「インフルエンザの流行だって?」
ヤマザキ・ケンタロウが疑わしそうに眉を顰めて言った。
「僕の所には、そんな報告は入っていないぞ。」
「ドームシティーではないからさ。」
ケンウッドは端末に地図を出して彼に見せた。
「主に中西部の北側だ。行政府が既に対策を講じているから、大陸全土に拡大する恐れはないがね、スポットでもそこにドーマーを行かせるのは当分控えないと。」
「遺伝子管理局の局員はそっちへも廻るんだろう?」
話を降られてハイネ局長が慌てて口の中の食べ物を飲み込んだ。彼等は遅い昼食の席にいた。
「ハイデッカー支局長からもワグナー班チーフからも報告がありません。セイヤーズに問い合わせさせましたら、重症化の傾向がなく、そろそろ下火になってきているので報告しなかったと言う返答でした。」
「でも君の肺には良くない訳だ。」
ヤマザキはハイネの皿からハムを一切れ取った。ハイネはちょっとムッとして見せたが、それだけだった。ヤマザキが彼の皿から食べ物を取るのは習慣になっている。いつも一種類、一切れだけだ。だからハイネは取られても構わない物はあらかじめナイフで食べ易い大きさに切って置いてある。ただ、ヤマザキがそれを取るとは限らないのが玉に瑕だ。
「なぜ、私の肺が関係してくるのです?」
ハイネが解せないと言う表情でケンウッドとヤマザキを見比べた。ケンウッドの計画を知っている筈がないヤマザキが彼なりの考えを述べた。
「つまり、君と同じ様な疾患を持つ人や呼吸器が弱い人には、軽いインフルエンザでも命取りだってことさ。インフルエンザによる死者の報告がないようだが、呼吸器が弱い人々は用心してマスク着用を心掛けたり人混みを避けているのだろう。」
「ワクチン接種が進んでいるのかも知れないね。」
ケンウッドは自身のサンダーハウス訪問迄にインフルエンザが収束していることを願っていた。実験場から外へ遊びに行くのが楽しみなのだ。無計画に行動する長官を護衛するアキ・サルバトーレは苦労だろうが、無計画故に安心出来る場所もある。ケンウッドは人が少ない場所を好むのだ。尾行者がいればすぐにわかる。
ヤマザキが彼に尋ねた。
「サンダーハウスの連中は外出しているのかね?」
「多分、しているだろう。特別な警戒はしていないと思うよ。寧ろ、インフルエンザウィルスが放電区画に入り込んでいないか、調査に燃えているだろうね。」
「インフルエンザウィルスは空中を飛んで行くのですか?」
ハイネが質問した。ヤマザキが答えた。
「飛沫感染だよ。或いは、鳥類が運ぶ。だから空中放電で防げるとは思えないんだがね。」
「では、流行が収束したら、実験場にウィルスはいないと考えても良いのでしょうか?」
「流行するほどの数はいなくなるだろう。」
ヤマザキは曖昧な言い方をした。
「根絶が難しいんだ、ああ言う小さいヤツは。」
ハイネは頷いた。彼の肺にかつて巣喰ったγカディナ黴の胞子は肺洗浄で洗い流されるまでしぶとく生き続けたのだ。
「しかし、今回の流行は本当にスポット的だなぁ。」
ヤマザキが呟いた。
「そこに流行する特定の要因があったのだろうか。」
「誰かが意図的にウィルスをばら撒いた?」
ハイネが突飛な考えを口に出して、ケンウッドとヤマザキをギョッとさせた。
「それ、ヤバイぞ、ハイネ。」
「生物兵器の実験でもあったと言うのか?」
「生物兵器でなくても・・・」
ハイネはデザートのジェリーがプルンプルンするのでスプーンで捕まえるのに苦労しながら言った。
「ワクチン開発の実験の可能性もありますよ。作ったワクチンの効力を試す為にウィルスを放出して、住民にワクチン接種を行い、インフルエンザの収束を早めた。」
ケンウッドは先日の遺伝子情報漏洩騒ぎを思い出した。ちょっと嫌な感じだ。
「どんなワクチンが使用されているのか、調べられるかな? ドームにその調査の権限があるとは思えないが、疾病対策センターに問い合わせは出来る筈だ。」
「僕にやれってか?」
ヤマザキが苦笑した。
「ワクチンが新製品なのか、新製品だったらその製造元が何処か、調べれば良いんだな?」