2016年10月30日日曜日

新生活 19

 新しいアパートの部屋番はC−202だった。ジェリー・パーカーの告白内容を記録してケンウッド長官とハイネ局長に報告してから、ダリルとポールは新居に入った。ポールはラムゼイの手の感触を思い出してしまい、食欲を失ったので、夕食はテイクアウトの中華料理だ。
 運送班は、2人の荷物を3つのコンテナに詰めて居間に置いて去った後だった。寝具と衣料品と書斎にあった資料、台所用品数点だけだ。それらを収めるべき場所に収める作業をすると、やっとポールの食欲も戻って来た。
 ダリルは寝室が気になった。大小2部屋あって、大きな部屋はツインベッド、小さい方はシングルだ。2人用なのに、何故ベッドが3台もあるのか謎だが、ダブルベッドの部屋にも小部屋があってベッドがあると言うのだから、子供部屋を想定しているのだろうか。しかしドーマーは子育てしないのに。

「小さい方は客間だろう。」

とポールがお茶を淹れながら言った。料理に合わせて中国茶を淹れている。

「客って・・・泊まるような客がいるのか? ドームの中に住んでいる人間しかいないのに?」
「酔っ払えばドアの外に出るのも億劫な人間がいるだろうが。」
「すると、あの部屋は酔っ払い用なのか?」
「君もいちいちこだわるヤツだな。」

 ポールは春巻きに辛子をたっぷりと付けた。それをダリルの皿に載せた。

「喧嘩した時に、君が使えば良いじゃないか。」
「何故私が追い出されるんだ?」
「俺が上司だからだ。」

 ダリルは辛子を春巻きから取り除きながら、よくわからん理屈だ、と呟いた。

「それじゃ、こうしよう。」

 食事が終わる頃にポールが提案した。

「どちらかが女性を連れて来たら、残った方が小さい部屋を使う。」
「・・・よし、それで妥協しよう。」
「寝る前に音楽を聴く趣味はなかったな?」
「ない。」
「宜しい。では、今夜は一緒に寝よう。」

 ちょっと待て・・・

「ちょっと待て、それは別々のベッドで、と言う意味だな?」
「どう言う意味だ?」
「どう言う意味って・・・」
「今夜も拒むのか?」

 ダリルは溜息をついた。正直に言った。

「君が嫌で拒むんじゃない。今はちょっと心を読まれたくないんだ。」
「俺に秘密を持っているのか?」
「正直に言えば、イエスだ。だが、そのうちに秘密でなくなる。それまで待ってくれないか? 私はその秘密を押さえ込んだまま君と愛し合える自信がないんだ。」

そして優しく言った。

「私だって君を抱きたいんだよ。」
 
ポールはじっと彼を見つめた。メーカーから救出された日の夜、ローズタウンでダリルは彼の額にキスをしようとした。彼が拒み、手の甲にキスをさせた。あれ以来、ダリルは彼に触らせない。怒っているのかと思ったが、そうではなかった。
セント・アイブスで何かがあったのだ。時々ダリルが考え込んでいるのは、息子のことを心配しているのだとばかり想っていたが、そうではないらしい。

「だったら早く問題を解決してくれ。さもないと、また無理矢理やるぞ。」





新生活 18

 夕方近くになって、ポールのコンピュータにドーム維持班住宅課から連絡が入った。申請していた妻帯者用アパートへの転居を許可すると言うものだ。しかも「本日中に」と書いてある。住宅課は独身者用アパートに2人以上の人間が住み着くのを良しとしないのだ。ポールはダリルに伝える前に、運送班に引っ越し依頼を出した。保安課にも連絡を入れ、留守中に運送班が荷物を運び出せるように手配することも忘れない。保安課がドアを解錠してくれる訳だ。ポールの私物は少ないので、運送班は2,3時間もあれば仕事を終えるはずだ。ダリルの私物は服が数着あるだけだ。
 ドームの運送業者とも言える運送班は、存外多忙な部署だ。ドーマーや執政官達は部屋が気に入らないとすぐ引っ越しをする。どの部屋も造りは同じなのだが、隣人が気に入らないとか、窓からの風景が好きでないとか、些細な理由だ。それに執政官の離着任も少なくないので、そっちの仕事も多い。宇宙向けの荷物の梱包などお手の物だ。だから、ポールは彼等の手が空く夕刻のうちに仕事をしてもらえるよう、大急ぎで依頼した。
 引っ越しの手配を終えると、ポールはダリルを連れて中央研究所のクローン観察棟へ出かけた。ラムゼイの秘書だったジェリー・パーカーに面会する為だ。
 ジェリーはようやく落ち着きを取り戻し、病室から普通の観察室に移された。ポールとダリルが保安課員と共に部屋を訪問すると、彼はビーズソファに座ってテレビを見ていた。2人の遺伝子管理局員が近くに来ても振り返らなかった。ダリルが声を掛けた。

