2021年4月29日木曜日

狂おしき一日 La Folle journée 20

  その日の夕方、ドームの2箇所ある食堂と出産管理区の食堂に美しいピアノの調べが流れた。図書館の音楽室で演奏された曲が放送で流されたのだ。

「ショシャナ・パーシバルの演奏だ。」

とヤマザキ・ケンタロウがチキンの香草焼きを一口大に切り分けながら言った。ケンウッドは耳を澄ませてみたが、演奏者の判別までは出来なかったので、尋ねた。

「音源を知っているのかね?」
「知っているとは?」
「ラベルを見たとか?」
「まさか。」

 ショシャナ・パーシバルの後援会会長でもあるヤマザキがニヤリと笑った。

「あの子の演奏だけは聞き分け出来るんだ。オモチャのピアノを弾き始めた頃から、彼女の演奏を聞いてきたんだからね。」
「ファンの鑑だな。」

 そこへダリル・セイヤーズが息子ライサンダーと孫のルシア・ポーレット、そして恋人ポール・レインの取り替え子の妹フランシス・フラネリーを連れて現れた。ケンウッドとヤマザキは立ち上がって女性達を迎えた。

「お招き、有り難うございます。クララ・ボーマンに代わってお礼申し上げます。」

 フランシスがケンウッドに挨拶した。ケンウッドも来てくれた礼を述べた。ヤマザキも挨拶してから、無遠慮に言った。

「貴女がこちらの一般食堂に来られるとは予想しませんでしたよ。」

 フランシスがニッコリした。

「あちらの食堂の壁の仕組みを教えられたので、見られる側として考えたら愉快ではないと思いました。それでこちらに来ました。ダリルもこちらの方が面白いと言うので。」
「確かに、こちらは仕事抜きで食事が出来ますからね。」

 ケンウッドは幼いルシア・ポーレットにヤァと声をかけた。ルシアは恥ずかしがって父親の後ろに半分隠れて彼を見た。しかし顔は笑っていた。
 セイヤーズ一家とフランシスが空いているテーブルに向かって歩き去ると、ケンウッドとヤマザキは再び着席した。ヤマザキが好奇心で質問した。

「独身最後の夜はどうするつもりだい?」
「静かに眠るつもりさ。飲み会はなしだ。」
「確かに、今日は君も僕も明日の休みに備えて忙しかったからな。ところで、ハイネはどこに行ったんだ?」
「私にも行き先を教えてくれていないんだ。ドームの外には出ていない。彼は外出時に私の許可を必要とするドーマーグループの一人だからね。」

 そこへ司厨長のピート・オブライアンが通りかかった。彼が食事時の繁忙期に食堂から出かけるのは珍しかったので、ヤマザキが声をかけた。

「ピート、持ち場を離れるなんて珍しいな。どこか体調が悪かったのか?」

 医者らしい質問に、オブライアンが振り返った。

「いいえ、僕は元気ですよ。ちょっとデリバリーで出かけていたんです。」
「デリバリー?」
「ローガン・ハイネに呼ばれたんですよ。夕食2人前を図書館のロビーに届けろとね。あそこは飲食が許可されているから。」

 ケンウッドが不審そうな表情で声をかけた。

「ハイネは何をしているんだ?」
「さぁ・・・」

 オブライアンが首を傾げた。

「だけど、美女と一緒でしたよ。ほら、火星のピアニストの・・・」
「ショシャナ・パーシバルか?」

 ヤマザキがびっくりして尋ねた。

「もしや、あれは本人が弾いていたのか?」

 まだピアノの曲は放送中だった。生演奏ではなく、音楽室で「弾きたて」の曲を時間差をつけて流しているのだ。そのカラクリに気がついたヤマザキは、ハイネの企みを悟った。
オブライアンはちょっとうっとりとした表情でピアノ曲を聞く素ぶりを見せた。

