2017年10月31日火曜日

退出者 2 - 7

 セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンは特に入り口らしい入り口はなく、防風林を抜けるとなんとなく街中に入ってしまった。民家が緑の畑の中に点在し、その密度がどんどん濃くなって、やがてすっかり都会らしくなるのに10分とかからなかった。小さな街ですよ、とポール・レイン・ドーマーが呟いた。

「ドームよりは広いかも知れませんが、建造物の秩序がなってないです。」

と言ったのはニュカネンだ。
 レインが、先ずお昼にしましょうと、車を20世紀の映画に出てくる様な古風なドライブイン様式のレストランの駐車場に乗り入れた。
 ケンウッドはドーマー達の行動に合わせて店内に入り、4人掛けのボックス席に着いた。ウェイターが来て注文を取るのはコロニーでも同じだったので、戸惑うことはなかった。メニューを見ても食材がわからず、ドーマー達に選んでもらった。出て来たのは、チリコンカンとフレンチフライと目玉焼き、それにライスが少々盛りつけられたプレートランチだった。
 レストランでは遺伝子管理局の局員は顔馴染みらしく、ウェイターが美しいレインと世間話をしたがった。ドームでは無愛想で有名なレインだが、外では愛想良くした方が仕事がスムーズにはかどると知っているのだろう、ウェイターのおふざけに乗ってやった。ニュカネンの方は冷めた表情で2人を無視して、ケンウッドに紙の束を見せた。

「今日と明日の訪問予定地です。興味のある場所があれば仰って下さい。優先的に廻ります。」

 ケンウッドの本当の目的はニュカネン本人の恋の確認だ。彼は書類をパラパラとめくって中を流し見た。

「やはり大学が一番大きな施設なのだろうね?」
「そうです。」
「大学内で一番最先端の遺伝子工学の研究をしている所へ行ってみたいな。」

 地球人の遺伝子工学を見ておくのも悪くない、と彼は思った。レインがサングラスの下で微笑した。

「勿論、そこへ行きますよ。今日は教授連中が全員そろっていると確認済みで来ましたから。」
「私はただのオブザーバーだからな、紹介は無用だぞ。」
「承知しています。」

 ウェイターは既に別の客のテーブルに去っていたので、ケンウッドは若者達に尋ねてみた。

「訪問先で友達とか出来たかね?」

 レインが即答で「いいえ」と言った。

「そんな暇はありませんよ。こう言う飯を食う場所でスタッフと言葉を交わす程度です。」
「どんな話が多い?」
「街の話題です。ちょっとした事件や事故、イベント、彼等の家族の噂話、そんな程度です。」
「仕事の助けになるかね?」
「事故などはね・・・たまに遺伝子鑑定を依頼されますから。」

 身元不明者などの鑑定をするのも遺伝子管理局の仕事だ。
 ケンウッドはニュカネンを見た。

「君は友達はいないのか?」

 レインがいるわけないと首を振った。ニュカネンはちょっと間を置いた。

「い・・・いえ、友達はいません。」

  微妙な間だった。ケンウッドは暫く彼を眺め、それから食事に取りかかろうとした。するとレインが「ちょっとお待ちを」と言って、端末で料理の上をさっと走査した。

「危険な雑菌はいないようです。どうぞお召し上がり下さい。」

 店の人間が耳にしたら気を悪くするだろうとケンウッドは思った。


2017年10月28日土曜日

退出者 2 - 6

「ハイネが住人がいる場所を東海岸から潰していき、航空班がその該当区域の無人とされている場所を空から見て行くのさ。不審な建物などがあれば、パイロットが現地警察に通報している。勿論、セイヤーズのことは伏せてあるがね。」
「見つけても、あの男は捕まえられません。」

とレインが諦めた様に呟いた。

「俺だって捕まえられないのに・・・」

 するとニュカネンが余計なことを言った。

「君が何か余計なことをセイヤーズに言ったんだろう? あの男が絶望するようなことを・・・」
「何を!」

 レインが振り返って怒鳴った。

「おまえに何がわかるって言うんだ?!」

 自動運転なので運転手が余所見をしても大丈夫だが、助手席のケンウッドは心穏やかではない。

「レイン、運転に専念してくれないか?」
「すみません・・・」

 副長官のちょっと間延びした物言いがレインの気分を鎮める効果を発揮した。レインは前を向き直り、数分間沈黙した後、ケンウッドに提案した。

「副長官、局長に俺がお手伝いしたがっていると伝えて頂けませんか? 内勤の日に照合を手伝えると思います。」

 すると、堅物ニュカネンが異を唱えた。

「遺伝子情報リストを無差別に照会出来るのは幹部だけだぞ、レイン。」

 幹部候補生から降格されたレインがグッと唇を噛み締めた。ケンウッドは助け船を出して遣った。

「ハイネが許可すれば、君にも見られるさ。局長に話しておくよ。ニュカネン・・・」
「はい?」
「あまり固く考えるな。ハイネは年寄りだが君より柔軟だぞ。」

 車が大きくバウンドして、3人は口を閉じた。車は路面の凹凸を読み取ってスムーズに走れるはずだが、深い轍があったのだ。レインがケンウッドに右前方の岩の固まりを指さした。

「あれが遺跡です。昔のショッピングモールらしいです。今でも時々壁の崩落があって土煙が立ち上っています。」

 それは確かに人間が建設した大きな建物だった。ケンウッドは興味をそそられたが、見学する時間はなかった。恐らくこれからも時間はないだろう。
 やがて前方に緑の固まりが見えてきた。レインが教えてくれた。

「あれがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを砂漠から守る防風林です。」



2017年10月27日金曜日

退出者 2 - 5

 ケンウッドの質問にレインは簡潔に答えた。

「原始的な方法です。バスやトラックの運転手にセイヤーズの画像を見せて見覚えがないか訊いて廻るだけですよ。」

 ケンウッドは懸念していたことを尋ねた。

「まさか接触テレパスを使っていないだろうね?」

 レインは応えない。使っているんだな、とケンウッドは胸の内で呟いた。

「その能力は君にとって自然なものだろうと思いはするが、決して消耗する様な真似はしないでくれないか。セイヤーズが見つかっても君が体を壊しては元も子もないからな。」

 ニュカネンは無言だった。セイヤーズは彼にとっては馬が合わない部屋兄弟だ。だが戻って来て欲しくないとは思っていないだろう。ケンウッドは話しの方向を変えた。

「ハイネもセイヤーズを探しているんだよ。」
「局長が?」

と驚いたのはニュカネンだった。

「でも、あの方は外に出られない・・・」
「出られない人間は出られないなりに方法を考えつくものなんだ。」

 ケンウッドはレインがあまりハイネを高く買っていないことを承知していた。外の世界での実務経験がない人間が局長職に就いていることが、この若者には納得出来ていないのだ。それに彼の入局以来3年間ハイネは病気と幽閉で世間から離れていた。レインが一番辛かった時期だ。助けて欲しい時に不在だった上司をレインは尊敬出来ないでいる。

「どんな方法ですか?」

 ニュカネンが尋ねた。ケンウッドは少し考えてまとめた。

「最初は全米のダリルと言う名の男性を全てリストアップした。そして全員の遺伝子管理リストに目を通した。」
「該当者はいなかったんですね?」
「うん。それで次にセイヤーズをリストアップして、同じことをした。これも空振りだったので、次に連邦捜査局を通じて地方の警察に10代後期から20代の男性の住人登録リストを提出させているところだ。町や村の住人の遺伝子管理リストと照合して、住人登録はあるのに遺伝子管理リストがない人間をピックアップしている。」
「それは、違法出生者ですね?」
「そう言うことだな。」
「ああ・・・それで最近違法出生者の摘発率が急上昇したんだ・・・」

 違法出生者とは、違法クローン製造者、所謂メーカーによって製造されたクローン達のことだ。本来なら18歳になれば違法クローンでも遺伝子管理局に成人登録申請を出せば承認されて晴れて地球人として市民権が与えられる。住人登録リストと遺伝子管理リストの両方に名前が記載されるのだ。しかし、面倒だと考えたり、違法な職業に就いていて成人申請を出さない違法出生児もいる。そう言う人々を遺伝子管理局は遺伝子管理法違反で収監するのだ。

「クローンは大勢見つかるのにセイヤーズは見つからないのですね・・・」
「まあ、そう言うことだ。しかし、ハイネがそれに着手してまだ半年だし、全米の3分の1がやっと終わったところだ。住人登録は地上で生きていく上で絶対に必要だ。車の運転免許を取るのに必要だし、病院も大きな買い物も土地の購入も部屋を借りるのも、住人登録とIDがなければ何も出来ない。ハイネはセイヤーズがそのうち何処かで落ち着くだろうと予想しているのだよ。」
「半年で3分の1ですか・・・」

 するとレインが前を向いたままで言った。

「リュック、簡単に言うな。全米の20代男性が何人いると思っているんだ? 半年で3分の1の遺伝子情報を照合してしまうなんて、並の人間じゃ不可能だぞ。それも、日課の業務をこなした後でしょう? 副長官・・・」
「ああ、その通りだ。ハイネは絶対に日課を疎かにしない。セイヤーズ捜索は空き時間だけを使っている。」

 レインが溜息をついた。

「なんとなくセイヤーズが隠れていそうな場所はいくつかあるんです。でも住人がいないことになっているし・・・」
「そんな場所に電力や水の供給はないだろう? 生きていけないぞ。」

とニュカネン。レインがキッとなったのだろう、少し強い調子で言った。

「ダリルは自給自足でも生きていける男だ。君の心配は杞憂だ。」

 また喧嘩になりそうなので、ケンウッドは急いで割り込んだ。

「ライフラインがない土地は、航空班が空から見ているよ。登録されていない家がないか調べているんだ。」



退出者 2 - 4

 自動車は遺伝子管理局の公用車、黒塗りのセダンだった。ロゴなどは入っていないが、地球人はこの車を一目見れば中に乗っている人物がドーム関係者だとわかる。それが世界の常識だった。 ケンウッドはお忍びのつもりだったので、車を見てがっかりした。もう少しスポーティでスマートなスタイルの車に乗りたかった。地球の自動車事情はかなりバラエティに富んで面白いのに、どうして黒塗りのありふれたださい車種なのだ?
 車の前でレインが立ち止まり、チームリーダーを振り返った。

「ジョンソン・ドーマー、俺達はこの車で良かったですか? 副長官も乗られるので目立たない車の方が良くありませんか?」

 ポール・レイン・ドーマーはこう言う気配りが出来る男だ。無愛想だが他人のことはちゃんと見ている。ケンウッドが黒塗りの車を見てげんなりしたのを見逃さなかった。
 ジョンソンは駐車場をさっと見廻して答えた。

「他に車の用意がないから、これで我慢するしかないだろう。レンタカーでは防弾ガラスは期待出来ないからな。」

 局員達は支局の建物と空港の搭乗棟を見た。支局の人間に我が儘を言うのは平気だが、わざわざその場にいない人間を呼びつけることはしなかった。

「マルホランドは安全第一で考えてくれたのだろう。これでかまわないよ。」

とケンウッドが言ったので、局員達は素直に折れてくれた。ジョンソンが部下達に翌日の午後6時に支局に集合と伝え、彼等は散開した。
 レインが素早く黒塗りの車の運転席に乗り込んだ。ニュカネンに運転させたくないのだ。堅物のニュカネンは制限速度遵守で、レインの性格では苛々するのだろう。ケンウッドはニュカネンに声を掛けた。

