2018年8月31日金曜日

4X’s 2 4 - 4

 ヴァレリア・サントスがケンウッドを見た。ちょっと悪戯っぽく笑いながら話しかけてきた。

「何故私が彼女の秘書になっているのか、訊かないの、ニコ?」

 ケンウッドは努めてつっけんどんに答えた。

「他人の就職の理由を詮索するほど、私は暇じゃないんだ。」
「でも、大好きなお肌の研究はしていないようね。」

 彼女の皮肉に、ケンウッドは乗せられまいと己に言い聞かせた。彼女は彼を自分のペースに引き込もうとしている。

「大好きな研究をする時間を取る暇もない忙しさだと、気がつかないのかね?」
「・・・そうなんだ。」

 サントスはまだ笑っていた。

「じゃぁ、政治家がイメージ戦略の為にドームを見学するのは、大いにお邪魔でしょうね。」
「当然だろう。」

 しかも、とケンウッドは心の中で毒づいた。よりにもよってあの女とこの女だ・・・。
彼はガラス壁の向こうの景色に注意を向けた。

「おい、カメラの用意は良いのか? ケプラー議員が着替えて登場したぞ。」
「ご指摘、有り難う。」

 サントスが掌サイズのカメラをガラスの向こうへ向けた。議員がアイダ博士とゴーン副長官に挟まれる形で保育室に入り、赤ん坊を1人1人順番に眺めていくのを撮影した。議員は男性支持者を虜にする魅力的な笑顔を絶やさなかったが、秘書はちょっと不満顔だった。

「赤ちゃんを抱き上げてくれれば良いのに・・・」
「それは駄目だ。規則で禁止されている。」

 ケンウッドがやんわり彼女を制した。

「担当スタッフと母親以外は赤ん坊に触れないことになっている。」
「ふーーん・・・ここ、結構厳しいのね。貴方には丁度良いのかも知れないけど。」
「私に丁度良いって?」

 彼は彼女を見た。

「私が厳しさを好んでいると?」
「貴方は真面目なの。厳しいんじゃなくて・・・」

 ケプラー議員がこちらを向いた。ケンウッドとサントスが会話をしているのを見て、微かに眉を顰めた。サントスが彼女に微笑みを送ったので、議員もニッコリした。
 ケンウッドはサントスの希望を叶えてやることにした。

「君が彼女に売り込んだのかい? それとも彼女が君を拾ったのかな?」
「失礼な物言いね。」

 サントスはちょっと剥れて見せた。そして意味深に彼を見て言った。

「お互いに一目惚れしたのよ。」


2018年8月30日木曜日

4X’s 2 4 - 3

 ソフィア・ケプラー議員は秘書ヴァレリア・サントスを振り返った。

「地球はお昼だそうよ、ヴァレリア。」
「月を出る前に夜食を頂いたばかりですけどね。」

 彼女達が笑ったので、ケンウッドとゴーンも笑い、少し和やかな雰囲気になった。ケンウッドが微笑みを残したまま提案した。

「では、見学を優先しましょう。まず、出産管理区を通ります。大きな施設ですから、歩き疲れたら仰って下さい。輸送班のエアスレーで移動できますから。」

 初めて地球に降りて来た客人は殆どがエアスレーを所望する。重力で体が重たくなるからだ。ケプラー議員は宇宙のファッション雑誌に取り上げられる鍛え上げられた肉体の持ち主で、体力に自信があるのだろう、歩いてみます、と言った。
 出産管理区のその日の責任者は副区長のシンディ・ランバート博士だった。しかし彼女の業務に支障が出てはいけないと言う、来客ではなく身内への配慮から、待機していたアイダ・サヤカ区長が応対した。ランバートが接客を苦手とすることを知っているケンウッドとゴーンはその気持ちに感謝した。来客の見学の案内に慣れているアイダは、出資者様の見学の時とは違って簡単に、素人にも分かりやすく説明しながら出産に備える地球人の女性達をガラス壁越しに見せた。順調に行っている場所だけを見せたのだ。これが出資者様相手だと、そうは行かない。彼女は遠慮なく問題点を挙げ、その解決の為の予算を見積もって見せ、何としても寄付をもぎ取ろうと努力するのだ。しかし連邦の議員はお金をくれるでもなく、問題解決の為に動いてくれるのも期待出来ない。だからアイダは施設の良いところだけを見せた。議員の見学の様子は秘書が撮影している。後日メディアに公開されるだろう。宇宙連邦の住民に、地球人類復活プロジェクトが無駄でないことを見せるのだ。
 ケンウッドはケプラーとサントスはどこで知り合ったのだろうと考えていた。彼が最後に出会った時、ケプラーはジャーナリストを目指す学生で、サントスは商社に勤めるビジネスウーマンだった。ケプラーはともかく、サントスは政治に興味がなかった筈だが?
 新生児の保育室でケプラーは、昔の彼女を知っているケンウッドを驚かせた。赤ん坊に興味を示して、抱っこしてみたいと言い出したのだ。アイダは、それならもう一度消毒を受けてから、ガラス壁の向こうへ行きますか? と尋ね、議員は頷いた。ゴーンも一緒に行くと言い出し、ケンウッドとサントスが通路に取り残された。 

2018年8月29日水曜日

4X’s 2 4 - 2

 ケンウッドとゴーンは送迎ゲートで宇宙からの来客を出迎えた。ソフィア・ケプラー議員は女性秘書を連れていた。秘書も訪問申請をしていたので、ドームに入れたのだが、その顔を見て、ケンウッドの顔面が蒼白になったことにゴーンは気が付いた。小声で名前を呼んで彼の注意を現実に引き戻した。

「長官、大丈夫ですか?」
「え? ああ・・・」

 ケンウッドは消毒が済んだ手荷物を返してもらっている2人の女性を呆然と見つめていた。ゴーンは彼がどちらの女性に驚いたのだろうと考え、議員の来訪は予め知っていたのであるから、秘書が原因だな、と思い至った。
 議員と秘書は同年輩と思えた。どちらも意思が強そうに見える。ゴーンはちらりと端末で秘書の氏名を確認した。ヴァレリア・サントス。経歴を見る時間はなかった。
 2人の客が、長官と副長官の側へやって来た。 ケンウッドが人懐こい顔に珍しく無理やりと言った雰囲気の微笑みを浮かべた。

「南北アメリカ大陸ドームへようこそ。」
「こんにちは、ケンウッド長官。」

 ケプラー議員は業務用の微笑みで返し、彼等は握手した。それから、彼女がゴーンを見たので、ケンウッドは副長官を紹介した。女性達は握手して、それから議員が秘書を振り返って紹介した。

「私設秘書のヴァレリア・サントスです。この度は彼女にも許可を頂いて、感謝しています。秘書がいるのといないのとでは、私の仕事は進み具合が違いますから。」
「よろしく、ミズ・サントス。」

 ケンウッドが用心深く差し出した手を、サントスがしっかりと握りしめた。

「こちらこそ、長官。」

 彼女はケンウッドの目を覗き込む様に見つめて微笑んだ。ケンウッドがやや退いた感じがした、とゴーンは思いながら、彼女もサントスの握手に応じた。それから今後のスケジュールを考えながら尋ねた。

「到着されて早々ににこんな質問をするのもなんですが・・・」

 彼女は精一杯お愛想笑いを続けた。

「先ずはお昼になさいます? それとも見学を優先されますか?」

2018年8月28日火曜日

4X’s 2 4 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは1日でも早く石小屋の男の正体を確認しに行きたいのだろう、大人しく静養し、内勤に励んでいた。体内の薬品が抜ける速度は変わらないとヤマザキ・ケンタロウは言ったが、レインは真面目に勤務すれば恋人に必ず会えると思っているのだ。

「健気だわ。」

とアイダ・サヤカがその話をヤマザキから聞いて感想を述べた。ヤマザキは、

「彼が何時外に出かけられるか、それは局長次第だよ。」

と言った。

「医療区が足止めできるのはせいぜい4日だからね。ドーマー達には6日と言ってあるけど。」
「無理させないでね。」

とアイダは母親の気持ちで言った。

「ダリル坊やに会えてもポールが体を壊していたら、元も子もないわ。」
「レインは雑菌を怖がるくせに、自身の体力低下は気にしないからなぁ。」

 ヤマザキはアイダが提出した出産間近の女性達の名簿に目を通した。心臓に問題を抱えている女性が1人いた。アイダは彼女の備考欄に「無重力分娩を推奨」とコメントしている。

「無重力分娩を希望しているのは、本人かい?」
「いいえ、私達スタッフの方ですよ。地球人が開発した分娩方法ですけど、現代の地球人は成層圏まで出かけられないでしょう、だから地球上ではこの方法は廃れてしまって、知っている人が少ないの。」
「本人には説明した?」
「先にこちらの準備態勢を整えてから、奨めようと思っているの。絶対に安心出来ると思わせないと、向こうは承知しないもの。」
「そうだな・・・うん、こっちは何時でも対処出来るよう、クック博士やチー博士に声を掛けておく。無重力室は重力障害予防に使うので、何時でも空けられるよ。」
「有り難う。早速シンディに伝えておくわ。今夜から彼女の担当になるの。私はサポート待機。」
「アパートに帰るのかい?」
「そうしたいけれど、問題を抱えている妊婦がいるから、出産管理区の仮眠室よ。」


2018年8月26日日曜日

4X’s 2 3 - 8

 笑ってしまうと、ちょっと大胆になった。ケンウッドはテーブルに体を乗り出して、小声で2人に言った。

「一両日中に、宇宙連邦議会の議員がここを訪問する予定なんだ。」
「議員? 何しに?」
「女性ですか?」
「厚生福祉委員会の役員をしているソフィア・ケプラー議員だ。」
「知らんなぁ・・・」
「君は政治に興味がないからなぁ。」
「美人ですか?」
「ハイネ、君はそっち方面しか興味がないのかね?」
「ドーマーが宇宙のことを質問したら叱られるじゃないですか。」
「そりゃそうだが・・・」
「ですから、議員個人のことだけ訊いています。」
「美人かどうかわからんが・・・」

 ケンウッドは端末に議員の画像を出してハイネに見せた。ヤマザキが横から覗き込んで、「ああ」と呟いた。

「連邦議会の予算案の攻防戦で、3日前に財務委員会相手に演説をまくし立てていたオバさんだな。」
「オバさんって・・・」

 ケンウッドは哀しい気分になった。

「私等と同世代だよ、ケンタロウ。」
「知ってるよ。僕等は立派なオッサンだしな。」
「私は爺いです。」

 ケンウッドとヤマザキは彼等より10歳は若く見える100歳の爺さんを見た。

「誰も君を爺さんとは思わないよ、ハイネ。」
「でもケンタロウは言いますよ。」
「ケンタロウは無視してよろしい。」

 ヤマザキがこほんと咳払いした。

「話を元に戻して、その議員は何しに来るんだ?」
「ただの見学だよ。地球人類復活委員会はちゃんと仕事してます、と言うのを見にくるだけだ。それをマスコミが取材して、議員はちゃんと仕事してます、と宇宙の住民に見せるのさ。」
「それだけ?」
「うん、それだけだ。」
「おもてなしとか?」
「ない。ドーマーとの触れ合いもない。出産管理区とクローン製造部を見学して、中央研究所をちょっと見て、それで終わりだ。」
「するとお泊まりもなしか?」
「ない。」

