2019年8月15日木曜日

家路 2 4 - 4

 ケンウッドがアメリカ・ドームに帰還したのは夕刻だった。前日出発してから28時間しか経っていなかったが、随分長い間留守をしていた気分になった。ゲイトのドーマー達がとても懐かしい顔ぶれに見える。2人の男性執政官達も消毒を終えて出てくると顔を綻ばせていた。

「ヤァ、久しぶりの我が家だなぁ」

 ドヌーヴが大きな声で言って、一行は思わず笑った。女性のカタダはまだ時間がかかるので、先に解散した。部下達が近道の出産管理区の通路を選んだのに、ケンウッドは回廊を歩いた。長官は本当に回廊がお好きですね、とちょっとからかわれた。
 壁の向こうに夕暮れの風景が広がっている。こんな綺麗な景色を見ずしてアパートに帰られようか。少しずつ色が変わっていく夕空を眺めながら、ケンウッドはゆっくりと歩いた。大きなカーブを曲がったところで、壁にもたれかかってローガン・ハイネ・ドーマーが外を眺めているのを見つけた。ケンウッドは何故かホッとした。アメリカ・ドームには白い髪のドーマーがいる。我が家の証拠だ。
 ハイネが振り向いた。少し微笑んで、お帰りなさい、と言った。心なしか、微かに緊張しているように思えた。そう言えば、進化型1級遺伝子S1のダリル・セイヤーズ・ドーマーに外出許可を与えてやったが、何かあったのだろうか。ケンウッドは胸騒ぎを覚えた。

「今戻った。出迎え、有り難う。」

 ハイネが小さく頷いた。そしてそばに来ると、囁くように言った。

「驚かないで下さい。」
「何をだね?」

 ケンウッドはますます心が穏やかでいられなくなった。セイヤーズが何かしたのか? それとも他のドーマー達に何か起きたのか?
 ハイネは通路の向こうを見て、誰もいないことを確認してから、言った。

「ケンタロウが入院しました。」

 ケンウッドは直ぐには反応出来なかった。全く予想外のことだ。ヤマザキ・ケンタロウはアメリカ・ドームの医療区長だ。このドームの医療責任者のトップで、ケンウッドとハイネの主治医だ。そして大切な親友だ。

「入院? ケンタロウが?」

 やっと声を絞り出した。体が震えそうだ。ハイネは優しく説明した。

「重病ではありません。昨夜、プールで泳いでいて足がつったのです。本人によれば、慌ててしまい、水を飲んでしまったと・・・」
「つまり、溺れかけたのか?」
「平たく言えば、そうです。」

 ハイネは苦笑した。

「ご当人は直ぐに退院するつもりだったのですが、ベル副医療区長が大事をとって入院させました。明日の朝まで入院です。貴方が驚かないよう、説明しておこうと思いまして・・・」
「十分驚いたよ。」

 ケンウッドは脱力した。ヤマザキは他人には健康に留意せよといつも命じるくせに、己は医者の不養生で何も気にしない。重病に罹ったのかと危惧したのだ。

「我々も歳だからね・・・」

 ケンウッドは苦笑した。

「まだまだここの仕事が山のように残っているのだ。無理せずに用心しろとケンタロウに言わなきゃなぁ。」

2019年8月14日水曜日

家路 2 4 - 3

 会議が終わり、ケンウッドと3人の執政官達はゲストハウスへ向かった。2時間ばかりそこで休憩して帰るつもりだった。執政官の一人、ジャック・ドヌーヴが呟いた。

「今日の地球側の提案が月に受け入れてもらえると良いなぁ。僕はクロエル・ドーマーがお見合い話を聞かされる度に暗い表情になるのを見るのが辛いんだ。」
「クロエルが暗い表情になるって?」

 マーク・グレイザーが驚いた顔でドヌーヴを振り返った。陽気な地球人の若者が暗い表情で沈む姿を想像出来ないのだ。ケンウッドもクロエル・ドーマーが沈んでいる姿を見た記憶がなかった。ドヌーヴはクロエルが素を見せる数少ない執政官なのか? 
 ドヌーヴは仲間の驚愕に気が付いて、ハッとした様に顔を上げた。

