2019年8月26日月曜日

家路 2 4 - 9

「局長と長官にお尋ねしたいのですが・・・」

とセイヤーズが言った。レインが振り返ったので、彼等の間で打ち合わせはなかったことなのだろう。ハイネが目で促したので、セイヤーズは続けた。

「静音ヘリのパイロット、ゴールドスミス・ドーマーが言ったのですが、局長は私がネット環境に触れなければ外出を許して下さるおつもりなのではないのかと・・・」

 ハイネが何の反応も示さないので、ケンウッドが代わりに答えた。

「私が、そのつもりになったのだよ、セイヤーズ。」
「えっ! 長官が?」

 セイヤーズの驚愕の表情を、ケンウッドは不謹慎ながら面白いと感じた。まさか外出許可を執政官から出されると思っていなかったのだろう。

「君は機械を見ればその仕組みを理解するし、使い方も教えられなくてもわかってしまう。部品さえあれば、欲しい装置を作って使うことも出来る。だが、何もなければ何も作らないし、何もしないだろう?」
「ええ・・・そうですが・・・」
「君の能力は先祖の記憶の蓄積だ。記憶にないものは作れないし、理解は教えられてからだ。そうでないかね?」
「仰る通りです。」
「宇宙の法律が君のタイプの遺伝子保有者を管理したがるのは、記憶の蓄積を元に保有者が何か犯罪を犯すのではないか、或いは犯罪に利用されるのではないかと恐れているからだ。しかし、君は善良な人間だ。君自身は無意識に記憶を使ってしまうかも知れないが、意図的に悪用したりしない。それは、このドームの者ならみんな信じていることだ。」
「有り難うございます。」
「私達が恐れているのは、君の遺伝子を手に入れて悪用する者が現れることだ。だから・・・」

 ケンウッドはハイネをチラリと見た。先祖の記憶がなくても自身で分析して新しいことを構築してしまう能力を持つこの男の方こそ、宇宙連邦は警戒すべきではないか、と彼は思ったが、口に出さなかった。
 彼はセイヤーズに向き直った。

「君が出来るだけ外部の人間との接触を制限して、決められた敷地内だけでネット環境に触れずに生活すると約束出来るなら、年に数回の外出を認めても良いと私は考えるのだがね、セイヤーズ。」

 セイヤーズはケンウッドを見つめ、それからハイネとヤマザキを交互に見て、最後にレインを見た。レインが言った。

「君は、ライサンダーと孫に会いに行けると、長官は仰ったんだ。」
「わかってるよ・・・」

とセイヤーズが掠れた声で答えた。

「だけど・・・誰か私の頬っぺたを抓ってくれないか?」

2019年8月22日木曜日

家路 2 4 - 8

 セイヤーズはレモンジュースを自身に、レインには水を入れて席に着いた。ケンウッドがレモンソーダを一口味わってから、ハイネに笑顔で頷いて味の評価を示した。そしてセイヤーズ達に向き直った。

「フランシス・フラネリーは息災だったかね?」
「はい、相変わらず精力的に活動されているようです。」
「あのパワーが羨ましいです。」

 セイヤーズの返答に続いてレインも取り替え子の妹を評価した。セイヤーズは、これが雑談の席と割り切ることにして、質問される前に話を進めた。

「ドッティ女史はモントレー一帯の土地を州から買取ました。購入の条件として、居住場所以外に建物は造らない、自然を現状維持する、向こう200年間は他者に売却しない、と言うことです。それで、フランシスはその売買契約の場に同席して、彼女がそこに居住することを州に認めさせました。」
「彼女は間借り人です。」

とレイン。

「家屋の所有はライサンダー・セイヤーズ、土地の所有者はアメリア・ドッティ、と言うことで話はまとまりました。家屋に大家以外の他の人が入居することは、ライサンダーとの契約になるので、州は誰が住もうが関知しません。フランシスはダリル・セイヤーズが農地として開墾した面積だけ農業用地として使用出来ます。ですから、彼女が何か別事業をあの場所で行うことは出来ません。」

 土地契約の話はハイネには関心がなさそうだったが、ドーマー達の社会復帰の訓練場所を探しているケンウッドは少々落胆した。セイヤーズの農地でドーマー達に土を触らせて見たかったのだが。すると彼の心の内を見透かしたかのようにセイヤーズが言った。

「フランシスは農業を知っていますが、あの地方での経験はないので、ライサンダーが教えることになりました。もっとも、2人とも勉強や海外のビジネスもあるので、常時あの場所にいられる訳ではありません。それで、長官に提案があるのですが、よろしいでしょうか?」
「提案?」

 ケンウッドはまだ何も内容を聞いていないのに、なんだか嬉しくなった。

「遠慮なく言ってくれ。ここは会議場じゃない。談話室で私達は雑談しているんだよ。」

 セイヤーズがニッコリした。レインは相変わらず真面目な顔をしている。セイヤーズがケンウッドの方へ体を傾けた。

「ドームはドーマーの社会復帰準備として保養所計画を練っていると聞きましたが、まだ具体的なプランを立てた訳ではないですね?」
「うん。ターナー総代が各班のチーフ達と相談しているところだ。」
「モントレーは保養所として利用するには、居住許可面積が狭すぎます。ですが、少人数で交代に使うことは可能です。」

 ケンウッドもセイヤーズの方へ体を向けた。何か面白いことを言ってくれるのかと期待していた。セイヤーズは端末を操作して、談話室のテーブルの上に彼の「山の家」の立体地図を出した。

「左の家は私が母屋として造ったものです。寝室が2部屋と居間と台所だけの狭い家です。フランシスはこの家を改装して、彼女とライサンダーと娘が住める広さに建て替える予定です。つまり、地下室と二階を継ぎ足すのですが。」

