2021年4月4日日曜日

星空の下で     29

  その日の夕食は、アイダ・サヤカ博士が加わり、ケンウッドとヤマザキ、ハイネの4人で一般食堂で取った。アイダは殆どの食事に中央研究所の食堂を使うが、本当は一般食堂の方が好きで、勤務明けはこちらへ来たがるのだ。ガラス越しに妊産婦を見ながら食事するのは、仕事の延長の様に感じて嫌なのだろう、とケンウッドは思う。それにドーマー達の「母親」として、幹部クラスの者しか使えない食堂より大勢の一般のドーマー達と同じ場所で食べる方が楽しいのだ。
 ケンウッドが保養所に出かけるドーマー達に紫外線対策の講義を行いたいと言うと、彼女は賛成した。出産管理区で働いているドーマー達は肌が綺麗で外からやって来る女性達に羨ましがられる。しかし最近保養所へ出かけて戻って来た職員が日焼けしていることが多く、それは特に問題ではないのだが、彼等を生まれた時から見てきた執政官としては気になるのだった。

「女性達に出産後の美容指導を行なっていますが、ドーマーにもそれをしなければならないのはご免ですよ。」

と彼女は笑った。

「男でも美容に気を遣う連中は本当に熱心だけどね。」

 ケンウッドは大学を卒業した後の数年間化粧品会社のお抱え科学者をしていたので、コロニーで化粧をしたがる男性が多い事情を承知していた。男でも皮膚の手入れが疎かだと女性にモテないと信じている連中が少なくないのだ。
 ヤマザキはケンウッドが講義の時間を割けるのかと心配したが、反対はしなかった。ハイネが彼に保養所へ出かけるドーマーに感冒予防の指導をしていましたね、と尋ねた。うん、とヤマザキは横目で彼の皿の上を見ながら答えた。

「昔ながらの手洗いと消毒の推奨だけだよ。これも講義をしなければいけないのかな?」
「注意書きを端末に送るだけでしたか?」
「そうだよ。風邪を引いたらどれだけ身体的に辛いか、『通過』を受けている者の動画を見せるんだ。咳に鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、悪寒、そう言う症状を紹介してやると、みんな真面目に予防に努めてくれる。」
「抗原注射はまだ続けているの?」

 アイダの質問にハイネとヤマザキが「イエス」と答えた。ハイネが先に説明を補足した。

「但し、現在は希望者だけにしています。『通過』は以前から希望者のみでしたが、現在は外に出かける回数を増やすことによって自然に抵抗力をつけることを優先にしています。」
「そのうち、養育棟の子供達を外に出すことも考えているんだ。」

とヤマザキが言って、一同を驚かせた。取り替え子は廃止の方向になっており、ドーマーの新規採用は中止になっている。だが現在養育棟で育てている子供達の出身を外部の人間に明かすことは出来ない。

「どう言う名目で子供達を外に出すのです?」

とハイネが尋ねた。ヤマザキは笑った。

「遠足だよ。遊びに連れ出すだけさ。ちゃんと養育係も一緒に出かける。だから、養育係を先に外の世界に慣れさないといけないな。彼等は歳を取っているから、外の世界に抵抗がある人もいるだろうし、抗原注射が無理な年齢の人もいる。ハイネ、君が外に出かける時に着用するマスクが活躍すると思うよ。遠出はさせないから安心してくれ。ドーム周辺の原っぱで走り回らせておくだけさ。」

 彼はケンウッドの顔を見た。

「いいだろう? ケンさん、次の執政官会議で了承を求める手続きをしておく。養育棟の執政官達とは既に話を詰めてあるんだ。子供達を外部の人間と接触させることはまだしないよ。」

 ケンウッドは頷いた。

「わかった。確かに外気に慣れさせるには幼少期からが最適だ。虫や小動物にも慣れさせないとね。」

 アイダがハイネを見てクスッと笑ったので、ハイネが「なんです?」と訊いた。彼女が彼と一緒にドームの外へ散歩に出かけた時のことを思い出したのだ。

「ローガン・ハイネはお花を摘もうとしてお花に小さな昆虫が付いているのを見てから、植物に触れなくなったんです。」
「サヤカ! 今そんなことを思い出さなくても・・・」

 ハイネが狼狽えたので、ケンウッドとヤマザキは思わず笑った。

「確かに・・・コロニー人も同じ体験をするんだよ、ハイネ。でも小さな生物が害をなさないとわかれば平気さ。たまには刺すのもいるがね。」
「地球人でも虫を怖がる人は大勢いるよ、サヤカ。女性は特にね。君は平気なのかい?」
「私は平気なんです。多分、妊産婦達から外のことを色々教えてもらってきたからでしょうね。シンディなどは外にアパートを借りて毛虫を育てていますよ。蝶に羽化する場面を見るのが堪らないそうです。」

 あの大人しいシンディ・ランバート博士が? とハイネがびっくりして見せた。ヤマザキが彼に言った。

「負けるなよ、ハイネ。君ならカブトムシがお似合いだ。」
「カブトムシ?」
「後で写真を見せてあげるよ。成虫がかっこいいんだ。」
「あれは臭いのよ。幼虫は毛がない毛虫みたいな形で、腐った木屑の中で育つの。」
「け・・・結構です。」

 ハイネが身震いして見せ、テーブルの一同はまた笑った。