「ドームの中の人々の為に有名ピアニストが演奏してくれているんですよ、ドクター。僕等役得です。ローガン・ハイネも粋な図らいをしてくださったもんだ。」

 オブライアンは厨房へ戻って行った。ケンウッドはヤマザキを見た。

「ドーマー達にピアノを聞かせる為に、ハイネは昼前からショシャナを音楽室に連れ込んだのか?」
「違うだろう。」

 ヤマザキは笑った。

「それだけなら、時間はかけないさ。シャナはこの程度の演奏ならリハなしでも弾ける。練習が必要なのは、ギターリストの方だよ。」



狂おしき一日 La Folle journée 19

  入国審査の前後に必ず宇宙から来た人々から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。重力を感じて、自分の体が重たくなったと言葉に出してしまうのだ。初めて地球に降り立ったパーシバル一族もクリストファーもロナルドの家族も、みんな自分たちがいきなり太ったのではないかと体を見てしまった。中には自分が平らになっていないか見てくれ、と言う人がいて、みんなの笑いを誘った。この賑やかさは他の旅行者も同じだったので、彼等が特別目立つことはなかったが、1箇所に固まっていたので、団体旅行のグループだなと言う目で見られた。
 シュリー・セッパーは両親を見つけると駆け寄った。挨拶のハグをしてそれから親戚一同に向かって言った。

「来てくださって有り難う。一人一人へのご挨拶は明日のお楽しみに取っておいてね。ここで始めたら、いつ終わるかわからないから。」

 温かな笑い声が返事だった。月の宇宙港で合流していた弟のローガンが一行に声をかけた。

「まずホテルにチュックインして、荷解きだよ。」

 彼等はホテルの入り口に向かって歩き始めた。荷物は既にホテルへ運ばれている。シュリーは母親の隣に並んで歩いた。

「やっぱりドレスを着なきゃ駄目?」
「着て欲しいわ。」
「着せ替え人形じゃないのよ。」
「伝統的な結婚式を、局長に見せたいの。」

 母の言葉に、シュリーは口を閉じた。多分、ローガン・ハイネはテレビや映画で十分に伝統的な結婚式や葬式やその他の地球上の伝統的儀式を見ている筈だ。ドーマー達は決して物知らずではない。それはケンウッドがサンダーハウスに同行させて来るドーマー達と話をすればわかる。彼等は自身が体験したことがないだけだ。ただ、ハイネとマーサ・セドウィックは結婚した訳ではなかった。ハイネとアイダ・サヤカも式を挙げられなかった。キーラとヘンリー・パーシバルの結婚式は月で挙げられたので、ドーマー達は後日映像で見ただけだ。キーラはハイネと参列する若いドーマーに本物の結婚式を見せて参加させたいのだ。

「わかったわ。でも堅苦しいのはなしよ。」

 パーシバルが質問した。

「お前の学生時代の友達は呼んでいないのかい?」
「地球旅行はまだ一般の人には高い旅行なのよ、パパ。友達には重力休暇で帰る時に集まって報告するの。」

 パーシバルは自身の一族が富裕層だとは思わなかったが、今回の地球旅行が滅多にないチャンスだとみんながはりこんだ事実を娘に告げるつもりはなかった。親戚達は明日のパーティーが終わったら、それぞれ希望した土地へ観光に出かけるのだ。それはロナルドの一家も同じだ。こちらの家族は思い切ってヨーロッパへ足を延ばすのだ。

「新婚旅行はアパートに籠るんだってさ。」

とローガンがからかい口調で言った。シュリーがムッとして彼を横目で睨んだ。

「家の中を整理するのよ。これから週末に2人で過ごす家をきちんと準備しておかないとね。」

 平日はそれぞれの職場で暮らす。キーラはそれぞれの仕事を手放せない新婚夫婦を気遣った。

「ニコは仕事を忘れて週末を過ごせるかしら。」

 ケンウッドが過去に2度婚約破棄に至った経緯を以前聞いたことがある。彼と恋人達がそれぞれの仕事に対する情熱についていけなくなって別れたのだ。パーシバルが妻の心配を笑った。

「大丈夫さ、シュリーは地球を愛している。ニコと気が合うんだ。」
「パパとママもだろ? でなきゃ、パパはママを扱いきれないよ。」

とローガンがまたからかった。それ、どう言う意味?とキーラが息子を突いた。
 ホテルのフロントはごった返していた。宇宙からだけでなく地球各所から航空機が到着すると宿泊客が集まるからだ。予てからの打ち合わせ通り、パーシバル達は家族単位で受付を済ませ、銘々部屋へ向かった。ホストとしてパーシバルとキーラは一族が全員無事に部屋へ入る迄ロビーに残り、娘に他の招待客の到着状況を確認した。ドームから来る人々以外は全員無事にホテルに到着したようだ。