 彼は右の小さな建物を指した。

「これは私が作業小屋として造ったものです。車庫と農機具小屋、ガラクタ置き場を兼ねています。彼女はここも改装して、人間が寝泊まり出来る家にするつもりです。」
「ゲストハウスかね?」
「建前はそうなります。でも、彼女は私の提案を喜んでくれました。」
「君の提案?」
「彼女とライサンダーが家を留守にしても畑の面倒をみてくれる人が生活する家です。」

 使用人を雇うのか、とケンウッドは思ったのだが、セイヤーズはハイネの方を向いて言った。

「ドーマーの園芸班をモントレーの畑で働かせたいのですが、駄目でしょうか?」

 レインが急いでセイヤーズの言葉の足りない部分を解説した。

「つまり、園芸班の保養所にしたいと彼は言っているのです。本当の土で作物を栽培したり草花の世話をする体験をさせて、社会復帰の訓練に出来ないかと、彼は提案しています。」

 ほうっとヤマザキが感心した。

「山の家は街から遠いのだろ? ドーマーがいきなり実社会に出て戸惑うより、暫く外の環境に体を慣らして少しずつ里へ降りて行けば良いってことだな?」
「そうです、ヤマザキ博士!」

 セイヤーズが嬉しそうに微笑んだ。

「山の家は狭いので、全てのドーマーが寝泊まりするのは不可能です。だから、園芸班だけでも来てもらえれば、畑の世話と彼等の実地学習が同時に出来ます。それに、私達の孫が成長するに従って、親以外の人間と交流することも学ぶ必要が出てきます。園芸班も街の住民と交流して社会勉強が出来ます。」

 能天気なセイヤーズと違って何事も慎重なレインはそっとハイネの顔色を伺った。ハイネはこんな場合、いつも眠たそうな顔で聞いているのかいないのか、ぼーっとしているのだ。ケンウッドが、ハイネ、と呼びかけた。局長が目を長官に向けた。

「君はどう思う? セイヤーズとミズ・フラネリーが考えたプランは素敵だと思わないかい?」

 ハイネは遠くを見るような顔で言った。

「園芸班に直接話を持って行けば良いでしょう。ターナー総代と三者で相談して、まとまれば執政官にお伺いを立てることです。」

 セイヤーズとレインは顔を見合わせた。そして、いきなり2人でハイタッチした。局長と長官の了承を得た、と判断したのだ。



2019年8月20日火曜日

家路 2 4 - 7

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーとポール・レイン・ドーマーが帰還したのは翌日の昼だった。レインから局長に報告したいと電話を受けたネピア・ドーマーはいつもの如く不機嫌そうな声で、

「私用での外出であるから、局長のオフの時間に局長ご自身に都合をお聞きしなさい。」

と突き放した言い方をした。本当は局長に接する部下の行動全てを掴んでおきたいのだが、ハイネからそうしろと言われていたので、仕方がない。セイヤーズは完全に私用だが、レインはセイヤーズの監視だから業務ではないか、とネピアは思ったのだ。だがハイネはレインとセイヤーズの息子と、レインの取り替え子の妹との話し合いだから、私用だと言った。

「部下の私用の報告に、君の貴重な業務時間を割く必要はないだろう?」

とハイネから言われると、ネピアは言い返せなかった。局長の業務を記録するのが第1秘書の仕事の一つだから、レインの報告を正規の業務と見なせば、ネピアの業務が増えるのだ。
 レインはそんな局長執務室内の上司達のやりとりを知らずに、局長の昼休みと思しき時間にもう一度局長本人の私用番号に電話をかけて、面会の時間と場所の約束を取りつけた。電話から1時間後に、彼等は指定された図書館の談話室に入った。
 談話室は10人程度の人がディスカッション出来る広さで、グループ学習の為の部屋だ。そこにハイネとケンウッド長官が座っていたので、レインは少し緊張を覚えた。しかも、どう言う訳か、医療区長のヤマザキ・ケンタロウまでいた。それで、レインはやっと、これがお昼休みの「雑談」だと合点した。
 2人の若いドーマーが入室すると、ちょうどローガン・ハイネが飲み物のサーバーのところで執政官達の飲み物を作っていた。図書館は原則飲食を禁じられているが、ロビーと談話室は飲み物を自分でサーバーから取ることが出来るし、好みの調合も出来る。ヤマザキがドーマー達を見て微笑んだ。

「ヤァ、お帰り。西部は乾燥していただろう? 何か飲むかい?」

 レインが数秒間躊躇った隙に、能天気なセイヤーズがサーバーの側に行った。

「私が入れましょうか、局長?」
「お構いなく。」

とハイネ。ケンウッドが言った。

「ハイネは腕の良いバーテンダーなんだよ、セイヤーズ。」
「そうなんですか?」

 セイヤーズが驚いて上司達を見比べた。ヤマザキがハイネに声を掛けた。

「そうだ、ハイネ、ドームが解散した暁には、君はバーテンダーになれば良いぞ。店の開店資金ぐらいなら、僕が出資してやる。」
「止せ止せ、ケンタロウ。ハイネがバーテンダーになったら味見ばかりしていつ客に酒が出せるか、わからんぞ。」

 ケンウッドの言葉に、レモンジュースに炭酸水を加えていたハイネが吹き出しそうになった。


2019年8月15日木曜日

家路 2 4 - 6

 夕食の後、ケンウッドはハイネと共に医療区のヤマザキ・ケンタロウを見舞った。ヤマザキは血色良く、食事も普通に食べて、病室内を退屈そうに歩き回っていた。ケンウッドが入室すると、顔を見るなり照れ笑いした。

