2017年2月28日火曜日

オリジン 8

 昼食が終わると、ライサンダーはジェリー・パーカーを散歩に誘った。もっと話をしたかったのだ。ジェリーは快く承諾してくれた。 2人は監視役のアキ・サルバトーレ・ドーマーを後ろに従える形で食堂の外へ出た。これと言って目的地はなく、ぶらぶら歩いた。

「生活は楽しいかい?」
「まぁ・・・辛くはないな。少なくとも研究室の仲間はみんな気持ちの良い人達だ。JJもいるし、PちゃんもJJ目当てでたまに顔を出すから。」
「そうなんだ?」
「PちゃんとJJが付き合っているのは知っているか?」
「うん。」
「ダリルと副長官とは?」
「今朝、気が付いた。」
「気がついた?」
「うん、2人の雰囲気で・・・」
「彼等はおまえには直接言っていないのか?」
「PちゃんとJJのことも、パパラッチサイトで知ったんだ。親達は個人的なことは俺に言わない。」
「まぁ、ドーマーだからな、連中は。結婚する訳じゃないし、子供も作らないから、公言するつもりもないだろう。」
「だけど、地球人とコロニー人の恋愛は拙いだろ?」
「どっちが積極的かってことだ。コロニー人が誘うのは問題になるが、地球人の方からモーションかけるのは大目に見てもらえるらしいぜ。」
「親父はどっちだろう?」
「そりゃ、あの脳天気の方に決まってるじゃないか。ラナ・ゴーンは慎重な女だから、ダリルは何度もアタックしては肩透かし食ってるそうだ。」
「親父がそう言ったのか?」
「Pちゃんがな。おっと、陰口じゃないぞ。ちゃんと当人の前で喋ってるから。」
「みんなプラトニックなんだって?」
「随分古くさい表現だな。まっ、ドーマーが喋る言葉はコロニー人から教えられたものだからな、コロニーでは地球から移住した時代の言葉がそのまま残っているんだ。地球じゃピュアな関係って言うのさ。上司達も承知しているんだろ。仲を引き裂こうとしていないから。」

 ライサンダーは立ち止まった。

「俺、理解出来ないんだけど、Pちゃんは本気でJJが好きなのか? 親父はどうなるんだ?」
「どうもなりはしないさ。それにJJのことは本気だ。」

 ジェリーは監視員のサルバトーレをちらりと見た。

「Pちゃんは絶対にダリルを手放さない。あの男は生粋のドーマーだから、執政官の許可がなければJJと結婚しないし、もし許可が出ても彼女とは一緒に住まないだろう。彼にとってドーム全体が家みたいなものだ。女房と寝室が離れている程度の感覚だと思うぜ。」

 ライサンダーは頭が混乱しそうになった。ポール・レイン・ドーマーの恋愛観が可笑しいのか、それともドーム全体がまともではないのか?

「ジェリーは誰か好きな人いないの?」
「そんなヤツいない。」

 即答だった。

「俺ももういい歳なんだ。外じゃ孫がいて現役を引退する頃じゃないのか? 」
「でも若いじゃん。あんた、地球人のオリジナルなんだろ? 昔の地球人はもっと長生きしていたんだ。」
「コロニー人ほどじゃないがね。」
「シェイと結婚しないの?」
「シェイと?」

 ジェリーが吹き出した。

「シェイは姉みたいなもんなんだ。それに彼女にも選ぶ権利はあるさ。」


2017年2月27日月曜日

オリジン 7

 ダリルとポールが昼食を終える頃になって、ライサンダーがやっと戻って来た。遅かったなと言う親達に、彼は初日なので施設の説明を受け、そっちの方が子供の面会より時間がかかったと言い訳した。

「俺たちは地下のことなんか、何にも知らないのにな。」

とポールが不満気に呟いた。「仕方がないよ」とダリル。彼は「お勤め」で採取された子種から生まれた胎児達を見たくなかった。自分の子でありながら自分の子にはならない子供達。 それを考えたら、彼はどうしても砂漠のラムゼイの研究室で「廃棄処分」した2人の胎児を思い出して良心の呵責を覚えるのだ。彼が選んだライサンダーは立派に成長して、自然な交わりで女の子を得た。そして、妻を失って、子供は人工子宮の中にいる。
 ポールが立ち上がり、ダリルを促した。

「俺達はオフィスに戻る。おまえは自由にしろ。但し、ドーマーやコロニー人と揉め事は起こしてくれるな。ダリルが騒ぐから。」
「私が何時騒いだ?」
「そのうちにな。」

 夕食時間の予定を告げて、二親は食堂を出て行った。
 ライサンダーが食事を始めた時、1人の男が目に入った。彼はライサンダーと目が合うと、昼食を載せたトレイを持ってやって来た。

「よう、ライサンダー! 元気か?」
「ジェリー・・・あんたも元気そうで良かった。」

 ライサンダーはジェリー・パーカーが1人でドームの中を歩き回っていることに驚いた。遺伝子学者として中央研究所の業務を手伝っていると聞いていたが、自由に行動しているとは意外に思えた。ラムゼイの一番弟子だから知識豊富なのはわかる。しかし違法なメーカーなのだ。
 ジェリーは断りもなくライサンダーの向かいの席に座った。

「おまえがここに居る理由は聞いた。奥さんは残念だったな。お悔やみ申し上げる。」

 ライサンダーが礼を言うと、彼はニヤリと笑った。

「あの生意気なガキが、短い間に女房もらって子供作って、一人前に社交辞令も言えるようになったなんてなぁ。」
「あんただって・・・」

 ライサンダーはちょっとむきになって言い返した。

「ド田舎で爺さんの身の回りの世話をしていたオッサンが、遺伝子学者としてドームで働いているなんて、意外だよ。」

「けっ」とジェリーが呟いた。

「研究の手伝いをするか、火星の人類博物館に送られるか、選択肢は2つしかなかったんだ。」
「博物館?」
「俺のオリジナルはそこに展示されているんだ。氷浸けの古代人の赤ん坊さ。」

「古代人?」とライサンダーは馬鹿みたいに繰り返し、それから重大な意味に気が付いて「ええっ!」と声を上げた。周囲で食事をしていた人々が振り返ったので、彼は声を顰めた。

「マジで言ってるのか?」
「ドームの中でこんなこと冗談で言えるか。」
「だけど・・・古代人って・・・正常な地球人って意味だろ?」
「子作りに関しては正常なんだろうな。」
「あんた・・・凄い人なんだ・・・」
「生殖細胞が、な。」

 そこで会話が途切れ、2人は暫く食べることに専念した。食べながらライサンダーは他人の視線を感じ続け、意を決してそちらを向くと、1人の保安課員の制服を着た男と目が合った。精悍で綺麗な顔立ちの、長身のアメリカ先住民の男だった。 勿論、ドーマーに違いない。彼はライサンダーと目が合うと逸らさずに見返したが、挑戦的ではなかった。寧ろ穏やかな目で、ライサンダーは想わず黙礼した。保安課員はかすかに首を動かして返礼してくれた。
 ライサンダーはジェリーに尋ねた。

「見張られてるの?」
「犬の散歩。」

 ジェリーが苦笑した。

「ドーム内を自由に歩き回っても良い、但し監視付きで、と言うヤツだ。ドーマー達みたいな放牧状態ではない。」
「放牧って・・・」
「放牧だろ? 連中は人類の未来を託された種馬だ。コロニー人に囲われて大事にされて働いているお馬さんだよ。」

 ジェリーは物事を斜めに見ている様だ。
 ライサンダーはふと気になっていたことを思い出した。

「ジェリー、こんなことをここで訊くべきじゃないと思うけど、ずっと気になっててさ・・・」
「何だ?」
「セント・アイブスへ行く途中で逮捕された時、どうして自殺を図ったのさ? 本気だったのか?」
「訊きにくいことを堂々と聞くんだな。」

 ジェリーはシチューの最後の一匙を口に入れて呑み込んでから答えた。

「捕まったら二度と博士にもシェイにも会えないと思ったら、もうどうでも良くなってしまったのさ。」

 ライサンダーは彼を見つめた。ジェリー・パーカーにとって、ラムゼイ博士とシェイだけが信頼出来て、愛情を注げる人々だったのだ。家族だったのだ。

「今ではもう平気?」
「ああ・・・じたばたしてもしょうが無いだろ。それに仕事は面白いしな。」

 ジェリーは監視役の保安課員をちらりと見た。

「あの男が俺を監視しているのは、逃亡を防ぐ為でも破壊行為を制止するためでもない。俺がまた死のうとしたら押さえつけてでも止めるのが役目なんだ。」
「それじゃ、もう死ぬ意思はないってお偉いさんに言ってやれば?」

 すると意外にもジェリーは首を横に振った。

「やだね。監視を外されたら、寂しくなるだろ? 余計なことはするなよ。」

 ジェリーには友達がいないのだ、とライサンダーは思い当たった。執政官もドーマーも、元メーカーのジェリーを信用していない。殆ど無視されているはずだ。


2017年2月26日日曜日

オリジン 6

 朝食の後で、ライサンダーはダリルに案内されて中央研究所に行った。前回も執政官に案内されて行ったので、受付は彼の顔を覚えていた。

「次からは1人で大丈夫だよ。」

とライサンダーは親の心配性を笑った。ダリルは「そうか」とすまし顔で言ったが、副長官が現れると真面目な顔で挨拶した。

「おはようございます、息子を連れて来ました。」

 ラナ・ゴーン副長官がニコリと微笑んだ。

「おはよう、ダリル・セイヤーズ。おはよう、ライサンダー。」

 彼女は普段はダリルを姓だけで呼ぶのだが、息子が一緒なので名前も呼んだ。彼女の声を聞いて、ライサンダーはおや?と思った。最近どこかで聞いたことがある・・・。
彼女が彼に尋ねた。

「随分早く到着しましたね、早朝の便で来たのですか?」
「いいえ、昨夜のうちに・・・」

 ライサンダーはハッと思い当たった。昨晩ダリルとデートしていた女性の声だ。
 一瞬うろたえたが、ダリルも副長官も気が付かなかった。
 ダリルが彼女に「では、よろしく」と言って、中央研究所から出て行こうとした。ライサンダーは慌てて彼に声を掛けた。

「父さんは俺の子供を見ないの?」

 ダリルが肩越しに振り返って言った。

「関係者以外、地下は立ち入り禁止だ。」
「でも、父さんは祖父さんなのに・・・」

 ダリルは無言で前を向き直り、さっさと出て行った。
 ライサンダーは副長官を振り返った。父親のガールフレンドは可笑しそうに笑っていた。

「人工子宮から子供が出てくる迄は、祖父と言う自覚を持つ男性は殆どいませんよ。」
「でも、Pちゃんは・・・あっ、レインは自分で祖父さんだと言ってますよ。」
「レインが? あの人が?」

 副長官が驚いたふりをすると、受付のドーマーも目を見張って見せた。「面白いわね」とラナ・ゴーンが呟いた。

「ライサンダー、貴方は私達が知らなかったドーマー達の真の姿を見せてくれるのね。」

 受付のドーマーも言った。

「案外、レイン・ドーマーは家族への情愛に満ちているみたいですよ。」

 そしてそのドーマーはライサンダーに言った。

「レインをPちゃんと呼んでも大丈夫だよ。JJが彼をそう呼ぶから、ここではみんなが彼をPちゃんと呼んでる。勿論、本人がいない場合だけどね。」

 彼はライサンダーにパスを渡した。

「これから毎週来るんだろ? これを提示すればいつでも受け付けるよ。規則を守ってくれれば、そのうち1人でも地下に行けるだろう。」
「顔パスじゃ駄目?」
「一応、記録に残さなきゃならないから、これを地下入り口の受付機械にかざさないと駄目なんだ。」
「わかりました。」

 ラナ・ゴーンが声を掛けた。

「では、降りましょうか。 ドアを抜けたら子供達を守る為に防護服を着てもらいますからね。」

 彼女はライサンダーをエレベーターに誘導した。静かに地下へ降下して、扉が開くとロビーがあり、ロボットが受け付けをしていた。機械にパスをかざし、次の部屋で白い防護服を着た。マスク越しに見る世界は狭い。ライサンダーは毎週こんな窮屈な思いをしなければ娘に会えないのかと、ちょっと情けなく感じた。
 イヤフォンを通してラナ・ゴーンが装備の使い方を簡単に説明した。それから、

「胎児が7ヶ月を過ぎる頃になれば、防護服は不要になります。人工子宮の場所が移動になり、通路から面会出来るようになります。子供もこちらを見ていますから、言動には気をつけてね。」

 と注意した。
 分厚い扉が開き、ライサンダーは両親も知らない未知のドームの地下世界へ足を踏み入れた。



2017年2月25日土曜日

オリジン 5

 翌朝、ライサンダーは早い時間に目が覚めた。ポールが早朝ジョギングに出かける為に物音をたてたからだ。彼はふと思うところがあって、起き出すとY染色体の父親を追いかけた。一定のスピードで走るポールに彼はすぐに追いついて、「おはよう」と声を掛けた。ポールはちらりと彼を見て、頷いただけだった。2人は並んで走り、ジムの裏手にある野外(ドームの中だが)運動場を2周した。3周目の始めで、1人のドーマーが入って来た。

「おはようございます、チーフ・レイン。」

 ライサンダーはそのドーマーが綺麗な東洋系の若者だったので、注意を惹かれた。ポールが珍しくその若者に返事をした。

「おはよう、パット。今朝の気分はどうだ?」
「すこぶる快調です。」

 パットと呼ばれたドーマーはライサンダーをチラリと見た。新顔のドーマーだな、と言いたげな表情だったので、ライサンダーは自己紹介した。

「ライサンダー・セイヤーズです。週末だけドームに来ます。」
「週末?」
「こいつの『週末』は金曜日と土曜日らしい。ダリルと俺の息子だよ。」

 ポールが紹介した。タンが「ああ」と納得した。

「この男はパトリック・タン・ドーマーだ。クラウスのチームにいる部下で、俺のお茶の先生でもある。」
「お茶の先生?」

 ライサンダーはアパートのキッチンの棚にお茶の容器がたくさんあったことを思い出した。オフィスの休憩スペースにもあったっけ・・・。
「チーフの唯一健全な趣味」と言って、タンが笑った。「唯一と言うことはないだろう」とポールは文句を言ったが、楽しそうだ。
 ライサンダーは意外に思った。食堂やジムで出遭ったポールの部下達はチーフ・レインに対して敬愛の態度を示し、気軽に話しかけるのを遠慮している様にも見えた。しかしタンはかなり親しそうだ。
 3人で1周してから休憩すると、タンがポールに話しかけた。

「チーフから医療区長に頼んで戴けませんか? もう僕は仕事に復帰したいのです。」
「精神科の医者は何て言ってるんだ?」
「通常勤務なら問題ないと。」
「つまり、支局巡りや申請書受付はいくらでも大丈夫と言うことだな?」
「捜査活動も平気ですよ。」
「そうか・・・では、今日の午後3時にジムに来い。格闘技練習をしよう。体がなまっているだろうからな。」
「よろしくお願いいたします。」

 タンと別れて、ライサンダーとポールはアパートに向かって走った。速度を落とさずに話をするのは難しいので、ライサンダーは「ねぇ」と声を掛け、ポールの速度を弛めさせた。

「さっきの人は病気だったの?」
「否・・・」

 ポールは息子を見ずに答えた。

「FOKの囮捜査をしている時に、別の組織に誘拐され、拷問されたんだ。 酷いPTSDに悩まされていたが、本人は自信がついてきたのだろう。少しずつ現場でリハビリさせてやらんといかんな。」

 ライサンダーはなんとなくどんな拷問だったのか想像がついた。あんな綺麗な人だから、男達はただ殴ったり蹴ったりした訳ではないだろう。
 そう言えば、ポールだってラムゼイに捕まった時、何度か危うい目に遭い掛けたのだ。

「世の中には悪い奴が多いな・・・」

とライサンダーが呟くと、ポールが少々自慢げに教えた。

「タンを救出したのはダリルとクラウスだ。特例で局長がダリルを外へ出した。」
「父さん、凄いんだ。」
「凄いついでに言えば、ドームからセント・アイブスまで無断でヘリを操縦して飛んで行ったので、ダリルは局長から大目玉を食った。」

 ライサンダーが大笑いしたので、何故かポールは嬉しかった。

オリジン 4

 ライサンダーが両親のアパートに入ると、まだ誰も帰っていなかった。彼は鞄を自分用にあてがわれた小さな寝室に置き、キッチンへ行った。喉が渇いたので冷蔵庫を開けてみると、ミネラルウォーターとミルク、卵、バター、それに加工された肉類が少々入っていた。ポール・レイン・ドーマーに料理のイメージが湧かないので、これはダリルが食堂で買ってきて入れているのだろう。水の壜を出した時、狭いキッチンなので肩が棚の上の物に触れた。容器が一つ床に落ちた。壊れなかったが、蓋が外れて中に入っていたナッツ類が清潔な床の上に飛び散った。
 拙い、と思ったライサンダーは屈み込んでナッツを拾い集め始めた。食べ物を床に落としたままにしていると、山の家では必ず蟻や好ましくない虫がやって来た。ドーム育ちの父親は虫が苦手で、畑はともかく家の中で蟻が黒集りしていると大騒ぎしたものだ。
 ナッツは広範囲に散らばったので、時間がかかり、彼はそれに集中していたので、部屋のドアが開いたことに気が付かなかった。
 不意に照明が遮られ、手元が暗くなったので、彼は上を見上げ、カウンター越しに覗き込んでいるダリルと目が合った。

「夜中に何をしているんだ?」

 ダリルは息子が予定より早く到着していたことは驚かなかった。予定変更と言うものは人生につきものだ。

「見てわからない? ナッツが棚から落ちて散らばったんで、拾い集めているんだ。父さん、虫が嫌いだろ?」

 ライサンダーの言葉にダリルはクスッと笑った。

「ライサンダー、ここはドームの中だ。虫なんていないよ。」

 ライサンダーは言い返せなかった。父親の虫嫌いは、虫がいない世界で育ったせいだったのか・・・。
 ダリルがバスルームの方を見た。

「手を洗って寝なさい。落ちたナッツは明日掃除ロボットが片付けてくれる。」

 ドーマーは家事をしない。ドームの中の仕事がいっぱいあるために、家事でドーマー達の時間を取られることを嫌ったコロニー人達が、無数の家事ロボットを放っている。掃除ロボットは住人が仕事で留守の間に勝手にアパートの部屋を巡回して掃除して廻る。ベッドメイキングやゴミの回収も行う。洗濯は汚れた衣服をバスルームに設置されている洗濯用シュートに入れると自動回収されるのだ。
 ダリルは脱走してライサンダーが生まれる迄の10ヶ月間に自宅を建造して、家事を覚えた。多分、自力で生きる能力は他の元ドーマー達よりも上手いはずだ。しかし、ドームに戻ってから、すっかり昔の生活パターンに戻ってしまった。
 ライサンダーが拾ったナッツをゴミ入れに入れて、バスルームで手を洗い、ついでに入浴も済ませて出てくると、いつの間にかポールも帰って来ていた。彼はダリルと翌朝の打ち合わせの内容を少しばかり話してから、先に寝室に入って寝てしまった。
 ダリルは既に日付が変わっている時計を眺め、息子に朝食の後で中央研究所に行くようにと伝えた。

「副長官が地下へ案内すると言っている。まだ赤ん坊と呼ぶほど成長していないが、娘に会っておやり。」

2017年2月24日金曜日

オリジン 3

 ライサンダー・セイヤーズはドームに戻って来た。外の空港のターミナル食堂でシェイが作ってくれた雑炊と残り物の総菜をマイケル・ゴールドスミス・ドーマーと共に食べて腹を満たし、尞に帰って朝迄一眠りすると言うマイケルと別れてゲートをくぐった。
 前回初めてドームに入った時は妻を失ったショックで取り乱し、鎮静剤を打たれてフラフラの状態で来たのでよく覚えていなかったが、平素の精神状態で来ると、その執拗かつ丁寧な消毒に閉口した。薬品の風呂に入れられて頭髪から足の爪先まで綺麗に洗うように命じられ、服は洗濯に出された。僅かな着替えだけの荷物も全部消毒だ。口からは雑菌を排除する薬を飲まされた。

 何故ドーマー達が勝手に出入りしないのか、理由がわかった。消毒が面倒臭いんだ。

 ドームに入ったのは夜中近くだった。彼は出産管理区を迂回する回廊を歩き、かなり時間をかけてから研究と居住の区画に入った。夜遅かったので中央研究所には行かずに、両親が住むアパートに向かったが、途中でふと気が変わり、道を曲がって庭園へ行った。
地球で夜の森を歩くのは危険だ。人口が激減して以来、野生動物が増え続けており、熊や狼も出る。しかし、ドームの人工林はそんな心配は全くない。動物などいないのだから。
コロニーで使用されている人造土で栽培されている樹木が適度な間隔で成長しており、その間を小径が敷かれている。所々に芝生の広場があって、東屋やベンチが設置されている。
 ライサンダーがゆっくりと散歩を楽しんだ。満腹なので、少し運動をしたかった。今何処かに座ったりしたら、直ぐに眠ってしまいそうだ。
 ベンチや芝生ではカップルが何組かデートを楽しんでいた。もっともこの時代なので、殆どが男性同士のカップルだ。ドームの内も外も同じだ、とライサンダーは思った。ほんの半年だが女性と結婚出来た俺は幸運だったのだろう。
 どこかで女性の声が聞こえたような気がした。そのまま歩いて行くと、小川が流れていた。人工の川で浅いが、透明なドームの天井から差し込む月の光でキラキラと輝きながら水が流れていた。小川には橋がなく、飛び石で渡るようになっていた。その石を1人の男が軽々と跳び伝ってこちらへ渡って来た。ライサンダーはそのシルエットを見て立ち止まった。

 父さんだ!

