2019年3月31日日曜日

誘拐 2 1 - 8

 出来ればケンウッド長官と顔を合わせたくなかったのだが、夕食の席に長官がやって来てしまった。ハイネは普段より少なめの食事にケンウッドが気がつかなければ良いが、と思った。ケンウッドは機嫌が良かったのだ。保養所のアイデアをドーマー達に受け入れてもらえたし、修正中のプログラムももう直ぐ完成だ。後は他のドームと比較して今度こそ誤りがないことを互いに確認し合ってマザーコンピュータにインストールするのだ。だから、彼はハイネが浮かぬ表情をしていることに、直ぐには気がつかなかった。

「今夜は茸のシチューに根菜のサラダ、体に良さそうだね!」

 ケンウッド自身は肉料理を選んでいた。座ると直ぐに美味しそうに食べ始めた。ローガン・ハイネはそんな彼を愛おしげに眺めた。外観は年上に見えるこのコロニー人は、彼より30歳も年下だ。執政官はドーマーの親として振る舞えと言う地球人類復活委員会の規則に従って、ケンウッドはハイネを息子として扱い、ハイネは彼を父として敬っているが、仕事から離れるとやはりケンウッドは若い。一度も言葉にしたことはないが、ハイネは彼を可愛いと思っている。ドーマー達と同様に、このコロニー人も彼にとっては大事な息子の一人なのだ。だから、ハイネはケンウッドを悲しませたくなかったし、心配を掛けたくなかった。
 彼は努めて明るく声を掛けた。

「プロジェクトは順調ですか?」
「うん。君に認証の日程を告げられる日も近いと思うよ。」

 マザーコンピュータの書き換えには、ドームの4名の最高責任者、長官、副長官、保安課長、そして遺伝子管理局長の認証が必要だ。作業は丸一日かかるだろう。
 ケンウッドは肉を切りながら言った。

「君もそろそろ覚悟してくれ。一日縛られるから。」

 そして何気に顔を上げて、ハイネの顔色が良くないことに気が付いた。

「どうした、ローガン・ハイネ・・・?」
「どうもしませんよ。」

 ハイネはいつものポーカーフェイスを保つことに失敗した己を悔やんだ。素早く頭を回転させて言い訳した。

「認証の日の退屈さを思い出してうんざりしただけです。」

 その時、端末に電話が着信した。保安課が直通を許可した外からの電話だ。ハイネは落ち着き払って電話に出た。

「ハイネだ。」
「レインです。」

と北米南部班チーフが名乗った。直ぐに報告に入る。

「今、セイヤーズが到着しました。」

 ケンウッドの手が止まった。ハイネは心の中で、ちぇっと舌打ちした。それでもレインには平素を装った。

「無事に着いたか。」
「はい・・・一人で来ましたが、単独飛行は局長の許可ではないですよね?」
「する訳なかろう。」
「叱っておきました。」

 どうだか、とハイネは思った。レインがどんなに怒っても、セイヤーズは堪えないのだ。幼馴染なので、相手の怒りの度合いを心得ている。

「今夜は部下を休ませて、明日早朝に作戦を開始します。できれば朝飯前に終わらせるつもりです。」
「了解した。」
「お休みなさい。」
「お休み。」

 通話を終えると、ケンウッドが見つめていた。ハイネは覚悟した。彼が釈明しようとしたその時、ヤマザキ・ケンタロウが現れた。

「ヤァ、お揃いだな?」

 陽気な医者は空いた席に座った。

「ハイネ、胃薬の用意をしておいた。急病の部下はいつ帰る?」
「胃薬?」

 ケンウッドがヤマザキを見た。ヤマザキは謎の微笑を浮かべて遺伝子管理局長を見ただけだった。



誘拐 2 1 - 7

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーは夕方の運動に出ようとロッカールームにいたところを、局長執務室に呼ばれて、慌てて着替えて走って来た。スーツではなく私服だ。本来なら既に仕事を上がっている筈の秘書2人が執務室に居たので、彼は「あれ?」と言いたげな表情で局長の前に立った。 ハイネが挨拶抜きで命令を出した。

