2020年7月11日土曜日

蛇行する川 1   −11

 ハイデッカーの言葉はシマロンには大袈裟に聞こえた。だがドーム長官が大統領並みの超VIPであることには違いない。それなのに護衛がサルバトーレ一人だけと言うのは、いかにお忍びと雖も不用心ではないか。シマロンがそう指摘すると、ハイデッカーは溜め息をついた。

「正に僕等の悩みはそこにあるんだ。あの方はいつも護衛をつけずにお出かけする。月へ行く時も・・・宇宙でもドーム長官はVIPなんだ、それは変わりない。それなのに常に単独行動なさる。よその大陸に出張なさる時もお一人だ。遺伝子管理局長も保安課長も副長官さえもあの方に護衛を同伴されるよう注意なさるのだが、全く効果がない。今日はサルバトーレが付いていたので、却って驚いたぐらいだ。」
「それじゃ、川下りなんかしたなんて、ドームの偉いさん達が知ったら腰を抜かすんじゃないか?」

 シマロンが笑った時、外で車が停車する音がした。窓の向こうに郡警察の車両が見えた。

「本部から刑事達が来た。コロニー人の話は終わりだ。」

 シマロンは宣言して戸口へ行った。
 丁度私服の男女が車の左右から降りてくるところだった。後ろの車両は鑑識だ。引き上げの作業はこちらのボランティアを出すしかないだろう。ハーローが慌てて電話をかけて人員の徴集を始めた。森林や河川でガイドをしている連中を集めるのだ。本当なら事務所に帰った段階でやっておかなければならない作業だ。フォイルが怒るだろうとシマロンは思い、気が重くなった。
 男の刑事は果たしてロバート・フォイルだった。現場が川だと聞いているのだろう、つなぎの作業服を着ていた。女性は初対面だが、ステラ・カリ刑事に違いない。階級はフォイルより上の筈だ。彼女もつなぎを着ていた。
 シマロンに気づくと2人は事務所に向かってやって来た。フォイルはヤアと言ったが、カリはこんにちはと挨拶した。日焼けした偉丈夫そうな女性で、身長はセッパー博士より低いが体格は良さそうだ。多分、男の人口が多い世界で身を守る術を十二分に身につけているのだろう。シマロンと彼女は互いに簡単な自己紹介をした。彼女はすぐに尋ねた。

「遺伝子管理局は来ていますか?」
「ここにいるよ。」

 ハイデッカーが姿を現した。

「ヘリがいるのを見ればわかるだろう。」

 郡警察本部がタウンマーシャルを見下すように、遺伝子管理局は一般警察を見下す。しかし彼等は刑事ではないのだ。業務内容も警察の仕事ではない。遺体の身元確認をするだけの仕事でここに来ている遺伝子管理の手続き業務をする役人だ。
 フォイルが遺伝子管理局に良い印象を持っていないことは、この高慢な刑事がハイデッカーに挨拶しないことを見ればすぐにわかる。シマロンはハイデッカーもフォイルを無視してカリだけを相手にすることに決めた、と判断した。

「君は見かけない顔だな、カリ警部補。」
「最近転属になったので。」

 彼女は鑑識の車を見て、彼に尋ねた。

「川へ行かれますか?」
「いや、ここで待っている。」

 ハイデッカーは即答した。ヘリで行った時は遺体の引き上げにやる気満々だったのだ。しかしフォイルを見て、その気が失せたようだ。カリ刑事がシマロンを見たので、シマロンは仕方なく言った。

「案内しますよ。」

蛇行する川 1   −10

 ホテル・モッキングバードの客達はヴァンスの車に乗ってホテルへ去って行った。シマロンは郡警察本部からやって来る刑事のことを考え、ちょっとうんざりした。フォイルとは一緒に仕事をしたくなかった。もっとも殺人事件になるのであれば、刑事達に全て丸投げしても良いのだ。
 客達と古い馴染みであるらしいハイデッカーは先に事務所の中に入っていた。シマロンが中に入ると彼はハーローと共に冷めたコーヒーを飲もうとしていた。シマロンも自分のカップを取って配膳台に行った。ちょっと気になることがあったので、それとなく遺伝子管理局の支局長に尋ねてみた。

