2019年4月7日日曜日

誘拐 2 2 - 10

 アルジャーノン・キンスキー・ドーマーは、ハロルド・フラネリー大統領からの伝言をケンウッドに告げた。それはケンウッド長官を大いに戸惑わせた。ケンウッドはキンスキーからハイネに電話を代わってもらった。

「ポール・フラネリーが危篤なのだね?」
「そのようですな。」

 死者と触れ合ってはいけないことになっている遺伝子管理局長は他人事だ。フラネリーはハイネより20歳近く若いが、30年以上同じドームに居た。どこかで接点はあった筈だが、薬剤管理室と庶務ではあまり繋がりはなかったのか。少なくとも、ハイネの口ぶりでは友達ではなかったようだ。フラネリーの方は息子のポールがハイネの部下になると言って喜んでいたとケンウッドは記憶していた。しかしハイネには、大勢の元ドーマーの一人でしかないのだろう。
 ケンウッドは彼に電話した目的を告げた。

「ポール・レイン・ドーマーに面会に行かせたいのだが?」

 ハイネが数秒間黙してから尋ねた。

「何が目的ですか?」

 ドーマーらしい反応だ。親の最期に会うと言う、人として普通の行動が、ドーマーには珍しいことに思えるのだろう。

「生きているうちに、父親と会わせたい、それだけだよ。フラネリーも希望しているそうだし・・・。」
「レインは希望しているのですか?」
「否、彼にはまだ言っていない。」
「そうでしょうね。彼は昨日外から戻ったところです。今日は抗原注射の効力切れ休暇中ですよ。」

 そうだった・・・ケンウッドは心に苦いものを感じた。レインは昨日の朝、危険な任務を無事に終えて窮地に陥った部下を救出し、外の警察、捜査機関と事態の収拾に当って疲れている。いつものケンウッドだったら、本人が外に出たいと言っても反対する。だが、今回は・・・

「フラネリーには時間がないんだよ、ハイネ。」

 君もダニエル・オライオンが会いたいと言っていたら、外に出たいと思った筈だ。ケンウッドはその言葉をグッと奥歯を噛み締めて堪えた。ハイネには絶対に言ってはいけない言葉だ。
 ローガン・ハイネが溜め息をついた。元ドーマーの最後の希望に折れたのではなく、ケンウッドの人情の深さに負けたのだ。

「わかりました。レインの外出を許可します。しかし、指図は長官、貴方からお願いします。私には維持班出身の元ドーマーとの職務外の関係がないのです。私的な外出となりますから、執政官からの指図としてレインに許可を与えて下さい。執政官なら、効力切れ休暇中の外出の対処方法もご存知でしょう?」