「彼は気に入らないことがあると口数が減るんですよ。養母のゴーン副長官には明るく振舞って見せている様ですがね。」

 ドヌーヴは太陽からの放射線と遺伝子の関係を研究している博士だ。地球上で太陽に一番近い赤道上の住民の遺伝子を分析してきた。中米班と南米班のドーマー達と親しいのはそのせいだ。
 一行の中の紅一点、ジェセフィン・カタダが苦笑した。

「副長官が持って来られるお見合い話の相手は年配女性ばかりですからね。」

 新しい卵子提供者が得られないから、現存する部族の末裔は高年齢なのだ。ケンウッドはクロエル・ドーマーに課せられた純血種の子孫を残す役割を気の毒に思えた。だからアフリカ・ドームの提案は本当に彼も嬉しかったのだ。

「父親の遺伝子履歴が不明だからドームの外へ卒業させられない、と言う理屈も可笑しいわ。」

とカタダが言った。

「ドーマーは遺伝子を残すために育てている地球人なのだから、遺伝子履歴が不明の子供は残すべきでないと考える方が妥当だと思いますけど?」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「私も疑問に思っているのだよ、後輩諸君。私がアメリカ・ドームに着任した時には、既にクロエルはいたのだからね。」
「みんなのアイドルとしてね!」

 グレイザーが小さく笑った。

「あの子は可愛らしいから、きっと昔の執政官達は手離したくなかったんですよ。」


2019年8月10日土曜日

家路 2 4 - 2

 休憩時間の後、アフリカ・ドーム長官オレプ・ニエレレがカササ・ドーマーがケンウッドに語った案件を持ち出した。カササとニエレレの間で意思疎通が上手く行っているようだ。ケンウッドはカササの出身部族の名前を知らない。熱帯雨林のある地方と聞いていたので、赤道近辺の西海岸なのだろうと思うが自信はなかった。ニエレレも長身だ。こちらは由緒正しいマサイ族の出身で、勿論、牛を追い槍を持って赤い衣装を身に纏う先祖を誇りにしている。しかし彼自身は木星コロニー出身で、アフリカの大地を目にしたのはほんの10年前だ。槍は持っていないし、牛の育て方も知らない。ヒトゲノムの研究者だから、地球人類復活委員会に採用され、長官に昇進出来たのだ。
 ニエレレは、文化継承の大切さを認めながらも、個人を血統で縛るのは止めようと呼びかけた。

「外の地球人が自由に恋愛をしている時代に、何故我々が時代遅れの考えを我々の可愛い息子達に強いる必要があるのでしょうか?」

 彼は場内を見回しながら言った。

「ドームの中には、その地のドームの伝統が築かれ、文化が生まれています。ドーマー達は肌の色や体型などの違いを乗り越え、一つの家族として生活し、独自のルールを作っています。そこへ、わざわざ彼等の生活や思想になんら影響を及ぼさない昔の文化を入れる必要があるでしょうか。当アフリカ・ドームの管轄大陸では消滅した民族・部族が多すぎます。絶滅を辛うじて免れ生存している人は、最早祖先から受け継いだ言葉も文化も持っていません。そこへ昔の文化を押し付けられたドーマーを社会復帰させても、意味がないのではありませんか。」

 ニエレレは息を継いでから続けた。

「ほんの数人ではありますが、婚姻条件を付けられて、愛する女性とカップルになれないドーマーがいます。彼等は血統を守る理由でドームから退所することも出来ません。それは余りにもコロニー側の身勝手と言うべきではないでしょうか。
 どうか我々アフリカ・ドームの提案をご支持頂きたいのです。血統にこだわらず、ドーマー達に自由な婚姻を認めてやりましょう。」

 パラパラと西ユーラシア・ドームの出席者から拍手の音が聞こえた。それに釣られるかのように、東アジア・ドームから、南アジア・ドームから拍手が起こった。どちらも多くの民族を抱えて卵子提供者獲得に苦労しているドームだ。ケンウッドは、同行者の執政官3名を見た。彼等が頷いて見せたので、南北アメリカ大陸ドームも立場を決めた。ケンウッドが手を叩き始めると、執政官達も叩いた。やはり多民族地域であるオセアニア・ドームはドーマーと執政官の軋轢が多く、同調は難しいのではと心配されたが、最後に拍手に応じた。ニエレレが感謝の気持ちをマサイの伝統ではなく、一般的によく用いられる両手を合わせて表した。

