2021年4月9日金曜日

Break 29

 とうとうニコラス・ケンウッドも年貢の納め時(笑)

彼のミドルネームがライオネルだと明かされたところで、いつもの登場人物紹介(登場順)


ゲイリー・ピッツバーグ

コロニー人執政官。
地球人類復活委員会が採用した最後の遺伝子学者グループの一人。専門は細菌学。
まだ若いが、一応「親」としての振る舞いは心がけている。しかしドーマー達からタメ口を聞かれているようだ。


ライリー・コードウェル・ドーマー

ネピア副局長の秘書。
副局長は新設の役職なので、その秘書も新設となる。
新しく局長第2秘書になったダリル・セイヤーズとは同列になるが、若いので幹部会議では下っ端扱いだ。
喘息の遺伝子を持っているので外勤務の経験はないが、内勤職員として優秀だったので秘書に採用された。


ハマー・ブライト・ドーマー

遺伝子管理局内務捜査班チーフ、コリン・エストラーベンの秘書。
歴代のチーフの秘書はほとんど内勤職員に紛れて目立たなかったが、エストラーベンは自分の執務室に秘書を置いている。セイヤーズとは対等に口をきく。


べサニー・ロッシーニ・ドーマー

保安課員。
元遺伝子管理局内務捜査班チーフでリプリーとケンウッドの2代のドーム長官の秘書を務めたジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが最後に育てた若いドーマー。
自ら希望して保安課に入った。養育係だったロッシーニを「父」と呼び慕っている。
セイヤーズ達から見れば、まだまだ子供。


クララ・ボーマン

第2世代アメリカ合衆国大統領
ハロルド・フラネリー大統領の下で副大統領を務め、息子のスキャンダルでフラネリーの後任候補から外された苦い経験を持つ。
ケンウッド長官とは良好な関係を築いている。政治学者でもある。




2021年4月8日木曜日

星空の下で     31

  シュリー・セッパーは2つのカクテルグラスを持ってウッドデッキに出た。木製のベンチに座ったケンウッドが星空を眺めている、その隣に座り、グラスの片方を彼に差し出した。ケンウッドはグラスを見て、彼女を見て微笑んだ。グラスを受け取り、一口甘酸っぱいカクテルを口に含んだ。彼が満足そうに頷くのを確認して、彼女は安心して自分のグラスに口をつけた。

「ハイネを同伴出来なかったのは残念だ。」

とケンウッドが呟いた。シュリーは彼の肩にそっともたれかかった。

「いいの、焦る必要はないわ。それに局長がここへ来たら、彼の世話にかかりっきりになってしまうでしょ。」
「ハイネはそんなに手はかからないよ。」

 ケンウッドは苦笑した。ローガン・ハイネは大人だ。好奇心は強いが、見知らぬ土地で無闇に動き回って周囲に心配をかけたりしない。ケンウッドやシュリーが気にかけなければならないのは、彼の肺だけだ。

「局長の脚はもう治ったの?」
「まだ完治していないが、ギプスは薄い物に交換してもらったらしいよ。普通に歩けるので、若いドーマーや執政官達は彼が骨折したことを知らずにいる。ただ、彼がジョギングや格闘技の練習をしなくなったので、不審に感じる者はいるがね。」
「まさか運動量を減らした為に太ったってことはないでしょうね?」

 シュリーの懸念にケンウッドは思わず笑った。

「大丈夫だ。ケンタロウとサヤカが抜かりなくハイネの栄養管理をしている。妻と親友が医者だと不健康な生活はしたくても出来ないんだよ。」

 そうなんだ、とシュリーが笑いながら納得した。

「もし局長が太ったら、ママが絶対に許さないでしょうから。ママにとって局長はこの世で最高の男性なのよ。欠点があっては駄目なの。」
「キーラにとってハイネが最高の男性だって? それじゃヘンリーは2番目かい?」
「パパは特別、別格なの。比較になる人はいないのよ。」

 シュリーはケンウッドの横顔を見つめた。

「私には貴方が別格の人よ、ニコ。」
 
 ケンウッドが振り返ると、彼女が素早く唇にチュッとキスをした。ケンウッドは暗がりに座っていて良かった、と思った。年甲斐もなく頬が熱く、恐らく赤くなっている筈だ。

「君にそんな風に言ってもらえて光栄だよ、シュリー。」
「私こそ偉大なるニコラス・ライオネル・ケンウッド博士に認めてもらえて光栄だわ。」

 シュリーは珍しく少し躊躇ってから続けた。

「成人すると両親の姓のどちらかを選ぶことになっているけど、私はセドウィックもパーシバルも選べないわ。つまり、どちらも捨てられないってこと。私はママもパパも大好きだし、どっちの親戚も大好きなの。」
「だからセッパーを名乗っているんだろ?」
「そうだけど・・・」

