2016年11月30日水曜日

囮捜査 8

 ドームはケンウッド長官の発言をドーマー達に教えたくないのだろう、ドーム内ばかりでなく外のネットニュースでも長官の言葉の詳細は伝えられていなかった。
ただドームのマザーコンピュータにメンテナンスの一環としてプログラムの再構築を施すプロジェクトが始動すると言うことだけだ。
 ダリルはそれがかなり重要なことだと言う予感がしたが、恐らくコロニー人に尋ねても誰も答えてくれないだろう。マザーをハッキングすればわかるだろうが、そんなことをしてばれたら、次回は記憶削除では済まされないことを、彼は承知していた。「安全なドーマー」であることを証明するには、何もしないことが得策だ。
 朝食後、オフィスで仕事をしていると、10時過ぎにポールが出て来た。緊急会議の予定をクラウスから聞いたので、休みの日だがスーツを着用していた。管理職は辛い・・・。
 ダリルはコンピュータの画面を見ながら書類を作成していた。チラリと上司を見て、おはようと声をかけた。

「今朝は走らなかったのか?」
「ああ、たまにはさぼっても良いだろう。」
「朝飯はちゃんと食ったか?」
「食った。まるで母親みたいに五月蠅いな。」
「私は父親だよ。」

 彼は手を止めて、ポールに顔を向けた。

「娘に手を出しているだろ?」
「君の娘じゃない。」
「私には娘同然だ。」
「俺がJJとお喋りするのが気に入らないってか?」
「そんなことを言っているんじゃない。君はどこまで真剣なんだ?」

 ポールが一瞬返答に詰まった。ダリルは待った。ポールが言い訳を探しているのか、ただ自分の気持ちを的確に表現する言葉を探しているのか、わからなかった。
 やがて、ポールは慎重に言葉を選んで言った。

「わからない。だが、時々無性に彼女と一緒に居たくなるんだ。」

 それは、多分、彼女がいつも同じ場所に居て彼が呼び出せばすぐ答えてくれるから、彼は安心しているのだ。彼女が何処にいるのかわからない、何時会えるのかわからない、そんな立場だったら、恐らく彼は居ても経ってもいられないのだろう。

 此奴、本気だ。

 他人のことは常に冷静に分析出来る男が、自身の気持ちの持って行きようがわからなくて戸惑っている。

「妻帯許可を申請しろよ。」

 ところが

「嫌だ。」
「どうしてだ?」
「君と別れたくない。」
「私はいつもここに居るじゃないか。ドームから絶対に出て行かないから・・・」
「俺は・・・」

 ポールは横を向いた。

「君と俺の間に誰かが入るのは嫌なんだ。」
「それは、我が儘と言うものだ。JJが欲しい、ダリルも欲しい、では、どっちも失うぞ。」
「では、どうすれば良いんだ?」
「JJと相談しろ。彼女は君と結婚したいのか、それとも今のままで良いのか。」
「結婚したいと言ったら?」
「結婚しろよ。」
「だから・・・」
「私達の部屋には寝室が2つあって、ベッドは3台あるぞ。」
「3人で暮らすのか?」
「私はかまわないよ。」
「・・・」

 悩むポールは、どうやら婚姻に関して常識があるようだ。
 ダリルはこれ以上彼を虐めるのを止めることにした。

「今の部屋は君とJJが使えば良いさ。私はまた独身用のアパートに部屋をもらう。君がそこに通ってくれば済む話だろう。」

 ポールが返事をしないので、ダリルはこの話題を終えることにした。仕事を再開しかけて、ふと今朝の疑問を思い出した。

「それはそうと、夕べ君が部屋に帰った時、私はどっちのベッドで寝ていた?」

 ポールが振り返った。

「ベッド?」

と彼が聞いた。

「君は床に落ちていたんだ。仕方なく拾い上げたところで、君のベッドより俺の方が近かったから、そこに寝かせておいた。殴られないように気を遣って隣で寝るのも苦労するんだぞ。」




2016年11月29日火曜日

囮捜査 7

 翌朝、ダリル・セイヤーズ・ドーマーは目を覚ましてびっくりした。昨夜は自分のベッドで寝たはずなのに、ポールのベッドの中に居たからだ。すぐ隣でポールが眠っていた。普段は早く起きて早朝ジョギングに出かけるはずだが、抗原注射の効力切れで仕事が休みだから、さぼっているのだ。
 ダリルは自分がちゃんと夜着を着ていることを確認した。そして何故ポールのベッドに居るのか考えたが、どうしても答えが見つからなかった。夢遊病になったのだろうか? それとも眠っている間にポールに攫われたのだろうか?
 考えても埒が明かないので、ダリルはベッドから抜け出してキッチンに行った。冷たい水で喉を潤して、シャワーを浴びた。ボスは休みでも秘書は仕事がある。服を着て、朝食を取りに食堂へ向かった。ポールは好きなだけ寝かせておく。仕事人間だから、こんな場合でないと休息を取らないからだ。
 北米南部班の朝食会は既にお開きになりかけていた。打ち合わせは副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーがきちんとやってくれたのだ。この男は抗原注射を必要としない「通過者」なので、効力切れ休暇など関係なく仕事をしてくれる。
 ダリルが仲間におはようと挨拶して席に着くと、クラウスがその日の予定を確認してくれた。ダリルに特別な仕事はなかったが、ポールには午後に遺伝子管理局の幹部会議が入っていた。気の毒だが休暇は午前中だけの様だ。

「御大はまだ就寝中ですか?」

 クラウスが、珍しいこともあるもんだ、と呟いた。すると彼の隣に居た部下が端末の画面を見せて、

「こんなことをするからでしょう?」

とニヤニヤ笑った。例のパパラッチサイトだ。ダリルが覗くと、ポールとJJが映っていた。場所は女性用観察棟の玄関前だ。2人は壁に並んでもたれたり、向かい合って互いに見つめ合っていたり、と行動していたが、その場からは動かなかった様子だ。
タイトルは「真面目な2人」。

ーー我らがアイドルは、近頃年下のガールフレンドが出来たようだ。夜間に彼女をドアの外に呼び出し、小1時間も話し込んでいた。彼等の交際はこの状態から発展するのだろうか、それともこれで留まるのだろうか? 観察するお楽しみが増えたようだ。

 ポールのJJに対する気持ちが世間にばれた様だ。幸いにも、「清い」交際の段階なので、照れ臭いだろうが、それが原因で仕事に影響が出るとは到底思えない。ただ、執政官達、つまりファンではなく本来の意味での遺伝子学者達が彼等の交際を認めてくれるだろうか。お誕生日ドーマーの段階ではなく、もっと発展する段階で・・・。
 クラウスが反対側からやはりその画面を眺めて、ダリルを見た。

「ダリル兄さんは平気なんですか?」
「何が?」
「何がって・・・ポール兄さんが女性と交際しているんですよ、しかも相手はJJだ。兄さんの娘みたいなものでしょう?」
「私はポールの婚姻には口出ししないつもりだ。彼が女性を大事にするなら、文句を言わない。」
「じゃあ、兄さんは独りになってしまう・・・」

 ダリルはちょっと驚いた。

「君は私を心配してくれているのか?」
「だって、兄さんがドームに帰ってきたのは、ポール兄さんの為でしょう?」

 クラウスはそんな風にダリルの帰還を考えていたのだ。進化型1級遺伝子とか、女の子を生める染色体とか、そんな目に見えないものではなく、現実の目の前にいる人の為にダリルはドームに帰って来たのだと。ちょっと感激してしまう・・・

「クラウス、今君を抱きしめてキスをしたいよ。」
「朝っぱらから止めて下さいよ。」

 ダリルとクラウスにはさまれている部下は、ちょっと戸惑っていた。するとダリルが彼に言った。

「今朝は他に面白い話題はアップされていないのか?」
「え? ええっと・・・」

 部下は画面をちょいちょいと触った。

「画像じゃないけど、ニュースとしては、『ケンウッド長官 月からご帰還』、なんだか向こうの会議で長官の発言が物議を醸し出したみたいで、帰還が遅れたんです。」
「長官は何を発表したんだ?」
「さぁ・・・」

 部下は記事にさっと目を通した。

「よくわかりませんが、マザーのプログラムの再構築とかなんとか・・・」





2016年11月28日月曜日

囮捜査 6

 夕食は静かだった。ダリルは落ち込んでいたし、ポールも任務が失敗で終わったのでどちらも口数が少なかった。それでも、翌日は抗原注射の効力切れで食欲が落ちることがわかっているので、ポールはしっかり食べ物を胃に入れておいた。ダリルは落ち込んでいても本人に何か食べようとする意志はあるみたいで、腹持ちのする脂っこい物を食べた。
 食事が終わると、ダリルは「先に帰って寝る」と言って席を立とうとした。ポールがその手をそっと押さえた。ダリルは仕方なく局長との会話を心の中で再現した。

「俺は局長に賛成だな。」

とポールが呟いた。

「ごり押しするつもりはないさ。」

 ダリルはそう言って、手を引っ込めると立ち上がり、食器を返却して食堂を出て行った。その後ろ姿を見送ってから、ポールは端末を出した。
ジェリー・パーカーにメールを送りたかったが、ジェリーは未だ端末携行を許可されていないので、監視役の保安課アキ・サルバトーレにメールを打った。

ーーパーカーに伝言を頼む。『余計なことをセイヤーズに吹き込むな』

と打ってから、暫く彼は画面を眺め、メッセージを消した。もう1度打ってみた。

ーーパーカーに伝言を頼む。『おやすみ』とレインが言っていたと伝えてくれ。

 恐らく利口なジェリー・パーカーはそれだけでポールが言いたいことを理解するだろう。
 メッセージを送信して、暫く彼は1人でお茶を飲んでいた。彼のファン達が周囲でなんとかして彼に話しかけられないかとそわそわしていたが、いつもの如く無視した。
テーブルの4つ向こうを小さな掃除ロボットが移動していくのが見えた。それを眺めてから、ふと思いついてJJにメールを送った。

ーー今夜会えないか?

1分ほどして返事が来た。

ーー今日はもうご飯を済ませたわ。
ーー俺も終わった。話をしたい。
ーー難しい話?
ーー否。何でも良い。話をしたいだけだ。
ーー女性棟だから貴方は入れないわ。夜の1人歩きは駄目だって言われてる。
ーー玄関口でかまわない。これから行く。

 返事は見ずに食堂を出た。彼が真っ直ぐ女性用観察棟に行くのを、すれ違った人々が不思議そうに見送った。
 JJはドアのすぐ外で待っていた。ポールは「やあ」と声をかけ、彼の方から彼女をハグした。JJがちょっとびっくりしていると、彼は彼女を離してから、言った。

「今日の出来事を聞いてくれないか? 退屈だったら直ぐに止めるから。」

2016年11月27日日曜日

囮捜査 5

  お八つの後、ダリルは本部に戻り、局長の手が空いているかどうか秘書に尋ねてみた。すると局長はジムに出かけたとのことだったので、自身もジムへ行った。
ローガン・ハイネ局長は素晴らしい体をTシャツ1枚とトレーニングパンツだけで包んで歩行トレーニングをしていた。ダリルも着替えて局長の隣に並んだ。ちらりと彼を見て、局長が尋ねた。

「話でもあるのか?」
「セレック親子の話をジェリー・パーカーにしてみたのですが、パーカーが囮捜査を提案したのです。」
「駄目だ。」

 局長は即座に却下した。

「ドーマーはそんな任務の為に育てられるのではない。」
「ですが、遺伝子管理局が保護したクローンばかり狙われているのですよ!」
「警察の仕事にドームは介入しない。」
「捜査協力はするでしょう? メーカーの摘発は合同の仕事じゃないですか。」
「メーカーの摘発は遺伝子管理局の仕事だ。殺人事件の捜査は警察の縄張りだ。」

 局長はトレーニング装置のスイッチを切った。ダリルも機械を止めた。

「セレック親子と自分を重ね合わせたか、セイヤーズ?」
「それは・・・」
「息子がFOKに襲われたらと心配なのだろう?」
「正直に言えば、はい。」
「北米北部班に、君の息子を捜索させている。見つけ次第、本人の意志と無関係にドームに収容する。」
「何時からそんなことを?」
「君の息子が逃げて以来だ。南部班では、頼りない。流石のレインも我が子には甘いようだ。」

 ドームは、と言うより、遺伝子管理局はライサンダーを諦めていなかったのだ。ローガン・ハイネ・ドーマーは、ダリルとケンウッド長官との約束など完全に無視するつもりだ。

「息子が逃げてから既に3ヶ月経つのに、まだ見つけられないのですね?」
「君は18年間隠れ通したじゃないか。」
「しかし・・・何故北部班なのです? 息子は南部にいるのでは?」
「北部でそれらしい少年が目撃されている。不確定だが。」

 ダリルはFOKの活動が北部で目立っていることを思い、気が重くなった。

「囮捜査の件は考えてみよう。しかし、ドーマーは使わない。外の警察機関には囮捜査官がいるはずだし、これはあっちの仕事だ。外にこの案を提案しておくから、君はこれ以上口出しするな。これは命令だ。」

 ダリルは渋々わかりましたと言って、ロッカールームに引き揚げた。端末にポールから連絡が入ってた。
 消毒が終わったのでオフィスに居ると言う。夕食前に報告書をまとめてしまうのだ。
彼はモア兄弟に逃げられてしまった。FOKは支局にスパイを送り込んでいたと思われる。
ダリルは、それだけでもドームが捜査に参加する理由になるのに、と思った。
 オフィスに入ると、ポールが執務机の向こうで仕事をしていた。今回は激務ではなかったので、疲れは見られない。むしろダリルの方が精神的に疲れた。
 ダリルが休憩スペースでポールの仕事が終わるのを待っていると、ポールが手を止めた。

「へたっているのか?」
「うん・・・ちょっとね。」

 ポールはそれ以上尋ねずに、再び作業を始めた。何があったのか、触ればわかるので、それ以上は質問しない。それに、ダリルが部屋に戻って来る前に、局長からメールが来ていた。

ーーセイヤーズから目を離すな。また無茶をする恐れがある。



囮捜査 4

 ドームに帰投したのは昼過ぎだった。ハイネ局長にナサニエル・セレックの証言を報告すると、それを文書にするよう命じられた。1人でオフィスで作業をして、午前中に溜まった仕事をすると昼食を食べ損なった。
 ポールは休憩スペースにお茶をストックしているが食べ物は置いていない。お茶菓子ぐらい置いておけば良いのに、と心の中で愚痴りながらも猛スピードで仕事をやっつけた。
 やっとコンピュータから解放され、オフィスの外に出たところで、端末にポールから連絡が入った。午後5時過ぎに戻るから夕食を一緒に取ろうと言うものだ。

 そんなに待てるか!

 ダリルは空腹だったので、食堂へ向かった。パンケーキと珈琲でなんとか繋いでいると、ジェリー・パーカーが現れた。少し離れてついて来るのは監視のアキ・サルバトーレだ。ジェリーはダリルを見つけると、周囲を見回した。ポールがいないことを確認してからテーブルにやって来た。

「1人か?」
「うん。ちょっと外に出ていたんで、昼飯を食い損なって、今やっとお八つにありついたところだ。」
「おまえが外へ?」

 ジェリーが少しびっくりした。外出禁止のドーマーが外出したので驚いたのだ。

「必要があれば、ドームは誰でも利用するさ。君だって、そのうち外に出かける用事が出来るかも知れない。遊ぶ暇はないけどね。」
「ふーん・・・」

 ジェリーは窓の外を見た。ドームの壁越しに空が見える。外は雪が舞っていたが、ドームの中は常春だ。ジェリー・パーカーは自由に出かけたことがあったのだろうか、とダリルはふと思った。ラムゼイ博士にとって、大事な地球人の遺伝子をストックした人間だ。何か事故に遭ったりしたら大変だ。

「ジェリー、君はセント・アイブス・メディカル・カレッジのミナ・アン・ダウン博士を知っているかい?」
「俺はセント・アイブスには行かなかったんだ。博士はあの街の遺伝子学者達に俺を逢わせたくなかったんだ。」
「そうだったな・・・博士はトーラス野生動物保護団体の人間達を信用していた訳じゃなかった。君を奪われたくなかったのだ。君は、ダウン博士とは面識はない・・・か。」
「女だな? その女博士がどうした?」

 それでダリルはセレック親子の身に起きた悲劇を語って聞かせた。ジェリーは聞いているうちに不機嫌になった。彼はメーカーだ。メーカーは違法なクローン製造業者だが、命を創る商売をしているのであって、命を奪う仕事はしない。クローンの子供を殺害して医療実験に使ったと言う話は、彼に怒りの感情を沸き立たせた。

「許せない・・・ラムゼイ博士だって、脳移植は考えていたが、クローンの命を奪うことには抵抗を持っていた。だから、クローンを意識を持たせずにある年齢の大きさ迄培養して使うと言う博士の考えは机上の空論で、本人も実現は無理だと言っていた。あの人は、おまえ達がどう思っているか知らないが、本当に人を殺すのは嫌いだったんだ。」
「トーラスとFOKが繋がっていると言う説はどう思う?」
「トーラスの連中全員ではないだろう。金持ちの年寄りの自己中が、偽テロリストと手を組んでいると考えた方が良いかも知れないな。」
「つまり、トーラスの会員でない人間もいると?」
「ああ。」
「なんとかそいつらが事件と関係していると言う証拠を得られないものかな?」
「おまえ、いつから刑事になったんだ? 遺伝子管理局の仕事はメーカーの摘発だろう?」
「だが、襲われているのは、遺伝子管理局が保護したクローン達なんだ。他人事ではない。」

 ジェリーはダリルを眺めた。

「つまり、おまえは、ライサンダーが心配なんだ。」

 ずばり本心を言い当てられて、ダリルはどきりとした。行方不明の息子がFOKに捕まっていたらと想像すると、いてもたってもいられない。

「連中はドーマーの細胞が欲しいだろうな。」

とジェリー。

「健康で綺麗な容姿の男達のクローンを創れたら、ヤツらは大喜びだろう。誰かがちょっとだけ捕まってやって、連中の尻尾を掴めたら良いんじゃないか?」
「囮を出せってか?」
「ラムゼイ博士が連中と何処まで親しくしていたのか知らないが、仲間の子種を持ち出して脱走したドーマーの話程度はしているかもな。」
「私が囮に?」
「別におまえじゃなくても良いだろ?」




2016年11月26日土曜日

囮捜査 3

 単独でドームの外に出たのは逮捕後初めてだ。一緒にゲートから出た北米北部班の局員達は空港へ向かった。ダリルも飛行機に便乗させてもらい、途中の旧国境付近の休憩ポイントで下ろしてもらった。そこから刑務所までは車で半時間。面会時間を入れて約2時間を刑務所で過ごすとして、空港に帰る頃に、帰りの飛行機が再びやって来るので、拾ってもらう計画だ。
 護衛は付かない約束だったが、現地の警察が出迎えてくれた。ドームが手配したのだ。
警察としては余計な仕事が増えて迷惑だろうに、とダリルは同情した。しかし警察官が同行してくれたので、刑務所のゲートはすんなりと通過出来た。
 刑務所は高い塀がある訳ではなかった。重罪犯が入る所ではないので、囚人も街に出て奉仕活動などを行っている。それでも監視は付いていた。刑務所内に入るにも身体検査があった。囚人が脱走する恐れもない訳ではなく、また囚人に危害を与える人間が接近する恐れもあるからだ。
 なんとなく違和感があった。地球人の中にいるのに、他の星の人間の中に放り込まれた感じだ。刑務官にそう言う雰囲気があって、憎しみを抱かれている様な変な感覚だ。
麻痺光線銃を預ける時、向こう側が遺伝子管理局を異星人を見る様な目で見ていることに気が付いた。ドームの人間は地球人から見ると異質なのだろうか。
 ダリルはちょっと哀しく思えた。18年間の逃亡生活の間は、身分を隠していたから周囲も温かく接してくれたのだ。もしドーマーだと知られていたら彼等の接し方は違っていたかも知れない。
 中へ入るとき、警察官がそばに来てそっと囁いた。

「刑務官にも囚人にも気をつけて下さいよ。あいつ等、飢えているから。」

 その警察官とは移動の間、世間話をして心やすくなっていた。彼はダリルが所内の雰囲気に違和感を抱いたことを敏感に感じ取ったのだ。恐らく、警察官も同じ感想を抱いているのだろう、と思うとダリルは少し気が楽になった。
 警察官とは暫くお別れだ。ダリルは所長の出迎えを受けた。ちょび髭を生やした貧相な体格の男で、蜥蜴の様な感情に乏しい目をしていた。

「外からの客が来ると囚人達が騒ぐので、目立たないようにして下さいよ。」

と所長が言った。ダークスーツのイケメンが来ると何者か一目でわかることを、承知で言っているのだ。囚人の多くは遺伝子管理法違反で逮捕された者達だ。局員は憎まれている。
 面談室は重罪犯と違って普通の部屋だった。テーブルが5つあり、その時は面会人はダリル1人だけだったが、複数の面談を同時に行えるようになっていた。
 適当に座って待つ様にと言って、所長は職員にナサニエル・セレックを連れて来るように言いつけた。ダリルは窓に近いテーブルに席を取った。
 窓の外はそれなりの高さがある塀で、その向こうは森だ。冬枯れの木々の間に赤茶けた地面が見えている。ドームの中に居ると季節の移ろいがわからないが、外は確実に時間が過ぎている。間もなく雪が地面を覆い尽くすだろう。
 ナサニエル・セレックが現れた。今日は外での作業に出ていなかった様で、オレンジ色の囚人服で髪や髭は綺麗に手入れしてあった。面会人が遺伝子管理局の人間だと知ると眉をひそめたが、素直に向かいに座った。彼は息子の死を既に教えられていると聞いていたので、ダリルは先ずお悔やみを言った。セレックは頷いただけだった。
 ダリルは尋ねた。

「収容所に入れられなければ、ロバートは死なずに済んだと思うかい?」

 セレックは答えなかった。ダリルを睨んだだけだった。

「私が今日ここへ来たのは、君の息子を殺害した犯人の手がかりを求めているからだ。君は密告者の正体に心当たりはないだろうか?」
「倅はテロリストに攫われて殺されたと聞いている。俺はテロリストなんかに知り合いはいない。」

 セレックの声は容貌と比較すると若く聞こえた。

「そうだ、私達はテロリストを捜している。彼等は大人になりかけの少年ばかりを狙うのだ。」
「訓練して兵士にするんだろ?」
「ロバートの遺体には医学実験に使われた痕跡があった。」

 セレックは息子の死に様を教えられていなかったのだ。刑務所側は彼の気持ちを考慮して、詳細を伝えなかった。セレックの声が震えた。

「何の実験だ?」

彼は立ち上がった。

「俺の倅を何の実験に使ったんだ?!」
「落ち着いて、ナサニエル。」

 ダリルは出来るだけ穏やかに声をかけた。

「ロバートは麻酔をかけられていたはずだ。だから苦しまなかった。」
「だから、何の実験だと聞いているんだっ!」

 セレックがテーブルの上に体を伸ばしてダリルを掴もうとした。ドアの向こうにいた職員がガラス越しに見て、ドアを開いた。ダリルは来るなと合図を送り、セレックの手を素早く握った。

「思い出してくれ、ナサニエル、君はロバートがクローンだと誰かに打ち明けたことはなかったか?」

 両手を包み込まれる様に握られ、セレックはテーブルの上に身を乗り出したまま固まった。不安定な態勢になったので、力が入らない。

「密告者の正体を知りたい。君から息子を引き離したヤツ等の正体だ。」

 セレックはダリルを見つめた。ダリルは情に訴えるやり方は好きではなかったが、打ち明けた。

「私もクローンの息子がいるんだ。遺伝子管理局にばれて、息子は今逃亡中だ。私は管理局の監視下に置かれている。しかし息子の安全の為にも捜査をしなければならない。多くのクローンの子供達の安全の為にも、FOKを捕まえたい。」
「遺伝子管理局のあんたに、クローンの息子だって?」
「ドームに帰れば、私は囚人なんだ。」