 ケンウッドは議員が余計なことを思い出さねば良いが、と思った。


4X’s 2 3 - 7

 夕食は長官、副長官、それぞれ別々だった。ゴーン副長官は仲が良いクローン製造部の女性達と中央研究所の食堂へ行った。ケンウッドはいつもながら1人で一般食堂へ行き、そこでローガン・ハイネとヤマザキ・ケンタロウに合流した。3人で他愛ない世間話をしながら食事するのは楽しかった。ケンウッドの一日の息抜きの時間だ。

「ハイネときたら、テントが2つと聞いて、サヤカと2人で1つを使えるものと思い込んでいたんだから。」

 ヤマザキがからかうと、ハイネはムスッと拗ねたふりをした。

「同じ大きさのテントが2つで、人間が4人いたら、2人ずつ分かれるのが筋でしょう?」
「同じ大きさなんて僕は言わなかっただろう? 大きな4人用テントと小さな1人用テントだ。」
「当然、1人きりの女性が小さいテントを使う訳だね。」

 ケンウッドは、がっかりしたハイネの顔を想像して笑った。ヤマザキがハイネのグラスに葡萄ジュースを注いでやりながら付け加えた。

「君とサヤカと僕の3人だけなら、僕が小さなテントで寝ても良かったんだけど、マーランドもいたからなぁ。彼の目の前で君とサヤカが1つのテントで寝るのは、やっぱり拙いよ。」

 ふくれっ面をして見せるハイネに、ケンウッドもヤマザキも笑った。ハイネがキャンプに参加したのは、アイダ・サヤカとテントで寝るのが楽しみだったのだな、とケンウッドは悟った。ボルダリングもトレッキングも料理も、彼にとっては「いつでも出来ること」で「どうでも良いこと」だったのだ。多忙な出産管理区長と一緒に遊びに行ってお泊まり出来るのは「滅多にないこと」だ。局長は妻と遊びたかった・・・。
 ハイネがからかわれた仕返しとばかりに、ヤマザキに質問した。

「ドクター、一番新しい彼女との仲はどこまで進みました?」

 ヤマザキがむせた。ケンウッドが興味津々で尋ねた。

「一番新しい彼女? あの赤毛のミトコンドリアの研究をしていた彼女とは違うのかね?」
「赤毛の彼女とは3ヶ月前に別れて、今度はブルネットの女性を口説いていると聞きましたが?」
「赤毛のサンディとはまだ続いているよ。ブルネットの子は・・・ちょっとしたおふざけで・・・」
「ケン・・・いい歳して、そろそろ落ち着けよ。」
「ケンさんに言われたくないね。君だって独身じゃないか。」
「結婚していないからって、落ち着いていないとは限らんだろう?」

 するとハイネが思わぬ方向からケンウッドを攻撃してきた。

「長官には好きな女性はおられないのですか?」
「私に?」
「貴方は異性愛者ですよね?」
「そうだが・・・常時誰かを愛していなきゃならんことはない。」
「だけどケンさん、このドームに赴任して来てから一度も浮いた話がない。」
「それがなんだね?」

 ヤマザキがじっとケンウッドの顔を見つめて呟いた。

「不自然だ。」
「はぁ?」
「君は健康で、性格も良いし、顔だって人並みに男前だ。」
「なんだ、その人並みにってのは?」
「まぁ、そこそこって意味だ。それなのに、女性との浮いた噂がないのは不自然だよ。」

 なぁ、と彼はハイネに同意を求めた。お誕生日ドーマーで多くの女性執政官と遊んで来たドーマーの長老は声をたてずに笑っただけだった。
 ケンウッドはうんざりした表情を作って見せた。

「私は女性と遊ぶより研究の方が面白かったんだよ。」
「今、研究なんかしてないじゃん。」
「うう・・・それを言われると辛い・・・」

 3人は大笑いした。



4X’s 2 3 - 6

 ニコラス・ケンウッド長官は、地球人類復活委員会本部からの通知内容に頭を悩ませていた。月から来る連絡にロクなものがない、と言うのが彼の認識だった。
 ラナ・ゴーン副長官もケンウッドが転送した通知を見て、ゲンナリした表情を見せた。彼女は月での勤務期間が長かったが、その通知内容は月に居たとしても喜べないものだった。

「宇宙連邦議会のソフィア・ケプラー議員が、一体何の目的でこのドームを訪問なさるのです?」
「ただの見学だよ。連邦が地球人類復活に協力していることを宇宙に宣伝するためさ。」

 宇宙連邦は地球人類復活委員会に出資している訳ではない。そんなお金の余裕はない。しかし、宇宙連邦の防衛の為に、戦略的に利用出来る進化型1級遺伝子のストックを地球人に託しているし、地球の資源は広大な宇宙連邦にとっても無視出来ない価値がある。それに地球は現在でも人類の心の拠り所だ。だから、議会は地球が正常の状態に戻りつつあることを確認して、安心したい。
 政治家の相手は苦手だ、と言うのがケンウッドとゴーンの共通の思いだ。そしてケンウッドには更に個人的な思惑があった。
 ソフィア・ケプラーは彼の旧知だった。それもただの旧知ではない。だが彼はゴーンに彼女との関係を教えるつもりはなかった。遠い昔の出来事だ。向こうは思い出したこともなかったかも知れない。アメリカ・ドーム長官が彼女の旧知だと気がつかないかも知れない。

 互いに歳を取ったしなぁ・・・

 ゴーンが質問した。

「おもてなし、どうなさいます?」

 ケンウッドは我に帰った。ゴーンを振り返ると、副長官は画像の中の議員よりずっと美人だ。当ドームの女性ドーマー達も美人揃いだ。昔の思い出に浸る必要も暇もない。

「おもてなしは、不要だよ。」
「でも・・・」
「連邦政府の広報として、彼女自身の選挙活動の一つとして、宣伝材料を集めに来るだけだ。ただ、見られて不味いものは隠さないとね。男性同士のカップルは宇宙でも珍しくないが、これ見よがしにいちゃつかれては困る。女性誕生の為の研究機関なのだから、コロニー人も地球人も一丸となって努力しているところを見せないと・・・」
「それでしたら、地球人側は問題ありませんわ。」

 ゴーンが苦笑いした。

「執政官達、特にレインのファンクラブに自重してもらわないと・・・」

2018年8月25日土曜日

4X’s 2 3 - 5

 ローガン・ハイネ・ドーマーは決して堅物ではないし、ユーモアのセンスも十分持っている。たまにその感覚が古くて、若者にはダダ滑りになることもあるが・・・。
 レインは笑うべきなのか、真面目に受け取るべきなのか、一瞬悩んだ。彼がすぐに反応しなかったので、ハイネが説明を追加した。

「彼は18年間外で暮らしているのだから、『通過』は不要の体になっているだろう。」
「しかし・・・」

 レインはやっと局長が本気で言ったのだと理解した。

「まだ彼だと確認した訳ではありませんし・・・」

 するとハイネは何をグズグズ言っている、と言いたげな顔をした。

「君が自分で行って確認して来い。会って彼だと確認したら、その場で任務を命じて働かせろ。」

 レインは何も言い返せなかった。ローガン・ハイネが具体的に何をどうせよと命令するのは初めてだ。少なくとも、彼は初めて直接命令を受けた。
 レインは背後を振り返り、秘書が2人共帰宅していることを知った。これは、間違いなく極秘指令だ。
 もし山の中の石造りの家に住んでいる男が、ドームが探している男でなければ、それっきり忘れれば良い。レインの勇み足だと言われることはないし、誤認だと思われることもない。
 もし男が本物のダリル・セイヤーズで、レインに見つかったと悟って逃亡してしまったら・・・レインの失敗は局長しか知らない。或いは、レインは人違いだったと報告して済ませることだって出来る。
 セイヤーズが逃げないで、しかし命令を拒否すれば、レインは彼を逮捕すれば良い。或いは子供を捕まえて言うことを聞かせるか?
 何れにせよ、ハイネ局長は極秘任務にすることで、万が一の失敗に備えてレインに逃げ道をこしらえてくれたのだ。

「もしセイヤーズが少女を発見したら、すぐに捕まえ・・・いえ、保護します。その前に・・・」

 レインは言った。

「セイヤーズを働かせる条件を考えておくべきだと思いますが?」
「あの男は子供と暮らしているのだったな?」
「はい。」
「子供は遺伝子管理局に登録されていない違法出生児だ。」
「そうです。」
「もうすぐ18歳になるか?」
「その筈です。セイヤーズが逃げて1年程で生まれているのであれば・・・」
「それ迄に正規登録の子供として証明書を発行してやると言うのはどうだ?」

 ハイネは思いつくままに言った。

「セイヤーズは証明書偽造の手順がわかるだろうが、作る道具を持っているだろうか? 運転免許証や、ID、それに端末も持っていないのではないか? 普通に人並みの生活に必要な証明書類を、君の権限で作ってやると言う条件を提示してはどうか?」

 ああ、とレインは納得した。

「それは遺伝子管理局のチーフなら当然出来そうなことですね!」

 ハイネが頷いた。

「具体的なことは君の裁量に任せる。少女を確保したら、セイヤーズも逮捕せよ。」
「はい。」

 レインは何だかすごく嬉しかった。




4X’s 2 3 - 4

 ポール・レイン・ドーマーは、ドームの内外で多くの男達と握手して来た。殆どの者が、美しい彼と握手出来たことを感激して喜ぶのを見てきた。彼は何故彼等がそんなに感激するのか理解出来ないでいたが、今目の前で部下のジェラルド・ハイデッカー・ドーマーが局長ローガン・ハイネ・ドーマーに握手を求められ、感激するのを見て、当然だと思っている自分に驚いた。滅多に会えない人、会えても話しかけるのに気後れしてしまう程相手が上位にいる場合、向こうから握手を求めてくれたら、本当に舞い上がってしまうだろう。
 ハイデッカーは話し合いで除け者にされることを素直に容認してしまい、感激したまま局長執務室を退室して行った。
 局長は部下にどんな心理的影響を与えたのか、全く気がつかずに机の向こうの席に戻った。「さて」と彼はレインに声を掛けた。

「君は私が何を思いついたのか、察しがついたようだな?」
「局長の思いつきですか?」

 レインはびっくりした。

「否・・・俺はただ、局長が俺に何か提案なさりたいことがあるので、ハイデッカーを帰らせたのだと思っただけです。」

 ハイネが声を立てずに笑った。

「ハイデッカーには知られたくなくて、君だけに提案したい案を私が思いついたと?」
「違うのですか?」
「全く・・・君は接触テレパスを使わなくても人の心が読めるのだな。」

 レインは頰が熱くなるのを感じた。

「4Xの捜索に、時間制限がないドーマーを使いたいとお考えなのでは?」
「うん。」
「南部班の中から『通過』を済ませた局員を集めましょう。」
「そんなに大勢は要らないだろう。」
「しかし、砂漠は広いです。」
「探すのは、クーガー・メンタル・クリニックとその周辺だけだろう。」
「街に逃げ込んだ可能性もあります。」
「君がそう考えるなら・・・」

 現場を知らないハイネはあっさり譲った。

「だが、使うのは1名だけで良い。」
「1名ですか?」

 レインは最も信頼が置ける『通過』経験者を頭に思い浮かべた。部屋兄弟で副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーしかいない。しかし、ワグナーにはチーム・リーダーとしての仕事もある。チーフの副官でチーム・リーダーで、しかも秘書を持たないレインの助手もしている彼は余りに多忙だ。他の部下を順番に思い出そうとしているレインを見て、ハイネがクックと笑った。

「君は重要な男を忘れているよ。」
「・・・と仰いますと?」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは真っ直ぐにポール・レイン・ドーマーを見つめて、その男の名を呼んだ。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。」