 彼を追いかけて女性が森から出て来たが、彼女は飛び石にちょっと躊躇した。石の間隔が彼女には広く感じられたのだろう。

「橋まで行くわ。」

 彼女の声にライサンダーは聞き覚えがあったが、誰だか思い出せなかった。
 ダリルが彼女に言った。

「受け止めてあげますから、勢いをつけて跳びなさい。」
「無理です。」
「大丈夫、夜だから石の間隔が広く見えるだけです。」

 彼は付け加えた。

「それに、落ちても踝までの深さですから、溺れはしませんよ。」

 彼女は数秒躊躇ってから、少し助走をつけて石を飛んだ。ライサンダーが見守っていると、彼女は勢いに助けられて渡りきり、止まりきらずにダリルの胸に抱き留められた。

「ほら、大丈夫だったでしょう?」
「コロニーにこんな川は贅沢ですもの、私には初めてで、恐かったわ。」

 ライサンダーはハッとした。

 親父の彼女はコロニー人なのか!

 もし記憶が正しければ、地球人保護法によってコロニー人が地球人を誘惑するのは犯罪と見なされている。刑罰はないが、罰金や地球追放と言う処分が下されるはずだ。
だが、その逆はどうなのだろう? 地球人がコロニー人を誘ったら?
 ライサンダーは、何故父が交際中の女性の話を彼にしなかったのか、わかった様な気がした。公にすると拙いことになるので、息子には黙っているのだろう。

 父さん、本当に違反が好きなんだな・・・

 ライサンダーは苦笑した。父はプラトニックな交際だと言った。決して法律に違反しているのではないと言いたかったのだ。
 ライサンダーはそれ以上の覗き見は止めて、アパートに向かった。




2017年2月23日木曜日

オリジン 2

 その日のディナーをポール・レイン・ドーマーは久し振りに中央研究所の食堂で取った。クリスチャン・ドーソン・ドーマーの呼びかけでチーフ会議を兼ねた会食をしたのだ。だから、ダリルとは別行動だった。
 会議の内容は、遺伝子管理局の局員の抗原注射接種を30代で止めてはどうかと言うものだった。ポールが数週間前に「飽和」を経験して、現役チーフは全員注射を必要としない体になった。チーフが時間制限を気にせずに働けるのに、若い部下達が注射の効力切れを気にしながら仕事をするのは良くないのではないか、とドーソンは考えたのだ。

「ドームの外の空気は今のシステムが導入された頃と比べて格段に綺麗になっている。放射線量もオゾン層の再生で激減した。問題は細菌だ。」

 ドーソンはドームの外の人間がドーマーより短命なのは健康管理の方法に問題があると考えていた。だから、ドーマーが抗原注射を止めてもドームの外で生活するのでなければ寿命に問題はないだろうと意見を言った。他のチーフ達は同意見だったが、部下に早期の「通過」を強制するほどのこともないだろうと言った。注射の回数を減らすか、薬剤の種類を見直すか、方法はいくらでも考えられる、執政官に提案してみては、と南米班から意見が出た。ホアン・ドルスコ・ドーマーの部下は殆どが「通過」を30歳になる前に済ませてしまっているので、あまりこの会議に関心がないようだった。北米の2班の問題だろうと言いたげだ。中米のクロエル・ドーマーもホアンに同調した。結局、ドーソンが執政官に提案してみると言うことで、会議と食事会は終了した。
 チーフ達が解散すると、ポールは1人テーブルに残って部下達のスケジュールを確認した。注射が不要な部下は北米南部班では10名しかいない。残りの15名はまだ注射に頼っている。西海岸での仕事を考えると、やはり「通過」は必要だろう、と彼は思った。
 ふと気が付くと、執政官のファンクラブが彼の周辺に集まっていた。久し振りにポールが1人で中央研究所の食堂に居るので、誰かが集合をかけたのだ。

 ちぇっ、囲まれたか・・・

 ドーマーが近くにいないので彼等の接近を防ぎようがない。果たして、2名ばかり、彼のテーブルの空いた席に座った。ポールはいつのも様に無視しようと努めた。
 そろそろ仕事を終わらせてアパートに帰ろうと思い始めた頃に、執政官が話しかけてきた。

「君が髪を伸ばし始めてから、こんな風にのんびり話をする機会がなかったなぁ、ポール?」

 のんびりだって? ポールは耳を貸すまいと思った。執政官達が口々に「ますます綺麗になった」とか「若返った」とか賞賛し始めたからだ。五月蠅いので黙らせる口実を考えていたら、最初の執政官がまた話しかけた。

「君と同じ髪のあの男、ライサンダー・セイヤーズだっけ?」

「だっけ」にはいちいち気にするようなヤツじゃない、と言うニュアンスが含まれていた。

「子供が人工子宮から出る迄ここに通って来るそうだが、ポール、もう君がかまう必要はないんじゃないか? セイヤーズが創ったクローンなのだから、セイヤーズに任せておけば良いんだ。父親ごっこはもう終わりにしろよ。」
「そうだ、君はまだ若いんだから、子供はこれからいくらでも作れるだろう? オジサンにならないでくれよ。」
「僕は、ライサンダーが君を『お父さん』と呼ぶのを耳にした時、ゾッとしたぜ。」

 彼等はアイドルが何時までも若々しくいるものだと思っている。しかしポールは普通に歳を取りたいのだ。ドームの中に居るから外の人間より老化が少し遅いだけだ。
 彼は端末を仕舞い、立ち上がった。ファンクラブには目もくれずに歩きかけると、誰かが席を立って彼を追いかけた。

「ポール・・・」

 情けない泣きそうな声を聞いて、ポールは立ち止まった。振り返らずに言った。

「俺はライサンダーが息子だと言うことに誇りを感じている。人間として素晴らしい男を息子として与えてくれたダリル・セイヤーズに心から感謝している。彼等を認めないと言うヤツ等とは金輪際付き合わない。」

 ファンクラブの連中の間から息を呑む音が聞こえた。ポールが自身の考えをファンクラブに告げたのは初めてだ。しかも、彼は怒っていた。

「御免よ、ポール・・・」

 1人が言葉を発すると、忽ち彼等は口々に謝罪を始めた。

「君の息子をけなすつもりはなかったんだ。」
「君がセイヤーズ親子とばかり一緒にいるから、つい嫉妬したんだ。」
「セイヤーズは・・・親の方だけど・・・ちょっと物騒で苦手なんだ。」
「他のドーマー達と同じように、ライサンダーも扱うよ。地球人として尊重する。」
「だから、僕等と付き合わないなんて言わないでくれ。」

 なんて面倒臭い人々なんだ、とポールは心の中で愚痴った。大人だろう? 俺より年上の者もいるはずだろう? どうしていちいち俺の機嫌を取るんだ? 俺と付き合わなくたって日々楽しく暮らせるだろうに。
 彼は、この場で一番の問題だけ解決しておくことにした。くるりとファンクラブの方へ向き直ると、コロニー人達が緊張の面持ちで彼を見つめた。

「一言言っておく。ダリル・セイヤーズ・ドーマーは乱暴者ではない。普段の彼は君等がびっくりするほど脳天気でぼーっとしているんだ。隙だらけだ。それ故に、いきなり手を触れたりすると、あの男はびっくりして反射的に相手を殴りつけるのだ。殴られたくなければ、彼に触る前に声を掛けて、穏やかに手を伸ばせ。
 これは、ドーマーの間では常識だ。」




2017年2月21日火曜日

オリジン 1

 ライサンダーの休日は暫くの間金曜日と土曜日の週2日になった。木曜日の夜、勤務が明けた彼は、「居てもいいよ」と言ってくれた友人のアパートを出た。友人が「良い」と言っても、彼の彼女は嫌だろうと思ったのだ。もっとも、本当に嫌だったのは、妻を亡くしたばかりの彼自身だったのかも知れない。
 日曜日の朝に職場に出て、夜にアパートに帰るから、と彼は友人に予定を告げてポートランド支局横の空港に行った。ドームへの航空便は24時間稼働しているが、夜は便数が少ない。妊産婦の予約がなければ夜間は飛ばない日もある。ライサンダーは空港のロビーで朝まで仮眠するつもりだった。夏が始まるので寒くはない。
 ベンチに座って端末を取り出した時、近づいて来たパイロット用繋ぎを着た男が声を掛けてきた。

「ひょっとして、ライサンダー・セイヤーズなのかな? レインとセイヤーズの息子の?」

 ライサンダーは警戒すべきかと考えた。相手は手を差し出した。

「ドームの航空班でヘリの操縦をしているマイケル・ゴールドスミス・ドーマーだ。保安課にピーター・ゴールドスミス・ドーマーと言うヤツがいるが、兄弟ではない。しかし何故か2人共ダリル・セイヤーズ・ドーマーとは縁がある。今日は君の送迎が任務だが、君さえ良ければ専属でこれから送迎を担当しても良い。」

 一気に喋ったので、ライサンダーは唖然としてパイロットを見つめた。

「あの・・・俺がドームに行くのは明日の朝の予定ですが、ずっと待っていらしたのですか?」
「んな訳ないだろ!」

 マイケルが笑った。

「支局の用事をして、今夜はここに泊まり、明日の朝、君を拾って帰る予定だったんだ。偶々君がここに入って来るのが見えたので、声を掛けた。でも君がドームで寝たいと言うなら、これから飛んでも良い。」
「でも・・・お疲れでしょう?」
「別にぃ・・・ドームからポートランドまで、20分のフライトだぜ。」

 ドームってそんなに近かったっけ?

 ライサンダーは急に温かい食事とベッドが恋しくなった。

「これから飛んでもらっても良いですか?」
「いいとも。」

 その時、ライサンダーのお腹が大きな音をたてて鳴った。彼が赤面すると、マイケルが笑いながら端末を出した。そして何処かに電話を掛けた。

「ゴールドスミスだ。食堂はもう閉じたか?・・・ 否、別にドームの中でも良いんだが、消毒する間に空腹で倒れるかも知れないから・・・うん、わかった、恩に着るぜ。」

 彼はライサンダーを振り返った。

「シェイが残り物で何か作ってくれるとさ。」



2017年2月19日日曜日

大嵐 28

 翌日の午後、春の終わりの気怠い陽気を外の世界からそのまま受け継いでドーム全体がぼーっとした雰囲気になった頃に、ポール・レイン・ドーマーが1人で帰って来た。彼は先ず上司ハイネ局長に報告してから、ケンウッド長官にも挨拶に行った。息子の妻の葬儀の出席は私的なものだが、彼は遺伝子管理局の局員としての任務も果たしてきたからだ。
 法律では、胎児が保護されてドーム又は分室に収容される場合、遺産相続に関係してくる場合を考慮して、遺伝子管理局が公的に発表することになっていた。ポールは胎児がライサンダーとポーレットの子供であることを確認し、性別を特定し、ドームが保護していることを葬儀の場で公表した。これで胎児が無事に新生児として世に出た時に、親族の財産を相続する権利を保障されるのだ。
 ポールは自身とライサンダーの関係には言及しなかったが、2人の髪の色が同じで容貌も似ていたので血縁関係があるのではないかと推測された。本来なら血縁がない局員に任せるべき役割だったが、彼はどうしてもポーレットの親族を見ておきたかったのだ。彼等の反応を見てライサンダーと子供が受け容れてもらえるかどうか確認したかった。
 ゴダート夫妻は葬儀が始まる直前に現れた。父親は有名な社会人類学者だった。著書を多く出版しており、テレビでも解説者として出演するなど、幅広く活躍していた。しかし、娘が肌の色が違う男性を配偶者に選んだことが許せず、しかもその男性が貧しかったので、娘を勘当してしまった。ポーレットの夫が、彼女の最初の出産と同じ時に亡くなっても、娘を許せなかった。ポーレットが2度目の結婚で選んだ男も白人だったので、彼は娘を無視したのだが、事件を知って深く後悔していた。娘を殺害したドン・マコーリーは、彼が娘と結婚させたがっていた男だったからだ。
 娘の友人達が、ポーレットがいかに2人の夫を愛していたか、両親に伝えると、母親は悲しみに耐えきれなくなって号泣した。
 遺伝子管理局は子供の養子先を実の親に教えたりしない。子供が成長して養父母、子供、実の親の3者の合意がなければ真実を明かさないのが原則だ。ゴダート夫妻は最初の孫を諦めたが、2人目の孫には会いたいと言った。孫が成長した暁に、自分達が娘の人生を認めなかったばかりに娘を不幸な目に遭わせたことを謝りたい、と言った。
ライサンダーは、彼等に罪はないと慰めた。犯人達は他にも多くのクローンの子供を殺害しており、ポーレットはクローンである彼と結婚した為に、犯人グループに目を付けられたのだと。意外なことに、ゴダート夫妻は肌の色にこだわったにも関わらず、クローンには寛大だった。クローンであることは罪ではないのだから、ライサンダーは気に病んだりしないで欲しい、と言った。そして孫が新生児になったら、会わせて欲しいと頼んだ。ライサンダーから取り上げたりしないから、養育の援助をしたいと申し出た。
 
「ポーレット・ゴダートは死によって親と和解出来た訳だな。」

とケンウッド長官が呟いた。ポールは、親と言う人間は子供を愛する余り冷たくなってしまうこともあるのだな、と思った。ダリルはライサンダーを愛しているが、溺愛はしていない。1歩距離を置いて、息子を1人の人間として認めて育てていた。しかし放任主義ではなく、常に見守っていた。自分は育てる手間が省けて助かった、とポールは内心思った。
 上司達への報告が終わってオフィスに戻ると、ダリルも少し遅れて部屋に入って来た。報告書を作成しかけたポールは、彼が書類挟みを机に置いて、溜息をつくのを耳にした。

「今まで仕事をしていたのか?」

 時刻的には業務を終えてジムに行っているはずだった。ダリルは休憩スペースに行ってお茶を淹れながら、「秘書会議だよ」と答えた。
 遺伝子管理局の秘書の多くは現役を引退した幹部経験のない局員だ。支局長や出張所所長の様に、幹部経験がない若いうちにドームを出た者と違って、秘書は現場経験だけはたっぷりある。ダリルは年齢的に一番若いので、年長者に混ざって会議に出るといつも若輩者扱いされて言いたいことも言わせてもらえない。気疲れするので、秘書会議は苦手だった。

「また爺様達にいびられたか。」
「爺様と呼ぶには若いけれどね。みんな私が脱走した当初に私の捜索に携わった経験があるから、冷たいのだ。」
「それは自業自得だな。諦めて耐えろ。」

 ポールは報告書に取りかかった。いつもの様に、口頭で先に報告しているので、簡潔に数行で済ませてしまう。簡潔過ぎて却って名人芸に思える程だ。
 彼が書き終えたのを見計らって、ダリルは尋ねてみた。

「ライサンダーは上手く葬儀を仕切ったかい?」
「ああ、アメリアに教えられた通り、喪主らしく通夜も葬儀もやり遂げた。通夜の時に職場の仲間と話し合って、今夜からの塒も確保した。もう子供じゃないな。それに立ち直れる。」
「次に戻って来るのは5日後だな?」
「そうだ。もう待ち遠しいのか?」

 ダリルは恥ずかしそうに笑って頷いた。

「可笑しいだろ? 2度と会えないと覚悟してドームに戻ったはずなのに、会えるとわかった途端に無性に息子が恋しくて堪らないんだ。」

 彼はポールがじっと自分を見つめているのに気が付いた。

「まさか、君も・・・?」
「そんな訳ないだろう。」

 ポールはつんとして言った。

「俺は、君がドームの中に居るとわかっていても、君の姿が見えないと落ち着かない。それと同じだな、と思っただけだ。」

 ダリルは微笑んで、彼にお茶のカップを差し出した。ポールってどうして素直じゃないんだろ、と思いながら。


大嵐 27

 ライサンダーがポートランドに戻る朝、彼のスーツが仕上がって来た。ダリルは息子に白いシャツとダークスーツを着せ、ネクタイの締め方を伝授した。
 ライサンダーは生まれて初めてスーツを着て、ぎこちなく体を動かした。

「なんだか急に歳を取った気分だ。」
「どうして? 私達は18歳からずっと着ているんだぞ?」
「父さんは22歳から18年間野良着だったじゃないか。」
「スーツで畑は耕せないからだ。」

 そばの席で2人のやりとりを眺めているポールは、航空班からのメールを受けた。

「1時間後に出発だ。ライサンダー、スーツを着るのは明日だ。早く着替えろ。」
「靴も忘れずに持って行けよ。」

 ダリルは世話焼きの母親みたいに息子の持ち物を整理して鞄に押し込めた。ドームに来た時は着の身着のままだったライサンダーは、わずか1週間足らずの滞在で多くの荷物を持って出ていくことになった。

「父さんの彼女には会えなかったなぁ。局長って人にも会えなかったし・・・そう言えば、ジェリーにも会っていない!」
「また直ぐに戻って来るのだから、気にするな。」

 ダリルの彼女には会っているじゃないか、とポールは内心思ったが、敢えて言わなかった。ダリルが言わないのだから、口出ししないでおこう。
 ゲートまで見送りに来たダリルをハグしてから、ライサンダーは久し振りに俗世間に戻った。
 ヘリポートまで行くと、思いがけない人がそこで待っていた。保安課員に付き添われて立っている女性を見て、ライサンダーは思わず駆け寄った。

「シェイ! 元気だった?」
「ライサンダー、立派になったね!」

 ハグし合う2人を見て、ポールが咳払いした。

「感動の再会に水を挿すようだが、待ち合わせの時間を守るように。」
「でも・・・」
「すぐにまた会えるだろ!」
「はい。」

 シェイはラムゼイの牧場で一緒に過ごした少年に会いに来たに過ぎない。ライサンダーが彼女の名前をIDの母親の欄に書いていることは知らないのだ。ポールも彼女が息子の母親だとは思っていない。クローン製造に必要な卵子の殻を提供しただけの女性だ。だがライサンダーが彼女を特別な人だと思う気持ちは大事にしてやるつもりだ。だから、航空班に頼んで短時間の面会を設定したのだ。
 その後、ヘリでポートランドに飛んだポールとライサンダーは、ポートランド市警でアメリア・ドッティと合流し、ポーレット・ゴダートの遺体引き取りの手続きを行った。
アメリアが用意した棺は見た目は質素だったが、高価な木材が使用されていた。派手な装飾はポーレットの人柄にはそぐわないとアメリアが判断したのだ。彼女が連れて来た葬儀社の人がポーレットに死化粧を施し、ポーレット・ゴダートは眠っている様に見えた。
 アメリアは用意したホテルにポールとライサンダー、ポーレットを連れて行った。
ホテルの小ホールで通夜が行われ、ドッティ海運の従業員達やポーレットの学生時代の友人達がやって来た。ライサンダーは気丈に彼等のお悔やみの言葉を受け、挨拶をした。ポールは黙って彼のそばに付き添っていた。来客の挨拶が途切れた時、ライサンダーは父親を振り返った。ドーマーにとって外の世界の葬儀は珍しいのだろう。ポールは立食パーティの様な形式の通夜を興味深げに眺めていた。

「疲れない、お父さん?」
「否。おまえはどうなんだ?」
「ちょっと休憩したいな。」

 2人は空いた席を見つけて座った。すぐにボーイが来て飲み物を渡してくれた。
そこへアメリアが来た。2人が立ち上がろうとすると、彼女は「そのままで」と合図した。

「何から何まで有り難う。」

 ライサンダーが感謝すると、黒い喪中用のドレスを着たアメリアが微笑んだ。

「レインさんから、ドームの外のことは何も知らないとお聞きして、精一杯協力させて戴いています。主人からも、私の気が済むようにしなさいと言ってもらっています。」

 その時、職場の同僚達がライサンダーを呼ぶ声が聞こえた。ライサンダーはアメリアに断ってそちらへ行った。アメリアは彼が座っていた椅子に座り、残ったポールに囁いた。

「フラネリー家からもお悔やみの言葉を戴いています。」
「有り難う。」
「伯母がライサンダーに会いたがっています。」
「それは、彼に任せます。俺がとやかく言うことじゃない。」