 刑務所の囚人とは立場が違うが、ダリルにとってはそれは事実だった。一生外では暮らせない。「元ドーマー」になる権利はないのだ。

「1年前だ・・・」

 セレックがぽつぽつと語り出した。

「セント・アイブスでクローン救済基金と言う団体の役員オフィスを設計した時に、彼女に打ち明けた。
 ロバートが風邪をこじらせて・・・倅は心臓が弱かったんだ・・・ちょっとした風邪でも高い熱を出すし・・・クローン特有の病弱体質だと、逮捕された時に警官が言っていた・・・。
 医者に診せたら、入院の必要があると言われて・・・入院には身分証が必要だった。
彼女が病院に話しをつけてくれて、ロバートはそこで一命を取り留めたんだ。」
「彼女とは?」
「メーカーから赤ん坊を受け取って以来、打ち明けたのは、後にも先にも彼女だけだ。命の恩人だ。テロリストなんかじゃない・・・」
「彼女とは誰だ?」

 セレックの目に涙がにじんだ。

「ミナ・アン・ダウン。 セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長だ。」

 ダリルの頭の中でトーラス野生動物保護団体の会員名簿とその名が照合された。
あった! それも只の会員ではない。ラムゼイ博士の死亡事故現場に居合わせた理事の1人、医師の妻だった。彼女がFOKとどう繋がるのか、それはこれからの捜査だが、とっかかりになる。

「有り難う、ナサニエル、彼女に君の秘密を誰かに漏らさなかったか、聞いてみるよ。」



囮捜査 2

 夕方になって、外に居るポール・レイン・ドーマーから連絡が入った。

「今日は帰れそうにない。手荷物検査官のガブリエル・モアと言う男を捜している。」
「逃げたのか?」
「昨日、クーパー支局長がドームに召還されたと聞いて、急にセント・アイブスに住んでいる兄が急病だと行って早退したそうだ。
 今朝になっても出勤してこないので、同僚が連絡を取ろうとしたが、電話に出ない。
 クーパーと俺とでモアのアパートに行ってみたら、もぬけの殻だった。」
「セント・アイブスの兄と言うのは?」
「実在するが、こいつも昨日から行方不明だ。民間の遺伝病治療の薬品製造会社に勤めていたらしいが・・・」
「兄弟そろってFOKなのかも知れないな。」
「そう言う訳で、今夜は支局が用意してくれたホテルに泊まる。明日は注射の効力が切れる前に帰投するから、局長に伝えておいてくれ。報告書はホテルから送る。」

 ダリルはポールが電話を切る前に、急いで明日の外出を伝えた。ポールは少し驚いた。ダリルの単独外出を局長が独断で許可したからだ。執政官の裁定を待たずに、外へ出すのか?
 ダリルはポールを宥める様に言った。

「刑務所に行って、殺害されたクローンの子供の親と面会するだけだ。話を聞いたらすぐに帰る。局長との約束は守るよ。信じてくれているからね。」

 するとポールは

「俺も君を信じていたんだがな。 もっとも、あの時は君の若気の至りだった。」

と皮肉を言った。そして一言

「浮気は厳禁だぞ。」

と言って通話を終えた。ダリルは端末を見つめた。何なんだ、一体? 18年前のことをまだ持ち出すのか? 私がいつ浮気した? 
 ポール・レイン・ドーマーは案外嫉妬深い男だったのかも知れない。
 ふと思いついて、端末で、例のパパラッチサイトを開いてみた。すると、早くもその日のお昼に撮影された画像がアップされていた。タイトルは「油断するなポール!」。
画像は、一般食堂でダリルを囲んで昼食を取る数人の執政官達のものだ。解説文を読んで、ダリルは吹き出した。

 ギル博士を殴って執政官を敵にまわしていたダリル・セイヤーズ・ドーマーだが、その魅力に惑わされたコロニー人の間で一気にファンの数を増やした。早くもファンクラブが結成され、レインのファンクラブとの掛け持ちも現れる始末。レイン、油断するな、恋人にファンを奪われるぞ。

 パパラッチサイトはドーム内だけのもので、外では閲覧出来ないので、ポールがこれを見たはずがない。ポールの台詞は恐らく、局長の「道草を食うな」と同じ次元のものであろう。
 それにしても、このパパラッチは一体何者なのだろう。用心している時には現れず、油断しているとしっかり撮影されてしまう。ドーマーなのかコロニー人なのか、それも不明だ。ダリルは執政官達に包囲されたと言う意識はなかった。ドーマー仲間と同じテーブルで世間話をしながら昼休みを過ごしたのだ。一般食堂に執政官が来るのは珍しくないし、特に若い遺伝子学者達は上司の目から逃れる為にドーマー達が多い場所へやって来る。画像の中のコロニー人達がダリルのファンだと誰が思ったのだろう?




2016年11月23日水曜日

囮捜査 1

 ポール・レイン・ドーマーがローズタウン支局長トーマス・クーパー元ドーマーと共にドームの外へ出かけて行った。
 留守番のダリルはいつもの仕事をこなし、余った時間で調べ物をした。クローン収容所から少年達が攫われた当時の資料を閲覧したのだ。これは違反行為をしなくてもドーム外の新聞記事や警察発表等を検索すれば直ぐに見つかった。
 死体で見つかった少年の名前はロバート・セレックと言った。彼は何処かのメーカーが創った単純クローン、つまり核を取り除いた卵子に父親の遺伝子を入れて発生させたクローンとして生まれた。17歳になった直後に父親共々遺伝子管理局に逮捕された。密告があったのだ。ドーム外の情報源には密告者の正体は記録されていなかった。
 父親のナサニエル・セレックは懲役2年の刑を宣告されて刑務所に収監された。少年はクローン収容所に収容された。技術の未熟なメーカーが製造したクローンにありがちなひ弱な体で、収容所は彼を医療監視に置き、父親が出所する迄保護することにした。違法クローン製造は、親の罪であるが子供に罪はないと言う考え方で、刑罰を与えられるのは親のみ、収容所は親が刑期を終える迄子供を預かる訳だ。
 ロバートは消化器系統に問題があり、収容所は医療手術を受けさせることにした。FOKが襲撃したのは、手術の前日だった。当時収容されていた子供は5名、うちティーンエイジャーはロバートを入れて2名だった。FOKはその2名だけを誘拐した。

 FOKは実験体の調達に施設を襲ったのだ。成人に近い体格の子供だけを狙い、拉致した。クローンの解放なんて嘘っぱちだ。

 次に少年の検屍報告書を読んだ。画像は飛ばして文章だけ目を通した。
 少年の脳が取り出された後の頭蓋の空間は綺麗だったと言う。脳を戻せる状態にしてあったのだ。殺人者は誰かの脳をロバートの頭に移植するつもりだったのだろうか。それとも少年の脳をもう1人の実験体の頭部に移し、移植手術の練習をしたのだろうか。いずれにせよ、ロバートの脳は元の場所に戻してもらえなかった。
 ダリルは資料を閉じて、暫く自身の目も閉じていた。刑務所の中にいる父親は息子の死を知らされたはずだ。どんなに悔しいだろう。哀しいだろう。報告書は親子の生活をうかがわせる記事を載せていなかった。ただ、ナサニエルの職業は渡りの設計技師だと記載されていた。恐らく息子がクローンであることがばれないように、旅をしながら育てていたのだろう。
 ダリルはハイネ局長に電話をかけた。

「FOKに殺害されたと思われるロバート・セレックの父親、ナサニエル・セレックに面会したいのですが?」
「何の為に?」
「どこで息子がクローンだとばれてしまったのか、心当たりがないか、聞きたいのです。遺伝子管理局は密告を受けたが、密告者が何故ロバートがクローンであると知ったのか調べていないでしょう? セレック親子は旅をして暮らしていました。周囲の人間にすぐには子供の出生の秘密を知られるとは思えません。」
「密告者とFOKの接点を探ろうと言うのか?」
「警察の仕事だなんて仰らないで下さい。警察は密告者の身元を調べもしていないのです。」

 局長は少し黙ってから、質問した。

「日帰りで行ける距離か?」
「早朝に出かければ充分です。心配でしたら、チーフ・ドーソンの班に同行します。」
「では、明日行ってこい。刑務所には私から連絡を入れておいてやろう。道草は食うなよ。」

暗雲 21

 ポール・レイン・ドーマーは幹部クラスだから中央研究所の食堂に自由に出入り出来た。しかし今まで彼が自らの意志でそこに行くことはなかった。遺伝子管理局の幹部で集まって食事会の形で会議をするか、ファンクラブの連中に殆ど無理矢理連れて行かれるか、そのどちらかだった。仕事でなければ大勢の集まりで、個人で来ることはなかった。
 だから、彼が彼自身の意志で、私服姿で、しかも同伴はダリル・セイヤーズ・ドーマー1人だけで、食堂に現れたので、その場に居合わせた人々は驚いた。
 時刻は午後8時を過ぎて、食堂は空いていた。マジックミラーの壁の向こうは、規則正しい生活を義務づけられた妊産婦がいるはずもなく、医療区関係者が数名食事をしているだけだった。
 ポールは入り口で中をざっと見回してから、配膳カウンターへ向かった。その足取りはいつもより堂々として力強かった。一方、後に続くダリルは少々疲れた表情で脱力感を漂わせていた。
 厨房スタッフが「こんばんは」と声を掛け、ダリルをチラリと見て、ポールに「大丈夫か?」と囁いた。ポールは相方を振り返りもせずに答えた。

「彼は眠いだけだ。飯も食わずに寝かせたら、夜中に腹を空かせて目を覚ます。騒ぎ出されると困るから、連れて来た。」

 2人はそれぞれメインディッシュを受け取ると、銘々好きなサイドディッシュを取りそろえて、窓際の空いたテーブルに席を取った。
 暫く黙って食べていたが、そのうちにダリルが話し掛けた。

「君とライサンダーは食べ物の好みが全く同じなんだなぁ。違っているのは、息子は甘味料が入ったソフトドリンクを好むが、君は絶対に飲まないと言うところだ。」

 ポールが食事の手を止めた。

「さっきは完全にガキのことを忘れていたのに、もう思い出したのか?」
「仕方がないよ。18年間、ずっと傍らに彼は居たんだから。」
「君の頭の中はガキのことでいつもいっぱいだ。」

 ポールが愚痴った。

「セント・アイブスでの救出作戦の時だって、そうだった。君は俺ではなく、ライサンダーの所へ真っ先に行ったんだ。」
「あの時は、クロエルが指揮官だったから、一番の大物救出を指揮官に譲ったんだ。チームの誰もライサンダーが危険な状態に居ると考えもしなかったからね。だから私があの子を助けに行った。それだけだ。君のこともいつも想っているよ。」
「君の心の半分はガキで占められているってことだ。」
「50、50では不満なのか?」
「俺は君が生まれた時から隣に居たんだぞ。」
「では、60、40にする。」
「どっちが60だ?」
「君だよ、決まっているだろ?」
「たったの60?」
「それじゃ、70、30。 これ以上は譲れない。」

 ポールの水色の目がダリルをじっと見つめた。
 次の瞬間、ダリルは彼の笑い声に驚かされた。ポールは平手でテーブルの面を叩き、それから体を仰け反らせて笑った。

「人の心は尺では量れないといつも言っているのは、ダリル、君じゃないか!」
「話を始めたのは、君の方だろ?」
「俺は半分と言ったんだ。50パーセントなんて言ってないぞ。」
「半分と50パーセントは違うのか?」
「大違いだ!」

 ポールはまだ笑っていた。

「上手く説明出来ないが・・・半分って言うのは、ある瞬間は君はガキのことしか考えていない、別の瞬間は俺のことだけを考えているってことだ。50パーセントって言うのは、君がガキのことを考えている時に同時に俺のことも考えているってことだ。」
「よくわからん理屈だ・・・」

 ダリルはワイン風味の葡萄ジュースのグラスに手を伸ばし、ふと周囲の人々が自分達を見ていることに気が付いた。
 実際、食堂内に居た人々、とりわけポール・レイン・ドーマーのファンクラブの面々は2人の会話に聞き耳をたてていたのだ。そして突然のポールの笑い声に驚かされた。
ポールが彼等の前で声をたてて笑うなど、初めてだ。それも演技ではなく、本当に愉快そうに豪快に笑ったのだ。 ファンクラブとしては、これは衝撃的な出来事だった。

ポールの本当の笑顔を見てしまった!
今までのポール・レイン・ドーマーは、本当の笑顔を見せてくれていなかったのだ!

 凄く悔しいが、同時に嬉しい、と言うのが彼等の感想だった。アイドルが幸せなら、それがファンの幸せでもあるのだ。
 ダリルは、ポールの方に顔を寄せて、少し声を落として話しかけた。

「さっきの会話、彼等に全部聞かれたと思うか?」
「思うどころか、確実だ。」

 ポールは聞かれたってかまわないと思っていた。ライサンダーが誰の子供なのか知られたってかまわない。ダリルがライサンダーの親で、ライサンダーがポールの子供でもあるなら、ダリルはポールのものだ。
 ファンクラブの幹部の1人が、意を決して2人のテーブルに近づいて来た。

「こんばんは、ポール。」

 彼はダリルにも「こんばんは、セイヤーズ」と声を掛けた。ポールはいつもの通り頷いただけで、ダリルは「こんばんは」と挨拶を返した。その執政官は隣のテーブルの椅子を引き寄せて2人のテーブルのそばに座った。

「悪いけど、先刻の君達の会話が聞こえてしまったんだ。それでちょっと聞きたいのだが・・・」

 彼は、少し躊躇ってから、ダリルに向き直った。

「ライサンダーと言うのは、君の子供なんだね、セイヤーズ?」
「そうです。」
「確か、メーカーに創らせた・・・」
「そうですが?」
「進化型1級遺伝子を持っているのか、その子供は・・・」

 ダリルが一瞬躊躇うと、ポールが代わりに答えた。

「持っているが能力の発現には至っていない。不完全だ。」
「不完全?」
「サタジット・ラムジーは普通の地球人を創ったんだ。所謂『超能力』を持っていない人間だ。」

 不信感が顔に表れた執政官に、ポールはきっぱりと断言した。

「俺が本人に直接面会して確認した。遺伝子管理局の審査を疑うのか?」

 ぐっと睨まれて、執政官はたじたじとなった。ポール・レイン・ドーマーが執政官に強い態度で出るのは初めてだ。この変化は何なのだ? 今までコロニー人に逆らわなかったアイドルが牙を剥いて唸っている?
 ダリルがのんびりと口をはさんだ。

「私は普段から素行が悪いから、息子まで疑われるんだなぁ。」

 ポールは執政官から視線を外し、ダリルの皿を見た。

「早く食ってしまえ。俺は明日早いんだから、食べたらさっさと帰って寝るぞ。」
「待ってくれ、デザートまで行きたいんだ。」
「だから早く食え!」

 ダリルが執政官を見て苦笑いした。

「この男はいつも命令口調なんだ。」










2016年11月22日火曜日

暗雲 20

 ポール・レイン・ドーマーは1度自身のオフィスに戻った。ダリルは既に午後の仕事を片付けて姿を消しており、どうしてもポール自身の署名が必要な書類が20通ばかり机の上に残されているだけだった。ポールは署名を手早く書いてしまい、それから医療区に明朝一番の抗原注射接種の予約を入れた。
 ダリルに外出することを告げるのは夜でもかまわないだろうと思った。
 時刻は、夕食前のジムに行くには遅く、かと言って夕食には早い、曖昧な時間帯だった。ポールはアパートに帰って少し休むことにした。以前はオフィスの片隅に設けた休憩スペースで時間を潰していたが、ダリルが戻って来てからはアパートに居る時間が長くなった。やはり誰かが居る部屋と言うのは楽しいものだ。
 アパートに戻ると、ドアの上に「在室」のオレンジライトが点灯していた。入ると、居間の長椅子の上でダリルが端末の画面を睨んでいた。山の家を衛星カメラで見ているのだ。彼があまりにライサンダーの行方を気にするので、保安課の友人がコロニー人に頼んで衛星の監視システムに少々手を入れてもらい、山の家を2日に1度の割合で「じっくり」撮影してもらっていた。

 何回見てもライサンダーはいないのに

 ポールはダリルの親心がよくわからない。わかるのは、ダリルの心の半分を息子に奪われていると言うことだ。それは、気に入らない事実だった。
 ポールはわざと音をたててドアを閉めた。ダリルが振り返り、彼を認めて、端末を仕舞った。

「クーパーはもう帰ったのか?」
「否、彼は今夜泊まりだ。昔の仲間と旧交を温めるらしい。」
「それは良かった。不愉快な用件で呼びつけられて気が滅入っただろうから、友達と過ごせたら少しは気が晴れるだろう。」
「俺は明日、彼を送りがてらローズタウンに行ってくる。例の手荷物検査官と握手してくる。」
「1人で行くのか?」
「1人で充分だ。」

 一瞬ダリルの顔に不満げな表情が浮かんだが、彼はすぐにそれを消した。外に出たいのだな、とポールは察したが、これと言った理由もなく連れて行く訳にはいかない。

「ライサンダーを探していたのか?」
「家の様子を見ていただけだ。」
「誰もいないだろう?」
「アライグマが居た。」

 コロニー人の衛星監視システムは高性能だ。その気になれば、蟻でも拡大監視出来る。
 ダリルは立ち上がった。夕食に出かける前に私服に着替えるつもりで寝室に行くと、ポールがついてきた。勿論、彼も着替えてくつろぎたいのだろうと気にしなかった。だが服を脱いだら、後ろから抱き締められた。そのままベッドに連れて行かれた。

「まだ日が高いぞ。」
「誰も気にするものか。」

 ポールは優しくキスをした。何度も何度も。

 ガキのことを忘れさせてやる・・・

2016年11月21日月曜日

暗雲 19

 ローズタウン支局の支局長、トーマス・クーパー元ドーマーは、髭を生やしていたので消毒に少々時間がかかった。
 ポール・レイン・ドーマーとクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーはドームの入り口で彼が現れるのを待っていた。クラウスの緊張が感じられて、ポールはちょっと不快だった。ダリルから局長の伝言を聞いて、クラウスを叱ったが、そんなに厳しく言った覚えはなかった。既に反省しているのだし、一瞬の隙を突かれたミスを責めるのは酷だ。
 だから、故意にからかってみた。

「悪戯を見つけられた子犬みたいに震えるなよ。」
「震えてなんかいませんよ。」

 クラウスは盗難に遭ったハリスのIDカードがクローン収容所襲撃に使われたことが悔やまれてならない。クーパー元ドーマーに召還の理由を説明する役目を与えられているので、緊張しているのだ。貴方の部下にFOKのスパイがいますよ、と言わなければならない。
 ポールは指先をクラウスの頬に押し当てた。

「ほら、心が震えているじゃないか。」
「兄さん、悪ふざけは止めて下さい。」

 ポールの方から他人を触る時は、何か良くない企みがあるのだ、と子供時代からクラウスは理解していた。

「俺がふざけているだって?」
「ほら、そうやって絡む・・・」

 そばにいる出入管理班のドーマー達が羨望の眼差しでクラウスを見ていた。彼等にとって、ポール・レイン・ドーマーは美しすぎて気安く話しかけられる人ではないのだ。その彼とクラウスはじゃれ合っている・・・。
 ゲートが開いて、消毒が済んでドーム用の新しい衣服に着替えた元ドーマーが現れた。懐かしげに「生まれ故郷」を見回して、小さく溜息をつく。数年ぶりの里帰りが、緊急召還なのが残念だ。もっとも、ドームは遊びに里帰り出来る場所ではないのだが。
 出迎えたポールの挨拶も「お帰り、クーパー」だった。
 支局長クラスは、班チーフより格上のはずだが、現実には現役チーフの方が態度がでかい。これはポールに限ったことではなく、どの班のチーフも同じだ。と言うのも、支局長になるのは元ドーマーで、彼等のほとんどが幹部経験がない平の局員だったからだ。
 ポールが出迎えたのは、支局長の顔を立てる為だった。
 ポールが昼食は済んだかと尋ね、クーパーが未だだと答えたので、3人は食堂へ向かった。

「あまり難しく考えないでもらいたい。支局の職員の行動について、ちょっと調査したいだけなんだ。」

 と言われても、クーパーは不安を拭えない。外に出た元ドーマーがドームに召還されるのは、大概何かの問題が発生した時だ。それに彼は、クラウスが緊張していることをうっすらと感じ取った。

「用件を先に済ませた方が良くないですか? 何だか気になって・・・」

するとポールが彼を遮った。

「用件を聞いたら、ますます食欲がなくなるかも知れないぞ。」

そう言われて、ますますますます食欲が減退したクーパー支局長は、食堂でも軽く食べただけだった。

「呼ばれたのは、私だけですね? 出張所のリュック・ニュカネンは来ていないのですね?」
「ニュカネンは関係ない。君も落ち度があって呼ばれた訳ではない。君の所の職員の素行調査だ。」

 昼食を済ませて遺伝子管理局本部に向かう3人は、途中でハイネ局長と出会った。儀礼的な挨拶を交わした後、全員で局長室に入った。
 各自席に着くと、局長が単刀直入に本題に入った。

「ローズタウン空港で遺伝子管理局の手荷物検査をしている職員は何名いるのだ?」
「3名です。仕事量が少ないので、来年は2名に減らすつもりですが?」

 局長はある日付を言った。

「覚えていると思うが、そこに居るレインがメーカーから救出された日だ。あの日、手荷物検査をしたのは、誰だ?」
「ええっと・・・」

 クーパーが端末を出して過去の支局の勤務シフト表を検索した。

「あの日は・・・夕刻でしたね? ・・・ ガブリエル・モアと言う男です。セント・アイブス・メディカル・カレッジで神経細胞の研究をする傍ら、支局で働いています。」
「ほう・・・神経細胞の研究ね・・・」

 ハイネ局長はクラウスを見た。クラウスの出番だ。彼は少し体を前に傾けて、クーパーに近づけた。

「僕が押収した証拠物件が紛失したのですが、どう考えても手荷物検査の時に失せたとしか思えないのです。」
「何だって?」

 クーパーはクラウスをグッと睨み、それから、ポールを見て、局長に視線を戻した。

「モアが盗んだと考えておられるのですか?」
「ワグナーのアタッシュケースを開いて中の物に手を触れた人間が、モアと言う男1人だけなら、そう考えざるを得ない。」
「何を紛失したのか知りませんが、うちの職員に限って、そんな犯罪を犯すとは思えません・・・モアの実家は裕福な医師の家庭ですよ。」
「食う為に金目の物を盗んだのではないのだ。」

 局長はコンピュータを操作して、中央テーブルに画像を立ち上げた。若い男性の顔だ。
クーパーはそれを見て、ガブリエル・モアだと認めた。マザーコンピュータが、ローズタウン支局のデータから引っ張って来た個人データだ。
 ポールがクラウスに視線を向けた。クラウスは手荷物検査官の顔など覚えていなかったので、素直に「記憶にありません」と言った。

「この男だった様な気がするし、違うような気もするし・・・」
「この男です。当日に空港勤務していたのは、モア1人だけでしたから。」
「局長・・・」

 ポールが提案した。

「明日、第4チームが外に出るので、俺も一緒に出ます。クーパー支局長と共にローズタウンへ行って、このモアと言う男と握手してきますよ。」
「良かろう。だが、無理はするなよ。」

 局長はポール・レイン・ドーマーの平和裏に情報収集活動をする能力を買っていた。
ポールはクーパーを送っていく序でにセント・アイブスの様子も見てきたいのだ。トーラス・野生動物保護団体が現在何をしているか覗いてこようと言う魂胆だ。
勿論、単独行動だ。局長はあまり深入り捜査はするなと釘を刺して置いた。
 それから、部下に泥棒がいると告げられて不安な表情のクーパーには優しく笑いかけた。

「トム、今日はドームに泊まっていけ。部屋は用意させてある。君の昔の仲間達にも連絡を入れておいたら、今夜は君と一緒に食事をしたいと彼等が言ってきた。」

 クーパーの顔がパッと明るくなった。

「本当ですか? 有り難うございます!」

 ポールも表情を和らげて彼に話し掛けた。

「俺たちは邪魔をしないから、ゆっくり昔話にでも花を咲かせてくれ。残念ながらアルコール類はないがね。」





2016年11月20日日曜日

暗雲 18

 翌朝、朝食会で打ち合わせを終えたところに、ダリルの端末にJJからメールが入った。おはよう、と言う挨拶の後に続く文を見て、ダリルは「しまった」と呟いた。ポールが横から覗いて、見なかったふりをした。

ーーおはよう、ダリル父さん。 昨日は私の18歳の誕生日だったの。

 ダリルは返信した。

ーーおはよう、JJ。御免、君の誕生日を忘れていた。おめでとう! プレゼントは何が良いかな?