「私が前に乗っても良いかな?」
「そちらがお好きなのでしたら・・・」

 ニュカネンは喧嘩仲間のレインの後ろで満足するだろう。助手席に乗ったりしたら、ケンウッドはずっと口喧嘩を聞かされるはめになるだけだ。
 3人がシートベルトを締めるとすぐに車のエンジンがかかり、滑るように走り出した。レインが既に行き先を入力しているので、車は迷うことなく交差点を曲がり、幹線道路に入った。

「セント・アイブスまでは1時間の行程です。」

とレインが説明した。

「砂漠に草が生えている平原を走るので、変化のない風景が続きます。途中で大異変前に存在した街の遺跡が見えます。もし興味がおありでしたら、立ち寄ります。」

 すると早速ニュカネンが反対した。

「副長官に昼食を召し上がっていただかなければいけないだろう? 寄り道せずに走れよ。」
「俺は副長官と話してるんだよ。」
「副長官はセント・アイブスにご用があるのだ。遺跡なんて論外だ。」

 ケンウッドはドーマー達の喧嘩が面白かったのだが、仲裁に入らなければならなくなった。自分の名前が出ているのだから、何か意見しなければならない。

「2人共心遣い有り難う。 レイン、私は遺跡に大いに興味がある。しかし、今回は仕事だから私自身の好奇心は抑えておくよ。君が私の趣味を覚えていてくれたので驚いた。次の機会に案内してもらえると嬉しいな。
 ニュカネン、本当は君もお腹が空いているのだろう? 早く目的地に着いてお昼にしような。」

 ほらな、とニュカネンが勝った気分で呟いた。レインは黙り込んだ。ニュカネンに負けたのが悔しいのではなかった。ケンウッドの穏やかな口調が、彼が懐いていたヘンリー・パーシバル博士を思い出させたのだ。ケンウッドとパーシバルは親友同士なので頻繁に連絡を取り合っているが、地球人から宇宙に居るコロニー人に連絡を入れることは出来ない。レインは悩み事を聞いてくれる人がいなくなって寂しいのだ。ケンウッドは副長官なので多忙でなかなかドーマー達の相手をしてやれなかった。上司に相談すればと言いたいところだが、トバイアス・ジョンソン・ドーマーはレインの目から見て頼り甲斐があるとは思えないのだろう。
 ケンウッドは話題を変えることにした。

「レイン、セイヤーズの捜索はどんな方法でやっているのだね?」


 


2017年10月26日木曜日

退出者 2 - 3

 ローズタウンの空港に到着したのはお昼前だった。飛行機は静かに垂直着陸して、それから滑走路を移動し、搭乗棟に横付けした。
 最初に降りるのは人数が少ない遺伝子管理局の北米南部班第3チームだ。ケンウッドも1泊用の手荷物を持って遅れないように局員達に付いて行った。ローズタウンは晴れていた。乾いた空気が、乾燥地帯の入り口にある街であることを教えてくれた。空港の周囲に植えられているバラは、街の名にちなんだもので、バラがあるからローズタウンになったのではない。
 地上では、遺伝子管理局ローズタウン支局の支局長カイル・マルホランド元ドーマーが立っていて、ケンウッドを出迎えた。普通は局員を出迎えたりしないのだが、副長官が来たので空港の隣にある支局の建物からやって来たのだ。
 カイル・マルホランドは現役時代は平の局員で幹部経験がなかった。遺伝子管理局だけでなく、ドーム全体で、特別職に就けるドーマーは幹部経験がない人間を選ぶことになっている。これは、(驚くべくことに)ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局長も例外ではなかった。だからマルホランドは現役時代はチームリーダーより下位に居たのだが、支局長になった現在は班チーフより上位に居る。
 トバイアス・ジョンソン・ドーマーは支局の建物に入って支局長に挨拶する手間が省けたので内心喜んでいた。マルホランドが嫌いと言う訳ではなく、彼は早く任務に取りかかりたいだけだった。支局内のドーマーの為の休憩室でお茶を飲んで時間を無駄にしたくなかった。ドーマーは抗原注射の効力がある48時間内に仕事をしなければならない。時間切れになれば、肺炎やインフルエンザなどの感染症の恐怖が待っているのだ。ドームの外で暮らす普通の地球人にとってそれほど重い病気でない感冒も、清潔な空気の中で育ったドーマーにとって恐怖の対象だった。
 ケンウッドとマルホランドは初対面だった。ケンウッドが地球に赴任してきた年の初めに彼はドームを卒業したのだ。

「ローズタウンへようこそ! ローズタウン支局長カイル・マルホランドです。」

 握手を交わして、ケンウッドは余り大きな声を出さないよう心がけながら名乗った。

「アメリカ・ドーム副長官のニコラス・ケンウッドだ。 今回は個人的な興味でセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンを視察する。支局の業務の邪魔にならないよう心がけるので、どうか気を遣わないで頂きたい。」

 マルホランドは支局巡りをする現役局員達から情報を仕入れているのだろう。ケンウッドの挨拶が真心の篭もったものであると解釈してくれた。

「わかりました。支局の駐車場に車を用意しております。同行の局員共々気をつけて行ってらっしゃい。」

 元局員らしく、現役には無駄にする時間がないと承知している。支局長は駐車場の方角を手で示しただけで、後は副長官と現役局員の自主性に任せた。彼は局員の後ろから赤ん坊を連れて降りてくる女性達とその家族を出迎える仕事もあった。
 ケンウッドがレインとニュカネンのそばに行くと、レインが支局長をやんわりと批判した。

「あの男はいつも手抜かりなく準備して待っていてくれますが、要するに俺達現役に文句を言われたくないだけなんです。」

 ケンウッドは苦笑した。レインは接触テレパス能力を持っているせいで、人の心の裏面を見てしまう。
 ニュカネンは真新しい紙の束をぼんやりと見ていた。

退出者 2 - 2

 ドーム空港から飛行機に搭乗して旅に出るのは2度目だ。1度目は元ドーマー達からサンプル用の細胞をもらうために出かけた。あれから既に5年以上経つか・・・。
 ローズタウンに向かう機内には大勢の女性達が赤ん坊と共に乗っていた。出産を終えて家族が待つ自宅へ帰る人々だ。ドーム周辺で待機していた経済的に余裕のある夫を持つ女性達はそれぞれ自動車や自家用機で一足先に帰ってしまっている。
 機内では赤ん坊は新生児用の部屋に入れられる。保育器が並んでいて、母親達は座席と同じ番号の保育器の中にいる我が子と空の上では離れていなければならない。偶に赤ん坊がむずかると部屋の係が呼びに来てくれる。ローズタウンへは約2時間のフライトだ。赤ん坊が静かに寝ていてくれることを母親達は願う。自宅に帰れば、もう世話をしてくれるドーマーはいないのだから・・・。
 不幸にも出産に至らなかった女性達も搭乗している。彼女達は母親達と離れた座席を指定されるが、仲良くなった人同士で座席を移動することがある。機内スタッフは万が一の事故の場合を考えてあまり良い顔をしないが、母親になれなかった女性達の気持ちを考えて黙認することが多い。
 遺伝子管理局の局員や他のドームのスタッフが移動する場合、彼等には専用の区画が充てられている。男ばかりだから、女性に不安を与えないよう配慮されているのだ。ケンウッドは女性区画の様子を移し出すモニター画面を眺めていた。今まで出産の為に遠路を旅する人々の道中を想像したこともなかったが、実際に観察して改善すべき点などを探した。ふと気が付くと、男性が数名女性の中に混ざっていた。自動車や自家用機で移動する手段を持たない遠方の夫達が妻と共に家路についているのだ。

 幸せな父親だ。もっとも、これからが子育てで大変だろうが・・・

 ドーム人専用区画に乗っているのは、遺伝子管理局北米南部班第3チームと中米班第2チームだった。第3チームはローズタウンからカリブ海沿岸を、中米第2チームはカリブ海を巡る予定だった。ドームの中では騒がしい中米班も機内では静かで、島巡りの準備資料に目を通したり、目を閉じて休んでいた。北米班の方はローズタウンで飛行機から降りるので、専ら休憩だ。ケンウッドの隣に座っているポール・レイン・ドーマーはサングラスをかけたまま寝ていたし、通路をはさんで座っているリュック・ニュカネン・ドーマーは目を開けたままボーッとしていた。弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは別の仲間と端末でゲームをしていた。
 今回の支局巡りは班チーフとは別行動で、最高幹部はチームリーダーのトバイアス・ジョンソン・ドーマーだが、彼は幹部用の仕切られた小部屋に入ってしまい、話しにならない。和気藹々の遠足を想定していた訳ではないが、ケンウッドはこの雰囲気は苦痛に感じられた。ドーマー達はこれが普通なのだろうか? 男ばかりだからこんな重い空気なのだろうか? 女性達が乗っている区画は明るく華やかな様子に見える。乗客の世話をする航空班の客室係ドーマー達も女性の世話をする方が楽しそうだ。

 当たり前か・・・

 飲み物を運んで来た若いドーマーにケンウッドは女性と話しが出来るだろうか、と囁きかけてみた。

「かまわないと思いますよ。」

と客室係は言った。

「僕等も世間話とかさせてもらっていますから。」

 それでケンウッドは寝ているレインを邪魔しない様に立ち上がり、ニュカネンに断って移動した。
 女性達はコロニー人の博士を快く迎えてくれ、ドームでの待遇に感謝してくれた。
お陰でケンウッドはローズタウンまで楽しく旅が出来た。

2017年10月25日水曜日

退出者 2 - 1

 ケンウッドの副長官執務室に遺伝子管理局北米南部班第3チームのチームリーダー、トバイアス・ジョンソン・ドーマーが面会に訪れたのは2日後だった。支局巡りの日程表を提出して、ケンウッドの都合を確認しに来たのだ。

「ニュカネンに同行を希望されていますが、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ニュカネンに最初に声を掛けたから・・・と言うだけでは駄目かな?」

 ケンウッドはジョンソン・ドーマーのよく日焼けした顔を見ながら微笑んだ。ドーマー達は紫外線遮断のクリームを塗って出かけるのが習慣になっているが、ジョンソンは気にしないようだ。面倒臭いのかも知れない。

「ニュカネンが堅物で通っていることは承知しているよ、ジョンソン・ドーマー。そして私も堅物なんだ。堅物同士、互いの邪魔にならない様に大人しくついて行くつもりだ。職務に専念してもらって結構。観光案内など無用だ。」
「上司の僕が言うのも何ですが、ニュカネンは話し相手になりませんよ。退屈なさると思いますが・・・」
「私もお喋りは苦手だ。黙っていてくれた方が気が楽だから。」