 アメリアは少し考えてから、彼女の考えを口に出した。

「伯母と従兄妹達はライサンダーの将来と彼の子供の安全を気に掛けています。」
「息子は君の会社で働くことに不満はないようですが?」
「ええ・・・でも彼を守るのは難しいです。」
「ドームの外は何処に行っても危険だらけですよ。」

 ポールは懸念した。アメリア・ドッティはライサンダーを護衛付きの富豪の生活に引き込もうとしているのだろうか。それはライサンダーには似つかわしくないだろう。山の一軒家で自由奔放に育った息子だ。四六時中護衛に囲まれて暮らすのは息が詰まることに違いない。それに、ダリルもそんな生活を息子が送ることを好まないはずだ。
 アメリアが彼女の計画を彼だけに聞こえる声で囁いた。ポールはちょっと驚いた。

「本気ですか?」
「本気です。」

 アメリアは微笑した。

「セイヤーズさんとお話した時に、あの方がライサンダーが育った家の話を語ってくれました。私、昔から考えていた計画にぴったりだと思いますの。今すぐにとは申しませんが、ライサンダーが落ち着いたら打ち明けます。どうか、反対なさらないで下さいね。」
「しません。」

 ポールは、女性の発想は面白いと思った。
 ライサンダーは、父親と妻の友人が語り合っているのを離れた場所から眺めていた。富豪の奥様は父親の従妹なのだ。地球上の女性は全てクローンだと聞いているが、血縁重視で配置されている。アメリアはポールと少し似ていた。そして、この美男美女カップルに会場の多くの人々が視線を向けていることにも気が付いた。
 ポール・レイン・ドーマーはダークスーツが本当に似合っていた。



大嵐 26

 ライサンダーは夕食時に、2人の父親にケンウッド長官と図書館で出遭ったことを告げたが、会話の後半は省略した。彼自身がよく理解出来なかったからだ。

「おまえは普通の人間なんだな?」

とポール・レイン・ドーマーが確認した。ライサンダーは大きく頷いた。

「うん、長官がそう仰った。俺、怪我の恢復が普通の人より早いらしいけど、それは問題ないってお医者も言ったし。」
「つまり、おまえは進化型1級遺伝子を持っていない訳だ。」

 ポールは隣に座っているダリル・セイヤーズ・ドーマーを見た。ダリルがちょっと可笑しそうに言った。

「この子が機械の構造を理解しないので、頭が悪いんじゃないかと心配したことがあったが、要するに、私の方がおかしかった訳だな。」
「君は何でもかんでもおかしいのさ。」

とポール。ダリルは怒ったふりをして彼の皿から肉を一切れ奪った。
 ポールが予定の確認を始めた。

「明後日はライサンダーと俺とで出かけて、午後にポートランドでアメリア・ドッティと落ち合って警察へ行く。ポーレットを引き取って、アメリアがその日の夜の俺達の宿泊先などを用意してくれているから、ポートランドで一泊だ。通夜もアメリアが手配した。
 翌日、ポートランドの宗教施設で葬儀を行う。ポーレットの両親が来る予定になっているから、ライサンダーは会葬者への挨拶を考えておくように。」
「はい。」
「葬儀が終わったら、ライサンダーは元の生活に戻ること。塒の確保は自分でしろよ。」
「わかってる、子供じゃないから。」
「勤務シフトは職場で相談しろ。決まったら直ぐに連絡をくれ。俺でもダリルでもかまわないから。休日にドームに来る約束を守ること。」
「うん、わかった。」

 外に出られないダリルは、ポールとライサンダーの打ち合わせを黙って聞いていた。彼もポーレットにお別れを言いたかったが、それは許されないのだ。

「アメリアはどこまで私達のことを知ってしまったのだ?」
「恐らく全部だ。」
「全部?」

 ダリルは絶句した。大統領が全部を知らされていることは知っていた。為政者の義務としてドームで行われている業務の事実と意味を教えられるのだが、家族の秘密は母親から教えられたのだ。大統領の妹でポールの取り替え子フランシス・フラネリーは聡明で、母と兄の会話から子供時代から家族の秘密を察していた。ポールは彼女と「双子」として家族に迎えられ、従妹であるアメリアもその秘密を共有してしまった。
 そこまでは、過去のフラネリー家との関わり合いでダリルも把握していた。しかしライサンダーの存在をフラネリー家がどこまで受け容れてくれるか、不安だった。ダリルの身勝手な希望で創られた「男同士の間で生まれた」クローンの子を、フラネリー家が一族として迎えてくれると期待していなかった。ポールの母アーシュラはライサンダーの存在をダリルとの接触テレパスで知ってしまい、「孫」と呼んでくれたが、それが一族のメンバーに加えると言う意味でないことは、ダリルにはわかっていた。ポールがフラネリー家の遺産相続権を放棄したのと同様、ライサンダーにもその権利はないし、フラネリー家の一族を名乗る権利もない。
 アメリアが「全部知っている」と言うことは、ライサンダーが親族であると知っていると言うことだ。そして父親が2人いることも知っているのだ。それが彼女が敬愛する伯母アーシュラから伝えられたのか、ポーレットから聞かされたのか、わからない。

「女って不思議な生き物だなぁ。」

とポールが呟いた。

「理屈抜きで現実を受け容れることが出来るんだ。ポーレットはライサンダーがクローンでも、男同士の間に生まれたことも、何のこだわりもなく受け容れたのだろう? アメリアもポーレットから聞かされたことを受け容れた。ポーレットが愛した男だから、受け容れたのだ。そして、アーシュラから俺のことを聞かされて、ライサンダーが身内だと知った。身内で、友達の夫だから、援助するのは当然だと言うのだ。」
「でも・・・」

 ライサンダーは父親達を見た。

「俺はフラネリー家との関係を表に出すつもりはないよ。俺はアメリアの友人の夫、それだけなんだ。」
「うん、そうだ。」

 ダリルは息子の手を優しく叩いた。

「ドーマーは血縁に縛られない。だから、おまえも自由だ。」
「父さんの親族は結局不明なままなの?」

 ドキリとする質問をされて、ダリルは苦笑した。

「うん、全くわからないし、知る予定もないな。」

 ポールは心の中で思った。そろそろ宇宙の彼方で、あのセレブの女が妊娠したか失敗したか判明している頃だな、と。しかし、地球人には関係のない話だ。



2017年2月18日土曜日

大嵐 25

 ライサンダーは気になっていることを長官に尋ねた。

「俺は進化型1級遺伝子を持っているんじゃありませんか? 外に住んでいても良いのでしょうか? 娘に遺伝しているのではないかと心配です。」

一気に質問したので、ケンウッド長官は直ぐには応えなかった。少し考えてから、質問で返してきた。

「君はさっき使っていたコンピュータを今すぐに分解出来ますか?」
「え?」

 ライサンダーは質問の意味を解せず、戸惑った。

「そんなこと、出来る訳ないでしょう?」
「ダリルは出来ますよ。」
「親父は特別なんです。」
「彼を特別だと思えるのであれば、君は普通の人間です。」
「そうでしょうか?」
「山の家で、機械を分解したりして修理したことがありますか?」
「修理しようとしてさらに壊したことはありますが・・・親父が直してくれました。」
「ダリルは説明書きを読まなくても、機械を見ただけで何をどうすべきかわかっているでしょう。しかし、君はわからない。」
「そうですね・・・」
「ダリルの進化型1級遺伝子は、そう言う種類のものです。だから、君には遺伝していない。君が持っていなければ、君の子供にも遺伝しない。」

 専門家にはっきり言われて、ライサンダーは肩の荷が下りたような気がした。

「俺は普通の人間なのですね。」
「そう、肉体も脳も精神も普通ですね。」

 ケンウッドはライサンダーの笑顔を可愛いと思った。滅多に笑わないポール・レイン・ドーマーが笑えばこんな感じになるのだろう。いつも陽気なダリルの笑顔とは少し趣の異なる笑顔だった。
 ライサンダーがふと遠い目をして言った。

「でも、親父は、針仕事や料理は誰かに教わらないとわからないんですよね。」
「教わる?」
「ええ、俺の蒲団や料理を作ってくれたんですが、ほとんどが町で誰かに教わってきたんです。俺が産まれた時も、ジェリーからミルクの作り方や飲ませ方、襁褓の替え方、抱っこの仕方を習ったって言ってました。」

 ケンウッド長官はライサンダーをぐっと見つめた。彼の視線に籠もった強い力に、ライサンダーは気が付いて少し驚いた。何が長官の注意を惹いたのだろう。

「そうか、わからないのか・・・」

と長官が独り言を呟いた。
 ライサンダーはちょっと不安になった。

「俺、何か親父に不都合なことを言ったんでしょうか?」
「とんでもない!」

 ケンウッド長官が微笑みながら立ち上がった。

「君は今素晴らしいヒントをくれたのです。君はダリルを救うことが出来るかも知れない。」



大嵐 24

 昼食後、仕事が残っているダリルとポールはオフィスに戻って行き、ライサンダーは独りで図書館に行った。外の情報を気軽に見られるのはそこしかないと教えられたからだ。
 山奥で育ったライサンダーには、ドームの図書館が外の世界の図書館と同じなのか違うのか判断出来なかった。ただ静かな場所で、ロビーでは十数人の人々が寛いでいた。彼等はドーマーだったりコロニー人だったりしたが、殆ど男性で、ライサンダーが新顔であると気が付いたかも知れないが、無関心を装っていたので、彼は気が楽になった。
 ニュース等が見られるコンピュータの使用を申し込み、指定されたブースに入った。ポールにもらった端末をかざすと認証された。
 ライサンダーは時事ニュースのサイトを順番に見ていった。セイヤーズ家の事件は既に発生から2日たっていたので扱いが小さくなっていた。犯人グループは黙秘しているが証人がいるので有罪は確実だろうと言う、その程度のものだった。
 ライサンダーは少し肩透かしを食った気分になったが、社会から忘れてもらえることに安堵もした。己がクローンであることや、赤ん坊が胎児のままで母体から盗まれかけたことなど、出来れば知られたくないことばかりだ。
 残りの使用時間は政治や他の社会問題のニュースを見て過ごした。職場に復帰する時に頭が時代遅れになっていては困るのだ。
 ブースから出たのは1時間後だった。ロビーのソファに座って暫くぼんやりと頭を休めていると、前の席に座った年輩の男性がいた。

「ライサンダー・セイヤーズだね?」

 柔らかな口調の落ち着いた声だった。ライサンダーはぼんやりさせていた目の焦点を合わせた。彼に認識されたと確信した男性は名乗った。

「当アメリカ・ドームの代表のニコラス・ケンウッドです。」
「は・・・初めまして、ライサンダー・セイヤーズです。」

 長官だ。ライサンダーはびっくりした。父ダリルが暴力沙汰を起こして叱られたと聞いた時、恐い人だと想像していたのだが、目の前に居るのは優しそうな小父さんだった。
彼は長官が差し出した手を握った。温かかった。

「奥さんのことは残念だった。お悔やみ申し上げます。」

とケンウッドが言った。ライサンダーが礼を言うと、彼は微笑んだ。

「君が元気そうで安心しました。ドームの中は君には奇妙な世界に見えるかも知れないが、赤ん坊が無事に育つ迄我慢して下さい。」
「我慢だなんて・・・」

 ライサンダーは長官の腰が低いことに戸惑った。

「俺の方こそ、ここに居る資格がないのに、親に甘えて居座っています。さっき、親達と相談したのですが、妻の葬儀の後で外の世界に戻ります。週に2日、子供の様子を見に来ます。どうか許可をお願いします。」

 ケンウッドは目の前の「サタジット・ラムジーの最高傑作」を見つめた。

「君がその面倒な生活を受け容れてくれるのであれば、こちらは何の問題もありません。」

 長官が丁寧なのは、ライサンダー・セイヤーズが「民間人」だからだ。ドーマーの子だが、違法クローンと言う出生だが、今は市民権を持つ成人だ。1人の地球人としてのライサンダーに敬意を表しているのだった。

「あの・・・」

 ライサンダーは勇気を振り絞って提案した。

「俺の細胞を研究に使ってもらっても良いです。もしそれで地球に女の人が増えて、マコーリー達の様な犯罪者がいなくなるのであれば・・・」

「ライサンダー」とケンウッドは優しく呼びかけた。

「君の細胞は君がここへ来た晩に、健康診断の為に採取したもので充分です。君は正式な地球市民と認められているのですから、我々は君を研究の為のドーマーと同じには扱いません。」
「ドーマーは正式な地球市民ではないのですか?」
「少なくとも、ドームの外に自由に出る権利はありません。選挙権も持っていない。ドームの中にいる限り、子供を持つ権利も認められません。そして納税者でもありません。」
「でも・・・」
「でも地球人ですから、コロニー人のペットではないし奴隷でもない。人間としての権利は持っています。」

 長官は可笑しそうに笑った。

「話が逸れました。兎に角、これ以上君から細胞を戴くことはありません。もし、ドームの中に居る時に執政官から理不尽な扱いを受けたら、遠慮なく訴えて下さい。保安課に通報してもかまいません。コロニー人は地球上では地球人を尊重しなければならない。どんな出生の形でも地球人である以上、守られなければなりません。」
「そうですか・・・では遠慮なく保安課に通報します。うっかり父に言って、父が執政官を殴ると困りますから。」
「その『父』はブロンドの方ですね?」
「ええ・・・黒髪の方は理性がありますから。」

 ケンウッドが声をたてて笑ったので、周囲の人々が振り返った。ライサンダーが「しーっ」と指を立てたので、長官が照れくさそうに首をすくめた。



2017年2月16日木曜日

大嵐 23

 ライサンダー・セイヤーズが昼食の為に一般食堂へ出かけると、既にポール・レイン・ドーマーが来ており、1人で配膳コーナーで料理を選んでいるところだった。ライサンダーはダリルを目で探したが、ブロンドの父親は見当たらなかった。彼は暫く躊躇ってから、トレイを手に取って、葉緑体毛髪の黒髪の父親に近づいた。

「カードを有り難う。」

 声を掛けると、ポールは振り返らずに頷いただけだった。ライサンダーは返事を期待していなかったが、この無愛想な父親にどう対応すべきか考えた。ダリルは甘えてやれと言ったが、どう甘えれば良いのだろう。

「あの・・・父さんは?」

 「父さん」がダリルを指すことはポールにも承知のことだ。ポールが肉料理を皿に取りながら答えた。

「マコーリー一味を殴った件が長官にばれて叱られに行っている。」
「俺・・・喋ってないけど・・・」

 付き添いの執政官が告げ口したのかと思ったが、そうではなかった。

「出産管理区は女達を守る為にどこもかしこも監視カメラだらけだ。面談室の会話は全て保安課にモニターされている。保安課がダリルの暴挙の話を聞いて長官に報告したのだろう。」
「父さんは俺の代わりに怒ってくれたんだ。あの時の俺は何も出来なかったから・・・」
「もし俺が居れば、殴らずに射殺していたがな。」

 ポールは「シェイのチョコレートムース」と名札が付いたスウィーツを皿に取った。ライサンダーも続けて同じ物を取った。

「これ、ラムゼイの大好物だったんだ。」

と彼は呟いた。考えればあのメーカーの老人も「親」なのだ。

「甘さは控えめでキリッとした苦みが牧童達にも人気でさ・・・」
「男性好みの味だな。」

 2人は昨日と同じテーブルに着いた。早速目敏いポールのファンクラブが周辺に集まって来たが、ポールはいつも通りに無視だ。

「アメリア・ドッティがポーレットの遺体を引き取る手続きをしている。最終的にはおまえの署名が必要なので、明後日の午後、おまえに会いたいと言ってきた。外に出られるか?」
「うん・・・大丈夫。そろそろ仕事にも戻らなきゃ。」

 ライサンダーは副長官に言われたことを思い出した。

「これからの生活について、お父さんに相談があるんだけど・・・」

 精一杯さりげなく「お父さん」と呼んでみた。果たしてポール・レイン・ドーマーはナイフとフォークを使う手を一瞬止めた。彼は動揺を隠して息子の言葉を繰り返した。

「相談?」
「うん。事情聴取の後で、副長官に呼ばれたんだ。ラナ・ゴーンって言う女の人。」
「コロニー人だ。」
「そうだね・・・彼女が今俺たちの赤ん坊の面倒を見てくれているんだけど、これから産まれる迄、数日おきに俺に子供を見に来る様にと言うんだ。赤ん坊に語りかけることが必要だって。」

 ポールは食事を再開して、ライサンダーの言葉に軽く頷いただけだった。

「子供の成長過程を見るのは勿論大切だとわかってる。だけど、ドームから職場には通えないだろ? 通勤には遠いし、毎日消毒されるなんてうんざりだし・・・」
「おまえの勤務シフトはどうなっているんだ?」
「日勤4日と夜勤1日、2日休日で、今まではポーレットの休日と合わせて土日に休みをもらっていたけど、独りになったから、休日はいつでも良いや。」
「それなら、週に5日外で暮らして、休日にドームに居ると良い。ドームは曜日は関係なく機能しているから、何時おまえが戻って来てもかまわない。それよりも、外で暮らす場所はあるのか? あの家に戻るつもりか?」
「家には戻らない。職場の友達の所に数日厄介になるよ。出来るだけ早くアパートを見つけるから。」

 ライサンダーはポールの目を見た。

「ここのアパートに戻ってきても良いの? 週に2日は居ることになるけど・・・」
「副長官がそうしろと言ったのだから、そうすれば良い。ダリルと俺は仕事で昼間はアパートにいないが、おまえがかまって欲しいと言うのなら、休みを合わせてやる。」
「いや・・・もう子供じゃないし・・・」

 そこへダリルがトレイを持って現れた。

「何か深刻な話し合いかい?」

 ポールが視線を上げた。

「そっちこそどうだった? 搾られたにしては、晴れやかだな。」
「ご老人達は、私の無軌道振りに最早怒る気力もないようだよ。」

 ダリルは腰を下ろした。

「無期限の謹慎を食らった。今回の事件の裁判が終わる迄ドームから出ることはならん、とさ。」
「父さん・・・今でも閉じ込められているのに?」
「今度は外の人間に目撃されると拙いのだ。裁判に影響が出るので、暴力沙汰を起こした人間は雲隠れしていろとの連邦捜査局からのお達しでね。」

 ポールが薄笑いを浮かべた。

「長官は君に甘いなぁ・・・まさか色目を使ったんじゃないだろうな?」
「おい、息子の前で何てことを言うんだ! 私は女性にしか興味ないよ。」

 そして彼は恋人と息子の皿にあって彼自身の皿にはない物を発見した。

「『シェイのチョコレートムース』をゲット出来たのか、君達! 私が行ったら既になかったんだ。」
「それは気の毒に・・・」

 ポールはチョコレートムースの器をダリルから遠い方へ移動させた。ライサンダーも右に習えをしたので、ダリルは吹き出した。

「君達、親子そろって分け合いの精神を持っていないのか?」
「物が物だからな。なにしろ『シェイのチョコレートムース』だ。」
「俺達、運が良かったね、お父さん。もう少しでなくなるところだったもの。」

 ダリルはライサンダーを見た。息子は今、自然にポールを「お父さん」と呼んだのだ。髪の色も目も仕草もそっくりの親子が目の前に居た。




2017年2月15日水曜日

大嵐 22

 ダリルがオフィスに戻ると、ポールが渋い表情で迎えた。

「ケンウッド長官がお呼びだぞ。どうやら、君がマコーリー達をぶん殴ったことがばれたらしい。」
「自業自得だ・・・叱られて来るよ。」

 もしお昼にライサンダーと出会ったらよろしくと伝えてくれ、とダリルは言って、中央研究所へ向かった。
 長官室には、ローガン・ハイネ局長も呼ばれていた。
 ダリルが指示された椅子に座ると、長官は直ぐには口を開かずにコンピュータを眺めていた。何を言おうかと考えているのだ。
 ダリルは辛抱強く待った。局長は目を閉じて、もしかすると居眠りをしているのかも知れない。
 たっぷり5分待たせて、長官がやっと顔を上げた。

「セイヤーズ、呼ばれた理由はわかっているな?」
「息子の妻を殺害した連中を私が殴って怪我をさせた件ですね?」
「そうだ。腹が立ったことは理解する。だが、理性的に振る舞って欲しかった。」
「申し訳ありません。しかし、あの時は自制が利かなかったのです。」

 長官は溜息をつき、局長を見た。ローガン・ハイネ・ドーマーはまだ目を閉じていた。
ハイネ、と長官に呼ばれて、やっと彼は瞼を上げた。ケンウッドが尋ねた。

「このやんちゃ坊主をどうすれば良いと思う?」

 局長はちらりとダリルを見た。

「力を誇示したがるのは晡乳類の雄の常です。」
「だからと言って、麻痺光線で撃たれた人間を殴って負傷させて良いとは誰も思わん。」
「去勢しますか?」
「馬鹿言わんでくれ。」
「警察には引き渡しませんよ。」
「当然だ。」
「しかし司法が定める罰則を科す権利は、我々にはありません。」
「だから・・・」
「実は連邦捜査局から話がありましてね。」