 彼女は彼の目を真っ直ぐに見た。

「シュラミス・ケンウッドになっては駄目?」

 ケンウッドは目をパチクリさせた。

「君は両親の姓を両方とも捨てるのかい?」
「そっちの方が公平でしょ? ママとパパにはシャナとローガンがいるわ。あの2人にセドウィックとパーシバルを継がせれば良いわ。それにどっちも親戚が同じ姓を名乗っているし。」
「そりゃ、君がどんな姓を使おうが法律が許可しているから構わないが・・・」

 ケンウッドは試しに尋ねた。

「シュラミス・ハイネを名乗る気はないのかな?」
「ないわ。」

 実にあっさりとシュリーは否定した。

「シュラミス・ヤマザキが有り得ないのと同じくらい、シュラミス・ハイネは有りません。」

 彼女は自分のグラスをベンチに置いて、ケンウッドのグラスを持っていない方の手を取った。

「子供の時からずっとシュラミス・ケンウッドになりたかったのよ。」

 ケンウッドは微笑んだ。彼もグラスを置いて、空いた手で彼女の手を抑えた。

「こんな年寄りでも構わないんだね?」
「こんな小娘で構わないのでしょ?」

  ケンウッドは頷いて、彼女の手をそっとほどき、自分の端末を出した。

「見せたい物があるんだ。」

 シュリーが端末の画面を覗くと、そこにアパートの見取り図が表示されていた。

「ドームシティにある物件なのだが、ドームを挟んで空港と反対側にある。野原に面しているんだ。ドーム・ゲイトと空港からはちょっと遠いが、車で20分だ。バスもある。買い物も不自由しない。コロニー人でも借りられるんだよ。」

 シュリーが顔を上げてケンウッドを見た。ケンウッドは説明を追加した。

「君さえ良ければ、今週末にでも契約しようと思うのだが・・・」

 シュリーが首に抱きついてきた。

「明日、一緒に現物を見に行きましょう!」
「明日?」
「そう、明日。他の人が契約してしまう前に、お部屋を見て決めましょう。」

 ケンウッドは彼女の体に腕を回した。

「私は無骨なので指輪を選べなくてね・・・この部屋が指輪代わりなんだ。」
「わかってる。」

 シュリーは涙をこぼすまいと努力しながら言った。

「子供の時からずっと貴方を見てきたのよ。わかってるわ、ニコラス。」

 



2021年4月5日月曜日

星空の下で     30

  アパートに帰るハイネ・アイダ夫妻と別れてから、ケンウッドとヤマザキは運動施設へ足を向けた。歩きながらヤマザキが昼間の話を持ち出した。

「インフルエンザのことなんだが・・・」
「うん?」
「発生源はどうやら家畜市場らしい。」
「家畜市場か・・・ありそうな話だな。」
「うん。豚の風邪からウィルスが変異して人間に拡がったと国立疾病対策センターは分析している。」
「その変異に人間の手が加えられている疑いはないのだね?」
「現在の所はね。患者は牧場関係者、家畜商、彼等から家族や友人など市中に拡がった。だが症状が軽く、従来のワクチンで事足りたので全米に知られるようなニュースにならなかった。州の3分の1の範囲で感染を食い止められたので、州政府も国立疾病対策センターに終息宣言を出したそうだよ。」
「それなら良かった。」

 ケンウッドはホッと胸を撫で下ろした。ポール・レインが中央アジアで聞き込んだ製薬会社の陰謀ではないかと内心危惧していたのだ。宇宙の製薬会社が自社製の薬の効果を試すために地球人に病原菌を与えて実験しているのではないかと心配だった。
 彼の心の中を見透かしたかのようにヤマザキが言った。

「僕等は地球を防衛する為にここにいるんじゃないよ、ケンさん。地球人を絶滅から救う為にいるけど、外部からの干渉に僕等がとやかく言う権限はないんだ。」
「だが、もし地球人や地球の生物を使ってコロニーの人間が実験を行うとしたら、それに気が付いた者が何とかしなきゃいけないだろう?」
「通報は出来るさ。だが捜査は駄目だ。それは君がドーマー達にいつも言っていることじゃないか。」
「通報するにしても、証拠がないと・・・私達は曲がりなりにも科学者だ。科学的根拠のない疑いを通報する訳に行かないよ。」