 日程表にはニュカネン以外の局員の名も書かれていた。ドーマー達はドーム空港から飛行機でローズタウンに行く。そこから散開して周辺都市へ2人1組で出かけるのだ。遺伝子関係の研究施設の抜き打ち検査に入ったり、支局に出された申請書に不備があったり不審な点があれば提出者を直接訪問して面談したり、ダリル・セイヤーズ・ドーマーを探したり・・・。
 ケンウッドはニュカネンと今回組むことになっているドーマーの名前を見て不安に襲われた。思わずジョンソン・ドーマーの顔を見た。

「この組み合わせは君が考えたのか?」
「そうですが?」
「私が聞いた情報では、ニュカネンとレインは犬猿の仲だそうだが・・・?」
「確かにそうですが、勤務中は彼等はきちんとやりますから・・・それに2人を外してばかりいては、他の局員に示しが付きませんし。」
「・・・それもそうだな。」

 ケンウッドはジョンソン・ドーマーが笑いを堪えているのをうっすらと感じた。恐らくこのチームリーダーはケンウッドを間に入れてニュカネンとレインの仲違いを緩和させようと言うつもりだろう。

「局長にはこの組み合わせを報告しているかい?」
「いいえ。」

 ジョンソンは何を訊くのか、と言う顔をした。

「局員のシフトなど一々局長に報告しません。局員自身が後で報告書を書いて提出しますし、班チーフが把握していればそれで充分です。」

 ケンウッドは遺伝子管理局の業務体制を何も知らないことを知った。これはレインかニュカネンから道中教わっておこう、と思った。

2017年10月23日月曜日

退出者 1 - 5

 ケンウッドがセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに見学に行くと聞いて、リプリー長官は、「遺伝子工学の街だったね」と言った。

「確かクローンで人体の一部を製造して医療に使う治療法が盛んな所だったと思うが?」
「そうです。主に四肢が多いですが、美容整形用の人体パーツを作る業者や、内臓などの高度な物を製造する研究所もあります。」
「それで遺伝子管理局は神経を尖らせて監視しているのだな。」
「ええ。」
「私はかねがね不思議に思うのだが、そんな高度な技術を持つ地球人が、メーカーと言う違法業者になると粗悪なクローンしか作れないのは何故だろう?」
「それは財政的な問題ではないでしょうか?」
「設備投資が乏しいのか?」
「恐らく。」
「粗悪なクローンは短命だ。人工の生命だと言っても、生まれた以上は人間だ。財政的な問題で短い命しかもらえないなんて、あまりにも可哀想だ。」

 リプリーはメーカーを憎んでいる。それはケンウッドも、ドームの執政官もドーマー達も同じだ。だから遺伝子管理局に保護されて観察棟に収容されたクローンの子供達に、彼等は優しい。可能な限り子供達が長く生きられる様に力を注ぐのだ。

「護衛を連れて行くのだろうね?」
「護衛は要りません。遺伝子管理局の若い連中に付いていきます。」

 それなら安心だとリプリーは呟いた。遺伝子管理局の職員は外勤も内勤も武道の鍛錬を欠かさない。戦闘能力では保安課と肩を並べるのだ。
 少し黙って考え事をしてから、リプリーが振り返って言った。

「脱走した若いドーマーはあの街に居ると思うかね?」
「セント・アイブスにですか?」

 ケンウッドはちょっと驚いた。リプリーがダリル・セイヤーズ・ドーマーを気に掛けていたのが意外だった。セイヤーズの脱走を利用して前任者のサンテシマ・ルイス・リンを追放したのだが、それ以降リプリーはドーマーのことはケンウッドに任せっきりだった。リン派の粛正に忙しかったせいもあったが、ドーマーの恋愛問題には無関心だと思えたのだ。

「セント・アイブスに脱走者は隠れないでしょう。遺伝子管理局が絶えず巡回しますからね。」
「そうか・・・」

 リプリーは溜息をついた。

「あのドーマーは直ぐに捕まると思っていたのだがなぁ・・・」
「ハイネ局長は反対に捕まえるのは困難だと思っている様です。セイヤーズは脳天気ですが、利口なのです。」
「セイヤーズの問題はリンの置き土産だな。」

 彼はケンウッドに向き直った。

「何はともあれ気をつけて行って来てくれ。見学だけだぞ、余計なことはするな。遺伝子管理局の注意は守って・・・」
「承知しております。長官は心配性ですね。」

 すると、リプリーはちょっとむくれて見せた。

「私もあの街に1度は行ってみたいのだよ。」

2017年10月20日金曜日

退出者 1 - 4

 ケンウッドはスカッシュコートを出て更衣室に向かった。ハイネが付いて来る。そろそろ夕食を取る時間なのだろう。ハイネがニュカネンの噂を知っているのかどうか、確かめてみたかったが、もし知らなければやぶ蛇になる。だからケンウッドは代わりに言った。

「セント・アイブス・カレッジ・タウンに行こうと思うんだ。」
「セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンですか?」

 ハイネがやんわりと街の正式名称を教えてくれた。ケンウッドは苦笑した。若いドーマー達が略して「セント・アイブス」や「セント・アイブス・カレッジ・タウン」と呼ぶので、それが本当の名前だと思い込んでしまっていた。

「うん、遺伝子工学の研究が盛んな学術研究都市だ。どんな所か1度見ておきたくてね。」

 ドームの外に出たことがないハイネはそれにはコメントしない。ケンウッドはニュカネンに声を掛けた理由を作った。

「ニュカネンのチームの担当地区だと聞いていたので、彼に同行させてもらえないか、訊いてみたんだ。彼はチームリーダーに問い合わせてみると答えた。」

 彼はハイネの反応を伺う様に尋ねた。

「かまわないよな?」

 ハイネが横目で彼を見た。

「私の許可が必要な次元の話ではありませんね。」
「そうかね?」
「貴方のお仕事ですから、貴方が決定なさればよろしい。遺伝子管理局がどうこう言う必要はありません。執政官の要請に局員が断る理由はありません。ただの見学でしょう?」
「うん・・・」
「地球人の生活に干渉なさるのでなければ、誰も文句言いませんよ。ですが、気をつけて下さい。コロニー人に良い印象を持っていない地球人もいますから。」
「わかった。」

 更衣室には既にニュカネンの姿はなく、ケンウッドとハイネはシャワーを浴びて着替えた。ハイネがケンウッドの筋肉を褒めたので、ケンウッドはちょっと照れた。重力に耐える体を創っているだけなので、スポーツ体型ではないと言い訳した。ドーム生活が長いコロニー人は皆一様に筋肉を鍛えている。女性でも筋トレは欠かさない。
 2人は一般食堂へ行き、そこでヤマザキ医師と合流して夕食を共にした。ヤマザキと同席する時は、ハイネはなるべくチーズを我慢している。うっかり大量に摂ると叱られるからだ。だからと言ってヤマザキを避けたりはしない。友人は大好物より優先するのだ。

「あと一ヶ月だね、ハイネ。」

とヤマザキが思い出したように言った。ケンウッドはすぐ何のことかわかったが、ハイネはぽかんとして医師を見た。

「何がです?」
「これだもの・・・」

 ヤマザキは肩をすくめてケンウッドと顔を見交わした。

「キーラ・セドウィック博士が退官する日だよ。」

 出産管理区の責任者、キーラ・セドウィック博士は30年余りのドーム勤務に終止符を打ち、月へ行くのだ。そこで地球人類復活委員会執行部勤務の神経科医師ヘンリー・パーシバルと結婚する予定だった。双方共に50歳を越えたが、初婚だ。
 ああ、と気のない返答をしたハイネにヤマザキは溜息をついた。ハイネはキーラの実の父親だ。しかし、ドーマーとして育ったので、家族と言うものを知らない。キーラが娘だと言うことは頭で理解しているが、感情的には友人の1人と言う認識しかない。
 キーラは1年前、重力障害で退官を余儀なくされたパーシバルから求婚された。彼女も彼に興味を抱いていたので、承諾したかったのだが、仕事があった。彼女は既に1年分のクローンの赤ん坊の取り替え子のスケジュールを立ててしまっており、責任者としてリストの最後の子供を無事に世間に送り出す迄は、現場を離れたくなかった。パーシバルも彼女の性格を承知しており、2人は婚約して月と地球の長距離恋愛を1年間続けてきた。
 キーラがローガン・ハイネ・ドーマーの娘であることを知っているのは、ケンウッド、ヤマザキ、パーシバル、そして引退したドーマーの終の棲家である「黄昏の家」に住む先代の遺伝子管理局長ランディー・マーカス・ドーマーだけだ。他の人々は、ハイネによく似たこの女性を、ハイネの母親のオリジナルであるコロニー人の血縁者だと思っている。もし真実が世間に暴露されれば、大スキャンダルだ。ドーマーがコロニー人に子供を産ませた、と言う事実よりも、キーラの母親が地球人を誘惑したと考えられてしまう。事実そうなのだが、地球人保護法に違反した研究者として、マーサ・セドウィックの評判は落ちてしまうし、キーラも社会的に無事では済まなくなる。ローガン・ハイネは宇宙でも有名なのだから。
 キーラ・セドウィックは、白い髪のドーマーとはあかの他人として、宇宙へ戻って行く予定だ。ドームを退官すれば、まず戻って来ることはない。パーシバルの様に巡回診察の仕事がある人間は希なのだ。
 2度と娘に会えなくなる、と言う認識がハイネには欠如している様だ。
 
「寂しくなるだろうね。」

とケンウッドが振ってみたが、ハイネは「次の出産管理区長が来ますよ」としか言わなかった。


2017年10月18日水曜日

退出者 1 - 3

 ケンウッドは夕方、運動施設へ行った。リュック・ニュカネン・ドーマーがスカッシュをすると聞いたからだ。取り敢えず運動着に着替えてスカッシュ競技場へ行くと、先客が数人いた。見ると、ローガン・ハイネ遺伝子管理局長と数名の年齢がばらばらのドーマー達で、ハイネが若い連中にスカッシュを教えているところだった。運動施設に居る時のハイネは大概独りで何かをしていることが多い。今日の様に数人に取り囲まれて何かを教授している姿を見るのは珍しかった。

 そう言えば、スカッシュの教官って見たことがなかったなぁ・・・

 ケンウッドは気が付いた。スカッシュの教官はハイネなのではないか? ドーマー達は真剣に彼の説明を聞いていた。ハイネがラケットの持ち方や構え方を話している。ケンウッドは微笑ましく思いながら競技場を見廻し、休憩スペースで座っている若者を見つけた。ハイネと取り巻きを見ているが、仲間に入っていかないのだろうか? 入りたくないのか、入る必要がないのか?
 ケンウッドは若者に近づいて行った。

「やぁ、ニュカネン・ドーマー、君はスカッシュをするのか?」

 声を掛けると、ニュカネンはビクッとして振り返った。そして執政官だと気づくと急いで姿勢を正した。ケンウッドは苦笑した。

「ここではドーマーも執政官もないだろう? 楽にしたまえ。」

 ニュカネンはバツが悪そうに立ち上がって、こんばんは、と挨拶した。

「副長官もスカッシュをされるのですか?」
「否、私はやらない。君が1人で居るのが目に入って、来てみたんだ。他の人はみんなでハイネ局長に教えてもらっている様だが、君はいいのかい?」
「僕は、ルールを知っていますし、訓練所の頃からスカッシュの経験がありますから。」
「では、あそこで教えてもらっているのは、初心者なのか。」
「そうです。」
「ハイネが教官をしていたとは、知らなかった。」
「局長は教官ではありません。」

