2020年7月11日土曜日

蛇行する川 1   −10

 ホテル・モッキングバードの客達はヴァンスの車に乗ってホテルへ去って行った。シマロンは郡警察本部からやって来る刑事のことを考え、ちょっとうんざりした。フォイルとは一緒に仕事をしたくなかった。もっとも殺人事件になるのであれば、刑事達に全て丸投げしても良いのだ。
 客達と古い馴染みであるらしいハイデッカーは先に事務所の中に入っていた。シマロンが中に入ると彼はハーローと共に冷めたコーヒーを飲もうとしていた。シマロンも自分のカップを取って配膳台に行った。ちょっと気になることがあったので、それとなく遺伝子管理局の支局長に尋ねてみた。

「ジェラルド、君はさっきケンウッド博士を長官と呼ばなかったか?」

 ハイデッカーがコーヒーに噎せた。予想外の質問だったようだ。彼が咳き込んでいると、ハーローが物知り顔で言った。

「サンダーハウスの一番偉い人はジェンキンス教授ですよね? 州立大学の・・・」
「うん・・・」

 ハイデッカーはようやく落ち着いて口元をハンカチで拭った。ハンカチを持ち歩いているところは本当に綺麗好きだ。彼はシマロンを見て、それからハーローを見た。再びシマロンに視線を向けて言った。

「オフレコで頼む。」
「何が?」

 彼は諦めたような表情で言った。

「ケンウッド博士はサンダーハウスの学者ではない。」
「でもコロニー人でしょ?」

 ハーローはシマロンがヘリで船着場へ到着する前に客の身元確認をしていた。端末を出してメモを見た。

「ニコラス・L・ケンウッド、火星第1コロニー出身の遺伝子学者・・・」
「遺伝子学者?」

 やっとシマロンはピンときた。遺伝子管理局本部がどこにあるか考えれば、長官と呼ばれるコロニー人がどこにいるかもわかるではないか。彼は自身の端末を出して素早く検索してみた。そして先刻までローカッスルの船着場にいた中年のコロニー人が南北アメリカ大陸ドームの長官ニコラス・ケンウッド博士であることを知った。
 ドームは地球人の揺り籠だ。200年以上昔に起きた「大異変」で人類は絶滅しかけ、宇宙に散らばっていた地球人の子孫コロニー人達が大陸ごとに建設したドームと呼ばれる巨大な建築物の中でしか出産出来なくなった。ドームの中は清潔でいかなる病原菌も放射線も遮断されている。その中に入ることが許されるのは出産間近の女性達とコロニー人の学者、そして遺伝子管理局とドームの機能を維持する職に就いている人々だけだった。全ての地球人はそれぞれの住む大陸にあるドームで生まれたのだ。シマロンもハーローもヴァンスも例外ではない。ハイデッカーもドーム生まれだ。
 そしてそのドームの全てを統括する職に就いている人物、それがドーム長官だった。
一般のアメリカ人にとってドーム長官は大統領より「偉い人」と言う認識だ。但し、滅多にメディアに露出する人ではないので、顔や名前を覚えている者は少ない。

「さっきの人が、ドーム長官だって言うのか、ジェラルド?」

 ハイデッカーが無言で頷いた。でも、とハーローが言った。

「とても親しそうでしたね、ハイデッカーさん。」
「あの方は誰にでも親しく接して下さるんだ。」

 ハイデッカーはちょっとうっとりとした目で宙を見た。

「あの方にとって、僕等は全員あの方の子供みたいなものだから。」

 ハイデッカーは僕等と言う単語をドームで働く職員の意味で言ったのだが、シマロンもハーローもドームで生まれた子供全員だと解釈した。もっともケンウッド長官にしてみれば、前者の解釈の方が正しいのだろうけど。
 シマロンにはドーム長官が神様の様には思えなかったが、多くの人から好かれる人物なのだと感じた。

「ドームから長官が遊びに来ていたのか。セッパー博士は接待役かね?」
「そうでもないんだ。」

 ハイデッカーはまた別の意味でうっとりとした表情をした。

「彼女は長官のお友達のお嬢さんで、長官には娘みたいなものなのさ。」

 そして我に返った様に彼はキリッとした表情を取り戻してシマロン達を振り返った。

「ドーム長官が来ているなんて、口外しないでくれないか。あの方はこの大陸の運命を・・・いや、地球の運命を変える重要な役割を担っている偉大な方なんだ。もしものことがあれば、取り返しがつかなくなる。」