2021年4月25日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 15

  クリストファー・ウォーケン医師は105歳になって、既に現役を引退していたが医療アドバイザーとして火星にある大手の病院で働いていた。彼には最初の妻との間に息子が1人、二番目の妻との間にも息子が2人いたが、娘には恵まれなかった。だから最初の妻であったマーサ・セドウィックの連れ子のキーラが彼にとって唯一人の娘であり、マーサと離婚した後も息子のロナルドと一緒に面会日に彼女を連れて来てもらっていた。キーラも彼を「父さん」と呼び慕ってくれる。それは法律上の親子関係が失われても変わらない。互いの誕生日に贈り物を交わしたり、パーティーに招待し合った。マーサは彼の後妻に評判が良くなかったが、キーラは歓迎された。後妻も女の子が欲しかったのだろう。だからキーラが三つ子を産んで、赤ん坊を連れて会いに来てくれた時は大歓迎したものだった。
 後妻は実の息子達の子供も男ばかりなのを悔やんでいた。だからシュラミスとショシャナを猫可愛がりした。今彼女が生きていたら、きっと自身の孫の結婚のように大喜びしただろう、とクリストファーは思い出に浸っていた。

「父さん、シートベルトをしっかり締めた?」

とロナルドが尋ねて、彼は我に返った。地球へ向かうシャトルの中だ。3連の座席の一番窓側の席に座ったクリストファーは手でベルトを掴んで見せた。

「締めたさ。私は乗り物に乗ったら必ず真っ先にベルトを締める習慣だ。」

 隣の席に座ったロナルドの長男夫婦が微笑んだ。今回の地球旅行に参加するロナルドの息子は2人だ。末っ子はどうしても仕事の都合がつかず、従妹シュラミスの結婚式に出られないことを悔やんでいた。長男と次男はそれぞれの妻と婚約者を同伴している。長男の長男も一緒だ。宇宙空間に出られる年齢の親戚はこれだけ。
 少し離れた列にパーシバル家の人々が座っていて、あちらも10歳以上の子供がいるが大人しい。女の子もティーンになると静かになるのか、とクリストファーは思った。
 キーラとロナルドの妻タマラが端末を見ながらヒソヒソ話をしている。パーティーの進行の打ち合わせなのだろう。今回のパーティーは花婿ニコラス・ケンウッドの主催だが、企画はキーラとタマラだとヘンリーが言っていた。ヘンリーも良いヤツだ。血が繋がらない娘の夫だから、全くの赤の他人なのだが、クリストファーのことを義父と呼んでくれて大事にしてくれる。今回の地球旅行に招待してくれたのもヘンリーだ。

「クリスはシュラミスにとって本当の祖父同然ですからね。」

と言ってくれた。

 本当の祖父・・・

 クリストファーはローガン・ハイネにまだ会ったことがない。テレビで春分祭の中継で見たことがあるだけだ。真っ白な髪、すらりとした長身、整った顔立ち、よく通る澄んだ声・・・まるで作り物の様に美しい地球人の男。マーサ・セドウィックに呪いをかけ、彼女の恋愛を妨げて来た「囚われの身の王子様」。マーサは火星に戻ってから数人の男性と結婚や恋愛を繰り返したが、彼の呪縛から逃れられず、常に彼と男達を比較し、男達を怒らせて逃げられた。クリストファーも彼女から逃げた一人だ。彼は密かに心の底で会ったこともない地球人を憎悪した。マーサを哀れに思った。キーラが地球で働くと告げた時は、反対したかった。しかし、彼女は既にハイネに遭ってしまっていた。警察官として地球へ犯罪者を追って降りた時に。そして実の父の近くで働きたいと思っていた。クリストファーは彼女を笑顔で送り出した。キーラがマーサを呪縛から救ってくれることを期待して。
 キーラはやり遂げた。30年もの月日がかかったが、彼女は実父の心を開放することに成功し、マーサにかけられた呪いを解いた。ヘンリーがクリストファーに言った。

「貴方がニコとシュリーの結婚式に出席されると聞いて、ハイネは歓迎しますと喜んでいましたよ。」

 ローガン・ハイネが悪いんじゃなかった、とクリストファーは今では理解していた。ドーマーと呼ばれる研究用地球人の子供を自分達の都合の良い様に管理しようとしたコロニー人学者達の驕りが、恋をした若い女性遺伝子学者と地球人の若者の仲を引き裂いたのだ。ハイネは傷つき、コロニー人不審に陥ったままドームと言う狭い世界の中で生き続け、マーサは彼を傷つけたことを深く後悔し、謝罪する機会すら与えられぬまま火星でもがいていたのだ。

 ハイネと出会ったら、どんな話をすれば良いのかな。

 クリストファーは不思議な緊張感と高揚を覚えながら、シャトルが離陸する振動を感じた。