 局長の言葉に、長官が緊張した。

「何を言ってきた?」
「彼等はニコライ・グリソムの犯罪を立証するめどがついたので、近々裁判に持ち込むつもりでいます。グリソムの裁判には、彼を実際に捕まえた航空班のゴールドスミス・ドーマーを証人として出廷させます。連邦捜査局はセイヤーズも現場に居たことを知っていますが、ヒギンズ捜査官の囮捜査の件も絡んでいるので、セイヤーズの存在には触れないことにするそうです。従って、彼等は、裁判が終わる迄セイヤーズにドームの外に出て来て欲しくないのです。」
「シェイともう1人現場に男がいただろ? 彼等の証言はどうするのだ?」
「司法取引と言うヤツで、セイヤーズの存在を黙らせるそうです。FOKがどれだけセイヤーズの存在を主張しても、目撃者全員が否定する。」

 ダリルは驚いた。

「そんなことが出来るのですか?」
「出来るように彼等が取引するのだ。兎に角、君は行く先々でトラブルを起こすから、連邦捜査局も苦慮している。裁判を有利に進めるには、君の存在を消し去ることが必要なのだ。」
「私は邪魔者なのですね・・・」
「だから、外に出るな。」
「何時までですか?」
「マコーリー達の裁判が終わるまでだ。」
「ニコライではなく、マコーリーの裁判ですか? 事件は2日前に起きたばかりですよ。」
「それがどうした?」
「どうしたって・・・」

 ダリルは悟った。局長はこれから先無期限で外に出るなと言っているのだ。
恐らく、今朝ライサンダーに面会した刑事達も口をつぐんでしまうのだろう。ブロンドの遺伝子管理局の男は最初から存在しなかったことにされてしまうのだ。だが、それで容疑者達を怪我させたことが不問にされるのであれば、我慢しなければならない。元々種馬として閉じ込められるはずの運命だったではないか。
 ダリルは深呼吸してから承知した。

「わかりました。ドームの中で大人しく精進して過ごします。」

 彼が納得したので、ケンウッド長官は肩の力を抜いた。そしてハイネ局長に目で感謝の意を伝えた。






2017年2月13日月曜日

大嵐 21

 ライサンダーは中央研究所からアパートに帰った。まだ昼前で父親達は仕事をしていたし、食堂に行ってもお金を持っていないので座っているだけになる。ジムに行く気力はなかった。事情聴取はそれなりに彼を疲れさせたのだ。
 保安課が彼の指紋でドアを解錠出来るよう設定してくれたので、両親の部屋に入ると、居間のソファの上にぐったりと座り込んだ。
 静かな場所で独りになると、どうしてもポーレットのことを思い出す。彼女の笑い声、優しい微笑み、しなやかな体・・・もう2度と会えないのだ。
 ライサンダーは静かに泣いた。感情の波は突然来たが、去って行く時は徐々に遠ざかって行った。頭が冷えると、バスルームに行って顔を洗った。明日から何をしよう。副長官は胎児が人工子宮内で安定する迄は外に出ないでくれと言った。万が一の時に父親がそばに居るべきだと言った。万が一があるなど、考えたくなかった。あの子にもしものことがあれば、ポーレットとの繋がりが全て失われてしまう。
 玄関のドアが開く音が聞こえた。ライサンダーは慌ててタオルで顔を拭くと居間に出た。
 ダリルが帰って来ていた。ライサンダーの顔を見て、ホッとした表情になった。警察の事情聴取で事件を思い出した息子が落ち込むのではないかと心配していたのだ。

「父さん、仕事はまだ終わっていないんだろ?」
「うん。副長官からおまえが用事を終えたと聞いて、ここだろうと思って来た。」
「俺に何か用? もし俺が落ち込んでいると思っているなら、大丈夫だ、もう浮上したから。」

 ダリルは強がって見せる息子に優しく微笑みかけて、ソファに座った。ライサンダーは向かいに座った。ダリルがカードを出した。

「金がなければ食堂に行っても何も食べられないだろう? ポールがおまえのカードを作ってくれたから、使いなさい。」

 それはドームの中限定のクレジットカードだった。食堂やコンビニなどで使用するカードで、主に客が使う。ドーマーが使うカードは外でも使用出来るし、現金の引き出しも出来る。

「お金はどこから引き落とされるの?」
「このカードはポールの口座からだ。」
「なんだかPちゃんに悪いな。かなり俺に気を遣ってくれているもの。」
「気を遣わせてもかまわないさ。彼もおまえの父親だから。」
「だけど・・・親子になったのは最近だし・・・」
「彼は息子が出来て喜んでいる。ドーマーは子供を持ちたいと思ったら、ドームを去らなければならないからね。だが、ポールはドームに居ながら息子を持てた。しかも育てる手間も省けたし。」

 ダリルはウィンクした。

「ポールは今父親であることを楽しんでいるんだよ。だから、彼の楽しみに水を挿さないでくれ。」
「それって・・・つまり、甘えろってこと?」
「うん。」

 ライサンダーは手を伸ばしてカードを手に取った。

「俺が散在したらどうするのさ?」
「ドームの中で散在出来ると思うか?」
「うーーん・・・無理・・・」
「日々の飲食と身の回りのちょっとした物を買う以外に、ドームでお金を使うことはないんだ。だから、ドーマー達は案外お金を持っている。給料はドームの外の公務員と変わらないからね。そう言う理由で、ポールはおまえがドームの中に居る時はおまえが使うお金を全部負担するつもりでいる。」
「俺も仕事を持っているけど・・・」
「家のローンで貯金はなかっただろ?」
「言われて見ると、そうだね。」

 ポーレットと2人で働いてローンを返済しながら暮らしていたのだ。妻が亡くなり、彼女の収入もなくなり、ローンだけ残った。

「あの家にはもう住めない・・・住みたくない。」
「それなら、売れば良い。」
「殺人事件があった家を買う人がいる?」
「それがいるんだ。ポーレットの葬儀が終わったらおまえと相談したいと言っている。」
「誰?」
「アメリア・ドッティだ。」
「あっ・・・」

 職場の経営者夫人だ。ポーレット・ゴダートを「命の恩人」と呼んでいた女性だ。

「ドッティ夫人が何故・・・」
「彼女はポーレットに命を救われた。だから、できる限りの恩返しをしたいと言っている。」
「それなら、もう充分してもらった。仕事をくれたし、今の家を買う時も協力してくれた。これ以上・・・」
「ライサンダー、他人の厚意は素直に受けなさい。」
「でも・・・」
「アメリアは、ポールの従妹なのだ。」
「ええ?!」

 ライサンダーはぽかんとして父を見た。彼の親達には本当にいつも驚かされる。

「そう、彼女はおまえの叔母さんになるんだ。」
「でも・・・凄く金持ちだよね?」
「外の世界では、女性は裕福な家にしかいないだろう?」
「そうだけど・・・ドッティ家は桁外れだよ。」
「だから、彼女はおまえの家を買うと言っている。これは施しではない。ちゃんとした取引だから、おまえと話し合って、おまえが納得出来る形で購入すると言っているのだ。」
「・・・わかった。それじゃ、ポーレットの葬儀の日取りとかも決めないといけないね。」
「葬儀は、彼女の遺体が警察から戻ってからだ。まだ検屍局に安置されている。おまえの名で返還を要求しなければ、彼女の両親が引き取ってしまうぞ。」

 ライサンダーはハッとした。ポーレット・ゴダートは最初の結婚を反対されて以来、両親と疎遠になっていた。

「俺が彼女を引き取って、両親にお別れをさせてあげるよ。父さん、手続きの仕方を教えて。」


大嵐 20

 付き添いの執政官はライサンダー・セイヤーズを警察の事情聴取の後で中央研究所へ連れて行った。案内されたのは副長官の執務室だった。彼はそこでライサンダーを室内に導き入れた。

「ライサンダー・セイヤーズを連れてきました。」

 そしてライサンダーにも部屋の主を紹介した。

「当ドームの副長官ラナ・ゴーン博士だ。」

 ライサンダーは執務机の向こうに座っている女性を見た。コロニー人の、中年の女性で、美しく賢そうな人、と言う印象だ。
 彼女は執政官に「ご苦労様」と声を掛け、執政官は会釈して部屋から出て行った。
副長官が机のこちら側に出て来て、手を差し出した。

「副長官のラナ・ゴーンです。血液の研究を専門としていますが、ここ暫くは貴方の赤ちゃんが人工子宮に安定する迄観察をしています。」

 ライサンダーはドキドキした。コロニー人の女性と会うのは初めてだ。それも立派な大人の女性だ。地球人の女性達より年齢は上だろうが、どうすればこんなに綺麗でいられるのだろう。
 ぼんやりしていたが、やがて差し出された手に気が付いて慌てて握手に応じた。

「ライサンダー・セイヤーズです。子供を助けて戴いて有り難うございます。」
「水を挿すようですが、まだ楽観は出来ませんよ。でもドームは全力を尽くしていますし、あの赤ちゃんは強い子の様です。きっと無事に育ってくれるでしょう。」

 座って、と彼女は彼に椅子を勧めた。ライサンダーは来客用の椅子に静かに腰を下ろした。彼女が赤ん坊の映像を見ますかと尋ね、彼は少し躊躇ってからお願いしますと返事をした。
 中央のテーブルに立体画像が立ち上がった。人工子宮に入っている胎児の姿だ。まだ人間の姿と呼べる形にはなっていない。

「女の子ですよね?」
「ええ、女の子です。」
「3ヶ月目のはずです。」
「確かに、13週目ですね。」
「俺とポーレットの娘・・・」
「そうですよ。」

 ラナ・ゴーンは微笑んで見せた。

「大異変の後で初めてドームの外、自然の愛の営みで生まれた地球人の女の子ですよ。」

 ライサンダーは画像にそっと手を伸ばした。彼の手は何にも触れなかった。

「なんだか恐いです。」

と彼は正直に感想を述べた。

「俺はそんな重要な命を養える人間じゃない・・・」
「出来ますよ。貴方は独りではないでしょう?」
「ドームで育てろと仰るのですか?」
「その子はちゃんと貴方と言うお父さんがいます。ドームの中で育てることは出来ません。でも、人工子宮の中にいる間は、ドームが守ります。貴方も居て下さると良いのですけど。」
「俺はここに住む資格はないし、そのつもりもありません。俺の仕事は外にあります。」
「貴方がどんな生活形態を取るかは、貴方が父親達と話し合って決めることです。ドームは貴方の人生に干渉しません。赤ちゃんを誕生まで保護するだけなのです。赤ちゃんの人生にも口出し出来ません。」
「子供が産まれたら・・・つまり、機械から出たら、自由にしろと?」
「冷たい様ですが、そう言うことです。」
「勿論、自由にさせてもらいます。」

 ライサンダーは副長官が何を言いたいのか考えた。ドームは胎児を人工子宮から出せる日まで保護する。その間はライサンダーにも赤ん坊のそばに居て欲しいと言うのだ。

「俺がここに居る意味は何です?」
「赤ちゃんに時々語りかけて欲しいのです。胎児は母親に語りかけられて育ちます。ちゃんとお腹の中でお母さんの声を聞いているのですよ。でも、貴方の赤ちゃんはお母さんがいなくなってしまいました。ですから、お父さんの貴方が代わりに語りかけてあげて下さい。」
「ドーマーでは駄目なのですか?」
「ドーマーは大勢の赤ちゃんの面倒を見なければなりません。貴方は自分の子供を人任せにしたいのですか?」
「いえ、それは・・・」
「ダリル・セイヤーズは数日おきに貴方をラムゼイの研究所へ見に行ったそうですよ。もしかするとメーカーに捕まってクローンの材料にされるかも知れない危険を冒して。」
「・・・」
「赤ちゃんは貴方を必要としています。そしてダリルも貴方をそばに置きたがっています。1年間だけで結構ですから、ドームに住んで戴けませんか?」

 ライサンダーはもう1度画像の赤ん坊を見つめた。リアルで中継されているのだろう、胎児の心臓が鼓動しているのが見えた。
 
 生きているんだ・・・ポーレットの忘れ形見が・・・

 ライサンダーはラナ・ゴーンに向き直った。

「わかりました。2人の父と相談してみます。」
「有り難う。ところで、今すぐとは言いませんから、赤ちゃんの名前が決まったら教えて下さい。番号で呼ぶより、名前を呼んだ方が、貴方もお父さんとしての実感が湧くでしょう?」



2017年2月12日日曜日

大嵐 19

 ポートランド市警がドームを訪問したのは、翌日の午前中だった。刑事が2人やって来たが、彼等が足を踏み入れることを許されたのは、出産管理区のみだった。つまり、一般の地球人が出入り出来る区画だ。そこで設置されているゲストルームでライサンダー・セイヤーズは事情聴取を受けた。ドーム側は弁護士の用意はしなかった。ライサンダーは被害者で、警察は被害者の証言を取りに来たのだ。しかし付き添いとして地球の法律に詳しい執政官が1人同席した。
 ライサンダーは妻ポーレットが犯人のドン・マコーリーと幼馴染みだと言う説明を妻から聞いたことがあると言った。妻は妊娠して、産科医のマコーリーに健康管理に関する相談をしていた。マコーリーと彼は電話で会話をしたことはなく、面識もなかった。また事件当日にマコーリーが彼の自宅に来ることも知らなかった。
 昼過ぎに帰宅したら妻は姿を見せず、代わりに家の中にマコーリーが居た。拳銃を向けられ、少し言葉を交わした後、マコーリーの仲間が同じく家の奥から現れた。妻の行方を尋ねたが教えてくれず、手錠を掛けられ、家の外へ連れ出された時に、遺伝子管理局の局員が庭に居て、救出してくれた。
 そう言う内容のことをライサンダーは刑事に喋った。喋りながら、自分がマコーリーと言葉を交わしていた時にはポーレットは既に殺害されていたのだと思いが行き、涙が出て来た。昨日何度か父に抱き締められて泣いたので、号泣することはなかったが、言葉に詰まる場面が何度かあった。執政官が、気分が悪ければ事情聴取を打ち切らせると言ってくれたが、彼は頑張った。
 刑事達は、事件当日クロエル・ドーマーとジョン・ケリー・ドーマーからも事情聴取を済ませていた。彼等の証言とライサンダーの証言に食い違いがないか、チェックしていた。

「貴方の証言と遺伝子管理局の2人の証言は合っていますが・・・」
「何かおかしなところでもあるんですか?」
「マコーリー達は、遺伝子管理局の人間は3人居たと言っているんです。」

 ライサンダーは、クロエル達がダリルの存在を伏せたことに気が付いた。彼は証言で局員は2人居たと言ったのだが、その2人はクロエルとダリルのつもりだった。しかし警察の事情聴取に応じたのはクロエルとケリーで、ダリルは一足先にポーレットの胎児をドームへ搬送して事件現場を去ったのだ。ケリーの存在はライサンダーも知っていた。ケリーは庭での乱闘に加わらなかったので、彼は計算に入れなかったのだが、ケリーが事情聴取を受けたことは知っていた。

 遺伝子管理局は父さんの存在を警察に知られたくないんだ・・・

 ライサンダーはすっとぼけることにした。

「3人でしたか・・・俺はもう何が何だかわからなくて・・・すぐに警察が来たし・・・」
「3人居たと連中は言ってるんです・・・否、まだ喋れないから筆談だけど。」
「喋れない?」
「顔を殴られて、1人が顎の骨を砕かれ、1人が頬骨と鼻骨を骨折してね、3人目は鼓膜を破られて、4人目も歯を折られた。それがブロンドの局員だったと証言しているんですが、居ないんですよね、何処を探しても・・・」

 執政官が咳払いした。

「見間違いでは?」
「しかし、証言した局員はドレッドヘアの黒人とダークヘアの白人で、ブロンドじゃなかったんです。私もそのブロンドの局員とちょっとだけ話をしました。セイヤーズさんの奥さんの遺体を発見した時に・・・。」
「消えたブロンドの局員は、警察が来る迄の間に、捕まえたマコーリーの一味全員をぶちのめして怪我をさせてます。ちょっと拙いんですよ。」
「しかし、その男が局員だと言う証拠はないでしょう?」
「マコーリー達はブロンドの男もダークスーツを着用していたと言っています。」
「連中の言うことを信じるのですか?」
「しかし、彼は局員だと名乗りましたし・・・」
「だからそのブロンドが局員だったと言う証拠はない訳ですね。」

 刑事達は渋々認めた。

「ないです。」
「申し訳ないが、証言した2人・・・ええっと、クロエルさんとケリーさんにもう1度お話を伺いたいのですが?」
「それは無理ですね。」
「無理?」
「クロエルは今朝早く職務でニカラグアへ飛んで行きました。ケリーもLAへ出かけました。」
「証人を遠くへ行かせたのですか?」
「別に逃げた訳ではありません。職務遂行に励んでいるだけです。数日で帰って来ますよ。」

 勿論、ドーム幹部は2人のドーマーが帰投する前に彼等と口裏を合わせるつもりだ。
刑事達は、また伺いたいことがあれば来ます、と言い、ライサンダーも落ち着いたらニューポートランドに帰るので、その時に連絡すると言った。
 警察が帰ると、執政官はライサンダーを見て愚痴った。

「君の親父、ダリルは本当に厄介な男だなぁ。余計な乱暴を働かなかったら、証言させていたのに。」

 ライサンダーは肩をすくめた。

「俺も、親父があんなに怒ったのを見たのは初めてです。」

大嵐 18

 体を動かしたお陰で、ライサンダーは夕食も人並みに食べることが出来た。夕食は部下達も一緒だったので賑やかだった。彼は知らなかったが、ドーマー達は集まることで執政官がお気に入りのドーマーにちょっかいを出すのを防ぐのだが、この日はライサンダーを守っていた。
 ライサンダーは遺伝子管理局以外のドーマー達からも挨拶を受けた。ダリルとポールが育った「トニー小父さんの部屋」の卒業生達だ。彼等は厨房班のピート・オブライアン・ドーマーから話を聞いて、「ダリル兄さんとポール兄さんの息子」を見に来たのだ。

「凄いな、兄さん2人のいいとこ取りじゃないか!」
「兄さん達、狡いな、自分達だけ親になって。」

 からかいとやっかみと賞賛とで、テーブルはかなり賑やかだった。

「子供時代は何していたんだい?」
「畑で野菜を作ってた・・・」
「本当か!」

 と嬉しそうな声を上げたドーマーがいた。

「俺、園芸班の野菜担当なんだ。ダリル兄さんから『土の兄弟』って呼ばれてる。」

 ダリルが笑った。

「遺伝子管理局を引退したら園芸班に入れてもらおうと思って、今から根回ししているんだ。」
「そう言えば・・・」

 ライサンダーはぼんやりと気になっていたことを質問してみた。

「お年寄りのドーマーを見かけないけど、年を取ったらみんなどうしているの?」
「年長者には年長者の仕事があるのさ。」

と『土の兄弟』が説明した。

「希望通りに行かない場合もあるけど、大方は引退を決意した時にドームに申請を出す。養育棟で幼いドーマーの世話をしたり、出産管理区で女性の世話をするスタッフになったり、配車や機械整備など・・・年齢に関係なくずっと続けられる仕事もあるしね。俺の部署は年齢は関係ないから、結構爺様が働いているよ。」
「ドーム維持班は動けなくなるまで働けるからいいよね。遺伝子管理局や保安課、航空班などは年を取ったら辛くなるから、引退する時期を考えなきゃならない。」

 ライサンダーはセント・アイブスのリュック・ニュカネンを思い出した。

「ドームの外には出ないの?」
「歳を取ってから外に出るのは、もっと辛いよ。僕等はドームの中しか知らないからね。出るなら30歳前後が限界かなぁ。」
「出たヤツは本当に勇気があるよ。マジ、尊敬する。」
「外に出るヤツって、殆どが女の引力に負けるんだよ。出たらすぐ結婚しているだろ?」
「確かにね!」

 食事の後、ダリルとポールはライサンダーをアパートに連れ帰った。
 ライサンダーは想像したよりシンプルな親達の住処を眺めた。

「まるで寝るだけの部屋みたいな家だね。」
「確かに、そう言えるな。休日もジムや図書館で過ごすことが多いから。」

 明日着用するライサンダーの衣服が届けられていた。
 ダリルが小さい寝室を息子の部屋として準備した。山の家から連れて来られた時にクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが持って来てくれたライサンダーのキルティングも用意した。それを見た時、またライサンダーは胸にグッとくるものがあった。

「父さん、俺達、もう山へ帰れないのかな?」
「おまえは自由だから、いつでも帰れるさ。」
「でも父さんがいない家なんて・・・」
「おまえが好きな様にすれば良い。住むなり、売るなり・・・」
「あの家を買いたいって人っているかな・・・」

