2021年3月13日土曜日

星空の下で     2

 サンダーハウスは実験農場だ。広大な敷地に畑や放牧場があって麦や野菜、牛や羊を育てている。その敷地の周囲に等間隔に打ち込まれた細いポールの先端から空中に放電された電気が空中のウイルスやバクテリアを殺し、あるいは汚染物質を分解して大気を綺麗にする実験だ。この試みの難しさは、地球上の生態系に影響を与える電力を放出しないよう気をつけなければならないことだ。その為科学者達は常時空気中の天然の電力状態を測定し、気温、湿度、その他の多くの数値の変化を捕捉していなければならないのだ。
 研究者達は地球人とコロニー人。リーダーは地球人のロバート・ジェンキンス博士で、しかし資金の8割はコロニーから出ている。宇宙開拓にもサンダーハウスの実験で得られる数値は重要かつ価値あるものだから、企業が投資しているのだ。だからコロニー人の研究者が半数を占めても不思議ではない。彼等は地球人側の研究者達からの勧めで積極的に実験農場がある地域の住人と交流を行なっている。地球人保護法と言う面倒臭い法律の改正は彼等にとって大きな励みとなり、また救いでもあった。何しろ街中で自由に買い物したり遊べるからだ。研究生活のストレス解消に、彼等は地元民のスポーツチームに参加したり、文化交流会に加えてもらって楽しんでいた。
 ドームのコロニー人研究者達にとってもサンダーハウスは魅力的な場所だった。街中で見かけるコロニー人の多くは観光客か貿易商だ。しかしサンダーハウスへ行けば、アカデミックな会話が出来る。出身コロニーが同じ者同士でクラブも創れた。
 地球人の女性を生み出す研究が一つの終止符を打った後のドームは、それまで研究用に育てていた地球人、ドーマーと呼ばれる人々を地球社会に返す研究に転向した。清浄な空気や水で育てた地球人達を、まだ汚染物資が多く残るドームの外に戻す為に、いかに健康的で社会に適合出来る復帰をさせるか、それを探っている。同時に外の地球人達の健康を守ることに貢献もする。執政官と呼ばれる博士達はドームの外の医療機関にコロニーの医療技術を教えたり、治療困難な遺伝性疾患の患者の受け入れを行なっている。ドームは今や巨大な医療施設となろうとしていた。

 ゲイリー・ピッツバーグは地球人類復活委員会が採用した最後の学者グループの一人だった。まだ若くてコロニーも生まれ育った火星第3コロニーを含めて3箇所しか行ったことがない。多種多様な自然形態を持つ地球が珍しくて仕方がないのだ。だからサンダーハウスへ研究補助の役目で出かけるのが嬉しくて、ついつい羽目を外してしまう。今回も見知らぬ動物に迂闊に手を出すなと言う基本的な注意を忘れてしまったのだ。
 ゴールドスミスはピッツバーグより10歳は若くて、執政官にそれなりに敬意を払っていたし、執政官はドーマーの親である、と言うお約束も守っていたが、内心はちょっと見下していた。航空班の彼は成人するとすぐにドームの外での勤務に就いて、ドームの内側で働く同胞より世間に通じていた。それに自然の猛威も経験していたし、人間以外の生物にだっていっぱい遭遇していた。だから、機械と人工の世界で育ったコロニー人が「親」であることに疑問を抱いていたし、地球世界に無知なことを承知していた。そしてそれ以上に、相手が尊敬出来る人柄であるか否か、彼自身の視点で判別していたのだ。若いピッツバーグは、ゴールドスミスの目から見れば、「まだ子供」なのだった。
 ピッツバーグの体調が正常に戻ったと判断したキャロル・ダンストが、もう行くわよ、と言ったので、ゴールドスミスは蒸留水の礼を言った。多忙なドーム空港長は手を振って医務室から出て行った。
 ゴールドスミスも自身の荷物を手に取って、ピッツバーグを見た。

「帰りますか?」
「うん・・・」

 ピッツバーグも立ち上がった。空港職員が拾ってくれた鞄を手にして、歩き始めた。診療室にいた医師と看護師にも挨拶して、2人は外に出た。

「人生で最速のスピードで走ったなぁ。」

とピッツバーグが呟いて、2人は笑った。彼等はドームゲイトに向かっていた。

「今回の細菌の数はどうでした? 多かったですか?」
「季節的に空気が乾燥していて、バクテリアよりウィルスの数が多かった。インフルエンザの小規模な流行があの地方で見られるから、サンダーハウスではウィルス対応の電力計算をしているところだ。しかし空気中の埃も多いので、かなり困難だな。」

