2017年12月6日水曜日

退出者 9 - 4

 遅い夕食を摂りにニコラス・ケンウッドが一般食堂へ行くと、アメリカ・ドーム名物、遺伝子管理局長と司厨長の喧嘩は既に終了していた。若い3人のシェフが月交代で司厨長を務めるのだが、その月の司厨長はチーズ料理が苦手でよく焦がしていた。ハイネ局長は焦げたチーズの味が嫌いではないのだが、見栄えが良くないので文句を言ったのだ。司厨長はそれに口答えをしてしまい、ハイネに絡まれてしまった。

「あの人、絶対に私等を虐めて喜んでいますね。」

 ハイネがテーブルに行ってしまい、入れ替わりにケンウッドが現れたので、司厨長はぼやいた。ケンウッドは、そんなことはないよ、と慰めた。すると司厨長は先代の言葉を教えてくれた。

「先代が与えてくれたアドバイスに、こうあります。
 『ローガン・ハイネがチーズ料理で文句を言ったら、相手にしてやれ。決して無視するな。但し、こちらにミスがない限り、絶対に謝るな。』
 今日もなんとかこの教訓を守れました。」

 ケンウッドは笑って、司厨長に「負けるなよ」と言い残し、局長を追いかけた。
 ハイネはテーブルに着いて焦げたチーズの香りを楽しんでいた。そんな幸福そうな表情をするのなら、司厨長に意地悪しなければ良いのに、とケンウッドは思ったが、これはきっとハイネのストレス解消法なのだろう。その証拠に、食堂を出る時には、彼は必ず厨房に向かって「美味しかったよ」と一言声を掛けて行くのだ。
 向かいに座ったケンウッドに、ハイネが今日は穏やかに終わりそうですね、と言った。ケンウッドは彼がジムで夕方に起きた騒動を知らないことに気がついた。リプリー長官が現場に局長第1秘書が来ていたと言ったので、局長に話が伝わったと思っていたのだ。セルシウス・ドーマーは事件性の低い出来事だったので、局長に報告する価値はないと判断したのだろう。しかし、ドーマー側には意味がなくてもコロニー人社会には問題が生じていた。

「夕方、ジムでちょっとした喧嘩があってね。」

 ハイネはケンウッドの口調がのんびりしたものだったので、食事の手を止めなかった。それで?と先を促すように副長官の目を見ただけだった。ケンウッドは続けた。

「クローン製造部の人間達なのだが、コロニー人とドーマーが喧嘩をした。彼等が揉み合っているのを見た者が保安課に通報した。保安課員が到着した時、コロニー人がドーマーを突き飛ばした。それで激昂したドーマーがコロニー人の顔を拳で殴ったのだ。」
「それはいけませんね。」

 ハイネはあまり興味なさそうだ。もし重要案件だったら既に報告が入っているはずと思ったのだ。

「保安課はドーマーが興奮していたので取り押さえて手錠を掛けた。コロニー人は顔に軽傷を負ったので、一応保護と言う形になったが、事実上は拘束だ。保安課から連絡を受けて、長官とコスビー維持班総代が現場に出向き、内務捜査班の副官も出動した。」
「ドーマーがコロニー人を殴ったからですか?」
「うん・・・当初は地球人とコロニー人の対立だと思われたからだね。しかし目撃者の証言や当事者達の日頃の関係を調べると、そんな深刻な問題ではないとわかった。」
「だが、片方は怪我をしたのですね?」
「軽傷だよ。殴られたが、唇を切っただけで済んだ。長官と総代は双方に喧嘩の原因を尋ねたのだが、どちらも沈黙するか適当なことを言って理由を語らなかった。」