「やあ、ジェリー。気分はどうだい?」
「最低だね。」

とジェリーはテレビを見たまま答えた。

「体をあちらこちらいじり廻されて、細胞を採取されて、ウサギになった気分だ。」
「おまえが俺にやろうとしていたこと、そのままを執政官がやっただけだろう。」

ポールの声でジェリーが振り返った。

「脱走ドーマーに『氷の刃』か。おかしな組み合わせだなぁ。逮捕した者と逮捕された者が一緒に居る。」
「今はボスと秘書の間柄でね。」
「ふーーん・・・」

 ジェリーが2人を見比べた。そして、突然笑い出した。「何が可笑しい?」とポールが尋ねると、彼は笑いを抑えて言った。

「おまえ達、ライサンダーの両親だ! よく見ればあのガキ、おまえ達2人にそっくりじゃないか!! 今頃気が付くなんて、俺も馬鹿だなぁ・・・」

 ポールがダリルを見た。ライサンダーは俺に似ているのか?と目で尋ねる。その目が息子にそっくりなので、ダリルももう少しで吹き出しそうになった。慌ててジェリーに質問した。

「ジェリー、トーラス野生動物保護団体の会員で、博士を匿った人間は誰だ?」

 ジェリー・パーカーはまだラムゼイ博士が死んだ事実を知らされていない。そんなこと、言えるかよ、と笑った。団体の名前を遺伝子管理局に知られたことも、しらばっくれるつもりだ。管理局がはったりを利かせてきたと思っているのだ。
 ダリルはポールを見た。真実を告げるべきか?と目で問うた。ポールが頷いた。
ダリルは一息ついてから、言った。

「ジェリー、博士は亡くなったんだ。トーラスの誰かに暗殺された。」

 ジェリーの笑い声が止まった。一瞬、時間が止まったかの様な沈黙があり、それから、「嘘だ!」と叫び声が上がった。
 ジェリーは立ち上がり、一番近くにいたダリルに飛びついた。しかし、ポールと保安課員が彼を捕まえた。ジェリーが喚いた。

「嘘だっ! 博士が亡くなったなんて、そんなことがあって堪るか!」
「本当なんだ、ジェリー。私の目の前で彼は死んだ。重力サスペンダーの誤作動で、事故死したと思われたが、警察の鑑定でサスペンダーのモーター部分に誰かが細工をしていたことが判明した。」
「嘘だ・・・嘘だ・・・」

 ジェリーの体から力が抜けたので、ポールと保安課員は彼を抑えていた手を離した。
ジェリー・パーカーは床の上に座り込み、呆然と宙を見つめた。
 ポールが彼の横にかがみ込んで話しかけた。

「パーカー、ラムゼイはリンゼイと名乗ってトーラス野生動物保護団体の会員になっていたな? そこにいるセイヤーズと、もう1人の局員が団体幹部と交渉して、リンゼイを団体本部へ呼び出した。ラムゼイは素直に正体を明かして、局員の前で演説をぶっていたそうだ。そして、場所を移動しようと重力サスペンダーを操作した途端に、機械が誤作動を起こして、爺さんを天井へ叩きつけた。誰にも救えなかった。即死だったそうだ。
 サスペンダーのモーターが彼が入室した当初から異常音をたてていたと言う証言がある。うちの局員が聞いたのだ。微細な音だが、彼は聴力が良い。爺さんは気が付かなかった。恐らく、普通の人間では気が付かない異常音だったはずだ。だから、爺さんは機械に細工されたことを知らなかった。爺さんのサスペンダーに近づけた人間が犯人だ。」