2018年8月24日金曜日

4X’s 2 3 - 3

「しかし、制作過程を記録している訳ですから、女の子を量産出来たでしょう? メーカーとして儲けたんじゃないですか?」
「それが、4Xは1人きりだ。あの娘1人だけ・・・」

 レインはまた局長を振り返った。

「局長、ベーリングは遺伝子組み替えの記録も残していないのではありませんか?」
「うん・・・どのファイルを見ても、女子誕生に繋がる記録がない。破棄したのか、或いは・・・」

 ハイネ局長が複雑な表情をした。

「女子の誕生は全くの偶然で、記録し損ねたのかも知れない。」
「そんなことってあります?」

 ハイデッカーが呆れた声を出した。

「科学者は自分の研究過程を記録するのが常識でしょう?」
「メーカーに常識を求めるなよ、ジェラルド。」

 レインが苦笑しながら言った。

「記録がないってことは、女の子はあの4X1人だけだ。だから、ベーリングは命懸けで娘を取り返そうとしたのだろう。」

 ハイデッカーは局長が一瞬何か言いたそうにレインを見たのに気が付いた。しかしハイネは結局レインの言葉にコメントせずに憶測だけを言った。

「その女の子は銃撃戦から逃れて隠れている可能性が大きいのだな?」
「死亡者の中にいませんし、逃げた連中が連れて行った様子もありません。そうだな、ジェラルド?」
「ええ・・・兵隊どもは砂漠に散らばりましたが、警察が来るまでに我々が見張っていた限り、女性の姿はありませんでした。」
「すると、まだ建物の中にいるのか?」

 ハイデッカーは自身の端末でクーガー・メンタル・クリニックの構造図を探した。

「違反行為を生業としていた連中ですから、建物には隠し部屋がいくつかありました。少女はそれらの部屋を移動して上手く隠れているのでしょう。食糧も残っていましたから。」
「だが、籠城出来る時間はそんなに長くないぞ。」

 レインはドームの外の雑菌だらけの空気を考えた。

「食べ物の鮮度はそんなに長く保たないだろう。水もポンプが止まっていたから、一週間もすれば涸れる。女の足であの砂漠を街まで歩けやしない。」

 ハイネ局長はちょと考え込んだ。レインもハイデッカーも暫くはドームから出せない。抗原注射接種の間隔を開けなければならないからだ。それに一箇所の支局に一つのチームが固定して出張るのも先例がない。第4チームは次の出動でフロリダ方面へ行く予定になっていた。
 局員には本来の業務がある。一般住民の婚姻や養子縁組や子孫登録などに関する事務処理や面接だ。メーカーの捜査はその合間にする仕事で、詳細を掴めていない少女の捜索に貴重な部下の時間を使わせたくない、と言うのが局長の本音だった。
 ふと、彼は何かを思いついた。部下を見て、彼はハイデッカーに声を掛けた。

「今日は休暇なのに呼び出してすまなかった。今夜はここ迄にしよう。ゆっくり休みなさい。」

 え? もう終わり? と言いたげな顔で、ハイデッカーは直属の上司レインを振り返った。レインもいきなりの終了宣言にちょっと驚いて局長を見た。ハイネが微かに首を振って何かの合図を彼に送った様に見えた。レインは、局長が言いたいことを悟った。チーム・リーダーに向き直り、彼は言った。

「ジェラルド、今夜はご苦労だった。一緒に夕食でもと思っていたのだが、別件で局長にお聞きしたいことを思い出したので、先に帰ってくれ。この件で何か進展があれば、君が別の地方にいても必ず連絡する。君が始まりを目撃した事件だからな。」

 ハイデッカーも馬鹿ではない。上司達はこれからもっと踏み込んだ話し合いをするのだな、と悟った。余計な口を挟まない、上位の者の話し合いに首を突っ込まない、それがドーマー達の暗黙のルールだった。彼が立ち上がると、畏れ多くも局長も立ち上がり、お休みの握手をしてくれた。

2018年8月23日木曜日

4X’s 2 3 - 2

 「4Xを守って?」

とハイネ局長が呟いた。レインが局長を振り返った。

「まるで人のことを言っている様に聞こえますね。」
「うん・・・」

 ハイデッカーは局長がコンピュータをただ眺めているだけではないことに気が付いた。何かの書類を読んでいるのだ。

「世間で流布している方程式ではないだろう。」

 ハイネはやっと顔を上げて、2人の部下を交互に見た。

「押収した書類のどこを見ても、方程式などない。」
「局長、ええっと、それは・・・?」

 ハイデッカーの質問に、レインが答えた。

「局長が目を通しておられるのは、君がベーリングの研究所で押収したベーリングのファイルだ。4Xを開発したと豪語した当人のファイルに、肝心のものが1行も書かれていないのだよ。」
「それは・・・?」
「ベーリングは方程式など持っていなかったのだ。」 

レインがハイデッカーに尋ねた。

「君は2人目の女性の発見には至らなかったんだな?」
「はい・・・ベーリングのアジトから連れ去られるのを見た時は、確かに2人いたのです。マルセルと彼女より若い女性、恐らくまだ未成年なのではないかと・・・」

 するとレインが自身の端末を出して画像を検索した。1人の少女の顔写真を出して、ハイデッカーの前に突き出した。

「この娘か?」

 ハイデッカーの目が丸くなった。

「そうですっ! この少女です! チーフ、どうして彼女の写真をお持ちなんです?」
「俺が持っていたんじゃない、ラムゼイの資料の中にあったんだ。」

 レインは写真を局長にも見せた。ハイネは端末の画面の中の少女を眺め、呟いた。

「普通の女の子に見えるが?」
「そうです。しかし、この娘が4Xなんです。」

 局長と第4チーム・リーダーが物問いたげにレインを見つめた。レインは種明かしをした。

「ラムゼイのアジトの銃撃戦で生存者が1人います。今日の昼に、病院へ行くと意識を取り戻したところでした。医師がまだ話は出来ないと言うので、接触テレパスを使いました。」

 レインは怪我人の腕に指を置いて質問した。怪我人の身元は遺伝子鑑定で判明したが、一応名前を尋ねた。怪我人は当然口をつぐんでいたが、レインがアダムとファーストネームを呼ぶと諦めた様な表情になった。クーガー・メンタル・クリニックの経営者の名前を尋ねると、ヴィンス・パーカーと言う名前をアダムは思い浮かべた。しかし、彼の脳裏に浮かんだ顔は、1人の老人だった。レインがドームのライブラリで見た「死体クローン事件」の中心人物だった遺伝子学者が歳を取ったと想定した顔、そのものだった。
 レインが「サタジット・ラムジーだろう?」と尋ねると、アダムはただ困惑した。ボスの本名も正体も知らないのだ。接触テレパスでは嘘は見えない。
 レインはアダムがベーリングのアジトから拐った女性のことを尋ねた。アダムは2人の女の顔を思い浮かべた。ベーリングの女房と、4X、と彼の心は呟いた。

「少女の顔を思い浮かべて、あの男の心は4X、4Xと繰り返していたのです。」

 ハイデッカーが困惑した顔で尋ねた。

「4Xは、少女の名前・・・呼び名なんですか?」
「あのアダムと言う男はそう呼んでいた。彼女はベーリングの妻が産んだのだ。ベーリングは娘をXの4倍体だと宣伝していたらしい。何故、そんな遺伝子の多倍体が誕生したのか、説明はなかった。しかし、事実、それは人間の姿で産まれ、人間として成長した。
ベーリング夫妻はその子供を研究室の中で極秘で育てていたのだが、どこかで情報が漏洩し、世間、この場合はメーカーの世間だが、の知ることとなった。
俺達は情報の真偽の確認に手間取り、その隙にラムゼイに先を越されたのだ。ラムゼイは力づくでも手に入れる価値が、その少女にあると考えた。」

 レインはハイデッカーにそう語り、局長を振り返った。

「Xの4倍体は手下の命を賭けて手に入れる価値があるのでしょうか?」

 ドーマー達は互いに家族だと思っている。仲間の生命の危険を冒してまで手に入れる価値があるものなど、思いつかない。そんなものが存在するとは信じられない。
 ハイネは肩をすくめた。

「染色体異常は現代では妊娠が確認された時点で、ドームに収容されて治療されるので、誕生後の生活に支障は出ないし、奪い合う様なものではない。起きる確率が希少だと言うだけだ。
 4倍体と言うのは、ベーリングが宣伝していただけで、証明した訳ではないだろう?宣伝する目的がわからない。恐らく、女の子が生まれた理由を誤魔化す為に、そう言ったのではないのか。」
「誤魔化す?」
 
 ハイデッカーが何か閃いた様だ。

「局長、もしや、4Xは遺伝子組み替え人間ではありませんか? 宇宙ではどんどん作っている様ですが、地球では禁止されています。」
「そうか・・・」

 とレインも頷いた。

「地球では人間の遺伝子組み替えは大罪です。ベーリングは念願の女子を作ってみたものの、公表する勇気がなかったに違いない。だから4倍体と誤魔化したんだ。」


2018年8月22日水曜日

4X’s 2 3 - 1

 北米南部班第4チーム・リーダー、ジェラルド・ハイデッカー・ドーマーは局長執務室に入ったのはこれで生涯3度目だな、と思った。最初は入局式で、2度目はチーム・リーダーに任命された時。人生の節目に局長執務室に呼ばれると思っていたが、今回は違った。業務報告の詳細な解説をしなければならない。
 執務机の向こうのハイネ局長はコンピュータの画面を眺めながら彼の説明を聞いていた。本当に耳を傾けてくれているのかと疑ってしまう程、ぼーっとした表情だ。しかし、机のこちら側に座っているチーフ・レインは外から戻ったばかりで疲弊した様子だったが、真剣な目でハイデッカーを見ていた。チーフは局長がやる気無そうな態度を見せても苦情を言わないし、非難の目で見ることもない。だから、局長は普段からこんな様子なのだろう。
 ハイデッカーが説明を求められたのは、ラムゼイの特別室に入った時の室内の様子だった。ラムゼイ側の人間とベーリング側の人間が倒れていた位置、遺伝子管理局と警察が踏み込んだ時にまだ息があった人間の様子、等。

「マルセル・ベーリングは私が側へ近づいた時、まだ生きていました。」

と報告書には書かなかったことを彼は語った。

「私はてっきり彼女が死んでいるものと思い、俯せになっていた彼女の体を仰向けにしようとしたのです。肩をつかもうとしたら、いきなり腕を掴まれました。正直、驚きました。もう少しで声を上げるところでした。でも、彼女の手は力が弱く、すぐに床に落ちそうでした。
 私は気を取り直して、彼女の手を握って、もうすぐ救助が来るから頑張れと言ってやりました。体の下に溜まった血の量を見て、救助は間に合わないとわかったのですが、彼女を突き放すことは出来ないと思ったのです。
 彼女は私が誰だかわからなかったと思いますが、敵ではないと思ったのでしょう。私にこう言いました。
『4Xを守って』と。
 4Xとは何かと訊こうとしましたが、彼女の手から力が抜けて、床に落ちました。端末で確認する迄もなく、亡くなったのだとわかりました。」

 ハイデッカーは直ちに警察官を呼び、マルセルの体を署へ搬送するよう要請した。貴重な女性の遺体を放置して別のメーカーに盗まれてはならない。

4X’s 2 2 - 9

 地下の廊下の突き当たりに目立たない扉があった。スコットフィールドがその扉を押し開けた。
  
「多分、ここはラムゼイの特別な部屋だったのでしょう。」

 毛足の長いカーペットとどっしりとした執務机、両側の壁を埋め尽くす書棚、机の向こうはガラス壁で、掘り下げて造られた庭と岸壁から生える萎びた観葉植物が見えた。明るいのは、庭が天井のない吹き抜けになっていたからだ。
 床の血痕や死体マーカーを無視すれば、心地よい部屋なのだろう。ラムゼイがここで研究していたと言うより、上客と契約を交わす為の部屋に違いない、とレインは思った。