2017年12月5日火曜日

退出者 9 - 3

 ジムに入り、着替えてトレーニングルームに行くと、そこで事件が起きていた。手錠を掛けられた若いドーマーが1人、保安課員2人に挟まれて立っているコロニー人の研究者が1人、そしてリプリー長官とドーム維持班総代ロビン・コスビー・ドーマー、遺伝子管理局内務捜査班チーフ副官が闘技場の入口に立っていた。保安課員に挟まれているコロニー人は顔に殴打された痕跡があり、唇が切れて出血していた。挟まれているのは保護されているためだろうが、セルシウスとレインには逃亡を防ぐために抑えられている様にも見えた。

「何でしょう?」

 レインが不安そうな表情で呟いた。手錠を掛けられるなど滅多にあることではない。ドーマーがコロニー人を殴打したのだと言うことは察せられたが、原因は何だろう?
 セルシウス・ドーマーは維持班総代と長官が話し合っているのを見て、遺伝子管理局は介入すべきでないと判断した。内務捜査班はドームの警察の様な組織だから、そこに居るのだ。局長第1秘書としてセルシウス・ドーマーは事件の経緯だけは抑えておこうと思ったので、近くで野次馬をしているドーマーに声を掛けた。

「何があったのだ?」

 声を掛けられた若いドーマーは、彼が遺伝子管理局長の第1秘書とは気づかなかったが、自身が目撃したことを教えてくれた。

「手錠を掛けられているヤツと保安課員に挟まれて立っているヤツが、揉み合いをしていたんですよ。原因はわかりません。コロニー人が、ドーマーを突き飛ばしたんです。それで激怒したドーマーが相手を殴ってしまって・・・誰かが保安課員に連絡したので、この騒ぎです。」
「地球人とコロニー人故の対立ではないのかね?」

 遺伝子管理局が気にするのはその点だ。目撃者は首を振った。

「そんな深刻な問題とは思えませんね。」

 その時、話し合っていた長官、内務捜査班、維持班総代が散会した。長官と総代がドーマーに話しかけ、長官の指図で保安課員が手錠をドーマーの手首から外した。そしてドーマーとコロニー人を連れてジムから出て行った。
 レインがその後ろ姿を見ていると、いつの間にか内務捜査班副官がそばに来ていた。「やあ」とセルシウスが挨拶すると、相手も「やあ」と返答した。

「君の姿を見て、もう局長のお耳に入ったのかと思ったが、服装から見て、そうじゃないね?」

 セルシウスが苦笑した。秘書の存在イコール局長、と言う図式なのか?

「偶然来合わせただけさ。あれはただの喧嘩だったのか?」
「それが当事者2人共にだんまりで語らないのさ。だから長官が2人を観察棟へ連れて行った。そこで語る気になるまで頭を冷やさせる。」
「重大案件にはならないだろうな?」
「それはないと思う。」

 内務捜査官はちょっと考えてから言った。

「恐らく、彼等は互いに誰かを庇っているんじゃないかな。」



2017年12月3日日曜日

退出者 9 - 2

 セルシウス・ドーマーは立ち上がると、局長に声を掛けた。

「では、レインと私は今日はこれで上がらせて頂きます。」

 局長が顔を上げ、微笑んで応えた。

「うむ、ご苦労様、明日迄ご機嫌よう!」

 ネピア・ドーマーはセルシウスだけに視線を向けて、お疲れ様でした、と言った。後輩には挨拶しないつもりなのか、とレイン・ドーマーは不満を感じたが、「お先に失礼します」と挨拶して第1秘書と共に局長室を後にした。
 通路を歩きながら、レインはセルシウスに訴えた。

「ネピア・ドーマーは俺が気に入らない様ですね。」

 するとセルシウスが苦笑した。

「彼は局長の熱烈なファンなのだ。局長に近づく部下には、片っ端からああ言う態度を取る。そのうち局長からお咎めがあるだろう。秘書は局員全員に平等に接しなければならない。君1人に冷たい訳ではないから、気にするな。」
「全員に平等に冷たい訳ですね?」