「ポール・レインは明日の朝到着なんだね?」

 パーシバルの確認に、シュリーが嬉しそうに頷いた。

「ええ、パパのアイドルにやっと面会出来るのよ! 今からとっても楽しみ。」
「画像で見たけど・・・」

とローガンがチャチャを入れた。

「僕はセイヤーズの方が好みだな。それに局長の方がずっと綺麗だよ。」
「それは身贔屓だ。」

とパーシバルが息子に反論した。

「ハイネとポールの美しさは別物だよ。それにセイヤーズはどっちかと言えば色気の方が・・・イテテ!」

 キーラに足を踏まれてパーシバルは顔をしかめた。

「こんな場所でドーマーの品評なんかしないの!」

 キーラは夫を叱ってから、末っ子がまだ顔を見せていないことにやっと気がついた。

「シャナはまだ来ていないの?」
「彼女はドームの中よ。」

 シュリーの返事に、パーシバルもキーラもローガンも驚いた。

「ドームの中?」
「入れたの?」
「なんでドームに?」

 シュリーは肩をすくめた。

「理由は知らないわ。でも局長の招待許可証を持っていたから、ゲイトの中に入れたみたい。」
「狡いなぁ。」

 祖父の名前をもらったローガンが不満顔になった。彼は高校生の時に春分祭でドームを訪問してハイネと会ったが、それ以降は電話でしか顔を見ていない。電話では祖父と呼ぶことが出来ないので、他人行儀な会話しか出来ない。互いに元気なことを確認し合うだけだ。

「どうしてシャナが局長の招待状を持っている訳?」
「知らないわ。でも彼女はお昼前にドームに入って、まだ出て来ないのよ。」

 キーラとパーシバルは顔を見合わせた。2人はどちらからともなく、彼等自身がドームの中でささやかな結婚祝いのパーティーを開いてもらった時のことを思い出した。

「また ザ・クレスツ が何か企んでいるんじゃないか?」
「あのバンドはもう解散よ、年齢的に無理。ギターリストだけが現役で弾けるでしょうけど。」

 キーラは末っ子の企みに見当がついてクスッと笑った。


2021年4月27日火曜日

狂おしき一日 La Folle journée 18

 「やっぱり地球の飯は美味いよ。」

 ガブリエル・ブラコフは口元をナプキンで拭いながら賞賛した。地球に住んでいるヴァンサン・ヴェルティエンもその意見には大賛成だ。たまに妻と共にコロニーへ帰省するが、あちらの食事はお世辞にも美味しいと言えない。大袈裟だが地球の食材の味を知ってしまった人間の運命だ。
 彼等は昼食に3時間もかけてしまった。一般食堂で食べていたら、彼等を覚えているドーマー達が次々に挨拶にやって来て、相手をしていたら食べる暇がなかったのだ。お陰で料理が冷たくなってしまったが、それでもなおドームの厨房班が作る料理は絶品だった。

「これじゃ夕食の時間を遅らせないと腹に入らなくなる。」
「時間は気をつけないと駄目だぞ、ガブ。明日のパーティーの開始時間を考慮しておかないと。」

 2人の元副長官が午後は何をして時間を過ごそうかと相談を始めたところに近づいて来た男がいた。赤みがかったブロンドの40代で、スーツを着ている。遺伝子管理局だと2人は気がついたが、顔に見覚えがなかった。挨拶はドーマーの方からなされた。

「ブラコフ元副長官とヴェルティエン元副長官ですね。」

 ヴェルティエンが苦笑した。

「僕はガブの代理だったし、短期間の元副長官だから、秘書と呼ばれた方が気が楽だな。」

 ドーマーが微笑んだ。

「私も秘書です。遺伝子管理局長付き第2秘書のダリル・セイヤーズと申します。今日は遠くから遥々お越し頂き、有り難うございます。」

 ブラコフもヴェルティエンもその自己紹介に驚いた。なんと、目の前にいるのはあの有名な「脱走ドーマー」じゃないか!
 ブラコフが立ち上がったので、ヴェルティエンも倣った。ブラコフが自己紹介した。

「ガブリエル・ブラコフです。今は火星で医師として働いています。」

 もう執政官ではない。だからブラコフは地球人のセイヤーズに対等の立場で話しかけた。相手は進化型1級遺伝子危険値S1保持者だ。遺伝子学者としてドームで勤務したブラコフは少々興奮を感じた。どんなDNAを持っているのか見てみたい。
 ヴェルティエンは文化人類学者なので、セイヤーズの遺伝子には興味がなかった。ただ脱走して以来18年間隠れ通した男を珍しげに見つめた。

「ヴァンサン・ヴェルティエン、文化人類学者です。現在はアフリカと火星を行き来する生活をしています。副長官ではなく、ただ『さん』付けで結構です。」
「でも、どちらも博士でしょう?」