とニュカネンが真面目に答えた。

「偶々練習をしていた初心者に局長がアドバイスをなさったら、他の人達が集まって来て、局長に教授を請うたのです。」
「そうか・・・局長も苦労だな。」

と言いはしたものの、ケンウッドの目に映るハイネは楽しそうだった。若い連中の相手をすることが面白いのだろう。
 しかし、目の前の若いニュカネンは面白くなさそうだった。

「君は競技場が空くのを待っているのかね?」
「そのつもりでしたが・・・」

 ニュカネンは立ち上がった。

「そろそろ夕食の時間ですので、これで失礼します。」

 ハイネの取り巻きに混ざって一緒に楽しむ気はさらさらなさそうだ。ケンウッドは折角の会話のチャンスを逃したくなかったので、咄嗟に思いついたアイデアを出してみた。

「セント・アイブス・カレッジ・タウンを1度見学してみたいのだが、君のチームの担当地区だったよな?」
「そうですが?」
「君の次の支局巡りの時に同行しても良いかな?」

 ニュカネンの顔に困惑が浮かんだ。副長官の要請を拒むのは失礼だと思われたし、彼の地位で断る権限はあるだろうか、と考えたのだろう。さらに彼の一存で承諾することが出来るのだろうか。

「チームリーダーに訊いてみます。」

 優等生らしい返答だった。自力でなんとか都合をつけようと言う気はないのだ。
ケンウッドは、急がなくて良いからね、と言って若いドーマーを解放してやった。恐らくニュカネンの性格なら急ぐ必要がなくても急いで答えを出そうとするだろう。
 競技場から出て行くニュカネンを見送って、それからコートに視線を戻すと、いつの間にかハイネ局長がそばへ来ていた。初心者達に実技練習をさせて、自身は副長官の相手をするつもりだ。

「こんばんは、副長官。何かご用でしょうか?」

 ケンウッドは苦笑した。局長は自意識過剰じゃないか?

「君に用があって来た訳じゃないさ。」

 ほうっとハイネは呟き、先刻部下が出て行ったドアを見た。

「するとニュカネンに用でしたか。」
「誰かに用がなければ、ここに来てはいけないのか?」

 ケンウッドはわざと意地悪な言い方をしたが、局長は気を悪くした様子はなかった。
ハイネは副長官を眺めて言った。

「ニュカネンはスカッシュをやらないのです。貴方もなさらないでしょう? それなのに、ここに居る・・・ご用があったのではないですか?」
「ニュカネンはスカッシュをやらない? 彼は以前からしていると言ったぞ。」
「以前はね・・・彼は入局以来していません。このコートに入ったことがないのです。」
「そうか・・・では彼は君に何か話したかったのかも知れないな。」




2017年10月15日日曜日

退出者 1 - 2

 ポール・レイン・ドーマーとリュック・ニュカネン・ドーマーは同じ部屋で育った同年齢の子供達で、レインがニュカネンより半年早く生まれていた。同じ部屋には他にも8名の子供が居て、レイン、ニュカネン、そしてレインに遅れること1日の差で生まれたダリル・セイヤーズ・ドーマーの3名が最年長、1歳年下のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーの4名が遺伝子管理局に入局した。彼等は「部屋兄弟」と呼ばれる間柄なので、仲良しであるべきなのだが、本当の兄弟でも仲が悪い人々が居る様に、ドーマー達にも馬が合う合わないがあって、真面目なニュカネンは脳天気なセイヤーズといつも仲違いした。そしてセイヤーズにぞっこんのレインは、当然ながらニュカネンを敵視したので、誰にでも懐くワグナーはそんな兄貴達の関係に頭を悩ませていた。
 ワグナーは接触テレパスのレインにニュカネンの様子がおかしいと相談したかったのだが、レインはニュカネンの顔を見るだけでもイライラするので、言い出せなかった。それにレインは他人の恋愛より自身の恋人の捜索で頭がいっぱいなのだ。セイヤーズが脱走して2年以上経つが、まだ彼の行方はつかめないでいた。
 ケンウッドは堅物ニュカネンが恋愛をしていると聞いて、信じられない思いだったが、真面目な青年だからこそ真剣に恋をしているのかも知れないと思い直した。

「君は相手の女性を知っているのか?」
「はい・・・恐らく、セント・アイブス・カレッジ・タウンの市役所で働いている女性です。」

 セント・アイブス・カレッジ・タウンは中南部にある学術研究都市だ。主に遺伝子工学を中心とする大学で、野生生物のクローン製造と繁殖に実績がある。遺伝子管理局はセント・アイブス・カレッジ・タウンから北へ車で1時間ほどの所にあるローズタウンに支局を置いている。そこからセント・アイブスの大学や遺伝子関連の民間研究施設などの監視を行っているのだ。支局巡りをする局員も時々大学街を視察する。遺伝子管理法に違反する研究が行われていないか、抜き打ちで検査するのだ。そして検査結果を市役所に通知する。違反項目があれば、市役所は警察に通知して捜査が入る。
 ニュカネンの恋は、その業務の中で始まったに違いない。

 ドーマー達は日常生活でコロニー人の女性としか接触しないので、地球人の女性が新鮮に見えるのだろう。

 堅物故に、なおさら・・・とケンウッドは若者の恋を想像した。彼はワグナーにさらに尋ねた。

「チームリーダーは知っているのかね?」
「いいえ。」
「すると局長も知らないのだな?」
「はい・・・局長にこんなレベルの低い相談は出来ませんから・・・」
「そうかな・・・」

 ケンウッドはクスッと笑った。ワグナーはハイネ局長にも恋愛で悩んだ若き日があったことを想像すらしていないのだ。

「ニュカネンがどこまで真剣なのか、知っておかねばならないだろうな。」
「僕が心配なのは、そこです。リュック兄が遊びで女性と付き合うとは到底思えません。」

 確かに、これは大問題だ。

退出者 1 - 1

 アメリカ・ドーム副長官ニコラス・ケンウッドは遅い昼食を一般食堂で摂っていた。彼は昼の混雑時を避けていつも遅めに行くのだが、その日はなんとなく食堂内がざわついていた。見ると、ドームのアイドル、遺伝子管理局のポール・レイン・ドーマーが同僚と食事をしており、その周囲にコロニー人達による彼のファンクラブが陣取っているのだった。レインはあまり嬉しくないだろうが、ファンクラブは彼が目の前に居るだけで幸せなのだ。美しい地球人達・・・ドーム内で醜男を見つけたら、それはコロニー人だ、と言う冗談が通るほど、ドーマー達は容姿が整っている。勿論、そう言う遺伝子を持つ親から生まれてくる子供を選んでドーマーにしているのだから当然だが、たまには外れも居たりする。だがケンウッドは容姿よりも人間性を見て、綺麗だと思う。ドーマー達は世俗の欲得から遠ざけられて育つので、心根が良い。だが、レインは・・・
 ポール・レイン・ドーマーには厄介な能力がある。母親から遺伝した接触テレパスだ。肌同士を触れあうだけで相手の思考を読み取ってしまう。だからレインは他のドーマーと違って人間の心の奥底まで見てしまう。あの若者が年齢の割に妙に老成して見えるのはそのせいだ。ハッとするほど美しいが、その薄い水色の目はとても冷たい。正直なところ、ケンウッドは彼があまり好きではない。レインのせいではないが、レインが持つ計算高さがケンウッドに警戒心を抱かせるのだ。
 ケンウッドがテーブルを確保して食事を始めて間もなく1人の若者が近づいて来た。レインのテーブルに居た男で、遺伝子管理局の若手局員クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーだった。大柄な男で、頑健な体をしているが、性格は優しくて素直なので執政官の間では好評だ。先輩局員達からも可愛がられている。特にレインは同じ部屋の「兄弟」と言うこともあるだろうが、いつも一緒に居た。そのワグナーが1人トレイを持ってケンウッドのテーブルにやって来た。

「こんにちは、副長官。ご一緒してよろしいでしょうか?」

 少しはにかみながらも真っ直ぐに顔を向けて聞いて来た。ケンウッドは笑顔で答えた。

「かまわないよ。何か相談事かな?」

 1年前は、このドームにケンウッドの親友ヘンリー・パーシバルと言う遺伝子学者が居た。彼は美男子好きで有名で、レインを始めとする何人かのドーマー達のファンクラブを作って若者達の仕事を応援したり、人生相談に乗ってやっていた。パーシバルが残念なことに重力障害と言う、地球の重力に負けて心筋を弱らせてしまう病気に罹ってしまって宇宙に帰ってしまったので、それまで彼の保護を受けていたドーマー達はケンウッドを頼る様になったのだ。ケンウッドは人生相談が出来るほど人生経験が豊かだと自身では思っていなかったので、仕事の便宜を図ることで彼等を応援してやった。それで、ドーマー達の間では、ケンウッド副長官は頼りがいがあるコロニー人だと言う評判になっていた。
 ケンウッドはワグナーの相談事は恋愛問題ではないかと思った。ワグナーには希少な女性ドーマーの恋人が居るのだ。キャリー・ジンバリスト・ドーマーと言う、彼と同年齢の精神科のインターンをしている女性だ。彼女は正式な医師免許を取る勉強に励んでいて、最近はデートの時間が取れない、と指導医師が言っていった。
 しかし、彼の正面に座ったワグナーは意外な名前を出した。

「僕のことじゃないんですけど・・・リュック兄なんです。」

 一瞬誰のことを言っているのか、ケンウッドはわからなかった。ドーマー達は多いし、遺伝子管理局の局員全員を知っている訳でもない。名前は記憶にあっても顔とつながらないこともある。ケンウッドがきょとんとした表情をしてしまったので、ワグナーは聡い若者らしく、言い直した。

「局員のリュック・ニュカネン・ドーマーです。」

 姓を聞いて、やっと名前と顔が一致して思い出せた。訓練所で教鞭を執っていた頃、ひどく堅物の若者が居た。規則は必ず守り、教官の言葉には絶対に従う、授業中の私語は慎み、仲間を叱ることもあった。同じ部屋兄弟のダリル・セイヤーズ・ドーマーの脳天気さが気に食わずに喧嘩もした。教官達の間で「堅物ニュカネン」で知られていた。遺伝子管理局に入ってからは、真面目に任務をこなしているが、ハイネ局長によると「全く面白くない報告書を書くヤツ」らしいのだ。
 堅物だが問題児ではない・・・。

「ニュカネンがどうしたのだね?」
「最近様子が変なんです。」

 ワグナーはテーブルの上に上体をかがめる様にケンウッドに顔を寄せて囁いた。

「ドームの外に気に入った女性ができたみたいで・・・」
「!」

 ケンウッドはぎくりとした。ドーマー達がドームの外の人間と恋に落ちることは過去に何度か事例があった。ドーマー達にはドーム内で行われている業務について黙秘する義務がある。恋愛はその守秘義務を崩す可能性を秘めた事案だった。