 レインも苦笑した。個人的に不愉快な感情を持たれていることを察しているが、それは言わないでおこうと思った。こちらから壁を作ってもろくなことはない。
 本部から出て、彼等は運動施設に向かった。歩きながら、さらにレインは第1秘書に話しかけた。局長室の人々には滅多に会えないので、今の特権を利用して知りたいことを知っておきたかった。

「セイヤーズ捜索に局長の貴重なお時間を割かせていただいて、ご迷惑ではありませんか?」
「何を言うかと思えば・・・」

 セルシウスが彼を振り返った。

「セイヤーズ搜索は正規の仕事だ。進化型1級遺伝子危険値S1の人間を野放しに出来ないからな。それにリスト照合で違法クローン摘発数も増えているだろう? 君がしていることはボランティアではない、局長が認められた正規の任務だ。チームリーダーにも班チーフにも承知させている。君は堂々と局長室に通ってくれば良い。」

 そう言われたレインは、肩の荷が下りた気分だった。
 歩いている彼等を見かけたレインのファンクラブが付いてくるのが見えた。レイン1人ならもっと接近するのだが、セルシウスが一緒なので遠慮しているのだ。だがセルシウスはすぐに彼等の存在に気がついた。君は相変わらず人気者だなぁと言うと、レインがムスッとした表情で囁いた。

「パーシバル博士が作ってくれた当時のファンクラブの人々は良い人達です。俺は好きだし、頼りになります。でも最近のメンバーは駄目ですね。」
「どんな風に駄目なのだ?」
「創設期の人達は、俺と世間話をしたり俺が運動するのを眺めるだけで満足してくれます。それに俺が困っていると思ったら、色々と仕事の便宜を図ってくれます。
 しかし、新しい人達は、それでは満足しないのです。彼等は俺の体に触りたがります。
俺だけじゃない、ドーマー達全員がなんとなく感じています。なんて言うか・・・サンテシマの再来みたいな・・・」

 セルシウス・ドーマーが眉を顰めた。彼もなんとなく同じ印象を抱いていた。用事で中央研究所に行った場合などに、通路ですれ違いざま体をぶつけてくる若い執政官がいる。エレベーターの中で、よろめいて見せてしがみついてくる女性もいる。
 セルシウス・ドーマーは既に60歳を超えている。しかし鍛え上げられた肉体は、重力が弱い宇宙のコロニーで育った執政官達よりも逞しく美しい。

「コロニー人は、地球人の筋肉に憧れているのだよ、レイン・ドーマー。彼等の無礼は不愉快だが、サンテシマの行動とは少し違う。もっとも行き過ぎると同じになるなぁ。
 出来るだけ隙を作らないようにすることだ。無用の争いは避けるように気をつけて行動したまえ。挑発には乗るなよ。」
「承知しました。執政官を怒らせないよう、十分に気をつけます。」