 ゴールドスミスには科学的な話はよくわからないが、ピッツバーグの説明は理解しやすかった。

「あちらでインフルエンザが流行っているんですね。」
「うん。重症者はいないらしいが、新型ウィルスでね、旧型のワクチンは効かないことはないが、効力が薄いそうだよ。下火になるまで『通過』未経験のドーマーはあっちへ行かない方が良いな。」

 多分、よほどの用がない限り、ドーマーが行くことはないだろう、とゴールドスミスは思った。サンダーハウスがある地方はドームから航空機で1時間かかるし、保養所や研修施設がある訳でもない。執政官の護衛に付く保安課員は研究施設から出歩かない。
 やがてゲイトに到着した2人は入り口のチェックカウンターで最初のID確認と持ち物検査を受け、消毒の為の空間に入って行った。


 

星空の下で     1

  ドーム空港ビル支配人キャロル・ダンストは水が入った蓋付カップを持って空港医務室へ急いだ。医務室にも水はあるが、今回は蒸留水でなければならない。ドアを開き、中にいた医師と看護師に頷きかけ、奥の休憩室に入った。
 ベッドに2人の男が腰掛けており、一人はもう一人に寄りかかって大きく喘いでいた。口には携帯酸素吸入器が押し当てられている。寄りかかられている男は、喘いでいる男の背中を優しくさすっていた。
 ダンストが入って来るのを見て、彼は喘いでいる男に優しく声をかけた。

「水が来ましたよ。」
「有難う・・・。」

 喘いでいた男は酸素吸入器を口から外して、体を起こし、ダンストからカップを受け取った。

「ゆっくり飲んで下さい。」

とダンストも柔らかな声音で話しかけた。男は頷いて、カップの中の冷たい水を口の中に流し込んだ。見守る室内の2人に、彼は水を飲み込んでから、フッと息を吐いて微笑みかけた。

「楽になったよ、有難う。」

 付き添いの男が少し非難めいた口調で言った。

「全力疾走なんかするからですよ。」
「だって・・・向こうも全力疾走で追いかけて来たんだよ。」

 ダンストが笑った。

「でも、チワワでしょ?」

 付き添いの男が頷いた。そして手で空中に追跡者の大きさを示すポーズを作った。

「うん、こんな小さいの・・・」
「走ると追いかけて来るものなんです、犬は・・・。」

 ダンストは可笑しくて堪らないようだ。

「コロニーにもいるんでしょ、犬?」
「いるけど・・・僕のコロニーで犬を放し飼いにするのは犯罪だよ。」

 ダンストとピーター・ゴールドスミスは顔を見合わせて、肩を竦め合った。地球でも公共施設内で犬の放し飼いは禁止だ。しかし、「犯罪」ではない。法律違反ではあるが、罰金を課せられる程度で、犯罪扱いされるのは実際に犬が人に害を与えた場合だけだ。
 コロニー人の細菌学者ゲイリー・ピッツバーグは、航空機から降りてドームのゲイトに向かって歩いている途中、小犬に出会したのだ。飼い主から離れて走って来たチワワと目が合った彼は、犬を撫でようと体を屈めた。しかし、犬が吠えたので、威嚇されたと思い込み、逃げたのだ。すると犬が追いかけて来たのだ。ピッツバーグは必死で走って、追い詰められて、偶然通りかかったピーター・ゴールドスミスに助けられた。ゴールドスミスは立ちすくんでしまったピッツバーグの前で吠えていたチワワを抱き上げただけだったが。
 重力がある地球で全速力疾走した為に、ピッツバーグは激しい酸欠状態に陥ってしまい、チワワを同じく追いかけて来た飼い主に返したゴールドスミスは、コロニー人を空港事務所の医務室に案内したのだ。
 ピッツバーグとゴールドスミスは初対面ではない。同じドームに住んでいる執政官とドーマーだ。それにゴールドスミスは輸送班・航空班所属の静音ヘリコプターのパイロットだ。執政官が近距離の外出の場合に送迎するのが仕事だ。親しくなくてもピッツバーグとは数回出かけて顔なじみだった。

「それで、今日はどこにお出かけだったんですか?」

 ピッツバーグはもう一口水を飲んでから答えた。

「サンダーハウスだよ。空気中の細菌の数を数えに行ってた。」


2021年3月11日木曜日

ブラコフの報告     12

 取り敢えず、僕の報告はここまで。

え? ケンウッド先生やパーシバル一家の現状はって? 


