2018年3月31日土曜日

泥酔者 4 - 5

 女性秘書のジャクリーン・スメアがハイネ局長が面会を求めている、と告げたのは、昼前の定例打ち合わせ会が終わる頃だった。ケンウッド長官はブラコフ副長官と遺伝子管理局長代行のジェレミー・セルシウス・ドーマーとその日の午後から翌日の正午迄のドーム行政の打ち合わせを終えて、昼食に出かけようと思ったところだ。
 病欠届けを出していた遺伝子管理局長が面会を求めて来たので、ケンウッドは入室を許可してからセルシウスを見た。引退した元第1秘書の代行は、一昨日の出産管理区長の引退申請騒動を知っていた。しかしハイネがそれにどう関わっているのかは知らない。ケンウッドはハイネが個人的な要件で来たのだと見当が付いたので、部下達や秘書に聞かれたくないのではないか、と思ったのだ。しかし彼がセルシウスに何か言う前にハイネが入って来てしまった。
 ローガン・ハイネ・ドーマーはきちんとスーツを着ていた。仕事に行くつもりでアパートを出たのだから当然だが、彼が病欠していると思っていた人々はちょっと驚いた。
「ヤァ、局長」とケンウッドは挨拶した。ハイネは「お邪魔します」と言った。そしてセルシウスを見て、「今朝は済まなかった」と謝った。セルシウスは強面に似合わぬ優しい笑みを浮かべて首を振った。

「久しぶりに執務室で仕事が出来て嬉しかったですよ。お加減はもうよろしいのですか?」
「うん。元々病気ではないから・・・ケンタロウが処方した睡眠薬のせいだ。」

 ヤマザキから睡眠薬を処方した理由を聞かされているケンウッドは黙っていた。セルシウス・ドーマーは椅子から立ち上がった。

「打ち合わせの内容は報告書にして局長のコンピュータに入れておきます。では、失礼してお昼に行かせて頂きます。」

 気の利く部下だ。ハイネが長官に面会に来たのは仕事ではないと察して、さっさと部屋から出て行った。ブラコフも立ち上がった。ハイネが彼に尋ねた。

「後任の候補を搾れましたか?」

 ブラコフが「3人に」と答えた。

「3日後にここへ来てもらうことになりました。実際に職場を見てもらって、副長官が何をするのか知ってもらいます。それから面談を行います。」

 ハイネは頷いて、ブラコフはケンウッドに「お先に」と言って、彼も食堂に向かって出て行った。
 ケンウッドは秘書達に昼休みに入るようにと指図した。遺伝子管理局長と何か重要な話し合いをするのだと思った秘書達は素直に部屋から出て行った。
 ハイネが打ち合わせの時の彼の椅子に、さっきまでセルシウスが座っていた場所に腰を下ろした。
 ケンウッドは腹を括った。机に体を乗り出して尋ねた。

「妻帯許可申請に来たのか?」

 ハイネがそっと頭を下げた。

「お願いします。」

 ケンウッドは深い溜め息をついた。

「遺伝子管理局長が結婚してはならないと言う法律はない。過去に結婚した局長も2人いた。1人は女性と、もう1人は男性とだ。しかし、どちらも相手は地球人だった。」
「コロニー人と結婚してはならないと言う法律はありません。」
「しかし、コロニー人の側は地球永住権を得なければならないし、得てしまうと宇宙に出られなくなる。」
「ですから・・・」

 ハイネはケンウッドの目を真っ直ぐ見つめた。

「結婚はしません。許可だけ頂きたいのです。彼女と堂々と交際できるように。」

 ケンウッドは自身の手を見た。何もそこに書かれていないのだが、彼は何かを読み取ろうとする表情を浮かべた。

「それで地球人保護法をクリア出来ると思っているのか?」
「地球人側から訴えを出さなければ、彼女は好きなように振る舞えます。私の部屋に入ることも出来ます。」
「しかし彼女は執政官だ。月が彼女を罷免する場合も考えねばならないぞ。執政官でなくなれば、彼女はドームを去らねばならない。これは宇宙連邦で定められている法律によって決められた規則だ。」
「月が私から彼女を奪うのなら、私はドームを出ます。」

 ケンウッドは顔を上げてハイネの青みがかった薄い灰色の目を見つめた。この生まれてから1世紀近く大切にドームの清純な空気の中で育てられてきた地球人にとって、ドームの外へ出ることは死を意味する。

 そこまで思いつめているのか、君は?