 ジェリーがポールを振り返った。

「博士にとって、重力サスペンダーは脚だ。他人には触らせない。俺だって触ったことはなかった。」
「しかし、メンテナンスで部品交換はしただろう?」
「俺は部品の店に行ったことがない。メンテナンスは何時もセント・アイブスの店に任せていた。店の人間は調べたのか?」

この問いにはダリルが答えた。

「『スミス&ウォーリー』はオーダー通りに部品を発注して、販売しただけだ。取り付けはしない。最近になってオーダーした人物は、ダフィー・ボーと言う男だ。」
「モスコヴィッツの秘書だな・・・」

 ジェリーがよろめきながらも立ち上がった。

「あいつら、博士が追い詰められたと知って、証人を消しやがった・・・」
「あいつら、とは?」
「博士に自分達のクローンを創らせて、脳を若い肉体に移植しようと企む狂ったヤツらよ。」

 ポールが一瞬顔を歪めて、ジェリーから離れた。ダリルが彼を見ると、彼は今にも吐きそうな顔になっていた。

「どうした、ポール?」
「ラムゼイが俺に触った時に、感じたのは、それだ・・・」






新生活 17

 ポールのオフィスで普通に仕事をするのは初めてだ。執務机にポールが居て、秘書机にダリルが居る。時々職員からオフィス宛で電話が掛かってくるとダリルが取り次ぎ、ポールに廻す必要がないと判断すると自分の裁量で返事をする。ポールから特に物言いが付かないので、取り敢えずは順調の様だ。たまに内勤当番の局員が用事で面会を求めてくる。これはポールから却下の合図がなければ全員通す。
 そんな風に仕事をして、昼食をはさんで午後も同じ。2時過ぎに電話も面会希望も途絶えてちょっと暇になった。
 ダリルは端末を出した。

「チーフ」

と仕事中なので肩書きでポールに声を掛けた。

「ちょっとドーム外へ私用電話を掛けて良いですか?」

 ポールは書類に目を通したまま頷いた。ダリルはセント・アイブス警察に電話を掛け、スカボロ刑事を呼び出してもらった。ラムゼイ殺害事件の捜査の進展具合を尋ねた。
スカボロ刑事は、重力サスペンダーを分析させて、バネの一つが通電しない物質で作られていることが判明した、と言った。それは小さな部品で見た目は金属なのだが、実際は絶縁体と同じ成分のセラミックだった。どこで製造され、何時ラムゼイの重力サスペンダーに取り付けられたのか、調べているところだと言う。

「もっとも、ラムゼイが死ぬ前に何処に隠れていたのか、それすらわかっていないんだがね。」

とスカボロ刑事がぼやいた。

「トーラス野生動物保護団体はセレブの集まりだから、なかなかメンバーに会えなくて困るんだ。殺害現場に居合わせた4人には街から出るなと足止めしてあるが、部屋の外に居たのが誰と誰かなんて、教えてもらえないし。」

 大きな進展があれば、また連絡するよ、と言ってスカボロ刑事は自分から電話を切った。
 次に、セント・アイブス出張所に掛けた。所長のリュック・ニュカネンは所内に居て、不機嫌な声で電話に出た。ダリルは先日世話になった礼を言ってから、ラムゼイが連れていた「ジェネシス」シェイの行方がわかったかどうか、尋ねた。ニュカネンは不機嫌な声で答えた。

「セント・アイブスは全人口に対する女性の比率が他所より高いんだ。女1人増えたって、誰も気にも留めない。画像のない女の行方など捜せると思うのか?」
「そっちの警察に逮捕したラムゼイの手下達が大勢居るだろう? そいつらにモンタージュを作成させろよ。」
「私に指図するな、そんなことぐらい、さっき思いついた!」