 その頃、ポールは居間でドームの外からの電話を受けていた。

「こんばんは、レインさん、アメリア・ドッティです。 ポーレットの事件、聞きました・・・」

 アメリア・ドッティはポーレット・ゴダートに命を救われた。恩人の不幸に驚いて電話を掛けてきたのだが、何故俺なんだ? とポールは疑問に思った。アメリアが親しくしているのはダリルの方だろうに・・・。

「ポーレットの夫のライサンダー・セイヤーズは、ダリル・セイヤーズさんの息子さんなのですよね?」
「ええ・・・」
「そして、貴方の息子さん・・・」

どうしてそれをアメリアが知っているのだ? ポールは驚いて、思わず端末を見つめた。

「ごめんなさい、伯母様からお聞きしました。」
「ああ・・・そうですか・・・」

 アーシュラ・R・L・フラネリーが秘密を暴露したと言うのか? 一体何人に喋ったのだ? ポールはうろたえた。 彼自身の名声が地に落ちるのはかまわない。だが、大統領の身に降りかかったら困るだろうに。
 彼の焦りを察したのか、アメリアが真面目な声で言った。

「フラネリー家に不利なことは、外部に漏らしませんわ。」
「そうでした、貴女も一族の一員でしたね。」
「貴方が従兄だと知って正直驚きました。でも、それで貴方とハロルドがよく似ている理由がわかりました。貴方はフランシスと双子なのですね。」

 母アーシュラはそう言う説明で誤魔化したのか。女性がクローンだと知られずに、フランシス・フラネリーを傷つけずに、ポール・レイン・ドーマーが実は親族だと知らせる為の嘘だ。

「今回の不幸な事件の後始末は、ドッティ家が引き受けます。フラネリー家には迷惑を掛けません。私がポーレットにして差し上げられる精一杯の恩返しです。」


大嵐 17

 午後4時頃になって仕事を終えたダリルとポールはライサンダーをジムへ連れて行った。筋トレで準備運動をしてから、ポールは息子を格闘技場へ案内した。

「少し暴れてみるか?」

 ライサンダーは父親達が彼の頭から事件の記憶を消そうと努力していることがわかっていた。明日は嫌が上でも警察相手に事件の話をしなければならない。だから今日1日はリラックスさせたいのだ。落ち着いて事情聴取を受けられるように。
 ライサンダーは遠慮無くポールを相手に組み合った。勝てると思ったが、ポール・レイン・ドーマーは甘くなかった。彼は投げ飛ばされ、組み伏せられ、転がされた。
夢中になっていたら、いつの間にか北米南部班の部下達が集まって来た。出張に行かなかった2チームで、第3チームはライサンダーもセント・アイブスで顔馴染みになったメンバーだ。彼等は事件のことを知っていたが、一言も触れずにライサンダーに勝負を挑んできた。ライサンダーは逃げなかった。順番にドーマー達を相手にして、勝ったり負けたりして体を動かすことを楽しんだ。中には彼に闘い方を教える者もいた。
 息子が格闘技に夢中になっているのをダリルは休憩スペースで見物していた。ポールの心遣いに彼は深く感謝していた。ダリル1人だったら、ライサンダーを抱き締めることしか思いつかなかっただろう。ポールは過去にも部下達をこんな風に励ましてきたのだ。
 ポールが冷たいレモンジュースのグラスを両手に持ってやって来た。ダリルに一つ渡して隣に座った。

「いろいろ気を遣ってくれて有り難う。」

 ダリルが言うと、彼は顔をしかめた。

「他人行儀だな。」
「だって、私が息子の存在を君に押しつけたようなものだから。」
「俺は君が俺の息子を創ったと知った時、嬉しかったんだ。」
「嬉しかった?」
「ああ・・・執政官はドーマーから大勢子供を創るが、俺たち自身の子供にはならないからな。1人ぐらい手元に残る子供が居ても良いかなと思うのは、俺だけじゃないはずだ。」
「私もそう思ったから、ライサンダーを創った。」
「敢えて言わせてもらえば、その気持ちを俺に伝えて欲しかった。」
「すまない・・・子供を持つと言う考えは唐突に思いついたんだ。それ迄は君さえ居てくれればと思っていた。」

 ライサンダーは、ダリルとポールがそれぞれ手にジュースのグラスを持ったままでキスを交わすのを目撃した。ハッとした瞬間、

「隙あり!」

 ドーマーに投げ飛ばされた。

2017年2月11日土曜日

大嵐 16

 ダリルはポールが彼の神聖な職場に部外者であるライサンダーを入れたことに驚いていた。昼食の後、彼等はまだ仕事が残っており、彼はライサンダーをアパートで休ませるつもりだったのだが、それでは医療区で入院しているのと同じだろうとポールが文句を言ったのだ。ポールのオフィスだからダリルに反対する権利はない。遺伝子管理局本部の受付で入館パスを出してもらい、ポールのオフィスと廊下とお手洗い以外には立ち入らないことと注意を与えられて、ライサンダーは親の職場に初めて入った。

「多分、退屈で死にそうになるだけだと思うよ。」

とダリルは言った。だからと言って息子を1人でジムや図書館に行かせたくなかった。執政官やポールのファンクラブに絡まれる心配があったからだ。
 ポールが息子に玩具を与えた。ロイ・ヒギンズ連邦捜査官がドーム滞在中に使用していた端末だ。使用出来るアプリが極力制限されている外部からの訪問者用端末で、ヒギンズが使用した履歴は既に削除・初期化されていた。
 ライサンダーは休憩スペースの簡易ベッドに座って端末を操作し始めた。ダリルの息子なので機械物の扱いは得意だ。彼は直ぐにとんでもないアドレスを発見した。パパラッチサイトだ。開くとドーム内の様子を撮影した動画や静止画が沢山出て来た。

 殆どがPちゃんの画像だ・・・Pちゃんの追っかけサイトなのか?

 勿論、他のドーマーや執政官達も撮影されていた。失敗シーンやプライバシー侵害の本人が見たら憤慨間違いないような場面が多い。しかし、削除されずに残っている。
 ライサンダーはアクセス数の多い画像を選んで見ていった。かなり面白い。暫く夢中になって見ていた。
 ふとある画像で彼は手を止めた。暫く眺めてから顔を上げ、親達を見た。ポールはコンピュータの画面を見ながら端末で部下と話をしていた。ダリルは書類の分類を終えて秘書レベルで決裁出来るものに署名を始めた。彼等の手が空くのはかなり先に思えたので、ライサンダーは思い切って声を掛けてみた。

「父さん、ちょっと良いかな?」

「父さん」と言う呼びかけにポールは無反応で、ダリルが振り返った。

「何だ?」
「あの・・・PちゃんとJJは交際しているの?」

「Pちゃん」にポールが反応した。部下に「ちょっと待て」と言って、ライサンダーに振り向いた。

「答えはイエスだ。以上。」

 そしてまた仕事に戻った。ライサンダーはぽかんとしてダリルを見た。ダリルがクスッと笑って頷いて見せた。ライサンダーはもう1度画像を見た。ポールとJJはキスをしたり、手を繋いで歩いていたり、仲良く行動していた。普通に小父さんと若い娘が交際している風景だ。パパラッチのコメントも好意的で、揶揄する様なものはない。ドームでは既に公認の仲なのだ。
 
 妹みたいなJJが、俺の父親と交際している・・・

 ドラマではよくあることだ。だが・・・

「Pちゃんは父さんと愛し合っているんだよね?」
「そうだが・・・」

 ダリルはポールを見た。ポールも通話を終えたところで、ダリルを振り返った。

「何か問題でも?」
「男と女と同時に愛せるの、Pちゃん?」
「ダリルだって女がいるぞ。」
「えっ?!」

 ライサンダーがこちらを向いたので、ダリルは覚悟を決めた。

「私にも交際している女性がいる。」
「父さんも・・・」
「ポールも私もプラトニックな範囲で交際しているが、おまえが納得いかないのはわかる。私もポールとJJが交際を始めた時は驚いた。しかし、2人の成り染めはおまえが知っているだろう?」
「ラムゼイのトラックの中・・・」
「JJには翻訳機を使わなくても気持ちを伝えられるポールが必要だった。そしてポールの優しさに触れて彼を愛し始めた。ポールは若い頃からずっといろんな人間の欲望に悩まされてきた。でもJJは純粋に彼の心を好きになった。だからポールは彼女を受け入れた。」
「父さんはPちゃんにとっては何なのさ?」

 これはポールが答えた。

「俺たちは2人で1人だ。」
「はぁ?」
「ダリルは俺の心の半分だ。だから俺は半年前迄死んでいた。彼が戻ってきたので、俺は生き返り、目を開いたら、そこに可愛い女がいた。そう言うことだ。」
「そう言うことって・・・?」
「ライサンダー、ポールと私は何でもお互いのことを知っているが、時にはお互いに話せないこともある。話せば相手が傷つくとわかっているからだ。しかし秘密を抱えているのは苦しいだろう? そんな時、もう1人理解してくれる人が必要だ。信頼と信用がおける人が、偶々私達にとっては女性だった。」
「でも、彼女達は、父さん達に自分1人だけを見て欲しいって思っているんじゃないかな?」

 するとポールが、接触テレパスの父親が自信を持って答えた。

「彼女達は全然そんなことを思っていない。彼女達は俺達を知っているからだ。もし他の女性だったら、確かにおまえが思っている通りだろうがな。」

 ライサンダーは反論しようと思ったが、言葉が思いつかなかった。ポールが言ったことは確かに真実なのだろう。JJはドーマー達が特殊な環境で育っていることを知らない。彼女自身が特殊な生い立ちだったからだ。それに、ダリルは彼等の恋愛をプラトニックだと言った。まだ親友の段階で留まっている交際なのだ。
「わかった。」とライサンダーは言った。

「仕事の手を止めさせて御免。続けて下さい。俺はもう少しこの暴露サイトを見ているから。」

 そこで初めて息子が何を見ていたのか、二親は悟った。2人は同時に叫んだ。

「見なくて良い!」
「もっと為になるものを見なさい!」



2017年2月9日木曜日

大嵐 15

 ケンウッド長官はその日の午後に開かれた会議は無用のものだと感じていた。議論する必要のない事柄をさも重大事案として話し合いたがる執政官のグループがいたのだ。

「ポール・レイン・ドーマーは遺伝子管理局の北米南部班のチーフです。将来は局長職にも昇り詰める可能性のある幹部クラスの男に、違法クローンの子供がいると、ドーム中に知れ渡ってしまいました。これでは、他のドーマー達に示しが付きません。」

 まくしたてる執政官はポールのファンクラブのメンバーだ。本来ならアイドルを庇ってやるのが筋だろうに、逆に糾弾しようとしている。

「それでは、レインを遺伝子管理局は懲戒免職にしろと?」

と別の執政官が尋ねた。糾弾派はケンウッドの右側、擁護派は左に席を占めていた。

「そこまでしろとは言っていない・・・」
「では、どうしろと言うのだ? 忘れているようだから言ってやるが、クローンの子供を創ったのはダリル・セイヤーズ・ドーマーで、レインは関与していないのだぞ。彼は半年前にセイヤーズを逮捕する迄子供の存在すら知らなかったのだ。」
「そうとも、子供の件でレインを責めるのは間違っている。」
「だが、しかし・・・レインは今、これ見よがしに子供をドームの仲間に披露しているぞ。まるで法律違反などなかったかの様に・・・。」
「セイヤーズが脱走と違法クローン製造でそれなりに処罰されたことはドーム中が知っている。彼は自由にドームを出入り出来ないし、先ず外に住む許可は一生もらえない。『お勤め』の回数も他のドーマー達と比べて遙かに多い。今回の子供の件は特殊な事情を考慮してドームに連れて来ることを、ハイネ局長が許可したのだ。」
「レインが息子を連れ回しているのは、息子に悲劇を忘れさせようとしているのだと言うことを、理解してやらねばならない。あの男なりに父親であろうと努力しているのだ。」

 糾弾派は分が悪い。彼等はアイドルをクローンの息子に奪われて悔しいのだ。嫉妬しているだけだ。だからケンウッドはこの会議は無用だと感じていた。
 彼は黙って議論を聞いていた医療区の医長に声を掛けた。

「ライサンダー・セイヤーズの健康状態はどんな具合だね?」
「精神的なストレスを除けば、完璧に良好ですな。」

 医長は糾弾派にニヤリと笑いかけた。

「クローンとは思えない、完全に健全な地球人の体です。誰が見ても、彼の出自はわからんでしょう。サタジット・ラムジーがどんな方法であの若者を創ったのか、知りたいものです。」
「違法ばかりした男だが、遺伝子学者として惜しい人材を失ったものだ。」
「もっと検体を採取したいのですが、ドームはセイヤーズとの約束を守らねばなりませんからな。息子には絶対に手を出さないと言う・・・」

 そこへ、ラナ・ゴーン副長官が入って来た。彼女は昨夜から人工子宮に保護されたポーレット・ゴダートの胎児に付きっきりで観察していたのだ。胎児が安定したので、やっと地下から上がって来た。


2017年2月8日水曜日

大嵐 14

 食堂は2箇所あったが、ポール・レイン・ドーマーは迷わず一般食堂へ向かった。医療区は中央研究所と出産区と共に共有する食堂があるのだが、そこは幸福そうな妊産婦達を見ながら食事をする場所だ。今のライサンダーには酷だとポールは判断し、ダリル・セイヤーズ・ドーマーにも異存はなかった。
 外に出ると予想外に明るかったので、ライサンダーは驚いて空を見上げた。青空を白い雲が流れていくのが見えた。

「天井はあるの?」

 思わず尋ねると、ダリルが横に並んで同じ様に見上げた。

「あるんだ。でもわからないだろう? ドーマーは本当の空だと思っている。」
「ばったもんの空?」

 ダリルは笑った。

「違うよ。天井が透明なだけさ。」
「紫外線や有害な放射線は遮断されているんだ。」

とポールが口をはさんだ。

「だから、日焼けは外より軽く済む。」

 彼等は食堂に向かって歩いて行った。途中で出遭った人々が挨拶をした。ライサンダーはそのうち奇妙なことに気が付いた。挨拶をする人々は、大きく分けて3種類いたのだ。
先ず、ポールだけに挨拶する人。そしてダリルだけに挨拶する人、ポールとダリルの両方に声を掛ける人。ダリルは彼に声を掛けた人にも掛けなかった人にも挨拶をしたが、ポールは殆ど全員を無視した。無視された人々はそれで気を悪くした風でもなく、何事もなかったかの様に去っていった。
 ライサンダーは幼子がするみたいにダリルのそばに身を寄せて小声で尋ねた。

「Pちゃんは他人に挨拶しないの?」
「しないんだ。彼はスターだから。」

 とダリルが何の問題もないと言いたげに答えた。

「全員に挨拶を返したら疲れるし、もし1人でも挨拶を忘れたら、忘れられた人は哀しむだろう? だから、彼は本当に親しい相手にしか挨拶しないんだ。」

 それにまたストーカーを発生させたくないのだろうしね、とダリルは心の中で呟いた。
 ドーマー達はライサンダーの存在に気づかないふりをしていた。ダリルが外でメーカーにクローンを創らせたことは、彼が逮捕された後で誰かが、恐らく執政官だろうが、噂で流しており、既にドームの中に知れ渡っていた。信じようが信じまいが、「伝説のポールの恋人」は子供を創った、とみんな知っていた。ただ、どんな方法で創ったのか、誰も知らなかった。だから、ダリルとポールを足して2で割った様な綺麗な若者が突然ドームの中に現れ、ダリルとポールが彼を守るかの様に間に置いて歩いているのを目撃した人々は、皆一様にショックを受けた。
 食堂は薄い緑色のガラス壁の建物で、中に入ると厨房と配膳コーナー、テーブル席と、ライサンダーが知っているドッティ海運の社員食堂に造りは似ていた。ただもっと広く、もっと清潔で整然としていた。ライサンダーは食欲がなかったはずだったが、美味しそうな食べ物の匂いを嗅いで、昨日から殆ど何も食べていないことを思い出した。朝食もお粥を少々口に入れただけなのだ。

「好きな物を取って、テーブルに行きなさい。支払いは私がしておくから。」

 ダリルに言われて、彼はトレイを手に取った。その日のメインは2種類でチキンのクリーム煮と唐揚げだった。両方食べても良いのだが、ライサンダーは敢えて唐揚げを選んだ。脂っこい物が欲しくなったのだ。副菜コーナーは飛ばしてデザートのコーナーに行くと、驚いたことに「シェイのチェリーパイ」と名札が付けられたお菓子があった。びっくりして見ていると、横にポールが来た。

「シェイは外にある空港の食堂で働いていると前に言っただろう? 外と言ってもドームの空港だからな、キッチンは滅菌室だ。そこで彼女が作る菓子や料理が毎日1種類ここに来る。航空班に評判が良いので、厨房が彼女に頼んで作ってもらっているんだ。」

 チェリーパイは好評らしく既に2切れしか残っていなかった。ライサンダーは1切れ取った。そしてポールの顔を見ると、笑った様な気がしたので、彼は最後の1切れも皿に取った。
 テーブルに着いて親達がそろうのを待っていると、コックの服装のドーマーがやって来た。「やあ」と彼はライサンダーに声を掛けた。ライサンダーはどう返事したものか見当がつかなかったので、同様に「やあ」と返した。

「ピート・オブライアン・ドーマーだ。」

とコックが手を差し出した。ライサンダーは握手に応じた。

「ライサンダー・セイヤーズ・・・宜しく。」

 コックの手は力強く温かかった。

「ここに何の用で来たんだ?」

と彼が尋ねた。

「ドームは外の人間を滅多に招待しないのだが?」
「招待された訳じゃない。」

 ライサンダーはまだ事件に触れたくなかった。彼が返事に窮していると、ポールがやって来た。

「ピート、俺の息子に何の用だ?」

 ポール・レイン・ドーマーがはっきりと自身とライサンダーの関係を口に出した。ピート・オブライアン・ドーマーはショックを受けた表情を作り、ポールに尋ねた。

「兄さんの息子? ダリルの息子じゃないのか?」
「ダリルの息子であり、俺の息子でもある。」
「それって・・・」
「執政官達は知っている。ハイネ局長も知っている。」

 ポールは真っ直ぐに相手の目を見て言った。

「成人登録は済ませた。一人前の地球人だ。誰にも文句は言わせない。」
「だけど・・・」
「ちょっとした事情があって、昨夜からここで保護している。安全が確保出来れば、外へ戻す。」

 オブライアンは何か言いたそうな表情をしたが、ダリルがやって来るのを見て、口をつぐんだ。
「やあ、ピート」とダリルが声を掛けた。オブライアンは少し哀しそうな顔をした。

「ダリル兄さん、酷く無茶をやったんだな。」

 ダリルが苦笑した。

「ここに連れ戻されると思っていなかったからね。この子と2人で生きていくつもりだったんだ。」
「そんなことは許さない。」

とポール。 ダリルとオブライアンが視線を交わし、肩をすくめて笑った。

「すぐに情報は拡散するよ。」

とオブライアンが言った。彼はライサンダーに向かって話しかけた。

「兄さん達の子供は、僕等同じトニー小父さんの子供達の甥っ子だからね、僕等は君を守る。困ったことがあれば遠慮無く声を掛けてくれ。」

 オブライアンが厨房に戻っていくと、ダリルが椅子に座った。ライサンダーは困惑して父に言った。

「俺は父さん達の立場を悪くさせちゃったのかな。」
「かまうものか。」

とポールが食事を始めながら言った。

「言いたいヤツには言わせておけ。俺は悪口を言われることに慣れている。」
「でも遺伝子管理局の偉いさんがクローンの子を持つって、拙いだろ?」
「ライサンダー」

 ポールがライサンダーをグッと睨んだ。

「成人になったら、もうクローンとは呼ばないんだ。だから、そんな話は一切口にするな。」

 すると脳天気なもう1人の父親が、息子の皿を見て顔をしかめた。

「ライサンダー、唐揚げとチェリーパイしか取っていないのか? 栄養が偏るじゃないか。野菜も食べなさい!」






2017年2月6日月曜日

大嵐 13

 ライサンダーが再び眠ったので、ダリルはオフィスに戻った。ポールが休憩スペースの簡易ベッドで横になっていた。彼は明け方にアパートに戻り、着替えてジョギングに出かけ、再び戻るとシャワーを浴びてスーツに着替えた。ダリルを起こし、食堂で2人で朝食を取ってから、ダリルを医療区に行かせ、自身はオフィスに出勤したのだ。
 緊急の仕事だけ片付けて眠っている。ダリルはそっと彼の額にキスをして、ブランケットを掛けてやった。ポールが父親らしい振る舞いをしたことに、彼は内心驚いていた。ポールにとって、先ずダリルありきで、ライサンダーはダリルの付属品みたいなものだと、誰もが思っていたのだ。ダリル自身もそう思っていた。ポールは「家族」と言うものに対して、正にドーマーらしい考え方を持っている。家族とは遺伝子を共有している人間ではなく、一緒に暮らしている仲間のこと、それがドーマーの家族観だ。だが、ライサンダーに危害が加えられたと知った時、ポールは滅茶苦茶に怒った。電話の向こうで、マコーリーを銃殺しろと怒鳴った。もし、ニューポートランドの事件現場に駆けつけたのがダリルでなくポールだったら、本当にそうしていたかも知れない。遠い西海岸からとんぼ返りで戻って来たのも、ドーム中をびっくりさせた。
 ポールを寝かせたまま、ダリルはお昼まで仕事をした。医療区から連絡はなかったので、息子は落ち着いたのだと思われた。しかし安心はまだ出来ない。ライサンダーが強がって見せて、その実繊細な心を持っていることを、父親はよく知っていた。
 正午前にポールが目覚めた。時計を見て、彼は顔をしかめ、ダリルに何故起こさなかったのか、と文句を言った。