 ケンウッドは机の抽斗を見た。中にアイダ・サヤカの退職申請書が入っている。

「アイダ博士と話し合ったのか?」
「はい。彼女は法律について考えたいと言いました。」
「それは・・・つまり?」
「私を拒否なさらないと言うことです。」

 ケンウッドは、月へ出向いて委員会や理事会を説得しなければならないと感じた。

「君とアイダ博士にとって最善の結果になるよう、努力してみる。だから2人共、暫くは今迄通りの関係でいてくれないか? 彼女の退職願いは、私も破り捨てたくて堪らないのだ。」




2018年3月30日金曜日

泥酔者 4 - 4

 アイダ・サヤカは当惑して、テーブルの周辺に目をやった。時間が遅いので、朝食を摂っている人間は既に1人もおらず、昼食には早過ぎて、奇跡のごとく、広い食堂内は彼女とハイネの2人きりだった。厨房では休憩でもしているのか、笑い声や話し声が内容が聞き取れない程度の音量で聞こえて来るだけだった。

「どうか、お立ち下さい、局長。」

 彼女の言葉にハイネが言った。

「役職で呼ばないで、名前を呼んで下さい。私も貴女を博士ではなくサヤカと呼びます。どうか、私だけの女性になって下さい。」

 彼女がたじろいだ。

「でも・・・」
「地球人保護法など、糞食らえだ!」

 ハイネがその優雅な姿に似合わない言葉を使ったので、彼女は思わず眉をひそめた。つい「親」である執政官として注意した。

「そんな言葉遣いはいけませんよ!」

 ハイネが彼女を見上げた。少し微笑んで言った。

「そう、そう言う勢いのある貴女が好きです。」
「ローガン・ハイネ・・・」
「どうか貴女を引き止める為に私が芝居をしているなどと下らない考えをしないで頂きたい。私は本気です。正直なところ、私は貴女がキーラと共に薬剤管理室に通って来られた頃から、貴女を意識し始めていました。キーラも気が付いていたと思います。しかし彼女は地球人保護法を考え、貴女を守って沈黙していました。私も抑えていました。実を言うと、貴女が時々大胆に私に触れたりなさるので、自制するのに苦労していたのです。
 ご存知のように、私はキーラの母親で失敗しています。貴女が地球からある日突然いなくなりはしないかと不安でなりませんでした。ですから、貴女への気持ちを誰にも知られないように抑えていました。
 しかし、貴女が仕事を辞めると言い出されたので、思い切って告白しています。どうかここに残って頂きたい。地球の為にではなく、私の為にお願いします。」

 ハイネは頭を下げ、両手を彼女に向けて差し出した。アイダ・サヤカは半ば呆然とこの光景を見ていた。誇り高い美しいドーマーが、お世辞にも美人とは言えない彼女に跪いて求愛している。これは夢なのだろうか?

「貴方は普段おっとりとなさっているのに・・・今日はよく喋られますこと・・・」

 彼女はハイネの手を取った。

「少し考えさせて下さい。私はコロニー人です。貴方のお気持ちに添えるように行動するには、法律が壁になります。」

 ハイネを立たせて、彼女はテーブルを見た。

「朝食がまだですよ、ローガン・ハイネ。ちゃんとお腹に食べ物を入れないと・・・」

 

