2019年8月2日金曜日

家路 2 3 - 3

 打ち合わせ会の後、直ぐにケンウッドはアフリカ・ドームへ出張して行った。昼食は機内で摂ると言って、ゴーン副長官に留守番を頼み、ハイネには彼女のサポートを頼んで出かけていった。
 ハイネは内心不満だった。彼はケンウッドがアメリカ・ドームから出かけるといつも不安になるのだ。過去、コロニー人の多くが何も言わずに突然ドームから去って行った。彼等は理由がなんであれ、退職して宇宙へ帰ったのだ。その度に残されるドーマー達は悲しく寂しい思いをしてきた。地球人が宇宙へ出ることを禁じ、地球人に宇宙の情報を与えることを制限している地球人保護法の存在を、彼等は恨めしく思っている。
 もう一つハイネを不安にさせる理由は、ケンウッドが一人も護衛を付けずに行動することだ。歴代の長官は外出時必ず護衛を同伴した。地球上であれば、外の世界の訓練を受けた保安課のドーマーを、宇宙であればコロニー人の護衛を連れて行った。あの目立つことが嫌いな前長官ユリアン・リプリーでさえ、護衛付きでなければ外出しなかったのだ。しかしケンウッドは平気で単独行動したし、保安課に届けも出さずに出て行くので、彼が長官になってからの保安課長達は毎回ハラハラドキドキで彼の帰りを待つのだった。
 今回もケンウッドがゴメス保安課長に何も言わずに出かけたので、ハイネは急いで少佐に電話したのだが、保安課はケンウッドがゲートを出て飛行機に乗るのに間に合わなかった。

 全く仕様が無い若造だ。他人の安全には必要以上に世話を焼くくせに・・・

 ハイネは息子ほども年下の、「親」であるコロニー人が可愛くて堪らない。相手と対峙する時は下手に出るが、心の何処かではケンウッドの若さを微笑ましく見守っている己がいた。
 仕様が無い若造と言えば、もう一人、面会を求めている者がいる。ハイネは彼との約束を守る為に、普段より早めの昼食を摂ることにした。
 配膳コーナーに到着した途端、ハイネは大好物の半熟とろとろチーズスフレが売り切れていることに気が付いた。物凄い落胆から、彼は思わず厨房に向かって苦情を述べた。

「何故、私が来るといつも半熟とろとろチーズスフレがないのだ?」
「人気が高いからすぐ売り切れるんだ!」

 カウンターに背を向けたまま、若き司厨長ピート・オブライアン・ドーマーが言った。彼は相手が誰だかわかっていない様子だ。勿論、それが芝居であることをハイネは承知していた。厨房班はそうやって遺伝子管理局長と喧嘩するのを毎日楽しみにしているのだ。それはオブライアンの師匠であり、先先先代の司厨長であった故ジョージ・マイルズ・ドーマー以来の伝統だった。
 オブライアンは相手がハイネであることぐらい声でわかっている。それでも故意に知らない人のフリをして、ぞんざいな口を利いた。

「今焼いているところだ。5分ばかり辛抱しろよ。」

 ハイネが子供みたいにふくれっ面をしたので、隣に立った若者がおかしくて感じたのだろう、クスッと笑った。ハイネは彼を見た。ライサンダー・セイヤーズだった。彼はスカッシュの師匠に宥めるように言った。

「5分くらい待ちましょうよ、師匠。あちらの俺達の席へどうぞ。」

 しかし、100歳を越えるドーマー界の長老は子供みたいにまだ文句を言った。

「焼き上がるなり売り切れたら、どうするんだ?」
「五月蠅い野郎だな。僕が半熟とろとろチーズスフレを焼くのは、ローガン・ハイネ・ドーマーの為なんだ。あの御仁は、僕が焼く半熟とろとろチーズスフレをいつも大絶賛して下さる。幼い子供みたいに可愛い笑顔で褒めて下さるんだよ。だけど、あの方はお忙しいので、僕の半熟とろとろチーズスフレをなかなか食べられない、お気の毒なのだ。あんたが食べたければ、ハイネ局長の後から来な・・・」

 オブライアンがブツブツ言いながら体を廻転させてカウンターの方を向いた。

「あっ! 局長!!!!」

 やっと相手が誰だかわかって狼狽えた、と言う芝居をオブライアンは見事にやってのけた。ハイネはニコリともせずに言った。

「私は、君が焼く半熟とろとろチーズスフレが食べたいのだ。焼ける迄、ここを動かんぞ。」
「あ、あの、焼き上がったら直ぐ僕がお席までお持ちしますから、どうぞ座ってお待ち下さい。」

 オブライアンは厨房班だから、遺伝子管理局の局長は彼の上司ではないのだが、何と言ってもハイネ局長はドームの最長老で、ドーマー達のリーダーだ。全てのドーマー達の尊敬を集めている。その人に失言してしまったオブライアンは冷や汗をどっとかいた。
 ライサンダーは彼にこれ以上恥をかかせては気の毒だと思ったので、こと大好物の半熟とろとろチーズスフレに関しては子供みたいに我が儘になってしまうハイネ局長を促した。

「仕事の話はしませんから、俺達と一緒にお昼をどうぞ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは厨房の竈を見て、それからライサンダーが指したテーブルを見た。午後2時に面会するはずの男が2人、こちらの騒動に気が付いて心配そうに見ていた。大人のドーマー達は毎日飽きもせずに繰り返される遺伝子管理局長と厨房班司厨長の喧嘩を楽しみに眺めているのだ。レインとセイヤーズはライサンダーがその「漫才」をぶち壊さないかと、心配していた。
 オブライアンが目でハイネに伝えてきた。

 この若造は貴方と僕の関係を知らないようですね。

 ハイネも同じことを思ったので、ここはライサンダーの顔を立ててやることにした。彼はオブライアンに言った。

「向こうに居るから、ホールで頼む。」
「かしこまりました。」

 ライサンダーは彼が先に支払いを済ませるのを待って、無料のカフェイン抜きの珈琲をカップに注いで彼に手渡した。