「セント・アイブスの出張所へ直ぐに行け。トーラス野生動物保護団体がパトリック・タンを誘拐してビル内に監禁している。現地で北米南部班第1チームと合流してタンを救出せよ。」

 セイヤーズは一瞬驚いた表情で口を開いた。しかし、質問はせずに、応えた。

「了解しました。」

 第2秘書のアルジャーノン・キンスキーが後ろから声を掛けた。

「静音ヘリを準備させている。パイロットの調整が着き次第飛びなさい。」

 ネピア・ドーマーが「おい」と声を掛けたので、セイヤーズが振り返ると、第1秘書が情報用チップを投げて寄越した。セイヤーズはそれを難なく受け止めた。ネピアが説明した。

「事件の経緯をそこにまとめた。ヘリの中で聞いておけ。」
「わかりました。有り難うございます。」

 セイヤーズは行動が早い。局長に向き直ると、

「では、直ぐに行ってきます。」

と告げた。ハイネが頷くと、彼はくるりと向きを変えて、部屋から駆け出して行った。
アッと言う間だ。ドアが閉まると、キンスキーが感想を呟いた。

「まるでつむじ風の様な男ですな。」
「ふんっ!」

 ネピアはセイヤーズが気に入らないので、同意したくない。

「せっかちなだけだ。」

 ハイネは一先ずパトリック・タンの救出に出来ることは全て準備したと感じた。地球の富豪達が怒ろうが迷惑を被ろうが、知ったこっちゃないのだ。大事な部下を可能な限り無事に救出出来れば、遺伝子管理局としてはそれで良い。後の責任は局長一人で被れば済むことだ、と彼は思った。タンが誘拐されたのは、クロエルの責任ではないし、ジョン・ケリーの失敗でもない、ニュカネンの落ち度でもないのだ。
 ハイネは秘書達を帰して、一人執務室に残った。取り敢えず業務記録をコンピュータに登録した。セイヤーズがそろそろ飛び立つ頃かと思っていると、保安課から電話が入った。

「ハイネだ。」
「局長、航空班チーフから電話です。」

 航空班とは? セイヤーズが乗る筈の静音ヘリに何か問題でも生じたのか? ハイネは嫌な予感がして、電話に出た。

「ハイネだ。」
「局長・・・」

 航空班チーフが困惑顔で画面に現れた。

「静音ヘリが一機、消えてしまったのですが、どーなっているんでしょうか? 出動命令が出たので準備した機体ですが・・・パイロットは全員いるのですよ、ここに・・・」

 ローガン・ハイネは胃が痛むのを感じながらも、笑ってしまった。

誘拐 2 1 - 6

 リュック・ニュカネンからデータ送信を依頼する電話が掛かってきたのは夕方だった。最初のクロエルの通報から4時間も経っていた。その間、ハイネは2名の秘書と共に弱々しく瞬くパトリック・タンの生命の光を見守っていたのだ。
 ニュカネンはレインの到着を待って、病院に収容されたダウン教授とヒギンズ捜査官の事情聴取を行ったと告げた。

「レインの接触テレパスで、ダウンが事件の鍵を握る人物であることは間違いないようです。ただ、物的証拠がないので逮捕出来ません。」

 ニュカネンは淡々と事実を語った。

「ヒギンズは気絶させられて何が起きたのか、まだ理解していません。怪我がないので、出張所に連れ帰り、休ませています。
 所長室のデータ受信の準備が整いましたので、送信をお願いします。」

 無駄のない語り口だったが、そこでふと口をつぐみ、それから静かに質問してきた。

「タンはまだ生きていますよね?」

 ハイネは努めて力強く応えた。

「ああ、生きているぞ。君達の近くにいる。」

 ニュカネンが一瞬笑顔になりかけた。ハイネはまだ早いと思い、「切るぞ」と告げて通話を終えた。そしてデータ送信ボタンを押した。
 それからたっぷり10分後に、今度はポール・レイン・ドーマーから電話が掛かってきた。ネピアが保安課から取り次ぎ、ハイネは電話に出た。