2019年4月6日土曜日

誘拐 2 2 - 9

  FOKとトーラス野生動物保護団体の両方に繋がりを持つ、セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウンは、取り調べ中だ。彼女は一貫してライサンダー・セイヤーズを名乗る若者に騙され、セイヤーズ誘拐計画に荷担させられたと主張している。
 トーラス野生動物保護団体は、パトリック・タン・ドーマー誘拐に関与したことを認めようとしない。遺伝子管理局がタン救出の際に撮影した画像を提示されても、知らぬ存ぜぬを貫いている。
 もっとも、この件に関しては、遺伝子管理局がタンの体に残された人間の体液や皮膚に残った指紋を提出したので、これから容疑者の特定に入るところだ。遺伝子管理局は当事者になるので、DNA鑑定が出来ない。ドーム内では既にしてしまったのだが、裁判には使えないのだ。だから、タンを暴行した犯人も判明しているのに、警察にも連邦捜査局にもその名前を教えることが出来ないし、捜査当局も尋ねることが出来ない。
 トーラス・野生動物保護団体ビルに侵入して、遺伝子管理局の3人に銃撃したジョン・モアとガブリエル・モア兄弟は黙秘している。ガラス壁に残った銃弾とジョンが所持していた銃は照合され、その銃から発射された弾丸だと鑑定された。銃にはジョンの指紋が残っている。
 献体保管室にあった2少年の遺体は遺伝子管理局によって保護されたクローンで、FOKに誘拐され行方不明となっていた子供達だと判明した。死因は窒息死だが、扼殺ではなく、酸素供給を絶たれたからだろう。彼等を運び込んだ人物や日時は不明だが、大学の記録では、3日前は献体は一体もなかったことになっている。
 警察ではビルの警備システム室の映像を押収して調べているところだ。
   ケンウッドは遺伝子管理局に警察の捜査に口出しするなとはっきりと命じた。ドームは捜査機関ではなく、メーカーの摘発以外の警察活動はしない。北米南部班チーフ、ポール・レイン・ドーマーもそこのところは理解しており、部下を傷つけられて不満はあるが命令に逆らうつもりはなかった。上層部が気がかりなのはレインの秘書ダリル・セイヤーズ・ドーマーで、彼は多くの点で事件に関わっていたので、外部の捜査機関と行動を共にしたい様子だ。保安課がセイヤーズがセント・アイブス出張所で待機している囮捜査官ロイ・ヒギンズと数回連絡を取り合っていることをハイネ局長に報告したが、ハイネは「そうか」と言っただけだった。セイヤーズが具体的な行動を起こさない限りは見守る魂胆だ。
 ハイネと何とか仲直りしたケンウッドは、気分的にやっと研究に戻れると思った。ところが、遺伝子管理局長第2秘書アルジャーノン・キンスキーから緊急連絡が入り、彼の心は再びドームの外の世界に引き込まれた。
 ドームを去って外で生活している元ドーマー達の動向をモニターしているキンスキーの連絡内容は深刻なものだった。

「ポール・フラネリー元ドーマーが、危篤状態です。」

 危篤状態の元ドーマーが自身で連絡を寄越す筈がないから、これはフラネリーがドームと関係が深いことを知っている長男で現職アメリカ合衆国大統領のハロルド・フラネリーが内密に連絡してくれたのだ。
 ケンウッドはびっくりした。フラネリーとは20年近く昔に一度会ったきりだが、面倒見の良い好感が持てる男だった。そして上院議員と言う立場をフルに活かしてドームに便宜を図ってくれた。息子のハロルドもそれを踏襲している。さらに、フラネリーはポール・レイン・ドーマーの実父だ。

「病気だったのか?」
「老衰と内臓の機能低下です。恐らく二日と保たないかと・・・」

 フラネリーは外の世界では60代か70代で通しているが、実際は80歳だ。大異変の後で短くなった地球人の寿命では長生きした部類に入る。ドームに残っていれば、もっと長生き出来ただろうが、これが彼の選択した人生だった。

2019年4月4日木曜日

誘拐 2 2 - 8

 入院した遺伝子管理局員の見舞いをしても良いかとケンウッドが尋ねようとした時、食堂の入り口にハイネ局長が現れた。目敏く見つけたヤマザキが手を挙げて合図したので、ハイネは、そのつもりはなかったのかも知れないが、ケンウッドとヤマザキのテーブルにやって来た。ドーマーは執政官に逆らわないのだ。
 トレイをテーブルに置いて着席したハイネに、ヤマザキが言った。

「患者の見舞いに来たのはネピアだったな。」
「私が動くと、騒ぐ方がいらっしゃいますので。」

 ハイネが皮肉を言う時は機嫌が悪い時だ。ケンウッドは溜め息をついた。

「君は目立つからね。髪の毛が黒か茶色なら、お忍びも出来るだろうけど。」

 ヤマザキがケンウッドの下手な冗談を笑ってくれた。そしてハイネに言った。

「患者は神経質になっているので、暫く面会謝絶にする。精神的に落ち着くのを待つだけだから、身体的には危険はないと安心してくれ。面会は長官も駄目だぞ。」
「えっ! 私も駄目なのか?」