「寝ぼけてミスをされては困るからね。」

とダリルが言い訳すると、彼はふんっと拗ねて見せた。

「寝坊ばかりする秘書に言われたくないな。」

 オフィスの隅の洗面コーナーで顔を洗って、彼は振り返った。

「ライサンダーはまだ寝ているのか?」
「医療区から何も言ってこないから、多分寝ているのだろう。」
「起こして昼飯に行かないか?」
「あの子を連れてか?」
「患者用の飯より食堂の方が美味いだろうが?」
「それはそうだが・・・」

 ライサンダーはまだ大勢の人の前に出たくないだろうとダリルは思ったが、ポールと一緒に医療区に向かった。
 ライサンダーは起きていた。ベッドの上に座ってテレビを見ていた。
 ドームの中で流される番組は主に娯楽番組と教育番組で、ニュースは殆ど見られない。コロニー人達は、ドーマーに外の世界の醜い面を見せたくないのだ。彼等の可愛い地球人達は純粋な心のままで生きて欲しい、とコロニー人達は情報のコントロールをしていた。しかし、ドーマー達は視聴を許可されているドラマや映画から、様々なことを学んでいるのだ。コロニー人より世間のことを知っていた。
 ライサンダーは昨日の事件の報道を求めてチャンネルを順番に変えていった。しかしニュース番組がないことにすぐ気が付いた。天気予報すらないのだ。

 これだから、父さんは町の住人からずれて見えたんだ・・・

 子供心にダリルが世間知らずであることがわかっていた。それが山奥で暮らしている人嫌いの性格から来ているのだとばかり思っていた。

 そうじゃない、ドームの中では情報コントロールが為されているんだ。父さんは外のことを教えられずに育ったんだ。

  ライサンダーがテレビを消したところへ、ダリルが顔を出した。

「起きているか、ライサンダー。」
「うん、起きてる。もう寝ているのに飽きた。」
「では、食事に行かないか? もうお昼だ。」
「お腹空いてないけど・・・」
「ドームの中を少し案内するよ。」

 誘われて、ベッドから出ると、検査着を見た。

「俺、この服のままで外に出るのは嫌だな。」
「すぐに普通の服を持って来てもらおう。」

 ダリルは端末を出して維持班に電話を掛けた。息子の服のサイズをすらすらと言ってのけたので、ライサンダーは今更ながら父親の能力に感心した。彼が父に部屋の中で待てば、と提案すると、驚いたことにダリルは廊下に居たポールを引っ張り込んだ。親子3人が揃うのは、セント・アイブス郊外でのラムゼイ一派の逮捕劇以来だ。
 ライサンダーと2人きりの時とは違って、ポールはダリルの前では大人しかった。照れているんだよ、とダリルが息子に笑いかけると、彼はムスッとして、時計を見た。維持班が息子の着替えを持ってくるのが遅いと、苛ついている振りをした。
 運ばれてきた服はスーツではなく、普通のジーンズパンツとTシャツだった。ライサンダーが着替える間に、ポールは退院の手続きに受け付けへ行った。

「スーツでなくて良かった。」

とライサンダーが呟くと、ダリルはスーツは遺伝子管理局の制服で、他のドーマーはそれぞれの制服があるのだと教えた。



 

2017年2月5日日曜日

大嵐 12

  医師が来た。女性の医師だ。彼女はキャリー・ワグナーと名乗り、ライサンダーの担当だと言った。

「貴方のお父さん、ダリルとポールとは兄妹みたいに育ちました。」

と自己紹介した。夫のクラウスはライサンダーとは面識があったが会話をした記憶がないと言ったので、彼女は夫の話は控えた。1度に大勢の人間と接してもライサンダーは混乱するだけだ。

「ドームには女の人もいるんですね。」
「ええ、コロニー人も地球人もいますよ。」

 キャリーは精神科医だが、ライサンダーのバイタルチェックを行い、健康チェックはドームに来る人間の義務だと言って血液を採取した。JJはその間そばに居て、ライサンダーの不安を和らげた。

「朝食を運ばせます。食欲がなくても、何か少しは食べて下さいね。」

 ライサンダーは着せられている検査着を見た。

「俺の服は?」
「ドームでは外から来た衣服は洗濯消毒が済む迄使用出来ません。代わりの服を後で届けさせますから、それを着て下さい。」
「俺・・・仕事に行かなくちゃ・・・」
「お仕事はお休みです。」
「でも・・・」
「事件のショックが大きいので、貴方の職場でもみなさん動揺しています。暫くドームに居て下さい。犯人の一味がまだ残っている恐れもありますからね。」

 キャリーは穏やかな口調でライサンダーにドームに滞在することを納得させた。
彼女が病室を出て行き、朝食が運ばれて来ると、JJが尋ねた。

「私はまだここに居た方が良い? それとも席を外しましょうか?」
「暫く1人にさせてくれないか・・・大丈夫、俺、もう泣かないから。」

 きっとJJは俺が自殺しないか見張っているんだ、とライサンダーは思った。病人でもないのに、医師が来るし、病室に入れられているし・・・。

「俺、死んだりしないよ。」
「わかってる。」

 JJは彼の頬にキスして部屋から出て行った。
 ライサンダーは朝食を少しだけ口に入れた。病室には窓があった。ドームと言う巨大な建築物の中にあるのに、窓があるなんて変だ、と彼はぼんやり思いながら外を見ると、緑の植え込みが見えた。ちょっとした規模の林で、壁とか天井とか、そんな物は見えない。まるで森の中の普通の病院に居るみたいだ。

 父さんはこんな場所で育って、暮らしているんだ・・・

 トイレに行きたくなってベッドから降りた。床にサンダルが用意されていたので、それを履いて廊下に出た。ドームの医療区は静かだ。ドーマーには滅多に病人が発生しないし、出産区では別に病棟があって具合が悪くなった女性の治療はそこで行われる。ライサンダーは用を足して手を洗って、鏡を見た。やつれた男が鏡の中から自分を見ている。

 妻を守れなかった男の顔だ

 突然彼は嘔吐感に襲われ、その場で吐いた。悔しくて泣いた。感情の爆発を誰にも聞かれなかったと思ったのは、10分もたってからだった。
 顔を洗ってトイレから廊下に出ると、壁にもたれかかってダリルが待っていた。ライサンダーの顔を見て、彼が微笑した。

「喧嘩に負けて帰って来たガキみたいな顔だな。」
「こんなに情けない顔してた?」
「ああ、まるでこの世の終わりだって顔だ。」
「喧嘩ぐらいでこの世は終わらないよ。」
「そうだろうな、喧嘩はまだ終わっていない。」

 ダリルは息子が部屋に向かって歩き出したので、後ろをついて行った。

「明日、警察が事情聴取に来る。ドームが外の警察を迎えるのは初めてだ。」
「俺、外に行っても良いよ。」
「駄目だ。ポールが許さない。」

 ライサンダーは足を止めて振り返った。

「Pちゃんが? 何故・・・」
「ポールは昨日の朝、ドン・マコーリーが悪い連中と繋がりがあると睨んでセント・アイブスのニュカネンに調査を依頼した。彼はポーレットがマコーリーに育児の相談をしていることを数日前から掴んでいたので、もっと早くあの男を疑えば良かったと酷く後悔している。」
「事件はPちゃんのせいじゃないよ。」
「おまえのせいでもない。」
「でも・・・」
「マコーリーの仲間は大勢の子供を殺したのだ。彼等自身の満足の為に。事件はそこに悪い奴がいたから起きた。」

 ライサンダーは父親に手をさしのべた。ダリルがそれを掴み、息子を抱き寄せた。ライサンダーは父親の囁きを聞いた。

「おまえが生きていてくれて感謝している。」




大嵐 11

 明け方、JJが病室に来た。ポール・レイン・ドーマーはライサンダーをベッドに横たえ、そばの椅子に座ってうとうとしていたのだが、彼女が入室する気配で目を覚ました。
JJは彼とキスを交わし、アパートに戻って休憩して、と心で言った。

 私が代わるから。大丈夫、この部屋は監視されているわ。ライサンダーに変化があればすぐ医師達が来る。

「問題があれば直ぐ呼んでくれ。」

 ポールは彼女を抱きしめてもう1度キスをすると、ダリルが休んでいる自宅へ帰っていった。
 JJはライサンダーを見つめた。一緒に暮らした日々は少なかったが、彼女の生涯で最初の親友、兄弟の様な存在のライサンダーが愛おしく懐かしく、可哀想で、彼女は涙を流した。
 ライサンダーが目を開いた。ぼおっと天井を眺めているのに気が付いて、JJは翻訳機のスイッチを入れた。

「おはよう、ライサンダー。気分はどう?」

 彼は目を動かして彼女を見た。誰なのか、すぐには思い出せないのか、黙って見つめていた。JJは辛抱強く彼が反応するのを待った。彼が瞬きした。

「JJ?」
「ええ、そうよ。Pちゃんと交代してここにいるの。ダリル父さんとPちゃんも交代で貴方のそばにいたけれど、今は休憩中。」
「父さんとPちゃん・・・?」

 ライサンダーは室内を見回した。何処にいるのか思い出せない。

「俺、どうしてここに・・・ポーレットは? 俺の妻は・・・?」

 突然彼は跳ね起きた。

「ポーレット! 何処だ?!」
「ライサンダー!」

 JJが彼に抱きついた。

「彼女はもういないわ。」
「いない?」
「亡くなったのよ。」
「誰が?」
「ポーレットが亡くなったの。」

  ライサンダーが彼女を押しのけた。

「嘘だ・・・」
「嘘じゃない。 知ってるでしょ?」
「嘘だ・・・」

 ライサンダーはベッドに座り込んだ。

「彼女が死ぬはずがない。彼女は俺の・・・」

 昨日の出来事が次々と頭の中に浮かび上がって来た。銃口、アフリカ系の男、連中の嘲り、感情のない目、突然現れた父、銃声、怒鳴り声、サイレン・・・
 ライサンダーは両手で頭を抱え込んだ。

「何故だ? 何故ポーレットが死ななきゃならないんだ? 彼女が何をした? 俺のせいなのか? 俺がクローンだから? 」
「誰のせいでもないわ。悪党がいたのよ。」
「親父が女の子を生める人間だから狙われたのか? 俺たちの遺伝子のせい? 何故そんな遺伝子を持って生まれたんだ?」
「だから、それは関係ないのよ、ライサンダー。」

 両親をラムゼイ博士の一党に殺害された経験を持つJJは、ライサンダーの考えをきっぱりと否定した。

「あの人達は、ポーレットでなくても、貴方の身内でなくても、何時か誰かを殺していたわ。悪い人だから、悪くない人に災いを為すのよ。貴方は何も悪くないの。遺伝子のせいじゃないの。そんな風に考えたりしたら、ポーレットが哀しむわ。貴方の赤ちゃんが生きていくことが悪いみたいに聞こえるじゃない。」

 ライサンダーは答えずに泣いていた。JJは彼の隣に座って、じっと見守っていた。翻訳機のスイッチは切った。彼女の本音、マコーリーを殺してやりたいと言う彼女の本音を彼に聞かせたくなかったのだ。



大嵐 10

 医療区でキャリー・ワグナー・ドーマーがポール・レイン・ドーマーを出迎え、お悔やみを述べた。ポールは黙って頷いただけだった。ドーマーでこの半年に2度もお悔やみを聞いたのは俺だけだ、と思った。家族持ちと言うことか。
 キャリーの案内で通された病室で、ダリル・セイヤーズ・ドーマーがベッドに座ってライサンダーを抱いていた。彼はまだスーツのままで、毛布にくるまれたライサンダーは鎮静剤が効いたのかぐったりと父親にもたれかかっていた。その背をダリルが優しく叩き続けていた。
 ポールがそばに来ると、ダリルが顔を上げた。

「すまない。」

と彼がポールに囁いた。

「君が警告をくれたのに、私は間に合わなかった。」
「誰にも非はない。」

 ポールはライサンダーをはさんで座った。

「悪いのはマコーリーとその一味だ。俺たちの落ち度ではないし、ライサンダーのせいでもない。当然、ポーレットが油断したからでもない。他人の善意を踏みにじる人間がいただけだ。」
 
 彼はライサンダーの体をそっとダリルから取り上げた。

「俺が見ているから、君は少し休んで来い。飯もまだだろう。」
「君こそ、西海岸から飛んで帰って来たんじゃないか。」
「俺は機内で寝たし食ったから良いんだ。」

 言われてダリルは素直に立ち上がった。ポールは彼の手を見た。少し赤くなっているのを見て尋ねた。

「連中を殴ったのか?」
「うん・・・1人2,3発ずつ殴った。」
「あと100発殴れば良かったのに。」

 ポールの言葉にダリルがちょっと笑った。

「本当に・・・そうだな。」

 ダリルが戸口まで行くと、ポールがまた言った。

「ライサンダーが落ち着いたら、俺たちのアパートに連れて行くからな。外には戻さない。当分の間、俺たちの手元に置く。」
「それは・・・」

 ダリルは少し黙ってから、結局小さく頷いて承諾の意を示した。



大嵐 9

 ドームは夜中でも機能している。コロニー人には夜も昼も関係ないし、赤ん坊の誕生にも昼夜関係がない。
 ポール・レイン・ドーマーは深夜の飛行機で西海岸からとんぼ返りしてきた。もの凄く怒っていたので、ゲートの消毒班が彼のそばに近づくのを躊躇った程だ。彼が中央研究所のケンウッド長官の執務室に入ると、ローガン・ハイネ遺伝子管理局局長が、隣の椅子でうたた寝していたクロエル・ドーマーの脚を蹴って起こした。
 ケンウッド長官が指した椅子にポールはどさりと体を落とし込んだ。

「遠くから緊急で呼び戻して申し訳ない。」

と長官が言うので、彼は黙って首を振った。事件の報告は機内でクロエル・ドーマーから聞かされた。クロエルは警察の取り調べに立ち会ったのだ。
 ポーレット・ゴダートは幼馴染みの産科医ドン・マコーリーに身籠もった子供が女の子だと告げてしまった。マコーリーは彼女の夫がセイヤーズ姓を名乗るクローンだと言うことも教えられた。ポーレットは胎児の健康の為に、医師に全てを打ち明けることが賢明だと判断したのだ。
 しかし、マコーリーは、クローンの体に脳を移植して若返りを夢見るミナ・アン・ダウン教授の弟子だった。人間の脳が快感を覚える時に造られるβーエンドルフィンを麻薬として抽出して売り出す組織FOKのニコライ・グリソム達の仲間でもあった。
 マコーリーは仲間と共に、胎児とクローンの男を手に入れようとニューポートランドに来た。ニコライ・グリソムの裁判前に手に入れれば、人質に出来るし、コロニー人を地球から追い出したがっている金持ち達に売ることも出来る。
 何も知らないポーレット・ゴダートは、マコーリーを子供時代の優しい隣のお兄さんのままだと信じて家に招き入れてしまった。マコーリーは油断した彼女に襲いかかった。彼女は辱めを受け、殺害された。マコーリーは浴室で幼馴染みの女性を解剖した。胎児を取り出し、死なないよう擬似子宮に入れた。産科医なので、その程度の装備は持っていたのだ。そこへ、ライサンダー・セイヤーズが帰宅した。
 
「もっと早くマコーリーの正体に気づくべきでした。」

 ポールが反省すると、ハイネ局長が言った。

「電話の盗聴だけでは、誰が悪意を持つ人間なのか判別不可能だ。ライサンダーとポーレットの夫妻には友人が多かった。今朝まではマコーリーはその中の1人に過ぎなかった。君が調査に乗り出した日に、あの男がセント・アイブスからポートランドまで移動するなど、誰も予測していなかっただろう?」
「ですが・・・」
「反省するな、レイン。」

 局長はポールを黙らせた。
 ケンウッド長官はそれ迄黙っていた。彼は今日の夕方迄ライサンダー・セイヤーズの家庭が不幸に見舞われていたことを知らなかった。勿論、執政官が知っていたとしても今回の事件は防げなかったのだが。
 ケンウッド長官は、ハイネ局長が若いセイヤーズ家の不幸を直ぐに報告しなかった真意を考えていた。100歳を越えるドーマーが沈黙する時は、地球人のすることにコロニー人が口出しするなと言う意味だ。
 しかし、事態は急展開してしまった。

「ライサンダー・セイヤーズの子供は、クローン育成施設で育てることにする。」

 ケンウッド長官の宣言に、誰も異を唱えなかった。母胎を失ってしまった胎児が生きられるのはドームしかない。略奪者が来ない、安全な場所は、ここしかないのだ。
 長官はクロエル・ドーマーを見た。母親が希望した堕胎によって3ヶ月で人工子宮の世話になった男だ。

「事故で母親を失って人工子宮に保護される胎児はたまにいるが、無事に生き延びる例は少ない。多くは現場の医師の腕が未熟で死んでしまうからだ。今回の胎児もまだ数日観察を要するが、ドームまで保ったから、きっと生きてくれるだろうと信じている。」

 ポールに聞かせたのだが、クロエルが代わりに頷いた。
 ポールは胎児のことに関心が薄い様子で、局長に尋ねた。

「息子は何処です?」
「医療区だ。」

 局長が答えた。

「ダリル・セイヤーズが付き添っている。」
「行ってやれば?」

とクロエルが口を挟んだ。ポールは首を振った。

「俺が行っても、あいつは喜ばん。」
「倅じゃないよ、父親のセイヤーズの方だ。」

 クロエルは長官を見た。

「良いでしょ、長官? セイヤーズは父子共々まいっちゃってます。ダリルは息子の嘆きをどう受け止めて良いのか、途方に暮れてるし、ライサンダーは鎮静剤で抑えないと錯乱状態に陥ってしまう。レインの冷静さが必要なんです。」

 ケンウッドは頷いた。今部屋の中に居る男達全員、個人的な家族を持った経験がない。家族に不幸が襲った経験がない。だがポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーを1度失ったことがある。

「行ってやりなさい、レイン。ダリル・セイヤーズが君を必要としている。」









大嵐 8

 ライサンダーは寒気がした。まだ太陽は中空にあって暖かい日差しが世界を照らしている。しかし、彼は寒かった。自身の腕で自身の体を抱いて立っていると、クロエル・ドーマーが来て自分の上着を肩に掛けてくれた。

「クロエルさん、俺の妻は・・・」
「セイヤーズが助け出してくれるよ。」

 クロエルはケリーのミニバンにライサンダーを連れて行った。後部席に彼を座らせた。

「警察の事情聴取があるはずだけど、それが済んだらポートランド支局へ行こう。」

 警察の相手をしているケリーがクロエルを呼んだので、クロエルはライサンダーに「ここで待ってて」と言い残してそちらへ歩いて行った。
 ライサンダーは、家の中に刑事が1名入っていくのを見た。父は何をしているのだろう。どうしてポーレットを連れて出てこないのだろう。
 別の刑事が2名、マコーリーの車を調べ始めた。
 ライサンダーは待つことに耐えられないと思った。彼は車外に出た。その時、家の中からダリルが走り出てきた。彼は、マコーリーの車に向かって全力疾走しながら怒鳴った。

「その車に触るな! 遺伝子管理局が優先する!!」

 彼の剣幕に、ライサンダーはびっくりして動きを止めた。庭で警官と話しをしていたクロエルとケリーが振り返り、マコーリーのミニバンの荷台を開けたばかりの刑事も凍り付いた。
 ダリルはミニバンに駆け寄ると刑事を押しのけ、積まれていた金属の箱を用心深く点検した。クロエルが近づいて来た。彼はダリルが蓋を開いた箱の正体に気が付いた。すぐに方向を変えてライサンダーの前に立つと、箱を視界から隠そうとした。
 
「何? 何なの、クロエルさん?」

 ライサンダーは不安で胸を押しつぶされそうになりながら、首を伸ばした。
 ダリルが箱の中身を確認して直ぐに蓋を閉めた。そして端末を出すと、遺伝子管理局本部に、ハイネ局長その人に、直通電話を掛けた。