「ハイネだ。」
「局長、レインです。」
「タンは見つかったのか?」

 これは、タンの居場所の特定が出来たかと言う意味だ。レインが応えた。

「位置は確定出来ました。まだ生存していますが、ややこしい場所に連れて行かれたようです。それで、お願いがあります。」
「救出に必要な提案と言うことか?」
「そうです。」

 レインは一息置いてから、ダメ元で上司に頼んでみた。

「セイヤーズをこっちへ寄越して下さい。彼にタンを救出させます。」

 ハイネは、レインならそう来るだろうと予想していたので、ちょっとだけ安堵した。

「セイヤーズを誘拐しようと企んだ連中に捕まったタンを、セイヤーズに救出させるのか?」
「そうです。彼は1度トーラス野生動物保護団体ビルを訪問しています。恐らくビル全体の構造を理解しています。中に居る人間も記憶しているでしょう。」

 場所はトーラス野生動物保護団体の本拠地か。ハイネは富豪の団体とFOKの繋がりがしっくり来ないと感じた。何故、富豪がドーマーを攫う必要があるのだ?

「策士レイン、セイヤーズを使う他にも何か策があるのだろうな?」
「あります。囮捜査官はまだ有効なので、ヒギンズに陽動作戦に出てもらいます。本物と偽物のセイヤーズに同時に動いてもらって、敵を混乱させます。」

 ハイネは数秒間沈黙した。成功率を考えたのか、それとも安全性を考えたのか。 現地にいる3人のドーマーと元ドーマーは局長の返答を緊張しながら待った。
 やがて、ハイネは呟いた。

「どうせタンが誘拐された時点で俺が叱られるのは目に見えていたからなぁ・・・」

 彼は、ケンウッド長官の怒りを想像しているのだ。ドーマー達を誰よりも大切に思ってくれるあのコロニー人を心配させたくないのだ。
 画面の中のレインが切ない表情になった。彼もケンウッドのドーマーに対する愛情を痛いほど理解出来る男だ。
 ハイネは部下達の勇気を奮い立たせねばと、自らを叱咤して、レインに告げた。

「セイヤーズを派遣させる。君達はしっかり彼を守ってサポートしろ。次は誰1人怪我したり攫われたりするなよ。」

 

誘拐 2 1 - 5

 ハイネは衛星からパトリック・タン・ドーマーの生体信号を引き出した。ドーマー達の脇の下に埋め込まれた小さな発信機は、人間が生きている間は電波を発し続ける。地球ではそれを感知する技術がないのだが、宇宙では行方不明者捜索用に広く用いられているので、どんな微少な信号でも拾えるのだ。
 局長執務室の中央にある会議用テーブルの上空に白い点が現れ、その周囲に建物の壁が築かれ始めた。2人の秘書がそれを見つめた。
 
「どこかのビルですね。」

と第2秘書のアルジャーノン・キンスキー・ドーマーが呟いた。

「タンはまだ生存しています。敵はどんな意図で彼を拉致したのでしょう。」
「馬鹿者どもの考えなど、理解出来ないさ。」

とネピア・ドーマーが忌々しげに呟き返した。ネピアは南米班で局員として働いていた時代、多くの悲惨な事件現場を見てきた。それらは遺伝子には関係ない、強盗や暴動の現場が大半で、無慈悲に殺害された犠牲者の身元確認に遺伝子管理局が呼ばれたのだ。あの胸の悪くなる光景は、今でもネピア・ドーマーの記憶に刻み込まれて消えてくれない。だからネピアは人間の命を軽々しく奪う輩を心から憎んでいる。暴力は犠牲者にも遺族にも捜査官にも深い傷を残すのだ。
 ハイネは無言のまま、地図を縮小して、タンが誘拐された大学までを表示した。またキンスキーがそれを見て発言した。

「誘拐現場から近いです。」
「市内ですね。」

 ネピアも局長を見て言った。

「敵は大胆なのか、本当にアホなのか、兎に角、タンを遠くに運ぶ時間はなかったようです。」
「或いは、そこが敵の本拠地で見つからないとたかを括っているか、だな。」

 ハイネは端末を見た。まだニュカネンからもレインからも連絡は来ない。
 彼はケンウッドの番号を出し、数秒間躊躇って、それを消した。そしてヤマザキ・ケンタロウの番号にかけた。