はっはっ! それは後のお楽しみ・・・じゃね!

ブラコフの報告     11

  ドーマーの社会復帰計画の第1歩として保養所設置が行われたのは、地球人保護法改正のすぐ後だった。ローガン・ハイネとジョアン・ターナーの2人のドーマーのリーダーが考えに考えて、選考した維持班のドーマーと、外に出て暮らしている元ドーマー達が昔の学校跡を改築して宿泊施設とリハビリ施設を備えたアスレチック会場を造った。このプロジェクトにはコロニー人も加わったし、一般の地球人も参加させた。ドーマーだけでは、周囲の住人とトラブルが生じた時に対処するのが面倒だからね。それにアスレチック会場を入場料を取って一般に解放して維持費の足しにすることも必要だった。
 保養所とは名ばかりで、外へ労働に出されるだけじゃないか、と愚痴るドーマーもいたことは確かだ。だから、このプロジェクト参加は強制ではなく、選択制だった。やはり30代から下の若い連中の参加が多かった。歳をとると、みんな大気が怖かったんだ。ハイネが外に出る訓練を始めたのは、そんな尻込みする連中を励ます目的もあった。
 ハイネが抱えている問題は、単に抗体がないだけではない。彼の肺はγ黴によるダメージを受けたことで空気中の異物を普通の人ほど上手く防げないことだ。例えばちょっとした焚き火、枯れ草とか燃やして生じる煙を吸い込んだら、僕らは咳き込むけど、煙のない位置に移動して暫くすれば咳は治って後は全く問題ない。だけどハイネはその煙の粒子が肺の細胞に与えるダメージを修復出来ない。生命に別状がないと言っても、本人は普通の人の数倍の時間咳に苦しめられる。ドームの中の清浄な空気の中でジョギング出来ても、ドームの外の自然の空気の中で散歩することは苦行になるんだ。
 そんな呼吸器に問題を抱えるハイネがマスクを着けて外に出る。それだけで外の世界に尻込みしていた若いドーマー達は勇気付けられて、冒険に出ようという気分になるんだ。

 ドーマーの社会復帰訓練は保養所だけじゃない。様々な施設に「派遣」とか「研修」と言う形でケンウッド先生はドーマーを外に勉強に出した。執政官の中には、ドーマーがそのまま外の世界に住み着いて帰って来なくなったら、ドーム内の労働力が弱体化するのではないかと心配する人もいた。新しいドーマーの採用人数を年ごとに減らして行っているからね。だから、維持班では、減ったドーマーの数だけ、外から民間人を雇用している。全く驚くだろ!
 遺伝子管理局や出産管理区の新生児室、クローン製造部はまだ民間人を受け容れられない。でも輸送や妊産婦の世話をする係は外の人も働かせることが可能だ。ジョアン・ターナー維持班総代は毎日新規採用の基準や配置を考えるのにエネルギーを費やしているそうだ。
多分、大好きな木工をやる時間を取れていないんじゃないかな。ケンウッド先生が彼に「行ってみたい場所はあるかね?」と聞いた時、彼は「木造の船を作っている現場を見学したい」と言ったそうだ。先生が「休暇を取って行っておいで」と言ったんだけど、彼はまだ当分長期休暇を取れそうにないね。

「黄昏の家」の住人には外の世界はもう異界だろうね。エイブ・ワッツは若い頃からドームの外で作業していたから平気だけど、他の老人達は外に出たことがないし、もう抗原注射も出来ない。彼等は社会復帰プロジェクトも無関心だけど、たまにワッツがハイネの誘いで散歩(勿論、ヤマザキ先生かケンウッド先生が付き添うんだけどね)に出かけると、帰ってきたときに質問攻めにするそうだよ。ハイネもワッツも空港ビル内かドーム周辺の花畑しか歩かないんだけど、老人達は植物や人の動きを知りたがるんだって。ただ、民間人が散歩している彼等を見て、ワッツがハイネやケンウッド先生の「父親」だと勘違いした、と言う話は大受けで、ドーム中にあっという間に拡散しちゃった。ワッツはハイネより10歳年下だよ。(笑