「いやぁ、入院って言うもんが、こんなに退屈だとは、経験してみないとわからんもんだなぁ!」

 ケンウッドはハイネと思わず顔を見合わせた。ハイネが言った。

「これで入院患者の扱いが以前よりマシになると良いのですが・・・」
「おいおい、僕が患者を虐待していたみたいな言い方じゃないか。」

 ヤマザキがむくれて見せたので、ケンウッドとハイネは笑った。 取り敢えずヤマザキをベッドに座らせて、彼等も椅子に座った。

「元気で良かったよ。ハイネから君が入院したと聞かされた時は、どんな重病かと心配したがね。」

 ケンウッドが笑って言うと、ヤマザキは

「くたばって欲しかったんじゃないか?」

とからかった。ハイネがちょっとムッとした表情を作って見せた。

「私より若いのに、くたばってもらっては困ります。貴方がいなくなったら、誰が私の肺の面倒を見るんです?」

 ヤマザキがはっはっはっと笑った。

「やっと僕の重要性を認めたな、この爺さんは!」

 ハイネが肩を竦めてケンウッドを見た。ケンウッドは笑うしかなかった。

「私達は、新たな道を進み始めたところだ。ケンタロウもハイネも私も、まだくたばるわけに行かないよ。まぁ、そうだね・・・ケンタロウは暫く水泳を控えてもらおうか。」
「ええ? 水泳は僕の健全な趣味の一つだぞ。」
「ケンタロウ。」

とハイネが窘めた。

「長官の忠告はちゃんと聞きなさいよ。」
「そうだ、足がつる心配がなくなる迄、陸上でトレーニングしてるんだね。」

 がっくり肩を落とすヤマザキの背をケンウッドは手で軽く叩いて励ました。そしてハイネを見ると、老ドーマーは優しい眼差しで彼とヤマザキを見ていた。ケンウッドはふと気が付いた。ヤマザキがプールで溺れかけたのを救助したのはハイネではないのか、と。ヤマザキはハイネが泳ぐと、いつも彼の肺を心配して様子を見に行く。きっと昨夜もそうしたのだ。そして自分もハイネについて泳いでいて、足をつったのだ。

 2人が一緒にいて良かった・・・

 ケンウッドはハイネにも言った。

「ケンタロウが泳いでも平気になる迄、君も水泳をちょっとだけ控えてやってくれないか? さもないと、ケンタロウがまたプールに入るだろうから。」
「了解です。」

 ハイネは答えて、可笑しそうに笑った。 それで、ケンウッドの想像が正解だったことがわかった。


家路 2 4 - 5

 ハイネと食堂での再会を約束して、ケンウッドは長官執務室に入った。そこで秘書達から留守中のドームの様子を聞き、署名が必要な緊急事案に署名して、ラナ・ゴーン副長官を部屋に呼んだ。ゴーンが来ると、彼女が代行していた長官業務の引き継ぎをしてから出張の内容を報告した。アフリカ・ドームから純血維持主義撤廃案が出されたことを告げると、ゴーンの目に涙が光った。

「もしその事案が通れば、私はクロエルにお見合いを強いる必要がなくなるのですね?」
「うん。きっと通ると思うよ。」

 ケンウッドは本部の委員達が時代の流れを読み取って現実を受け入れる人々であることを信じたかった。卵子提供者を探して苦労しているのは、宇宙にいる委員達なのだから。
 ゴーンの目から涙がポロリと落ちた。

「良かった・・・これで私は本当に彼の母親になれる気がします。」

 ケンウッドはハンカチを差し出した。

「クロエルは貴女を母親だと認めていますよ、ゴーン博士。貴女を悲しませまいといつも努力しているじゃないですか。」
「あの子にそんな気を遣わせるようでは、駄目です。」

 ゴーンは素直にハンカチを受け取り、目を抑えた。

「もっと我儘を言って欲しいのです。甘えて欲しい・・・ええ、あの子はもう立派な大人です。親に甘える年齢ではありません。大勢の部下を指揮する立場にいる男です。でも、やっぱり息子として甘えて欲しいのです。」

 彼女は顔を上げてケンウッドを見た。

「宇宙にいる娘達は、彼と実際に会ったことはありません。でも映像で見ているし、地球人の弟のことをとても気に入っています。私が月に帰る度に言うのです、クロエルにコロニーのルールを押し付けては駄目よ、と。法律を曲げてまでして養子にした以上、彼を幸福にしなければ駄目だって・・・」

 ケンウッドは大きく頷いた。

「私達は生みの親から預かった子供達に幸せになって欲しい。その為には、矛盾を抱える法律を私達で変えて行かなければならないね。」

 そして彼女にウィンクして見せた。

「地球人保護法の撤廃、もしくは改正も提案されているだろう? 恋愛も自由に出来る権利を認めないとね。」

 ゴーンが頬を赤らめた。

家路 2 4 - 4

 ケンウッドがアメリカ・ドームに帰還したのは夕刻だった。前日出発してから28時間しか経っていなかったが、随分長い間留守をしていた気分になった。ゲイトのドーマー達がとても懐かしい顔ぶれに見える。2人の男性執政官達も消毒を終えて出てくると顔を綻ばせていた。

「ヤァ、久しぶりの我が家だなぁ」

 ドヌーヴが大きな声で言って、一行は思わず笑った。女性のカタダはまだ時間がかかるので、先に解散した。部下達が近道の出産管理区の通路を選んだのに、ケンウッドは回廊を歩いた。長官は本当に回廊がお好きですね、とちょっとからかわれた。
 壁の向こうに夕暮れの風景が広がっている。こんな綺麗な景色を見ずしてアパートに帰られようか。少しずつ色が変わっていく夕空を眺めながら、ケンウッドはゆっくりと歩いた。大きなカーブを曲がったところで、壁にもたれかかってローガン・ハイネ・ドーマーが外を眺めているのを見つけた。ケンウッドは何故かホッとした。アメリカ・ドームには白い髪のドーマーがいる。我が家の証拠だ。
 ハイネが振り向いた。少し微笑んで、お帰りなさい、と言った。心なしか、微かに緊張しているように思えた。そう言えば、進化型1級遺伝子S1のダリル・セイヤーズ・ドーマーに外出許可を与えてやったが、何かあったのだろうか。ケンウッドは胸騒ぎを覚えた。