 喋りながら、ケンウッドはふと背後に人の気配を感じた。実は食堂を出て暫くしてからずっと後ろをついて歩いている人物がいたのだ。歩きながら振り返ると、ダリル・セイヤーズがいた。遺伝子管理局の局長第2秘書のセイヤーズが、ケンウッドと目が合うとニッコリして、こんばんは、と挨拶した。ケンウッドは彼がケンウッドとヤマザキの会話を聞いていたに違いないと確信した。

「セイヤーズ、立ち聞きはよくないぞ。」

と言ったが、特に怒った訳でなかった。セイヤーズも長官の眼差しや口調でその辺の所は承知していて、すみません、と素直に謝った。

「ジムに行くつもりで後ろを歩いていたら、自然に耳に入ってしまいまして。」

 ヤマザキが横へ来いと手で合図したので、セイヤーズは2人の最高幹部執政官と並んで歩くことになった。ヤマザキが尋ねた。

「あれからレインは何か言ってきたか?」
「情報漏洩の件ですか?」
「うん。公式な発表を中央アジア・ドームはしないと言っていたが、情報を買った企業の何か噂のようなモノを彼は聞いていないのか?」
「何も聞いていないようですね。それに彼とJJはそろそろ次の巡回地である東アジア・ドームへ出かける準備に追われているようです。」
「南アジア・ドームには行かないのかね?」

 ケンウッドは自分でもどーでも良いことを訊いてしまった。セイヤーズが苦笑した。

「レインはスパイシーな食べ物が苦手なので、南は後回しにしたようです。いずれは行かなきゃならないのですがね。」
「巡回の順番はレインが決めるのか?」
「JJは地理が苦手なんです。DNAマップは読めるのに、地理マップはちんぷんかんぷんで・・・」

 誰にでも苦手なものがあるのだ。ケンウッドは微笑ましく思えた。ハイネは虫、レインは香辛料、JJは地理・・・

「セイヤーズ、君の苦手は何だね?」

え? とセイヤーズがケンウッドの顔を見た。

「私の弱点を知ってどうなさるおつもりですか?」

 ケンウッドは吹き出した。

「ただの好奇心だよ。レインは香辛料とか刺激の強い味の食べ物が苦手なのだろう、それは知っているよ。彼との付き合いは長いからね。JJは地理か・・・狭い家で育ったから空間の読み取りが苦手なんだな。まぁ、世界旅行をしているうちに慣れてくるさ。それで、君は何が苦手なのかな?」

 セイヤーズは周囲を見回した。ちょっと声を低めて、

「内緒にしてくれます? 特にクロエルには言わないと約束して下さい。」

 ヤマザキが笑った。

「言わない。約束する。」
「私も約束する。」

 セイヤーズは覚悟を決めて告白した。

「虫です。地面の上を這いずったり、葉っぱの上にいたりするヤツ等。」

 ケンウッドとヤマザキは顔を見合わせ、プッと吹き出した。セイヤーズが不安そうに尋ねた。

「可笑しいですか? 息子にもよく馬鹿にされますが・・・」
「いや、ごめん、ごめん、君を笑ったんじゃないんだ。」

 ケンウッドも周囲を見回して安全確認をしてからセイヤーズに囁いた。

「これは秘密だ。ローガン・ハイネも虫が怖いんだ。」
「えっ! そうなんですか!」

 セイヤーズは心なしか安堵した様子だ。ヤマザキが解説した。

「虫が存在しないドームの中で育ったからなぁ、ドーマーの多くは虫が怖い物に見えるんだろう。僕等もあの奇妙な生物について君達に何も教えなかった。」
「コロニーにも虫はいないでしょう?」
「いないことになっているが、農業をしているスペースには作物の生育の為に必要な昆虫を放っているし、法律の目をかい潜ってペットとして飼育したり売買する連中がいる。そこから逃げ出した虫が繁殖して困ったことになっているコロニーもあるんだよ。それに子供の学習教材に地球生物の生態や標本を使うから、コロニー人は意外に虫や昆虫を知っている。もちろん、多くのコロニー人は地球へ来て初めて実物を見るんだけど。」
「息子は私が農業に執着する割に自然の生き物に無知だと笑うんです。事実なので、反論出来ませんが・・・」