 ニュカネンも先に電話を切った。彼の喚き声が聞こえたのか、ポールが書類に署名をしながら呟いた。

「相変わらず度量の小さい男だな。」
「彼は慎重過ぎるんだよ、独りで妻子を守っていかなきゃならないから。」

 まだ仕事に追いかけられる気配がないので、もう1件、電話を掛けた。山の家だ。
ライサンダーが帰宅していることを期待したが、電源が切れたのか、呼び出しが鳴らない。
 仕方がないので、街の保安官に電話を掛けた。保安官とは長年親しくしていたのだ。
遺伝子管理局の「指名手配」は刑法上の犯罪者ではないので、警察関係には廻っていなかった。ダリルが名乗ると保安官は喜んだ。

「ダリル、一体何処に居るんだ? 君の家がメチャクチャだと郵便屋に教えられて飛んで行ったんだぞ! 畑は全滅だし、家の中は踏み荒らされているし・・・特に畑は重い物で押しつぶされたみたいだ。何があったんだ?」
「あー・・・ちょっとUFOに襲われてね・・・」
「まさか、コロニー人が襲来したなんて言うなよ。」

 ダリルは少し躊躇ってから告白した。

「実は、息子の葉緑体毛髪が遺伝子管理局に見つかってね・・・」

 保安官が少し沈黙した。彼はライサンダーが違法出生児だと知っていた。田舎ではメーカー製造のクローンを育てている人間が多いのだ。警察だって「うっかり」見落とすことがある。

「それで、逃げ通せたのか?」
「今も逃亡中なんだ。」

 ダリルは自身が遺伝子管理局に捕まったとは言えなかった。10年以上嘘をついてきた友達に今更真相を明かす勇気が出なかった。

「ライサンダーとはぐれてしまって。そっちに戻っていないかと思ったんだが・・・」
「いや、見かけていないな。でも、もし見つけたらうちに置いてやるよ。」
「すまない、でも出来れば家に帰れと言ってやってくれないか。あの子は独りでもやっていけるから。18歳になれば成人登録されて逃げる必要もなくなる。」

 電話を切って、思わず深く溜息をついた。ライサンダーは何処に行ってしまったのだろう? 可愛い息子。綺麗な子供なので、なおさら心配だ。悪い奴に捕まって男娼として売り飛ばされたりしていないだろうか?
 ふと顔を向けると、Y染色体の父親と目が合った。

「あのガキ、家出したのか?」

とポールが、父親としては無神経に尋ねた。ダリルは心配で溜まらないことを冗談ごかしに言われたくなかったので、別方面で彼を攻撃してみた。

「君は、私を捕らえた時、ヘリを何処に降ろしたんだ?」

 ポールはすっかりそんなことは忘れていた。寧ろヘリを話題にされると自身が拉致されそうになった事件を思い出す。忌まわしい牛との押しくらまんじゅうとか、ラムゼイ一味から受けた屈辱とか・・・彼はぶっきらぼうに答えた。

「決まってるじゃないか、平らな場所だ。」

 そして彼も別の話題で話しを逸らそうとした。

「ラムゼイの人脈を探りたい。上流階級の中にクローン製造に関する不穏な動きがある様に思える。ラムゼイが俺に触った時に、政界の人間の画像が幾人か見えたんだ。彼のシンパなのか敵なのか、わからん。俺が判別出来た人間から順番に当たっていこうと思う。」
「捜査するのか? 私も参加させてもらえるか?」
「勿論だ。君も深く関わっているじゃないか。」