 ケンウッドは少々がっかりした。死にそうな程恐怖体験をした若いドーマーを励ましてやりたかったのに。ハイネは黙って首を振っただけだった。
 パトリック・タンの身体的な傷の状態は既にヤマザキから所見が届いていたので、ハイネもケンウッドもそれを読んでいた。タンは殴られ、随所に内出血が見られたが骨折はなかった。一晩暖房のない部屋で半裸のまま放置されていたので体が冷え切っていた。救出されてセント・アイブスの出張所からヘリコプターで運ばれる間、彼はリュック・ニュカネンが気を利かせて全身を包んでくれたヒートテックの毛布で命を繋いだのだ。
 だがタンを苦しめたのは身体的苦痛ではなく、精神的な傷だった。彼を誘拐した人物は彼を強姦した。欲望を満たす目的もあったが、拷問も兼ねていた。タンはマザーコンピュータのアクセスコードを尋問されたのだ。しかし、平の遺伝子管理局員であるタンはアクセスコードを知らなかった。どんな酷い目に合わされても、彼はコードを言えなかったし、また知っていたとしても言うつもりはなかった。言ってしまえば殺されると思ったのだ。彼は耐え抜き、心身の苦痛に耐えきれずに気絶した。そして目が覚めた時は静音ヘリで運ばれる最中だった。彼は混乱し、同僚のケリーさえ識別出来ずに錯乱して麻酔を打たれた。次に目覚めた時はドームの医療区の病室だった。処置を施されている途中で、彼は再び錯乱に陥りかけて軽い鎮静剤を打たれた。ようやく落ち着きを取り戻した彼は、ヤマザキに敵から受けた仕打ちを語ったのだ。

「今パットに必要なのは、ひたすら眠ることだ。体の疲労を取る。それから心の治療だ。彼の身に起きたことは、出来るだけ情報拡散を抑えて欲しい。彼は敵に捕まったことを己のミスとして悔やんでいるから。」

 ハイネが低い声でヤマザキに言った。

「タンの現場復帰の時期は、貴方に任せます、ドクター。彼自身が仕事に戻れると判断したら、本部に来させて下さい。彼にどんな仕事をさせるか、それは直属の上司であるレインに任せます。」
「うん、それが良いと僕も思う。今まで通りに扱ってやる方が彼は気が楽だろう。」

 2人の会話を聞いて、ケンウッドはパトリック・タンは長官の見舞いを必要としていないだろうと考え直した。ハイネ局長が見舞わないのに長官が見舞えば、タンは気が重いだけだ。
 それより、今は別の人間の心の傷を何とかしなければ。
 ケンウッドは局長に向き直った。

「ハイネ、君の隠し事を叱ったことを私は後悔していない。だが、君が昨日から部下達を心配して落ち着かなかったことに気が付かなかったのは、私の落ち度だ。君が部下を見舞って大騒ぎする筈の私が、肝心の君が元気がないのに気にしなかった。申し訳ない。」

 ケンウッドの謝罪に、ハイネはこう応えた。

「ただ待つ為だけの遺伝子なんか糞食らえですよ。 はしたない言葉を使って申し訳ありません。」

 ヤマザキが笑い、ケンウッドは腕を伸ばしてハイネの手を軽く叩いて「お仕置き」をした。


2019年4月3日水曜日

誘拐 2 2 - 7

 医療区長ヤマザキ・ケンタロウが一般食堂へ遅い昼食を摂りに行くと、ケンウッド長官が一人ポツンと座っているのが見えた。長官の前のテーブルには空になった食器が並んだトレイが置かれている。近づくとケンウッドは端末で何かの書類を読んでいた。
 ヤマザキはトレイを彼の向かいに置き、故意に音を立てて椅子を引いた。ケンウッドがハッとした様に顔を上げた。ヤマザキが声を掛けた。