 彼等はジムの入り口に着いた。ケンウッドが提案した。

「たまにはスカッシュでもやってみないか、諸君?」

 スカッシュはセイヤーズの息子ライサンダーがローガン・ハイネに教わって得意種目にしているスポーツだ。セイヤーズが頷いた。

「いいですね! 球技はあまり得意じゃないんですが、人並みには出来ますよ。」

 進化型1級遺伝子危険値S1保有者のセイヤーズは格闘技では誰にも負けない。相手の筋肉を見て瞬時に次の動作を予測出来るからだ。しかし球技はボールの動きを読めない。速度や角度を計算出来るのだが、彼自身の「投」の技がイマイチなのだ。それは彼の射撃がド下手であることも同じだ。投げる、撃つ、はセイヤーズの苦手分野だった。だから、ラケットでボールを打つスカッシュは、彼は普通の人以下の腕前で、ケンウッドやヤマザキと対等に競い合えるのだ。
 3人は球技場へと足を運んだ。






2021年4月4日日曜日

星空の下で     29

  その日の夕食は、アイダ・サヤカ博士が加わり、ケンウッドとヤマザキ、ハイネの4人で一般食堂で取った。アイダは殆どの食事に中央研究所の食堂を使うが、本当は一般食堂の方が好きで、勤務明けはこちらへ来たがるのだ。ガラス越しに妊産婦を見ながら食事するのは、仕事の延長の様に感じて嫌なのだろう、とケンウッドは思う。それにドーマー達の「母親」として、幹部クラスの者しか使えない食堂より大勢の一般のドーマー達と同じ場所で食べる方が楽しいのだ。
 ケンウッドが保養所に出かけるドーマー達に紫外線対策の講義を行いたいと言うと、彼女は賛成した。出産管理区で働いているドーマー達は肌が綺麗で外からやって来る女性達に羨ましがられる。しかし最近保養所へ出かけて戻って来た職員が日焼けしていることが多く、それは特に問題ではないのだが、彼等を生まれた時から見てきた執政官としては気になるのだった。

「女性達に出産後の美容指導を行なっていますが、ドーマーにもそれをしなければならないのはご免ですよ。」

と彼女は笑った。

「男でも美容に気を遣う連中は本当に熱心だけどね。」

 ケンウッドは大学を卒業した後の数年間化粧品会社のお抱え科学者をしていたので、コロニーで化粧をしたがる男性が多い事情を承知していた。男でも皮膚の手入れが疎かだと女性にモテないと信じている連中が少なくないのだ。
 ヤマザキはケンウッドが講義の時間を割けるのかと心配したが、反対はしなかった。ハイネが彼に保養所へ出かけるドーマーに感冒予防の指導をしていましたね、と尋ねた。うん、とヤマザキは横目で彼の皿の上を見ながら答えた。

「昔ながらの手洗いと消毒の推奨だけだよ。これも講義をしなければいけないのかな?」
「注意書きを端末に送るだけでしたか?」
「そうだよ。風邪を引いたらどれだけ身体的に辛いか、『通過』を受けている者の動画を見せるんだ。咳に鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、悪寒、そう言う症状を紹介してやると、みんな真面目に予防に努めてくれる。」
「抗原注射はまだ続けているの?」

 アイダの質問にハイネとヤマザキが「イエス」と答えた。ハイネが先に説明を補足した。

「但し、現在は希望者だけにしています。『通過』は以前から希望者のみでしたが、現在は外に出かける回数を増やすことによって自然に抵抗力をつけることを優先にしています。」
「そのうち、養育棟の子供達を外に出すことも考えているんだ。」

とヤマザキが言って、一同を驚かせた。取り替え子は廃止の方向になっており、ドーマーの新規採用は中止になっている。だが現在養育棟で育てている子供達の出身を外部の人間に明かすことは出来ない。

「どう言う名目で子供達を外に出すのです?」

とハイネが尋ねた。ヤマザキは笑った。

「遠足だよ。遊びに連れ出すだけさ。ちゃんと養育係も一緒に出かける。だから、養育係を先に外の世界に慣れさないといけないな。彼等は歳を取っているから、外の世界に抵抗がある人もいるだろうし、抗原注射が無理な年齢の人もいる。ハイネ、君が外に出かける時に着用するマスクが活躍すると思うよ。遠出はさせないから安心してくれ。ドーム周辺の原っぱで走り回らせておくだけさ。」

 彼はケンウッドの顔を見た。

「いいだろう? ケンさん、次の執政官会議で了承を求める手続きをしておく。養育棟の執政官達とは既に話を詰めてあるんだ。子供達を外部の人間と接触させることはまだしないよ。」

 ケンウッドは頷いた。

「わかった。確かに外気に慣れさせるには幼少期からが最適だ。虫や小動物にも慣れさせないとね。」

 アイダがハイネを見てクスッと笑ったので、ハイネが「なんです?」と訊いた。彼女が彼と一緒にドームの外へ散歩に出かけた時のことを思い出したのだ。

「ローガン・ハイネはお花を摘もうとしてお花に小さな昆虫が付いているのを見てから、植物に触れなくなったんです。」
「サヤカ! 今そんなことを思い出さなくても・・・」