2018年3月29日木曜日

泥酔者 4 - 3

 ハイネの端末にメッセージが入った。ハイネはアイダに断って画面を見た。メッセは元第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーからで、局長の業務は彼が代行するので安心して休んで下さい、と言う内容だった。セルシウスは2年前に引退したが、まだ「黄昏の家」には入っていない。同じ頃に出産管理区の業務を引退した女性ドーマーと結婚して遺伝子管理局の内勤指導に能っている。晩婚だが、女性のハートを射止めたことで若いドーマー達の羨望と尊敬の的になっているのだ。内勤指導は沢山の報告書の清書や動植物の遺伝子管理の総まとめをするので、仕事は多いが急くような内容ではないので、局長の手伝いを好きな時に出来る。
 ハイネは病欠ではないが、精神的に落ち込んでいたので、部下の気遣いが有り難かった。宜しく、と返信してからアイダを見ると、彼女はその短時間に考えをまとめていた。

「私はセドウィック博士と一緒に15年働き、彼女の副長として出来る限りの努力をして来ました。とても楽しかったし、宇宙に残して来た家族も理解を示してくれました。でも、セドウィック博士が退官される時、彼女は言ったのです、『多くの子供達を母親から盗んで来た罪の意識は心から消えない』と。
 私も同じことを心の底で考えていたので、彼女の口から言われると胸に応えました。そして彼女がドームから去って、私は区長になりました。全ての責任が私に覆いかぶさって来たような気持ちで、この10年間なんとかやって来ましたが、仕事を終えて、誰もいないアパートに帰ると、理由もなく寂しくて悲しい気分になるのです。私はまだ罪を重ね続けている、自分の子供も満足に育てられないのに他人の子供を盗んでいる。
 私は鬱になっているのでしょうね。職場では地球人の母親達に笑顔を見せ続けなければなりません。自分の感情を見せたり、弱音を吐いたり出来ません。
 でも、私は、そんなに強い人間ではないのです。キーラと一緒の時は、彼女が私を支えて、励まして守ってくれました。でも彼女がいなくなると、私が部下達を支え、励まし、守らなければなりません。私には重荷なのです。
 孫の世話をしたいと言うのは建前で、本心はもう逃げ出したいのです。」

 一気に喋ってしまい、アイダ・サヤカは口を閉じた。暫く呼吸を整えるかの様に大きく息をしながらハイネを見た。

「人は誰でも弱いものです。」

とハイネが静かに言った。

「ですが、これだけは信じて欲しい。私達ドーマーは時々冗談で自分達のことを『盗まれた子供』と呼びますが、本心から言っているのではありません。私達は、ドーマーとして選ばれたことを誇りに思っています。地球人復活の為に選別され、地球で最も整った環境の下で最高の教育を受けて大切に育ててもらっています。キーラの母親は私のことを『囚われの身の王子様』などとふざけた呼び方をしたそうですが、私は自分が囚われていると思ったこともありません。ドーマーは貴女が罪を犯しているなど、決して信じません。
 貴女がなさっていることは、本当に地球人にとって必要なことなのです。貴女がそれを否定なさるのでしたら、地球上の全てのドームの業務が否定されることになる。そして私達ドーマーの存在すら否定することになります。
 どうか、貴女自身を卑下なさらないで下さい。自信をお持ち下さい。そして・・・」

 ハイネはじっと彼女の目を見つめた。

「ここに、私、ローガン・ハイネがいることを忘れないで頂きたい。貴女が寂しい時、悲しい時、私は貴女を支えて行きたい。」

 アイダは彼が言っていることを理解しようと、考え、困惑した。最後の言葉の意味をどう受け止めるべきか、考えたのだ。ハイネが立ち上がった。テーブルを周り、彼女のそばに来ると、いきなり床に片膝をついて身を屈めたので、彼女はびっくりした。