 その返事はすぐに来た。

ーープレゼントは要らない。昨日、ドームから凄いのをもらったから。父さんには、一緒にランチして欲しいな。

 ドームからの凄いプレゼントとは何だろう? と思いつつ、ダリルは予定をチェックした。ランチの約束をするのに特に問題はなさそうだ。

ーー12時にどう? 場所は君が決めると良いよ。
ーーそっちへ行くわ。 今日はPちゃんなしよ。

 珍しいこともあるもんだ、と思いつつ、ダリルは承諾した旨を送信してメール会話を終えた。
 ポールは食事も打ち合わせも終わったので、食器を返却カウンターへ持って行くところだった。ダリルも空になった食器を持って追いかけた。

「昨日はJJの誕生日だったんだ。」

と声を掛けると、ポールはふーんと興味なさそうな反応をした。

「今日はランチの約束をしたんだが、君は必要ないって言われた。」
「俺はかまわない。昼頃にローズタウンからクーパー元ドーマーが到着するだろうから、彼と一緒に昼を摂ることにする。用があれば俺の方から連絡する。それまでJJと過ごせば良い。」

 妙にものわかりの良い大人の反応に、ダリルは少しがっかりした。JJが好きなはずなのに、この冷たい態度は何だ? それにJJも素っ気なかった。ポールとJJの間で何かあったのか?
 その後のオフィスにおいても、ポールはJJの話題には一切触れなかった。いつも通り面会希望への返事や登録申請の許可証発行やら、事務仕事をダリルと手分けしてこなした。途中でクラウス・フォン・ワグナーに電話を掛けて、クーパー元ドーマーとの面会に参加せよと指示を出しただけで、後は平凡な日常が過ぎた。外に出て支局巡りをしている部下達からの報告も特に問題のない内容だった。
 昼休みになって、ダリルは先にオフィスを出て、食堂へ急いだ。
 JJは1人だった。いつもの様にダリルを見つけると、ダッシュして来て、抱きついた。他のドーマー達は既にこの光景には慣れていて、驚かない。
 ダリルは改めて、「お誕生日おめでとう!」と言った。JJは明るい笑顔で答えた。
2人は食堂に入り、窓のそばの席を取った。

「ドームからの凄いプレゼントって、何だったんだい?」

 ダリルの質問にJJは意味深に微笑んだ。脳波翻訳機の電源を切っているので、端末にメッセージを入れた。

ーーPちゃんとデートした。

ああ、とダリルはようやく合点がいった。だから、昨日ポールは疲れていたのか。

「彼は君を退屈させなかった?」

ーーとっても素敵だった。いろんなことを教えてくれたわ。
「いろんなこと?」
ーー検体採取の方法とか

 ダリルはもう少しで食べ物で喉が詰まりそうになった。水で流し込んで、恐る恐る尋ねた。

「検体って?」
ーードーマーが提供するものよ。
「まさか・・・『お勤め』の?」
ーー他に何があるの?

 ダリルは目眩がした。ポールは18歳の少女に何を教えたのだ? それがデートなのか?
 JJが続けた。

ーー『お勤め』が終わってから、私の部屋へ行ったの。お昼も食べずに2人でベッドで過ごしたわ。

 「お誕生日ドーマー」だ。ダリルはやっと理解した。ポールは拒否出来なかった。だから、彼女に恥をかかせまいと、大人の愛の営みを教えたのだ。多分、催淫剤が効いていたせいもあるだろうが・・・。
 ダリルは気を静めようと、もう1度水を飲んだ。

「彼は、優しくしてくれたかい?」
ーー私を壊れ物みたいに丁寧に扱ってくれたわ。でも、最後までは駄目だって。ちゃんと正式の許可がないと駄目だって言うの。

 ダリルはホッとした。ポールは一線を守ったのだ。ポールらしいとも言える。ドームの許可がなければ結婚しない。遺伝子管理局の幹部として節度を守って、JJを大事に思っていると示したのだ。それがJJに伝わっているだろうか?

「彼は、みんなから祝福してもらって君と結ばれる方を希望しているんだよ。君は待てるかな?」

18年前、ポールの「待て」を理解出来ないで、待てないで、脱走してしまったダリルは、JJに彼を誤解して欲しくなかった。JJが真っ直ぐに彼を見つめた。

ーー父さんは、Pちゃんが私を選んでくれると思う?「お誕生日ドーマー」じゃなしに?
「思うよ。だって、彼は君が彼に触っても怒らないだろう? 全身に触れても平気にしていただろう?」
ーーうん。私が撫でると気持ち良さそうに寝ちゃったわ。

 デートで寝たのか、あいつ・・・。ダリルは焦って損した気分になった。JJは純粋にポールが好きだから、ポールも安心して身を任せてしまったのだろう。

「昼寝しただけかい?」
ーー後でお菓子を食べて、テレビで映画を見たわ。それから、彼がお仕事のことを気にしたから、解放してあげたの。

今度はJJの方から質問してきた。

ーー彼は何か言った? 私のこと、つまらないって言わなかった?
「彼は何も言わなかった。『お誕生日ドーマー』の掟を守ったんだ。だから、私もさっきの君のメッセを見なかったことにする。」

 ダリルは優しく付け加えた。

「ポールは君を本当に気に入っているんだよ。彼が肌に触れるのを許す人間なんて、医者ぐらいなもんだ。君は自信を持って良いんだよ。」
ーー有り難う!

 JJは席を立って、ダリルのそばに来ると、もう1度抱きついた。
愛情表現の軽いキスをいっぱいしてから、彼女はメッセージを入れた。

ーーもうすぐお誕生日の執政官が5人いるの。父さんも選ばれるかもね!





暗雲 17

 夜中に部下から呼び出しをくらうのは、ローガン・ハイネ局長にとっては珍しくないことだ。呼び出した部下が、ダリル・セイヤーズ・ドーマーだったので、要件は見当がついた。
 2人は殆ど同時に局長室の前に到着した。局長は私服で、ダリルはまだスーツのままだった。

「まだ仕事をしていたのか?」
「なんとなく、流れで・・・」

 彼等は部屋に入った。真っ直ぐ執務机に向かい、机をはさんで座った。

「FOKの情報源が判明したか?」
「はい、死亡したレイ・ハリス元中西部支局長のIDが使用されていました。」
「無効処理はしていなかったのか?」
「いえ、IDを回収したワグナーが情報管理室に無効通知を出していたのですが、コンピュータのソフトに穴がありました。」
「穴?」
「セキュリティソフトが不完全で、死者のIDを通したのです。」

 局長は苦虫を潰した様な顔をした。ソフトの開発はコロニー側に責任がある。しかし、IDをFOKが手に入れたいきさつの方は・・・?

「何故、FOKがハリスのIDを持っていたのだ?」
「ワグナーが、ローズタウンの空港で盗まれたらしいのです。紛失に気づいたのが、ドームに帰投した後だったので、具体的なことは不明ですが、手荷物検査の時に一瞬検査カウンターから目を離したそうです。その機会以外に盗難に遭う可能性は考えられません。」
「すると、盗んだのは支局の職員と言うことになるのか?」
「他に考えられません。」

 局長はローズタウン支局の支局長が誰だったかと考えた。元ドーマーだ。その男が雇った現地採用の一般人が職員になる訳だが、身元がしっかりしている人間しか雇わない。
しかし、FOKは、「身元がしっかりしている」良家の子弟がメンバーになっている組織だ。

「敵は手強いな。」

と局長が呟いた。

「ローズタウン支局長のクーパー元ドーマーを明日召還する。彼にスパイの洗い出しをさせる。」
「ワグナーの処分はどうされます? 彼は紛失を報告するのを忘れていました。盗難に遭ったとは思わなかったらしいのですが・・・」

 可愛い弟分に厳しい処分が出なければ良いが、とダリルは案じた。
 局長は彼をジロリと見た。

「ワグナーは紛失に気づいた時点で無効通知を出したのだな?」
「そう言っています。」
「情報管理室で調べれば、何時出したかはわかる。少なくとも、彼は必要な処理はした訳だ。」
「はい。」
「この件は、当然、レインも知っているのだな?」
「彼がワグナーを問い詰めました。」
「ならば、ワグナーの処分はレインに任せる。厳重注意で十分だと思うが、レイン次第だ。」
「わかりました、チーフ・レインにそう伝えておきます。」

 ハイネ局長は、素早く明日の朝一番にすることをメモした。

「もう帰って良いぞ、君もレインもくたびれているだろうから、早く休め。」
「はい・・・お休みなさい。」

 ダリルは局長室を退出した。アパートでは、クラウスが不安いっぱいで待っているはずだ。ポールは怒ると恐い上司だが、無茶な怒り方はしない。厳重注意で済むだろう。
それより問題は・・・

 ご先祖様の間抜けなセキュリティソフトだ・・・

2016年11月19日土曜日

暗雲 16

 ハリスの身分証を紛失したことをクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは泣きそうになって認めた。

「報告書作成の段階で紛失していることに気が付きました。ポール兄さんは医療区に入院なさった後だったし、ダリル兄さんはまだ外に居られたので、相談も出来ず、取り敢えず中西部、ローズタウン両支局に僕が忘れ物をしていないか問い合わせました。どちらからも返事は「なし」でした。
 それで報告書にはハリスのID番号は記載せずに提出しました。
 直ちに情報管理室にハリスのID無効通知を出し、誰かが使用すればすぐ分かるように手を打ちました。
 紛失を報告するのを忘れたのも、僕の落ち度です。」

 ダリルは溜息をついた。クラウスは紛失物について正しい処理をした。しかし、ドームのコンピュータは無効IDを見抜けなかった。ドームのセキュリティは不完全なのだ。
 ポールは既に捜査態勢に入っていた。

「何処で紛失したと考える? 中西部支局を出る時はあったのか?」
「ありました。確認してアタッシュケースに入れました。」
「ローズタウンではどうだ?」
「あそこではケースを開いていません。」
「搭乗前の手荷物検査はしただろう?」
「しました。 ああ・・・そこで開きました。」
「検査係は、ローズタウン支局の職員だな?」
「遺伝子管理局の荷物は支局職員の担当ですから。」
「君は検査係の動きを見ていたはずだ。」

 クラウスは一瞬空中に目を向けた。当時の様子を思い出そうとしたのだ。

「サーシャが話しかけてきたんです。」

 ポールのストーカーをしていたドーマーだ。久し振りにその名を聞いて、ポールは不快そうな顔をした。何の話だったかは忘れた、とクラウスは言った。

「兎に角、サーシャと話していた1分ほどは、検査カウンターから視線を外したと思います。」

 1分あれば、カードなど簡単にちょろまかすことが出来る。

「どの職員だったか思い出せるか?」
「申し訳ありませんが・・・」

 クラウスはしょんぼりした。

「ローズタウンは第3チームの担当なので、僕は馴染みがなくて・・・」
「支局にFOKのスパイが潜り込んでいる可能性があるな。」

 ダリルが弟分を慰めた。

「君のせいじゃない。一瞬の油断を突かれたんだ。悪いのは、無効処理したIDを気が付かずに通したコンピュータだ。」





暗雲 15

 ドームの食堂は、中央研究所でも一般食堂でも、原則はビュッフェ方式で好きなものを選べるが、毎日メインもしくは目玉になるメニューがあって、ほとんどの利用者がそれを皿に取る。その日は、デミグラスソースのラムシチューだった。そしてダリルの皿には、少量だが、羊の脳が入っていた。ダリルはそれを見ないように努力した。

「食わないのか?」

とジェリーが尋ねた。ポールが「ほっといてやれ」と注意した。

「此奴は見たものは絶対に忘れない人間だ。局長室で見たものを思い出すのだろう。」
「それなら、別の物を選べば良いじゃないか。」
「此奴はシチューが好きなんだ。」
「だからと言って・・・」
「少し黙ってくれないか、2人とも。」

とダリルが文句を言った。

「考え事をしているんだから。」

「ほらな」とポールが囁いた。

「ほっとけば良いんだ。」

 ダリルは、ポールとジェリーが先刻からずっとこそこそ喋っているのが気になったものの、無視しようと努力した。

「食事中の考え事は良くない。」

とジェリーが注意した。

「消化に悪い。食べることに専念しろと言うのが、ラムゼイ博士の教えだ。食べられないのなら、皿を下げろ。」
「そうする。」

 ダリルはいきなり立ち上がって返却カウンターに皿を持って行ってしまった。ポールがジェリーに苦言を呈した。

「夜中に腹が減ったと八つ当たりされるのは、俺なんだぞ!」
「ピザでも取れよ。」
「そんなサービスはない!」

 ジェリーはちょっと驚いた。彼は観察棟で監禁されていた時期に、食べたい物だけは自由にお取り寄せ出来たのだ。だからドームにも宅配サービスがあると信じていた。
数分後にダリルがノンアルコールビールとフレンチフライを持って戻って来た。ジェリーに壜を見せた。

「君も飲むだろ?」
「うん!」

 ジェリーは喜んだ。

「ドームは禁酒なんだな。」
「遺伝子に傷が付かないように、ドーマーにはアルコールを許可してくれないんだ。コロニー人は飲めるんだけどね。もっとも、遺伝子管理局と庶務課はドームの外に出るから、外で酒を覚えてしまう。だからコロニー人もそんなドーマーにはこっそり飲ませることがある。」
「酔わせて悪いことをする訳か?」

 ポールが「まぁな」と相槌を打った。ダリルが「彼は飲めない」と言うと、ジェリーはまた驚いた。「飲めそうなのに」とちょっぴり残念がった。ポールは若い頃に酒を試して気分が悪くなって以来、決して飲まないのだ。
 ポールがダリルのフレンチフライをつまみ食いしながら、「何を考えていたんだ?」と尋ねた。

「西部で事故死したハリス支局長のIDが何故今頃になって使われたのだろうと思ってね。クローン収容施設の所在地を検索するのに使われたのだから、遺伝子管理局の関係者のIDだとわかって使った訳だ。どうやってハリスのIDを入手したのかな?」

 ポールがジェリーを見たので、ハリスを薬漬けにしたメーカーは手を振って否定した。

「俺はハリスのIDなんか見たことがないぜ。博士だって、あいつのIDに興味はなかった。博士自身がコロニー人だから、ハリスのものを盗らなくたって偽造出来た。」
「ラムゼイはドームのマザーに侵入したことがあるのか?」
「それはなかった。不可能ではなかったが、やれば追跡されるからな。」

 ポールは今度はダリルを見た。

「ハリスの遺品を押収、整理したのは、クラウスだったな?」
「そうだ、彼が死亡確認と身元確認をした。ハリスの遺品を押収したが、ドームに送ったのは支局の職員だ。」
「中西部にまでFOKがいたのだろうか?」
「どうかな・・・重要書類はクラウス自身が持ち帰ったのではないのか?」
「クラウスが持っていたのであれば、FOKが彼から盗む機会はないはずだが・・・」

 ポールは端末を出して、クラウスに電話を掛けた。

「申し訳ないが、1時間後に俺のアパートに来てくれないか? 1人で来て欲しい。仕事絡みだ。」


暗雲 14

 保安課情報管理室は、ドーム内の監視カメラの制御と内部の人間によるマザーコンピュータへの不正アクセスを防ぐ他に、外からドームのコンピュータやドーム人の端末にアクセスしてくる者の解析、中継と防御を行っている。彼等は外部からの侵入を認めたがらなかったが、事実ダリルがマザーにアクセスした時に防げなかったので、今回の調査を不承不承認めた。
 ダリルは教えられたことがないのに、画面にログイン記録を出してチェックしていった。殆どは支局や出張所からの問い合わせや申請書類等の送信だ。病院関係もあるが、これは外に居たドーマーが患者の遺伝情報を病院から求められて問い合わせて来たものだ。
クローン収容施設と警察からのものもあった。信じられないのは、個人からのアクセスで、偶発的なアクセス事故と思われるが、中にはハッキングを試みたものもあった。
しかし、それらは既に情報管理室から外の警察に連絡が行っており、「解決済み」のチェックが入っていた。
 意外なことに、あるクローン収容施設から、他のクローン収容施設の所在地を問う検索があった。施設間は密に連絡を取り合っているので、ドームに問い合わせる必要はないはずだ。
 情報管理室の職員が画面を見ながら言った。

「ドームは軍事施設ではないから、パスワードさえ間違えなければ、問い合わせ程度のアクセスを見逃すと言う恐れもなきにしもあらずだ。」
「もって廻った言い方をせずに、はっきり言えば良い。マザーはハッカーに弱い,
と。」

 ダリルはぶつくさ言った。

「私はマザーのセキュリティが甘いことを何度かドームに証明してやったのに、またドームはハッカーを許した。これはドームの怠慢だ。早急に対策を練ってセキュリティを強化すべきだ。」

 ポールは室内にいた情報管理室のドーマー達が一斉にダリルを睨んだことに気が付いた。これは拙い・・・。
 彼はダリルの肘を突いた。
 職員の中から声が聞こえた。

「特上のハッカーが何か宣っているぜ。また月から脳外科医を呼んで、あいつの脳みそを削ってもらおうか?」

 ダリルはそれを無視して職員に尋ねた。

「このハッカーが何処でパスワードを入手したのか、調査出来るだろうか?」
「ドームのパスワードは毎月変わるんだ。」
「だが法則がある。方程式さえ見つければ、解けてしまう。」

 職員達の間でざわめきが起こった。方程式の存在など誰も知らなかったし、知っていたとしても、複雑で解くのは至難の業だ。
 ダリルの相手をしている職員が、ハッカーがクローン収容施設のコンピュータを欺くのに用いた身分証の記録を検索した。

「あー、信じられない!」

と彼が叫んだ。彼は、ダリルを見て、ポールを見た。そして画面を指さした。

「コロニー人のIDだ。レイ・ハリスの身分証だよ。この人は既に死亡しているはずだよね?」
「死者のIDが何故パス出来たんだ?」
「知るもんか。死亡登録されているはずだが、情報の重要度が低ければIDカードだけでも検索程度の使用は出来るからね。」
「なんていい加減なセキュリティだ。」

 ダリルは思わず呆れた声を出した。

「一体誰なんだ、こんな阿呆なシステムを構築した大馬鹿者は?」

 職員は調べなくても良いその質問の答えを検索した。

「ドーム創設期の情報科学の先生だね。200年前の人だよ。」
「200年もこんないい加減なシステムでドームを運営して守ってきたのか?」
「あのねぇ・・・」

 職員が振り返ってダリルを睨んだ。

「あまり考案者の悪口を言わない方が良いぞ、セイヤーズ。」
「どうして?」
「このシステムを構築したのは、ローマン・クリスタル・セイヤーズ、君のご先祖様だ。」




2016年11月18日金曜日

暗雲 13

「何やってんだ、君達?!」

 ダリルはオフィスのドアを開けるなり、思わずそう叫んでいた。
ジェリー・パーカーの首に腕を廻して締め上げているポール・レイン・ドーマーと、ポールに首を絞められているジェリーが同時に振り向いた。

「ああ・・・遊んでいるんだ・・・」

 ポールが腕をジェリーの首から外した。ジェリーも咳き込みながら、

「うん、遊んでもらってた・・・」

 ダリルは2人を見比べた。

「何時からそんなに仲良しになったんだ?」
「今さっきからだ。」
「うん、さっきからだ。」

 どうも信じられない。ダリルは2人の様子に胡散臭さを感じながらも、追求するのは止めた。

「ポール、今日の仕事は全部片付けたから、ちょっと付き合ってくれないか? 保安課の情報管理室に行きたいんだ。」
「1人で行けないのか?」

とジェリーがちゃちゃを入れた。ダリルはうんと答えた。

「私は脱走と言う前科があるから、上司と一緒でないと保安課に入るのに許可が出ないんだ。」
「それじゃ、俺も駄目だな。」
「残念ながら、君は数年先迄無理だ。」
「別に行きたくないし。」
「でも、私の用事が済めば、一緒に晩飯を食わないか?」

 ダリルはポールを見た。

「いいだろ?」
「うん・・・まぁな・・・」

 ポールは横目でジェリーを牽制した。余計なことを喋るなよ、と。



2016年11月17日木曜日

暗雲 12

 局長室を出たポール・レイン・ドーマーは、朝から留守にしてしまった自身のオフィスへ急いでいた。エレベーターに乗り込む時、後ろからジェリー・パーカーが追いかけて来た。ジェリーは建物の出口迄近道するつもりでエレベーターに駆け込んだのだが、同乗者がポール1人だけだったので、少し気まずく感じた。何しろ、元捕虜と元捕縛者だ。そして今は捕縛者と捕虜だ。ほんの数秒の同乗だが、彼は沈黙が気詰まりに思えたので、声を掛けた。

「JJとのデートは愉しかったか?」

 ポールの表情が固まった。そしてエレベーターのドアが開いた途端、ジェリーはポールに腕を掴まれ、引きずり出された。

「おい、俺は下迄降りるんだ!」
「いいから、ちょっと来い!」

ジェリーの目の前でポールはオフィスのドアを指紋で開き、部屋の中にジェリーを押し込んだ。そしてドアが閉じるなり、彼の襟首を掴んで尋ねた。

「俺が今日JJと一緒に居たことを、どうしておまえが知っているんだ?」

 ジェリーは何故ポールが怒るのか理由がわからない。

「どうしてって・・・おまえがJJの『お誕生日ドーマー』だから・・・」
「だから、どうしておまえがそのしきたりを知っているんだ?」
「その手を離せ。そうすれば教えてやる。」

 ポールは一拍呼吸をして、自身の気を静めた。そしてジェリーから手を離した。
ジェリーは、顔に似合わず乱暴なヤツだ、とぶつくさ言いながら、勝手に中央のテーブルの周囲にあった椅子の一つに座った。
 ポールはドアを気にした。ダリルが戻って来ると拙い。

「早く言わないか! 俺は忙しいんだ。」
「デートしていたからな・・・わっ! 殴るなよ!」

 ポールが拳を振り上げて見せたので、ジェリーは渋々語った。

「夕べ遅く、俺は中央研究所でケンウッド長官が月の会合で使う資料の製作を手伝わされたんだ。概ねはケンウッドが作成済みだから、後はコンピュータに入れて会合の出席者に見せる為の整理だ。同じ部屋でJJとゴーン副長官と、メイって言う女執政官が同じ様な作業をしていた。ケンウッドは部屋にいなかった。他にも仕事があるとかで。
 休憩時間に、メイがJJに誕生日のプレゼントは何が良いか、って聞いたんだ。JJは、物は要らないから、Pちゃんとデートしたいって言った。すると、ゴーンが、『お誕生日ドーマーにレインを指名するのね』と言ったんで、俺がそれは何かと尋ねたら、びっくりするような話をしてくれた。」
「女執政官だけの風習みたいなものだ。誕生日に、好きなドーマーを指名してデートするんだ。そう言ったんだろ?」
「もっと教えてくれたぜ。指名されたドーマーは拒否出来ないんだってな。女は、怪我さえさせなければ、ドーマーを1日限定で好きに出来るそうだ。歌を歌わせても良いし、抱いても良いって・・・しかも、ドーマーは指名されたことを他に喋ってはいけないと言うルールがある・・・」
「だから・・・」

ポールはぶっきらぼうに言った。

「今日の出来事を俺に尋ねるな。」

しかし、ジェリーは止めなかった。

「おまえは初めて指名されたんだってな? おまえのことだから、既に数え切れない程選ばれていたと思ったが、そうじゃないとメイが言った。まず、おまえは人気者だから、独占しちゃならねぇと言う暗黙の了解が女達の間にあったんだとさ。それから、おまえが他人に触られるのを極端に嫌うので、女達は遠慮していたそうだ。
 JJは特別だ。彼女は何か人類の未来に関する発見をしたそうだ。本人はわかっていない様だが。女達は彼女に敬意を表す為に、彼女がおまえを指名するのを認めたんだ。」

