を包んでヤマザキの口の中に消えていた。

「ドクター!」
「他人の話を聞いていないからだよ。」
「聞いていましたよ! 私の海苔・・・」
「ケンタロウの箸づかいには畏れ入るよ。」

とパーシバルが笑った。ケンウッドがゴメス課長から聞いた話を説明した。

「セイヤーズが無断で観察棟を出た直後にギル博士と出会したんだ。ギル博士の方からセイヤーズに絡んで、いきなり彼の腕を掴んだと言う話だ。」
「いきなり?」

 パーシバルの声に可笑しそうな響があった。ダリル・セイヤーズ・ドーマーに「いきなり」はご法度だ。それはパーシバルがアメリカ・ドームに勤務していた時代の執政官なら常識だった。セイヤーズは能天気で普段はぼーっとしている。だから、いきなり他人に体に触れられるとびっくりして反射的に相手を殴ってしまう悪い癖があった。
 ハイネが真面目な顔でケンウッドに確認した。

「セイヤーズはギル博士を殴ったのですね?」
「うん。顔面ストレートだ。」

 うわぁっとパーシバルが自身の鼻を手で抑えた。ハイネも顔をしかめた。どちらもアナトリー・ギルが経験した痛みを想像したのだ。ヤマザキがギルの傷の状況を説明した。鼻腔骨骨折だが、大きな損傷ではないので、骨の整形と痛み止めで、後は自然に治癒させる、と。
 
「副長官と保安課員の証言で、先に手を出したのがギルなので、セイヤーズにお咎めなし、とゴメス少佐がギルに言い聞かせた。セイヤーズが勝手に外に出たことは、ギルの負傷と直接関係ないからね。元々ギルはセイヤーズを見に観察棟へ行くところだったそうだ。」
「セイヤーズを見る?」
「レインのファンクラブ代表として、レインの恋人を牽制したかったのだろう。あまりレインの気持ちを乱すな、と。他のファンクラブのメンバー達はギルの独走だと言って彼に同情していない。」
「ギル博士にも困ったものだよ。」

とケンウッドは思わず愚痴をこぼした。

「外から帰ったばかりのドーマーは休ませなければいけないのに、彼は自分の部屋へレインを連れ込んだらしいのだ。レインが何も言わないので、地球人保護法に違反したかどうか、こちらは判断出来ないしね。」

 するとハイネが言った。

「ギル博士は何も違反なさっていません。違反すれすれではありますが。もし違反すれば、レインははっきり私かフォーリー・ドーマーに報告します。泣き寝入りだけはしないと、彼も若い頃の体験で懲りていますから。」

 ヤマザキがニヤッと笑った。

「そうなんだ。だから、ギルはセイヤーズを告発しない代わりに彼が先に手を出したことを内務捜査班に目こぼしてもらう条件を呑んだのさ。」

 パーシバルが深い溜め息をついた。

「ファンクラブも落ちたもんだなぁ・・・」



中央研究所  2 2 - 1

 脳の細胞を繋ぐニューロンの特定のシナプスが特定の記憶を呼び起こす時に形成されるのを阻止する処置。 パーシバルはかなり慎重に作業を行い、1時間後に彼自身がぐったりとして部屋から出てきた。

「セイヤーズの脳は本人が意識しない物でも、網膜に映ったり鼓膜を振動させたりする物を全部記憶する。1日分の記憶と言っても膨大な量だ。時間の感覚を失わせることで記憶を破壊する。脳にとっては相当なダメージになるだろう。」

 ケンウッドは恐怖を感じた。セイヤーズの心を死なせてしまったのだろうか? 体に震えが生じかけた時、肩に大きな温かい手が置かれた。振り返ると、ローガン・ハイネがいた。ハイネが落ち着いた声でパーシバルに尋ねた。

「セイヤーズが回復するにはどの程度の時間が必要ですか?」

 よく透る綺麗な声だ。不思議にケンウッドの心を鎮めてくれた。パーシバルがカルテを眺めた。

「普通の人間だったら2日程で通常の生活に戻れる。だが、セイヤーズの脳は超デリケートだからね・・・自力で平常時に戻る迄1週間か10日はかかるかも知れない。」
「自力で?」

 やっとケンウッドは声を発せた。

「薬とか電気ショックで目覚めさせる訳にいかないのか?」
「出来ないことはないけど、何が起きるかわからないよ。相手は人間の脳だからね。ニューロンが正常に機能するのを自然の成り行きで待つべきだと思う。永久に起きないと言うことはないと思うけど、昏睡状態が長引くことも覚悟しないとね。」

 パーシバルはハイネを見てちょっと微笑んだ。ローガン・ハイネは1年半も昏睡状態にいた経験がある。最初の原因は恐ろしい異星の黴に冒されて高熱を発したからだが、熱が下がっても目覚めなかった。脳の検査をしても異常はなかったので、ケンウッドは考えたのだ。もしかするとハイネ自身が目覚めたくないのかも知れない、と。だから呼びかけて見た。ハイネの生き別れた部屋兄弟に面会したことを話したり、秘書が重大問題を報告したりして、ハイネの意識をこちらの世界に呼び戻したのだ。
 パーシバルはセイヤーズも同じ方法で復活させられるだろうと暗示したのだ。

「セイヤーズは取り敢えず生命の危険に曝されている訳ではない、と言うことかね?」
「そうだよ。焦らずに眠らせてやってくれ。」

 病室では、ヤマザキ・ケンタロウが昏睡状態に陥っているセイヤーズの為に部屋の装備を整えている最中だった。ジェル浴室に入れるつもりはないらしく、ヤマザキはセイヤーズがそんなに長く眠っていないと踏んでいるのだろう。
 ケンウッドは友人達の連携に感謝した。時計を見ると、とっくに日付は変わっており、夜明けが近かった。

「ハイネ、君を眠らせなかったことに今気が付いたよ。すまない。明日は・・・否、今日か・・・日課を代行してもらってくれ。休んで良い。否、休め。これは長官命令だ。」

 ハイネが返事をするより先にパーシバルが提案した。

「ついでにエイブの膝の手術もやっちまおう。予約は来月だったが、早くして彼が困る筈がない。グレゴリーに連絡してエイブをこっちへ来させてくれないか? グレゴリーもこっちへ来るだろうから、ハイネの代行をしてもらえるだろう?」
「グレゴリーにはグレゴリーの仕事がありますよ。」

と言いつつも、確かにハイネは疲れた表情をしていた。ケンウッドは時計をもう一度見た。

「朝食には早いが、コーヒーと何か腹に入れよう。考えたら、夕食も碌に食っていない。」
「ラナは? 彼女は休ませたのか?」
「副長官は私の分も事務仕事を引き受けて中央研究所にいる。彼女は上手に休憩を取るから、休憩スペースで休んでいるかも知れない。」

 そう言いつつも、ケンウッドは端末でゴーンにメッセを送ってみた。セイヤーズの手術が無事終了した報告と、これからやたらと早い朝食に行くので、良ければ合流しないかと言うお誘いだ。ヤマザキが合流して4人で食堂に向かって歩いているとゴーンから返信が来た。画面を読んでケンウッドは思わずニッコリした。

「副長官はクロエル・ドーマーと朝ごはんに行く約束をしているそうだよ。」
「クロエルちゃんと?」

 パーシバルが目を輝かせた。彼はあのおちゃらけた南米人ドーマーが大好きだった。

「クロエルちゃんも来るの?」
「彼等は普通の時刻に朝ごはんだよ、ヘンリー。」
「ちぇっ!」

 パーシバルはハイネの腰に腕を回した。

「いいさ、こっちはハイネがいるから。」

 ハイネも義理の息子で親友の彼をそっと体に引き寄せた。彼は感謝していた。セイヤーズを救ってくれた友人達に。

2018年10月12日金曜日

中央研究所  2 1 - 10

「こんな再会の仕方はしたくなかったなぁ・・・」

 東アジア・ドームで診療していたところをアメリカに呼び戻されたヘンリー・パーシバルは、観察棟の観察モニター室でセイヤーズの部屋を見ながら呟いた。ケンウッドの緊急要請を受けて、東アジア・ドームが専用ジェットを仕立ててくれた。そしてパーシバルは夜中にアメリカに戻ってきた。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはラナ・ゴーン副長官から記憶削除の手術を受ける説明を受けているところだった。初めのうちは記憶を消されることに抵抗していたが、自身の特異な遺伝子の特徴に宇宙軍が興味を抱く可能性があること、危険人物だと判定されてしまえば、地球人類復活委員会でも彼を守れないこと、クローンの息子にも同じ危険がつきまとうこと等を聞かされ、考え込んだ。
 消される記憶が1日分だけ、それもこの日だけだ、と言われ、彼は決心した。