 セイヤーズはにこやかな表情を保ったまま返した。

「博士と呼ぶのに慣れていますから、そう呼ばせて下さい。」
「ああ、それじゃこうしよう。」

 ヴェルティエンが提案した。

「僕のことはヴィニー博士、ブラコフはガブ博士と呼べば良いですよ。」
「良いですね!」

 ブラコフが何か言う前にセイヤーズがヴェルティエンの案に賛同した。

「ケンウッド長官が貴方方の思い出話をされる時、いつもガブ、ヴァンサンと名前で呼ばれますから、私達も姓でお呼びするよりそちらの方が馴染みがあります。 ところで、午後は何かご予定がありますか?」
「いや、何をしようかと今相談を始めたところだったんだ。」

 セイヤーズがニッコリしたので、ブラコフは魅力的な笑顔だ、と感じた。あのポール・レイン・ドーマーが必死になってこの男を探したのも無理はない。温かな人柄を感じさせる笑みだ。

「ケンウッド長官がお茶をご一緒したいと仰っています。明日は大勢のお相手をされるのでゆっくり話が出来ないだろうからと。」

 ブラコフは期待を込めて憧れの白いドーマーの名前を出してみた。

「局長も一緒なのかな?」
「それが・・・」

 セイヤーズが申し訳なさそうな表情になった。

「局長は昼前から図書館で何やらお籠りで・・・でも明日のパーティーでお会い出来る筈ですよ。」

 ヴェルティエンががっかりしているブラコフの肩を叩いた。

「そんな顔をするなよ、ガブ。局長はどこにも逃げやしないさ。それより僕は早く長官にお会いしたいよ。セイヤーズ君、場所はどこです?」
「長官執務室です。あそこが一番邪魔が入らないと・・・」


2021年4月26日月曜日

狂おしき一日 La Folle journée 17

  薬剤室の室長ショーン・ドブリン・ドーマーは慎重に最後の薬剤を調合機に注入した。ボタンを押すと機械は小さな唸り声の様な音をたて、やがて金色に光る半透明の錠剤をポコポコと吐露口から吐き出した。全部で8個。彼はそれを小さな容器に入れた。
 カウンター越しにそれを眺めていたヤマザキ・ケンタロウがカウンター上のパッド画面に署名を入力した。受け取りのサインだ。

「酸欠の頓服なんて滅多に調合しません。」

とドブリンが言った。そうかい、とヤマザキが気の無い返事をした。

「宇宙じゃ船外活動する作業員やコロニーの壁のメンテ作業員の必需品だよ。」
「そんな仕事はロボットがするでしょう?」
「作業の内容によるさ。人間でなけりゃ難しい時もある。だから業者は必ず酸素補給剤を常備しているんだ。」

 ヤマザキは容器を照明にかざして錠剤を眺めた。

「地球上だって海洋での作業をする人は使うだろう。河川の工事や地下作業員だって事故に備えて携行しているよ。」
「そうなんですか。」

 ドブリンは外に出た経験がない。ローガン・ハイネと同様生まれてからずっとドームの中だけで生きてきた。職業は薬剤師だが、これもハイネ同様遺伝子管理局内務捜査班の隠れ蓑だ。彼は薬剤の受注状況から執政官の契約外研究の有無を監視してきたのだ。女性誕生の鍵が発見され、ドームの研究目標が女性を誕生させることから地球人の寿命を大異変前の年数に戻すことに変更となってからも、内務捜査班は執政官が違法な研究をしないように監視しているのだった。

「酸欠がどんな場所で起きるのか、想像したことがありませんから。」

 ドブリンはまだ保養所へ出かけた経験がない。外気で呼吸した経験がないのだ。彼は抗原注射を打てる年齢を過ぎてしまった。外気に慣れるには「通過」を経験するか、自然に彼の肺が外気に慣れる迄時間をかけて何度も外出を繰り返すしかない。彼は今迄多忙を理由に保養所行きを延ばしてきた。しかし、薬剤室の面々は彼を除いた全員が外の世界を体験し終わった。だから、維持班のターナー総代が彼に「出向指令」を出した時、彼は困ってヤマザキに相談したのだ。ヤマザキ医療区長は、酸素補給剤の処方箋を出してくれた。