 ポールが溜息をついたので、ジェリーはある発見に気が付いた。

「レイン、おまえ、まさか今朝迄、女に関して言えば、童貞だったのか?」




暗雲 11

「それにしても、結果が出るのは遅かったんじゃないですか?」

 ダリルが言うと、ハイネ局長はフッと鼻で笑った。

「ギル博士とナカイ博士の主張が食い違ったので、執政官同士で揉めていたんだ。ギルは君を害しようとしたのではないと強調し、ナカイを呼んだのは代理で作業をしてもらう目的だけだったと言い、ナカイはギルが君に殴られた仕返しとして君を辱めようともちかけたと言ったそうだ。倫理委員会はナカイが同様の行為を他のドーマーに対しても行っていたと言う証言を数人から得ており、ギルの主張を認めた訳だ。
 それに、周知のことだが、ギルが触りたかったのは君ではなく、レインだからな。」
「私は不思議に思うのですが、どうしてコロニー人はドーマーを触りたがるのです?」

 すると、局長は袖をまくり上げ、腕を曲げて力こぶを作って見せた。

「筋肉さ。コロニー人は地球人が重力に耐えられる筋肉を持っていることを羨ましがっている。彼等は地球がルーツなのに、この惑星の重力が辛いのだ。だから、地球人の筋肉に憧れている。ドーマーは健康維持の為に、どの部署でも必ず体力作りを義務づけて鍛えている。コロニー人の目から見ると、我々の肉体は美しいのだそうだ。触れて、その弾力性や強靱さを確かめたいのだ。」
「確かに、レインは顔を見ただけでは想像出来ないほど見事な筋肉を持っていますが、まず他人に触らせないでしょう。コロニー人だけでなくドーマーにも触らせませんよ。」
「接触テレパスだからな。しかし、若い執政官の多くはそれを知らない。レインが触らせてくれないのは、孤高を保つ為だと思い込んでいる。」

 局長はダリルを見て、片眼を瞑って見せた。

「君だって、脱げば凄いじゃないか。」
「はぁ? 貴方に言われたくありませんよ・・・」

 ハイネ局長は年齢を感じさせない見事な筋肉美を持っているのだ。ダリルはこの大先輩である上司をちょっとからかってみた。

「噂によれば、局長は『お誕生日ドーマー』を毎年20回は務められているとか?」
「ああ・・・その話には触れてくれるな。」

 少し頬を赤らめて局長は顔を横向けた。そして、わざとらしく時計に視線を向けて、「長話をしたな」と呟いた。

2016年11月16日水曜日

暗雲 10

 ポール・レイン・ドーマーは、北米南部班が管轄するクローン収容施設の警備強化を命じられた。FOKの捜査は警察や連邦検察局の仕事なので、ドームは手を出さないと言う官憲同士の暗黙の了解がある。
 帰って宜しいと局長に言われてポールとジェリーは室外に出たが、ダリルは呼び止められた。

「例の『お勤め』の時の事件の後日談だ。」

と局長は言った。ダリルは、無礼者を蹴飛ばして気が晴れたので、もう終わったつもりでいた。だから「後日談」と言われて、何か自分にミスがあったかと、少し不安を覚えた。
 アナトリー・ギル博士は、ダリルに1回殴られた経験があるので、恐くて助っ人を呼んだと説明した。ジュリアン・ナカイが催淫剤に麻酔薬を混ぜてダリルに注射したことは知らなかったし、検体採取は当然ダリル自身が行うものと考えていたので、ナカイがダリルを押し倒した時は気が動転した、自分はレイプ未遂事件には無関係だと主張した。
 ジュリアン・ナカイはギルの助っ人に呼ばれたことは認めた。しかし、ダリルが催淫剤注射を拒んだので、言うことを聞かせようとしたら、暴れ出したので、仕方なく麻酔注射を打った、と主張した。
 ドームの倫理委員会は、ギルの主張は認めた。ダリルの証言とほぼ一致したからだ。ギルは減給2ヶ月の懲戒処分をくらった。
 ナカイの主張は、ダリルとギルの証言と食い違った。ダリルは、麻酔剤は催淫剤に混ぜられてから注射された、蹴飛ばしたのはその後だ、と言った。ギルの証言も同じ順序だった。その上、ギルはナカイがドーマーの下腹部に素手で触れたと証言して、倫理委員達を驚かせた。手袋着用をせずに人間のプライベイトな場所に触れるなど、許しがたい暴挙だ。ナカイは明らかにドーマーに性的悪戯をする意図を持っていた、と倫理委員会は結論ずけた。

「ナカイは昨日、辞表を提出した。本来なら刑事罰になるのだが、罰金を払ったらしい。」
「そうですか・・・」

 ダリルは、ナカイとまた何処かで遭い見えるのではないか、とちょっぴり心配に思った。

暗雲 9

 「去年の初め頃だ。」

とジェリー・パーカーがぼそぼそと語り始めた。

「トーラス野生動物保護団体の理事の1人で医師協会の会長であるマイケル・ハーヴェイに博士が講義をしたことがあった。移植の話だったが、俺は理解出来ても興味がなかったから、部屋の中で資料の整理をしていただけだ。他人の体に入ってまでして長生きしたいなんて、思わないからな。でもハーヴェイは熱心に聞いていた。記録も採っただろう。
 博士の理論は、脳移植を希望する人間自身の細胞でクローンを創り、そこに入れると言うものだ。これなら遺伝情報は同じだし、拒否反応も極力抑えられる。ただ、移植可能な大きさに成長する迄クローンは人間として暮らす訳だから、結局のところ殺人になる。
それにそれ迄に希望者が生きていられるかって問題もあるだろう? 希望しているのは、爺に婆ばかりだからな。」
「ラムジー自身は、その理論を支持していた訳ではないのか?」
「博士は俺に、『馬鹿どもの夢だ』と言っていたよ。」

するとポールが口をはさんだ。

「爺様は、俺の体に入る想像をしていたぞ。」

 ジェリーはポールの能力をまだ知らない。横目で彼を見て、

「想像だけだろ? 想像だけなら、誰でもいくらでもするさ。」

と言った。ポールは反論しなかった。ここで議論することではないと思ったし、あの時に感じた恐怖をジェリーは理解しないだろう。
 局長が尋ねた。

「FOKのリーダー、ニコライ・グリソムとハーヴェイに接点はあったのだろうか?」
「さあね・・・」

 ジェリーは肩をすくめた。

「俺はニューシカゴ郊外の農場で暮らしていたから、セント・アイブスのことなんか知らないってことを覚えておいてくれないか? トーラス野生動物保護団体のことなんか、俺の知ったこっちゃないんだ。」

 ポールが自身の知識を出して来た。

「グリソムは16歳で医学博士になっています。実際に仕事をした記録はありませんが、大学でハーヴェイと出遭った可能性が0とは言い切れないでしょう。」

 その時、局長が立体画像を消したので、ダリルがやっと正面を向いた。

「局長、クローンの収容施設は警備上の都合で一般には所在を明かしていないはずです。
FOKは何処から情報を得ているのか、調べてみても良いですか?」
「いいとも。」

 ハイネ局長は彼をジロリと見た。

「ドームのマザーコンピュータに侵入出来る人間が君だけとは限らんからな。」



2016年11月15日火曜日

暗雲 8

 局長室に入ると、ゴメス少佐はジェリー・パーカーを出頭させたことを報告し、ジェリーに

「帰り道はわかるな?」

と言って退室して行った。
 ハイネ局長は、ダリル、ポール、ジェリーに着席を促し、3人はなんとなくジェリーを間にはさむ形で座った。ダリルはポールが自分を避けたように感じたが、気にしないように努めた。
 局長はいきなり本題に入った。

「夕食前で申し訳ないが、見て欲しい画像がある。」

 3人の前にあるテーブルの上に3次元画像が浮かび上がった。立体的に見えるので、本物みたいだ。それは人間の腐乱死体だった。
 ダリルは思わず顔を背け、ポールは無言で画像を眺め、ジェリーも顔をしかめたがしっかりと画像を見た。局長が説明した。

「昨日、プリンスエドワード島の南部の海岸で発見された遺体だ。腐敗が進み身元を特定出来る物を身につけていなかったので、警察が地元の遺伝子管理局の協力を求めてきた。
支局がサンプル採取して検査したところ、この遺体の遺伝子記録は出産管理区にはなかった。」
「では、メーカーのクローンですね。」

とポール。
 局長は頷いた。
 メーカーは自分達が創ったクローンの記録を残さないことが多い。遺伝子管理局は親の遺伝子を追跡出来るが、クローン自身の特定は困難になる。親が自分の細胞をメーカーに提供して創らせる場合はまだましだ。他人の細胞から創ったクローンを購入したケースでは、子供の身元は全くわからない。
 局長が続けた。

「数件のクローン保護施設に当たったところ、トロントの施設で該当する記録が見つかった。2ヶ月前に親と共に逮捕され、施設に保護された少年で、FOKの襲撃の際に拉致され、行方不明になっていた子だ。解剖したが死因は不明だ。しかし、殺害されたと推測される状態だった。」

 画像の死体の頭部が拡大された。ダリルは正視出来なかった。流石にポールもジェリーも顔を背けたり、目のやり場に困った。

「死体には脳がなかった。摘出されていたのだ。」

 ジェリーが微かに唸った。ラムゼイ博士がクローンの肉体に脳を移植する構想を持っていたことを思い出したのだ。

「FOKは、クローンの解放ではなく、人体実験をやっているのか?」
「彼等は過去に合計14人のクローンの子供を攫った。攫われたのは、ハイティーンの少年ばかりだ。体の大きさは大人と同じだ。これはどう言う意味を持つと思う?」
「まがい物のテロリスト。」

とポールが呟いた。

「大義を唱えながら、実際は子供を何かに利用しているだけなのでは?」
「テロリストが子供を攫うのは、大概は兵士にする為でしょう。」

とダリル。

「でも言うことを聞かない罰として殺害したにしては、余りにも酷いです。」
「脳を取り出す罰があるものか。」
「子供は実験の材料だ。」

 ジェリーがポールの意見に同意した。

「動物実験で成功したので人間で試したくなったんだろうよ。」

 局長がジェリーを見た。

「ラムジーはどの段階まで脳移植の研究をしていたのだ、パーカー?」
「博士は空想の段階で留まっていたんだ。動物実験すらしていなかった。本当だ。本業が忙しくて、医学実験なんてする暇はなかった。それに、あの人は生命を創るのが商売だ。子供を殺してしまうような研究なんてやらなかった。」
「だが、レインが押収したチップの中には、脳移植について語る博士の映像もあったぞ。 脳移植は宇宙では不可能ではない手術だ。コロニー人のラムジーには難しくなかったのではないのか?」
「博士は遺伝子学者だったが、外科医じゃなかった。」

 ジェリーは渋々ながら告白した。

「金持ちの中には脳移植で若い肉体を手に入れたいと言う連中がいるのは事実だ。エクササイズや薬剤でアンチエイジングするのに飽きた連中だ。そいつ等が、博士に、脳移植用のクローンを創れって言ったんだ。」


2016年11月13日日曜日

暗雲 7

 ハイネ局長から部屋に来るようにと連絡が入ったのは午後4時を廻った頃だった。ダリルは1人で仕事を片付け、やっとジムに行けると安堵したばかりだったので、がっかりした。
 部屋の主はまだ戻らない。ポールはドアを開けられるので、ダリルは取り敢えずドアをロックして局長室へ向かった。
 局長室の前まで来ると、反対側からポール・レイン・ドーマーがやって来るのが見えた。ダリルが足を止めて彼を見ると、向こうもダリルを認めて一瞬立ち止まった。それから決心したかの様にまた歩き出した。
 2人はドアの前で向き合った。ダリルはポールの様子を見て、皮肉を言った。

「随分お疲れの様だが、今日の『お勤め』は手間取ったのか?」

 ポールは彼と目を合わさずにドアをノックしようとした。何か後ろめたいことでもしていたのか? ダリルは突然好奇心に満たされてしまった。「おいっ」と声を掛けてポールの手を掴んだ。

「君は今日1日仕事を私に丸投げしたんだぞ。」
「悪かった。」

 ポールがブスッとした表情で言った。そしてダリルが手を離した途端、逆にその手を掴んだ。2人の視線が合った。ポールが囁いた。

「愛している。」

 ダリルはぽかんとした。何を今更・・・?
ポールが重ねて言った。

「この世で君を一番愛している。」

 彼は返事を求めているのだろうか? ダリルは頷いて見せた。

「知っている。」

 いきなりキスをされた。 ダリルは相手の接触テレパスに訴えた。

 ちょっと待て、ここは職場だ・・・

 突然、背後で咳払いが聞こえて、2人は同時にパッと飛び退いた。
 保安課長ゴメス少佐と、ジェリー・パーカーが立っていた。ジェリーはドームの一般施設に出入りを許されて1月たつが、遺伝子管理局本部に入るのは初めてだった。だから、ゴメス少佐の護衛が付いたのだ。
 ジェリーが呆れかえった声で呟いた。

「まだ日が高いうちから、何やってんだ?」

 ゴメス少佐も言った。

「お取り込みの最中、申し訳ないが、局長室に入りたいので、そこを空けてくれないか?」
「申し訳ない。」

 ダリルがドアをノックして、局長秘書に開けてもらった。

暗雲 6

 200年前、人類が宇宙空間に移住を開始して間もない頃、ヨーロッパアルプスで3人の古代ローマ時代の人間と思われる氷浸けの死体が発見された。成人男女と男の赤ん坊の遺体で、夫婦とその息子と思われた。山越えをしようとして、事故か遭難で氷河の中で眠ることになってしまったのだ。氷の圧力で成人2人はかなりダメージを受けていたが、赤ん坊は母親に抱きしめられていた為に、まるで生きている様に見えた。アイスベビーと呼ばれることになった赤ん坊は両親と共に火星にある人類博物館に永久保存されることになった。当時、地球では天災が頻発して、貴重な文化財や資料は火星に持ち出されていたのだ。アイスベビーは透明度の高い氷に包まれ、展示室で静かに余生を送っていた。
 しかし、50年前、宇宙船の事故で息子を失い、常軌を逸した遺伝子学者サタジット・ラムジーがこのアイスベビーを盗もうとした。幸い彼が逃げ込んだアメリカ・ドーム内でアイスベビーは確保されたのだが、体細胞の一部が損傷していたのだ。逃亡したラムジーが細胞を盗んだに違いないと、当時は大きな騒動となった。

 勿論、地球人には知らされなかった。ドーマー達を除いて・・・

「ジェリー・パーカーがアイスベビーから生まれたのであれば、彼は、人類のオリジナルの遺伝子を持っていることになるのではないか?」
「そう思います。ラムジーは記録の中で、彼を『オリジン』と呼んでいます。」
「『オリジン』には・・・」
「すみません、彼にはジェリー・パーカーと言う名前があります。」
「失礼。パーカーには、子供がいるのですか?」
「ラムジーは彼の子供を数人創っています。クローン5体と、コロニー人女性の卵子との体外受精児3人です。ただ、かなりの高額で複数の富豪に売却されているので、その子供達との接触は不可能です。親達のガードが堅いのです。わかっているのは、性別で、クローンは全員男、体外受精児は男1人、女2人です。」

おおお! と会場内にどよめきが上がった。
誰かが新たな質問をした。

「クローンの女性との子供はいないのですね?」
「記録にありませんでした。」

そして、ケンウッド長官は話題の方向を再びゲノムの方へ戻した。

「JJにクローンとコロニー人の判別をする基準を尋ねました。すると、彼女はクローンには印が付いていると言いました。」
「印? そんなものをドームでは付けているのですか?」
「決してそんなことはしていません。」
「では・・・」

 ケンウッド長官は会場を見回した。

「皆さん、どうも我々は200年前、一番最初にとんでもないミスをしてしまったようです。クローン製造の手順に誤りがあった。それを誰も気が付かなかったのです。気が付いたのは、サタジット・ラムジー1人だけでした。
 初期の女性が生まれなかった原因は環境汚染だった。しかし、その後の原因は、我々のミスだったのです。」





暗雲 5

 ラナ・ゴーン副長官は普段中央研究所の食堂で食事を摂るが、その日の昼休みに一般食堂へ脚を伸ばした。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが1人で食事をしているのを見つけるのはたやすかった。数人のドーマー仲間と配膳カウンター前で少しふざけていたが、山盛りの卵と野菜の炒め物を皿に取って、煮込んだ魚料理を少々付け足し、飲み物のカップをトレイに載せて食堂の隅のテーブルへ向かった。今日は相方がいないので、1人で食べるようだ。
 彼女は野菜料理と魚の揚げ物を選び、珈琲と共にトレイに載せると、彼が席を取ったテーブルに向かった。

「ご一緒させて頂いても宜しいかしら?」

 ダリルは端末でメールを開こうとしていたが、彼女の声を聞いて手を止めた。顔を上げて、平静を装い、どうぞ、と答えた。彼女が座り、食事を始めるのを視野の片隅に置きながら、メールをチェックした。中西部支局の新支局長からメールが入っていた。秘書のブリトニー嬢が婚約したので、婚姻許可申請を出す予定、とあった。あの可愛らしい秘書さんが結婚するのか、とちょっと残念に思った。局員達は彼女の顔を見るのが楽しみで中西部へ出張するのだ。きっとがっかりするだろう。新支局長は、遺伝子管理局を引退した元ドーマーだ。まだ独身のはずで、ドームは彼にふさわしい女性を数人候補として選んでいる。多分、彼は近々お見合いさせられるだろう。
 「ねぇ」と副長官が声を掛けてきた。

「食事の時は仕事をしない方が良いわよ。」

 ダリルは端末を仕舞った。

「今日はメールや報告が多いんです。チーフが朝部屋を出たっきり行方不明だし・・・」

 勿論、彼はポールが何処で何をしているか知っている。ラナ・ゴーンが知っていることも知っている。さっさとボスを返せ、と暗にほのめかしているのだ。
 ラナ・ゴーン副長官はちらりと時計を見た。予定時間をオーバーしている様だが、彼女は心配していなかった。今日はJJに好きなだけ遊ばせてやるつもりだ。誕生日だから。

「ドームの中に居るのだから、心配ありませんよ。」
「私の仕事が増えるじゃないですか。」
「では午後のジムを休めば良いわ。」

 ダリルは食べ物を口に放り込み、嚼んで呑み込んでから、抗議した。

「私に意地悪をしていませんか?」
「そんなつもりはありません。」

 彼女は暫く黙って食べてから、言った。

「今日は長官が月の会合に出席されているので、私も代行で忙しいのですよ。」
「その割には、わざわざここでお食事ですか?」
「貴方と一緒に居たかったから。」

 ダリルは瞬間、食堂内を見回した。パパラッチは居なさそうだ・・・しかし、絶対に居ないと言う保証はない。

「私はスキャンダルになっても恐くありませんが、貴女は・・・」
「本当のことを言いましょう。私は3ヶ月前から独身なのです。」

 ラナ・ゴーン副長官が苦笑いした。

「地球人に夢中でこの5年間コロニーに帰らない妻に、夫が愛想を尽かしたのです。子供達は全員独立しているし、もう夫婦でいる必要もないと話し合いで決めました。ですから、今の私はフリーです。」

 ダリルは何と言うべきか考えた。彼女が付け加えた。

「もうただの小母さんですからね。」
「では、小母さんの隣に座る権利はまだ私にもあると言うことですね?」
「小母さんの隣で良ければね・・・多分、退屈ですよ。」
「黙って座っているのも好きです。」






暗雲 4

 バイオインフォマティクスの講義はスクリーン上に映し出された多くのヒトゲノムの配列アラインメントを眺めるところから始まった。

「これは、JJ・ベーリングが分類した配列アラインメントです。左のグループから、コロニー人、ドーム内クローン、ドーム外クローン、全て女性のものです。
ミスは一つもありません。彼女は見事に分類しました。」

 場内がかすかにざわめいた。誰が見ても、その差がわからない。

次の画像が映し出された。これも配列アラインメントだ。

「これは、男性のものです。左からコロニー人、ドーマー、ドーム外の男性、それから、一番右側のグループはかなり特殊です。上がジェリー・パーカー、下がダリル・セイヤーズ・ドーマーです。」
「個人を特定したのですか?」

 会場から上がった質問の声に、ケンウッド長官は頷いた。

「彼女は、ここに映っている配列アラインメントの主全員を特定出来ます。」
「どうやって?」
「目で見ています。それだけです。」
「信じられない!」

 ケンウッド長官は、月にある「地球人類復活委員会」の会合で研究成果の発表を依頼された。彼は「成果とは言えないが」と断って、この「大発見」を公表したのだ。
会場内のざわめきを気にも留めずに、彼は続けた。

「彼女が言うには、ジェリー・パーカーとダリル・セイヤーズ・ドーマーは、コロニー人と同じだそうです。しかし、セイヤーズは第3グループのクローン女性から生まれた子供で、父親は第3グループに属する地球人男性です。本来ならば、父親と同じグループに入っていなければならないのです。」
「何故、コロニー人と同じゲノムを持つことになったのです?」
「彼は進化型1級遺伝子を母親から受け継ぎました。恐らく、その遺伝子が彼の生殖細胞を『原型』へ戻したのだと思われます。」
「『進化』ではなく、『先祖返り』?」
「私は、『修復』だと考えています。」
「セイヤーズが『修復』されているとすれば、パーカーはどうなるのです?」
「それが・・・」

 ケンウッドは少し言い淀んだ。

「よくわからんのです。」
「わからない?」
「彼は、サタジット・ラムジーが製造したクローンです。遺伝子管理局が押収したラムジーの情報チップを解析したところ、パーカーの人工子宮内での成長過程が記録されている項がありました。それによると、ラムジーは胚が細胞分裂を開始してから一度も遺伝子に手を加えていない。だが、彼は進化型遺伝子を持っていません。つまり、最初から彼の遺伝子提供者はコロニー人と同じ遺伝子を持っていたと考えられます。」
「では、コロニー人のクローンで、地球人のクローンではないと言うだけのことでは?」
「しかし、JJは、パーカーは地球人の子供だと主張しています。成人から採取した細胞のクローンではなく、地球人の赤ん坊の細胞から生まれたクローンだと言うのです。」
「では、セイヤーズの子供なのでは?」
「パーカーの方がセイヤーズより10歳年長です。」

 会場の中程で声が上がった。

「まさか、『死体クローン事件』の、盗まれた細胞のクローンとおっしゃりたいのですか?」

 ケンウッド長官は重々しく頷いた。

「そうとしか、考えられません。」

 場内がシーンと静まりかえった。ケンウッド長官は静かに言った。

「200年前に地球上で発見された、4000年前の氷浸けの細胞です。」






暗雲 3

 俺は余計なお節介をしてしまったかも知れない、とポール・レイン・ドーマーはちょっぴり反省した。ダリルは自分でラナ・ゴーンを口説き落とせるはずだ。昨夜は彼女の拒否に遭って気が動転しただけだ。思い立ったら達成出来る迄とことん挑戦する男だから、すぐ立ち直って彼女へのアタックを再開するだろう。
 正直なところ、何故ゴーンなのだ? とポールは疑問に思ったのだ。ダリルなら女性の引く手あまたなのに、よりにもよって10歳以上も年上の、コロニー人の幹部が好きになったのだから、驚いた。ラナ・ゴーンは確かに美人で魅力的な体をしている。話も有意義なことを語ってくれるし、相談事も安心して任せられる。だが、ポールは彼女が苦手だ。本当にいつも子供扱いされている感覚を与えられるからだ。彼女はドーマー達を年下だと意識している。ハイネ局長やチーフ・ドーソンの様に敬意を払う相手もいるが、多くの遺伝子管理局員は彼女の目から見れば子供なのだ。
 
 ダリルはライサンダーの父親だから、ゴーンと同じ視点で物を見られるのかも知れないな。

 ちょっとパートナーが羨ましい。
 ポールは閉じられたドアを見た。ラナ・ゴーンが「ちょっと待ってて」と言って出て行ってから10分余り経過した。そろそろ作業を始めないと薬剤の効果が薄れてくる。
彼が仕方なしに近くの本に手を伸ばした時、ドアをノックする音が聞こえた。彼は手を引っ込めた。その必要はないはずだが、なんとなく他人に見られたくないのだ。
 ドアがそーっと遠慮がちに開き、1人の女性が顔を出した。ポールはドアの方向に視線を向け、「げっ」と心の中で呟いた。思わず、彼女に声を掛けた。