そして、彼はとんでもないことを言った。

「先ず、手始めに、大統領の母親を尋問する。出来れば大統領一家の思考を読めたら言うことなしだ。アメリア・ドッティに連絡を取れるか?」

 ダリルは危うく手にしていた端末を床に落とすところだった。







新生活 16

 翌朝、ダリルとポールは朝食を摂る為に研究所の食堂へ行った。チームリーダー達も一緒だ。ドーマー達が集合している時は、ファンクラブも寄って来ない。それに集まっている面子を見れば、仕事の打ち合わせを兼ねた朝食会だとわかる。
 クラウスは今回近場の都市を廻るので時間に余裕があるが、朝食は既にアパートで妻と済ませてきたので、珈琲だけだ。2チームは内勤の日で、3チームが外に出かけるのだが、第4チームは昨日から泊まりがけの支局巡りでドーム内に居ない。ダリルは秘書らしく全チームの予定を読み上げてチーフの確認を取った。
 打ち合わせはそれだけだ。仕事内容は局員各自でスケジュールを立てているから、特別な行動を取る以外は何も話し会う必要はない。集まって朝食を摂りたいと言う、ただそれだけの打ち合わせ会だ。

 ドーマーは家族だから

 第5チームのジョージ・ルーカス・ドーマーが、例のパパラッチサイトをチェックした。撮影が趣味なので、パパラッチの仕事の出来映えが気になるのだ。

「今朝のアクセス数ナンバー1は、『レインVSセイヤーズ、レインは勝利するもキスを奪えず!』ですね。」
「はぁ? そんなものまでアップされているのか?」
「素晴らしい動画ですよ。また『海賊屋』が投稿者に無断でダウンロードしてチップで売り出すでしょう。」

 ドーマーの中に、執政官相手に動画や画像の海賊版を販売する『闇商売』をしている人間がいるのだ。幹部は取り締まろうとするのだが、なかなか正体を掴めない。購入する人々の口が固いせいだ。

「アクセス数ナンバー2は、『キャリー・ワグナー先生のドレス姿』、うん、いつ見ても彼女は美人だ!」
「そんなの見なくて良いよ、ジョージ。」
「いいじゃないか、減るもんじゃなし・・・それにチーフがデートしてるなんて、滅多に見られないぞ。」
「ぬあんだってぇ?」

 全員が一斉に各自端末を出した。ポールまでもが慌ててサイトを開いた。10枚の連写画像で、ワグナー夫妻をダシにして隠し撮りした、正にパパラッチ画像だ。JJがポールの腕に手を掛け、2人は親しげに顔を近づけて見つめ合っている・・・

「これは誤解だ。」

とポール。

「ただの会話だ。彼女は声を出せないので、接触テレパスで話し掛けてくるんだ。」
「へー・・・」
「ふーん・・・」
「ファンクラブはそうは取らないでしょうね。キエフも・・・」
「ヤツの名を朝っぱらから出すな。」
 
 ダリルは笑ったが、最後の画像を見て凍り付いた。
カウンター前で、副長官と立ち話している場面を撮られていたのだが、ダリルの視線がラナ・ゴーンの胸に向けられている、と取れる角度だった。彼の方が身長があるので、どうしても見下ろすと彼女の胸の谷間が見えたのは確かだ。

「『セイヤーズ、やっぱり山が恋しいか?』だって・・・何処見てたんだ、セイヤーズ?」

 ジョージ・ルーカスがニヤニヤ笑った。ポールの方はからかう気力を失っているみたいで、JJが危険に晒されなければ良いが、と心配している。


新生活 15

 JJは無邪気にポール・レイン・ドーマーに対する彼女の感情を表現した。彼女は生まれたから世間に隠されて育てられた。知っている男性と言えば、両親の仕事仲間のメーカーたちばかりだった。ポールはメーカーではない、彼女が初めて接した異色の人間の1人だ。だから、ポールは彼女の感情を接触テレパスで知っても素直に受け入れられない。彼女が純粋故に、彼女を何時か傷つけるのではないかと恐れているのだ。

 つまり、ポールもJJが好きなんだ!