2017年12月2日土曜日

退出者 9 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは内勤の日の午後、本来の業務が終わると局長室を訪れる様になった。第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが彼のために机を用意してくれており、彼はそこに座ってコンピュータの中のファイルを覗く。そのファイルは、ローガン・ハイネ・ドーマーが一度チェックした住民登録表と遺伝子プロフィールと、同じ住所地の最新の情報だ。レインの仕事はそれを比較して、新規転入者を探すことだ。局長がチェックして遺伝子履歴のない人間をピックアップする。遺伝子管理局の局員達が現地へ行って、問題の人物の身元を調査する。違法製造のクローンだった場合は逮捕又は保護する。
 チェックすべき住民登録表は膨大な件数で、ハイネはまだ3分の1しかチェック出来ていない。しかし、人間は移動する。ドームの様な狭い社会でも、ドーマーやコロニー人は頻繁にアパートの部屋替えをする。広い外の世界では尚更だ。ハイネがチェックした後の土地に新しい住人がやって来る場合もあるのだ。そしてレインが2度目のチェックを行うわけだ。もし新規住人を見つけたら、彼はセルシウス・ドーマーに報告する。幹部候補生から降格された彼には、遺伝子プロフィールを閲覧する権限がないからだ。悔しいが、悔しがる暇がないほど目を通さなければならない情報が多い。
 レインが手伝う時間は1、2時間だけなのだが、毎回終わると彼はぐったりとしてしまう。外の世界で違法メーカーを追いかけている方がずっと楽だと、若者は思った。そっと局長の執務机を見ると、ハイネは特に苦にすることもなく、天文学的量の資料を1件1件目を通しているのだ。
 セルシウスの机を見ると、第1秘書はそろそろ1日の業務を終えて運動に出かける支度に取り掛かろうとしていた。第2秘書のネピア・ドーマーは中央研究所で拾い集めた情報を報告書にまとめているところだった。レインはネピアが苦手だった。昨年まで内勤局員をしていたネピア・ドーマーは、若い頃は凄腕の局員だったと言う話だ。引退して内勤になってからも上司から指示があれば臨時で外勤務に出ていた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した当初、ほとんど毎日捜索に当っていた。レインは偶然彼の手に触れてしまい、彼の感情を読み取ってしまった。ネピアはドームに迷惑を掛けたセイヤーズを憎んでいた。そしてセイヤーズを愛しているレインを疎ましく思っていた。
 レインは小さな溜息をついたが、セルシウスに聞かれてしまった。口髭のドーマーが彼を見て、微笑んだ。

「疲れたかね?」
「いえ・・・あ、はい・・・」

 レインは出来るだけ素直になろうと務めた。嘘をついて虚勢を張っても、年長者達は見破ってしまうことを彼は悟っていた。テレパシーではなく、経験からだ。
 彼はそっと局長を見て、セルシウスを振り返った。

「局長は毎日ずっとあんなしんどい仕事をなさっているのですね。」

 セルシウスが苦笑した。

「慣れだよ。」
「俺も毎日申請書や届出書を見ていますが、こんな長時間は耐えられませんよ。」

 セルシウスはまた声を立てずに笑っただけだった。レインは身体を秘書の方に傾けて囁き掛けた。

「局長が入院されていた時、局長業務はどなたがなさっていたのですか?」

 セルシウスは一瞬遠くを見る様な目をした。

「当初は、15代目が来られて代行して下さった。局長が眠り続けて1週間経つと、医療区から長期戦を覚悟する様にと言われたので、15代目はペルラ・ドーマーに業務を教授された。けれど、秘書ではとても毎日はこなせない。秘書の仕事を疎かにする訳にいかないし、局長業務を休むことは絶対に許されない。それでペルラ・ドーマーは15代目の許しを得て、私にも業務を教えて下さった。秘書2人で仕事を分け合ったのだよ。」


退出者 8 - 9

 食堂を出ると、フレデリック・ベイル・ドーマーは食後の運動をすると言って上司等と別れた。ケンウッドとハイネは図書館に向かって歩いた。特に図書館に用事があった訳ではなかったが、図書館のロビーならゆっくり座って会話ができるし、お茶も飲めるのだ。
ハイネはまだデザートの余韻に浸っている様子で、幸福そうな表情でケンウッドの歩調に合わせて足を進めた。ケンウッドは、自身の父親ほども歳が上のこのドーマーが何故か可愛くて仕方がない、と感じる己に気がついた。相手は外観が若く見えるだけで、ドームの中のことは何でも知っているし、コロニー人の心を読み取る能力もある。コロニー人の裏をかいて地球人に優位な方向に物事を運ばせる術も持っている。決して油断してはいけない人物のはずだが、何をしても様になるし、仕草は可愛らしい。そして利己的ではない。ハイネの行動は常にドームの為であり、ドーマー達の為だ。