「ヤマザキだ。」

と医療区長の呑気な声が応えた。

「どうした、ハイネ、腹でも痛むのか?」
「痛むのは心です。」

とハイネは言った。

「ドクター、救急体制はいつでも用意万端ですよね?」
「なんだ、藪から棒に?」
「24時間以内に患者を届けます。」

 ハイネは冗談を言わない。少なくとも、医者にそんな冗談は言わない。ヤマザキは外勤務のドーマーに何かがあったと察した。

「患者は一人だな?」
「そう願っています。」
「では、少なくとも3人分、用意しておこう。」
「一人に留めます。」

 ヤマザキが優しく言った。

「君達を信じているよ、局長。」

誘拐 2 1 - 4

 クロエル・ドーマーは北米南部班第1チームリーダーでチーフ副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーと合流するので、また連絡しますと言って通話を終えた。
 ハイネは椅子に全身を預けて暫く・・・10秒間・・・放心した。数ヶ月前にもポール・レイン・ドーマーがメーカーに誘拐されたが、あの時は、敵のラムゼイがレインの価値を知っている人間だと言う思いがあったので、レインを殺害したりしないと心の何処かで確信していた。しかし、今回の敵は違う。まだ実態を掴めていない殺人集団だ。

 何故、囮捜査官ではなく、俺の部下を攫ったのだ?

 怒りが込み上げてきた。どの子も可愛い。子供を傷つけられて平気な親がいるものか。
ハイネが身を起こした時、また端末に着信があった。ネピアが告げた。

「ニュカネンから通信です、局長。」

 ネピアもハイネの只ならぬ表情に異常事態を感じ取っている。クロエルに続いて出張所所長から通信が入るのも、その事件の重大さを物語っていた。
 ハイネが電話に出ると、リュック・ニュカネンが現れた。

「クロエルから連絡がありましたね?」

と彼は挨拶もそこそこに尋ねた。ハイネが「あった」と答えると、彼はまた尋ねた。

「詳細報告をしてよろしいでしょうか?」

 クロエル・ドーマーの興奮状態を見ているので、局長に細部を伝える余裕はなかっただろうと、堅物ニュカネンは素早く判断したのだ。ハイネはニュカネンの落ち着きを有り難く感じた。

「頼む。報告せよ。」

 リュック・ニュカネンは、クロエルと警察から聞いた話だと前置きして、事件の経過を語った。ヒギンズがセイヤーズだと信じるダウン教授から息子に会わせると連絡をもらったヒギンズが一人で打ち合わせ場所の礼拝堂に入った。クロエルが後からそこへ行こうとして、学生運動家に足止めを食らった。学生達は遺伝子管理局にクローン虐待を止めろと詰め寄ったのだ。クロエルが仕方なく相手をしていると礼拝堂で銃声が聞こえ、クロエルは中に駆け込んだ。彼はそこで負傷した連邦捜査官と薬品で気絶させられているヒギンズを発見した。誰かが礼拝堂の奥に逃げ込む気配もあった。クロエルは直ぐに駆けつけた応援に2名を託した。その時、タンから電話が掛かってきて、西隣の学舎に来てくれと言われた。クロエルは礼拝堂と学舎をつなぐ地下通路があるのに気が付いた。入り口付近にはダウンが倒れており、彼女も薬品で気絶していた。
 クロエルはダウンも警察に託して、地下通路から西隣の学舎に入った。そこで死体を見つけてしまった。通報して来たタンの姿が見えず、端末に電話をかけると、タンの端末は近くの床に落ちていた。