「出来るだろう?」

 モニターを見ながらケンウッドがパーシバルに念を押した。

「君にしか託せないんだ。他の医者は腕はともかく、機密保持に関して信頼を置けない。セイヤーズが今朝やらかしたことは、ここにいる我々だけの秘密にしておきたい。」
「・・・ああ・・・」

 パーシバルは勿論記憶削除の手術を何度か経験していた。薬で抑えられない神経の興奮を鎮める為に記憶を消す治療法だ。消したい記憶に印が付いている筈がなく、形で存在する訳でもない。記憶を保つ神経細胞に電気振動を与えて白紙に戻してしまうだけだ。
 画面の中で、セイヤーズはゴーンから薬のカップを受け取り、ゆっくりと飲み下した。麻酔だ。眠って新しい記憶が増えるのを防ぐ。
 薬剤の効果はすぐに現れ、彼は腰掛けていたベッドの上にゴロリと転がった。ゴーンが呼びかけても反応しなくなり、やがて保安課が入室して彼をストレッチャーに載せた。

「じゃぁ、医療区に行くか・・・」

 ケンウッドとパーシバルは観察棟を出た。

2018年10月11日木曜日

中央研究所  2 1 - 9

「セイヤーズが見て記憶した内容?」

 ケンウッドはドキッとした。セイヤーズの遺伝子は親の記憶をごっそり保存したまま生まれてくる、と言うものだ。長い歳月を旅する宇宙飛行士が、宇宙船の中で代替わりする時に、子供が一から学習する手間を省く為の、遺伝子改良だ。セイヤーズがこのドームでマザーコンピュータのデータを見て記憶したとなると・・・地球と月の地球人類復活委員会のセキュリティ全てを掌握してしまうことを意味する。
 ケンウッドは自分の顔が青ざめるのを感じた。進化型1級遺伝子保有者をドームの外に出せない理由その1だ。人類社会の安全保障を崩壊させてしまう能力を持つ人間達。
 彼はローガン・ハイネを見た。目の前にいる白い髪のドーマーも、赤ん坊の時から厳しく躾けられたからこそ「安全」なのだ。だが、ドームの外には出せない。ハイネはセイヤーズの遺伝式記憶能力を持っていないが、学習能力はセイヤーズより上だ。そして応用力が半端でない。

「大丈夫ですか、長官?」

 ケンウッドの顔色が悪いので、ハイネが心配して声を掛けた。ケンウッドは首を振って、意識を現状に戻した。

「大丈夫だ。それより、対策を考えねばならん。」

 観察モニター室に、ラナ・ゴーン副長官が入って来た。これで、このアメリカ・ドームのマザー・コンピュータへアクセス権を持つ最高幹部4名が揃った。

「セイヤーズは落ち着きました。」

とゴーンが報告した。

「息子の無事を確認しようとして、マザーにアクセスして北米南部班第1チームの報告書を読もうとしたのです。事実読んでしまったのですけど。息子が川に落ちて行方不明になったと知って、ポール・レイン・ドーマーに早く息子を探して助けろと要求するつもりで、無断で観察棟を出ました。観察棟の出入り口の解錠もマザーのデータを見て無意識に暗証番号を覚えたらしいのです。」
「つまり、マザー・コンピュータに関するものは、全て無意識に記憶している訳ですな。」

 ゴメス少佐が溜め息をついた。そして彼はケンウッドが考えつかない案を出した。

「セイヤーズの記憶を消しましょう。」
「なんだって?!」

 ケンウッドは思わず大きな声を出していた。

「人間の記憶を消すなんて・・・」
「長官、医療行為の一つです。過去の記憶に苦しめられている患者に用いる医学的治療ですよ。」

 ゴメスは宇宙軍出身だ。戦場で受けたショックから:心的外傷後ストレス障害で悩む兵士を多く見て来た。彼等の治療の一つに、記憶削除と言う方法がある。記憶を司る脳の部分に電気振動を与えて数時間から数年分の記憶を消してしまうのだ。患者は辛かった思い出を永久に忘れてしまえるが、同時に同じ期間に体験した他の全ての記憶も失ってしまう欠点がある。

「駄目だ!」

 ケンウッドは反対した。しかしゴメスは保安上の問題では譲らない。

「セイヤーズはドーム内全てのロック解除が出来ます。プライバシーも機密事項も全部記憶しています。そんな人間を我々だけで制御出来ますか? 」
「うう・・・」

 ケンウッドが反論を考える間に、ゴーンもゴメスの味方についた。

「長官、セイヤーズは息子を愛しています。その息子が川に落ちて行方不明なのですよ! 彼は息子を助けに行けない。苦しんでいます。もし息子が亡くなっていたら、彼は心を閉ざしてしまいます。」

 母親である彼女は声のトーンを落とした。

「息子が川に落ちたと言うことを忘れさせてやって下さいな。」

 するとハイネまでがゴメス側に立った。

「セイヤーズの能力が外部に知れ渡ると、軍が介入してくる筈です。」

 ゴメス少佐が頷いた。 ハイネは続けた。

「軍は何かしら理由をつけて彼を宇宙へ連れ出すでしょう。私は、このドームの子供を一人としてそんな形で失いたくありません。」

 ケンウッドはまだ迷っていた。セイヤーズの脳が破壊されずに済む保証があるのだろうか。
 記憶削除に関して誰よりも詳しいゴメス少佐が、彼を説得にかかった。

「記憶削除と言っても、今朝から今の段階までの記憶を消すだけです。」
「ピンポイントで消すのか?」
「そうです。そして、これは時間が経てば経つほど消さねばならない記憶量が増えて行きます。セイヤーズの安全の為にも、一刻も早く処置をするべきです。」
「しかし・・・そんな技術を持つ医師がすぐに見つかるかね? 軍医では拙いだろう?」

 すると、ハイネが囁いた。

「ヘンリーがいるではありませんか、ニコラス。」



2018年10月10日水曜日

中央研究所  2 1 - 8

 走らないように心がけ、急ぎ足で歩いて観察棟に向かった。こんな時、ドーム居住者に乗り物が許可されていないことがもどかしかった。せめて反重力エアボードでもあれば便利なのだが。
 観察棟の入り口の暗証番号を入力しようとすると、中から開けてくれた。監視ルームで見えたのだ。中に入ると、すぐにゴメス少佐が出て来て、特定の部屋だけを観察出来る観察モニター室に案内してくれた。そこではハイネ局長が居て、セイヤーズの部屋のモニターを眺めていた。普段音声は流さないのだが、今回はセイヤーズとゴーンの会話が聞こえていた。ゴーンはセイヤーズに息子の話を聞かされているところだった。
 ハイネが振り返り、ケンウッドを認めると呟いた。

「アイツ、遂にやりやがった。」

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーがそんな砕けた言葉を使ったのでケンウッドは驚いた。室内はケンウッドとハイネとゴメスの3人だけだったので、ドーマーの保安課員は誰も局長がそんな世俗の言葉遣いをするのを耳にすることはなかった。
 ゴメス少佐はハイネの言葉遣いなど気にせずに、ロール紙の筒を長官に手渡した。何だろう? ケンウッドはロール状の紙を引き伸ばしてみた。数字や単語や文章がぎっしり印字されていた。一見したところ、何なのか皆目見当がつかなかった。困惑してゴメスに目を向けると、少佐が説明した。