 この男にはドームが全てなのかも知れない。

 ドームで生まれて一生中で暮らすドーマーはハイネだけではない。ドーマーの8割は一度も外に出ることなく、ドームの中で生涯を終えるのだ。彼等に閉じ込められていると言う意識はない。ドームの中しか知らないから、何も不足を感じないし、外に憧れることもない。勿論視聴が許されている映画やドラマで外の世界の様子を知っているのだが、出てみようと言う気は起こらない様だ。恐らく外気の汚染が恐ろしいからだろうとコロニー人は思う。映像の中の、普通の地球人達の肌は、荒れている。紫外線や放射線で傷つき、早く老化が訪れるので、ドーマーよりも寿命が短い。ドーマーはそれを知っているから、壁の向こうへは行きたがらないのだ。外に仕事を持つ遺伝子管理局や航空班のドーマー達も休日はドームの中でのんびり寛ぐ。外で遊ぼうとは思わないのだ。
 そんなドーマー達のトップにいるハイネは、部屋兄弟や部下達や娘が壁の向こうへ去って行くのをどんな思いで見送ったのだろう。
 図書館は静かだった。個別ブース内で勉強しているドーマーやコロニー人達を眺め、ケンウッドとハイネはロビーの談話コーナーに腰を落ち着けた。
 2人で取り留めのない世間話をして、お茶を飲んだ。常に遺伝子の管理やクローンの成長や新生児の健康状態を気に留めていなければならない彼等にとって、このぼーっとした時間は貴重だった。ケンウッドはヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックの結婚以来、酒盛りをしていないことを思い出した。ハイネが誘わないので開かれないだけなのだが、実際のところケンウッドもヤマザキもペルラ・ドーマーも、ハイネが娘を嫁がせて気落ちしているのだろう、と気遣って催促しないでいた。だから、ハイネが近々アパートに集まりませんかと提案したので、ホッとした。

「久々に飲むかね?」
「ええ、ずっと皆忙しかったでしょう? ケンタロウも『通過』のドーマー達が退院したと言っていましたから、手が空いたと思いますよ。」
「グレゴリーは来られるのか?」
「今日の昼に買い物に来ていたのを捕まえて、声を掛けておきました。いつでも来られるそうです。」

 ハイネは酒宴を開かなかったのは、仲間が多忙だったせいだ、と言いたげだ。ケンウッドは微笑んで頷いた。
 そこへ、1人の若者が近づいて来た。人目を憚る様に歩いて来たのは、ファンクラブに見つかりたくなかったからだろう。その男は、ポール・レイン・ドーマーだった。

「こんばんは、お邪魔でしょうか?」

 ケンウッドとハイネは同時に振り返った。ケンウッドが優しく言った。

「否、構わないよ。何か用かね?」
「ええ・・・局長に・・・」

 レインは少し躊躇ってから、副長官にも聞いて頂きたくて、と言い添えた。ハイネが頷いて許可を与えた。それで、レインは要望を出した。

「局長がセイヤーズを探す為にお仕事の空き時間に住民登録と遺伝子記録を比較されていると副長官からお聞きしました。俺には権限がありませんが、何かお手伝いさせて下さい。お願いします、セイヤーズを見つけ出すためでしたら、何でもします!」


2017年12月1日金曜日

退出者 8 - 8

 局長秘書達は既にその日の仕事を終えて帰宅していたので、ケンウッドとハイネ、ベイル・ドーマーの3名で中央研究所の食堂へ行った。一般食堂にしなかったのは、そちらが丁度混み合う時間帯だったからだ。ハイネには普段より早めの夕食になるが、彼は気にしなかった。
 ハイネは上司として当然とばかり部下の食事代を支払ったが、ケンウッドの分は払わなかった。副長官は遺伝子管理局長の上司になるので当たり前だが、ケンウッドは妙におかしく思えた。ドーマー達はこう言うところで序列にこだわるのだ。
 食事中は当たり障りのない世間話をした。ベイル・ドーマーはケンウッドが育った火星コロニーの話を聞きたがった。ケンウッドは年に1回しか帰省しない故郷に未練がなかったのだが、ドーマーの好奇心を満たす為に流行のミュージシャンやアート、スポーツの話を聞かせた。政治や教育制度の話をしなかったのは、どこのコロニーでも似たり寄ったりだったからだ。地球の様に広々とした世界ではないので、規則が多い。広大な宇宙に出たはずなのに、結局人間が生存可能な場所は限られているのだ。だから、コロニー人は地球を元の自由で活力の満ち溢れた惑星に戻したいのだ。
 デザートになると、ベイル・ドーマーは話題を仕事の方向へ転換した。但し、特定の部下に関する話題だった。彼はリコッタチーズのプルプルパンケーキを真剣な顔で切り分けている局長に話しかけた。