 保安課はドームの守備が仕事で、保養所の警備システムのメンテなどは担当するけど、基本的に外のドーマーの警護はしない。地球社会に慣れていない執政官が外出する時の護衛をするだけだ。それでもやっぱり外の法律や習慣は知っていないといけないから、ゴメス少佐は勉強会を開いて、若い連中と一緒に法律家先生の下で学んでいる。あの人も大した人間だ。彼ほどの優秀な軍人は、プライドも高いから新しいことを受け入れるのに抵抗を感じることもあるだろうに、ロアルド・ゴメスは寧ろ積極的に最新の思想や習慣を学ぶんだ。それを自分のものにすると言う訳じゃなく、それにどう対処するかを学ぶんだよ。染まってしまうのは駄目だし、反発もいけない。外の世界は「敵」ではないからね。でも従属することはもっといけない。
 外の世界へ警護に出かける保安課員は楽しそうだ。油断するなよ、と一番の先輩のアキ・サルバトーレが指導役で彼等が外に出る前に必ずレクチャーする。サルバトーレはジェリー・パーカーの監視役としての役目が終了して(だって、パーカーにはメイ・カーティスって言う監視役が新たに付いたからね。妻ほど強力な監視役はいないだろう? 笑)今は主にケンウッド先生とヤマザキ先生の護衛をしている。ケンウッド先生はすぐ一人で出かけてしまうので、心配したゴメス少佐とハイネ局長が相談してサルバトーレを付けたんだけど、サルバトーレはかなり先生に振り回されているようだ。その点、ヤマザキ先生はお行儀が良くて、護衛もやりやすいようだ。但し、目的地が医療関係の場所に限られちゃうけどね。別にヤマザキ先生は堅物じゃない。この先生は火星に帰省すると遊びまくっているから(笑

 第2世代アメリカ合衆国の大統領は代替わりした。ハロルド・フラネリーは8年大統領職を務め上げて、今は元大統領として女性の社会活動を支援する団体を運営している。この団体には他の元大統領達も何かしらの形で関わっている。取り替え子の秘密を共有する人々が運営する団体って訳だ。女性がクローンだって事実が少しずつ社会に周知されていくと、やはり男性による横暴な振る舞いが出てくるんだ。それを防止する教育や対策を練る団体だ。クローンはお金を出してメーカーから買うものと思っている連中を、教育しないとね。
 それから取り替え子の男の子達を可能な限り幸福な人生に送り出す為に孤児院の整備も重要だ。ただの赤ちゃん斡旋所になってはいけない。
 たまに、女の子を得た家族が、本当の息子を探しに来ることもあるそうだ。だけど遺伝子管理局は安易に情報を渡せない。女の子の養育が将来どうなるのか、はっきりさせないといけない。もっとも実の子を探しに来ると言うことは女の子を望んでいないかも知れないと危惧する担当局員もいる。局員達は、外勤も内勤も合同で何度も話し合い、本当に親に情報を渡して良いか検討する。難しい問題だね。
 今の所、女の子を要らないと言った家族はいないそうだけど。




2021年3月7日日曜日

ブラコフの報告     10

  ケンウッド先生には長官時代もう一人秘書がいたことを覚えているかい? 

 そう、ヴァンサン・ヴェルティエンだ。彼は異色の執政官だった。遺伝子学者じゃなくて、文化人類学者だからね。彼はハナオカ氏が書記長時代に地球人類復活委員会に採用された。遺伝子研究以外にも委員会は人材を必要としていたから。でも殆どは機械関係の技術者とか薬学とか医療とか建築関係の技術者だ。文化人類学は理系が多い委員会のメンバーから外れているようにも思えるだろ? だがしかし、ハナオカ氏は地球の多様な文化が人口激減で消えていくのを惜しいと思った一人なんだ。彼自身は遺伝子学者だったから、文化の研究をする時間がない。だから、専門家を雇ったんだ。人件費を渋る理事会を説得して、5名採用したそうだ。その一人がヴァンサンで、彼はアメリカへ来た。そして副長官に就任したばかりのケンウッド先生の秘書として勤務を始めた。
 秘書の仕事は多忙だ。どの分野を専門としても、まず自分の研究をする時間は殆どない。でもケンウッド先生はハナオカ書記長の考えを支持して、ヴァンサンに重力休暇を与える時に、ちょこっと水増しで日数を増やしてやった。地球を旅していろんな文化を見て来いって訳さ。ヴァンサンは2人の上司の心遣いに深く感謝して、可能な限り地上を旅した。
 彼とは今でも親友で交信を週に何回か行なっている。彼は委員会を退職した後、専門分野に帰って、地球を巡っているんだけど、身分的には火星文化大学の人類学主任教授だ。彼の研究は決して地球だけに限ったものじゃない。宇宙にだって地球時代の文化が伝えられているし、そこから起きる異文化間の諍いなどを解決する緒を探ったり、相互理解の為のセミナーを開いたりしている。
 ヴァンサンは結婚したんだよ。お相手は同じ人類学者の木星出身の女性博士だ。彼女はアフリカの草原の民族を研究していて、アフリカ・ドーム遺伝子管理局長クワク・カササとは親しい友人だ。カササ局長はドームにはドーム特有の文化が生まれていると唱えている。伝統的文化を守ろうとドーマーに純血維持を強いてきた委員会のやり方を批判した人だ。
 消えゆく文化を記録しようとするヴァンサンと、新しく生まれる文化を見守ろうとする妻と友人、面白い組み合わせだろう?