「セイヤーズが1時間前にハッキングしたマザーコンピュータのデータです。」

 すぐには頭に入らなかった。4秒ばかり保安課長を見つめ、それからケンウッドは「えっ!」と声を上げた。

「マザーをハッキングしただとっ!」

 だからそう言っただろうと言いたげな顔でハイネが彼をもう一度見た。

「恐れていたことをやりやがったんですよ。今迄やらなかった方が不思議ですがね。」

 ハイネはセイヤーズが成人した時に、彼を手元に置き、進化型1級遺伝子危険値S1保有者であることを教えて、誰からもその能力を狙われずに安全に生きていく術を教育するつもりだった。危険値S1は宇宙では軍の管理下に置かれる遺伝子だ。例え地球人であってもS1保有者は地球人保護法対象外の扱いを受ける。だからハイネはセイヤーズを平凡な地球人として暮らしていけるように仕込みたかった。しかし運の悪いことに、セイヤーズが成人する直前に彼は病に倒れ1年半近い昏睡状態に陥ってしまった。セイヤーズの遺伝子情報は誰にも伝えられず、当時のドーム長官サンテシマ・ルイス・リンはポール・レイン・ドーマーを愛人にしたいが為に、邪魔な恋人であるセイヤーズを西ユーラシアへドーマー交換に出してしまったのだ。セイヤーズは自身の特異な遺伝子のことを何も知らずに今日迄生きて来た。
 ケンウッドは額に脂汗をかいた。ロール紙を持つ手が震えた。

「ハッキングの目的は?」
「その記録を見た限りでは・・・」

 S1因子を持っていなくてもハッキングは得意なローガン・ハイネ・ドーマーが苦々しげに答えた。

「昨日付けの北米南部班の外勤務報告書を読みたかったようです。」
「報告書の為に、こんなに長々と情報を引っ張り出したのか?」
「何処に報告書があるのか探したのでしょう。検索をかけても出て来ませんから。」
「・・・しかし、ハッキングの手口としては幼稚ではないか?」

 するとゴメス保安課長が口を挟んだ。

「長官、重要なのは手口ではなく、彼が見て記憶した内容です。」


2018年10月9日火曜日

中央研究所  2 1 - 7

 ケンウッドが眠気と闘いながら午後の業務をこなしていると、端末にロアルド・ゴメス少佐から電話が入った。保安課長が掛けてくると碌なことがない。ドームの保安上の問題が起きたと言う意味に他ならないからだ。渋々仕事の手を止めて電話に出ると、ゴメスは開口一番、観察棟にお出で願いたい、と言った。
 ドキリとした。観察棟には、進化型1級遺伝子危険値S1のダリル・セイヤーズ・ドーマーが収容されている。病状の重いクローンの子供も3名入っているが、あの子供達はドームのセキュリティに問題をもたらすと思えないので、セイヤーズが何かやらかしたと言うことか?

「電話では言えないのか?」
「申し訳ありません。出来れば内密に処理したく・・・」

 いつも強気の元宇宙軍特殊部隊出身の精鋭が、声を潜める様に言った。ケンウッドが残った仕事量を考えて数秒間返答を遅らせると、ゴメスは更に言い添えた。

「副長官も貴方を待っておられます。」
「ゴーン博士も?」

 どうも只ならぬ問題が生じた様だ。ケンウッドは念のために保安課長に尋ねた。

「遺伝子管理局長も呼んだのか?」

 ゴメスは抜かりない男だ。

「長官から連絡して頂ければ有難いと思いましたが、緊急ですから、連絡を入れておきました。」

 ハイネも呼ばれたとなると、やはり問題はセイヤーズに関係している。ケンウッドは業務のページを閉じた。

「わかった。すぐ行く。」

 ゴメスはセイヤーズの名を出すことなくケンウッドを動かした。ケンウッドは二人の秘書に、観察棟に行ってくる、と告げた。

「重大問題が発生したらしい。もし誰かが私に面会を求めて来たら、手が離せない急用で面会謝絶だと言ってくれ。要件は聞いておいてくれ。」


2018年10月7日日曜日

中央研究所  2 1 - 6

 遺伝子管理局長の午前中の仕事は日によるが概ね忙しい。前日に誕生した子供の登録と前日に死亡した人の記録とデータの移行だ。要注意の者にはデータにタグが付いているのでそれに目を通す。特殊な遺伝子を持って生まれた子供や、生まれて直ぐに病気を発症する子供などを適切な処置を受けられる手配がなされているか、確認する。同様に亡くなった人の遺伝子が誰かに悪用されないかチェックもする。遺体を保存する場合は特に監視対象とする。違法なクローンを製造するのを防ぐ為だ。
 日課に取り掛かって1時間も立たないうちに妨害が入った。電話を受けた第1秘書のネピア・ドーマーが不機嫌な声で応対してから、局長、と呼びかけて来た。

「ゴーン副長官が面会を求められて下に来ておられますが?」

 副長官が遺伝子管理局本部に顔を出すのは就任以来初めてだ。ハイネは副長官を嫌いではなかったが(寧ろ美人は歓迎だ)、日課を始めたばかりだ。ちょっと困ったな、と思った時、端末に電話が入った。メロディからして、ケンウッド長官だ。

 何なんだ?

 ハイネはネピアに手で待機と合図して電話に出た。おはよう、とケンウッドが言った。

「レインから聞いたが、セイヤーズの息子が川に落ちて行方不明と言うのは確かなのかね?」

 まだ昨日の報告書を読んでいないのか? ハイネは面倒臭がっていると思われないよう気をつけながら、そうです、と答えた。

「4Xは?」
「行方不明です。」
「現地警察に捜索させているのだろうね?」
「報告書にそう書いてありましたが?」

 報告書をちゃんと読めよ、とハイネは心の中でぼやいた。こっちは忙しいのだから。
「すまん」とケンウッドが謝った。

「気が逸って落ち着かなかった。打ち合わせで詳細を聞かせてくれ。」

 ハイネが何か言う前に電話が切れた。ハイネは肩を竦めた。セイヤーズが連れ戻されてから、中央研究所が騒がしい。執政官達はセイヤーズの特異な染色体に興奮しているのだ。セイヤーズは何処にも逃げないと約束してくれたのではないのか?何をそんなに慌てているのだ?
 ネピア・ドーマーが咳払いした。ハイネはゴーン副長官を待たせていることを思い出した。
 お呼びしなさいと答えて数分後にゴーンが部屋にやって来た。返答を待ち切れないで、既にエレベーターに入って受付の合図を待っていたに違いない。
 ネピア・ドーマーが不機嫌の極みと言った表情になったので、第2秘書のキンスキー・ドーマーがお茶を淹れた。
 ゴーンは朝の挨拶もそこそこに、昨日の山狩りに関する報告書を見たいと申し出た。長官に回した報告書を長官がまだ目を通していないので、副長官には届けられていないのだ。

「川に落ちた少年の行方でしたら、まだ何も判明していませんよ。」

 ハイネが先回りして言うと、ゴーンは言った。

「何故落ちたのか知りたいの。」

 ハイネは執務室中央の会議テーブルの上に報告書の画像を出した。そして副長官が順番に目を通す間に日課の続きをやっつけた。幸い件数が少なかったので、ゴーンが疲れて休憩する前に終わった。
 ハイネは報告書の画像の横に、観察棟の監視モニター映像を映し出した。狭い部屋のベッドにダリル・セイヤーズ・ドーマーが布団を抱えて座り込んでいるのが見えた。俯いているので表情は見えない。ゴーンもその映像を見上げて、セイヤーズの手が布団をしっかり握りしめているのに気がついた。その布団はドームの中では見かけない品だった。パッチワークで作られたキルトだ。ところどころ歪な縫い目も見て取れた。手作りだ。