2019年8月9日金曜日

家路 2 4 - 1

 ケンウッドはアフリカ・ドームの大会議室に居た。アフリカ大陸は広大で民族も自然も多種多様なのに、ドームは一箇所、ナイロビにしかない。大異変の後、アフリカ大陸の人口は急激に減少してしまった。宇宙に進出したアフリカ人の人口が少なかったせいだ。現在宇宙にいるアフリカ系の人々は、裕福な一族や政治的有力者の部族の子孫が多く、庶民の子孫が少ない。古くからの伝統を守っていた民族の多くは絶滅してしまい、その文化はもう博物館で見ることしか出来ない。アフリカ・ドームで働いているアフリカ系の執政官の多くは、ヨーロッパやアメリカを故郷とするコロニー人だ。
 ケンウッドが地球で働くことを決意した時、勤務地の第一希望はアフリカ・ドームだった。象を見たかったのだ。しかしアメリカ・ドームに派遣されてしまい、そのまま今日に至った。
 アフリカ・ドーム遺伝子管理局長クワク・カササ・ドーマーがゆっくりと入場して自席に着席すると、やっと議事が始まった。アフリカ・ドーム長官オレプ・ニエレレ博士がドーマーが外出時に接種する抗原注射の廃止を決行したことを報告した。他のドーム長官達は驚かなかった。ドーマーは地球人だ。彼等をドームの外に出すには、先ず外の空気に慣らさなければならない。雑菌、ウィルス、バクテリア、放射線、埃・・・今まで彼等に触れさせないよう遠ざけて来た物に、慣らすのだ。それは程度の差があれ、どこでも既に取り組んでいることだった。ただアフリカ・ドームの様に、廃止を決めたところはなく、大胆な試みとして受け取られた。
 次に発言したのは西ユーラシア・ドームだった。例の地球人保護法改正要求についての、既に各地から送られていた質問に対する回答だ。恋愛は個人の権利であり自由なのだから法律で制限されるものではない、と言うコンセプトで西ユーラシアは執政官もドーマーも意見を統一させているのだ。そして最終目標は、改正ではなく撤廃だった。
 2時間後、休憩時間が設けられた。場内の執政官やドーム長官達が外へ出て行った。ケンウッドは出口の混雑を眺め、人が減るのを待っていた。すると横から声をかけて来た人がいた。

「アメリカ・ドームでは、まだ民族の純血維持を行っているのでしょうか?」

 振り返ると、白い髪とコーヒー色の肌のアフリカ人が立っていた。アフリカ・ドームの遺伝子管理局長クワク・カササだった。ハイネに負けぬ長身の男だ。しかし年齢は80歳、ケンウッドより10歳上だが、地球人なのでずっと老けて見えた。ケンウッドは彼に空いた隣席を手で示し、座らせた。

「民族の純血維持ですか・・・現在は行っていませんが。アメリカは移民の国ですから・・・」

と言いかけて、彼は重要なことを思い出した。

「先住民の純血維持をしていました、思い出しましたよ。」

 チョコレート色の陽気な若者の顔が脳裡に浮かんだ。父親の正体が不明なので、母親の血統を維持する目的で宇宙からお嫁さんを誘致しようと委員会が躍起になっている。しかし候補者が現れず、今も独身であることを強いられているドーマーだ。

「純血維持など、意味がないと思われませんか?」

 カササが言った。

「文化は一人や二人で維持出来るものではありません。それに生活の中で活かされるものでなければなりません。ドームの外で純血維持を行うのであれば、それも意味があると思えますが、ドームの中で行うのはどうでしょうか? ドーマー達の文化はドームの中で培われた新しい文化です。そこに無理やり200年前に消失した文化を押し付けても、根付きはしないし、活かされもしない。ドーマー達は顔も知らない親との繋がりを求めて押し付けの文化を受け入れているだけです。しかし、それを伝承する子孫は規則で残せない。可笑しいでしょう?」