「今日は一人かい、ケンさん。ハイネはもう昼寝に行ったのかね?」

 ケンウッドは小さな溜め息をついた。

「ハイネは来ていない。中央へ行ったのかも知れない。」
「珍しいね。今日はサヤカは出産管理区から出てこないのに。」
「そうじゃないんだ・・・」

 ケンウッドは自身の端末をヤマザキの方へ押し出した。

「遺伝子管理局ぐるみで隠し事をしたので、局長を叱ってしまった。彼は気を悪くしたと思う。」

 ヤマザキは長官の端末の画面を見た。それはハイネから送られてきた、昨日から今朝にかけて起きた事件の顛末を詳細に記した報告書だった。ヤマザキはそれをたっぷり10分かけて、但し食事をしながら、読み通した。読み終わって端末をケンウッドに返そうと顔を上げると、長官と目が合った。ケンウッドが尋ねた。

「君は知っていたのだろう? 昨日からハイネと暗号みたいな会話をしていた。」
「僕は、ハイネから救急患者の受け入れの用意が整っていることの確認されただけだよ。」
「救急患者?」
「つまり、外勤務の局員が負傷したか急病に罹ったと言う意味だと捉えた。まさか、こんな・・・」

 ヤマザキは端末の画面を目で示した。周囲にはまだ人がいたので、直接的な表現は避けた。

「緊迫した事態になっていたなんて、想像していなかったさ。」
「私は航空班から遺伝子管理局が静音ヘリを無断使用したと抗議を受けて、初めて事件が起きていることを知った。それも無断使用の理由をハイネに問い詰めて、質問責めにしてしまったのだ。」

 フッとヤマザキが苦笑した。

「執政官に知られたくなかったんだよ、彼は。特にケンさん、君にね。君はドーマーが傷つくと自分の身を傷つけられたみたいに苦しむから。」
「わかっている。」

 ケンウッドは己に腹を立てていた。

「最初は隠し事をされて腹が立った。だから局長を叱ってしまった。ハイネは言い訳一つしなかった。ただ報告を忘れていました、の一点張りで・・・セイヤーズを危険な任務に出したことすら黙っていたんだ。私に心配をかけまいとして。」
「君は彼を叱ったことを後悔しているのかね?」

 ヤマザキは最後の食べ物を水と一緒に流し込んだ。

「ハイネは昨夜から様子がおかしかっただろう?君も気が付いた筈だよ。」
「ああ・・・そう言えば・・・」

 ケンウッドは昨夜の夕食の席を思い出した。

「どうしたのかと尋ねたところへ、君が来て邪魔をしたんだ!」
「僕のせいかい?」

 ヤマザキが吹き出した。夕食の席でハイネは患者を医療区へ届けると断言した。ケンウッドは聞いていた筈だ。しかしツッコミを入れなかった。

「君は上司として当然の叱責をしたんだ。ハイネは叱られることを覚悟していたさ。だから君がクヨクヨする必要はない。ハイネだって根に持ったりしていないよ。」

 そして医療区長としてヤマザキは報告した。

「患者は無事到着して、傷の処置も上手く行った。後は本人の精神力の問題だ。同じく帰還した2名のドーマーはどちらも異常なし。これから帰って来る連中からも医療関係の報告はないから、大丈夫だ。残るは・・・まぁ、昼飯に来ない局長の胃の調子がどんなものか、それが気掛かりだな。」


誘拐 2 2 - 6

 若くて経験の浅い局員には叱責よりも励ます方が堪える。それにハイネの言葉はジョン・ケリーの心中をズバリと言い当てた。ケリーはタンと逸れたことをずっと悔やんでいたのだ。セイヤーズもレインもクロエルも彼の責任ではないと言い聞かせたのだが、若者はずっとクヨクヨ悩んでいた。だから最高責任者である局長から、過去ではなく未来をどうするか指示を与えられ、少し気が楽になった。
 それは、立ったまま局長の言葉を聞いていたダリル・セイヤーズも理解した。