「あの布団は?」
「ワグナーが持ち帰りました。セイヤーズの家にあったそうです。」

 几帳面なクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが布団の報告も書いていたので、ハイネはキルトの来歴を直ぐに答えた。

「レインとセイヤーズの体液が付着していたので、現場に残すのは拙いと考えたそうです。」

 さりげなく、何でも無いようにハイネは言ったが、ゴーンはその言葉の重要な意味を理解した。昨晩セイヤーズの体を検査した時、執政官達はセイヤーズの体の一部に傷があるのを発見した。その部位からレインが逮捕時に何をセイヤーズに行ったのか、彼等は悟ったのだ。

 ドーマーも男だ。人間だ。感情を、欲求を抑制出来ない時もある。

 セイヤーズは一生記憶するだろう。彼がレインに対して抱いていた感情がどう変化したのか、まだ誰にもわからない。
 ハイネはその検査報告を見ていない。ケンウッドの指示でドーマーには教えないと決めたのだ。だから、キルトを抱き締めているセイヤーズの映像を見たハイネはこう呟いた。

「外の生活を懐かしがっているのだろうか?」

 ゴーンはキルトの派手な色合いから、あの布団は子供の為にセイヤーズが手作りしたのではないかと思った。だから3人の子持ちの彼女は言った。

「彼は、子供を思って泣いているのですわ、局長。」

中央研究所  2 1 - 5

 出産管理区と中央研究所の食堂を隔てるガラス壁の向こうにダリル・セイヤーズ・ドーマーが姿を現すと、研究所側でドヨメキが上がった。セイヤーズは疲れている筈だが、機嫌良さそうで、食事のトレイをテーブルに置くとすぐに食べ始めた。隣のテーブルに保安課員が座り、監視しているのも気にしていない。近くのテーブルに居た女性グループが話しかけ、セイヤーズは陽気に相手を始めた。魅力的な笑顔だ、とケンウッドは思った。セイヤーズにはレインにはない人当たりの良さがある。初対面の人間とも直ぐに仲良くなれるのだ。
 セイヤーズの笑顔を見たレインが立ち上がった。ガラス壁の方へ体を向けたので、ケンウッドは拙いと感じた。レインは疲労困憊して平常心を失いかけている。ここで取り乱してみっともない姿を大勢に見られたら、あの誇り高い男は更に泥沼に陥るだろう。
 その時、ゴーンの声が聞こえた。

「レイン・ドーマー、ちょっと来てくれませんか?」

 女性の声はよく聞こえる。レインが振り返り、ゴーンを認めた。彼はファンクラブに何か囁くと、自身のトレイを掴み、さっさとファンクラブから離れて長官達のテーブルにやって来た。ギル達から逃げたかったのだ、とケンウッドは悟った。レインには常にドーマーの仲間かファンでない普通のコロニー人をそばに配してやれば良いのだ。
 レインはゴーンの向かいに座り、ケンウッドとゴーンの両方に朝の挨拶をした。
おはよう、と言ってから、ケンウッドは既に判明していることを尋ねた。

「夕べは寝ていないのだろう、レイン?」
「横にはなりましたよ。」

ギルの部屋でギルのベッドで、ギルにハグされて横になっていた。肌には触らせなかった。疲れている時に他人の感情など感じたくない。ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスだ。他人の肌に接すると、相手の感情を感じ取る。元気な時はコントロールが出来るから、何も感じないで済むが、疲弊している時は災難だ。相手の欲望、快不快、喜怒哀楽が怒濤のように彼の中に入ってくる。だから、レインは疲れている時は心理的に安静状態の人間と一緒にいたい。相手の心が彼を安心させてくれるからだ。
 ゴーンがファンクラブの方をチラリと見て、言った。

「執政官の遊び相手をするのは、貴方の仕事ではありませんよ。」

 レインは赤面した。上司たちは全てお見通しだ。長官と副長官は、昨夜遅く迄ダリル・セイヤーズ・ドーマーの体を調べたはずだ。汚染された外気が肉体に及ぼした被害や細菌や放射線から受けたダメージなどを、頭のてっぺんから爪先迄、髪の毛1本も見逃さずに検査しただろう。当然、レインがダリルに暴行して負わせた傷も見たはずだ。
 しかし、上司たちはそれには触れなかった。ケンウッドが昨夜のセイヤーズとの話し合いを聞かせた。セイヤーズの生殖細胞が持つ特殊性を人類復活に活用する計画を立てること、彼がそれを承知する条件として、息子には手出ししないでくれと要求したこと。幹部会が彼の要求を呑んだこと。

「だから、セイヤーズはもう逃げ出したりしないと約束してくれたのよ。」

 ケンウッドもゴーンもレインが喜ぶものと思っていた。ところが、レインは元気のない表情で、そうですか、と言っただけだった。
 ケンウッドとゴーンは互いの顔を見やった。ケンウッドは、昨日帰投した遺伝子管理局北米南部班第1チームが局長に提出した報告書にまだ目を通していないことに気が付いた。彼はふと嫌な予感がして、レインに尋ねた。

「レイン、セイヤーズの子供はどうした? ベーリングの娘もまだ保護していないのだな?」

 痛いところを突かれて、レインは返事を躊躇した。 目を泳がせた彼を眺め、ゴーンは、これはただ逃げられただけじゃないわね、と思った。
 レインが小さな声で答えた。

「見失いました。川で・・・」
 

中央研究所  2 1 - 4

 深夜、日付が変わる迄会議をしていた執政官達は、翌朝の始業時間を1時間繰り下げた。ケンウッド長官とゴーン副長官も疲れていたので、朝食はお気に入りの一般食堂ではなく中央研究所の方を利用した。逮捕した脱走ドーマーを生体解剖よろしく検査攻めにした後で、少々ドーマー達に後ろめたさも感じていたのだ。
 会議の内容は、セイヤーズが要求した事案だった。セイヤーズが一生大人しくドームの中で研究に協力する代償として、クローンの息子にドームは手を出さない、と言う要求だ。執政官達は、セイヤーズのX染色体を確実に受け継いでいるであろう息子の存在に興味を示したが、それでも遺伝子組み換えのクローンであることにこだわった。
 大事な地球の未来を、遺伝子組み換えの人間の遺伝子に託したくない、と言うのだ。進化型1級遺伝子は組み換えの結果ではないのか、とケンウッドは言ったが、多くは慎重論を唱えた。進化型1級遺伝子保有者のローガン・ハイネの子供は作っていない。少なくとも、地球人としての子供は作ったことがない。セイヤーズの子供はまだ成人の確認を取れていないが、ラムゼイが売却した子供が異常だったと言う報告は現況では聞かないので、安全かと思える。取り敢えず、ダルフーム博士の分析結果を待って、普通の子供が誕生出来るのであるなら、セイヤーズの子供、女の子を作って行こう、と言うのだ。
 だから、セイヤーズのクローンの息子は監視対象に置き、ドームの研究には使わない。
 ケンウッドは渋々多数決の結果を受け入れた。

 私は少し焦っているのかも知れないな。ダルフーム博士が年齢を意識されている様に、私もそろそろ頭の働きが鈍くなっているのだ。

 食欲がなかったが、少しずつ食べ物を口に入れていると、ハイネから端末にメッセが入った。セイヤーズは起床して機嫌良く朝食に出かけたとあった。ケンウッドは思わず苦笑した。隣に居たゴーンが、「何か良いことでも?」と尋ねたので、画面を見せた。ゴーンも複雑な微笑を浮かべた。