 一気に喋ったカササは、無言で見返すケンウッドに、微笑んで見せた。

「大切な休み時間に私個人の意見をお聞かせして申し訳ありませんでした。」

 ケンウッドは首を振った。

「ちっとも構うことなどないよ、カササ・ドーマー。私もそう感じているのだ。アメリカ・ドームにも母方の血統の女性と結婚させようと独身を強いられている若者がいる。しかし少数民族の母親の一族はもう彼しか残っていないのだよ。そしてコロニーにも同族の女性がいるとは思えない。20年近く探しているのだが、未だにヒットしないのだからね。彼に自由な恋愛をさせてやりたいのだ、私は。彼は出自部族の文化を何も知らないのだから。」

2019年8月5日月曜日

家路 2 3 - 5

 ハイネはコンピュータの画面に表示されているケンウッド長官からの最新のメッセージに目を向けた。ケンウッドはアフリカ・ドームに到着したばかりだが、早速アメリカの様子を問い合わせてきていた。留守の我が家が心配で堪らない心配性の長官だ。ハイネがセイヤーズの要望を告げると、こう返信してきた。

ーー面会させるなら山の家が良いよ。あそこはコンピュータのネットワークがないはずだ。セイヤーズの能力の危険性が低くなるし、裁判の関係者もよもやあんな辺鄙な場所まで行くまい。

 セイヤーズの外出をあれ程禁止したがっていたケンウッドなのだが、どう言う風の吹き回しか、今回は気前よく許可を出してきた。ハイネはその理由を考えてみたが、答えを思いつかなかった。
 午後2時にセイヤーズとレインが局長執務室へ足を運んできた。出迎えたのは、第1秘書のネピア・ドーマーで、第2秘書キンスキーは彼の日課で中央研究所へ行って連絡事項や新規情報などの収集に努めている。ネピアはレインに自席のそばの席で待機するよう指図して、セイヤーズを局長席の対面の席に案内した。
 ハイネはコンピュータの画面を眺めていたが、セイヤーズが正面に座ると顔を向けた。

「君が住んでいた家を買い取りたい人物との面会を許可して欲しいと言うことだな?」
「そうです。ちょっと問題がありまして、土地は州のものなのです。私が無断で隠れ住んでいたので・・・私が売るのは家だけです。購入希望者は現在州政府と土地の買い取りに関して交渉中です。」
「その人物がライサンダーと娘との同居を望んでいる?」
「はい。隠す必要がないので打ち明けますが、相手はフランシス・フラネリーです。」

 当然ながら、ハイネはフランシス・フラネリーが何者か知っている。成る程、と呟いただけだった。ドームの外の出来事に関しては、我関せずと言った風情だ。フランシスが土地の買い取り可能な財力を持っていることも、ライサンダーと娘を守る警備態勢を取れることも、敢えて確認しない。

「それで、君がドームから出て彼女と直接会う理由はなんだ?」
「私は彼女をよく知りません。良い人だと思いますが、息子と同居して上手くやっていけるのか、人柄を少しでも知りたいのです。すみません、親の我が儘だと承知しています。私が外に出る正統な理由でないことは、わかっています。」

 ハイネは視線をコンピュータに戻した。セイヤーズは心の中で溜息をついた。話を持って行く相手を間違えたかも知れない。ローガン・ハイネ・ドーマーは家族と言うものと全く無縁な生涯を1世紀過ごして来た人だ。家族の情愛を訴えるなら、ケンウッド長官の方が効果的だ。ケンウッドからハイネを説得してもらった方が良かったかも知れない。
 その時、思いがけない人物が発言した。

「局長、ちょっとよろしいでしょうか?」

 セイヤーズは思わずネピア・ドーマーを振り返った。レインも横にいる第1秘書を見ている。
 ハイネも内心驚いていた。ネピアは上司が部下を面談する時に口を挟んだりしなかった。それが今・・・? これはケンウッドの説教の効能なのか?

「なんだ、ネピア?」
「ライサンダー・セイヤーズは娘が人工子宮から出た時点でドームに来る資格を喪失します。恐らく、父親とは直接会う機会も失うでしょう。だから、ダリル・セイヤーズは息子を安心して託せる相手かどうか、ミズ・フラネリーを見極めたいのだと思いますよ。」

 見事に心の中を見透かされて、セイヤーズはどきりとした。ネピアとは仲が良いとはお世辞にも言えない。それなのに、本心を知られていた。
 ハイネがネピアに言った。

「だが、レインはいつでも自由に息子にも取り替え子の妹にも会えるだろう。レインに様子を見させれば済む。」
「それでも、セイヤーズは自分で子供を育てた親ですから。」
「自分で作った子供でもあるしな・・・」

