2021年3月7日日曜日

ブラコフの報告     10

  ケンウッド先生には長官時代もう一人秘書がいたことを覚えているかい? 

 そう、ヴァンサン・ヴェルティエンだ。彼は異色の執政官だった。遺伝子学者じゃなくて、文化人類学者だからね。彼はハナオカ氏が書記長時代に地球人類復活委員会に採用された。遺伝子研究以外にも委員会は人材を必要としていたから。でも殆どは機械関係の技術者とか薬学とか医療とか建築関係の技術者だ。文化人類学は理系が多い委員会のメンバーから外れているようにも思えるだろ? だがしかし、ハナオカ氏は地球の多様な文化が人口激減で消えていくのを惜しいと思った一人なんだ。彼自身は遺伝子学者だったから、文化の研究をする時間がない。だから、専門家を雇ったんだ。人件費を渋る理事会を説得して、5名採用したそうだ。その一人がヴァンサンで、彼はアメリカへ来た。そして副長官に就任したばかりのケンウッド先生の秘書として勤務を始めた。
 秘書の仕事は多忙だ。どの分野を専門としても、まず自分の研究をする時間は殆どない。でもケンウッド先生はハナオカ書記長の考えを支持して、ヴァンサンに重力休暇を与える時に、ちょこっと水増しで日数を増やしてやった。地球を旅していろんな文化を見て来いって訳さ。ヴァンサンは2人の上司の心遣いに深く感謝して、可能な限り地上を旅した。
 彼とは今でも親友で交信を週に何回か行なっている。彼は委員会を退職した後、専門分野に帰って、地球を巡っているんだけど、身分的には火星文化大学の人類学主任教授だ。彼の研究は決して地球だけに限ったものじゃない。宇宙にだって地球時代の文化が伝えられているし、そこから起きる異文化間の諍いなどを解決する緒を探ったり、相互理解の為のセミナーを開いたりしている。
 ヴァンサンは結婚したんだよ。お相手は同じ人類学者の木星出身の女性博士だ。彼女はアフリカの草原の民族を研究していて、アフリカ・ドーム遺伝子管理局長クワク・カササとは親しい友人だ。カササ局長はドームにはドーム特有の文化が生まれていると唱えている。伝統的文化を守ろうとドーマーに純血維持を強いてきた委員会のやり方を批判した人だ。
 消えゆく文化を記録しようとするヴァンサンと、新しく生まれる文化を見守ろうとする妻と友人、面白い組み合わせだろう?

 ヴァンサンは秘書生活が長かった。ケンウッド先生が長官に就任するとロッシーニと一緒に働くことになった訳だ。彼は僕にこっそり愚痴ったよ、ロッシーニが怖いってね(笑
秘書としてのロッシーニは真面目一徹だったし、真の顔は内務捜査班チーフだからね、ヴァンサンは机を接していて何か感じるものがあったんだろう。だけど、彼が困った時のロッシーニの援護ほど頼りになるものがなかったことも事実だ。ドーム行政でわからないことがあればロッシーニに聞け、ってな具合さ。そしてロッシーニはコロニー人のヴァンサンを立てることを忘れなかったから、難しい問題を解決したのはヴァンサン・ヴェルティエンだってみんなに信じ込ませることも出来た。
 ロッシーニ逝去の知らせを僕が送った時、ヴァンサンは僕に依頼した。

「ケンウッド長官に頼んでくれないか? ドームのどこかに歴代の長官秘書の名前を刻んだ銘板を設置して欲しいんだ。そこにドーマーの秘書の名前を忘れずに入れて欲しい。」

 彼はロッシーニの正体をリプリー同様に今も知らない。多分、彼は知りたくないだろうし、ロッシーニも望んでいないだろう。 

  ヴァンサンは僕が大怪我をして治療で火星にいた時、地球で副長官を勤めてくれた。彼は副長官と秘書の両方で名前を残せる稀有な人なんだ。