「セイヤーズは反抗するつもりはなさそうですね。」
「ドーマーは目上の者や執政官に逆らうことを罪の様に感じているからね。私はそのこと自体に罪を感じるよ。」

 ケンウッドのコメントに、ゴーンはチラリと長官を見たが、何も言わなかった。
 彼等は離れたテーブルにいる若い執政官のグループに視線を向けた。そこにスーツ姿のポール・レイン・ドーマーが混ざっていた。疲れた表情で、無口で機械的に食事をしているが、彼を取り囲む執政官達はご機嫌だ。ファンクラブだ。中心にいるのはアナトリー・ギルと言う遺伝子学者で、彼等は昨夜の検査や会議には参加して居なかった。それぞれの研究室の責任者ではないからだ。レインは遺伝子管理局本部で局長に直接報告を行った後、アパートに帰らなかったらしい。恐らくギルに無理矢理相手をさせられたのだ。ギルはレインを自分の恋人の様に扱う。地球人保護法違反すれすれで接するので、注意を与えづらい。レインも執政官の機嫌を取ると得なこともあると心得ているので、幹部に訴えもしない。サンテシマの時と同じじゃないか、とケンウッドは内心苦々しく感じていた。


「ギルには後で厳重に注意しておきます。でも、どうしてレインはギルに逆らわないのでしょう。」

 隣でゴーンが呟いた。ケンウッドも独り言のふりをして返答した。

「あの男は根本的に寂しがり屋だ。ゴマすりと誤解されているが、彼は自分を守ってくれそうな人間の機嫌を損ねるのは損だと本能的に判断している。
それに、彼は溜めたストレスを他人の肌に触れることで解消しなければ眠れないのだ。」

フン、とゴーンが鼻で笑った。

「ベッドでは頭が空っぽの科学者たちが、格好のストレス解消の道具だと言うことですね。でも、アナトリーが彼に平安を与えてくれるとは思えませんわ。」
「恐らく、彼はこの18年間、平安と無縁だったのかも知れないな。」

 恋人を取り戻したことが、レインの心の平和にプラスになれば良いが、とケンウッドは願った。



2018年10月6日土曜日

中央研究所  2 1 - 3

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーはクローン観察棟の一室でドーム帰還後最初の夜を過ごした。能天気な性格が幸いして短時間ではあったがぐっすり眠って、翌朝は7時前に目覚めた。着替えがなかったので洗面スペースで洗顔していると、保安課の制服を着たドーマーが入って来た。朝の挨拶をした保安課のドーマーはセイヤーズより年下で、顔馴染みでなかった。ドーマー達は部屋兄弟でない限り、成人して働き始める迄自身より年少のドーマーと知り合う機会が殆どない。どう言う訳だか、地球人類復活委員会は子供のドーマー達をグループ分けして互いの交流を持たせない。訓練所に入る年齢になって「初めまして」となるのだ。だから僅か20歳で西ユーラシア・ドームに転属になり、その後脱走したセイヤーズは、生まれ故郷でありながら年少のアメリカ・ドームのドーマー達と顔馴染みが少なかった。どちらかと言えば年長者の方が知り合いが多かったのだ。
 保安課は任務に就いている時間帯は私語をしない。挨拶の後は、朝食に連れて行くと言ったきり、黙ってセイヤーズが部屋を出るのを待っていた。
 寝間着のままで通路に出ると、そこに真っ白な髪の長身の男性が立っていた。ダークスーツを着ていたので遺伝子管理局の人間だとセイヤーズはすぐわかったが、誰だったか記憶になかった。同じ年代か少し上に見えるが・・・? 
 おはよう、と相手が声を掛けてきたので、彼も、おはようございます、と返事した。

「で・・・何方ですか?」

 保安課員が目を剥いた。このお方を存じ上げないのか? と無言で抗議した。白い髪の男性は怒りもせず、少し笑った。

「遺伝子管理局長のローガン・ハイネだ。気分はどうだ?」

 セイヤーズは最後迄聞いていなかった。

「ローガン・ハイネ! ハイネと仰いましたか?!」

 いきなり彼は相手の手を取った。

「思い出しました! 養育棟の中級クラスの時とか訓練所で時々参観に来られていましたね?」

 ハイネはただ微笑んでいるだけだ。セイヤーズは失礼な振る舞いをしたことに気が付いて、手を引っ込めた。

「すみません。子供の頃に憧れた人と出会えて興奮しました。」
「相変わらず、能天気だな。暫くは検査漬けになるだろうから、今のまま気を抜いて過ごしなさい。」

  ハイネは保安課員に頷いた。保安課員がセイヤーズに声を掛けた。

「食堂へ案内する。観察棟の収容者は出産管理区の食堂を利用する。女性達に失礼の無いように注意しろよ。」

中央研究所  2 1 - 2

  ケンウッドが使った「扱い方」と言うのは、検査や診察の時に男性ドーマーの性欲を刺激する恐れのある、彼等の興味を惹くような言動をするな、と言う意味だった。地球人類復活委員会は地球上での職場恋愛を禁止しており、コロニー人がドーマーと交際するのも禁じていた。ケンウッド自身は、職場恋愛を禁止している訳ではなかった。彼は、昔先任者のサンテシマ・ルイス・リンが立場を利用してポール・レイン・ドーマーを愛人にしたことを、今もコロニー人の恥と思っていた。執政官の中には、ドーマーをペットと勘違いしている人間がいることを否定出来ないことも、恥じていた。だから、無闇にドーマーの性欲を刺激する様な言動を執政官たちが取ることを危惧していた。
 ケンウッドは、まだ生まれたままの姿だったセイヤーズに研究所内で被験者が着用する寝間着を渡した。

「これを着て、隣の部屋に来なさい。君は外から戻ったばかりだから、暫くは中央研究所で検査浸けになる。不安を抱かないよう、検査の予定を教える。」

 セイヤーズが寝間着を受け取ると、彼は検査室から出て隣室の事務室に入った。科学者達が検査内容を記録する部屋だ。そこで彼は自らが採取した細胞の記録をして、ロボットに研究室へ運ばせた。そこへ寝間着を着たセイヤーズが入って来た。足にはサンダルだ。
捕らえられたのに抵抗したり逃げようとしないのは、やはりドーマーとして生まれた時から仕込まれているからだろう。大人しくケンウッドが座る机の対面に座った。
ケンウッドは机の上に、検査室で撮ったセイヤーズのレントゲン画像を立体的に立ち上げ、骨格や骨の組織に問題がないことを告げた。筋肉も同年齢の普通の地球人に比べれば、遙かに若い。つまり、ドーマーの肉体そのものだ。
 血液検査の結果はゴーン副長官の分析を待つだけだ、とケンウッドは言った。

「君は普通のドーマーがドームを去って一般人になると、老化が早まると言う事実を知っているだろう?」
「私が普通ではないと仰りたいのですか?」
「ああ、そうだよ。」

 ケンウッドは少し哀しそうに見えた。

「これは一部の幹部にしか開示されていない情報だが、君は進化型1級遺伝子保持者だ。
元は、宇宙飛行士が多くの知識を頭に入れる為に開発された人工的な遺伝子だ。コンピュータ並の量の情報を記憶して、しかも即座に思い出し、応用出来る能力だよ。」
「私はそんなに頭は良くありませんよ。」
「だが記憶力は並じゃないだろう。君の細胞はドーマーとして生活していた頃の情報を元に新陳代謝を繰り返している。だから、普通の地球人より老化が遅い。」
「でも、ドーマーとして歳を取っていけるでしょ?」
「それはまだ誰にもわからない。だから、観察が必要だ。」

 セイヤーズが憂いを帯びた目でケンウッドを見た。

「まさか、私を一生ここで飼うつもりじゃないでしょうね?」
「君が歳を取らないから留める訳ではない。」

 歳を取るのが遅いからドームで「飼う」と言うのであれば、それはローガン・ハイネ・ドーマー一人で十分だ。
 ケンウッドはレントゲン画像を消して、次の画像を出した。染色体だ。

「地球人が男の子しか産めなくなった理由の一つは、地球人の男が保有するX染色体が弱いからだ。それに女性のX染色体が男性のX染色体を拒否するのだ。膣内に入っても、卵子にたどり着く前に、X染色体を持つ精子はY染色体の精子より先に死んでしまう。何故そうなるのか、その謎はまだ解明されていない。ところが・・・」