「部屋を間違えているぞ。」

 彼女は部屋番号を見上げた。機械を通した声が返答した。

「ここだわ。間違いない。貴方が居るもの。」

 ポールはJJが入って来るのを見て、ナースコールのボタンを探した。しかし、ボタンを押さずにJJがドアを閉じて施錠するのを見守ってしまった。
JJはポールが座っているベッドに近づき、彼の隣に座った。ポールの緊張が一気に高まった。小娘に横に陣取られ、小娘みたいに怯えている己に気が付いて、彼はうろたえた。
立ち上がろうとして、JJに腕を掴まれた。

 一緒に

と彼女の心が言った。機械の声が説明した。

 「今日で18歳なの。大人になるの。」

そして彼女は機械を外した。


2016年11月12日土曜日

暗雲 2

 翌日、ラナ・ゴーンはポール・レイン・ドーマーの「お勤め」を引き当ててしまった。
今回は団体ではなく、個人別だから、当たる確率はかなり低かったのだが。
 ポールは見た目は健康そのものだったが、血液を採取して最初の基礎数値を見ると白血球数がかなり多かった。ラナ・ゴーンはそれが何を意味するのか即座に理解した。

「抗原注射を打つ間隔が短過ぎない、レイン?」
「最近は内勤を増やしていますが?」
「では、過去に打ち過ぎたのが、今になって影響してきているのよ。チーフは内勤だけでも務まる仕事なのだから、もっと体を休ませなさい。」

 ポールは肩をすくめて見せただけだった。そろそろ「通過」をさせた方が良いかも知れない、と副長官は思った。抗原注射無しでドームの外に出られるように、故意に無難な細菌感染を経験させるのだ。軽い発熱やら咳やらもろもろの風邪の症状を経験する程度だが、ドーマー達はこれを恐怖の儀式の様に考えている。
 「通過者」は外から帰ると本人が気づかない細菌を持ち帰る率が高いので、帰投の際の消毒がより入念になる。これもドーマー達には煩わしく思えるのだ。
 血液検査の次は催淫剤投与だ。彼女が注射の為に腕に触れた時、ポールは尋ねた。

「セイヤーズをどう思われます?」

 ラナ・ゴーンは手を止めた。彼の腕をつかんだまま、彼の顔を見た。

「どう意味かしら?」
「彼を男性として見てやってくれませんか?」
「見ているわよ。」
「その様ですね。」

 ポールが珍しく目で笑った。ラナ・ゴーンはハッとした。手を彼の腕から離したが、時既に遅しだ。接触テレパスの男が言った。
 
「彼に諦めるなと言っておきます。」
「レイン・・・それはないわ。」
「昨晩から、彼はずっとしょげているんです。貴女に嫌われたのではないかと心配して。」
「貴方は彼を女性に盗られて嫌じゃないの?」
「俺たちは、そんな脆い仲じゃないですよ。」
「・・・わからないわ。」

 彼女は平素を装って彼に注射を打った。ポールは室内に置かれている本や画像ソースを眺めた。いつもの空しい努力の時間だ。
 ラナ・ゴーン副長官は薬品や注射器などの道具を片付けて、少し考えた。

「女性が割り込んでも崩れる仲じゃないと言うのね。」

 ポールは彼女が急にニコリと笑ったので、少し驚いた。彼女が優しく言った。

「ちょっと待っててね。今日は特別ですよ。」

暗雲 1

 ダリルの夕食後の1時間は1人で散歩する時間になった。誰にも邪魔されずに「庭園」を歩き、ライサンダーの行方を考えたり、仕事の問題点を再考してみたり、ポールの言動の意味を考えてみたり・・・自由な思索の時を過ごすのだ。
 10日に1度くらいは、例のベンチで副長官を見つけた。ラナ・ゴーンも彼と同様に1人の時間を過ごしているのだが、彼が同席を求めるといつも快く承諾してくれた。2人は母親として父親として互いの子供の話をしたり、仕事の話をしたり、趣味の話をして静かに夕刻の一時を楽しんだ。
 ダリルは毎回少しずつ2人の間を詰めていった。肩が触れあっても彼女が逃げないことを確認すると、彼は大胆な行動に出た。彼女の後ろの背もたれに腕を掛けて、体を密着させたのだ。ラナ・ゴーン副長官は大人の対応をした。

「他人に見られると誤解されますよ。」

とやんわり注意したのだ。ダリルは彼女の顔を見た。すぐ目の前に互いの顔があった。

「私は誤解されるようなことはしていないつもりですが?」
「そうなの?」
「コロニー人が地球人を誘惑するのは処罰の対象になりますが、その逆は禁止されていません。」

 ラナ・ゴーンが何か言い返す前に、ダリルは彼女の唇に自分の唇を重ねた。かなり長い間キスをしてから、彼は彼女からそっと離れて相手の反応を伺った。ラナ・ゴーンは暫く宙を眺めていた。それから言った。

「ドーマーから迫られたのは初めてなのよ。」
「意外です。」
「私は、貴方よりずっと年上なの。」
「知っています。」
「仕事の仲間とは関係を持たないことにしています。」

 するとダリルは彼女が驚く言葉を返した。

「私は貴女の仕事仲間なのですか?」

 ラナ・ゴーンは彼から少し身を退いた。彼の質問がショックだったのだ。

「違うと言うの? そう・・・貴方は・・・貴方達はそう思っているのね・・・」
「一緒に仕事はしていますが・・・」

 ダリルは慎重に言葉を選んだ。

「同等だとは思えないのです。」
「私達が地球人を見下していると思うの?」
「管理されていますから・・・生まれてから死ぬ迄、地球人全てが貴方達に管理されているでしょう?」

 副長官は暫く黙り込んだ。ダリルは議論をふっかけてしまったことを後悔した。彼はただラナ・ゴーンと言う女性と今迄以上に親しくなりたかっただけなのだ。

「女性が自然に誕生すれば、何も問題はないのよね。」

と彼女が呟いた。

「ドームは無用の施設となって、ドーマーも存在しなくなるわ。コロニー人はコロニーに帰る。地球へは、ビジネスや観光で来る程度になる。」
「恋愛も自由に出来ます。」
「これは、恋愛ではありません。今の貴方と私のことですよ。」

 今度はダリルがショックを受けた。では、何故彼女は彼が接近することを許したのだ?
猫が飼い主に甘えるのと同じ認識で許したのか?
 ラナ・ゴーンは彼が傷ついた様な顔をしたことに気が付いた。またショックを受けた。

「まさか・・・貴方は本気なの?」
「私は遊びでこんなことはしません。」
「でも、貴方にはレインがいるじゃない。」
「貴女にも配偶者がいらっしゃることは知っています。」
「だったら・・・」

 ダリルは彼女から離れ、立ち上がった。

「すみません、調子に乗りすぎました。今夜のことは忘れて下さい。」

 彼が立ち去ろうとすると、彼女が「セイヤーズ」と呼びかけた。彼が足を止めて振り返ると、彼女は優しく言った。

「忘れているようだから、言っておきます。ここには監視カメラがあるのよ。」






対面 23

 ダリルはポールの机に行き、画面を覗き込んだ。そして、「あっ」と声を上げた。
ポールが振り返った。

「知っているヤツか?」
「見たことがある。」
「何時? 何処で?」
「君を救出した次の日だ。セント・アイブスで重力サスペンダーの店の場所を通行人に尋ねていたら、彼は偶然通りかかり、その後で私達を尾行して来た。遺伝子管理局が何を調べているのか、興味を抱いたのだろう。」
「本当に尾行されたのか?」
「うん。クロエルも気が付いた。彼もその男の顔を見たはずだ。」
「すると、向こうも君とクロエルを見た訳だ。」
「リュックも居たんだ。」
「彼が出張所の人間だと言うことは知っていたはずだ。それは問題ない。君とクロエルはFOKに面が割れてしまった。」
「覆面捜査ではないから、それも問題ないと思うが・・・」

 するとポールは少し躊躇ってから、決心してダリルに正面を向けた。

「昨日、チーフ・ドーソンの部下が、この男の自宅があるナイアガラフォールズ郊外のエネルギースタンドで通行車輌を張っていた。すると、こいつ・・・ニコライ・グリソムが車で来て充電した。その時、助手席に乗っていた若い男が、緑色に光る黒髪だったそうだ。」
「えっ!?」

 ダリルもポールを真っ直ぐに見た。

「まさか、ライサンダーじゃないよな?」
「それはわからん。同年齢で同じ色の髪の少年が複数いても可笑しくない。葉緑体毛髪はそんなに珍しくないからな。しかし・・・グリソムが君の顔を知っていると言うのであれば、話は少し変わってくる。
 ライサンダーは、パーツは俺に似ているらしいが、全体の雰囲気は君そっくりだ。もしグリソムが彼を見つけて、君との関係を疑って誘惑でもしたら・・・」
「それは・・・」

 ダリルは息子が犯罪者と関わりを持ったと思いたくなかった。それでなくても、ライサンダーはラムゼイ博士と深い関係を持っているのだ。

「チーフ・ドーソンの部下は、少年の顔までははっきり見ていない。君と似ていたかどうか、それは不明だ。少年がグリソムと友人なのか、ただ同乗していただけの知人なのか、あるいはFOKのメンバーなのか・・・チーフ・ドーソンの心配はそれだ。
 彼はライサンダーと君の関係は知っているが、俺との関係はまだ知らない。ケンウッド長官もハイネ局長も俺達が公表する迄黙ってくれているからな。彼がライサンダーの髪が緑だと知っているのは、俺が当初の手配書に書いたからだ。
 チーフ・ドーソンは君が傷つく様な事態になりはしないかと心配してくれているんだ。」
「うん・・・有り難いことだ。」

 ダリルにとっても、チーフ・ドーソンは師匠だ。

「ポール、私は君の立場を考えて、出来るだけライサンダーのもう片方の親のことは黙っていた。今のところ、私の口から明かしたのはクロエルだけなのだが、君を知っている人がライサンダーを見たら、君の子供だとわかるらしい。」
「何を今更水くさいことを言うんだ? 俺が黙っていたのは、ライサンダーの身の安全を考慮したからだ。『氷の刃』はドームの外では嫌われ者だし、敵が多いからな。だから、ライサンダー本人にも言い聞かせておいた。出来るだけ能力を隠して目立つな、と。」
「では・・・」
「ドームの中では公表しよう。 ライサンダー・セイヤーズは、ポール・レイン・ドーマーの息子でもあるのだ、と。」
 
 ダリルは思わずポールに抱きついてしまった。ポールも愛おしそうに彼を抱きしめたが、ふと何かを思い出した。

「ところで、局長の用事は何だったんだ?」

 ダリルは彼からそっと身を離した。

「実は・・・私がどこのドームに帰属するかと言う問題に答えが出た。正式な回答だ。」

 ポールが一気に緊張した。

「どうなった?」
「それが・・・」
「それが?」
「西ユーラシアは、私の所有権を放棄した。」

 ポールはピンと来なかったらしい。ダリルの目を見つめた。ダリルはゆっくりと言った。

「アメリカに居て良いってさ!」

 次の瞬間、彼はもう1度、ポールに抱きしめられた。窒息するくらい力強く抱きしめられて、耳元でポールの囁きを聞いた。

「もう2度と俺を置いて何処かへ行ったりするなよ。」


2016年11月11日金曜日

対面 22

 クリスチャン・ドーソン・ドーマーのオフィスに招かれていたポール・レイン・ドーマーが彼自身のオフィスに現れたのは11時近くになってからだった。
 オフィスでは秘書らしくダリルが1人で仕事に励んでいた。今日はボスが抗原注射の効力切れ休暇だし、まだ1日が始まって間もないので報告書も申請書の類も届いていない。
ダリルは処理漏れがないかと過去のデータを洗っている最中だった。
 部屋に入って来たポールに気が付くと、「休みだろ?」と声を掛けた。住居がすぐ近くだし、アパートに1人居ても暇だろうと思うが、休日なのだから、図書館とかジムで過ごして欲しい、と仕事の虫のパートナーにダリルはちょっと不満を覚えた。
 ポールは、「ちょっと調べ物だ」と言って、執務机の端末を操作した。アパートのコンピュータでは仕事上のデータ全てが見られる訳ではない。秘密保持の順位が高くなればオフィスで調べるしかないのだ。

「チーフ・ドーソンから何か言われたのか?」
「うん・・・ちょっと・・・否、かなり気分の悪い話を聞いた。」
「気分が悪い?」
「FOKだ。」
「『クローンの友』と名乗る組織だな?」
「昨日、トロントのクローン収容施設を襲撃した。職員3名が重軽傷を負わされ、子供が9人、攫われた。」
「連中はクローンの解放を謳い文句にしていたが・・・」
「大嘘に決まっている。解放された子供がいたか? これまでのところ、連中が連れ去った子供達は1人も見つかっていない。」
「学生団体だろ? 大勢の子供を長期間隠しておけるだろうか?」

 ポールはキーを数十回叩いて、どこかの交流サイトを開いた。

「この男が今年の春にリーダーになって以来、グループの雰囲気が変わった。」


対面 21

 ハイネ局長は書類をどこかに送信してから、ダリルを振り返った。

「待たせてすまなかった。しかし、朗報だから、辛抱してくれるな?」
「朗報ですって?」
「そうだ。」

 ハイネがにこりとした。

「西ユーラシア・ドームから君の帰属問題に関する返事が来た。」

 ダリルの心臓がドキンっと鳴った。そうだ、この問題が残っていた。彼は西ユーラシアに籍を置いたまま脱走していたのだ。

「アメリカに残りたいのであれば帰還を無理強いしないから、アメリカに残れと言うことだ。」
「!」
「条件は、これからアメリカ・ドームで採取する君の遺伝子を年に1度、西ユーラシアに譲って欲しいと言う、それだけだ。勿論子種は冷凍で送る。」
「・・・わかりました・・・」
「不満か?」
「いいえ!」

 ダリルは大きく首を振って見せた。

「ただ、帰属問題をすっかり失念していたので、驚いています。」
「君は相変わらず脳天気だなぁ。」

 その時、プリンターがピーッと鳴って書類を数枚吐きだした。局長はそれらを手に取って目を通してから、ダリルに差し出した。

「西ユーラシアへの転出届け、アメリカへの転入届け、それぞれの遺伝子管理局への離任、転任願いと、遺伝子管理に関する各長官への委任状、全てに君自身の手で署名して提出すること。今ここで書いても良いぞ。」

 19年前、リン長官によって転属させられた時も同じ書類に署名させられた。あの時は強制だった。今は大喜びで書ける。ダリルは場所を借りて書類に目を通し、所定の場所に署名した。それを受け取ったハイネ局長は、もう1度署名を確認して、書類を机に置いた。そして手を差し出した。

「改めて言おう、お帰り、ダリル・セイヤーズ・ドーマー。」
「有り難うございます。またお世話になります。」



2016年11月10日木曜日

対面 20

 北米北部班チーフ、クリスチャン・ドーソン・ドーマーは、ダリルとポールより10歳年上だ。ポールは駆け出しの局員の頃から彼に仕事のノウハウを教わってきた。ポールにとって師匠であり敬愛する先輩だ。局長よりドーソンの方をポールは尊敬している。
 その師匠が険しい顔つきで現れたので、ポールは立ち上がって迎えた。

「おはようございます、チーフ・ドーソン・・・」
「おはよう、ポール。効力切れで休みの日にすまないが、少し話せないか?」
「かまいませんよ。」
「食事が済んでからで良いから、私のオフィスに寄ってくれ。そんなに時間は取らせないはずだ。」
「わかりました。では、半時間後で宜しいですか?」
「急がなくても良い。今日は内勤の日だから、いつでも居る。」

 ドーソンは立ち去り際、ダリルをちらりと見た。それで、ダリルは彼の用件が自身に関係することかな、と思った。心当たりと言えば、昨日の事件だが・・・あれは中央研究所の方で無礼者2人に処分を下すはずで、ドーマー側からの意見は求められないのが普通だ。
 ポールは効力切れのせいもあって食欲がないのか、食べるのを止めてしまった。気配りのクラウスが高カロリードリンクのカップを持って来て彼の前に置いた。

「効力切れの時こそ腹に何か入れないと後が辛いぞ、と部下にいつも言っているのは貴方ですよ、兄さん。」
「今は食べたくないだけだ。昼になれば元通りになるさ。」

 それでも彼はドリンクを飲んでなんとか朝食を済ませた。ダリルは自分も食事を済ませるとオフィスに行こうとした。内勤の秘書には効力切れ休暇はないのだ。すると端末にメールが入った。見ると、局長からで、局長室に来るように、と言う指示だった。

「私も局長に呼ばれたよ。また何か問題でも起こしたかなぁ?」
「君はガキの頃から問題を起こす名人じゃないか。」
「あの言われよう・・・」

 否定出来ないのが哀しい。
 2人は並んで食堂を出た。日差しが眩しいが、ドームの壁は紫外線をカットしている。
外で雨が降ってもドームの中は降らない。空が暗いだけだ。だから、ドーマーは雨が嫌いだし、僅かでも恐怖感を抱く。ダリルが中西部の砂漠地帯に近い田舎町に居を構えたのも、降水量が少なかったからだ。中米班や南米班の様に雨林がある場所には勤務したくない。
 2人は本部ビルのエレベーターで降りる階によって別れた。

 ローガン・ハイネ・ドーマーは早朝から書類作成に追われていた。ダリルが入室すると、座れ、とだけ命じた。
 ダリルはいろいろと記憶の中を検索して、何から謝ろうかと考えた。子供時代の悪戯から最近の言動まで思い出してみたが、呼び出されるようなことに思い当たらなかった。
 


対面 19

 翌日の北米南部班の朝食会は静かだった。 チーフ・レインと第1チームは抗原注射の効力切れで二日酔いみたいに元気がない。欠席の局員もいる。注射が必要ない副官クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーがチーフ代行で本日の予定チェックを行った。秘書ダリル・セイヤーズ・ドーマーは通常通りの職務をこなして予定表の読み上げだ。
 そして、いつもの様にパパラッチ・サイトをチェックする趣味の局員が、早速昨日撮影された画像がアップされているのを確認した。

「『遂にベールを脱いだラムゼイの腹心! 服も脱いだか?』だとさ・・・」
「思わせぶりのタイトルだけど、中身はないぜ。」

 実際、公開された画像は食堂やジムで北米南部班第1チームと共に過ごすジェリー・パーカーの姿ばかりだった。撮影者はジェリーがドーマー達と共に「お勤め」を果たしたことは知っているが、研究所内は警備が厳重で撮影していないのだ。
 ジェリーを知らない局員達は、最大組織を誇っていたラムゼイ博士の秘書を初めてじっくり見たことになる。

「こいつ、何人だ? 人種がよくわからん。」
「いろんな人種が混ざっているんだろ。アフリカ北部とか、中央アジア辺りの血が入っているんだと思う。」
「だが、イケメンだよな。」
「もっとふてぶてしい顔をしているのかと思ったが、案外普通のヤツみたいだ。」

 パパラッチは画像の「主役」を撮影するふりをして、実際はポール・レイン・ドーマーを撮っていることが多いのだが、今回は何故かダリルばかり背景に入れていた。
パパラッチ・サイト好きの局員はその事実に気が付くと、そっとチーフ・レインの表情を伺った。ポール・レイン・ドーマーは今朝は覗き見趣味に付き合う気がないらしく、黙ってサラダをもしゃもしゃ食べていた。時折隣に座った第1チームの新入りと言葉を交わすだけだ。パパラッチ・サイト好きの局員は、ポール自身が気が付くまで黙っていようと決意した。昨日朝の騒動は口外されていないが、ポールは恋人に誰かが横恋慕するのは気に入らないに違いない。
 ダリル本人は、ジェリーの画像を見て、なかなか佳い男っぷりだ、と喜んでいた。ジェリー・パーカーがラムゼイ博士の死を乗り越えて生きることに前向きになってくれたことを素直に嬉しく思った。
 伝説の映画監督と同姓同名で渾名も「監督」のジョージ・ルーカス・ドーマーが配膳カウンターに行ったので、パパラッチファンの局員は素早く追いかけた。そしてカウンター前で彼を捕まえると、件の画像を見せて意見を求めた。すると意外な返事が彼を驚かせた。

「これはセイヤーズを撮っているんじゃないよ、アングルがどれも良くないだろ? 偶々彼がパーカーの近くに居たので映り込んだに過ぎない。
 隠し撮りの真の目的はこの男さ。」

 ジョージが指さしたのは、画面の端に映っていた保安課員だ。

「監視役が盗み撮りされてたって言うのか?」
「彼の方がセイヤーズより綺麗に映っているだろ? 保安課の人間は個別任務を与えられない限り、監視センターか訓練所から出てこないから、滅多に撮影出来ないんだ。
それにあからさまに撮すと、本人に気づかれる恐れがあるし、ゴメス少佐にばれたら撮影者はサイトにアクセスする権利を剥奪される。このサイトそのものが削除されたらつまらないからね。」

 パパラッチファンは、画像の中のアキ・サルバトーレ・ドーマーを見つめた。

「確かに・・・珍しいよな、保安課が映っているなんて。」
「アキは生粋のアメリカ先住民だからな、コロニー人にとっても、人種的に珍しいんだろう、きっと。」

その時、北米北部班のチーフが足早にポール・レイン・ドーマーに近づいて行くのが見えた。どこかただならぬ雰囲気に、ドーマー達は思わず彼を見守った。




2016年11月8日火曜日

対面 18

 結局、ジェリー・パーカーは夕食までドーマー達に付き合わされた。もしかすると、これも遺伝子管理局の任務の一つかも知れないと思いつつも、ジェリーは楽しんでいる己を発見してちょっと戸惑った。他人と一緒に過ごす時間を愉しいと思ったのは、何年ぶりだろう。そして、何故愉しいのかを考えた。ドーマー達は純粋なのだ。ドームの中で大切に育てられてきたので、自分達が置かれている立場を疑いもせずに受け入れている。嫌だと思っても、逃げることはしない。(1人例外がいたが・・・)純粋なので、ジェリーも同じ様に扱ってくれるのだ。ジェリーが世間を斜めに見るなんてことは想像もしない。

「早くここの生活に慣れろよな! 馬になっちゃえ。」
「クローン製造のプロだろ? コロニー人の知らない技術とか持ってるんじゃないのか? あいつ等をびっくりさせてやれよ。地球人だってやれるんだぞって。」

 夕食後、ジェリーをクローン観察棟まで送ってくれたのは、ダリル・セイヤーズ・ドーマーだった。監視役のアキ・サルバトーレ・ドーマーも居るのだが、ダリルはジェリーと少し話がしたかったのだ。

「ラムゼイの爺様を殺したヤツの目星はついているんだ。ただ、証拠がなくてね。トーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツと理事のビューフォードが嚼んでいるはずなんだ。ビューフォードが爺様の資料を隠していたのをレインが見つけて押収した。そのうち、君に確認作業の依頼が行くだろう。」
「博士の仇が判明したら、俺に教えてくれ。敵討ちが出来ないことはわかっている。俺はもうここから出られないからな。だが、そいつ等が裁判でどうなるのかは、テレビで見られる。必要なら、証言もするぞ。」

 観察棟前で「おやすみ」と挨拶して、ダリルはジェリーと別れた。ふと散歩したくなって、ドーム壁周辺の庭園へ脚を向けた。ドームに復帰してから夜間に一人歩きするのは初めてだ。知った道だし、危険だとは思わない。キエフがいなくなってから、彼が1人歩きしてもポールは五月蠅く言わなくなった。コロニー人は敵ではない。嫌がらせする者がいることは事実だが、連中は決してドーマーを傷つけない。地球人に怪我をさせたら確実に懲戒免職だ。
 庭園の外灯が灯っている道を歩いて行くと、植え込みの間にベンチが所々置かれているスポットに出た。若いドーマーやコロニー人が息抜きに来る場所だ。俗に「デートスポット」と呼ばれている。ダリルはここでデートをした記憶がない。ポールが好まなかったからだ。ポールのデートは屋内派だ。
 木陰のベンチに誰かが座っていた。女性だと気が付いて、ダリルは立ち止まった。あのシルエットは知っている。彼女は端末で何か画像を見ていた。家族の写真だろうか?
彼女が気配に気づいて、こちらに顔を向けた。ダリルは「こんばんは」と挨拶した。あら、と声が上がった。