「何の真似ですの、局長・・・」

 ハイネが言った。

「貴女のことは私が一生を掛けて守ります。ですから、ここに残って下さい。お願いします。」

2018年3月28日水曜日

泥酔者 4 - 2

 ケンウッドがヤマザキからハイネの気鬱の話を聞いている丁度その時に、当の遺伝子管理局長は出産管理区長を一般食堂で発見した。
 ハイネは前夜、ヤマザキに飲酒を止められ、眠れないのであれば、と無理矢理睡眠薬を処方された。お陰で眠れたが、朝定刻に目覚めると予想通り頭痛がして気分が優れなかった。彼は早朝の運動を休み、ネピア・ドーマーに1時間ばかり遅刻すると連絡を入れた。
そしてやっと気分がましになったので、朝食を摂りに食堂へ出て来たのだ。食堂は朝の混雑が終わり、閑散としていた。早朝よりも人が少なかったので、ハイネはちょっと驚いた。そして普段は中央研究所の食堂で出産管理区の女性達を観察しながら朝食を摂るアイダ博士がテーブルに1人で着いているのを見て、また驚いた。彼女は本気で引退するつもりなのだ、と彼は思った。
 実際は、アイダ博士は勤務明けで疲れていたので中央研究所の食堂へ行ったのだ。しかし彼女はそこで、今アメリカ・ドームで噂の中心になっているレイモンド・ハリス博士がいるのを見つけてしまった。もうすぐ地球に来て一月になるハリスは、既に心安く話が出来る執政官を2人見つけていた。よりにもよってアイダが日頃行儀の悪さで気に入らない執政官達だ。3人でハリスが正式に任官される日の予想を立てていた。ハリスは紫外線と染色体の研究をしている。後2月で退官するブラコフ副長官も紫外線と皮膚の老化の研究をしていたので、ハリスはブラコフの研究室をもらえないかと新しい仲間に相談までしていた。
 不愉快になったので、アイダは滅多に利用しない一般食堂で朝食を摂ることにした。妊産婦の観察は出来ないが、今の所健康に問題がある女性の報告がないので、彼女は軽い筋トレと入浴でさっぱりして、朝ご飯を食べていたのだ。
 ハイネはミルクのお粥にチーズオムレツとサラダを取って、彼女のテーブルに行った。

「おはようございます。同席許可を願います。」

 ハイネの声に、彼女が顔を上げた。あらっと彼女が声を上げた。

「おはようございます、局長。こんな時間に朝ご飯とは、珍しいですね。」
「今朝は少し気分が優れなかったので・・・」

 彼の言葉で、彼女は前日の執政官会議で彼が中座したことを思い出した。彼は彼女の引退申請にショックを受けて退出したのだが、彼女はそこに思いが及ばなかった。

「昨日から調子が良くなさそうですね。医療区に行かれましたか?」

 ハイネが青みがかった薄い灰色の目で彼女を見た。

「私は病気ではありません。」
「でも・・・」
「今朝の頭痛は医療区長が処方した睡眠薬のせいです。」
「眠れなかったのですか?」
「貴女のせいでね。」

 彼の少し意地悪な口調に、彼女は驚いて彼を見返した。

「私のせい?」

 ハイネは皿に視線を落としてオムレツを突いた。

「突然辞めると仰るから・・・」

 アイダは手を止めて、フォークを置いた。

「ごめんなさい。」

と彼女は謝った。

「この2、3年、漠然と考えていましたの。ここは私でなくてもやっていけるんだって・・・」



2018年3月27日火曜日

泥酔者 4 - 1

 ニコラス・ケンウッドはヤマザキから話を聞かされた時、医療区長が冗談を言ったのだと思った。ハイネ遺伝子管理局長がアイダ出産管理区長に恋をしているなど、想像がつかなかった。2人はもう30年も一緒に働いてきた仲間だ。10年前迄は、キーラ・セドウィックも入れた3人で取り替え子やドーマーの選出をしてきた。地球の将来を担った重要な仕事をしてきた。恋愛や遊び心とは無縁の仕事だ。互いに深い信頼で結ばれていたが、愛情はあっただろうか? それも友人ではなく異性として?