ケンウッドはじっとセイヤーズの顔を見つめた。

「君のX染色体は、子供になったね?」

 セイヤーズがどきりとした表情になった。冷や汗をかき出した。彼は小さな声で反論を試みた。

「Xなのか、Yなのか、私は知りません。」
「Xに決まっているだろう。」

ケンウッドがぴしゃりと言った。

「レインのはYしか生き残れないのだから。」

 お前が18年前に何をしたか知っているぞ、とケンウッドは暗示した。彼は、両手で顔を覆ってしまったセイヤーズに、はっきりと言い渡した。

「これから、ドームは君の子供を創る。君をコロニー人の女性クローンと掛け合わせる。
ドーマーを種馬にするのは人権蹂躙だとわかっているが、君には地球人の未来がかかっているのだ。女の子が必要なんだ。進化型1級遺伝子が、強いX染色体を子孫に伝えるはずだ。」

 セイヤーズは泣いているのだろう、とケンウッドは思った。涙を流さなくても、心で泣いてる。本人には何の罪もないのに、一生を囚われの身で生きることを強いられねばならない。
 しかし、顔を上げたドーマーは、泣いてはいなかった。何か覚悟を決めた固い表情で、いきなり取引を申し出て、長官を驚かせた。

「私の息子には絶対に手を出さないでください。約束していただけるなら、私は一生貴方方の言いなりになって差し上げます。」


中央研究所  2 1 - 1

「あら、お目覚めね。」

 ラナ・ゴーンが声を出した。器具を片付けるために点検していたケンウッドは振り返った。検査台の上に横たわっていたダリル・セイヤーズ・ドーマーが目を開いていた。眩しそうに一度目を閉じ、また恐る恐る開こうとしているのだった。声がした方へ顔を向ける。

「照明を少し落としてやろう。眩しいだろう。」

 ケンウッドは天井の照明のセンサーに手を振った。スッと光度が落ちた。自然光に近い明るさになった。ケンウッドはセイヤーズの上に覗き込み、マスクを取って顔を見せてやった。

「私を覚えているか? ダリル・セイヤーズ・ドーマー?」

 最後に会ったのは20年前だ。セイヤーズはまだ少年で訓練所の生徒だった。陽気な元気の良い少年で、養育棟から卒業間近で、ドームが広い世界に思えただろう。目を輝かせて走り回っていた。大人になってからは互いに多忙で会っていなかった。
 セイヤーズは暫く彼を見上げて見つめていたが、考え込んでいる表情ではなかった。寧ろ信じられない物を見た、と言う顔で、彼は呟いた。

「18年以上も地球上に残るコロニー人を初めて見ました、ケンウッド博士。」

 ケンウッドは皮肉っぽく笑った。18年以上もいて、まだ女性誕生の鍵を見つけていないのか、と言われたような気がしたが、セイヤーズは勿論そんなつもりで言ったのではなく、重力に耐え抜いて生活しているコロニー人の存在に感心しただけだった。
 ケンウッドは何か気の利いたことを返そうと思ったが、結局皮肉しか思い浮かばなかった。

「初めてではあるまい、君はもっと長く地上にいる男と知り合いのはずだ。」

 セイヤーズがクローンを作らせたラムゼイのことを言ったが、セイヤーズにはピンと来なかったらしい。キョトンとした表情になった。

 ラムゼイがコロニー人だと気がつかなかったのか?

 その時、ラナ・ゴーンが咳払いして存在を男達に思い出させた。彼女はマスクを外し、セイヤーズの視界に入った。

「私は、初めまして、ね、セイヤーズ。副長官のラナ・ゴーン、医学博士です。血液の研究をしています。」

 セイヤーズが驚いた様に目を見張った。そりゃ、美人を見れば驚くだろう、ここは女性の少ない地球だ。
 副長官? とセイヤーズが声を出さずに呟いて、ケンウッドに視線を戻した。ケンウッドは無言で自身を指差して自己紹介した。長官だよ、と。ドームのトップが交代しても地球では大したニュースにならない。それにケンウッドは長官になって15年近く経つ。交代のニュースを聞き逃せば、もう知ることもない。
 へぇ、とセイヤーズが、(ハイネが評した)能天気らしく感心した顔で見返した。
ゴーンがセイヤーズの身体をベッドに拘束しているベルトを外しにかかった。

「検査中に貴方が動いて怪我をしないように、縛っていただけです。自由にしてあげますから暴れないでね。」
「暴れませんよ、ゴーン博士。」

 セイヤーズは彼女の横顔を見て、ちょっと笑った。自身をリラックスさせる目的もあったが、思った通りの感想を口にした。

「綺麗な方ですね。唇が可愛らしい。」

ラナ・ゴーンが少しびっくりして、ケンウッドを見た。ケンウッドは、彼女が今までドーム内に流布する噂を鵜呑みにしていたのだと悟り、誤りの部分を訂正してやった。

「セイヤーズは、女性に関して言えば、ノーマルなんだ。 だから、扱いには気をつけ給え。」

捕獲作戦  2 2 - 7

 科学者達は順番に静かにダリル・セイヤーズ・ドーマーの体を突き回して検体を採取して行った。容器に細胞や体液を入れると順次検査室から退出し、足早に自分達の研究室へと向かった。時刻は夜中だったが、コロニー人は気にしない。
 監視と順番待ちでセイヤーズの頭の位置で立って見ているケンウッドとゴーンは疲れて来たが、残る科学者はダルフーム博士一人になったので、少しホッとした。ケンウッドは見学者席のハイネ局長とターナー総代を見た。呆れたことに、彼等は互いの体にもたれ合うようにして居眠りをしていた。昼間働いているのだから、無理もない。それに彼等は科学者ではないから、人間の体に針を刺して微細な細胞を採る作業を見ていても面白くないのだ。
 気がつくとゴーンも彼等を見て微笑んでいた。
 ダルフームが染色体研究者としてセイヤーズの生殖細胞を採取した。しかしそれを容器に収納すると、ケンウッドに近づいて来た。

「長官、これを貴方が調べてくれませんか?」
「私が?」

 ケンウッドは驚いてドーム執政官の大先輩を見た。ダルフームはケンウッドよりも長くアメリカ・ドームで働いている。重力休暇を上手に取って、地球人と殆ど変わらない程度にこの惑星の引力に馴染んでいる。年齢もハイネより少し若い程度だ。
 ケンウッドは差し出された容器をダルフームに押し返そうとした。

「地球人女性、つまり我々が製造するクローンの染色体に、地球人男性を拒否する何か原因を持つ因子があることを発見したのは、貴方だ。これは貴方が研究するべきです。」
「否、私はもう年寄りです。正直なところ、顕微鏡を覗くのも億劫になって来ています。このドーマーの遺伝子を分析するのにかかる時間を考えただけで、疲れを感じました。これは貴方に託したい。貴方の専門が皮膚の老化に関する遺伝情報であることは知っています。ですが、貴方も遺伝子学者の端くれだ。この稀な遺伝子を分析出来る筈です。どうか、地球を救う鍵を貴方が見つけて下さい。」

 ケンウッドはどうしたものかとゴーンを見た。ラナ・ゴーンが微かに微笑んだ。

「誰が手柄を立てるとか、そう言う問題ではございませんでしょう、長官。」

 彼女はダルフーム博士を見た。

「博士も有名になりたいとか、そんなことを問題になさっているのではありませんよね。」
「勿論です。」
「共同で分析なさっては如何です? 私、予々疑問に感じておりました。何故、ドームの科学者達は自分の部屋から外へ出ようとしないのかって・・・」

 それは分野が違うから、と言いかけてケンウッドは思い直した。ダルフームは年齢の限界を感じているのだ。90歳はこの時代のコロニー人にとって決して「老齢」に入らない。しかし、科学の最先端で働く者にとっては、もう「頭が古い」部類になってしまう。
 ケンウッドはダルフームがまだ差し出したままの容器を手に取った。