「堅物ニュカネンが恋をしているのか?」

 ケンウッドが小声で確認すると、ワグナーもさらに声を顰めた。

「まだ確認は取っていませんが・・・」

 ケンウッドはポール・レイン・ドーマーをちらりと見た。

「レインは知っているのか?」
「まだです。」

 ワグナーは困惑の表情になった。

「ポール兄とリュック兄は犬猿の仲ですから・・・」


2017年10月9日月曜日

Break 13

登場人物紹介

グレゴリー・ペルラ・ドーマー

遺伝子管理局長第1秘書。
局員時代、「死体クローン事件」捜査中にサタジット・ラムジーの罠にはまって重傷を負い、内勤業務に転属を余儀なくされた経歴を持つ。
その時に事情聴取したローガン・ハイネ・ドーマーに気に入られ、ハイネの局長就任と共に第1秘書に迎えられた。
誠実な人柄で、ハイネに献身的に尽くすが、恋人が病気で余命が長くないと知ると引退して介護することを選択する。
第1秘書は遺伝子管理局の秘書達の中で唯一部下に命令を下せる役職。
ハイネはカディナ病を発症し、意識を失う直前にペルラに業務引継を行った。この時ペルラに全権を委任したのだが、ペルラは決してそれを口外せず、局長裁断が必要な重要事案は全て第2秘書との相談で処理した。


ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマー

遺伝子管理局内部捜査班チーフ 兼 リプリー長官の第1秘書
所謂、執政官に付いているドーマー側のスパイである。
リプリーが副長官時代は暇だったのでハイネの幽閉部屋に来たりしていたが、主が長官になると多忙になった。リプリーが本部に出した内部告発の資料はロッシーニが部下に集めさせたもの。さらに言えば、ロッシーニに指図を出したのはペルラ・ドーマーである。
ペルラとロッシーニはハイネが昏睡状態から覚めた時にこの処置を報告し、続行を命じられた。(これは物語の中では言及されていない。)


エイブラハム・ワッツ・ドーマー

ドーム維持班総代表。
本業はドームの施設メンテナンスの職人、つまり「大工の頭領」である。
年齢はハイネより10歳下だが、間の年齢のドーマーがいないので、「すぐ下」となる。
従って、ハイネとは仲が良い。
頭領らしく落ち着きがあって、容姿もハイネより年上に見える。
ワッツがドラマーを担当するバンド「ザ・クレスツ」はロックバンドだが、パーシバルの送別会ではジャズを演奏した。


ジョージ・マイルズ・ドーマー

一般食堂の司厨長。
彼の本名が呼ばれたのは物語の中で1回だけである。普段はみんなから「司厨長」と呼ばれている。
料理の腕前には自信があるが、ローガン・ハイネ・ドーマーとチーズを巡って喧嘩をするのが生き甲斐になっている。
ハイネが幽閉を解かれ、3年振りに彼が作ったラザニアを根こそぎ取ろうとしたので怒鳴りつけたが、後で相手がハイネだとわかって感激の余り泣いた。


ダニエル・オライオン 元ドーマー

ローガン・ハイネ・ドーマーが3歳の誕生日に何が欲しいかと執政官に訊かれ、無邪気に「弟が欲しい」と答えたためにドーマーとして採用された赤ん坊。
ハイネはこの弟の人生に責任を感じ、心から慈しんで可愛がった。しかし、成人して局員として外の世界に出たオライオンは、広大な外の世界に夢中になり、その魅力をハイネに語ってしまった。それはハイネを篭の鳥として大切に育ててきた執政官達には許せぬ行為であったため、オライオンは外に出されてしまった。そのことがハイネの以後の人生に暗い陰を落とすことになってしまった。
2人が再会出来たのは、オライオンを追放した執政官の最後の1人が宇宙へ還った後であり、ハイネもオライオンも60歳を過ぎていた。
外に出た後のオライオンは警察の鑑識課で働き、やがて出世して連邦捜査局科学捜査班の主任となり、ドームへの業務上の出入りが許されたのだ。
79歳で老衰で亡くなった。ケンウッドが生前のオライオンと面会して話しをしている。


ランディ・マーカス・ドーマー

第15代遺伝子管理局長。
特殊遺伝子は持っていない。ハイネより10歳年上だが、生存している高齢者ドーマーでは一番若い。
普段は「黄昏の家」で隠居生活を楽しんでいるが、時々ドームに出て来て16代目を精神面でサポートする。ケンウッドにハイネの過去を語って、「執政官がドーマーにしてはいけないこと」をそれとなく伝える。
ハイネはマーカスに頭が上がらないが、それは14代目が後継者を決める時に「まだ早い」と駄々をこねてマーカスに局長の座を任せてしまったからである。


ジェレミー・セルシウス・ドーマー

遺伝子管理局長第2秘書。
ペルラ・ドーマーの補佐であり、また彼独自の業務である中央研究所の情報収集もこなす。
目立たないが、頭は切れる。
ペルラの引退により、第1秘書に昇格する。



Break 12

登場人物紹介

多少異なる点もあるが、本編で紹介した人は省く。

ヘンリー・パーシバル

本編には登場しないが、ニコラス・ケンウッドの親友のコロニー人科学者。
神経細胞の異常と遺伝子との関連を研究する執政官。
美男子好きだが、ゲイではない。(しかし、多くの人から誤解されている。)
一番のお気に入りはポール・レイン・ドーマーで、レインがリン長官の愛人にされたことに悲しみ、ダリル・セイヤーズ・ドーマーを気遣う。ダリルが脱走すると心を痛める。
ローガン・ハイネ・ドーマーのことは当初は苦手としていたが、同じ感染事故に遭ったことで親近感を抱くようになり、やがて親友となる。
ヤマザキ医師曰く、「チーズでハイネを手懐けている」。


ヤマザキ・ケンタロウ

医療区の医師。専門は内科だが、必要とあれば外科もこなす。
カディナ病を発症したハイネの主治医となり、その治療に全力を尽くす。
ハイネが回復した後も何かと気遣って世話を焼く。
ハイネと一緒にジョギングをして置いてきぼりをくい、パーシバルに馬鹿にされたこともある。
医師らしく誰にでも親切で親身に診るが、リン長官とそのシンパは警戒する。
酒には強くないがハイネのアパートでの酒宴には必ず参加する。
言うまでも無く、本編の医療区長となる人物。


ユリアン・リプリー

アメリカ・ドーム第24代長官。
「侵略者」のかなり後の部分から登場するが、リン長官時代の副長官。
事なかれ主義で全く目立たず、リンの横暴にも目を瞑っているかに見えたが、実は頻繁に月の地球人類復活委員会本部にリン長官の横暴ぶりを文書で訴え続けていた。
執行部から長官に任命されると、リンのシンパや贔屓にされていたドーマー達の粛正に取りかかる。悪役に徹してもドームの中の風通しを良くしようと言う1本筋の通った男。
5年後に執行部との約束を守って離任する。


サミュエル(サム)・コートニー

医療区長。ヤマザキの上司。
23代目の長官の時代に就任した。リン長官には逆らわないが、ハイネやドーマー達を守ることに努力する。


ダニエル・クーリッジ

保安課長。
コートニー同様、リン長官には反抗しないが、ケンウッドやハイネの側に立っている。
遺伝子管理局長が幽閉されてもドーム内の全てのロック解除権を持っていることを敢えてリン長官に教えなかった。


キーラ・セドウィック

出産管理区長。ニックネームは「女帝」、産科医師。
実年齢よりずっと若く見える赤毛の美女で、かなり気が強い。
容貌がハイネに似ているので、遺伝子的血縁者ではないかとケンウッドは疑った。
実際は執政官マーサ・セドウィックが若き日のローガン・ハイネとの間に産んだ娘。
ドーマーの父親が親子関係を頭で理解しても感情的に受け容れてくれないので、友人として接している。ケンウッドにはヘンリー・パーシバルがハイネに興味を持っていると懸念して見せたが、実際は彼女自身がパーシバルに関心があった。


ヴァシリー・ノバック

リン長官の個人秘書だが、長官の独断で遺伝子管理局長代行を勤めた。


ブルース・デニングズ

ベータ星基地で働いていた遺伝子学者。γカディナ黴に感染したことを知らずに地球に研究協力依頼に来て発症し、ハイネに病気を移して死亡。


ハレンバーグ

地球人類復活委員会委員長。
若い頃、アメリカ・ドームで執政官として勤務。
ローガン・ハイネ・ドーマーを育てたコロニー人の1人。ハイネが弟恋しさの余り脱走を試みた時に捕らえて連れ戻した。故にハイネは彼に対してわだかまりを持っているが、当人は過去のことと自己清算して気にしていない。


シュウ

地球人類復活委員会副委員長。
脱走を阻止されて鬱になっていたハイネを慰める為に自ら志願して彼を誘惑した女性執政官達の1人。
同僚のマーサ・セドウィックがハイネに気に入られて深い仲になったのを妬み、彼女を月の本部に密告した。故に娘のキーラは彼女にわだかまりを持っている。
ハイネはシュウを愛していないが、彼女の方が彼に未練があることを承知しており、利用出来る時は利用している。




Break 11

 「ドーマーズ」のスピンオフ作品を2連続で書いた。
どちらも主人公はローガン・ハイネ・ドーマーであるが、ニコラス・ケンウッド執政官の視点で書いてある。本編より22年ほど遡った時代から始まり、それから5年ばかりの歳月を書いてあるが、作者が時間計算をきちんとしない人間なので、かなりいい加減なことになっている。
 つまり・・・

1年目 
ハイネ、ケンウッド、パーシバルが親しくなる。
ケンウッドがポール・レイン・ドーマーの父親と出会う。
ドームの送迎フロアでγカディナ黴感染事故が発生し、ハイネが感染・発症してしまう。
ダリル、ポール、ニュカネンが遺伝子管理局に入局する。

2年目

ハイネは意識不明のまま。リン長官の横暴が目に余るようになり、ドーマー達を守る意味でパーシバルがポール達若いドーマーのファンクラブを立ち上げる。

3年目

ハイネは意識不明のまま。ケンウッドは彼が目覚めたくないのではないかと言うヤマザキ医師の言葉を聞いて、ハイネが事故に遭う直前に会っていた人物を捜し当てる。
ハイネの部屋兄弟ダニエル・オライオンの名前を聞かせるとハイネが反応したので、ケンウッドは第1秘書のペルラ・ドーマーに協力を要請し、ハイネの覚醒に成功する。

4年目

ハイネはリン長官の策略で観察棟に幽閉されている。病気の後遺症が完治する迄彼を長官から守る目的もあるので、当人は元気。ケンウッドとパーシバルは幽閉室に通って友情を温める。
ダリル・セイヤーズ・ドーマーの脱走を機にハイネは月の執行部の介入を利用して解放される。この時、しっかりケンウッドを執行部に売り込む策略を忘れないハイネ。
リンが更迭され、リプリーが新長官に、ケンウッドは副長官に任命される。

