2021年4月5日月曜日

星空の下で     30

  アパートに帰るハイネ・アイダ夫妻と別れてから、ケンウッドとヤマザキは運動施設へ足を向けた。歩きながらヤマザキが昼間の話を持ち出した。

「インフルエンザのことなんだが・・・」
「うん?」
「発生源はどうやら家畜市場らしい。」
「家畜市場か・・・ありそうな話だな。」
「うん。豚の風邪からウィルスが変異して人間に拡がったと国立疾病対策センターは分析している。」
「その変異に人間の手が加えられている疑いはないのだね?」
「現在の所はね。患者は牧場関係者、家畜商、彼等から家族や友人など市中に拡がった。だが症状が軽く、従来のワクチンで事足りたので全米に知られるようなニュースにならなかった。州の3分の1の範囲で感染を食い止められたので、州政府も国立疾病対策センターに終息宣言を出したそうだよ。」
「それなら良かった。」

 ケンウッドはホッと胸を撫で下ろした。ポール・レインが中央アジアで聞き込んだ製薬会社の陰謀ではないかと内心危惧していたのだ。宇宙の製薬会社が自社製の薬の効果を試すために地球人に病原菌を与えて実験しているのではないかと心配だった。
 彼の心の中を見透かしたかのようにヤマザキが言った。

「僕等は地球を防衛する為にここにいるんじゃないよ、ケンさん。地球人を絶滅から救う為にいるけど、外部からの干渉に僕等がとやかく言う権限はないんだ。」
「だが、もし地球人や地球の生物を使ってコロニーの人間が実験を行うとしたら、それに気が付いた者が何とかしなきゃいけないだろう?」
「通報は出来るさ。だが捜査は駄目だ。それは君がドーマー達にいつも言っていることじゃないか。」
「通報するにしても、証拠がないと・・・私達は曲がりなりにも科学者だ。科学的根拠のない疑いを通報する訳に行かないよ。」

 喋りながら、ケンウッドはふと背後に人の気配を感じた。実は食堂を出て暫くしてからずっと後ろをついて歩いている人物がいたのだ。歩きながら振り返ると、ダリル・セイヤーズがいた。遺伝子管理局の局長第2秘書のセイヤーズが、ケンウッドと目が合うとニッコリして、こんばんは、と挨拶した。ケンウッドは彼がケンウッドとヤマザキの会話を聞いていたに違いないと確信した。

「セイヤーズ、立ち聞きはよくないぞ。」

と言ったが、特に怒った訳でなかった。セイヤーズも長官の眼差しや口調でその辺の所は承知していて、すみません、と素直に謝った。

「ジムに行くつもりで後ろを歩いていたら、自然に耳に入ってしまいまして。」

 ヤマザキが横へ来いと手で合図したので、セイヤーズは2人の最高幹部執政官と並んで歩くことになった。ヤマザキが尋ねた。

「あれからレインは何か言ってきたか?」
「情報漏洩の件ですか?」
「うん。公式な発表を中央アジア・ドームはしないと言っていたが、情報を買った企業の何か噂のようなモノを彼は聞いていないのか?」
「何も聞いていないようですね。それに彼とJJはそろそろ次の巡回地である東アジア・ドームへ出かける準備に追われているようです。」
「南アジア・ドームには行かないのかね?」

 ケンウッドは自分でもどーでも良いことを訊いてしまった。セイヤーズが苦笑した。

「レインはスパイシーな食べ物が苦手なので、南は後回しにしたようです。いずれは行かなきゃならないのですがね。」
「巡回の順番はレインが決めるのか?」
「JJは地理が苦手なんです。DNAマップは読めるのに、地理マップはちんぷんかんぷんで・・・」

 誰にでも苦手なものがあるのだ。ケンウッドは微笑ましく思えた。ハイネは虫、レインは香辛料、JJは地理・・・

「セイヤーズ、君の苦手は何だね?」

え? とセイヤーズがケンウッドの顔を見た。

「私の弱点を知ってどうなさるおつもりですか?」

 ケンウッドは吹き出した。

「ただの好奇心だよ。レインは香辛料とか刺激の強い味の食べ物が苦手なのだろう、それは知っているよ。彼との付き合いは長いからね。JJは地理か・・・狭い家で育ったから空間の読み取りが苦手なんだな。まぁ、世界旅行をしているうちに慣れてくるさ。それで、君は何が苦手なのかな?」

 セイヤーズは周囲を見回した。ちょっと声を低めて、

「内緒にしてくれます? 特にクロエルには言わないと約束して下さい。」

 ヤマザキが笑った。

「言わない。約束する。」
「私も約束する。」

 セイヤーズは覚悟を決めて告白した。

「虫です。地面の上を這いずったり、葉っぱの上にいたりするヤツ等。」

 ケンウッドとヤマザキは顔を見合わせ、プッと吹き出した。セイヤーズが不安そうに尋ねた。

「可笑しいですか? 息子にもよく馬鹿にされますが・・・」
「いや、ごめん、ごめん、君を笑ったんじゃないんだ。」

 ケンウッドも周囲を見回して安全確認をしてからセイヤーズに囁いた。

「これは秘密だ。ローガン・ハイネも虫が怖いんだ。」
「えっ! そうなんですか!」

 セイヤーズは心なしか安堵した様子だ。ヤマザキが解説した。

「虫が存在しないドームの中で育ったからなぁ、ドーマーの多くは虫が怖い物に見えるんだろう。僕等もあの奇妙な生物について君達に何も教えなかった。」
「コロニーにも虫はいないでしょう?」
「いないことになっているが、農業をしているスペースには作物の生育の為に必要な昆虫を放っているし、法律の目をかい潜ってペットとして飼育したり売買する連中がいる。そこから逃げ出した虫が繁殖して困ったことになっているコロニーもあるんだよ。それに子供の学習教材に地球生物の生態や標本を使うから、コロニー人は意外に虫や昆虫を知っている。もちろん、多くのコロニー人は地球へ来て初めて実物を見るんだけど。」
「息子は私が農業に執着する割に自然の生き物に無知だと笑うんです。事実なので、反論出来ませんが・・・」

 彼等はジムの入り口に着いた。ケンウッドが提案した。

「たまにはスカッシュでもやってみないか、諸君?」

 スカッシュはセイヤーズの息子ライサンダーがローガン・ハイネに教わって得意種目にしているスポーツだ。セイヤーズが頷いた。

「いいですね! 球技はあまり得意じゃないんですが、人並みには出来ますよ。」

 進化型1級遺伝子危険値S1保有者のセイヤーズは格闘技では誰にも負けない。相手の筋肉を見て瞬時に次の動作を予測出来るからだ。しかし球技はボールの動きを読めない。速度や角度を計算出来るのだが、彼自身の「投」の技がイマイチなのだ。それは彼の射撃がド下手であることも同じだ。投げる、撃つ、はセイヤーズの苦手分野だった。だから、ラケットでボールを打つスカッシュは、彼は普通の人以下の腕前で、ケンウッドやヤマザキと対等に競い合えるのだ。
 3人は球技場へと足を運んだ。