「ジェラルド、君はさっきケンウッド博士を長官と呼ばなかったか?」

 ハイデッカーがコーヒーに噎せた。予想外の質問だったようだ。彼が咳き込んでいると、ハーローが物知り顔で言った。

「サンダーハウスの一番偉い人はジェンキンス教授ですよね? 州立大学の・・・」
「うん・・・」

 ハイデッカーはようやく落ち着いて口元をハンカチで拭った。ハンカチを持ち歩いているところは本当に綺麗好きだ。彼はシマロンを見て、それからハーローを見た。再びシマロンに視線を向けて言った。

「オフレコで頼む。」
「何が?」

 彼は諦めたような表情で言った。

「ケンウッド博士はサンダーハウスの学者ではない。」
「でもコロニー人でしょ?」

 ハーローはシマロンがヘリで船着場へ到着する前に客の身元確認をしていた。端末を出してメモを見た。

「ニコラス・L・ケンウッド、火星第1コロニー出身の遺伝子学者・・・」
「遺伝子学者?」

 やっとシマロンはピンときた。遺伝子管理局本部がどこにあるか考えれば、長官と呼ばれるコロニー人がどこにいるかもわかるではないか。彼は自身の端末を出して素早く検索してみた。そして先刻までローカッスルの船着場にいた中年のコロニー人が南北アメリカ大陸ドームの長官ニコラス・ケンウッド博士であることを知った。
 ドームは地球人の揺り籠だ。200年以上昔に起きた「大異変」で人類は絶滅しかけ、宇宙に散らばっていた地球人の子孫コロニー人達が大陸ごとに建設したドームと呼ばれる巨大な建築物の中でしか出産出来なくなった。ドームの中は清潔でいかなる病原菌も放射線も遮断されている。その中に入ることが許されるのは出産間近の女性達とコロニー人の学者、そして遺伝子管理局とドームの機能を維持する職に就いている人々だけだった。全ての地球人はそれぞれの住む大陸にあるドームで生まれたのだ。シマロンもハーローもヴァンスも例外ではない。ハイデッカーもドーム生まれだ。
 そしてそのドームの全てを統括する職に就いている人物、それがドーム長官だった。
一般のアメリカ人にとってドーム長官は大統領より「偉い人」と言う認識だ。但し、滅多にメディアに露出する人ではないので、顔や名前を覚えている者は少ない。

「さっきの人が、ドーム長官だって言うのか、ジェラルド?」

 ハイデッカーが無言で頷いた。でも、とハーローが言った。

「とても親しそうでしたね、ハイデッカーさん。」
「あの方は誰にでも親しく接して下さるんだ。」

 ハイデッカーはちょっとうっとりとした目で宙を見た。

「あの方にとって、僕等は全員あの方の子供みたいなものだから。」

 ハイデッカーは僕等と言う単語をドームで働く職員の意味で言ったのだが、シマロンもハーローもドームで生まれた子供全員だと解釈した。もっともケンウッド長官にしてみれば、前者の解釈の方が正しいのだろうけど。
 シマロンにはドーム長官が神様の様には思えなかったが、多くの人から好かれる人物なのだと感じた。

「ドームから長官が遊びに来ていたのか。セッパー博士は接待役かね?」
「そうでもないんだ。」

 ハイデッカーはまた別の意味でうっとりとした表情をした。

「彼女は長官のお友達のお嬢さんで、長官には娘みたいなものなのさ。」

 そして我に返った様に彼はキリッとした表情を取り戻してシマロン達を振り返った。

「ドーム長官が来ているなんて、口外しないでくれないか。あの方はこの大陸の運命を・・・いや、地球の運命を変える重要な役割を担っている偉大な方なんだ。もしものことがあれば、取り返しがつかなくなる。」







蛇行する川 1   −9

 シマロンの端末に郡警察本部から連絡が入った。半時間後に鑑識と遺体回収の応援部隊が到着すると言う。シマロンはふと思うことがあって電話をかけて来た職員に尋ねた。

「捜査官は誰だ?」
「ええっと・・・フォイル刑事とカリ刑事です。」

 シマロンは溜め息をついた。職員に有難うと言って電話を終えた。
カリ刑事はよく知らないが、ロバート・フォイル刑事は顔馴染みだ。但し友人ではない。仲良くしたいとは思わない。シマロンの様なタウンマーシャルを見下した感がある男だ。
どうせ川の中での捜査となるだろうから、泥だらけの仕事はフォイルに任せてしまおうとシマロンは思った。
 ヴァンスが3人の客とハイデッカー相手に何か相談していた。何故ハイデッカーが彼等の話し合いに加わるのかわからないが、いつの間にかセッパー博士とも親しげに話を交わしている。
 シマロンがそばに行くと、ヴァンスが振り向いた。