「ここにあった資料は重要かと思えたので、昨日のうちに回収してあります。アタシが見てもチンプンカンプンなので、遺伝子管理局に渡しましたけど・・・」
「それで結構です。多分、俺が見てもわからないと思うので、ドームの学者先生達にお任せですよ。」

 床にはファイルから溢れた書類や、ガラスの破片が飛び散っているので、レインとスコットフィールドは用心深く歩いた。

「ラムゼイ自身が研究に使っていた部屋はあるんですか?」
「それは多分、こっちですよ。」

 2人は一旦その明るい部屋を出て、別の部屋に入った。そこはレインにとって見慣れた風景の空間だった。フラスコ、試験管、顕微鏡、DNA分析器、コンピュータ・・・どれも壊されていたが、ドームの中央研究所みたいだ。

「ラムゼイが何者かと言う手がかりはないんです。」

とスコットフィールドが忌々し気に言った。鑑識が集めた証拠物件をこれから分析するのだが、手応えがあるものが見当たらないと言う意味だろう。
 レインは唯1人の生存者がまだ意識を取り戻さないことを思い出した。接触テレパスで情報を集めたいのが、昨日は医師が面会を許さなかった。レインが現地で捜査出来る時間は後1日だ。ドームに帰れば次に外出許可が出るのは10日後になる。ヤマザキ医療区長はハイネ局長の要請を請けた時に、「一回切りだ」と念を押したのだ。レインの健康を考えてのことだが、レインは自分の体よりラムゼイを追いたい。4Xの手掛かりを掴みたい。そしてダリル・セイヤーズを取り戻したい。

「ハイデッカーさんが、ラムゼイ一味がベーリングの研究所から拐った女性は2人だったと仰いましたが・・・」

と警部補が言った。

「女性の死体は1人だけでしたね?」
「そうですが、やはりもう1人いたと思います。」

 スコットフィールドが奥の隅を指差した。

「昨日、アタシがここに入った時、そこの隅にコンパクトが落ちていたんです。」
「コンパクト?」
「マルセル・ベーリングの物だと思ったんですが、デザインが若い子向きだったんです。それに化粧品の色が、死体の肌に付いているものと違っていました。」

 レインは警部補を見た。流石に刑事だ、細かいところに目を向けている、と彼は珍しく他人の才能に感心した。

「それも回収されたのでしょうね?」
「署の鑑識に渡しています。恐らく、化粧品の表面にDNAが残っていないか調べるでしょう。」

 再度警察の鑑識が昨日回収仕切れなかった物を集めにやって来た、と外に残していた制服警官から連絡が入った。鮮度に関係ない証拠品を回収に来たのだ。
 レインはもう一度病院に行こうと思った。

2018年8月20日月曜日

4X’s 2 2 - 8

 ラムゼイなるメーカーが、「死体クローン事件」の中心人物サタジット・ラムジーであろうことは、ペルラ・ドーマーも知っていた。ラムゼイの存在が確認され、実在の人間だと判明した時に、ハイネから聞かされたのだ。
 ペルラ・ドーマーは50年前、「死体クローン事件」の捜査中、ラムジーの隠し研究所を発見して1人で踏み込み、罠に落ちて危うく落命しかけた。その時、背中に負った大火傷の後遺症で、今でも背中にチクチクと不快な感触が残るのだ。だが・・・

「私は最近ラムジーに対する恨みが消えてしまっていることに気がつきました。」
「恨みが消えた?」
「ええ・・・火傷のせいで外勤務から内勤に異動を余儀なくされましたが、お陰で局長とお近づきになれた上に秘書と言う遺伝子管理局では最高の名誉の職に就けました。そしてゴードン・ヘイワードとも内勤になってから交際を始め、大切な思い出を作ることが出来ました。
 歳を取るに従って、運が悪かったと思ったことが幸運に変化して行くのがわかるのです。
 私はラムジーに負わされた怪我のお陰で、局長とお友達になれましたし、ケンウッド長官、ヤマザキ博士、パーシバル博士とも仲良くしていただいて、本当に幸せ者です。ですが、ラムジーと言う男はどんな人生を送っているのでしょうね。」

 ペルラ・ドーマーは遠くを見る目付きになった。

「彼が死体からクローンを作る禁断の研究に走ったのは、最愛の息子を失ったからでしょう? メーカーに身を落としてしまったのも、まだクローンの研究を続けているからです。あの男は息子を取り戻そうとまだ奮闘しているのですよ、きっと。哀れです。」

 彼等は中央研究所のロビーに入った。ペルラ・ドーマーはそこから『黄昏の家』へ通ずる地下道に降りる。現役の遺伝子管理局長は足を踏み入れてはならない場所だ。ハイネはまた何か動きがあれば教えるよ、と彼に言った。ペルラ・ドーマーは、内心、ラムジーも歳だから放っておいてやれば、と呟いたが、流石に声にすることはなかった。

2018年8月19日日曜日

4X’s 2 2 - 7

 ハイデッカー率いる北米南部班第4チームの報告書はチーフ・レインを通して局長室に送られていたので、ハイネはその日のうちに目を通した。メーカー同士の銃撃戦で17名も死者が出たのは残念だった。しかも1名は女だ。人口を減らすことはドームの方針に反する。幸いなことに、この手の報告を執政官に伝える義務はなかったので、ケンウッド長官を悲しませずに済みそうだった。
 レインがスコットフィールド警部補と共に砂漠の中のメーカーのアジトを家宅捜査している頃、ハイネは日課を終えて中央研究所へ長官執務室で行われる日程打ち合わせに出かける途中、コンビニに立ち寄った。おやつのスティックチーズの在庫が減ったので補充するつもりだった。
 ホームストックコーナーでグレゴリー・ペルラ・ドーマーが補修用テープを選んでいるのが見えたので、側へ行った。

「おはよう、グレゴリー。」

 声をかけると、ペルラ・ドーマーが振り返った。ニッコリ笑って、おはようございます、と返してきた。

「キャンプはいかがでしたか? 先日は局長が本部にお帰りになる前に帰ってしまい、申し訳ありませんでした。『黄昏の家』から厨房の調理器具が故障したと緊急連絡が入って、慌ててしまったので・・・昼食時間が迫っていましたから。」
「ジェレミーが余裕で仕事を片付けていたから、君が謝ることはないさ。調理器具は直ったのかね?」
「はい、なんとか私の腕で修理可能な部分でしたので・・・エイブは細かい機械部品は扱いませんからね、厨房から修理要請をもらった途端に私に連絡を寄越したんですよ。」

 ペルラはテープを3個抱えた。ハイネの買い物はなんとなく見当がついたので、彼は食品コーナーへ歩き始めた。ハイネも当然そちらへ向かう。

「・・・それで、キャンプはいかがでした?」
「どうしても知りたいか?」

 ハイネはちょっとしかめっ面を作って見せたが、本心でないことがペルラには直ぐにわかった。

「ボルダリングやトレッキングは楽しかった。私も地球にいるのだな、とちょっと嬉しい気分になったよ。しかし、料理はいかんなぁ。」
「駄目ですか?」
「生まれて100年目にして、じゃがいもの皮を初めて剥いたのだぞ。」
「それは・・・お労しい・・・」

 ペルラ・ドーマーも料理はしないので、ハイネに同情した。

「生の鶏肉にもナイフを入れた。火の通りが良くなるとかで。」
「まさか、医療区長は局長お一人に料理をさせたのではないでしょうね?」
「ははは・・・一応4人全員で分担したさ。アイダ博士は味付け担当で、マーランド研究員は炒めたり焼いたりの作業担当だ。」
「ヤマザキ博士は?」
「彼は指導全般、一番忙しかっただろうな、素人ばかりを相手にしていたから。」

 チーズコーナーでハイネはいつものおやつ用チーズを手に取った。

「グレゴリー、背中の調子はどうだ?」

 唐突に古傷のことを持ち出されて、ペルラは面食らった。

「いつもと変わりませんよ、疲れるとチクチクしますが・・・」

 それが何か?と聞こうとしたが、ハイネは既にレジの前にいた。ペルラも慌てて隣のレジにテープを出して支払った。テープ代は公費で落とすので、ハイネは奢ってくれない。
ドーマー達はしっかり公私を分けていた。
 コンビニの店舗から出たところで、ハイネが一言囁いた。

「北米南部班がラムゼイを見つけた。」



4X’s 2 2 - 6

 クーガー・メンタル・クリニックは砂漠の中のオアシスの様に緑の木々に囲まれていた。正面には噴水の池もあった。周辺に緑が少ないので、多分これは地下水を汲み上げて使っているのだろう。
 レインはスコットフィールド警部補の車から降りた。後ろから付いて来たパトカーから降りて来た制服警官に警部補は待機する様命じた。近く者がいればすぐ連絡せよと命じることも忘れなかった。
 警部補は「ジョンと呼んでくれ」と言ったが、レインは警部補で押し通している。当然、ポールとは呼ばせなかった。

「警部補、正面入り口のガラスは銃撃で割れていたのですか?」
「うん、そうらしいですね。かなり砂が入り込んだ様だが・・・」

 彼等はガラスの割れた箇所から中に入った。建物の中はガランとして広く、明るかった。警部補が説明した。

「中央部分が入院病棟で、2階に一般人がいた様です。襲撃時には全員退院させられた後でしたが。」
「クローン製造工場は?」
「地下です。エレベーターが使えないので、こちらの階段から降ります。」

 2人はライトを点灯して階段を降りた。地下室は死に支配されていた。血の匂いが漂い、床や壁に血痕が残っていた。床に人型のマークがいくつか描かれていた。

「見つかった女性は1人だけでしたね?」
「そうです。ハイデッカーさんのお話ではもう1人いなければならないそうですが・・・」
「逃げたのでしょうか?」
「それなら誰かが目撃している筈です。一本道だし、ここから別の道はない・・・」

 棚には資料らしきものがぎっしり詰まっていたが、銃弾で破壊されているものも少なくなかった。レインはそれらの棚に「押収物」と書かれた札を付けた。スコットフィールド警部補はそっと溜息をついた。押収作業は警察がするのだ。そして遺伝子管理局がごっそり支局に持ち去る。警察に返される時は何かが足りなくなっている。ドームに送られてしまった重要資料だ。今回も同じだろう。遺伝子管理局がごっそり警察に残してくれるのはメーカーだけだ。そしてメーカーの遺体。
 冷蔵室に思われた部屋は、成長途中のクローン胎児の育成室だった。レインはざっと中を歩いてクローン達のタグを読み、全部男の子だとわかると興味を失った。

「資料とタグを付き合わせて依頼者を特定しなきゃなりません。」

と彼は呟いた。スコットフィールドは頷いた。面倒臭い仕事だが、幸いこれは遺伝子管理局の仕事だ。

「胎児はどうします?」
「可哀想ですが、このままにしておきます。」
「2、3日もすれば栄養供給が止まって死んでしまいますが?」
「女性から生まれた胎児なら保護しますが、クローン、特に違法クローンは保護対象外です。法律的に生まれてはいけない赤ん坊です。育成管から出せる状態に生育している子供は助けますが、そこ迄成長していない物は人として扱いません。」