 皮肉とも取れる言い方をして、ハイネはセイヤーズを見た。セイヤーズは赤面した。
 1分ばかり彼を眺めてから、ハイネは視線をレインに移した。レインはやや挑戦的な光を放つ目で上司を見返した。どんなに敬愛する父親でも、時に息子は反抗したくなるものだ。ハイネは彼に声をかけた。

「レイン、君はドームを出る考えはあるのか?」
「俺がドームを出る?」

 レインは予想外の質問に驚いた。慌てて首を振った。

「俺は出て行けと言われても出たくありません。雑菌だらけの外の世界に住むのは御免です。」

 その狼狽えぶりに、セイヤーズとハイネは思わず吹き出した。ネピア・ドーマーさえ苦笑している。

「出るつもりがなければ良いのだ。」

とハイネは言った。

「セイヤーズはもう逃亡しないだろう。」
「勿論です。」

 今度はセイヤーズとレインが見事にハモった。ハイネとネピアは顔を見合わせ、クスッと笑った。ハイネは真面目な顔に戻り、セイヤーズに言った。

「空港ビルでの面会は許可しない。」
「えっ・・・」

 局長の言葉にセイヤーズはがっかりした。しかし、次の言葉は信じられなかった。

「山の君の家で会いたまえ。実際の場所で彼女の転居の打ち合わせと言う形で面会するが良い。監視にレインを付ける。」

 思わずセイヤーズは立ち上がり、東洋式に深々と頭を下げた。下げなければ涙を見られてしまいそうだった。

「有り難うございます!!!」



2019年8月4日日曜日

家路 2 3 - 4

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は本来なら中央研究所の食堂を使用する身分なのだ。しかし、彼は遺伝子管理局本部から近い一般食堂を好んで利用していた。ただ部下達や若いドーマー達に気を遣わせたくなかったので、出来るだけ空いている時間帯に食事をとる。だから、彼は大好物の半熟とろとろチーズスフレに滅多にありつけなかった。今日はダリル・セイヤーズから面会を求められたので早めに食事に出たのだが、タイミングが悪く、半熟とろとろチーズスフレは第1弾が完売してしまい、第2弾はまだオーブンの中だったのだ。
 彼はライサンダー・セイヤーズに導かれる様に窓際のテーブルに近づいた。そして座っているポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーに挨拶した。

「ライサンダーに誘われて来たが、同席してもかまわないかな?」
「どうぞ! 大歓迎です。」

 セイヤーズの陽気な声に彼は「有り難う」と言って、空いている席に座った。そして2人の皿がほぼ空になっているのを見た。

「君等はもう食事を終えたのだな?」
「ええ、でも甘味程度でしたら、まだ入りますよ。」

 そこへピート・オブライアン・ドーマーが直径20cmはあろうかと思われる半熟とろとろチーズスフレを運んで来た。甘い香りが周囲に漂い、近くのテーブルの人々が振り返った。
 レインが大気を鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、幸せの香りだ。」

 するとハイネが言った。

「分けてやるから、誰か取り皿を取って来なさい。」

 一瞬レインとライサンダーの視線がぶつかり合い、数秒後にライサンダーが配膳台に向かった。
 セイヤーズが尋ねた。

「局長はお昼をそれだけで済まされるおつもりですか?」
「これだけで足りるはずがなかろう。」

 ライサンダーが急ぎ足で皿を持って戻って来た。ハイネは半熟とろとろチーズスフレにナイフを入れながら言った。

「先にデザートを食べてからランチを食べる。」

 レインとセイヤーズは顔を見合わせた。上司の子供っぽい意外な一面を見てしまったのだ。何となく理由はないが、嬉しい感じがした。
ハイネは半熟とろとろチーズスフレをまず正確に二等分して、それから半分をさらに正確に三等分した。ホールの6分の1ずつ2人の部下とその息子に分け与え、残りの2分の1を独りで食べてしまうつもりだ。
 セイヤーズは面会の用件をここで済ませてしまおうかとも思ったが、局長もレインもライサンダーも幸せそうに半熟とろとろチーズスフレを食べているので、後回しにすることに決めた。それに周囲にはレインのファンクラブがいつもの如く取り囲んでいる。ハイネがいるので手を出して来ないだけだ。
 半熟とろとろチーズスフレは表面がサックリと、中はまるでプディングの様にプルプルとろとろクリーミーな状態だ。これはどうやって作るのだろう、とセイヤーズが食べながら考えていると、レインが横から囁きかけた。