「セイヤーズです、局長。大至急人工子宮の準備をしてもらって下さい。受胎3ヶ月の胎児用です。」

 ライサンダーは意味が分からず、クロエルを見上げた。クロエルが突然彼を抱きしめた。ライサンダーはクロエルが呟くのを遠くで聞いた。

「酷い・・・そんなことって・・・」


大嵐 7

 車をミニバンの後ろに駐めると、ダリルはすぐに車外に出た。ジョン・ケリー・ドーマーのミニバンが相手の車の前に回り込む間に、件の車の運転席に近づいた。男が1人座っていたが、ダリルが近づくのをミラーで見つけると、拳銃を出した。助手席の窓がノックされ、男はギョッとしてそちらを見た。クロエル・ドーマーが光線銃の銃口を向けて立っているのを見て、拳銃を向けたが、光線の方が速かった。
 クロエルの射撃の腕はダリルより遙かに上だ。無駄に屈折もせずに真っ直ぐに標的に命中して忽ち麻痺させた。
 ダリルはドアを開け、拳銃を取り上げると、男をそのまま運転席に座らせておいた。車内には他に誰もいない。
 ケリーは先輩達が行動する間、家を見ていた。外を覗く人間はいない様子だが、油断は禁物だ。ダリルとクロエルが家の玄関の両側に立つのを眺め。彼は車の陰に入った。
 午後3時。近所の通りに子供達が姿を現した。学校が終わったのだ。マコーリー達は長居しすぎた様だ。
 ドアが開き、男達が現れた。身なりの良い2人の男が若い男を挟んで出て来た。自分達の車の前後に知らない車が駐まっているので、ギョッとして立ち止まった。右手でクロエルが声を掛けた。

「こんにちは〜〜〜♪」

 彼等がそちらを向いた瞬間、ダリルが左手の男をぶん殴った。突き飛ばし、ライサンダーの腕を掴むと自分の背後に押しやった。右側に居た男が振り返ったのも殴り倒した。
ライサンダーが父に言った。

「中に2人、それとポーレット・・・」

 ダリルは息子をその場に置いて、家の中に入った。ドン・マコーリーが撃ってきたが、予測はついていたので、身をかわせた。キッチンから大きな物音がして、男が喚く声が響き、続けてクロエルが声を上げた。

「4人目、確保!」

 速攻でキッチンの裏口からクロエルが侵入したのだ。ダリルは相手に話しかけた。

「マコーリーさん、銃を捨てて下さい。」
「誰が・・・」

 マコーリーはリビングの窓を破って外に飛び出した。しかし、ケリーの光線銃の餌食になった。
 麻痺した男達を芝生の上に引きずり集めると、ダリルは彼等を1人ずつ殴りつけた。息子に危害を加えた罰だ。そこに警察がやって来た。近所の住人が騒ぎに気づいて通報したのだ。 ケリーに警察の相手を任せて、ダリルはライサンダーの手首から手錠を外してやった。ライサンダーは父に再会した喜びよりも妻の安否が気に掛かった。

「父さん、ポーレットは何処にいるんだろう? 」
「家に居たのか?」
「そのはずだけど・・・俺が帰った時には、あいつ等が既に家の中に居たんだ。」

 ダリルはクロエルに息子を託すと、家の中に入った。




大嵐 6

 ドームからポートランドまでヘリコプターで半時間もかからない。支局で車に乗り換えたダリル・セイヤーズとクロエル・ドーマーはニューポートランドの街の入り口でジョン・ケリー・ドーマーのミニバンと合流した。
 ポール・レイン・ドーマーがセント・アイブス出張所のリュック・ニュカネンにドン・マコーリーの身辺調査を依頼したのが午前10時、ニュカネンがマコーリーのクリニックに出向いて医師が「往診」に出かけたことを知ったのが10時半。マコーリーの同性のパートナーは、医師が幼馴染みの女性の診察に出かけたと言った。行き先は知らないと言うので、ニュカネンは車番を聞いて、ハイウェイの通過車輌記録を警察に調べさせた。するとポートランド方面に向かったことが判明したのだ。
 ニュカネンが機転を利かせ、ポールではなく本部に連絡を入れたのは午前11時半過ぎ。ローガン・ハイネ・ドーマー局長は、マコーリーがライサンダー・セイヤーズの子供を狙っているのではないかと考えた。ポーレット・ゴダートは幼馴染みの産科医を信用して胎児の性別を明かしてしまったに違いない。
 局長は直ぐに休日でドームの中にいたクロエル・ドーマーを本部に呼んだ。ダリル・セイヤーズ・ドーマーを息子の元に遣るので、護衛せよと命じたのだ。「護衛」も「お遣い」も局長が執政官に対して設けた口実に過ぎない。局長の本心は、マコーリーからポーレット・ゴダートの胎児を守れと言うことだった。
 クロエル・ドーマーはダリルを興奮させまいと、ドームから出てしまう迄局長の真意を語らなかった。ヘリの中で経緯を簡潔に語られた時、ダリルは冷静に聞けた。ドームの中にいたら息子のことが心配で居ても立ってもいられなかっただろう。しかし、ヘリは息子の元へ向かっていたし、目的が息子夫婦を守ることだと聞かされて、彼は冷静になれた。
 ニューポートランドの閑静な住宅街に入ると、ダリルは息子が妻子と共に生きる場所として選んだ土地を眺めた。山の家と違って緑豊かな平坦な街だ。上品な住人の中で、あの野生児が精一杯背伸びして暮らしている・・・。
 先を行くジョン・ケリー・ドーマーのミニバンが停車したので、クロエルも車を駐めた。ケリーから端末に電話が入った。

「ライサンダー・セイヤーズの家の前に、マコーリーのミニバンが駐まっています。拙い状況じゃないですか?」

 ケリーは以前セント・アイブスで相棒のパトリック・タン・ドーマーを学生デモのどさくさに紛れて誘拐されてしまった苦い経験がある。また繰り返しなのか?
 ダリルがセンサーで屋内の人物の位置特定をしてから、彼に指示した。

「君のバンをあの車の前に駐めてくれないか。私達は後ろに駐めてはさむ。」

2017年2月4日土曜日

大嵐 5

 その日ライサンダー・セイヤーズは午前中で夜勤が終わるはずだった。しかし、朝番の同僚が急病に罹り、急遽お昼までの約束で臨時に働くことになった。自宅に連絡を入れてから、彼は大量の香辛料の袋を船から倉庫へ運んだ。気温が高い日で、強烈な匂いに彼も仲間もうんざりした。当分の間カレーの匂いを嗅ぎたくない・・・。こんな匂いの仕事の後はビールの1杯もひっかけたいところだが、真っ昼間だし、土曜日だったので、誰もが自宅に帰りたがった。ライサンダーもタイムカードを読み込ませてから、自転車を漕いで家路を急いだ。
 自宅前に見知らぬミニバンが駐車していた。最近、この近所でミニバンを見かけることが多いなぁと思いつつ、ライサンダーはガレージ前に自転車を置いた。リンビングの窓のブラインドが微かに揺れたような気がした。
 玄関のドアをノックしようとして、鍵が掛かっていないことに気が付いた。ポーレットには夫が留守の時は必ず施錠するように言ってある。かけ忘れたのか?
 ライサンダーは家の中に入った。

「ポーレット、帰ったよ・・・」

 家の中はしーんと静まりかえっていた。妻は昼食の支度をして待っているはずだったが、キッチンは無人だった。
 ライサンダーは項の毛が逆立つ様な不安を覚えた。家の中に人の気配がある。しかし、ポーレットではない。酷く緊張した嫌な気配だ。武器を持っていないライサンダーはキッチンにナイフを取りに戻った。フォルダーのナイフを掴もうとして、戸口に人の気配を感じて振り返った。
 背の高い若いアフリカ系の男が立っていた。初対面だが、顔に見覚えがあった。ポーレットが画像を見せてくれたことがあった。

「貴方は、ドン・・・」
「マコーリーだ。」

 ライサンダーはドン・マコーリーの手を見た。産科医マコーリーは、拳銃を彼に向けていた。

「何の真似だ?」
「一緒に来てもらおう。」
「何故だ? ポーレットはどうした?」
「ポーレット・・・」

 マコーリーがちょっと哀しげな目をした。

「幼馴染みの可愛い子だったが・・・何故か白人が好きな女でな・・・」
「だから、彼女はどこだ? どこへやった?」

 その時、マコーリーの後ろにもう1人の男が現れた。こちらはミックスだ。

「ドン、終わったぜ。さっさと引き揚げよう。」

 ライサンダーはその男の他にも複数の人間の姿を背後に見た。全部で4人いるのか・・・。素手なら喧嘩に負けない自信があったが、マコーリーは拳銃を向けていた。

「おまえ達、ポーレットに何かしたら俺が許さないぞっ!」
「ああ・・・もう何もしない。」

 ドン・マコーリーはライサンダーの全身を舐めるように見た。

「今はおまえに興味が移った・・・」

大嵐 4

 ポール・レイン・ドーマーはその日、朝食前にドームを出て西海岸に向かう飛行機に乗っていた。「飽和」を経験して以来、出張を控えていたのだが、平常の勤務に戻る潮時だと判断したのだ。チーフと言う地位は全ての支局巡りを部下に任せてもかまわないのだが、ドーマー達は働き者なので、どの班のチーフも自ら出かけて行く。ポールも出張が苦にならないし、むしろデスクワークより支局巡りをしたりメーカーの捜査をする方が好きだ。
 ジョン・ケリー・ドーマーからポーレット・ゴダートの交友関係に関する報告を受けた時、彼はドン・マコーリーなる医師を調査するべきだと思った。コンピュータで調べられる経歴は知れている。本人に近づいて探るべきだろうと思ったが、巡回の順番は西から、と決めてあるのですぐに取りかかることが出来ない。仕方が無いので、犬猿の仲のセント・アイブス・出張所のリュック・ニュカネンにマコーリーの身辺調査をメールで依頼しておいた。
 ポールの留守を預かる秘書のダリル・セイヤーズ・ドーマーは、仕事に励んでいた。息子の消息が判明したと教えられた時は興奮してしまったが、今は冷静ないつもの彼に戻っていた。じたばたしても何も変わらないのだから。寧ろ真面目に職務に励んだ方が、外出許可をもらえる機会が得られる近道だ。
 その日は養子縁組申請が多かった。女性が少ないから、子供が欲しい男達が増える。子供達は取り替え子だ。本当の親は女の子をもらって我が子だと信じて育てている。ドームでは「血縁より愛情」と言う教えをドーマーの養育で使用するが、外の人間にも結局のところ押しつけているのだろう、とダリルは思った。
 お昼になって仕事が一段落ついたので、ダリルは食事の為に食堂へ行った。ずっと頭を使っていたので、スープマカロニで食事をしながらぼーっとしていると、正面の席に断りなく座った男が居た。

「隙だらけですけど、セイヤーズ?」

 目線を上げるとクロエル・ドーマーだった。彼は香辛料の利いたラーメンの丼をドンッと置いた。

「ドームの中に居る時はだらだらさせてくれないか。」
「じゃ、ずっとだらだらのままですね。」

 クロエルは器用に箸を使ってラーメンをすすった。

「僕ちゃん、局長に提案してみたんすよ。」
「何を?」
「セイヤーズをこのままデスクに貼り付かせていたら、戦闘員として使い物にならなくなりますよ、って。」
「遺伝子管理局は戦闘職じゃないよ。」
「でも、貴方が出動する時は、大概戦闘絡みじゃないすか?」
「流れでそうなるだけじゃないか。」
「そう流れそうだから、貴方にお呼びがかかるんでしょ?」

 ダリルはフォークを置いた。 

「何が言いたいんだ、クロエル?」

 クロエルがニヤリと笑った。

「午後からお出かけしましょ♪」



2017年2月3日金曜日

大嵐 3

 ジョン・ケリー・ドーマーはただ車でライサンダー・セイヤーズの家がある通りを走り抜けるだけではなかった。彼は集音器で家の中の音声も拾って聞いた。プライバシー侵害だが、若夫婦の交友関係をつかんでおきたいと言うチーフ・レインの意向だった。
 ライサンダーは職場の仲間と交流していた。他所から来た人間だったし、遊べる様な金銭的余裕もないので、職場以外の場所で友達を作る機会がまだないのだ。しかし職場では人気者らしく、地元のバスケットボールチームに誘われたり、野球チームの助っ人を頼まれたり、休日もよく出かけた。 夫婦で仲間の家に招待されることもあったし、招待する方になることもあった。
 ポーレット・ゴダートは綺麗な女性で、ケリーはちょっと若いライサンダーが羨ましく思えた。まだお腹がそんなに大きくないので、モデルみたいにすらりとしたスタイルの良い美女だ。彼女は時間が不規則な夫と違い、毎朝同じ時刻に自家用車で出勤して、夕刻どこかで買い物をして帰宅する。夫婦がそろっている時は、一緒にいてテレビを見たり音楽を聴いたりしていた。
 ライサンダーが夜勤当番の日、彼女は友人と電話でお喋りをしていた。多くは女性友達で、ケリーは女性の興味の対象がよく理解出来なかったが、料理の話やファッションの話をたっぷり聞かされた。 育児に関するアドバイスを求める時もあって、大富豪アメリア・ドッティから電話が掛かってくることも珍しくなかった。アメリアはライサンダーにもっと時間を家族の為に合わせることが出来る仕事を紹介したいと言ったが、ライサンダーの方は今のままの方が気が楽だと断った。
 ポーレットが夫以外で電話をよく掛ける男性がいた。ダン・マコーリーと言う名で、ケリーは同僚にも同じ姓のドーマーがいるなぁと、電話相手の名をすぐに覚えた。
会話の内容から、ダン・マコーリーは産科医の様で、勿論、出産はドームが管理しているのだが、妊婦がドーム収容の通知を受け取る迄の期間健康管理をしてもらう医師だった。彼女が彼に頻繁に電話するのは、彼が彼女の幼馴染みだったからだ。ちょっとしたアドバイスや悩み事相談、そして最初の結婚以来疎遠になっている彼女の両親の様子伺いに、ポーレットは電話で聞いていた。
 ケリーからダン・マコーリーと言う男の存在を報告されたポール・レイン・ドーマーは、当然のことながらその医師を調査した。
 マコーリーはセント・アイブス・メディカル・カレッジの卒業生で、ポールにとって非常に気に入らないことに、ミナ・アン・ダウン教授の教え子だった。

「ニコライ・グリソムやジョン・モア兄弟の仲間じゃないのか?」
「彼等の名前は出て来ませんが?」
「ポーレットが知らないだけだろう。俺はそのマコーリーって医者をもう少し詳しく調べてみる。」

 通話を終えたケリーは、通りを往来する人々を眺め、車を動かした。街の中心街へ行くとどんどん通行人が増えていく。囮捜査に参加した時にケリーは「通過」を経験したので、抗原注射は不要の体になったのだが、まだ人混みを見ると不安になる。雑菌の集団に見えるのだ。閑散とした住宅街の方がまだましだと思うが、長時間張り込むと住人に怪しまれるので、街へ出たり、支局に立ち寄って休憩するのだ。



2017年2月2日木曜日

大嵐 2

  ダリル・セイヤーズ・ドーマーはオフィスでいつもの仕事をしていたが、落ち着かなかった。息子の消息を知ることが出来て嬉しいのだが、会いに行けないのが悔しい。結婚を祝ってやることも、市民権を獲得したことを一緒に喜んでやることも出来ない。せめて画像通信で会話が出来れば良いのだが、息子のアドレスを教えてもらっていない。端末に電話も掛かってこない。
 父親の座を認めてもらえたポール・レイン・ドーマーの方は余裕で、業務に勤しんでいた。だからケンウッド長官から呼び出しを受けて中央研究所に行く時も、ダリルの前に書類をどっさり置いて昼迄に片付けておくようにと言いつけた。
 長官室にはハイネ局長とラナ・ゴーン副長官が居た。ライサンダーの件だなとすぐ見当がついた。
 長官に椅子を勧められ、座ると、ポールは自身から切り出した。

「ライサンダー・セイヤーズの件で何かありましたか?」
「そのことだが・・・」

 長官は胎児認知届け証明を眺めた。

「君の孫は女の子だね?」

 ポールはそうだっけ?と言う表情をして、上司達を呆れさせた。ラナ・ゴーンが尋ねた。

「胎児の性別を確認していなかったのですか、レイン?」
「すみません、男だとばかり思い込んでいました。」
「無理もない。男しか産まれない世界なのだから。」

 ケンウッドが肩をすくめた。ハイネ局長が長官をチラリと見た。早く会議を終わってくれないかなとその目が言っていた。忙しいのだから・・・。
 長官が咳払いして用件に入った。

「ドームの外で自然な交わりで産まれる最初の女の子だ。放任しておく訳にはいかない。」
「保護しろと?」
「いや、監視したまえ。当人達には気づかれない様に見守る態勢を取って欲しい。」

 ポールは直属の上司である局長を見た。

「人員を割けと言うことですか?」
「セント・アイブスで使った部下を今度はニューポートランドに派遣してはどうかな?」

 囮捜査で使った部下と言う意味だ。ロイ・ヒギンズは今週で去るから、ジョン・ケリー・ドーマーに巡回させよと局長は暗に提案している。ポールはポートランド支局を担当している第4チームのメンバーを頭に思い浮かべてみた。誰か1人をケリーと交換するべきか、それともケリー単独で動かすか・・・。

「シフトを考えてみます。」
「早い内に頼む。親も周辺の人間も誰1人として重大さをわかっていないだろうが・・・」




大嵐 1

 ローガン・ハイネ・ドーマー遺伝子管理局局長は、朝食の席でケンウッド長官にライサンダー・セイヤーズの消息を掴めたことを報告した。 長官はハムを切りながら、捜し物がやっと見つかったか、と言う程度の軽い気持ちで聞いていた。

「ライサンダーは成人登録と妻帯許可申請と婚姻許可申請と胎児認知届けを出して、レインに発見されました。」
「レインは本人と認めたのか?」
「昨日実際に現地に出向いて本人と面接して来ました。」
「外へ出たのか。飽和の後、最初の外出だな。彼の体調はどうだ? 異常はないかね?」

 長官はこの数日視察団に無理難題を押しつけられ疲れている。ハイネ局長が本当に言いたいことを正確に把握していないで、焦点の呆けた応答をした。
 局長はポール・レイン・ドーマーの話をしているのではないので、少し皮肉った。

「お気に入りのドーマーをお気遣いなさるのはよろしいですが、話の論点が違います。」

 ケンウッド長官は皿から顔を上げた。

「私がレインを気に入っていると、君は今言ったのかね?」

 彼は不機嫌な顔をした。

「私はリンではない・・・」
「長官、そんな話をしているのではありません。」

 そこへトレイを持ってラナ・ゴーン副長官がやって来た。仕事の話でなければ男性2人のテーブルにわざわざ着くことはなかったのだが、何やら長官相手に局長が手こずっているかの様に見えたので、彼女は同席の許可を求めてみた。
 ハイネ局長は、副長官にも情報を告げた方が良いだろうと判断したので、「どうぞ」と応え、ケンウッド長官は無言で頷いた。ハイネが何を言おうとしているのか、自身が理解し損ねても副長官が聞いてくれるだろうと思ったのだ。
 着席して、パンケーキにシロップを掛けながら、ラナ・ゴーンは中断している男達の会話が再開されるのを待った。
 ローガン・ハイネ局長は捜し物が見つかった経緯の説明は止めて、本題から始めた。

「ポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーの遺伝子から創られたクローンの息子が見つかりました。」
「あらっ!」

 ラナ・ゴーンは期待通りしっかり反応した。

「ライサンダー・セイヤーズが見つかったのね。元気なのですか?」
「元気です。昨日、レイン自ら出かけて面接してきました。」
「逃げなかったのね、坊やは。」
「逃げませんよ。仕事を持ち、家を持って、妻もいます。」
「結婚したの?」
「ええ、職場恋愛だそうです。」

 局長はライサンダーの現住所、職業、妻の氏名と経歴を簡単に説明した。ポーレット・ゴダートの名は、大勢の妊産婦達を毎日扱っているドームの幹部の記憶に残る程の重要性を持っていなかったので、長官も副長官も覚えがなかった。しかしアメリア・ドッティをプールの事故から救った女性だと聞いて、ライサンダーとポーレットの出会いが運命的なものであるかの様な印象は与えられた。
 そこ迄聞いて、やっとケンウッド長官は話の内容が頭に入りかけた。

「つまり、サタジット・ラムジーの『最高傑作』は、一人前の市民権を得て暮らしているのだな?」
「もう立派な地球人ですわ、長官。」

 ライサンダーをクローン扱いするのは止めましょうと、副長官は言いたかった。彼女はダリルが息子の話をする時、本当に嬉しそうな顔をするのを知っている。息子の成長過程を彼の口から聞けば、彼女自身の娘達の成長とも重なる。普通の子供と変わらない育ち方をしているのだ。どこにも異常はない、普通の地球人の少年だ。

