2021年4月27日火曜日

狂おしき一日 La Folle journée 18

 「やっぱり地球の飯は美味いよ。」

 ガブリエル・ブラコフは口元をナプキンで拭いながら賞賛した。地球に住んでいるヴァンサン・ヴェルティエンもその意見には大賛成だ。たまに妻と共にコロニーへ帰省するが、あちらの食事はお世辞にも美味しいと言えない。大袈裟だが地球の食材の味を知ってしまった人間の運命だ。
 彼等は昼食に3時間もかけてしまった。一般食堂で食べていたら、彼等を覚えているドーマー達が次々に挨拶にやって来て、相手をしていたら食べる暇がなかったのだ。お陰で料理が冷たくなってしまったが、それでもなおドームの厨房班が作る料理は絶品だった。

「これじゃ夕食の時間を遅らせないと腹に入らなくなる。」
「時間は気をつけないと駄目だぞ、ガブ。明日のパーティーの開始時間を考慮しておかないと。」

 2人の元副長官が午後は何をして時間を過ごそうかと相談を始めたところに近づいて来た男がいた。赤みがかったブロンドの40代で、スーツを着ている。遺伝子管理局だと2人は気がついたが、顔に見覚えがなかった。挨拶はドーマーの方からなされた。

「ブラコフ元副長官とヴェルティエン元副長官ですね。」

 ヴェルティエンが苦笑した。

「僕はガブの代理だったし、短期間の元副長官だから、秘書と呼ばれた方が気が楽だな。」

 ドーマーが微笑んだ。

「私も秘書です。遺伝子管理局長付き第2秘書のダリル・セイヤーズと申します。今日は遠くから遥々お越し頂き、有り難うございます。」

 ブラコフもヴェルティエンもその自己紹介に驚いた。なんと、目の前にいるのはあの有名な「脱走ドーマー」じゃないか!
 ブラコフが立ち上がったので、ヴェルティエンも倣った。ブラコフが自己紹介した。

「ガブリエル・ブラコフです。今は火星で医師として働いています。」

 もう執政官ではない。だからブラコフは地球人のセイヤーズに対等の立場で話しかけた。相手は進化型1級遺伝子危険値S1保持者だ。遺伝子学者としてドームで勤務したブラコフは少々興奮を感じた。どんなDNAを持っているのか見てみたい。
 ヴェルティエンは文化人類学者なので、セイヤーズの遺伝子には興味がなかった。ただ脱走して以来18年間隠れ通した男を珍しげに見つめた。

「ヴァンサン・ヴェルティエン、文化人類学者です。現在はアフリカと火星を行き来する生活をしています。副長官ではなく、ただ『さん』付けで結構です。」
「でも、どちらも博士でしょう?」

 セイヤーズはにこやかな表情を保ったまま返した。

「博士と呼ぶのに慣れていますから、そう呼ばせて下さい。」
「ああ、それじゃこうしよう。」

 ヴェルティエンが提案した。

「僕のことはヴィニー博士、ブラコフはガブ博士と呼べば良いですよ。」
「良いですね!」

 ブラコフが何か言う前にセイヤーズがヴェルティエンの案に賛同した。

「ケンウッド長官が貴方方の思い出話をされる時、いつもガブ、ヴァンサンと名前で呼ばれますから、私達も姓でお呼びするよりそちらの方が馴染みがあります。 ところで、午後は何かご予定がありますか?」
「いや、何をしようかと今相談を始めたところだったんだ。」

 セイヤーズがニッコリしたので、ブラコフは魅力的な笑顔だ、と感じた。あのポール・レイン・ドーマーが必死になってこの男を探したのも無理はない。温かな人柄を感じさせる笑みだ。

「ケンウッド長官がお茶をご一緒したいと仰っています。明日は大勢のお相手をされるのでゆっくり話が出来ないだろうからと。」

 ブラコフは期待を込めて憧れの白いドーマーの名前を出してみた。

「局長も一緒なのかな?」
「それが・・・」

 セイヤーズが申し訳なさそうな表情になった。

「局長は昼前から図書館で何やらお籠りで・・・でも明日のパーティーでお会い出来る筈ですよ。」

 ヴェルティエンががっかりしているブラコフの肩を叩いた。

「そんな顔をするなよ、ガブ。局長はどこにも逃げやしないさ。それより僕は早く長官にお会いしたいよ。セイヤーズ君、場所はどこです?」
「長官執務室です。あそこが一番邪魔が入らないと・・・」