「今戻った。出迎え、有り難う。」

 ハイネが小さく頷いた。そしてそばに来ると、囁くように言った。

「驚かないで下さい。」
「何をだね?」

 ケンウッドはますます心が穏やかでいられなくなった。セイヤーズが何かしたのか? それとも他のドーマー達に何か起きたのか?
 ハイネは通路の向こうを見て、誰もいないことを確認してから、言った。

「ケンタロウが入院しました。」

 ケンウッドは直ぐには反応出来なかった。全く予想外のことだ。ヤマザキ・ケンタロウはアメリカ・ドームの医療区長だ。このドームの医療責任者のトップで、ケンウッドとハイネの主治医だ。そして大切な親友だ。

「入院? ケンタロウが?」

 やっと声を絞り出した。体が震えそうだ。ハイネは優しく説明した。

「重病ではありません。昨夜、プールで泳いでいて足がつったのです。本人によれば、慌ててしまい、水を飲んでしまったと・・・」
「つまり、溺れかけたのか?」
「平たく言えば、そうです。」

 ハイネは苦笑した。

「ご当人は直ぐに退院するつもりだったのですが、ベル副医療区長が大事をとって入院させました。明日の朝まで入院です。貴方が驚かないよう、説明しておこうと思いまして・・・」
「十分驚いたよ。」

 ケンウッドは脱力した。ヤマザキは他人には健康に留意せよといつも命じるくせに、己は医者の不養生で何も気にしない。重病に罹ったのかと危惧したのだ。

「我々も歳だからね・・・」

 ケンウッドは苦笑した。

「まだまだここの仕事が山のように残っているのだ。無理せずに用心しろとケンタロウに言わなきゃなぁ。」

2019年8月14日水曜日

家路 2 4 - 3

 会議が終わり、ケンウッドと3人の執政官達はゲストハウスへ向かった。2時間ばかりそこで休憩して帰るつもりだった。執政官の一人、ジャック・ドヌーヴが呟いた。

「今日の地球側の提案が月に受け入れてもらえると良いなぁ。僕はクロエル・ドーマーがお見合い話を聞かされる度に暗い表情になるのを見るのが辛いんだ。」
「クロエルが暗い表情になるって?」

 マーク・グレイザーが驚いた顔でドヌーヴを振り返った。陽気な地球人の若者が暗い表情で沈む姿を想像出来ないのだ。ケンウッドもクロエル・ドーマーが沈んでいる姿を見た記憶がなかった。ドヌーヴはクロエルが素を見せる数少ない執政官なのか? 
 ドヌーヴは仲間の驚愕に気が付いて、ハッとした様に顔を上げた。

「彼は気に入らないことがあると口数が減るんですよ。養母のゴーン副長官には明るく振舞って見せている様ですがね。」

 ドヌーヴは太陽からの放射線と遺伝子の関係を研究している博士だ。地球上で太陽に一番近い赤道上の住民の遺伝子を分析してきた。中米班と南米班のドーマー達と親しいのはそのせいだ。
 一行の中の紅一点、ジェセフィン・カタダが苦笑した。

「副長官が持って来られるお見合い話の相手は年配女性ばかりですからね。」

 新しい卵子提供者が得られないから、現存する部族の末裔は高年齢なのだ。ケンウッドはクロエル・ドーマーに課せられた純血種の子孫を残す役割を気の毒に思えた。だからアフリカ・ドームの提案は本当に彼も嬉しかったのだ。

「父親の遺伝子履歴が不明だからドームの外へ卒業させられない、と言う理屈も可笑しいわ。」

とカタダが言った。

「ドーマーは遺伝子を残すために育てている地球人なのだから、遺伝子履歴が不明の子供は残すべきでないと考える方が妥当だと思いますけど?」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「私も疑問に思っているのだよ、後輩諸君。私がアメリカ・ドームに着任した時には、既にクロエルはいたのだからね。」
「みんなのアイドルとしてね!」

 グレイザーが小さく笑った。

「あの子は可愛らしいから、きっと昔の執政官達は手離したくなかったんですよ。」


2019年8月10日土曜日

家路 2 4 - 2

 休憩時間の後、アフリカ・ドーム長官オレプ・ニエレレがカササ・ドーマーがケンウッドに語った案件を持ち出した。カササとニエレレの間で意思疎通が上手く行っているようだ。ケンウッドはカササの出身部族の名前を知らない。熱帯雨林のある地方と聞いていたので、赤道近辺の西海岸なのだろうと思うが自信はなかった。ニエレレも長身だ。こちらは由緒正しいマサイ族の出身で、勿論、牛を追い槍を持って赤い衣装を身に纏う先祖を誇りにしている。しかし彼自身は木星コロニー出身で、アフリカの大地を目にしたのはほんの10年前だ。槍は持っていないし、牛の育て方も知らない。ヒトゲノムの研究者だから、地球人類復活委員会に採用され、長官に昇進出来たのだ。
 ニエレレは、文化継承の大切さを認めながらも、個人を血統で縛るのは止めようと呼びかけた。