「私の知らないことも多いと思います。一緒に分析させて下さい、博士。」

 ダルフームが微笑んで頷いた時、ハイネとターナーが目を覚ました。
ハイネが無遠慮に伸びをして、ケンウッドに言った。

「そろそろ引き上げてもよろしいか、長官?」


2018年10月4日木曜日

捕獲作戦  2 2 - 6

 ケンウッドは研究着に袖を通すのは何年振りだろうと思った。白衣を着て、帽子とマスクを装着し、第一検査室に入った。手術室並の設備が整った部屋で、中央の検査台に男の裸体が横たわっていた。ケンウッド同様マスクと帽子、白衣のヤマザキ・ケンタロウが男の顔にかかった髪をそっと払ってやっているところだった。
 「ヤァ」とヤマザキがケンウッドを見て声を掛けた。

「セイヤーズは健康そのものだよ。放射能の影響も細菌感染もしていない。日焼けして、肌の老化が同じ年代のドーマーより少々早いがね、それでも外で育った一般の地球人よりはずっと若い。」

 ケンウッドはセイヤーズの顔を覗き込んだ。彼等は互いにそれほど親密な関係ではなかった。普通に訓練所の教官と生徒の間柄だったのだ。それでもセイヤーズは印象に残る生徒だった。発想が斬新で、悪戯好き、たまに授業を脱線させて困らせてくれたが、迷惑を掛けられた記憶はなかった。赤味を帯びた金髪と深い緑の目の綺麗な少年だった。今はすっかり逞しい大人の顔になっているが。

 やはり外の生活で相当苦労したのだろうな・・・

 苦労してもドームに戻る気持ちになれなかったのだ。サンテシマから受けた仕打ちがこのドーマーの心を深く傷つけていたに違いない。

 もう安心だ、ここで君を虐める者はいなくなった。これから自由を束縛されてしまうだろうが、安全な生活を保障してやる。

 ケンウッドは心の中でセイヤーズに話しかけた。
 ヤマザキが手袋を脱いで部屋の隅で手を洗っていると、ドアが開いて2人の男が入ってきた。どちらも白衣とマスクを着けているが、帽子は被っていなかった。背が高い方が真っ白な髪のローガン・ハイネ・ドーマーで、低いがっしりした体格の男がジョアン・ターナー・ドーマーだった。遺伝子管理局長とドーム維持班総代表だ。執政官達がこれから捕縛したドーマーにすることを監視するために現れたのだ。
 ヤマザキが彼等にも「ヤァ」と声を掛け、ケンウッドを振り返った。

「それじゃ僕は退場する。遺伝子学者達を呼び込んで良いかね?」
「うん。頼む。」

 ヤマザキはドーマーの代表者達に、おやすみ と言って部屋から出て行った。
 ケンウッドはハイネとターナーを見学者席に案内した。

「18年間外の世界で暮らしたドーマーの体細胞組織を検査する。今迄にも元ドーマー達からサンプルを提供してもらっていたが、今回は進化型1級遺伝子保有者だ、どの学者も興味を抱いている。彼のどこが他の地球人と違うのか調べるのだ。」

 ケンウッドの説明に、2人のドーマーは頷いただけだった。検査され、調べられるのは、ドーマーの仕事だ。駄目とは言えなかった。
 遺伝子学者達が入室して来た。男女の別はわかるが、マスクと帽子で識別が難しい。彼等同士もわかりにくいので、ネームプレートを胸に付けていた。
 一同が並んでドアが閉じられると、ケンウッドはセイヤーズの体の上空に三次元画像を出した。検査項目のリストだ。検体を採取する体の部位、検査の目的、担当者がリストアップされていた。

「検体を採取した者から順次各部署で分析に取り掛かること。余分な細胞、専門外の検体は採らないこと。ドーマーに苦痛を与えないこと。採取によって生じる傷は最小限に抑えること。」

 注意事項を述べたのは、ラナ・ゴーン副長官だった。各研究者達の目をさっと見て、彼女は頷くと、ケンウッドに向き直った。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーの検体採取を開始します。」

 ケンウッドは見学者席を見た。ハイネが頷いたのを見て、ターナーも頷いた。若い総代表には初めての経験だ。ちょっと緊張していたが、ハイネは無視した。何も怖いことはない。セイヤーズも痛みを感じない筈だ。
 ケンウッドはドーマーの代表達から拒否権発動がなかったので、執政官達に向き直った。

「では、開始する。」

2018年10月3日水曜日

捕獲作戦  2 2 - 5

 レインは夜中になる前に山の石造りの家に辿り着いた。家の前にセイヤーズの古い車が駐めてあった。家の中は真っ暗で静かだったが、レインはセイヤーズがそこに居ると確信した。どんなに土地勘があっても夜中に山道を歩いて逃げたりしないだろう。

「俺が声を掛けると、セイヤーズは自分でドアを開けました。俺は、彼を逃したくなかったので、麻痺光線を使用しました。説得する心の余裕はありませんでした。セイヤーズには息子がいますから、そっちも警戒しなければなりません。」

 レインは局長から視線を外した。この先は事実を言いたくなかった。感情の趣くままに、元恋人に暴行を働いたなど、このドームの中で純粋培養された人に告白したくなかった。

「俺は家に入り、倒れたセイヤーズに、彼が危険値S1の遺伝子を持っていることを教えてやりました。何故彼がドームに帰らなければならないか、言い聞かせたのです。それから・・・麻酔を打って眠らせました。
 朝になるのを待ってから、ワグナーをヘリで来させ、セイヤーズを彼に引き渡しました。
 衛星データ分析官が、山中で2人の人影を捕捉したので、ワグナーから遅れて来た部下達を連れて山狩りをしました。」

 レインはまたしても言いたくない箇所に行き着いた。今回の任務の最大の失敗だ。しかし、これはセイヤーズに働いた暴行と異なり、報告する義務がある。

「クローンの少年は実弾の銃を所持しており、抵抗しました。俺が投降を呼びかけても聞こうともせず、数分ほど撃ち合い、部下の誰かが撃った光線が彼の背中に命中しました。その場所が運悪く、崖の縁で・・・」

 思い出すのも嫌だったが、レインはなんとか局長に打ち明けた。

「少年は崖下の川に転落しました。助けようにも川へ降りる足場がなく、水は泥色に濁っていて、少年に姿は直ぐに見えなくなってしまいました。」

 頑張ったが、最後の声は自身でも情けなく思える程弱々しかった。ハイネがカップを机の上に置いた。

「少女は確認出来なかったのか?」
「衛星で捕捉した時は少年と行動を共にしていた筈です。銃撃戦の時も近くに居たと思われますが、姿は見せませんでした。少年を見失った後、周辺を捜索しましたが見つかりませんでした。キエフ・ドーマーにもう一度探させたのですが、物陰に隠れたようで、捕捉出来ませんでした。」

 ハイネが珍しく溜め息をついた。部下の不甲斐なさに溜め息をついたのではなく、地球の未来の希望が手に入らなかった事実を憂いたのだ。だが、実際のところ4Xが地球に何をもたらす存在なのか、まだ誰にも何もわかっていないのだ。だから彼はレインを責めるつもりなど毛頭なかった。
 レインが「以上です」と締めくくったので、彼は頷いた。

「わかった。兎に角君がセイヤーズを確保したことは事実だ。中央研究所は大興奮している。重要なことを彼等は忘れているようだが。」

 彼はレインに優しい声を掛けた。

「ご苦労だった。遅くなったが、今夜はしっかり眠れ。明日は効力切れ休暇だろう? 好きなだけ休みなさい。」


2018年10月2日火曜日

捕獲作戦  2 2 - 4

 直接廊下を覗くことは不可能だったので、レインはあらかじめホテルの室内に備え付けのモニターを廊下の監視カメラに接続してあった。それを見ていると、セイヤーズは指定された部屋のドアをノックして、それからドアの中の人間から見れば死角になる位置に身を寄せた。ドアが開いてハリスが顔を出した、と思った瞬間、セイヤーズがドアの陰から飛び出して支局長の顔面を殴りつけた。そして2人は室内に消えた。