 レインは室内を見渡した。警部補も眺めて、育成管の外で生存可能な成長段階にいるクローンがいないことを確認した。

 ラムゼイのクローンだから外に出しても生き抜けるだろうが・・・

 レインはそこ迄警部補に伝えるつもりはなかった。男をこれ以上増やしてどうするのだ、と言う思いがあったのは事実だ。
 警部補が呟いた。

「噂のラムゼイのクローンだとしたら、依頼者は大金持ちでしょうね。前金でかなり支払っていると思いますよ。勿体無いなぁ。しかし・・・違法クローンですからね。」

 レインは滅多に冗談を言わない男だが、ふと不謹慎な冗談を思いついた。

「もし養子が欲しければ、1人持ち帰られますか? 手続きしますよ。」

 果たして、警部補は苦虫を潰した様な顔をした。

「ご冗談を・・・アタシはこれでも女房、子供がいるんですよ。」


4X’s 2 2 - 5

 ジョン・スコットフィールド警部補は40台半ばの頭髪の薄い男だった。美貌のレインが坊主頭なので親近感を抱いたのか、愛想の良い笑を浮かべて出迎えた。レインは無愛想で通っているので、警察署でも笑わない遺伝子管理局員として知られていた。だから無愛想に握手に応じてやった。警部補の思考は読まなかった。余計な情報を仕入れてしまうと、後で一緒に仕事をやり辛くなるからだ。
 スコットフィールドは遺伝子管理局の協力で死亡者の身元が全員判明したと笑顔で言った。つまり、クローンはいなかったと言うことだ。

「死者の中に女はいませんでしたか?」
「1人いました。」

 警部補は首を振ってエレベーターを指した。

「地下の安置室に全員の遺体を置いています。見ますか?」

 ドーマーはあまり死者と接したことがない。しかし遺伝子管理局は身元不明の死者の遺伝子鑑定を行うのも業務なので、経験は多かった。但し、どの局員も回数が多くてもいつまで経っても慣れない仕事だった。レインは女性を確認したかったので、見てみることにした。

「貴方の部下の鑑定で、マルセル・ベーリングと確認されました。銃撃戦に巻き込まれて銃弾を2発胸に食らって、致命傷となったと思われます。」
「死亡者は全部で何名です?」
「17名・・・お陰で検死に時間がかかりそうで、検屍官が悔やんでいます。」
「安置室も満杯ってことですね。」
「そうです。検死が終わった遺体から順番に葬儀屋に引き渡しているところですよ。」

 と言うことは、ハイネ局長が明日死者のリストを承認する迄メーカー達の遺体は葬儀屋が保管する訳だ。レインが17名の内訳を尋ねると、スコットフィールドは肩をすくめた。

「どっちがベーリングでどっちがラムゼイか、名札が付いてりゃ良いんですがね。」

 死体安置室はエアコンが効いており、脱臭装置も問題なく作動していた。それでもレインはマスクを出して装着した。スコットフィールドも規則に従ってマスクをしたが、普段はしないのかも知れない。死んだ男達はいずれも銃撃を受けていた。頭部の損傷が激しい者もあったが、レインはなんとか目を逸らさずに見た。
 トリスタン・ベーリングは47歳の男で、生前はさぞやハンサムだったろうと思えたが、残念なことに右目を撃ち抜かれていた。妻の遺体と並んで保管棚に入れられたことだけが彼等にとって慰めになっただろうか。

「ラムゼイと思える人物は見当たらないのですか?」
「いませんね。どの遺体も身元鑑定が出来ましたが、50年近く高品質のクローンを作ってきたと思える年齢の男はいません。それに、これはアタシの勘ですが、ラムゼイ側の遺体は皆兵隊だと思うんです。幹部はいない。だから、ベーリングの攻撃を受けた時、まともな指揮官がいなかった。」

 レインはスコットフィールド警部補をマジマジと見た。

「警部補は、兵隊どもが自分達の判断でベーリングの女を拉致したとお考えですか?」
「そうじゃありません。指揮官は別の場所にいて、指図していたのです。拐って来た女をクリニックに一晩置いて、それから本当の隠れ家に連れて行くつもりだったのでしょう。」
「本当の隠れ家?」
「そいつが何処にあるのか、まだ掴んでいませんが・・・」

 警部補は少し微笑んで見せた。

「少なくとも、クローン製造工場は一つ潰せました。クリニックの地下にあったんです。」

4X’s 2 2 - 4

 ヤマザキ・ケンタロウはハイネ局長の要請にあまり良い顔をしなかったが、それでも「一回きり」と言う条件で薬品の一部を別のものに置き換えてポール・レイン・ドーマーに注射してくれた。
 レインは注射を済ませると直ぐに航空機の手配をしてドームの外に出た。お供は連れなかった。これも出来るだけ2名1組で行動する決まりに反していたが、チーフやリーダーともなれば平気で破る規則だったので、彼は気にしなかった。
 航空班はレイン1人の為に飛行機を飛ばしたりしない。西行きの便に同乗させてくれたのだ。急な割り込みだったので、遺伝子管理局用の座席は用意しておらず、レインは一般の人々と隣り合った席になった。周囲の男達は彼が遺伝子管理局の人間とは思わず、出産を終えて帰宅する妻と同乗している夫の1人だと思った。男達は気が合った人と言葉を交わす他は妻の座席に移動して見たり、黙して寝ていたり、映画を見て機内の時間を過ごしていた。レインの美貌に注意を向ける男もいたが、彼等は女性を妻に出来た幸運な人々だ。言い寄ってくる者はいなかった。
 第4チームは抗原注射の効力切れを心配して既に支局に戻っていた。リーダーのハイデッカーが空港でレインを出迎えた。彼はチーフが1人で来たので、心配そうな表情になった。

「チーフ、お一人でクーガー・メンタル・クリニックへ調査に行かれるおつもりですか?」
「警察で案内してくれる人間がいれば助かるが・・・」

 レインが1人で行くつもりがないとわかり、ハイデッカーは安心した。直ぐに警察の担当者に連絡を入れた。1分ほどやりとりしてから、彼は上司を振り返った。

「スコットフィールド警部補が明日の午前中に現地に行くので、ご一緒しませんかと言ってます。」
「わかった。」

 直ぐにでも現地に行きたかったが、片道3時間もかかる場所に午後になってから出かけても周囲に心配をかけるだけだ。レインは賢明にも逸る気持ちを抑えた。その代わり、ハイデッカーと共に警察が確保した生存者に面会することにした。
 タンブルウィードは中西部では大都市だが、東海岸の人間から見れば小さな田舎町に過ぎない。レインとハイデッカーは車で5分の警察署へ向かった。


4X’s 2 2 - 3

 ポール・レイン・ドーマーは直ぐにでも現地へ飛びたかった。完璧なクローンを製造する謎のメーカー、ラムゼイと女性を作る方程式を開発したと豪語するメーカー、ベーリングの研究所を調査したかった。警察に荒らされる前に、資料を押収したかった。人類の未来を変える研究をしていたかも知れない2大メーカーが激突したのだ。何もない筈はない。
 しかし彼は前日抗原注射効力切れ休暇を取っていた。つまり、まだ4、5日はドームの外へ出かける許可が出ない。注射なしでも人間は外の世界で活動できるが、レインはまだ大気中に残る昔の放射線や細菌が恐ろしかった。紫外線も無視出来ない。

 ちょっとした勇気だ。クラウスやリュック・ニュカネンは平気じゃないか。ダリルだってもう18年注射なしで生活している・・・

 だが、彼は躊躇った。タンブルウィードの街へ行けば土埃まみれになる。彼は毎回それが嫌だった。
 ハイネ局長がそんな彼の横顔を見て、囁いた。

「ヤマザキ博士に私から薬を変えて注射してもらえるよう、頼んでみようか?」

 レインは驚いて局長を振り返った。

「薬を変える、と仰いましたか?」
「うん。少し軽い薬品がある。連続使用による体の負担を軽減するには、薬品の成分を一部変える必要があるのだ。」

 元薬剤師ハイネは端末を出して、何か調べ物をした。薬品の名前を調べたのだろう。

「直ぐに現場調査したいのだろう、レイン。」
「はいっ!」
「女性達の生死の確認とラムゼイがベーリングを襲った本当の目的を私も知りたい。」

 ハイネはヤマザキ・ケンタロウ医療区長に電話をかけた。相手が早朝に勤務しているのか、まだ寝ているのか、そんなことは調べずに御構い無しだ。

「ああ、ドクター、おはようございます。おや、まだお休みでしたか? それは失礼しました。いえね、ちょっと急ぎの用事が出来まして・・・」


4X’s 2 2 - 2

 ポール・レイン・ドーマーは翌朝、普段より少し早めに起きて、ジョギングに出た。彼の予想通り、運動場では既にハイネ局長が走っていた。レインは足を早めた。局長は彼より少し背が高く、脚も長い。そして走るスピードも速い。レインはほぼ全力疾走に近い走りで局長を追いかけた。まるで白馬を追いかけているみたいだ、と思い、なんとか横に並んだ。局長が彼をちらりと見て、速度を落としてくれた。

「おはよう、レイン。何か報告か?」
「お・・・おはようございます・・・」

 レインは流石に息が続かず、すぐには言葉が出なかった。局長は辛抱強く彼が話せる迄ゆっくり走ってくれた。

「ベーリングが・・・襲撃者のアジトを・・・攻撃しました。」

 レインは何とか聞き取れる声で言った。局長がさらに速度を落とし、とうとう歩き始めた。

「走り終わる迄待てないとは、かなり急を要する報告だな?」
「すみません。襲撃者の正体が判明しました。」

 レインはクーガー・メンタル・クリニックと称する療養所の経営者の名前を告げた。

「ただし、この人物は街中で別のクリニックを経営している医者で、メーカーに名義貸しをしているだけです。クーガーの本当の経営者は、ラムゼイです。」

 ハイネが振り返った。

「確かか?」
「確かです。警察が生存者に確認しました。」
「生存者?」

 レインはかなり端折り過ぎたことに気が付いた。事件の経過報告をまだしていなかった。

「すみません、報告が前後してしまいました。昨夜遅くベーリングの一味は、拉致された女性達を奪還する目的で、クーガー・メンタル・クリニックを攻撃しました。距離を置いて観察した第4チームの報告によると、激しい銃撃戦になったそうです。入院患者に被害が及ぶことを危惧したハイデッカーが警察に通報しました。
 警察が到着したのは3時間後、今からほんの1時間前です。その頃には銃撃戦は終わっており、現場は静かだったそうです。
 警察が中に入ったので、ハイデッカーは部下を支局に帰らせて彼1人で警察に合流しました。」

 ハイデッカーは拉致された女性の安否を早く確認したかったのだ。地球で女性は貴重だし、何故拐われたのか、理由も探らねばならない、と彼は考えた。

「ほぼ双方全滅だったそうです。」
「共倒れ?」
「はい。警察は現在、現場検証中で、身元確認が必要なので遺伝子管理局の協力を要請しています。ハイデッカーは一旦帰した部下がまだ砂漠にいるので呼び戻したところです。」

 遺伝子管理局の局員は抗原注射の効力が持続する48時間は寝ずにぶっ通しで仕事に励むことが多い。ケンウッド長官が聞いたら心配する筈だが、ハイネは昔から局員の勤務状況はそう言うものだと言う認識があるので、何も言わなかった。