「また良からぬことを考えているだろう?」
「良からぬこと?」
「このチーズスフレと同じ物を作ろうと思っているだろう?」
「それが良からぬことなのか?」
「この半熟とろとろチーズスフレは、ピート・オブライアンが作るから美味いんだ。他の人間では駄目だ。例え君だろうと、シェイだろうと、これと全く同じ物は作れない。」

 そんなことはない、と反論しようと思ったが、局長の前で大人げない真似はしたくなかったので、セイヤーズは黙った。ライサンダーがレインの肩を持った。

「技術の問題じゃないってお父さんは言いたい訳だね?」
「そうだ。これにはオブライアンの思い入れが詰まっている。」

 何に対する思い入れか、レインはそれ以上言及しなかった。わかっていても、それはオブライアンのプライバシーだ。軽々しく他人が喋るものではない、と接触テレパスの彼は自重した。
 大好物をじっくり味わいながら食べているハイネに礼を述べて、彼等は午後の仕事の為に席を発った。
 食器を返却して食堂を出て行きながら、ライサンダーが低い声で尋ねた。

「局長はすごく人気があるのに、どうしてファンクラブがいないのかな?」
「必要ないからだ。」

とレインが答えた。

「みんながファンだからな。」
「お父さんも局長のファンなの?」
「俺か?」

 レインは苦笑した。

「まぁ、彼のことは尊敬しているし、好きだが・・・しかし実際に仕事を教えてくれた人は別にいるからな。局長は優れた指揮官だが、教官ではない。彼は実戦経験がないまま将軍になった軍人みたいなものだ。だから具体的に仕事のやり方を指示なさることはない。
俺はどちらかと言えば実務経験のある先輩の方に親しみを覚える。」
「局長は若いドーマーにとっては雲の上の人なんだよ。」

とセイヤーズが言った。

「執政官達に直接意見を言ったり批判出来るのは、あの人だけなのだ。だから、彼はドーマー達にとって、神みたいな存在なのさ。」

 否、神様なんかじゃない、とレインは心の中で呟いた。ローガン・ハイネは俺達ドーマー全員の父さんなんだ、と。


2019年8月2日金曜日

家路 2 3 - 3

 打ち合わせ会の後、直ぐにケンウッドはアフリカ・ドームへ出張して行った。昼食は機内で摂ると言って、ゴーン副長官に留守番を頼み、ハイネには彼女のサポートを頼んで出かけていった。
 ハイネは内心不満だった。彼はケンウッドがアメリカ・ドームから出かけるといつも不安になるのだ。過去、コロニー人の多くが何も言わずに突然ドームから去って行った。彼等は理由がなんであれ、退職して宇宙へ帰ったのだ。その度に残されるドーマー達は悲しく寂しい思いをしてきた。地球人が宇宙へ出ることを禁じ、地球人に宇宙の情報を与えることを制限している地球人保護法の存在を、彼等は恨めしく思っている。
 もう一つハイネを不安にさせる理由は、ケンウッドが一人も護衛を付けずに行動することだ。歴代の長官は外出時必ず護衛を同伴した。地球上であれば、外の世界の訓練を受けた保安課のドーマーを、宇宙であればコロニー人の護衛を連れて行った。あの目立つことが嫌いな前長官ユリアン・リプリーでさえ、護衛付きでなければ外出しなかったのだ。しかしケンウッドは平気で単独行動したし、保安課に届けも出さずに出て行くので、彼が長官になってからの保安課長達は毎回ハラハラドキドキで彼の帰りを待つのだった。
 今回もケンウッドがゴメス保安課長に何も言わずに出かけたので、ハイネは急いで少佐に電話したのだが、保安課はケンウッドがゲートを出て飛行機に乗るのに間に合わなかった。