 さあ、次は己の番だ。

 彼は腹をくくって立っていた。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局局長は再びキーを叩きながら言った。

「航空班から君の違反行為に対する苦情が3件届いている。静音ヘリの無断使用、無免許操縦、無許可フライトだ。」

 こんな場合、ひたすら謝ると言うことを、セイヤーズは幼少の頃から実行してきた。

「申し訳ありません、一刻も早くタンを救出しなければと気が逸って、周囲の迷惑を顧みず身勝手な行動を取ってしまいました。チーフ・レインからもきつく叱られました。」
「確かに、レインから『叱っておきました』と報告が来た。」

 ハイネ局長は、幼馴染みで恋人のレインの小言などセイヤーズが屁とも思っていないことを承知していた。この能天気な男をどう諭してやろうか?

「君自身は事の重大さを全く理解しておらんようだ。」
「・・・と仰いますと?」
「ほら、その態度!」

 ハイネは顔をセイヤーズに向けた。

「軽ジェット機より高価な静音ヘリを乗り逃げしたと言う、しょーもない違反では済まないことを君はやったんだぞ!」

 ライサンダー・セイヤーズ製造費より高価なヘリコプターを無断で操縦したことより大きな問題って何だ? セイヤーズはぽかんとして上司を見つめた。
 ハイネ局長は哀しげな顔をした。

「君は何故進化型1級遺伝子保有者がドームから出してもらえないのか、理解していないのか?」
「それは・・・本来地球人にはない遺伝子が拡散するのを防ぐ為で・・・」
「だから、何故そんな遺伝子が地球に存在してはならないと考えられるのか、わからないのか?」
「・・・」

 セイヤーズは今朝トーラス野生動物保護団体ビルに侵入した時にクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが言ったことを思い出した。ビルの厳重なセキュリティシステムをいとも簡単に無力化してしまった彼を見て、ワグナーは「なんで貴方がドームから出してもらえないのか、よ〜くわかりました。」と言ったのだ。

「でも、セキュリティシステムは宇宙にもあるし・・・」
「宇宙船操縦士はな・・・一生宇宙船の中で過ごすんだ。彼等はコロニーには住まないのだ。生まれてから死ぬ迄、機械に囲まれて過ごすのだ。」
「・・・」
「君は人間が好きだろう? 機械相手に一生過ごすより、レインやワグナーと一緒に働いていた方が楽しいだろう?」
「勿論です!」
「だったら、そのずば抜けて優秀な脳をもっと鈍らせておけ。今回の行動が執政官達に知られたら、観察棟に幽閉されて2度と外に出られなくなるぞ。」

 セイヤーズは心から反省した。ローガン・ハイネ・ドーマーが彼のことを心底心配してくれていることを理解したからだ。局長が怒っているのは、彼の違反行為ではなく軽率さに対してだったから。

「本当に申し訳ありませんでした。2度としません。」

 しゅんとしたセイヤーズを数十秒間ハイネは見つめた。
 やがて、彼は口元に優しい微笑を浮かべた。

「これに懲りてくれぐれも自重しろ。タンを無事救出した功績に対して今回のことは不問にする。航空班には私から謝っておくが、君も今からすぐに謝罪文を班長に書いて送れ。さもないと次回から外での移動は動物用貨物室に乗せられるぞ。」

 ドームの航空班の主たる仕事は、全米から妊産婦を無事にドームと居住地の間を送迎することだ。遺伝子管理局の送迎は彼等にとって「ほんの手間仕事」に過ぎない。その「手間」に面倒を掛けられたくないのだ。
 セイヤーズは小さくなったまま、局長執務室を退出し、言われたことをする為にポール・レイン・ドーマーのオフィスに向かった。当分は自粛だ。

