2021年4月26日月曜日

狂おしき一日 La Folle journée 16

  午後の運動施設でダリル・セイヤーズはクロエル・ドーマーとホアン・ドルスコ・ドーマーに出会った。クロエルは中米班チーフ、ドルスコは南米班チーフだ。両名揃って休日になるのは滅多にないので、セイヤーズは「ヤァ! お揃いだね。」と声を掛けた。するとドルスコが彼に駆け寄って来て、訴えた。

「聞いてくれよ、セイヤーズ。クロエルったら、酷いんだ。」

 当惑してセイヤーズがクロエルに視線を向けると、クロエルは肩をすくめた。

「僕ちゃん、何も悪いことしてまっせーん!」
「嘘つけ、抜け駆けしたくせに・・・」
「抜け駆けするつもりなんてないっす。君が思いつかなかったことを、僕ちゃんがやっただけっす。」

 セイヤーズは周囲の人々がこちらに視線を向けているのに気がついた。遺伝子管理局の幹部が喧嘩していると思われてはマズイ。遺伝子管理局はドーマーの中でエリートとして認識されている。彼等は常にドーマー達の模範であるべきなのだ。

「君達、ちょっとこっちで話さないか?」

 セイヤーズは2人のチーフを格技場の見学席へ誘導した。円形闘技場のようにリングが下に見える形状の場所だ。リングの上で若い維持班の男達が空手のトレーニングに励んでいた。
 3人の遺伝子管理局の男達は最上段に腰を下ろした。セイヤーズは2人のチーフの間に入って、仲裁役をすることにした。

「まず、何があったのか教えてくれないか?」

 クロエルとドルスコが目で牽制し合った。普段は仲良しの2人だ。会議で意見の相違があっても喧嘩に発展したことはない。私生活でも仲良くやっていた。だが、今ドルスコは怒っていた。クロエルを睨みつけ、クロエルの言葉が少しでも気に障れば掴みかからんばかりの雰囲気だ。

「クロエルが僕にチリのバザールで布を買って来てくれと言ったんです。」

とドルスコが先に言った。クロエルが急いで説明した。

「綺麗な布が並んでいる店の画像を彼が見せてくれたんすよ。」
「それで買い物を頼んだのだね? ホアンはそれを買ってやった訳だ。」
「買いました。」
「クロエルが代金を支払わなかった?」
「払いました!」
 
 クロエルとドルスコが同時に答えたので、セイヤーズは2人を見比べた。

「じゃ、何が問題なんだ?」

 クロエルが答える前に、ドルスコが言った。

「クロエルはその布をべサニー・ロッシーニに贈ったんです。」

 セイヤーズは数秒間その言葉を頭の中で分析し、やがて「はぁ?」と言った。ドルスコが忌々しげに説明した。

「クロエルは、彼女の気を惹こうとして布を贈ったんです。目的を伏せて僕に買わせたんですよ。」
「だから、どうして僕ちゃんがべサニーに贈り物をするのに、君に言わなきゃなんない訳? いちいち買い物を頼むのに目的を言わないといけない訳?」
「狡いじゃないか!」
「なんでよ!」
「僕だってべサニーを喜ばせたいのに・・・」

 セイヤーズはその場を去りたくなった。これは、恋のライバル同士の喧嘩じゃないか。クロエルはドルスコに布の画像を見せられて、べサニー・ロッシーニが喜ぶだろうと想像した。ドルスコはその案を思いつかなかった。クロエルはドルスコも同じ女性に関心を抱いていると想像せずに、目的を言わずに、つまり言う必要を感じずに、買い物を依頼した。べサニーはきっと布の贈り物に喜んだのだ。それをドルスコは何らかの理由で知ってしまい、クロエルに抜け駆けされたと憤っているのだ。

「2人共、落ち着け。」

とセイヤーズは両手を左右に伸ばしてチーフ達を制した。そしてドルスコに顔を向けた。

「ホアン、考えてもみろ、男が好きな女の気を惹こうって時に、ライバルに手のうちを明かすか? クロエルは当たり前に頭を使っただけだ。これは君の負けだよ。君は綺麗な布をいつも目にしていながら、贈り物のアイデアを思いつかなかったんだから。」

 うっとドルスコが反論出来ずに唸った。セイヤーズは次にクロエルに向き直った。

「べサニーは喜んでくれたんだね?」
「当然っす。」
「それで交際に持って行けた?」

 クロエルは答えずに肩をすくめただけだった。

「布で喜んだだけか?」
「僕ちゃんが迷惑かと尋ねたら、迷惑じゃないって・・・僕ちゃんををハグしてくれて、嬉しいって言ってくれました。」

 なに! とドルスコ。腰を浮かせかけたので、セイヤーズは手で抑制した。そしてクロエルに確認した。

「彼女が君をハグした?」
「はい。」
「それだけ?」
「僕ちゃんとご飯食べたり、お喋りしたり、一緒に並んで歩いてくれるって言ってくれました。」

 つまり、交際を承知したのだ。セイヤーズは、ドルスコを振り返った。

「ホアン、女の子はべサニーだけじゃないさ。」
「だけど・・・」
「君が布を贈ったとして、彼女が君をハグするとは限らない。べサニーが若い連中に人気があるのは私も知っている。いろんなヤツが彼女に贈り物をした話を聞いているが、彼女が誰かをハグしたと言う噂は聞いたことがない。彼女は大勢のドーマーの中からクロエルを選んだのだ。それを君は承知しないといけない。」

 ホアン・ドルスコは大きな溜め息をついた。そして立ち上がった。クロエルも立ち上がった。ドルスコがセイヤーズの頭越しに手を彼に差し伸べた。

「おめでとう、クロエル。負けを認めるよ。べサニーを泣かしたりするなよ。」

 クロエルが彼の手を握った。

「グラシャス、アミーゴ! 君が好きな女性に贈り物をしたいと思ったら、いつでも相談に乗るっすよ。カリブ海の真珠とか、珊瑚とか、僕ちゃんの手に入れられる物なら何でも言ってよ。」

 セイヤーズは、座ったまま、やれやれと呟いた。 そしてケンウッド長官はどんな指輪をシュリーに贈ったのだろうと考えていた。