「ハイネ本人も今迄気がつかなかったんじゃないかな。」

とヤマザキが言った。

「殆ど毎日顔を合わせて仕事をしてきたし、サヤカは自然にハイネの手や顔に手を触れる。ハイネは女性に触れられても拒まない。彼にとって彼女はそばに居るのが当たり前の人だったんだ。それが突然いなくなると彼女の方から言い出して、彼はショックを受けた。」
「友情と恋愛を勘違いしていないか?」

 ケンウッドはまだハイネが恋をして居ることが受け入れられない。

「女性執政官達は大なり小なりハイネに興味を持っている。サヤカの言動が彼に誤解を与えた可能性もあるし・・・」
「誤解なら、彼女の方から彼にきちんと説明するべきだろう。さもないと無用に地球人を誘惑したと訴えられる恐れもあるんだ。」

 こんな時、ヘンリー・パーシバルならハイネに何と忠告するだろう。アイダ博士を窮地に陥れることだけはするな、と言うだろうか? キーラ・セドウィックなら、サヤカに何と言うだろう。
 ケンウッドは溜め息をついた。

「私からハイネに真意を質してみるよ。今の所、彼が打ち明けたのは君だけだろう、ケン?」


泥酔者 3 - 6

  ヤマザキはハイネの顔をまじまじと見つめた。ハイネは視線を彼から外し、横の壁を見ていた。ヤマザキは予想しなかった考えに至って、ハッとした。

「ハイネ・・・まさか君はサヤカに本気で・・・」

 誰も想像すらしなかった。アイダ・サヤカは積極的にハイネに触れたり、声を掛けたりしていたが、それは遺伝子管理局長が彼女の一番身近な仕事関係の人物の1人だったからだし、ハイネも全く気にしていなかったので、地球人保護法なんて野暮なことを言い出す人がいなかった。ローガン・ハイネは女性がいくら触っても気にしない、それがアメリカ・ドームの「常識」だった。彼がアイダ・サヤカにどんな感情を抱いているか、誰も想像したことがなかった。それにアイダはハイネがお気に入りだった前任者キーラ・セドウィックとはタイプの異なる女性だ。
 コロニー人だったら、アイダ博士が退官して故郷に戻っても、また会えるし、通信で近況を語り合うことも出来る。しかしドーマーは宇宙に去ってしまった人々の消息を知ることを許されていない。地球人が宇宙へ出かけることが許されていないから・・・

 全く理解出来ない法律だ・・・

 ヤマザキはブランデーをゴクリと飲み込んだ。地球人が女子を生めないと言うだけでまるで病原菌みたいな扱いだ。

 いっそのこと、コロニー人と混ぜてしまえば解決するんじゃないのか?

 ハイネが沈黙していることに気が付いて正面を見ると、地球人は思いつめた表情をしており、ヤマザキはギョッとした。ローガン・ハイネが彼に尋ねた。

「遺伝子管理局長は結婚したい時、誰に妻帯許可を貰えば良いのですか?」
「え?・・・はぁ?!」

 ヤマザキは思わず間の抜けた声を出してしまった。

「妻帯許可って・・・ハイネ、君は、まさか・・・本気か?」
「冗談でこんなことを尋ねませんよ。」
「しかし・・・サヤカはコロニー人だぞ?」
「地球人保護法では、地球人からコロニー人に求婚することは認められています。」
「・・・そうだったかな・・・?」
「コロニー人が地球永住権を得ることが条件ですが・・・」
「それは・・・コロニー人が宇宙に出る権利を放棄することだ。もしサヤカが地球永住権を得たら、彼女は子供にも孫にも会えなくなる。」

 言ってしまってから、ヤマザキはちょっぴり後悔した。ローガン・ハイネは娘を宇宙に帰してしまった。消息を知ることはヤマザキやケンウッドを通して可能だが、実際に会うことはない。そして、ドーマーとして育ったこの男は、それをあまり苦にしていない。
 ヤマザキは辛抱強く説明した。

「君がサヤカと二度と会えなくなるのが嫌だと思うなら、彼女が子供や孫と二度と会えなくなるのは嫌だと思うことを理解出来るだろう?」

 ハイネが黙り込んだ。そして不意に立ち上がると、酒瓶が並ぶ棚の前へ歩いて行った。飲むつもりか? ヤマザキも立ち上がった。今夜はハイネを1人残して帰れない、と彼は思った。飲ませないようにしなければ。飲んでも解決出来ないのだから。
 ハイネの手が1本の壜に伸びた。ヤマザキがそれを抑えた。ハイネが固い表情でふり返ったので、彼は言った。