「殴りつけた?」

 ハイネの声が気のせいか面白がっている様に聞こえた。レインは局長があの酔いどれコロニー人を大層嫌っていたことを思い出した。砂漠の中の田舎町に追放されてから、経済的な理由もあるが、ハリスは飲酒をしていない。1日も早くコロニーへの帰還許可を得ようと必死で努力していたのだ。
 レインは言った。

「俺がモニターで見た限りでは、セイヤーズは弾みで殴ったのではなく、計画的でした。ノックした時の返事の声が俺ではないとわかったでしょうし、それより俺が部屋へ誘う筈がないと踏んだのでしょう。」

 部屋の中の様子はわからなかったので、レインはモニターで廊下を見張りながら、支局の保安課に電話を掛けた。腰抜けハリスが1人でホテルに来ているとは信じられなかったのだ。果たして、保安要員が数名ホテルの出口で待機していた。彼等はただ支局長に護衛を命じられただけで、真の目的を知らされていなかった。だから、レインが護衛は本部局員が引き受けるから君達は帰ってよろしいと言うと、喜んでさっさと撤収してしまった。
 保安要員が去ると数分後にセイヤーズが部屋から出て来た。そのまま足早にホテルから出て行こうとしたので、レインは支局長の端末に電話を掛けた。生死を確認する必要があった。しかし、電話に出たのは、ハリスではなく、駐車場に姿を現したセイヤーズだった。レインは彼を引き止める口実を思いつかぬまま、不機嫌なセイヤーズを一旦見逃した。ハリスの無事を確かめる必要がまだ残っていた。
 ハリスは鼻腔骨折で済んでいた。何故脱走者に無断で接触する危険を侵したのかとレインが責めると、手柄を立てて火星に帰りたかった、と答えた。自分でセイヤーズを捕まえられると思っていたのだ。
 レインは彼をホテルの医務室へ連れて行き、手当を受けさせて帰した。全部終わると遅い時刻になっていた。

「俺は取り敢えず部下達をホテルで休ませ、ワグナーにはヘリの用意を命じました。セイヤーズが山の家に帰ったことは彼が盗んだハリスの端末で追跡できましたから。彼を必ず捕まえられると自信がありました。捕まえたらワグナーにヘリで運んでもらうつもりでした。」


捕獲作戦  2 2 - 3

 レインは前日の朝、西へ向かう機内でタンブルウィード支局に電話を掛けた。ダリル・セイヤーズに伝言を依頼したのだ。夕方ボーデンホテルで出会って今後のことを話し合おうと。電話を受けた秘書のブリトニー・ピアーズ嬢は、養子縁組申請者の面談だと思って気軽に引き受けた。レインはホテルのロビーでセイヤーズと会うつもりだった。局員が面談希望者と最初に会うのはホテルのロビーと決まっていたからだ。
 ところが、西海岸での用事を済ませて部下達と共に中西部支局に到着したレインに、ブリトニー嬢が質問して来た。

「面会をお部屋でなさるのは異例ではありませんか?」

 レインは驚いた。そんな指図を出した覚えなかった。誰がそんな指図を出したのかと聞き返すと、彼女は困惑して答えた。

「支局長が、貴方が場所を変更されたので面会希望者に連絡するようにと仰ったのです。私、まだセイヤーズさんに電話をしていなかったので、面会はお部屋でしますと伝えたら、セイヤーズさんも驚かれました。でもフロントで確かめれば良いことだから、と仰って・・・」

 レインがここ迄語ると、ハイネ局長が初めて表情を変えた。訝しげに眉を潜めて呟いた。

「何故ハリスが勝手に面会場所を変えたのだ?」

 しかしレインにその答えを言わせずに、「続けなさい」と促した。それでレインは部下達を支局に待機させたまま、1人でボーデンホテルに向かった、と語った。
 フロントで予約したチームの人数分の部屋が取れていることを確認してから、自分の部屋のキーを受け取ろうとすると、フロントクラークがキーはハリス支局長に渡したと言った。クラークは遺伝子管理局の業務に使うのだから支局長がチーフが常に利用する部屋を知っているのは当然と思っていた。勿論当然なのだが、支局長が無断で先に部屋に入って良い訳がない。
 レインは胸騒ぎがしたので、同じフロアの部屋が一つ空いていることを知ると、そこも借りた。そして部屋へ行って、ドアの向こうの音に注意を集中させた。
 支局に居るワグナー・ドーマーに連絡を入れ、部下達に夕食を摂らせている間に、セイヤーズが駐車場に現れた。窓の外を見ながら食事をしていたレインは直ぐに彼の金髪に気が付いた。日が暮れていたが、歩き方も警戒の仕方もダリル・セイヤーズその人だった。
 セイヤーズが建物に入って彼の視界から消え、待機している3階に上がって来るまで、気が気ではなかった。
 上がって来たエレベーターから誰も降りなかった時は、逃げられたかと思ったが、セイヤーズは階段を登ってやって来た。



2018年10月1日月曜日

捕獲作戦  2 2 - 2

 バスの車内で局員達は通路に置かれたストレッチャーを見ないよう努力した。レインは禁じなかったが、それでもうっかり見たら怒られると言う感じがしたのだ。
 搭乗ウィングに到着すると、保安課のゴメス少佐が空港保安員と共に待ち構えて降り、誰よりも真っ先にストレッチャーを下ろした。そのままレインさえ振り返らずにドームゲートへ運んで行った。レインと局員達はバスから降りて、くたびれた体に鞭打って消毒を受け、出産管理区と医療区のスタッフ専用通路を歩いて遺伝子管理局本部へ向かった。本部は日常の業務をとっくに終えて、受付の職員が入り口のレセプションデスクの向こうで退屈そうに座っていた。北米南部班第一チームが入館すると、彼は「お帰りなさい」と言い、レインに局長執務室へ直行するようにと指示を告げた。
 レインは部下達を振り返った。

「今日は酷い1日だった。君達には情報を分けてやれなくてすまないと思っている。これは中央からの指示があったからだが、俺の身勝手もある。今夜は早く帰って、明日はしっかり休養してくれ。では、解散!」

 局員達はそれぞれ「お疲れ様」と挨拶し合い、受付で帰還チェックを行ってから各自思い思いの方角へ去って行った。夕食は機内で済ませているし、今夜は運動する気力も体力も残っていないだろう。
 レインは1人で本部の奥へ足を向けた。エレベーターに乗って最上階に上がった。局長執務室と内勤の大部屋、内務捜査班の個室、大会議室があるフロアだ。仕事熱心なドーマーも夜は休む。内勤の大部屋も内務捜査班の各部屋も施錠されていた。局長執務室だけが、ドアの青いライトが点灯して、中に人が居ることを示していた。
 レインはドアをノックして、自分で開けて中に入った。秘書を帰した後1人で残る局長は、部下の為にドアを開けてくれない。部下は幹部クラスなら局長の訪問者暗証番号をもらっているので勝手に入れと言う訳だ。
 果たしてハイネ局長は休憩スペースで自分でお茶を淹れているところだった。レインや部下達の報告書には既に目を通している。だから執務室にレインを呼んだのだ。レインは「失礼します」と断って会議机の自分の席に座った。局長がトレイを使わずに直接カップを両手に持って会議机のところへやって来た。湯気の立つカップを前に置いてもらって、レインは思わずホッと肩の力を抜いた。ローガン・ハイネは部下の失敗には怒らない。彼が怒るのは、誰かが自分の命を粗末に扱った結果惨めな結果を招いた時だ。
 レインは礼を言って、カップを手に取り、熱いお茶を一口ゴクリと飲んだ。ハイネは自分のカップを持って自身の執務机にもたれて立った。

「報告せよ。」

 彼の指示はそれだけだった。レインは何から話すべきか機内で考えていた。開口一番、彼は言った。

「4Xの所在の確認を出来ていません。セイヤーズは少女と彼自身の息子を逃したのです。」

 ハイネは何も言わずにレインを見ていた。無言が部下に与えるプレッシャーを十分承知している。仕方なく、レインは詳細を語った。