5年目

ケンウッドの親友パーシバルが重力障害で倒れる。命に別状はないが健康状態を考慮して退官を余儀なくされる。
ペルラ・ドーマーやワッツ・ドーマー、司厨長などハイネに最も近い場所にいたドーマー達も年齢的な問題に直面し、引退を考え始める。
彼等は皆一様に残されるハイネを気遣い、ケンウッドも親友との今後の繋がりに心を砕く。


こんな時系列になるかな?
物語はハイネが若さを保つ遺伝子を持って生まれてしまった為に起きる人々の思惑や悩みが中心。


2017年10月7日土曜日

後継者 6 - 9

 翌朝・・・と言っても眠りについてほんの3,4時間後だったが、男達は起きて、よれよれのまま食堂へ朝ご飯に出かけた。
 まだ空は真っ暗で、食堂内は閑散としていた。厨房だけは賑やかだった。24時間稼働の世界だから、何時誰が食べに来るかわからない。温かい朝食が準備されていた。
 パーシバルが配膳コーナーの棚の隙間から中を覗き込んで声を掛けた。

「おはよう! 夕べは有り難う、最後の晩餐は素晴らしかったよ!」

 老いた司厨長が姿を現した。まだ司厨長の帽子を被っている。彼はパーシバルとちょっと言葉を交わしてから、新司厨長の選挙結果を報告した。

「困ったことに、3人ともほぼ同数の得票数でしてね、仕方が無いので、3人制にしました。」
「3人制?」

とハイネ局長が割り込んだ。彼だけはきちんとスーツ姿だ。今朝は執政官会議に出なければならないので、局長業務を先に済ませてしまう魂胆だった。

「君は3人がかりで私の相手をさせるつもりなのか?」
「ほう、若い連中にも喧嘩を売ろうって考えてるんですか?」

 恒例の喧嘩が始まりそうなので、ケンウッドが素早く中に入った。

「シェフが3人と言うことは、交替制にしたんだね?」

 司厨長は救われた思いで彼に頷いて見せた。

「ええ、一月ごとに3ヶ月のサイクルで司厨長が替わります。」
「それはまた楽しみだ。」
「僕はその恩恵にあずかれないなぁ。」

 パーシバルが残念がると、司厨長は彼に微笑みかけた。

「でも回診に来られるのでしょう?」
「その予定だけど、まだ具体的な計画が出来ていないから、月へ行ってから前任者と相談だ。アメリカ・ドームだけと言う訳にはいかないのでね、地球全体を回診するんだよ。」
「かならずここをコースに入れて下さいよ。みんな博士に会えるのを楽しみにしているんですから。」
「有り難う!」

 喧嘩しそびれたハイネはヤマザキに引っ張られて料理を取り、先にテーブルに着いていた。ケンウッドとパーシバルがやって来ると、彼は送迎フロアへは見送りに行けないと断った。

「昨日の昼頃から迷惑メールが多くて困っていましてね・・・」

 彼は端末の画面を博士達に見せた。それを見て、3人のコロニー人は思わず吹き出した。そこにはハイネ局長は送迎フロアには行くべきでないと言うドーマー達からの忠告メッセージが延々と連なって表示されていた。博士達は唸った。

「彼等は君がまた新たな病原菌で病気になることを恐れているんだな。」
「しかし、消毒班はしっかりやっているじゃないか。」
「消毒してもカディナ黴は体内に浸透して侵入したからなぁ・・・ハイネを守りたい一心でドーマー達はヘンリーの見送りをするなと警告しているんだ。」
「ありがた迷惑ですけどね・・・」
「気にするなよ、ハイネ。」

 パーシバルは正面に座っている局長に笑いかけた。

「どうせ執政官会議で最後の別れの挨拶をするのだし、君はドーマー代表で話すだろう? それで充分さ、僕等はまた会えるんだし。」

 ハイネは無言で頷いた。ケンウッドは思った。ドーマー達は過去にも大勢の仲良くなった執政官達が宇宙へ還るのを見送ってきた。コロニー人達の多くはそれっきり地球へは戻ってこなかった。地球は被保護惑星なので、簡単には来られない。貿易や観光に来たい場合は地球の該当政府に申請を出してややこしい手続きの後、やっと許可をもらえる。しかしドームは外の世界から厳重に切り離されて保護されている施設なので、遊びに来る目的では絶対に入れてもらえない。外に出る仕事を持っていないドーマー達は懐かしいコロニー人に2度と会えないのだ。だから、ドーマー達はパーシバルの退官を悲しみ惜しんでくれる。「また来る」と言われても、心から信じているのではないのだろう。ハイネも大勢のコロニー人を見送ってそれっきりだったに違いない。

「ヘンリーは来るなと言っても来るから。」

とケンウッドはハイネにさりげない調子で言った。

「この男は自分でどんどんコネを作るのが得意なんだ。執行部にも上手く手を伸ばすはずだ。」

 ヤマザキはもうお別れの話にはうんざりしたようだ。時計を見て、そろそろ行かなきゃ、と言った。そして猛烈な勢いで食べ始めた。

「回診と言うことは、医療区に来られると言うことですね?」

とハイネが確認した。パーシバルが頷いた。

「神経系の患者を診に来るんだ。だからグレゴリーの背中のチクチクがまだ続いていることを願うよ。」

 ハイネがやっと笑ってくれた。

 その後の執政官会議でヘンリー・パーシバルはユリアン・リプリー長官から正式に解任の辞令を受け、離任式が行われた。ローガン・ハイネ遺伝子管理局長と新しい維持班総代表ロビン・コスビーがドーマーを代表して挨拶をして、パーシバル自身の挨拶の後、彼は拍手で中央研究所を去った。
 送迎フロアは手が空いているドーマー達が押し合いへし合いで彼を見送ったので、執政官達が恐怖を感じるほどだった。ケンウッドはなんとか外まで出て、空港で親友がシャトルに乗り込む迄付き合った。

「過去、退官でこんなに騒がれた人はいなかったでしょうね。」

とコロニー側の空港職員達が感想を述べたほどだった。

「そりゃさ、あのローガン・ハイネに愛された人だからさ。ドーマー達のお気に入りのコロニー人なんだ。」
「それじゃ、また戻って来ますね。ドーマーの管理に執行部も利用出来る人材ですから。」

 ヘンリー・パーシバルがアメリカ・ドームを去って3ヶ月後、ゴードン・ヘイワード・ドーマーが68歳4ヶ月の生涯を終えた。恋人のペルラ・ドーマーがドーマーとして初めて愛する人の最期に立ち会いを許され、その手を取って見送った。
 ペルラ・ドーマーはその後、「黄昏の家」のドーマー側の管理者に任命され、大小2つのドームを往復して働いた。
 一般食堂の司厨長は3人制の新司厨長に仕事を任せると安心したのか、半年後に「黄昏の家」に隠居した。そこで2年ほど厨房で働き、体が言うことを利かなくなったと言う理由で完全に引退する迄、チーズケーキの味を極める修行を続け、半熟とろとろチーズスフレを完成させた。
 エイブラハム・ワッツ・ドーマーは養育棟で子供達に木工細工を教える教官となり、情操教育や職業訓練に貢献した。ハイネが彼のアパートのメンバーに3度勧誘したが、飲酒は手元を狂わせると言う理由で頑固に断り続け、一度も部屋に行くことはなかった。

 ユリアン・リプリーは約束通り、5年で長官職を辞した。退官する際、彼は執行部に後任をニコラス・ケンウッドに託すと上奏した。もし受け容れられなければ、ドーマー達が暴動を起こすかも知れないと脅しまでかけたが、その必要はなかった。ケンウッドの人柄を知る人々が既に執行部に宣伝をしており、勿論、ヘンリー・パーシバルの働き掛けも大きかったのだ。
 そして、アメリカ・ドーム第25代長官ニコラス・ケンウッドが誕生したのは言うまでも無い。



2017年10月6日金曜日

後継者 6 - 8

 もうすぐ日付が変わろうと言うのにも関わらず、翌朝は早くから予定があるにも関わらず、彼等はハイネのアパートに集合した。ハイネが誘った訳ではないが、彼がドーマー達におやすみと言って歩き始めると、ケンウッドもパーシバルもヤマザキも、周囲におやすみと言って、局長の後を付いて行った。
 部屋に入ると、それぞれいつもの場所に座り、ハイネが自らカクテルを作ってくれた。
ルジェブルーベリースプリッツァーだった。甘口でパーシバルもこれは大好きな味だ。

「1杯だけですよ。」

と大酒飲みのドーマーが断った。その1杯のお酒をちびりちびりと味わいながら、4人は特に何を話すでもなく、静かに座っていた。それからハイネが1人でバスルームに入り、鶏冠を崩して洗髪して体も洗って出てくると、コロニー人達はこれまたいつもの定位置で眠ろうとしていた。ハイネは寝室に行った。彼のベッドはキングサイズなのだが、その真ん中でヘンリー・パーシバルが横になっていた。彼は部屋の主がそばに来たので、手招きした。

「隣においで。くたびれたんで、膝は貸せないけど、腕ならなんとかなる。」
「腕が疲れますよ。」

と言いつつ、ハイネはパーシバルの隣に横になった。彼は上半身に何も付けていなかったが、パーシバルは全く気にしないで素手で彼の体に手をかけて引き寄せた。暫くドーマーの胸に耳を当てて心臓の音を聞いていた。

「地球の鼓動だなぁ。」

と彼は呟いた。

「この星が元気になっていく様を見られて良かった。君が元気でいてくれて良かった。」

 ハイネが何も言わないので、彼は1人で喋り続けた。

「ドーマー達を頼むよ・・・って僕が言うことじゃないけど、でも本当に、若い連中、特にリンに翻弄された連中が立ち直るのを見守ってやっておくれ。ポール・レインは強がっているけど、彼はセイヤーズが逃げてからかなりまいっている。他の子達も左遷されたり降格されたり・・・やったのはリプリーで、君じゃないけど、彼等の心にはしこりが残っている。彼等は責められるのではなく守られなければいけないんだ。さもないと、ドームの障りになる。あの子達を守り指導出来るのは君しかいない。」

 パーシバルが顔を動かしてハイネを見ると、老ドーマーは目を半分閉じていた。もう眠いのかも知れない。それでもパーシバルは語り続けた。今言っておかなければ、次はないのだから。

「ニコのことも頼む。あの男は苦しい時、顔に出さず、誰にも言わずに耐える癖がある。だから時々彼の気を抜いてやってくれ。僕はみんなと同じく彼が次のドーム長官にふさわしいと信じている。いや、彼がなるべきなんだ。リプリーの役目はもう直ぐ完了する。リプリー自身がそれを知っている。彼はニコを後継者にと考えてくれているが、月の執行部がどう出るか、それが不安だ。彼等は1度ニコを蹴ってリプリーを選んだのだからね。
君のサポートが重要な役割を持つことになるだろう。ドーマー達の為にも、ケンウッド長官が必要なんだと思ってくれないか。」