「先ず、サヤカの気持ちを聞こう。君が彼女を想っていたなんて僕は知らなかった。彼女も知らない筈だ。」

2018年3月26日月曜日

泥酔者 3 - 5

 ローガン・ハイネ・ドーマーはモヤモヤした気分でアパートの自室に居た。酒宴の日ではないが、室内にはヤマザキ・ケンタロウが居て、彼の向かいで1人でブランデーをグラスに注ぎ、そっと舐めるように味わっているところだった。もっとも彼は酒を飲みに来た訳ではない。ハイネのモヤモヤした気分の原因を彼は知っているのだった。
 元気なく座って琥珀色の液体を眺めているだけの老ドーマーに、ヤマザキが優しく声をかけた。

「僕等コロニー人はいつかは宇宙に帰る。それがここの常識だ。早いか遅いか、だよ。彼女は十分頑張った。上手に重力とも付き合って、仕事も上手くこなしたし、後進も多く育てた。彼女だってもっとここで働きたいのさ。だけど、若い人に働く場を譲るのも大切だ。彼女1人で現場の指揮を執るのも重荷だろうし・・・」
「だからと言って・・・」

 ハイネがまるで10代の少年のような口調で反論した。

「いきなり言い出すなんて、あんまりです。今までそんな考えを持っている素ぶりさえ見せなかったのに・・・」
「君に・・・君だけに内緒にしていた訳じゃない。彼女は僕等にも昨日初めて打ち明けたんだ。医療区も出産管理区も、激震を食らった気分だよ。」

 ハイネは自分のグラスを手に取った。

「ガブリエルが退官すると言うのに、サヤカまで去ってしまうなんて・・・」

 ヤマザキは彼の顔を見た。ちょっと驚いていた。ハイネは今まで現在の出産管理区長をアイダ博士としか呼ばなかった。それなのに、たった今、名前を呼んだ。

「ハイネ、君は彼女の家庭の事情を知らないだろう? 」
「30年前に配偶者を亡くして、子供を姉夫婦に預けて地球へ働きに来た・・・それだけ知っています。」

 アイダ・サヤカ博士は、生活の為に地球へ働きに来た。子供は2人、当時下の子供が10歳になったので、宇宙を旅して来たのだ。子供達はアイダの姉夫婦が育て、彼女は養育費を仕送りし続けたのだ。細目に重力休暇を取っては子供に会いに帰り、必死で我が子の為に、地球人の未来の為に働き続けた。その子供達は成人して、結婚して子供が出来て・・・アイダ博士は「田舎」で孫達と暮らそうかな、と思い始めた。
遅咲きの結婚をした親友のキーラ・セドウィックが、子供が10歳になったので、そろそろ社会活動を再開させようかと考えるのと反対に、彼女は休憩しようと思い始めたのだ。
そして昨日の執政官会議で、ケンウッド長官に退官希望を提出して、議場内に衝撃を与えた。誰もが彼女はまだずっとドームに居ると思っていたから。
 ヤマザキ・ケンタロウは、議場の末席に座っていたローガン・ハイネ局長の顔色が青ざめるのを目撃してしまった。
 ケンウッドはアイダに思い留まるようにと言った。彼女は何も言わなかった。長官が退官希望届けを暫く保留すると言うと、彼女は「反対される理由はありません」とだけ言った。すると、ハイネが席を立って議場から退出してしまった。

「サヤカは、孫に彼女の子供と同じ寂しい思いをさせたくないんだ。彼女の子供達は働いている。1人はコロニー政府の官僚で多忙らしい。配偶者もいるのだが、コロニーでは夫婦で子供を育てるのが常識だ。どちらか片方だけで育てるのは社会常識から外れる。だが官僚ともなると時間の自由が効かなくてね・・・それでサヤカが代わりに子供の配偶者と一緒に孫の面倒を見ようと考えているんだ。」
「コロニー人の都合なんて知りませんよ。」

 ハイネが子供の様に拗ねた。

「私は彼女がいなくなるのが嫌だ、それだけです。」