 ヴァンサンは秘書生活が長かった。ケンウッド先生が長官に就任するとロッシーニと一緒に働くことになった訳だ。彼は僕にこっそり愚痴ったよ、ロッシーニが怖いってね(笑
秘書としてのロッシーニは真面目一徹だったし、真の顔は内務捜査班チーフだからね、ヴァンサンは机を接していて何か感じるものがあったんだろう。だけど、彼が困った時のロッシーニの援護ほど頼りになるものがなかったことも事実だ。ドーム行政でわからないことがあればロッシーニに聞け、ってな具合さ。そしてロッシーニはコロニー人のヴァンサンを立てることを忘れなかったから、難しい問題を解決したのはヴァンサン・ヴェルティエンだってみんなに信じ込ませることも出来た。
 ロッシーニ逝去の知らせを僕が送った時、ヴァンサンは僕に依頼した。

「ケンウッド長官に頼んでくれないか? ドームのどこかに歴代の長官秘書の名前を刻んだ銘板を設置して欲しいんだ。そこにドーマーの秘書の名前を忘れずに入れて欲しい。」

 彼はロッシーニの正体をリプリー同様に今も知らない。多分、彼は知りたくないだろうし、ロッシーニも望んでいないだろう。 

  ヴァンサンは僕が大怪我をして治療で火星にいた時、地球で副長官を勤めてくれた。彼は副長官と秘書の両方で名前を残せる稀有な人なんだ。

2021年3月6日土曜日

ブラコフの報告     9

  べサニーはこの報告で初めて名前が出てきた子だね。彼女は女性ドーマーだ。取り替え子になるはずだった男の子が誕生前に亡くなってしまったので、ドームに残された。代替の家族も見つからなかったので、そのままドームの養育棟で育てられたんだ。養育係の執政官が誰だったか僕は覚えていないんだけど、担当したドーマーの養育係はよく知ってる。先に報告したジャン=カルロス・ロッシーニだ。
 ロッシーニは子供達に英語を教えながら、彼女個人の担当を受け持っていた。執政官と2人で彼女の養育をしていた。そして執政官が慣例に習って静かに退官した後は独りで彼女の面倒を見ていた。だから、べサニーは彼と2人きりの時は、ロッシーニを「父さん」って呼んでいたそうだ。多分、ロッシーニがそんなことを教える筈はないから、執政官がそう呼ばせていたんだろうってケンウッド先生は推測している。
 女性ドーマーは成長したら殆どが出産管理区か医療区かクローン製造部で働く。職種は様々だ。男性ドーマーとそんなに変わらない。ただ、出産管理区の男性ドーマーが、特定の妊産婦と親しくならないように担当する職種を3つばかり持っていて、時間も複雑にローテンションを組んで働くのと違って、女性ドーマーは好きな仕事に集中出来る。選択職種が一つだけでも構わない。べサニーは、保安課を選んだ。これにはロッシーニが面食らったそうだ。彼は遺伝子学者の研究室で助手として働き、執政官の秘書になって、最後は長官秘書を勤め上げた。だからべサニーも同じような道を歩ませるつもりだった。こう言うところは、コロニー人も地球人も同じだね。親は子供が自分の後ろをついてくると思いがちだ。
 元気一杯、体力が有り余る少女を毎日ロッシーニは追いかけ回して机の前に座らせようとしたけれど、無駄だった。同じ養育棟で働く元局長秘書のジェレミー・セルシウスに、べサニーが望む道を歩かせろと忠告されて、やっと彼は折れた。
 べサニーはロッシーニが口を利いてくれたお陰で保安課の訓練コースを受講出来た。保安課にはレティシアと言う優秀な女性保安課員がいて、彼女がべサニーをみっちり仕込んでくれた。べサニーは長官の警護が出来るようになろうと頑張った。ロッシーニが長官秘書だったから、自分も長官の下で働きたかったんだ。その勇姿を育て親に見せたかったんだよ。
 でも彼女が一人前になる前に、ロッシーニは体調を崩してしまい、「黄昏の家」の住人になってしまった。べサニーはヤマザキ先生に頼み込んで、ゴメス少佐の許可をもらって、「黄昏の家」に通った。ロッシーニのそばについていてやりたかったんだ。ロッシーニの副官だったビル・フォーリーは養育係になってから若者達に囲まれて楽しく暮らしている。だけどロッシーニにはべサニーしかいなかったそうだ。ロッシーニ自身が、あまり大勢と一緒にいることを良しとしなかったのだろう。だからべサニーはロッシーニの晩年を殆ど独り占めした。大好きな「父さん」の看護をしたんだ。そしてロッシーニが、研究助手から秘書に取り立ててくれたユリアン・リプリー元長官に会いたがっていることを知ると、ケンウッド先生にリプリーを呼んでくれと懇願した。
 普通一度退官した執政官はドームに戻らない。仕事以外で戻ろうと思えば面倒な手続きが必要だ。だけどロッシーニには時間がない。ケンウッド先生は地球人類復活委員会のロバータ・ベルトリッチ委員長にリプリーが再びドームに入る許可の省略を要請した。そして話がわかる委員長ベルトリッチはリプリーに連絡をつけると、ロッシーニに会ってやってくれと頼んでくれた。
 人付き合いの悪いユリアン・リプリーがすぐに地球にやって来た。ケンウッド先生やヤマザキ先生と簡単な挨拶を交わすと直ちに「黄昏の家」に向かい、ロッシーニの部屋に入った。べサニーは気を遣って娯楽室でエイブ・ワッツや他の老人達と待機していた。でも最後の日に、リプリーが彼女を呼んだ。