「外の地球人が自由に恋愛をしている時代に、何故我々が時代遅れの考えを我々の可愛い息子達に強いる必要があるのでしょうか?」

 彼は場内を見回しながら言った。

「ドームの中には、その地のドームの伝統が築かれ、文化が生まれています。ドーマー達は肌の色や体型などの違いを乗り越え、一つの家族として生活し、独自のルールを作っています。そこへ、わざわざ彼等の生活や思想になんら影響を及ぼさない昔の文化を入れる必要があるでしょうか。当アフリカ・ドームの管轄大陸では消滅した民族・部族が多すぎます。絶滅を辛うじて免れ生存している人は、最早祖先から受け継いだ言葉も文化も持っていません。そこへ昔の文化を押し付けられたドーマーを社会復帰させても、意味がないのではありませんか。」

 ニエレレは息を継いでから続けた。

「ほんの数人ではありますが、婚姻条件を付けられて、愛する女性とカップルになれないドーマーがいます。彼等は血統を守る理由でドームから退所することも出来ません。それは余りにもコロニー側の身勝手と言うべきではないでしょうか。
 どうか我々アフリカ・ドームの提案をご支持頂きたいのです。血統にこだわらず、ドーマー達に自由な婚姻を認めてやりましょう。」

 パラパラと西ユーラシア・ドームの出席者から拍手の音が聞こえた。それに釣られるかのように、東アジア・ドームから、南アジア・ドームから拍手が起こった。どちらも多くの民族を抱えて卵子提供者獲得に苦労しているドームだ。ケンウッドは、同行者の執政官3名を見た。彼等が頷いて見せたので、南北アメリカ大陸ドームも立場を決めた。ケンウッドが手を叩き始めると、執政官達も叩いた。やはり多民族地域であるオセアニア・ドームはドーマーと執政官の軋轢が多く、同調は難しいのではと心配されたが、最後に拍手に応じた。ニエレレが感謝の気持ちをマサイの伝統ではなく、一般的によく用いられる両手を合わせて表した。

2019年8月9日金曜日

家路 2 4 - 1

 ケンウッドはアフリカ・ドームの大会議室に居た。アフリカ大陸は広大で民族も自然も多種多様なのに、ドームは一箇所、ナイロビにしかない。大異変の後、アフリカ大陸の人口は急激に減少してしまった。宇宙に進出したアフリカ人の人口が少なかったせいだ。現在宇宙にいるアフリカ系の人々は、裕福な一族や政治的有力者の部族の子孫が多く、庶民の子孫が少ない。古くからの伝統を守っていた民族の多くは絶滅してしまい、その文化はもう博物館で見ることしか出来ない。アフリカ・ドームで働いているアフリカ系の執政官の多くは、ヨーロッパやアメリカを故郷とするコロニー人だ。
 ケンウッドが地球で働くことを決意した時、勤務地の第一希望はアフリカ・ドームだった。象を見たかったのだ。しかしアメリカ・ドームに派遣されてしまい、そのまま今日に至った。
 アフリカ・ドーム遺伝子管理局長クワク・カササ・ドーマーがゆっくりと入場して自席に着席すると、やっと議事が始まった。アフリカ・ドーム長官オレプ・ニエレレ博士がドーマーが外出時に接種する抗原注射の廃止を決行したことを報告した。他のドーム長官達は驚かなかった。ドーマーは地球人だ。彼等をドームの外に出すには、先ず外の空気に慣らさなければならない。雑菌、ウィルス、バクテリア、放射線、埃・・・今まで彼等に触れさせないよう遠ざけて来た物に、慣らすのだ。それは程度の差があれ、どこでも既に取り組んでいることだった。ただアフリカ・ドームの様に、廃止を決めたところはなく、大胆な試みとして受け取られた。
 次に発言したのは西ユーラシア・ドームだった。例の地球人保護法改正要求についての、既に各地から送られていた質問に対する回答だ。恋愛は個人の権利であり自由なのだから法律で制限されるものではない、と言うコンセプトで西ユーラシアは執政官もドーマーも意見を統一させているのだ。そして最終目標は、改正ではなく撤廃だった。
 2時間後、休憩時間が設けられた。場内の執政官やドーム長官達が外へ出て行った。ケンウッドは出口の混雑を眺め、人が減るのを待っていた。すると横から声をかけて来た人がいた。

「アメリカ・ドームでは、まだ民族の純血維持を行っているのでしょうか?」

 振り返ると、白い髪とコーヒー色の肌のアフリカ人が立っていた。アフリカ・ドームの遺伝子管理局長クワク・カササだった。ハイネに負けぬ長身の男だ。しかし年齢は80歳、ケンウッドより10歳上だが、地球人なのでずっと老けて見えた。ケンウッドは彼に空いた隣席を手で示し、座らせた。

「民族の純血維持ですか・・・現在は行っていませんが。アメリカは移民の国ですから・・・」

と言いかけて、彼は重要なことを思い出した。

「先住民の純血維持をしていました、思い出しましたよ。」

 チョコレート色の陽気な若者の顔が脳裡に浮かんだ。父親の正体が不明なので、母親の血統を維持する目的で宇宙からお嫁さんを誘致しようと委員会が躍起になっている。しかし候補者が現れず、今も独身であることを強いられているドーマーだ。

「純血維持など、意味がないと思われませんか?」

 カササが言った。

「文化は一人や二人で維持出来るものではありません。それに生活の中で活かされるものでなければなりません。ドームの外で純血維持を行うのであれば、それも意味があると思えますが、ドームの中で行うのはどうでしょうか? ドーマー達の文化はドームの中で培われた新しい文化です。そこに無理やり200年前に消失した文化を押し付けても、根付きはしないし、活かされもしない。ドーマー達は顔も知らない親との繋がりを求めて押し付けの文化を受け入れているだけです。しかし、それを伝承する子孫は規則で残せない。可笑しいでしょう?」

