2018年7月2日月曜日

待機者 6 - 1

 夜が明けたが、空はまだ真っ暗で、いつも通りに朝の運動に出た人々は暗い天井を見上げ、意味なく不安を覚えた。実際のところ嵐はドーム自体に何の被害も与えず、ドーム事業も妊産婦達が出入りする交通手段が遮断されているだけで運営に問題はなかった。
 家に帰るのが遅れている女性達をケンウッド長官とゴーン副長官は珍しく出産管理区に直接出向いて励ました。シティに宿泊して妻と赤ん坊を待っている夫達の無事を伝え、遠い自宅が自然災害の被害を受けていないか、確認の為に外部との連絡回線を増やして女性達に少しでも安心してもらおうと努力した。
 女性達から感謝され、可愛らしい赤ん坊達の寝顔に心を癒され、長官と副長官はスタッフ区画の区長室に戻った。そこでは区長代理として副区長のシンディ・ランバートが仕事をしていたのだが、驚いたことに彼女の横にアイダ・サヤカ博士が座っていた。アイダは長官と副長官が入室したのを見て、立ち上がった。

「お早うございます、ケンウッド長官、ゴーン副長官。長い間勝手させて頂いて申し訳ありませんでした。」

 彼女が素早く挨拶したので、ケンウッドは喉元に出かかった質問を引っ込め、首を振って見せた。

「否、こちらこそ、君のお母様が亡くなったばかりだと言うのに地球に戻って来てくれて、申し訳なく思っている。」
「お悔やみ申し上げます。」

 ゴーンも声を掛けた。アイダは微笑んで礼を述べた。

「温かいお言葉を有り難うございます。母と私はあまり仲の良い親子ではありませんでしたが、最期を看取れて良かったと思っています。母も私がそばにいるのを理解して、子供達全員が元気で揃ったと喜んで逝きました。」

 そして彼女はさばさばした表情になった。

「親戚と兄弟姉妹と遺産分与で少し時間を取ってしまいましたが、私は私の取り分を全て子供達に譲りました。その方が私が相続するより親族が納得しやすかったからです。30年も親をほったらかしにして子供の面倒も見ない女が、今更親の遺産相続権を主張するなどとんでもないと考える親族もいましたので。」

 ケンウッドは彼自身の親が亡くなった時のことを思い出した。彼の兄弟は少なく、親戚も数人しかいなかった。彼が遺産を整理してみんなに分配したのだ。もらって大喜びする程の財産はなかったが、親族は皆満足してくれた。
 ランバート博士が言った。

「私も故郷を出る時に、相続権を放棄すると言っておきましたよ。」

 ゴーンがびっくりして医師を見た。

「どうしてなの?」
「地球で何が起きるかわかりませんもの。それに・・・」

 ランバートはニヤッと笑った。

「地球勤務の人間はあまり頂いたお給料を使いませんでしょう? 先輩達は結構な額の貯金をしてコロニーに戻って来ましたから、私は親の遺産を宛にするより、自分で稼いだ方がずっと儲かると思ったのです。」

 これにはケンウッドもゴーンもアイダも笑うしかなかった。
 室内が静かになる頃合いを見計らって、ランバートがケンウッドに申し出た。

「長官、アイダ博士は長旅でお疲れです。それにさっき留守中の私の仕事の記録を見て、完璧だと仰って下さいました。ですから、もう一日私にここを任せてお休みを取るように、長官からアイダ博士に言って頂けます?」
「そう言えば・・・」

 ケンウッドとゴーンは顔を見合わせた。ゴーンが尋ねた。

「カイロ宇宙港の混雑ぶりが半端でないと聞いたけど、よく座席が取れたわね?」

 するとアイダ・サヤカは誇らしげに微笑んだ。

「南周りの航空機に乗って、インド洋と太平洋を超えて来たのよ。」
「なんだって?!」

 ケンウッドはびっくりした。

「すると君は西から帰って来たのか?」
「はい。反対方向から回った方が早いと、空港で知り合った地球人に教えてもらいましたの。」

 ケンウッドは、やられた、と呟いた。

「地球が丸いってことを忘れていたよ!」