「ハイネが初めてマスクを付けて外に出た時に、これを持たせたんだ。結局使わずに済んだけどね。あの爺さん、酸欠になるのが怖くて、散歩を10分で切り上げたんだよ。」

 思い出し笑いをしたヤマザキに、ドブリンは言った。

「その後も局長はこの薬を持って出られたのですか?」
「うん。お守りみたいなもんだな。ポケットに入れておくと安心するらしいよ。君もお守り気分で持って行くと良い。地球人が地球の空気を吸って酸欠になる筈がない。恐ろしいのはインフルエンザなどの病原菌だが、罹患者と接触しなければまず心配ない。君の肺はハイネと違って丈夫だから、心配することはない。」

 ヤマザキにそう言ってもらえると、本当に大丈夫な気になった。ドブリンはヤマザキから容器を返してもらうと、自分のポケットに入れた。

「ところで医療区長は明日のパーティーにお出かけになるのですね?」
「うん。夕方迄には帰るよ。ランチがメインのパーティーだから、酒も飲まないし、二次会もしない。もし、何か急用があれば・・・」
「連絡しません。」

とドブリンは遮った。

「折角のお祝いごとですよ。仕事で呼び出しをかけるなんて野暮なことはしません。局長から叱られます。」

 ヤマザキは苦笑した。彼もハイネもケンウッドも、ドームから呼び出しがあれば直ぐにパーティーを切り上げて帰るつもりでいるのだ。彼等にとってドームが人生の中の最優先事項だった。
 ドブリンが言った。

「薬剤室一同から、ケンウッド長官にご結婚おめでとうございますと伝えて下さい。」


狂おしき一日 La Folle journée 16

  午後の運動施設でダリル・セイヤーズはクロエル・ドーマーとホアン・ドルスコ・ドーマーに出会った。クロエルは中米班チーフ、ドルスコは南米班チーフだ。両名揃って休日になるのは滅多にないので、セイヤーズは「ヤァ! お揃いだね。」と声を掛けた。するとドルスコが彼に駆け寄って来て、訴えた。

「聞いてくれよ、セイヤーズ。クロエルったら、酷いんだ。」

 当惑してセイヤーズがクロエルに視線を向けると、クロエルは肩をすくめた。

「僕ちゃん、何も悪いことしてまっせーん!」
「嘘つけ、抜け駆けしたくせに・・・」
「抜け駆けするつもりなんてないっす。君が思いつかなかったことを、僕ちゃんがやっただけっす。」

 セイヤーズは周囲の人々がこちらに視線を向けているのに気がついた。遺伝子管理局の幹部が喧嘩していると思われてはマズイ。遺伝子管理局はドーマーの中でエリートとして認識されている。彼等は常にドーマー達の模範であるべきなのだ。

「君達、ちょっとこっちで話さないか?」

 セイヤーズは2人のチーフを格技場の見学席へ誘導した。円形闘技場のようにリングが下に見える形状の場所だ。リングの上で若い維持班の男達が空手のトレーニングに励んでいた。
 3人の遺伝子管理局の男達は最上段に腰を下ろした。セイヤーズは2人のチーフの間に入って、仲裁役をすることにした。

「まず、何があったのか教えてくれないか?」

 クロエルとドルスコが目で牽制し合った。普段は仲良しの2人だ。会議で意見の相違があっても喧嘩に発展したことはない。私生活でも仲良くやっていた。だが、今ドルスコは怒っていた。クロエルを睨みつけ、クロエルの言葉が少しでも気に障れば掴みかからんばかりの雰囲気だ。

「クロエルが僕にチリのバザールで布を買って来てくれと言ったんです。」

とドルスコが先に言った。クロエルが急いで説明した。

「綺麗な布が並んでいる店の画像を彼が見せてくれたんすよ。」
「それで買い物を頼んだのだね? ホアンはそれを買ってやった訳だ。」
「買いました。」
「クロエルが代金を支払わなかった?」
「払いました!」
 
 クロエルとドルスコが同時に答えたので、セイヤーズは2人を見比べた。

「じゃ、何が問題なんだ?」

 クロエルが答える前に、ドルスコが言った。

「クロエルはその布をべサニー・ロッシーニに贈ったんです。」

 セイヤーズは数秒間その言葉を頭の中で分析し、やがて「はぁ?」と言った。ドルスコが忌々しげに説明した。

「クロエルは、彼女の気を惹こうとして布を贈ったんです。目的を伏せて僕に買わせたんですよ。」
「だから、どうして僕ちゃんがべサニーに贈り物をするのに、君に言わなきゃなんない訳? いちいち買い物を頼むのに目的を言わないといけない訳?」
「狡いじゃないか!」
「なんでよ!」
「僕だってべサニーを喜ばせたいのに・・・」