 ダリルは親友且つ恋人である人間の心理状態に思い当たり、当惑した。ダリルもポールも互いが異性を好きになることに対して抵抗がない。それが生物として自然なことだと、幼少時からみっちり教育されているからだ。もし、ポールが人妻であるキャリーに恋愛感情を抱いても、ダリルは驚かなかっただろう。しかし、実際は、ポールはJJに心を動かされている。多分、人質になっていた時間に、トラックの荷台で2人はずっとテレパシーで交流していたのだ。邪心のない、素直な感情で数時間一緒に過ごしていた。彼女が好きだから、ポールはこのディナーの席で緊張しているのだ。周囲に自身の感情を気づかれまいとして。
 ダリルの当惑は、2人の歳の差が原因ではない。JJは特殊な誕生の仕方をした。だから、ドームは彼女を研究対象と見なしている。彼女の恋愛を認めるだろうか? しかも、ポール・レイン・ドーマーと言う男も、ドームにとっては特別な存在だ。遺伝子的にも、政治的にも、能力的にも。ドームは、ポールの妻帯にも口出しするはずだ。勝手に恋愛するなよ、と。男同士なら自由を認めるが、女性はドームが決める。
 ラナ・ゴーン副長官は、ただのJJのご機嫌取りでこのディナーをセッティングしたのだろうか? それともドームは2人の交際を認めるつもりなのか?
 ダリルは副長官の表情をそっと伺った。ラナ・ゴーンはJJではなくポールの反応を観察している様に見えた。
 食事が始まると、JJはワグナー夫妻にドームの中の生活についていろいろ質問した。無口になったポールと、ドームに復帰して間もないダリルより、夫妻に尋ねた方が役立つと賢明に判断したのだ。子供っぽいが、大人の片鱗も見せる彼女の言葉にキャリーは面白がっているし、クラウスも会話を楽しんでいる。ポールは時々話を降られて渋々応答する。
 ラナ・ゴーンが飲み物の追加を取りにカウンターへ立ったので、ダリルは手伝いましょう、と追いかけた。
 トレイにグラスを並べる彼女に声を掛けた。

「ポールとJJをカップリングさせるおつもりですか?」

 ラナ・ゴーンが彼をちらりと見た。

「彼氏を盗られるのは嫌なの?」
「そんなんじゃなくて・・・」
「JJの友達は、今のところ、あのテーブルに居るメンバーだけなのよ。だから、彼女の精神を安定させる為に、今夜の会食をセッティングしただけ。」
「本当にそれだけですか?」
「レインの反応を見たかったのは確かよ。彼はケンウッド長官に事件当時の証言をした時、何故かJJの話題だけは避けたの。長時間トラックの中で一緒に居たのに変だと長官は感じて、彼の心理を分析したくなったのね。」
「彼の心理分析なんかして、どうなさるのです?」
「レインは貴方だけでなく、女性も普通に愛せるとわかったわ。」
「それはどう言う・・・?」
「愛する人間がドームの中に2人も居ると言うことは、彼は外へは出て行かない。」
「JJと私が足枷だと?」
「彼の大切な人達と言うことよ。」

 ラナ・ゴーンがダリルの目をまっすぐに見た。

「レインをアーシュラに会わせると良いわ。彼は絶対に戻って来る。」



新生活 14

 午後8時、中央研究所の食堂は適度に賑わっていた。一般食堂と違って執政官や幹部級のドーマーが利用するので、女性の姿が多く、華やかな印象を与える。
 ダリルはまだ単独でこの食堂には入れないが、ポールと一緒なので気兼ねなく利用出来る。クラウスはチーム・リーダーなので問題ないし、妻のキャリーは医療区の医師だから当然利用する権利を持っている。キャリーはこの会食に出る男性3人と幼馴染みだ。彼女はクローンだが取り替え子に出されずにドームに残されてドーマーとして育てられた。理由は明かされていないが、考えられるのは、取り替え子になるはずだった男の赤ん坊が誕生直前に死亡する場合だ。出産予定日に合わせてクローンの女の子を育てるので、肝心の胎児が死んでしまうと予定が狂う。同日に誕生する子供と急遽交換、と言う訳にはいかないのだ。何故なら、取り替え子となる女の子は、両親のどちらかと血縁関係があるコロニー人から提供される卵子から創られるからだ。決してドームは無計画に子供を創っているのではない。
 女性ドーマーは大変人数が少ないので、男性ドーマー達にとって彼女達は高嶺の花だ。ドームの外で男性達の多くが独身なのと同じ理由だ。だから、クラウスはとても幸運な男だ。キャリーと恋愛して、ドームから許可されて彼女を娶った。この夫婦に子供が出来れば、ドームは取り上げてしまうだろう。それがドームのルールだ。だから、クラウスとキャリーは子供を作らない。しかし、ダリルがドームに帰ってきたことが、夫婦の間にちょっとした波紋を生じさせていた。