「一緒にお父さんを送ってあげよう。」

 リプリーはべサニーをロッシーニの娘として認識したんだ。彼女は元長官と2人でジャン=カルロス・ロッシーニの旅立ちを見送った。
 リプリーが地球を再び去って、ロッシーニの葬儀が終わると、べサニーは保安課に正式に採用された。まだ新人だから外には出させてもらえない。だけど出産管理区で妊産婦の間で女性同士の暴力沙汰(あるんだよ、これが!)が起きればべサニーはすっ飛んで行って仲介に入るんだ。男性の保安課員じゃ相手の体に手を触れるのが厄介だからね。
 彼女の直属の上司で教育担当でもあるレティシアは、見込みのある弟子だとゴメス少佐に報告しているそうだ。少佐がそのことをバーでヤマザキ先生と飲んだ時に話すと、ヤマザキ先生が笑ってこう言ったそうだよ。

「間違ってもローガン・ハイネの護衛には入れるなよ。ハイネの爺さん、あれで結構女好きだからな、サヤカがいても油断しちゃダメだ。」



ブラコフの報告     8

  カップルと言えば、ポール・レインとJJ・ベーリングは結婚したんだよ。ちゃんと局長から婚姻許可をもらってね。そして2人は今中央アジアドームにいる。え? 驚いた?

 JJは女の子が生まれる羊水がちゃんと機能しているか検査する仕事をしているんだ。まだクローンを作り続けないといけないからね。それで地球上の各ドームを順番に廻っているんだよ。レインは彼女が普通の子供と違う育てられ方をしているから心配でさ、何かトラブルがあっちゃいけないってんで、彼女が地球人類復活委員会の執行部から直々に勅命を受けた時に、護衛も兼ねて一緒に行きたいとケンウッド先生に直訴したんだ。ドーマーを遠方に行かせるのは気が進まないケンウッド先生は困って、ハイネ局長に相談した。局長はあっさり「行かせておやりなさい」って答えたんだ。まぁ・・・ハイネらしいけどね(笑
 それでレインとJJは慌ただしく式を挙げて(ファンクラブの連中がどんなに嘆き悲しんだことか・・・爆笑)、セイヤーズとも固い抱擁を交わして、旅立って行った。あまりに早急だったんで、息子のライサンダーは結婚式に間に合わなくて、2人が帰ってきたら叱りつけてやる!って息巻いているらしい。
 レインの遺伝子管理局での席はまだあるけど、流石に班チーフは辞めざるを得なかった。彼の現在の身分は、南北アメリカ大陸ドーム遺伝子管理局特別捜査員だそうだ。