 セイヤーズはその場を去りたくなった。これは、恋のライバル同士の喧嘩じゃないか。クロエルはドルスコに布の画像を見せられて、べサニー・ロッシーニが喜ぶだろうと想像した。ドルスコはその案を思いつかなかった。クロエルはドルスコも同じ女性に関心を抱いていると想像せずに、目的を言わずに、つまり言う必要を感じずに、買い物を依頼した。べサニーはきっと布の贈り物に喜んだのだ。それをドルスコは何らかの理由で知ってしまい、クロエルに抜け駆けされたと憤っているのだ。

「2人共、落ち着け。」

とセイヤーズは両手を左右に伸ばしてチーフ達を制した。そしてドルスコに顔を向けた。

「ホアン、考えてもみろ、男が好きな女の気を惹こうって時に、ライバルに手のうちを明かすか? クロエルは当たり前に頭を使っただけだ。これは君の負けだよ。君は綺麗な布をいつも目にしていながら、贈り物のアイデアを思いつかなかったんだから。」

 うっとドルスコが反論出来ずに唸った。セイヤーズは次にクロエルに向き直った。

「べサニーは喜んでくれたんだね?」
「当然っす。」
「それで交際に持って行けた?」

 クロエルは答えずに肩をすくめただけだった。

「布で喜んだだけか?」
「僕ちゃんが迷惑かと尋ねたら、迷惑じゃないって・・・僕ちゃんををハグしてくれて、嬉しいって言ってくれました。」

 なに! とドルスコ。腰を浮かせかけたので、セイヤーズは手で抑制した。そしてクロエルに確認した。

「彼女が君をハグした?」
「はい。」
「それだけ?」
「僕ちゃんとご飯食べたり、お喋りしたり、一緒に並んで歩いてくれるって言ってくれました。」

 つまり、交際を承知したのだ。セイヤーズは、ドルスコを振り返った。

「ホアン、女の子はべサニーだけじゃないさ。」
「だけど・・・」
「君が布を贈ったとして、彼女が君をハグするとは限らない。べサニーが若い連中に人気があるのは私も知っている。いろんなヤツが彼女に贈り物をした話を聞いているが、彼女が誰かをハグしたと言う噂は聞いたことがない。彼女は大勢のドーマーの中からクロエルを選んだのだ。それを君は承知しないといけない。」

 ホアン・ドルスコは大きな溜め息をついた。そして立ち上がった。クロエルも立ち上がった。ドルスコがセイヤーズの頭越しに手を彼に差し伸べた。

「おめでとう、クロエル。負けを認めるよ。べサニーを泣かしたりするなよ。」

 クロエルが彼の手を握った。

「グラシャス、アミーゴ! 君が好きな女性に贈り物をしたいと思ったら、いつでも相談に乗るっすよ。カリブ海の真珠とか、珊瑚とか、僕ちゃんの手に入れられる物なら何でも言ってよ。」

 セイヤーズは、座ったまま、やれやれと呟いた。 そしてケンウッド長官はどんな指輪をシュリーに贈ったのだろうと考えていた。

 

2021年4月25日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 15

  クリストファー・ウォーケン医師は105歳になって、既に現役を引退していたが医療アドバイザーとして火星にある大手の病院で働いていた。彼には最初の妻との間に息子が1人、二番目の妻との間にも息子が2人いたが、娘には恵まれなかった。だから最初の妻であったマーサ・セドウィックの連れ子のキーラが彼にとって唯一人の娘であり、マーサと離婚した後も息子のロナルドと一緒に面会日に彼女を連れて来てもらっていた。キーラも彼を「父さん」と呼び慕ってくれる。それは法律上の親子関係が失われても変わらない。互いの誕生日に贈り物を交わしたり、パーティーに招待し合った。マーサは彼の後妻に評判が良くなかったが、キーラは歓迎された。後妻も女の子が欲しかったのだろう。だからキーラが三つ子を産んで、赤ん坊を連れて会いに来てくれた時は大歓迎したものだった。
 後妻は実の息子達の子供も男ばかりなのを悔やんでいた。だからシュラミスとショシャナを猫可愛がりした。今彼女が生きていたら、きっと自身の孫の結婚のように大喜びしただろう、とクリストファーは思い出に浸っていた。