「地球人ではありますが、監視は必要です。」

とハイネが水を挿した。

「妻のゴダートが妊娠しています。」
「子供が出来たのか?」
「しかも、支局の羊水検査の結果では、XXです。」

 ケンウッド長官は口をぽかんと開けた。ラナ・ゴーンも手からオレンジの欠片をぽろりと落とした。
 2人は同時に叫んだ。

「XX?!」

 周囲の人々が振り返ったので、彼等は慌てて口をつぐんだ。

 ほら、上の空で聞いているから仰天するのだ。

 ハイネ局長は苦々しく思いながら、小さな声で繰り返した。

「そうです、胎児は女です。」




2017年2月1日水曜日

訪問者 27

 ポール・レイン・ドーマーがアパートに帰宅して上着を脱いだところへダリル・セイヤーズ・ドーマーが食事から戻って来た。彼は「お帰り」のキスをポールにして、ちょっと考えた。

「夕食に海鮮を食べたのか、ポール?」
「わかるのか?」
「服をクリーニングに出して全身消毒しても胃の中までは無理だからな。」
「君はテリヤキチキンを食べたな?」
「今日のメインはテリヤキチキンだけだったんだ。厨房がジェリー・パーカーを使節団の目から隠していただろ? それで執政官達から叱られて、コック達が拗ねちまったんだ。」
「なんだよ、それ・・・外食して正解だったな。」
「でも皆テリヤキが好きだろ? 文句を言うヤツはいなかったよ。」

 そして改めてポールの体を見回して彼はまた尋ねた。

「抗原注射なしの初めての『お遣い』はどうだった?」
「初めてではないだろ・・・しかし任務としては初めてだな。うん、思ったより平気だった。体も若い頃みたいに軽く感じたし・・・。」

 正直なところ、ライサンダーに会うことで頭がいっぱいで、抗原注射を必要としない最初の外出であることは念頭から消えていたのだ。
 ポールは時計を見た。寝るにはまだ早い時間だったが彼はダリルを寝室へ連れて行った。昨夜のことは知っている。だからダリルに無理をさせたくなかったが、ダリルがその気になれば拒む理由はなかった。お互いに服を脱ぐと愛撫し合った。ダリルの感情はただポールを愛しいと思うだけの心地良いものだった。
 やがて2人は互いの体に手を掛け合って並んで横になっていた。
 ポールは思い切って、しかしさりげない風を装って尋ねた。

「ポーレット・ゴダートを覚えているか?」
「うん・・・アフリカ系の綺麗な女性だった。彼女がどうかした?」
「再婚したんだ。」
「そうか、それは良かった。」
「第2子を身籠もっている。」
「おめでた続きだな。」
「今日は彼女の亭主に会ってきた。必要な書類を全部渡して来たんだ。」
「必要な書類?」
「成人登録書、妻帯許可証、婚姻許可証、胎児認知届け受理証明書。」
「1度に4通も? 私はそんな書類を扱った覚えはないぞ。それに、それは彼女ではなくて亭主の側からの申請だよな? 彼女の亭主は未成年だったのか? それとも、クローン?」
「クローンで未成年だったが、最近18歳になった。」
「違法クローンだった訳だ・・・よく18歳まで隠れ通したものだ。」
「親がしっかり隠していたからな。」
「親はどうした? 逮捕したのか?」
「勿論逮捕した。」

 ポールはダリルにキスをした。ダリルはまだ彼のおとぼけに気づかない。

「親は逮捕して、子供は18歳になったので君が書類に署名してやった訳だな?」
「いや、俺は署名していない。出来なかったんだ。」
「何故?」
「俺もその子の親だから。」

 ダリルの呼吸が一瞬停まった。ポールが見ると、彼は彼の目をじっと見つめていた。

「今、何て言った?」

とダリル。

「まだわからんか?」

とポール。
 ダリルは暫くじっと恋人を見つめていた。そして囁いた。

「ふざけているのか?」
「ふざけてなんかいないさ。俺が受理したのはライサンダー・セイヤーズからの申請書だ。そしてローガン・ハイネ自ら署名した。君のガキは、もう一人前の市民権を獲得した男だ。」

 ダリルがポールから手を離し、体を反転させて背を向けた。微かに全身を震えさせたので、泣いているのだとポールにはわかった。嬉し泣きなのか、哀しくて泣いているのか、ポールは判断しかねたが、テレパスは使わなかった。ダリルが感情の爆発を鎮めるのを大人しく待っていた。
 たっぷり5分間泣いて、ダリルは落ち着いた。背を向けたまま質問してきた。

「あの子は今どこに住んでいるんだ?」
「勝手に会いに行かないと約束するなら教える。」
「約束する。2度と会えないかも知れないと覚悟を決めてここに戻って来たんだ。」
「わかった。彼はニューポートランドに住んでいる。」
「仕事は?」
「ドッティ海運の倉庫会社で倉庫番をしている。ポーレットはそこの事務員で職場結婚だ。」
「ドッティ海運と言えば、アメリアの?」
「亭主の会社だ。」
「幸せそうだった? 元気にしているのか?」
「当然だろう。問題があると思ったら許可など出さないし、俺はライサンダーが嫌がってもドームに保護したさ。」

 ダリルが体の向きを変えて、ポールに向き直った。

「あの子は君と素直に話しをしたのか?」
「俺がびっくりする程素直だった。妻帯して子供が出来るので、大人になったんだ。」

そして、ポールはちょっと自慢げに言った。

「俺は『あんた』から『貴方』に昇格してもらったんだぜ。」
「ポール・・・」

 ダリルが彼に抱きついた。

「次に会う時には、君を父と呼ばせるよ。」
「その前に・・・」

 ポールはさも深刻そうな顔をして見せた。

「君は、俺たち2人共祖父さんになるって気が付いていないんじゃないか?」






訪問者 26

 ポール・レイン・ドーマーとロイ・ヒギンズ、ジョン・ケリー・ドーマーがドームに帰投した時は既に午後7時を廻っていた。オフィスには夕食を外で取って帰ると連絡を入れていたので、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはポールを待たずに食堂に出かけた後だった。
 3人はそれぞれ報告書を作成した。ヒギンズはドームと連邦捜査局に提出する2通を書いたが、内容は簡潔で、囮捜査を中止する準備として局員2名と共にニューポートランドに日帰り出張したと報告しただけだった。ライサンダー・セイヤーズに対面したことも書いたが、相手は彼をダリル・セイヤーズと混同することはなかったとも書いた。待機中の出来事は特に記載することはないらしく、チーフ・レインが若者との面談を終えて任務は終了したと締めくくった。
 ジョン・ケリー・ドーマーはもっと簡潔で、運転手を務めたこと、待機してセイヤーズ家に近づく人間がいないか見張ったが異常なしだったこと、と書いただけだった。
彼は帰途に立ち寄った店でロブスターのバター焼きに舌鼓を打ったのだが、これは書きたくても書けなかった。上司に奢ってもらったからだ。
 ポールの報告書は必然的に詳細だった。ローガン・ハイネ局長にライサンダー・セイヤーズの現状をきちんと報告しなければならないからだ。証明書類に署名してもらったのだから。序でに往路で立ち寄った支局で受け取ったライサンダーとポーレット・ゴダートの血液サンプルと胎児検査の検査表も提出した。

「これで見る限りは、普通の夫婦と普通の胎児だな。」

とハイネ局長が評価した。

「ええ、問題はありません。後はゴダートが定期健診に通って来る時に胎児の細胞を分析出来るサンプルを手に入れるだけです。」

 局長は子宮内のエコー写真を眺め、ポールに視線を移した。

「胎児を傷つけてはいかん。出産でドームに母親が来るまで待つ。執政官達もそう言うはずだ。」
「執政官達には報告済みですか?」
「コロニー人達は視察団の世話で疲れたはずだから、まだ何も言っておらん。明日の朝食の時に、ケンウッドにこっそり教える。」

 そして、ちょっと苦笑いした。

「君は嬉しくないのか、レイン? 祖父さんになるんだぞ!」

訪問者 25

「俺からも質問がある。」

 ポールがポーレット・ゴダートの画像をライサンダーに見せた。

「おまえの妻はこの女性だな?」
「うん。」
「彼女とはどこで知り合った?」
「職場。俺、本当は山の家に帰るつもりだったんだ。だけど、ヒッチハイクしたら北へ行くトラックばかりで、結局港町で仕事を探した方が見つかり易いって聞いたんで、ここへ来たんだ。それで求人広告見て、ドッティ海運の倉庫で雇ってもらえた。バイトだからあんまり身分証にこだわらなくてさ・・・」

 ライサンダーはダリルからの遺伝で機械の操作は得意だ。重機でも運送機械でも何でも操縦出来るから、きっと重宝されたのだろう。
 ポーレット・ゴダートがドッティ海運の倉庫会社で働いているのも納得出来た。彼女はアメリア・ドッティの命の恩人だ。ドームで第1子を出産した時、ポーレットは失業状態だったので、アメリアが仕事を紹介したのだろう。そして、彼女はライサンダーと出遭ったのだ。

「彼女の過去は知っているのか?」
「うん、全部話してくれた。最初の亭主が亡くなったことも、赤ちゃんを養子に出したことも。だから、俺も全部話した。」
「全部?」

 ポールは内心ギョッとした。まさかドームの中の出来事まで喋った訳ではあるまい?
ライサンダーは彼の動揺を気づかなかった。

「俺がクローンで、父さんと山で暮らしていた世間知らずだってことさ。父さんが遺伝子管理局に逮捕されたことも言った。そしたら・・・」
「彼女がダリルと出遭ったと語ったか?」
「うん。貴方のことも知っていたんだ。」

 ライサンダーはポーレットから聞いた通りの話を語った。

「父さんは体調を崩して入院していたそうだね。でもポーレットが出遭った時はプールで泳いでいたそうだから、もうかなり良くなっていたんだと思う。
 俺、貴方が合コンに参加したって聞いてびっくりした。」
「俺も、ダリルに誘われた時はびっくりしたんだ。」

 2人は一瞬目と目を合わせ、互いに吹き出した。

「俺が女と食事するイメージは湧かないか?」
「うん・・・ごめん・・・だって、貴方は綺麗だし、女の人が嫉妬するかも知れない。」
「息子にそんな褒め方をされたくない。」

 さりげなく言った言葉が、ライサンダーを感激させた。

「父さんとは仲良くやってる?」
「一緒に住んでいる。仕事も一緒だ。俺がボスで彼が秘書だ。ボスに説教垂れる秘書だがな。」
「父さんはいつも理詰めで言うだろ?」
「ああ、言い返せないので困る。」

 2人でまた笑った。笑いが収まって、ライサンダーが初めて本音を漏らした。

「俺、正直なところ、不安なんだ。本当にちゃんとした父親になれるんだろうか? 妻と子供を守っていけるんだろうか?」
「出来る。」

 ポールがまた断言した。

「ダリルはたった1人でおまえを育てた。ドームを飛びだした時の彼よりも今のおまえの方が世間を知っている。なによりも、おまえは父親がどんなものか知っているじゃないか。ダリルにはいないんだぞ。」

 ポールは立ち上がった。あまり長居すると部下からも近所からも怪しまれる。

「俺の直通番号はまだ覚えているな?」
「うん。」
「何か困ったことがあれば電話しろ。金の無心以外なら聞いてやる。」

 部下が待つ車に戻ったポールは、待たせた詫びに、ケリーにロブスターを食べに行こうと声を掛け、ヒギンズ共々から感謝された。
 一方、ライサンダーは遺伝子管理局の一行が走り去るのを窓から見送っていたら、近所から電話が掛かってきたのだが、その内容を聞いて危うく仰天するところだった。

「セイヤーズさん、さっきお宅に大統領が来てなかった?」

 そう言えば、髪が生えたポール・レイン・ドーマーの顔をどこかで見たと微かに思ったのだが・・・




訪問者 24

 ライサンダー・セイヤーズは一瞬心臓が停まるかと思った。

「Pちゃん? まさか・・・だって、その頭・・・」

 小さいパニック状態になった息子を見て、ポールはヒギンズに命じた。

「車で待機してくれ。申請者本人だ。間違いない。少しだけ面談する。」

 ヒギンズはライサンダーの様子から、この若者はレインを知っているな、と察した。先刻若者自身がクローンだと言ったので、きっと過去に何らかの接触があったのだろう。レインはそれでこの若者と少し話し合うことがあるに違いない。
 ヒギンズは了解と告げ、車に戻って行った。ポールはライサンダーに「入るぞ」と言い、返事を待たずに家の中に入った。
 屋内はひんやりとしていた。ライサンダーが慌ててブラインドを調節して室内が明るくなった。アンティーク調の家具が置かれている狭いリビングで、ポールはソファの真ん中に座った。

「良い家だな。」
「職場の人の紹介で買った中古物件なんだ。父さんが・・・ダリル父さんが・・・」
「『父さん』でかまわない。おまえがそう呼べる人間は彼だけだ。」
「・・・ごめん・・・まだ貴方をどう呼んで良いのか、わからないんだ。」
「俺のことはどうでも良い。話を続けろ。」
「・・・父さんが俺の為に銀行に積み立てしてくれてて、それを頭金にしてこの家を買ったんだ。足りない分はローンで、これから返して行くんだけど・・・」
 
 ダリルは時々山を下りて力仕事などで生活費を稼いでいた。切り詰めて息子の為に貯金までしていたのだ。しかし、そんなお金の苦労はドーマーには理解出来ない。
 ローンなんてものもドーマーには縁がないので、ポールは無視することにした。今後何らかの形で関わってきたら、ダリルに聞けば良い・・・。
 彼はライサンダーに座れと命令した。ライサンダーは恐る恐る向かいの椅子に座った。
ポール・レイン・ドーマーと差しで話すのは初めてだ。兎に角、申請書の結果だけでも聞いておかなければ、落ち着かない。

「俺、審査に落ちた?」
「残念ながら・・・」

 ポールは成人登録書即ちIDカードと妻帯許可書、婚姻許可書、そして胎児認知届け受理証明書を出してテーブルの上に置いた。
 ライサンダーが震える手でそれらを手元に引き寄せた。ポールが続けた。

「各証明書に俺かダリルが署名出来れば良かったのだが、何しろ俺たちは『親』なのでな、第3者に頼まなければならなかった。だから、遺伝子管理局局長ローガン・ハイネ御自ら署名して下さった。」

 書類に目を通していたライサンダーが顔を上げた。

「局長って・・・俺をドームに連れて来いって、クロエルさんに命令した人だろ?」
「正確に言えば、おまえをドームに来るよう説得しろと命令したのだ。無理強いしろと言ったんじゃない。それに、おまえはもう成人したから、あの命令は無効だ。」
「クロエルさんは、あの命令を無視して何か罰を受けたの?」
「局長はそんなことはなさらない。クロエルはダリルに引っ張り回され、帰投が1日遅れた罰で、休暇が3日から2日に減らされただけだ。」

 ライサンダーは肩の力が抜けた。彼は笑いだし、そしてちょっぴり泣いた。

「俺・・・父さんが出て来られないのはわかってた。でも期待してた。貴方を救出した時みたいに、何か特別な許可が出ないかって・・・俺の逮捕でも良いから出て来てくれないかなって・・・。」
「おまえは悪党じゃないから逮捕する必要はない。」

 ライサンダーは改めてポールを見た。

「髪の毛、伸ばしたんだね。」
「これはメッセージだ。」
「何の?」
「おまえが俺の息子だと言うことだ。」

 ポールの髪は既に櫛で整えられる程伸びており、彼はオールバックにしていた。
ライサンダーは戸惑った。

「俺を認知したってこと?」
「俺は最初からおまえを拒否していない。ダリルが俺の立場を考えて敢えて口外していないだけだ。上司は皆おまえの存在と俺との関係を知っている。」
「それなら・・・」
「おまえが将来ドームの人間と接触する場合に、俺の息子であると知られている方が得なこともあるだろう。例えば、おまえの妻が出産する場合だ。彼女はドームに収容されて子供を産む。ダリルと俺がよく知っている医療スタッフが面倒を見てくれるはずだ。」
「取り替え子にされたりしない?」
「しない。」

 ポールは彼の権限ではなかったが、断言してみせた。ポーレット・ゴダートは取り替え子ではないが、第1子を養子に出されている。ドームの法律では同じ母親から2度も子供を取り上げることは禁止されているのだ。例え父親が男性同士の間に産まれた類い希なクローンであったとしても。
 ライサンダーはポールがドームでどの程度の地位にいるのか見当がつかなかったが、ポールの口から断言されると、きっと大丈夫だと思えた。
 安堵すると、別のことにやっと考えが及んだ。

「JJとジェリーはどうしてる?」
「ジェリーは遺伝子組み換えの学者として研究所で働いている。彼は人類の未来を救う重要な役割を負っているから、ドームでは優遇されている。」
「えっ!そうなんだ?!」

 メーカーなのに、とライサンダーが驚くと、ポールはもう一つ朗報を教えてやった。

「台所で働いていたシェイも保護した。彼女は現在ドーム専用空港の食堂で働いている。彼女の料理は大評判で、ドームの中の人間も出前を頼むほどだ。」
「シェイも・・・あっ!」

 ライサンダーはもらったばかりのIDをもう1度見た。母親の欄に、シェイの名が記載されているではないか。父親はダリル・セイヤーズとのみ記載されている。
 ポールが言った。

「そのカードだとクローンだとはわからないだろう。」
「有り難う・・・でも、貴方の名前はないんだね・・・」
「だから、髪を伸ばしているじゃないか。」



訪問者 23

 ニューポートランドは、港町ポートランドから少し内陸に入った住宅街だった。
古い民家が整然と並ぶ、お上品な町並みにロブスターを食べさせる店があるとは思えず、ジョン・ケリー・ドーマーは少しがっかりした。チーフ・レインはわざわざ別の町へ寄り道しない人だったから・・・。
 ライサンダー・セイヤーズの申請書に書かれた住所の家はすぐに見つかった。静かな区域の小ぶりな家が集まった通りに面しており、小さいながらも立派な戸建て住宅だった。道路と入り口の間に狭い芝生の庭があり、家屋の半分を占める車庫のドライブウェイと玄関への通路の間に細長い花壇もあった。
 家を見る限り、妻帯許可申請は通せそうだ、と遺伝子管理局の人間は思った。妻帯許可と胎児認知届けがあるなら、婚姻許可も通さなければならない。成人しているから、無理ではない。要するに、申請者が本人なのかどうかの確認だ。
 ポール・レイン・ドーマーは車庫に車はないが自転車が1台置かれているのを眺めた。申請者夫婦は同じ職場に勤めており、事務職の妻は自動車で、倉庫番の夫は自転車で通勤していると言う情報を、ヒギンズがそれとなく近所から仕入れて来た。自動車は元々妻の所有で、妊娠しているので彼女がそのまま使用。若い夫は体を鍛えることも念頭に自転車をよく使うと言う。

 ライサンダーは在宅だ。

 倉庫番なので、夜勤明けに違いない。そろそろ起きてくるだろう。ポールは周囲の住人にあまり見られたくなかった。遺伝子管理局が個人宅に直接出向くのは、大概違法クローン摘発の場合だ。だから今回車は管理局の黒い車ではなく、維持班のバンを借りてきた。スーツの上着をブルゾンに着替えると、ヒギンズは囮捜査の延長かと思ったらしい。パンツも換えたらどうかと言うので、目立たなければ良いのだ、とポールは応えた。

「ライサンダー・セイヤーズって、ミナ・アン・ダウン教授のケースの時に使った名前でしたよね?」
「その本物が現れたのだ。本人確認をするだけだから、緊張しなくても良い。」

 それでもポールはケリーに車内に残って、もし申請者の家に近づく者がいれば端末に連絡するように、と命じた。そしてヒギンズを伴って件の家を訪ねた。2人は黒いアイシェードをかけていた。
 ドアチャイムを押す役割をヒギンズに任せたのは、ライサンダーが本物だったらヒギンズは只の他人に見えるはずだと踏んだからだ。
 果たして、ドアチャイムが鳴ってたっぷり5分待たせてから、ドアが開いた。若い男がまだ寝足りない様な顔で現れた。ヒギンズを見て、彼は尋ねた。

「どちら様?」

 ヒギンズがアイシェードを取ってIDを提示した。

「遺伝子管理局です。」

 緑色に輝く黒髪の若者がそれを見て、「ああ」と呟いた。

「許可をもらうのに面接が必要なんですね? 俺、クローンだから・・・。」

 ポールは心の中で微笑んだ。ライサンダーだ。間違いない。
 打ち合わせ通り、ヒギンズがポールを振り返った。

「面接は上司が行います。」

 ライサンダーはポールを見たが、スキンヘッドではなかったので、誰だかわからない様だ。彼は頭を掻いた。

「期待した人じゃなかったんだな・・・」
「誰を期待したんだ?」

 ポールはアイシェードを取った。