ドーム空港ビル支配人キャロル・ダンストは水が入った蓋付カップを持って空港医務室へ急いだ。医務室にも水はあるが、今回は蒸留水でなければならない。ドアを開き、中にいた医師と看護師に頷きかけ、奥の休憩室に入った。
ベッドに2人の男が腰掛けており、一人はもう一人に寄りかかって大きく喘いでいた。口には携帯酸素吸入器が押し当てられている。寄りかかられている男は、喘いでいる男の背中を優しくさすっていた。
ダンストが入って来るのを見て、彼は喘いでいる男に優しく声をかけた。
「水が来ましたよ。」
「有難う・・・。」
喘いでいた男は酸素吸入器を口から外して、体を起こし、ダンストからカップを受け取った。
「ゆっくり飲んで下さい。」
とダンストも柔らかな声音で話しかけた。男は頷いて、カップの中の冷たい水を口の中に流し込んだ。見守る室内の2人に、彼は水を飲み込んでから、フッと息を吐いて微笑みかけた。
「楽になったよ、有難う。」
付き添いの男が少し非難めいた口調で言った。
「全力疾走なんかするからですよ。」
「だって・・・向こうも全力疾走で追いかけて来たんだよ。」
ダンストが笑った。
「でも、チワワでしょ?」
付き添いの男が頷いた。そして手で空中に追跡者の大きさを示すポーズを作った。
「うん、こんな小さいの・・・」
「走ると追いかけて来るものなんです、犬は・・・。」
ダンストは可笑しくて堪らないようだ。
「コロニーにもいるんでしょ、犬?」
「いるけど・・・僕のコロニーで犬を放し飼いにするのは犯罪だよ。」
ダンストとピーター・ゴールドスミスは顔を見合わせて、肩を竦め合った。地球でも公共施設内で犬の放し飼いは禁止だ。しかし、「犯罪」ではない。法律違反ではあるが、罰金を課せられる程度で、犯罪扱いされるのは実際に犬が人に害を与えた場合だけだ。
コロニー人の細菌学者ゲイリー・ピッツバーグは、航空機から降りてドームのゲイトに向かって歩いている途中、小犬に出会したのだ。飼い主から離れて走って来たチワワと目が合った彼は、犬を撫でようと体を屈めた。しかし、犬が吠えたので、威嚇されたと思い込み、逃げたのだ。すると犬が追いかけて来たのだ。ピッツバーグは必死で走って、追い詰められて、偶然通りかかったピーター・ゴールドスミスに助けられた。ゴールドスミスは立ちすくんでしまったピッツバーグの前で吠えていたチワワを抱き上げただけだったが。
重力がある地球で全速力疾走した為に、ピッツバーグは激しい酸欠状態に陥ってしまい、チワワを同じく追いかけて来た飼い主に返したゴールドスミスは、コロニー人を空港事務所の医務室に案内したのだ。
ピッツバーグとゴールドスミスは初対面ではない。同じドームに住んでいる執政官とドーマーだ。それにゴールドスミスは輸送班・航空班所属の静音ヘリコプターのパイロットだ。執政官が近距離の外出の場合に送迎するのが仕事だ。親しくなくてもピッツバーグとは数回出かけて顔なじみだった。
「それで、今日はどこにお出かけだったんですか?」
ピッツバーグはもう一口水を飲んでから答えた。
「サンダーハウスだよ。空気中の細菌の数を数えに行ってた。」