 ハイネが狼狽えたので、ケンウッドとヤマザキは思わず笑った。

「確かに・・・コロニー人も同じ体験をするんだよ、ハイネ。でも小さな生物が害をなさないとわかれば平気さ。たまには刺すのもいるがね。」
「地球人でも虫を怖がる人は大勢いるよ、サヤカ。女性は特にね。君は平気なのかい?」
「私は平気なんです。多分、妊産婦達から外のことを色々教えてもらってきたからでしょうね。シンディなどは外にアパートを借りて毛虫を育てていますよ。蝶に羽化する場面を見るのが堪らないそうです。」

 あの大人しいシンディ・ランバート博士が? とハイネがびっくりして見せた。ヤマザキが彼に言った。

「負けるなよ、ハイネ。君ならカブトムシがお似合いだ。」
「カブトムシ?」
「後で写真を見せてあげるよ。成虫がかっこいいんだ。」
「あれは臭いのよ。幼虫は毛がない毛虫みたいな形で、腐った木屑の中で育つの。」
「け・・・結構です。」

 ハイネが身震いして見せ、テーブルの一同はまた笑った。

 



星空の下で     28

 2人目の職員は殆ど外で作業していたと答えた。顔も腕もよく日焼けしていたので、ケンウッドが日焼け止めクリームで保護しなかったのかと尋ねると、紫外線遮断クリームは塗ったが、肌の色を小麦色にしたかった、と言う答えが返ってきた。

「まさか全身を焼いたんじゃないだろうね?」
「休憩時間に裸になりましたよ。」

 若者は危険なことをしたと言う意識がなかった。 ケンウッドは色素の増加や細胞の変化を観察する必要があると彼のリストにコメントを入れた。
 結局7人の若い職員達は日光や外気にあまり恐怖感を持っていないことが判明した。外で暮らしている一般の地球人が平気なのだから、自分達も大丈夫だと言う意識だ。ドームが外の人間とドーマーの寿命や老化速度の違いを説明しても、保護クリームや紫外線遮断素材の衣料品を着用していれば大丈夫だと考えていた。

「クリームも衣料品も、ドームが支給しているから使用出来るのだと言う認識が不足しているね。」

とケンウッドは射撃訓練所の主任にこぼした。主任が頭を掻きながら言い訳した。

「連中はここへ帰ってくるのですから、自分達が守られていると言う意識が欠如しているのですよ。外の店で同じ物を探しても見つからないと、理解していないのです。」

 主任はちょっと悪戯っぽい目で長官を見た。

「一度、何も持たせずに行かせてみますか?」

 ケンウッドはびっくりした。そんな危険なことを、と言いそうになって、言葉を飲み込んだ。ドーマーを社会復帰させるのは、その「危険」を承知の上で行うことだ。元ドーマーと同じく、彼等はドームの保護がない場所へ出て行こうとしているのだ。同胞と同じ地球人として。

「医療区やターナー総代の意見も聞いてみるよ。」

と彼は答えた。

「短期間の生活で彼等の寿命が変化することはないが、我々の方では対処する準備が必要だから。保養所運営はまだ実験段階と言っても良い始めたばかりの試みだ。ドーマー達に混乱や我々に対する不信を生じさせたくない。今の世代の君達には、私達地球人類復活委員会がしっかりサポートしていると信じていて欲しいんだ。」
「みんな、執政官が私達を守って下さっていることを信じていますよ。だから、今回の出張グループがちょっと羽目を外したんです。何かあればすぐ救援の手が差し伸べられる。その証拠に、今日は長官が検査に来て下さったでしょう? もし保護クリームなしで皮膚に炎症とか起きても長官がお薬を塗って下さると甘えているんです。」

 ケンウッドは思わず苦笑した。

「軽い炎症なら良いがね・・・ビーチで肌を焼いて水膨れが出来た人もいるのだよ。あれはコロニー人だったが、外で育つ地球人でも同様の経験をする人がいる。個人差があるのだ。無茶をするなら、自分の皮膚の特徴を先に医療区で調べてもらってからにして欲しいな。」

 ケンウッドは主任に検査に協力してもらった礼を述べて、部屋を後にした。
 再び射撃訓練室に行くと、ガラス壁の前にちょっとした人だかりが出来ていた。彼が室内を覗くと、2人の若者が成績を競って動体標的の射撃を行なっていた。彼等の後ろに立っているのは教官とハイネ局長だ。若者達がしていることは見ればわかるが、ハイネは何をしているのだろう。ケンウッドは見物人に声をかけた。

