2021年5月2日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 25

  度重なる乾杯がなされたが、供されたのはアルコールではなく酒の風味に似せたソフトドリンク類だった。昼間から酔う訳にいかず、パーティーの後で旅行に出かける親戚達から文句は出なかった。サンダーハウスの科学者達も夜の食事の楽しみに酒類をとっておくことは支障ないようだ。それにシェイの料理はとても美味しかったが、お酒を我慢出来る味だった。ケンウッドとシュリーは一緒に来客の中を歩き回り、挨拶に忙殺された。

「疲れないかい?」

 ケンウッドが気遣うとシュリーも彼に心を配った。

「無理しないでね。」
「私は慣れているよ。本部の会合の後はいつもこんな感じだからね。」

 ロバータ・ベルトリッチ委員長はキーラとアイダとランバートの「出産管理区トリオ」に囲まれてドレスの購入元を追求されていた。彼女は数年ぶりに地球へ降りて来たので衣装を調達したのは月か火星と考えられ、どこの工場で製造された生地を使っているのかとトリオが知りたがったのだ。

「フォボス・デパートで買ったのよ。」
「こんな滑らかな手触りの布が作れるメーカーなんて知りませんよ。」
「特注じゃないんですか?」
「ただの吊るしよ。」
「嘘おっしゃい!」

 ロアルド・ゴメス少佐とアキ・サルバトーレはパーシバル家の若い男達に注目されてしまった。護衛をしているつもりだったが、若者達はどうすればそんな立派な筋肉を創れるのか、とか、日頃どんなトレーニングをしているのか、どんな種目が得意なのか、とか、興味津々だった。中にはドームで保安課員として採用されるにはどんなことを勉強すれば良いかと尋ねてくる者もいた。
 ヘンリー・パーシバルはポール・レインとヴァンサン・ヴェルティエンと共にビュッフェで食べ物を集めながらレインが巡回した外国の話をしていた。パーシバルも巡回医師として月に2回ずつ地球上を回っているので、互いの体験したことを語り合い、失敗談で盛り上がった。
 ガブリエル・ブラコフはやっとこさローガン・ハイネ遺伝子管理局長を捉まえることに成功した。ハイネはチーズをたっぷりと使った肉とパスタの料理から離れられないでいたのだ。

「介護士になると言う当初の目標から挫折してしまったんだ。」

とブラコフが申し訳なさそうに話しかけると、ハイネは糸を引くチーズを苦労しながら小皿に取り分けながら、それで? と言った。

「そのお話はもうずっと以前にお聞きしましたが。」
「介護士になるからと言って、委員会を退官したんだ。まるで任務を投げ出して敵前逃亡した気分がずっと僕の心に付き纏っている。」
「熱傷治療の医師になられたのでしょう。」

 ハイネはチーズをようやく小皿の上にまとめることが出来たので、肉に絡めて口へ運んだ。後少し経てばギターの演奏をしなければならない。彼はちょっと焦っていた。演奏前になんとしてでもチーズをたらふく食べておくのだ。元副長官の反省など聞いている暇はない。彼は言った。

「医師になられて何人の命を救われました? 大勢が貴方に感謝している筈です。貴方がクヨクヨして医師になったことを後悔なさっていると知ったら、貴方に救われた人々はどんな気持ちになるでしょう。誇りを持って下さい。患者達に素晴らしい医師に治療してもらったのだと喜ばれているのですよ。」

 ブラコフがハグして来たので、ハイネは皿を持った手を上げて落とすまいと努力した。
 J J・ベーリングはローガン、シュラミス、ショシャナの三つ子のD N Aを眺めていた。ローガンは普通の人間だ。コロニー型地球系ホモサピエンス、所謂太陽系人だ。シュラミスとショシャナはそこに一つだけ異なるパーツがある。一つだけだが重要な因子だ。彼女はクリストファー・ウォーケン医師と話をしていたヤマザキ・ケンタロウの上着の裾を引っ張った。ヤマザキがクリスに断って、彼女に向き直った。

「なんだ?」

 J Jは脳波翻訳機の電源を切っていた。端末に素早く文章を入れた。

ーーパーシバルの娘達に『待機型』因子がある。

 ヤマザキは頷いた。それは三つ子が生まれた時から懸念されていたことだ。だが「待機型」遺伝子があるのは女性2人だ。だから彼は言った。

「ローガンになければ良いんだ。」

 J Jも彼が言いたいことを理解した。彼女は微笑んで、パーシバルの息子に問題の因子がないことをヤマザキに伝えた。ヤマザキが彼女を手で誘導した。

「紹介しよう、J J。こちらはクリス、105歳のお医者さんだ。キーラの義理のお父さんだよ。 クリス、こちらはJ J・ベーリング、今ヘンリーと一緒にいる美男のポール・レインの奥さんです。例の、ニコの女性誕生の鍵発見の最大の功労者です。この女性がいなければ、地球はまだ救われなかったかも知れません。」

 J Jは慌てて脳波翻訳機の電源を入れた。

「私は卵細胞の異常を見つけたに過ぎません。原因が羊水の製造過程にあったと解明したのはケンウッド長官なのです。」

 クリスは微笑んで彼女に手を差し出した。J Jは握手に応じ、そして喉を指差して声帯がないので機械の耳障りな音声で申し訳ありませんと言った。実際のところ機械の音は不快なものではなかった。人間の耳に心地よい音に調整されているのだ。クリスがヤマザキに尋ねた。

「クローン声帯をつけられないのかね?」
「現在その手術の為にクローン製造部で調整中です。早ければ1週間の内に彼女に声帯を与えられると思います。」
「簡単な手術の筈だ。」
「ええ。ですが彼女は生まれつき声を出したことがないので、発声の為の呼吸の練習が必要です。口の動かし方も学ばなければなりません。」

 クリスはJ Jを優しい目で見つめた。

「生まれつき聴力がない人も聴覚治療で音を聞けるようになります。彼等も音を聞く経験がなかったので、発声を練習するのです。頑張って下さい。貴女もきっと話せるようになりますよ。」
「有り難うございます。」

 J Jはヤマザキを振り返って微笑んだ。
 その頃、ケンウッドとシュリーは親戚の群れから出て、ビュッフェまで辿り着いた。

「折角の料理だ。食べなさい、シュリー。休憩としよう。」
「貴方もお腹が空いているでしょう、飢えで倒れそうな顔よ。」

 シュリーは笑いながらミートボールを皿に取り、フォークを添えてケンウッドに手渡した。ケンウッドはミートボールを口に入れ、美味い、と呟いた。

「美味しいよ。君も食べなさい。」

 シュリーはアスパラガスとベーコンの料理を皿に取っていたが、声をかけられて振り向いた。その口にケンウッドはミートボールを入れてやった。

「ほんと! 美味しいわ。ちょっと冷めちゃったけど。」
「この温度で調整しているんだよ。猫舌の人もいるからね。」

 ケンウッドは目でハイネを探した。遺伝子管理局長はベルトリッチ委員長と出産管理区トリオと共に料理を探索中だった。ケンウッドはシュリーにアドバイスした。

「ハイネがもし我が家に来ることがあれば、あまり熱い料理は出さない方が良い。」
「でも熱いピッツァは平気みたいよ。」
「無理しているだけだ。チーズが硬くなる前に食べたいのさ。」
「本当にチーズが好きなのね、局長は・・・」
「ああ・・・女とチーズ、どっちが好きか一度聞いてみたいね。」