 レインの後を襲ったのはクラウス・フォン・ワグナーだ。パトリック・タンを副官に据えて、新チーフは張り切っている。タンの親友のジョン・ケリーはジェラルド・ハイデッカーが抜けた後のチーム・リーダーの一人として、こっちも頑張っているよ。ハイデッカーは外の女性と恋愛した訳じゃない。彼はタンブルウィード支局、通称中西部支局の支局長代理ブリトニー・ピアーズが3人目の子供を妊娠して、これ以上支局長代理を続けるのは無理だと聞いた時、自分から支局長候補に名乗り出たんだ。ここだけの話、ハイデッカーはサボテンが好きでね、サボテン専門の植物園を作るのが夢なんだ。だから、砂漠地方のタンブルウィードに魅力を感じたんだよ。夢が実現するといいね。

 みんなが人生上手く行っているとは限らない。
 

 ダリル・セイヤーズはどうも波乱に富んだ人生を歩む人らしい。彼とラナ・ゴーン副長官の結婚計画は暗礁に乗り上げている。ゴーンの2人の娘が反対しているんだ。彼女達は、母親が地球人と交際することは受け容れた。だけど、結婚となると話は別だ。
 彼女達は、クロエルを養子に迎えたいと30年以上前に母親が切り出した時は、大賛成した。クロエルは可愛らしかったし、彼女達の弟として年齢も丁度良かった。だけど、その弟と4、5歳しか離れていない男を父親に迎えられるか? 彼女達の本当の父親はまだ健在だ。再婚しているが、父親であることに変わりはない。だから、セイヤーズが母親の新しい夫となるのに、彼女達は難色を示したのだ。地球人はコロニー人と比較すると寿命が短い。だけど母親と親子ほども歳の差がある男が母親より先に死ぬとは考えにくい。母親に何かあった時、遺産分与はどうなるのか? 義弟クロエルに不利になりはしないか? それにクロエルちゃんが仕事仲間を「父」と呼べる?
 僕に言わせると、娘達が地球に降りてきて、セイヤーズに直接会って話し合えば良いのだ。そうすれば、彼がどんな素晴らしい男かわかるだろう。(僕は彼に会ったことがないけどね・・・)兎に角、母親が選んだ人をその目で見てみると良いんだ。それから反対か賛成か決めても遅くないだろう? 
 ヤマザキ先生はゴーン副長官が重力休暇を取りたがらないことを心配している。娘がいる火星に帰らなくても構わないだろう? 月とか、ちょっと足を伸ばして別のコロニーの友達のところとか・・・。
 友人のアイダ博士も気を揉んでいる。アイダ博士の子供達は母親がローガン・ハイネと再婚したことを気持ちよく受け容れた。まぁ、ハイネはコロニーでも凄い有名人だし、大勢の人々から尊敬されている。セイヤーズとは立場が違う。でも年齢はアイダ博士の父親と言ってもおかしくないし、歳をとるのが極端に遅い変な遺伝子を持っているし、ドームの外から出られない。普通の「父親」にはなれない人間だし、ドーマーだから親子関係をあまり理解していない。アイダ博士の娘は連邦政府の官僚で、スキャンダルは避けるべき立場だが、それでも母親が愛しているなら、とハイネを受け容れた。一般企業の社員として働いている息子は、ただ自慢出来る義父だと喜んだ。だから、アイダ博士は、ゴーンの娘達にセイヤーズと会うように勧めているところだ。
 アイダ博士の親友でゴーンとも仲が良いキーラ・セドウィック博士は、「ほっとけば良いわよ」と言うんだ。彼女と父親のローガン・ハイネも本当の親子として心が通い合うまで30年近くかかった。だから彼女は、ゴーン副長官も気長にセイヤーズとの愛を育めば、いつか娘達が折れると考えている。
 セイヤーズはゴーンがスキャンダルの主人公にならないように、今も控えめに交際しているんだ。ちょっと気の毒だけど、彼は能天気だから、キーラと同じ考えなんだ。
 セイヤーズと言えば、レインは彼の最愛の恋人だったのだけど、レインがJJと結婚して旅に出てしまったので、今は大概一人でいる。人気者だから孤独と言う訳ではないだろうが、仲が良いクロエルやクラウスが外に出かけると格闘技や球技の練習相手がいなくなるからね。彼は運動神経が半端なくよ過ぎるんだ。対等に闘えるのはハイネぐらいだけど、ハイネは若造の相手をしない。彼は目下ゴメス少佐を倒すことだけを目標にしているそうだ(笑
 それに、セイヤーズは現在ハイネの秘書をしているんだよ。意外だろ? ネピアがよく許したもんだ、と思うだろ?