「こんばんは。珍しいわね、貴方が1人でいるなんて。」
「私はここの出身です。1人で歩けますよ。」

 ダリルは笑って、彼女の隣を指した。

「そこ、宜しいですか?」
「どうぞ。」

 ダリルはラナ・ゴーン副長官の隣に座った。副長官は仕事を終えて入浴したのか石鹸の香りがした。

「今日は朝から大変だったそうね。」
「ああ、あれですか。」

 ダリルは既に遠い過去みたいに感じていた朝の騒動を思い出した。

「執政官の質が落ちたようですね。若い人は・・・私より年上のはずですが、ちょっと子供染みた行動が目に付きます。」
「一部の人の言動が目立ちすぎることは確かです。欲求不満の塊みたいで嫌ね。」

 ラナ・ゴーンは端末をポケットにしまった。

「貴方が言っていた・・・」
「はい?」
「JJの能力、本当みたい。」
「塩基配列が見えると言う、あれですか?」
「ええ。血液サンプルだけ見せたら、性別、ドーマー、コロニー人、クローン、全部判別したわよ、彼女・・・」
「マジですか!」
「貴方でも驚くの?」
「だって、そんな比較実験なんてやりませんから。私が見たのは、彼女が見えているものを絵に描いてくれたものです。」
「絵? 塩基配列を描いたの?」
「そうです。模様に見えましたが、縞模様にパターンがあったのでDNAだとわかりました。」
「面白いわね。明日は彼女にそれをお願いしてみましょう。」

 ダリルはそっと副長官を見た。

「彼女が塩基配列で人を判別すると言うことは、やはり女性誕生の研究に役立ちますか?」
「個人の判別と言うより、地球人、コロニー人、クローンの判別が出来ると言うところがミソですね。女性はコロニー人とコロニー人のクローンだけなのに、どうしてクローンがわかるのか・・・そこに女子が生まれない原因が隠されているのかも知れないわ。」






対面 17

 JJの前に、10人分の血液サンプルが並んでいた。ケンウッド長官とラナ・ゴーン副長官、それに数名の執政官が彼女の向かいに座っていた。

「JJ、君は塩基配列を見ていると、セイヤーズが報告したが、このサンプルの主達を識別出来ると言うことかな?」

 コロニー人達は誰もダリルの報告を信じていなかった。DNAが見える人間なんているはずがない。
 JJはサンプル3を指さした。

「これはPちゃん! とっても綺麗。」

 ケンウッドは手元の端末でリストを確認した。確かにサンプル3はポール・レイン・ドーマーの血液だ。
 JJはサンプル4を指した。

「クラウスさんよね?」

 彼女は更にサンプルを順番に指していった。

「次は、ジェリーだわ! それから、ラナが居る。 次は・・・知らない人だけど、ドーマーね。8もドーマーだわ。9はクローン、女の人、10はドーマー・・・」
「1と2は?」
「コロニー人の男の人。」

 室内がざわついた。なんでわかるんだ? と声が上がった。ケンウッドはサンプルをさらに10人分と入れ替えた。
 JJはその10人の名前は知らなかったが、正確に性別、ドーマー、クローン、コロニー人を言い当てた。しかも、ドーマーの中でもセント・アイブスから同じ飛行機でドームに戻った者とそうでない者を判別した。クローンは、つまり女性なのだが、ドーマーとして育ったクローンと、取り替え子で出産でドームに収容されている女性を言い当てた。

「何が違うんだ?」

とケンウッドがJJに尋ねた。

「遺伝子に差異があると言う意味だ、そうだね? コロニー人の女性と、クローンの女性では違うのだね?」
「全然違うわ。」
「君が見ている物を、我々も見られるのだろうか?」
「どうして、貴方達は見えないの?」

 ラナ・ゴーンが提案した。

「もっとサンプルを沢山集めて見せましょう。比較して個別ではなく、グループの明確な差をJJに発見してもらうのです。」


対面 16

 ジェリー・パーカーはジムでドーマー達と格闘技の練習や筋肉トレーニングをした。水泳も出来ると聞いたが、それは遠慮した。彼は泳いだことがなかった。
 彼の目から見ると、ドーマー達は遊んでいる様に思えたが、彼等は勤務日なので外に出る日に備えて体力作りをしている、正式な仕事の一部だった。だから、手抜きはしない。
ジェリーは投げられ、床に押さえつけられ、殴られ、そして同じことをドーマーに対して行ったが、誰からも咎められることはなかった。
 休憩時間になると、ポール・レイン・ドーマーが部下達の成績をチェックした。先日ドーム追放になったアレクサンドル・キエフ・ドーマーの穴を埋めるために保安課から異動になったドーマーが、抜群の身体能力を見せて、「流石に保安課だ」と賞賛を浴びた。

「セイヤーズもかなりのもんじゃないか?」

とジェリーが感想を言うと、ポールはふんっと笑った。

「セイヤーズは筋肉ではなく、脳で闘っているんだ。対戦相手の筋肉の反応を瞬時に分析しているんだよ。だから動きが速い。相手が次にどの方向へ動くか見抜くからだ。」
「へぇ・・・」

よくわからないが、ジェリーは自身の「贔屓のドーマー」が優秀だと言われて少し嬉しかった。

「君も良い筋肉しているなぁ」

とクラウスが声を掛けてきた。ジェリーはポールを見て、ちょっと意地悪く言った。

「牛追いで鍛えたからな。」

 ポールはまたふんっと言った。ジェリーがダリルを意識していることを感じていた。否、彼は知っていた。捕虜になっていた時、ジェリーに触れられて知ったのだ。ジェリーはドーマーの手錠の具合を確認しながら、脱走ドーマーのことを考えていた。ラムゼイ博士が「氷の刃」と脱走ドーマーを交換しろとドームに交渉してくれないかな、と考えていたのだ。
 ポールは、ダリルのパートナーとして寛大なところを見せてやった。

「パーカー、次はセイヤーズと組み合ってみるか? 此奴を掴めればの話だが。」

対面 15

 成り行き上、ジェリー・パーカーはドーマー達と一緒に中央研究所の外に出た。初めてクローン観察棟と研究所以外の場所に連れて行かれたのだ。
 彼は思わず空を見上げた。ドームの中だから、当然何かの物質で造られた壁に覆われているはずだが、普通に青空が見えた。流れる雲と輝く太陽と・・・
 ここでは雨や雪は降るのだろうか。ハリケーンは? 緯度を考えれば冬は猛吹雪だってあるはずだが・・・?
 ジェリーはふと疑問を抱いた。今彼の頭の上に見えている青空は本物なのか?
 ドーマー達は全く気にしないで、彼を食堂へ連れて行った。ドームは小さな街だ。個別住宅がないだけで・・・
 広いビュッフェ方式の食堂で、好きな料理を取って昼食会となった。ジェリーは観察棟に収容されており、食事は全部部屋に運ばれていた。中央研究所の食堂には連れて行かれたことがないので、これも戸惑った。こんなに自由に振る舞って良いのか? 今にも保安課が来て、観察棟へ連れ戻されるのではないのか?

「ジェリー、しっかり食べろよ。午後は体力創りの時間だ。」

 すっかり元気を取り戻したダリル・セイヤーズ・ドーマーが脳天気に声を掛けてきた。

「おまえはもう良いのか?」
「うん、麻酔は抜けたみたいだ。」

 ダリルはポールに顔を向けた。

「私を押さえつけたヤツは、ベッドから蹴り落としてやったんだから、もう勘弁してやれ。ああ言う輩は言葉で言い聞かせても効果は期待出来ないんだ。」
「ナカイの野郎は置いといても、ギルは許せない。」

 ポールの言葉で、部下達は今日の「無礼者」が誰なのかを知った。

「またギルの野郎か! ナカイはブロンド好きで有名だ。セイヤーズ・ドーマーは狙い撃ちされたんだ。」
「懲りないヤツ等だな。」
「チーフ、いい加減にあいつ等をファンクラブから追い出しなさいよ。」
「ファンクラブ?」

 ジェリーは思わず尋ねた。ドーマーの1人が説明した。

「僕等には、それぞれコロニー人がファンクラブを作っているんだ。連中の贔屓のドーマーって訳。そして、我らがチーフは最大のファンクラブを持っている。連中は我々を守ってくれることもあるが、大概はうざい存在だ。」
「好きで持っているんじゃないぞ。コロニー人が勝手に取り巻きになっているだけだ。僕等は友達がいればそれで充分だ。そうだろ?」

 ジェリーは友達など持ったことがなかった。彼は返事に窮した。その時、ダリルがテーブルに近づいて来る長身のドーマーに気が付いた。

「保安課が来たぞ。」

 ドーマー達が振り返ると、ジェリーの監視役の男だった。 ジェリーは彼に背を向けたままで言った。

「飯を食う迄待ってくれ。逃げはしないから。」

 すると、監視役はそばのテーブル席に座りながら言った。

「俺もここで食うから、ゆっくりやりな。今日はおまえの好きにさせろとの長官命令だ。」
「え?」

 ジェリーは思わず監視役を振り返った。ドーマーの1人が笑った。

「犬の散歩だ、パーカー、馬になる第1歩だぞ。」

 ポールはその保安課のドーマーを知っていた。ジムで2,3度対戦したことがある。

「アキ・サルバトーレ・ドーマーだな?」
「覚えていただいて光栄です、レイン・ドーマー。」

 ダリルは、純粋なアメリカ先住民族の顔をしたドーマーを惚れ惚れと見た。

「噂には聞いていたが、君、強そうだな。」
「実際、強いぞ。」

とポール。

「後でジムで手合わせしてもらえ。」



対面 14

 ジェリー・パーカーはドーマー達と同様に小部屋で執政官に血液採取をされ、催淫剤を打たれた。ドーマー達と違ったのは、これらの作業の間、保安要員が一緒に居たことだ。しかし、検体採取の段階になると彼等は彼を1人残して部屋から出て行った。
 ジェリーは暫くじっと座っていた。何をどうするのかはわかっていた。クローンを注文に来た客達に同じことをさせていたからだ。ラムゼイ博士は、ジェリーにも数回経験させたが、それは高額の支払いが出来る上客の時だけだった。ジェリーの子供は高く売れたのだ。ドームでも同じことをさせられるのか? 一生? 
 ドーマー達は、実験で生まれてくる子供達は、きちんとした家庭に養子に出されるのだと言った。売り飛ばされるのではない。審査に合格した家庭に、合法的に養子として迎えられる。ジェリー・パーカーは合法的に生まれたのではない。もうドームの外へ出してもらえない。
 外に出られないのは、あの脱走ドーマーも同じだ。破天荒なことを平気でやってのけ、しかも進化型1級遺伝子なる恐ろしいものを持っている。そして美しい。ジェリーは18年前、初めてあのドーマーを見た時から惹かれていた。赤ん坊の抱き方やミルクの作り方、与え方、襁褓の替え方、いろんなことを教えてやったら、熱心に学習してすぐ覚えた。教わったことが上手くいくと、嬉しそうに笑った。必要なことを覚えて、赤ん坊を受け取ったら、さっさと姿を消してしまった。2度目に会った時は、ジェリーもドーマーもそれなりに歳を取って分別がついていた。子供は死んだと言ったが、ジェリーには嘘だとわかった。ドーマーは子供を守ろうとしたのだ。ラムゼイ博士が誰かにジェリーの素性を聞かれたら、嘘八百並べるのと同じで・・・
 「氷の刃」は完璧な美しさだが、ジェリーはセイヤーズの方が可愛いと思う。喜怒哀楽がはっきりしていて、分かりやすい。ドームに居れば、あいつのそばに居られるんだな、とジェリーは気が付いた。会えなくても、近くに居られるのだ。
 検体採取に成功したジェリーは、容器を冷蔵ボックスに入れ、部屋から出た。保安要員も執政官もいなかった。その後の指示を受けていないので、仕方なく最初に連れて行かれた部屋に戻った。
 既に役目を終えたドーマー達が着替えをしていた。ジェリーは検査着で来ていたので、着替える必要はないと思えたのだが、クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーがコンテナに入った衣服を差し出した。

「戻って来たら、これが置いてあった。君の名前が書かれた札が置いてある。これに着替え給え。」

 ジェリーは驚いた。ドームに連れてこられて以来、初めてまともな衣服をもらった。
着替えていると、ドアが開いて、ダリル・セイヤーズ・ドーマーがよろめきながら入って来た。すぐ後ろに男性執政官が付いていた。気配りのクラウスがすぐに駆け寄ってダリルを支えた。

「どうしたんです、兄さん?」

すると執政官が「申し訳ない」と言った。

「ちょっと当方で手違いがあった。セイヤーズの催淫剤に麻酔剤を混ぜたアホゥが居て、彼は少し気分が悪くなったのだ。半時間もすれば麻酔は抜けるから、安静にさせてやってくれ。」

 彼はポール・レイン・ドーマーとは目を合わさないように気をつけて、そそくさと部屋から出て行った。
 クラウスはダリルを椅子に座らせた。誰かが水を汲んで手渡すと、ダリルは自分でコップの水を一気に飲み干した。

「犯人は誰だ?」

とポールが自分の席から動かずに尋ねた。ダリルが彼をちらりと見た。

「知ってどうする?」
「決まっているだろう? ドーマーが侮辱されたら、ドーマーは報復するんだ。」
「彼等は上司から懲戒処分を受ける。それで良いじゃないか。」

 ダリルの言葉に、ジェリーが思わず口をはさんだ。

「お優しいんだな。あいつ等、これが初めてじゃないんだろ?」
「ああ。」

と部下の1人が頷いた。

「僕も前のお勤めの時に不愉快な思いをさせられた経験がある。あいつ等にとって、ドーマーはペット同然だからな。」
「そんな時は、ちゃんと俺に言えよ。」

 ポールは部下に注意して、立ち上がった。彼はダリルに近づくと、恋人の首に手を当てた。ダリルが身を退く隙を与えなかった。 ジェリーは「氷の刃」の水色の目が、普段より白っぽくなるのを目撃した。

「なんだ? ほとんどレイプ寸前じゃないか!」

 ポール・レイン・ドーマーが本気で怒っている。ジェリーには、彼がどうやって情報を得たのか、わからない。ただ他のドーマー達がチーフの怒りを感じて少し後ろへ退いたのに気が付いた。1人が、「チーフ」と呼んで、ポールに監視カメラの存在を思い出させた。着任年数が少ない執政官の多くは、ポールの能力を知らない。ドーマー達は、それぞれ己の能力を知られたくないのだ。
 ポールは手を引っ込めた。ついでに怒りも抑制した。見事に冷静さを取り戻し、クラウスにダリルの着替えを手伝ってやれと言った。

「着替えが済んだら、一般食堂で会合だ。」




2016年11月6日日曜日

対面 13

 「母御と話しをしたか? 家族と一緒に過ごして愉しかったか?」

 長官が血液採取をしながら質問した。ポール・レイン・ドーマーを引き当てたのは他でもないケンウッド長官だった。ポールは「べつに」と答えた。

「セイヤーズはアメリア・ドッティと一緒にお茶をしたのに、俺は婆さんの相手ですよ、不公平です。」

 ケンウッドは、ドーマー以外の何者でもない男を眺めた。そろそろ妻帯させて子孫をどんどん創らせようと思っているドーマーに家庭の味を教えたかったのだが、無駄だったようだ。彼は催淫剤の注射をポールに打って、「終わったらいつもの手順で帰りなさい」と言い残して部屋を出て行った。ポールはベッド周辺のエロ本やらアダルトヴィデオのセットを眺めて溜息をついた。せめてラナ・ゴーン副長官に引き当てて欲しかったな、と思った。

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは不幸だった。彼を引き当てたのは彼を疫病神の様に恐れるアナトリー・ギルで、ギルはダリルに近づけなかった。そしてこともあろうに友人の執政官に電話を掛けて部屋に来てもらった。これは明らかに規則違反だ。しかし、ダリルは早く終わらせたかったので、食堂で2,3回見かけたことがある、そのジュリアン・ナカイと言う執政官に血液採取をさせ、催淫剤を打たせた。その時、ナカイは催淫剤に微量の麻酔剤も混ぜた。
 ダリルはギルもナカイもなかなか部屋から出て行かないので不審に思い始めた。ナカイがベッドに座る彼の隣に腰を下ろした。

「悪く思わないでくれ。ギルがどうしても君が恐くて、作業が出来ないと言うのでね。」

 ダリルはナカイに押し倒され、抑えつけられた。ナカイがギルを叱咤激励した。

「抑えておいてやるから、早く済ませろ。時間を掛けすぎると上から不審に思われるぞ。」

 そんなことをしなくても放っておいてくれれば自分でやれるのに、とダリルは思った。こいつらは楽しんでいるのだ。ナカイが彼の顔を撫でたり、キスをしたりするのを黙って我慢した。麻酔剤は眠るところ迄の量ではなかったので、頭がぼんやりしただけだ。ギルがぐずぐずするので、ナカイが腹を立て始めた。

「容器を貸せ! 僕がする。」

 ナカイの手が下腹部に触れた瞬間、ダリルの堪忍袋の緒が切れた。
ナカイはベッドから蹴り落とされ、ギルは壁際に逃げた。ダリルはぼんやりする頭のまま、起き上がった。

「私が本気で腹を立てる前に部屋から出て行ってくれないか? 後の手順は充分に知っているから!」

 ギルとナカイは慌てて部屋から出て行った。ダリルはベッドに座って、フーッと大きく息を吐いた。彼が採った「手順」は、気分が悪くなった時のナースコールだった。
手が空いていた他の執政官達が駆けつけると、彼はベッドに寝転がって眠っていた。

対面 12

 ドーマーがドームで育てられる第1の目的は、地球人の遺伝子を調べるサンプルを提供させられることだ。だからドーマー達は研究室に呼び出されることには慣れている。呼び出された場所で行われることが好きではないだけだ。普通は年に1回程度の呼び出しだが、遺伝子管理局の局員は「繁殖用」と呼ばれるだけあって、回数が多い。コロニー人の女性から提供される卵子に掛け合わせて女の子を創る実験に遺伝子を用いる為だ。
 午前10時に指定された部屋にドーマー達は集まった。普通は時間差で1人ずつ呼ばれるのに、今日は1度に7人だ。部屋には検査着が用意されていて、言われなくても彼等はそこで銘々着替えをした。監視カメラで見られていることもわかっている。不要な物を検査室に持ち込まない様に見張られるのだが、執政官達は自分が担当したいドーマーを品定めすることも出来るのだ。勿論一番人気はポール・レイン・ドーマーだが、他の気に入ったドーマーを誰が担当するか、執政官達のささやかな争いとなる。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは妻帯者なので、女性執政官達は敬遠する。人柄が良いので好かれているが、キャリー・ワグナー・ドーマー医師の機嫌を損ないたくないのだ。
 今回の「目玉」は、ダリル・セイヤーズ・ドーマーだ。逮捕されてから遺伝子管理局に復帰する迄何回かサンプル提供しているが、担当したのは全員女性執政官だった。しかし男性執政官達も彼に興味がある。ポールのガードが堅いので、彼に触れるのは今日がチャンスなのだ。検査室の中なら、セイヤーズも執政官を殴るまい・・・
 着替えが終わったドーマー達ががやがや喋っていると、入り口のドアが開いて、保安課のゴメス少佐が現れた。保安課の出番はないはずだが?と疑問に思う間もなく、検査着を着た男がもう1人、誘導されて入って来た。その顔を見て、思わずダリルが声を掛けた。

「やぁ、ジェリー! おはよう。」

 メーカーのジェリー・パーカーだった。いきなり検査着姿のドーマーの群れに放り込まれて呆然としている。ドーマー達も、何故此奴がここに? と疑問を抱きながら彼を見つめた。
 ゴメス少佐が、「知っての通り」と紹介した。

「君達が逮捕した、ジェリー・パーカーだ。今日は彼も君達と同じ検査・サンプル採取を受ける。虐めるなよ、ちょっかいを出さないように見張っているからな。」

 少佐が出て行くと、ダリルが空いた席を指した。

「ジェリー、そこに座って呼ばれるのを待っていろ。どんな順番で呼ばれるのかは執政官次第だ。」

 ジェリーは不快そうな表情でドーマー達を見た。

「何の検査だ? 俺は毎日血液やら皮膚細胞やら採られているぞ。これ以上、何を採るんだ?」

 ポールが咳払いして答えた。

「子種だ。」

 一拍おいてから、ジェリーが「はぁ?」と声を上げた。
 クラウスが簡単に説明した。

「まず、染色体の違いを見る比較検査をする。それから、実際に卵子と掛け合わせる。」
「まさか・・・俺の子供を創るってのか?」
「ここにいる全員の子供だ。」
「おまえ達はわかる、ドーマーだからな。 しかし、どうして俺の子供まで創るんだ?」

 ダリルはポールを見た。ポールも彼を見返した。ジェリーは出生の秘密を知っているだろうか? もしラムゼイが言ったことが本当ならば、今日の検査の本当の目的はジェリーの染色体と他の地球人のものとの差の比較だ。ジェリーの染色体が地球に異変が起きる前のものならば、大発見になる。

「ドーム内の若い地球人の義務さ。」

 ポールが誤魔化した。

「安心しろ、生まれてくる子供はちゃんとした家庭に養子に出される。」
「普通の家庭で育てられるんだ。」

 ジェリーは黙り込み、椅子に腰を下ろした。ドーマーの1人が彼に近づいた。

「少しはここの生活に慣れたか、パーカー?」
「部屋に閉じ込められて、検査用サンプルを採取されるのが生活と言うのならね。」
「その反抗的な態度を改めれば、そのうち監視付きで部屋の外に出られるぞ。」
「まるで犬の散歩じゃないか。」
「そうだな・・・僕等は種馬だ。放牧されて、囲いの中では自由だ。監視は付かないし、好きな相手と一緒に暮らせる。犬の身分から馬になれよ。」

 部下の言葉に、ポールがそっと監視カメラを見た。執政官達にはこちらの声は聞こえていない。しかし聞かれてもかまわない。ドーマーはドームの規則に従順ではあるが、批判はする。その自由はあるのだ。
 ジェリーが苦笑した。馬だなんて・・・と呟いた。

「おまえ達は仕事があるじゃないか、馬は馬車を引いたり、競争したり、仕事があるよなぁ。俺はただの捕虜だぜ。ドームの中を歩き回って、何か良いことでもあるのか?」
「そうさなぁ・・・おまえはメーカーだから、クローンは創れるだろ? そっち方面で何か手伝いをさせられるかもな。」

 ジェリーの目がテンになった。

「本気で言ってるのか? 俺は犯罪者だぞ?」
「だから?」
「コロニー人が俺をそんな重要な仕事の場所に加えるはずがないって言ってるんだよ!」
「そうかな?」

 そのドーマーは仲間達を振り返った。

「危険じゃなけりゃ、使ってもらえるよなぁ?」
「執政官次第だけどね。」
「ラムゼイの弟子だろ? 腕は確かなはずだ。」
「セイヤーズ・ドーマー、貴方はこの男の人柄をどう思います? 危険人物ですか?」