 一気に喋ったカササは、無言で見返すケンウッドに、微笑んで見せた。

「大切な休み時間に私個人の意見をお聞かせして申し訳ありませんでした。」

 ケンウッドは首を振った。

「ちっとも構うことなどないよ、カササ・ドーマー。私もそう感じているのだ。アメリカ・ドームにも母方の血統の女性と結婚させようと独身を強いられている若者がいる。しかし少数民族の母親の一族はもう彼しか残っていないのだよ。そしてコロニーにも同族の女性がいるとは思えない。20年近く探しているのだが、未だにヒットしないのだからね。彼に自由な恋愛をさせてやりたいのだ、私は。彼は出自部族の文化を何も知らないのだから。」

2019年8月5日月曜日

家路 2 3 - 5

 ハイネはコンピュータの画面に表示されているケンウッド長官からの最新のメッセージに目を向けた。ケンウッドはアフリカ・ドームに到着したばかりだが、早速アメリカの様子を問い合わせてきていた。留守の我が家が心配で堪らない心配性の長官だ。ハイネがセイヤーズの要望を告げると、こう返信してきた。

ーー面会させるなら山の家が良いよ。あそこはコンピュータのネットワークがないはずだ。セイヤーズの能力の危険性が低くなるし、裁判の関係者もよもやあんな辺鄙な場所まで行くまい。

 セイヤーズの外出をあれ程禁止したがっていたケンウッドなのだが、どう言う風の吹き回しか、今回は気前よく許可を出してきた。ハイネはその理由を考えてみたが、答えを思いつかなかった。
 午後2時にセイヤーズとレインが局長執務室へ足を運んできた。出迎えたのは、第1秘書のネピア・ドーマーで、第2秘書キンスキーは彼の日課で中央研究所へ行って連絡事項や新規情報などの収集に努めている。ネピアはレインに自席のそばの席で待機するよう指図して、セイヤーズを局長席の対面の席に案内した。
 ハイネはコンピュータの画面を眺めていたが、セイヤーズが正面に座ると顔を向けた。

「君が住んでいた家を買い取りたい人物との面会を許可して欲しいと言うことだな?」
「そうです。ちょっと問題がありまして、土地は州のものなのです。私が無断で隠れ住んでいたので・・・私が売るのは家だけです。購入希望者は現在州政府と土地の買い取りに関して交渉中です。」
「その人物がライサンダーと娘との同居を望んでいる?」
「はい。隠す必要がないので打ち明けますが、相手はフランシス・フラネリーです。」

 当然ながら、ハイネはフランシス・フラネリーが何者か知っている。成る程、と呟いただけだった。ドームの外の出来事に関しては、我関せずと言った風情だ。フランシスが土地の買い取り可能な財力を持っていることも、ライサンダーと娘を守る警備態勢を取れることも、敢えて確認しない。

「それで、君がドームから出て彼女と直接会う理由はなんだ?」
「私は彼女をよく知りません。良い人だと思いますが、息子と同居して上手くやっていけるのか、人柄を少しでも知りたいのです。すみません、親の我が儘だと承知しています。私が外に出る正統な理由でないことは、わかっています。」

 ハイネは視線をコンピュータに戻した。セイヤーズは心の中で溜息をついた。話を持って行く相手を間違えたかも知れない。ローガン・ハイネ・ドーマーは家族と言うものと全く無縁な生涯を1世紀過ごして来た人だ。家族の情愛を訴えるなら、ケンウッド長官の方が効果的だ。ケンウッドからハイネを説得してもらった方が良かったかも知れない。
 その時、思いがけない人物が発言した。

「局長、ちょっとよろしいでしょうか?」

 セイヤーズは思わずネピア・ドーマーを振り返った。レインも横にいる第1秘書を見ている。
 ハイネも内心驚いていた。ネピアは上司が部下を面談する時に口を挟んだりしなかった。それが今・・・? これはケンウッドの説教の効能なのか?

「なんだ、ネピア?」
「ライサンダー・セイヤーズは娘が人工子宮から出た時点でドームに来る資格を喪失します。恐らく、父親とは直接会う機会も失うでしょう。だから、ダリル・セイヤーズは息子を安心して託せる相手かどうか、ミズ・フラネリーを見極めたいのだと思いますよ。」

 見事に心の中を見透かされて、セイヤーズはどきりとした。ネピアとは仲が良いとはお世辞にも言えない。それなのに、本心を知られていた。
 ハイネがネピアに言った。

「だが、レインはいつでも自由に息子にも取り替え子の妹にも会えるだろう。レインに様子を見させれば済む。」
「それでも、セイヤーズは自分で子供を育てた親ですから。」
「自分で作った子供でもあるしな・・・」

 皮肉とも取れる言い方をして、ハイネはセイヤーズを見た。セイヤーズは赤面した。
 1分ばかり彼を眺めてから、ハイネは視線をレインに移した。レインはやや挑戦的な光を放つ目で上司を見返した。どんなに敬愛する父親でも、時に息子は反抗したくなるものだ。ハイネは彼に声をかけた。