「父さん、シートベルトをしっかり締めた?」

とロナルドが尋ねて、彼は我に返った。地球へ向かうシャトルの中だ。3連の座席の一番窓側の席に座ったクリストファーは手でベルトを掴んで見せた。

「締めたさ。私は乗り物に乗ったら必ず真っ先にベルトを締める習慣だ。」

 隣の席に座ったロナルドの長男夫婦が微笑んだ。今回の地球旅行に参加するロナルドの息子は2人だ。末っ子はどうしても仕事の都合がつかず、従妹シュラミスの結婚式に出られないことを悔やんでいた。長男と次男はそれぞれの妻と婚約者を同伴している。長男の長男も一緒だ。宇宙空間に出られる年齢の親戚はこれだけ。
 少し離れた列にパーシバル家の人々が座っていて、あちらも10歳以上の子供がいるが大人しい。女の子もティーンになると静かになるのか、とクリストファーは思った。
 キーラとロナルドの妻タマラが端末を見ながらヒソヒソ話をしている。パーティーの進行の打ち合わせなのだろう。今回のパーティーは花婿ニコラス・ケンウッドの主催だが、企画はキーラとタマラだとヘンリーが言っていた。ヘンリーも良いヤツだ。血が繋がらない娘の夫だから、全くの赤の他人なのだが、クリストファーのことを義父と呼んでくれて大事にしてくれる。今回の地球旅行に招待してくれたのもヘンリーだ。

「クリスはシュラミスにとって本当の祖父同然ですからね。」

と言ってくれた。

 本当の祖父・・・

 クリストファーはローガン・ハイネにまだ会ったことがない。テレビで春分祭の中継で見たことがあるだけだ。真っ白な髪、すらりとした長身、整った顔立ち、よく通る澄んだ声・・・まるで作り物の様に美しい地球人の男。マーサ・セドウィックに呪いをかけ、彼女の恋愛を妨げて来た「囚われの身の王子様」。マーサは火星に戻ってから数人の男性と結婚や恋愛を繰り返したが、彼の呪縛から逃れられず、常に彼と男達を比較し、男達を怒らせて逃げられた。クリストファーも彼女から逃げた一人だ。彼は密かに心の底で会ったこともない地球人を憎悪した。マーサを哀れに思った。キーラが地球で働くと告げた時は、反対したかった。しかし、彼女は既にハイネに遭ってしまっていた。警察官として地球へ犯罪者を追って降りた時に。そして実の父の近くで働きたいと思っていた。クリストファーは彼女を笑顔で送り出した。キーラがマーサを呪縛から救ってくれることを期待して。
 キーラはやり遂げた。30年もの月日がかかったが、彼女は実父の心を開放することに成功し、マーサにかけられた呪いを解いた。ヘンリーがクリストファーに言った。

「貴方がニコとシュリーの結婚式に出席されると聞いて、ハイネは歓迎しますと喜んでいましたよ。」

 ローガン・ハイネが悪いんじゃなかった、とクリストファーは今では理解していた。ドーマーと呼ばれる研究用地球人の子供を自分達の都合の良い様に管理しようとしたコロニー人学者達の驕りが、恋をした若い女性遺伝子学者と地球人の若者の仲を引き裂いたのだ。ハイネは傷つき、コロニー人不審に陥ったままドームと言う狭い世界の中で生き続け、マーサは彼を傷つけたことを深く後悔し、謝罪する機会すら与えられぬまま火星でもがいていたのだ。

 ハイネと出会ったら、どんな話をすれば良いのかな。

 クリストファーは不思議な緊張感と高揚を覚えながら、シャトルが離陸する振動を感じた。


狂おしき一日 La Folle journée 14

  空港保安部の寮食堂でジェリー・パーカーが賄い料理の昼食を取っていると、アキ・サルバトーレが入ってきた。どちらが先ということもなく互いの存在に気がつくと、「ヨォ!」と手で合図を送りあった。サルバトーレは、パーカーが違法クローン製造業者、メーカーとして逮捕されドームに連れて来られた当時、監視役として彼に昼夜問わず張り付いていた。パーカーに自死する恐れがあり、彼を失うことをドーム幹部達が心配したからだ。パーカーは物事を斜めに見る癖があったが、鬱状態から脱して自身が置かれた状況を渋々ながらも受け入れ、やがてドームのクローン製造部では重要な研究を任される科学者として認知されると、落ち着きを取り戻した。監視が用済みになってから、サルバトーレは保安課に戻ったが、なんとなくパーカーがいない生活が味気なく思えた。パーカーも監視の目がなくなったことを喜びながらも、「相棒」を失った気分になった。彼は同僚のメイ・カーティスと愛を育み結婚したが、やはり同性の友人は必要だった。
 互いの仕事が忙しくて顔を合わせる機会が減ったが、パーカーとサルバトーレは時間が出来るとどちらからともなく連絡を取り合うようになった。ドームはドーマーの飲酒を禁じているのだが、金曜日の夜は例外だ。パーカーはドームで唯一飲酒が許されるバーでサルバトーレと静かに語り合うのを毎週の楽しみにした。サルバトーレもシフトをやりくりして可能な限り金曜の夜は体を空けておいた。特に共通の趣味がある訳でなく、同じ志を持っているのでもない。ただ暢んびりと世間話をするだけで彼等は楽しかった。
 寮食堂のテーブルで彼等は向かい合った。サルバトーレはパーカーがドームの外にいる理由を尋ねなかった。空港ビル内しか出歩けない男がそこにいる理由は一つだ。