「ハイデッカーが見た範囲では、一般人の患者は犠牲者に含まれていないそうです。彼は警察に患者リストを見せてもらったのですが、クーガー・メンタル・クリニックは2日前に患者全員を退院させていました。」
「ベーリングの女性拉致を計画して、報復も想定していたのだな。」
「そうです。」
「しかし、防衛に失敗した・・・」
「ベーリングの反撃が想定より早過ぎたのです。時間をかけて計画を練って来ると思ったのでしょう。しかしベーリングは半時間も経たないうちに攻撃してきたので、応戦が十分に出来なかったみたいです。」
「所詮はメーカーだ。」

とハイネが見えない相手を小馬鹿にした様に呟いた。

「戦闘訓練を受けた訳ではなかろう。戦術顧問を置くことを考えなかった迂闊なヤツだ。」

 彼は一瞬遠くを見る目つきになった。

「侵入者へのトラップも仕掛けなかった。隠れ蓑の一般人向け療養所がネックになったのか。」


4X’s 2 2 - 1

 ハイデッカーから次の連絡が入ったのは、真夜中だった。
 レインは自宅アパートの寝室で浅い眠りに就いていた。抗原注射の効力切れ休暇だったので、昼寝をして、夜は眠れない、そんな状況だった。だから、端末が部下からの電話を告げるメロディを奏でた時、すぐに目が覚めた。
 ベッドの上に起き上がって、通話ボタンを押した。

「レインだ。」
「ハイデッカーです。事態がど偉いことになりました。」

 ハイデッカーが街の若者の口調を真似て喋ったが、レインは咎めなかった。

「ベーリングが相手のアジトを襲ったのか?」
「はい、クーガー・メンタル・クリニックです。」
「なにっ!」

 レインはベッドから出た。目的もなく室内を歩き始めた。

「そこは、精神障害者用療養施設じゃなかったか? 砂漠の中の・・・」

 彼はハッと気が付いた。街から離れた施設はメーカーの研究施設である可能性が大きい。 クーガー・メンタル・クリニックはタンブルウィードでは名の通った精神療養所で、富裕層の客が多かった為に、警察は手を出しかねていた。警察が怪しいと思えば遺伝子管理局も探りを入れただろうが、警察がノーマークだったので、レインも気になると思いつつ、これ迄半分無視していたのだ。
 
 やはりメーカーの隠れ蓑だったか・・・

 失敗だ、とレインは悟った。隠れ蓑だとすれば、一般の療養者もいる訳で、そこへ別のメーカーが襲撃すれば一般人に被害が及ぶ。

「ベーリングのアジトを襲った連中が、クーガー・メンタル・クリニックに逃げ込んだと言うことだな?」
「そうです。かなり派手な銃撃戦になっています。」
「君は今どこにいる?」
「クリニックを見下ろせる丘の上にいます。入院の一般人に危険が及んでいると思われたので、警察に連絡を入れました。」
「それで良い。君と君の部下達はちゃんと距離をとっているんだな?」
「その点は大丈夫です。部下には、入院患者が外に出て救助を求める迄手を出すな、と言ってあります。」
「うん。」

 レインは時計を見た。午前1時になろうとしていた。

「そこからでは勝敗は判断出来ないだろう?」
「はい、自動小銃やショットガンの様な音が散発的に聞こえてきます。ベーリング達はかなり施設の奥へ入り込んだ様子です。」
「そのままそこにいても拉致が開かないだろう。警察が到着したら、君達は一旦引きあげろ。夜が明けてから、警察に事態の結末を問い合わせるのだ。」
「了解しました。」

 通話を終えたレインは、さらに数分ばかり歩き回っていたが、やがて意味のない行動をしていると気がつき、ベッドに戻った。上司への報告は結末を聞いてからだ。




2018年8月17日金曜日

4X’s 2 1 - 9

 ポール・レイン・ドーマーが長官執務室から退出すると、ケンウッド長官はハイネ局長に向き直った。

「セイヤーズの子供はクローンと考えて間違いないだろうね、ハイネ?」
「そう思います。」
「その辺のチンケなメーカーの技術で子供を作るとは思えない。遺伝子管理局の局員だったのだから、クローンの健康状態が製造技術で左右される事は理解している筈だ。子供が健康だとしたら、誰に作らせたと思う?」

 ハイネが少し興味深そうに長官の目を覗き込んだ。

「長官は、セイヤーズがあの男と接触したとお考えですか?」
「近くにいるのだから、出会っていても不思議はない。セイヤーズは局員時代に既にあの男の居場所を掴んでいたのではないかね?」
「彼は西ユーラシアに飛ばされていましたが?」
「それより前さ。確認する前に飛ばされたのだろう。或いは、ツナギをつける方法を知っていたのかも知れない。」

 ケンウッドは席を立って、休憩スペースでお茶を淹れた。秘書にも声をかけてみたが、チャンもスメアも今は要りませんと言う応えだった。ハイネは素直に受け取り、熱いお茶が冷めるのを待ってカップを持ったまま長官を見た。

「セイヤーズの子供の元細胞は誰のものとお考えですか?」

 ケンウッドは自身のカップの中を眺めた。綺麗な赤い液体から白い湯気が立っていた。

「葉緑体毛髪を持っているのだとしたら・・・」

 逃亡する直前迄、セイヤーズはレインと共にレインの部屋にいたのだ。そこで彼等が何をしていたのか、彼等の仲の良さを知っていれば容易く想像出来た。

「セイヤーズはやはりハードケースに生細胞を入れて持ち出したのだ。恐らく・・・ポール・レインの細胞をね。」

 ハイネは真面目に考え込んだ。

「では、生殖細胞からクローンを作ったことになりますね。単体クローンの製造法では作れませんから、女性の卵子の殻が必要です。」
「あの男は女性を連れているのか・・・」

 ケンウッドはハイネを見た。

「ハイネ、セイヤーズを確保する時は、子供も保護するのだろう?」
「可能であれば。」
「収容所ではなく、ここへ連れて来てくれないか? あの男のクローンなのか、調べてみる必要がある。」

 ハイネは軽く頭を下げて、了承した事を伝えた。

2018年8月16日木曜日

4X’s 2 1 - 8

 ポール・レイン・ドーマーは北米南部班第4チーム・リーダー、ジェラルド・ハイデッカー・ドーマーに指示を出した。

「襲撃者の正体を特定し、拉致された女性達が何者なのか調べろ。」

 救出せよとは言わなかった。遺伝子管理局は警察ではない。拉致された民間人がいれば警察に通報するだけだ。だが襲撃者と被襲撃者がメーカーなら、話は別だ。拉致された人間もメーカーの一味と考えられるからだ。それに襲われたベーリングは、4Xと呼ばれる「女性を作る方程式」を開発したと言われている。拉致された女性達はその方程式に関わっているのかも知れない。
 ハイデッカーが指示に了解した旨を告げると、レインは事態に進展があれば随時報告せよと指示して通話を終えた。
 レインと部下の会話が終わると、ケンウッド長官がハイネ局長に尋ねた。

「ラムゼイと言うメーカーは、例の男だと思うかね?」
「可能性は高いです。」

とハイネが頷いた。

「しかし、生きているとなると、かなりの爺さんです。私とそう変わらんでしょう。」

 見た目の姿は40代後半のハイネがそう言うので、もうすぐ40歳になるレインはどう反応して良いか判断に迷った。そして長官と局長が話題にしている「例の男」とは誰の事なのか、質問すべきだろうかと考えた。
 セイヤーズの話をしている途中だったと彼が思い出した時、また端末に電話が着信した。チラリと発信者を見た彼は眉を顰めた。

「局長、またハイデッカーです。」

 彼は上司の返事を待たずに電話に出た。

「何かあったのか、ハイデッカー?」
「チーフ、ベーリングが手下を総動員して襲撃者と拉致された女性達の追跡を始めました。武装しているので、反撃して女性を奪還する腹の様です。」

 スピーカーでそれを聞いたケンウッドが不安気にハイネとレインを見比べた。

「メーカー同士の抗争かね?」
「その流れになりそうです。」
「遺伝子管理局を巻き込ませてはいかんぞ。」
「勿論、部下は遠ざけておきます。」

 レインが保障した。裏で情報操作してメーカー同士を闘わせ、共倒れさせるのがレインの戦術だ。絶対に自分達の手は汚さない。部下に危険な事はさせない。
 ハイネは別の事を気にした。

「4Xの奪い合いだな?」
「恐らく・・・」
「女性を人質にして方程式を聞き出すつもりなのか?」
「或いは、拉致された女性が方程式を作ったのかも・・・」

 ケンウッドは拉致された女性が2人だったことを思い出した。1人はドームで生まれたマルセル・ベーリング、トリスタン・ベーリングの妻だ。もう1人は・・・?
 地球上の女性は1人残らずドームのマザーコンピュータに登録されている。されていなければならない。女性はドームの中でしか生まれないのだから。もし登録されていない女性がいれば、それは密入星したコロニー人か、クローンと言うことになるが、女性クローンを製造出来るのはドームだけだ。マルセル・ベーリングと共に拉致された女性は何者なのか?
 レインはハイデッカーに引き続きメーカー達の動きを距離をとって見張る様に指示して通話を終えた。

「セイヤーズはこのメーカー同士の抗争には無関係なのだろうな?」

とハイネがレインに確認した。レインは無関係ですと断言した。

「セイヤーズは山に引き篭もっています。我々に発見される事を恐れて隠れているのです。彼が元遺伝子管理局の局員だとメーカーにバレたら子供の生命が危険に曝されます。彼自身も危ないでしょう。ですから、彼はメーカーと接触を避けている筈です。」
「では、彼の子供は誰が作ったのだ?」
「それは・・・」

 返事に窮したレインに、上司達はそれ以上突っ込まなかった。
 ハイネが指示を与えた。

「先ずはメーカー同士の争いを監視して、どんな決着になるのか見届けよ。そして可能ならば4Xの具体的な情報を回収するのだ。」
「了解しました。」
「この件が落ち着く迄、セイヤーズは監視するに留めておく。但し、山から移動する気配を見せたら、直ちに身柄を確保せよ。」
「了解しました!」

 レインはやっと逃げた恋人に一歩近づけた思いがした。

4X’s 2 1 - 7

 レインは答えられなかった。ハイネが突っ込んだ。

「君はさっき『親』と言った。少年はセイヤーズの子供なのか?」
「町の住民達はそう思っています。」
「母親はいないのだな?」
「女っ気はありません。第1・・・」

 レインは吐き捨てるように言った。

「あんな貧しい家に女が住むとも思えません。」

 ケンウッドとハイネが互いの顔を見遣った。どちらともなく肩をすくめ合った。ケンウッドがレインに向き直った。

「女性は好きになった男が裕福だろうが貧しかろうが気にしないものなのだよ、レイン。」
「しかし・・・」
「確かに、女っ気がある場所には見えないね。」

 ケンウッドは再び局長を見た。

「母親がいないのに、どうして子供がいるのだろうね、ハイネ?」

 ハイネ局長は呟くように答えた。

「クローンでしょうな。」
「しかし・・・」

 レインは恋人が罪を犯したと思いたくなかった。脱走も罪だ。ドーマーはドームに逆らってはいけない。ドームに従うのがドーマーの義務であり、存在理由だ。そしてドームの許可が無いクローン製造は大罪だ。
 何かセイヤーズを弁護する言葉があれば・・・とレインが思考を巡らせようとした時、彼の端末に電話が着信した。彼が部下からの呼び出しに設定しているメロディだ。

 こんな時に誰だ?