2019年4月2日火曜日

誘拐 2 2 - 5

 ハイネは局長執務室に戻ると机の前に座った。早食いでその名を轟かす第2秘書のアルジャーノン・キンスキーは既に昼食から戻っていて、彼は執務室で昼寝をするつもりだったのだが、局長が戻って来てしまったので自分の机の前に座った。部屋から出て行っても昼休みなので上司は文句を言わない筈だが、なんとなく休みを取るのが悪いような気がしたのだ。ハイネの全身から怒りのオーラの様な雰囲気が発せられていたからだ。
 実を言うと、今回の誘拐事件が思いがけない方向からケンウッド長官にバレてしまったのだ。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが無断借用した静音ヘリを管理する航空班が長官に遺伝子管理局の「横暴」を訴え出てしまった。ケンウッドは打ち合わせに現れた遺伝子管理局長にヘリコプターの使用目的を尋ね、パイロットを乗せずに飛ばした理由を尋ね、セイヤーズを外に出動させた理由を尋ね、パトリック・タン・ドーマーが何者かに拉致された事実を知ってしまったのだ。
 当然のことながら、ケンウッドはハイネを叱責した。ドーマーが危機に陥った事実を隠していたことを怒ったのだ。ハイネは言い訳をしなかった。地球の再生プロジェクトの大詰めを迎えているケンウッドの心を乱したくなかった、と言えなかった。言えばケンウッドが哀しむとわかっていた。
 黙って叱られているハイネを見ているうちに、ケンウッドは冷静さを取り戻した。ハイネも部下達も執政官に叱られるのが嫌で失敗を隠したのではない。それは彼も理解出来た。コロニー人の手を煩わせたくなくて、自分達だけで解決しようとしただけだ。実際、ハイネは告げたのだ。

「タンは救出され、数分前にゲートに到着しました。」

 ケンウッドは黙り込み、それから命じた。

「事件の経緯を報告書にまとめて提出してくれないか。それを読んでから、君達の処分を決める。」

 だからハイネは昼休み返上で報告書の作成に取り掛かったのだ。
 セイヤーズ・ドーマーとケリー・ドーマーが入室した時も彼はまだ文章を書くことに取り組んでいた。キンスキーが2名の部下を会議テーブルの前で待機させた。若いドーマー達は局長の怒りの雰囲気を感じ取り、大人しく立ったまま声をかけられるのを待った。
 たっぷり5分間待たせてから、やっと局長が声を発した。

「ジョン・ケリー・ドーマー、同僚が災難に遭ったからと言って自身を責める必要はないぞ。」
「えっ?・・・あの・・・」

 ケリーはもじもじした。

「パトリック・タン・ドーマーが攫われたのは、彼自身に油断があったからだ。君が責任を感じていると知ったら、パットの立つ瀬がないだろう。」

 ハイネは顔を上げた。緊張で顔を赤くした若いケリーの目を見た。

「今、医療区から簡単なタンの診療所見が届いた。身体的拷問を受けていた。恐らく、精神的なダメージが残るだろう暴力だ。」

 セイヤーズもケリーも彼が言っている意味を悟った。ケリーが両手をグッと握りしめた。ハイネはまた画面に視線を戻した。

「パットを哀れむな。あれは今混乱しているが、静養すればすぐに立ち直る。君が同情するのは却って迷惑だろう。君がやるべきことは彼の身に起きたことを忘れてFOKを倒すことだ。」

 ケリーは大きく息を吐いた。そうやって感情の爆発を止めた。そしてかすれた声で応えた。

「わかりました。では、これからも囮捜査に協力するのですね?」
「他の局員達は引き揚げさせる。遺伝子管理局の仕事を停滞させる訳にはいかない。しかしヒギンズの捜査にはまだ本物の局員のサポートが要るだろう。君は当分専属で彼について行くが良い。レインには私から話しておく。」
「了解しました。」
「オフィスに戻って報告を作成しろ。終わったら休め。」