「クロエルは地下通路から出た時に、車が走り去る音を耳にしたと言っています。タンはその車で拉致されたと推測されます。」

 ニュカネンの落ち着きのある声を聞いているうちに、ハイネも冷静を取り戻した。

「タンは一人で行動していたのか? 2名1組で行動する規則を守らなかったのか?」
「私もそれをワグナーに問いました。」

 規則重視のニュカネンは言った。

「タンはジョン・ケリー・ドーマーと組んで行動していたのですが、彼等も例の学生運動家達の妨害を受け、いつの間にか離れてしまったそうです。ケリーはタンが近くに居るものと思い、連絡可能な場所だからと油断していました。」
「ケリーは無事なのだな?」
「彼は無事です。しかしタンが行方不明と知って、ショックを受けており、現在出張所で待機させています。」

 ニュカネンは、その場の指揮官から主導権を取るつもりはなく、クロエルが落ち着くのを待ちます、と言った。

「ワグナーがレインに連絡をとりましたので、レインも間も無く到着します。私は彼と病院でヒギンズとダウンから事情聴取します。現場はクロエルとワグナーに任せます。」
「うむ。」

 ハイネは自分が出来ることを素早く考えた。

「私はタンの生体信号を拾う。彼が生存しているなら、居場所は直ぐに特定出来る筈だ。そちらの準備が整ったら、連絡をくれ。データを送る。」
「わかりました。よろしくお願いします。」

 通信を終えると、ハイネはこの事件をケンウッド長官に報告すべきかと考え始めた。





誘拐 2 1 - 3

 保養所設置の案は、ローガン・ハイネ・ドーマー個人にはどうでも良いことだったが、若い部下達には必要だろうし、きっと仕事以外の目的でドームの外に出かけることに慣れれば喜ぶだろう、とハイネは思った。地球人類復活委員会が保養所の次にどんなアイデアを持ち出してくるのか、それはハイネにもまだ見当がつかなかった。しかし、外で生活することを最終目標にするのだから、外で寝泊まりしてドームに通勤すると言う考えもあるのだ。ドームはまだその存在を必要とされる施設だ。地球人の女性達は安心してお産に望める施設として、病院よりもドームを選択したがる。コロニー社会も折角200年間続けた施設運営をあっさり終わらせることを渋っている。出資者様達はドームが本来の役目を終えた時に、別の目的の施設として運営することを考え始めるだろうし、その場合の労働者としてドーマーが必要とされるだろう。

 もっとも、その時代になる頃には、流石の俺もこの世にはいないだろうさ

 ハイネはくよくよ考えることを止めて、執務室に戻った。午後の業務である報告書を読もうと机の前に座った途端、第1秘書のネピア・ドーマーが保安課からの連絡を受けて、局長に声を掛けた。

「局長、クロエルから緊急通信が入ってきました。」

 ハイネは端末を出した。画面にクロエル・ドーマーが現れた。顔面を端末に押し付けんばかりの近距離で、若い中米班チーフが感情を抑えた声で言った。

「局長、パトリック・タンが行方不明になりました。」

 一瞬、なんのことかハイネは解せなかった。
 クロエルは連邦捜査局の囮捜査官ロイ・ヒギンズと共にテロリストを装う殺人集団FOKの捜査の為に、北米南部班の局員を装ってセント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンに週一で通っていた。ヒギンズはダリル・セイヤーズ・ドーマーに扮している。セイヤーズは希少遺伝子保有者として故サタジット・ラムジー博士の資料に記載されており、それを読んだはずのFOKがセイヤーズを狙っているだろうと言う推測の元に囮を立てたのだ。果たして、FOKの首謀者と連邦捜査局が考えているセント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウン教授がヒギンズとクロエルのコンビに接近してきた。ヒギンズは故意に敵に捕まってその尻尾をつかもうと言う危険な計画だ。そして、クロエルの最終報告では、ダウンがヒギンズが扮する偽セイヤーズに、行方不明のセイヤーズの息子を発見したので会わせると連絡してきたので、これから面会する、と言うのだった。
 パトリック・タン・ドーマーは北米南部班の局員で、クロエル達のサポートとして近くに待機している筈だ。それが行方不明とは?