 レインは着信拒否にしようと指を動かしかけた。するとハイネが言った。

「出なさい。許可する。」

 局長はそのメロディが局員からの連絡だと承知していた。レインはドームでは知らない者がいない有名人だが、彼自身の友人は少ない。レインの端末に電話を掛けてくるのは部下しかいない。
 レインは早口で礼を述べると通話ボタンを押した。

「レインだ。」
「チーフ、ベーリングの研究所がやられましたっ!」

 タンブルウィード支局に当番で訪問中の第4チームのリーダーが電話の向こうで叫んだ。レインは電話をスピーカーにした。

「ハイデッカー・ドーマー、もう少し詳しく言ってくれないか?」
「わかりました。1時間前の事ですが、ベーリングの研究所に武装した男10人ほどが車で乗り付け、銃で研究所の従業員やクリニックの患者を脅して中に押し入りました。監視していた支局の職員の報告では、彼等は女性2名を連れ出し、乗ってきた車に押し込んで走り去ったそうです。ベーリング側に数名負傷者が出ている模様・・・」

 聴きながらレインは上司を見た。ハイネは通話を聴きながら、会議テーブル上の映像を切り替え、中西部の航空地図を出した。北米南部班のこれ迄の報告でマーカーを付けていたメーカー達のアジトが方々に赤く表示されていた。ハイネはその中からベーリングの研究所を見つけると拡大表示した。オアシスの様に緑に囲まれた個人病院の体をしている建造物だ。
 レインが部下に尋ねた。

「襲撃者の正体はわかっているのか?」
「確認は取れていませんが、一番近い別のメーカーのアジトは・・・ラムゼイです。」

 レインは視野の端でケンウッド長官がギクリとして局長を見るのを目撃した。



4X’s 2 1 - 6

 ポール・レイン・ドーマーは抗原注射の効力切れ休暇だったが、長官の前で任務の結果報告をするので、私服ではなく遺伝子管理局の制服とも言えるスーツを着ていた。ケンウッドは私服で来て構わないと言ってやれば良かった、とちょっぴり後悔した。レインの様に真面目な男は公私をはっきり分けたがる。今回の報告はあまり情報を広めたくないから3人だけで集まったのだ。スーツでは目立つだろうに、と思ったが、ドーマー達は中央研究所に行くことは仕事と心得ているので、誰でも制服でやって来る。私服でも平気なのはハイネぐらいなものだ。そのハイネだって、朝から本部で仕事をしていればスーツでやって来たはずだった。
 ケンウッドはレインにハイネの向かいに座る様にと言って、若い班チーフを恐縮させた。ハイネは長官の左前に座っており、そこは彼のこの長官執務室での定位置だった。レインが指定されたのは、右前の副長官の席だ。当然レインはそれを知っていたので、恐縮したのだ。しかしもたもたしていると上司達に迷惑をかけるだけなので、彼は素直に示された椅子に腰を下ろした。
 「さて」とケンウッドがレインを見て言った。

「セイヤーズを発見したのだね?」

 ハイネ局長が眉を上げた。明らかに驚いていた。しかし何も言わずにレインの顔を見ただけだった。レインは頷いた。

「タンブルウィード市から北へ車で2時間ばかり行った山中に、石を組んで作った家屋がありました。失礼します・・・」

 彼は端末を操作して、長官執務室の会議テーブル上に画像を出した。キエフ・ドーマーが見逃してルーカス・ドーマーが発見した家の画像だ。勿論、レインは発見者の名前を告げたが、局長は動かなかった。

「今迄、これが家屋だと認識されていなかったので、住人の調査も行なっていませんでした。それは南部班の手落ちと認めます。住民登録もなかったのです。しかし・・・」

 レインは画像にポインターの光を当てた。

「前庭は耕地です。植物を栽培し、自給自足で食糧生産しているのです。家の背後には小さい水の流れと池があり、水源も確保されています。車も2台、トラクターも持っています。機械類は古い物なら二束三文で買えますから、セイヤーズの腕なら修理して使用可能な状態にするのは朝飯前でしょう。おそらく発電機も持っている筈です。納屋と思しき小さい家屋がこちらにあり、電線が引かれています。町からこの家屋には電気が通じていませんから、自前で発電して使っているのです。」
「住人の情報は得ているのか?」

 初めてハイネが質問した。レインは「はい」と頷いた。

「町で収集した情報によると、この家には男が2人住んでいます。成人と若い男、目撃証言では年々成長している様子なので、10代の少年と思われます。」
「少年?」
「黒い葉緑体毛髪を持つ白人の少年です。」

 ハイネはツルツルに剃髪されているレインの頭部に目を向け、ケンウッドはセイヤーズが脱走した後でヘンリー・パーシバルが懸念したことを思い出した。セイヤーズはドームを抜け出した時、生細胞を保管するハードケースと呼ばれる小さな保温鞄を持っていた。
ゲート係にケースが空であると見せたのだが、手先が器用な彼は手品が得意だった。細胞が入ったカプセルを袖口に隠して、ケースを係から受け取った際に素早く入れることなど簡単だったろう。
 レインは報告を続けた。

「親は金髪で目は緑です。そして・・・」

 彼は大きく深呼吸して言った。

「自分でダリル・セイヤーズと名乗っています。」

 ケンウッドは昨日既にレインから報告を聞いていたので、ハイネの反応を伺って見た。ハイネ局長はまだレインの頭を見ていた。無いはずのレインの髪の毛を見ているのだ。
 レインは期待を込めた目で局長を見つめた。局長が一言、セイヤーズの身柄を確保、と言ってくれさえすれば、今すぐにでもタンブルウィード郊外の、石の掘っ建て小屋へすっ飛んで行くつもりだった。
 ハイネがレインの頭からテーブルの画像に視線を移した。

「セイヤーズは今何をしているのだ? 町の住民と接触があるのか?」
「月に1度の割合で山から降りて、野菜を売って必要な生活用品を買って帰る、その程度の接触です。金銭が必要な時は力仕事や運搬の仕事を請け負うこともあるそうです。」
「それだけか?」
「はい。遺伝子管理に繋がるようなことは何もしていません。」
「コンピュータにも関係していないのか?」
「電話すら持っていないようです。」
「では・・・」

 ハイネはレインを正面から見た。

「同居している少年は何者だ?」


4X’s 2 1 - 5

 遺伝子管理局本部局長室にドーム長官が顔を出すとちょっとした騒ぎと言うか噂が本部内に広がってしまうので、ケンウッドはポール・レイン・ドーマーの報告を聞く場所を長官執務室に指定した。2名の秘書は口が固いし、局長や局員が長官の部屋に呼ばれても誰も気にしない。執政官は業務上必要があればいつでも誰でもドーマーを呼び出せるからだ。局長には秘書に出頭要請を託けてあった。キャンプからいつ戻るのか知らないが、ハイネの性格上、必ず本部に顔を出して留守居役のペルラ・ドーマーとセルシウス・ドーマーから業務引き継ぎを行う筈だ。この2名の元秘書は、以前は1人で留守居の仕事をしていたが、最近はペルラ・ドーマーの視力が衰え、仕事をこなす速度も落ちてきたので、セルシウスが自主的に助っ人を買って出た。2人で分業して局長の日課を代行しているのだ。第1秘書のネピア・ドーマーにとって、この2人の師匠が同席するのは煙たいだろうが、ハイネは彼等元秘書の健康の為にもなると思って、近頃はよく仕事の代行を頼むようになった。結婚したので妻との時間をもっと持ちたいだろうし、彼自身も高齢なので時々休憩したいのだ、とケンウッドは解釈している。それに代行を依頼される元秘書達が、まだ必要とされることに喜びを感じていることは、彼も嬉しかった。

 友人達にはいつまでも健康で元気でいてもらいたい。

 そして、約束の時間より半時間早くハイネ局長が長官執務室に現れた。野外シミュレーションフロアから直接本部に顔を出し、伝言を聞いてそのまま出頭したので、私服のままだった。ヤマザキが見立てたのか、アイダが選んだのか知らないが、いかにも野外でトレッキングする身なりだった。勤務中のドーマー達の殆どが各部署の制服を着用しているので、トレッキング用の服装はさぞかし目立ったことだろう。しかし、ローガン・ハイネ・ドーマーは生まれた時から人々の注目を浴びて生きて来たので、他人の視線を全く気にしなかった。
 
「キャンプはどうだった? 楽しかったかい?」

 ケンウッドがお気楽に尋ねると、ハイネは顔を少ししかめた。

「歩いたり、登ったりするのは面白いですが、テント設営や料理は難しくて手こずりました。」
「おや、そうかね? テントや料理がキャンプの醍醐味の筈だが?」
「私の趣味ではありません。」

 赤ん坊の時から大切に大切に育てられて家事一切をしたことがない100歳の地球人はツンツンして言い放った。

「ドクターに言っておきました。次に私をキャンプに誘う時は、夕食の弁当を用意して、夜は寝袋だけで結構、と。」

 ケンウッドは笑ってしまった。ハイネは「山歩き」自体は嫌いではないのだ。地面で寝るのも構わない。普段から庭園の芝生の上で直に横になって昼寝しているのだから。

「ケンタロウに料理は自分でしろと言っておくよ。」

 やっとハイネの機嫌が直る頃に、ポール・レイン・ドーマーが到着したと秘書のスメアが告げた。

2018年8月15日水曜日

4X’s 2 1 - 4

 野外シミュレーション・システムは利用者が歩けばどんどん風景を変化させて、「移動」の気分を存分に味わせてくれる。利用者は同じ場所をぐるぐる歩き回っているだけなのだが、風景が変化するのでひたすら野山を歩いている気分になるのだ。それに床も変化して凹凸が出来るし、急峻な坂道を登っている気分にもなる。ボルダリングもプログラミングの段階で挿入しておくと、コンピュータが適当な頃に壁を立ててくれる。
 ヤマザキ・ケンタロウは参加者全員の体力を考えて、無理なプログラムを入れない様に気をつけた。
 アイダ・サヤカは女性だし、あまり長時間の歩行を経験していない。ただ腕の力はあるので低い壁は十分に登れた。ぽっちゃり体型からは予想しなかった運動神経の良さで難なく「山登り」についてきた。
 ティム・マーランドは歩くのは平気だったが、川を渡る時に躊躇った。屋内施設だから、川は浅く幅もなかったのだが、傾斜が大きいので急流だった。マーランドは水泳が不得手で、水流を怖がったのだ。しかしそこで床を動かすのは不可能だったので、跳んでもらうしかなかった。
 ローガン・ハイネは局長職に就く前、よくこのフロアで時間を過ごしていたので、余裕だった。アイダの荷物を持ってやり、マーランドの川越えには手を貸した。しかし、キャンプは初体験だったので、テントの設営に時間を食った。
 屋内なので火気厳禁だから、キャンプファイアは不可能だったが、電子調理器具は持参できたので、自炊する。ヤマザキは下ごしらえしていない食材を3人の仲間に料理させてみたのだが・・・。
 アイダはコロニー時代は人妻として母親として、それなりに台所仕事の経験があった。しかし「屋外調理」は未経験だった。コロニー人はあらかじめ調味料や下ごしらえどころか加熱も済んだ食材を購入して盛り付けだけするのが常識で、生の食材から始めるのは初めてだったのだ。マーランドは食材を炒めたり焼いたりを担当したが、熱におっかなびっくりだった。ハイネに至っては、意外にも刃物が苦手だった。食事のナイフと同じだよと言っても、皮むきや刻むのを怖がった。生の肉にも触れないのだ。結局ヤマザキは3人の間を歩き回って指導に忙殺された。
 なんとかチキンとパンが焼けて、サラダを盛り付けて、食事にありつけた時は夜中近かった。ノンアルコールのビールで乾杯してから、ヤマザキは仲間を見て笑った。