「お客さんをホテルに連れて行くが良いだろう? これ以上足止めしても何もないから。」
「うん、構わないさ。」

 するとケンウッド博士がシマロンのそばに来た。彼が3人の中のリーダーなのだろうと見当はついた。年齢的にも雰囲気的にも、一番上位にいそうだ。

「今夜はモッキングバードに宿泊します。明日は適当な頃合いでサンダーハウスに引き揚げようと思いますが、よろしいですか?」

 とても綺麗な英語だ。そして声音は柔らかで耳に心地よい。コロニーではこんな風に皆喋っているのだろうか。それともこの人は特別地位の高い家柄の出なのだろうか。 
 シマロンも出来るだけ丁寧に答えた。

「ご自由になさって構いません。発見時のお話は十分お聞きしましたから、もうお呼びだてすることもないでしょう。」

 ケンウッド博士は微笑んだ。すると、ハイデッカーがシマロンに耳打ちした。

「博士と握手してもらえないかな、保安官。」

 シマロンはハッとした。コロニー人から地球人に向かって手を出して握手を求めることはない。それは「地球人保護法」と言う奇妙な法律が存在するからだ。この法律では、地球人を宇宙の病原菌や犯罪から守る為に、コロニー人の方から地球人の肉体に接触してはいけないと定められている。シマロンには理解出来ない。地球にだって病原菌がいっぱいいるし、犯罪だって宇宙より多いかも知れない。何故肌に触れるだけで違法になるのか理解不能だ。しかし、この法律を守れば、コロニー人は親しくなったり、親しくなりたいと思った地球人に自分の方から握手を求めることが出来ないのだ。
 ハイデッカーはケンウッド博士がシマロンと握手したがっていると判断した訳だ。だからシマロンの方から手を差し伸べてくれと言っているのだった。
 シマロンは拒む理由がなかったし、ケンウッド博士の親しみ易い笑顔が気に入ったので、手を差し出した、博士が温かな手で握ってくれた。

「お仕事が上手くいきますように。」
「有難うございます。博士も・・・また遊びにいらして下さい。」
「私もまた来るわ。」

セッパー博士がケンウッド博士の隣に立ち、シマロンは女性に手を出すのは失礼ではないかと思いつつも手を差し出した。セッパー博士も柔らかな温かい手で握ってくれた。
 サルバトーレはそばに来なかったが、こちらはハイデッカーと握手を交わしていた。それからシマロンに向き直り、彼の方から手を出したので、シマロンはちょっとびっくりした。するとセッパー博士が可笑しそうに笑った。

「サルバトーレさんは地球人ですよ、保安官。」
「それに博士ではありません。」

とサルバトーレが真面目な顔で言った。

「僕はケンウッド博士のボディガードです。」



蛇行する川 1   −8

「報告しても良いですか?」

 ハーローが遠慮がちに声をかけてきた。シマロンが振り返ったので、彼は端末に記録したボートの客と乗員の証言を読み上げた。

「ボートが牛の舌に差し掛かったところで、セッパー博士が岸辺の土手から突き出していた腕に気が付いたそうです。」
「あれ、手じゃない? って聞いたの。」

とセッパー博士が言葉を挟み、黙っていなさい、とケンウッド博士に注意された。シマロンは静かにしていられないセッパー博士の若さを微笑ましく感じた。この女性は本当にまだ子供なのだ。

「人間の手だとわかったのですね?」

と彼が質問した直後だった。小屋の入り口で大きな声を出した者がいた。

「アキ! アキ・サルバトーレじゃないか!」

 小屋の中の一同が振り返ると、入り口にジェラルド・ハイデッカーが立っていた。綺麗好きな彼のジャンプスーツはすっかり埃まみれになっていた。小屋の一番奥に立っていたサルバトーレが答える前に、また別の人物が声を上げた。