 するとハイネの手がパーシバルの体に掛けられた。力は入らないが、優しくコロニー人の体を抱いた。話しをちゃんと聞いてくれているのだ。
 パーシバルはさらに続けた。

「ケンタロウは医療区長になるはずだ。いや、きっとなる。だから、彼の健康に留意してやってくれないか。医者の不養生と言うが、あの男は他人の心配ばかりして、自身のことは案外疎かにしているんだ。君の目からもわかると思う。不健康な医療区長は拙い。叱っても良いから、彼の体を気遣ってやってくれ。」

 ハイネが体を動かして、パーシバルの額にキスをした。パーシバルは彼を抱き締める手に力を入れた。

「キーラのことは何も言わない。君の娘だから、僕がどうこう言わなくても彼女はしっかりやってくれる。僕は彼女とどう楽しく暮らしていくか、それを考えるよ。だから・・・」

 彼は少し体を引いてハイネの目を見た。さっき迄半眼だった青みがかった薄灰色の目が彼を見つめていた。

「君は自分を大事にするんだよ。君は僕等のドーマーだけど、君自身の物であることが第一だからね。執行部の老人達の可愛いドーマーなんかじゃない、この地球の未来を担っている重要人物なんだ。あいつらに振り回されないで、地球人の幸福だけを考えて働く今まで通りの君を守ってくれ。」

 するとハイネがそっと囁いた。

「喋りすぎですよ、ヘンリー。全てよーく承知しております。さぁ、おやすみなさい、私が見守っていてあげますから。」



2017年10月4日水曜日

後継者 6 - 7

 宴の最後はヘンリー・パーシバルの挨拶で締めくくられた。パーシバルらしく冗談を交えた明るい謝辞と別れの挨拶で、執政官やドーマー達、素晴らしい仕事仲間に明るい未来を、と彼は笑みを浮かべ、「女性が地球に溢れかえっている風景を待ち望んでいますからね」と言い残して満場の大喝采を浴びながらステージを下りた。
 続いて実行委員長のケンウッドが参加者と出席出来なかったものの協賛金を出してくれた人々に謝辞を述べ、閉会を告げた。
 パーティの後片付けは実にスムーズだった。ドーマー達はこの手の作業に慣れている。春分祭の時もそうだが、殆ど参加者全員で手早く掃除をして食器を洗い、調度品を普段使いの位置に戻し、飾り付けを片付けた。忽ち全てが撤収され、パーティなどなかったかの様にいつものドームに戻った。

「軍隊でもこうはいかないと思うな。」

 主役はさっさと帰って寝ろとケンウッドは言ったのだが、パーシバルも一緒に働いていた。別れがたいのだ。

「明日になって月に行かないなんて言い出さないでくれよ。送別会を開いた人間の立場もあるんだから。」

とケンウッドがからかうと、パーシバルは顔をしかめて見せた。

「引き留めないんだ。」
「引き留めたら君の健康に悪いだろう。」
「ちぇっ、か弱い心臓が恨めしいよ。」

 ポール・レイン・ドーマーもそばに居て、手伝っていた。彼にとってドームの中で一番甘えられる人がパーシバルなのだ。ケンウッドは、この無愛想な若者が些細な動作でもパーシバルの負担にならないよう気遣って動いていることに気が付いていた。もしかするとパーシバルがドームを去ることを一番哀しんでいるのは、この若者かも知れない。
 パーシバルが優しく声を掛けた。

「ポール、もう片付けはいいよ。明日は早いんだろう? 帰って休みなさい。」
「いえ・・・まだもう少し・・・」

 レインの連れのワグナーとキャリーは既に帰ってしまっていた。彼が帰らせたのだ。ケンウッドが尋ねた。

「明日は何処へ行くのだい?」
「ルイジアナ方面です。ちょっとメーカー同士のいざこざがあるらしくて、支局巡りだけでは済まないかも・・・」

 レインはちらりと食堂の向こう端で集まっている老ドーマー達の群れを見た。彼の上司や先輩達だ。場違いに若く見える白い髪のドーマーが一番年長だ。彼等は彼等の中で去って行く仲間に労いの言葉を掛け合っているのだった。

「パーシバル博士・・・」
「うん?」
「ローガン・ハイネは貴方が素手で触っても怒らないって、本当ですか?」

 ケンウッドとパーシバルは顔を見合わせた。この質問の意図は何だろう。ケンウッドが先に答えた。

「うん、仕事の時は手袋着用義務を守っているが、プライベートではお互いに気にしないんだ。」

 パーシバルがくすくす笑ったが、それは思い出し笑いだった。

「最初は僕が半ば強引に彼の手を握ったんだっけ? 彼の手術後の最初の面会だったんだ。彼は衰弱して動けなかったから、僕が手を握っても拒否出来なかったのさ。」

 ケンウッドも思い出した。

「強引じゃないさ。彼は握り返してくれた。生き延びて私達と再会出来たことを喜んでいたんだよ。」

 あれはダリル・セイヤーズ・ドーマーが西ユーラシアへ追い払われた直後だった。その知らせをペルラ・ドーマーに告げられてハイネは1年4ヶ月の昏睡状態から目覚めたのだ。
 パーシバルがレインに諭すように言った。

「ハイネは君達を守る為にこっちの世界に戻ってきたんだ。だから君達も彼を支えてやってくれないか。若さを保って長生きするのは、案外寂しいものなんだよ。」

 ハイネは眠っていた期間に何か夢を見ていたのだろうか。彼は何も語らない。記憶にないのかも知れない。けれどもケンウッドもパーシバルも想像していた。彼は弟ダニエル・オライオンと楽しく過ごした幼い日々を夢見ていたのだろう、と。孤独な現実に戻りたくなくて眠っていたのではないか、と。
 老人達の集まりの中に、珈琲色の肌の若者が入って行った。老いたミュージシャン達に何か言っている。と、年寄り連中がドッと笑った。
 レインが溜息をついた。

「俺は偏屈なんで、クロエルみたいに局長に真っ直ぐぶつかって甘えることが出来ません。俺には、局長は本当に雲の上の人なんです。」
「ハイネは普通の人間だよ。」

 ケンウッドも優しく諭した。

「彼は偶々ドーマーの人数調整期間の真っ最中に生まれてしまったんだ。だから彼より年上の世代と10年、年下の世代と10年離れてしまっている。同じ世代の人間が1人もいない。こんな寂しいことはないだろう? せめて君が現場の先輩と話すように彼に話しかけてやってくれないか。彼はきっといろいろなことを教えてくれるはずだ。」
「でも、あの人は現場を知らないんですよ。外に出たことがないから。」
「だからと言って、彼が業務上の指示で無茶振りしたことがあったかい?」
「・・・いいえ・・・」

 レインはまだ若い。ハイネの含みを持たせた遠回しの話し方を完全に理解出来る訳ではないのだろう。

「君がもう少し歳を取ったら、彼が何を君に伝えたいのかわかるようになるさ。」

 パーシバルが年長者のグループに目をやった。

「ハイネはまだセイヤーズを諦めていないぞ。捕まえると言うより、帰って来るのを待っているんだ。だから君は焦らずに、じっくり考えてセイヤーズを探せ。どうすれば連れ戻せるか、考えるんだよ。」

 また笑い声が起こった。クロエル・ドーマーがハイネを抱き締めて何かワッツに言っていた。
 パーシバルは聡い。声が聞こえた訳でもないのに、すぐに通訳してみせた。

「クロエルちゃんが、ハイネをギターリストとして自分のバンドに引き抜こうとしているんだ。ワッツが反対したんで、若造が文句を言っている。」
「それで、ハイネは?」
「もう弾かないって宣言しただろ? 撤回する訳ないじゃないか。」

 え? とレインが驚いた。

「局長はギターを辞めてしまうのですか? あんなに上手なのに・・・」

 パーシバルが片眼を瞑って見せた。

「だったら君が続けろと説得しろよ。」



 

 

2017年10月3日火曜日

後継者 6 - 6

 宴も終盤に近づいた。引退するドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマーがバンドの扮装のままステージ上に上がった。躾けの良いドーマー達はすぐに私語を止めて彼に注目した。
 ワッツは今夜のパーティを開いてくれた執政官達に感謝を述べ、集まってくれたドーマー達にも謝辞を述べた。そして退官するヘンリー・パーシバルと「黄昏の家」に移る2人の仲間に健康に注意してこれからも元気な顔を見せて欲しいと頼んだ。
 彼は、特に今まで目立たなかったゴードン・ヘイワード・ドーマーに温かな言葉を贈った。

「ゴードン、君は今迄ゲートでドームの中に雑菌や悪質な異物が侵入するのを防いで、我々を守ってきてくれた。勤務場所の性質上、我々と接する機会が少なくて、寂しい想いもしたことだろう。我々の方から『黄昏の家』に行くことは出来ないが、君の方からはこちらへ何時でも顔を出せる。好きな時に来て、我々に隠居生活の心得を教授してくれ。
 今日まで有り難う、お疲れ様でした!」

 ヘイワードは涙ぐみ、有り難うと返事をするのが精一杯だった。グレゴリー・ペルラ・ドーマーが彼の代わりに声を張り上げた。

「有り難う、皆さん、さぁ、残りの時間も大いに楽しもう!!」

 ケンウッドはやっとパーシバルのそばに辿り着いた。パーシバルのそばには、彼が一番お気に入りだったポール・レイン・ドーマーが弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーとその彼女のキャリー・ジンバリスト・ドーマーと共に居て、パーシバルとの別れを惜しんでいた。キャリーは珍しい女性ドーマーだ。取り替え子の予定だった男の子が誕生前に亡くなってしまったので、取り替えられずにドームに残されたのだ。女性ドーマーはコロニー人のクローンなので、普通オリジナルの女性の名前しかもらえないのだが、キャリーと言う名のドーマーがもう一人いたので、彼女はオリジナルのフルネームをもらったのだ。美人で頭脳明晰、医療区で精神科の医師として修行中だ。コートニー医療区長が言うには、もうすぐ正式な医師免許が取れるのだそうだ。彼女はパーシバルが医師として回診に来るからと言うと、お仲間になれるのですね、と期待を込めて言った。パーシバルは悩み事が出来たら患者としてお世話になるよ、と笑った。
 かつて「御姫様」と仇名されていたレインは、さらに美貌に磨きをかけた様子で、丸坊主頭がセクシーでさえある。彼はパーシバルにセイヤーズを見つけられなくてすみません、と謝った。パーシバルがセイヤーズの脱走に心を痛めていることを知っているのだ。本当は恋人に逃げられた彼の方が苦痛だろうに、とケンウッドは思ったが、口をはさまずにそばで立っていた。
 やがてレインはパーシバルをワグナーに譲り、数歩退がった。彼はケンウッドに気が付いた。こんばんは、と声を掛けて来たので、ケンウッドも返事をした。

「お友達が行ってしまいますね。」

とレインがケンウッドを気遣う様なことを言った。貴方も寂しいでしょう、と言いたいのだが、相手が目上なのでそれ以上は遠慮して口をつぐんだ。この男は美貌に恵まれて、才能にも恵まれて、大勢から愛されて・・・しかしとても愛想が悪い。だがパーシバルには素直になるのだ。ケンウッドは、この若いドーマーの愛想の悪さは自己防衛の手段の一つだろうと見当を付けた。レインには接触テレパスと言う面倒臭い才能がある。母親からの遺伝だ。肌に触れる他人の思考を読み取ってしまうのだ。それはレイン自身を消耗させるので、レインは仕事で相手の情報を必要とする時以外は、その能力を使わない。彼は自分からは他人に触らないし、他人に触れさせもしない。しかしパーシバルは例外だ。ヘンリー・パーシバルは正直な男だから、レインも平気で手を触れていた。
 