「レイン、君はドームを出る考えはあるのか?」
「俺がドームを出る?」

 レインは予想外の質問に驚いた。慌てて首を振った。

「俺は出て行けと言われても出たくありません。雑菌だらけの外の世界に住むのは御免です。」

 その狼狽えぶりに、セイヤーズとハイネは思わず吹き出した。ネピア・ドーマーさえ苦笑している。

「出るつもりがなければ良いのだ。」

とハイネは言った。

「セイヤーズはもう逃亡しないだろう。」
「勿論です。」

 今度はセイヤーズとレインが見事にハモった。ハイネとネピアは顔を見合わせ、クスッと笑った。ハイネは真面目な顔に戻り、セイヤーズに言った。

「空港ビルでの面会は許可しない。」
「えっ・・・」

 局長の言葉にセイヤーズはがっかりした。しかし、次の言葉は信じられなかった。

「山の君の家で会いたまえ。実際の場所で彼女の転居の打ち合わせと言う形で面会するが良い。監視にレインを付ける。」

 思わずセイヤーズは立ち上がり、東洋式に深々と頭を下げた。下げなければ涙を見られてしまいそうだった。

「有り難うございます!!!」



2019年8月4日日曜日

家路 2 3 - 4

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は本来なら中央研究所の食堂を使用する身分なのだ。しかし、彼は遺伝子管理局本部から近い一般食堂を好んで利用していた。ただ部下達や若いドーマー達に気を遣わせたくなかったので、出来るだけ空いている時間帯に食事をとる。だから、彼は大好物の半熟とろとろチーズスフレに滅多にありつけなかった。今日はダリル・セイヤーズから面会を求められたので早めに食事に出たのだが、タイミングが悪く、半熟とろとろチーズスフレは第1弾が完売してしまい、第2弾はまだオーブンの中だったのだ。
 彼はライサンダー・セイヤーズに導かれる様に窓際のテーブルに近づいた。そして座っているポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーに挨拶した。

「ライサンダーに誘われて来たが、同席してもかまわないかな?」
「どうぞ! 大歓迎です。」

 セイヤーズの陽気な声に彼は「有り難う」と言って、空いている席に座った。そして2人の皿がほぼ空になっているのを見た。

「君等はもう食事を終えたのだな?」
「ええ、でも甘味程度でしたら、まだ入りますよ。」

 そこへピート・オブライアン・ドーマーが直径20cmはあろうかと思われる半熟とろとろチーズスフレを運んで来た。甘い香りが周囲に漂い、近くのテーブルの人々が振り返った。
 レインが大気を鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、幸せの香りだ。」

 するとハイネが言った。

「分けてやるから、誰か取り皿を取って来なさい。」

 一瞬レインとライサンダーの視線がぶつかり合い、数秒後にライサンダーが配膳台に向かった。
 セイヤーズが尋ねた。

「局長はお昼をそれだけで済まされるおつもりですか?」
「これだけで足りるはずがなかろう。」

 ライサンダーが急ぎ足で皿を持って戻って来た。ハイネは半熟とろとろチーズスフレにナイフを入れながら言った。

「先にデザートを食べてからランチを食べる。」

 レインとセイヤーズは顔を見合わせた。上司の子供っぽい意外な一面を見てしまったのだ。何となく理由はないが、嬉しい感じがした。
ハイネは半熟とろとろチーズスフレをまず正確に二等分して、それから半分をさらに正確に三等分した。ホールの6分の1ずつ2人の部下とその息子に分け与え、残りの2分の1を独りで食べてしまうつもりだ。
 セイヤーズは面会の用件をここで済ませてしまおうかとも思ったが、局長もレインもライサンダーも幸せそうに半熟とろとろチーズスフレを食べているので、後回しにすることに決めた。それに周囲にはレインのファンクラブがいつもの如く取り囲んでいる。ハイネがいるので手を出して来ないだけだ。
 半熟とろとろチーズスフレは表面がサックリと、中はまるでプディングの様にプルプルとろとろクリーミーな状態だ。これはどうやって作るのだろう、とセイヤーズが食べながら考えていると、レインが横から囁きかけた。

「また良からぬことを考えているだろう?」
「良からぬこと?」
「このチーズスフレと同じ物を作ろうと思っているだろう?」
「それが良からぬことなのか?」
「この半熟とろとろチーズスフレは、ピート・オブライアンが作るから美味いんだ。他の人間では駄目だ。例え君だろうと、シェイだろうと、これと全く同じ物は作れない。」

 そんなことはない、と反論しようと思ったが、局長の前で大人げない真似はしたくなかったので、セイヤーズは黙った。ライサンダーがレインの肩を持った。

「技術の問題じゃないってお父さんは言いたい訳だね?」
「そうだ。これにはオブライアンの思い入れが詰まっている。」

 何に対する思い入れか、レインはそれ以上言及しなかった。わかっていても、それはオブライアンのプライバシーだ。軽々しく他人が喋るものではない、と接触テレパスの彼は自重した。
 大好物をじっくり味わいながら食べているハイネに礼を述べて、彼等は午後の仕事の為に席を発った。
 食器を返却して食堂を出て行きながら、ライサンダーが低い声で尋ねた。

「局長はすごく人気があるのに、どうしてファンクラブがいないのかな?」
「必要ないからだ。」

とレインが答えた。

「みんながファンだからな。」
「お父さんも局長のファンなの?」
「俺か?」

 レインは苦笑した。

「まぁ、彼のことは尊敬しているし、好きだが・・・しかし実際に仕事を教えてくれた人は別にいるからな。局長は優れた指揮官だが、教官ではない。彼は実戦経験がないまま将軍になった軍人みたいなものだ。だから具体的に仕事のやり方を指示なさることはない。
俺はどちらかと言えば実務経験のある先輩の方に親しみを覚える。」
「局長は若いドーマーにとっては雲の上の人なんだよ。」