 全く仕様が無い若造だ。他人の安全には必要以上に世話を焼くくせに・・・

 ハイネは息子ほども年下の、「親」であるコロニー人が可愛くて堪らない。相手と対峙する時は下手に出るが、心の何処かではケンウッドの若さを微笑ましく見守っている己がいた。
 仕様が無い若造と言えば、もう一人、面会を求めている者がいる。ハイネは彼との約束を守る為に、普段より早めの昼食を摂ることにした。
 配膳コーナーに到着した途端、ハイネは大好物の半熟とろとろチーズスフレが売り切れていることに気が付いた。物凄い落胆から、彼は思わず厨房に向かって苦情を述べた。

「何故、私が来るといつも半熟とろとろチーズスフレがないのだ?」
「人気が高いからすぐ売り切れるんだ!」

 カウンターに背を向けたまま、若き司厨長ピート・オブライアン・ドーマーが言った。彼は相手が誰だかわかっていない様子だ。勿論、それが芝居であることをハイネは承知していた。厨房班はそうやって遺伝子管理局長と喧嘩するのを毎日楽しみにしているのだ。それはオブライアンの師匠であり、先先先代の司厨長であった故ジョージ・マイルズ・ドーマー以来の伝統だった。
 オブライアンは相手がハイネであることぐらい声でわかっている。それでも故意に知らない人のフリをして、ぞんざいな口を利いた。

「今焼いているところだ。5分ばかり辛抱しろよ。」

 ハイネが子供みたいにふくれっ面をしたので、隣に立った若者がおかしくて感じたのだろう、クスッと笑った。ハイネは彼を見た。ライサンダー・セイヤーズだった。彼はスカッシュの師匠に宥めるように言った。

「5分くらい待ちましょうよ、師匠。あちらの俺達の席へどうぞ。」

 しかし、100歳を越えるドーマー界の長老は子供みたいにまだ文句を言った。

「焼き上がるなり売り切れたら、どうするんだ?」
「五月蠅い野郎だな。僕が半熟とろとろチーズスフレを焼くのは、ローガン・ハイネ・ドーマーの為なんだ。あの御仁は、僕が焼く半熟とろとろチーズスフレをいつも大絶賛して下さる。幼い子供みたいに可愛い笑顔で褒めて下さるんだよ。だけど、あの方はお忙しいので、僕の半熟とろとろチーズスフレをなかなか食べられない、お気の毒なのだ。あんたが食べたければ、ハイネ局長の後から来な・・・」

 オブライアンがブツブツ言いながら体を廻転させてカウンターの方を向いた。

「あっ! 局長!!!!」

 やっと相手が誰だかわかって狼狽えた、と言う芝居をオブライアンは見事にやってのけた。ハイネはニコリともせずに言った。

「私は、君が焼く半熟とろとろチーズスフレが食べたいのだ。焼ける迄、ここを動かんぞ。」
「あ、あの、焼き上がったら直ぐ僕がお席までお持ちしますから、どうぞ座ってお待ち下さい。」

 オブライアンは厨房班だから、遺伝子管理局の局長は彼の上司ではないのだが、何と言ってもハイネ局長はドームの最長老で、ドーマー達のリーダーだ。全てのドーマー達の尊敬を集めている。その人に失言してしまったオブライアンは冷や汗をどっとかいた。
 ライサンダーは彼にこれ以上恥をかかせては気の毒だと思ったので、こと大好物の半熟とろとろチーズスフレに関しては子供みたいに我が儘になってしまうハイネ局長を促した。

「仕事の話はしませんから、俺達と一緒にお昼をどうぞ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは厨房の竈を見て、それからライサンダーが指したテーブルを見た。午後2時に面会するはずの男が2人、こちらの騒動に気が付いて心配そうに見ていた。大人のドーマー達は毎日飽きもせずに繰り返される遺伝子管理局長と厨房班司厨長の喧嘩を楽しみに眺めているのだ。レインとセイヤーズはライサンダーがその「漫才」をぶち壊さないかと、心配していた。
 オブライアンが目でハイネに伝えてきた。

 この若造は貴方と僕の関係を知らないようですね。

 ハイネも同じことを思ったので、ここはライサンダーの顔を立ててやることにした。彼はオブライアンに言った。

「向こうに居るから、ホールで頼む。」
「かしこまりました。」

 ライサンダーは彼が先に支払いを済ませるのを待って、無料のカフェイン抜きの珈琲をカップに注いで彼に手渡した。