「ヤァ、ハイデッカー! 元気だったか?!」

 ケンウッド博士が立ち上がった。立ち上がると、この小父さんは想像したより背が高かった。すらりと背筋の伸びた人だ。コロニー人の多くは地球の重力に耐えられないナヨナヨとした筋肉の肉体をしているが、この小父さんはしっかりとした筋肉質の体型だった。
 ハイデッカーが目を丸くした。

「え? ケ・・・ケンウッド長官?」

 ケンウッドが素早く動いてシマロンの横をすり抜け、ハイデッカーをガシッと抱きしめた。

「懐かしいなぁ、2年ぶりかな? 元気に働いているようだね!」

 振り返ったシマロンはケンウッド博士がハイデッカーの耳元で何やら囁くのを目撃したが、言葉は聞き取れなかった。ハイデッカーが博士にハグで返した。

「貴方もお元気そうで何よりです、博士。」

 サルバトーレも隅っこから出て来てハイデッカーとケンウッド博士の横に立った。博士がハイデッカーを解放すると、今度はサルバトーレが彼の手を両手で握った。

「ヤァ、久しぶり!」
「久しぶり!」

 ヴァンスが尋ねた。

「お知り合いでしたか?」

 ハイデッカーがサルバトーレから離れて頷いた。

「僕がタンブルウィードに赴任する前の職場で世話になった人たちだ。」

 そしてケンウッド博士とサルバトーレを振り返った。

「まさかサンダーハウスから来た客が貴方達とはね!」

 ケンウッド博士がハイデッカーに尋ねた。

「つまり、君はDNA鑑定の為に呼ばれたのかな?」
「ええ、そうなんです。」

 ハイデッカーはシマロン達と接する時と違って、ケンウッド博士には丁寧に接した。

「でも遺体の回収はこれからなので、先に発見時の事情聴取にご協力願います。」
「発見時の事情と言ってもね・・・」

とそれまで男たちに無視されていたセッパー博士が苦笑した。

「私が土手から突き出していた手を見て騒いだので、船頭さんがボートを停めて、暫くは見えている物を皆で眺めました。それから人間の遺体だろうと判断して、船頭さんが警察に連絡しました。」
「正確には、社長に連絡したんだ。」

とアンディ・ウィルソンがシマロンに告げた。

「見えている物が遺体の一部だってわかったものの、どうしたものか判断つかなくってね。それで電話したら、社長が、遺体は動かないから兎に角お客様を安全な場所までお連れしろって、指示をくれたんで、それで川を下ってここへ戻って来たんです。」

 彼はシマロンに、それだけですよ、と言って締めくくった。

蛇行する川 1   −7

 ローカッスル船着場へ静音ヘリは名前の通り静かに着陸した。船着場は船の停泊場所だけでなく川に沿って伸びるハイウェイのサービスエリアでもある。数台の車がレストハウスの前に駐車していた。ヘリは空いている駐車場のど真ん中に降りた。スペースがあるので車の邪魔にはならないだろう。
 シマロンとヴァンスはヘリのモーターが停止するのを待たずに地面に降りた。身を低くして船着場に向かって走った。
 船着場には小屋があり、スリット式の壁が設置されている。風通しを良くするためのもので、可動式だ。その日は半分ほどの角度で開いていたが、外から中は覗けなかった。川に面した入り口に回ると、中に7人の人間がいた。一人は医師のアラン・レオーで、もう一人は保安官助手兼秘書のマイケル・ハーローだ。入り口のすぐ内にいるのは船頭のアンドレア・(アンディ)ウィルソンと船着場の管理人ベルナルド・サンダースだった。残りの3人はシマロンが知らない顔で、うち一人は女性だった。サンダーハウスから来たホテルの客だろう。
 シマロンが現れると、それまで言葉を交わしていたレオーと客の女性が会話を止めて振り返った。シマロンはドキリとした。女性が美しかったからだ。ダークブラウンの髪をひっつめているが、白い肌はツヤツヤしているし、茶色の目も輝いている。利発そうなその表情はアンソニー・シマロンの心を一瞬にして鷲掴みにした。
 その場に立ち竦んでしまったシマロンの横をヴァンスがすり抜けた。ホテルのオーナーとして客に声をかけた。

「皆さん、ご無事に着かれて良かったです。」
「面白い川下りでした。」

と女性の隣に座っている中年の男が答えた。少し額が広いがまだ明るい茶色の髪がフサフサしている男だ。年齢はシマロンの父より若く見えたが落ち着いた雰囲気だ。サンダーハウスから来たのなら、コロニー人である可能性が高く、中年のコロニー人ならば見た目の年齢に10から20は足した方が良いだろう。

 ならば70か80の爺さんか?