「リュック・ニュカネンのことですが、局長のお耳に入っているでしょうか、彼が外の女性と交際していると言う噂を?」

 その時、ハイネのパンケーキのてっぺんにあったバターの塊がツルリと滑ってシロップの池の中に落ちた。ケンウッドはハイネが残念そうな顔をするのを見て、危うく吹き出すところだった。塗ってしまえば同じなのに・・・。
 ハイネがベイル・ドーマーを見た。

「市役所の女か?」
「やはりご存知でしたか。」

 ハイネはケンウッドを見た。

「副長官がお怪我をされた時に、お世話をしてくれたそうだな。」

 それでケンウッドは頷いた。

「美人だよ。それに世話見の良い人だ。親切で優しい。」
 
 彼はベイル・ドーマーに尋ねた。会議の時からずっと気になっていたことだ。

「もしや、出張所の準備をニュカネンに全て任せたのは、彼女の存在が関係しているのかな?」
「別に女の為に彼をセント・アイブスに行かせるのではありません。彼なら1人でも新規事業の準備をやってのけると期待しているからです。」
「独り立ちさせる為ではないのかい?」
「それは・・・」

 ベイル・ドーマーは局長の顔を見た。ハイネはまた視線をパンケーキに戻していた。部下の将来の話よりリコッタチーズのプルプルパンケーキに神経を集中させたい様だ。
その態度はベイル・ドーマーの無言の問いかけにちゃんと答えを与えていた。
 ベイル・ドーマーはケンウッドに向き直った。

「ニュカネンから将来の希望が出される迄、我々の方から触れることはしません。」

 つまり遺伝子管理局はニュカネン自身が未来を決めると言う考え方なのだ。ドームの執政官達が反対すればそれまでだが、彼がドームを去りたいと言えば引き止めない。遺伝子管理局が局員に恋愛を禁止することはない。だが・・・

「勿論、仲間が去って行くと考えるのは、辛いですよ。」

 ベイル・ドーマーが本音を呟いた。

「出てしまえば、自由にドームを出入りすることは不可能ですからね。」




 

退出者 8 - 7

 ケンウッドが遺伝子管理局本部の受付でIDを提示して入館パスを受け取ったところにリュック・ニュカネンが駆け込んで来た。慌ただしくIDを提示して走って行ったので、受付のドーマーが呆れて舌打ちした。

「彼は礼儀正しい方なのですがね・・・副長官に挨拶もしないなんて・・・」
「なぁに、同じ会議に出席するはずだ、私は全然気にしないから。」

 ケンウッドは約束の時間の1分前に局長室に入った。既にメンバーは全員揃っていた。4名の班チーフ、北米南部班の5名のチームリーダー、リュック・ニュカネン、そして局長だ。ケンウッドは局長に一番近い席に着いた。対面に末席のニュカネンが座っていた。緊張で硬くなっている。ハイネ局長が室内を見回して頷いた。すると北米南部班チーフ、フレデリック・ベイル・ドーマーが会議開始を宣言した。

「諸君、多忙なところを集まってもらい、感謝します。今日は先日話し合った出張所設置について、進展があったので報告と話し合いの場を持ちたいと思っています。
 なお、夕食前ですから、出来るだけ早く話をまとめるようにと局長から指示が出ておりますので、ご協力下さい。」
 