「成績の競争かね?」

ええ、と答えて振り返った若者は、相手が長官だったので黙礼した。ケンウッドも目で返礼して、返事を待った。若者が説明した。

「ハイネ局長が昔仮想戦闘エリアの訓練で満点を叩き出されたことがあったので、教官が今撃っている2人のフォーム修正をお願いしたんです。あの2人はちょっと呑み込みが悪くて、なかなか上達しなくて教官が手を焼いていたんですよ。と言いますのも、彼等は空港ビルの保安員希望なんです。ドームの外での勤務ですから、ちゃんと銃の扱いが出来ないといけません。次の試験で落ちたら、一生ドーム内勤務です。」
「ハイネも実戦経験はないがね・・・」
「でも、局長の指導を受けてから、あの2人の弾はよく当たるようになりましたよ。」

 恐らくハイネは若者達各自の体格や腕の使い方を見て、銃の扱い方をそれに合わせるよう指導したのだろう。戦闘訓練の指導であれば、ゴメス少佐の方が得意な筈だ。しかしゴメス少佐は射撃訓練場には来ない。少佐は格闘技や仮想戦闘エリアでの行動の指導をしている。
 ケンウッドはベンチに腰を下ろして、先刻の検査結果の再検証を始めた。半月の外暮らしで大きな変化はないが、一人だけ皮膚に微細なアレルギー反応が出ている者がいた。空中の何かの粒子に反応したようだ。保養所近辺の空気の採取が必要だな、とケンウッドはそれもコメントに入れた。
 ガラス壁前の人垣がいつの間にかいなくなり、ハイネ局長が戻って来た。

「すみません、余計なことをしてお待たせしてしまったようですな。」
「いや、構わないよ。待ち時間に出来ることはあるからね。」

 ケンウッドは立ち上がり、2人は地上へ向かうエレベーターに乗った。

「君は若者に何か教える時は楽しそうだね。」
「貴方も養育棟で教鞭を取られていた頃はそうでしたよ。」
「そうだったかな。」

 ふとケンウッドの頭に閃いたことがあった。

「今日の検査を受けた若者達は紫外線や放射線の怖さをイマイチ理解していないんだ。確かに外の地球人は普通に暮らしているが、ドーマー達の健康を今の世代で損ないたくない。私は保養所へ派遣される彼等に講義を行うべきだろうね。」

 ハイネが微笑んだ。

「是非そうなさって下さい。外での業務を日焼けサロンと勘違いしている連中がいることも確かですからな。」


2021年4月2日金曜日

星空の下で     27

  お昼寝タイムが終わると、ケンウッドはハイネ局長を連れて地下2階の射撃訓練場へ行った。射撃訓練を受けるのではなく、先週末に保養所から帰って来た職員のグループの検診を行うためだ。中央研究所に呼び出すより、こちらの方から出かけて行って、仕事ぶりを見学しながら手が空いた者から皮膚の状態を検査する。この部署のグループは警備システムの保守作業で半月ほど外に滞在したので、ケンウッドは外気の影響がどの程度人間の健康に及ぶのか調べたかったのだ。
 ケンウッドについて歩くハイネの脚は何事もなかったかの様に動いている。骨の状態は良好の様だ、とケンウッドは思った。

「ギプスに慣れたかね?」
「初日よりはかなり・・・しかし鬱陶しいのは変わりません。」

 ハイネは怪我をした翌日に比べると歩調が早くなっていた。元々適応能力が高い男だ。ギプス装着のまま歩くことは既に苦になっていないのだ。ただ皮膚感覚が不快なのだろう。ケンウッドは優しく、もう少しの我慢だよ、と励ました。
 射撃訓練場では、保安課の若者が5名程、並んで銃を構えていた。ドームでは麻痺光線銃を使用するが、外の世界で使用されている古式の火薬を用いた銃火器の扱いも教える。相手の武器を学んでおくことが、防御に役立つとの考えからだ。ヘッドフォンとアイシェードを装着した若者達が銃を撃つのを、ケンウッドとハイネは背後の防弾ガラスで守られた通路から眺めた。

「火薬の時代はとっくの昔に終わったと宇宙では考えられているが・・・」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「どうしても残るんだね、武器と言うものは・・・」

 ハイネが苦笑した。

「地球には火薬の材料がありますし、光線銃を製造するより安価で簡単だからでしょう。それにあの発射音が好きな連中もいるそうです。」
「引き金を引いた時に感じる反動や火薬の匂い、色々マニアがいることは知っている。昔の映画などで見るガンマンはかっこいいからね。」