 このコロニー人の男性はいかにも学者の雰囲気の高い知性を感じさせる目をしていたが、決して冷たい印象ではなかった。優しい光を湛えながらヴァンスを見て、それからシマロンに視線を移した。
 ハーローが紹介した。

「正保安官のアンソニー・シマロンです。保安官、こちらはサンダーハウスから来られたケンウッド博士、セッパー博士、それからサルバトーレ氏です。」

 シマロンは小屋の一番薄暗い位置に立っていた長身の若い男に気が付いた。かなり背が高いのにまるでそれまで気配を感じさせないほど静かにそこに立っていた男は、生粋のアメリカ先住民の顔をしていた。

 サンダーハウスで働いている地球人の学者なのか?

 しかしハーローは紹介に彼だけ博士を付けなかった。
 シマロンはハーローの咳払いで我に還り、3人のボートの客と挨拶を交わした。

「クリアクリークにようこそ! 川下りで不愉快な思いをされたのではありませんか?」

 3人の誰にともなく声をかけた。セッパー博士と呼ばれた女性が首を振り、ケンウッド博士を振り返った。

「不愉快だなんて、ねぇ、ニコ、びっくりしただけよね。」

 ちょっと甘えた声音だ。良く見ると、彼女はまだ少女の面影が残る若さだった。もしかするとまだ未成年かも知れない。コロニー人の年齢は良くわからないが、頭脳明晰で成績優秀ならば未成年でも博士になれる筈だ。シマロンのように勉強が苦手の人間には縁遠い世界だが。
 ケンウッド博士は優しく彼女に返した。

「保安官は私達を気遣ってくれているのだ、失礼な態度はいけないよ、シュリー。」
「あらっ! 私、失礼したかしら?」

 とセッパー博士は後ろの長身の先住民の男性を振り返った。

「サルバトーレさん、私、失礼な態度を取りました?」

 サルバトーレが苦笑した。そして兄が妹に言って聞かせるような優しい声で言った。

「保安官にお尋ねなさい、セッパー博士。」

 セッパー博士がこちらを見たので、シマロンはまたドギマギした。彼は力を振り絞って言った。

「ちっとも失礼ではないですよ、セッパー博士。川下りを楽しんでいただけたようですね。」


2020年7月10日金曜日

蛇行する川 1   −6

 グリーンスネイク川は黄色い大地を削って流れている。だがここは完全な砂漠地帯ではない。上流部分は針葉樹の森林地帯で、それが徐々に低木の茂みになり、草原になって砂漠の様な様相になる。しかしグランドキャニオンの様な深い峡谷ではなく、雨がダートの道を削ってできる大きな溝みたいな感じだ。ただ両側の崖が切り立っているので降りるのは難しい。上流からボートで下るのがこの川の交通で、陸路はそれほど険しくない。クリアクリークの街はこの川の下流にある街で、車で10分の距離にローカッスルの船着場があった。
 川を空から見ると、遥か左手でボートが今まさに桟橋に着こうとしているところだった。
客が無事に岸に到着したらしいとヴァンスが肩の力を抜いた。
 パイロットが声をかける前から川はずっと見えていたのだが、彼が言いたかったのは牛の舌ポイントのことだった。ハイデッカーが高度を下げて崖の間に入る様指示した。気流は安定しており、静音ヘリは問題なく指示通りに高度を下げた。
 水の流れは速かった。黄色く濁った泥水が流れている。波がそんなにないのは岩が川底に出ていないからだろう。それでも下流に白く波立っている箇所が見えていたので、水流の速度が決して穏やかなものでないことは容易に想像出来た。普段はあまり急流でないから今日の川下りは面白かっただろう、とシマロンはぼんやりと思った。
 ハイデッカーがリモート操作でカメラを動かした。シマロンは座席越しに後ろからモニター画面を覗き込んだ。湾曲した内側の牛の舌の上流部分の岸辺が、3日前の雨による増水で削られているのがわかった。岩ではなく土の壁が見えている。草木の根が剥き出している、その中に人体が見えた。人形ではないだろう。ダランと腕が水面に向かって垂れている。頭部はまだ土中にあるらしいが、胴体は一部見えていた。