「シェイは今夜から大車輪で働くんだろ?」

と鎌をかけると、果たしてパーカーは頷いた。

「うん。折角俺が出てきてやったのに、ほとんど上の空で会話するんだ。俺より牛肉やチキンに語りかける方が楽しいらしいぜ。」

 サルバトーレが愉快そうに笑った。寮食堂のシェフ、シェイはどんなイケメンが話しかけようと料理にしか関心がない。一度あるVIPが彼女の料理に感激してテーブルに呼び出し、いろいろ話しかけたが、彼女は食材の仕入れの話しかしなかった。

「君は明日のパーティーには出ないんだろ?」
「ああ、俺はドームで留守番。ゴーン博士がパーティーに出るから、俺がクローン製造部の監督をしなきゃならねぇのさ。」

 違法クローン製造業者だったパーカーに、ドームの最も重要な部門の監督を任せる。サルバトーレは、ケンウッドとゴーンと言う2人の最高幹部の肝の太さに内心感心していた。

「もっとも、俺はダンスやら社交辞令やらで疲れたくないからな・・・カウボーイのお祭りの方が性に合ってるのさ。」

とパーカーが笑った。そして彼はサルバトーレの表情が曇ったことに気がついた。

「どうした、アキ?」
「ダンスって言ったよな・・・」

 サルバトーレが天井を仰ぎ見た。

「そんなこと、ちっとも頭になかった。僕は明日、花嫁の招待で友人として、勿論警護も兼ねるんだが、パーティーに出ることになっている。ゴメス少佐も一緒だ。2人共、飯を食ってりゃ良いとばかり思い込んでいたよ。若い客はダンスとかゲームとかやるんだろうな。」

 パーカーが吹き出した。

「そんなもん、強制じゃないだろう? 見物してりゃ良いのさ。」
「もし誘われたら・・・」
「誘うのは男の方だ。普通は、な!」

 パーカーは外の世界で育ったし、サルバトーレより年長だ。少年期はラムゼイ牧場から出してもらえなかったが、成人してからは時々街で大人の社交を経験した。ドーマー達よりはずっと世間のことを知っていた。

「で? ドームからは誰々がパーティーに出席するんだ?」

 サルバトーレは周囲をさっと見渡してから、声を低くして答えた。

「長官、副長官、保安課長、医療区長、出産管理区長に同副区長、遺伝子管理局長、ポール・レインとJJ・ベーリング、ヴェルティエン元副長官、ブラコフ元副長官、そして僕・・・」
「少ないな・・・」
「花嫁側の人数は多いんだ。パーシバル博士、セドウィック博士、ローガン・セドウィック博士、ショシャナ・パーシバル、セドウィック博士の弟一家8名、パーシバル博士の兄弟の家族21名、それからサンダーハウスの科学者16名。」
「長官の親族はいないのか?」
「うん。長官は兄弟が遠方のコロニーに住んでいると言う理由で招待されなかった。報告はなさったそうだが。」

 ジェリー・パーカーはニコラス・ケンウッドが何故ドーマー達を愛すのか理由がわかった気がした。身近にいて愛情を注げる人々だからだ。

「ああ、そうだ。」

 サルバトーレは忘れていた招待客を思い出した。

「ロバータ・ベルトリッチ委員長も来られる。」

 パーカーはびっくりした。

「超大物じゃんか!」
「そうなんだ。だから、極秘で地球へ降りて来る。これは僕と君と少佐と長官だけの秘密だ。」

 何故俺に話すんだ、とパーカーは疑問に感じたが、それ以上は言及しなかった。話題にする時間が長いとそれだけ外部に漏れる可能性が高まる。