 いきなり話を降られてダリルは一瞬返事に窮した。

「ジェリーは親切だよ。」

と彼は言った。

「それに暴力を振るうのを見たことはない。ポール、君はどうだ?」

 ポールは、トラックの中でジェリーに触られた時の感覚を思い出した。

「凶暴性はないな。」

と彼は評した。

「少なくとも、俺が捕虜である間は、他のメーカーから保護してくれていた。」
「おまえは商品価値が高かったから・・・」
「そんな理由じゃなかった。」
「なんだと?」

その時、チャイムが鳴って、ポール・レイン・ドーマーを呼ぶ声が聞こえた。
やはり1番か、とポールは呟いて、部屋の奥のもう一つのドアから出て行った。

「チーフを引き当てた幸運な執政官は誰かな?」

と誰かが呟き、全員が早くこの「任務」が終わることを願った。


対面 11

 遺伝子管理局は貸金庫の存在を知った方法も理由も明かさなかったので、モスコヴィッツとビューフォードは相手がばらしたのかとお互い疑心暗鬼に囚われたことだろう。
 夕方ドームに帰投した北米南部班第1チームに、入場管理官達が「珍しいね」と驚いた。抗原注射の効力はまだもう1日あるのに、泊まらずに帰ってくるのはもっと近場の勤務の時のはずだが。
 本部に入って、全員ですぐ報告書を作成した。出来れば仕事を残さずに夕食の席に着きたかったのだ。ポール・レイン・ドーマーは、モスコヴィッツに関する捜査を詳細に書いたが、フラネリー家に関しては簡潔に「メーカーとは無関係」と書いたに過ぎなかった。
ダリルも大統領がドームでの女子誕生の研究の進行具合を尋ねたとだけ書いた。
 夕食はチーム全員で一般食堂で取った。執政官に邪魔されずに済むのは良いことだ。
ポールのファンクラブは彼が明日にならなければ帰投しないと思っているので、現れなかった。

「明日はどこを捜査します? 支局巡りの番は来週なので、明日は空いてしまいますが?」

 時間が空いたら遊ぶと言う発想がドーマーにはない。明確に上司から「休暇」を与えられなければ仕事をするだけだ。ダリルは息子を探しに行きたいと思ったが、内勤の秘書なので、予定外の外出は許可されない。
 ポールはハイネ局長に「明日の予定」と題名だけのメールを送った。指示をよこせと催促したのだ。
 返信は、みんなが食事を終える頃に来た。
 メールを開いたポールが、思わず声を上げた。

「うわぁ! マジか? 」
「どうした?」

 彼は端末の画面を仲間に見せた。 ドーマー達は全員、青ざめた。

ーーチーフ、秘書 及び第1チーム全員、中央研究所に午前10時に出頭

何を意味しているのか、彼等は知っていた。
誰かが情けない声で呟いた。

「どうせ、ドーマーは種馬だもんなぁ・・・」


対面 10

 ナショナル・イースト銀行ローズタウン支店の店長は遺伝子管理局がモスコヴィッツの貸金庫を捜査すると言った時、借り主に連絡を取ろうとした。クラウスがその手を押さえた。

「公務です。」
「令状がないじゃないか!」
「遺伝子管理局の捜査に令状は必要ありません。これは遺伝子管理法違反の捜査です。」

 そう言われると、地球人は皆納得してしまう時代だった。支店長は遺伝子管理局が来ていることを明かさずに、モスコヴィッツに来行するようにと依頼した。
貸し金庫室で問題が発生したので利用者に来て欲しいと言う偽情報で、モスコヴィッツがやって来たのは1時間後、その少し前にポールとダリルも到着した。モスコヴィッツはドーマーが3人もいるのを見て、腹を立てた。罠だと気づいたのだ。

「金庫を開けて下さい、モスコヴィッツ理事長。」

 ポールが丁寧に、しかし冷たい口調で相手の目を見つめながら依頼した。

「金庫に何があると言うんだ!」

 モスコヴィッツが怒りを声に滲ませた。

「私は弁護士を呼んだ方が良いのかな、レイン君?」
「ご自由に。ですが、その前にラムゼイの人間クローン製造法を記録した情報チップをこちらへお渡し願いたい。」

 ダリルはモスコヴィッツの額に脂汗が滲むのを見た。情報チップの存在を知ってる人間などいないはずだ。少なくともモスコヴィッツは遺伝子管理局にその存在を知られていると想像すらしていなかった。或いは知られても、ここにあるとはわからないだろうと高をくくっていた。

「ラムゼイの情報チップだって?」
「そう、ラムゼイの情報チップです。同じことを何度も言わせんで頂きたい。暗号化されているので、貴方方はまだ中身をご覧になっていない。」

 モスコヴィッツはポールからダリルに視線を移し、クラウスを見て、支店長を見た。

「リンゼイ博士の正体がメーカーだなんて知らなかったので、彼から預かった物が数点あった。そのことかな?」

 ポールが筋肉だけ使って笑った。

「そうです、そのことです。」

 モスコヴィッツは震える手で鍵を出し、支店長の鍵と共に金庫を開いた。プラスティックケースに入った小さな5箇のチップが取り出され、ポールの手に渡された。ポールはそれをクラウスに渡した。

「初めから素直に打ち明けて頂ければ良かったんですよ、理事長。どうも有り難う。」

ポールはモスコヴィッツに握手を求め、相手の手を強く握りしめた。

「もう預かり物はありませんね?」
「ないよ。」
「ビューフォード氏も預かり物をお持ちじゃないですよね?」
「ない!」

 ポールは微笑した。敵でさえ魅了する悪魔の微笑みだ。

「もう結構です。」

 相手の手を離し、彼は仲間を振り返った。

「撤収! 今日は早く帰れるぞ。」


対面 9

 モスコヴィッツは平静を装った。

「彼はいろいろ面白い話を聞かせてくれたよ。クローン製造の方法や、過去に出遭った珍しい人物のことやら・・・」

 彼は椅子を勧め、飲み物も勧めたが、ポールは断り、ダリルに「飲むなよ」と釘を刺した。

「彼が20年近く前に出遭った遺伝子管理局の男も面白い冗談だったよ。」

 モスコヴィッツが思い出し笑いをした。

「なんと、メーカーに子供を発注したそうだ。しかも、男同士の間の子供でね!」

 ダリルは笑えず、ポールが代わりに笑ってくれた。

「それは大した冗談ですな。そのメーカーは注文を受けたのですか?」
「そこまでは聞いていない。」
「遺伝子管理局はいかなる違反も逃しません。そんな話は私の耳に入っていませんから、全くのホラ話ですよ。」
「だろうな・・・」

 モスコヴィッツは時計を見た。自分は忙しいのだと態度で示した。ドーマー達は無視した。

「ラムゼイとは、そんな他愛ない話ばかりしていたのですか?」
「勿論、野生動物の復活と保護に関する議論もした。」
「重力サスペンダーの修理の話もなさったのですね?」
「あの機械は彼の体の一部同然だったからね。」
「それで、秘書氏にバネの注文をさせたのですか?」
「何のバネかな?」
「重力サスペンダーのバッテリーボックスのバネです。」
「私はあの機械に触れたことがないので、どんな物か知らない。」
「でしょうね。」

 ポールがダリルを振り返った。

「そろそろお暇しよう。」

 ポールは握手で何かを掴んだのだ。屋敷の外に出ると、待機していた部下に撤収の合図を送った。運転はダリルに任せ、車内で別行動のクラウスに電話を掛けた。クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは理事のビューフォードを訪ねていた。

「法律の専門家相手に尋問はしんどいですよ。」

 クラウスが苦言を呈した。

「何か出たのか?」
「ラムゼイが泊まっていた部屋を捜査しました。死んだ日の朝迄そこに居たんです。クローンに関する資料を数10点押収しましたが、どうも内容は平凡です。大事な物はビューフォードが盗んだようです。」
「こっちも期待はしていなかった。しかし、収穫はあったぞ。」

 ポールはクラウスに、ナショナル・イースト銀行のローズタウン支店へ行けと命じた。通話を終えた彼にダリルが尋ねた。

「銀行? 口座を見るのか?」

ポールがニヤリとした。

「貸金庫だよ、セイヤーズ君。」


対面 8

 抗原注射が効いている間に出来ることはやってしまう、と言うのがドーマーの仕事のやり方だ。ポール・レイン・ドーマーは大統領一家との面談を終えたその脚で、トーラス野生動物保護団体の理事長モスコヴィッツの屋敷をアポ無し訪問した。モスコヴィッツの家はドームから南へ500キロ行った古い街にあった。彼が在宅であることを確認しての決行だ。
 モスコヴィッツ家の執事は迷惑そうだったが、遺伝子管理局は警察と違って令状なしで家庭訪問が出来るので、渋々中に入れてくれた。
 玄関にモスコヴィッツの会社の清涼飲料水のオブジェが飾られている。ドームでは人工甘味料が入った物はドーマーに与えない。大人になって外に出て、初めて口にする味に、ドーマーは戸惑う。好みの差が出て、はまる者がいれば拒絶する者もいる。ポールは拒絶派で、ダリルは許容派だ。

「ガキにこんなモノを与えていたのか?」
「子供はこう言うのを好むんだよ。」
「ライサンダーに与えていたのか? 許せん暴挙だ。」
「国の基準を満たした成分なんだから、大丈夫だ。」
「さて、どうだか・・・」

 ダリルは、最近ポールがライサンダーの親だと言う言動を取ることに気が付いていた。勿論、ダリルの前だけなのだが、それでもちょっと嬉しい変化だ。

「ここで私達が捕虜になったら、部下達はどうするかな?」

 ダリルが暇つぶしに質問すると、ポールは馬鹿なことを聞くなとぼやいた。

「本部に連絡するに決まってるじゃないか。」
「ドーマーって、どうして本部の指示がないと動かないんだ。」

 ダリルもぼやいた。

「たまには冒険してみろよ。窮地に陥った仲間を独自の判断で救出するとか・・・」
「そんなアホなことを言っていると、本当に困ったことになるぞ。」

 ポールが仕事中は冗談を言わないので、ダリルはつまらなかった。昔はもっとふざけた男だったのに、いつのまにか分別臭くなった。やはりそれだけ歳を取ったと言うことか。
 モスコヴィッツが入り口に立った。室内のドーマーを珍しそうに眺めた。ダリルとはラムゼイが死んだ時に1度会っているのだが。

「約束もなしで、何の用だろうか、遺伝子管理局の諸君。」

 ポールが答えた。

「ラムゼイとどれだけ親しかったのか、お話を伺おうと思って来ました。」

 モスコヴィッツはダリルに向かって言った。

「彼とは友人だった、と言ったはずだが?」
「もう少し詳しくお伺いしたいのです。クローン研究について、ラムゼイとどんな話をされていたのか?」

 モスコヴィッツが室内に入ってきた。正面に立って、改めて2人の局員を見比べた。そして再びダリルに話しかけた。

「相棒を換えたのかね?」
「こちらは上司の、チーフ・レインです。」

 ポールは宜しくと言った。モスコヴィッツはポールを眺めた。

「噂に聞いていたが・・・これほど美しいとは・・・」

 モスコヴィッツの小声の呟きの後半をポールは聞こえないふりをした。

「どんな噂です? 」

 モスコヴィッツは握手を求めて手を出した。

「君に睨まれたメーカーは生き残れない、とね。『氷の刃』の異名を持つ男は君のことだろう?」

 ポールは握手に応じながら、ニヤリと笑った。

「そうですよ。でも最近、ちょっと溶けかかってましてね。」

 ダリルが尋ねた。

「メーカーの間の噂は、ラムゼイからお聞きになったんですね?」
「え・・・うん、まぁ、そう言うことだ。」

 

2016年11月5日土曜日

対面 7

 アメリア・ドッティ言うところの「ドームに囚われの身の王子様2人」は、フラネリー家の人々に別れを告げて車中の人となった。
 帰りはダリルが運転した。第2ゲートで銃を返してもらい、森の中の道を走っている間、ポール・レイン・ドーマーはむっつり黙り込んでいた。ダリルはアメリアやハロルドと愉しい一時を過ごしたので、彼の沈黙がなおさら気になった。書斎で母親とどんな話をしたのだろう。書斎から出て来た時、ポールもアーシュラも普段通りに振る舞っていた。ポールは「有意義な情報をもらった」と言い、アーシュラも「フラネリー家への嫌疑は晴れた」と笑った。そしてポールはアメリアとも仲良く世間話をして、その場を上手く乗り切ったのだ。

「怒ってる?」

とダリルは声を掛けてみた。

「ずっと君に触れられるのを拒んだ理由が、アーシュラだったんだ。ラムゼイを誘い出す見返りに、君との面会を要求された。爺様を逃がしたくなかったので、私は焦ってしまい、承諾してしまった。そして、事後承諾の形で、ドームからも君を彼女に会わせる許可が出た。ただ、早い時期に君に伝えれば君が拒否するかも知れないと長官が危惧されて、秘密にするよう指図されていたんだ。」

 ポールがまだ黙っているので、彼は一言付け加えた。

「ごめんよ。」

 それでも沈黙が続くので、ダリルも流石にイラッときた。

「何か喋れよ。気になるだろうが!」
「何をだ?」

とポールが意地悪く言った。

「君の両親の居場所か?」

 ダリルは思わず急ブレーキを踏んだ。タイヤが大きく軋んだ音を立てて、車が停まった。

「危ないじゃないか!」

とポールが怒鳴った。

「後ろに誰かが居たら、追突されているぞ。」
「すまない・・・だけど、君は私の両親の居場所を知っているのか?」

 ポールが溜息をついた。

「18年前、君が脱走した時、親に会いに行ったんじゃないかと言う推測が出て、調査したんだ。現在もそこに住んでいるかどうか、俺の知ったことじゃない。会いたいのか?」
「否。」

即答だった。

「私の代わりの娘がいたんだろ? むこうの親は私の存在を知らない。会っても意味がない。」
「だろう? 俺にも意味がないんだ。何故俺を抱きしめて喜ぶのか、わからん。機密漏洩を阻止するために、触られないよう努力するのが精一杯だった。」

 ポール・レイン・ドーマーは、ばりばりのドーマーだ。それでも母親や家族を傷つけないよう、努力したのだ。

「車を出せ、部下達が第1ゲートで待っている。」
「うん、」
「今夜は一緒に寝るだろ?」
「いいけど・・・」
「けど?」
「あのベッドは2人には狭くないか? せめてセミダブルに替えないと・・・」
「ああ、君はよく暴れるからな。」
「私が何時暴れた?」
「寝相の悪さを言っているんだよ。」



対面 6

 ポール・レイン・ドーマーはアーシュラ・R・L・フラネリーと2人きりで書斎に残されて、少し戸惑っていた。アーシュラがトーラス野生動物保護団体の情報をくれるのは有り難いが、これは元々ダリルの「ヤマ」だ。話す相手が違うのではないか、と思ったのだ。
 アーシュラが話しかけて来た。

「髪の色は黒ですね?」
「ええ・・・?」
「何故そんな頭に?」

 仕事に関係ないだろ? ポールは少しムッとした。

「趣味ですよ。」
「葉緑体があるのでは?」
「大統領閣下にもありますよね。」

と少し反抗的に言ってしまってから、ポールは気が付いた。大統領に葉緑体毛髪があると言うことは、父親にもあったのだ。今は完全に白髪だが、ポール・フラネリーは昔は緑色の髪が美しい政治家として人気があったのだ。

 緑の髪のポール

忌まわしいリン元長官の声が遠くで聞こえた。思い出す度に反吐が出そうになる。
彼の表情が強ばったことにアーシュラは気づいた。息子は髪の色のせいで過去に嫌なことがあったのだ。彼女はポールに近づいた。この状況は何だ? とポールは自問した。アーシュラは仕事の話をするつもりはないのだ。彼女が手を伸ばしてきた。
 彼女の指が頬に触れる瞬間にポールは身を退いて逃げた。アーシュラの声が哀しげに響いた。

「私のベビー!」

 「氷の刃」は少々うろたえた。完全に状況を把握した。父親の名前と髪の色、そして目の前にいる女性が彼に触ろうとした意味・・・
 ポールは室内を見回した。逃げ場がない。アーシュラは出口への動線を塞いでいる。部屋から出ようとすれば、彼女は阻止しようとするだろう。どうしても彼女と体が触れあう。
 困った。彼は途方に暮れた。目の前にいる女性は、彼自身の母親だ。そして、接触テレパスだ。握手した時、彼女は彼が欲しいトーラス野生動物保護団体の情報を大量にくれた。情報だけをくれたのだ。彼女のプライバシーは一切なかった。つまり、彼女は能力のコントロールが彼以上に上手だと言うことだ。彼は自身が今とてつもなく動揺していることがわかっていた。今彼女に触られたら、ドームの機密一切合切を知られてしまう。ダリルとのことも、息子の存在も、JJへの気持ちも・・・

「どうか、待って下さい!」

 ポールはアーシュラに訴えた。

「貴女が・・・その・・・私の母親だと言うことは、わかりました。」

 アーシュラが胸元で手を組み合わせた。息子は何を言おうとしているのだろう? 彼女も不安だった。夫は、次男に期待してはいけない、と言った。あれはドーマーなのだから、おまえの子にはならない。
 ポールは慎重に言葉を選んだ。

「心の準備が出来ていません。あまりにもいきなりなので・・・理解して頂けるでしょう? 貴女と同じなのです。」

 彼は小声になった。

「同じ能力があるのです。ですから・・・今触られると、任務の機密情報まで貴女に伝わってしまうとわかるのです。情報のセーブが出来る心理状態ではありません。」

 アーシュラは無言でポールに飛びつき、衣服の上から抱きしめた。ポールは己が馬鹿みたに突っ立て居ると感じた。抱きしめ返すべきだろうか? それとも押し返す?
アーシュラが彼の胸で囁いた。

「貴方が私のお腹に居る時、よく語りかけました。早く出てらっしゃい、外は愉しいわよって・・・」
「でも、外に出たら、貴女はいなかった。」

言ってしまって、ポールはしまったと思った。心の奥深くに閉じ込めていた、遠い記憶なのに・・・

「裏切られたと思ったのね。」

とアーシュラが優しく言った。

「貴方を返してくれと何度訴えても無駄でした。これからは、貴方を裏切ることがないように生きていきます。貴方が私達の子供で良かったと思ってくれるように。」

 彼女はそっと彼から身を離した。

「体に気をつけて。」
「貴女も・・・」
 
一瞬油断した。アーシュラは素早くポールの頬にキスをして、それから出口への道を空けた。



対面 5

 アーシュラが顔を出した。

「ハロルド、アメリアがそろそろ彼女の主賓を返して欲しいと言っているわ。」
 
大統領が少し大袈裟に、しまった、と身振りをした。

「私が客を独占してはいけなかったね。」

彼は笑ってダリルを振り返った。

「セイヤーズ君、申し訳ないが、従妹の相手をしてやってくれないかな、勿論、私も援護するから。」

 ダリルは、フラネリー母子の意図を悟った。笑顔で承知を伝え、立ち上がると、当然ながらポールも立ち上がった。すると、ハロルドが彼に言った。

「チーフ・レイン、母がトーラスについて少し話したいことがあるそうだ。少しだけ、ここに残って聞いてやってくれないか?」
「わかりました。」

 ダリルは大統領と共に書斎を出た。アーシュラの前を通る時、彼女が目で感謝を伝えてきた。ダリルは内心緊張を覚えた。ポールはこれから明かされる真実にどのように反応するのだろう。老婦人を哀しませることだけはしないで欲しいが、ポールはドーマーの中でも最もドーマーらしいドーマーだから・・・
 ドアが閉じられると、リビングへ向かう短い廊下で、ハロルドが囁きかけてきた。

「彼は何も知らないんだね?」
「ええ・・・」
「私達は彼を取り戻したいと言っているのではない。」
「わかっています。」
「妹のフランシスを私達は愛している。私は双子の妹と弟がいるのだと思っているよ。」
「彼にそのお心遣いが伝わると良いのですが・・・」
「父は、ドーマーは家族を理解出来ないと言った。しかし、矛盾しているだろう? 父もドーマーだったのだから。」
「ドーマーも家族を愛せますよ。家庭を持ったドーマーはお父上だけではありませんから。」

 ダリルはライサンダーを想った。息子もフラネリー家の血筋なのだが・・・




2016年11月4日金曜日

対面 4

 別荘の書斎はこじんまりとしており、蔵書はある一つのテーマに絞られていた。ドームに関する書籍しかなかったのだ。世界中の、ドームと言うコロニー人が建設した出産施設の存在を不思議に思う人々、あらゆる分野のいろんな立場にいる人々が、想像したり推測したり人づてに聞いたりしたドームの話を書いた書物ばかりが棚にぎっしり詰まっていた。
ポール・フラネリー元上院議員は、元ドーマーだから、ドームの真実を知っている。これらの本は、彼が「世間はドームをどう思っているだろう」と言う好奇心で集めたコレクションだった。
 ポール・フラネリーは恋人を採ってドーマーであることを止めたが、やはり生まれ育ったドームが恋しいと思う時もあるのだろう。
 ハロルド・フラネリーは、使用人にお茶を運ばせた。蒸留水で入れた紅茶だ、とわざわざ断ったのは、ドーマーが蒸留水しか飲まないと言う「伝説」を知っているからだろう。
しかし、お茶に凝っているポールは、軟水の方が紅茶に向いていると知っていたので、お茶を台無しにしたと遠慮無く非難して、ダリルをひやりとさせた。大統領は怒るどころか愉快そうに笑った。

「私の側近の中には、ドーマーが地球人でないみたいに思っている連中もいてね、彼がわざわざ蒸留水のボトルを持って来たんだよ。」
「その人に、2種類の水で淹れたお茶を飲ませてやって下さい。どちらが美味いか、すぐわかるはずです。わからないヤツはクビになさい。」

 少しばかり場の空気が和んだところで、ダリルが本題に入った。

「ドームについてお知りになりたいことは何ですか?」
「決まっているだろう、ドームの本業、地球人に女性を取り戻す研究がどこ迄進んでいるのか、と言うことだ。」
「どこ迄と尋ねられても、遺伝子管理局には答えようがありません。私達は遺伝子学者ではありませんから。」
「わかっているよ。でも、ドームの中に居れば、噂ぐらいは耳に入るだろう? コロニー人達はどんな研究をしているんだ?」

 返事に困ったダリルに代わってポールが答えた。

「まず、染色体の中の何が女性誕生の障害になっているのか調べる研究があります。それから、原因と考えられるものを想定して解決策を考える研究があります。
 あまり良い方法ではありませんが、遺伝子組み換えで女性が誕生した例があります。これはドームではなく、メーカーがやらかした違反行為ですが・・・」
「リンゼイ・・・否、ラムゼイだったか?」
「遺伝子組み換えを行ったのは、ベーリングと言う田舎のメーカーです。」
「田舎のメーカーが女性を誕生させたのか・・・」
「まだほんの少女ですが、体は普通の女性と思われます。彼女が次の世代を生めるのかどうかは、不明です。 ベーリングはラムゼイと少女の争奪戦を行い、組織を壊滅させられてしまいました。遺伝子組み換えの方法や記録が残っていないので、現在は少女を保護しているだけです。」

 ポールは敢えて「女の子を生める男」の存在を語らなかった。ダリルは地球人存亡に関わるトップシークレットだ。ドームの外に居る人間においそれと話せる次元ではない。
 ポールが難しい塩基配列の話をして大統領を烟に巻いている時、ドアをノックした者がいた。ハロルドが、ハッとした様に顔をそちらに向けて、ポールに「授業を有り難う」と言って講義を遮った。ポールは自身も訳がわからないゲノムの話にいい加減うんざりしてきていたので、内心ホッと安堵した。



2016年11月3日木曜日

対面 3

 テラスは斜面に張りだして造られており、眺望抜群で、温かい日差しに包まれていた。パラソルの下に、車椅子に座った元上院議員ポール・フラネリーと、すらりと立ったアーシュラ・R・L・フラネリーがいた。アメリアが客を伯母夫婦に紹介した。

「こちらは、私の命の恩人のミスター・ダリル・セイヤーズ、伯母様はもうお会いになられているわね。それから、こちらはミスター・セイヤーズの上司の、ミスター・ポール・レイン。」

 ポールの名前を聞いて、アーシュラがダリルを見た。ダリルは小さく頷いて見せた。
元上院議員が手を伸ばしてきた。

「ようこそ、我が山荘へ。かねてからお噂は聞いていますぞ。近頃の姪は貴方方の話ばかりで、アルバートにヤキモチを焼かせて困っております。」
「こちらこそ、嫌な用件でお伺いして申し訳ありません。しかし、容疑者リストから皆さんを外す目的ですから、どうぞご容赦を。」

 ダリルとポールはそれぞれ元上院議員と握手した。ポールは能力を使用したはずだが、特にその表情に変化はなかった。政界を引退し、俗世からも遠ざかって療養生活をしている元上院議員は「シロ」だったに違いない。つまり、ポールは握手した瞬間に、ちゃっちゃと仕事を済ませてしまったのだ。
 次はアーシュラの番だ。ダリルが先に彼女に挨拶した。

「いつも嫌な用件をひっさげて現れてしまい、申し訳ありません。」

 アーシュラは微笑んだ。

「いいの、気にしないで。貴方は誠実だわ。」

そしてポールを振り返った。

「初めまして、ポール・レイン・ドーマー。」

一般人に「ドーマー」と呼びかけられて、ポールは少し驚いた。しかし、大統領の身内ならドームの慣習なども知っているだろうと思いつつ、彼女と握手した。
アーシュラが優しい笑みを浮かべてポールを見つめている。ダリルはポールの表情を盗み見たが、ポールは何の変化も示さなかった。

 接触テレパスの使い方はアーシュラの方が一枚上手なんだ!