 ケンウッドは銃が大嫌いだ。自身が銃で撃たれた経験があるので尚更だった。正直なことを言えば、ドーマーに銃の扱いを教えたくなかった。保安課員が外へ出ても実際に使用するのは光線銃だけなのだ。
 2人が訓練風景を眺めていると、訓練所主任が呼ぶ声が聞こえた。検査対象の職員が部屋に来たのだ。ケンウッドはハイネに一緒に来るかと尋ね、ハイネはその場に残ると答えた。細胞検査を見ていても、遺伝子管理局長には楽しくないのだ。
 ケンウッドは彼を置いて準備された小部屋に入った。主任と30代前半の男が一人そこで待っていた。

「対象者は全部で7名です。一人ずつ順番でよろしかったですね?」
「うん。検査だけなら全員一緒でも構わないが、私はちょっと保養所の様子も聞きたいのでね。時間を取らせて申し訳ないが・・・」
「構いませんよ、こいつら、外の仕事がよほど楽しかったらしくて、保養所の話をそこら中でしたがるんですよ。」
「主任・・・」

 職員が頬を赤くして上司を睨んだ。ケンウッドと主任は笑い、主任は部下に「終わったら次に声をかけてやれ」と言いおいて部屋から出て行った。
 ケンウッドは職員を正面に座らせ、彼の氏名と所属の確認をして、腕の表皮を携帯検査機で分析にかかった。職員は腕に小さなパッドを載せられているだけなのだが、ケンウッドが机に置いた小型コンピューターの画面には細胞や遺伝子の様々な情報が次々と読み込まれて行った。ケンウッドがそれらのデータを見つめていると、職員が話しかけて来た。

「今朝の執政官会議に中央研究所の連中も出席したそうですね。」
「うん。気になるかい?」

 射撃訓練所は保安課の所属で学位には縁がない。勿論、保安課でも厨房班でも独自で何か勉強して学位を取りたいのであれば、一向に構わないのだが、彼等の日常は忙しくて専門的な研究に取られる時間がないのだ。

「僕は理科学系は苦手なんですけど、ドーマーがコロニー人と同じ学位を取れるのは素晴らしいと思います。」
「今までそれが許されなかったことがおかしいのだよ。コロニー人とドーマーは平等だと言っておきながら、何かと差をつけているのだからね。食堂だってそうだろう? 中央研究所の食堂を使えるドーマーは幹部級だけだ。中央研究所の助手達は立派な科学者なのに幹部でないと言う理由であそこを使えないんだよ。彼等にもガラスの向こうの女性達の健康状態を観察する技能があるにも関わらず。」
「でも、あそこは・・・」

 職員は肩をすくめた。

「人数制限は必要ですよ。女性を眺めたい男は大勢いますからね。」
「コロニー人にも制限をかけるべきさ。」

 ケンウッドは検査機が作業を終えたことを確認して、職員の腕からパットを取り除いた。職員が尋ねた。

「血液検査はなさらないのですか?」
「今日は必要ない。」

 ケンウッドは微笑んで見せた。

「大凡で良いから、教えてくれ。向こうに滞在中、屋外で何時間作業したのかな?」
「あちらには15日間滞在して、労働時間は1日8時間、そのうちで僕が外で作業したのは・・・全部で10日でした。80時間ですね。でも、途中で2日間、天気が良くなくて曇り空の時間と雨の中で作業したこともありました。」

 ケンウッドはその言葉を素早く端末に記録した。

「雨が降ったのか。いや、日付は気象情報を検索すればわかるよ。体を濡らして体調を崩したりしなかっただろうね?」

 ドームの中で暮らしていると降雨を経験しない。宇宙で育っても同じだ。ケンウッドもドーマーも雨降りは滅多に体験出来ない事象で、どちらも好きでなかった。雨は浴室のシャワーとは全然異なる自然現象で、時に不快で、時に恐怖を運んでくるものだった。雨上がりの空気の感触を楽しむほどには、彼等は雨に慣れていなかった。
 職員は首を振った。

「着ている物が体にくっついて気持ちが悪かったですが、体調に影響はありませんでした。保養所の管理人が温かい風呂を準備してくれましたから。」

 保養所の管理人は、元ドーマーが務めている。民間人ではドーマーの生活が一般の地球人と異なることに慣れないだろうし、ドーマーではまだ外の生活習慣が呑み込めないからだ。雨で体が濡れたらすぐに乾かすか温めるか、そう言う細やかな気遣いは、外界に出たばかりのドーマーにはまだ無理だった。ケンウッドは元ドーマーの存在を有り難く思った。


