2021年4月8日木曜日

星空の下で     31

  シュリー・セッパーは2つのカクテルグラスを持ってウッドデッキに出た。木製のベンチに座ったケンウッドが星空を眺めている、その隣に座り、グラスの片方を彼に差し出した。ケンウッドはグラスを見て、彼女を見て微笑んだ。グラスを受け取り、一口甘酸っぱいカクテルを口に含んだ。彼が満足そうに頷くのを確認して、彼女は安心して自分のグラスに口をつけた。

「ハイネを同伴出来なかったのは残念だ。」

とケンウッドが呟いた。シュリーは彼の肩にそっともたれかかった。

「いいの、焦る必要はないわ。それに局長がここへ来たら、彼の世話にかかりっきりになってしまうでしょ。」
「ハイネはそんなに手はかからないよ。」

 ケンウッドは苦笑した。ローガン・ハイネは大人だ。好奇心は強いが、見知らぬ土地で無闇に動き回って周囲に心配をかけたりしない。ケンウッドやシュリーが気にかけなければならないのは、彼の肺だけだ。

「局長の脚はもう治ったの?」
「まだ完治していないが、ギプスは薄い物に交換してもらったらしいよ。普通に歩けるので、若いドーマーや執政官達は彼が骨折したことを知らずにいる。ただ、彼がジョギングや格闘技の練習をしなくなったので、不審に感じる者はいるがね。」
「まさか運動量を減らした為に太ったってことはないでしょうね?」

 シュリーの懸念にケンウッドは思わず笑った。

「大丈夫だ。ケンタロウとサヤカが抜かりなくハイネの栄養管理をしている。妻と親友が医者だと不健康な生活はしたくても出来ないんだよ。」

 そうなんだ、とシュリーが笑いながら納得した。

「もし局長が太ったら、ママが絶対に許さないでしょうから。ママにとって局長はこの世で最高の男性なのよ。欠点があっては駄目なの。」
「キーラにとってハイネが最高の男性だって? それじゃヘンリーは2番目かい?」
「パパは特別、別格なの。比較になる人はいないのよ。」

 シュリーはケンウッドの横顔を見つめた。

「私には貴方が別格の人よ、ニコ。」
 
 ケンウッドが振り返ると、彼女が素早く唇にチュッとキスをした。ケンウッドは暗がりに座っていて良かった、と思った。年甲斐もなく頬が熱く、恐らく赤くなっている筈だ。

「君にそんな風に言ってもらえて光栄だよ、シュリー。」
「私こそ偉大なるニコラス・ライオネル・ケンウッド博士に認めてもらえて光栄だわ。」

 シュリーは珍しく少し躊躇ってから続けた。

「成人すると両親の姓のどちらかを選ぶことになっているけど、私はセドウィックもパーシバルも選べないわ。つまり、どちらも捨てられないってこと。私はママもパパも大好きだし、どっちの親戚も大好きなの。」
「だからセッパーを名乗っているんだろ?」
「そうだけど・・・」

 彼女は彼の目を真っ直ぐに見た。

「シュラミス・ケンウッドになっては駄目?」

 ケンウッドは目をパチクリさせた。

「君は両親の姓を両方とも捨てるのかい?」
「そっちの方が公平でしょ? ママとパパにはシャナとローガンがいるわ。あの2人にセドウィックとパーシバルを継がせれば良いわ。それにどっちも親戚が同じ姓を名乗っているし。」
「そりゃ、君がどんな姓を使おうが法律が許可しているから構わないが・・・」

 ケンウッドは試しに尋ねた。

「シュラミス・ハイネを名乗る気はないのかな?」
「ないわ。」

 実にあっさりとシュリーは否定した。

「シュラミス・ヤマザキが有り得ないのと同じくらい、シュラミス・ハイネは有りません。」

 彼女は自分のグラスをベンチに置いて、ケンウッドのグラスを持っていない方の手を取った。

「子供の時からずっとシュラミス・ケンウッドになりたかったのよ。」

 ケンウッドは微笑んだ。彼もグラスを置いて、空いた手で彼女の手を抑えた。

「こんな年寄りでも構わないんだね?」
「こんな小娘で構わないのでしょ?」

  ケンウッドは頷いて、彼女の手をそっとほどき、自分の端末を出した。

「見せたい物があるんだ。」

 シュリーが端末の画面を覗くと、そこにアパートの見取り図が表示されていた。

「ドームシティにある物件なのだが、ドームを挟んで空港と反対側にある。野原に面しているんだ。ドーム・ゲイトと空港からはちょっと遠いが、車で20分だ。バスもある。買い物も不自由しない。コロニー人でも借りられるんだよ。」

 シュリーが顔を上げてケンウッドを見た。ケンウッドは説明を追加した。

「君さえ良ければ、今週末にでも契約しようと思うのだが・・・」

 シュリーが首に抱きついてきた。

「明日、一緒に現物を見に行きましょう!」
「明日?」
「そう、明日。他の人が契約してしまう前に、お部屋を見て決めましょう。」

 ケンウッドは彼女の体に腕を回した。

「私は無骨なので指輪を選べなくてね・・・この部屋が指輪代わりなんだ。」
「わかってる。」

 シュリーは涙をこぼすまいと努力しながら言った。

「子供の時からずっと貴方を見てきたのよ。わかってるわ、ニコラス。」