 一同から笑いが漏れた。ニュカネンは強張った頬をちょっと緩めただけだった。
ベイル・ドーマーが会議テーブルの上に3次元映像を立ち上げた。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの立体地図で、その一部が拡大され、1棟のビルがさらに拡大表示された。ニュカネンが出した候補地のプラン3のビルだ。ニュカネンが思わず体を前に乗り出した。

「まず、報告です。うちの第3チームのリュック・ニュカネンが出したプラン3を採用することになりました。予算も認められましたので、早急に購入と改装に取り掛かる計画です。」

 ベイル・ドーマーはニュカネンに視線を向けた。

「ニュカネン・ドーマー、君にはさらに働いてもらおうと思うが、どうだろう? 購入手続きと改装の監督を引き受けてもらえないか? 売り手や改装工事業者と交渉してもらう厄介な仕事だが・・・」

 ニュカネンの顔が紅潮した。

「その様な大役を私に任せていただけるのですか?」
「バックアップをローズタウンの中部支局に頼んでおくが、大半は君の腕に掛かることになる。」

 ニュカネンが立ち上がった。興奮を抑えようと努力しながら、かすれる声を精一杯絞り出して言った。

「光栄です! 喜んで引き受けさせて頂きます。」

 まだ20代の若いリュック・ニュカネンには重い任務ではないか、と言いたげな班チーフもいたが、反対する者はいなかった。ハイネ局長が声を掛けた。

「ニュカネン・ドーマー、君には大いなる期待と信頼が寄せられている。だが困った時は遠慮なく支局なりドームなり巡回する仲間に相談したまえ。決して恥ずかしいことではない。君の力量を試す仕事ではないのだから無理をするなよ。無理をしてしくじる方が余程辛い。」
「はい、肝に命じておきます。」

 ベイルが座れと手で合図したので、ニュカネンはやっと自分が立ち上がっていたことに気がついた。耳まで赤くなって、彼は着席した。
 局長がケンウッドに声を掛けた。

「予算の方はお任せします、副長官。」
「うむ。」

 ケンウッドは出来るだけ威厳を保って頷いた。ドーマーばかりの会議に出たのは、実はこれが初めてだった。出席者の表情を観察するのは面白いのだが、自身がどんな役目を割り当てられるのか、わからなかった。そして、自分はドーム側のオブザーバーとして呼ばれたのだな、と悟り始めていた。
 次にベイルは、出張所の役割を明確に決めておこうと提案した。局長室内はやっと小さな議場の様に賑やかになった。班チーフに加えてチームリーダー達も意見を述べ、討論した。ドーマー達は議論しても、行儀良かった。誰かが発言する時は己の口を閉じて他人の意見に耳を傾ける。執政官会議の様に各自勝手に発言することはなく、相手の意見に異議があれば質問して、答えを吟味して、自身の意見を言うのだ。
 そして局長の希望通り、1時間後に話がまとまった。
 出張所の任務は、設置場所の遺伝子産業の監視、臨検、違反企業に対する業務停止手続き等だ。研究機関があれば、そこも検査に入る。所長は「元ドーマー」で、現地の人間を10名まで雇用できる。また、巡回してくる局員が休憩や宿泊にも利用出来るが、支局のような親切な対応をする必要はない。所長は指揮官であると同時に捜査員でもある役職だし、宿泊目的の施設ではないからだ。そして出張所の統括は遺伝子管理局本部であって支局ではない。班チーフが連絡役を担う。所長は支局長と常時情報交換を行う。
 ベイル・ドーマーは中部支局にこの決定を通知することを自身に課し、会議を閉会した。
 出席者達が退室して行くのを見送りながら、ケンウッドは机の上を片付けているハイネに声を掛けた。

「この後空いているなら、夕食を一緒にどうだい?」

 するとハイネはやはり後片付けをしているベイル・ドーマーを見た。

「彼も一緒で良いですか?」
「うん、構わないよ。」
「ベイル?」

 2人の会話を聞いていたベイル・ドーマーは少し頬を赤くして、光栄です、と答えた。