「子供を育てるって、愉しいですか?」

キャリーがテーブルの主賓を待つ間にダリルに尋ねた。ダリルは頷いた。

「愉しいよ。子供は毎日成長して変化するし、面白い発見だらけだ。それに友達でもあるし、同士でもある。」

 自分で子供を育てないドーマーには想像がつかない。しかしキャリーは母性本能をくすぐられたのか、興味があるようだ。精神科の医師なので、「聖地」で出産に立ち会うことはないが、母親達のメンタルケアはするので、自身も出産を体験するべきだとも思っている。
 ポールはあまり興味なさそうにダリルと夫婦の会話を聞き流していた。テーブルの主賓はまだかな、と思った時、彼の後ろで機械的な女性の声が響いた。

「ダリル父さん!」

 ダリルはその声がした方を振り向き、笑顔で立ち上がった。彼に向かって少女が全力疾走してきて、飛びついた。

「JJ、君が今夜の主賓だったのか! 驚いたな、ポールは何も言わないから。」
「私も驚いたわ。父さんに会えるなんて思わなかったもの。」

 ダリルは彼女のこめかみに付いている小さな端子に気が付いた。彼女は小さな黒い箱を胸ポケットから出して見せた。

「これで喋ってるの。脳波を拾って音声に翻訳してくれるのよ。」

 彼女からかなり遅れてラナ・ゴーンが現れた。

「人工声帯を付ける方法も考えました。でも、JJは呼気を使って声を出すことを知らないので、その訓練から始めないといけません。彼女がここの環境に慣れてから、コミュニケーションの手段を選択してもらうことにして、当面は翻訳機を使ってもらいます。」

 ダリルは、今朝彼女がポールに頼み事をした内容が、この会食だったのだと気が付いた。副長官はJJをリラックスさせる為に、少女と親しくなった人々を食事に呼んだのだ。クラウスはローズタウンからドームへ来る機内でJJの世話をしてくれたし、キャリーは副長官と共に、観察棟に入ったJJの心理的緊張をほぐす役目を担当している。
 しかし、ポールの緊張はどうしたことだ? ダリルとワグナー夫妻を誘っておきながら、当人は食堂に入ってから大人しい。
 JJが椅子に座りながら尋ねた。

「ライサンダーはいないの?」
「彼はドームに来なかったんだ。」

 ダリルは、息子もここに居れば良かったのに、と残念に思った。ライサンダーをドームの研究対象にされたくないが、やはり手元に置きたい。しかし、息子は自分の意志で去って行った。ドームに来ることを拒み、ドームに繋がれてしまった父親に愛想をつかして・・・。
 JJはもう片方の隣に座っているポールの腕に手を当てた。ポールがびくりとしたのをダリルは見逃さなかった。翻訳機がJJの言葉を音声にした。

「もう体調は良いの? Pちゃん?」
「Pちゃん?」

クラウスが驚いてポールを見た。キャリーとラナ・ゴーンはくすくす笑っている。

「だから・・・その呼び方は止めろ。」

 ポールが呻く様に注意した。ダリルは既にこの呼び方を知っているので、微笑んで見せた。

「JJ、聞かれて困る思考の場合は、翻訳機の電源をオフにしなきゃ駄目だよ。」
「あっ、そうなんだ!」

 JJは翻訳機に手を触れた。彼女は沈黙した。そしてポールの腕に再び手を触れた。
ポールは困惑して、彼女に言った。

「俺は仕事があるんだよ、毎日君の希望通りに付き合うのは無理だ。」
「え? 何だ?」

ダリルが尋ねると、JJが翻訳機の電源を入れた。

「デートに誘ったら、断られちゃった。」

 クラウスとキャリーが目を丸くした。ポール・レイン・ドーマーが10代の少女に口説かれようとしている!
 ダリル父さんは、取り敢えず娘を手元に置いておきたい父親の立場を取ることにした。

