2021年3月13日土曜日

星空の下で     2

 サンダーハウスは実験農場だ。広大な敷地に畑や放牧場があって麦や野菜、牛や羊を育てている。その敷地の周囲に等間隔に打ち込まれた細いポールの先端から空中に放電された電気が空中のウイルスやバクテリアを殺し、あるいは汚染物質を分解して大気を綺麗にする実験だ。この試みの難しさは、地球上の生態系に影響を与える電力を放出しないよう気をつけなければならないことだ。その為科学者達は常時空気中の天然の電力状態を測定し、気温、湿度、その他の多くの数値の変化を捕捉していなければならないのだ。
 研究者達は地球人とコロニー人。リーダーは地球人のロバート・ジェンキンス博士で、しかし資金の8割はコロニーから出ている。宇宙開拓にもサンダーハウスの実験で得られる数値は重要かつ価値あるものだから、企業が投資しているのだ。だからコロニー人の研究者が半数を閉めても不思議ではない。彼等は地球人側の研究者達からの勧めで積極的に実験農場がある地域の住人と交流を行なっている。地球人保護法と言う面倒臭い法律の改正は彼等にとって大きな励みとなり、また救いでもあった。何しろ街中で自由に買い物したり遊べるからだ。研究生活のストレス解消に、彼等は地元民のスポーツチームに参加したり、文化交流会に加えてもらって楽しんでいた。
 ドームのコロニー人研究者達にとってもサンダーハウスは魅力的な場所だった。街中で見かけるコロニー人の多くは観光客か貿易商だ。しかしサンダーハウスへ行けば、アカデミックな会話が出来る。出身コロニーが同じ者同士でクラブも創れた。
 地球人の女性を生み出す研究が一つの終止符を打った後のドームは、それまで研究用に育てていた地球人、ドーマーと呼ばれる人々を地球社会に返す研究に転向した。清浄な空気や水で育てた地球人達を、まだ汚染物資が多く残るドームの外に戻す為に、いかに健康的で社会に適合出来る復帰をさせるか、それを探っている。同時に外の地球人達の健康を守ることに貢献もする。執政官と呼ばれる博士達はドームの外の医療機関にコロニーの医療技術を教えたり、治療困難な遺伝性疾患の患者の受け入れを行なっている。ドームは今や巨大な医療施設となろうとしていた。

 ゲイリー・ピッツバーグは地球人類復活委員会が採用した最後の学者グループの一人だった。まだ若くてコロニーも生まれ育った火星第3コロニーを含めて3箇所しか行ったことがない。多種多様な自然形態を持つ地球が珍しくて仕方がないのだ。だからサンダーハウスへ研究補助の役目で出かけるのが嬉しくて、ついつい羽目を外してしまう。今回も見知らぬ動物に迂闊に手を出すなと言う基本的な注意を忘れてしまったのだ。
 ゴールドスミスはピッツバーグより10歳は若くて、執政官にそれなりに敬意を払っていたし、執政官はドーマーの親である、と言うお約束も守っていたが、内心はちょっと見下していた。航空班の彼は成人するとすぐにドームの外での勤務に就いて、ドームの内側で働く同胞より世間に通じていた。それに自然の猛威も経験していたし、人間以外の生物にだっていっぱい遭遇していた。だから、機械と人工の世界で育ったコロニー人が「親」であることに疑問を抱いていたし、地球世界に無知なことを承知していた。そしてそれ以上に、相手が尊敬出来る人柄であるか否か、彼自身の視点で判別していたのだ。若いピッツバーグは、ゴールドスミスの目から見れば、「まだ子供」なのだった。
 ピッツバーグの体調が正常に戻ったと判断したキャロル・ダンストが、もう行くわよ、と言ったので、ゴールドスミスは蒸留水の礼を言った。多忙なドーム空港長は手を振って医務室から出て行った。
 ゴールドスミスも自身の荷物を手に取って、ピッツバーグを見た。

「帰りますか?」
「うん・・・」

 ピッツバーグも立ち上がった。空港職員が拾ってくれた鞄を手にして、歩き始めた。診療室にいた医師と看護師にも挨拶して、2人は外に出た。

「人生で最速のスピードで走ったなぁ。」

とピッツバーグが呟いて、2人は笑った。彼等はドームゲイトに向かっていた。

「今回の細菌の数はどうでした? 多かったですか?」
「季節的に空気が乾燥していて、バクテリアよりウィルスの数が多かった。インフルエンザの小規模な流行があの地方で見られるから、サンダーハウスではウィルス対応の電力計算をしているところだ。しかし空気中の埃も多いので、かなり困難だな。」

 ゴールドスミスには科学的な話はよくわからないが、ピッツバーグの説明は理解しやすかった。

「あちらでインフルエンザが流行っているんですね。」
「うん。重症者はいないらしいが、新型ウィルスでね、旧型のワクチンは効かないことはないが、効力が薄いそうだよ。下火になるまで『通過』未経験のドーマーはあっちへ行かない方が良いな。」

 多分、よほどの用がない限り、ドーマーが行くことはないだろう、とゴールドスミスは思った。サンダーハウスがある地方はドームから航空機で1時間かかるし、保養所や研修施設がある訳でもない。執政官の護衛に付く保安課員は研究施設から出歩かない。
 やがてゲイトに到着した2人は入り口のチェックカウンターで最初のID確認と持ち物検査を受け、消毒の為の空間に入って行った。