 アーシュラは何も知らない息子を驚かせまいと自らの情報をセーブしているのだ。先刻握手の際に「ドーマー」と呼びかけたのも、ポールを戸惑わせて彼に能力を使わせないよう手を打ったのだ。
 ポールは手順通り、「尋問」を開始したが、握手でフラネリー夫妻がラムゼイのシンパとは無関係だと確信してしまったので、失礼な質問は出なかった。彼にしては珍しい程大人しい仕事振りだった。
 老夫婦の面談が終わる頃になって、大統領ハロルド・フラネリーとファーストレディが登場した。お忍びで実家に来ているのだ。大統領はテレビやネットで見るより若々しく、エネルギッシュで、しかし想像していた程尊大ではなかった。彼も夫人も握手でポールを安心させた。接触テレパスは、X染色体上にのみ因子が存在する。女性に発現する場合は、X染色体の2つ共が因子を持つので、その息子は必ず接触テレパスだ。つまり、大統領も・・・

「妹が1人いるのだが、今仕事でスイスに住んでいるんだ。彼女も面談が必要かね?」
「いえ、それには及びません。現在国内にいらっしゃるご家族だけで結構です。」
「宜しい。君達の仕事の話をもう少し詳しく聞きたいのだが、書斎に場所を移さないかね?」

と大統領が提案してきた。彼は、母親と妻を振り返った。それから妹同然の従妹のアメリアに、

「君の大事な客人を少しの間お借りして良いかな、アメリア?」
「大統領閣下には逆らえませんわ。」

アメリアが笑って答えた。大統領は2人のドーマーに向き直った。

「ドームと言う不思議な魔法の城の話を聞かせてくれないか?」




対面 2

 車は森の奥深くへ入っていく様な道を走った。緑の陰が車内にも入ってくる。途中でまたゲートがあり、車輌チェックとボディチェックがあった。ここで武器を預ける様にと言われ、ポールは護身用の麻痺光線銃を預けた。ダリルは非武装だが、ドーマーが武術の達人だと警備の人間達は知っているのだろうか?

「馬鹿に用心深いな。金持ちって言うのは、皆こんなものなのか?」

とポールが愚痴った。ダリルは金持ちの知り合いなどいないが、この厳重な警備の理由はわかった。

「大統領が来ているんだよ、ポール。君がフラネリー家の人々と面会したいと言ったから、会員のアーシュラ・R・L・フラネリーだけでなく、息子夫婦も来ているってことだ。」

恐らく、ポールの取り替え子である娘もいるはずだ・・・

 ゲートを抜けると、すぐ森も終わって、芝生の野原と木造の山小屋風別荘に着いた。使用人だか警備員だかが数名出迎えて、車を預かり、2人を建物の中へ案内した。
上等の家具やカーペットで装飾された豪華な内装は、ドーマーの心を動かすには役に立たなかったが、アメリア・ドッティに抱かれて現れた乳児は、ダリルを喜ばせた。名前は父親の名前と同じ、アルバート二世だ。ダリルが抱いても良いかと尋ねると、アメリアも喜んで彼に赤ん坊を渡した。
 赤ん坊は懐かしい匂いがした。甘いミルクの香りだ。18年前のことが思い出された。ダリルは暫くアルバート二世をあやしていたが、ふと視線を感じて顔を上げるとポールがじっと見ているのに気が付いた。

「君も抱いてみるか?」

尻込みするかと思えば、意外に素直な態度でポールは赤ん坊を受け取り、ダリルを驚かせた。抱き方も慣れている。考えれば、クローンの乳児を保護する時に何度か抱いているのだろう。

 君にもライサンダーを抱かせてあげたかったよ

 ポールは特にあやすでもなく、子供を抱いてその顔を眺め、「有り難う」とアメリアに赤ん坊を返した。その間、赤ん坊は大人しくしていた。
 アメリアは夫のアルバート・ドッティが不在であることを詫びた。

「2時間前まではここにいましたの。でもフィリピン沖で発生した台風に弊社の船団が巻き込まれ、連絡が取れない船があると緊急の知らせが入り、本社へ向かいました。遺伝子管理局の面談は後日にお願いしたいとの伝言です。」
「それはご心配でしょう。面談はいつでもご都合の良い日で結構です。」

 そこへ執事が来て、テラスで元上院議員夫妻が客を待っていると告げた。ダリルの緊張が一気に高まった。ポールにこの胸のドキドキを聞かれはすまいかと不安になった。
ポールは気が付かずに、アメリアの後ろに続いてテラスへ歩き始めた。

対面 1

 アレクサンドル・キエフ・ドーマーの処分は、「ドーム追放」と決まった。犯罪者としてではなく、精神疾患が理由で、国の療養施設に送られるのだ。遺伝子に精神障害の因子はなかったが、何が原因なのか不明と書類に記載された。恋に破れて嫉妬に狂ったとドーム内の人々は信じているが、誰も口に出さなかった。
 ポール・レイン・ドーマーは自身の美貌が他人の人生を狂わせる程のものだとは到底信じられず、キエフの才能を惜しみはしたが、キエフと言う人間の行動はただ迷惑だと思っていたので、この事件については早々に忘れたかった。
 もっとも、ドームの執政官達は、彼の美貌について、昔から問題が起きていたことを忘れなかった。

「レインは早晩『通過』を体験させて、普通に歳を取らせるのが良いだろう。」
「それはあまり意味がないと思う。彼の親兄弟を知っているだろう? 綺麗な小父さんになっているぞ。」
「髭でも伸ばさせたらどうだろうな?」
「髭は外で仕事をするドーマーには禁止だろうが。キエフは内勤が多かったから生やすことを許していたが、外で髭に雑菌やゴミを付けたままドームに帰ってこられると困る。」
「それなら髪の毛も同じではないか?」
「レインに髪の毛はない!」

 ケンウッド長官は、ポール・レイン・ドーマーの外見に問題があるとは思わなかった。先日医療区でポールを見舞って知ったことだが、あのドーマーは無愛想に見えて実際は他人に優しいのだ。嫌いな相手にもそれなりに気配りをしてやる。だから、リン元長官はポールが自分に媚びていると誤解し、キエフは自分に目を掛けてくれていると信じ込んだ。
長所なのにマイナスの方向に働いていると言うだけなのだ。
 ダリル・セイヤーズ・ドーマーを取り戻して以来、ポールは少し変化した。ダリルを再び失うことを恐れて彼を守ろうと必死だ。しかし、守っているつもりで、実はダリルに守られているのが、ケンウッドにははっきり見える。ダリルは破天荒で脳天気なところがあるが、息子を1人育てた経験がある立派な大人だ。周囲の状況を常に冷静に把握している。他人が次に何をするか推測出来るし、それに対処出来る。ポールを災難から遠ざけることを自然にやってのけるのだ。
 そのコンビが、ここ数日少しぎくしゃくしている。仲が良いのは変わらないが、お互いに距離を置いている。ポールはダリルに触りたいが、ダリルは触らせない。秘密を抱えているからだ。ケンウッドはその秘密の内容を知っているので、ダリル以上にはらはらしていた。今はまだポールに教えられないから。
 ダリルは、アメリア・ドッティにフラネリー家との面会の交渉を依頼したと報告した。しかし、アメリアから日時の連絡はまだ来ていないようだ。
  ドームの外では、新たに不愉快な事件が発生していた。クローンの人権擁護運動をしている団体に、クローン撲滅運動をしている過激派がテロを仕掛けたのだ。その報復に、別のクローン擁護を標榜する過激派が、警察のクローン収容施設を襲撃して収監されていた子供達に死傷者が出た。この新手の組織は「クローンの友」FOKと名乗った。

「子供を殺しておいて、何が友だ!」

 ポールがハンドルを操りながら毒づいた。警察の収容施設には、遺伝子管理局が保護した子供もいたのだ。クローンの子供に多い虚弱体質とは言えず、充分健康を保っている子供達が、親が処罰を終えて釈放される迄、ドームではなく外の施設で暮らす。襲われた施設はその手の中規模のもので、子供達は親が迎えに来てくれると知っているので警備も手薄だった。

「連中は子供を盗もうとした。しかし手製の爆弾が予期しない場面で破裂した。自爆テロではなかったらしい。」

 ダリルも腹が立っていた。無抵抗の子供を巻き添えにするなんて・・・
遺伝子管理局は殺人や傷害事件には関与しない。飽くまで遺伝子に関する法律違反者を取り締まるだけだ。確保した違反者の保護はドーム内に収容する子供が対象となるだけで、親やメーカー、ドーム外収容の子供は逮捕した後警察に引き渡すと管理局の保護から外される。警察が彼等を守りきれなくても、管理局がとやかく言う立場ではないのだ。それでも、やはり1度は保護した子供を害されると局員は悔しい思いをする。
 2人はフラネリー元上院議員の別荘に向かって車を走らせていた。アメリア・ドッティから連絡が来て、やっと「尋問」が出来ることになったのだ。ダリルには気が重いドライブだ。ポールは単純に仕事だと信じているが、フラネリー家はそうは思っていないだろう。彼等の車から少し距離を置いて部下の車が1台付いてくる。チーフと秘書(種馬)の護衛だ。
 別荘はこんもりとした森で包まれた小山の中腹に建てられていた。山一つがフラネリー家の庭だ。山裾にゲートがあり、そこで部下の車は留められた。車輌チェックを受ける間、車外で部下達とダリルは世間話をして時間を潰したが、ポールは端末で支局巡りのチームからの報告をチェックしていた。
 車輌チェックが終わると、部下達と暫しの別れだ。ポールがローズタウン支局担当者の報告をダリルに伝えた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンでは、出張所のリュック・二ュカネンがトーラス野生動物保護団体の下位会員から順番に訪問捜査をしていると言う。アポ無し、抜き打ちで自宅を訪問するので、セレブの会員達は怒って警察に苦情を入れている。警察はドームと揉めたくないし、地元の有力者を怒らせたくないし、で板挟みだ。「元」を強調しているニュカネンだが、やはり思考形態はドーマーのままで、遺伝子管理局が全てに優先すると思っている。有力者が怒ろうが迷惑しようがお構いなしだ。警察が予告訪問を要請しても無視する。

「リュックのヤツ、君の強引さが伝染したようだな。」

ポールが皮肉を言った。



新生活 22

 ダリルは図書館の中を静かに歩いて行った。子供の頃、時々養育棟を抜け出して一人で遊びに来た場所だ。紙で作られた本物の書籍がかび臭い匂いを漂わせてぎっしり並んでいる。先人の歴史と智慧と心がここにあるのだ。
 奥の通路の先で、アレクサンドル・キエフ・ドーマーのブツブツ声が聞こえるのが耳障りだ。キエフはJJにポールから手を引けと言っている。JJは答えない。答える声を持たないし、彼女は図書館の中なので翻訳機の電源を切っているのだ。それにうっかり思考を音声にしたら相手をさらに興奮させるかも知れない。彼女はきっとそこに考えを至らせて、沈黙を守っているのだ。
 ダリルはキエフに聞こえるように足音を立て、声を掛けた。

「キエフ・ドーマー、勤務時間だ。早く仕事に戻れ。」

 キエフのブツブツ声が止んだ。誰だ、と怒鳴ったので、ダリルは素直に答えた。

「チーフ付秘書のセイヤーズだ。」

 キエフが来るなと喚いた。ダリルは書架の角まで来た。キエフの声は角を曲がって2メートル向こうから聞こえる。つまり、ほんの目と鼻の先の距離だ。

「仕事をしてくれないと困るんだ、君は優秀な衛星情報分析官だろう?」

 角を曲がると、キエフがすぐそこに立っていた。右手の麻痺光線銃をJJに向け、ダリルの方へは医療用メスを向けていた。ダリルは、こいつは右利きなのか、左利きなのか、と考えた。両手を同じ様に使えるとしても、同時に別の武器を使うのは難しいだろう。
 JJは分厚い書物を手に取っていた。遺伝子をテーマにした古い小説集だ。キエフが異常な行動を取っていると理解しているが、相手にしたくないと言う顔で、ダリルを見た。

「あんたなんかに指図されたくない。」

とキエフが言った。目に隈が出来ている。病人みたいだ。きっと心の病気なのだ。

「君が私の指図を受けたくなくても、私はチーフの意向を君に伝えないといけない。チーフは君に職務の遂行を望んでいる。もし君が拒否するのなら、君をチームに置いておけないと言っている。」
「嘘だ!」

 キエフの注意がJJから完全にダリルへ移った。メスをぐいっと突き出してきた。

「チーフはあんたなんか連れて来るべきじゃなかった。あんたが来てから、チーフの身に良くないことばかり起きる。あんたは疫病神だ!」
「だったら、私をドームから追い出してくれれば良い。いつでも喜んで出て行くから。」
「そんなことをしたら、チーフがまた苦しむじゃないか!」

 ダリルはクスッと笑った。

「君は支離滅裂だなぁ。キエフ・ドーマー・・・」

 彼の笑顔が、キエフの怒りを頂点に持っていった。キエフは野獣の様な声を張り上げてダリルにメスで斬りかかった。勿論、ダリルはそれを待っていた。メスをひょいっとかわすとキエフの左手首を掴み、軽く捻った。捻りながらキエフの銃を持つ腕をもう片方の手で打った。キエフが悲鳴を上げながら床に崩れた。銃が床に大きな音をたてて落ちた。その上にキエフのお尻が落ちた。
 咄嗟にダリルは何が起きるか悟り、叫んだ。

「目を閉じろ!」

 現場近くまで来ていた保安課のゴメスと部下達は、書架の向こうで閃光が見え、思わず顔を伏せたり背けたりした。ゴメスが叫んだ。

「セイヤーズ、無事か?」
「私は無事です。」

ダリルは目を開いた。瞼の内側まで光りが押し寄せた感覚で、少しふらっときていた。JJを見ると、少女は手にした分厚い小説集を顔の前にかざしていた。

「大丈夫か、JJ?」

 JJが胸ポケットの翻訳機の電源を入れた。

「大丈夫よ、ダリル父さん、 有り難う!」

一人だけ、大丈夫ではない男がいて、床でピクピク体を痙攣させながら伸びていた。
ゴメスと保安課員達がやって来た。キエフを見下ろして、ダリルに尋ねた。

「何をやったんだ?」
「挑発して私を襲わせました。手を捻ったら、彼は銃を落として、その落ちた銃の上に彼は尻餅をついたんです。銃が暴発しました。」

 キエフを診ていた保安課員が、「麻痺しているだけです。」と報告した。ゴメスは部下にキエフを医療区へ運び、拘束するようにと命じた。
キエフを運ぶ為のストレチャーと共に、ポールが現れた。ダリルに「よくやった」と労ったが、ダリルはその場に立ったまま頷いただけだった。JJもいつもの様にポールに飛びつきもしないで、突っ立っていた。

「2人とも、どうしたんだ?」
「どうも・・・」

とダリルは言った。

「ちょっと麻痺光線を浴びて、脚が痺れて動けないだけだ。」

JJも頷いた。

「そうなの、2人ともビリビリなの。」


2016年11月1日火曜日

新生活 21

 緊急メールの内容は、図書館で発砲あり、と言うものだった。
ドーム内で「発砲」とは、麻痺光線銃の使用しか考えられない。外で使用されている火薬を使った銃器は持ち込み禁止だ。麻痺光線は殺傷能力はないが、撃たれた人の健康状態によっては命取りになる場合もある。
 ダリルは端末を操作して監視カメラの映像を取り込んだ。ポールはそれを横目で見る。

またやってはいけないことをやりやがって・・・

 しかし口に出さずに、ダリルの端末を覗き込んだ。ダリルが発砲事件現場を探してカメラを選択した。館内を数人が走って行く。利用者が発砲に驚いたか、警報を聞いたかして、避難しているのだ。次のカメラは無人の書架スペースだ。次は閲覧室。別の書架スペース・・・6台目のカメラが、男の姿を捉えた。
 髭面の細身で長身の男だ。右手に銃、左手に刃物を持っていた。ポールが呻いた。

「サーシャの野郎、何をやってるんだ?」

 ダリルは通路の奥にもう一人立っているのに気が付いた。ズームアップすると、見覚えがある少女だった。

「彼はJJに近づいている。」

 ダリルとポールは顔を見合わせた。そして次の瞬間には同時にオフィスから跳びだしていた。
 図書館は中央研究所と教育棟の間の緑地帯の地下にある。入り口は既に保安課によって封鎖されていた。 ポールがゴメス課長に駆け寄った。

「少佐、一体何があったんだ? キエフが発砲したんだろ?」

 ゴメスは発砲した犯人の上司を振り返った。犯人の氏名を公表した覚えはないが? と思ったのだが、ポールの後ろにダリルが居るのを見て、得心した。

 またやりおったな、此奴・・・

 しかし、ダリルのささやかな「悪戯」はこの先も続くだろう。本人が無意識のうちに。
ゴメスはダリルを無視することに決めて、ポールに事件を説明した。

「ベーリングの娘が保安課の監視と共に図書館に来たのだが、キエフ・ドーマーが観察棟から出たところから尾行していたそうだ。あの男の奇行は知られているから、監視員は警戒しなかった。館内に入って、少女が書架の間を歩いていた時に、キエフが銃を出して近づいた。監視員が接近禁止だと告げると、彼はいきなり撃ってきた。しかし監視員が防護服を着用していたので、効果がないと悟ると、今度は刃物を出した。医療用メスだ。それを振り回し、監視員を少女から引き離してしまった。」
「娘と監視員の間に入られたんだな?」
「保安課の責任者として申し訳なく思っている。キエフは通路の曲がり角の向こうにいて、こちらから麻痺光線で撃つには難しい角度に位置を取っている。こちらから無理に行くと、彼が少女に危害を加える恐れがあるので、説得して投降させようと考えているのだ。」
「何故キエフはJJを尾行したんだ?」

 すると、横にいた保安要員が、「嫉妬でしょ」と言った。ポールが彼を振り返ると、保安要員は彼なりのキエフの分析をした。

「昨日、パパラッチサイトに、貴方と少女のデートの写真が載ったじゃないですか。あの髭男は嫉妬に狂ったんですよ。」
「あれはデートなんかじゃない!」
「今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ、ポール。」

 ダリルが図書館の入り口に向かって歩きながら言った。

「私が行ってキエフを抑えてみるよ。」
「馬鹿な!」

 ゴメスが慌てた。キエフが種馬セイヤーズを傷つけたら、保安課が責任を取らされる。ダリルを追いかけようとすると、逆にポールに彼が引き留められた。

「行かせてやれ。セイヤーズなら大丈夫だ。」

 ゴメスはポールの目を見た。ポールは普段通りの落ち着きを取り戻していた。

「キエフが正気を失っているのなら、こっちの方が有利なんだ。」


新生活 20

 秘密を抱いていることを秘密にしなくて良くなったので、ダリルは幾分気が楽になった。そのせいでもないが、翌朝、寝坊した。目が覚めると、隣のベッドは既に空っぽでベッドメイキングさえしてあった。彼は慌ててベッドから飛び出し、顔を洗うのももどかしく着替えを済ませた。キッチンには何もない。水だけ飲んで、遺伝子管理局へ走った。
世間はすっかり日常の慌ただしさで、本部に入ると職員達が忙しそうに歩き回っていた。
 ポールのオフィスのドアをそっと開けると、チーフは電話中だった。ダリルは足音を立てずに自身の机に忍び寄り、席に着いた。コンピュータのファイルを開き、業務を始めるのを、ポールが電話で喋りながら横目で見ていた。
 ダリルの耳にようやくポールの話し声が言葉として入って来た。

「・・・ええ、元気ですよ。今し方出勤してきました。・・・病気じゃありません。ただの寝坊です。」

 ダリルは己のことが話題になっていると気が付いた。相手は誰だ?

「・・・どうして起こさなかったのかって? 起こそうとしましたよ、10回も声を掛けたんです。・・・あのですね、寝ているセイヤーズの体を揺すって起こすなんて、自殺行為なんですよ。俺はガキの頃、何回殴られたか、覚えきれませんよ。・・・そうです、自然に目覚める迄ほっとくのが一番なんです。だから、朝の食堂に彼が来なかったからと言って、副長官が心配なさる必要はないんです。」

 なんとなく話の概要がつかめた。朝食会にダリルの姿がなかったので、執政官の誰かが心配して副長官に報告したのだ。ダリルの健康は中央研究所にとって重要課題だ。人類の未来が懸かっている種馬が健康を損なっては困るのだ。
 ポールが電話を終えたので、ダリルは遠慮がちに「おはよう」と声を掛けた。ポールは返事の代わりに、「髪の寝癖をなんとかしろ」と言った。

「かねてから疑問に思っていたが・・・」

とポールがコンピュータの画面を見ながら言った。

「朝寝坊の常連だった君がよく子供の躾けをやってのけたもんだ。」
「山の家では、時計はなかったんだ。日が昇ると起きて、沈むと寝た。」
「自由気ままに暮らしていた訳だな。」
「・・・まあね。」
「ドームに戻ったんだから、ドームの生活リズムに早く馴染め。ライサンダーはラムゼイの家できちんと早朝に起きていたぞ。」
「了解、チーフ。努力する。」

 ダリルが仕事をしていると、ポールが席をたって部屋の奥にある休憩スペースに行った。そこで湯を沸かし、お茶を淹れると、ダリルの机にビスケットと共にカップを置いた。

「どうせ朝飯は食ってないのだろう? それで昼迄我慢しろ。」
「有り難う。」

 熱いお茶とビスケットと軽く脳を使う仕事のお陰で頭がはっきり覚醒してきた頃、事件が起きた。
 そのことが起きた時分に、ダリルはアメリア・ドッティに電話を掛けていた。
アメリアはダリルが用件を告げると、「またお仕事なの?」と不満そうに言った。「申し訳ない」とダリルは謝った。

「しかし、上司がどうしてもこの国のトップとお話したいと言うもので・・・」
「ああ、本命は従兄のハロルドだったのね。」

ダリルは目を閉じた。大統領ハロルド・フラネリーがメーカーと通じているなどと想像すら出来ないが、母親がトーラス野生動物保護団体の会員なので、その家族の思考も読みたい、とポールが言い出した。ハロルドはアーシュラ・R・L・フラネリーの長男で、父親の葉緑体毛髪と政治能力を受け継いでいる。恐らく、母親からは接触テレパス能力をもらっているはずだ。考えたら、ハロルドとポールは、顔が母親似か父親似かと言うだけで、「ほぼ同じ」ものを遺伝している兄弟だ。

「一両日中にお返事を差し上げます。」

とアメリアが言った。

「ところで、面会は伯父の別荘で行って頂くことになるでしょう。少し遠いですよ。」
「かまいません。そちらのご都合に合わせて参ります。日時と場所はそちらにお任せします。」
「今回は誰がご一緒されるのかしら?」

そう言えば、アメリアはポールがお気に入りだった。ダリルは、「上司です」と言ってから、言い添えた。

「ご存じの、レインですよ。」
「まあ!♪」

アメリアの声のトーンが上がった。

「伯母の秘書が気に入った南米系の方も来られます?」
「ああ、クロエルは今回は行きません。彼は中米勤務が本業なので・・・」
「あら、残念! とっても魅力的な方だとお聞きしましたのに。」

アメリアは電話口で笑った。

「でも、貴方お一人で来られても、大歓迎ですからね、ミスター・セイヤーズ!」

電話を終えて、ダリルはポールに、「交渉しておいたぞ」と報告した。

「まるで遊びに行く約束みたいだな。」

とポールが笑った時、緊急を告げるメール着信音が2人の端末から同時に聞こえた。