「JJ、その男は父さんと同い年だ。君が付き合うには歳を食っている。交際は許さない。」
「でも、好きなんだもん。」

 ダリルは素早くテーブル周辺に目を配った。ポールのファンクラブの耳に入ったら、ちょっと厄介だ。それでなくても、パパラッチやストーカーがポールの周辺をたむろしていると言うのに・・・


2016年10月29日土曜日

新生活 13

 ジムはまだ日中と言うこともあり、空いていた。非番の遺伝子管理局の局員が数名と、夜勤に出る前の保安課員、それから数人のドーム維持班のメンバーが体力調整で運動をしているだけだった。
 ダリルとポールは運動着に着替えて、暫くの間、銘々で筋力トレーニングをした。ダリルは医療区で水泳をしていたが、筋トレは久し振りだ。若い頃より早く息が上がって、リハビリをもっと真面目に受けておくべきだったと後悔した。
 ポールがやって来て、マーシャルアーツの闘技場が空いているので、胴着に着替えて対戦してみないかと誘った。子供時代から2人はよく取っ組み合いで喧嘩した。仲良しだが、喧嘩も派手だった。成長すると、それが闘技の訓練に変化した。
 彼等は再び着替えて、闘技場に立った。

「何か賭けるか?」

とポールが聞いた。ダリルは考えた。

「君が負けたら、支局巡りの時に胸をときめかせた女性の話をしろよ。」
「そんなの、いるもんか。」

 結局、勝利のご褒美を決めないまま、2人は格闘技を開始した。ダリルは相手の動きを最初に組み合った段階で読めてしまう。だからポールは組み合ったら絶対にダリルの体から離れない。手を離したら最後、2度と捕まえられないからだ。2人は絡み合い、何度か投げを打ち合い、堪えて、やり返し、と繰り返した。
 なかなか勝負がつかない。流石にダリルの「老体」が弱音を吐き始めた。足が滑りそうになって力が一瞬緩んだところを、床に押し倒された。咄嗟に寝た姿勢でポールを横へ投げた。セント・アイブスの安ホテルでライサンダーに投げられた、あの技だ。ポールは投げられはしたものの、すぐに受け身の態勢で床の上に落ち、体を反転させて起き上がった。まだ上体を起こしたばかりのダリルに再びとびかかり、今度は腕を押さえつけて動きを封じた。ダリルは逃れようともがいたが、無駄だった。気が付くと、ポールがキスを奪おうと迫っていた。ダリルは叫んだ。

「止せ、みんなが見ている!」

 ポールが動きを止めて、顔を上げた。いつの間にか闘技場の周囲にはトレーニング中だった人々や、外から噂を聞いてやって来た人々が集まっており、2人の勝負の行方を見守っていたのだ。
 息を弾ませながら、ポールが囁いた。

「俺は見られてもかまわんが?」
「私は嫌だ。負けてキスされるのは御免だ。」
「相変わらず、気難しい男だな、君は。」

 ポールが体の上から降りてくれたので、ダリルはやっと体を起こせた。
ポールは立ち上がり、観客に向かってお辞儀をした。闘技場に笑い声と歓声が上がった。
ダリルが胴着の着崩れを直しているのを見て、ポールのファンクラブの面々が囁き合った。

「何故ポールがアイツに夢中になるのか、わかったような気がする。」
「うん。ポールと互角に戦えるヤツなんて、今までに居たか?」
「それにセイヤーズって、かなり色気があるよな?」
「僕は、あのままポールが彼を襲うのかと期待してしまったよ。」
「マジか? 公衆の面前だぞ。」

 ダリルはシャワーを浴びてロッカールームへ行った。先に戻っていたポールが着替えながら声を掛けた。

「さっき、俺を投げ飛ばした技はどこで覚えた?」
「ライサンダーからだ。」
「ほう・・・」

ポールが愉快そうに彼を見た。

「要するに、君は息子に投げ飛ばされたんだな?」
「わかってて言うな。」

ライサンダーはポールに投げ飛ばされたのだ。