「行方不明とは?」

 思わずハイネは尋ね、それから嫌な予感を覚えた。
 クロエルが端末を振り、周囲の風景をちらりと見せた。警察の規制線や、制服警官、救急隊員の姿が見えた。スーツ姿の男は、出張所所長、リュック・ニュカネン元ドーマーだ。

「ヒギンズがダウン教授と接触したのですが、何か手違いがあったらしく、現場が混乱しています。捜査官が一名、銃で撃たれて負傷、ヒギンズとダウンは薬品を嗅がされて意識不明ですが、命に別状ありません。今、病院に搬送するところです。」
「タンは・・・」

どう関わってくるのかとハイネが尋ねる前にクロエルは早口で言った。

「タンが僕に電話で来てくれと要請してきたので、その場所に行ったら、2人分の死体がありました。クローンだと思われます。そして、その場に居た筈のタンが何処にも居ないのです。端末が床に落ちていました。僕に連絡をした直後に何者かに襲われて拉致されたと思われます。」

 ハイネは心の中で待ってくれと叫んだ。何がどうなっているのか、頭の中で整理がつかない。わかったことは、唯一つ・・・

 俺の部下が何者かに攫われた!




誘拐 2 1 - 2

 出張から戻ったケンウッドは早速遺伝子管理局長ローガン・ハイネとドーム維持班総代ジョアン・ターナーを呼び、保養所設置案を提案してみた。ドーマーを外の世界に慣らして行く計画の発端だと言うことも忘れなかった。
 ハイネは局員が普段から外へ出かけているのであまり関心なさそうに見えた。ターナーの方は外に出る機会がないドーマー達がどんな反応をするかと心配した。

「みんな外の世界に関心はあるのですが、その一方で大気や細菌が怖いのですよ。」
「地球人なのだから、慣れれば平気だろう。」

とハイネが呟いた。その彼はもう年齢的に細菌への耐性が期待出来ない肉体になっている。医療区長のヤマザキ・ケンタロウは時間をかけてゆっくりと慣らして行けばハイネも外に出られると可能性を唱えているのだが、他の執政官達はこの美しい老ドーマーにそんな冒険をさせたくなくて反対しているのだった。

「予算の問題があるので、すぐにとは言わないが、2、3年のうちに保養所を使えるようにしたいのだよ。」

とケンウッドは言った。

「だから、最初は『通過』を終えたドーマーで、仕事に余裕のある者、現役指導に就く年齢の者たちから始めようと思う。彼等に先ず場所を選んでもらう。保養所だから、ドームから離れた場所、しかし万が一の時はすぐにこちらから救援に行ける距離が良いだろう。一般市民との距離も遠からず近からずの場所だ。」

 一度も外に出たことがないハイネと、外に出る仕事は多いが滅多にドームから離れたことがないターナーは顔を見合わせた。

「航空班の協力が要りますね。」

とターナーが言った。

「すぐに救援に行ける交通手段としては、ヘリコプターが一番でしょう。車ではドーム周辺のシティの交通渋滞などを考えないといけませんから。」
「交通渋滞?」

 ハイネは聞き慣れない言葉に思わず総代の言葉をリピートした。そうだ、ドーム内部では乗り物がない。多くのドーマーは交通渋滞なるものを知らないのだ、とケンウッドは気が付いた。

「車が一箇所に集中して走行がスムーズに行かなくなる状態だよ。」

とケンウッドはさりげない風を装って説明した。ターナーも大先輩が実は外の世界にはほとんど無知なのだと思い出したので、優しく例え話を出した。

「ほら、食堂の配膳コーナーで混み合って前に進めないことがあるでしょう? 外の道路でもそう言うことが頻繁に起きるんですよ。車は人間みたいな融通が利かないから、なかなか前に進めなくて、みんな苛々するんです。」

 そう言うターナーも渋滞の経験は資材購入で遠出したほんの2、3回しかなかったので、それ以上詳しく語ることはなかった。
 ああ、とハイネが頷いた。

「それなら、ヘリで行ける場所が良いですな。」
「どうだろう? 保養所設置に協力してくれるね?」

 ケンウッドは期待を込めて両名を見た。ハイネが小さく頷き、ターナーも「はい」と答えた。