 心を許せる人が去ってしまうのだ。

 ポール・レイン・ドーマーは今きっと孤独感と闘っているのだろう、とケンウッドは同情した。

「彼は何処に住むかわかっているからね。」

とケンウッドは率直に言った。

「そばに居なくなるのは寂しいが、また会えるとわかっている。」

 レインが小さく頷いた。彼の恋人はまだ行方不明のままだ。
 ワグナーの挨拶を受けたパーシバルがポケットに手を入れて、それから周囲を見廻した。

「おい、誰かチーズを持っていないか? あいつを呼びたいんだけど・・・」

 ドーマー達が顔を見合わせた。彼が誰のことを言っているのか、すぐ理解した。笑いたいのだが、その「あいつ」が彼等自身の上司なので、笑って良いものか? と戸惑っている。
 すると、よく響く澄んだ声が言った。

「チーズがなくても参上しましたよ。」

 ケンウッドの横にハイネ局長が立った。パーシバルが満面の笑みを浮かべた。

「さっきの演奏は素晴らしかったよ! あんな特技を隠していたなんて、狡いぞ。」
「そうとも。驚いたよ。」

 ケンウッドもパーシバルに同意したので、局長は苦笑した。

「もう10年以上弾いていなかったのですよ。ワッツが送別会で解散パフォーマンスをやろうと言い出したのは、3日前だったのです。慌てて練習しました。」


2017年10月1日日曜日

後継者 6 - 5

 ベテランドーマー達のバンド「ザ・クレスツ」はたっぷり5曲演奏した。最後の曲は途中でローガン・ハイネが長いソロパートを弾いて、そのテクニックで若者達を感動させた。

「狡いなぁ、あの人、なんでも出来ちゃうんだもん。」

 とパーシバルを取り巻いている若いドーマーが羨ましげに呟いた。パーシバルは笑いながら、彼を慰めた。

「ハイネは時間がたっぷりあるから、練習もたくさん出来るんだよ。」

 コートニーはケンウッドに囁いた。

「何故ハイネがあんなに長いソロパートを弾くか、わかるかね?」
「何故なんです?」
「みんな爺さんなんで、休ませないと最後まで保たないからさ。皮肉にも最年長の彼が肉体的には一番若いからな。」

 コートニーは可笑しそうに笑った。
 ザ・クレスツが大喝采を浴びながら演奏を終えてステージから下り、交替に若い南米系のバンドが上がった。ドーマーと執政官の混成バンドだ。彼等がテンポの速い曲を演奏し始めると、司厨長が厨房に声を掛けた。

「おい、チーズを料理に使っても良いぞ!」

 若い料理人が仲間に囁いた。

「チーズ解禁だ。」
「ローガン・ハイネの出番が終わったんだな?」
「そうさ。あの方がステージ上にいる時にチーズの匂いなんか漂わせてみろ、演奏が滅茶苦茶になるからな・・・」

 ケンウッドは特設ステージの裏手になんとか辿り着いた。演奏を終えた爺様バンド、ザ・クレスツのメンバー達が楽器を片付けているところだった。ドラムのワッツ・ドーマーだけはドラムセットをステージに残してきた。ピアノとドラムは個人の所有物ではなく、ドームが養育棟で子供達の情操教育の為に所有している物だった。トランペットやクラリネットやギターはドーマー達が個人で購入したらしく、大事そうに手入れを始めていた。
 ハイネが近づいて来るケンウッドに気が付いて、サングラスを取った。鶏冠頭なので、普段より若く見えた。

「音楽をやるなんて、初めて聞いたよ。」
「そうでしたっけ?」

 いつもの様にとぼけるハイネ。ベースを演奏したドーマーを振り返って、バンドのリーダーです、と紹介した。ケンウッドが素晴らしい演奏だったと褒めると、リーダーは照れくさそうに笑って、でも、と言った。

「これで解散するのです。みんな爺さんになっちゃいましたからね。ローガン・ハイネのソロがなければ、半分はステージ上でぶっ倒れていましたよ。」

 メンバー達がドッと笑った。コートニー医療区長が言った通りだったので、ケンウッドも苦笑するしかなかった。

「でも個人では音楽は続けるのだろう?」
「養育棟で指導したり、後輩に楽器を譲って教えるかしてね。」

 ケンウッドはハイネのそばに戻った。ケースにギターを仕舞い込む彼に尋ねた。

「君は次は何時それを弾くんだい?」
「もう弾きません。」
「ギターは?」
「キーラに譲ります。前から欲しがっていたので。」

 恐らく、父親から娘に贈る唯一の品物になるだろう。ケンウッドはパーシバルからキーラ・セドウィックにプロポーズしたことを聞かされていた。そしてハイネが父親として彼等の婚姻を認めたことも聞いた。ドーマーは余り私物を持たない。ドームの中で手に入る物は少ないし、外にある物を彼等は欲しがらない。だから互いに贈り物をする習慣もない。ハイネが娘に与えることが出来る物は、殆どないのだ。

「彼女はきっと喜ぶよ。」

 そう言えば、出産管理区の担当者達は今宵の送別会にまだ来ていなかった、とケンウッドは気が付いた。1度に3人の出産が始まって、それどころではないと連絡があったのだ。キーラは格好いい父親の姿を見損ねたのか・・・。

後継者 6 - 4

 来なくても良いのに、と思う日は早くやって来る。ヘンリー・パーシバルの送別会は秋分の日の前日、夕方の7時から始まった。
 その日は外廻りの遺伝子管理局の局員達も早い時間に帰ってきたし、普段は外の尞で寝起きしている航空班のメンバーも当直以外はドームの中へ戻って来た。有志の参加なのに、殆ど春分祭みたいな賑わいになってしまった。

「これじゃ、別れを惜しんでいるのか、喜んでいるのか、わからん。」

と挨拶の準備をしながらリプリー長官が愚痴った。当人のパーシバルは暢気で、

「ドーマー達の引退式も兼ねているから、いいんじゃないですか?」

と笑っていた。彼はファンクラブのメンバーを引き連れて贔屓のドーマーを取り囲むのが好きだったが、この日ばかりはドーマー達が彼を取り囲み、執政官の友人達が近づくのも容易ではない程だ。
 ケンウッドは親友との別れを惜しむ暇もない程忙しかった。実行委員会は戦争状態で、食事の世話やバンドの演奏準備など、かけずり回った。こんな時にハイネ局長が一言「静かに!」と言ってくれたら収まるのに、と言う調子の良い考えがチラリと頭をかすめたが、肝心の白い髪のドーマーは何処に消えたのか姿を見せなかった。
 マイクの音がして、リプリー長官の挨拶があります、と司会のヤマザキ医師の声が聞こえた。躾けの良いドーマー達が静かになってくれたので、ケンウッドは胸をなで下ろした。リプリー自身は、騒いでいてくれた方が都合良かったかも知れないが。
 長官は、「執政官ヘンリー・パーシバル博士の送別会に大勢が集まってくれて有り難う」と始めた。簡単にパーシバルの経歴と引退する理由を告げ、引退後のパーシバルの勤務先の紹介も語った。

「嬉しいことにパーシバル博士は、これからも定期的に皆さんの健康管理の為に地球へ回診に来られます。ですから、これが永久の別れではありません。博士の新しい生活への再出発式として、今宵は博士と楽しい時間を過ごそうではありませんか。」

 ドーマー達が拍手した。食堂の壁が揺れそうだ。リプリーは、しかし、それで挨拶を終えなかった。拍手が一段落すると、続けた。

「パーシバル博士の希望もありますが、今夜はドーマーの先輩達数名の引退式も兼ねます。彼等は当アメリカ・ドームの業務を安全かつ円滑にして、生活を快適にする為に日々尽くしてくれました。心から感謝しています。」

 リプリーは、維持班総代表のエイブラハム・ワッツ・ドーマー、一般食堂の司厨長ジョージ・マイルズ・ドーマー、園芸班班長ロバート・ポドフ・ドーマー、そして消毒班のゴードン・ヘイワード・ドーマーの名を挙げた。

「ワッツ・ドーマー、マイルズ・ドーマーはまだこちらで後進指導をする為に残りますが・・・」

 ドーマー達からブーイングが起きて、次いで爆笑が起きた。リプリーも思わず笑顔になった。

「どうも両名共、楽隠居は当分無理みたいだね。これからもよろしく頼みますよ。」

 そして「黄昏の家」に移るポドフとヘイワードには、労いの言葉を掛けた。車椅子で参加していたゴードン・ヘイワード・ドーマーはちょっと涙ぐんでいた。普通、ドーマーの引退は個人的なものとしてひっそりと行われ、親しい者にしかわからない。こんな風に大勢から惜しんでもらうことはなかったのだ。付き添っている恋人のグレゴリー・ペルラ・ドーマーも涙を誤魔化す為に笑っていた。
 長官の挨拶が終わると、司厨長がマイクを受け取った。

「一般食堂の司厨長、マイルズです。今夜は我が後継者候補3名が自分で作った料理と、彼等がチームに指揮して作った料理を出します。どの料理が誰の作かは表示していません。気に入った料理に投票をお願いします。お一人何票入れても結構です。集計して、次期司厨長指名の参考にさせてもらいます。
 なお、料理は、今夜の主役ヘンリー・パーシバル博士のお好きな物を中心に作っていますので、内容に苦情のある方は、パーシバル博士までお願いします。」

 また会場に笑いが起きた。バンドの演奏が始まった。ケンウッドのそばに居たコートニー医療区長がバンドを見て、ハッとした表情になった。

「なんと、昔懐かしい、ザ・クレスツじゃないか!」

 ケンウッドは初めて聞くバンド名だった。執政官だけが利用するバーが夜になると開業するが、金曜日だけはドーマーの利用も許されていて、ドーマー達のアマチュアバンドが交替で演奏して騒ぐことは知っていた。ほとんどが中南米系のバンドなのだが、ザ・クレスツは古典ジャズを演奏し始めた。勿論全員男だ。頭髪を鶏の鶏冠みたいに赤く染めてグリースで固めて突き立てている。衣装は白。つまり、彼等は雄鳥なのだ。全員黒いサングラスを掛けて顔は見えない。
 ケンウッドはコートニーに尋ねた。

「今は活動していないのですか?」
「うん。メンバーがみんな歳を取って役職に就いたもんだから、それ相応に忙しくなっていつの間にか活動を休止してしまったんだ。解散したかと思っていたがね。」

 コートニーはにんまり笑って、背が高いリードギターを指さした。

「あれ、ローガン・ハイネだよ。」
「ええっ!!!!」
「ドラムはエイブ・ワッツさ。」
「うっそーーー!」

 本当に、いつになってもドーマー達には驚かされるケンウッドだった。