「流されて来たんじゃない、埋められていたんだ。」

 シマロンは思わず呟いた。ヴァンスは黙ってモニター画面を見ているだけだ。顔から表情が消えていた。
 ハイデッカーが振り返った。

「流されてきた死体に泥が被ったのではないのか?」

 シマロンは遺伝子管理局のエリートに教えてやった。

「流されてきた死体に泥が被ったのであれば、あんなに深く埋まったりしない。あの土は樹木の根を見ればわかるがもう何十年もそこにあるんだ。あの死体は埋められているんだ。」

 シマロンは端末を出して、郡警察本部へ電話をかけた。
 死体発見の報告と鑑識と死体回収の応援を要請した。死体の映像はハイデッカーが送信してくれた。彼は死体を自分達のヘリで回収せずに済みそうなので心なしか嬉しそうだ。パイロットも少し愛想が良くなった。マーカーの旗を牛の舌の川から離れた箇所に4個ばかり投下して、静音ヘリは一旦クリアクリークに引き揚げた。


2020年7月9日木曜日

蛇行する川 1   −5

 サンダーハウスは、シマロンの認識では実験農場だ。3000ヘクタール、クリアクリークの街の5倍もの面積の土地を第2世代アメリカ合衆国とコロニーが共同で大規模な実験に使用している。
 なんでも土地の周囲に1マイルおきに打ち込まれた金属製の杭が発する電磁波で大気中のあらゆるバクテリアやウィルス、細菌を死滅させるのだが、昆虫や鳥類、哺乳類には害がない、そんな場所を創造する実験だと言う。敷地内では普通に家畜が飼育され、耕作もなされている。科学者たちはそこで動物の世話をしたり農業をして、研究の一端としているのだそうだ。
 シマロンにはよくわからない。地球上の多くの生命が絶滅の危機に陥った200年前の大異変より前の世界を取り戻そうとしているのだ、と聞いたこともある。200年前にもバクテリアやウィルスや細菌はいただろうに、と彼は思うのだが、人類の寿命が200年前より短くなっていると聞けば、元に戻してくれるのも良いな、とも思う。昔の世界を取り戻せたら、地球上にはもっと女性が増えて、女性たちはお産の為に遠い東海岸近くのドームに行かなくて済む。そして宇宙とも交易が再開されるだろう。
 宇宙空間に引っ越して大異変を免れた人々の子孫、コロニー人と呼ばれる人々は地球が元どおりになるのを待っている。否、待てないからドームに資金を出し、サンダーハウスのような実験地をいくつも建設して地球の大地と大気の浄化を急がせようとしているのだ。

「サンダーハウスの研究者が遊びに来ているのか?」

とハイデッカーが尋ねた。ヴァンスが「うん」と声を出して答えた。

「あそこはなだらかな丘ばかりだからな、森や川で遊びたくば、ここが一番近いリゾートになるのさ。」

 リゾート地とは言えない田舎町だが、とシマロンは思ったが口に出さなかった。サンダーハウスから遊びに来る研究者たちの多くはコロニー人だ。宇宙で生まれ育った彼等にとって、森の中でキャンプしたりピクニックするのは冒険に感じられるのだろう。川下りなどはもうスリル満点の大冒険だ。勿論、地元の人間にとっても川下りは面白い。ヴァンスのホテル「モッキングバード」には年間を通して週末に予約が入る。夏はなかなか予約が取れないアトラクションとして近郊では有名だ。しかし、今はどちらかと言えば渇水期でオフシーズンだ。それがたまたま3日前に上流で大雨が降り、クリアクリークでも大地が潤った。川は黄色く濁ってグリーンスネイクではなくイエロースネイクになってしまったが水量があるので、ヴァンスは流れの状態を確認してからサンダーハウスから掛かってきた予約申請の電話を受け付けたのだ。

「死体がどんな状況かわからんが、お客さんに不愉快な思いをさせちまったようだ。」

 とヴァンスがぼやいた。客商売だから、風評を気にする。もっとも時間がたてば死体発見現場が観光スポットになってしまうかも知れないが。
 パイロットがそこで初めて声を出した。

「川が見えてきましたぜ!」