2021年4月1日木曜日

星空の下で     26

 「インフルエンザの流行だって?」

 ヤマザキ・ケンタロウが疑わしそうに眉を顰めて言った。

「僕の所には、そんな報告は入っていないぞ。」
「ドームシティーではないからさ。」

 ケンウッドは端末に地図を出して彼に見せた。

「主に中西部の北側だ。行政府が既に対策を講じているから、大陸全土に拡大する恐れはないがね、スポットでもそこにドーマーを行かせるのは当分控えないと。」
「遺伝子管理局の局員はそっちへも廻るんだろう?」

 話を降られてハイネ局長が慌てて口の中の食べ物を飲み込んだ。彼等は遅い昼食の席にいた。

「ハイデッカー支局長からもワグナー班チーフからも報告がありません。セイヤーズに問い合わせさせましたら、重症化の傾向がなく、そろそろ下火になってきているので報告しなかったと言う返答でした。」
「でも君の肺には良くない訳だ。」

 ヤマザキはハイネの皿からハムを一切れ取った。ハイネはちょっとムッとして見せたが、それだけだった。ヤマザキが彼の皿から食べ物を取るのは習慣になっている。いつも一種類、一切れだけだ。だからハイネは取られても構わない物はあらかじめナイフで食べ易い大きさに切って置いてある。ただ、ヤマザキがそれを取るとは限らないのが玉に瑕だ。

「なぜ、私の肺が関係してくるのです?」

 ハイネが解せないと言う表情でケンウッドとヤマザキを見比べた。ケンウッドの計画を知っている筈がないヤマザキが彼なりの考えを述べた。

「つまり、君と同じ様な疾患を持つ人や呼吸器が弱い人には、軽いインフルエンザでも命取りだってことさ。インフルエンザによる死者の報告がないようだが、呼吸器が弱い人々は用心してマスク着用を心掛けたり人混みを避けているのだろう。」
「ワクチン接種が進んでいるのかも知れないね。」

 ケンウッドは自身のサンダーハウス訪問迄にインフルエンザが収束していることを願っていた。実験場から外へ遊びに行くのが楽しみなのだ。無計画に行動する長官を護衛するアキ・サルバトーレは苦労だろうが、無計画故に安心出来る場所もある。ケンウッドは人が少ない場所を好むのだ。尾行者がいればすぐにわかる。
 ヤマザキが彼に尋ねた。

「サンダーハウスの連中は外出しているのかね?」
「多分、しているだろう。特別な警戒はしていないと思うよ。寧ろ、インフルエンザウィルスが放電区画に入り込んでいないか、調査に燃えているだろうね。」
「インフルエンザウィルスは空中を飛んで行くのですか?」

 ハイネが質問した。ヤマザキが答えた。

「飛沫感染だよ。或いは、鳥類が運ぶ。だから空中放電で防げるとは思えないんだがね。」
「では、流行が収束したら、実験場にウィルスはいないと考えても良いのでしょうか?」
「流行するほどの数はいなくなるだろう。」

 ヤマザキは曖昧な言い方をした。

「根絶が難しいんだ、ああ言う小さいヤツは。」

 ハイネは頷いた。彼の肺にかつて巣喰ったγカディナ黴の胞子は肺洗浄で洗い流されるまでしぶとく生き続けたのだ。

「しかし、今回の流行は本当にスポット的だなぁ。」

 ヤマザキが呟いた。

「そこに流行する特定の要因があったのだろうか。」
「誰かが意図的にウィルスをばら撒いた?」

 ハイネが突飛な考えを口に出して、ケンウッドとヤマザキをギョッとさせた。

「それ、ヤバイぞ、ハイネ。」
「生物兵器の実験でもあったと言うのか?」
「生物兵器でなくても・・・」

 ハイネはデザートのジェリーがプルンプルンするのでスプーンで捕まえるのに苦労しながら言った。

「ワクチン開発の実験の可能性もありますよ。作ったワクチンの効力を試す為にウィルスを放出して、住民にワクチン接種を行い、インフルエンザの収束を早めた。」

 ケンウッドは先日の遺伝子情報漏洩騒ぎを思い出した。ちょっと嫌な感じだ。

「どんなワクチンが使用されているのか、調べられるかな? ドームにその調査の権限があるとは思えないが、疾病対策センターに問い合わせは出来る筈だ。」
「僕にやれってか?」

 ヤマザキが苦笑した。

「ワクチンが新製品なのか、新製品だったらその製造元が何処か、調べれば良いんだな?」