 ケリーは「失礼します」と挨拶して、セイヤーズに頷いて挨拶がわりにすると、部屋から出て行った。

2019年4月1日月曜日

誘拐 2 2 - 4

 ハイネ局長が定例の打ち合わせ会で中央研究所の長官執務室に向かった直後に、航空班からセイヤーズが操縦する静音ヘリがドーム空港に戻って来たと連絡が入った。ネピア・ドーマーは第2秘書のキンスキー・ドーマーに留守番と定刻になれば昼休みにして良いと伝えて、局長執務室を出た。
 送迎フロア迄は遠いが、外からドームに戻って来た者は必ずゲートで消毒を受けるので、ネピアが急ぐ必要はなかった。それでも彼は颯爽と歩き、歳を取っても若々しいところを年少の連中に見せつけた。
 送迎フロアに到着すると、彼は係官に帰還者は中に入ってきたかと尋ねた。係官はまだ消毒中です、と答え、局長秘書が出迎える相手は何者だろうと思った。暫くしてセイヤーズとケリーの若い遺伝子管理局員が入って来た。ケリーはまだ若いし平の局員なので、局長秘書に馴染みがなかったが、班チーフ付き秘書のセイヤーズはネピアに気がつくと立ち止まった。
 ネピアがセイヤーズを気に入らないのと同様に、セイヤーズもネピアを苦手に感じていた。秘書会議ではいつも無視されるか意見されるか、叱られるか、なのだ。その上、今回はヘリの無断使用をしてしまったので、叱責されるのは避けられなかった。

「セイヤーズ、ケリー、只今戻りました。」

 セイヤーズの改まった口調で、相手が偉いさんだと気が付いたケリー・ドーマーも立ち止まった。何と言うべきかわからなかったので、取り敢えず名乗った。

「北米南部班第1チーム、ジョン・ケリー、只今戻りました。」

 ネピア・ドーマーは値踏みするかの様に2人をジロジロと眺め、やがて頷いた。

「両名共に怪我はないようだな。」
「はい、お陰様で・・・」

 セイヤーズが何か言いかけたが、ネピアは手の動きで待機を命じた。そして端末を出すと、ハイネにメッセを送った。

ーーセイヤーズとケリーは無事に帰還しました。

 そして顔を上げると、どちらにでもなく尋ねた。

「パトリック・タンはまだ消毒中か?」

 セイヤーズが答えた。

「はい。怪我をしているので、消毒を慎重に行ってもらうよう、消毒班に頼みました。」
「わかった。」

 その時、ハイネから返事が来た。

ーー部屋に戻る。2人を寄越してくれ。

 今日の打ち合わせは短ったのか。ネピアは、了解と返事を返し、セイヤーズとケリーに局長執務室へ出頭せよと命じた。ヘリの無断使用をしたセイヤーズと、同僚と逸れたばかりにその同僚を危機に陥らせてしまったケリーは、表情を硬くして本部に向かって歩き去った。
 ネピアがその後ろ姿を見送りながら溜め息をついた時、医療区から負傷者を迎えに救護係のドーマー達がやって来た。

「患者は急病人ですか? それとも怪我人?」

 ヤマザキがケンウッドを誤魔化す為に遺伝子管理局員に急病人発生などと言ったものだから、情報が混乱している様だ。ネピアは負傷者の受け入れ態勢を要請したのに、と思いつつ、辛抱強く言った。

「怪我人だ。恐らく外の人間から暴力を受けている。」

 救護係達はネピアが局長秘書だと気が付いた。お偉いさんが出迎えると言うことは、負傷者は重い傷を負ったらしい、と彼等は推測した。

「ストレッチャーが出て来たら、大至急医療区へ運ぶぞ。」
「OK!」

 若者達は全身のエンジンを掛けた状態でゲートの扉を見つめた。