とセイヤーズが言った。

「執政官達に直接意見を言ったり批判出来るのは、あの人だけなのだ。だから、彼はドーマー達にとって、神みたいな存在なのさ。」

 否、神様なんかじゃない、とレインは心の中で呟いた。ローガン・ハイネは俺達ドーマー全員の父さんなんだ、と。


2019年8月2日金曜日

家路 2 3 - 3

 打ち合わせ会の後、直ぐにケンウッドはアフリカ・ドームへ出張して行った。昼食は機内で摂ると言って、ゴーン副長官に留守番を頼み、ハイネには彼女のサポートを頼んで出かけていった。
 ハイネは内心不満だった。彼はケンウッドがアメリカ・ドームから出かけるといつも不安になるのだ。過去、コロニー人の多くが何も言わずに突然ドームから去って行った。彼等は理由がなんであれ、退職して宇宙へ帰ったのだ。その度に残されるドーマー達は悲しく寂しい思いをしてきた。地球人が宇宙へ出ることを禁じ、地球人に宇宙の情報を与えることを制限している地球人保護法の存在を、彼等は恨めしく思っている。
 もう一つハイネを不安にさせる理由は、ケンウッドが一人も護衛を付けずに行動することだ。歴代の長官は外出時必ず護衛を同伴した。地球上であれば、外の世界の訓練を受けた保安課のドーマーを、宇宙であればコロニー人の護衛を連れて行った。あの目立つことが嫌いな前長官ユリアン・リプリーでさえ、護衛付きでなければ外出しなかったのだ。しかしケンウッドは平気で単独行動したし、保安課に届けも出さずに出て行くので、彼が長官になってからの保安課長達は毎回ハラハラドキドキで彼の帰りを待つのだった。
 今回もケンウッドがゴメス保安課長に何も言わずに出かけたので、ハイネは急いで少佐に電話したのだが、保安課はケンウッドがゲートを出て飛行機に乗るのに間に合わなかった。

 全く仕様が無い若造だ。他人の安全には必要以上に世話を焼くくせに・・・

 ハイネは息子ほども年下の、「親」であるコロニー人が可愛くて堪らない。相手と対峙する時は下手に出るが、心の何処かではケンウッドの若さを微笑ましく見守っている己がいた。
 仕様が無い若造と言えば、もう一人、面会を求めている者がいる。ハイネは彼との約束を守る為に、普段より早めの昼食を摂ることにした。
 配膳コーナーに到着した途端、ハイネは大好物の半熟とろとろチーズスフレが売り切れていることに気が付いた。物凄い落胆から、彼は思わず厨房に向かって苦情を述べた。

「何故、私が来るといつも半熟とろとろチーズスフレがないのだ?」
「人気が高いからすぐ売り切れるんだ!」

 カウンターに背を向けたまま、若き司厨長ピート・オブライアン・ドーマーが言った。彼は相手が誰だかわかっていない様子だ。勿論、それが芝居であることをハイネは承知していた。厨房班はそうやって遺伝子管理局長と喧嘩するのを毎日楽しみにしているのだ。それはオブライアンの師匠であり、先先先代の司厨長であった故ジョージ・マイルズ・ドーマー以来の伝統だった。
 オブライアンは相手がハイネであることぐらい声でわかっている。それでも故意に知らない人のフリをして、ぞんざいな口を利いた。

「今焼いているところだ。5分ばかり辛抱しろよ。」

 ハイネが子供みたいにふくれっ面をしたので、隣に立った若者がおかしくて感じたのだろう、クスッと笑った。ハイネは彼を見た。ライサンダー・セイヤーズだった。彼はスカッシュの師匠に宥めるように言った。

「5分くらい待ちましょうよ、師匠。あちらの俺達の席へどうぞ。」

 しかし、100歳を越えるドーマー界の長老は子供みたいにまだ文句を言った。

「焼き上がるなり売り切れたら、どうするんだ?」
「五月蠅い野郎だな。僕が半熟とろとろチーズスフレを焼くのは、ローガン・ハイネ・ドーマーの為なんだ。あの御仁は、僕が焼く半熟とろとろチーズスフレをいつも大絶賛して下さる。幼い子供みたいに可愛い笑顔で褒めて下さるんだよ。だけど、あの方はお忙しいので、僕の半熟とろとろチーズスフレをなかなか食べられない、お気の毒なのだ。あんたが食べたければ、ハイネ局長の後から来な・・・」

 オブライアンがブツブツ言いながら体を廻転させてカウンターの方を向いた。

「あっ! 局長!!!!」

 やっと相手が誰だかわかって狼狽えた、と言う芝居をオブライアンは見事にやってのけた。ハイネはニコリともせずに言った。

「私は、君が焼く半熟とろとろチーズスフレが食べたいのだ。焼ける迄、ここを動かんぞ。」
「あ、あの、焼き上がったら直ぐ僕がお席までお持ちしますから、どうぞ座ってお待ち下さい。」

 オブライアンは厨房班だから、遺伝子管理局の局長は彼の上司ではないのだが、何と言ってもハイネ局長はドームの最長老で、ドーマー達のリーダーだ。全てのドーマー達の尊敬を集めている。その人に失言してしまったオブライアンは冷や汗をどっとかいた。
 ライサンダーは彼にこれ以上恥をかかせては気の毒だと思ったので、こと大好物の半熟とろとろチーズスフレに関しては子供みたいに我が儘になってしまうハイネ局長を促した。

「仕事の話はしませんから、俺達と一緒にお昼をどうぞ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは厨房の竈を見て、それからライサンダーが指したテーブルを見た。午後2時に面会するはずの男が2人、こちらの騒動に気が付いて心配そうに見ていた。大人のドーマー達は毎日飽きもせずに繰り返される遺伝子管理局長と厨房班司厨長の喧嘩を楽しみに眺めているのだ。レインとセイヤーズはライサンダーがその「漫才」をぶち壊さないかと、心配していた。
 オブライアンが目でハイネに伝えてきた。

 この若造は貴方と僕の関係を知らないようですね。

 ハイネも同じことを思ったので、ここはライサンダーの顔を立ててやることにした。彼はオブライアンに言った。

「向こうに居るから、ホールで頼む。」
「かしこまりました。」

 ライサンダーは彼が先に支払いを済ませるのを待って、無料のカフェイン抜きの珈琲をカップに注いで彼に手渡した。