「君達、ドームの外に出て暮らせと言われたら、野垂れ死にするんじゃないか?」
「ドームの外にもコンビニはあるでしょう!」

 マーランドが反論した。

「だが、自分で一から料理した方が安く済むんだぞ。」

 ヤマザキはさも野外生活の経験が豊富そうな顔で言った。

「ハイネは地球人なんだから、木を擦り合わせて火を起こすところから学ばないと。」
「どうしてですか?」

 ハイネも不満げに反論した。

「そんな原始的なことをしなくても、火は作れるでしょう? それに火を使うのに、地球人もコロニー人もありませんよ。」
「怒らないでくれよ。」

 ヤマザキは片目を瞑った。

「このフロアで君を見ていると、人間に育てられて野生を知らないライオンを連想するんだ。」

 するとアイダがポツンと呟いた。

「ダリル坊やはきっと1人で全部出来ているのでしょうね。」

 ヤマザキは彼女を見た。

「君は彼が生まれた時は、まだここに来ていなかっただろう? 僕だってまだだった。」
「確かに、彼は私が来る前に生まれましたけど、キーラが助手として関わったので、話はよく聞いていました。好奇心が強くてなんでも自分でやってみないと気が済まない子だったと聞きましたよ。私が接した時はもう大きくなっていましたので、やんちゃな男の子と言う印象でしたけど。」
「明日の朝食も同じ手間なんですか?」

 マーランドが不安げに尋ねた。ヤマザキはリュックに目をやった。

「朝飯はパンの残りを食べよう。卵料理はできるよな、君達?」

 ハイネがアイダを見た。マーランドも彼女を見た。アイダが溜め息をついた。

「はいはい、私が担当します。」

 するとハイネが期待を込めて言った。

「チーズオムレツをお願いします。」




4X’s 2 1 - 3

 ポール・レイン・ドーマーは端末をポケットに仕舞った。大変楽しい気分になっていた。彼の愛しい部屋兄弟で恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーの居場所を遂に発見したのだ。驚いたことに月に一回は訪問するタンブルウィード市のすぐ近くの郡部にある山奥だった。
 ロシア系ドーマーのアレクサンドル・キエフ・ドーマーが「空白地帯」と呼ばれる住民登録がほとんどない山地の衛星データを解析していたら、奇妙な形の岩が写っていた。キエフはそのデータに関心を示さずに放置したのだが、偶然北米南部班第5チームのリーダー、ジョージ・ルーカス・ドーマーがその画像を目にした。大昔の映画監督の巨匠と偶然同じ名前をもらった、綽名も「監督」のルーカスが、岩に違和感を覚え、映像を拡大して見たのだ。するとそれは家屋の屋根と思われたのだ。ルーカスは手柄を独り占めするつもりはなかったのだが、キエフのことは個人的に好まなかったので、分析官には何も言わずにその岩の周辺の映像提供だけを求めた。キエフは上司のすることに意見を述べない。同僚には煩く文句を言うのだが、リーダー達に敬意を表さない代わりに反抗もしない。黙ってルーカスの目的を訊かずに映像を提出した。
 ルーカスは趣味と実益を兼ねた得意の映像処理技術を駆使して岩に見えた家屋周辺の画像を分析した。すると前庭と見えた広場は耕地で、家屋には納屋も付いており、車と小さなトラクターがあった。裏手に沢があり、飲料水の補給も十分のようだ。
 だが、その場所に住人登録はなかった。
 ルーカスはそっとチーフ・レインに報告した。彼もレインが18年間探している男を知っていた。子供の頃は可愛がってくれた大好きなお兄さんだったのだ。レインは、彼の報告に驚き、用心深く注意を与えた。

「クラウスを呼んで相談しよう。他の局員にはまだ何も言うな。確信が持てる迄、俺たちだけの情報にするのだ。確信が持てたら、局長のご指示を仰ぐ。仲間に告げるのは、それからだ。」

 レイン、ルーカス、そして第1チーム・リーダー、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの3名だけでその岩の様な住居の住民を調査した。すると驚くべき情報がさらに出てきたのだ。
 タンブルウィードの街に、時々緑色に輝く黒髪の少年が現れて、住民の子供たちと遊んでいると言う。少年は自分で車を運転してやって来た。どこかで拾って修繕した様なポンコツの小型車だ。同じ年頃の少年達とボール遊びをしたり、遊技場で遊んで行く。
 ごく稀だが、親が一緒の時があると言う。男親1人だけで、親はいつも帽子を目深にかぶり、顔を見せたがらないが、金髪の白人で中背、話をすれば温かい言葉遣いで親切だと評判が良かった。レインは接触テレパスで住人が語りたがらなかったその男の名前を知った。

 ダリル・セイヤーズ

 正に、彼が探し続けていた男の名前だった。
 もし、その人物が本人だったら・・・レインは心の中で呟いた。

 一緒に住んでいる少年は何者なんだ、ダリル?



4X’s 2 1 - 2

 ケンウッド長官は数秒間黙り込んだ。重要性は理解しているのだ。彼はレインにどんな指示を与えるべきか考えているのだろう。レインは待った。思慮深く部下思いで、心から地球と言う星を、地球人を、ドーマー達を愛してくれているコロニー人の指示を待った。
 やがてケンウッドの声が質問して来た。

「彼は元気なのだね?」

 何を生業にしているのか、とか、誰と一緒にいるのか、とかではなく、最初にそれを訊いて来た。レインは目を閉じた。目の奥が熱くなったからだ。感情の波を出すまいと彼は用心した。

「元気そうです。」
「1人か?」
「同居人が1人いる様子です。」

 どんな同居人か、長官は尋ねなかった。代わりにこう質問した。

「彼は、固定された住まいを持っているのかね?」
「はい。」
「今君がいる場所から近いのか?」
「車で2時間ばかりの僻地ですが、遠くはありません。」
「君は彼と接触したのか?」
「まだです。彼はこちらの動きに気づいていません。」

 ケンウッドがちょっと息を継いだ。

「では、今いる場所から彼が直ぐにいなくなると言う懸念はないのだね?」
「ありません、今の所は・・・」

 恐らく、局長が職場に戻ってから具体的な指示が出るだろうとレインは予想した。

「ハイネは明日の午後まで休みだ。」

 と言うことは、体調不良ではなさそうだ。

「休暇を取られたのですか?」

 非常に珍しいことだが、遺伝子管理局長にだって休暇は必要だ。レインもその程度の常識は考えられた。

「休暇と言えば休暇だ。」

とケンウッド長官は曖昧な言い方をした。

「今朝から野外シミュレーションフロアで、執政官3名と共に野外訓練をしている。」
「はぁ?」

 思わず声に出してしまい、レインは慌てて「失礼」と謝った。
 野外シミュレーション・システムは、人類が宇宙に出た頃に開発されたプログラムと装置で、広い室内に模擬野外を作り出す。様々な条件の組み合わせで無限大の人工の自然風景を屋内に作り、その中で人間は本当の自然の中で活動している気分に浸れる。元は狭い宇宙船やコロニーで鬱になるのを防ぐ目的で開発された医療用システムだ。それが娯楽用に改良されたり、軍隊の訓練用に利用されるようになり、再現される自然のパターンが数えきれなくなった。
 ドームでは、ドーム外に出る仕事をするドーマーの訓練用に使用され、空いている時間帯はコロニー人もドーマーも予約さえ入れれば娯楽に使える。
 レインは訓練生時代に使ったが、それ以降は本物の自然を体験しているので、フロアの存在すら忘れていた。確か、ドームの地下4階ではなかったか?

「局長が野外訓練ですか?」

 生まれてから1度も外に出たことがないローガン・ハイネ・ドーマーなら、訓練も嬉しいだろうが、必要性はあるのだろうか? とレインが疑うと、ケンウッド長官はちょっと笑った気配だった。

「ハイネは名目上訓練だが、コロニー人達はただの娯楽だ。キャンプに行ったのだよ。」

 ハイネ局長を娯楽に付き合わせられる人間と言えば、1人しかレインは思いつかなかった。

「ヤマザキ博士の休暇なのですね?」
「うん。それにアイダ出産管理区長と、クローン製造部のティム・マーランドだ。」

 医療区関係の人々の休暇に、ハイネ局長は引っ張り込まれたのだろう。レインはちょっと皮肉ってみた。

「長官にはお誘いがなかったのですか?」

 ケンウッドが笑った。

「私はキャンプは苦手でね。ハイキング程度なら参加しただろうが・・・兎に角」

彼は本題に戻った。

「明日、ハイネが戻ってから具体的に検討しよう。君はいつ帰投する?」
「今夜です。」
「では、効力切れ休暇だな。申し訳ないが、午後は少し時間をくれないか。3人で話し合おう。」
「了解しました。」

 レインは通話を終えて、深呼吸した。

 遂に、この日が来た!


4X’s 2 1 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは端末電話の向こうで鳴っている呼び出し音に苛立っていた。相手が直ぐに出てくれないと言うことは、留守と言うことだ。

 だが、留守って、何処にいるって言うんだ? 彼は絶対そこにいる筈じゃないか!

 突然呼び出し音が止まって、レインはビクッとした。心の中の声が相手に聞こえたのかと思った。しかし、聞こえてきたのは、彼が耳にしたくない男の声だった。

「遺伝子管理局局長執務室、第1秘書ネピアだ。局長は本日はお休みだ。」

 レインは局長の仕事用番号に掛けたことを後悔した。電話は局長執務室の執務机にあるコンピュータに繋がり、出るべき人がいないので秘書が取ったのだ。

「局長はお休みなのですか?!」

 ちょっとショックだった。否、ちょっとどころか大いにショックだ。重要案件で電話したのだから、相手が電話の向こうにいてくれなければ困る。

 どうして局長は俺の大きな転機の時に限ってお仕事を休まれるのだ?

 それは20年前も、18年前も、そして・・・数える間も無く、ネピア・ドーマーが告げた。

「局長にも個人的なお時間は必要だ。しかし、伝言はお預かりしている。君から何か連絡があれば、ケンウッド長官に連絡しなさい、と言う指示だ。」

 レインはホッとした。そして局長が彼の報告を重要だと考えてくれていることに感謝した。レインが何を追っているのか、何を重視しているのか理解してくれている。
 レインの感激に気がつかないネピア・ドーマーが呟いた。

「何故君の報告だけ、そんなに重要視なさるのか、私は理解出来ないが・・・」

 レインは秘書の機嫌を取るつもりはなかった。時間が惜しい。相手に一言、「了解しました」と言って、電話を切った。
 一旦端末を持つ手を下げて、周囲を見回した。遺伝子管理局北米南部班タンブルウィード支局、通称中西部支局の廊下には誰もいない。各部屋のドアも固く閉じられている。レインは一呼吸置いてから、再び端末を持ち上げ、南北アメリカ大陸・ドームの最高責任者の個人番号に電話を掛けた。
 3回の呼び出し音の後で、直ぐにニコラス・ケンウッド長官の声が聞こえてきた。

「ケンウッドだ。」
「遺伝子管理局のレインです。」

 ハイネ局長とケンウッド長官の間には既に何らかの打ち合わせがあったのだろう。長官は直ぐに彼が直通電話を掛けて来たことに意味を感じ取った。

「レイン・ドーマー? 君の任地で何か大きな変化があったのかね?」
「ええ・・・」

 レインは声を潜めて囁いた。

「彼を見つけました。」


2018年8月1日水曜日

ただいま充電中

自分のブログをなんども読み返して、なんちゅうナルシストかと思うのですが・・・

読み返さないと、誰がどこで登場したのかわからん(笑