 実は現在ネピアは新設された遺伝子管理局副局長に就任して、めっちゃ忙しいんだ。何しろ、それまで局長がやっていた仕事の半分が副局長の仕事になったからね。生死リストのデータ移行は今や内勤局員の分業仕事になった。ネピアは外勤務局員や内勤職員の報告書を読む仕事をしているんだ。報告書を読んで内容を分析して部下に新しい指図を出す。ハイネが才能で余裕を持ってやっていた仕事を、普通の人であるネピアは必死で毎日こなしているんだ。ネピアには新しい秘書が付いている。秘書が一人で足りているのは、ネピアの才能かな。秘書に手伝わせることはしないそうだよ。
 ネピアが副局長になったので、局長第1秘書はアルジャーノン・キンスキーが務めている。だから、セイヤーズは第2秘書なんだ。ハイネは今までしてきた伝統的な局長業務をほとんど全て部下に与えてしまい、今は全く新しい仕事に取り組んでいるんだ。つまり、ケンウッド先生の長年の夢だった「ドーマーの社会復帰」だ。ドームの外の世界、第2世代アメリカ合衆国の法律を勉強して、ドーマー達が巣立って行く為の手助けと準備をしている。先生と局長が一緒に過ごす時間が以前より断然増えて、僕は正直なところ、ちょっと嫉妬しているんだよ。(笑

 ハイネが外の世界を勉強するには、やはり外に出て実際の社会を見た方が良いだろう。と言う訳で、ヤマザキ先生はハイネを外に出す研究を始めたんだ。抗原注射を受けられない年齢になっているハイネが外の大気を呼吸するには、自然に抗体を作って行かなければならない。ヤマザキ先生は連邦軍が人間の生存不可能な天体で過ごさねばならない時もありうるだろうと考えた。それで特殊部隊出身のゴメス少佐に、そんな場合はどうするのか尋ねてみたんだ。少佐もヤマザキ先生の質問の目的を悟ったので、空気が十分にある地球で活動するなら重装備は必要がない、但し空気中の微生物を排除出来る濾過装置を繋げたマスクで外に慣れさせるところから始めればどうか、と助言した。

「宇宙船の船外活動みたいな装備をハイネに装着させて、人目につかない深夜にゲイトの外に連れ出したんだ。ハイネがものすごく及び腰だったのは言うまでもないがね。」

ってヤマザキ先生が笑っていた。ハイネは天然の風におっかなびっくりで、でも頰や手の肌に触れる風の感触にすぐ慣れたそうだ。それで、ヤマザキ先生は次に濾過機能が高いマスクを宇宙から仕入れて、ハイネに着けさせた。初日は10分間だったそうだ。ハイネはドームの中に戻って激しい咳の発作に襲われたけど、微生物が原因じゃなかった。心理的問題さ。緊張し過ぎたんだ。それにゲイトでの消毒にも慣れていなかったからね。2度目はケンウッド先生が付き添って半時間我慢した。空港ビル内をちょっと散歩したんだ。大勢の一般の地球人が活動する中を歩いたそうだ。

「彼は何も言わなかったが、ちょっぴり嬉しそうだったよ。」

ってケンウッド先生が僕に報告してくれた。だけど本当に嬉しかったのはケンウッド先生の方じゃなかったのかな。
 3回目はさらに大胆なことをしたそうだ。この時の付き添いはヤマザキ先生で、だから許可してもらえたんだと思うけど、ハイネは自販機でアイスクリームを購入した。なんでも、ネピアが空港ロビーの自販機のアイスが美味しいと教えたんだって(笑 アイスクリームだからドームに持ち帰れないだろう? だからハイネはマスクを外して、アイスを食べたんだ。ヤマザキ先生はアイスに微生物が混入していないか、こっそり端末で遠隔走査した。普通の地球人は所持している端末にその機能が入っていても使わないからね。ハイネはお腹を壊すこともなく、無事に数日過ごしたよ。今の所、外出は1時間が限度らしいけど、ローガン・ハイネは仲間のドーマー達と共に外の世界に踏み出そうとしている。僕はいつか彼が空港ロビーで僕を出迎えてくれる日が来ることを信じているんだ。